胸の疼きはいかんともしがたかった。
あの…蕩けるような、抑えきれない喜びが内側から湧いてあふれ出すような笑顔を見せられる度に、ゼフェルの心の中には、『よかったな』という言葉が自然と浮かんでくる。と、同時に、胸を内側から小さな針でつつかれるような、つくん…とした疼きを、感じる。尤も、それは、今に始まったことではなかったが。
酷く痛むわけではない、だが、小さなトゲが胸の中に隠れ居座っているとでもいうのか、普段はなんということもないのに、何かの折に、胸の中でそのトゲが暴れだす。
このチクチク・イガイガは一体全体何なんだ?あいつの女王試験辞退の知らせを聞いてから、ずっと、こんな感じだぜ…そう、ゼフェルは思う。
女王試験も終盤の頃、アンジェリークが塞ぎこんでた訳をゼフェルは知った。知ったからこそ『玉砕したら…俺が、おめーをひきとってやる』と、そん時は、半ば行きがかりと勢いで、あいつに告っちまった…が、その時には、まだ、この胸の疼きを、俺は知っちゃいなかったな、とゼフェルは当時の事を思い起こす。
最初は確かに勢いに任せての告白だった、でも、自分の言葉を耳にしたことで、逆に、ゼフェルは、自分の気持ちに気づき、気づいてしまえば、すぐに、心は、はっきり固まった。
俺はこいつが好きだ、どうにも目が離せねぇ、でも、こいつは、あの野郎が好きだっていう、どんな結果になれ気持を打ち明けたいんだっていう。なら、俺は、どうする?どうしたいんだ?ぐるぐるした頭の中、ふっ…と、自然に出た言葉が「あたって砕けたら、俺がおめーを引き取ってやる」で…そうだ、俺は、いざって時、こいつを受け止める役どころになろう、なりゃぁいいんだ…って、気持が決まった。
所謂『セーフティネット』があればー俺の存在を、そう思ってくれれば、ちったぁ、こいつも心強いんじゃねーかって。受け止めてくれる網があると思えば、尻込みしたりせず、思い切りよく踏み込んで、踏み切って、ジャンプできるだろう?で、結果、ターゲットに当たって砕けちまったとしても、安全網が受けとめてくれると、わかってりゃ…つまり、自分の気持ちを包み隠さず泣ける場所がありゃぁ…そう思えるだけでも、気が楽になるじゃねーか。勇気が出るってもんじゃねぇか。だから『骨は拾ってやらぁ』とは言ったが、それは応援であり、励ましであり、あいつの背中を叩いて送り出してやるような、そんな気持からだった。そう、俺は、あいつの玉砕を望んでたわけじゃねぇ。
そのことだけは、ゼフェルは、絶対の確信を持って断言できた。
あいつが、泣かずにすむなら…心からの満面の笑みを浮かべられるような日々が送れるなら、その方が良いに決まってる。いくら、受け止めてもらえるっていったって、安全網に落ちるのと落ちないのじゃ…最初から落ちないほうが、いいに決まってるだろ?そういうことだった。
だから…女王試験が結して、あいつは補佐官になることが決まって、その理由を知らされた時、俺以外の守護聖は、皆、心底、ぶったまげてたみてーだったがー俺は…あいつの安全網になってやるって決めてた俺からすれば『ああ、そうか、上手くいったんだな…よかったじゃねぇか…おめーの想い、あの野郎に通じたんだな…俺の出る幕はなしで済んで、マジ、良かったじゃねぇか…』って、思っただけだった。あの野郎の隣に寄り添うように佇み、満面の笑みを浮かべているあいつを見て、尚更、強く、そう思った。
だって、あいつは女王試験に臨むため飛空都市に召還された訳だから、それを考えれば、この結末は、決して、本来の目標じゃなかった筈で…女王を目指して、女王になれずに…ならずに終ったのなら、後悔とか諦念とか無念とか敗北感とか、そういう感情を滲ませてたって不思議じゃねぇ、ていうか、その方が普通だろうに、なのに、あいつにはそんな雰囲気は微塵もなく…むしろ、あいつは心底誇らしげで、幸せそうに嬉しそうに笑っていたんだ、あの野郎との間で、互いにいたわりあうような視線を交わしながら…。
その様子をみて、俺は思ったんだ、この結論は、あいつが自ら選んで、自分の手で勝ち取った…そう、あいつにとってはいわば『勝利』なんだと。ただ、あいつに「勝ち」の自覚があったかどーかまでは、わかんねぇけどな。
だから、この発表を聞いた時も、そりゃぁ、落ち着いたもんだったぜ、俺は。興奮して大声で喋り捲るヤツ、憮然とするヤツ、地団太を踏むヤツ、ぎりぎり歯噛みするヤツらなんかをよそ目によぅ。
だって、俺にとって、最も大切で、優先すべきはこいつが…「アンジェリークが心から笑んでいること」だって、それが俺の基本なんだって、そん時にゃ、もう、わかっていたから。俺は、既に心が決まっていたから。
でも…同時に、この時が最初だったような気もする、胸の内側に、ちくちくとした痛みを感じたのは…ゼフェルはそう思う。
そして、試験終了を受けて、守護聖も飛空都市を引き払い、聖地に戻ることになった時、炎の守護聖は、さもそれが当然という顔をして、次期補佐官の荷を自分の私邸にさっさと運び込みーもちろん、当の彼女と一緒にだーそのまま共に暮らし始めた、と、聞いた時も、この胸は、つくんと疼いたことを、ゼフェルは思い出す。
そう、あいつとあの野郎が、聖地に戻るや、一緒に暮らし始めたって聞いた時は、その拙速ぶりに、流石の俺も呆れたっていうか、たまげたっていうか…で、そん時も、胸が、ちくっだが、ちりっと痛みやがったが、それもきっと、驚いたせいで…だって、その時も、俺はあいつの様子をみたら『よかったな』って言葉が真っ先に頭に浮かんだんだ、ウソじゃねぇ。なにせ、聖地に落ち着いてから新女王陛下の即位式の日までの僅かの間に、あいつもいっぱしの補佐官にならなくちゃなんねーから、そのための引継ぎやら詰め込み教育と言やぁハンパじゃなくて、だから、あいつは、毎日、こまねずみみたいに、聖殿中走り回ってるってぇのに…なのに、あいつは、いつみかけても、やけに幸せそうで、嬉しそうで、見るからにはりきってやがって…そんな様子見たら、あいつが、日々幸せで、充実してて、だから、やる気まんまんで…なんて事は否応なくわかるわけで、それは、きっと、あの野郎の存在がいつも身近にあるからで…
それが、わかっちまうんだから、俺は『よかったな』しか言えねーじゃねぇか!それ以外に出る言葉なんてあるかよ!と、ゼフェルは思う。
加えて『この分なら、俺が、あいつにもたせたおしゃべりメカも、もう用済みで、クロゼットに仕舞われっぱなしになるんだろう、でも、それでいいんだよな』とも、ゼフェルは考えていた。
だって、あれは…あいつが1人ぼっちで、話し相手もいなくて、人恋しい気持になった時…メカでも話し相手がいないよりはマシだろう、気が紛れるだろうと思って、くれてやった玩具なんだから。あくまで、緊急避難的一時使用が目的の玩具で、使わなくてすむなら、使わないほうがいいものだ。少なくとも…例えば、俺に恋人がいると仮定したら…俺だったら、自分の彼女には、そんなもので気を紛らわせるような真似はさせねー、そういうもんだ。そんな寂しい思いをさせるようじゃ、恋人失格だぜ。恋人になった時点で、俺だったら、あの玩具は、即、仕舞いこむし、あいつが…じぇねぇ、恋人がそんなもん必要とするような暇を与える気もねぇし、与えちゃなんねー、それが男の甲斐性ってもんだろ?で、あいつが選んだあの野郎は…聖地に戻るや、即、あいつを自分ちに連れこんじまって、片時も離さないような男だぜ?その点だけは…あの野郎のために聖地行きを決意したあいつを、初めての聖地で1人にしない、寂しがる暇を与えないようにしいてるらしい、って点だけは、俺は、あの野郎を評価した…やることが、ちっとばかり極端な気がしないでもなかったが、評価してやろうと思ったんだ。
