蛇 2
presented by 合歓様


「オスカー様! 先生をお連れしましたわっ!!」
 
ロザリアが戻ってきた。医師の手配がすむのを、ジュリアスと一緒に待っていたという。光の守護聖も心配していたらしいが、とりあえず、彼女に案内を任せたとのことだった。

 前後して、マルセルもルヴァに蛇の種類を調べてもらったと言って戻ってきた。飛空都市には毒を持った種類はいないとのことだ。その報告に安堵して、オスカーの口から小さくため息が漏れて出た。

 初老の医師は、オスカーの説明する事情を聞きながら、アンジェリークの足の傷を診ていた。

「ふむ・・。オスカー様、適切な処置でしたな。マルセル様のお話でも毒の心配はないようですが、念のため血清を打っておきましょうか?」

 オスカーが頷くのを見て、医師は注射器を取り出した。アンジェリークは嫌な顔をしたが、さっきのオスカーの昔語りが功を奏しているのか、それ以上異議は唱えなかった。

 もう血も止まっていたが、医師は、アンジェリークの傷をもう一度丁寧に消毒し、薬をつけて包帯を巻いた。

「まあ、今日一日安静にしておればよいでしょう。今夜は傷口を濡らさぬよう、お風呂は避けて下さい。万が一、熱が出たりするといけませんので、どなたか、時々夜中も見回っていただけませんかな?」

「わたくし、気をつけておりますわ」

 ロザリアが間髪を入れず申し出てくれた。

「すまないな、お嬢ちゃん」

「いいえ、オスカー様、アンジェリークは時々見張っていませんと、すぐ動き回ってしまうたちですもの。悪化されたら皆が迷惑しますし」

 その言葉に、アンジェリークの頬がぷっと膨れる。

「ひっどーい、ロザリアぁ! 私だっておとなしくしてろって言われればちゃんと・・」「だめ、信じられないわね。この前だって、転んで足をくじいたくせに、じっとしてないで、結局二日も満足に歩けなかったじゃないの!」

「えーん、オスカー様ぁ、ロザリアがいじめるんですよぉ」

 医師は、熱が出たときの薬を処方して、マルセルとともに帰っていった。ロザリアも、夕食まで取り組まねばならないデータの整理があるとかで、自室に引き取った。

「さて・・、俺も帰るとするか・・」

 ジュリアス様にも報告しなければなるまい・・。そう思って椅子から腰を浮かしかけると、そのマントの裾をアンジェリークがとらえた。

「いや、帰らないで下さい!」

 不安そうな顔ではなかったが、何となく後ろ髪を引かれるような思いがした。

「どうした? まだ心細いのか、お嬢ちゃん?」

「・・まだ、そのピアスのわけ、全部伺ってません」
 エメラルドのように澄んだ瞳にじっと見つめられて、オスカーは覚悟を決めた。

「わかった・・。じゃあ、ジュリアス様にご報告してからだ。ちょっと待っていてくれ」 たぶん侍女頭の詰め所にあるだろう、ビジフォンを借りるべく、オスカーはアンジェリークの部屋を出た。

 この先はあまり話したくはない・・。だが、なぜかアンジェリークの瞳と、あの蛇に噛まれた傷口が、俺を問いつめているような気がしてならないのだ。

 もう、どれくらい己の胸の中にだけしまっておいたのだろう。そろそろ虫干しして、新たな思いを加味してもいい、とそういうことなのだろうか。

 まあいい・・。聞いてくれるのがあのお嬢ちゃんなら、ホセもきっと許してくれるだろう。



           ☆      ☆      ☆



 じいさまの死から四ヶ月。俺は新しい年を迎える前に、十七になった。

 士官学校は相変わらず。学年こそ二年になったが、内容は今までと変わらない。むしろきつくなったくらいだ。

 ホセは、じいさまの葬式までうちに滞在して、残りの夏休みをピラールと過ごすべく、村へ帰っていった。

 ホセが帰ってからは、部屋に閉じこもるか、草原へ遠乗りに行って過ごしていた俺だが、新学期が始まるのを待ちかねるように、早々に寄宿舎へ帰ることにした。どうにも、親父と一つ屋根の下にいるのがたまらなくいやだった。

