汝が魂魄は黄金の如し 12

ジュリアスは何かやりきれないような感情にかられ、いきなりアンジェリークをぐいと抱き寄せると半ば強引に顎を上向かせてもう一度口付けた。

先ほどの羽で触れるような微かな口付けとはうってかわり、噛み付くようにアンジェリークの唇を食み強引に舌をねじ込んで彼女のそれに絡めて強く吸った。

自分以外の存在がアンジェリークの心を占めていると感じることが、これほどの苦痛を伴うとは思わなかった。今彼女の心を占めているものを追い出してしまいたかった。舌を抜き取るような激しく深い口付けを与えながら、アンジェリークの体をきつく抱きしめた。彼女を自分の身にしばりつけるかのように。

アンジェリークは最初びっくりしたように体を固く強張らせていたが、抗いはしなかった。

『だめだ…』

ジュリアスは出口の見えない暗渠に迷いこんだような心持ちになり、それを持て余す。口付けだけでは覚束ない。この腕に閉じこめているはずの彼女の姿がふっとかき消えてしまいそうな謂れのない不安が拭いきれない。

彼女を信じていないのではない。彼女の自分への愛が信じられないのでもない。

なのに、この追いたてられるような…何もしないでいたらおかしくなってしまいそうな、行く先がわからずとも走り出さずにはいられないような、この焦燥は何だ?

彼女をゆっくりと休ませるつもりだった。彼女の休息を妨げるものがなきよう気を配り、彼女の寝顔を見守るだけのつもりだった。だが…

ジュリアスはアンジェリークを軽々と寝椅子から抱き上げると黙って奥の寝室に向かった。

「ジュリアス?…」

アンジェリークが怯えたようにジュリアスを見上げる。ジュリアスはわざと何も答えない。

アンジェリークの体をベッドに放り投げるように横たえると間髪いれずに彼女を組み敷き、身動きできぬよう手を頭上で戒めた上で再度口付けた。

アンジェリークの瞳が大きく見開かれる。唇を塞いでいても、その瞳は何より雄弁にジュリアスに語りかけてくる。どうして?どうしたの?と…

ジュリアスは口付けながら自分も目顔で答える。

そなたが私をこのようにさせているのだ。

こぼれそうな翠緑の瞳に自分の姿が映っていた。この瞳に映るのが私だけであるように、そなたの心をしめるものも私だけであってほしい。

その人を想う時、心に満ちる凪のような穏やかな幸せも、嵐のように熱く迸る激情も、そして今、自分の力ではどうしても振り払えない寂しさとやるせなさも、皆そなたが私に教えたのだ、アンジェリーク。

この身を妬き焦がすような不安に私を追いこむのも、そして私をこの上ない歓喜に導けるのも、1人そなただけだ。

だから…私を見てくれ。そなたの心を私だけで充たしてくれ。今この一時だけでも構わぬ。そなたの心も体も隅々まで私1人のものだと思わせてくれ。

アンジェリークの瞳は果てのない空のように、底の見えない湖水のように、静かに澄んでいるのに、どこか捕らえどころがなかった。全てを内包しているかのようで、何も映していないかのようにも見えた。

一瞬、その瞳の奥深さに負けるように唇を解いた。図らずも開け放たれた唇から熱い吐息が二人ともに漏れだし、絡みあった。

「そなたを抱きたい…そなたが欲しいのだ…今すぐに…」

確かめたい、この不安を払拭したい、信じたい、信じさせてほしい。だが、自分でも何を確かめたく、何を信じたいのか、はっきりと言葉にできない。錯綜した感情の渦に翻弄され、熱い肌を重ねる事でしか、ひりつくようなこの激情は収まらない、押さえる事ができないと自ら思いこむ。本当はわかっているのだ。肌を重ねることで、人の心を縛る事などできはしない。得られるのは一時の慰めでしかないかもしれない。それでも、今、ジュリアスにはそれが必要だった。

アンジェリークが諦めたように許すように黙って瞳を閉じた。

ジュリアスはもどかしげに着衣を引き剥がしていく。彼女のものも、自分のものも。彼女の肌をあます所なくこの手で確かめたい。自分自身を彼女に染み入らせてしまいたい。どんなに僅かな障壁も我らの間にあってほしくない。

一糸纏わぬ姿になってから、肌を隙間なくあわせるように固く抱きしめた。何度も何度も口付けをふらせながら、さらりとした素肌の感触を飽く事なく愛でるように体中に手を這わせる。自分の胸板で豊かな乳房が押しつぶされひしゃげているが、その先端は最早固い弾力を持ってジュリアスの胸にあたり、ジュリアスをいたたまれなくさせている。

このまろやかな肌も、豊穣の極みの乳房も、花のような唇も、皆私のものだ、そう思わせてほしい。

替りに私がそなたにささげられるものは何だ?そなたは何を望む?私はそなたに何をしてやれる?

