女王陛下は一人ご自分の執務室で、考え事をなさっていた。美しい眉間に皺を寄せ、何やらとても難しい顔をされている。「はぁ、まったくどうしたものかしら…」
女王陛下の懸案の事項は、約半月後に聖地で催される新年のパーティーのことだった。間もなく自分が256代の女王の座についてから3度目の新年を迎える。宇宙の安定度は格段に増し、自らの治世にも潤沢なサクリアにも揺るぎはない。その弥栄を内外に知らしめるための祝賀の宴が予定されているのだ。
以前二度ほど催した新年パーティーは、新女王の治世のもと無事新しい年が迎えられたことに対する祝賀…というよりは、激動の時代を乗り切り、また今後も様々な困難に対処せねばならぬであろう職員への慰労の意味合いが強かったので、その規模自体は小さいものだった。宇宙はまだまだ歩き始めた幼児と同じで、いつ躓き、転ぶかわからない不安定さに満ちていた。移転した宇宙の精査は未だその途上にあり、新たに発見された居住可能な惑星や、生まれたばかりの恒星の精査のため、王立研究院の職員たちは24時間交代勤務を余儀なくされていたのだ。女王府を挙げてその労をねぎらうことは当然の処遇であった。そのため主客は王立研究院の職員たちであり、招待客は聖地に勤務している者に限られていた。
しかし、この度の新年会はその意を異にする。
宇宙の安定及び発展は著しい。探査や研究の段階を脱し、宇宙は成熟した治世の時代に移行しているのだ。故に女王府の中枢機構は、王立研究院ではなく、今や政治と経済を司る女王府の官僚たちの手に移っているといっていい。
畢竟、今回の新年パーティーの来賓は女王府の官僚たちがメインである。今後自分の治世をより一層確固たるものとするためには官僚たちの協力は絶対必要不可欠である。そのためには彼等の士気と忠誠心を可能な限り高めなくてはならない。今回の新年パーティーの主眼はそこにある。
官僚という人種は形式を重んじるので本来なら着席式の食事会が順当なのだが、出席者の人数上、食事は立食式にせざるを得なかった。そして、立食式のパーティーでは、無聊を塞ぐために合間合間にダンスの時間が設けられる予定となっている。そのため、パーティーの場では、先陣を切ってダンスを踊るホストとホステスが不可欠である。例え、官僚たち自らが踊らずとも、見目麗しいカップルがフロアで踊っていれば、それを見ているだけでも招待客は楽しめるものだし、せっかく生演奏があっても楽団の音楽が虚しく流れるだけでホールを埋めるカップルが一組もいない盛りあがりに欠ける白けたパーティーになってしまっては、このパーティーを開いた目的が著しく損われてしまう。
しかし、自分は女王という立場ゆえ、そうそう軽々しくダンスに参加することができない。かといって、ダンスは出席者の女性客に任せきりで、女王はまったく関与せずにただ玉座に鎮座していては、出席者たちに女王の宴に招かれたことの名誉や威光をありがたがらせ、下賜したその名誉をおしいただかせて感激させるには、些か、力に欠けるといわざるを得ない。
「だからこそ補佐官がいるというのに…」
軽々しく客の手をとれない女王の名代として、女王の威光と名誉をも名代として体現するのが、公式行事での補佐官の勤めなのである。自分の治世は、前女王のように御簾のうちから顔も声も直に発さず、勅命は全て補佐官の口を通じて…というほど閉鎖的なものではない。それでも、公式行事で、自ら進んでダンスの相手を務めるほど砕けた姿勢を見せては、威厳に拘わるというものだ。そういう場合のホステス役として、女王補佐官がいるのである。
しかも、現補佐官・アンジェリークは、女であるロザリアからみても、可憐で愛らしく、とにかく理屈抜きに誰もが自分の側においておきたくなる魅力を持った女性なのである。彼女が、女王である自分の替りにパーティーのホステス役を務めれば、どんな男だって感涙に咽んでありがたがり一層執務に励むことは明白なのだ。一度アンジェリークの微笑みを見、会話を交した人間に、よく働けば働きに応じてアンジェリークと近づきになる機会を設けてやってもいい、と言うだけで、その効果のほどは驚くほど絶大だった。実際、ロザリアはその手を使って、守護聖たちの執務の能率をここぞとばかりに上げてきたのだから。
「なのに…なのに、肝心な時になると、あの男が邪魔をするのよっ!」
女王陛下は、丸めた拳でだん!と大きく執務机を叩きつけた。まるで、その机がその男ででもあるかのように。