そこに…その上、新女王陛下が即位したこの日、この場で、女王の肝いり、鶴の一声で、たった今、あいつとあの野郎の結婚式の日取りが、正式に決まったんだ。
もう、何もいうことねーじゃねぇか。
一緒に暮らしてるってだけで…あんなに幸せそうな顔してたんだぜ、あいつ。
今も、あの野郎に、改めて『俺と結婚式を挙げてくれるな?』って言われた時の、はにかんで、この上なく嬉しそうで、メチャきらきらしてる、あんな笑顔を見せられたら…正直、見惚れちまったよ、俺は…そりゃ、本物の花嫁になった時のこいつが、どれほどきれいに見えるのか、どれほど輝くのか…見てみてーって思ったのも嘘じゃねぇ。負け惜しみでも強がりでもねえよ。
が、この時、ゼフェルは、これまでも、ちょくちょく感じてた胸の中のトゲが、今までになく暴れていることも自覚していた。ほんとのほんとに、こいつは、1人の男のものに…俺じゃねぇ男のものになっちまうんだな…と思うと、なんとなく寂しいし、なんか悔しいし…そう思う程に、トゲが酷く暴れる気がして、それが胸の疼きとなって現れていたのだ。
けど、まてよ…ゼフェルは、よくよく考えてみる…寂しいとか、悔しいって感じるってことは、だ…俺って、なんだかんだ言って、こいつらがまだ『結婚』っていう法的手続きを済ませてねーこと、正式な夫婦宣言をしてねーことに…どっか期待して、どっか安心してたってことじゃね?それって、つまり、俺は、アンジェに対して『勢いであの野郎と暮らし始めたものの、一緒に暮らすうちに、あの野郎の粗が見えてきて、嫌んなるかもしんねー、そしたら、俺が、あいつをいつでも引き受けてやる、いつでも、俺んとこに来ればいい』みてーな気持を、未だに、未練たらしく引きずってたってことじゃねぇか?
はっきり意識してはいなかったものの、そんなことを思ってたらしい自分に気づいて、ゼフェルは、自分がすごく恥ずかしくなった。
だから
『こういうなさけねー未練をきっぱり捨てるためにも…陛下の決定は…俺のためにも、むしろ、ありがたいことかもしんねー、マジで』
と、胸の中で、自分に言い聞かせ、ために、ゼフェルは『(花嫁姿を)みたら諦めもつくかも…』と、つい、ぽろりと本音を零してしまい、それをランディに聞かれて、かなりあわてふためいたわけだったが…だが、ここまでの覚悟を決めた途端、おもいもよらなかった女王陛下による爆弾宣言が落とされ、それに続いた怒涛の展開に、ゼフェルは、心底、あっけにとられ、暫し、言葉を失った。
まさか、結婚式の日取りが決まったそのすぐ後に、それこそ女王陛下の勅命で、期間限定とはいえモラトリアム?リセット?人によっては敗者復活の機会?が降ってわくとは、俺に限らず、誰も想像しちゃいなかっただろう、と。
けど、陛下の口から「クーリングオフ」って言葉を聞かされては、その意図はあまりに明らかだった。しかも、陛下は、その場にいた守護聖全員に聞こえるような声でアンジェとしゃべっていたのだ。あれ、絶対わざとだぜと、ゼフェルは思う。
そして、女王陛下は、言いたいことだけ言うと、にっこり余裕の笑みを浮かべながら、彼女の補佐官を拉致するようにさーっと連れ去って退出してしまった。
後には、この展開に気持がおいつけないでいる守護聖たちが取り残された。
ゼフェルが「あーあ」としか言いようのない気分で
『陛下に横からアンジェをかっさらわれたオスカーのこの唖然呆然っぷりといったら、傍で見てて、俺ですら哀れを感じるほどだぜ…』
と、思いながら、オスカーの様子を横目でみていると、すかさず、ランディが
「ルヴァ様、ルヴァ様、陛下がおっしゃってた『クーリングオフ』ってどういう意味ですか?なんか、聞いたことある気がするんですけど、なんのことだか思い出せなくて、ははっ!」
なんて、屈託のない笑顔で、ルヴァに質問をぶつけたのだった。
ゼフェルは視線の向きをオスカーからランディに変え、半ば感心、半ば呆れて、同期をしげしげと見つめた。
『…この台詞、ランディのヤツが言ったんじゃなければ、ぜってーに底意地悪いあてこすりになる処だが、何せ、ランディだからな、他意なんてないことは、誰にだって、即、わかる、で、わかるからこそ、始末におえねーんだが…』
見れば、マルセルも、地雷原に向けて猛ダッシュを始めたランディと、当事者であるオスカーとの顔を交互に、はらはら、わたわたと落ち着きなく見比べている。下手にランディをいさめて、オスカーの傷口に塩をなすりこみやしないかを案じて、何もいえないでいるのが、手にとるようにわかる。
なのに話をふられたルヴァの方は、馬鹿正直に、ランディの話を引き取った。
「あー『クーリングオフ』というのはですねぇ、訪問販売とか、道端での勧誘とか、元々は買い物の意思のなかった人が、セールストークを聞かされる内に、ついついその気になって、買ってしまったものの、後で考えてみたら、その場の勢いに流されたとか、よくよく考えてみたら必要なかったわ、と気づいたりして、買い物に後悔した時に購入契約を無条件で解約できる期間のことなんですよー、いわば、買い物した後に、考え直すための猶予期間がクーリングオフといえますねぇ。ただ、このクーリングオフが適用されるためには、あくまでお客さん側に「元々は購入の意思がなかった」という条件が前提でして、なので、最初から買いものする気で自ら店舗に赴いて買った商品とかネット通販で自らの意思で選んで買った商品とかには、適用されないんですねぇ」
「うーん、つまり、クーリングオフってのは、元々買う気のなかった物を、口車に乗せられて、買っちゃった人が、後でよくよく考えてみたら、いらなかったとか、買わなきゃよかったって後悔した時に、無条件で突っ返せる権利ってことですか?」
「そうです、よく、わかりましたねー、ランディ、その「よくよく考える」ための猶予期間がクーリングオフなんですよー、簡単にいうと、頭を冷やす時間ですね」
「クーリングオフに関しては、わかりましたけど、アンジェが何に対して頭を冷やす時間が必要だって、陛下はお考えなんですか?アンジェ、何も買い物なんてしてないって言ってませんでした?ルヴァさま」
「あーそれは、そのー今回の場合は、買い物ではなくて、契約ってことでしょうねぇ、契約にもクーリングオフは適用されますからねぇ」
「契約?っていうと…約束?…みたいなものですよね?…あ!わかった!俺、わかりましたよ!ルヴァ様!つまり、陛下は、アンジェが、その気もないのに、オスカー様に口説かれて、よくよく考えないうちに勢いで結婚の約束をしちゃったんじゃないかと心配して、で、考えなおすための時間を、アンジェにあげたってことなんですね!俺、今、漸く、陛下のお言葉の意味がわかりましたよ、ははっ!」
ゼフェルは、ランディとルヴァのこのやり取りが進むほどに、ますますもって感嘆の度合いを深めていた。
こいつの、この清清しいまでに空気読まない加減は、最早、芸術、いや豪傑の域だと。
下手に空気の流れを読んだりして、その影響力を考えちまうようじゃ、風のサクリアなんて、飛ばせねぇのかもなー、にしても、ルヴァの方は…一見、ランディの会話に他意も悪意もなく、単純な事実のみを返答しているように見えないでもないが、本当にそれだけか?