人が人を所有する事などできはしない。それでも、その錯覚に酔いたくて、人はこうして肌を重ねるのだろうか。すがるように、溺れるように。愛する者を自分のものだと思いこみたくて、自分の全てを愛する者に捧げたくて。

ジュリアスは唇を首筋に滑らしながら、彼女の体を裏がえして背中から改めて覆い被さった。

うなじから肩甲骨、背筋からわき腹にと縦横に唇をすべらせては、所々をきつく吸い上げて紅い痕を散らした。いつもなら、何かの拍子に誰かに見られることを用心してめったにしない行為だった。ばかげた独占欲だと自分に語りかける声がしたが、とまらなかった。とめられなかった。

唇で滑らかな曲線を描く背中を愛撫しながら、彼女の体の下に手を回し、揺れる乳房の重みを確かめるように揉みしだいては先端を指先で摘んで転がす。

「あ…ぅあっ…」

アンジェリークは枕に突っ伏して、時折やるせなげに額をすりつけている。

指で確かめているだけではどうにも我慢ができず、ジュリアスはアンジェリークの体を持ち上げるように少しだけ起こして側面から乳房の先端を口に含んだ。音を立てるように吸い上げる。

「あっ…あっ…」

アンジェリークの吐息が忙しなくなっていく。その声に押されるように更にジュリアスは乳首を吸いたてては舌先ではじくように転がし、軽く先端に甘噛みを加えた。

手はなだらかな腰のラインからすべすべした白桃を思わせる臀部をなでさする。

そのまま、流れるように指をふっくらとした花弁に滑らせると、そこは溢れかえるほどではないものの、確かな潤いを帯びてジュリアスの指を迎え入れてくれた。

「あ…」

ジュリアスの指が花弁を割るようにゆっくりと蠢くのを感じ、アンジェリークが戸惑ったように顔をあげた。

いくら味わっても味わいつくせない乳房から名残惜しげに唇を離すと、すかさず、口付けを落とす。

斜め後ろから抱きすくめて口付けながら、片手は乳房を弄び、片手は花弁を割って秘唇の奥まで指を忍び込ませては潤びを秘唇全体に塗り伸ばすように上下に擦った。

「ん…んふ…ふ…」

アンジェリークの吐息が苦しそうに口の脇から漏れ出すが、それを追うかのように更に口付けを深める。

指は秘唇の奥の紅玉を探り当て、それをくすぐるように転がし始めた。

「んんっ…」

アンジェリークは必死に口付けから逃れ様とするがジュリアスはそれを許さない。ますます、指を上下に動かす速度を増す。

愛撫が激しさを増すにつれ、アンジェリークの腰がジュリアスから逃げるように跳ねる。それを足と足を絡みあわせることで抑えこむ。同時にアンジェリークを自分に縫い付ける様に、中指を奥までぐっと沈みこませた。

「うくぅっ…」

アンジェリークが首をうちふる。

絡みつく襞の側面を隈なくめでるように指を滑らせる。引きぬくと指はとろりとした蜜に塗れていた。この濡れ光る蜜はアンジェリークが自分を求めてくれている証だと思うと、ジュリアスの体は更に熱くなる。ジュリアスの胸に安堵、歓喜、追いたてられるような情欲が無秩序に去来する。

ジュリアスはアンジェリークの臀部を両手で抱えるようにもちあげて獣の姿勢をとらせると、自分も跪いて背後からアンジェリークの秘唇に舌をさしいれ溢れる愛液をすすり始めた。

「ああっ!いや…はずかしい…」

アンジェリークが小さな悲鳴のような声をあげる。

ジュリアスはわざと羞恥を煽るかのように臀部を更に大きく手で割り開き、アンジェリークに獣の姿勢をとらせたまま、秘唇の奥の紅玉をも舌先でちろちろと弄い始めた。時折舌で秘唇全体を割るように舐め上げもする。

「ああっ…あっ…あぁ…」

嫋嫋としたすすり泣きの声が少しづつ音域を高めて行く。

アンジェリークの腰が引けない様、ジュリアスは腕にこめた力を緩めない。容赦なく臀部の肉を割られているので、艶々と濡れ光る秘唇がぱっくりと口をあけて愛の証を止めど無く零す様がはっきりと見えた。

「そなたのここ、こんなに溢れて…私を欲してくれているのだな…」

「ああ…いや…いや…」

ジュリアスは背後から覆い被さり、アンジェリークの手を捕らえて張り詰めた自分自身を握らせた。

「そして、私もまたそなたを求めている…」

「あ…」

「わかるか?私がどれほど、そなたを欲しているか…焼けつくほどにそなたを求めて止まぬか…」

「ああ…ジュリアス…」

「言ってくれ。そなたも私を欲するのなら、その唇で、私を求めてくれ…」

「わたしも…私もジュリアスが好き…ジュリアスが欲しい…」

「アンジェリーク…」

ジュリアスはアンジェリークの手を自身から外すと、後背からゆっくりと貫いていった。

燃えるように熱く絡みつく柔襞の感触に眩暈を覚えそうになる。

「あつい…な…」

情けなくも声が上ずり擦れる。

「ジュリ…ア…ス…も…熱い…」

「…愛している…」

言うやジュリアスは最奥を思いきり激しく突き上げた。

「ああっ!」

アンジェリークを捕らえたくて、自分に縫いつけておきたくて、この白い体を貪る様に激しく、息つく間もなく貫きつづける。

「アンジェリーク…私が好き…か?」

「好き、好きよ、ジュリアス!」

「アンジェリーク、私も…求める物はそなただけだ…」

1度引きぬいてアンジェリークを表にかえし、骨をも折れよとばかりに抱きしめながら再び貫いた。

「くふぅっ…」

「私を…感じてくれ。アンジェリーク…」

「ジュリアス…ああ、ジュリアス!」

後は二人とも言葉にならなかった。ジュリアスはアンジェリークを酷いほどに責めたてることに没頭し、アンジェリークはその渾身の責めに声も出せない。

互いの荒い吐息と、ベッドの軋む音だけが部屋を充たしていた。

 

