「現在のところ、宇宙の運行は安定しており、どのサクリアにおいても取り立てて早急の調整が必要な物はないとの報告が研究院より入っております。」守護聖が一堂に集まった定例議会で、首座の光の守護聖が現宇宙に何の支障もない旨を女王に報告した。
確かに宇宙はつつがなく営まれており、なんの問題もなかったのだが光の守護聖は近頃少々オーバーワーク気味であった。
各守護聖間の調整役と言うか、一種の安全弁の役割をになっていた補佐官が産休にはいってからというもの、守護聖たちの執務処理能力があきらかにおちていた。
畢竟、筆頭守護聖であるジュリアスの残務処理は増える一方であった。
本来、補佐官の仕事は秘書的な補助業務が多く、いれば確かに便利であり、執務の能率もあがるのであるが、だからといって必ずいなくてはならないという役職でも無い。
だからこそ、補佐官の任命は女王の一存にかかっている。
女王の精神的支柱となる意味合いもあるからこそ、気の合わない補佐官ならいないほうがましといわんばかりに、補佐官を任命しない女王もいるのだ。
それゆえ、ジュリアスはアンジェリークが産休に入り、出産後引き続き育児休暇をとっても、いや育児に専念して補佐官に復帰しなくてもとりあえずの支障はあるまいと思っていた。
アンジェリーク一人がいなくなるだけで、これほど執務に遅滞が出る原因がジュリアスには判然としなかった。
有体に言ってしまえば、いてもいなくてもいい存在、それが補佐官なのだから。
何事も理詰めで物事を考えるジュリアスは、人の感情と言う物を考慮しないのでよくわからなかったのだ。
つまるところ、今、守護聖たちは張り合いがないから、やる気がでないのだという単純なことに。
アンジェリークが補佐官職に就いている間、守護聖たちは彼女の
「うわぁ。もう、してくださったんですか?助かりますぅ」とか、
「こんなに丁寧に仕上げてくださって嬉しいです、ありがとうございますぅ」とか、
「さすが、○○さまですね、私がちょっと待っている間にお仕事が終っちゃうなんて…私も見習わなくちゃ!」とかの
人のやる気を引き出すちょっとした言葉や態度に励みを感じて、いつのまにか執務を労を感じずこなしていたのだ。
もともと、男というものは単純だから、いいなと思っている女性の前では発奮して実力以上の力を発揮する。
俗に言う「ええとこみせちゃる!」と言う心理で、これを時の為政者はうまく利用してきたので、古の昔から戦隊ヒーローものとか、合体巨大ロボットで闘うチームメンバーには必ず女性が1人か2人くみこまれるのである。
ところが、そのやる気のもとであったアンジェリークが休みに入ってしまい、守護聖たちは必死になって執務をこなす動機付けを一気に失ってしまった。
今までは、仕事をこなせばアンジェリークが喜んでくれ、その分時間ができればアンジェリークとたのしいティータイムを過ごすという特典もついてくるので、皆とにかく効率よく執務を処理した。
それが、今は仕事をしなくても、そのしわ寄せでアンジェリークがジュリアスに怒られる心配があるじゃなし、必死に仕事したってなにかご褒美があるじゃなし、仏頂面のジュリアスの愁眉が少々緩むことなど、アンジェリークの満面の笑顔に敵う訳もなく守護聖の間には、なんとな〜く、だらけた空気が漂っていたのだ。
年少組の間では
「あーあ、アンジェがいねぇと、なんか、こう、やる気がでねぇんだよな〜。仕事したって喜ぶのはジュリアスのやろーだと思うと余計にやる気がなくなっちまうしよぅ。」
「ぜ、ゼフェル〜、そんなこと言ってジュリアス様に聞こえたら大変だよ〜。また『おまえは守護聖としての自覚があるのか!』って怒られちゃうよ〜」
「そうだ、そうだ。それに、アンジェがいないからこそ俺達ががんばらなきゃだめじゃないか。アンジェが安心して育児できるようにしてやらなくちゃぁ。」
「んなこといったってよー、おまえだっておんなじだろ、マルセル。アンジェが書類持ってきて、『これ、お願いしますね?』ってかわいく言ってくれるからこっちも、『よっしゃぁ!待ってろ、今すぐ片付けてやっから、少しゆっくりしてけよ!』てな具合にエンジン掛かるってもんだが、それが、おめー、仏頂面のおやぢに呼び出されて、わざわざこっちから出向いた挙句に、『これを仕上げておけ!』とかえらそーに言われたって、やる気なんかでるかっつーの!ランディ、おめーは違うのかよ!」
