昼食会の始まる時刻となった。正餐用の大テーブルには、守護聖各人の座席が既に用意されている。
守護聖たちが着席すると、聖殿の厨房で調理された各人それぞれに合わせた俗にいう「食わず嫌い」な食物が供される手筈となっている。そのメニューは、対誰それ用ということでやはり各守護聖から提出されたレシピを元に調理されたものである。供される食物はアレルギーなどで生理的・肉体的に受けつけられないものは、毎年の健康診断及び血液検査とバッチテストの結果から最初から除外するようにしてあるので、守護聖たちの健康を損う怖れもないし、アレルギーで食べられない、という言い訳も通じないようにされていた。故に供されるレシピ及び食物は、肉体的には全く問題なく食べられるはずなのに、わがままやら気分やら思いこみやらで食べられない物に限られていた。
正餐の際使われる聖殿広間には、いつ準備されたのか『補佐官争奪杯・食わず嫌い克服選手権』と墨痕鮮やかな達筆で書かれた横断幕が掛けられていた。
守護聖たちがぞれぞれの思惑を胸中に抱えながら、ぞろぞろと広間に入室してくる。
女王は既に大テーブルの上座に玉座をしつらえて、守護聖たちの様子を見下ろすように鎮座ましましている。
そこに補佐官が少々慌てた様子で入室して来、ロザリアのすぐ横に控えた。
「遅いわよ、景品のあんたがいなくちゃ勝負に気合が入らないじゃないの」
「ご、ごめんなさい、ちょっと仕度に手間取って…」
「着飾るのはいいことだから許すわ。守護聖たちには『あんたをエスコートしたい!』って強く念じて真剣に闘ってもらわないとならないから」
「それだけ苦労してゲットしたホスト役なら途中で投げ出すようなこともないだろうって、責任感を強化するためにわざと精神的ハードルの高いゲームを設定したのですものね、その上将来を見こして守護聖様たちの好き嫌いまでなくそうとしてあげるなんて、さすが宇宙の女王様だわ、ロザリアは…」
「は?…あ、ああ、そうよ、その通りよ、このゲームの主旨はまず第一に自覚と責任感を痛感させるためで、最後までお役目をきっちり果してくれそうなホストを選抜するためのものだったわねー、ほほほ」
「ところで、ロザ…陛下〜、いつのまにあんな物、用意してたの?」
アンジェリークが派手な横断幕をちらりと見て尋ねた。
「ああ、あれ?イベントとしては、きちんと名前がないといろいろと不都合でしょう?ほほほ」
「え?どうして?だってこのイベント、守護聖様だけに告知した極秘イベントでしょう?こんなに目立つ横断幕作る必要なんてあったの?周囲にばれちゃうかもしれないわよ?」
「それはその…げふげふ…いいのよ、こういうものがあった方が、場がもりあがるでしょーがっ!やっぱりイベントは形が大事ですもの。さ、あんたは今回は景品らしく私の隣でおとなしくしてらっしゃい。いいこと、オスカーに特別なお目こぼしや、贔屓をしないよう、会食中はそこから動いちゃだめよ」
「はーい」
アンジェリークがロザリアの脇に補佐官らしく威儀を整えて控える。
既に守護聖たちはそれぞれ席次表に基づいて己の名前の記された席の脇に立っている。
それを見て取り、ロザリアがすっと玉座から立ちあがった。同時に守護聖たちが跪いて女王に敬意を表す。ロザリアは辺りを睥睨し凛とした声で昼食会開始の旨を告げた。
「これより、来る新年会のホストを選抜する昼食会を始める。見事食わず嫌いを克服したものには、ここに控える補佐官を1晩エスコートする権利を女王の名の許に与える、皆、心して励むように」
「はっ!」
守護聖たちが声をそろえて最敬礼をする。
その様子を見て、ロザリアが玉座につく。次いで守護聖たちも各々の席についた。そのタイミングを見計らって、聖殿付きの給仕たちがそれぞれの守護聖たちの前に、それぞれ趣向の凝った様々な料理を恭しく運んできた。
端から見るとその料理たちはいかにも取りとめがない。洋風のもの、和風のもの、どこの地方のものか一目ではわからないものなど、多種多岐に富んでいる。ただ、調理は聖殿付きのシェフが行ったものなので、見た目はいかにも一流レストランの盛りつけだし、味も確かなはずだった。
しかし、それらの料理を供される守護聖たちの顔色はなんとも冴えないものがほとんどである。
皿の内容を見て取るや、青ざめた…を通りこして紙のように真っ白な顔になるほど血の気の失せたものもいる。
「料理は行きわたったようですわね…それでは会食を始めるとしましょう。ああ、言い忘れていましたが、勝負の判定は王立研究院主任にお願いしてあります。エルンスト、ここへ…」
いかにもテクノクラートらしい、生真面目そうな面持ちの男が末席の方に現われ、ファイルを片手に頭を下げた。神経質そうに眼鏡を指で抑えている。
「完食できなければリタイア…なのは当然として、1度口にいれたものを出す、『こんなもの食えるか』ですとか『こんなもの食うやつの気がしれん』などの弱音及び暴言を吐くこともリタイアの判定となりますからね、あしからず。」