同じ頃、オスカーは街の巡回を一通り追え、誰もいない天使の広場にやってきたところだった。

昼間は様様な店が並び人通りの絶えないこの広場も、夜半すぎには昼間の喧騒が嘘のように静まりかえる。聞こえるのは広場の中央にある噴水の水音だけだ。

オスカーは広場に据えつけてあるガーデンチェアに腰掛け、深い溜息をついた。

アンジェリークからサクリアをぶつけられた胸部が歩くたびに軋む様に痛んだ。その時は衝撃があまりに大きかったため半ば麻痺していたようで痺れのほうが勝っていたのだが、時間がたつに連れ純粋な痛みがそれにとってかわっていた。

本来結界の維持に使うほどのサクリアを一時にぶつけられたのだ。これくらいで済んで幸運だった。多少程度が酷いとはいえ、単なる打撲なら2、3日もすれば快癒しよう。伊達に普段から体を鍛えているわけではないのだ。運悪く骨折していたら、さすがに誤魔化しきれなかったかもしれないが。

とりあえず、俺とアンジェリークの間に何が起き、どんなやりとりが交されたかは、誰にも知られずに済んだだろうか。

アンジェリークが発作を起こした事もできればジュリアスには知らせたくはなかったが、ジュリアス本人があの場に来てしまった以上、糊塗は不可能だった。それなら誰が見ても明白な事実だけを進んで提示することにより、背後の事情を包み隠すしかなかった。自分は冷静に振舞えていただろうか。ランディに、何よりジュリアスに疑念を抱かせずにすんだだろうか。

ただ、オスカーも、この隠匿がその場しのぎの方便でしかないことは重々承知している。

オスカーが情報の拡散を防ごうとしたのは、この種の犯罪の被害者が事実を周囲に知られた後、好奇や同情の目に晒されることで、より深い心の傷を負うことが多々あるからだ。アンジェリークがこれ以上傷つく怖れのある事態を放置しておけなかったからだ。

しかし、オスカーが行った事は、いわば二次災害を防いだに過ぎない。二次的に起る被害から一時的にアンジェリークを守ったに過ぎない。

どんなに上手く隠したとしても、問題が消滅する訳ではない。アンジェリーク自身の問題はまったく手付かずで、そこに存在したままだ。

オスカーは正直言って、今後アンジェリークにどんな顔をして会えばいいのか、いや、この事実を知ってしまった自分がアンジェリークに顔を合わせていいものかも、わからなかった。

自分が事実を知ってしまったことを、アンジェリークに気付かれていなければ、ことはもう少し単純にできたかもしれない。俺は何も知らぬ振りを通し、なるべくアンジェリークを刺激しないよう心掛けただろう。ランディと二人でアンジェリークの許にいくような場合はとにかく第三者にいてもらうようにしただろうし、会いづらくても彼女を避けるような不自然な真似もしないだろう。

尤もこうしてアンジェリークを壊れもののように扱うことが彼女を救う事になるともオスカーは思っていなかった。

彼女は今、罅(ひび)の入ったガラス細工のようなものだ。

壊してしまわぬ様、触れるのも躊躇われる、そんな状態だ。しかし、そっとしておいても、これ以上壊れないというだけでその罅が…心の傷が治る訳ではないのだ。

かといって、彼女に真実を確認したとて彼女の傷がふさがる訳でもないから、それならわざわざ彼女に苦痛を追認させるようなことを言う必要も見出せない。

しかし、オスカーがアンジェリークの身に起きた悲劇を知ってしまったことを、アンジェリークも恐らく気付いている。自分を医師に診察させようとしたアンジェリークの言葉を俺が無理やりさえぎったのはなぜか?アンジェリークが自分オスカーを傷つけた事実を誰にも知らせたくなかったからだ。何よりその理由を隠したかったからだ。その事実を隠す事でオスカーが受ける利益などないにも拘わらずオスカーは事実を隠蔽した。それは、オスカーのためではなく、アンジェリークのためだということがわからないはずがない。

最善ではなかったことはわかっている。しかし、他の人間になにも気付かせないためには、アンジェリークに気付かれてしまっても、ああする以外方法がなかった。

だが…オスカーはさらに思い悩む。

アンジェリークは俺に知られた事を怖れ悔やんでいないだろうか。俺から、隠しておきたかった事実が漏洩することを懸念していないだろうか。それに、図らずも俺を傷つけたことも悔いて泣いていないだろうか。彼女の優しい心を思えばそれも十分考えられる。

少なくとも俺はそんなことをするつもりはない。彼女が生涯秘密にしたいなら、俺は1人でこの事実を墓場まで持っていく。幸い犯人はもうこの世にいないし、この事実を明かす権利があるのは、アンジェリーク本人だけだからだ。それに、俺は怒っても傷ついてもいない、本当に傷ついているのは彼女の魂であり、彼女は募る恐怖に自分の身を守ろうとしただけなのだから。俺は彼女を責めるつもりも、俺を傷つけた理由を糾弾するつもりもない。俺は彼女にせめてこの俺の考えを知らせて最低限の安心を与えてやりたい。

