国の首都であるこの都市の中でも特に歴史と伝統のある一等地に建つそのホテルは格式・サービス・伝統の全てにおいて超がつく一流だった。もうすぐチェックアウト時刻のこととて、ロビーは人で溢れ返り、ざわついた雰囲気だった。
ホテル・コンシェルジュは、どの客のどんな対応にも即座に対応すべく、雑多な人の流れに目を配っていた。今日は平日だが、この国では男性が恋人に贈り物をするという日なので、メインダイニングの予約も多く普通の平日より来客数が多かったからだ。ロビーは、この日の象徴ともいえる真紅のバラの花で溢れていた。
「少々、尋ねたいことがあるんだが…」
「はい、どのようなご用件でしょう」
落ち着いた艶のあるテノールに話しかけられ、コンシェルジュは、即座に声のする方に振り向いた。
燃えるような紅い髪を持つ長身の青年が立っていた。上背のあるすらりとしなやかな体躯を、シックな、見るからに上質のスーツに包んでいる。浅黒い肌は精悍な印象を与えるが、薄青の涼しげな瞳は深い知性をうかがわせ、通った鼻梁にきりりと引き締まった口元は端整の一言に尽きた。靴もきれいに磨かれ足元にも隙がない。
コンシェルジュは、この見るからに美丈夫と言う言葉の似合う青年紳士が数日前からVIPルームに滞在していた逗留客であることを思い出していた。確か、今日チェックアウトのはずだった。
「今日は何か特別な日なのだろうか?道行く男性の多くが、真っ赤なバラの花束を小脇に抱えているようだが…」
発せられた言葉は些か古風な言い回しで、エキセントリックなアクセントがあった。何よりこの国の、特に若い男性にとって最も重要な日を知らないことは彼が異邦人であることを告げていた。
「ああ、そのことでしたら…この国では、今日はヴァレンタインの日と申しまして、恋人たちが愛を確かめあう日なのです。男性が愛する女性にバラの花束をプレゼントすることが慣わしとなっております」
「ほぅ…それはまた風雅な慣わしだな。…それなら…俺もフローリストに最高のバラの花束を一つ、注文させてもらいたいが、今からでも可能だろうか」
「かしこまりました、少々、おまちください、ただいまフローリストに確認いたしますので」
コンシェルジュは即座に生花部門に問い合わせをいれ、関係者にだけわかる符牒でVIPルームのお客様がバラの花束を所望の旨を伝えた。
「少々お時間を…20分程度いただければ、お届けできるとのことですが、いかがいたしましょう。ご出立のお時間に不都合はございませんでしょうか?」
「かまわん、どちらにしろ、向こうは日付が異なるしな…ああ、リボンはピンクで頼む」
コンシェルジュは花束の作成をなるべく急ぐようフローリストに命じながら、この青年紳士が日付変更線を越えた先の外つ国(とつくに)からの来訪者であると確信した。だから、流暢ながらも言葉に些か風変わりなアクセントがあるのだろうとも。
程なくしてフローリストが豪華な紅バラの花束をささげもってきた。青年客がチェックを切ってバラを受け取った。青年客は手にしたバラを見て満足そうに微笑んだ。コンシェルジュは職業柄、所謂芸能人や上流階級に属する人々を多々見てきたが、これほどバラの似合う青年は他にみたことがない、と自信をもって断言できた。
客のプライバシー詮索は厳禁だし、ホテルマンにあるまじきことと知りながら、コンシェルジュは、この青年は一体何者なのだろうと考えずにはいられなかった。端整で秀麗な容貌はどの銀幕のスターにも引けはとらないが、メディアで見た覚えがない。自信に満ち堂々とした風格を持ちながらも威圧的な雰囲気や高慢な気配は微塵もなく、立ち居振る舞いには流れるように優雅な品格があった。よほどの家柄の青年実業家か…いや、どこかの国の王侯貴族かもしれない…。
そして、こんな男性美の真髄を極めたような青年からバラの花束を贈られるのは、どんな女性なのだろうか。近寄りがたいほど気高く美しい淑女なのか、それとも、譬えようもないほど愛くるしい可憐な女性なのか…何にせよ、このような青年に愛されているのだから、とても魅力的で、幸福な女性に違いないと、コンシェルジュは想像せずにはいられなかった。
アンジェリークは、うきうき、わくわくと待ち遠しい、落ち着かない心持でいた。
今日、数日振りにオスカーが出張から帰ってくるのだ。
オスカーが出張にでるのは珍しいことではなかったが、今回のオスカーの出先は、宇宙でも辺境の惑星で惑星単位の統一政府もできていない、かなり未開の星だった。気候も制御されていないので、惑星のどの地域に降り立つかで、環境が全く異なるらしい。
