その日、朝からお嬢ちゃんはちょっと様子が変だった。
毎朝俺たちは一緒に朝食を取るんだ、夫婦だからな、当然だ。
その朝食のときから、うわの空っていうのか?なんていうか、心ここにあらずといった感じで、でも、思い悩んでる風ではなくて、どちらかという…そう、うきうきしてる。春の蒲公英の綿毛みたいにふわふわした感じなんだ。
食事に集中してないのがなんとなくわかるんだ、でも、食欲がないわけでもなさそうだ。ただ、いつもの一生懸命さが感じられないんだな。
朝の食卓には、いつもシェフの心尽くしの…どちらかといえばお嬢ちゃんの好みを反映された皿が並んでいるのにだ。
お嬢ちゃんは自分の好みをおしつけたり、あれが食べたい、これでなくちゃ嫌なんてわがままを言ってる訳じゃないぜ、もちろん。
俺のお嬢ちゃんは出されたものに文句を言ったことなんてないさ。育ちがいいからな。
大抵のものは嬉しそうにおいしそうに食べる。一緒に食事する人間が見てるだけで幸せになっちまっうようないい顔をして、だから、こっちも同じ食事が何倍もおいしく感じられるんだ。
それだから、お嬢ちゃんは昔から食事やお茶の相手としてとっても人気があった。もちろんそれだけが彼女の魅力ってわけじゃないぜ、数多くある美点のひとつってことだ。
俺は彼女を俺の専属にするために、どれほど苦労したことかとても一言じゃ語り尽くせないぜ…しかも、結婚した今でもお茶や食事の時間になると招かれざる闖入者がくることも間々あるから、彼女を100%独占できる機会は夫婦といえどもそう多くないんだ。
おっと、話がそれちまったな。
とにかく、お嬢ちゃんは嬉しそうに楽しそうに食事をする。
で、それが自分の好物…好き嫌いは言わない彼女にも特別のお気に入りはあるからな、それが出た時はさらにそれに拍車がかかる。
テーブルについた時から瞳はきらきらしてるし、それを実際食べた時の顔といったら、もう、まさに蕩けそうな笑顔になって…あんな顔見せられたら、シェフもお嬢ちゃんの好きなものを作りたくなって当然だろう。
いくら俺が宇宙一のいい男とはいっても、むくつけき男が黙って食べる食事より、そりゃ、ピンクの砂糖菓子みたいにかわいいお嬢ちゃんが、心の底から嬉しそうな顔をして食べてくれる食事を作る方がシェフだって励みになるだろうさ。俺だってシェフの立場ならそうだろうからな。
というわけで、結婚してからというもの、食卓にはお嬢ちゃん好みの料理が上る回数がふえた…
それはいいんだ。俺はお嬢ちゃんと一緒の食事ならなんだって美味く感じるからな。
おっと、ここでグリンピースポタージュとマヨネーズたっぷりのサラダとホワイトソースのグラタンっていう取り合わせでもですか?なんて意地悪はいいっこなしだぜ。
そんなものはもともと我が家の食卓には存在しないから、食卓にあがることは金輪際ないんだ。
ま、とにかく我が家の食卓はお嬢ちゃんお気に入りが並ぶ確率が高いから、お嬢ちゃんは、それはそれは懸命にお皿と格闘するんだぜ。ほんとに一生懸命でかわいいんだ。
ところが、今朝に限って、その集中力がないんだな。機械的に食事を口に運んでるんだ。
カトラリーのたてる音が妙にリズミカルだから、逆に機械的だってわかっちまうんだな。
だが、うわのそらといっても俺との会話がないわけじゃない。むしろ、いつもより饒舌なくらいだった。
なんていうか、ただ単に浮かれてるというか…地に足がついてないという雰囲気なんだ。この頃、陽気もいいからな、なんとなくうきうきしちまうのかもしれないな。
俺は、深く考えずにナプキンで口をぬぐって食事を終えた。
お嬢ちゃんが暗く沈んでるならともかく、明るく浮かれてる分には何も不満はなかったからだ。
俺たちは門前に待っている馬車に乗り込んだ。
今日は平日だから二人とも聖殿に出仕する。
働く職場が一緒だから、朝は一緒に家を出て、一緒の馬車にのり、帰りも一緒の馬車にのって、一緒に帰宅する。なにか突発事態がおこらない限りは…突然のサクリアの暴走とか逆に澱みとか、お嬢ちゃんなら女王陛下がどうしても離してくれずに残業でお茶会(これって考えると変だが、お嬢ちゃんにとって陛下とのお付き合いは公務ってことになっているらしい)を開いたりしなければ、大抵は一緒に帰宅して、一緒に軽くシャワーを浴びて(それだけじゃ終わらないことも多いが他人にいうことじゃないから、この部分は割愛するぜ)一緒に夕食をとる。
え?そんなに四六時中一緒で嫌にならないかって?