 じいさまは、親父に先祖伝来の大剣を託して死んでいった。俺にくれると言っていたことを思い出して、親父に嫌みを言ってみたが、「学生のくせに」と一蹴された。

 そんなこともあって、親父と顔を合わせずにすむようにしたかったのだ。今、思えば、なんて若造だったんだろう・・と、顔が赤くなるがな・・。

 ああ、そうだ。俺の誕生日の話だったな・・。

 十七になったその日を俺は忘れられない。もう、遙かに過去になってしまった、俺の十七歳の誕生日。・・・俺の運命がやってきた日だ。

 校長室へ呼ばれたんだ。行くのはいやだったが、親父は私ごとで俺を校長室に来させたりしない、そういうかちんこちんのヤツだったから、呼び出しは則ち士官学校長からのものだ。行かないと学生といえども営巣入りだ。俺は、急いだ。

 ノックをすると、野太い親父の声で許可があった。士官候補生としてではなく、個人的な呼び出しだと、俺が悟るまでにそう時間はかからなかった。

 そこには、親父の他に、かっちりした銀色の長衣を纏った、中年の男がいたんだ。

 男は、俺を見るなり、その場に膝を折った。俺は面食らった。

「次期炎の守護聖、オスカー様に、お喜びを申し上げます」

 次期? 炎? 守護聖? いったい何だっていうんだ?

俺の顔に張り付いた疑問符に、親父が気づいた。

「何だ、オスカー? 父上に何も聞いていなかったのか?」

じいさま・・? じいさまは、守護聖の話なんか、したことはなかったぞ?

「おまえは、誕生からまもなく、王立研究院に炎のサクリアを認められ、次期炎の守護聖候補としてリストアップされていたのだぞ。それは、父上に十分含んでおいた筈だがな。・・いつかは、おまえが聖地へ召される日がくるのだと、父上は承知しておいでだったのだが・・。本当に、何も聞いていないのか?」

 そうだ。じいさまは、そんな話、何もしちゃくれなかった・・。だから、俺は、当然のごとく軍人になると思っていた。愚痴も反抗も、何もかも、レールを敷かれている安堵と甘えがあったからこそだと、その瞬間、思い知らされたんだ。

「まあ、いい・・。とにかくだ、炎の守護聖となって、女王陛下をお助けすることは、おまえにしかできない使命だ。そこそこの軍人など、掃いて捨てるほどいる。行っておまえにしか為し得ないことを果たすのだな」

 俺は拳を握りしめた。何を言ってやがる・・。こんな理不尽なことを、はいそうですか、と首肯できるものか。

 睨み合った俺と親父を見かねてか、件の男が宥めるような口調で俺に言った。

「現炎の守護聖様のサクリアがなくなるまで、こちらの時間であと一年余があるようですから・・、その・・、オスカー様におかれましても、心のご準備の期間になるかと思います・・」

 いくら心を平らかにしたとしても、これを受け入れるのは至難だ。当事者でないから、そんなお気楽なことが言えるんだぜ・・。俺は、今まで培ってきた人間関係も、積み重ねてきた軍人としての知識も、母親や妹も、何もかも振り捨てて、聖地とやらに入らなくちゃいけないんだ。それに、うろ覚えの知識だと、聖地に行ったら時間の流れが違うとかじゃないか! 俺は若いままでも家族や友人はどんどん年を取って、やがて死んでしまう。その死に目にも会えないようなそんな場所へ拉致されることを、・・そう簡単に、達観できるもんか!

