Cocktail Trick 2

オスカーが女王府から神鳥の紋章入り書面を受け取ったのとほぼ同じ頃、他の守護聖たちも同様に同じ書面に目を通し、それぞれの感慨を抱いていた。

「これは…陛下の意図はいったい…」

首座の守護聖は、紙片を形のいい指先で弄びながら、女王がこのような勅命を発した意味を考える。

補佐官は公式の場では女王の名代である。直接女王を仰ぎ見るのは恐れ多いので、その尊厳と威光を替りに遍くしろしめるための存在といってもいい。その補佐官をエスコートする役割を敢えて公募にする意味は何なのか?彼女には配偶者がおり、あの男が彼女のエスコートをしぶる訳がない、というより、あの男の主観としては、他人に任せる気などさらさらないであろうに、それを承知で公募をかけるということは…あの男、実務能力において最も自分が頼みにする男は何か公式行事で補佐官をエスコートするには欠ける所ありとでも、女王に断ぜられたのであろうか。

なおかつ、女王は独断でホストを決定せず敢えて公募にしたということは、この役割に責任感と自覚を促す為ではなかろうか、と首座は考えた…そして、公の席で女王の威厳を体現するに最も相応しく、それに足る責任感と自覚の持ち主といえば…

「やはり私しかおらぬであろうな…私の応募をこそ陛下はお望みなのだろう。だが、この栄えある役目の責任を強く自覚させるために、敢えて公募になさったのであろうな…」

しかし、その選定の方法の意図がどうにもジュリアスには読めなかった。

普段口にするのも厭わしい物を敢えて口にできた者にホストを任ずるという、この選定方法には一体どういう意味が込められているのか、それがどうしてもジュリアスにはわからない。

「何か深いお考えがあってのことなのだろう、私のような凡俗にはわからぬ深いお考えが…」

確かにジュリアスには一生かかっても、ロザリアの意図は読めなかったに違いない。例え、直接知らされたとしても理解できなかったやもしれない。

とにかく、首座の守護聖として彼は「この勅命の裏には私の任命をこそ望む陛下の隠れた意図があるに違いない」との信念から、早速のエントリーを決意したのである。

 

闇の守護聖は、執務室の長椅子にやる気のない大型獣のように寝そべっていた。

ルーティンワークのサクリアの調節は午前中、さらに言えばものの5分で終わっていた。サクリアが強すぎるのも考え物だ、と彼は口の中で1人ごちる。あとは執務時間中にたまさか尋ねてくれる愛らしい補佐官を待つこと以外、彼にすることはないので、その時まで彼は寝ていたかった。

しかし、先ほどから執務室据えつけの計器がなにやら煩いビープ音を何分か置きに鳴り響かせ、クラヴィスの神経を逆撫でしていた。

「煩い…誰でもいい、誰かメッセージを受取ってあれを黙らせろ…」

すると側近が大層申し訳なさそうに、メッセージが女王陛下直々のもので守護聖の網膜か声紋で本人の確認がとれないとファイルが開けられないのだと言ってきた。

「難儀なことだ…」

ぶしゅぅ…と排気音でも響かせそうな重々しい動作でクラヴィスは立ちあがってモニターに瞳を近づけた。待ちかねていたように執務机から神鳥の紋章の入った書面が吐き出された。

ちらりと見えた『補佐官』の一言に彼の常日頃を知るものからは信じられないような速度で、クラヴィスは紙片をひったくるようにもぎとってそれに目を通した。

「これは…天が私の恋心を哀れんで与えたもうた機会か…」

実際は機会を与えたのは天ではなくロザリアで、しかも、クラヴィスに限って与えられた機会ではないのだが、クラヴィスの脳内ではこの機会は既に自分の既得権益と化していた。

一日中、いや、うまくいけば一晩中アンジェリークをこの手に抱いて踊り放題…ということは、その間誰にも邪魔をされず口説き放題ということではないか。その上、女王陛下のお墨付きともなれば、でかいガタイで場所取り大迷惑なあの赤毛男に邪魔される心配もなかろう。しかも、選定方法は食わず嫌い克服とは…これなら自信がある…まさにこれこそ天佑か、と我知らずクラヴィスは密やかな笑みを口の端に乗せていた。

自分が公言してはばからない嫌いなもの、これは実は食べられないものではない、面倒だから積極的には食べたくない、それだけのものであったから。

ロブスターは殻をはがすのが面倒だ、エスカルゴは身を殻から引きずり出すのが面倒だ、ムール貝が銀のバケツに山盛りになっていると、そのひとつひとつを自分で殻から外すのかと思うと眩暈がする。当然蟹などは剥いてもらえば食べるが、自分で剥いてまで食べたいと思ったことなどない。そしてクラヴィスのためにわざわざ蟹をむいてくれる奇特な存在はいなかったし…頼めばしてくれる者はいるかもしれないが、他人の手をそこまでわずらわせてまで食したいとも思わない。世の中にはこんな面倒をかけずとも食せる食材はいくらでもあるのだから。同じ理由で天津甘栗は「甘ぐりむいちゃいました」が発売されるまで、食したこともなければ食してみたいと思ったこともなかった。

