汝が魂魄は黄金の如し 1

「陛下、お疲れでなかったら、少しよろしいだろうか…」

光の守護聖ジュリアスは軽いノックと供に女王の私室を訪った。

思いもかけない問題がおきてのびのびになっていた新宇宙の女王を招いての式典が、無事終了した日の夜だった。

この式典は表向き王立芸術院創立の記念式典という体裁をとっていたが、外宇宙からの侵略者を退けこの宇宙と女王を守れたことへの祝賀と、その際多大な労苦を払って故郷の宇宙を救ってくれた新宇宙の女王への感謝と慰労の意味も兼ねていた。

新宇宙の女王と補佐官にとって故郷の宇宙に招聘されることはそれ自体が褒賞といえたが、新宇宙の女王を聖地に呼び寄せるにはそれなりの大義名分が必要だったし、侵略者を退けた祝賀の席自体は簡素なものを闘いが終わった直後に設けてしまっていたので、尚更別の理由が必要だったのだ。

外宇宙からの侵略…聖地の時間ではまだ一年もたっていない。存在する次元を異とする宇宙から忽然と現れた皇帝と名乗る侵略者に女王をむざむざ拉致監禁されてしまい、本来真っ先に女王を守る盾となるべき守護聖たちも、女王を人質とされたことと操られているのが明白だった無辜の民を傷つけることができず、やはり術なく暫時虜囚の身となった。

そして辛くも逃げ延びた女王補佐官が新宇宙の女王に助けを求め、その新宇宙の女王の手を借りて、守護聖たちは漸く自分たちの宇宙の女王を救いだし、皇帝と称する侵略者を倒したのだった。

今は宇宙にも聖地にも、以前と同じ平穏無事な日々が戻ってきていた。

そして、侵略者を退けた時に設けた祝いの席は簡便でうちうちのものだったので、女王と女王補佐官は、自分たちを助けてくれた新宇宙の女王と補佐官に礼の意味をこめて故郷の宇宙でくつろいでもらえるよう、二人を招待するに相応しい行事を待っていたのだ。

ところが芸術院設立の式典を執り行おうと、女王と補佐官を招待して式典のリハーサルをすませたその矢先に、以前倒したはずの皇帝がなぜかこの聖地に現れ、またも自分たちの女王と、新宇宙の女王を手にかけようとしたのだった。

あまつさえ、その皇帝を無条件に信じた新宇宙の女王と緑の守護聖が侵入者とともに逐電し、一時行方知れずとなってしまった。

しかし、此度現れた皇帝は何ものかにはわからぬが外から流れこんだ悪しき力に無理やり復活させられ、その力を利用されたようだということと、その力の来る方向とが、女王が自らを囮にすることで判明し、最終的に守護聖たちはその大元の力を断つことができた。

その悪しき力の正体は結局わからないままだったが、操られていた皇帝は新宇宙の女王の呼びかけで悪しき力のくびきを自ら撥ね退け転生を待って新宇宙で眠る身に戻り、事件は一応の決着を迎えた。

だが、皇帝を復活させた力が何かわからぬうちは、事件は真に解決したとはいえない。

ジュリアスはそのことが心にささったとげのように気に掛かっていた。

しかし、今宇宙は侵略をもはや過去のことと受けとめている。

平和を信じている民衆に、正体もわからない力の存在だけを知らしめて人心を不安に陥れるのは得策ではないし、ましてや、新宇宙の女王が侵略者と逐電したなど、絶対に知られてはならない。大変な醜聞となりかねないからだ。

新宇宙の女王は、皇帝を侵略者ではなく、その正体を偽って自分たちと旅をしていた時の剣士としての彼を本来の彼だと見なして信じたようだが、一般の民衆にとって皇帝はあくまで憎むべき敵でなければならないし、そんな存在と逐電しようとした女王にどんな厳しい目をむけるかわかったものではない。

また、自分たち守護聖が皇帝の正体も見ぬけず供に旅をしていたという事実も、そしてその結果偽守護聖なるものが作られてしまい、宇宙の様様な星系の住人をみすみすモンスター化させてしまっていたことも歴史上は決して残せない事実だった。

明かせない事実、記録に残せない事実があまりに多いので、今回の式典が延期されていた理由も、そのうちうまい理屈付けを考え出さなくてはならないだろう。

だが、ジュリアスが今宵女王の私室を訪れたのは、その詮議が目的ではなかった。

時刻はまだ宵の口を僅かにすぎたいったところだろうか。

遊び好きの守護聖たちは、なんだかんだと理由をつけて主星におりていってしまったようだった。

大きな行事が、それでなくとも一時は開催自体危ぶまれた式典をつつがなく執り行えたのだから、多少羽目を外したくなっても仕方あるまい、とジュリアスも今日はそれを黙認した。