 俺は、礼も施さず、踵を返した。ドアのノブに手を掛けた俺に、親父が言った。

「聖地からのご使者を迎えたことでもあるから、おまえが次期炎の守護聖であることは、今日のうちに学内にも公表することになった。そのつもりでいるように」

 俺にできたのは、親父と使者を力いっぱい睨み付けること、そして、ドアを力まかせに閉めてやることだけだった・・。



 チリン、チリン・・。

 背中で、ホセのピアスが鳴った。

「オスカー、聞いたぜ・・」

 俺は鼻を鳴らした。

「・・なんてこった・・!」

 士官学校から少し離れた小高い丘の上で、俺はサボタージュを決め込んでいた。どうせ、守護聖とやらになれば、教練も学科も無用の長物だ。ホセは、学内に見当たらない俺を捜してここまで来たのだろう。ここは、俺とホセしか知らないはずの場所だったから。

「おまえが、まさか守護聖候補だったなんてな・・。学内は大騒ぎだぜ?」

「俺だって、ついさっき知ったばかりだ・・。騒ぎたいのは、むしろ俺の方だぞ」

 並んで草の上に腰を下ろし、風に吹かれていた。ホセのピアスが、風に揺れる度に、澄んだ音を立てる。

 しばらくして、ホセが言った。

「おまえのために特別授業を組むんだとさ・・。おまえ、まったく聖地や守護聖様の役割について、知らずにきたんだって?」

 聞いてみると、ホセの方が、守護聖についてもよく知っているようだった。そりゃあ、俺にだって、初等教育中に受ける、この宇宙の成り立ちだとか、女王陛下のこと、それを補佐する守護聖についての基礎知識くらいある。が、ホセはそれ以上のこと・・、たとえば『サクリア』という力のことや、そのサクリアを司るという守護聖のこと、その力のバランスをとって宇宙を支えているという陛下のことを、俺に語ってくれた。

「けっ・・、おまえの方が守護聖にふさわしいのにな・・」

「これは単なる知識だよ。・・俺、できれば主星に行きたい。宇宙軍の中枢に入りたい。・・だから調べたんだ。宇宙軍は女王府の直轄だ。陛下や聖地のことを知らないと、中枢にまで行くことはできないんだ・・」

 ふうん・・。ホセは野心家だったんだ。この草原の惑星でくすぶっているのが嫌なんだ。ピラールを愛していたとしても、もう一つ別の顔で、自分の行く末を睨み付けるのはやめたくはないんだ。俺はなんだかほっとした。

「おい、ホセ、俺につきあえよ。・・俺と一緒にその特別授業とかを受けて、中枢へ食い込む足がかりにしろよ。それくらいの我が儘は、あいつらも聞いてくれるだろうしな」

 一年しか、俺に残された時間はない。ならば、俺の好きに使ってかまわんだろう・・。 その時の俺は、そんな投げ遣りな気分だった。



 俺に凶報をもたらした男は、王立研究院に属する調査員で、名前をハイラルといった。そのままこの星に残って、俺の教育係になった。俺があまりにももの知らずなので、そういう措置がとられたらしい。

 ホセを学友にという俺の願いは、あっけないほど簡単に聞き入れられた。授業の内容も、これまでの教練や学科を半ば残して、残りを守護聖としての教育にあてられ、それも俺の気に入った。

 どうやら、ハイラルは、俺がやけを起こして遁走するとか、最悪の場合命を絶ちかねない・・と心配したらしい。そんな気が毛頭起こらないと知っているのは、本人の俺とホセだけだったが、周囲にいろいろいわれて縮み上がったのだと思う。

 いずれにせよ、俺とホセ、あと何人かで構成された特別クラスは快適だった。ハイラルは、俺に過干渉せず、授業以外はやりたいようにやらせてくれたから、昼はホセとカリキュラムに取り組み、放課後は士官学校の雑務から解放されて、街を歩いた。近所のお嬢ちゃんたちと楽しく過ごさせてもらった・・というわけだ・・。

 親父か?