執務時間中は離れ離れなんだから、これでも俺にはたりないくらいだぜ。
なにせ、ちょっと眼を離すと、最早彼女は俺の妻になったという事実を一切無視して、しつこくお嬢ちゃんに言い寄る輩が有象無象いる恐ろしい職場なんだからな、ここは。
しかも、仕事の性質上、自分が転職することも彼女を転職させることもできないし、転勤もありえないし…唯一の異動はサクリアが尽きての円満退職だが、お嬢ちゃんが補佐官になってからというもの、彼女が在任中は意地でもここにいるぞ!とでも、ヤツら皆思ってるんじゃないかというくらい、誰のサクリアも衰えをみせないんだよな、これが。
だから、執務時間中、彼女をずっと自分の執務室においておけないのが俺としては心配で…でも、考えてみれば、私邸に留守番させっぱなしのほうが、目が行き届かない分危なかったかもしれんから、ま、これはこれでOKかもしれんな。
馬車での通勤中は特にすることもないから、とりとめないお喋りをすることが多い。
お嬢ちゃんを俺の膝に乗せて聖殿につくまでずっとキスしてたなんてことも新婚当初はあったんだが、これは今はお嬢ちゃんから禁止されちまった。
なぜかって?簡単なことさ。
俺の超絶技巧なキスに馬車から降りようとしたお嬢ちゃんの腰が砕けちまってうまく歩けなくなっちまったからさ。
『もう絶対馬車のなかでディ、ディ、ディープキスはしないでくださいね!とくに出仕前は絶対ですからね!』
真っ赤になってつっかえつっかえ訴えるお嬢ちゃんのかわいかったことったらなかったな。
実は俺も出仕前の馬車の中だっていうのに、押さえがきかなくなりそうでやばいと思ったので、この件に関してはおとなしく譲った。
もっとも、その代りに退勤中の馬車の中ならこの限りにあらずという誓約をとりつけたがな。
俺としてはいくらいいムードになってもその先はお預け食らわされること確実な出勤中の馬車より、そのまま寝室に直行もありうる退勤中の馬車でキスを許してもらうほうがおいしいからな。
さも、残念そうなふりを装って、せめて帰りの馬車のなかでならキスしてもいいだろう?って言ったら、お嬢ちゃんは優しいから、『う〜〜〜、か、帰りの馬車でだけですよ…絶対ですよ?』って真っ赤になってもじもじして、軽く口を尖らせて…その困った様子がかわいくて、また、ついわざと少しだけ無理を言いたくなっちまうんだよな、俺は…
また、話がそれたな。ま、そういうわけで、行きの馬車のなかではおしゃべりしかできないんで、俺は今朝のお嬢ちゃんの様子に言及したんだ。ほんとになんの気なしにな。
「お嬢ちゃん、なにかいいことでもあったか?朝食の時、なにかそわそわ、うきうきしてたみたいだぜ?」
「え?そ、そうですか?自分じゃ気付きませんでしたけど…私の好きな物がでてたからかしら?」
「だが、その割には食事がうわの空みたいにみえたが?」
「あっ、なんだかお天気がよくて、いい風が吹いてたから、外が気になってたのかも…」
「食堂の窓、しまっていなかったか?」
「そ、そうでしたっけ?でも、私ほんとにうわの空だったつもりなんてないんですけど…」
なんか、怪しい、なんか、変だ。お嬢ちゃんはなにかにやっぱり気をとられていたんじゃないのか?でも、俺にはそれはいえないことなのだろうか?
でも、これ以上問い詰めたら、なんだか俺がお嬢ちゃんを詰問するみたいでいい気分じゃないな。
そう思った俺は心にちょっともやもやがあったものの、お嬢ちゃんが気のせいだっていう言葉を信じることにした。
「ま、確かに陽気がいいと、なぜか人間うきうきするもんだからな。今日はほんとにばかみたいにいい天気だしな。」
「ほんとに、いいお天気ですよね〜、執務中居眠りしたりしないようにしなくちゃ…」
最後の言葉はあきらかに自分に言聞かせたものだから、俺は相槌をうたなかった。
へたに相槌をうつと寝不足の原因に関してやぶへびになりかねないしな。
お天気の話で場が和んだ時、見計らった様に馬車は聖殿につき、俺はお嬢ちゃんのほっぺに軽く口付けてから、それぞれの執務室にむかった。
聖殿の昼休み。
聖殿に働く官僚たちにはもちろん職員食堂がある。聖地じゃ気軽にそのへんでランチって訳にいかないからだ。
俺たち守護聖は食事に関しては自由だ。いちいち私邸まで戻ってもいいし、執務室で食べることもできる。
俺たちの昼飯は時間を見計らって私邸から届けられることが多い。
あつあつとはいかないが、冷めたよりはいいし、私邸に戻るのは時間のロスが大きいからな。そのぶんゆっくりとお嬢ちゃんと食事を楽しみたいんだ、俺は。
だが、テラスなんかで食事をしていると、においというより、お嬢ちゃんのきらきらの笑顔につられて呼ばれもしないヤツらがお相伴に預かりにくるのが、悩みの種だな。
聖地の昼間っていうのは大概天気がいいし、気候も温暖で爽やかだから、この頃お嬢ちゃんは外で昼食をとるのがお気に入りだ。
聖殿の裏庭の日当たりのいいところにガーデンセットを置いて、そこでランチを摂る。
ピクニックみたいで楽しいといって嬉しそうに笑うんだ。俺はお嬢ちゃんが楽しいならなんだっていいさ。
で、今日もそこに食事をセッティングしてもらったんだが、いつもの時間だっていうのにお嬢ちゃんがこないんだ。
量こそそれほど食べないが、あの食いしん坊のお嬢ちゃんが食事の時間を忘れるなんてありうるだろうか?といぶかしく思いながら俺は執務室までお嬢ちゃんを迎えに行った。
何やら、声が聞こえてきた。電話中か?