「げげーっ!迂闊に愚痴もいえねえのかよお!」
とすかさず鋼の守護聖が抗議の声をあげたが、女王はその声を右の耳から左の耳にスルーした。
「それではお食事を始めてください」
完全無欠な優雅な笑みを口もとに湛え、ロザリアが会食開始の合図を出した。
各々の守護聖の前には既にできたての料理が並べられているが、互いに周囲の様子見をしているばかりで即座に手をつけるものは一人としていない。進んで手をつけたいものは出されていないから無理もないのだが。
その料理を前にして、早くも油汗をだらだらと流し、顔面を蒼白にして卒倒寸前の男がいる。
「あ〜あ〜やはり、私の参加は無謀だったようです〜、あのー、早々とで申し訳ありませんが、私は自主的にリタイアさせていただきます〜」
「ルヴァ様、一口もトライせずいきなりリタイアでよろしいのですか?」
判定役のエルンストが念の為確認をとると、ルヴァは弱々しく笑みながら力なく頷いた。
「は…はは、申し訳ありません…ですが、これを口にいれるのかと思うと、アンジェリークをエスコートできなくても、私はちっとも惜しくないと申しますか、いえ、アンジェリークが魅力的でない、とか踊りたくないということでは決してないのですが…なんともかんとも、私、これだけは…あの、口にいれることはもとより、これにこの手で触れなくてはいけないのかと思っただけで恐ろしいと申しますか、おぞましいと申しますか…」
「あぁん?なんかわからねーけど、このぶよぶよしたものの何が怖いんだ?」
脇からゼフェルがルヴァの前にてんこもりに盛られた半透明の固めのジェリー状のモノに手を伸ばして摘み上げ、目の高さでぶらぶらと揺らした。平べったい積み木状に綺麗に切りそろえられ黄褐色の粉がまぶしつけられたそれは、ジェリーよりももっとしっかりとした弾力があり、ゼフェルの手の動きに合わせてぷりぷりとその身を自らくねらせる様に揺れている。
「ひぃっ…そ、そんな風にぷるぷると身を震わせて蠢くさまは、まさにアレそのもの…」
「は?生物じゃあるまいし、こんなもんが自分から動くわけねーじゃんか」
とゼフェルがぷらぷらとその物体…蕨餅を振りまわした。と、勢い余ったのか、単なるはずみか、そのぬらりと取り止めのない物体はゼフェルの手からすべって飛んで、べちゃりと音を立ててルヴァの顔面に貼りついた。
「あ、わりぃわりぃ、ぬらぬらしてっから手からすっぽぬけちま…」
「ひぃい〜…うぅ〜ん…」
「あ!お、おいルヴァ!どうした?大丈夫か!?」
ルヴァはあたかもその蕨餅から渾身のパンチをくらったかのように、あっさり失神してしまっていた。
「ルヴァ様、人事不省のためリタイア…と…誰か、ルヴァ様を控えの間にお運びしてくれ」
エルンストが手の空いた給仕に指示を下しながら、冷静にルヴァの欄に×マークをつけた。
ルヴァが次の間に運び去られる様に、何がおきたのか事態が飲みこめないでいるゼフェルの肩をオリヴィエがぽんぽんと叩いた。
「あーあ、ゼフェル、惨いことしたねぇ、ルヴァの故郷にはあの蕨餅そっくりのスライムみたいな生物がいて、なんでも時々人を襲うらしいよ。ルヴァも子供の時襲われたとかいう話、結構有名なのに…」
「げっ!タダの食わず嫌いじゃなかったのかよ!悪いことしっちまったなぁ、すまんルヴァ。」
「それなら、アレを出したのはそなたではないのだな。私もルヴァにはアレしかないとは思ったが、実際にアレを出すのはあまりに哀れで思いとどまったのだが…これでルヴァのトラウマが酷くならなければいいが…」
ジュリアスがしかつめらしく論評を下す。本人としては目の前に嫌というほど並んでいる生牡蠣とほかほか湯気をたてているフライドライスから必死に意識を逸らしたいからのようだ。
「ジュリアス様、誰がどのレシピを出したかは不問になさるはずでは…?」
「あ、ああ、そうであったな、これは配慮のないことを言った、すまん、リュミエール」
「いえ、そのような曰くを知らずにアレをうっかり出してしまった方が、悔悟に心を痛めてはかわいそうですから、もう、この話しはこの辺りで…」
少しだけ悲しそうに、いかにもルヴァを哀れんでいるような笑みでリュミエールが有無を言わさずこの話題を打ち切った。
『この、話題の無理矢理な打ちきり方…絶対コイツだ』
『こんなえげつない真似をするって…コイツじゃねーの?』
『やっぱりねー』
とこの場の数人が心の中で蕨餅を出した人間を確信した。
「ぼ、ぼくもダメ…みたい…」
その時、ぷるぷると身体を小刻みに震わせながら、ひざの上でぎゅっと拳を握り締めていたマルセルがぽつりと呟いた。
「普通の鶏肉だったら試してみようと思ったんだ、これはタダのお肉だ、お肉だ…って思えば大丈夫だと思ったんだけど…こんな…こんな形がわかっちゃうのは…ボク、やっぱり食べられないよぉおお〜」
マルセルはがばっと立ちあがった。
「小鳥さん、ごめんね…わぁああん!」