 ああ、親父は、あれ以来、俺をハイラルに任せて、口を挟もうとはしなかった。俺も顔を合わせるのが嫌で、朝礼はサボるし、職員棟には近づかないし・・。

 ホセは、「なんでそこまで」っていう顔を隠さなかったが、もうこうなると意地だな・・。聖地へ行ける最大のメリットは、親父から離れられると公言してはばからない俺を、ホセとハイラルは、複雑な顔をして見ていたっけ・・。

 夏の休暇は、またホセの家にやっかいになることにした。ホセは口を酸っぱくして、実家に帰るようにと言ったが、俺はそれを一蹴した。

「最後の夏くらい、楽しく過ごしたいぜ。・・それに、うちにいたって、何をすればいいんだ? 親父とお袋、小うるさいだけの弟しかいない。あいつらの顔を毎晩見るのかと思うと、それだけで虫酸が走る」

「妹さんはどうした?」

 妹は、その頃主星にいたんだ。そう、お嬢ちゃんのいたスモルニィの生徒だったんだな。それも今考えると、俺が守護聖候補に挙がっていたから、その守秘のために入学させられていたようなものなんだろう。

「・・相変わらず、主星にいるよ。あいつだって帰ってきたくはないだろうさ。・・なあ、いいじゃないか、ホセ。俺のうちのことなんか心配しなくったって。・・そりゃ、おまえんちで迷惑だっていうんなら、あきらめるけど・・」

 ホセは一瞬顔を曇らせた。

「家族は大歓迎してる・・。だが、ピラールがな・・」

 彼女は相変わらず俺を嫌い、俺のために進路を変えそうなホセを怒鳴り、ますます俺に対しては険悪な雰囲気になっているのだそうだ。

 俺は、自分の我が儘を通そうと、ホセを上目遣いに見やった。

「いいさ・・。俺にとってはおまえと過ごせる最後の夏だ・・。だが、ピラールはおまえの一生の伴侶だもんな。俺のために、おまえたちが険悪になってるなら、俺はあきらめるよ」

 ああ、我ながらなんてズルイ芝居だったか・・。そう言えばホセが嫌とは言わないだろう・・。俺にはその確証があったんだ。

「そうだな・・。おまえとこんな風に過ごせる、最後の夏だもんな。ピラールにはちゃんと納得してもらうよ」

 頷くホセの耳元で、いつものようにピアスが揺れる。

 だが、その音に慣れてしまったせいか、それとも周囲のざわめきのせいか、チリンと澄んだ音は俺の耳には届かなかった。



 最後の休暇を、ホセの村で過ごすと聞いて、案の定親父はいい顔をしなかった。

 その渋い顔を、戦利品のように頭の中で転がしながら、俺はホセの家の客になった。

 だが、この前の夏と、何もかも同じ・・という訳にはいかないようだ。俺には、護衛が二人ほどつき、休暇中の俺を護衛しつつ監視する・・ということらしい。彼らまで、ホセの家にやっかいになるわけにはいかないから、村に一軒しかない宿屋に泊まらせた。それにもすったもんだがあったが、俺は頑として譲らなかった。

 護衛の二人だけでもやっかいなのに、ホセの家の空気も少し違っている。

「しかたないさ」

 ホセは肩をすくめて見せた。

「今年のおまえは、俺の友人というだけじゃない・・。新守護聖という肩書きもついてるんだ」

 そう、これ以上望むのは贅沢というものだな・・。

「ピラールは?」

 彼女も、この前の夏とは違い、ホセの家に顔を見せない。

「おまえがいる間は遠慮するってさ」

 俺の顔を見れば怒りも募るのだろう。ホセは俺のために、そう彼女に頼んだに違いなかった。なんだか、気まずくなって、俺はホセに詫びた。

「すまん・・」

 ホセはちょっと顔を赤くして、俺を見た。

「いいさ・・。俺には、ピラールも大事だけど、おまえという友達も大事なんだ」

「う・・、そんな言い方すると、こっちも恥ずかしくなっちまう・・」

 俺が頭を抱えて見せると、ホセは俺を小突いて笑った。

「ばか、言わせたのはおまえだろうが」



 去年の夏のように、唐黍の取り入れを手伝わせてももらえず、俺は不機嫌だった。遠くから俺を眺めている護衛の存在も癪に障ったが、それ以上に頑健に鍛えた体を持て余していた。