ルヴァとランディのやり取りの一言ごとに、オスカーの顔色が真っ赤になったり、蒼白になったり、いかにも「クリティカルヒットを食らった」「効果はバツグンだ」的脂汗をだらだら流していることに、まったく気づかない…なんて、ランディはともかく、ルヴァも気づいてないなんて、ありえるのだろうか。ありそうにも思えるが…イマイチ読めねぇな、ルヴァもけっこう侮れねぇ、と、ゼフェルが考えた処で、オスカーの忍耐が臨界点を突破したらしい。
「おーまーえーら〜!俺に喧嘩を売ってんのか!お嬢ちゃんに頭を冷やす時間が必要とは、どういうことだ!クーリングオフっていうのは『その気がない人を口車に乗せて買い物させた場合』に適用されるっていうなら、俺とお嬢ちゃんの間で、そんなものがあてはまるわけがないだろう!」
「あああ〜いえ〜私が申しましたのはあくまで一般論でして、しかも、クーリングオフが必要とおっしゃったのは、私ではなくて、陛下のご意見でして」
「そうですよ、オスカー、あまりムキになって反論すると、図星をさされてうろたえてると、かんぐられますよ、ふふふ…」
「ぐっ…だ、大体だなぁ、お嬢ちゃんが、最初から、その気がなかったとは、言うにことかいて、何たる暴言だ…俺は、お嬢ちゃんを口車になんぞ乗せておらんし、第一、お嬢ちゃんは、ちゃんと自分から、俺に好きだと言ってくれてるしだなぁ…」
すると、この言葉に、闇の守護聖は、すかさず、したり顔で口角をあげながら
「ほぅ、ということは、オスカー、おまえは、自分から告白せずに、あれから告白させたというのか…大の男が、女から…しかも、あんないたいけな少女に勇気を振絞らせ、愛の告白をさせるとは、男の風上にもおけんな…」
とあてこすり、即座にリュミエールが尻馬に乗る。
「まったくでございますね、クラヴィスさま、自分から告白する勇気もないような男が、何をえらそうに申しておりますやら、ハジを知らないとは、このことでございますね、やはり、天使を娶るとなれば、男らしく自分から告白してこそ、さ、では、私どもが、改めてアンジェに告白しに参りましょう、そうしましょう」
「俺は告白してます!お嬢ちゃんに、心の底から、真摯な想いの丈を、これ以上はない情熱をこめて「愛している」と、はっきり告げてます!同じように、お嬢ちゃんも、俺を好きだと、はっきり言ってくれただけで、俺からは告白してないなんて、俺は、ひとっことも言ってません!」
「ま、どっちから告白したにせよ、そんな瑣末事は、どうでもよい」
「そうでございますね、クラヴィスさま」
「うわぁ、すごい、見事なまでの前言翻しだね、ゼフェル、ランディ」
「『君子豹変す』…ある意味、まさにオトナの対応と言えますねー」
「勉強になるなぁ、クラヴィスさまは、目的のために役立ちそうな材料は、なんでも無駄なく利用しろ、でも、自分に不利な材料は、みなかったことにして、さくっとスルーしろって実践で俺たちに教え示してくださってるんですね!それが、賢いオトナってことなんですね、ルヴァさま!」
「おまえの、その、何でも思ったままを、口にするってのも、ある意味すげーっていうか、誰にも真似できねーっていうか…」
とゼフェルが呆れていると、当のランディから、きらきらの尊敬の眼差しで見つめられたクラヴィスが、些か居心地悪げに咳払いをして、こう言った。
「…こほん…まぁ、要は、おまえが誠実な男かどうか、それを陛下から疑問視されている、ということなのだ、なにせ、今までが今までだからな」
「ぐっ…」
「然様でございますね、クラヴィス様」
それは…あいつの…アンジェの恋の相手がオスカーだという時点で、誰だって言いたくなってしまう台詞、案じてしまう危惧だろう、とゼフェルも思う。
ゼフェル自身、アンジェリークの心がオスカーに向かっていることを知った時、苦笑交じりとはいえ
『おめーもまったく男を見る目がねーよな。あんな野郎好きになったら苦労するのが目に見えてるのによぅ』
と、アンジェリークに告げているのだ。
だから、わかる。陛下の…ロザリアの危惧も、率直にいって似たようなものだろう、と。
つまり、これは、オスカーという男性に対する世間一般の共通認識であり…多少、やっかみやら妬みやらイジワルな目線が入ってはいるかもしれないが、一面、客観的な評価であることも否定できないのだ。
なにせ、オスカーは、「宇宙一のプレイボーイ」などと自称、いや他称だったか?するほど、数多の女性と浮名を流していた、その言動が、今になって彼自身に跳ね返ってきているだけ、ともいえるのだ。
そして陛下も守護聖も、オスカーの性癖が、そう簡単に変わるものなのかと、疑ってかかっていることに加え、万が一、結婚後もオスカーが浮ついていたら、純真無垢で、人を疑うことを知らないアンジェリークが、オスカーの言動に泣かされるのではないかと、心配しているだけなのだ。
そういう空気を周囲から否応なく感じさせられ、オスカーは、一瞬、ぐっ…と詰ってしまった。
が、オスカーは、懸念を真正面から直言されたことで、かえって腹が据わったのか、すぐさま、きりりと顔をあげ、さっきとは打って変わった落ち着いた態度で、堂々とこう宣言した。
「過去に関しては…俺は、一切、言い訳する気はありません、一時とはいえ、付き合ったすべての女性に対し失礼になりますから…でも、それは、俺が真実の愛を見出すまでのこと…と、言葉で言うだけでは、説得力はないでしょうから…ええ、真実の愛を手にした男が、どう、振舞うものか、これから…挙式までの間にお見せいたしましょう、ああ、もちろん、この先…挙式後も、未来永劫、俺の真実の愛はしかと揺ぎ無いことを、その目で、お確かめくださって結構です。この命ある限り、俺は全身全霊でアンジェリークを愛し、守りぬく。その様をとくとご覧あれ。では…」
内心がどうかわからないが、余裕綽々の態度と口調でこう言うやー多少、見栄や張ったりも混じっているかもしれないが、ライヴァルを向こうに、男の意気地を見せやがったか…ま、あいつを攫うとなれば、これっくらいの意地は見せてくれねーとな…というようなことをゼフェルが思う間に、オスカーは優雅に一礼して、流麗な体さばきで、その場を辞した。
そのスマートで自信に溢れた身のこなしに、『お手並み拝見』という笑みで見送るものあり、いかにも小面憎しという表情を浮かべるものありと、守護聖たちの反応は、それぞれであったが…
だが、ゼフェルは、オスカーが辞去した後は、むしろ、アンジェリークのことが気になっていた。
『あいつ…あの顔つきから言って、自分の立場がぜってーわかってねぇよ。陛下が、何故、結婚式まで猶予期間を設けたのか、その意味もな』
しかも、何がなんだかわかんねーまま、あいつ、陛下に攫われていっちまったし…あとになって、あの野郎に、自由に会えないってことが、じわじわーっと実感されてきたら、あいつ、また、寂しくなって落ち込むんじゃねぇか?