と言って泣きながらマルセルは広間を飛び出していった。
「マルセル様、逃亡のためリタイア…と」
エルンストが鉛筆をなめなめ、マルセル名前の隣に×マークをつける。
「あ!おい、マルセル!…小鳥ってなんのことだ?」
とランディがマルセルの皿の上を見ると、そこには鳥の串焼き…というより姿焼き、ただし、非常に小さなそれが載っていた。大きさは確かに小鳥といっていいサイズで、それが生前の姿を思わせる形でそのままローストになっている。
オスカーがひょいと手を伸ばして、それを一口齧ってみた。
「この鳥はうずらか?いや、それにしては小さいな…うむ…ばりばりと小骨が多いが結構イケル…酒のつまみに合いそうだな…」
「あ!それ!その大きさで小骨が多いっていうと、すずめじゃねえのか?すずめの丸焼きっていやぁ、俺の星じゃおやじのつまみの定番だったぜ!確か焼酎とかに合うとかなんとか…そういや、悪ガキが霞網ですずめとっちゃあ、居酒屋に卸してたからなあ、俺の星じゃ。これがまたいい小遣い稼ぎになるみたいでよぉ…」
「ゼフェル、その悪ガキっておまえ自身じゃあ…?」
「だー!ちげぇよ!これは俺じゃねぇ!いや、これは一般論、俺の星の一般論だぜ、一般論!」
「ゼフェル、いいのですよ、闘いは非情なものですし、ここでは誰が何を出したかはわかりませんし、わかったとしても不問ということになっているのですからね…」
「だーかーら、俺じゃねぇっていってんだろーがっ!」
いかにも優しそうにリュミエールがゼフェルをいなすが、ゼフェルはかえってかりかりしている。
『このわざとらしい慰め方…コイツだな』
『これもやっぱり…かな?わざわざゼフェルが出しそうな物選ぶあたり、ほんとに芸コマだねぇ〜』
とやはり数人が、なんとなく出品者のあたりをつけた。
「じゃあさ、マルセルの分も、俺たちでがんばってやろうぜ、な!ゼフェル!」
「ああ、おまえはお気楽でいいよな。それにしても、それ丸ごと食えんのか?おまえ」
みれば、ランディの皿の上には丸ごとの冷やしトマトと、しいたけの含め煮らしきものがのっている。特にしいたけは肉厚でおおぶりで色艶もよく大層見事に煮含められていた。
「うう…目つむって食うよ、俺は…それに引き換え、おまえはいいよなぁ、それシュークリームじゃないか。甘いもの苦手っていったって、シュークリームの1個や2個くらい、いくらおまえでも平気だろう?」
「へへっ、まあな」
『もしかして、これなら、俺がアンジェをエスコートできたりしてな!うひょひょ…そしたら例のカメラマンはこいつかマルセルに任せるってことになるのか…うーん、それはそれで不安だぜ…しかも、俺様が、オスカーのジェラシーを煽るところまではいいとしてもよぉ…計画のためとはいえ、オスカーにアンジェをわざと返しちまうのも、なんとなくもったいねぇよなぁ、やっぱり…』
とゼフェルは取らぬタヌキの皮算用的思考にふけりながら、なんの気なしにシュークリームを摘んでぽいっと口にいれた。その直後、ゼフェルはそれぶばーっと威勢良く口から吐き出した。
「ぅわっ!ゼフェル、なにやんてんだよ、おまえ!」
「ぶべーっ!べっ!べっ!水!水くれ!水!」
慌てて水差しを持って給仕がすっ飛んできた。ゼフェルはその水差しを引ったくって、そのまま直接口をつけて水を口に含むと盛大にうがいをし始めた。
「ゼフェルさま、1度口になさったものを吐き出されましたね、リタイアです」
「って、おいちょっと待て!こるぁ!だって、こいつ腐ってンぜ!腐ってるものなんか食えるかよ!」
がーっと、うがいした水を吐き出して、ゼフェルが食ってかかった。
「聖殿のシェフがそんなものをおだしする訳がございません。そういったトラブルを見越して、持ち寄りではなくその場で調理ということになったのですからね。ましてや、つい先ほど調理されたものがこの短時間で腐敗するはずがございません、ゼフェル様のお言葉は非論理的です」
「んだとぉ!おるぁ!そう思うならおまえが食ってみろ!」
と言うとゼフェルは、残ったもう1個のシュークリームをいきなりエルンストの口に無理矢理押し込んだ。エルンストは顔色も変えずに平然とそれを咀嚼して飲み下した。
「っくん…こほん、全く問題ございません。フィリングがヨーグルトクリームであるという点で目先が変わっておりますが、確かな品です」
「なに!ヨーグルトクリーム?きしょー!やられたぜ!」
ゼフェルが悔しそうに地団駄を踏んだ。
ゼフェルは以前機械いじりに熱中していて、間食に出されたシュークリームを長いこと常温に放置してしまい、しかも小腹が空いた時、長時間放置されていたことを忘れてうっかりそれを口にして、エライ目にあったという過去があるのである。それ以来、彼にとって甘酸っぱいクリームというのは、単に甘いものが苦手という以上に鬼門中の鬼門であった。まさに条件反射で吐き出してしまいたくなるほどに…
「というわけで、ゼフェル様、リタイア確定です」
