Cocktail Trick 4

女王府主催の新年会その日である。

その日、私邸から聖殿に出仕する馬車にのりこんだオスカーはアンジェリークにこう話しかけた

「今日は、新年会の準備でお嬢ちゃんはいろいろ忙しいだろうな、今回は主星から人がくるから時間同期も必要だし、次元回廊もお嬢ちゃんが開けるんだろう?仕事の忙しさに取り紛れてパーティーで着るドレスの手配は忘れたりしてないか?」

「あ、はい、大丈夫です。オスカー様の礼服も、私のドレスも、午後に執務室に届けてもらうことになってますから…」

「そうか、どうせ義理の付き合いだ、あまりがんばりすぎて無理するなよ」

オスカーはそれだけ言うと静かになった。

アンジェリークは自分から声をかけるのもなんとなく憚られて、自分も静かにする。

ただ、オスカーは黙りこんではいるが、怒っているとか、拗ねて膨れている、という風情ではなかった。考え事をしている…という雰囲気が1番近い。そして、考えていることは、新年パーティーのことだろうか……そう思うから、何と言って声をかけたものか、いっそ、こうしてあまり言葉を交さないまま出仕してしまったほうがいいのか、アンジェリークは逡巡している。

アンジェリークは、オスカーが負けるとは思っていなかったので、こういう結果は確かに予想外だった。だが、結果が出てしまった後、あれこれ思い悩んでも何にも得る所はないし、アンジェリーク自身はこの事態をそれほど深刻なものともみなしていなかった。

クラヴィスといわゆるパートナーシップを組むのはあくまで仕事の上のことで、しかも時間的にも半日も満たない僅かな間だ。ダンスもそれぞれダンスタイムごとに1回づつ踊る事が義務付けられているだけで、ずっとクラヴィスとだけ踊らなくてはならない訳ではない。要は、新年会のいわばイメージキャラクターとして招待客を出迎え、招待客が無聊をかこたないよう目配りして話しかけ、全ての客が帰るまで見送る…これをこなせばいいだけだ。あくまで事務的に、但し、クラヴィスとともに…

『やっぱり、わかっていても、複雑…なのかしら…』

オスカーは、あの勝負がついた後から、言葉がすくなくなった。聖殿から私邸に帰る馬車の中でも、夕食中も…そのため、この食わず嫌い克服が、守護聖たち全員の将来を見こしたロザリアの老婆心から出たものだったんですよ、という説明もなんとなくアンジェリークからは言うに言出せずにいる。オスカーも、もうあのゲームの意図など、目の前の現実に比したらどうでもいいことだと思っているのか、忘れてしまっているのか、何も言ってこない。

でも、静かだからといって、不機嫌だとか、態度が冷たい訳ではないのだ。就寝した後の夜の睦言は普通に…いや、どちらかというと、いつもよりじっくりと丁寧に愛されたような気さえした。

そして、パーティー当日の今も、やっぱりオスカーは怒っている風でも、見るからに不愉快そうでもなくて、ただ静かなのだった。

仕事だから仕方ない、というのは簡単なのだが、そんなことを言ってもオスカーの気持ちが引き立つわけではないだろうし、多分オスカーもそれはわかっているのだと、アンジェリークは思う。

実際、気休めのような慰めを言うのは易い。曰く『勝負の結果はどうしようもないですから、今更思い悩んでも仕方ないですし、一方的に決めつけられるよりは納得のいく結果だったわけですし…』とか『オスカー様とも踊れますし、クラヴィス様とペアを組むのはお仕事で、しかも短い間だけですし…』などというセリフだ。でも、そんなことは、オスカーは言われなくてもわかっている筈なのだ。オスカーは馬鹿ではないのだから。むしろ、こんなわかりきった気休めのような慰めは却ってオスカーを苛立たせるだろうとアンジェリークは思う。気休めのような慰めを「いたわり」と感じて喜ぶほどオスカーは単純ではないし、そんな上滑りで表面的かつ形式的な取り繕いはむしろオスカーの厭うところだ。オスカーはいつも魂と魂が直に触れ合うような心の繋がりを求める真摯な情熱の持ち主だから。そして、アンジェリークはオスカーのそんなところが大好きなのだから…