「いや、そりゃ俺だって、眉間に縦皺のジュリアス様より、かわいいアンジェにお願いされたほうが…いや、その、アンジェが戻ってきてくれたら嬉しいな〜とは思うけど、無理にとはいえないじゃないかぁ。」
「そうだよね〜、赤ちゃんの世話でお母さんは大変なんだもんね〜。アンジェが結婚しちゃったときも、オスカー様がアンジェを私邸から一歩もそとに出さないから寂しいなって思ったけど、聖殿では毎日会えたし、お茶のみながらお喋りもできたもんね。今は僕達が暇を見つけて遊びに行ってるけど毎日というわけにはいかないもんね。」
「アンジェ〜、カムバァックゥ〜。おめーのおひさまみてーな笑顔がねーと、もー俺書類みる気力もおきねー」
などという会話が密かに交わされていたし、一時期勤勉になった闇の守護聖はまた昼行灯といわれてもしかたない寝とぼけた生活態度に戻ってしまっていた。
それでなくても、守護聖と言うのは協調性においてはいささか難のある面々の集まりだったので、アンジェリークと言う緩衝材がなくなったせいで、不協和音がおきてもそれが解消されることなく燻っているという精神衛生上マイナスな面もちらほら見え出していた。
自覚の無いジュリアス自身も、なんとなくこうやる気がおきなくて、『いかんいかん!私がやらねば誰がやる!』とそれこそ昔日のヒーローのように自分を叱咤する回数が増えていたのであった。
というわけで宇宙は問題無かったものの、守護聖間に多少の士気の低下が見られるというのが今の状況と言えた。
やる気が衰えていないのは、『とにかく残業だけはご免だぜ!愛しい妻と子どもが俺の帰りをまっているんだからな!』と馬車馬の様に執務をこなしてさっさと定時に引き上げるオスカーだけであった。
ロザリアがジュリアスの報告を引き継いだ。
「そう、なら、差し迫って重要な議題はないということね。では、私からひとつ提言があります。」
「陛下御自ら提唱なされるような重大事がなにか察知されたのですか!」
ジュリアスがいろめきだった。
「重大といえば、重大だけど…実は、補佐官から復職を希望する届が出されました。」
「てことは、アンジェが執務に戻ってくるんですか?」
「えっ!ほんと!うわぁ、嬉しいな〜」
「それはそれは楽しみなことでございますね、クラヴィス様」
「Z・Z・Z…(今まで船を漕いでいたが、補佐官と言う言葉にはっと顔をあげ)ふ…(にやり)」
「へぇ〜、このまま家庭に納まるかと思ってたのに、結構気骨あるじゃん、あのこってば。さすが私の見込んだ子だよ」
「って、それはいいけど、赤ん坊はどうするんだよ!ディアンヌ・フローラはよぅ!」
「そうですね〜、子どもには育ててくれる保育者が必要ですね〜アンジェはいったいどうするつもりなのですか〜?」
「陛下、お言葉ですが、このことは私が妻と(ふっふっふ、お嬢ちゃんと皆の前で妻と呼べる喜び、これに勝る物な〜し!特にリュミエール、よーく聞いておけよ!)話し合っておりますが、私の家庭内における極めて私的な事柄であり、会議の議題にのせるようなことではないと存じますが…」
「陛下、私も同様に考えます。補佐官から復職の願いが出され、陛下が受理されたのでしたらここで話あうような問題とは判じかねますが…」
「オスカー、ジュリアス、あなた方は思い違いをしています。確かにアンジェの復職自体は本人がそれを望んでいる以上、それを妨げる物も問題もなにもありません。しかし、アンジェとオスカーの子供のことに関してはこれは、オスカー、あなたの私的な問題とばかりは言っていられないのよ。」
「陛下、申しわけありません。おっしゃることの意味がよく掴めないのですが…」
「子供は社会の宝って言葉、ご存知かしら?未来をになうべき子供は親にだけ育児の責任を負わせず社会全体で育んで行こうと言う考えよ。ましてや、あの子はこの聖地開闢以来恐らく初めての子供よ、女王府あげてバックアップをしてしかるべきじゃないかしら?そこで、私は、この聖殿内にあの子専用の部屋を設けて、アンジェリークが執務時間中はそこで保育できるようにすることを提言します。」
「し、しかし陛下、いくら親友の子供とは言え、一人の子供にそのような私的な思い入れで予算をつぎ込むことは…」
