特別な日 当たり前のこと

君がどことなく、そわそわうきうきした素振りを見せ始める。

俺と目が合うと、瞳をきらきらと輝かせ、どことなく悪戯っぽい笑みを浮かべる。

ああ、もう、そんな時期か…俺は気付く。

君が俺へのサプライズを考え始めたんだな、と。

俺がこの世に生を受けた日を、特別なものにするための計画を。

君のおかげで…そう、全て君のおかげだ…その日は、俺にとっても特別な日になった。

いや…特別な日に戻った。

長いことずっと、単なる通過点に過ぎなかったある1日に、君が、改めて意味を与えてくれた。

もはや俺には無縁の物と考えていた子供のような幸福な高揚感を、君が取り戻し、再び、俺に与えてくれたんだ…。

 

君が、初めて俺の誕生日を祝ってくれたのは、君がまだ女王候補だった時だった。

君が頬を染めて唇をきゅっと引き結び、かなり緊張した様子で俺の執務室に現れた時は、一体何事かと思ったものだ。こんなに厳しい顔をした君を見たことがなかったから。

俺は、君に何か失礼なことでもしてしまっていただろうかと記憶の糸を手繰り寄せたほどだった。

ところが、君は入室して俺に一礼するや、少しどもりながら

「お、オスカー様、お誕生日おめでとうございます!あの…その…これ、誕生日のプレゼントなんですけど…その、よろしければ受け取っていただけないでしょうか…」

と言って、俺に小さな包みを差し出したんだ。

最初は勢いこんでいた口調が、言葉を重ねるごとに少しづつ頼りなげに、声が小さくなっていく様がいじらしかった。君がありったけの勇気を振り絞って俺の許に祝いに来てくれたことがよくわかって。

だが、その時の俺は、嬉しいと感じるより驚きのあまり、一瞬、完璧に自失してしまっていた。礼の言葉も忘れ、ただただ、君のことを馬鹿みたいに見つめてしまった。

君が、俺の誕生日を祝いに来てくれた、そのことに驚いたのではない。

俺の生きてきた世界と君が当たり前のように生きてきた世界との差を改めて痛感し、衝撃を受けたからだった。

黙ったまま君を見つめる俺に、君は不安そうな顔と物問いたげな瞳で俺を見つめ返し、それで、漸く俺は我に返った。

突然のことに驚いて言葉を失ってしまったことを侘び…この言葉自体は嘘じゃない、真実だ…包みを開けてみてもいいかと君に尋ねた。

君は、僅かに安堵の様子を見せたが、まだまだ緊張の解けない顔で、こっくり頷いた。

箱にかかったリボンには、小さな淡紅色のバラの生花が1本…とげは綺麗に取られていた…が添えられていた。俺はそのバラの花弁に軽く唇を寄せてから、丁寧に包みを開いた。

君からの包みを開けた瞬間、心地よい甘い香りが漂った。包みの中身を見て、俺は、再び言葉を失った。

俺の好みを考え選んでのであろう心づくしの品と、どうやら君の手製らしい菓子が入っていた。

一目見ただけで、どれほど君が心を注ぎ、俺のことを考えて選び、作ってくれた品かということが、ひしひしと伝わってきた。

俺は、心の底から礼を言った。なんと形容したらいいのかわからない感慨が胸一杯に満ち、溢れそうだった。溢れるまま、思ったままを口にせずにはいられなかった。

「ありがとう、お嬢ちゃん。君の心尽くしがとても嬉しく…ありがたい。誰かに誕生日を祝ってもらうなど…久しく…絶えてなかったことだったからな…」

実際に過ぎた年月の単位は明言しなかったが、君は俺のこの言葉にびっくりしたようだった。俺はすぐさま自省した。こんな余計なことをいう必要はなかった、と。その時は、何故、こんなことを言ったのか自分でもよくわかっていなかった。

「うそ…だって、オスカー様は、いつも女性にもてもてだって…そう伺ってますのに…だから、きっと…今日も…」

「おやおや、誰からそんな悪い噂を聞いたんだ?お嬢ちゃん。少なくとも俺には、誕生日を教えあって祝ったり、祝われたりするような知り合いはいないぜ?元々、聖地の時間の流れは外界と異なるし日付も便宜上の物だから、時節の行事を行う者は少ないんだ。こんな…当たり前のような行事もな。だから、君からの祝いは、とても新鮮で…嬉しいものだった、ありがとう」

君は、一瞬はっとして、何かを察したようだった。

何故、俺は、こう言わなくてもいいことまで、言ってしまうのか…

心の中で、俺は、君の心尽くしに感謝すると同時に、改めて、自分と君の境遇の差、心のありようの差を思い知らされたからではないかと思いあたった。

君にとって、年月は当たり前に巡り来ては積み重なっていくもので、誕生日は毎年来る節目の行事で…そして、君の心のありようを思えば、好ましい人物への誕生日を祝うことも、また当然のことなのだろう。