「これなら勝てる…」

どうせライバルたちは短絡的に自分が嫌いだといっているロブスターあたりを出してくるに違いない。しかし、自分はそれを食べられないのではない、面倒をかけてまで食べたくないだけなのだ。しかし、アンジェリークを公的に自分の腕に抱けるとなれば、一時自分のものぐさに蓋をして、ロブスターの身を殻から剥すくらい、如何程の労苦であろうか。

「くっくっく…」

クラヴィスが勝利を確信して1人悦に入っていたその時、ばたーん!とものすごい轟音を響かせて執務室の扉が開かれ、同時に、彼の人には珍しく慌てふためいた様子で、銀青色の髪の麗人がまろびこむようにクラヴィスのもとに駆けよってきた。

「クラヴィスさま、クラヴィスさま、女王陛下からの書状はお読みになりましたか?」

「……力の加減を忘れるとはかなり興奮しているようだな…庶務課のものを呼んで修繕させねば…」

見れば執務室の重厚な扉は片方の蝶番が外れてぶらぶらと揺れている。

「そんなことより、これ、これです!クラヴィスさま!愛しいかわいいアンジェリークを公然と1人占めできる千載一遇のチャンスを陛下がお与えくださったのですよ!」

「ああ、知っている…当然おまえもエントリーするのだろう?」

「それはもう、もちろんでございます…ですが…」

水の麗人は、これみよがしに哀しそうな吐息をついた。

「私の弱点は、口惜しいことに周囲に知れ渡っております。他のものはともかくあのケダモノがこの弱点をついてこない訳がございません。あのケダモノはケダモノでアンジェリークを全力で死守しようとするでしょうから、他の守護聖への攻撃は恐らく苛烈かつ容赦のないものであろうと…なので、こういっては何ですが、万が一の僥倖を当てに自分の勝利を目指すよりは、私といたしましてはとにかく、あのケダモノをぎゃふんと言わせることに主眼をおきつつ、他の守護聖を蹴散らし蹴落とすことに専念したいかと…かように考えております」

「ほう?」

「そこで、クラヴィス様、ご相談なのですが、私が、他の守護聖がどうやっても口にできないものを選定しまして、ライヴァルを蹴落とす算段をいたしますので、その結果、クラヴィス様が見事ホストの栄冠を射止めた暁には、5曲に1回くらいで結構ですから、私をアンジェリークと踊らせていただけないかと、かように考えております。いかがでしょう?損な取引ではないと存じますが?」

「ふむ…私は確かに勝ちぬく自信はある、しかし、他の輩の弱点を探って対策をたてるのは得手とはいえぬな…ほかの守護聖が同じほどの根性と気力で食物を飲み下してしまえばいつまでたっても勝負もつかぬであろうし…面倒なことは1度で済ませるがよかろう…では、おまえの手並み、拝見させてもらおうか…」

「私におまかせくださいませ、クラヴィスさま」

どこぞの御台所のようなセリフを発しながら、リュミエールは完璧に左右対称の笑みを見せた。

「ライバルを蹴散らし晴れて一晩中アンジェリークをこの手に抱いておられれば…」

「あのケダモノに愛想尽かしをさせ、引いては守護聖の誰かともう1度やりなおすよう口説き落せる確率も飛躍的に高まろうというものです…ふ…ふ…ふふふふ…」

「ああ、そうだ。我々のうちの誰かとな…」

「ええ、誰かと…」

二人はお互いに顔を見あわせてこのうえなく優美な笑みを交し合った。

明日は敵になるやも知れぬ者同士が、強大な敵を倒す為に一時的な同盟関係を結ぶ、まさに兵法の王道であった。

 

一方年若い少年たち3人は、この女王の通達にどう対応したらいいものか、顔を付きあわせて相談中である。

「ねぇねぇ、これならボクたちもアンジェをエスコトートする機会があるってことだよねぇ」

「ああ、嫌いなものを我慢して食べれば俺もアンジェを一晩中抱いて踊れるかもしれないんだな、うーん、わくわくするなぁ!よし、早速エントリーだ!」

「でもよぉ、あのおっさんが簡単にすっこむと思うか?あの手この手で他の守護聖を蹴落としにかかるにきまってるぜ?マルセル、おまえ鶏の丸焼きなんて出されたら食えるのか?ランディ、おまえはトマトとしいたけ、平気になったのかよ?」