「まったく結婚させるのが早すぎたわ、こんなことなら、オークションみたいにあの子の値をつりあげるべく、なんだかんだと理屈をつけて、結婚の許可を与えなければよかったわ!なんといっても、わたくしはこの宇宙のじょおおおなのですから!私に不可能はないのだから!」
そう、女王は絶対不可侵かつ絶対権力の持ち主である筈なのに!なのに、あの男…オスカーがあの子の夫だからという理由だけで、わたくしは、一体どれほどの邪魔をされたことかしら…思い出すだけではらわたが煮えくり返るわ。聖地のプロモーションビデオを絶対門外不出の最高機密として封印しなければならなくなったのはオスカーの暴走のせいだし、執務が終わるや否やあの子を攫うように家に連れ帰ってしまうから、おかげでわたくしはあの子とのお茶の時間を、補佐官の公務として明文化しなくてはならなかったのよ!その上、最初の新年会では、あれほど、あの子を独占するなと釘をさしておいたにも拘わらず、あの子の気分が悪くなったとか言って強引に私邸に連れて帰ってしまったし…思い出したわ、おかげでその後の新年会は出がらしのお茶、気の抜けたビールのようにつまらない味気ないものになって、尻すぼみに終わってしまったんだったわ!あの子の気分が悪くなったのだって…きっと、あれも何かオスカーの差し金だったんじゃないかしら!?確かにあの子は真っ赤な顔をして、何だか妙にふらついて足許も覚束なくなってしまっていたけど、そうなるのを見越した上で、あの子を言葉巧みに騙くらかしてお酒でも飲ませたに違いないわ!だって、なんだかゼフェルたちが、訳知り顔でにやにやして、なんとかオスカーにアンジェを連れ帰らせまいとしてたような覚えがあるもの…きっと、オスカーがアンジェの飲み物にお酒でも混ぜた所を見たのかもしれない。あの時は、あの子の様子があんまりふらふらしててかわいそうだったからつい帰してしまったけど、それもこれも、おおもとの原因はあいつの悪巧みだったのかと思うと、まったく忌々しいったらないじゃないの!そして、その悪巧みをあいつは「俺はお嬢ちゃんの夫だから」の一言で、全て正統化することも腹に据えかねるし、しかも、その許可を与えてしまったのは、形式上のこととはいえ、わたくし自身だったということが、また、腹が立ってしかたないのよおおお!
麗しの女王陛下は憤懣やるかたない様子でぎりぎり歯軋りをしていたのだが、一転、ドレスの裾に棚引きそうなほどに重い溜息をついた。
「かといって、あの子の喜ぶ顔が見たい、泣き顔はみたくないというのは悔しいけどオスカーと同じだから…今更女王権限で無理矢理別れさせるわけにもいかないし…くうぅぅ…」
女王陛下は豪奢なドレスの下で無意識に地団駄を踏んでいた。
自分があの子に結婚の許可を与えたのだって、あの子が喜ぶと思ったからだ。あの時私は即位したばかりだったけど、現職補佐官の結婚は現女王の許可が必要だったから…あの子に幸せになってほしくて、だから私は二つ返事で承諾して、そして、あの子は実際この上なく嬉しそうに微笑んで、微笑みながらぼろぼろ泣いて、ごめんねとありがとうを際限なく繰りかえして、そんなあの子がかわいくて私はあの子をきゅうっと抱きしめて…「あんたが幸せなのが一番なのよ」と言った。確かに自分はそう言った…だが、それはあくまで「あの子」の幸せを願ったのであって、間違ってもオスカーの幸せを願ったわけではないのよ!
「だけど、何よりの問題は、あの子のほうも、オスカーにべたぼれのめろめろだってことなのよ…」
女王としての強権発動をして無理矢理別れさせたり、別居させたりしないのは、そんなことをしたらアンジェリークを泣かせ哀しませるだけだとわかっているからだ。あの子の沈んだ顔はみたくない、そんな顔はさせたくない。そして、その気持ち自体は、実際の所、オスカーと自分は同じ位強いのだということもわかっていて、実はそれもシャクのタネなのである。だから、自分の嫌がらせは、誰が行ってもいい出張なら、とにかくいの一番にオスカーにそれをわりふるくらいが関の山で、絶対権力者である女王の自分がこの程度の嫌がらせしかできないという事実がまた悔しい。そんなせこい情けない妨害を女王である自分がせざるを得ないのも、全部あの男のせいなのだ。しかも、オスカーときたら、多少の出張くらいでは逆に「お嬢ちゃんに全宇宙各地のみやげ物を買う機会をわざわざ与えてくださってありがとうございます、陛下。おかげでお嬢ちゃんをまた綺麗に飾ってやることができますよ。まあ、次回の晩餐会を期待しててください」とかしゃあしゃあといって、全然堪えてないしー!
