「失礼します…」
控え目なノック音と供にドアがあき、春のたんぽぽのような髪をした少女がとある教室の戸口に現れた。白を基調としたセーラー服と短めの紺のプリーツスカートが少女の可憐さを如何なくひきたてている。
その教室は窓という窓に暗幕が掛けられており室内は暗い。前方の壁には黒板の替りにスクリーンに音響機材、並んでいる机にはコムログが個別に設置されている。
「あの?オスカー先生?リモージュです。アンジェリーク・リモージュです。」
明るい廊下から暗い室内にまだ目が慣れないのであろうか。少女は自分の名をなのりながら、返答を待つより先に室内にその身を滑りこませた。
その態度はどことなく人目を避けている風にみえなくもない。
「ああ、来たか…」
耳を慰撫するようにまろやかな、それでいて男性的な声がその少女…アンジェリークを出迎えた。
暗い室内に慣れてきた目に、赤い髪が鮮やかに燃え立つ。氷蒼色の瞳から明かな感情は読むことができない。非常勤の語学教師オスカーが教室の中央におかれた教卓の側に座っていた。
「アンジェリーク・リモージュ、今日呼び出された訳はわかっているな?」
「は、はい…、私がきちんと会話ができなかったから…」
「そうだ。お嬢ちゃんはこの第二外国語を学内選考の素点に出すつもりなんだろう?しかし、昨日のあの様子ではちょっと及第点をやるわけにはいかない。だから、今日は補習だ。いいな?」
「はい。あ、あのでも、先生、今日はどうして研究室じゃなくて視聴覚室なんですか?」
「きまってる、お嬢ちゃんが弱いのは実践会話だからだ。お嬢ちゃんは筆記に関しては申し分ない。会話も昨日に限ってなんであんなにできが悪かったのか俺には納得いかないんだが…だが、俺は教師として、一定の基準に満たない者に点数をやるわけにはいかないし、点数をやる以上はそれに見合った成果なり努力の姿勢を見せないと周囲が納得しないだろう?お嬢ちゃんも俺に贔屓されて及第点をもらったなんて言われたら、嫌じゃないか?だから会話の補習が必要だし、会話の練習なら視聴覚室が最適だからな。」
「………」
アンジェリークも自分のできが悪かったことを自覚しているのか、居心地悪げにもじもじしている。
「ふ…お嬢ちゃん、俺の研究室での補習じゃなくてなんだか残念そうだな?」
「そ、そんなことありません…」
更にアンジェリークの様子が居心地悪げになる。
「まあ、いい。ところで今日は補習で遅くなるとちゃんと家の人には伝えてあるか?」
「はい、言ってあります。」
「よし、それなら今日はヴィデオを見て、その通りに会話をリピートしてもらおう。会話は習うより慣れろだ。お嬢ちゃんが感情移入しやすいように、教材もお嬢ちゃんに似た立場の主人公のものを選んだつもりだぜ?さ、スクリーンのよく見える所まで来なさい。ああ、その前に音が漏れないようにドアに鍵をかけてからだ。」
「はい…」
アンジェリークは言われた通りに視聴覚室の鍵を閉めた。
音響教材を使用する時、周囲に音が漏れて授業の邪魔にならないよう視聴覚室はもともと防音が為されているが、施錠することでドアがしっかりと噛合ってさらに防音効果は高まるようになっていた。
それからアンジェリークは教室の正面にあるスクリーンがよく見える机に掛けようと向かったら、それをオスカーに止められた。
「お嬢ちゃん、会話の練習なんだから、もっと俺の側に来い。俺が対話の相手役になるから。ただぼーっとビデオを見てるだけじゃ練習にならないからな。それに口先だけじゃなく、ビデオと同じように演技すれば、より、会話も臨場感が出ていいぜ。文字通り身につくってやつだ。」
くっくっとなぜか一瞬破顔しかけて、オスカーはすぐにその笑みを引っ込めた。丁度移動途中だったアンジェリークはそのことに気付いていない。
アンジェリークに自分のすぐ隣、膝が触れ合うほどの距離に腰掛けさせてから、オスカーはリモコンで画像を呼び出した。
その僅かな隙にアンジェリークはちらりとオスカーの端正な横顔を盗みみた。
もう正規の授業が終わったからか、オスカーはいつもは撫でつけている前髪を無造作に流している。
アンジェリークは前髪を垂らしているオスカーの方が好きだった。しかし、オスカーのこの寛いだ、いわばオフの様子を知っている生徒はそう多くない、というよりほとんどいないだろう。