「くっそー!こうなったらランディ、てめぇもさっさと腹くくれ!」
「俺かぁ、いやだなぁ、このしいたけ、なんか普通のより、もっと色が黒々しくて、なんか見るからにぶにゅぶにゅしてて…」
「だー!まだるっこしい!ごたくはいいからよぉ!結局は試すか敵前逃亡するのかどっちかしかねぇんだから覚悟しろってんだ!」
「よし!俺も男だ!敵前逃亡なんてしないぞ!えい!」
ランディは目をつむってしいたけの含め煮を口に放りこんだ。途端にしいたけの身の部分から濃厚なしいたけエキスがじゅわーっと染み出てき、口腔内を一杯にみたした。肉厚の一級品干ししいたけを戻して、その戻し汁で煮含めたそれは、当然生しいたけの料理より、しいたけのうまみがより濃厚に凝縮された逸品であった。その上乾物の特性として生しいたけより食感も弾力に富み、ぷにゅぷにゅした肉厚の身がしっかり歯を弾き返すような確かな感触があった。噛めば噛むほどエキスが染みでてき、しかも、身は肉厚で弾力に富んでいるのでなかなか噛み切れず、丸のみもできない…
「ぶはーっ!やっぱりだめだぁ!」
濃厚なしいたけのうまみに耐え切れず、ランディが行儀悪いのもかまっていられないといった勢いで、しいたけの一片を吐き出し、あわてて水をがぶ飲みし始めた。
「ランディ様、嚥下できずリタイア…と」
「ああ、俺もうリタイアでいいよー。これ完食するのなんて、どうやっても無理だ、アンジェ、ごめんよ、俺の力が足りないばかりに…」
「アンジェは別に惜しがってはいねーと思うけどな」
「そ、そんなことわからないじゃないかぁ!」
「あー、はいはい、どっちにしろ負けちゃったんだから、あんたたちはおとなしく観戦してな。でもって、おとなしく見てられないなら、邪魔だから出ておいき」
角つきあわせそうになった若者二人にオリヴィエがブレイクに入った。
「けっ!そういうおめーはどーなんだよー!何も手ぇつけてないじゃねぇか!」
ゼフェルのつっかかりを、オリヴィエはふふんと斜に笑って流した。
「あー私は無駄な努力はしない主義なの。こんなまっかっかなスープなんてトライする気もおきないね。舌が腫れ上がるだけで完食できないの目にみえてるもん。お肌にも悪そうだしね」
見るとオリヴィエの前には陶製の鍋に、肉と野菜の細切りが入った見るからに真っ赤なスープが湯気をたてている。
「では、オリヴィエ様もノートライ・リタイアということでよろしいのですか?」
「あーもー全然OK。私は自分が勝つことより、成り行き見たくて参加しただけだからさー。」
「こういうのを出たきりなんとか…とか言わなかったっけ?ゼフェル」
「おめー、なんでそんなことしってんだよぉ」
「はいはい、他人の思惑はどーでもいいから、本命たちのバトルに注目しなって。今、残っているのは4人、この中で結局誰がアンジェをゲットすると思う?」
「うーん、やっぱり手堅いのはオスカー様だよなぁ」
「でもよーしつこさと諦めの悪さならクラヴィスだよなー」
「真面目なジュリアス様も期待に応えようとがんばるだろうし」
「それに、一見虫も殺さないような顔してるあいつがどんな隠しダマ持ってるかも油断ならねーしなぁ」
「ほら、やっぱり興味津々だろ?だから、おとなしく見てなって」
既にリタイアの確定した3人は、ジュリアス・クラヴィス・リュミエール・オスカーの四つ巴の闘いの成り行きを見守ることにした。
「では、次は私がトライしよう…」
誰が一番先に料理に手をつけるか、腹の探り合いのような暫しの沈黙を破ったはジュリアスだった。
彼の目の前には、殻つきの生牡蠣と丸く山に盛られたフライドライスが供されている。生牡蠣は見るからにぷりんと肉厚で周辺のヒレのような部分の色も黒々としていていかにも滋味に富んでいそうだ。だが、そのいかにも濃厚なうまみの詰まっていそうな外観が、さらにジュリアスをげんなりさせる。アレを口に入れた時のぬらりつるりとした取り止めのない食感と、それにも増して鼻をつく磯臭い香とかが彷彿と思い出されてしまい、その上、なんとか生臭みを洗い流そうと飲んだ白ワインで、更に口腔内の生臭みが募ってしまったことまで記憶の底から蘇ってきて、どうにもこうにも生牡蠣には食指が動かない。
そこでまだ敷居の低そうなフライドライスからまずトライすることにした。これなら多少の油くささを我慢すればなんとか食せる…と考えたからだ。
「では、いただこう」
八角皿に添えられたれんげを手にとり、ジュリアスは徐にフライドライスの一盛りをぱくりと口にいれた。とたんになんとなく覚えのある、生臭いような磯臭いような香が口腔内を充たした
『こ、これは…牡蠣?牡蠣の風味か?なぜ…なぜフライドライスに牡蠣の香がついているのだー!』
一度口にいれたものを吐き出す醜態に己が耐え切れず、死にそうな思いでその米粒を嚥下したものの、ジュリアスは既に顔面蒼白である。それでも、如何にも何気ない風を装って一度れんげを置き、エルンストを呼びつけた。
