幾千万の記念日を
Presented by Lilis様
朝目覚めると、アンジェがいなかった。
いつも俺の腕に光を散らす金の髪が、目覚めのキスを待って薄く開いた桜色の唇が、どこにもない。代わりに、とでも言うように大きな枕が俺の腕の中にある。
「お嬢ちゃん?」
声をかけても、鈴を転がすような声は返らず。
部屋に消えた自分の声の余韻に不吉さに、俺はローブを引っ掴んでベッドから飛び降りた。
アンジェの朝はいつも遅い。特に休日など、昼食の準備ができるまで起きてこない。いや、正確に言うならば俺がおはようのキスで起こすまでだ。触れるだけの軽い口付けで目覚めるはずもなく、彼女が息苦しさに目をあけるまで、俺はいつも彼女の唇を思う存分味わう。そのせいで昼食が遅れて彼女に怒られたことも一度や二度ではないが・・・・、俺の口付けで目覚めた彼女のあの潤んだ瞳に上気した頬、乱れた息遣い。あれに何も感じなければ男として失格だ!!
・・・・・いかん、取り乱してしまった。とにかく、ただでさえ朝に弱い彼女だ。しかも昨夜は出張明けでいつも以上に盛り上がったのだから俺の腕の中にいて当然だ。いないということは何かあったのか。
いや、珍しく寝過ごしてしまった俺よりも先に目覚めた可能性を否定してはいけない。たとえそれがどんなに低い可能性であろうとも。
彼女は目覚めるとまずシャワーを浴びる。
扉を蹴破りたい気持ちを必死に抑えて、俺は浴室の扉の前に立った。
ノックしようとした俺の手を止めたのは、扉に貼られた一枚の紙だった。
『オスカー様へ
即位記念式典の打ち合わせに、宮殿へ行ってきます。
お昼には戻りますね
アンジェリーク』
・・・・・・ナイトテーブルの上に置かず此処に貼り付けておくとは・・・・・。
「さすが俺のお嬢ちゃんだぜ・・・・・・」
思わず溜息交じりの笑いがこぼれた。昨夜のうちに教えておいてくれなかったことを、責める気なんてまったくないさ。ああ、まったくないとも。出張から帰ってくるなり寝室へ直行したのは俺だからな。聖地では立った三日の出張でも、外界では三週間なんだ。三週間、アンジェに指一本触れるどころか気配を感じることもできなかったところに、あの天使の笑顔でお帰りなさいを言われて我慢できるか?できるわけないだろう。陛下もアンジェを休日に呼び出すならば、もう少しそのあたりを考慮していただきたいものだ。もし彼女が倒れたりしたら、どうなさるおつもりなのだろう。
見慣れた彼女の署名にそっと口付けて、俺はその手紙を書斎へ持っていった。愛しい妻からの手紙だ、たとえどんな内容でも大切にとっておかければ。
それを机に引き出しに大切にしまい、俺はシャワーを浴びるべく浴室へ向かった。
「すみません、オスカー様。黙って出かけて」
帰ってきたアンジェの最初の言葉がそれだった。
「いや、陛下のお呼び出しじゃ仕方ないさ。それより俺より早くお嬢ちゃんが起らきれたことのほうが俺は驚きだな。さすがは優秀な補佐官殿といったところか?」
彼女に気を使わせたくなくて茶目っ気たっぷりにウィンクしてみせると、彼女の顔が見る見るうちに赤くなる。
「〜〜〜〜も〜〜〜〜、オスカー様ったら!」
これでも俺の言わんとすることを理解できるようになっただけ成長したというべきなんだろうが、そろそろ結婚して三年になろうかというのに、真っ赤な頬を手のひらで包んで照れる姿は、女王候補生の頃と変わらない。そんな初々しい姿が俺を惹きつけてやまないってことを、君は知っているのか?