そうだ、とアンジェリークは思った。オスカー様は誠実で率直な心のあり方を好む方なのだから、オスカー様が「何を考えているか」を気にして出方を伺うのではなく、私が「自分はどうしたいか」を率直に告げてみよう…それがいいかもしれない、そんな風に直感した。

「あの、オスカー様…」

「ん?なんだ?」

オスカーは虚をつかれ我に返ったように返事を返してきた。

「あの…パーティーの時1stダンスが終わったら、あとのダンスはフリーだから…オスカー様に今のうちにダンスを申しこんでおいていいですか?」

「なんだって?お嬢ちゃん…」

「だって、オスカー様と踊りたいんですもの…今から予約しておかないと、オスカー様はきっとパーティーの間中たくさんの女性に囲まれちゃって近づけないかもしれないから…」

オスカーは一瞬切なそうな瞳をしたが、すぐに満面の笑みを見せた。

「お嬢ちゃんの方から申しこませてしまうなんて、俺としたことがぬかったな。お嬢ちゃんのダンスこそすぐに予約で一杯にうまっちまいそうなのにな…1stダンスはクラヴィス様と決っているから…そうだな、俺はダンスタイム毎のラストダンスをリザーブさせてもらおう。真打の登場は最後と相場が決っているからな」

「じゃ、ラストダンスはお互いに予約しあいっこですね、ふふふ」

アンジェリークがほっこり笑むと、一呼吸ついてから、オスカーがこう付け加えた。

「すまん、心配させたか?怒ってるとか、不愉快…ってわけじゃないんだ…実際条件は俺が思っていたほど悪いわけじゃない…」

「はい、オスカー様、わかってます…」

「ああ…心配かけてすまない…」

「いえ…」

交した言葉は少なかったが、わざわざ今、そして自らダンスを申しこんでくれたアンジェリークの気持ちが伝わってきてオスカーの胸は温かく充たされた。

同時にアンジェリークを心配させてはいかん、とオスカーは自戒した。アンジェリークは自分の存外子供っぽい部分も知っているし、それを受け入れてもくれている。だからと言ってむっつり黙りこんでいたら、それは案じるだろう。ただ、俺は言わば自殺ゴールで負けちまった自分がふがいなくてな…パートナーになることが君を一人占めできることでもなければ、仕事を増やされるだけだったとわかっていても、君のパートナーになると偉そうに宣言しておいて、実際は果せなかった自分をどうしてもふがいないと思っちまう…「あのぶどうは酸っぱいのだから、取れなくてよかったんだ」と自分に言聞かせることは、ある意味健全な精神作用で、実際この「ぶどう」は思ったほど美味しくないのも、もうわかっていても、それでも、そういう補償行為をすることが情けないと俺は感じてしまうんだ…

オスカーはあの勝負がついた日から、事態をなるべく客観視しようとはしている。そして、実際自分は比較的冷静だとも思う。

苦労した末に得た地位がそれほどの価値がないことも、だから、クラヴィスをうらやむにはあたらないということも、十全に理解しているのだ。そして、それを自分自身に実感させるべく、夜は殊更丁寧にアンジェリークを慈しみ睦みあった。役職上でどんな特権を女王から与えられたとしても、アンジェリークとこれほど親密な接触がもてるのは、自分だけなのだから、と自分自身に言聞かせるように。

ただ…これはあくまで頭で考えている段階だから、というのが、オスカーの一抹の不安の種なのである。

君は聡いから敢えて言わないのだろうが、俺だって、これはあくまで公務で、端から考えるほどクラヴィス様がうらやましい立場にいるわけじゃないことはわかっているんだ。だけど、それは今、君がクラヴィス様と一緒にいる所を目にしていないからできる理性的な見方で、実際その場に立ったら、俺は今のように冷静でいられるかどうか…