アンジェリークは他の生徒がしらないオスカーの横顔を見つめられるのが、とても嬉しい。
思わず見惚れていると、数秒のカウントの後、スクリーンに女生徒と教師らしい男性が教室にいるらしい画像とそれらしいBGMが流れてきて、現実に引き戻された。
慌てて画面に集中しようとする。せっかくオスカー先生ができの悪かった私が居心地の悪い思いをしないように時間を割いて補習を用意してくれたのだから、きちんとやらなければと自分を戒めた。
しかも、会話が理解しやすいようにわざわざ教材も自分のために用意してくれたというのだから、尚更だった。
学園風景らしい内容にオスカーが感情移入しやすいように選んだ教材とは学園ドラマのことだったかと、この時アンジェリークは単純に考えていた。その真の内容をまだ知らずにいたから…
アンジェリークが補習を受ける羽目になったのは昨日の授業に原因があった。
「では、グループごとにロールプレイをやってもらおうか。言っておくが、この科目で学内選考を希望する者は筆記と並んで会話も基準点の審査対象とするからそのつもりで。」
教室の壇上でこの語学の授業を受け持つ教師オスカーが生徒たちを促した。
ツーポイントのフレーム越しに氷蒼色の瞳が怜悧な光を放つ。
燃え立つような灼熱の髪はきれいに撫で付けられているが、秀でた額には視覚的効果を計算しつくしたかのような絶妙なバランスで前髪が幾筋か垂らされている。
引き締まった筋肉の束で構成された隆々たる体躯は、体にぴたりと合った見るからに仕立てのいいスーツでも隠しきれていない。
教師というより男性モデルといったほうが納得いくほどその容姿は端正であり、鍛え上げられた肉体には学究の徒にありがちな脆弱さの欠片もみうけられなかった。
オスカーの言葉に従い、生徒たちが数名教室の中央に立ち異国の言葉で対話を始める。それに伴い教室の隅に移動したオスカーは各々の生徒の発音や言いまわしをチェックしているようだ。
選択性の第二外国語にも拘わらず、この非常勤講師オスカーの授業はスモルニィ学園高等部の生徒たちから絶大な支持を受けていた。
選択科目は女子部・男子部の混成授業となるので(必須科目は女子部・男子部それぞれのクラスごとに行われる)もともと生徒たちに人気があるが、その中でもダントツの履修数を誇っていた。
オスカーの授業が生徒に人気があるのは、まず女生徒たちがオスカーの容貌に惹かれて集まり、その女生徒めあての男子部の生徒が結果として集まったという部分もあったが、それだけでもなかった。
選択科目の常として、一年の最初の授業はオリエンテーリングとなる。この時、それぞれ講師は一年間の学習概要や授業内容の説明を行い、生徒はそれを聞いて授業内容を納得した上で最終的な履修届を出すことになっている。
第二外国語の授業を受け持つことになったオスカーの年度始めオリエンテーリングには、教室に生徒が入り切れないほどだった。
大半はオスカーの男性的な美貌に引かれた女生徒たちだったが、女子部と御近づきになりたい男子部の生徒も結構な数が集まっており、教室の雰囲気はざわついて落ち付きのないものだった。
オスカーがそのオリエンテーリングの際呈した授業方針はこんな風だった。
「俺は言葉というのは、乱暴な言い方かもしれんが道具のひとつだと思っている。語学の授業というのはこの道具を使いこなせるようになるためのものだ。だから俺はこの授業では、長文読解や作文をさせるより、まず身近な状況でよく使われる慣用句や文法中心に『使える言葉』の習得を目標とする。言葉なんていうのは使ってなんぼだからな。」
砕けた物言いにその場にいた生徒たちに『この授業は与しやすし』といった観の空気が流れる。古来より単位取得の楽な授業はいつだって生徒に歓迎されるものだ。ただしある種の侮蔑を伴って。
しかし、オスカーはその生温んだ空気を即座に引き締めた。
「しかし、だからこそ技術の習得に不真面目なもの、やる気のないものは二学期からは授業への参加を遠慮してもらう。やる気のないものに教えるのは時間の無駄だし、周囲も迷惑するからな。当然一学期勤め上げただけでは単位もなしだ。その辺のチェックは容赦なく行う。」
教室の空気がざわめきだす。どうも自分たちの考えているものとこの授業は違うらしいと。