「あーもうとにかく!森羅万象怪奇現象有象無象に腹の立つことは全部オスカーのせいなのよっ!」
興奮のあまり、女王の理屈は少々常軌を逸しはじめた。
「でも、今度は…今度ばかりは邪魔をさせる訳にはいかなくってよ、お〜す〜か〜…」
此度の新年パーティーは、形式に口やかましい閣僚クラスも多数出席する予定なのだ。今までのように無礼講が通じる内輪のものではなければ、形式ばっていずともあまり気にしない研究者たちが主賓でもない。補佐官の途中退場は決してあってはならない。
「でも、この子はあんたの妻である前に、今日は補佐官なんですから、絶対1人占めしないように!今日のアンジェリークは出席者全員のホステスですからねっていう厳命もあっさり出しぬかれてしまったし…いっそのことエスコートするパートナーを最初からオスカー以外の誰かに決めてしまおうかしら…それなら、パーティーが終わるまで、その役得を得た守護聖はあの子を帰すわけがないもの、すくなくともあの子の途中退場だけは防げるわ…」
しかし、問題はそのホスト役を誰にするかだ…黙っていれば、どうせ夫の権限を振りかざしてオスカーがしゃしゃり出てくるに決っている。この件に関してはあの子は全く当てにならないし、相談もできない。こういった場合の意見は基本的にオスカーと示しあわせたようにぴったりフィットしてしまうからだ。だから、今自分は一人で悶々せざるを得ないのである。かといって、自分が勝手に決めたら選ばれたその本人以外の守護聖がぶんむくれて、パーティーをボイコットしかねない。アンジェリークのパートナー以外守護聖は全員欠席の新年会なんて…想像するだに頭が痛くなる。
「なにか、選ばれた人間を有無を言わさず周囲に納得させる方法ってないものかしらねぇ…」
そのいい方法がみつからず女王陛下の眉間の皺は広がる気配を見せないのだった。
翌日の昼下がり、女王陛下は、かわいいかわいい己の補佐官と供に、午後のお茶を喫していた。アンジェリークにとってこれは公務の一環であるが、女王にとっては仕事をやり遂げた自分に対するご褒美である。自らが優秀な執政官である女王は、今日の分の執務は既にほぼ終わらせてあり、午後一杯アンジェリークを独占してお茶だけ飲んでいてもいいのだが、補佐官の方の仕事はそうはいかないので、決められた時刻にはアンジェリークを補佐官室に返さねばならない。守護聖たちがてぐすねを引いて、アンジェリークの来訪を待ち構えているのだ。万が一スケジュール通りにアンジェリークを返さないと、守護聖たちが暴れる。控え目に言っても士気がさがって執務の能率が落ちるので、女王としてのロザリアはアンジェリークを自分一人で独占するわけにもいかないのである。
水面下で密かに己の争奪戦がいまだ繰り広げられていることも知らずに、補佐官アンジェリーク・リモージュはティートレーからフィナンシェを摘んで一口齧ってからこう言った。
「ねぇねぇ、ロザリア、今度の新年パーティーだけど、お料理はウォン系列ホテルからまた出張ケータリングが来るんでしょ?楽しみだわぁ…あそこのお料理美味しいから〜」
「ええ、そうよ。本来なら格式から言って着席式のディナーにしたかったのだけど、何せ出席者の好みがばらばらでしょう?誰もが満足するコース料理のくみたてようがない、って宴席担当の官僚に泣きつかれてしまったのよ。で、仕方ないから座席だけ用意して、食事自体は立食形式で好きなものをとってもらうことにするわ。閣僚たちは自分から動かないかもしれないから、給仕もかなりの数を手配しなくてはならないのよ、おかげで。」
紅茶のカップを置いて、ロザリアがやれやれといった風体で答える。
「わかるわぁ。一般の方々ならともかく守護聖の皆さんって、好き嫌いが多いわよねー。私も守護聖の皆さんをお食事にお招きするときは本当にメニューに苦労するもの。出せないものが多すぎて」
「まったくよ!私が、聖殿主催の正餐を催すたびにどれほど苦労していることか!この聖地にはピロリ菌なんて存在しないにも拘わらず担当者が必ず胃潰瘍で入院するほどなのよ!守護聖たちは皆、私たちより、そりゃ、在籍年数は皆長いわよ?言わば聖殿においては先輩かもしれない。それにしてもわがままがすぎるってものじゃなくて?生牡蠣は見るだけで吐き気がするだの、ロブスターは殻を外すのが面倒だから食したくないだの、トマトとしいたけは使わないでくれだの、鳥肉を見たら僕泣いちゃいますだの…海千山千の閣僚たちの前で守護聖にそんなことで泣き出されてご覧なさいよ!聖殿の権威は丸つぶれよ!」
「うーんと、皆さん、それくらいしか、楽しみがないっていうか、わがままが通らないからじゃないかしら。それでなくとも、守護聖の皆さんは我慢しなくちゃいけないことや、不自由が多いんですもの。食べ物のわがままくらい聞いてあげないとかわいそうよ、ロザリア〜」
さらっと辛辣な事実をいうアンジェリークに、却って燻っていた怒りに火がついたのかロザリアが興奮気味に反駁する。