前の…女王候補時代、オスカーと思うに任せず会えずにいた時のアンジェリークのうち沈んだ様子を知っていただけに、ゼフェルはそれが気になって仕方なくなった。
翌日から、ゼフェルは暇を見つけては…いや、暇がない場合にも、速攻で執務を終えて、無理矢理時間をひねり出しては、女王宮の補佐官執務室に詰めきりのアンジェリークの許を、可能な限り訪れるようになった。
そして、アンジェリークが、忙しそうであっても、気持は落ち着いているようであること、あからさまに、沈んだり、打ちひしがれた様子の見えないことにほっとした。
というのも、女王宮から出ない限り、アンジェリークは誰とでも自由に会って会話を交わすことが許されており、当然、それはオスカーも例外ではなく、オスカーとアンジェリークは、女王宮内の補佐官執務室でなら、いつでも自由に会って言葉を交わせるからのようだった。ただ、それは、逆に言えばオスカーであってもアンジェリークへの来訪者の中の一人という位置づけでしかなく、婚約者であろうとも特別扱いはされない、という意味でもあったが。
が、アンジェリークは自分のその立場に不満や不服は感じていないようだった。
あまりに忙しくて孤独に浸る暇がないためだろう。むしろ、今のアンジェリークは、自ら孤寂を求めたとしても、それに浸るのは相当難しい、というより不可能なほど、アンジェリークに対する来客及び訪問が多かったからだ。
なにせ、ゼフェルが補佐官の執務室をいつ訪ねても、誰かしら先客がいるのだーロザリアが、ほぼ常時、アンジェリークの保護者然として控えているのは当然のこととしてー。そしてロザリアを除けば、当然といえば当然だがオスカー、そして同じ割合で闇と水の守護聖の二人組の姿を見かけることが最も多く、次いで顔を合わすことが多いのは、オリヴィエだった。
オリヴィエは、オスカーも交えての結婚式の打ち合わせをしに、しばしば来ておりー何せ、現状で、オスカーを捕まえようと思うなら、彼自身の執務室より補佐官執務室に当たる方が手っ取り早いーその様子を見る限り、今一時、共棲がままならないというだけで、二人の結婚準備は遅滞なく、着々と進んでいるようだ。
と、同時に、オリヴィエと同じほどの高い頻度で姿をみかける闇と水の守護聖は、アンジェリークにオリヴィエとは真逆の働きかけーつまり、オスカーとの結婚を考え直させるべく、苦心惨憺しているようだった。
極初期は、主に水の守護聖が『あまりに年若くしての結婚は大変かもしれません』『大事を勢いで決めると悔いが残るかもしれませんよ』などと絡め手で、式を延期させようとしていたのだが、アンジェリークのオスカーへの愛情と信頼は磐石で揺らぎのないこと、また、あまりに否定的な文言ばかり口にしていると、アンジェリークの顔が曇ってしまうことに気づいたようでーゼフェルからすれば『こんなネガティブなことばっか言われてたら、顔が曇るのはあったりめーだ』という気分だったがーまもなく彼らは方針を転換した。
つまり、周囲に誰がいようと、なりふり構わず、平気のへーで、アンジェリークを口説き始めたのである。ゼフェルだろうが、女王陛下だろうが、傍で、誰がやりとりを聞いていようとお構いなしだった。
アンジェリークにオスカーとの結婚を考え直させる時間は、今しかないから、それはもう、必死らしい。時間的には短くても、この二人にとって、この期間は、アンジェリーク奪取のための起死回生、最大にして最後のチャンスなのだろう。
とは、いうものの、二人はアンジェリークに、あからさまに、オスカーの悪口を吹き込んだり、オスカーの過去の悪行を告げ口したりはしていないようだった。
こいつらがー特に水の守護聖が、真っ先にやりそうなものなのに、なんでだ?と思ったゼフェルだったが、程なく、その理由が察せられてきた。
同僚の悪口など声高に言おうものなら、悪口を言う方の人間性とか品格を疑われる、それを恐れてのことらしい。虎視眈々とアンジェリークのハートを狙っている二人の守護聖にとって、彼女から少しでも軽蔑されたり幻滅される可能性のある行為はご法度なのに違いない。それでなくとも、アンジェリークは、人の悪口など耳にしたら、それがオスカーに対するものでなくても、戸惑い、哀しく思い、下手をすると憤るような少女であることは確かだった。ましてや、オスカーの悪口など聞かせたら、こちらが嫌われてしまう恐れがあるからだろう。
同じ理由で「結婚は人生の墓場だ、結婚などやめてしまえ」的な洗脳もできないようだった。
結婚生活とか男性との交際そのものに幻滅されたら、自分たちが、今のオスカーの立場に成り代ることができなくなってしまうからだ。首尾よくオスカーとの結婚が取りやめになっても、自分たちが未来の花婿になれなければ意味がない。
二人の守護聖が諦めさせたいのは、あくまで「オスカーとの結婚」であって「結婚」そのものではない、一方、自分たちの人間性を疑われないために、また、男嫌いになられては元も子もないので、、直裁にオスカーの悪口はいえないし、オスカーの過去の不品行を告げ口もできない。せっかく、オスカーの弱みを握っているのに、思う様行使できないのだ。
勢い、彼ら二人の忠言は、傍で聞いていると、曖昧にして、つかみ所のない、何を言いたいかわからない戯言にしかなっていないことが多かった。例えば、こんな具合である。
「結婚とは、素晴らしいものでしょうね、アンジェリーク、愛し合う男女が、一緒に暮らしたいと思うのは、まったく自然な感情ですし」
「本当にそうですね、リュミエール様」
「結婚するのが楽しみですか?」
「はい、それはもう!」
「そうですね、好きな人と一緒に暮らすのは、それは楽しく、幸せなことでしょうね」
「はい…本当に…」
「ところで、アンジェリーク、私もクラヴィスさまも、それはそれは、あなたを愛しいと思っておりますが、あなたは、私どものことを、どうお考えですか?」
「え?えっと…それはもう、皆様、お優しくて大好きです」
「ならば、私やクラヴィス様と結婚して、一緒に暮らすのも、きっと楽しゅうございますよ、どうですか?アンジェリーク、私どもとの結婚も考えてみませんか?」
「やーだ、リュミエール様ったら、ご冗談ばっかり!第一、お二人の方と同時に結婚なんてできませんのに」
「私はおまえが花嫁になってくれるなら、それでも一向にかまわんが…なんなら1年交代制でもよいぞ」
「もう、クラヴィス様まで私を笑わせようとなさって…あ、もしかして、私が今、オスカー様に自由に会えずに寂しいかと思って、気をつかって慰めてくださってるんですね…毎日、遊びにいらしては、一杯、ご冗談をおっしゃってくださって…ご心配おかけして、ごめんなさい、でも、私は、大丈夫です、昼間だけですけど、オスカー様とちゃんと会えてますから、そんなに寂しくないですし…お優しくしてくださって、本当に、ありがとうございます」
「…私は冗談なぞ一つも言ってはおらぬのだが…」
「あ…そっか、私のこと、真剣に慰めてくださってるんですよね、ごめんなさい、ありがとうございます」
「うーむむむ…」
それでなくとも、そっち方面に関しては天然のアンジェリークは、二人の思惑など、まったく見当もつかず、闇&水の守護聖の口説き文句を、冗談だと思って、ころころ笑っているか、頭の上に盛大に「?」マークを量産するかのどちらかで。