「う…な、なんとかこれはただのお肉だって、思うようにするもん!」

「お、俺も目を瞑って、鼻をつまんで丸のみすればなんとか…なるかも…しれないじゃないかぁ!最初から諦めてたら、どうせアンジェはオスカー様のものになっちゃうんだから、少しくらいは抵抗しないと悔しいじゃないかよ!それでなくてもオスカー様はいっつもアンジェ相手にいい思いしてるんだからさぁ…いいよなぁ、ほんとにオスカーさまは…毎日、毎日アンジェと一緒でさぁ…」

何やら楽しくも妖しい想像に耽ったのか、ランディの瞳がどこか遠くの方に漂った。すかさず、ゼフェルが無作法にも、びしっと人差し指をランディの鼻先につきつけた。

「それだよ、それ!俺が狙っているのは!」

「へ?」

「おい、おまえら、昔、やっぱり新年会でアンジェが俺たち全員のホステスだっていわれて、順番にダンスさせられてたことがあっただろう?で、そのことにやきもち焼いたオスカーが、アンジェを会場から連れ出して、あろうことか聖殿裏のテラスで…」

「うん!覚えてるっていうより、忘れるわけないよぉ!あんなスゴいシーン見たの、後にも先にもあれっきりだもん」

「ほんっとにすごかったよなぁ…俺、あれで真剣に結婚したいって思ったもんなぁ…結婚すればかわいい奥さんと毎日あんなことができるんだもんなぁ…ほんとにいいよなぁ、オスカー様は…」

「だからよー、今回、もし、オスカーがホストになれなかったら、あのおっさんは、どういう行動に出ると思う?アンジェに関してはとことん大人げないあのオスカーだぜ?」

「また、なんだかんだと策を労してアンジェを会場から勝手に連れ出して…もしかして、もしかすると…?」

「ああ、やきもちのあまり、また、ああいう暴走をしてくれるかもしれねーじゃんか!そっちを狙う方が、俺としてはなんつーか、たのしーんじゃねーかと思うわけだ。上手く行けば、またアンジェのあのシーンがばっちり見られるかもしれねーんだぜ?」

「あんまり可能性がないホストの座をぼくたち自身で狙うよりは、オスカー様以外の誰かにホストになってもらって、オスカー様のジェラシーを煽って暴走を誘う…ってこと?」

「そ、そしたら、またアンジェがオスカー様にあーんなことや、こーんなことをされてるところをこの目でばっちり拝ませてもらえるかもしれないんだなっ!」

「おい、おまえハナヂでてんぞ」

「あ、ごめんごめん、つい、リアルに想像しちゃってさー、あはははは!」

「ああ、この前は突然のことに、何の準備もなかったからその場で見ておわっちまったけどよぉ、今度は超小型のデジタルムービーもばっちり準備して事に臨むってのはどうだ?もちろん、おまえらにはタダでダビングしてやるよ」

「すっげー!すげーよ、それ!ゼフェル、それで行こう!どうせ俺たちがホストになれる見こみはあまりないんだから、そっちで美味しい思いする方がいいよな!」

「ああ、だから俺たちは、まあ、一応狙えるところまでは狙うが、無理に勝とうとするより、とにかくオスカーに勝たせない、そっちを優先させるってことが目標だ、いいな?」

「じゃ、お互いがんばろうね!第一目標はオスカー様を勝たせないだけど、最後の最後までお互いライバルってことだね」

「ああ、ライバルであり協力者だぜ。俺たちの内、上手い具合に誰かがホストになったら、思いきりオスカーのジェラシーを煽る様に振舞う。俺たちがホストになれなかった場合でも、オスカーがホストにならなきゃ、多分オスカーはやきもち焼いて、なんとかアンジェを取り戻そうとするだろうから、その時はわざとオスカーに協力してオスカーにアンジェを攫わせるよう、仕向ける。これは絶対だ。で、俺たちのうち誰かがオスカーとアンジェの後を追って、オスカーの暴走っぷりをばっちり記録に残すってのが、手順だ、いいな?」

「らじゃー!」

こうして年少3人組の目的は当初から、ロザリアの思惑とは相当ずれた所に設定された。

 

さて、こちらは大人の余裕の二人である。

「あ〜あ〜、どうしたものでしょうかねー、せっかくの機会ですから参加したいのはやまやまなんですけどねぇ」

「参加すればいーじゃん。そりゃ、オスカーが全力で阻止しようとするのはわかりきってるけどさぁ、その様子を見るだけでもかーなーり楽しい見物だと思うけど?」

「そうですねぇ。私自身は例のアレを出されてしまったら、もう不戦敗確定なので、参加してもしなくても大差はないと思ったんですが、確かにエントリーしないと、その過程は見られませんねぇ」

