「お、珍しいな、今夜はターキーか」自分の前に給仕されたメインディッシュを見てオスカーが言った。
「ええ、なんでも主星では感謝祭とか謝肉祭のシーズンらしくてそのご馳走用の旬の素材が今朝厨房にとどいたらしいんですよ。」
同じように皿がサーヴされるのを待ってアンジェリークが答える。
「今、下界は収穫のシーズンか…」
甘酸っぱいラズベリーソースを優雅な手つきで肉にからめながらオスカーが独り言のように呟いた。
「ええ、だからデザートも多分かぼちゃを使ったものじゃないかと思いますよ。」
「主星の収穫祭の食材はターキーにかぼちゃときまってるのか?グリンピースじゃなかったことに感謝したいぜ。子どもの頃一度甘いグリンピースマッシュのタルトをデザートで食わされたことがあったんだが、どうにも口にあわなかったんでな。」
その時のことを思い出したのか、オスカーの形のいい眉が僅かにしかめられた。
アンジェリークはくすくす笑いながら答えた。
「うふふ、地方によっても違いますけど、グリンピースを使うところはなかったんじゃないかしら。収穫祭も場所によって感謝祭だったり謝肉祭だったり収穫祭だったり名前もいろいろで、メインのご馳走も羊だったり鳥だったりいろいろですけどね。」
「だが、メインがターキーときたら、デザートはかぼちゃがついてくるものなのか?」
器用に骨から身をはずしながらオスカーが重ねて尋ねた。
「ええ、普通はそうです。今日のデザートはパイかな?シフォンケーキかな?プディングかムースか…アイスクリームかもしれませんね。私だったらかぼちゃのプティングがいいな。シェフに頼んでおけばよかったわ。」
「かぼちゃのプティングじゃなくて、その全部頼んでおけばよかったの間違いじゃないのか、お嬢ちゃん?」
幸せそうな表情でデザートに思いを馳せているアンジェリークをオスカーがにやにやしながらからかう。
「ひどーい!オスカー様ったら。私そんなにくいしんぼじゃありませんったら!」
「甘いお菓子以外なら確かに食いしん坊とはいえないがな。こと、お菓子に関しては別だろう?甘いお菓子ばかり食べてるからお嬢ちゃんはどこもかしこも甘いのかな?身体中どこもかしこも、その吐息までもな…」
「やだ…オスカーさま…みんなに聞こえちゃいます…もう…」
「聞かせてやりたいのさ、お嬢ちゃんのあの時の声もとびきり甘いしな…」
「そそそそれ以上言ったらだめです〜!」
真っ赤になってしまったアンジェリークを見てオスカーはくっくっと笑みを噛み殺していた。
「まったくお嬢ちゃんはかわいいな。今すぐお嬢ちゃんの甘さを確かめたくなるぜ」
「も、からかわないでください…」
困りきってしまっているアンジェリークの手をいきなりとって固く握り締め、指をつつつとなぞりながらオスカーは真剣な瞳でアンジェリークを見つめた。
「からかってなんかいないさ。ほら…」
やおらとっていたアンジェリークの手を口元にもっていきオスカーはアンジェリークの指をぺろりと舐めた。
「!!!」
「やっぱり甘いぜ。お嬢ちゃん?」
ウィンクをよこすオスカーにアンジェリークはもう言葉もでない。
「そういえば主星の収穫祭は実際のところ何日なんだ?」
オスカーは涼しい顔で会話を続ける。実際はアンジェリークの指先一本一本にキスを落としてはときおり舌で舐りながら。
「は…あ?ああ…何日とはきまってなくて、11月最後の週末が多いみたいですよ。首都の大通りにはパレードや出店がいっぱい出てとっても賑やかなんです。私も子どもの頃連れて行ってもらった覚えがあります…」
オスカーが自分の指を舐っている感触に気を取られて、アンジェリークはなかなか言葉がでてこなかった。
オスカーからなんとか手を抜き取ろうとアンジェリークは力をこめてみたが、オスカーはしっかりとアンジェリークの手を握って離してくれない。
「ふむ…」
アンジェリークの指に唇を寄せながら、オスカーはなにやら思案顔だった。
「も、オスカー様、手を離してください〜。みんなにみられちゃうし、これじゃご飯が食べられません〜」
「今更気にするやつがウチの屋敷にいるとは思えないが…だが、お嬢ちゃんが楽しみにしてるデザートを食べられないのは確かにかわいそうだな?」
オスカーが漸くアンジェリークの手を開放してくれた。