『けっ、こいつに、そんな遠まわしが通じるかよ、なにせ、俺の一世一代の告白も、あっさり自爆で終ってるんだぜ、こいつ、ほんとに、あの野郎のことしか、眼中にねぇんだからよぉ…って、何、俺は、ほっとしてるんだよ…』
ゼフェルは、守護聖からの口説きを無意識の内にさらりとかわすアンジェリークに安堵しつつも、何故か、同時に切なさも感じる己の心の動きを不可解な気持で眺める。
そうこうするウチに「ばったーん!」と大音響で執務室の扉が開き
「お嬢ちゃん、無事か!?誰にも何もおかしなことを吹き込まれてはいないかー!」と当のオスカーが息せき切って乗りこんでくる、というのが、最近の補佐官執務室での日常風景となっていた。
「あ、オスカー様!はい、私は無事?…っていうか元気です」
「そうか…よ、よかった…」
アンジェリークの様子がいつも通りであることを見てとると、オスカーは明らかに安堵の吐息をついた。きっと、リュミエールがオスカーの過去について、あることないこと、吹き込んでいやしないかと気が気でないのだろう、とゼフェルはみてとる。尤も、その心配は、リュミエールの個人的願望の都合により、今のところ杞憂なのだが、それをオスカーに教えてやる義理もないので、ゼフェルは黙っている。
「でも、オスカー様こそ、お体にお変わりはありません?お仕事、お忙しいでしょうに…いつも会いに来てくださって…申し訳ないと思うのに…でも、嬉しい…」
「大丈夫だ、お嬢ちゃん、今日の執務はきっちり済ませてきた、完璧だ、屋敷への指示も出してきた、今日は、この後、ずっとお嬢ちゃんの傍にいられるぜ」
一転、オスカーはしゃきーんと居住まいを正し、煌めく歯を見せて、余裕の笑みを浮かべ、勝ち誇った視線を、先客の守護聖たちに向ける。
すると、負けじとばかりに水の守護聖も優雅な笑みを浮かべる。若干、こめかみがひくつき気味に見えないでもないが。
「ふ…真に仕事ができるなら、息せき切って駆けつける必要などないはずですが…私どもも、サクリア調整は済ませてきておりますが、あのように髪振り乱して、息あがらせて、此方に参ったことなど、皆無でございますね、クラヴィス様」
「ああ、サクリアの潤沢さが、今は幸いしてな…ものの5分で執務が終わってしまうので、今までは、手持ち無沙汰で仕方なかったのだが、おまえに会いこれるとなれば、話は別だ、手早く執務を片付けるのも励みとなるというもの…」
そういや、俺もここに来る時間を捻出するために、執務を無駄なく手際よく手早く済ませるようになってんな…とゼフェルは思い、このクラヴィスですら執務に精励してるってのもすげーよな、とも思い、そう思ったことで、はっと、気づいた。あのアンジェの身辺にやかましいロザリアが、守護聖の補佐官執務室いりびたりに関しては静観・黙認を決め込んでいるのだが、それは、守護聖が牽制しあうことで、執務が手際よく効率よく片付くからじゃないかと。なにせ、今は、宇宙が移乗したばかりで、本来なら、皆、非常に多忙なのだが、アンジェリークのところ来たさに、どの守護聖も、躍起になって馬車馬のごとく執務をこなすので、恐ろしい勢いで仕事の山も片付いていっており、新宇宙の精査も、予定より早く終わりそうな勢いだった。もし、これも見越して、アンジェを攫って女王宮詰め&外出禁止、ただし、訪問は自由にしたのなら、ロザリアの慧眼、誠に恐るべしだぜ、と。
と、ゼフェルが内心、ロザリアの采配に舌を巻いていると、さりげなさを装って、またもクラヴィスが、執務に費やす時間にかこつけて、アンジェリークを口説きにかかっていた。
「また、結婚となれば、それも幸いとなる…というわけでだ、私が花婿なら、仕事に費やす時間が少なくて済む分、花嫁と一緒にすごす時間をたくさん取れるぞ。私なら、花嫁を存分にかわいがってやれる…どこぞのワーカホリックと違って、まちがっても仕事にかまけて花嫁を寂しがらせることなど、ないと誓おう」
「?…そうですねー、クラヴィスさまのお嫁さんになれる方はお幸せですねー」
「!!!…お、お嬢ちゃん!?」
「はい?オスカー様?どうなさったの?なんだか、お顔色が…」
「そうであろう?そなたも、幸せになれるぞ?」
「はい!それは、もう!だって…私、もうすぐ、オスカー様のお嫁さんになれるんですもの、きゃv…本当に幸せです…」
「っ!……お嬢ちゃん…俺は、今、猛烈に感動(かつ安堵)している…ああ、俺は君を、今より、もっともっと幸せにする、絶対、この世で一番幸せにするからなー!」
「いやん、オスカー様、二人で幸せになる、ですよ、ふふっ…」
「(憮然)…」
「中々上手く参りませんね、クラヴィスさま」
水面下で、自分を巡り激しい攻防戦が丁々発止と繰り広げられていることに、アンジェリークは全く気づいていないようだった。
ただ、これだけ周囲が賑やかでかまびすしければ
『この分なら、こいつが寂しくて困るってことはなさそうかな…』
とゼフェルは、やはり安堵半分、寂しさ半分の気持を味わっていた。
だが、夜はどうなんだろう?陛下がいるから、あんまり心配はないかもしれないが…そのうち折りをみて、アンジェリークに夜の様子を尋ねてみようとゼフェルは考えた。
その機会は、意外に早くやってきた。
翌日、いつものように、アンジェリークの執務室を訪れると、珍しく、先客の守護聖が誰も来ていなかった。
「よう、アンジェ、今日は珍しくお笑いコンビ、いや、オスカーもいれるとトリオ芸人か…は、きてねーんだな」
「?…お笑いコンビってどなたのことですか?オスカー様も入れるとトリオ???よ、よくわかりませんけど、オスカー様なら、もう少ししたら、顔を出せそうだって、さっきヴィジフォンをいただきました、ふふっ…」
「そっか、昼間はお笑い芸人が、場を盛り上げてくれてるからいいとしてもよぅ、アンジェ、今、夜は、どんな具合だ?寂しい思い、してねーか?眠れねー夜とか、ねぇか?」
「あ…ありがとうございます。ゼフェルさまって、ほんと、お優しい…前も…試験中も…昼間より、夜の方が寂しいだろって、私のこと心配してくださいましたよね…それで、あの可愛いコを私にくださって…」
「ん、まぁな…」
アンジェリークが、あの当時のことを覚えてくれている、それだけで、ゼフェルはくすぐったいような、いたたまれないような想いがこみあげてきて、痒くもない鼻の先を、指先でぽりぽりかいた。
「で、おめー、その玩具、今は、どうしてるんだ?女王宮に持ってくる暇、なかったんなら…また似たようなもん、作ってもってきてやろうか?」
「え?そんな、いいですよー、申し訳ないです、お家で、あのコ、ちゃんと、待っててくれてるんですもの、お家に帰れば、あのコがちゃんといるのに、もう1つ、なんて、もったいないし、申し訳ないし…」
「なら、そいつを、ここに持ってこなくていいのか?俺、おまえの家から持ってきてやろうか?仕舞ってある場所、教えろよ」
「ええー!そ、それは、もっと、申し訳なさすぎて、とてもゼフェルさまにお願いなんてできません!そんな、守護聖さまに、荷物を持ってきていただくなんて…」
「んだよ、オスカーには、色々もってこさせてんだろ?なら、俺に頼むのだって同じだろーよ」