「だから、俺の授業は決して楽ではないかもしれん。技術の習得にはどんなものであれ、反復と訓練が必要で、それはしばしば困難かつ苦痛を伴うものだからだ。ただ考えてほしい。君たちの中にはもう車の免許をもっている者もいると思う。運転も技術だがその習得にも練習は必要だったはずだし、それは楽なだけのものではなかっただろう?車でなくても、そうだな…自転車の乗り方や水泳でもいい。最初からうまく操れる者はそういないだろう。皆ある程度痛い思いや、苦しい思いをしてマスターしたはずだ。もちろん、車も自転車も乗れなくても生きていくに困らない。泳ぎに限らず多くのスポーツもそうだな?それでも、それができれば楽しかったり、便利だったりするから習うんじゃないか?言葉も同じだ。そう言う意味で言葉というのは道具であり、語学はそれを使いこなす技術の修練なんだ。」
もう教室は私語が絶えていた。
「外国語というのは知らなくても使えなくても生きていくのには困らない。ただし、この技術を習得すればより快適だったりより便利になったりする。将来仕事に役立つこともあるだろう。言葉はその国の文化を背負うから、多角的な物の見方も養える。例えば海に囲まれた国と内陸の国では、それぞれに存在する語彙自体が違うという具合だ。言葉がないということはその概念がないという意味にも通じるからな。」
「ただし前述したように技術の習得というのはただ座しているだけでは覚束ない。最低限覚えなくてはいけない文法や単語も多々ある。当然楽ではないからこそ、本人のやる気がものをいう。受身ではなく積極的に授業に参加する意欲がなければ目立つ成果は得られないだろう。それゆえやる気のない奴、単位だけがほしい者には参加してほしくない。真面目に技術の習得する意志のあるものだけに来てもらいたい。」
ここでオスカーは始めて口元をほころばせ、皆を安心させるような笑みをうかべた。
「もっとも俺の要求するレベルはそんなに難しいものではない。生活のいろいろな場面で不便のない程度の表現ができるようになれば十分だ。そうだな…ネイティブでいえば小学生から中学生くらいの表現ができるようになればいい。それで大抵自分のやりたいことはできるはずだからだ。技術の習得といっても固く考えなくていい。例えば車の運転する者全てがレーサーになるわけじゃないし、スポーツをするもの全てが国際試合を目指したりプロになるわけじゃないだろう?楽しんで使いこなせるようになればそれでいい。俺が目指すのはそういう授業だ。」
「そして、この授業が切っ掛けで更に専門的なことを学びたくなったら、いわば、プロになりたいと思うものが出てくれたら、大学部で俺の科を専攻してくれ。先輩として力の限り研究の指導やアドヴァイスは惜しまない。ま、希望だがクラスから一人でも出てくれたら俺には望外の喜びだな。いや、これは余計だった。というわけだから、真面目に楽しく使える言葉を習得したいと思ったものだけがこの授業を採ってくれ。以上だ。」
オスカーは意識して辛口な表現を使ったので、履修希望する生徒はそういないだろうと見越していた。もともと受験にあまり関係ない(外国語学部でこの言語を専攻しない限りは)科目だし、ありていにいえばあってもなくてもいい授業だったからだ。
大学付属校で授業の裁量が比較的自由であり受験を考慮する必要があまりないこと、大学部と連携した授業を組めるからこそ存在する選択性の第二外国語である。受験校ならもともとない科目だったろう。
生徒が集まらなければ来年度は廃止されるかもしれないが、もともと生活のために授業のコマ数を増やしたいわけでもないオスカーは、そうなったら院の研究室に専念できるし、いやいややる気のない者に教えるよりはそのほうがいいとさえ思っていた。
ところがオスカーの予想はいい意味で裏切られた。
オスカーの所信表明に生徒たちは引くどころか、実践的な語学が習得できるいいチャンスとばかりに真剣に履修を希望してきた。
もっともオスカーの容姿に目がくらんだ女生徒も多かったのも事実だが、オスカーの真面目に勉強しないと二学期からは来させないという脅しが効いて、もともと女生徒は真面目なものが多かったから一人も脱落者がでることはなかった。第一、憧れの先生によく思ってもらおうと思ったら、女生徒はよく勉強することは厭わない。