「すまぬ、エルンスト、少々尋ねたいのだが…このフライドライスは私が知っているそれとどうも味付けが違うようなのだが、調味料は何を使用しているかわかるだろうか。競技の判定に差し支えなければ教えてもらいたい」
「調味料を開示することは全く問題ございません…」
エルンストは手もとの資料をぱらぱらとめくりはじめた。
「えージュリアス様用のフライドライス…原材料及び調味料は…ふむフライドライスは一般的にソイソースか塩で味付けされるのが常ですが、今回のこれは…オイスターソースで味付けなされておりますね」
「オイスターソース…オイスターというと牡蠣か!牡蠣のソースなどというものがこの世にあるのか!」
「はい、もちろん生牡蠣をそのまますりつぶした…などというものではなく生牡蠣を何らかの方法で醗酵させ、そのエキスを抽出したもののようです。その醗酵エキスが濃厚なうまみとしてチャイニーズ料理では重宝されている調味料のようですね」
「…生牡蠣を醗酵だと?…生牡蠣を醗酵させたものから抽出したエキス…濃厚な旨味……」
ジュリアスは無念そうにれんげを置いて項垂れた。
「すまぬ、私はこれ以上、この米料理を食せそうにない…」
「では、ジュリアス様リタイア…でよろしいですね」
「ふ…オイスターソースで調味されたフライドヌードルやフライドライスは、中華ではより美味とされているのにな…醗酵調味料の旨味がわからんとは、舌の許容範囲の狭いことだ…」
「うぬ…それではこれをわざわざ出したのは、そなたか!」
「さぁな…だが、醗酵調味料を珍重する食文化はいたる地方にある。ソイソースしかり、ナムプラーしかり、ジャンしかり…あまり頑なにすぎるとこの世の美味いものをみすみす逃すことになるぞ…」
「忠告、心して聞いておく…」
クラヴィスにえらそうに講釈をたれられても、ジュリアスには反論する論拠がないのが口惜しくてならない。が、とにかく食べられないものは食べられないので、ジュリアスはおとなしく引き下がった。この世には努力と意気込みだけではどうにもならぬこともあるのだ…という現実を噛み締めながら。
「それでは次はわたくしが…」
次いで水の麗人がおもいきったように二本の木の棒でできたカトラリー…箸を手にとった。今日はいつのも貼りついたような微笑がなんとなくひきつっている。
というのも彼の目の前の皿には、魚の尾頭つきならぬ、魚の頭だけがどどんと景気良く盛られていたのだ。つやつやといかにも美味そうな飴色の煮汁で煮つけられたそれは、鯛のかぶと煮という大層おめでたい料理であった。
「こ、このような料理もこの世に存在するのですね…魚というのは身だけを食べる物かと思っておりましたが…」
いかにも邪気のない笑みを見せながらこめかみのひくついてしまうのが抑えられない。虚ろな鯛の目と視線が合わないよう必死である。だが、目をみないようにしたら鯛の口元に視線がいってしまった。鯛のほんのり開いた口からぎざぎざの歯がちらりと垣間見えてしまい、怖気とも悪寒ともつかぬいやーな戦慄が背筋を走る。魚に唇らしきものがあるのもこの見事な大きさのかぶと煮で初めて知った。リュミエールは発作的に正餐用の大テーブルをちゃぶ台返ししたくなってしまい、渾身の精神力でやっとのことでそれを踏みとどまった。やろうと思えば正餐用大テーブルでさえ、ちゃぶ台返しできてしまう自分の腕力をこれほど恨めしいと思ったことはない。無理矢理抑圧している衝動のために腕がわなわなと震えてしまう。
「ふふふ…しかし、私はこのような姑息な攻撃には負けません。要はこの気味の悪い要所要所が目にみえなければいいのですから…」
徐にリュミエールは懐からアイマスクを取り出して装着した。
「こんなこともあろうかと、用意していたのですよ。魚の頭なぞ見えなければなんということもございませんから…」
そういってリュミエールは無謀にも盲した状態で目の前の鯛のかぶと煮を木の箸でつっつき始めた。
「おかしらつきで練習はしていたのですが、何も見ずに身をむしるのは流石に難しいですね…」
そういいつつ、リュミエールは箸の先で摘んだ部分を怖る怖る口に運んだ。
「?」
この感触…ぷるぷると柔らかいゼリーのようなこんな食感の部分が魚にあったでしょうか?どう考えても僅かばかりの身の部分がこんな食感だったという覚えはないのですが…
その時、聞くともなしに若者二人の感嘆したような論評の声が聞こえてきた。
「おー!リュミエールすげぇなあ、よりによって一番美味いって言われてる部分を選んで食ったぜ、見えてないとかいいつつよぉ、ほんとは見えてんじゃねーのか?魚が苦手ってのも周りを欺くためのガセだったりしてな」
「え!あの部分って一番美味しいのか!意外だなぁ」