「ええ、退勤時間後じゃあわないんですね?じゃ、仕方ないですから、夕方なるべく早くに…はい、それは大丈夫です…はい、必ず…はい…」
俺はノックと同時にお嬢ちゃんに声をかけた。
「お嬢ちゃん、電話はおわったか?飯がもうきてるぜ、一緒に食おう。」
「きゃああああ!お、オスカー様っ!」
突然お嬢ちゃんが悲鳴を上げてヴィジフォンをたたき付けるように戻した。俺は度肝を抜かれた。
「な、なんだ?お嬢ちゃん、そんな大声をだして…」
「え、あの、突然声をかけられたからびっくりしちゃって…」
「びっくりしたのは俺のほうだぜ、ま、いい。昼飯を食おうぜ。」
お嬢ちゃんは、すると心の底から申し訳なさそうな瞳で俺を見上げ
「あの、その、オスカーさま、ちょっとよんどころない事情で今日は一緒にお昼食べられそうにないんです。申し訳ありませんが、どなたか他のかたと召しあがっていただけますか?」
「なにか異常事態でもおこったのか?」
俺はがっかりするより先に、すわ!一大事かと身構えた。お嬢ちゃんが昼休み返上なんてめったにあることじゃないからだ。この辺は我ながら守護聖だな、まったく。
だが、お嬢ちゃんは、どことなく居住まい悪げに俺から視線を反らすと
「いえ、あの、そんな、ご心配には及ぶようなことじゃありませんから、じゃ…」
と言葉を濁したまま、執務室から出て行こうとした。
「お、おい、お嬢ちゃん、飯はどうするんだ?!なにか食べないと腹がへって倒れちまうぞ!」
「ランチから持っていけそうなものを持っていってたべますから、平気です〜」
「あ、おい、お嬢ちゃ…」
お嬢ちゃん、後ろも振り向かずにどこにいくんだ。せめて王立研究院に行くとか、ジュリアス様のお小言を聞きに行くとか、女王陛下にランチのご相伴を命じられたとか行き先を教えてくれ…と声をかけようと思ったときにはお嬢ちゃんの姿は執務室から消えていた。
飯?一人で食ったさ。
お嬢ちゃんがいないと、いつもは来るなって言っても来るやつらが全然来やしない、まったく現金なもんだ。
お嬢ちゃんが多少ピックアップして減っていたといっても、今日のランチは俺には量が多すぎて胸やけをおこしそうだった。
そうこうしているうちに、退勤時間がやってきた。やれやれだ。
今日はお嬢ちゃんと昼飯を一緒にとれなかったから、余計に執務が長く感じられたな。
後は馬車で帰って一緒に楽しく夜をすごすだけだ。俺は今、この為に生きているといっても過言ではないな。
俺は駆け足になりそうな歩調を懸命にセーブしてお嬢ちゃんの執務室にむかった。
「お嬢ちゃん、執務はつつがなく終わったか?さ、一緒に…」
帰ろうぜ、といいかけたところで気付いた。お嬢ちゃんの姿がないじゃないか!