「あんたの亭主は別でしょーがっ!いくら聖地が常春だからって四六時中この世の春を謳歌してるくせに、わがままが過ぎるってものよ!全くなんでああ好き嫌いが多いの!マメは食いたくないだの、マヨネーズは一切使うなだの…」
「それはねー、私も実は困っているの。お豆はまあ、日常的に食べなくてもそんなに差し支えがないのだけど、オスカー様ったら、マヨネーズとホワイトソースもダメでしょう?これって基本調味料だから使えないとお料理の味つけの幅がかなり狭くなってしまうのよね〜、しかも、結構頑固でいらっしゃるから目先を変えても、ベースがこれだとわかると絶対口になさらないし…私、本当はどっちも好きなんだけど…」
「なら、あんただけでもマヨネーズたっぷりのサラダとか、ホワイトソースたっぷりのクリーム煮でもなんでも食べればいいじゃないの、オスカーはオスカーで好きなものを食べさせて」
「だって、食べる人によって味付け変えたりしたらシェフの手間が大変じゃないの〜、申し訳なくてできないわ。だから、私、そういうものはお呼ばれの時に思いきり遠慮しないで食べることにしてるのー」
「そういや、この前オスカーが出張した時の晩餐でも、あんた、シーフードフライにタルタルソース、てんこもりにしてかぶりついていたわね…」
「やあだー!ロザリアったら見てたの?だってウチでは食べられないんですものー、あれもマヨネーズベースだから…で、ひさしぶりだったから、つい美味しくて…」
「あんたのたべっぷりがあんまりいいから、家ではろくな物を食べさせてもらってないんじゃないかって、おかげで一部の守護聖が心配してうるさいったらないのよ。もっと頻繁に晩餐会を開いて、あんたにたんと食べさせてやってくれとかなんとか…愛する妻に満足にものも食べさせないなんて、ロクな亭主じゃないって思われてるわよ、あんたの旦那は!」
『だから、あんな男とはさっさと別れたほうがいいんじゃないの?』
とロザリアは言うことができなかった。アンジェリークがすごい勢いで反駁してきたからだ。
「ロザリア〜そんなことないのよー!オスカー様は、私にあれも食え、これも食え、お嬢ちゃんは細すぎるからって、そりゃもうお優しいのよ。『ほら、お嬢ちゃん、あーんしな?』っていろいろ食べさせてくださるし…私が一人で食べられます、って言っても、食べさせてくれちゃうの…いやーん、恥ずかしい〜」
「『あーんしな?』ですってぇ〜?ふん、あんたのお口に何を食べさせているか知れたもんじゃないわっ」
ロザリアは妙齢の女王にしてはちょっとばかり、まさしく口にするのも憚られるような状態を想定した憎まれ口を叩いた。
「へ?」
「おほんっ…なんでもないわ」
「だからねー、オスカー様のお嫌いなものは、私が好きで食べないように…お家ではシェフに出さなくていいわよ、って私が自分から言ってるだけなの。オスカー様はちっとも悪くないのよ。それでなくても、他の守護聖さまのお宅にお食事にお呼ばれするとなぜか私の好きな物ばかりでテーブルがうずまってて、そうなると、オスカー様にはあまり食が進まないものを召しあがっていただくことになっちゃうんですもの。お家でくらい、好きなものを召しあがっていただかないとオスカー様がかわいそうだもの。それにオスカー様のおかげで、私も食べ物の幅も広がったし…トムヤムクンとかシシカバブーとか食べたことのないもの、一杯教えていただけたもの」
「あんたの好きなクリーム煮を犠牲にした上でだけどね」
「ロザリア〜…」
アンジェリークがほんの少し眉をひそめて哀しそうな顔をしただけでロザリアはあっけなく降参した。これだから、自分はあまり強硬な嫌がらせができないのだと思い知る。自分の権限を使えばオスカーに浮気疑惑でも捏造して、アンジェリークと無理矢理別れさせることなど雑作もない。だが、それをやらないのは、オスカーとの仲を引き裂いたりしたらアンジェリークが今の比でなく嘆き哀しむのが明白なこと、そして例えどんな証拠を捏造しようと、アンジェリークはどこまでも果てしなくオスカーの愛情を信じきるだろうということが否応なくわかってしまうからだ。ロザリアはアンジェリークに聞こえないよう溜息をついた。
「はいはい、わかった、わかった。じゃ、オスカーが出張した時はまたウチにいらっしゃい。その時はあんたの好きなものを目一杯聖殿のシェフに作らせるから、思いきり食べだめしていきなさい」
「わーい、嬉しい!ロザリア大好きよー!」
「また、オスカーの出張先、ジュリアスに適当に見繕わせなくちゃ…」
「え?」
「おほほほ、こっちのことよ」
有無を言わさぬ完全無欠な女王の笑みでロザリアはアンジェリークの疑問符をはねつけた。
「それにしても、やっぱり守護聖たちの好き嫌いはどうにかならないものかしら…毎回毎回正餐のたびに聖殿のシェフはノイローゼ寸前なのよ。あんなことで労力を使わせるのはエネルギーの無駄遣いというものなのに…」