「ああ、あれってルヴァ贔屓の辺境惑星のそのまた極東の辺境島国の料理だぜ。俺、あいつが誕生日の祝いかなにかにあれ出そうとしたのをみてあいつからの晩餐は断ろうと思ったからよく覚えてるぜー、なんでも、めでたい時の祝い膳なんだけどよー、魚の頭のくせに食べられないところはないんだってよ。しかも、その中で一番美味いのが、今、リュミエールが食ってるあの部分なんだってよ、あの地方の文化はほんとに理解し難いよなー」
「へぇーあの目玉の周りの肉がねぇ。そりゃ言われてみないと確かにわからないよなぁ。もっとも俺だったら一番美味いって言われても食う気にはなれないだろうけどな、はははっ!」
「いや、そういやぁ、昔、ルヴァは『リュミエールは海洋惑星の出身なのに魚が食べられないなんて、退任した時困るのではないですかねぇ、最も安価かつ豊富な蛋白源ですのに…退任するまでに魚の美味しさに目覚めてくれるといいのですが…』なんて言ってたのを思い出したぜ。もしかしてルヴァ本人としてはいい機会だと思って純粋に親切心でこの料理を出したんだったりしてなー!わはは!」
「はははっ!ルヴァ様は早々と卒倒なさったから真偽のほどはわからないけどなー!」
「そ、それでは私の口に今入っているものは、魚の目玉、目玉、めだま…め…だ…ま…」
どがしゃーん!とものすごい音をたててリュミエールが椅子ごと昏倒した。エルンストが戦闘が継続できそうか確認のためにリュミエールの様子を伺うと、彼の人は既に完膚なきまでに人事不省に陥っていた。
「あれ?もしかして、どこ食ってるのか気付いてなかったのか?リュミエール様は。悪いことしちゃったかなぁ、はははっ!」
「いやあ、あの卒倒だってか弱い振りをする演出かもしれねーじゃんか。海洋惑星って言ったら新鮮な魚介類で有名…つーか、蛋白源はそれしかねーのに、そこ出身で魚が食べられないってなんか釈然としねぇもんなー、そしたらあの怪力は何で養ったのかってことになるしよー」
「そういやそうだよな、はははっ!」
と2人の若者が無情なコメントを下している間に水の麗人は給仕たちの手で控えの間に運ばれていった。
「リュミエール様もリタイアと…残るはお2人ですね」
「周りは勝手に自滅したようだな」
「おまえもすぐそうなる…」
「そう簡単に行きますかな?」
「では無駄を省くためにも同時に食すとするか…」
「望むところです」
クラヴィスとオスカーは同時に目の前の料理に手をつけ始めた。
オスカーはまずはスープから手をつけることにした。赤いスープの間にえんどう豆やらひよこ豆やらレンズ豆やら幾多の豆がぷかぷか浮かんでいる。色といい形状といいあたかもオスカーの天敵である缶詰めの豆煮込みを思わせてげんなりさせられたが、オスカーは覚悟を決めてそれを口に運んだ。
「!」
以外にさっぱりしている。トマトベースのスープだが香辛料が利いていてレモンの香りもし、オスカーの好きなトムヤムクンに味は似ていないこともない。主材料が豆というだけで…
『これならなんとかいける』とオスカーはわっしわっしと威勢良く豆を片付け始めた。口に残る豆の薄皮の鬱陶しさや、青臭い匂いや、もっさりした食感はなるべく考えない様に機械的に咀嚼しては飲みくだしている。辛くて仄かに酸味のあるスープがそれを助けてくれる。
対するクラヴィスはいかにも大義そうではあるが、半割にされたロブスターを抑えつけて身の部分を器用に剥し小綺麗に口に運んでいる。
「豆が苦手という世間の評判もアテにならんな…」
「私がマメを食さないのは士官学校時代に一生分食べさせられた…というだけですから。軍人はもともとどんな粗食でも耐えられるよう鍛えられておりますゆえ」
オスカーは不敵ににやりと笑った。実際自分が豆類を食べたくないのは実践訓練の折に軍用食と称して来る日も来る日もマメの缶詰めばかり食べさせられて辟易したというだけだからだ。とある国の戦争を経験した世代が主食の代用としていもやかぼちゃを死ぬほど食べたので、食の選択ができる場であれば敢えて選びたくはない、という程度のものである。もっともお替りをしろ、と言われたら笑っていられたかどうかの自信はない。
どうせ、リュミエール辺りが嫌がらせにだしたのだろうが…その手に乗ってたまるかと思うと余計に負けじ魂が轟々と燃え盛るオスカーである。その割には、味付けがなぜか自分好みだったのが不可解だったが。
『きっと聖殿のシェフの腕がいいんだな』
とオスカーはあまり深く考えずに、クラヴィスにカウンターを放つ。
「そういうクラヴィスさまの苦手なものも当てにならないようですね」
「ふ…私はロブスターを食せない等と言ったことは1度もない。単に『疲れる』と言っただけだからな…」
これは長期戦か、もしくは再度の決戦もありえるかもしれん、とオスカーは覚悟した。クラヴィスの好き嫌いが単に怠惰とものぐさの為せるゆえであるなら、今目の前にでているロブスターも、ボイルした蟹も難なく食してしまうかもしれない。となると、オスカーとしてはもう1品供されている巻貝に何とか期待をつなぎたい。
『しかし、俺もお嬢ちゃんを譲るわけにはいかない…』