「お嬢ちゃん、どこにいるんだ?奥の間か?」
少々声を大きめに張り上げたら、女官が立ち止まって俺に声をかけてきた。
「あ、オスカー様、補佐官様なら早退なさいましたよ。ご伝言を言付かっております。」
「なんだって?!」
いったいどうしたんだ、お嬢ちゃん、体の具合でも悪いのか…俺はわきあがる不安を押し隠し、女官からうけとったメッセージボードを開いた。
珠をころころと転がすようなお嬢ちゃんの声が流れてきた。
「オスカー様、すみませんが、ちょっと先に家に帰ってます。心配しないでください。あの、それで、急なお仕事がないようでしたら、オスカー様もなるべく早く帰って来てくださると嬉しいな。アンジェリーク」
なんだ、これは?これじゃまったく訳がわからないぜ。肝心なことは何も言ってないじゃないか。
「預かっているメッセージはこれだけか?」
「はい、左様ですが…」
「おじょ、いや、補佐官殿は今日、なにか、こう様子におかしなところはなかったか?」
「いえ、特別思い当たるところはございませんが…ああ、でも、なにかいつもよりうわの空でいらっしゃったような、妙にうきうきなさってたような…」
やっぱりそうか…俺の気のせいじゃなかったんだ。お嬢ちゃんはなにか、とっても心にかかっていることがあって、しかも、それは俺にはいえないようなことで、でも、それは決してお嬢ちゃんには嫌なことじゃないらしい…
いったい、なにがあったんだ、お嬢ちゃん。
胸がぎゅうぎゅう絞られるみたいに息苦しかったが、ここでうだうだ考えていても埒があかないので、俺は早鐘のようにばくばくしている心臓をどうにかなだめつつ、聖殿前にとまっている馬車にのりこんだ。
俺は今日ほど馬車が遅いと思ったことはなかった。こんなことなら、馬でくればよかったと思ったが、考えてみれば朝はお嬢ちゃんが一緒なんだから、馬って訳にはいかないじゃないか。あの補佐官の衣装で鞍がまたげるはずがない。馬鹿か、俺は。
正直言って馬を馬車から外して乗って帰りたいとさえ思ったんだが、動力源を外された馬車はただの箱になっちまって始末にこまる。
そんなことをして聖地の交通渋滞を引き起こしたら、明日ジュリアス様にこっぴどく説教されることは目に見えてるし、第一そんなことをした理由を絶対といつめられる。
お嬢ちゃんの急病とかいうなら、まだお目こぼしもあるかもしれないが、お嬢ちゃんが早退したから…なんて言って、許してもらえるわけないことくらいはいくら俺でも見当がつくから、俺は逸り焦る心を必死になって押さえこんだ。
ああ、だが、お嬢ちゃん、いったい何があったんだ?心配しないでといわれたって、俺に黙って早退して、その理由がわからないんじゃ、心配するなってほうが無理だぜ。メッセージに残せないような理由ってなんだ?
ほかに好きなヤツができた…なんてことはないよな、まさか…俺のお嬢ちゃんに限ってそんなことがあるはずない!お嬢ちゃは昨晩だって、俺の腕のなかで悦びに咽びながら何度も好きって言ってくれたじゃないか。
しかし、お嬢ちゃんがうきうき、そわそわしてたっていうその訳が…新しい恋の予感なんていうことだったら俺はどうしたらいいんだ。
いや、しかし考えてみれば、恋してるだけなら、早退する理由にはならないな。そんなことは絶対ないとは思うが。
うう、胃がきゅきゅきゅうと痛むぜ。
いらいらじりじりしながら、俺は馬車のなかで無益に足ぶみをしていた。
そんなことをしたって早くつくわけじゃないってわかっているのに、じっとしていられなかったんだ。
御者の鞭をひったくって、自分が馬車を操ってもよかったな…と気付いたときにはもう、俺の家の門柱が見えてきていた。
永劫とも思える時間のあと、ようやく馬車は俺の私邸に到着した。
俺は御者が扉を開けるのをまてずに自分で開けると、一飛びで地面におり…ちんたらステップなど踏んでいられるか!玄関までのアプローチはもう走っていた。
執事が玄関を開ける前にこっちが玄関を開けてしまったものだから、執事が仰天していた。
すまんな、いつもおまえは馬車の到着から俺が玄関まで歩いて何秒か把握して絶妙のタイミングでドアをあけてくれるってことは知っているんだが、今はそんなことにかまってられないんだ。
「お嬢ちゃん!お嬢ちゃん!どこにいるんだ!」
俺は声を限りにお嬢ちゃんを呼んだ。万が一、返事がなかったら…なんて一瞬思って危うく自分で自分の心臓を止めちまう所だった。
「あ、オスカー様、お帰りなさい。私の伝言見ていただけました?」
俺の心配なんかどこ吹く風で、のんびりとお嬢ちゃんが奥から出てきた。そこに普段と変った様子はみられない。少なくとも確かに見た目はなんともなさそうだった。
俺は息せき切ってお嬢ちゃんに詰め寄った。
「ああ、見たことは見たが、あれじゃ何がなんだか訳がわからなかったぜ。いったいどうしたんだ、お嬢ちゃん、早退したって聞いて心配したんだぜ。体の具合でも悪いんじゃないかと思ってな。」
「ごめんなさい、オスカーさま、その、メッセージじゃ詳しいことがいえなくて…でも、心配しないでって言ってありましたでしょ?」
お嬢ちゃんは、なぜか嬉しそうにくすくす笑ってる。俺がこんなに動転して焦りまくっているってのになんだっていうんだ、まったく!
「で、なんで早退したのか訳をきかせてくれるよな?お嬢ちゃん」
俺は内心の不満を少し語尾に滲ませながら、さらにお嬢ちゃんにつめよった。
大人気ないか?でも、これは仕方ないだろう!お嬢ちゃんは俺がどんなに胸がつぶれそうだったかまったくわかってないみたいなんだからな!