「オスカー様にも、申し訳ないって思ってるんですー、ロザリアが、何でも用意してくれてるから、当座で必要なものは、そんなにないですし…けど、オスカー様、それはそれは、張り切って、毎日、色々なものを持ってきてくださってて…でも、オスカー様が持ってきてくださるのは、私の私物じゃなくて、お花とかお菓子とかですよ?だから、ゼフェルさまに自分のものを取りに、お使いを頼むなんて…わざわざ、オスカー様のお屋敷に寄っていただいて、また、こちらに来ていただくことになっちゃうから、流石に、申し訳なさすぎ、恐れ多すぎです〜」
「あ、そっか…おまえの『お家』は、オスカーの屋敷だもんな…」
ゼフェルは、突然、なんとなく、鼻白むような、面白くないような気持になって、言葉が尻すぼみになった。
と、
「おっじょおちゃーん!今日も無事かー?!」
そこにいつもの如く、重戦車のような大音響と大振動を伴って、オスカーが勢いよく入室してきた。
「あ!オスカー様!今日も来てくださって…お会いできて、嬉しいです…」
「あったりまえだぜ、お嬢ちゃん、お嬢ちゃんの笑顔が俺のカンフル剤、お嬢ちゃんの鈴を転がす声が俺の元気の源なんだからな、1日のうち20時間はお嬢ちゃんの顔をみていないと俺はどうにも落ち着かない…」
「くすくす、20時間っていったら、1日のほとんどじゃないですか、お寝みになってる時間まで食い込んじゃってますよ?オスカー様、ふふっ…」
「いや、俺は大体4時間睡眠で足りるから、その計算でいいんだ。今までは、君の安らかなかわいい寝顔を眺め、自分が眠っている間も君の温もりを素肌で感じられたから、なんとかしのげたんだが…昼間限られた時間しか君に会えない今は、俺は、万年飢餓状態だ、お嬢ちゃん、さ、もっとよくその可愛い顔を見せてくれ、仕事で無理はしていないか?夜はきちんと眠れているか?」
「もしもーし、俺の存在、視界に入ってっかー」
という、なにやら投げやりな声が耳に入ってきて初めて、オスカーはゼフェルに気づいたようだった。
「なんだ、おまえ、いたのか」
「ったく、真剣に、たった今気付きやがったな…傍若無人にも程があらぁ」
ゼフェルは、どうも、何もかもが面白くなかった、オスカーの言動が一々癪に障る。
「そういや、ゼフェル、最近、おまえ、よく、ここでみかけるが、執務は大丈夫なのか?」
「へっ!生憎、俺は、やればできる子なんでなぁ、サクリアの調整なんざ、ぱぱぱのチョイよ」
「ならいいが…やっつけ仕事をしてると、後で、しっぺ返しをくらうぞ。俺は、今は、時間はかかっても、仕事はきっちり終らせてから、ここに来るようにしているが…それは、仕事をためこむとロクなことにならんからだ。そうでなくとも、見込み値だけで、サクリアを調整してると、後で補正が必要になって結局、倍、時間がかかる。一見遠回りにみえても、きちんとデータを検証して、実勢値で執務するほうが無駄がない、要するにウサギとカメだな」
としみじみ語っていたオスカーは、最後に、にやりと、なんとも嬉しそうな、そして、幾分悪そうな笑みを口の端に浮かべた。
ゼフェルは、今日不在の守護聖の顔を思い出し、なんとなく、オスカーの言いたいことを察した。
「そういや、おまえ、俺がいる時は、必ずといっていいほど、ここにいるよな…」
「んだよ、俺がアンジェに会いに来ちゃいけねーっていうのかよ」
「そうは言ってないが、ただ、何をしに来てるのかとおもってな…あの二人みたいなヨコシマで身の程知らずな陰謀を画策しているようでもなさそうだし…」
「まぁな…」
「かといって、あの二人の悪巧みから、俺のお嬢ちゃんを守っていてくれた…訳はないよな…」
「ったりめーじゃん!どこまでおめでてぇんだ、おめーはよぅ!第一、俺に、そんな義理があるかよ!」
「もっともだ」
「???」
アンジェリークがまたも盛大に「?」マークを頭上に量産しているので、ゼフェルは、困ったように舌打ちすると、頭をかきかき、ぶっきらぼうにこういった
「いや、俺は…こいつが寂しい思いしてねーか、気になってよぅ」
そうだ、俺は、こいつが沈みこんでいないか、寂しそうな顔をしていないか、それが気になって仕方ない、だから、足しげく補佐官の執務室に来てしまう。そして、こいつの顔を見て、こいつが、ため息ついたり、塞ぎこんでる気配がみえないことに、ほっと、息をつく。『そんならいい』…気になるのは、それだけだった。こいつが塞ぎこんでさえいなけりゃ…こいつが、ちゃんと笑ってるなら、後のことはどうでも良かった。だから、こいつとオスカーのやり取りや、クラヴィスたちがこいつを口説く様子を、俺はいつも傍らで見ているだけ…つまり、ただ、ここにいるだけ…ということが多かった、オスカーが、俺が何をしにここに来ているのかと、疑問に思うのも当然かもしれねー。
そう思ったが、ゼフェルは、何故、アンジェが沈み込んでやしないかと自分が案じているのか…心配してきたのか、その理由は、オスカーには教えたくなかった。替わりに、ゼフェルは、自分が、ここに通う意図だけを、些か挑戦的な瞳で、オスカーに告げた。
「もしそうなら、また、玩具、作ってもってきてやろうかって、言ってただけだ」
「玩具?なんのことだ?」
「オスカー様、お引越しのとき…私が寮から持っていった『オトモダチ』のロボットのことです、試験中、ゼフェルさまが、私が寂しくないように話し相手に、って作ってくださったものなんです…」
「おうよ!天才の俺様が作って、こいつにやったんだ。こいつが…1人で寂しそうな顔してた時…話し相手にでもなれば、って思ってよー」
「…あれは…あの包みはぬいぐるみじゃなく、そうか…ゼフェル、おまえの…」
ゼフェルは、その時、オスカーが、初めて真正面から、真っ直ぐ、自分を見た、そんな気がした。それは、こんな処に思わぬ伏兵をみつけた、という顔ではなかったか。その表情を見た時、何故か、ゼフェルは胸がすっとした。ちくちくといつも胸中にあったトゲの存在を、この瞬間は、忘れることができた。
「そうだ、こいつ、寂しそうなのに、一生懸命、我慢してるみてーだったから、ちっとでも気が紛れればってな…」
『誰かさんに放っておかれたせいで…』といいそうになって、ゼフェルは、すんでのところでそれを押し留めた、何故か、それを言ったら『負けだ』という気がして。
「そうか、おまえの心使いには感謝する、だが、生憎、今は、お嬢ちゃんに寂しさなど、この俺が感じさせない、何も心配はいらない」
何故だろう、オスカーのこの言い草に、ゼフェルは、無性に、かちんときた。
俺にはこいつを心配する権利もねぇってのか、余計なお世話だっていいたいのかよ、という思いが、ゼフェルに、つい、こんな皮肉を言わせてしまった。
「へぇ?そうかい?そういう割りに、今はどうなんだよ?オスカー、おめーの不徳の致すところで、こいつに、今、寂しい思いさせてるんじゃねーの?」
「ぜ、ゼフェルさま…」
アンジェリークがあからさまに困ってしまっていた。
「寂しくない」といえば、オスカーが傍にいなくても平気みたいだし、でも「寂しい」といえば、ゼフェルの台詞を肯定することになってしまう。
「ゼフェル、よせ、お嬢ちゃんが困っている。そういう返答に困る問は、するもんじゃない」
ゼフェルは、その訳知り顔なオスカーの台詞に、更にむかっぱらがたつ。
「んだよ、おめーが信用ねーから、すぐに結婚を認めてもらえなかったのは事実だろうが。実際、おめーは試験の最中も、こいつに不安な思いやら、寂しい思いやら、一杯、させてきたじゃねーか、今更、いい子面すんなよ!」