男子部の生徒も同様で、真面目に授業を受けていればオスカーの要求するレベルは決して難しいものではなかったし、授業自体はたのしみながら良く使われる慣用表現が自然に身に付くようになっており、粒ぞろいの女子部の生徒たちに軽蔑されないためにも皆きちんと授業を受けていた。
そして今日は実践会話の仕上げである。
対話は一グループ5分少々の短いものだ。それぞれ、日常でありがちなシチュエーション…銀行窓口、商店での買物、病院でのやりとりなど生活に即した場面での対話が設定されている。
「よし、次。君たちで最後だな。」
オスカーに促されて前に出てきた4人組みは男女2名づつだった。
ふわふわとした金髪と翠の目を持つキュートな少女と、青藍色の髪をきれいに巻いて結い上げた大人びた美少女、それに無頓着にあちこちに跳ねた栗色の髪に青い瞳の元気そうな少年と銀灰色の髪がつんつん立っているやんちゃ小僧のようないたずらっぽい表情をした少年の取り合わせだった。
どうやら4人は遊園地で遊んでいるという設定で対話している。
乗り物の場所を探すことで疑問形、喉が乾いたから何か飲もうといって勧誘表現、それよりアイスクリームが食べたいと少女たちが答えて、希望を表す表現などを対話に織り交ぜている。
きちんと会話が弾めば、まったく問題ないはずだった。課題の文法表現はきちんと押さえられている。だが、金髪の少女の会話がぎこちない。度忘れするのかどもったりつかえたりすることがたびたびある。
そのたびにその少女は教室の隅にいるオスカーのほうをちらちら見るのだが、オスカーは涼しい顔でシートにチェックをしているだけだった。
そろそろ夕方だから、帰ろうということで少年たちがお土産に風船をそれぞれの少女にプレゼントするという形で会話は終了した。
「よし、席について」
オスカーの言葉で彼らはほっと息をついてそれぞれの席についた。オスカーが教室の前に戻り授業を総括する。
「皆、それぞれ工夫した痕があり、俺が必ず使うようにといった文法もきちんと使っていたな。全体として非常にいいできだった。」
ここで一息おいてオスカーは口調を替えた。
「ただし、会話の流れがスムーズだったとはいえないものも若干いた。誰とは言わないが自分でわかっていると思う。いつも言っているが言葉は使えなければ意味がない。このままでは期末考査の基準にいまいち怪しいと思われるものには個別に補習を用意するつもりだ。では、今日の授業はここまで。」
計算されたように終了のチャイムと同時にオスカーの言葉もおわり、オスカーは教室から出ていった。
青藍色の髪の少女が気遣わしげに金髪の少女を見やった。
続く昼休み。カフェテリアで先ほどの4人は授業が終わったあとも続けてランチを一緒にとっていた。少年二人が少女たちを誘ったのだ。
「アンジェ、あなたいったいどうしたの?練習した時はとってもうまくできていたのに、あんなにしどろもどろで…オスカー先生がおっしゃっていた補習にあれでは引っかかってしまうわよ。」
「う〜、な、なんかあがっちゃったんだもん…」
「あなた筆記はよくできるじゃないの。やっぱり4人遊園地に行くなんていう設定がいけなかったのね、きっとそうだわ。なにせ、あなたったら晩生だから…男の子と出かけるなんてことを考えたらあがってしまったんでしょう?かわいそうに…アンジェが補習なんてことになったら貴方たちのせいですわよ!ランディ、ゼフェル!」
ロザリアがアンジェリークの顔を自分の胸にぎゅむ!とばかりに抱えこんだ。豊かな胸の間に顔を押しつけられアンジェリークが息苦しさにばたばたもがく。
「く、苦しいぃ〜ロザリア〜!」
「あら、ごめんあそばせ。おほほ」
全然悪びれた風もなくロザリアはアンジェリークの顔を抱く手を少し緩めた。
「な…言いがかりだぜ、アンジェだって練習じゃ楽しそうにやってたじゃねーか!」
「………あ?そうかな?俺たちのせいかな?あはは、だったらご免よ、アンジェ。」
ロザリアの胸に顔を押し付けられて苦しがっているアンジェのことを、涎を垂らしそうなうらやましげな表情でじとーっと見つめていたランディがはっと我に返ってあっさり非を認める。
むきになって反駁するゼフェルと好対照だ。
「俺たちああいうシチュエーションに憧れてるからさ〜。ああやって練習しておけば本番でもうまくできるかなって思って、対話を遊園地でデートって設定にしちゃったんだよ。な、ゼフェル!」
「ば、ば、ばかやろう!男の舞台裏ばらすんじゃねーよ!このタコ!」