「えっと…それは、あとで食事の時にでもお話しますね。さ、着替えてらして?」
お嬢ちゃんはにこにこしながら、俺のマントを外しだした。
どうあっても今は訳を言う気はないらしい。
だが俺は憮然としていた。釈然としない気持ちだった。はっきり言ってカチンときていた。
それで…つい、言っちまったんだ…
「お嬢ちゃん、いいたくないが、お嬢ちゃんは俺がどんなに心配したかまったくわかってないんだな。早退したって聞かされて、その訳もわからなかったら心配してあたりまえだろう?心配するなって言われて、はい、そうですかって、納得するわけないじゃないか!お嬢ちゃんだって逆の立場ならそうじゃないか?それでなにかあったんじゃないかと思って、あわててかけつけてみれば、お嬢ちゃんはただ笑って、それでもまだ理由はいえないってのは、いったい全体どう言う訳なんだ?俺をからかっているのか?」
「オスカーさま…」
ああ、やっちまった…お嬢ちゃんがびっくりして俺をみてる…でも、もう我慢できなかったんだ。
だって、お嬢ちゃんは俺の気持ちがまったくわかってないんだからな!
言っておくけど、俺はお嬢ちゃんが嫌いでこんなことを言ったんじゃないぜ。
その逆だ。
好きで大事で愛しくてたまらないからこそ、お嬢ちゃんの様子がいつもと違えば心配する、訳がしりたくなる。
なのに、お嬢ちゃんは俺が心配してたことになんかまったく頓着せずに、なんだか能天気に笑ってるだけなんだぜ?しかも、重ねて尋ねても訳もきちんと説明してくれやしない。振りまわされるだけ振りまわされて俺はばかみたいじゃないか!腹がたっても仕方ないと思わないか?
でも…ああ、そんな顔をしないでくれ、今にも大きな瞳から涙が零れそうだ…お嬢ちゃんのそんな顔はかわいそうでみてられない…って言うのは片腹いたいよな。俺がそんな顔をさせちまったんだから…
謝れ、オスカー!謝っちまえばいいんだ、今すぐ!
だが…今はどうしても謝る気になれなかった。
「飯はいらない。しばらく一人にしておいてくれ。」
俺は後ろも振り向かず階段を上っていった。
こんな事をしたら、お嬢ちゃんがもっと泣くかもしれないってわかってた。
でも、その場にいたたまれなかったんだ、俺は。
あまりに激しい自己嫌悪にかられて、お嬢ちゃんの顔をまともにみていられなかった。
その上、目の前で泣かれたりしたら…俺が泣かせたって思い知らされるのに耐えられなかったんだ。
お嬢ちゃんの笑顔を守るって心に決めている俺が、自分でお嬢ちゃんを泣かせてどうするんだ。
だが、俺はわかってても、今、謝れない、そんな気になれない。でも、怒りの感情に身を任せることもできないが、かといって、この場にそのままいてお嬢ちゃんの泣き顔をみる勇気もない。
有体に言えば俺は逃げたんだ。
笑ってくれていいぜ。これが宇宙の強さを司ってる男の正体さ。
昼に食べすぎた飯が腹のなかで消化不良を起こしていた。
シャワーを浴びて、さっぱりすると、多少は気持ちがきりかわった。
ローブに着替えて、バーボンを注ぐ。今日はなんというかパンチのきいた酒がのみたかった。
考えてみれば結婚してから喧嘩なんてこれが初めてじゃないか?
お嬢ちゃんは部屋に来ない。当たり前だ、俺が一人にしてくれって言ったんだからな。
階下の食堂で一人で飯を食っているのだろうか。
この部屋にこれないから、どこかの客用寝室で泣いてるのだろうか。
どの光景を想像しても、胸がきりきりと痛む。
だが、俺からは謝らないぞ、俺は悪くない。
しかし、万が一喧嘩が長引くようなことになれば、もっと深刻な事態がありうることに俺ははたと気付いた。
短気を起こした俺に愛想を尽かして、お嬢ちゃんが屋敷から出ていっちまったら…陛下のところに駆けこまれたら、これは相当恥かしいが、まだいい。俺が恥をかいて、なおかつお嬢ちゃんを泣かせたことで陛下のご不興を買って、お仕置きとして一ヶ月くらい辺境に出張にやられるかもしれないが。
ジュリアス様かルヴァか、オリヴィエのところなら、まあ、安心だ。恐らくお嬢ちゃんの言い分を聞いた上で第3者として客観的にお嬢ちゃんを慰め、かつ、いなしてくれるだろう。
お子様たちは、相談相手としては問題外だから却下。
最も困るのは、クラヴィスさまや、リュミエールあたりになきつかれた場合だ。
あいつらのことだ、これ幸いとばかりにお嬢ちゃんを自分の私邸に囲いこんで返さないかもしれない。俺と別れて、自分と新しい人生をやりなおそうなんて口説く可能性が大だ。
そして、お嬢ちゃんがもし、俺みたいに短気な男はもう嫌だといって、そいつらのところに行ってしまったらどうするんだ?