ゼフェルの激昂した台詞を、オスカーはーゼフェルには意外なことにー落ち着いた態度と口調であっさりと認めた。
「ああ、それは、否定できない。俺は、お嬢ちゃんに…アンジェリークに色々、不安な思いをさせてしまった」
「そんな、オスカー様…」
「ゼフェル、その当時、おまえがアンジェリークのことを気にかけてくれていたことには、純粋に感謝する、だが、俺は…だからこそ、もう二度と、アンジェリークに不安な思いや寂しい思いはさせないと…彼女をこの上なく大切に、幸せにすると心から彼女に誓い…その誓いを受けてもらっている。だから…もう、おまえに心配してもらうには及ばない」
「はい、ゼフェルさま、あの時、オスカー様と会えなかったわけも、今は、もう、わかってますし、その時は、ご心配おかけしちゃいましたけど、それは、その…突き詰めると、オスカー様が私のことを思ってくださってたからで…きゃ…」
「………っ…んだよ…おめーら、お互いに、あからさまにのろけてんじゃねーよ!ばっかばかしい!」
ゼフェルは瞬間、大きく息を吸い込み…何もかも吐き出すような吐息をつくと、軽く頭を振って顔をあげた。そして、澄んだ紅玉の瞳で、優しくアンジェリークをみつめた。
「要は、おめーには、もう、あの玩具は必要ねーってことだな?アンジェ…」
「ゼフェルさま…」
ついで、一転、ゼフェルは、きつい眼差しで、きっとオスカーをねめつけた。
「けどよ、オスカー、おめーが何を約束しようと、ただの言葉なんざ、こいつが二度と寂しい思いをしねぇって保証にはなんねーよ。だから…あの玩具は、そのまま、とっとけよ、アンジェ。いざっていう時の保険によ」
「は、はい、もちろんです、ゼフェルさま、私、あの子を手放す気なんてありませんもの!本当に…かわいい、いい子なんですもの」
アンジェリークが、勢いこんで前にでて、強い口調で言い放つ。まるで、オスカーを守ろうとするように。
「それだけかわいがってくれりゃあ、あいつも本望だろうよ。で…だ。オスカー、忘れんなよ、俺は『ここ』にいる、おまえのすぐ後ろ…おめーがアンジェを抱えそこなった時の用心に、アンジェが、辛い思いをしないですむよう、いつでも『ここ』に控えておいてやるかんな!あの玩具みて、そのことをよーっく胆に命じておきやがれ!」
「ああ、肝に銘じておく、お嬢ちゃんが、玩具のロボットを話し相手に寂しさを紛らわせる日なんて、決してこさせないってな…」
「そういうことは、言葉じゃなくて、行動で示せよな、おっさん、男ならよぅ」
「ああ、まったくおまえの言うとおりだ、ゼフェル」
オスカーが、何故か、笑みをかみ殺しながら肯首した。なんだか、嬉しそうだった。
「…じゃ、あばよ」
ゼフェルは、オスカーのその態度を見るに、何か、とてつもなく悔しい思いがこみあげてくるのを抑えきれず、ぷいと横をむくと、振り向きもせず、補佐官執務室を出て行った。
ゼフェルが辞するや、オスカーは深々とため息をついて、アンジェリークを後ろから羽交い絞めにきゅっと抱きすくめた。
「きゃ…お、オスカー様?」
「いや…若獅子に挑まれるってのは、多分、こういう気分なんだろう…そう思ってな…」
いうやオスカーは、いきなりアンジェリークの頤をつまみあげると、些か強引に後ろを向かせて、やはり、強引にその唇を塞いだ。
「んんっ…」
貪るようにアンジェリークの唇を味わいながら…不安ゆえか、安堵したゆえか…多分、両方だ…オスカーは考える。
姑息な陰謀詐術は、油断はならないが、恐くはない。叩き潰すことにも躊躇はない。
が…真実、侮れないのは、あの恐れをしらないひたむきさ、真っ直ぐ、真正面から向かい挑んでくる迷いのなさだ。
そして、あの…今現在の力量の差をみるやの、見事なまでの引き際…
そんな若者に挑まれ、受けてたち、真摯に対峙して…己が分を悟らせ、自ら退かせる。
ある意味、直接刃を交えるより、よほど高揚する、血が騒ぐ、男と男としての力量が、目に見えぬ次元でぶつかりあい、しかも、互いに力量を見据えるだけの眼力があって、初めて成り立つ戦いだからだろうか。
そんな若獅子が、俺の力量を伺っている、これからも、『おまえに、このたおやかな花を守り抜く力はあるのか、誠実はあるのか』と、俺に、ことあるごとに、真剣な眼差しで問うてくるのだろう。
「負けていられん…ハンパな真似はできんな…する気などさらさらないが…」
「お、オスカー…さま?」
瞬間、漸く唇を解放されたアンジェリークが、荒い息を押しながらオスカーを見上げた。オスカーは、ふ…と優しくアンジェリークに微笑みかける。
「お嬢ちゃん…君がいてくれれば、俺は無敵だ…君がいてくれるから…俺は…何にも、どんなものにも負けない…」
それは裏を返せば、君がいなければ、俺は…
「はい、オスカー様、私こそ、オスカー様のお傍にいたいです、ずっと、一緒に、いさせてくださいね…」
瞬間、浮かびかけた暗渠のような思念は、どこまでも晴れやかで健やかな思いに、あっという間にかき消される。
「ああ、アンジェリーク、離さない、離すものか…決して…」
オスカーは、心からの謝意と無窮の愛情をこめて、アンジェリークをきつく抱きしめ、再び口付ける…と
「…すとーっぷ、オスカー、そこまでよ。きちんと結婚式を挙げたいなら、ね…けじめをつけなさい、けじめを」
憮然とした表情で、宇宙の女王陛下が仁王立ちに立っていた。
「え?きゃ…ロザリア…いつからそこに?」
無意識にか、あわてた様子で身体を離そうとしたアンジェリークを、オスカーは許さず、己が胸の中に留めおく。
「まったく、ゼフェルがいるから大丈夫と思ってたのに…で、ちょっと席を外せばこれだものね…」
「あ、あの、ロザリア、私、オスカー様とキスしちゃいけなかった…の?あの、オスカー様はね、何にも悪くないのよ、だから…」
ロザリアが、やれやれといった顔でため息をついた。
「…わかった、わかった、ただ、キスは、他にギャラリーがいない時だけにしておきなさい、少なくとも守護聖にあんたたちのキスシーンは絶対見せちゃダメよ…なんていうか、オスカー、あんた、気をつけないと、同僚の守護聖のみならず、聖地中の男性職員から嫌われるわよ」
「ええ?そんな…どうして、オスカー様が?」
「全身から警戒心?挑戦?戦いを挑む?みたいな…あんたを誰にも渡さないっていうか…「俺だけのものだ、寄らば切る」みたいなオーラを、あからさまに、これみよがしに、びっしびし出してるんですもの」
確かに、この雰囲気を見る限り、オスカーが、これ以上ないほど真剣に、熱烈に、アンジェリークを愛し、執心しているのは間違いないようだ、誰からみても、わかってしまうくらいに…と、ロザリアも、認めざるを得ない。
『私の危惧は…この子には幸いなことに、杞憂に終るかも、だわね、この様子では…』
そう思いつつも、ロザリアはオスカーに、しっかり釘は刺す。
「けど、無駄に周囲の敵愾心を煽るっていうか、世界中、挑発してるみたいっていうか…そういう無駄な闘争心を駄々漏れにするのは、やめてもらいたいわね、職場の雰囲気が荒れるから」
「これは、失礼いたしました、俺の…若気の至りということで、ご容赦いただきたい」
若獅子に挑まれた興奮を引きずるとは…俺らしくない…いや、むしろ俺らしいのか?