それは君が、そういう気持を当然のことと思える明るく幸せな世界にいるからだ。心を交わしてきた人たちと、幸せなこと、楽しいことを、極自然に、互いに祝い祝われる世界。それは君の人としてのあり方が育んできたもの…君の笑顔、優しさ、素直さに惹かれて人が集まるからだろう。君は、周囲にいる人間の心を暖め柔らかくする笑顔の持ち主で、君の笑顔を見たいと周囲に思わせる少女だから。

そんな君は、身近な人の誕生日を祝うことに疑問も躊躇いもない。その人が喜ぶ顔だけを思い描き、ありったけの心を注ぐ。

そして、今年の誕生日は去年のものとは少し違っていて、来年の誕生日も今年のものとはまた違っていて…でも、間違いなく積み重なっていくもので。君が人に捧げる想いも、君が人から受け取る想いも、降り積もり、積み重なって、豊かに膨らみ成長していくものだったことだろう。

だがな、お嬢ちゃん。君はわかっているのだろうか。

君が今目指し、支えていこうとしている世界は、そういう類の感情と一切無縁にならざるを得ないことを。

聖地の住人になるということは、自分の誕生日を祝ってくれる人は愚か、覚えていてくれる人さえ、皆無になりかねないということなのだと。

そして、100年1日がごとくの…これは聖地の住人に年月を意識させないため恣意的にそうされているのだろうが…四季もないこの聖地で、10年前のこの日も、今年のこの日も、恐らくは10年後のこの日も、まったく変わり栄えのしないこの世界で、年月を数えることの虚しさを知り、いつか年月を数えることすらやめてしまうことになるのだと。

女王候補として飛空都市に来た君だ、もちろん、聖地に行くことの意味は、頭では理解していることだろう。

だが、当たり前のように俺の誕生日を祝いに来てくれた君を見ていると…今の君にとっての「普通」「当たり前」が当たり前ではなくなる世界に、君が、いつ果てることの無い年月生きていくことになるのは…君にとって幸福なことなのか、俺はわからなくなる。人として当たり前の「理(ことわり)」の世界から切り離され、人として当たり前の感情を自ら葬らざるを得なくなる境遇に立つことが、君にとって良いことなのか、判じかねてしまう。

至高の存在になることが、イコール幸福とは限らないことなど、己の立場を鑑みれば自明のことだったから。

無論、崇高な義務感と責任感で女王の地位に就くことは、賞賛されるべき立派なことだ。

だが、それは君にとって『幸せ』なことなのだろうか?

君にとっての真実の幸せは何なのか、それを考えてしまっている自分に気付いた時…そう、俺はこの時、君に捉われている自分の心をはっきり自覚した。自覚せざるを得なかった。

だから、君が何を幸福と考えるか…それをきちんと確かめたくて、俺は聖地に住まうことの意味合いをいささか露悪的に語ってしまったのかもしれない。

だが、俺の自嘲気味な言葉など物ともせず、君は…一度ごくりと息を飲み込むと、いきなり、勢いこんでこう言ったんだ。

「それなら…オスカー様が喜んでくださるのなら…ご迷惑じゃないのなら、私が…これから、ずーっとずーっと、私がオスカー様のお誕生日をお祝いします、いえ、させてください!させていただきたいんです!来年も、再来年も、その後もずっとずっと!」

「………」

俺は、あっけにとられた。先刻黙り込んでしまったのは、愕然としたからだったが、今度は、心底仰天して言葉を失った。

「お嬢ちゃん、君は…その、自分の言っている言葉の意味をわかっているのか?」

「ダメ?…ですか?」

「いや…そういうことではなく…」

「だって、だって…誰もお誕生日を知らないなんて…知らせることができないなんて哀しいし寂しい…大事なオスカー様のお誕生日なのに…外界の方とは時間の流れが違うからお付き合いが難しいのは確かだと思います…聖地の職員さん達も異動は頻繁でしょうし…でも、でも私ならこれからもずっと聖地にいられますから!…いえ、今はまだ『いられるかもしれない』ですけど…でも、私、今、もっと強く決意しました、絶対…どんな形でもいいから、私、絶対、聖地に行きます、そして、私は決してオスカー様の誕生日を忘れたりしませんもの、だから、私…私が…これからずっと聖地で…何年でも何十年でも、今まで、オスカー様がお祝いなさってこなかった年月以上にオスカー様のお誕生日を毎年、毎年、お祝いしてさしあげたいで…」

ここまで一気に言うと、途端に君は耳まで真っ赤になったんだ。

「き…きゃああああ!私、私ったら、今、一体何を…オスカー様、ごめんなさい、ごめんなさい、図々しいことを言ってごめんなさい、どうか、今、私が言ったことは忘れて、忘れてください〜!」