そっと彼女の腰を引き寄せてエスコートすれば、彼女は微妙に視線を外しながらも逆らうことなく体を預けてくれる。
「しかし、休日の午前中に呼び出しとは、そろそろ本格的に忙しくなるってことか」
食堂へ移動しながら、話題は即位記念式典へ移っていった。
「式典は来月ですからね」
「休日出勤も増えそうか」
「う〜ん、さすがに慣れてきましたから去年よりは少なくなるでしょうけど・・・・・」
きっと増えるでしょうね、と彼女はぺろりと舌を出した。
・・・・・悪夢だ・・・・・。
女王陛下の即位式典は、女王府の主動で行われる。俺たち守護聖も忙しくなるが、所詮式典においては飾りであり、準備の忙しさもそれに準じたものでしかない。だが、補佐官はそういうわけにはいかない。陛下と守護聖、女王府の掛け橋として、文字どおり忙殺されることになる。当然式典の準備が本格化する一月間など、宮殿泊まりこみは当たり前、一週間執務室以外で顔をあわせることがないときもあれば、たまに帰ってきても倒れるように眠ってしまい、愛の交歓などはもってのほかだ。だが、それはぎりぎり何とか耐えるとしよう。アンジェは俺の妻だが補佐官でもあるのだ。無理をさせて二年前の式典のように過労で倒れられてはたまらんからな。あのときの気持ちを味わうくらいなら、一ヶ月の禁欲生活なんかなんでもない。むしろ、俺が耐えられないのは、
「今年も、結婚記念日は二人で過ごせないな・・・・」
このことだ。
食卓に着き、運ばれてくるオムレツに目を輝かせていたアンジェが、はっとしたように俺を見る。
「そうですね・・・」
苦笑を浮かべるということは、少しは俺と同じ気持ちでいてくれるのか。
即位記念式典は即位記念日当日に行われ、その後延々と祝賀会が続く。その間、補佐官たる彼女も、守護聖たる俺も、陛下の傍から離れることはない。そして俺たちの結婚記念日は、まさに陛下の即位記念日当日だった。陛下は女王として、アンジェは俺の妻として、新たな人生の第一歩を共に刻みたいという陛下のお言葉で、午前中に陛下の即位式が、午後から俺たちの結婚式が行われたのだ。
結婚記念日といえば、愛し合う二人が共に人生を歩みだした大切な日だ。アンジェの誕生日の次に大切な日なのだ。その日を二人で過ごし、愛の確認をして新たな一年を迎えたいと願って何が悪い。
あの時は純粋に陛下のお言葉に感謝したが、今はこの記念日を二人で過ごさせないための策略だったのでは、と邪推したくなる。
「でも、ロザリアの大切な日だから、精一杯のことをしたいんです」
知らず憮然とした表情をしていたらしい俺の耳に、アンジェの言葉が響いた。
はっとしてアンジェの顔を見直すと、彼女はさびしそうに笑っていた。
「オスカー様とはずっと記念日を迎えられるけど、ロザリアの記念式典は後何回できるか分かりませんから」
・・・・・胸が痛かった。
あまりの幸せに忘れていた。今が永遠ではないということを。
サクリアが尽きれば、聖地に留まることはできない。俺か、陛下か、どちらかのサクリアが尽きた時点で、彼女は親友と別れなければならないのだ。一度別れてしまえば、時の流れに引き裂かれて二度と会うことはない。ロザリアは歴代の女王陛下のように補佐官を伴うことなく、孤独に時の流れと戦わねばならないのだ。俺が、彼女を連れて行くから。
「きゃっ、ちょっ、オスカー様?」
気がつけば、俺はアンジェの手を力いっぱい握り締めていた。
食器どうしがぶつかって派手な音を立てる。
その身を抱きしめたいのに、俺とアンジェの間を阻むテーブルが邪魔でたまらない。
「・・・・すまない」
ロザリアに想い人がいたことは知っていた。それが相思相愛であったことも。それでも彼女は宇宙を守るために笑顔で玉座に上り、彼はそんな彼女を支える道を選んだ。
今でも時折交わる密やかな眼差し。それは、誇りとほんの少しの寂しさに彩られている。
彼女の親友たるアンジェがそれを知っているのは当然で。優しい彼女は、そっと胸を痛めていたのだろう。けれど、聡明な彼女は何も言えなかったのだろう。彼女の誇りを傷つけないために。
そんな彼女を愛したのに。そんな陛下だから敬愛できるのに。
幸せに溺れ、忘れていた自分が恥ずかしくてたまらなかった。
二人にとってこの式典がどんなものか、考えようともしなかった自分が情けなくてたまらなかった。
アンジェが片手を外し、優しく俺の手を撫でる。
「・・・・・・私、すごく幸せです。オスカー様が一緒にいてくださるから」
優しい声が俺を包む。
「陛下も、私の幸せな姿を見ることが幸せなんですって」
だから、私を離さないでくださいね。
恥ずかしげにささやかれ、俺は彼女を握る手に力をこめた。
「離すわけないだろう」
離せるはずがない。
「だからお嬢ちゃんも、枕に化けたりしないでくれよ」
茶化すようにささやくのは、俺のささやかな見栄。
「・・・・やだ、オスカー様ったら」
今朝の枕を思い出してくすくす笑う、そんな君が愛しくてたまらない。
君さえいれば、永遠ともいえる時間も孤独につかまらずにすむ。
・・・・・永遠?・・・・・・・そうだ!