オスカーは、僅かに苦笑すると、優雅に一礼して、こう言った。
「愛しの花嫁を…新妻を、真実、この手にできれば、俺の猛った心も、落ち着きますゆえ、今しばしのご辛抱を、陛下」
「よっくもまぁ、ぬけぬけと…って、あんたは嬉しそうな顔するんじゃないの!」
「は、はい!」
女王陛下の叱責も虚しく、もうすぐ訪れる晴れの日を思いうかべたのであろうアンジェリークは、嬉しそうな笑が抑えようにも抑えきれずに溢れ、零れさせてしまう。その笑顔にオスカーの口元も柔らかく綻ぶ。
この天使をこの腕に抱く以上、他の守護聖からやっかまれて嫌われるのは仕方ないと思うが、それでも、無用の争いを避けるにしくはない、第一、アンジェリークがはらはらと気を揉むような事態を招くのは、全く持ってよくない、先刻、学習したからな…さっきみたいな心配をさせるなんて論外だ…
そう思ったオスカーは、自分の妬心?焦慮?不安?そういった感情をもう少し制御するべきだろうと、考えた。この天使が、傍らにいてくれれば、難しいことではないはずだ、だって、アンジェリークの誠実で真摯な愛を、俺はいつも感じているのだから。そう、俺はアンジェリークの愛を疑ったことなどない、俺を脅かすのは…もっと、根源的な…別のものだから。
けど、彼女と式を挙げて、一緒に暮らせるようになれば、この感情の制御も、もっと易くなることだろう、きっと…多分、きっと。
「お嬢ちゃん、俺は君との挙式の日がまさに一日千秋…待ちきれない思いだぜ」
「それは、私も同じです、オスカー様、私も、オスカー様とのお式の日が、待ち遠しくて仕方ありません、あと少しってわかっていても…それでも…」
「ああ、そうだな…本当にそうだ…」
オスカーは、柔らかで暖かなアンジェリークの存在を、しっかり確かめるように、なおかつ、それはそれは大切そうに、両腕で包み込むように抱きしめた。
ロザリアが、やれやれという顔で肩をすくめているのも、気にならない、オスカーにとって大切なのは、この何より大切な掛け替えのない存在が、己が腕の中にあること、それだけだったから。
ゼフェルは、足音も荒く、どこへという当てもなく、聖殿を早歩きで歩いていた。
最初から、わかってた…わかりきってたことだった。
こいつが寂しい思いをしてるんじゃないかと俺は案じてた、そして、その理由を俺はわかっていた。
なんで、こいつが寂しい思いをしてるんじゃないかと、心配してたんだよ、俺は…答え:こいつが、今は、オスカーと自由に会えないから、Q.E.D
そう…あいつの心の中心は、いつもオスカーのヤツで…心のど真ん中に、オスカーが居座ってやがって…
だから…オスカーが、俺に、アンジェのことを心配してもらうには及ばないって言うのは、イジワルでも心が狭いからでもねぇ、それが、客観的事実、まったくの真実だからだ。俺が、傍にいたってダメなんだ、玩具なんて、あったって何にもなりゃしねぇんだ、あいつを心から笑わせてやれるのは、オスカーの存在、それだけだからだ…。
俺自身、それを、知っていた、知っていたからこそ、あいつのことを心配してたんだ、まったく、語るに落ちるとは、このことかよ!癪に障るったらありゃしねぇ!
そして、暫く、傍でみてたからわかった。
ちょっとくらい、寂しい思いをすることがあったとしても…もう、こいつは揺らがねぇ。
オスカーと一緒の人生を歩んでいくこと、こいつには、それこそが「自らの意思で選び取った誇りある選択」だからだ。
きっと、その選択に伴う一切合財…親兄弟と離れて聖地で生きていくこと、時の流れに置き去りにされること、なのに歴史に名を残さない補佐官になること、何もかもひっくるめて、抱えていく覚悟なんざ、とうにできてるんだ、俺が心配してやる余地なんて、どこにもねぇし…なくて正解なんだ。その決意は、一人、あのオスカーのためなんだから…。
そうだ、わかってたことじゃねぇか…。
でも、それでいいんだ。
思い出せ、俺自身、俺の彼女には、玩具で、気を紛らわせたりはさせねーって思ってたことを。
それを思えば、オスカーの…あの野郎の宣言には、文句のつけようがねぇよ、むしろ、あれくらいの漢気見せてくれなきゃ、あいつのこと、安心してまかせらんねーしな。
何より、忘れんな…俺は…俺自身が安全網になるって決めたことを。
そして、安全網は使われないなら、使わないにこしたことはねぇんだ。
保険ってのは、そういうもんだろ。いざって時、万が一の時のためにかけておくもんだが、最後まで使わないで、結果、無駄になったほうがいいに決まってるもんだ。
『でもよ、安全網の存在は、忘れてもらっちゃ困るぜ、つか、忘れんなよ。オスカー』
俺はいつでもここにいる。
いざって時に、アンジェリークを受け止められるよう、抱きとめられるよう。後ろに控えててやっからな。
そう、思いきったからだろうか…ゼフェルは、その日をこの上なく静かな厳粛な気持で迎えることができた。
その日のアンジェリークは、やはり、思ったとおりの…否、想像を超えた愛らしさ、美しさで、この上なく幸せそうだった。
ゼフェルは言葉を忘れて…ジュリアスにエスコートされて、自分の目の前を横切っていく純白の天使を、その横顔に見入った。
こんなに美しく晴れやかなこいつの姿は、あのやろうが待っているから…あいつが隣に立つからこそかよ、ちくしょーめ、と、一瞬思ったものの、これくらいの悪態は許せよな、と、自分に言い訳し…でも、二人の宣誓の言葉が終った時、真っ先に力いっぱい拍手している自分にゼフェルは気づいた。
ゼフェルは、そんな自分が、ちょっと好きになった。
『がんばれよ』
そんな言葉が胸の中一杯に広がっていた。その分、胸の中のトゲが、いつのまにか消えてなくなっていたことには、この時のゼフェルは、まだ、気付いていなかった。
FIN