「ジュリアス、私を見損なってもらっては困ります。これは私的な問題ではないといったはずよ。まず、第一に補佐官が執務時間中でも子供の様子がすぐわかるような環境にいれば、補佐官も向後の愁いがなくなるので、執務に集中しやすいという利点があります。執務の効率化、これは今の聖殿にもっとも必要なものじゃなくて?ジュリアス、アンジェリークが休みに入ってからというもの執務の停滞が目に余るようですが…特に最近は看過しえないほどにね、違いますか?アンジェリークの不在と執務の停滞、この相関関係が明かな以上、補佐官が復職した上にはどうしても執務に集中できる環境こそ肝要ではなくて?せっかく復職しても子供になにかあったといっていちいち私邸に戻っていては円滑な執務処理が期待できないわ。」
ジュリアスは、ははぁ〜とばかりに恐れ入った。
「ご明察、恐れ入ります。私もかねがね、なんとかせねばと憂慮しておりましたが…」
「アンジェリークの復職は守護聖たちに喝をいれてくれるでしょう。そのためにもアンジェリークが執務に専念できる環境を用意する必要があります。故にこれはアンジェリーク個人の私的問題ではないのです。あと、もう一点はディアンンヌ・フローラ自身のことです。」
「ディアンヌになにか、問題があるのでしょうか?陛下…」
「ああ、オスカー、心配しないで。ジュリアス、あなたもそうですが、守護聖や女王を輩出しやすい血統があること、これは認めますね?」
「御意」
「では、現守護聖と補佐官の子供、これ以上にサクリアを受継ぐにふさわしい人材が他にいると思いますか?そして、やはりこれは、私も、あなたも同様でしたが、サクリアの潜在を示す子供にはそれ相応の教育を体系的に施した方がいいということも、知っていますね?では、あのこの成長を女王府と聖殿が見守り、サクリアの発現を損なわないような教育をあたえることこそ、我らの責務では無いのかしら?」
「確かにサクリアがあったって不思議じゃねーっていうか、無い方が不自然だよな、ディアンヌの場合」
「サクリアの素質を持つ子供にしかるべき教育が必要なこと、これもまた然り…ですが…」
「しかし、ここ聖地には専門の教育機関は存在しないわ。となると、外界に幼い娘を教育の為に預けるか、もしくはサクリアのなんたるかを誰よりも良く知っている守護聖が教育にあたるか…皆はどちらがいいと思いますか?」
このロザリアの言葉に当事者であるオスカーをはじめ、皆が口々に自分の思いを言い募った。
「お言葉ですが、陛下、我々夫婦は例え娘にサクリアの資質が認められたとて娘を手放す気はございません。ましてや妻が到底納得するとは…」
「だって、そんな可哀想だよ〜、僕たち守護聖は皆、守護聖になったときに肉親との別れは仕方ないって諦めてる、諦めさせられるよ。でも、まだ女王候補になるかならないかもはっきりしないのに、ただ、その可能性のためにおとうさんとおかあさんとめったに会えなくなっちゃうなんて、ディアンヌも、アンジェも可哀想だよ。僕たちができることなら、なんでもするよ、だから、別れ別れにするなんて可哀想なことしないであげてよ〜」
「俺達は、肉親との別れを否応なく受け入れさせられる。それは仕方ねーことかもしれねーが、だからこそ、俺は、俺達はアンジェとディアンヌ見てるとほっとするんだ。皆、違うか?理屈じゃねーンだよ。俺達がおいてきちまったものがそこにあるから、それを思い出させてくれるから、アンジェと赤ん坊をみるとなんだか、胸があったかくなるんだよ。このまますくすく育てよ、いつ、かあちゃんと別れることになっちまうかなんて誰にもわからねーんだからよ、ってがらにもねーこと思っちまうんだよ。それを、わざわざ早めることはねー。しかも、他に方法があるなら尚更だ!」
「おまえは、いつでも物事の本質を恐ろしいほどの勘で見ぬくな。ゼフェルよ。我らは皆、運命の残酷さも自分の手で運命を決められぬもどかしさを、だれよりも良く知っている。知っているからこそ、その哀しさも辛さも判るのだ。あのかわいらしいみどり児に、あえてそのような環境におくことを望む者がこの中にいるとは思えぬな…アンジェリークの子であれば尚更だ。あれの涙を見たいものがここにいるであろうか…執務の遅滞どころではなくなるぞ?」
「それは、おどしか?クラヴィス」
「ふ…おまえも分かっているのであろう?我らは為すべきことを為す。それだけだ。」
「ああ〜そうですね〜、守護聖と補佐官の子供と言うことであれば、やはり一般の子供と同列に置くことはできないでしょうね〜。それなりの教育は我ら守護聖にとっての義務といえるでしょう。そのためにも、我らが執務の一環として、とても有力な女王候補の教育にあたる。そのために聖殿にその場所を設けるというのは、決して私的な事柄とはいえませんね〜」