「そうそう、私も命がけでアンジェを奪取しようってほどの気概はないから、本来、この程度の思い入れしかない人間が参加するのは罰当たりだなーとは思うのよ。でも、参加しないことには成り行きがこの目で見られないじゃな〜い?それはちょっと悔しいと思っちゃうんだよね。オスカーが如何に己の弱点を克服しつつアンジェを守ろうとするか?対して、どーしてもアンジェをゲットしたい男は、どうやってオスカーを攻撃するか、しかも、オスカーを攻撃しつつ他の守護聖も蹴落とさなくちゃならないんだもん、こんな面白いイベント見逃せないよねぇ」

「とかいいつつ、あなたはこの勝負の言わば景品にされてしまったアンジェリークの様子も気になるのではないですかー?」

「ふふん、さーてね。でも、実際なんで陛下がこんな催しを企画したのかわかりかねるし、しかも、自分が景品になっていることをアンジェがちゃんと承知しているのか、ちょーっと気にはなるよねぇ。アンジェリーク自身がこのことをきちんと納得して了承しているのならいいんだけど…」

「ただ、補佐官の立場として、これは女王命令です、と言われれば、それは承知せざるを得ないでしょう。女王の立場としては有無をいわさずホストを任命することもできたはずですから」

「そうなんだよ。黙っていればアンジェのエスコートはオスカーがするに決ってる。それこそ勅命でもなければオスカーが譲るわけないからね。なのにホストを敢えて公募にしたってことは、あきらかに陛下はオスカーをホストにしたくなかったってことだよね。でも、これといった理由もなくあからさまにオスカーだけを排除することもできなくて、折衷案としてこんな苦肉の策を思いついたのかねぇ」

「あからさまにオスカーを排斥すれば、アンジェががっかりするでしょうからね」

「陛下の本音はかなりあからさま、だとは思うんだ。だけど、それを公言はできない。オスカーのためじゃなくて、アンジェのためにね、多分…だから、公募にしたんだろうね。」

「なぜオスカーをそこまで排斥したかったんでしょうかねー?」

「あはは!それは予想つくよ!あの男のやきもちを警戒してのことだと思うよ。聖殿を代表し、女王の威光を体現する役目の補佐官を、あいつはすぐ独占したがるからね」

「ああ〜、確かに。オスカーのアンジェへのまっしぐらぶりは、端で見ていても微笑ましいですからねぇ」

「はは…モノはいいようだね…それと、私たちに敢えてアンジェを競わせることに更なる意味ってあると思う?ルヴァ」

「あの陛下が、公的な場でオスカーを排斥したい、というだけで、このような催しを開くかどうかですか?…微妙なところですねー。何か更なる深い意図がおありかもしれませんね〜もしかしたら、善意で守護聖たちの好き嫌いを矯正しようとお考えなのかもしれませんし。実際好き嫌いなどなるべくないに越したことはないのですからねー」

「そうかねぇ、単に面白がってかもしれないよ?実際第3者的立場にいるなら、この成り行きを見守るのって相当面白いもんねー」

「ははぁ。それもあるかもしれませんねー、なにせ千年1日がごとき聖地です。異動も転勤もないこの職場では、たまさかこんな息抜でもさせないことには、我々守護聖の鬱屈がたまって執務能力が停滞する…ということも陛下はお考えになってのことかもしれませんねー。言わばガス抜きといいますか、たまさかのお祭り気分とでもいいますか…」

「ということは、やはり、陛下の思惑がなんであれ、この結果を見守るためには、勝つ見こみも、勝ちを取りにいく気がなくても、ここは参加しかないってことだね!」

ということで、成り行きを自らの目で見届けたい、という理由でこの二人もエントリーを表明することになった。

もっともルヴァは単なる野次馬根性よりも、ロザリアの隠れた(とルヴァが信じている)意図に感銘を受けての参加のようであった。

 

さて、この件で最も懊悩の深い男、それは本人にしてみても、周囲から見てもオスカー以外に有得ない。

なぜなら勝者は常に孤独、かつ、最も厳しい闘いを強いられるものと相場が決っているからだ。チャレンジャーというのはチャンピオン1人を視野に入れて闘いを挑めばいいが、タイトル防衛者は各方面から様々な闘いを間断なく仕掛けられるので、瞬時の油断もならないし、その対策も一通りではない。

もっとも、闘う男オスカーはそんなことで怯みはしない。アンジェリークを巡る闘いを挑まれることで、胸の闘志は一層かきたてられ、この唯一無二の愛を守りぬく決意はより強固になるくらいだ。当然、マヨネーズの猛攻だろうと、グリンピースの強襲だろうと真正面から受けて立つ決意は揺るぎない。