彼らは新宇宙の女王と補佐官も連れて下界に降りたようだった。

賓客である新宇宙の女王とその補佐官も私服を纏えば市井にいる少女と見た目はかわらない。

ために、遊びなれた守護聖、特に新宇宙の女王をにくからず思っている者が彼女たちの故郷である下界で久々に息抜きさせてやろうと思ったのだろう。

彼女たちも式典が終われば、またまだまだ生命の貧弱で寂しい新宇宙に戻らねばならない。

彼女たちに息抜きさせてやりたいというその気持ちはジュリアスにもわかったし、彼女はなんといってもこの宇宙の恩人だった。

例え侵略者に情をかけようとしたとしてもだ。

そしてジュリアスにはむしろ今回はそういった逸脱にお目こぼししたほうが都合がよかったのである。

自分のしていることを考えればお忍びで下界で一時羽を伸ばすことなど、目くじらをたてるようなことではないという自嘲の念が僅かに沸いた。

 

「ジュリアス!!」

ノックをした後ドアのところで控えたままのジュリアスの元にまだ礼装に身を包んだままの女王が駈け寄ってきた。

ばらのモチーフのイヤリングがしゃらしゃらと軽やかな音をたてた。少女のように軽やかで重力を感じさせないような足取りだった。

「嬉しい!今夜はきっときてくれると思っていたの!」

「陛下、そのようなことを大きな声で公言なされては…」

ジュリアスが鹿爪らしい渋面をつくる。

女王はまったく忖度せずにころころと微笑む。

「わざと、そんな恐い顔したってだめ。私に会いたかったって顔に書いてあるもの。それに、もうここには誰も残ってないわ。私が下がらせておいたから。今夜は絶対あなたが来てくれるって思ってたから。」

ジュリアスの瞳が優しげに綻んだ。

「まったく…そなたには敵わぬな…」

「どうしても気になるなら、鍵をしめて。来て、ジュリアス。キスして。」

「女王陛下のおおせとあらば。」

女王の頬がかわいく膨れた。

「そんなことを言うジュリアスは嫌いよ。ちゃんと名前で呼んで。」

「すまぬ、アンジェリーク…私もそなたの唇に触れたい。気持ちは一緒だ。」

いうやジュリアスは華奢な女王の体をきつく抱きしめて唇を塞いだ。

舌を差し入れると同じ熱意を持って彼女の舌が自分を出迎えてくれた。

彼女の腕もジュリアスの背にまわされ、その体をジュリアスからしてみれば哀しいほど弱い力で、それでも懸命にだきしめかえしてくれる。

女らしい丸みが増したとは言え、この小柄なかわいらしい女性が、微笑むといまだあどけない少女のような彼女が宇宙の女王だとは一見信じられないだろうと、ジュリアスは思う。

だが、彼女は他の守護聖のようにお忍びで外出することもできない。

今夜のように皆が浮き足立って浮かれている時でさえ、新宇宙の女王の様にその身分を隠して息抜きに下界に降りることなどできない。

彼女は常に聖殿の中にあって、自分たちの放出した無秩序なサクリアを紡ぎなおして宇宙を覆う調和のとれたタペストリーを綾なさねばならない。

自分たち守護聖よりもさらにその身を縛る枷は重く大きい。

だから、ジュリアスは彼女のもとを訪れる。

聖地から出る事あたわぬ彼女のもとに自分から訪れ彼女に自分の全てを奉げる。

彼女が少しの間でも彼女をしばる枷の存在を忘れられることを願って。

この時だけは彼女が一人の女だと自分自身に感じさせることができるようにと祈って。

それは、彼女とジュリアスの間に横たわる神聖にして侵されざる誓約だった。

アンジェリークがこの宇宙の女王になったときに、ジュリアスがアンジェリークに誓った約束だった。

ジュリアスはアンジェリークが女王になる事を誰よりもなによりも強く望んだ。

ジュリアスがアンジェリークを女王の座に据え、彼女の肩に宇宙という重荷をのせたのだといっても過言ではなかった。

そしてその替りに自分の忠誠だけでなく全身全霊をかけた愛をも奉げるとジュリアスは彼女に誓ったのだ。

ジュリアスはアンジェリークが女王候補であった時から、アンジェリークの小さな体には、誰よりも豊かで強い、だが、たおやかに優しい精神が宿っていることを理屈ではなく感じ取っていた。