 汗を流して働くことの、なんと気持ちよかったことか・・! もうああいう機会を与えてはもらえない・・と、寂しく、理不尽な思いもした。が、彼らの気持ちを忖度すれば、無理のないことなのだ。守護聖になろう・・、つまりは神にも等しい人間になろうとする俺に、畑仕事などもってのほかだという、その心理はよくわかった。俺が、ホセたちの立場でもそうするだろうから。

 それにしても、何もすることのない暑い日々は、耐え難い苦痛だった。ホセにだって、夏の間に課せられた仕事がある。ホセの親父さんたちは、夏期休暇のホセをあてにして、農作業のスケジュールを組んでいるのだ。そうそう、遊びに誘い出すわけにもいかない。 ホセの村に来て、一週間ほどが過ぎた頃、俺はうんざりしてきていた。暑さに。護衛たちの視線に。年寄りたちの遠慮のない話しぶりに。人々が働いているのに何もできない、この俺自身に・・。

 その日、昼食を畑で一緒に摂った後、俺はホセに、岩場へ登ってくると告げた。

「ひとりでか?」

 ホセは少し驚いたようだった。

「ああ。・・一人といっても、たぶん余分なのはくっついてくるんだろうけどな」

 どこでもいい。とにかく身体を動かしたかった。

「・・もう少し待ってくれれば、俺も行くぜ?」

「いや、取り入れが忙しい時期じゃないか。俺一人で大丈夫だって」

 俺は、ホセを振り切って腰を上げた。

「夕飯までには戻るよ。また、ワインでも飲もうぜ」

 じゃあ・・と手を振って、畑を後にした。



 岩場は、ホセたちの村から少し離れたところにある。そこに生える薬草を採りに行く以外、村人はあまり近づかない。もともと、俺たちの星は草原の多い土地柄だ。ゴツゴツした岩だらけのこんな風景は、殺伐と見えるのかもしれない。足場も悪い。

 だが、その時の俺には、ただがむしゃらに登るような、そんな単純な行動が必要だった。たくさん汗を流して、何も考えずに上だけを見て・・。

 護衛が下の方で俺を呼んでいる。こっちは、現役の士官学校生だ。いくら専門の訓練を積んでいるとはいえ、やつらとは年齢も違う。どんどん置いてきぼりにしてやるのが、小気味いい。

 だいぶやつらを引き離したところで、少し広めの岩棚を見つけ、腰を下ろした。一息ついて、下界を見下ろす。ホセの村の家々からは、夕餉の支度をする煙があがっている。どこも肉を炭火で焼く習慣だ。今夜は久しぶりに食事がうまいな・・。

 ぼうっと、そんなことを考えているうちに、少し微睡んでしまったようだ。冷えてきた風に起こされて、目を開けると、間近で空気の擦れるような、音がした。
「オスカー!!」

 いないはずのホセの叫びが聞こえる。

 のろのろと顔を上げると、俺は、見たこともないでかい蛇と、その蛇に向かってくるホセを見た。

「動くなっ!」

 ホセが絶叫した。

 その瞬間、蛇はでかい図体からは考えられない素早さで、ホセの方に向き直り、鎌首をもたげた。

 蛇の赤い炎のような舌を見たような気がした。

 ようやく追いついてきたらしい護衛の一人が、銃を抜いて、蛇を撃つのと、ホセが頽れるのを、俺は、人ごとのように、見ていた。

「オスカー様! ご無事ですか!?」

 もう一人の護衛に助け起こされるまで、そう長い時間が過ぎたとは思えない。

 だが、ホセの顔はもう土気色をしていて、瞳孔が開き、口からは涎が溢れていた。

「ホ・・セ・・・?」

 信じられなかった・・。

「ホセ?」

 嘘だろう?