オスカーが寒い地域から帰ってくるのか、熱い地域から帰ってくるのかによって、空調や食事を工夫しようと思い、アンジェリークはオスカーのいる惑星の現在の日付と地域ごとの気候を調べていた。
「オスカー様のいらっしゃるのは…この星の日付では2月の半ばで…場所は確か北半球だったはず…ってことは一般的に寒いのね…お風邪なんてお召しになってないといいけど…あれ、そういえば、なんていう地域にいらしてたんだっけ…」
アンジェリークは一生懸命、オスカーの降り立った筈の国名を思い出そうとしていた。しかし、この未開惑星には国が200弱もあって、北半球にある国だけに絞って国名をざっと見わたしてみても、アンジェリークにはどうしても思いあたるところがみつけられなかった。それにしても、どうして、この星はこんなに細かく地域ごとに分割されているのかしら、と不思議に思いながら、アンジェリークはそれぞれの地域の翻訳情報を見ているうちに、とある記事に目をとめた。
なんでも、この星のある国では、2月半ばに、女性から愛する男性にチョコレートを贈って愛の証とする習慣があるという。
「うーん、オスカー様がいらしてたのは、この辺りだったかしらー、ダメだわ、思い出せない…」
でも…とアンジェリークは考える。
もし、オスカー様がこの国に降りていたのなら…多くの女性が愛する男性に、チョコレートを贈る場面を何度も目にしたかもしれないわ。そして、あれは、一体、どういう習慣なのだろう、何のための贈り物なのだろうって不思議に思ったかもしれないわ。もしかしたら「女性が好きな男性にチョコレートを贈る日がある」って、その国の人から聞いて、面白い習慣があるものだなってお思いになったかもしれないわ。そこに…オスカー様がその国からお帰りになった時、私が、その国の女性と同じようにチョコレートを渡したら、オスカー様、どう思うかしら。びっくりなさるかしら?
「うふふ、ちょっと楽しいかも…」
企みともいえないようなささやかな企みだけど…
アンジェリークは、くすくす笑いながら、厨房に駆けていった。チョコレートの温度調節(テンパリング)には、それほど時間はかからない。オスカーの帰宅時刻までに型抜きチョコレート…いや、オスカーの好みを考えたらさっぱりとて芳しいフルーツのチョコレートボンボンがいいかも…を作る時間くらいは十分にありそうだった。
玄関の車止めに馬車が止った音が聞こえた。
『お帰りになったんだわ!』
呼び鈴もノックもなるより前に、アンジェリークは飛ぶようにホールに駆けおりていった。執事が丁度、玄関の扉を開けた。燃え立つような真っ赤な色…オスカーの髪の色だ…がアンジェリークの瞳に飛び込んできた。
「オスカー様、お帰りなさい!」
アンジェリークは、オスカーの広い胸めがけて思い切りよく飛び込むように抱きついた。すかさず、アンジェリークの華奢な腰が大きな逞しい手で受け止めて支えられた。
互いに互いの温もりをその身に感じた瞬間
「お嬢ちゃん。この世で1番愛する君に、このバラの花束を…」
嬉しそうな笑みを含んだ艶やかな声が、耳元で甘いささやきを奏でると共に、アンジェリークの鼻腔はバラの甘い芳香に満たされ、目の前は、鮮やかな真紅の色…オスカーの髪の色とは少し色味の違う真紅の色で埋め尽くされた。
同時に、アンジェリークの柔らかく暖かい身体をしかと抱きとめたオスカーの鼻腔には、カカオとフルーツの甘い芳香が届き
「オスカー様、私の大好きの気持ちが一杯詰ったチョコレートです、どうか、受け取ってください」
というアンジェリークの愛くるしい言葉と共に、一つ一つチョコレートでコーティングされ、小さなバスケットにきれいに盛られたフルーツチョコボンボンが差し出されていた。
オスカーとアンジェリークは、二人それぞれに、互いの顔と互いからの贈り物を交互に見つめた。
「オスカー様…これ…すごくきれい…どうしたんですか、このバラの花」
一瞬ぽーっとしてしまったアンジェリークは、抱えきれないほどの大きくて立派なバラの花束に埋もれてしまいそうだった。バラの甘い香がむせ返るようで、今も夢を見ているような心持だ。
「あ、ああ…今度の出張で行ってきてた星の風習なんだが、2月14日は男が愛する女性にバラの花束をプレゼントして愛を誓う日なんだそうだ。それを聞いて、だから、俺も君に最高のバラの花束を贈りたい…と思ってな…」
「ま…ぁ…オスカー様…嬉しい…ありがとうございます」
「お嬢ちゃんこそ、このチョコレート菓子はどうしたんだ?」