しかし、それは、アンジェリークもまた、揺るぎ無い愛を自分に抱いてくれている、という信念あってこそ生まれ燃える闘魂と強固な決意なのである。

万が一、アンジェリークの自分への愛に一筋ほどでも不信という夾雑物が混じったら、その闘魂も決意も僅かなひび割れから、あっというまに瓦解してしまうかもしれない。

男の心というのは存外に脆いのだ。

闘いの意義が信じられなかったり、大切なものを守りぬく信念というものが揺らげば、いくら実力があろうとも、例え兵力差が膨大なものであっても、強いと目されている方が勝つ、とは限らないのだ。

闘いの要は、実力以外に、情報、そして、揺るぎ無い決意と信念と勇気、この、メンタルな部分がかなりの趨勢を左右するのである。

だからアンジェリーク自身の気持ちもとても重要なのだ、とオスカーは考える。

もちろん、オスカー自身はどんな困難が目前に控えていようとアンジェリークを誰にも譲る気などない。公的な場であろうとも彼女をこの手に抱く権利を放棄する気などさらさらない。そういう意味では、ロザリアが女王権限でアンジェリークのホストを一方的に任命しないでくれたのは確かに有り難かった。女王の勅命ではいかにオスカーが心理的抵抗を示したとて、それを覆すことは不可能だから。

だから、アンジェリークが陛下に命令されて、それでしぶしぶ、もしくはやむなく景品の役どころを引き受けたのなら…それなら何の問題もない。アンジェリークは、自ら進んで「自分以外の男がパートナーとなってしまう可能性のある状況」を受け入れた訳ではないのだから。むしろ、オスカーとしたら、強制的に景品にされちまった君を、どんな障害にも負けず守りぬくぜ!と、更なる情熱の焔が燃え立つだけである。そう、障害があればあるほど、愛の炎もまた火勢を強めるのだから。

だが、アンジェリークは本当に、命令されて仕方なく、景品となったのであろうか?そのパーティーの開催時間中という期限付きとは言え…

どうも、そうではないようなことをロザリアは言っていなかったか?アンジェリークは「納得」してこの役目を引き受けた、というようなことを言っていなかったか?

もし、そうなら、俺の愛を守る闘いは空回りなのか?いや、そんなことはあるまいとは、思う。思っている。

だが、僅かでも疑心暗鬼の入りこむ隙があっては、万全の状態で闘いに挑むこと、ひいては完勝は覚束ない。

そこでオスカーは、その夜、夫婦の部屋でアンジェリークと二人きりになるのを待って、思いきってくだんの件を持ち出して見た。

「なあ、お嬢ちゃん、お嬢ちゃんは補佐官だから知っていると思うが、今度の新年パーティーの件、あれな、お嬢ちゃんをエスコートするホストは、とあるゲームの勝者が選ばれるらしいな?」

アンジェリークが傍目にもぎくっとしたのがわかった。

「は、は、はい、そうなんです、オスカー様…ロザ…陛下がそれで新年パーティーのホストを選抜するってお決めになって…」

「お嬢ちゃんは、それを承知したのか?本当にそれでいいのか?夫である俺がいるのに、結果次第では俺以外の男にエスコートされることになるかもしれないんだぜ?可能性はゼロじゃないんだからな。勝負っていうのは、どんなに結果があきらかなように見えても…だ」

「そ、そんなぁ!ほんとのことを言えば私だってオスカー様にエスコートしていただきたいです。でも、ホストの公募は女王陛下の命令で、補佐官の立場としてはお受けしない訳にはいかなかったんです…」

アンジェリークとしては、ロザリアがオスカーをホストにしたくないという明確な意志を持っていたというのは、どうにも言出しにくかったので、とにかく命令で仕方なく…という点だけを強調した。が、オスカーはそれだけでは納得しなかった。

「どうして陛下がホストを公募したかったのかお嬢ちゃんは知っているか?」

「そ、それはその…あの、オスカー様、わたしたち前科があるからです」

「以前のパーティーのことか…」

「…はい、私たち、前にパーティーを早退しちゃってますでしょう?だから、オスカー様が私をエスコートするのは信用ならないって。今回のパーティーは立場上、絶対中途退場厳禁だってきつく言われてしまったんです…絶対早退しないようなホストでないと困るんだって…だから、絶対早退しないようなやる気のある方を公募するんだっておっしゃって…」