しかし、そのためには彼女にとって思い出したくもない事実に言及しなければならない。

それ以前に、彼女は俺自身と口をきいてくれるだろうか…

俺自身の外見が厭わしいだけではない。アンジェリークがなぜ俺にサクリアをぶつけたのか、俺が問い詰めたり、責めたりすると怖れているかもしれない。そんな心配はいらないとアンジェリークに告げたいが…

何も気付かなかった振り、何もなかった振りをするのは簡単だが、しかし、それでは、アンジェリークに何も心配はいらないと告げることもできない。

それに、ただ、秘密は守るから安心して欲しいという慰めはいわば対処療法であり、問題の真の解決ではないこともオスカーはわかっている。

その時安心させることができても、心に深く刻まれた傷が消える訳でもない。

罅の入ったガラス細工を触れて壊すのが怖くてただ眺めているだけと、それでは結局一緒ではないか。彼女の苦痛を和らげられる訳ではないではないか。

オスカー、もっと問題を整理して考えろ。俺は彼女にどうしてやりたいんだ?その場しのぎの慰めや、ただ、そっとしておくことで彼女は楽になれるのか、よく考えろ。

彼女に起きてしまった事実はどうやっても消せない。たとえ、誰に知られることはなくても。

偽りの記憶を作り、事実をなかったことにする心のまやかしはできるかもしれない。もっともそういう心の働きは後々に大きな弊害となって跳ねかえってくることが多いが…多重人格や離人として…そして、彼女は幸か不幸か事実は事実としてそのまま認めているようだ。記憶を欠落させたり、幻想に逃げこめなかったからこそ、彼女はあれほど苦しんでいるのだろうし。

事実は消せないし、彼女は幻想にも逃げこめない。そして、彼女の心は今なお血の涙を流し続けている。

そうだ…この流れつづけている血だけでも止めてやることはできないだろうか。

傷を負った事実をなかったことにはできないが、せめて傷口を綺麗に塞いでやることはできないか。

罅の入ったガラス細工を繕うように、完全に傷を消すことはできなくても、今の触れたら壊れるような状態だけでもなんとかしてやれないだろうか…

さもないと、彼女は聖地にいる限り苦しみ続けることになってしまう。嫌だからといって守護聖も女王もその座から降りられない。顔を合わせない訳にもいかない。もし、彼女がまたパニックに陥って、俺同様ランディを傷つけでもしたら、いくらなんでも、その理由を隠しとおす事は難しくなる。そんな出来事で彼女の被った忌まわしい出来事が露見してしまうのは、その種の犯罪の被害者にとって最も酷い事実の明かされ方ではないだろうか。そんな目に彼女をあわせたくはない。

なぜ、彼女の傷はなかなかふさがらないのか、塞がると思うとまた血を吹出してしまうのか。

知れたことだ、彼女を蹂躙した同じ顔がすぐ側にいるからだ。

彼女にとって忌まわしい思い出は、だから真の意味で思い出になることができない。見ないふりをしても見せつけられる、封印するそばから開け放たれる、その繰り返しだろう。だからその恐怖はいつまでも生々しく鮮明なまま生き残ってしまう。傷口は開いたまま残っているので触れられると激しく痛むのだ。

しかし、俺たちの容姿は変えられない。

どうすればいい?俺はどう振るまえばいい?彼女がおきてしまった事実は事実はでも、それを過去のものとみなす様にできるために、俺に何かできることはないのか?

今のままではだめだ。ただ、壊すのが怖いからと遠巻きに眺めていたり、何もなかったように振舞っているだけでは足りない。傷は塞がらない。

今までがそうだった。俺は実際何もしらずに彼女と接していた。それで傷が塞がるというのなら、彼女はあれほどの恐慌状態に陥ったりはしなかっただろう。そして彼女だって頭ではわかっていると言っていた。何度も言聞かせてきたと言っていた。あれは俺たちではないと。誰よりそう思いたいのは彼女なのだ。もう、あんな目にあう心配はないと、心から信じたがっているのは彼女なのだから。しかし、理性が勝っている時はそれが上手くできていても、咄嗟の時、不意をつかれた時、彼女の純粋な恐怖はその付け焼刃をあっさりと粉みじんにしてしまった。傷口は未だ生々しく、恐怖は今現在も継続していた。彼女は手負いの獣同様だった。だから自分を守る為に死に物狂いだったのだ…

考えろ、オスカー。彼女のためにできることを。彼女が過去は過去としてみなせるようにするためにはどうすればいいのか。それが傷を塞ぐ為の第一歩になるはずだ。

この事実を知っているのが俺だけなら尚更だ。

俺が何もせずに手を拱いていたり、諦めてしまったら彼女はどうなる?何もしなければ、恐らくいつまでも傷も塞がるまい。傷の塞がらない彼女がまたパニックに陥ってその挙句周囲に全てを知られ、二重に傷つく怖れを放置していていいのか?オスカー。