「あ!そうなんです、オスカーさま、私もです、私、オスカー様のいらしてた星には、2月14日に、女性が愛する男性にチョコレートを贈って、愛を告げる習慣があるって聞いて、それで、私もオスカー様に、オスカー様が大好きっていう気持ちをお伝えしたいと思って、チョコレートを用意してたの…」
二人は、もう一度、互いに互いの顔と贈り物を交互に見比べ、次の瞬間、二人で笑みをかわしあった。
「やだ…私ったら、オスカー様のいらしてた場所とは、違う国の風習に倣ってしまってたみたいですね」
「いや、贈るものが異なるだけで意味合いは同じだろう?愛し合う二人が、贈り物をして互いに愛を確かめあうという…な?」
オスカーは改めて、アンジェリークの腰をぐいと抱き寄せた。
「外つ国に伝わる恋人たちの愛の誓いを聞き知った時、俺は、すぐさま、君にバラの花を贈ることを思ったが、同じように、君は、俺に甘いチョコレートを食べさせたいと思ってくれたんだな…互いに、同じほど熱く深い思いを胸にして…お嬢ちゃん、ありがとう、俺ほど幸せな男は、宇宙のどこを探してもいないぜ、絶対にな」
「オスカー様、私も、私もです、オスカー様を大好きな気持ちを贈り物に託してお伝えできるならって思って…そうしたら、オスカー様も同じように思ってくださってたなんて…オスカー様、ありがとうございます、私、あんまり嬉しくて…どうしよう、どうしていいかわからないくらい、嬉しくて、幸せです…」
「ああ、わかっている、アンジェリーク」
オスカーは、少し瞳を潤ませてしまったアンジェリークをいたわるように、幾つも触れるだけのキスを落とすと
「その、君の愛の証を一つ、食べさせてくれないか?」
と、甘えるようにアンジェリークの耳元で囁いた。
アンジェリークは一瞬、びっくりしたように瞳を見開いたが、すぐに微笑んで、チョコレート掛けした真っ赤な苺を一つ摘まむと、自ら口を開ける仕草をしながら、オスカーの口元に差し出した。オスカーは嬉しそうに瞳を細めると、差し出されたアンジェリークの指先に口付けるようにして、一口で苺をぱくりと食べてしまった。
「…うん…美味い」
「ほんと?オスカー様…」
「ああ、甘くて、口の中で蕩けて、蕩けた後から瑞々しい果汁が豊かに溢れてくる…」
と言うと、オスカーはアンジェリークの唇にちゅっと口付け
「まるでお嬢ちゃんそのものだ」
と付け加えた。
アンジェリークがぽっと頬を染めた。
「やん、オスカー様…」
恥らうアンジェリークを優しく見つめると、オスカーはバラの花束とチョコレート毎、ひょいとアンジェリークを抱き上げた。
「…さ、じゃあ、俺たちの部屋に行こう、お嬢ちゃん、そして、その、心尽くしのチョコボンボンを、一つずつ、俺に食べさせてくれ」
「オスカー様…」
「ああ、それとな、俺は、1番好きな、1番美味しいものは、最後に食べたいんで、とっておいてくれるか?」
「あ、はい、どのチョコがお好みですか?」
「ふ…決まってる…」
オスカーはアンジェリークにだけ聞こえる声で、短い言葉をそっと耳打ちした。
すると、アンジェリークは弾かれたようにオスカーの胸に顔を埋めてしまった。揺れる金の巻き毛の合間に見えるうなじも耳朶も真っ赤に染まっていた。
「おっと、あまり熱が上がるとチョコが融けちまうかな、いや…とろとろに融けたホットチョコレートもまた一興か…」
「ん、もう…オスカー様のばか…」
アンジェリークは困ってしまったように、オスカーの胸にすりすりと、額をすりつけてきた。
オスカーはなんとも嬉しそうに瞳を細めて、アンジェリークの額髪に口付けながら、意気揚々と2階の寝室に向かう階段をあがっていった。
オスカーにとって1番美味しい、1番嬉しいものをじっくり味あわせてもらうために。
FIN
基本的に私は、聖地背景で宗教行事ネタを扱うことには懐疑的です、聖地はあきらかに文化&宗教背景の異なる世界なんですから、数多い宗教の1つであるキリスト教ベースの行事が「当然」のように、ましてや、女性から男性にチョコレートを贈るというのは、あくまで日本だけの風習なんですから、それが常識(アンジェオスカーともども)みたいに行われるのは、私には違和感なのですが…(コメディ&パラレルは除く)アンジェは無国籍風といっても日本のゲームだし、お祭なんだから、細かいことはいーじゃんって言われればそれまでなのですが、こういう性分でして…(汗)
なので、オスカーとアンジェでバレンタインネタを書くなら、こういう説明のつくアプローチで書いてみたかったのです。
でも、中身はオスカー様礼讃&はっぴーあまあま・ラブラブという、私の基本は外してません(笑)
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