「では、皆さんの意見は一致しているとみてよろしいかしら?」
「そう、必要な建前はちゃんと揃ってる。流石だよ、陛下。例え我らの本音が別のところにあるとしたって、そんなことを振れまわる必要はどこにもないんだしね。」
「アンジェリークの補佐官への復職、それに伴って、聖殿内に現の炎の守護聖と補佐官の子弟の教育の場を設け、その子の教育は守護聖が適性と各々の執務を考慮して交互に行うこと。これで共通理解が立ったとみてよろしいかしら?」
「妥当だね。」
「穏当だ。」
「アンジェリークもこれでなんの心配もなく執務に勤しめますね。」
「俺たちも毎日、ディアンヌの様子が見られるんだな!なんか、楽しみだな〜」
「このように前例のないことを女王府のうるさ型をどのように納得させるかということを思いますと…」
ジュリアスが鹿爪らしい渋面を作った。
「ジュリアス、前例のないこと、すなわち悪いことではないわ。私が旧宇宙を新しい宇宙にまるごと移転させたのだって前例のないことよ。でも、それを前例がないからといっていたら、今の私たちはなかったわ。前例は無ければ作ればいいのはなくて?新しい宇宙の初めての女王の私に、それこそ相応しいことだと思わないこと?頭の固い役人を黙らせる、それこそ、あなたの本領を発揮する所じゃなくて?ジュリアス」
「陛下の仰せとあらば…」
「まったくもー、素直じゃないんだから。アンジェが執務に戻ってきて、子供の成長も間近につぶさに見られて嬉しいっていっちゃいなよ、ジュリアス!」
「わ、私は別に…」
ジュリアスが傍目にもあきらかなほどうろたえ、しどろもどろしている。
「またまた〜、いつも、アンジェは元気か、赤ん坊はどうだったって、様子見に行った人にいちいち聞いてまわってたじゃない?そんな気になるんなら、自分で見に行けばいいのに、遠慮しちゃってさ〜。ほんと、あんたって不器用な人だよね〜。人一倍情に厚いところがあるくせに、立場やら責任感に縛られちゃって素直にそれを出せないんだから〜」
「オリヴィエ、それくらいにしておけ、ジュリアス様が困ってらっしゃるし、そんなことは皆わかっていることなのだからな…」
ただ、厳しいだけ、筋を通すだけでは人はついてこない。
心から心酔しているオスカーならずとも、皆それを認めているからこそ、ジュリアスに一目置いていたのだから。
「なら、ジュリアスもよろしいですね。それに伴い教育は守護聖が担うとして、日常の世話をする信用のおける保母も雇用しなくてはならないから、これも、適当な人材を王立研究院の人材バンクから選りすぐっておくように。」
「御意」
「具体的な復帰の期日は、子供の成長を見ながらあなた方で決めてちょうだい、オスカー。こういうことは、産まれて一年とか、一年半とか杓子定規にきめられるものでもないでしょうし。」
「どこまでも、手厚いご配慮、このオスカー感謝の念に耐えません。妻も喜ぶことでしょう。」
「ほほ、早く帰ってアンジェに報告したくてたまらないみたいね。保母の候補は出揃ったらデータを送りますから、これもあなたがたの納得いく人材を選んで頂戴ね。では、今日はこれで解散でよろしいかしら?」
「陛下、もし、聞いていただけるなら、僕お願いがあります!」
「いってごらんなさい、マルセル」
「僕、ディアンヌが大きくなるまで、聖地にいたい。あのこがどんな少女に、どんな女性になるのか、ずっと見守っていきたいんです。でも、僕らのサクリアはいつ衰えてしまうか、僕たちはいつ聖地を去ることになるのか、誰にもわからない。だけど、下界の時間の流れがゆっくりなら、サクリアの衰える速度も遅くなるはずですよね?陛下が下界の時間の流れを速めてくださってるのは、僕らのサクリアはそのままの時間の流れだと消滅するのに何百年も掛かっちゃうからだって教わりました。これは他の守護聖の考え方も聞いて見なくちゃわからないけど、僕は、ディアンヌが大きくなるまでは聖地にいたい。だから、それまでは下界との時間の流れをいっしょじゃなくても、なるべく近くしてもらいたい…なんて思ったんです。でも、もちろん、サクリアが早く無くなっちゃったほうがいいって思ってる人もいるかもしれないから、僕のわがままだっていわれちゃえば、そうなんですけど…」
マルセルがちらりと、闇の守護聖と鋼の守護聖に無意識の視線を向けた。
「まったく、突拍子もないことをいいだすな、マルセルは。」