「ふん、お嬢ちゃんは、そう説明されたのか…」

アンジェリークも、オスカー同様、ロザリアから公募の訳を聞いたのなら、公募に「納得して承諾」したのも頷ける、とオスカー自身も納得した。アンジェリークがこれを承知しなければ、恐らくホストは一方的に決められていただろうから。そのことを思えば、ロザリア自身はアンジェリークに…決して自分・オスカーにではなく、アンジェリークだけにだが、これでも、かなり譲歩してくれたということなのだろう。

「ま、俺が、陛下から信用がないのは致し方ないな。公募を嫌がればホストも陛下が一方的に決めてしまっていただろうし、それを思えば、まだマシな条件だっていうのはわかる…だがな…お嬢ちゃん…」

「は、はいっ!」

「陛下は少し気になることをおっしゃっていた。君が納得づくでこの選抜方法を受け入れたとな。命令されてしぶしぶ…という言い方じゃなかった。そうなのか?」

「そ、それは…その…あの…」

ロザリアにこのゲームの真意は決して誰にも話さないこと、さもないと守護聖が一生懸命にゲームに参加しないかもしれない、結果、好き嫌いの矯正も覚束なくなるかもしれないから、と釘をさされているアンジェリークは、オスカーに何も言えない。

「ご、ごめんなさい!オスカー様!ロザリアとの約束で、その経緯や真意には言及できないんです!」

「お嬢ちゃんは陛下との約束が大事か…」

『俺より大事か』と、一瞬言いかけて、それだけはなんとか踏みとどまった。惨めったらしいにも程があるし、アンジェリークを困らせるだけだとわかるからだ。

だって逆の立場で考えてみろ。例えばジュリアス様から、ある秘匿せねばならない命をうける、しかし、お嬢ちゃんが何か察して何の気なしに仕事のことを尋ねてきたとして、俺が「すまないが今は何も言えない」と言った時、お嬢ちゃんに「私よりジュリアス様との約束の方が大事なんですか」なんて聞かれてみろ。「そういう問題じゃないんだ、困らせないでくれ」としか言えないだろう…比較できる次元でない事や、優劣のつけられない問題を問うことほど愚かなことはない。ましてや、返答の強要を内包するこう言う類の問い自体が愚かで卑怯な振るまいなのだから。そして、俺はこういう問いを決してしたことのないお嬢ちゃんの優しさや聡明さをこよなく愛しているというのに、俺自身がそんな馬鹿な真似ができる訳がない。

しかし、面白くない気持ちもあって、つい、愚知めいた言も発してしまう。

「食わず嫌いを克服することが、どうして愛の証になるのか俺にはわからんし、なぜお嬢ちゃんがそれを納得したのかはもっとわからんが…」

「オスカーさまぁ、どうか、ろざ…陛下を信じてください。決して意地悪とか、面白がってこんな企画をおたてになったんじゃないんです…その、詳しいことはいえないんですけど…わるいことじゃないんです。結果的にはきっといいことだから…『よかった』って思えるようになるはずなんです…」

そうかぁ?少なくとも俺には悪意ふんぷんに感じられたが…とオスカーは思った。お嬢ちゃんには人の悪意が見えにくい…君には悪意ってもの自体がないからだ。自分にない性癖は他人のそれもわからないものだから、こればかりは致し方ない。

アンジェリークを困らせるのも本意ではないので、オスカーは一息、息をついて、どうにか自分の心を整理しようとした。

「そうか、君はこの企画が「いいことだ」と信じたから、心から納得して引き受けたんだな。」

「は、はい、そうなんです」

「それじゃ聞くが、他の誰でもない、俺に勝ってほしいと君は心から思ってくれているか?」

「もちろんです!オスカー様!オスカー様には嫌いなものを召しあがっていただかなくちゃならないから、申し訳ないと思いますけど、でも、私は、オスカー様にエスコートしていただきたいです。それに…」

「それに?」

「こんないやな条件を飲んででも、私をエスコートしたいって思ってくださるのは、オスカー様だけだと思ったんです…エントリーなさるのもオスカー様だけじゃないかと思ったんです…だから、あんまり心配しないで承諾しちゃったんです…エントリーなさるのはオスカー様だけだろうから、どっちにしても、私のパートナーはオスカー様よね…って…そう思って…だから、どうかエントリーだけはなさってくださいます?」

「…お嬢ちゃん、お嬢ちゃんの認識はちっとばかり現実とずれた所があるが…」

ふっ…とオスカーは笑みを噛み殺した。こんな千載一遇のチャンスを他の守護聖が見逃すわけがないのだが、アンジェリーク自身はこんな催しに参加したいと思うのは自分だけだと思ってくれていたことが嬉しかった。