「九人の守護聖さま、見事にお好みがばらばらですものねー。シェフも一人の要求を飲んで好みのお料理を作るのなら問題ないでしょうけど…それにしてもお抱えのシェフがいなかったら皆さんどうなさっていたのかしらねぇ」
「退任した後、結婚でもしたら奥さんの苦労がしのばれるわよね。ルヴァの「蕨餅を生理的に受けつけない」ってくらいなら、日常の食事に問題はないでしょうけど…それに親に好き嫌いが多いと子供の教育にもよくないのよ。親が嫌いなものは、悪いものとか勝手に思い込んだり、食べつけないから、好き嫌いがそのまま継承していっちゃったりするんだから…」
「でも、好き嫌いが多いとはいっても、何が出ようと今まで正餐を欠席なさった守護聖さまっていらっしゃらないじゃない?皆さん、やっぱり責任感がお強くていらっしゃるんだと思うわ。だから、多少苦手なものを出さなくちゃならないとしても、皆さん、我慢してくださるんじゃないかしら?」
「甘いわね、守護聖たちが食べ物に目を瞑っているのは、他の役得目当てだからであって、万が一その役得を得られる保証がないとわかったら、皆、出席するかどうかも覚束ない…頭が痛いわ」
「???」
きょとんとしているアンジェリークを余所に、ロザリアはまたも麗しい眉を顰めた。わがままな守護聖たちが出された物に文句をつけないのは、アンジェリークとの会食の機会を一回でも無駄にしたくない、特に一部の者は、鬼、つまりオスカーの居ぬ間にアンジェリークになんとか粉をかけようと躍起になっているからであって、決して義務感やら責任感だけで出席しているわけではないのだ。公式度が高い義務的な行事は、それだけ面白くもなんともないから、せめて食べ物くらいは好きな物を食べさせろとわがままも出がちだし、ましてや、アンジェリークはまたオスカーに独占されっぱなし、下手をすると先に連れ帰られてしまうかも…と危ぶまれたら守護聖たちの出席そのものが怪しいなんてことは、アンジェリークに言えないし、第一言っても仕方ない。
だが…そのわがままぶりに毎度手を焼かされているが、アンジェリークがいれば、食べたくない物が出ても表面上は我慢するのだ、守護聖たちも…
ここまで考えた時ロザリアの脳裏にある考えが天啓の如く閃いた。
「ちょっと、アンジェリーク!」
「は、はい!」
「いい、ここからは友人ではなくて女王として言わせてもらうから、あんたも補佐官として聞いて頂戴。あんたは女王補佐官、ということは、今度のパーティーのメインホステスだわね?女王である私の言わば、名代であり聖殿の象徴として来賓をもてなすのが役目なのよ?」
「え、ええ、わかってるわ…」
「ってことはよ?以前の新年会の時みたいに、あんたに途中で気分が悪くなられたりして中途退出されたらむちゃくちゃ困るわけ。特に今回のパーティーは内輪のものではなくて、女王府の官僚・閣僚たちも多数出席するから、なおのことよ?いい?」
「そ、そうよね…あの、今度は気をつける…わ…」
アンジェリークが耳まで真っ赤になってしどろもどろになっていることを少し疑問に思ったものの、ロザリアは言葉を続ける。
「そうよ、それにあんたをオスカーに任せておいたら、またつまんないやきもち焼いてあんたを一人占めしようとするでしょ?それも今回なしよ!いい!?」
「え、ええ、オスカーさまもそれはわかってると思う…けど」
実のところ、ちょっとばかり自信をもって断言できないアンジェリークである。
「甘いわ!前のパーティーの時もあれほどあんたを一人占めするなと言ったのに、あの男ときたら、なんだかんだと理屈をつけて途中であんたを攫って帰っちゃったじゃないの!だからはっきり言わせてもらうけど、オスカーにあんたをエスコートさせるのはものすっごく不安だし、かといってフリーの身にしておいてもまた同じことになる怖れが強いから、これも避けたいの!」
「え?え?え?つまり、あの、どういうこと…?」
「パーティーの間、あんたをエスコートするホストをきっぱり決めてしまいたいの。絶対あんたを途中退場させないような誰かを…」
「えええ〜?お、お仕事ならそれも仕方ないとは思うけど、じゃあ、ロザリアはそれを一体誰にしたいの?やっぱりお役目から言ってジュリアス様?」
「それが決らなくて困っていたのよ…私が誰を選んでも選ばれなかった守護聖が納得しないでしょうからね…」
「???なんで?」
「あー、あんたはその辺は考えなくていいから。でもね、たった今私はものすごくいい方法を思いついたのよ!」
「?」
「基本的には公募よ。あんたをエスコートしたい守護聖に自主的にエントリーしてもらってあるサバイバルゲームで勝ち残った勝者にあんたをエスコートする権利を与えるの。ただし、もちろん中途退場は許さないという条件付でエントリーしてもらうけどね」