いやだ!そんなことは耐えられない。たった一度の短気で、なにより大事なものを失うなんて!
意地を張っている場合じゃないかもしれん。
今回の件に関しては俺は自分が悪かったとはまったく思ってない。俺の怒りは正当なものだと思っている。
だが、その発現の仕方は確かによくなかった。あんな風に感情にまかせて逆上してあたりちらし、その上、そこから逃げ出すべきじゃなかったんだ。もっと落ち付いて、自分の不満は不満として述べ、その上でお嬢ちゃんの話を最後まできくべきだった。
お嬢ちゃんは、訳を話さないと言ったのではなく後で話すといった。だが、俺は一刻も早く聞きたかったのだから、そのことをおちついてきちんと説明すればよかったんだ。
怒りをぶつけるだけぶつけて、あげく逃げ出しちまったら、そこでおわっちまう。
俺は階下に降りてお嬢ちゃんと話そうと思った。まだ屋敷にいてくれよ…と祈るような思いでローブから部屋衣に着替えようとしたところ、力ないノックの音と消え入りそうな声が聞こえた。
「お、オスカー様、あの、私です…入ってもいいですか?」
おどおどとした声だ。いつもと声の様子もかわっている。やっぱり泣いていたのだろう。
俺は痛む胸の声を押し殺して、努めて冷静な声をだした。
「ああ、かまわないぜ。ここはお嬢ちゃんの部屋でもあるんだからな。」
この言い方は少し意地悪だっただろうか。しかし、俺は怒り方は悪かったと思っているが、お嬢ちゃんの態度に納得してた訳じゃないんだから、それは勘弁してくれ。
お嬢ちゃんがおずおずと入ってきた。
「あの、一人にしてくれって言われたのに、来ちゃってごめんなさい…でも、どうしても謝りたくて…」
「ふ…む、俺も短気を起こして悪かったとは思っている。だが、俺が怒ったのにも理由はあるんだ。それはわかってくれるか?」
「はい、本当にごめんなさい、オスカー様、私、オスカー様に逆の立場だったらどうだって言われるまで気付きませんでした。私だってオスカー様が突然私に何も言わずに早退して、それで心配して帰ってきたのに、すぐその訳を教えていただけなかったら、きっと悲しくなって…怒るかも…あんまり心配で…心配するにきまってるのに、そんなことにも気付かなくて、本当にごめんなさい。オスカー様、私のことを心配してくださったのに、そのお気持ちもわからなくて、私、自分のことしか考えてなくて…本当にごめんなさい!」
一気にこう言うとお嬢ちゃんは感情が溢れてとまらなくなったのか、またぽろぽろ涙を零し始めた。
俺はもうまったく怒っちゃいなかった。我ながら現金だが、お嬢ちゃんが俺の気持ちをわかってくれたからな、それなら、もういいんだ。
「泣かなくていい、俺の気持ちをわかってくれたなら、それでいいんだ。俺はもう怒っちゃいないから…」
お嬢ちゃんの肩を優しく抱き寄せてやると、お嬢ちゃんは更に涙がとまらなくなっちまったみたいだった。
俺はお嬢ちゃんを胸にかき抱き背中を撫でながら、今度は穏やかな声でこう尋ねた。
「くどいようで申し訳ないが、ただ、俺も気になっているんで、さっきは言えなかった訳を今なら言ってくれるか?なんで早退したのか。本当に体の具合が悪いんじゃないんだな?」
お嬢ちゃんは涙にぬれた瞳で俺を見上げてこっくり頷いた。
「はい、病気じゃないです。さっきはっきりわかったんですが…」
「なにがだ?」
「あの、赤ちゃんができたんです…それをお医者様に見ていただいてたんです、それが、さっき、やっとはっきりわかったんです…」
「…………」
俺は完膚なきまでに思考が停止した。一瞬後には、逆に思考は通常の十倍くらいのスピードで駆け巡り始めた。
赤ちゃん…赤ちゃんって人間の赤ちゃんだよな、厩舎の馬が妊娠したからっていちいちお嬢ちゃんが早退するわけがない。それにお嬢ちゃんが医者に診てもらったって今、言ってなかったか?ってことは、妊娠したのはお嬢ちゃんてことで、お嬢ちゃんの子ということは、それってつまり俺の子…俺の子か!?