「だけど、恐れ知らずのあんたじゃなくちゃ、確かにいえないことではあるよ、うん。そうだね、多少任期が延びたって私もこの子がどんな少女に育つか確かに行く末を見届けたいって気持ちはあるねぇ。」
「そうですね、いまさら十何年在任が延びたからといって、係累や待っている人がいるわけではありませんし…今はあの子をみることが心の慰めですし。」
「何十年ってわけじゃねーんだし、精々十何年だろ?守護聖なんて真っ平だけどよー、俺だけあいつがどう育つかみられねーっていうのは癪だぜ。」
「へぇ、ゼフェルまで、そう言うかい。それなら、手っ取り早く多数決とっちゃえばいいじゃん。ディアンヌがきれいな娘に成長するまで聖地にいなくてもいいから早く時間進めてもらいたいと思う人、手ぇあげて!」
だれひとり、手をあげたものはいなかった。
「だってさ、女王陛下、多少は考慮してもらえるかな?」
「ほほ、あなたがたのお気持ちはわかりましたわ。まったく同じとはいかなくても、なるべく差異が少なくてすむようにはしてみましょう。でも、私ができることはそこまでですわよ?それに私自身のサクリアが先に衰えるかもしれないということも頭の片隅にはいれておいてくださいね?」
「それで十分、それ以上を望む輩なんて、いやしないさ」
それでも、サクリアが衰えた場合、それはもうどうしようもない。それを、ロザリアもその場の守護聖たちも暗黙の内に了承した。
「では、今度こそ、解散します。オスカー早くアンジェに教えてあげなさいな。」
「陛下、いくら言葉を尽くしてもこの感謝の念はお伝えし様がございません。妻ともどもあらためて、御礼に伺わせていただきます。」
「私ではなくて、ここにいる皆がきめたことですよ、オスカー。礼を言うなら彼らに…」
「皆、ありがとう、俺とアンジェの子供のために尽力してくれたこと、俺は、俺達は一生忘れない。本当にありがとう」
「やだよ、この人は、マジになっちゃってさ。いいから、早くアンジェのところにいってやりな。ディアンヌと一緒にあんたの帰りを待ってるんだろう?」
「そ、そうか、では、お言葉に甘えてお先に失礼させていただく。」
とだけ言うと、オスカーは後ろも振り向かずに走り去るように出ていった。
「あーあ、あれじゃ馬がかわいそうなほど急かされるのが、目に見えてるね。」
「あなたが煽ったのではありませんか?オリヴィエ?」
「だって、いい知らせは早い方がいいじゃな〜い?そうでしょ、みんな!」
「では、ここに残った人たちは、お茶でもいかが?今用意させましょう」
ロザリアが使用人に命じて茶席を用意させる。
守護聖たちは、和やかな雰囲気でアンジェが子供と供に聖殿にくるのはいつになるかという話題に花をさかせた。
久しぶりに、皆心から寛いでお茶を喫した。
オスカーから会議の顛末を聞いたアンジェリークは、最初、その決定が信じられなかった。
「うそ…ディアンヌを聖殿に連れていっていいの?そこで守護聖様がみんなでディアンヌにいろいろなことを教えてくださるっておっしゃってくださってるの?私たち親子がなるべく離れ離れにならなくてすむように?…」
「ああ、俺たちはディアンヌの教育を考えたら、幼くして全寮制の学校にいれざるを得ないだろうと諦めていたのにな」
「執務に戻る以上、ディアンヌといられる時間も少なくなってしまうけど、それも仕方ないと思ってたのに…」
「君の力だ、アンジェリーク。皆が君に良かれと思って尽力してくれる。君にはそうしたくなる何かがあるんだ。この俺を筆頭にな。」
「そんな…でも、それなら、尚更皆さんのお力にならなくちゃ。私だけじゃなくてディアンヌもお世話になるんだもの。」
「ああ、だが、ディアンヌはまだこんなに小さい。陛下もはじめ、皆あせることは無いと言ってくれていた。ディアンヌの成長具合をみながら、徐々に復職の準備を進めればいいさ。それに、俺も…まだ、しばらくはお嬢ちゃんをひとり占めしていたいしな?補佐官のお嬢ちゃんは執務時間中は俺だけのものとはいえなくなっちまうからな?」
「ふふ、オスカー様ったら…私はいつだって、オスカー様だけのアンジェですよ?」
「そんなかわいいことを言う唇を塞ぎたくは無いんだが…」
オスカーは、幾分ふくよかさを増したアンジェリークの身体を抱き寄せ、覆い被さる様に口付けを与えた。
唇を交互に吸いながら舌を差しいれると、アンジェリークも進んでそれに応えてきた。
ひとしきり舌を絡めてから唇を離すと、オスカーはアンジェリークの瞳を覗きこんで問いかけた。