彼女なら、宇宙を支える重荷におしつぶされたりしないだろうということを感じていた。

それを感じていたから、彼は彼女が女王になることを強く望んだ。

そして彼女の華奢な両肩に宇宙の命運という重圧を乗せる替りに、自分のもてる力の全てを持って彼女を支えることを誓ったのだ。

アンジェリークはジュリアスにとって自分の全てを、その命すらも投げ打っても惜しくない存在であった。

もちろん彼女は自分が命を投げ打つことなど欲しない。むしろその逆だった。

彼女が望むのは彼女が生ある限り、自分がともに生きていくことだとジュリアスは知っていた。

その誓いが為された日のことを、ジュリアスは生涯忘れないだろう。

女王試験も終り近くのことだった。ジュリアスは森の湖にアンジェリークを誘った。

もうすぐアンジェリークとこうして二人で気軽にでかけることもなくなるだろう、その愛惜の念がジュリアスをしてアンジェリークをしばしば誘わせることになった。

誘ったりせず試験に集中させるべきだという思いと、いや、もう、試験の大勢は明かだ、ならば今この時を少しでも長く引き伸ばしたいという相反した感情がジュリアスの中でせめぎあっていた。

アンジェリークの大陸は育成がもう九分通り完成していた。

ほどなく彼女は新しい女王になるだろう。新しい宇宙の新しい女王に。

そして宇宙は救われ、自分はアンジェリークの誰よりも近くにいながら決して触れること能わぬ距離を保ち忠誠を、忠誠だけを奉げ続けるのだ。

そのサクリアが尽きるまで、彼女と同じ時間を生き、同じ世界を見据え導く事を心のよりどころとして。

ジュリアスはアンジェリークの大陸に最も頻繁に依頼外のサクリアを送り、その育成を助けていた。

自分は確かに彼女が女王になる事を望んでいた。

なのに、いざその結果が目の前につきつけられそうになると、その結果をみることを引き伸ばそうとしているかのような自分の行動にジュリアスは戸惑っていた。

自分が誘えば彼女はその日1日育成ができない。

それだけ女王になる日が遅くなる。

最早、宇宙の崩壊は看過し得ない事実であり、1日も早い新女王の誕生が待ち望まれているというのに、そして、それを誰よりも知っている筆頭守護聖である自分が、その日を遠ざけるような行動を気付くととっている。

自分で自分にうまく説明ができないこんな不可解な感情や行動に駆られることなど、自分の長い人生でも初めてのことだった。

ジュリアスはうまく表現できぬ錯綜した思いがいつも胸中を渦まき、その思いは彼がうまく呼吸をすることを妨げた。

そのためジュリアスは自分からアンジェリークを誘ったにも拘わらず、いつも言葉少なくただ黙ってアンジェリークを見つめることが多かった。

彼女をみつめているとなぜか息苦しい。なのに、見つめずにはいられない。

そして彼女を見つめたまま口を開いたら何かが胸の奥から溢れ迸り出そうで、それが恐ろしかった。

だから、ジュリアスはいつも言葉少なだった。

最近は頓にそうだった。

しかし、その日、思いつめた瞳でアンジェリークのほうもジュリアスをじっと見つめていた。

いつもは朗らかで、珠を転がすような、小鳥の囀りのような声でジュリアスの耳を楽しませてくれるのにその日はアンジェリークも言葉少なだった。

そして瞳の色もいつもと違っていた。

何かに怯えたような不安げな、それでいて期待にみちているようにも見える不思議な瞳の色だった。

ジュリアスは、水面を渡る風にその時々に色を変える湖のようなアンジェリークの瞳の色に心を奪われ、やはり黙って彼女を見つめたままだった。

するとアンジェリークが突然大きく息を吸ったと思うと、祈るように両手を胸の前でくみ合わせながら、せつせつと、しかしこれ以上はないほど真摯にジュリアスに告げたのだ。

自分を、このジュリアスを愛していると。女王になるのなら、その前に一人の女性としてどうしても自分の気持ちを告げたかった、ただこの思いを知ってほしかったのだと。

驚いた。だが、同時に今までの人生で感じたことのない痺れるほどの歓喜に身も心も支配された。歓喜のあまり眩暈を感じその場に倒れるかと思ったほどだった。

その時突然、しかし、はっきりと悟った。雷にうたれたかのようだった。

自分もアンジェリークのことを心から愛しく思っていた。だが、決して告げてはならぬものと自分で自分を律していたのだと。

自分は常にアンジェリークによき女王候補であることを求め、わざわざ、自分たちは女王候補と守護聖それ以外のなにものでもないと、聞かれもしないのに注意を促していた。

それは自分で自分の思いを牽制するためだったのだと今はっきりわかった。

アンジェリークが泣きそうな顔で震えながらジュリアスを見上げていた。

彼女は怯えと怖れに支配されていた。

自分に拒否されることか、さもなくば真剣な思いを軽くあしらわれ相手にされないことが恐ろしいのか。いや、違う。恐らく自分に軽蔑される事を恐れているのだ、女王候補である彼女が守護聖を愛したというその事実を自分に軽蔑されることを恐れているのだと瞬時に、なんの理屈もなく思い至った。