「お嬢ちゃん!子どもができたのか!?俺たちの子が?!」
「はい、オスカー様、いま10週目だそうです。予定日も教えてもらいました。」
お嬢ちゃんがこの上なく嬉しそうににっこりと微笑んだ。
「じゃ、じゃ、お嬢ちゃんが早退したのは…」
「はい、お医者さまにみていただくためです。執務が終わってからじゃ間に合わないってわかったのでお医者様に来ていただいて…あの、ちょっと変だなって思って自分で検査薬で調べておいたんで、妊娠していることはわかってたんです。それで産科のお医者様にきていただいて…」
俺はピンと来た。お嬢ちゃんが今朝からなんかそわそわして、心ここにあらずだったのは、つまり…
「お嬢ちゃん、お嬢ちゃんがなにかうわの空だったのは、そのせいか!朝にはもう、わかってたんだな!言ってくれればよかったのに!」
「それは…きちんとみてもらってから言ったほうがいいと思ったんです…検査薬だと妊娠していることはわかっても、それが正常妊娠かどうか…あの、ちゃんと育つかどうかまではわからないんです。オスカー様に慌ててお知らせしちゃって、結局だめだったら…って思ってしまって…」
「メッセージに何も入ってなかったのもそのせいか…」
「はい、お医者様に診ていただくなんて言ったら、余計に心配おかけしちゃうかと思って、はっきり言わなかったのが、かえってご心配おかけすることになってしまって、すみませんでした。でも、産科のお医者様にかかるっていうのも、妊娠の確信がないうちははっきり言わない方がいいかと思って…はっきりわかったら、直接お伝えしたかったし、誰に聞かれてしまうかわからないメッセージには詳しいことは言えませんでしたから。」
言われてみると、お嬢ちゃんのいうことも尤もだった。
だが、まさかお嬢ちゃんが妊娠してるなんて俺は思いも拠らなかったんだ。理由が思い浮かぶ訳がないだろう?
「そ、そうか、それで、俺の子が…俺たちの子がうまれるのか…確かなんだな?」
「はい、オスカー様、私たちの赤ちゃんです。きちんと着床してましたから、40週目には赤ちゃんが生まれるはずです…あの…オスカー様、嬉しいと思ってくださいますか?」
お嬢ちゃんが、おずおずと尋ねてきた。そういえば、驚きのあまり、喜びの感情は正直いってあまり感じなかったのだが、なんというか、今ごろ腹の底からじんわりと暖まってくるような不思議な感情がわきおこってきた。
俺の子…俺の子か…守護聖である俺が人の親になれるなんて思ってもみなかったが…
「ああ、俺に家族ができるんだな…俺の血をわけた子どもが…しかも、お嬢ちゃんが生んでくれるなんて、こんなに嬉しいことはない。」
言ってみて自分でも驚いた。リップサービスじゃない、ほんとにこれは俺の本心だったからだ。
お嬢ちゃんが安心した様に微笑んだ。いかん、いかん、妻の妊娠を喜んでないなんていう誤解を与えてお嬢ちゃんを不安にさせてはいかんぞ、俺。
俺はふと思い付いて、もうひとつ尋ねた。
「じゃ、もしかして、昼休みに慌てていたのも、このことに関係があるのか?」
「あ、はい、聖地のお医者さまに産科の先生はいらっしゃいませんし、でも、私が次元回廊を通って主星におりるのは胎児にどんな影響があるかわからないので、お医者様のほうにこちらに来ていただいたんです。でも、次元回廊を開いて普通の方を通すとなるとロザリア…陛下にも訳を話さなくちゃならなかったし、でも、公務じゃないから、その手続きと準備を執務時間中にする訳にはいかなくて…」
パズルのピースがすべて、ぴたり、ぴたりと納まった気分だった。
聞いてみれば、すべて、まったくもっともだという訳のあることばかりだった。
俺は短気に怒りを爆発させたことを、心の底から後悔したさ。
お嬢ちゃんが妊娠してるとわかったから尚更だ。
お嬢ちゃんのすることに、きちんとした訳がないはずないのにな。
「お嬢ちゃん、お嬢ちゃんの言い分も聞かずに一方的に怒って本当に悪かった。その、妊娠してるのにお嬢ちゃんを泣かせちまって…悲しいのは胎教にも悪いよな?本当に悪かった、おなかは大丈夫か?気分が悪くなったりしてないか?」
「あ、はい、だって、私も悪かったんですもの…赤ちゃんができたかもってことで頭がいっぱいで、そのくせ、それをはっきり言わなかったから、オスカー様がそれでどんな気持ちになるかなんて全然思い到らなくて…心配させちゃって本当にごめんなさい、オスカー様…」
「いや、俺がきちんとお嬢ちゃんの話を聞けばよかったんだ、いきなり怒ったりしないで…お嬢ちゃんはちゃんと話すっていってくれたのに、辛抱がなくて本当に悪かった。俺もこれから短気をおこさないようにする。約束するからな。」