つないだ手を離さないよう、俺はそっと席を立った。
「・・・オスカー様?」
笑いを収めて小首を傾げる彼女を抱き上げる。
そのまま食堂を出ようとすると、
「あ、あの、オスカー様、お昼は?」
アンジェが戸惑った視線をオムレツに向けた。
「今日は外で食べよう」
そんな彼女の頬に小さなキスを落とし、俺は二階へ向かう。
「そんな〜、シェフに申し訳ないです〜」
「大丈夫だ」
途中でさりげなく席をはずした執事が、万事巧く治めてくれるだろう。
「食べ物を粗末にしちゃいけません」
腕の中でじたばたと暴れる彼女のいうことは尤もだが。
「今回だけは大目に見てくれ」
俺はウィンク一つで、彼女の主張を無視した。
「どうして〜〜〜」
納得いかないらしく、彼女はまだ暴れている。まあ、これで納得するようでも困るんだが。
とりあえず彼女を床に下ろして、俺は簡単に事情を説明することにする。
まず心配ないが、暴れる彼女をうっかり落としたら大変だからな。
「昨夜まで俺は外界に行ってただろう。此処と外界では時間の流れが違うことは当然知ってるよな」
「当たり前です」
何を聞くのだというように、アンジェの唇がとがる。確かに補佐官殿にする質問じゃないが、その表情はやめてくれ。キスをせがまれている気分になってくるから。
「俺がこっちに戻ってくる時、外界じゃ即位記念式典の四日前だったんだ。今から行けば・・・」
「結婚記念日に!!」
みるみるうちに、彼女の顔が輝いた。驚きに見開かれた翡翠の瞳、喜びに上気する頬。まるで、大輪の花が開花する様を、高速映像で見ているようだ。
「聖地では補佐官殿は忙しいから、せめて外の世界で二人の記念日を祝いたいと思うのだが・・・・どうだろう、アンジェリーク」
そっと彼女の手に口付け、その瞳を見つめる。
「・・・・喜んで。・・・・・着替えてきますね!」
彼女はたおやかに一礼したかと思うと、脱兎のごとく階段を上っていった。
淑女と少女。優雅と無邪気が同居した君。誰よりも優しく、何よりも無垢な俺の天使。
「・・・でも、お昼を残すのは今回だけですからね」
二階から降ってくる君の言葉に、俺はたまらず笑い出す。
まったく、何故今まで思いつかなかったのだろう。こちらでは半日でも、向こうでは三日ぐらいあるだろう。聖地で祝えないなら、外で祝えばいい。多忙な補佐官殿のいい休日にもなるだろう。
時間の流れが幾ら無情でも、今ばかりは感謝しよう。二人の記念日を数多く与えてくれることに。
END
20万HITのキリ番を踏んでくださったLilis様から、その20万HITのお祝いと、リクエストを伺ったお礼ということで、お祝い創作をいただいてしまいました。
Lilis様、どうもありがとうございます〜。キリ番踏んでもらった私が、しかも、リクエスはうけてあたりまえなのに、逆にお祝い&お礼なんてしていただいていいのかしら?と思ったのですが、嬉しかったので、素直に、ありがたく頂戴してしまいました(爆)
ご本人は甘くしようとして失敗…なんておっしゃっておられましたが、なんのなんの、ものすごく甘い幸せそうな二人ですよねー。
ロザリアの戴冠式の日は、即ち、アンジェたちの結婚式の日でもあった、というのは、いかにもありそうな話ですが、そうなると確かに、結婚記念日=記念式典になりかねませんね。
義務と心情の板ばさみというか、アンジェ愛しさのあまり、わがまま言ったり暴走しそうになりながら、寸前のところで、踏みとどまって反省するオスカー様は、非常に私の好みです。完全無欠の騎士より、弱い部分や迷う部分があるオスカー、でも、馬鹿ではないので、きちんと反省したり軌道修正できるオスカーっていうのが好きなので(ウチのオスカーも大概このタイプ)まるで、私の好みに合わせてくださったかのようなこのオスカー様はとーってもツボでした。
自分たちの境遇を嘆くばかりでなく、創意と工夫と前向きで幸せを追求しようという前向きな二人の姿勢もすごく好きです。
本来こち皆さんも、Lilis様の素敵なオスアンを堪能してくださいねー。
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