「ホセ!」

 大きく叫んだその声が、ホセの耳に届いたのか、ホセが少しだけ動いた。

「ホセ? ホセ? おまえっ!」

 駆け寄って抱き起こす。

 その時はもう、ホセはこの世にいなかった。



           ☆      ☆      ☆



「オスカー様・・」

 アンジェリークは身じろぎもせず、オスカーの長い長い話を聞いていた。

 やがて、その瞳から涙が一粒、ころがり落ちてきた。その粒が、口元に達する間に、後から後から涙が溢れてくる。

 オスカーは立ち上がって、その涙を小指の先で拭うと、そっとアンジェリークの金の髪に口づけた。

「すまんな、お嬢ちゃん・・」

「・・・形見だったんですね、お友達の・・」

 泣き伏しそうな顔を、それでもきりと上げて、アンジェリークはオスカーの手を握った。

「ごめんなさい、オスカー様・・。私が、へんなおねだりをしたから、こんな辛いことを思い出させちゃって・・。ごめんなさい・・」

 ふっといつもの笑みをオスカーは浮かべる。

「お嬢ちゃんのせいじゃない。・・蛇は怖いんだぜ? そういう話をしてやれてよかったんだと俺は思ってる」

 その言葉に偽りはない。強烈な体験をしたからこそ、体得した知恵もあるのだ。

「さあ、もう休むんだな」

 素直に頷いて、アンジェリークは横になった。が、まだ枕に顔を沈めるようにして嗚咽している。その髪をもう一度梳くように撫でて、オスカーは部屋を出た。

 ちょうどロザリアが自室から出てくるところだった。

「お嬢ちゃん、あとは頼んだぜ」

 軽く手を振って、後を託し、特別寮を後にする。

 ふと、バスケットを置き去りにしてきたことが思い出されて、森の湖へと歩を向けた。 もう、夕陽が辺りを赤く染め上げて、夜の訪れを誘おうとしている。

(そう・・、お嬢ちゃんの耳には入れられないこともある・・)



           ☆      ☆      ☆



 主星へ行く・・とハイラルが決めてからは慌ただしかった。

 俺は呆然と、周りの連中のやることを眺めていた。

 支度やら手続きやら、雑然とした全てが済んで、俺は親父の――校長の部屋へ挨拶に行った。

 最後になるだろう挙手の礼をとって、俺は最低限のことだけを口にした。

「これより、出発します」

 校長は頷いて、

「士官学校出身ということを念頭に置き、常に精進するように」

と、訓示を垂れた。

 俺が睨み付けると、やっこさんも殊更に顔をしかめ、家族のことを聞いた。

「お母さんには会っていかんのか?」

「この足で挨拶に行きます」

 早く解放してくれ! 聖地へ行けば、こんな小言とはおさらばなんだから・・。

「オスカー」

 改まった、さっきとは違う口調で、出ていこうとした俺を親父が呼び止めた。

「これを・・、持っていけ・・」

 丁寧に士官学校旗でくるまれた、長いものを、親父は俺によこした。ずしりとした感触・・。冷たく、重たい・・。これは、剣だ!

「・・昨日、アリシアが帰ってきた。軍人になる気はないのだそうだ。・・ならば、この家を継ぐ、軍人に一番近い地位にいるのはおまえだ。持っていけ」

 親父の声は、少し震えていた。

「その剣で、女王陛下をお守りする、そんな事態が来ぬように祈っとる」

 だが、俺は「ありがたく・・」とは言わなかった。最後まで意地をはり通さなかったら、その場に崩れてしまいそうだったから・・。



 母親と弟と、たぶんこのために帰郷した妹に、それなりの別れを告げ、俺は宇宙港へ連れて来られた。ハイラルの手配した便は三時間後・・。それまで、VIPルームに閉じこめられて、出発便を待つことになった。

「もっとご実家でゆっくりされてもよかったのですよ?」

 ハイラルはそう言ってくれたが、俺の性には合わない。泣き続けている母親と、それを慰めている妹を眺めるだけの時間だったら、一人きりの方がいい。

「何か、お飲物でも?」

 そう聞かれたとき、ドアがノックされた。

 ハイラルが出て、困ったような顔を俺に向けた。

「オスカー様・・、女性が、あなた様にとおっしゃって、・・その・・、ロビーでちょっとした騒ぎになっているようですが」

 誰が・・と聞く間もなく、扉を押しのけるようにして、黒髪の女が入り込んできた。

「ピラール!」

 思いがけない人物の顔を見て、俺は驚愕した。ホセの葬式で、俺をさんざん罵倒した女・・。ナイフで俺ののど頸を抉ろうとまでした女・・。それが今、目の前に立っている。 ハイラルは面識がなかったが、護衛の二人はピラールの顔を見て、さっと俺の前に立ちふさがった。無理もない。俺を殺そうとした女を放っておける役目の者たちではなかった。