しかも、ここ数日、君をしつこいほどに愛したのはなぜか、愛さずにはいられなかったのはなぜか…俺はわかっているんだ、その訳も…

そんなことを考えていたから、言葉が少なくなっちまった、すまない、アンジェリーク。

君の、わかりきった事は敢えて何も言わないでくれるその聡明さに感謝している。俺が何を考えているかには敢えて触れずに、君自身の愛情をまっすぐにぶつけてきてくれる、聡明な優しさをありがたく嬉しく思う。

君は本当にすばらしい女性だと、得難い貴重な宝だと思うんだ…

そして、君のすばらしさ、掛替えのなさを知れば知るほど、俺の胸は苦しいような切ないようなやるせなさに、言葉を見つけられなくなってしまうんだ…

そんなことを考えながらオスカーは黙ってアンジェリークをみつめていた。

 

夕刻、通常より早目に執務を終わらせ、各守護聖たちは今宵の新年パーティーの準備を行うよう通達が出されていた。

アンジェリークのドレスもアクセサリーなどの雑貨もろともに私邸から届けられており、アンジェリークはもうそれを身につけたところだった。メイクもすでに整えてある。

今夜のドレスコードはブラックタイであるからアンジェリークもイブニングを纏うのだが、ホステスという立場は目立ちすぎてもいけないのでデザインは極シンプルなものにした。スカート部分のボリュームも一見控え目だが、これは生地が柔らかなせいで、実際はたっぷりフレアがとってある。ダンスでターンをする時ふわりと花が咲くようにスカート部分が広がるように計算されているデザインだった。色は淡いピンクで所々に銀粉が散らされているので、砂糖菓子のような印象だ。ドレスの色に合わせてアクセサリーは大粒のピンクパールのチョーカーにした。

「オスカー様はもう、御仕度なさったかしら…」

オスカーの許にも、今宵のためのテイルコートが既に届けられているはずだ。もう、会場にいかんばかりに準備も済んでいるかもしれない。

「行く先は一緒だし…オスカー様はパートナーじゃないけど…それはパーティーの間だけだもの…パーティー会場につくまではご一緒してもいいわよ…ね?」

誰に聞かせるともなく一人つぶやく。

そうよ、今からオスカー様の執務室に迎えに行こう。もし、まだお仕度がお済みでなかったらお手伝いするか、お待ちしてよう。せめて大広間までだけでも一緒に行きたいもの…

そんな事を考えついた丁度その時、女官がアンジェリークに来客を告げた。

アンジェリークは「お通しして」と女官に告げなかった。その前に身体が動いていた。弾かれたように小走りに走って扉のところにその来客を迎えに出た。

「オス……?!…あ…クラヴィス…さま…」

「アンジェリーク、迎えに来た…」

補佐官執務室の待合ともいえる、主室の前の小部屋には自らの髪の色と同じほどに艶やかな漆黒のテイルコートを身につけた、闇の守護聖が佇んでいた。

「おまえはこれから会場前で次元回廊を開くのであろう?それなら、その時からホストとホステスが揃っていた方が見栄えがよかろうと思って少々早いが迎えに来た…早目についてしまった客もいるやもしれぬのでな…」

「あ、はい…そう、そうですよね…」

声に落胆の色を滲ませないようにするのに渾身の力が必要だった。クラヴィスが厭わしいのではないのだし、自分の身勝手な感情のぶれから失礼な振るまいなど決してしてはいけないのだから。勝手に期待して勝手に自分ががっかりしただけなのだから…クラヴィスには何の責もないことなのだから…そう思って一息おいてから改めてクラヴィスを見あげた。

いつもの重厚なローブではなくテイルコートを身につけ髪を後ろでゆるく括っていると、クラヴィスの長身と肩幅の広さが強調され、今夜のクラヴィスは殊の外男性的だ。普段は神秘的な端正さが目につきがちだが、こういう服装をするとクラヴィスの男性的な面がよくわかる。実際クラヴィスの姿を見なれている筈の女官でさえ、心ここにあらずといった面持ちで見惚れているほどだった。