「そ、そんなものに皆さん必死になってくださるとは思えないんだけど…万が一、そんな苦労をしてまで私をパートナーにしたいって守護聖様がいなかったらどうするの?その時はオスカー様でいいの?」
「まったくあんたは自分をわかってないんだから…」
「???」
いつのもの如く自覚のない自分の補佐官に苦笑しつつ、ロザリアは答えた。
「ま、そんな心配は杞憂だろうけど、そうね、万万が一、エントリーする者がいなかったらオスカーの不戦勝ってことにしてあげるわ。ただし、その場合も中途退場は絶対なしですからね!もし、この約束を破った場合は、辺境に聖地時間で1ヶ月以上の出張にいかせるわよ」
「ええええ〜!今の時間の流れで聖地で1ヶ月っていったら外界で1年以上…わ、わかったわ…で、そのサバイバルゲームって一体どんなものなの?」
「それはね…」
ロザリアは凄絶とも言える笑みを唇に乗せて高らかに宣言した。
「食わず嫌い克服ゲームよ!守護聖たちが日頃食べられないとか、食べたくないとか文句をいう料理をそれぞれに出して、見事食わず嫌いに打ち勝った守護聖にあんたをエスコートする権利を授けるの!」
「………えええ〜!ま、ますます、本気でエントリーなさる方なんていらっしゃらないように思えるのだけど…そんな苦労をしてまで、私をエスコートしたいなんて思ってくださる方は…きっと、オスカー様しかいないんじゃないかしら…うふv」
ぽっと頬を染めながら無意識のうちに惚気ているアンジェリークを、ロザリアは処置なしだと言わんばかりの横目で見据えて大仰に溜息をついた。
「ほんとにあんたは自分がわかってないわね。でも、それならそれで、あんたには却っていいでしょ?あんたの亭主が不戦勝になるんだし」
「そ、それに、万が一奇特な方がエントリーされたら、その方たち、ちょっとかわいそうな気も…」
「んま!何言ってるの!だからこその、サバイバルゲームなんじゃないの!それだけの苦労をしてもあんたのエスコートをしたい!と思う熱意と自発性を計りたいのだし、それだけの苦労をしてゲットしたホストの座なら、徒や疎かに途中でほっぽり出したりしないでしょ!そういう人材を選出するのが目的なんだからハードルは高ければ高いほどいいのよ!」
「そ、そういうことなのね…それなら、尚更エントリーなさってくださるのはオスカー様だけかもv…」
ぽぽぽ…と頬を染めっぱなしのアンジェリークを横目に、脱力しそうな自分を鼓舞してロザリアは更に言葉を続ける。
「それにね、エントリーする守護聖はね、ちーっともかわいそうなんかじゃないのよ!これはね、あの方たちの、引いては将来あの方たちの家族になる方たちのためでもあるのよ!私たちがするのは正義の行いなのよ!だから、ぜんっぜんかわいそうなんかじゃないわ!むしろ、皆さんも、将来「よかった…」って思うに決ってるわ!」
「へ?そ、それ一体どういうこと?」
「だって、あんた考えて御覧なさいよ、守護聖だって退任した後家庭を持つかもしれないでしょ?その時、あれも食べたくない、これも食べたくない、なんてわがままばかりいう夫だと奥さんがかわいそうじゃないの。しかも、自ら好き嫌いしてたら子供にだって『好き嫌いを言うな』なんてしつけもできなくなるし、第一食の幅が狭いのは本人にとっても損失なのよ。味覚の点でも栄養面でもね。でも、なんの理由もなしにいきなり「好き嫌いをなくせ」なんて言ったって、あの頑固者たちがすんなり努力するわけないじゃない?だから、あんたという餌を…ごほん!あんたのエスコートができる、という強烈なモチベーションがあれば、好き嫌いをなくそうと、多少は努力するでしょう?こんな機会でもなければ絶対食わず嫌いをなくそうなんて、守護聖たちは思わないだろうから」
「そ、それはそうかも…でも、私のエスコートが動機付けになるの?」
「少なくとも一部の守護聖には、絶対なるわ!オスカーだってあんたと踊る権利を他の守護聖に渡したくない、って思えば、マヨネーズでもホワイトソースでも口にするわよ」
「そうねぇ、1度でも試してくださったら見方が変わるかも…って私も思うときがあるし…」
「それに、リュミエールとか海洋惑星出身なのに魚が食べられない、なんて、退任してから故郷に帰ったら苦労するわよ?海洋惑星の蛋白源なんて魚がメインなんだから。オリヴィエも寒冷惑星に戻るなら、多少は辛い物も食べられるようになっておいたほうが絶対いいのよ!とうがらしのカプサイシンって身体を温めて寒さをしのいでくれるんだから…だから私は、彼等が退任後に健全で苦労のない生活が送れる一助として、好き嫌いをなくしてあげたいのよ!わざわざ私はその機会を与えてあげようといっているのよ!」
とロザリアがもっともらしく一通りの説明を終えるとアンジェリークは瞳をきらきらと輝やかせ、明かな賞賛と尊敬の眼差しでロザリアを見つめた。
「ロザリア、あなたって…なんて優しい…なんていい人なの…まさに宇宙の女王さまよ…退任後の皆さんや、まだ見ぬ元守護聖の家族の方々のためにこんなに一生懸命になってあげるなんて…」