自分の今までの態度を考えれば怯えるのも無理はないと思った。

つねに自分は彼女に「あるべき」建前の姿を訓示していたのだから。

だが、それはアンジェリークにではない、自分自身への戒めだったのだ。アンジェリーク、おまえがそんなに怯える必要はないのだ…

そう思った時には体が動いていた。

気がついたら、いたいけな小鳥のようなその身体をきつく抱きしめていた。

アンジェリークの瞳が驚きに見開かれた。と、次の瞬間一条の涙が瞳から零れ落ちた。

思わず唇でその涙を拭ってしまった。

涙を吸いながら口をついた言葉はしかし、行動と裏腹に甘さの欠片もない絞り出すような苦渋に満ちたものだった。

「アンジェリーク、いま、はっきりとわかった。私は…私もおまえを愛している…だが…おまえは、おまえはやはり女王にならねばならぬ…」

アンジェリークの表情が恍惚と絶望の間を瞬時に行き来した。

「ジュリアスさま…それはどういう…」

「アンジェリーク、よいか、私の話を冷静に聞いてくれ…」

ジュリアスはアンジェリークに自分の気持ちを包み隠さずに伝えようと決意した。今、宇宙が瀕している危機的状況も含め。

それは、真剣な思いを全身全力で、倒れそうな恐怖を押さえて自分に告げてくれた彼女に対する誠意だと思った。

そして、彼女に告げられるまで、自分の気持ちにも気付かなかったその迂闊さに対する贖罪でもあった。

ジュリアスはアンジェリークの思いを知り、自分もまた押さえようなく心の底からアンジェリークを欲している気持ちに気付いた。気付かせてもらった。

彼女が自分から告げてくれなければ、自分は彼女を愛していることにすら気付かなかっただろう。

そして気付いてしまった以上もうこの愛を手放す事はできないとジュリアスは強く思った。

その存在を知ってしまった以上、今更この気持ちをなかったことになどできようはずもない。

だが、今自分たちのいる宇宙は崩壊の危機に瀕しており、早急に対応が必要なことは誰よりも自分が一番よく知っていた。

もちろんロザリアが女王の座に付くことも可能だ。

しかし最早試験の大勢がついてしまっていたうえ、今の時代の女王としての資質はアンジェリークの方が高いとジュリアスは判じていた。

女王試験を行っている最中も宇宙の綻びは特に辺境の地域で堅著に現れており、一刻の猶予もならなかった。

女王のサクリアで綻びを繕う、つまり現状維持ならロザリアのほうが適任でさえあったかもしれない。

しかし、今自分たちの置かれている宇宙はそれ以上の抜本的な方策を用いないと救い得ないところまで追い詰められていた。

すなわち、新しい女王のサクリアを使って、新たに発見されたこの宇宙に旧世界の星々ごと移乗するのだ。

このことを正式に知っているのは、現女王と補佐官、そして首座の守護聖ジュリアスだけだった。

こんな今までの女王の治世にない大事をなすには、今までにないタイプの女王が必要だろう。

既成概念に捕らわれない、自分の能力に自分で枠を設けない柔軟さが要求されよう。

女王とはなにか、サクリアを操るとはどういうことか、きちんと教育されてきたロザリアは、だからこそ今までにない治世を要求されたとき、そのことに戸惑ってしまう怖れがあるとジュリアスは思っていた。

自分への自戒をこめ、きちんと教育されてきたエリートほど、予想外の事実を前にするとうろたえ、立ち竦んでしまう傾向がある。

逆に前例を踏襲する治世ではこれは限りない強みとなり、ロザリアも自分の能力を如何なく発揮するだろうが、今、この時代に求められているのは変革であり、挑戦だった。

そして、既成の枠に嵌らず、既成の女王の概念に染まっていないからこそ、アンジェリークは新時代の女王により相応しいと、筆頭守護聖としてのものの見方がどうしようもなくジュリアスに語りかけてくるのだった。