「なんだよう!おまえがもともとは言出したことじゃないか!この授業がうまくできたら、これを切っ掛けにほんとにデートに誘えるかもよってさあ…」
「だあああ!それ以上言うんじゃねええええ!」
取っ組み合いを始めそうな二人を付き合い切れないといった顔でロザリアが肩を竦める。
「それで私たちをどなたかを誘う実験台にしてくださったわけ?光栄ですこと!でも、そのせいでアンジェは補習に呼び出されるかもしれませんのよ!まったくいい迷惑だわ!」
ロザリアはそのランディとゼフェルの意中の相手がそれぞれ自分とアンジェリークだということにまったく気付いていない。
ゼフェルはアンジェリークをかわいくてなんとなくいいなと思っており、ランディはよくなついている犬のように大人びた麗人であるロザリアを崇拝し切っていた。
もともとゼフェルは感情を表に出すことがうまいほうではない上、アンジェリークはどうもそういう感情に敏いほうではないらしく、ゼフェルがアンジェリークの前だとわざとぶっきらぼうに振舞ってしまう訳にも気付かない様子だ。
ロザリアはロザリアで自分をアンジェリークの保護者のように思っており、いつもアンジェリークを第一に考え、自分自身に向けられる感情には無頓着な所があった。
それでなくても照れ屋で口下手なランディも、授業にかこつけて自分たちの希望を託すのが今できる精一杯の意志表示であったが、そんなまわりくどい方法では、もともと彼の事など眼中にないロザリアに通じるはずもなかった。
アンジェリークが鼻息の荒いロザリアをいなす。
「ロザリア。私がなんか今日は緊張しちゃっただけなのよ。ランディやゼフェルのせいじゃないわ。それに私晩生じゃないもん…」
「なにか言った?よく聞こえなかったわ」
「ううん、なんでもない、なんでもない!」
アンジェリークが手をばたばたと顔の前でうちふる。
「ほらほら、あなたたちもいつまでも子どもじみた真似をなさらないで頂戴。もう昼休みも終わりですわよ。」
幼稚園児に諭すようにロザリアが少年二人を諌める。二人はバツの悪そうな顔で互いに「ふんっ!」とばかりにそっぽをむいた。
それぞれがうまくデートにもちこめなかったのはおまえのせいだからな!と思っていることは明白だった。
そしてロザリアが懸念した通り、翌日アンジェリークの許にオスカーから補習にでるようにとのメッセージが入った。場所は語学授業の定番、視聴覚室である。
アンジェリークはこのことをロザリアに告げて今日は先に帰ってくれるよう頼んだ。ロザリアは心配して待っていると言ったのだが、家の人に補習で遅くなるって伝えてほしいから先に帰っててと重ねて頼んだ。本当はもう家の人には連絡はしてあったのだが。
ロザリアとピロティで別れた後、アンジェリークはこの視聴覚室にやってきた。そして、今オスカーの用意したという教材を使って、補習授業が始ったのである。
放課後なのか、ビデオの画面には教師と生徒の一人づつしかいない。
『なんか、補習を受けてる私みたい。だから先生ったら感情移入しやすいなんておっしゃったのかしら。』
などと思いながら画面を見ていたら、唐突にその女生徒が教師に抱き付いた。
アンジェリークはびっくりして画面とオスカーを交互に見る。オスカーは目顔で画面を見ろとアンジェリークに促す。
女生徒のセリフにアンジェリークは更に驚いた。
《先生、好きです》
「せ、せんせい…」
アンジェリークはなんと言っていいかわからぬまま呆然としているとオスカーはビデオを一時停止した。
「どうした?続けろ。セリフは『先生』で終わりじゃなかっただろう?」
面白そうな表情で、しかし、あくまできっぱりとオスカーがセリフの続きを促す。
アンジェリークはオスカーが本気なのだと覚った。オスカーが感情移入しやすいと言った本当の意味も。
アンジェリークとオスカーは実は恋人同士である。
だが、学内でそれを知っている者はいない(はずである)。別にやましいところがあるから仲を隠している訳ではなく、大学付属校の高校生であるアンジェリークが非常勤とは言え教師であるオスカーと恋仲になったことで学内進学の権利を失ってはまずいというオスカーの配慮から秘密裏に交際をしていた。