「ん、もう、オスカー様ったら…」
その手を胸元で組みあわせ、アンジェリークは必死に胸の鼓動を鎮めようとしていた。
「それとも、まだ離さないで、もっと違う所も舐めてほしかったか?手を離されてなんだか残念そうに見えるぜ?俺はデザートがお嬢ちゃんでも一向にかまわないがな。なにせ、なにより甘くていいにおいがするからな?」
「もう、もう、あんまり私を困らせないでください、オスカーさまぁ…」
からかわれているということはわかっても、アンジェリークはオスカーをうまくあしらう事がどうしてもできなかった。
オスカーは本気で受取るにはあまりに恥かしいセリフを平然と、そしてとても楽しそうに言うのだが、その内容はあくまであまりに開けっぴろげな誉め言葉ばかりなので、逆にアンジェリークは、
『自惚れちゃだめよ、アンジェ!オスカー様はお優しいし甘いセリフがお得意だから、私のことを楽しませようとしてくださているだけよ!』
と、いつも必死に自分に言聞かせていた。
そうしないと、オスカーのセリフに身体の芯からとろとろに溶かされていきそうな気がしてしまうのだった。
夜の(夜とは限らないが)睦言のときならまだしも、食事中や執務中とかにこういうセリフを連発されると嬉しいけれど、心底困ってしまうアンジェリークだった。
そして、オスカーはアンジェリークが困るとわかっていても、思い立った時に甘い囁きを告げる事をどうしてもやめることができなかった。
アンジェリークはからかわれていると思っているのかもしれなかったが、オスカーはまったく真剣に心の底から思っている事しか口にしたことはなかった。
ただ、アンジェリークの困った顔もかわいいなと思っていたので、アンジェリークが困ってしまうとわかっているシチュエーションでも平気で甘い言葉を発していたのも確かではあったが。
くっくっとオスカーが楽しそうに笑っていると、給仕がデザートを運んできた。
アンジェリークの希望を見ぬいたかのように、デザートはかぼちゃのプティングだった。
食事が済むと、オスカーは
「お嬢ちゃん、俺はちょっと調べものがあるから、書斎に行っている。でも、すぐ戻るから、先に風呂にはいったり寝ちゃったりしないでくれよ?」
と、アンジェリークに念押しした上でなにやらそそくさと書斎に引っ込んでしまった。
オスカーの用件が時間がかかりそうなら、先にゆっくり入浴を済ませようと思ったのだが、すぐ戻るといわれたのでアンジェリークは読みかけの雑誌を引っ張り出してぱらぱらとめくっていた。
5分もしないうちに、言葉違わずオスカーが夫婦の部屋に入ってきた。
「お嬢ちゃん、よかった、まだ寝る仕度はしてないな。これから出かけるぞ。」
「え?ええ?今からってどこへ?」
「とりあえず聖殿だ。さ、なにか羽織ったほうがいい。」
アンジェリークに所々ファーのポンポンがついたストールを羽織らせると、オスカーは自分もカジュアルなブルゾンを羽織ってアンジェリークの肩を抱いて車庫に向かった。
エアカーに乗りこみ座標をセットし発進させると、アンジェリークが
「オスカーさま、どうなさったの?こんな時間に聖殿にいくなんて…なにか気になる事でもあったんですか?」
と気遣わしげに尋ねてきた。
「あ?ああ、心配しなくていい。仕事じゃない。ただ、あまり時間の余裕がないんでな…」
多くは語る暇もなくエアカーはすぐ聖殿についた。
オスカーはアンジェリークを連れて聖殿地下の常時開いている主星との次元回廊の間に降りていった。
「さ、主星におりるぞ。間に合うといいんだが…」
「え?え?えええ?」
あれよあれよというまにアンジェリークは一瞬からだがふわりと浮くような馴染みのある酩酊感に包まれ、気がつくと主星の研究院にいた。
「今の時刻は…よし、なんとかなりそうだ」
オスカーがアンジェリークを急かして研究院を出る。
即座に流しのエアカーを拾って、主都の目抜き通りにいくよう指示を出した。
エアカーのAIが今夜はパレードの為主要な大通りは通行止めになっていることを告げる。オスカーは交通規制される道路の手前までいくように再度指示を出すと、エアカーはすべるように動き出した。
ようやくアンジェリークにもオスカーの目的が見えてきた。
「オスカー様、今パレードって…」