「あんたに話があるのよ。あんただけによ」

 ピラールの言葉は穏やかだった。殺気だった気配もなかった。だが、身構えるのを解かない護衛たちが、俺と彼女の間に立ちふさがっていた。

「ハイラル・・、彼女と二人きりにしてくれないか?」

 護衛たちの反応と、俺の凍り付いた表情とを、交互に見ていたハイラルが、やがて大きなため息をついた。彼は、渋る護衛を促して、俺とピラールだけを部屋に残して出ていった。

「なんだい、話って・・?」

 のどの奥から絞り出すようにしか出ない声を励まして、俺はピラールに尋ねた。

「ホセのピアス、持ってってほしいの。・・さんざん、考えたわ。あんたになんか、形見分けすることないんだ・・って、そうも思った。・・でも、ホセが喜ぶような気がしてね・・」

 俺の掌に、ピラールは片方だけの金のピアスを押しつけた。

「ひとつは私が持ってるわ。ほら、こうやって・・」

 長い髪を掻き上げて、片耳を露わにすると、ホセとお揃いの銀のピアスの横に、もう一つ金のピアスが下がっている。ピラールが軽く首を振ると、チリリンと和音が響く。

「未亡人はね、こんな風にするのが、うちの村の風習なのよ」

 この世に残った妻の魔除けを、夫と神が協力して行ってくれるのだという。

「・・ホセとはそういう・・」

 言葉を呑み込んだ。あまりにも失礼な聞きようだ・・と我ながら嫌になった。

「ううん・・。村のしきたりも、結婚するまでは女に自由を認めてなかったし、ホセは、外に目を向けていても、村うちの風習は大事にする人だったから、あたしたち、そういう関係じゃなかった・・。でも、あの村で、ホセの他にあたしを貰ってくれるような、奇特な男はいないしね」

 自嘲的な笑いだった。俺は、ホセの叔父たちのピラール評を思い出した。

「それに・・」

 言い淀んだピラールは、あのときとは別人のように綺麗だった。

「あたしは、蛇に守られた女・・。あたしの守り神は蛇なのよ・・。その蛇が、ホセを喰い殺したんだもん・・、一生、蛇に仕えて生きろ・・、そういうことなんだよ、きっと・・」

 蛇に守られた女? 俺は耳を疑った。ホセの村は、確かに迷信深い、まだまだ土着の神や精霊に生活を委ねているような村だ。だが、そこまで、思い詰めるものが、ピラールにあるのが、俺には信じられなかった。

「疑ってるね? まあ、余所もんには信じられないような話だけどね・・。でも、あたしの精霊は蛇。・・だから、男を締め付けて、その土地から離さない、そういう業を、生まれつき持ってる。・・ホセが、村の外に目を向け始めてから、あたしたちの運命は決まっていたのかもしれないね。―――だから、よけい、外を象徴してるような、あんたが憎らしかったのかもしれない」

「ピラール・・」

「オスカー、あんた、守護聖様になるんだろ? あたしより、ずっとずっと長い時間を、生きていられるんだろ? なら、ホセのことをいつまでも覚えていてやってよ。このピアスをつけて、ホセをいつでも感じててやってよ・・」

 もう一度、手の中の金のピアスを見やる。この間まで、ホセの耳で揺れていたピアス。澄んだ音を立てていたピアス。・・俺は頷いた。

 部屋の隅にしつらえたバーカウンターから、アイスピックを持ってくると、彼女に渡した。

「それで、穴を開けてくれ」

 ピラールは、一瞬立ちすくんだが、すぐ俺の手からピックを受け取った。そして、テーブルの上のライターの火を点けると、それでピックの先端を焼く。

 俺は目を閉じた。このまま、もしかしたら彼女の手に掛かって死ぬのかもしれない。ふと、そんな気が頭をよぎったが、それならばそれでもいい。この機会を彼女に与えたのは俺なんだ。