互いに思いあっていることがわかった以上彼女を自分だけのものにするほうが容易いのはジュリアスにもわかっている。

彼女を女王補佐官に据えて娶り、女王位はロザリアに任せるのだ。

そうすれば彼女も自分も愛を貫いた生涯を送れる。

一瞬そう囁きかける声が脳裏にこだました。逡巡した。

しかし、ジュリアスは自分個人の幸せを追求する為に大義に目を瞑る事が結局はできなかった。

だから、アンジェリークに率直に告げた。

自分もアンジェリークを愛していること、だが、宇宙は崩壊の危機に瀕しており、一刻の猶予もないこと。

自分たちの住まう宇宙を救うためには、既存の女王の枠に捕らわれない若く活力に溢れた新しい女王が必要なこと。

本来女王試験の決着がつくまで、秘密にするべき事柄であった。

だが、ジュリアスはあえてアンジェリークに全てを包み隠さずに告げた。

自分ジュリアスは1人の男としてはアンジェリークを心より愛していること、しかし、筆頭守護聖である自分はアンジェリークこそ新たな時代の女王に相応しいと思っている事。

そして、その理由も、感情的ものはなにも引かず、なにもたさずに、客観的な事実のみを真摯に告げた。

自分に心からの愛を示してくれたアンジェリークに、そして、自分もまた彼女を愛しているのに、宇宙の行く末を思って女王の座を選んでくれと言ってしまう、言わずにはいられない自分にできる、それは精一杯の誠意であり、自分の思いの証だと思ったからだった。

そしてジュリアスは信じていたのだ。

アンジェリークが、宇宙を救うという大義の重さにつぶされたりはしないだろう事を。

むしろ、その責任感と慈愛の心で、宇宙の現況をしれば、彼女はきっと宇宙を救うべく自分の力の全てをもってあえて困難に立ち向かおうとするであろうことを。

資質だけではない、その精神のあり様が、彼女をしてこれほど女王に相応しい者はいないとジュリアスに思わせていた。

だからアンジェリークに女王になって欲しいとジュリアスは重ねて告げた。

その替り生涯をかけてアンジェリークを支えると、自分の捧げられる物は全て奉げ、何よりも誰よりも熱い愛を注ぐとジュリアスはアンジェリークに誓いをたてるつもりだった。

だが、例え全ての愛をささげると誓い、その愛に偽りはなかろうとも、守護聖と女王の間柄ではそれを公にすることはできない。自分はどんなにアンジェリークを愛しく思っていようとそれを表に出す事はできない。市井の当たり前の幸せを供に育むこともできない。

女王とは対外的には神聖不可侵の存在であり、その愛は全て宇宙に注がれなければならない。

つまり、俗人のように1人の肉ある男に愛を注ぐ事は建前上、というより民衆の感情として許されない。

女王とは全ての民のものであり、それは言いかえれば誰か個人のものにはなってはいけないということだからだ。

周囲に知られぬようにせねばならないだけではない。

サクリアがほぼ同時期に消滅するという奇跡のような偶然でもない限り、一生涯彼女を見守ることは完全に不可能だ。

自分が見送られるか、彼女を見送る事になるのか、どちらにせよ聖地での別れはとりもなおさず永遠の別れとなるのは必定だった。

彼女を女王の座につけず、自分の手元に、自分だけのものにすることに激しい誘惑を感じないといえば嘘になる。今も耳の中で、そう囁く声がする。

だが、宇宙の危機を見ない振りをして、今、目先の幸せに手を伸ばしてしまったら、いつかきっと自分は自分が許せなくなる。

この手に掴んだ愛すらも、厭わしいものに、引いてはそれを強いたように感じてアンジェリークその人さえ厭わしいと思ってしまうやもしれぬ。ジュリアスはそれを恐れた。

「アンジェリーク、酷なことを言っているのはわかっている…これは、私のわがままであり、自己満足でしかないのかもしれぬ。だが、私は、私のなすべきことに目を瞑り、自らの幸せだけを考えることはできぬ。そんなことをしたら…自らのしあわせの事しか考えなかった自分を私は許せなくなるかもしれぬ。その時、その選択を強いたこの愛すらをも後悔してしまうかもしれぬ。おまえへの思いをそのような悔いに満ちた物にはしたくないのだ…」