「ああ、お嬢ちゃんが週末はお祭りになるっていってただろう?昼に祭りの食材が届いたのなら、聖地が夜になるころには下界では二、三日経っているはずだと思ってな。もしかしたらと思って食後に主星の現在時間を調べたらなんとか週末の夜に間に合いそうだってことがわかったんでな。子どもの頃見たきりなんだろう?このパレードは。俺もお嬢ちゃんの見た祭りがどんなものか見てみたくなったんだ。それでお嬢ちゃんを急かしちまった、すまなかったな。」
「……オスカーさま…ありがとうございます…」
アンジェリークは一瞬大きく瞳を見開き息を飲んでからそっと頭をオスカーの胸にもたせかけた。
『オスカー様は自分がお祭りを見てみたかったなんていってたけど、それはきっと違うわ、私に見せてくれようとして…でも、オスカー様は「君のために」とは決しておっしゃらないの。いつも私のこと考えてくださってるのに、決してそうはおっしゃらないで、自分がそうしたかったからそうするんだっておっしゃるの…』
オスカーはいつもアンジェリークのために心を砕いていながら、その気持ちをアンジェリークに押しつけるような振る舞いや感謝の言葉を強要するようなことは一度たりとしてなかった。
いつだって、自分がしたいからそうするのだと言って、アンジェリークが恐縮したり、負担に思わないようにさりげなく気遣ってくれているのをアンジェリークは感じていた。
だからこそより一層アンジェリークはオスカーの心遣いが嬉しく思えた。いつも心の底から素直な気持ちでオスカーに謝意と愛情を惜しげなく示す事ができた。
オスカーが自分によかれと思っていろいろしてくれることと、それを負担に思わせまいと振舞うこと、その両方に。
「オスカーさま…ほんとにお優しい…大好きです、オスカーさま…」
オスカーの手を自分から固く握り締めてオスカーをみあげながらアンジェリークは切々と訴えた。
この溢れるような思いをこんなありきたりな言葉でしか伝えられないことがもどかしかくてたまらなかった。
オスカーは穏やかに微笑むと言葉で答える替りにアンジェリークの頤を持ち上げ蕩けるようなキスでそれに応えた。
首都の目抜き通りは車両の進入が制限され歩行者のみが入れるようになっていた。
収穫祭のパレード目当てに通り中という通りは人でごったがえしている。
「すごい人出だな…お嬢ちゃん、はぐれないように俺がしっかり捕まえてやるからな。」
「はい、オスカーさま。」
オスカーに肩を抱かれてアンジェリークはその替りにオスカーの腰に手を回した。
道端に出ている出店を冷やかしてると、ほどなくパレードの山車がにぎやかに練り歩いてきた。
バルーンでできたもの、電飾でいろとりどりに飾られた物、花と言う花で倦め尽くされたもの、松明を赤々ともやしているもの、どういう仕掛けか、小型の噴水をのせて静々と進んでくる山車もある。それぞれ人目をひきつけようと趣向が凝らされていた。
「こりゃあ、盛大な物だな…」
「ほんと、すごい…私が子どもの頃にくらべても、もっと派出に華やかになってるみたいです。確か人気投票があって一番人気のあった山車には賞金がでるんですよ。どれが一番人気かあてっこする賭けもあるんですよ」
「ははぁ。その外れた掛け金が賞金になるわけか。さすがに主星の収穫祭は華やかで賑やかだな。」
「オスカー様の故郷ではこういうお祝いはしないんですか?」
「収穫に感謝をささげる祭りはある、もちろんな。だが草原の惑星は農耕よりも牧畜が主体だし、名馬の産地としてのほうが有名だったからな。収穫に感謝するというより、家畜がこの一年無事に過ごせたことに感謝し、来年もまたいい子馬がたくさん生まれるように祈る祭りだったな。だから、こんな派手なパレードはない。精々馬や馬車がきれいに飾ってもらって練り歩くくらいだな。そしてそれがそのまま競売の始まりにもなるんだ。家で大事に懸命に育てた馬との別れの日でもあるんだ、祭りの日はな。そして高く売れるようにというのはもちろんだが、最後のはなむけにできるだけきれいに馬を飾ってやる。飾った馬はしかし売られて行ってしまう…俺の家は軍人の家系だったからあまりそういう物悲しい思いはせずに済んだが、他の子どもにとっては祭りはただ楽しいものじゃなくて、一抹の寂しさを伴ったものみたいだったな…」