「ディーはまだ当分起きなさそうか?」
「さっきお腹いっぱいになって寝たばっかりだから…」
「ふ…そりゃあ、好都合だ。なら、お嬢ちゃんが俺だけのお嬢ちゃんだってことを俺に感じさせてもらえるな?」
「…いやん…」
「さ、善は急げだ。ディーが目を覚ますまで、たっぷり愛し合おうな?でも、ディーが飲んじまった直後じゃ俺の分はもう残ってないかな?」
オスカーがいきなりアンジェリークの乳房を服の上から揉みしだいた。
「張ってないから、やっぱり残ってなさそうだな。」
「きゃん!も、オスカー様ったら、1度味見はしたじゃないですか〜!私、すっごく恥ずかしかったんだからぁ!なのに、また?」
「飲もうと思ってるわけじゃないんだが吸ってると出てくるんだから、それなら味わったっほうが得じゃないか。ほんのり甘いしな?」
「ん、もう、ばか…」
「まずは一緒に風呂に入りたいんだが。お嬢ちゃんはディーとはいっちまったんだろう?俺と一緒に湯船にだけ浸かろうぜ。俺が洗ってる間、待っててくれよ?」
オスカーはそういうとアンジェリークの返答をまたず、その身体を軽々とだきあげて浴室に向かった。
「お、オスカーさま、私、身体が変わっちゃってるから、明るい所で裸になるの恥ずかしい…」
「なにも、恥ずかしがることなんてないさ。ますます大きくなった胸も嬉しいしな、今だけだろ?元に戻る前に今度その胸で挟んでもらうとするかな?」
アンジェリークが音をたてそうな勢いで真っ赤になった。
「お、オスカーさまっ!そ、そんな…もう、いや〜ん!うきゅぅ〜!」
「ふふ、今すぐとはいわないが、いい返事を期待してるぜ?お嬢ちゃん?」
肩口に顔を埋めてしまったアンジェリークの髪を愛しげに撫で、オスカーは真っ赤に染まったアンジェリークの耳朶を柔らかく食みながら浴室に入っていった。
ロザリアとオスカーの薦めもあって、アンジェリークはとりあえずディアンヌの断乳がすむまでは執務に一切タッチしなかったが、その間に王立研究院のデータをもとに、ディアンヌのナニーの選定をすすめていた。
聖地に長く留まってもらうことになるのでそれを了承してくれる、あまり係累のいない、しかし、子供の世話になれている中年から初老くらいの婦人がピックアップされ、中からつい最近まで、主星のとある貴族の息女の面倒を見ていたがその子が結婚したのを機にそこをやめた中年の婦人がいて、オスカーとアンジェリークは試しにその婦人と会ってみたところ、一目で気に入りこの人ならディアンヌの養育をまかせられると、その婦人を早速招聘した。
いきなり見知らぬ女性に預けられたらディアンヌが戸惑うと考えたオスカーとアンジェリークは、執務に戻る以前からこの婦人に私邸に住み込んでもらい、ディアンヌが馴染むように図った。
そして、最初はアンジェリークが一緒にいるところで、ディアンヌを預け、ディアンヌが慣れた頃を見計らって、アンジェリークが少しづつ席を外すようにしていった。
最初はほんの10分くらいから始めた。
アンジェリークの姿がみえなくなるとディアンヌの表情が明かに不安げになったが泣き出す前には、アンジェリークが戻ってきてディアンヌを抱きしめる。
そんなことを数日くりかえすうちに、ディアンヌも子供心に、母は一瞬すがたがみえなくなっても必ずまた戻ってきて自分を抱いてくれることを悟ったようだった。
もともと、いつも母と一緒に遊んだり面倒を見てくれるナニーも一緒にいてくれて、完全に一人にされることはなかったので、アンジェリークが「ディー、ママはお仕事があるからナニーと一緒にちょっとまっててね」と言うとおとなしく待っていられる様になった。
1、2時間の不在にもディアンヌが動揺しなくなると、アンジェリークは婦人と一緒に馬車で聖殿にディアンヌを連れて行った。
そのときディアンヌは2才半過ぎになっていた。
最初はディアンヌを各々の守護聖の部屋に連れていった。
物心つく前から、自分の家によく来ては遊んでくれていた顔馴染みのお兄ちゃん、おじさんたちが皆いるので、ディアンヌは場所見知りもせず、むしろものめずらしげに、楽しそうに周囲を見まわしていた。
もちろん、父親であるオスカーの執務室にも連れて行った。
「ぱぱ!」
飛びついてきたディアンヌを高々とだきあげて、オスカーは娘の柔らかな頬にほおずりした。
「ディー、よく来たな。ここがパパのお仕事をしている部屋なんだぞ。」
「?」