いや、そんな理屈はいらない。彼女が泣いている、苦しんでいる。傷がいつまでも痛むから。それを黙ってみていることなど、自分にできると本当に思っていたのか?俺は。

この頭は何のためについているんだ?少しは頭を使え、どうせ今夜は眠れないのだし…

そう思った時、自嘲するようにオスカーは軽く笑んだ。

俺は胸の痛みで眠れないのか。それとも、今アンジェリークはジュリアスと供にいると思うから眠れないのか…

ジュリアス…ジュリアスにこのことを相談できれば…オスカーの心にふと、ないものねだりにもにた考えが頭をもたげた。

俺にもジュリアス様にも掛け替えのない存在である彼女、二人でアンジェリークにとって何が最善か相談し合う事ができれば、これほど堂々巡りの思考に陥らずにすむだろうに…俺一人で考えるよりいい方法も見つかるかもしれない…いや、それ以前にアンジェリーク自身がジュリアスに打明けられれば彼女は救われるだろうか…少しは楽になれるのだろうか…

オスカーはどうしても自分1人の力でアンジェリークを助けたいと頑なに思っているわけではない。結果としてアンジェリークが楽になれるのなら、その方便も、それを誰が行うかも大した問題ではない。アンジェリークが苦しみから解き放たれてくれればそれでいい、突き詰めて言えば、オスカーの望みはそれだけだ。だから、ジュリアスに打明ける事でアンジェリークが楽になるのなら、自分としてはそれを勧めたいとさえ思う。

しかし、ジュリアスにだけは知られたくないと思うアンジェリークの気持ちも女性としたら当然だろう。だが、ジュリアスがその事実を知ったとてアンジェリークへの愛が失せるとはオスカーには思えなかった。むしろ、アンジェリークの身に起ったことを嘆き、彼女を救えなかった自分を責め、どうにか彼女の傷を少しでも癒せないかと考え、その困難さに悩むに違いない…

ああ、そうか…

オスカーはアンジェリークがジュリアスに知らせたくない訳がわかったような気がした。

アンジェリークはジュリアスの心の変化や愛の喪失を恐れているのではあるまい。恐らくアンジェリークを救えなかった自分を責めて苦しむであろうジュリアスのことを憂いているのだ。

あの責任感の強いジュリアスが、アンジェリークがこのような辛い目にあっていたことを知ったら、どれほど己を責めるか、救出が遅れたことを後悔するか…しかしどれほど悔やもうと起きてしまった事実を覆せない以上、アンジェリークは無用の苦痛をジュリアスに与えたくないのだろう…

しかし、本当にそれでいいのか?アンジェリーク。そして君は1人でその傷の痛みに耐えていくというのか?

君は1人じゃない、1人で苦しみに耐える必要はないんだ。俺だけは君の苦痛も、そんなに傷ついていながらも、他者を思う君の心の優しさ、気高さを知っている。せめてそれが伝えられたら…君と言葉を交したい。どうか、一言でいい、告げる事ができれば…

降るような星空を見上げながら、オスカーはその星の輝きの向こうにアンジェリークの姿を思い描いていた。

ジュリアスに知らせたくないという彼女が思うなら、それを尊重した上で、彼女に1人で苦しまないでいいと告げてやりたい。そしてできることなら、彼女の心の痛みを僅かでも軽減してやりたいと思う一心でオスカーは自分に何ができるかを考えつづけた。

 

アンジェリークのなかに荒ぶるような思いの丈を解き放ち、気だるい開放感を感じながらその柔らかな肉体の上に沈みこみ、自分を体ごと彼女に預けてしまう。

そして、憑きものが落ちた様に激情から解き放たれたジュリアスの胸中に真っ先に飛来したのは自分は卑怯な真似をしたのではないかという忸怩たる思いだった。

アンジェリークは何かに…恐らくオスカーの存在に気を取られていた。目の前にいる自分のことをその瞬間忘れ去るほどにその思いは強く彼女を捕らえていた。

それがジュリアスにはどうにも我慢ができなかった。

だから、自分はSEXを利用したのかもしれない。自分との行為に没頭している間は、彼女の心は自分という存在で占められるはずだという姑息な計算が無意識のうちに働いたのかもしれない。彼女を愛しいと思い、愛しむ為に抱くのではなく、彼女に自分以外のことを考えさせないため、息つく間もないほど激しく余裕のない愛撫と律動を繰り返し与えたような気がする。

本来、愛を確かめあうための行為をそんなことに利用するべきではないとの思いがあった。

そして、今アンジェリークを火のように求めたその理由が、純粋に愛情ゆえと言いきれない自分がジュリアスはいやだった。自分を許せなかった。しかし、アンジェリークが自分以外の存在で頭がいっぱいなのはもっといやだったのだ。

ジュリアスは自分の下で力尽きたように瞳を閉じ、息をあらげたままのアンジェリークを気遣わしげにみやった。

アンジェリーク、オスカーの何がそんなに気にかかる?

なぜ、オスカーが側にいると、それほどまでにそなたの心が揺れる?

私より、オスカーに惹かれているのか?惹かれ始めているのか?

しかし、オスカーに惹かれていることを認めたくないのか?だから、頑なにオスカーを否定しようとしたり、オスカーが側にいる時に感情が昂ぶるのか?

オスカーに惹かれていることを認められないのは、私がいるからか?私を気遣っているのか?

そなたが私を愛しく想ってくれていることは、確かに強く感じる。そなたの想いに偽りはないと思う。

その一方でそなたはオスカーに惹かれているのだろうか?