『こうして改めて見ると、本当に素敵な方だわ…でも、どんなに素敵な方でもオスカー様じゃないんだもの…』

あたりまえのことを考えながら、慇懃に礼をした。

「わざわざお気遣いいただいてありがとうございます。本来なら私の方からお伺いすべきところですのに…」

「よい、私がこうしたかっただけだからな…おまえの着飾った姿を真っ先に認め、エスコートしていくことで2人でいる時間を僅かでも引き伸ばせる…おまえには、かわいそうなことをしてしまったやもしれぬがな…これくらいの役得は許してもらってもよかろう…」

「え?あの……」

「さ、行くぞ…」

クラヴィスは何事もなかったかのように話を打ち切った。

「はい」

アンジェリークはクラヴィスの後ろについて歩こうとクラヴィスが歩き出すのを待った。しかし、クラヴィスは動かない。アンジェリークはそのまま黙って待つ。

やれやれといった顔でクラヴィスが振り向いて言った。

「私は今宵はホストなのだぞ?」

「は、はい、そうです…」

「おまえをエスコートするのも役目の内なのだが…」

「は、はい?」

「手を…」

何がなんだかわからぬままに白サテンの長手袋を嵌めた手をとられ、クラヴィスが輪にした二の腕に導かれ、そこに預けさせられた。

「行くぞ」

「………」

アンジェリークは黙って頷くのがやっとだった。考えてみれば、オスカーと結婚して以来、オスカー以外の男性と腕を組んでエスコートされるのなんて初めてだと今更ながらに気付いたのだ。それが例え指先を二の腕にちょんとのっけているに過ぎなくてもである。

アンジェリークも公式の場で他の守護聖たちとダンスをしたことは、数多くある。でもダンスでホールドを組むのは言わば「型」としてそれが決まり事だから行うものなので、格別意識をしたことはなかった。

尤も、こうしてエスコートされる女性は男性の腕に手を軽く預けるというのも「形式」であり決った「型」なのかもしれないが、アンジェリークとしてはダンスほど「あたりまえの形式」とどうにも思いにくいのだった。

『だって…なんだか変なんだもの…肩越しに見える肩幅が違う、預ける腕の感触が違う、髪の色が違う、揺れるピアスが違う、薫る香が違う…』

アンジェリークは自分でも驚くほどの違和感に苛まれていた。

 

聖殿の大広間ではパーティーの準備が順調に進められていた。

大広間には9個の円形の大テーブルが右翼と左翼に分けて設置されており、一テーブルにつき一人づつの守護聖が着席することになっている。ただ、最も上座にあたるテーブルだけは、左翼のそれに女王と首座、右翼のそれには補佐官とそのパートナー守護聖の2名づつが着席する運びとなっている。そして残りの守護聖は、それぞれの名前の書かれた席辞表があるテーブルに一名ずつ着席する。招待客がどのテーブルに着席するかは自由だ。部屋の中央はダンスのために広くあけられており、室内管弦楽団がダンス音楽の生演奏のために待機している。料理はそれぞれ右端と左端の続きの間に既に準備されており、聖地御用達のホテルのシェフたちは厨房に控えて料理の追加の準備も怠りない。広間の下座片隅にはドリンクバーも設置されている。

そして首座とホスト以外の守護聖たちも銘々の正装(と自分たちが思っている衣装)に身をつつみ、既に聖殿の大広間に待機していた。自分の席次を確認するためと、すでに到着してしまった気の早い客無聊をもてなすためである。聖地常勤の招待客は次元回廊を使わずとも会場入りできるから早目に入場する者も多かったのだ。

尤も、もてなし役の役目をこなしているのは、公式の場ではきちんと自分の役割を演じ切れるオスカーと、気配り上手のオリヴィエ、そして洗練されたもてなし上手とは言えないが朴訥で誠実で博識なので年配男性客の話相手として非常に人気のあるルヴァの3人くらいである。リュミエールは一人超然と竪琴を爪弾いて、やる気のなさをアピールしているが、その繊細そうに見える外観のおかげで良い方向に誤解され遠巻きに眺められている。首座であるジュリアスは、最後に女王をエスコートして入場してくる予定であった。そして少年たち3人は、着席するでもなく客のもてなしをするでもなく、どうも妙にそわそわして落ちつかない。