「ディーのことをかわいがってくれるほかのおじさん達がいただろう?みんな、ディーが無事に元気にすごせるようにここで仕事をしているんだ。」
「??」
ディアンヌは紅葉のような掌で、オスカーの頬や頭をぺちぺちと叩いているだけだった。
「わからないよな?ははは」
娘の額に軽く口付け、オスカーは
「さ、パパは仕事があるから、ママの部屋もみせてもらいなさい」
といって2人を送り出した。
アンジェリークは自分の執務室を見せて
「ディー、ここで、ママもパパと同じようにお仕事をするのよ」
と簡単に説明してから、最後にディアンヌのためにしつらえられた部屋に彼女をつれていった。
「そして、ディー、ここがあなたのお部屋よ」
「でぃーのおへや?でぃーにもお部屋があるの?」
ディアンヌはきょとんとしていたが、子供の気をひきそうな玩具や絵本が揃えられ、全体がパステルトーンでまとめられたかわいらしい部屋の雰囲気は気に入ったようだった。
ディアンヌが馴染みやすいように、私邸の子供部屋と色調や家具をなるべく揃えてあった。
アンジェリークの手を自分から離し、部屋のおもちゃで遊び始めたディアンヌにアンジェリークは
「いい?ディー、さっき見せたママのお部屋でこれからママはお仕事するのよ。ディーはママがお仕事している間、ここでいいこにまってられるかしら?」
「まま、すぐ帰ってくる?」
「最初はね。それに、もし、パパやママにあいたくなったら、ディーのほうから会いに来てもいいのよ。もちろんその時お仕事が忙しくなければだけどね?それに、このお部屋にずっといなくちゃいけないんじゃないのよ。おうちにもディーのお部屋はあるけど、ディーは自分のお庭や庭園で遊ぶのも好きでしょう?同じようにいきたいところは、ナニーが連れていてくれるから、好きなところで遊んでいていいのよ。」
「…」
不安げに黙りこくってしまったディアンヌを安心させるようにアンジェリークが抱きしめた。
「大丈夫、今日はいいのよ、ロザリア陛下にご挨拶だけして帰りましょうね。」
アンジェリークはディアンヌをロザリアに引き合わせた。
「ディー、元気だった?」
「へーか!こんにちは!」
ディアンヌは母の友人と言う、この美しい妙齢の女性が大好きだった。
「ディー、自分の部屋は見た?あそこは私がディーのために用意したのよ。ディーがママを待てる様にね。」
「でぃー、ままのこと、まてるかな…」
「ディーが待てるだけでいいのよ、ディーのほうがママを迎えに行ってもいいの。私のところにきてもいいのよ。だから、明日はママといっしょに、ここに来られるかしら?」
「うん、ままと一緒なら来れる!」
「じゃ、私と約束よ。ディー、ママとパパと一緒にここまでくること。ちょっとだけでもいいから、あのお部屋でママをまってみること。いい?」
「はーい。」
そして、アンジェリークとオスカーは次ぎの日からディアンヌと一緒に馬車で出仕するようになった。
そして、ナニーにディアンヌを預けて、やはり最初は慣らし保育よろしく、1時間、2時間と徐々に執務の時間を増やして行った。
私邸で待っていたときと同じように、待っていれば母は必ず自分のところに帰ってきてくれるし、しかも、会いたいと思えば、父も母もすぐ会えることを自分の足で執務室を時折覗いて確認したディアンヌはみるみる落ちついて行った。
しかも、以前自分の家で母を待っていたときより、ここで母を待っている方が、よっぽど退屈しないことにディアンヌはすぐに気付いた。
自分から会いにいかずとも、顔なじみのお兄ちゃんたちが、しょっちゅうディアンヌの様子をみに来てくれたり暇をみつけては一緒に遊んでくれるのだ。
ランディはよく公園に連れて行ってくれたり、時折自分の犬を連れてきて一緒にあそばせてくれた。
大きくて優しい瞳の薄茶色の大型犬はディアンヌをのせて歩いてくれたりもした。
マルセルはチュピを見せてくれ、丹精した花壇を見せてくれ、ときたま手入れも手伝わせてくれた。
ゼフェルはいつもなにかしら、手作りのおもちゃを持ってきてディアンヌにくれた。
もっとも、メカの類はオスカーが「まんがいち爆発でもしたら、どーする!」と言って作っても受取ってもらえないので、テレビの幼児番組でつくるようなビーだまロボットとか、モビールとかの工作に類するものであったが。
しかし、子供はそう言うものを目の前で作ってやって遊んでやると、高度なメカよりよっぽど喜ぶということを身をもって知ったゼフェルであった。