「おーっほっほっほ!そうでしょう?いいことでしょう?誰がどこから見ても文句のつけようがないでしょう!」
高らかに誇らしげに笑んだあと、ロザリアはきっと顔を引き締めた。
「ただしよ!この主旨は誰にも内緒よ!オスカーにも絶対内緒ですからね!」
「え?どうして?ロザリア。とってもいいことなのに〜。それにきちんと主旨を説明した方が皆さんもきちんと参加してくださるかもしれなくてよ?私のエスコート役ってこととは関係なく」
「だめよ、それじゃ、わがままばっかり言ってる守護聖たちへの意趣返しにならな…」
「は?」
「げふげふげふ…じゃなかった、あんたをエスコートしたいっていう熱意を計るって主目的はそれだとぼやけちゃうでしょ?それにいつになるかわからない将来のことなんか持ち出して、好き嫌いを無くせなんて言っても『余計なお世話だ』って反発されるかもしれないし。あんたをエスコートしたい、って思えばこそ、守護聖たちも好き嫌いに果敢に立ち向かうと思うのよ、私は。そして私自身は結果がついてくればいいのであって、私の本当の意図はわかってもらう必要はないのよ」
「ろ、ロザリアったらなんて奥ゆかしくて、私心がないの…自分は憎まれ役になっても、感謝の言葉ひとつもらえなくても、周りの人たちの幸せが大切、むしろ知られない方がいい、なんて…あなたみたいな人がお友達で私、うれしい!」
「おーっほっほっほ!じゃ、私の本当の意図は皆には内緒よ、特にオスカーには絶対内緒ですからね?いいわね?」
「?なんでオスカー様には『特に』内緒なのかわからないけど、わかったわ、ロザリア」
「さー、そうと決ったら、なるべく早く公募のお知らせを開示しないとねーおほほほ〜!」
と、女王陛下がやる気満々の高笑いを執務室中に響き渡らせた所で、無情にも補佐官の「女王陛下との茶話」という公務の時間が終わりを告げた。
ある日の午後、炎の守護聖オスカーは己のサクリアの微調整を終え、自分の執務室に戻ってきたところであった。すると机にしこまれたPCにメッセージありの表示が点滅している。神鳥の紋章が見えた。ということは女王直々の署名入りだということを意味しており、守護聖である自分以外はこのファイルを開けない。
「プリントアウトしろ」
モニターで連絡事項を読むのはあまり好きではないので、紙にプリントアウトするように命じた。PCがオスカーの声紋を照合する僅かな時間の後、メッセージの書面が機械から吐き出された。
「一体、何事だ?」
プリントアウトされた紙をつらつらと眺めたオスカーは一瞬瞳を大きく見開いた。次の瞬間、その紙をぐしゃりと握り締め、決然とした足取りで即座に部屋を出た。行く先は女王の執務室だった。
オスカーは自分の身長のゆうに二倍はありそうな壮麗なドアの前にたった。乱暴にならないよう注意しながらノッカーを叩く。
すぐに女官が現れた。アンジェリークが出てこない…ということは、今、彼女はどこかにお使いにでも出されているのだろう。却って好都合だとオスカーは断じ、女官に女王への取次ぎを依頼した。女官が1度引っ込み、程なくしてオスカーを招き入れてくれた。
「陛下、失礼いたします。炎の守護聖に謁見をお許しいただき光栄のいたり…」
「お入りなさい」
「御意」
女王であるロザリアは執務室の大きな窓を背に立っていた。逆光のせいでその表情ははっきりとは伺えなかったが、不自然なほど落ち着き払っていた。オスカーの来訪の理由をまるで知っているかのようだった。
「オスカー、早かったわね」
『やはりな…』
女王は俺が陳情にくることを見越していた…つまり、この書面を見て俺が不満を抱くとわかっていて意図的に発行したのだ。それならこちらも正面から切りこませてもらおう、オスカーは瞬時にこう判断した。
「陛下、これは一体どういうことでしょう?ご説明願えませんか?」
「そこに書いてある通りよ。今度の新年パーティーでのホストの募集応募要項です」
「募集など必要ないでしょう。補佐官がメインホステスなら、ホストは補佐官の夫である私が勤めればいい。わざわざ公募する必要がどこにあります?」
「私はね、オスカー、パーティーの主催者としてホステスに中座されては困るのです。今度の新年会はうるさ型の閣僚たちが主賓なの。彼等の士気を高め、より一層の精勤を期待しての招待よ。だから女王府から招待されたことを最大限に名誉に思って、感謝感激してもらわないと意味がない。そんな席で女王の名代である補佐官をつまらないやきもちで一人占めされたり、途中で連れ帰られたりしたら困るの。そんなホストは百害あって一利なしだから。」
「ほう、まるで私がそんなホストになるとでもおっしゃりたいのですか?陛下は。」
「ええ、何せ前科がありますからね。あなたが以前のパーティーで、わざとアンジェリークが帰らざるをえないように仕向けたことに私が気付かなかったとでもお思い?」