「ジュリアス様…私を愛していると、おっしゃってくださるんですか。愛しているからこそ、女王になって欲しいと…」

「このまま、おまえの手を取ることのほうが楽なことはわかっている、だが、私にはどうしても、それが…できぬ。明かに女王として優れた資質を持つおまえを女王にさせなかったら、私はきっと後悔する。自分の個人的感情でおまえの資質を花開かせずその羽を手折り、おまえが歴史に名を残す機会を奪ってよいのか、と考えずにはおられぬ。しかも、今の宇宙に必要なのはおまえのような今までにないタイプの女王なのだと、私は感じている。本当なら自分の思いに蓋をして押し隠したままでいた方がよかったやもしれぬ。いまも…おまえに気持ちを告げてしまってよかったのかと逡巡している自分がいるのだ。だが、だが…おまえの真摯な思いに触れ、そしてそれ以上におまえを求める自分の気持ちに私は気付いてしまった。おまえの真剣な思いに応えるためにも、私も率直な気持ちを告げなくてはならぬ、そう思った。おまえを愛している、だが、女王になってほしい。どちらも私にとっては真実の気持ちなのだ。」

ジュリアスにとっては、一見矛盾したこの言葉は、掛け値なしにジュリアスの本心だった。

アンジェリークを愛している、アンジェリークに女王になってもらいたい。どちらも飾る事のない本望だった。

アンジェリークは、自分の愛を拒否されたと一瞬思いこんだ最初の衝撃から立ち直り、今は冷静にジュリアスの言葉を一生懸命噛み砕いて自分のものにしようとしていた。

ジュリアス様も私を愛しいとおっしゃっくださってる。

でも、私が女王になることも望んでいらっしゃる…私だって、宇宙が壊れてしまうなんていや、私にできる事があるならなんでもすると思うわ。でも…

「…ジュリアス様…私が、私なら宇宙を支えることがえきると、守ることができると考えてくださるんですか…宇宙が壊れたりしたら、ジュリアス様とも一緒にはいられない…私、そんなのはいや。ジュリアス様のいらっしゃる宇宙を守りたい。でも、でも、私一人で宇宙を支えるなんて、私にそんなことが本当にできるのでしょうか…ジュリアス様、こんなことを言う私に失望しますか?私のことを買い被っていたと、がっかりしてしまいますか…」

「そんなことはない!いかに資質があろうと、未知の領域へ踏み出す事に竦みそうになるおまえの気持ちは是非もない。しかも、おまえに期待されているのは今までの女王が誰一人成し遂げたことのないような大事でもある。おまえがその重責に慄くもの無理からぬことだ。女王は至尊の存在であるが故に孤高だ。その抱える物の重さを何人たりとも真に理解できる者はおらぬだろう。例え守護聖であろうとも…それをおまえに背負わせようとしている自分の身勝手さもわかっている。惨い事を言っているやもしれぬとも思う。だが、それでも私は言わざるを得ない、その重荷を背負ってくれと…」

アンジェリークが溜息を押し殺し、半ば自分自身に言聞かせる様にジュリアスに問いかけた。

「でも、女王になったら、ジュリアス様とはもうお別れしなくてはならない…こんな風に二人でお会いする事もできなくなるんですよね?今日、お互いの心が通じ合ったことだけを心のよすがとして、ジュリアス様をお慕いする気持ちは今日を限りとして、これから生きていかなくてはならないんですね?寂しいけど仕方のないことなんですね…ジュリアスさま…本当にお慕いしてました…っ…」

語尾を震わせず、涙声にならないよう話すのに、アンジェリークは全神経を注いだ。

自分にそんな生き方が本当にできるのかどうかわからなかった。

ジュリアスを愛しいと思う気持ちはここで無理にでもたち切り、まだ人生の端緒についたばかりの自分の年で、この瞬間の思い出だけを心の支えとして生きる生き方…少なくとも在位中はそうだろう…そんなことができるだろうか。

しかし、愛する人と心は通じ合っていたのだと思えば、それを心の宝石として生きていけるのかもしれない。

愛しい人を自分の力で守るのだという矜持を支えとして、今日の思い出を胸に隠しもつ心の宝石としてこれを慰めとすれば、一人で生きていくのもさして辛くないのかもしれない。

いや、もともと女王になる覚悟も一人で生きていく覚悟もできていた。その覚悟があったからこそ、勇気を振り絞って打明けられたのだ。これが最後の機会だと思ったから…

しかし、思いがけず自分の思いを受け入れてもらえたため、一瞬の覚悟が揺らいだのだとアンジェリークは思いこもうとした。ジュリアスも同じ思いでいてくれたとわかっただけ、幸せと思うべきなのだと自分に言い聞かせた。