ちらりと玉座に目をやれば、ロザリアは面白おかしそうに、対してアンジェリークは何かに祈るように真摯な瞳で自分のことを見守ってくれているような気がした。
『お嬢ちゃん、心配しなくていい、俺は絶対負けないからな…』
オスカーは豆類のスープを綺麗に平らげると、ついで、目の前の海老のカクテルに挑むことにした。
ボイルされぷりぷりとよく肥えた海老がどうみてもマヨネーズをベースにした、これも見るからにしつこそうなソースに和えられている。オスカーはマヨネーズ特有の油っぽさと、いやーなすっぱさとしつこい後口を覚悟しつつ、その海老を口にした。
「……ん?」
思ったほど油くさくない、後口の酸味もあっさりしている。
『これは…この香は…何か酒と…レモン…いやライムが混じっているのか?この爽やかな酸味と芳醇な香でマヨネーズのしつこさが中和されたのか、なんとか耐えられるものになってる…いや、単なるマヨネーズ和えだったらこうはいかなかったかもしれん…さすがは聖殿のシェフだな…マヨネーズベースでもこれなら大丈夫そうだ』
オスカーはこれもイケル!と思って海老も勢い良く咀嚼し始めた。
ちらりとクラヴィスを盗み見れば、こちらも余裕で巻貝の身を爪楊枝を使って器用に引きずりだしている。
「この貝はなんというのかわからぬが…面倒だが面白いものだな…貝の方をまわすようにしながら身をとると、奥のぐるぐる渦巻いた部分まで切らずに綺麗に引き出せるのだ、どうだ、おまえなら尻尾を切らずに最後まで中身を引き出せるか?」
なんとなく得意そうな面持ちでクラヴィスは、ジュリアスにもちかける。
「…うぷ、私は、そのような真っ黒な渦巻き状のモノなど口にする気もおきぬな…まったく巻き貝の身というのはどうも見かけがまるで三半規……いや、その、なんであるからな…」
「そうか、この貝の姿焼きは…味付けは醤油味といったか…見た目より結構美味なのだがな…」
と余裕しゃくしゃくにジュリアスに講釈まで足れている有様だ。
『クラヴィスさまが面倒な食材に音をあげてくだされば…と思ったが、なんだかんだいって、この方は辛抱強いじゃないか…というか、もしかして本当は苦手なものなどないんじゃないのか!くそっ!』
オスカーはこの時、自分はちょっとばかり事態を甘くみていたかもしれないと気付いて愕然とした。この分ではクラヴィスさまは食べるのが面倒な蟹だって難なくぺろりと平らげてしまうのではないか?しかも、ロブスターに、エスカルゴより更に面倒そうな巻貝も平気のへいざだし、この上、蟹まで完食されてしまったら、例え決勝戦をもう一度行うにしても、もう自分には有効な手持ちの札がないではないか!
クラヴィスは誰がどうみても怠惰でめんどくさがりで、手間のかかることは億劫がって自分からは進んで動こうとしない。
だから、食べるのに手間のかかる食材を、誰かはわからないが、ライバルが出したのだろうとうこともわかる。オスカー自身は決勝戦にもつれこんだ時は、ボイルした上海ガニでも出そうと思っていた。上海ガニは美味だがしつこいといえばしつこいし、蟹一匹があまり大きくないので食べるのが面倒がられると思ってのことだったのだが、今、すでに蟹を完食されてしまったら、自分はこの後一体何を出せばいいのか?オスカーは上手い方策が思いつかない。
クラヴィスはものぐさではあるが、とても辛抱強い男でもあった。しつこいとも執念深いとも言えるかもしれないが、『待つ』ということに関しては多大な才能を見せるし、諦めが悪い点もしかりである。さもなければ人妻になったアンジェリークを、いつまでも諦めずに隙あらば…などど虎視眈々と狙えるものだろうか?そういえば待ち伏せ型の捕食獣は、辛抱強さが身上ではないか。
もしかしたら、クラヴィスさまはナマケモノじゃなく、いわば樹上でエモノを待つ辛抱強い黒豹のような男だったのかもしれない。そういやネコ科の大型肉食獣は普段は寝てばっかりだし…
『まずい、まずいぞ…クラヴィス様が実のところ、苦手なものなどなかったら、俺はこのままではジリ貧だ…』
どれほど、自分が我慢を重ねようが、クラヴィスに真に苦手なものがなかった場合、いったい勝負はどうやってつけるのか?サドンデスのように、先にギブアップした方が負けなんていう展開になったら、自分のほうが音を上げてしまう可能性もないとはいえない…
焦慮に苛まれつつオスカーは、機械的にきのことチキンのクリーム煮いりポットパイのパイ皮をスプーンでつっつきはじめた。
ポットパイ自体は小ぶりで量的には全く負担感はないのだが、濃厚なクリームソースにバターたっぷりのパイ皮が絡まって、こってりした乳製品の味覚がいつまでも口に残ってしつこいことこの上ない。