「?」

「いや、いいんだ。お嬢ちゃんは俺を求めてくれて、俺の愛を信じてくれた、それを聞いて安心した、それで十分だ…いや、それ以上に求めるものなんてない」

少なくとも他の守護聖にエスコートされてもいい、と思って景品役を引き受けたわけではないとわかって心は落ち付いた。

「それなら…そうだな、俺が正々堂々と君をエスコートする権利を勝ち取った暁には、このゲームの背後にある陛下の意図というか、狙いを話してくれるか?」

「え?えっとぉ…」

アンジェリークは懸命に考えた。ロザリアに口止めされたのは、オスカーが真意を知ってしまうと真剣に好き嫌いを克服しようと思わないかもしれない、と言われたからだ。余計なお世話だと反発されてしまったら、必死にならないかもしれないからと…ということは、ゲームが終わったあとなら、話しても大過ないはずだ。

「はい、このゲームがちゃんと終われば、どうしてロザリアがこんな企画をたてたのか、お話できます…」

「わかった。じゃ、約束だぜ、お嬢ちゃん。俺が勝った暁には、きちんと訳を話してくれよ?」

君は俺にエスコートしてもらいたいと言った。だが俺以外の男にエスコートされることも、俺以外の男の腕に抱かれて一晩中踊り明かすことになるかもしれない可能性だってあたりまえだが0じゃない。それを踏まえた上で、君はそれでも、この企画を『いい事』だと思ったんだな?結果としては『いいこと』になると思ったんだな?

しかも、ロザリアとの約束でそのわけは言えないという。

オスカーは正直言って100%いい気分とは言いかねた。それは事実だ。

しかし、アンジェリークを抱く権利は自分の力で守り抜いてみせる、そうすればいいだけだ、改めて、そう心に強く決意したオスカーだった。

 

その後数日間は、守護聖たちは皆、誰に何を食べさせるかで、大いに頭を捻らせていた。

オスカーのいやーな予感の通り、守護聖は全員参加の表明が既になされていた。

全員参加の発表と同時にエントリーの条件である「料理の持ちより」が「守護聖の苦手な食材を使った料理のレシピの提出」に変更になったとの守護聖通達が出された。そしてそれらの料理は聖殿付きのシェフが昼食会の刻限に、その場で整える手筈に変更となった。

持ちよりにした場合、各守護聖お抱えのシェフの作る料理では公平が期せないかもしれない可能性があるという提言がある方面からなされたからだ。他の守護聖を蹴落とすために一服もるものがいないとは限らない、といわれ、選定方法を若干変更したのである、そして、この場で料理されれば、料理が冷めてしまって喉を通らないとか、古くなって変質しているから食べられない等の言い逃れを防ぐことにもなる。

また、このゲームの主眼は食わず嫌いの克服であって、大食い選手権ではないので、同じ料理が何品も1人に集中して出されてしまう事態を避けるためにも、レシピを提出させて聖殿でまとめて調理するほうが利にかなっているということにロザリアも気付いたからである。

こうして料理を持ち寄る替りに、他の守護聖を蹴落としたいものは、対誰それ用ということでレシピを用意し、それをロザリアに提出する運びとなったのである。

また各食材を使用した料理は、1食材につき1点ということ制限を設けることで「量が多すぎて食べられない」という事態もおきないよう留意した。

加えて、今後の人間関係を考えて、誰がどのレシピを提出したのかは、全て極秘とされることとなった。料理を出されたほうの守護聖も誰が出したか追求してはいけないとの通達がなされていた。

このような条件のもとで、各守護聖は、それぞれレシピ作りに奮闘することと相成ったのである。

リュミエールは丹念に各守護聖の苦手とするものを調べ上げ、なかでも特に効果のありそうなものの選定に忙しい。忙しいのだが、まさに水を得た魚…ならぬ水を得た水の守護聖といった観で、この上なく生き生きとしている。

「ジュリアスさまには、アレしかないでしょうね…Rのつく月名物のアレ…その上、これを醗酵させたソースで味付けたフライドライスも沿えれば完璧というものでしょう、ルヴァ様にはお気の毒ですがアレが最も効果的でしょうし…オリヴィエには、まあ、あのあたりでいいでしょう…年少3人組は…意外な伏兵になるといけませんから、これはこれでしっかり戦略を練りませんと…そして最大の問題はやはりあの男ですね、ふ…ふ…ふふふふ…」

クラヴィスは妨害及びライヴァルの蹴落としはリュミエールに任せてしまったので、特にすることもなく、いつも通りの生活を送っていた。自分が「苦手」とされているものを食べることに関しては自信があるので、泰然自若としている。

オリヴィエはもともと勝つ気自体がなく、成り行きを見たいだけなので、こちらも食材探しは全く行っていない。ゲームで無理をする気もない。

ルヴァはというと、自分が勝つ気はあまりないのだがロザリアの意図を汲むべく、全員分ではないにしろ、この食わず嫌いは矯正したほうがいいと彼個人で判断した相手にだけ、食事を供しようかと思っている。その根底にある気持ちはどこまでも善意である。