では、私がいなければ、私がいいといえば、そなたはオスカーの許にいってしまうのだろうか…

それは、錐で胸を抉られるような喩えようもない痛みをジュリアスにもたらした。ふと思っただけで一瞬呼吸が止まったほどの凄まじい痛みだった。

嫌だ…そんなことはできない…そなたを手放すことなど…私は、私こそがそなたに生かされているのに…

ジュリアスは力いっぱいアンジェリークの細い体を抱きしめた。力を緩めたら、目の前でアンジェリークが消えてしまいそうな儚さを打ち消す事ができなかった。

「ジュリアス…くる…し…」

アンジェリークが弱々しくもがく。ジュリアスははっとして僅かに力を緩めたものの、その腕を解きはしなかった。

シーツに広がる金の髪に顔を埋め、日向のような温かい香りを胸一杯に吸い込んだ。

アンジェリーク、何よりも大切な存在、恐らくは自分自身よりも…

「アンジェリーク、愛している、生涯そなただけだ。そなたの幸せだけをいつも私は祈っている…」

「ジュリアス…?」

アンジェリークがジュリアスの背をきつく抱き返した。

「いや!そんな、なんだか寂しいこと言わないで!まるで…まるで、もう会えなくなるみたいなこと…」

ジュリアスは少し顔を上げてアンジェリークを見つめた。アンジェリークの瞳が不安げに揺らいでいた。

「いやよ、ジュリアス、どうしてそんなこというの?私の…私の側にいてくれるでしょ?ずっと側にいてくれるんでしょ?」

「ああ…すまない、不安にさせてしまったか…私の方こそ不安なのだ。そなたがどこかに消えてしまいそうで…そなたと供に在ることこそ私の望みだが、ただ、いつでも、どこにいても、何より望むのはそなたのしあわせだ。今までも、そしてこれからも…それは本当だ。」

「ジュリアス…なら、この手を離さないで!いつも、いつでも抱きしめていて!ジュリアスが欲しいの、ジュリアスさえいてくれたら、他に何もいらない…」

「私は、いつでもいつまでも、そなただけのものだ…」

ジュリアスはアンジェリークにそっと口付けた。そして、アンジェリークの瞳を見据えながら静かにこう告げた。

「アンジェリーク、そなたに言っておきたいことがある…」

アンジェリークは黙って続く言葉を待った。

「そなたがなにか悩んでいる事がもしあれば…この世界の維持や、帰れるかどうかの不安はあって当たり前だが…なにかそれ以外に苦しんでいることが…もしあるのならなんでも言って欲しい。そなたが何かに苦しんでいるのなら、それを私にも分けてほしい…」

アンジェリークは傷ついたような瞳でじっとジュリアスを見つめ絶句している。

「言いたくない事は無理に言わなくてもいいが…もし、表に出す事で少しでも気が楽になるようであれば、なんでも言ってくれて構わない。それが私にとってあまり愉快なことでなくても、気にしなくていい。私には聞いてやることしかできぬかもしれぬが…そなたに少しでも楽な気持ちになってほしいのだ。倒れてしまうほどに1人で我慢しないでくれ…そなたは1人ではないのだから…」

アンジェリークの顔がくしゃくしゃと泣き出しそうに崩れた。

「ああ!ジュリアス、ジュリアス、心配ばかりかけてごめんなさい!」

むしゃぶりつくようにアンジェリークはジュリアスに抱き付いて、その肩口に顔を埋めた。

「………ジュリアス…ごめんなさい…今は…今は黙って側にいて…それだけでいいの……お願い…」

「………わかった。」

ジュリアスはアンジェリークの髪を優しくなでながらこの言葉の意味を考える。

やはり、彼女には何か、心を占めている問題があるのだろう。だが、今は言えないということか…お願い…というのは、今は聞かないでくれということか…しかし、私が側にいることは構わない、いや、むしろそれは望んでくれているのか…

私では助けになってやれぬことなのか、アンジェリーク…いいようのない寂しさは拭いようもない。しかし、彼女が自分自身でなんとかしたいといって思っていることなら、自分には言いにくいことだというのなら、無理やり暴きたてたり、責めたりする気はない。

ジュリアスは女性として彼女を愛しているのと同じほどに、1人の人間としての彼女に敬意を払っている。彼女が1人でなんとかしたいと思うことなら、その意志を尊重したいと思うし、彼女の能力にも信頼を置いている。だから、寂しくもどかしいとは思っても腹立ちを覚えることなどはない。

アンジェリークが自分を求めてくれている思いに偽りはないということも、強く信じられる。

それに…他人に預けられない、他人ではどうしようもない問題もあろう。例えば個々人の心の領域…

アンジェリークがなにか自分には見当のつかない問題を抱えているのは確かだと思う。そして、そのことにオスカーが何らかの形で関わっているのも恐らく間違いない。

アンジェリークがオスカーに抱いている感情は愛や情といったものではないのだろうと、今は多少冷静にジュリアスは考えられる様になっていた。

単に心替りというのなら、戦争の後に急にアンジェリークが不安定になったことへの説明がつかない。

しかし、彼女が何か強い思いでオスカーに捕らわれているのを、どうしようもなくジュリアスは感じる。

そして、恐らくオスカーも…。オスカーのどこか不自然な態度をジュリアスは思い出していた。オスカーは何か自分に隠している。何か秘めたものがある。恐らくアンジェリークに関することを。

アンジェリークは虜囚の恐ろしかった経験に戦後情緒不安定になっているのだと思っていたが、それだけではないのか?どこか何らかの形でオスカーの存在が関わっており、それは容易に口にするのを躊躇われる様なことなのか?