オスカーとしてはアンジェリークに近寄ろうとする悪い虫を牽制する為にもおおっぴらに交際したいのはやまやまなのだが、アンジェリークの将来や、それより何より同じ大学に来てくれないと心配で仕方ないものだから、とにかくアンジェリークが高等部を卒業してはれて同じ大学の学部生になるまでは、二人の仲を周囲に隠すことにしたのだった。
「先生…好きです」
アンジェリークがものすごく恥かしい気持ちをなんとかなだめてセリフを言うと、オスカーがビデオを進めて画面の教師役の俳優にほん数秒遅れるだけで答を返す。
《君はまだ広い世界を知らない。だから身近な男である私に憧れているだけだ。》
《そんなことありません!私、ほんとに先生が好きなんです。先生のことで頭が一杯で他のことが手につかないんです》
「そ…そんなこと、あ、ありません。私…えっと…ほんとに先生が好きなんです。先生のことで頭が一杯で他のことが手につかないんです…」
アンジェリークはセリフに思わず力が入ってしまう自分に気付いていた。オスカーの手口にまんまとのっている気もするが、確かに同じような心境だったのはそう昔のことでもないのだ。
しかし、この後の展開にアンジェリークは絶句した。
《先生、お願い!抱いて!先生に抱いてもらいたくて、私、頭がおかしくなりそう!先生が抱いてくれなかったら本当におかしくなっちゃう!》
と言って女生徒はセーラー服の胸をいきなりはだけたのだ。下着は白一色でレースも飾りもついていないし、カップもきちんと成型されてない簡素なもののようだ。
あまりの唐突な展開に口をぱくぱくさせていると、またヴィデオを止めてオスカーが促す。
「ほら、続けろ。ちゃんと会話しないと補習にならんだろう?」
「そ、そんな先生!こんなこと私言えません〜!」
途端にオスカーの顔が恐ろしいほど近づき、思わずアンジェリークは目を閉じた。キスされるのかと思ったのだが、いつもの官能的な感触はいつまでたっても唇に触れず、替りに耳朶に軽い痛みが走った。
「いたっ!」
瞳を開けると、オスカーが自分の耳朶に歯を立てていた。痛みを覚えるほどに強く。
「お嬢ちゃん、いいか?セリフ以外のことをしゃべったらペナルティだ。今は最初だから警告だけにしておくがな。」
くっくっといかにも楽しそうに笑んでいるオスカーにアンジェリークは警告も忘れて言い返してしまう。
「うそ!せんせ、そんな冗談ですよね?こんな恥かしいセリフ…そんな…」
今度は反対の耳に痛みが走った。
「あぅっ…」
「ほら、まただ。俺のいうことを聞いていなかったのか?セリフ以外の言葉は私語とみなしてペナルティを課すぜ、お嬢ちゃん。警告はこれで終いだ?いいな?さあ、セリフを続けろ。」
オスカーはどうみても、本気も本気のようだ。
あまりの衝撃に、何も考えられぬまま言われるままに棒読みでセリフをアンジェリークは口に出していた。
「先生、お願い…抱いて…先生に抱いてもらいたくて…私…頭がおかしくなりそう…先生が抱いてくれなかったら本当におかしくなっちゃう…」
オスカーの口の端がくっとあがった。
「よし、感情がこもってなかったのはまあ勘弁しよう。じゃ、続けるぞ」
オスカーがビデオをまわしながら、俳優に続いてセリフをしゃべりだす。
《本気なんだな?仕方ない。教師として、君の気が済んで勉強に集中できるように私がしてやるしかなさそうだな。》
そういうと画面の教師は女生徒のブラジャーをたくし上げた。簡単な作りのブラジャーは無理にたくし上げても乳房の形をそれほどかえることも食いこむこともない。その露になった乳房の先端に教師役の俳優がいきなり舌を這わせだした。
舌を大きく差し出して、乳輪部分や乳首をこれみよがしに舌でなぞる。
女生徒が大仰にのけぞる。
アンジェリークにもこのビデオがどういうものなのか、もう分かりすぎるぐらいにわかっていた。このあと、どんなセリフを言わされるかも簡単に予想がついてしまう。しかも、セリフが言えなければペナルティだとオスカーははっきり言った。
『うそ!うそ!うそぉ!私、いったいどうすればいいのおおお!』
どれほど恥かしいセリフを強要されるか考えると恐ろしい。しかし、それを拒否してオスカーからお仕置きされるのもおっつかっつだ。オスカーのお仕置きは決して体に不快感とか痛みを与えるものではないはずだが、絶対、なにかとっても恥かしいことのような気がするのだ。
アンジェリークはオスカーのしかけた罠に完全に嵌った自分を認識せざるを得なかった。