 ぎゅっと目を瞑ったまま、ピラールの気配が近づいてくるのを待った。

 焼け付くような痛みが、耳朶から脳天へとはい上がってくる。その後、冷たく少し重い感触が、俺の左耳に生まれる。

 目を開けると、血の染みの付いたハンカチを握りしめて、ピラールがいた。鳶色の目に、涙が宿っていた。

 その涙と、己の血のにおいに促されるようにして、俺は、そこへピラールを押し倒した。



 身繕いをして、押し黙ったままの俺たちを、ハイラルは扱いかねたようだった。

 幸い出発便のアナウンスがあって、俺とハイラル、護衛の二人は無言のまま、発着場へと向かった。

 もう、ピラールは俺を見ていない。俺も振り返らない。

 ピラールが、身を翻す気配が、ピアスの和音とともに伝わってくる。

 だが、俺のピアスは共鳴しない。

 ホセへの思いだけが、二つに裂かれて、俺についてきた。



           ☆      ☆      ☆



 バスケットは、あのまま、そこにあった。
 もう、湖の周りはとっぷりと暮れて、闇がひたひたと忍び寄ってくる。

「おしゃべりスズメどもの当て推量も、あながち間違いではないな」

 オスカーは一人ごちた。

 そう、このピアスは確かに親友の形見だ。が、初めて抱いた女の形見でもある。

 もう二人はこの世にはいない。あれから、どれくらいの月日が流れたのか、女王候補を迎えて、その重みにようやく思い当たったような気がする。

 祖父の口癖が、脈絡もなく脳裏に浮かんだ。

『おなごは、儂にとって、女神様みたいなもんじゃよ』

 不適な笑みが、オスカーの口の端に登った。

「じいさま、俺が惚れてるのが、本当の『女神様』になるかもしれない女だと知ったら・・、あんた、腰抜かすぜ?」

 まとわりつく闇を振り払うように、オスカーは大股で森の湖を後にした。


                                  −終−

とあるサイト閉鎖に伴い、私がお願いして掲載を許可していただいた作品です。
私はこの作品と出会った時、感嘆のあまり唸ってしまいました。
オスカー様の初体験の話は随所のサイトで見たことがありました。そして、その場合オスカー様のピアスとの関連が語られることも多かったのですが、それは大抵、ピアスは昔の恋人の思い出の品という扱いだったんですね。
でも、私は単なる昔の恋人との思い出の品なら、アンジェと結ばれた時点でオスカー様にはその品を封印してほしい(自分がね)でも、ピアスのないオスカー様が考えられないのも事実。
でも、こういう経緯と背景と情念があれば!そりゃ、このピアスは一生はずせないですよ。外さなくて当たり前です。
オスカー様の場合、初体験がアンジェじゃないのは明白なので、この設定で話を書こうと思ったら、オリジナルのキャラとそれを取り巻く綿密な設定は不可欠です。
そして、この作品以上にドラマティックで魅力的で説得力のあるシチュエーション及びプロットが考えられるでしょうか?
オスカー様の初体験の相手自体はいくらでも考えられます。先生、家庭教師、先輩、使用人か使用人の娘、幼馴染…も、ありとあらゆる相手が考えられますが、でも、すべてこのシチュエーションの前では霞んで色褪せてしまうと私は思いました。少なくとも私にはこれに匹敵するような魅力的かつ説得力のあるプロットは思いつけません。(いや、もともと足許にもおよばないのですがっ!)
この作品があれば、オスカー様の初体験の話はもう他にいらないと私は思いました。
で、私は絶対オスカー様初体験の話は自分では書くまいと思ったのでした(笑)
惚れ込んで、惚れぬいたこの「蛇」。合歓様に掲載の許可をいただけて、私は本当にしあわせです。一人でも多くの方に読んでいただきたいです。合歓様、どうもありがとうございました。


戻る   いただきものINDEXへ  TOPへ