味も濃厚なら、舌触りもまったりとからみつくようで、それがまたオスカーには耐え難い。味云々の問題より、このべたべたと口腔内にまとわりつくような食感がオスカーは苦手だった。自分としては、豆料理もクリアし、最難関であろうと思ったマヨネーズは難なく食せて油断が生じたのかもしれない。万が一、決戦になった場合はどうする?クラヴィスに何かもっと効き目のある食材はないか?さもないと俺の方が追い込まれちまう可能性もある…という問題の方に気を取られ、焦っていたオスカーは無意識のうちに感じたことをそのまま口にだしていた。
「まったくよりによってしつこいホワイトソースをしつこいパイ皮に絡めて食わさなくてもなぁ、こんなくどいものを美味いと思うやつの気がしれな…」
そんな愚痴をぽつりと零した途端、エルンストがさっとクラヴィスの腕をとってもちあげた。
「オスカー様失格です。よってこの時点で勝者はクラヴィス様と決定いたしました」
「…なに?」
オスカーは事態がのみこめない。エルンストがあくまで落ちついた声音で解説をはじめる。
「オスカー様、最初に陛下がおっしゃったルールをお忘れですか?『こんなものは食えない』等の食材への愚痴・やつあたりは負け判定になります」
「!…しまった!」
「…ということは私がパーティーのホストに決定だな…存外早くケリがついたな…もっとも、どれほど闘いが長引こうと負けるとは思っていなかったがな…」
「クラヴィスの粘り勝ちだねぇ、それにしても、オスカーってば、何に気ぃとられてたんだか…」
「よし!この展開なら、俺たちの計画はばっちりだ!」
「ホストがクラヴィス様なら、かなり見込みが高いよな!」
「は?何なのさ、その計画って…」
「なんでもねーよ!」
玉座ではロザリアがエルンストと何やらひそひそ話をしている。
「では、きちんと記録は控えたわね」
「はい、間違いございません、早速配当の計算をいたします」
「たのんだわよ、エルンスト」
主任研究員はさーっと聖殿から立ち去った。ロザリアはエルンストが黙って立ち去ったことに関しては何も言及せず、即座に
「それでは、きたる新年パーティーのホストは闇の守護聖といたします。しっかり務めを果たすように」
と、高らかに宣言した。
「御意」
クラヴィスが恭しく拝命の礼をとる。それを見てとってロザリアがにんまりと笑んだ。
「…ではホスト及びホステスの執務内容を補佐官より説明いたします。ほら、アンジェ!」
「あ、は、はい!」
意外な成り行きに呆然としていたアンジェリークは、ロザリアに肘で突っつかれて機械的に通達を読み上げ始めた。
「ホスト及びホステスの役目は、開場に先立って2人揃っての招待客の出迎え、その後、ダンスタイムがパーティー開催中に3回、各30分づつありますので、その際、1stダンスを踊ってダンス開会の儀とすること。1stダンス後のダンスは会場招待客すべてのリーダー及びパートナーとして、申しこまれたダンスには全て応じること。途中退場、及びダンスの申しこみを断った場合はペナルティを覚悟のこと。以上です。」
「…なに?」
クラヴィスの顔色が変わった。ホストはホステスをずーっと1人占めできると思ったからこそエントリーしてこの座を勝ち取ったというのに、それでは話が違うではないか…
「て、ことはぁ!俺たちも申しこめばアンジェと踊っていいってことなんですね!陛下」
「あんだよ、アンジェのパートナーだからてっきりアンジェを1人占めする役目だと思ってたのによー、それなら選ばれなくて却ってらっきーだったぜ!」
「なるほどねぇ、ホストとホステスの本来の役割を考えれば、そうなるか…」
「それでは私は男芸者か…」
「その通りですわ、クラヴィス、あなたは確かに私の命を受けて「御意」と言いましたわね?つまりホストになると…そして、ホスト及びホステスというのは、祝宴に招かれたお客様をもてなすために存在しておりますのよ。お客様第1に動き、ひたすら下にも置かぬおもてなしを行うのが務めですわ、ほほほ」
「…上手い事嵌められたものだな…」
「さすがだねぇ、陛下」
「万が一、闇の守護聖が職場放棄をした場合、闇の守護聖には1ヶ月の辺境出張を命じ、替りに次点だった炎の守護聖にホストを務めていただきます。言わば補欠ですわね、もちろん条件はクラヴィスと同じです。よろしくて?オスカー」
「御意…」
自らの失言で勝ちを失ったときは、あまりの不覚に言葉もでなかったが、今の展開なら、自分が思っていたほど最悪の事態でないらしいことはわかった。
しかし、自分が焦りゆえ自滅してクラヴィスに負けたこと、そして、アンジェリークのパートナーは公私ともに自分だ!という決意を死守できなかったのはいかんともしがたい事実であった。
「それでは来る新年パーティーには全員つつがなく参加のこと、守護聖たち、心しておくように、参加さえすれば、アンジェリークと踊る機会はありますからね、ほーっほっほ」
高らかな笑い声を響かせて、女王は補佐官争奪杯・食わず嫌い克服王選手権を締めくくった。
「オスカー様…」
無念さに歯噛みしているオスカーにアンジェリークはかける言葉がみつからなかった。
新年のパーティーは2日後に催されることになっていた。