ルヴァは絵本をたくさんくれて、読んでもくれたし、リュミエールはお絵描きの道具をディアンヌによこして一緒に絵を書いてくれた。
オリヴィエは、ディアンヌにかわいい洋服をくれたり髪飾りをつけてくれた。
ジュリアスとクラヴィスはとりたてて、ディアンヌになにかするというわけではなかったが、邪険にされたことはなかった。
庭園でナニーと一緒に花をみたり、蝶をおったりしているところにジュリアスが通りかかって、ひょいと抱き上げてくれたり、ぽんぽんと頭を撫でてくれたりする。
いつもジュリアスはディアンヌをだきながら
「元気か?良い子にしているか?私の部屋にも遊びにくるがいい、キャンディーを用意しておくからな」
と、言ってくれるのだった。
ただ、自分がなにか悪いこと、仕事があるといっているのに、どうしても特定の守護聖と遊びたいと駄々をこねた時や、お昼寝したくないといって泣いたときは、誰からもきっちりたしなめられた。
アンジェリークとオスカーが、どうしても甘やかされがちになるだろうから、悪いことをしたときは、きちんとしかってくださいと周囲に頼んでおいたのだった。
ディアンヌのことを皆はかわいく思っていたが、だからこそ、この子の為を思って締める所はきっちりと締めた。
ディアンヌは叱られたときの逃げ場は必ずクラヴィスのところと決めていた。
クラヴィスの部屋に行くと彼は何も言わずに、いつも衣で包む様にディアンヌを抱っこしてくれた。
クラヴィスのいい香りのする衣に包まれていると、波立っていた心もいつしか落ち着き、そのまま寝入ってしまうこともしばしばだった。
幼いディアンヌは自覚はしていなかったが、本能的に心を落ちつかせたいときにクラヴィスに頼っていたのだった。
こうして、ディアンヌはみるみる成長していった。
就学年齢を迎える頃には、執務時間が終るまで聖殿で父母を待つのも平気になっていた。
ルヴァが
「古来より、習い事と言うのは、子供が6才6ヶ月過ぎる頃から、はじめるといいと言う言い伝えがあります〜。これくらいの年齢になれば、年長者のいうことを聞いて理解して模倣できる様になるということなのでしょうね〜。そろそろ、ディアンヌにも教育をはじめる時期でしょう。」
という言葉で基礎学力の家庭教師が選ばれた。
それ以外は、音楽と美術関係はリュミエールが、体育に関してはランディ、礼儀作法をジュリアス、女王府の歴史などをルヴァとそれぞれの守護聖が、適性にあわせてディアンヌの教育にあたった。
実の両親は子供の教育にはどうしても平常心で関わるが難しいのでアンジェリークとオスカーはディアンヌの教育には携わらなかった。
ディアンヌは午前中は学業に勤しみ、昼食を聖殿で父母や、ときには他の守護聖と一緒に食し、午後は自由に庭園を散策したり、本を読んだりしてすごすようになった。
同じ年頃の子供とあまり接したことはなかったが、そのことに対してどうという感慨を抱くことも無かった。
もちろん、自分以外の子供を見たことはあった。
聖地にも研究院の職員の子弟がいることもあって(ただし、それはごく短期間のことが多かった)その子達と遊んだこともあったし、時折、両親が主星というところにあるいろいろな場所につれて行ってくれたから。
本や教材用ROMでしか見たことのない動物がいるところや、魚や水の中にいる生き物ばかりがいるところもあった。
大きな大きな湖みたいなところに行った時は、足の裏を焼くような熱い砂と、どどーん、どどーんと重く唸るような音をたてて自分に向かってくる水が恐くて泣いてしまった。
そう言う場所に行くと、自分以外にとてもたくさん子供がいた。
「ここにはどうして、こんなに子供がいるの?なんで聖地にはあんまり子供がいないの?」
と両親に聞くと、両親が困ったような顔で笑うので、ディアンヌは子供心に聞いても応えられないことなのだと悟った。
生まれた環境を子供は選べないし、周りに子供がいないことも最初から当たり前だと思っていれば当人は別に不幸でもなんでもない。
少なくとも、寂しい思いをしたことはなかった。
両親はいつも仲良しで、自分をかわいがってくれたし、周囲の大人達も同様だった。
自分は成長していても、周囲の大人の外見があまりかわらないのも、それがあたりまえだったから格別に不思議とも思わなかった。
聖地はいつも綺麗で静かでかわらなくて、ディアンヌはたまに両親が主星につれていってくれても、すぐ聖地に帰りたいと思うようになっていた。
聖地は彼女の中で紛れも無く故郷になっていた。