心のよりどころは得られたのだから。心の奥深くにしまって時折引き出しをそっとあけて掌で転がす宝石のような思い出をもてただけでも、幸せだと思える。

しかし、アンジェリークの静かな諦念をジュリアスも静かに砕いた。

「いや…そんなことはない…これからも私のおまえへの想いは消えぬ。消す事などできぬ…」

「え…?」

「確かに公にはできぬ、だが、だからといって想いを断ち切り諦めねばならぬ道理はない。愛が滅する訳でもない。私は誓う。おまえの翼は私が支える。どんなことをしても、なにがあろうとも。私の持てる全てをおまえにささげ、支えつづける。おまえは一人ではない。一人で何もかも背負う事はないのだ。常におまえの傍らには私がいる。いや、私自身いつもがおまえの傍らに、誰よりも近くにいたい、いさせてほしいのだ…それをおまえが許してくれるのならば…」

アンジェリークの唇がわなないた。信じられなかった。ジュリアスは自分が女王になってもこの愛をあきらめ、想いを封じこめるつもりはないと言っている?それを公言する事はなくとも?

「それ…どういうことですか?ジュリアスさまはずっと、私の側にいてくださるのですか?守護聖としてではなく、一人の男として私を…女王ではない女の私をこれからも愛し、支えてくださるおつもりだとおっしゃってくださるのですか?」

ジュリアスは力強く頷き、アンジェリークを抱く手に力をこめた。

「無論だ。おまえを一人の女として愛していなければ、こんなことは言えぬ。約束する。忠誠ではない、私の愛のすべてを生涯おまえ一人にささげる。私の全てはいつでも、いつまでもおまえのものだ…」

「それでは…私が…私が女王になっても、ジュリアス様は私を愛してくださる…と…?」

「おまえを女王にと望んだのは私だ。そしておまえが女王になったからといって、どうして私の愛が失せるなどということになろう。おまえが女王になれば我らの関係は今までとは変わるだろうが、それは我らが人間としてかわるということとは違う。私という人間がかわらぬように私の心も想いも何も変らぬ。私のほうこそ、おまえに希いたいのだ。女王になったおまえを臣下となる私が愛し続けることを許してくれるだろうかと…私はおまえに普通の女性としての幸せを与える事はできぬ。だから、おまえにこの想いに応えてくれとはいわぬ。言えた義理ではない。ただ、心の中でこれからもおまえを愛すること、おまえを見守り続けることを許してほしい…」

ジュリアスはアンジェリークの前に跪き、彼女の手をとって恭しく口付けた。

アンジェリークが小刻みに震えているのがわかった。

この手をもう放さねばならぬ、そう思いながらジュリアスは、慈しむ様にアンジェリークの白い指を放せなかった。この指に自分の指を絡めたいと痛切に思った。

しかし、自分にそんな権利はないこともわかっていた。自分はある意味、とても自分勝手な理由で彼女の手を放し、背中を押そうとしているのだから。

彼女の愛を請う資格はない。彼女の愛を与えてもらえるとは思っていない。ただ、彼女をこれからも心ひそかに思いつづけることを許してほしいとは切に願った。ただ、それも贅沢で手前勝手な望みだと言われたら仕方ないとも思った。

息がつまったように言葉を飲みこんでいたアンジェリークが泣きそうな声でジュリアスに訴えた。

「……それなら、約束してください…2人でいるときは1人の男に戻って私に接してくださると…」

今度はジュリアスが一瞬絶句した。

「…それは…おまえも、私の愛を受け入れてくれるということか?…このように手前勝手な想いを?…私はおまえに普通の女性の幸せを約束してやれぬ…おまえを愛していると言いながら共棲らしもできぬ…それでも、おまえが女王になってからも私がおまえを愛しつづけてもいいと、そして、おまえも私の想いに応えてくれるのだと…そう思っていいのか?」

アンジェリークは蒼白な顔で黙ってジュリアスを見つめている。

ジュリアスは小さく息をつきながら言葉を続けた。

「私は願ってもいいのだろうか…2人でいるときは万民の女王ではない、私の、私だけのアンジェリークになってくれる…か?…」

アンジェリークは唇を噛み締めて小さく頷いた。組んだ両手の指が白くなるほど握り締められ、ふるふると震えている。

ジュリアスは声にならない吐息をついた。自分では思いもよらなかった未来への扉が開いた気がした。

「…私は1人の男としておまえを愛すると誓う、女王ではないアンジェリークという一人の女を愛すると…すまぬ、私がおまえにしてやれる約束はそう多くはない…だが、その分全心全霊をかけておまえを愛する。それだけは天地神明にかけて誓う。」