年少3人組は、ゲームよりパーティー当日の方での謀略の方がメインなので、こちらもあまり熱心に他の守護聖の苦手なものは探していなかった。とにかくオスカーさえ蹴落とせばいいので、オスカーの嫌いそうなものを3人一緒で1品出せばいい、ということになった。

そして、当のオスカーは、この闘いにどういう形で参加するか、中々に決めかねていた。

アンジェリークが時たま炎の館で晩餐を開いていたので、各守護聖の好まないものはアンジェリークに聞けばすぐわかるだろう。

そしてアンジェリーク自身も協力を惜しまないと言ってくれている。何より、自分がパートナーの座を射止めるに違いない、と信じ切ってくれている。

おかげでオスカーの精神状態はかなり落ちついた、少なくともアンジェリークは、自分とパートナーを組みたいと思ってくれているのだと心底感じられたことが、オスカーの力となっている。

そしてオスカーは落ちついたところで、改めて考えた。

自分は陰謀を巡らせ、姦計を企むのは、率直に言ってあまり好きではない。

闘いを厭うわけではない。正面から己の知力と力量でもってぶつかりあい、勝者を決めるなら何の躊躇いもないし、むしろ喜んで闘うだろう。

だが、陰謀と智謀とは似て非なるものだ。姦計を巡らし、他人の嫌うものを探りあてて、それをぶつけるというのは、自分の性癖としてあまり進んで行いたくないのだった。

自分のライバルとして最有力候補というか手ごわいのは恐らくクラヴィスさまとリュミエールだ、とオスカーは目していた。どうも二人とも、言動の端々にアンジェリークを諦めていない節が見える、一体結婚を何だと思っているのか…どうも、結婚生活は言わば電車に乗っているようなもので、どこの分岐点でどの電車に乗り換えてもいいのだ、とアンジェリークを丸めこもうとしているようなので、何しろ油断ができない。

他のヤツらはあまり心配しなくていいだろう。それにリュミエールとクラヴィスさまにとっては、他のメンツもライバルなのだし、きっとリュミエールがとてつもなくえげつない手で他のメンツの追い落としを考えているに違いない。ならば他のヤツらの蹴落としは俺は考えなくてもいいだろう。他のヤツらをリュミエールが蹴落としたところで、俺は本丸ともいえるクラヴィス様とリュミエールと対決すればいい。万が一他のメンツとなら、二次決戦があっても勝てる自信がある。

そしてリュミエールはとてつもない弱点を抱えているから、多分決勝には残れまい。他力本願ではあるが、誰かがヤツを追い落とすことをとりあえずは待とう。

となると、やはり問題はクラヴィス様か…

クラヴィスの苦手そうなものを出すか出さないか、さんざんに逡巡して、オスカーはとりあえず何も出さずに様子をみることに決めた。万が一レシピの提出を求められたら、その時は1品供出するつもりだったが、提供を強制されない限り、及び、決勝戦にでもならない限りは自らレシピを提出することは控えようと決めた。

俺は、やはり己の肉体の限界を頼んで正々堂々と勝負しよう。アンジェリークをこの手に抱くとしても、彼女に胸を張ってその経緯を語れないような方法は選びたくない。甘ったれたセンチメンタリズムかもしれんが、君を巡っての闘いなら、俺はできる限り清廉な、胸を張って堂々と語れるようなやりかたで臨んで、君をこの手に抱きたいんだ。

陰謀など巡らさずとも、最後まで俺が正々堂々と嫌いなものを克服すれば勝ちは向こうから転がり込んでくるのだから…

最終的にオスカーはこう結論づけた。

アンジェリークとの愛を守るためとはいえ、アンジェリークに堂々とその闘いぶりを告げられないような闘いはすまい、そう決めたのだった。

その結果1回で勝てず決勝戦となったら、その時は遠慮なくその相手の怯むようなものを、俺の知略の限りを尽くして選ばせてもらおうと。

 

そして、数日後、問題の昼食会が聖殿の食堂でにぎにぎしく開催される運びとなった。

結局、この対誰それ用というレシピを人数分提出した守護聖もいれば、エントリーするだけで、他の守護聖を蹴落とすためのレシピは1枚も提出しなかったものもいた。それでも、エントリー後しばらくすると十分な数のレシピが集まったので、ロザリアは1人最低1品という制約も前もって解除してあった。

補佐官のパートナーを決める昼食会のその刻限を告げるチャイムが鳴り、守護聖たちは、聖殿の広間に三々五々集合したのだった。

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