しかし、オスカーの常日頃の態度を考えれば、それはむしろアンジェリーク自身のために、隠しておきたいことなのやもしれぬ。

ジュリアスは、オスカーのことを何を考えているのか容易に掴ませぬ人間だと評したことがある。それは有能さの現れであるし(なんでも考えていることが顔に出てしまうような人間は仕事においてはかえって信用に欠けるとジュリアスは思っている)女王であるアンジェリークに対する忠誠は疑いようがない。そして、それがジュリアスのオスカーへの信頼の根幹を成している。オスカーがアンジェリークの不利益になるようなことをする訳がないというのは、何の疑いもなく信じられるのだ。

ただオスカーとアンジェリークの間に、何か共有するものがあり、それは何かとても強固な繋がりであり、生半なものではないと思わせることがジュリアスの心を波立たせるのだ。

自分には窺い知れない部分、自分には言いたくないらしい事柄をオスカーとは共有しているのだろうか…たとえそれが愛というものではなかったとしても、ジュリアスはそう思うと胸が抉られたように痛む。息をすることさえ困難に思えるほどに。

これは独占欲から生じる嫉妬なのだろう。

独占欲と愛とは似て非なるものだ。愛のない独占欲もあろうし、独占欲のない愛もあろう。同心円のようにこの二つが全て重なる場合もあれば、1部だけ共通することもあろう。

そして、オスカーの事で気をとられているアンジェリークを見ると、そして、オスカーが自分の知らないなにかをアンジェリークと共有しているのかと思うと理屈ではない不愉快さを感じ、喩える言葉がみつからないほど胸が痛むのは…あきらかに独占欲だ。もし、オスカーがアンジェリークと何らかの事実を共有し、自分はそれに弾かれているとしても、秘することがアンジェリークのためによかれと思ってのことなら、不愉快になる理由は本来ない。

しかし、これは感情を排した理屈だ。人は理屈だけで生きているのではない。アンジェリークを愛してから、ジュリアスは自分が存外に狭量であったり、動揺しやすい部分があることを嫌というほど思い知らされていた。自分が思ったより感情的な人間であったことも。

しかし、未熟な部分、いたらない部分を思い知ることで、却って自分と言うものを深く知ることもできた。こんな面が自分にあったのかと嘆息したのも1度や2度ではない。得た物は無論それだけではない。それ以上に人を愛するということが、どれほど心に深みと潤いをもたらしてくれるかを純粋な喜びとしてジュリアスは知った。

自分は決して誉められた人間ではない。すぐ激するし、そのくせ突発事態にうろたえたこともしばしばだ。理屈だけで人を断じて感情を考慮しない硬直した価値観に捕らわれていたこともある。

義務感と使命感でいきていた日々は確かに迷いはなかったが今思えば単調で味気ないものだった。自分の世界は白か黒かしかないモノクロームだった。

しかし、アンジェリークを知り、愛し愛される喜びを知り世界は激変した。モノクロームの世界は様様な彩りに満ち溢れた活気ある世界にかわった。いや、世界は以前から美しい色彩に満ちていたのに、自分にそれを感じる感受性がなかっただけなのだろう。

心が震えるほどの喜びを噛み締める一方で、愛するものの側にいることができなかった時の苦しさ、もどかしさはいかばかりだったろう。そして艱難辛苦に衰え力尽きて倒れたアンジェリークを見た時は筆舌に尽くし難い苦痛に喘ぎ、自分の無力さを呪った。

アンジェリーク。そなたが私に喜びも哀しみも、生きるという事の全てを教えてくれたのだ。私は自分という人間の弱い部分も知った。それでも、そなたが私を愛してくれたという事実が私に自分を大事にする気持ちをも教えてくれたのだ。

そなたには、感謝の言葉もない。こんな私を愛してくれて、私の愛にこたえてくれて。

そのそなたが何か心に気懸かりを抱えている。どうにかしてやりたいと理屈でなく思う。

しかし、いかにそれが気になろうと、今はそれを問えない。

本当は無理やりにでも聞き出してしまいたい。

だが…彼女が自分自身でなんとかしたいというなら、今は聞かないでくれというのなら…そのほうがそなたにとっていいというのなら…自分には言えないこともオスカーは知っているのかと思うと胸が抉られるように痛んでも…今はなにも聞くまい。

だが…いつか…いつかきっと話してくれるか、アンジェリーク。

何があったのかを…何をそんなに憂いていたのかを…

もし、この大陸の封印を解き、無事聖地に帰ることができたなら、その時に、まだそなたに憂いがあるようなら、なにかの蟠りを抱えているようなら…その時もう1度尋ねてみようとジュリアスは心に決めた。その時は無理やりにでも聞き出そう。そしてもう一人で悩まず、二人でなんとかしようと言ってみよう。