「オスカーさま…」
「こういう祭りはいいな。ただひたすら楽しくて、陽気で、純粋に収穫の喜びを味わえて…お嬢ちゃんの素直さに通じる物があるな。やはり、人っていうのは生まれ育った環境に影響をうけるものなのかもしれないな。」
オスカーが人一倍、孤独や別れを嫌う事、心を通わせた上での別れに耐えるくらいなら刹那的な人間関係しか結ばない方がましだといわんばかりの往年の生活の荒れも故郷での原風景がオスカーの心象に根ざしてしるせいかもしれないとアンジェリークは思った。
アンジェリークにオスカーの奥深い心を理解する事は難かった。しかし、だからといって諦めてしまうのはもっと嫌だった。理解はできなくても、少しでも共感したいと思った。
「オスカーさま、でも…私を連れて行って下さいね。オスカー様の故郷のお祭りに…私もオスカー様の故郷のお祭りが見てみたいです…」
「ああ、いつか必ずきっとな。お嬢ちゃんと一緒なら感じ方もまたちがったものになるだろう。」
アンジェリークの肩を一層きつく抱いてオスカーは目の前を行きすぎる山車に目をむけていた。
自分と同じ体験をもちたいと願ってくれるアンジェリークの心情に思いを馳せる。胸にじわりと暖かい物がこみあげてくる。
自分にとって人生の最も大きな収穫はアンジェリークを得られたこと、それはまちがいない。
今日が収穫に感謝を奉げる日だというのなら…自分が感謝をささげるべき対象はアンジェリークを手中にできたその事実だという気がした。
「お嬢ちゃん、今日が収穫に感謝をささげる日なら、俺は俺のやり方で感謝をささげる気持ちを現したいな…この一年つつがなく過ごせた事に感謝し、翌年のいっそうの幸せを祈りたい…」
「?」
アンジェリークが小鳥のように小首を傾げてオスカーを見上げた。
そのあどけない少女のようなを表情を見ていると、アンジェリークの面持ちが無邪気であればあるほどに心がひりつくような想いがオスカーの内部に生じて行く。
どこまでも無垢な聖性を保ち続けている彼女を崇め、称え、愛を請わずにはいられないような焦燥が心を灼いた。
「行こう…俺たちだけの祝祭を寿ぎに…」
有無を言わさずアンジェリークの肩を抱いて、オスカーは人波にさからって雑踏から抜け出し一本奥の通りへと歩を進めていった。
強引ともいえる態度でオスカーはアンジェリークを手近なホテルに連れて行った。
パレード目当ての観光客でホテルは満室に近かった。
最上階のロイヤルスイートだけが空いていると言う。
その部屋でいいといってオスカーはフロントからキーを受取りエレベーターホールにむかった。
アンジェリークはあからさまに戸惑っていた。
「オスカーさま…どうして?」
「嫌か?お嬢ちゃん」
「そうじゃありませんけど、なぜ、今ここで…?」
「この熱気に包まれたような空気の中でなければ、俺の気持ちが伝わらない、死んだように静かな聖地ではだめなんだ…そんな気がするんだ」
説明になっていなかった。自分でも舌足らずだとオスカーは思った。アンジェリークも何のことだか理解できないだろう。自分はアンジェリークを手に入れたことへの感謝の気持ちをどうにかして示したくなってしまったのだ、それも今すぐに。そのことを告げていなかったのだから。
だが、そんなくだくだしい説明はいらないような気がした。アンジェリークもそれ以上くいさがって聞いてはこなかった。
町全体がどこか浮かれた狂騒といった空気に包まれている。祭りの終わりの予感に潜むもの悲しささえもがなにやら心地よい。
自分が感謝をささげたいのはアンジェリーク自身、これからの幸せもアンジェリークあればこそ。今まさに祭りのただなかにあるこの街が、アンジェリークに自分の謝意と崇拝をささげるに相応しい場所のようにオスカーには思えた。
100年1日のごとくなんの変化もない眠るように穏やかな聖地での営みでは、日常のものと変わらない。それは今の自分の気持ちにあわなかった。
「さあ、お嬢ちゃん」
キーをあけてオスカーが促した先には豪奢な調度と、その続き部屋に天蓋付きのキングサイズのベッドのある空間が広がっていた。
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