「あ、そんな…オスカー様がお帰りになった時に、すぐお知らせしなかった私が悪いんです。食事の時にでもゆっくりなんて思ってしまって…オスカー様のお気持ちがわかってなかったから、いつ言おうかなんてことしか考えてなかったから…だから、謝るのは私のほうです…」
俺はお嬢ちゃんを黙って抱き寄せてキスした。こう言う時は言葉より一個のキスのほうが、うまく場を治めてくれるものなんだ。
それにこうして一度唇をふさがないと、際限なく互いに謝罪することになっちまいそうだったからな。
「じゃ、お互い悪いところがあったってことで、これでおあいこにしようぜ、お嬢ちゃん、あとは、胎教にいいように楽しく笑って過ごせることをお互い心掛ける、そうしないか?」
「はい、オスカーさま」
お嬢ちゃんがにっこり笑った。ああ、いつもの花のような笑顔だ。
「そういえば、まだ聞いてなかったが、予定日は何時頃なんだ?」
「えっと、今10週目で40週目に生まれるから聖地の暦でいうと、月が一年で一番綺麗な頃で…あら…」
「ん?どうした?お嬢ちゃん?」
「あの、今、気付いたんですけど、赤ちゃんが生まれるのは、昔、私がスモルニィから飛空都市に召還された頃みたいです。」
「なんだって?」
「私、今でもこの日は覚えているんです。初めて飛空都市にきて、守護聖様たちとお目通りかなって…こんな方たちがいるなんてって信じられないような気持ちでした。そして、その日は全ての始まりだったから…きっと一生わすれない…」
「そうか、お嬢ちゃんが初めて飛空都市にきたってことは、俺たちが初めて会った日ってことにもなるな。で、丁度その頃生まれそうとは、そりゃ、確かに俺たちの子に相応しいかもな。」
「ふふ、そうかもしれませんね。私たちが出会えた記念日ですものね。考えてみれば…」
俺たちは穏やかに微笑みを交し合った。もう、誤解もわだかまりもすっかり消えうせてた。
「ところで、お嬢ちゃん、その…飯はどうした?」
「あの、たべてないです、まだ…」
「じゃ、腹がへってるだろ?昼もろくに食う時間がなかっただろうし。下に降りて食事にしよう。」
お嬢ちゃんの顔がぱあっと輝いた。こういう時のお嬢ちゃんは、ほんとに内側から光るみたいにみえるんだぜ。
「オスカー様、一緒にお食事してくださるんですか?」
「当たり前じゃないか、お嬢ちゃんと一緒に食事しなくて誰とするんだ?ん?お嬢ちゃんと一緒に食べないと俺はもう何を食っても味がしないんだからな。」
本当だ。一人で食った昼飯は味も素っ気もない上、何を食ったかも頭に残ってなかった。
「よかった…あの、コック長さんが、私に赤ちゃんができたお祝いにって、ご馳走にしてくださったんです。オスカー様が召しあがらないのかと思ってがっかりなさってましたから…よかった…」
自分のことよりまずシェフの気持ちを考えて安堵してるお嬢ちゃんの優しさが身にしみた。まったく少しはわが身を省みろ、自分。
「じゃ、シェフにも謝っておかないとな、せっかくの心づくしだから、ありがたく頂戴するぜってな。」
俺とお嬢ちゃんは肩を組んで、仲良く階下にむかった。
執事のヤツあからさまにほっとした顔をしてるな。お嬢ちゃんが泣いたんで、きっと屋敷中がおろおろしてたんだろうな。
俺はお嬢ちゃんの耳元で、あとひとつだけ気になっている最重要事項を尋ねた。
「お嬢ちゃん、その、妊娠中お嬢ちゃんを抱くのはかまわないのか?」
お嬢ちゃんが、いきなり耳まで真っ赤になった。リトマス試験紙みたいでほんとに見てて飽きないぜ。
「は、はい、検診で流産の危険がなければふ、普通にしてていいそうです、でも、おなかは圧迫しないであまり、ふ、深くはしないようにって…」
「それじゃ、深い挿入抜きでお嬢ちゃんをいかに満足させられるか、俺の腕の見せどころだな?俺の力量を如何なく発揮してみせるから、楽しみにしててくれよ、お嬢ちゃん?」
ほっぺにちゅっとキスすると、お嬢ちゃんは真っ赤になったまま俯いちまった。
まったく、どうしてありとあらゆる仕草がかわいさの極致なんだ、お嬢ちゃんは!存在自体が奇跡だぜ。
その晩、俺ははもちろんこの上ない熱意をもって、考えうる限り優しくお嬢ちゃんを天国に連れて行った。
喧嘩の後はかえって燃えるって本当だな。喧嘩も悪い事ばかりじゃないなとは思ったものの、俺はもう、お嬢ちゃんを泣かせたりしないぞって心から誓ったんだ。
あんな後味の悪い思いをするのも、後悔するのもたくさんだからな。
お嬢ちゃんの流す涙は歓喜の涙だけにしてみせる、家族も増えることだし、なにせ俺はパパになるんだから、もう少ししっかりしろよ、オスカー。
そう思いながら、俺はお嬢ちゃんに約束通り歓喜の涙を流させた。
そして、心地よい疲れに捕らわれ、お嬢ちゃんの肩を抱いて幸せに凪いだ眠りの海に漕ぎ出して行こうとする刹那、俺は、明日あたりルヴァの書庫を漁って「初めての妊娠と出産」に関する本を探して俺も勉強しないとな…と思った。