その時までは、どれほど心にかかろうと、アンジェリークから言出すまでは彼女を煩わせまいと思った。

この誓いを形にしたくて、アンジェリークにもう1度口付けた。今度の口付けは最初の時と同じように穏やかなものだった。

しかし口付けながらジュリアスはつい考えてしまう。彼女に聞くまいとは思ったが、それは思考をも止めるということではないのだから。

戦争…オスカー…彼女の揺れる心…それぞれ二つの要素だけなら容易に繋がる、関連がわかる。しかし、この三つが同時に関係することとなると…それは一体なんだ?オスカーも戦時はアンジェリークと会えずにいた。私たちは常に行動を供にしていたのだから…にも拘わらず戦争時にオスカーが彼女に何か関わるようなことがあったのか?彼女は幽閉されて、何人たりとも会う事は愚か連絡もとれない状態におかれていたのに…

ジュリアスにはこの時どうしても思い至らなかった。

自分たちは入る事も出る事もできない扉であろうとも、例えば磁気センサーを利用したドアのように、目には見えずとも合致したキーを持ったものには容易に開いてしまう扉もあるのだということを。なぜ、誰も入れない、出られない筈の塔内にモンスターが多数入りこんでいたのかを。魔導の力でモンスターは作られていた。魔導で作られた生き物はモンスターだけだったのか…これら全ての事象を結びつける事がこの時ジュリアスにはできなかった。アンジェリークに起きた悲劇はそれだけジュリアスの想像の範疇を超えていたのだ。

 

ジュリアスの重みを全身で感じながら、アンジェリークもまたジュリアスと、そしてオスカーへと思いを馳せていた。

ジュリアスのいつもと違う性急な求めに、アンジェリークは、自分の態度がジュリアスをも、動揺させているのだと感じずにはいられなかった。

自分が倒れたと聞いただけでも、どれほどジュリアスに心配をかけたかいやというほどわかる。しかも、自分が倒れた本当の訳もいえなかった。ジュリアスが心から自分を案じているのがわかり、一瞬全部打明けてしまおうかと思い…結局できなかった。申し訳ないと心の内で謝ることしかできなかった。

アンジェリークは、目覚めてジュリアスを見た時、本当に今までのことは全部夢だと思ったのだ。

オスカーとランディが現れて、恐ろしいほど動揺して、そして動揺したまま、いつのまにか意識を失っていた。だから、目覚めた時に、オスカーとランディの姿をしたものに襲われたことも、一瞬夢だったのだと思い、安堵し、そして、真実に気付いて恐ろしいほど落胆した。

その落胆に涙が押さえ切れなかった。1度安堵した分落胆は常より激しかったから。ジュリアスが心配しているのはわかるのに、どうしても堪え切れなかった。

こんな自分を見て、ジュリアスがどう思うだろうと思うのに、とめられなかった。

しかも、ジュリアスからオスカーの事を聞くまで、オスカーの事も失念していた自分がアンジェリークは許せなかった。

オスカーに無我夢中で思いきり力をぶつけてしまった。

あの時はしたくてもできなかったことだ。力は搾り尽くされていたから。そして同じような状況で敵をとるように力を迸らせてしまった。

ジュリアスは気付かなかったというが、オスカーに酷いダメージを与えたに違いない。だって血が流れてた…きっと怪我をしてるわ…血を流しながらそれでも自分を気遣ってくれたオスカー、なのに、私は自分の心の痛みにばかり気を取られて、オスカーの事を今一瞬忘れていた。

私…心がどんどん弱く自分勝手になっていくような気がする……せめて、オスカーに謝らなくては…体の具合を聞かなくては…怖いけど…オスカーにどんな目で見られるか、何を聞かれるか、怖いけど…でも、謝らなくちゃ…絶対、謝らなくちゃ…

そんな思考に心が占められていた時、いきなりジュリアスに貪る様に口付けられたのだ。

あっと思う間もなくベッドに横たえられ、荒々しく組み敷かれたのだ。

だけど、ジュリアスの瞳は悲しそうで辛そうだった。私を抱きたいと口で言っていても、その海の深さを思わせる瞳には欲望なんて微塵も見えなかった。

私が…ジュリアスにとって私の不可解な態度が、なにかに気を取られていたり、感情が定まらない私の態度がジュリアスも不安にさせているのだ。

当たり前だわ。私だって、ジュリアスがいきなり感情を激させたり、倒れたり、なのに訳を聞いてもなんでもないなんて言われたって納得するわけないわ。心配で胸がつぶれそうになるわ。何も言ってくれないことを寂しく悲しく思うにきまってるわ。

私が不安で堪らない時に、ジュリアスの肌の温もりが欲しいと思うように、きっとジュリアスも欲望で私を欲しいって言ったんじゃないんだと思った。寂しくて不安で心もとなくて…きっとそんな気持ちをなんとかしたくて、温もりを求めたんだと思う…アンジェリークはジュリアスにそんな不安を抱かせたことが申し訳なくてたまらなかった。

私…こんな自分がいや…自分の痛みにばかり気を取られて、大事な人、優しい人を悩ませたり、傷つけてしまう自分がいや…でも、どうしたら、この痛みから気をそらせることができるか、わからない、わからないの…

今は泣くまいとアンジェリークは思った。

これ以上ジュリアスに心配はかけたくない、その気持ちだけで、必死に涙をこらえた。


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