今までずっとあっけに取られていた…いや、自分の耳が信じられなかった俺は、ここで漸く我に返った。君が真っ赤になって、わたわたとパニックに陥ってくれたおかげでな。

「いいや、忘れない」

俺はほころぶ口元を押さえきれなかった。

「やあああん、オスカー様、そんな…やだ、もう、私、どうしよう…ひ…ん…」

羞恥のあまりべそをかきそうになっている君を、俺はマントでくるむようにすっぽりと抱き寄せた。もちろん、君が俺から逃げださないようにだ。

「こんな嬉しい言葉を忘れてたまるものか」

君は、俺の唐突な抱擁とこの言葉に、目をこぼれんばかりに見開いた。

「え?…ええ?!じゃ、じゃ、あの…私、これからもオスカー様のお誕生日をお祝いさせていただいていいんですか…」

「いいも何も…君のその気持は…俺には何より嬉しいプレゼントだ」

「オスカー…様…」

「約束だぜ、お嬢ちゃん、来年も再来年も、これから先ずっと俺の誕生日を祝ってくれよ?」

「…はい…はい、オスカー様!喜んで!」

「そして…俺からも約束する。君の誕生日は…俺が祝う。来年も再来年も、これから先ずっとな…」

「…オスカー様…そんな…本当に…?」

「ああ…これは…約束の印だ…」

俺は君の小さな頤をつまみ上げ、そっと、口付けた。

君がくれたバラのように赤く、柔らかく、芳しい唇だった。

君は、まだ、きっと実感していない、いや、今はできるはずもないだろう。

聖地に住まう者の空虚を思いやったが上の優しい気持、暖かな言葉のその代償に、君が失うものの大きさを。

君の優しい心は…きっと、見過ごしておけないのだ。苦痛や寂しさや空虚を感じる者には、とっさに手を差し伸べずにはいられないのだろう。

その、君の優しい心は、近い将来、俺個人というちっぽけな物を飛び越えて、より大きな存在への慈愛ゆえに、同じ代償を払おうとするかもしれない。

ならば、俺は、君のその優しい心を支え守ってみせよう。

君が払う代償の大きさに心弱ること、打ちひしがれることのないよう、俺の全てで君を守ろう。

君が周囲に注ぐ以上の想いを、俺の心の全て、想いの全てを君に捧げよう。

君が「普通」の幸福を失うことになっても、それを後悔せずにすむような強い想いで君を守り支えていくと誓おう。

君の誕生日を覚えている人が地上に1人もいなくなっても…この俺がいると、この俺が生涯、君を想い、君を守り支えていくと。

それが…君のどこまでも綺麗で優しい想いに対する俺の応えだった。

とろけるように甘やかな口付けの中に、俺は、ほんの微かなほろ苦さをも味わっていた。

 

俺は、一つ、君に謝らなければならない。

君は…どんな立場に立っても、どんな境遇に置かれても君の考える「当たり前」を手放すことも諦めることもなかった。優しさも、素直さも、純朴といっていいほどの真っ直ぐな心栄えも変えること、変わることはなかった。君の魂は、俺が思うよりもずっとしなやかに柔らかく強かったな。

そして、また今年も、この日がやってくる。

君が、俺との約束を果たそうと、一生懸命になってくれる日が。

だが、君は知っているだろうか。

君が俺の特別な日を祝おうとしてくれること。

君が、俺の傍らにいて、俺に心を砕き、特別な思いを注いでくれること。

これに勝る歓び、これにまさる贈り物などないのだということを。

そして、君が…君の優しさが俺の中で止っていた時間を再び動かしてくれたのだということを。

だから、俺は君に無数の感謝を示さずにはいられない。

君が少し困ったような顔で笑っても、くすぐったそうに身をよじっても、千のキス、万の抱擁で君の想いに感謝の意を示さずにはいられない。

君と俺と、互いに互い以上に大事なものなど無いこの身なれば…。


「もしも、マンガが、描け〜たなら〜」自分ではマンガにしてみたいと思ったエピソードです。
甘甘シリーズとは別設定で、アンジェが補佐官とでも女王とでも受け取れる形にしてみました(一応)
《Diaspola》では、オスカー様の誕生日を祝うエピソードがありませんので、告白前にオスカー様の誕生日が来ていたら…という設定です。ここにくるまでの経過は、多分、ディアスポラと似たようなものではないかという感じです。
オスカー様は全女性のアイドルだから、誕生日にはプレゼントの山!というのもありそうですが、私は(あくまで私設定です)オフィシャル設定のオスカー様では、その可能性は薄いと考えております。
守護聖というのは本来「スター」ではありませんし、隔絶された世界に生きてますし、出自も捨てているのに個人的なプロフィールが一般人に流出するのは疑問であること。(女王候補は別ですよ、ディアとかサラとかの情報源がありそうだから)
そして、誕生日を祝うというのは、本来、その人のプライベートにかなり踏み込むことだと思うんですね。誕生日を調べることから始まって、個人的な贈り物をするというのは。そして私の考えるオスカー様は、行きずりとか聖地の女性職員との一時のお付き合いだったら、誕生日を教えたりはしなさそうに思えるし、どこからか情報がリークして祝ってもらう機会があったとしても「一定のライン以上に踏み込まない、踏み込ませない」ために、個人的な贈り物は、相手の気持を損ねないように上手くはぐらかして断ってきた…のではないかと思いまして。けじめとして「気持だけありがたく受け取らせてもらうぜ」みたいな?で、↑みたいな話にしてみました。誕生日を祝ってくれる人がいるって、実は、ものすごい幸せなことだと思うので。

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