ジュリアスがアンジェリークに腕を伸ばし、その体をかき抱こうとした。

しかし、アンジェリークはジュリアスの腕から逃れる様に僅かに後ずさって、まだ泣きそうな顔のまま訴えた。

「それなら…もうひとつ…もうひとつだけ約束してください。絶対私を置いて行かないと…ずっと側にいてくださると誓ってください…お願いです、ジュリアスさま…」

ジュリアスは真摯な瞳で頷いた。

「ああ、私の全てを賭けて誓おう。永遠の愛を。常におまえとともにあると。アンジェリーク…」

ジュリアスが今度はちゃんとアンジェリークの体を捕らえて抱き寄せた。アンジェリークも抗わずにジュリアスの胸の中に吸いこまれるように寄り添った。

ジュリアスは愛しさを湛えた瞳でアンジェリークを見つめてから、アンジェリークの唇にそっと自分の唇を重ねた。

厳かな誓いの口付けだった。

ジュリアスの口付けを受けながら、アンジェリークはこの哀しい約束の事を考えていた。

ジュリアスが自分を1人の女として愛するという誓いに偽りはあるまい。

しかし女王と守護聖として生きる以上、生涯にわたって寄り添う事などほぼ絶対に不可能だろう。

今、女王試験を受けている自分の存在がなによりそれをはっきり示している。

守護聖と女王のサクリアが同時に衰える可能性など万にひとつもありはしない。

それでもこの人は、私に女王になってほしいと言うのだ。

自分たちの間に愛があるとわかったからこそ、その愛を一点の曇りもない誇り高きものとするために。

不器用な人、自分よりまず回りのことを考えてしまう優しい人、私を手放そうとしたのも私のためを思ってのことだとわかるから…そして、どこまでも純粋でまっすぐな人、そんなこの人だから自分も惹かれたのだ。

私もあなたの為なら、なんでもできる。

あなたのいる宇宙を守ってみせる。

ほんとうはただ寄り添っていたいとも思った。でも、そんなことをあなたは望んでいない…

彼は自身が高潔であるが故に無意識に周りにも己に恥じることのない行動を求める。情と義を比すれば、彼は義を果たして上で初めて情を考慮する。自分の責任と義務を放り出して欲求を充たすことなど想像の埒外だろう。

自分自身だけでなく、それに反するような行いをするものには恐らく失望と落胆を隠さないだろう。

彼にとっては個人の感情や思惑は「人として果たすべき役割を果たした」後に初めて忖度すべきものであり、それを飛び越え感情の赴くままに行動する事はありえない。そんな行為は自分であれ他人のものであれ、軽蔑の対象にしかならないだろう。

だから…ただ、彼を愛し、彼の事だけを考えるような生きかたをジュリアス様は望まない。それは、私が私個人として果たすべき役割を放棄することであり、彼にとっては首座守護聖として取るべき行動を放棄する事にもなるから。互いに生涯の伴侶となることができなくなるより、ジュリアス様にとっては己の義をまげることのほうが、より苦しく辛いことなのだ。

アンジェリークにはそれがどうしようもなくわかってしまう。悲しいのにわかってしまう。

ジュリアスに己をまげる苦痛を味あわせることはできなかった。一時の感情に負けて、ジュリアスにずっと後悔の思いを抱かせるなんていやだった。

それに、そんな負債のような感情を抱えて、形だけ愛を成就させてもそれが真の幸せと思えるだろうか。互いを思う心を、愛の香気を気高く美しいまま保つことができるだろうか。

今はわかる気がする。私に女王になれとおっしゃったジュリアス様のお気持ち。

だから、私は女王になる。私の意志で女王になる。ジュリアス様が私ならできると信じてくれたその思いに応えてみせるためにも、通じ合えた想いを翳りなきものにするためにも。

それでも、今この瞬間だけは信じさせて欲しかった。嘘だとわかっていてもこの想いは永遠に続くのだと。

そのためジュリアスに約束を強要した。恐らくかなえられる事の無い約束を。

自分もジュリアスも、この誓いが恐らくは守れないことを知っている。

それでも、人は言葉にすがらずにはいられない時もあるのだと、この時アンジェリークは初めて知った。

そして、ひとつの物を得るために、なにかを捨てなくてはいけない事があることも…

それは彼女の少女期の終わりを意味していた。

そしてその日から数週間後アンジェリークは新しい女王に即位した。

星々は新しい宇宙に移行し、宇宙は救われた。

人々は宇宙の移動というまさしく驚天動地の出来事を、その渦中には呆然と眺め、それを成し遂げ自分たちの宇宙を救った新しい女王を熱狂して称えまつった。

アンジェリークが即位の儀を終えたその晩のこと、ジュリアスは新女王の私室を密かに訪れた。

生涯すべてをささげるとの自分の誓いの証を厳かに、だが、激しい情熱をもって立てるために。


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