「何のことだかわかりかねますな。私は気分の優れない妻の容態を案じて、暇乞いをさせていただいただけですが」
「まあ、確かに証拠はありませんから、とぼけてもかまいませんけど、かといって結論はかわらないわ。あなたにそのままアンジェリークのエスコートを任せる訳にはいきません。でも、すると誰をホストにするか揉めることも必定。それなら、アンジェリークをエスコートしたいものに自ら名乗り出てもらおうと思っただけですわ。きちんと責任感と自覚をもってホストを勤め上げ、絶対に中途退場しないような人にね。万が一退場した場合は聖地時間で1ヶ月の辺境出張というペナルティ付きで…」
「それだけなら、なぜこんなことをする必要があるのです!」
オスカーが突き出した紙には黒々とこんな告知文が記されていた。
『注意!守護聖のみ閲覧のこと
来る新年会でのホスト公募。ホストは終日パーティーのホステスである補佐官をエスコートする権利が与えられる。ただしパーティーの開催時間中は中途退出厳禁。これに反した場合ホストには聖地時間で辺境へ一ヶ月の出張がペナルティとして課せられる。
以上の条件を踏まえた上で、補佐官のホストに立候補するものは以下の方法で以って選抜される。
エントリー表明後、○月×日 正午 聖殿大広間にて昼食会。
その時、エントリーした自分以外の守護聖が日頃食べられないと公言している料理を持ちよりのこと。数量は自由。調理者は本人でなくても可。
食わず嫌いを見事克服した者に補佐官を終日エスコートする権利を与えるものなり。
尚、1回で勝負がつかなかった場合、2次、3次会に同様の手段でもって最終権利者を決定する。
第256代女王印す』
「なぜ、ホストを決めるのに、いちいち食わず嫌いを克服しなくてはならないのです。」
「貴方は何様です、オスカー…」
オスカーがはっと居住まいを正した。
「女王の命令になぜ?はありません。理由を説明する必要もありません。女王の命令は絶対です。あなたがこの選抜方法に不満なら参加しなければよろしい。私は参加は強制だなんて一言も言っていないのですから。」
ぐっとオスカーが詰まった。
「私は慈悲深き宇宙の女王です。有無を言わさず誰か1人をホストに決めてもよかったのですが、それではかわいそうだと思い、全ての守護聖に機会を均等に与えてやったのです。率直に言ってホストとしては難のあるあなたも含めてね…感謝こそされてしかるべきでしょう、この女王の慈悲を…」
くっくっく…ロザリアが声を押し殺すように笑った。
「あなたも、アンジェリークをエスコートしたければ正々堂々と戦って他の守護聖から守りぬくことね。普段口にするのも嫌なものでも、あの子ことを思えばそんなもの何の障壁でもないでしょう?あなたがエントリーするもしないも、あなたの自由よ、オスカー。でも、夫であるあなたがエントリーしなかったら、あの子はその事実をどう思うかしらねぇ?あなたの言う愛っていうのは、グリンピースやマヨネーズにも劣ってしまうようなお粗末なものなのかしら?そう思われても仕方ないかもしれないわねぇ…」
「お嬢…補佐官殿はこのことを承知されているのか?」
「もちろん納得済みですわ。あの子は「私」の補佐官なのですから…おーっほっほっほ!」
オスカーを安心させてやる義理はロザリアにはないので、参加者が皆無だった場合、オスカーの不戦勝となることはもちろん自分から言ったりはしない。嘘をついているわけではない。聞かれないから答えないだけなので、やましくもない。
ロザリアの堂々とした態度に、第1ラウンドはオスカーの完敗だった。
女王の権限と、なおかつエントリーは自由参加で強制ではないと言われれば、オスカーに反論する術はなかった。その上、以前の新年会でアンジェリークを家に帰さざるをえないよう仕向けたことまで気付かれていてはどうにも分が悪い。もっともロザリアのこの様子なら、聖殿裏のテラスでアンジェリークを思いきり貪るように抱いたことまではばれていないようだ。ロザリアの言及した事態は、せいぜい、彼女に意図的に酒を飲ませたということくらいだろう。
「御意、それなら私は正々堂々と自分の妻をこの手に抱く権利を守るだけです」
女王の騎士としてあくまで優雅な最敬礼を行って退出の礼をとりながら、オスカーはアンジェリークの真意に思いを馳せていた。女王の命令と言われれば、守護聖である自分同様、補佐官であるアンジェリークがそれを『承知』せざるを得ないことはわかる。だが、ロザリアは『納得』とわざわざ言った。つまり、有無を言わさない命令に仕方なく従っているわけではないということか?こんなむちゃくちゃな提案をアンジェリークが納得しているという事実がどうにも解せない。
『一体どうしたんだ、お嬢ちゃん…俺でない誰かにエスコートされてもいいのか?君は…それともまさか俺にエスコートされるのが嫌になっちまったのか…?馬鹿な…そんなことある訳ない…』
オスカーの胸中を不穏な翳りが覆った。