「おい、クラヴィスのやろーはどうした?まだこねぇじゃんか」

「今、アンジェを連れてこっちに来たみたいだよ、アンジェが今から次元回廊を開くって」

「よし、入場時からオスカーを煽ってくれるとは言うことなしだぜ、きしししし」

「俺がどうしたって?坊主たち」

飲み物を取りに来たオスカーが、自分の名前を聞きつけて話に割って入った。

「ぉわっ!なんでもねぇよ!それこそ、おっさん、アンジェと一緒にいられなくて拗ねてんじゃねぇのか?」

なんとなく訳知り顔のゼフェルがにやにやしながらオスカーを挑発するような事を言う。オスカーはそれを不可解に思いながらあくまで冷静に年長者としての意見を述べた。

「馬鹿か、おまえは…これは仕事だ、仕事、俺もお嬢ちゃんもそこのところはよくわかってる。それより、おまえらも今日は客をもてなす方の立場だってことを自覚しろよ?若いからって何時までも自分たちがお客さん気分でいるんじゃないぜ?」

「いやぁ、オスカー様、俺たちこの大プロジェクトを前にそれどころじゃ…もがむがむぐぅっ…」

「この馬…!…いや、そ、このパーティーは大プロジェクトだもんな!ことの重要さは俺たちだってよーくわかってるぜ!な!」

「?なんか釈然とせんが、まあ、そういう気構えがあるなら、きちんと招待された官僚たちをもてなせ…といっても、おまえたちの年齢じゃ共通の話題に困るか…まあ、今は多くは期待せんが、こういう雰囲気は学んでおけよ、いつか必要になるからな」

「はーい!」

マルセルがいい子でお返事をしてその場を離れる切っ掛けを作った。その直後ランディがゼフェルからこっぴどく後ろ頭をしばかれたことは言うまでもない。

「よりによってオスカーになんてアヤウイこといいやがるんだ、おまえは!」

「いやぁ、なんかそわそわしちゃっておちつかなくてさぁ。はははっ!」

『今からこんなに浮ついててどーすんだよ、まったく…こいつには悪巧みとか綿密な計画ってのがとことん無理だっていうのが、よくわかったぜ、俺は…』

とゼフェルが思った時だった。クラヴィスとそのクラヴィスに腕を預けてアンジェリークが入場してきた。その場にいた全員が、思わず、一対の絵のようなカップルに暫し息を飲んで見惚れた。

 

『悔しいが《絵になる》…というのはああ言う光景を言うんだな…』

オスカーはその光景に予想以上に衝撃を受けながら、それでも見事なものは見事だと認めていた。

まさに闇を束ねたような漆黒の髪が会場のシャンデリアの光を弾く。意外なほど逞しさを感じさせる長身が、可憐でなよやかな花のように華奢な女性をいたわるようにエスコートしてくる。優しげな淡いピンクの花びらのような衣装を身にまとう女性は少女のようなあどけなさと、温かみのある金の髪が魅力的だ。初春の陽光のもと咲きほころんだ花のような、新春の息吹そのもののような女性である。すぐ横にいる闇の象徴のような存在と見事なまでの対比となっており、だから見た目に絵になるのだ。

だからといって、オスカーに気遅れや焦慮は湧いてこなかった。単に「見事なものは見事だ」と言いきれる確固とした審美眼を持っていること、そして、自分がアンジェリークの横にいたとして、この一対の対比をなす今の2人に引けを取るとはオスカーは思っていないからだ。軍神の体現であるかのような美丈夫である自分と、やはり可憐であでやかな花を思わせるアンジェリークとのとり合せは、どのような場でも賛嘆と賞賛と羨望の眼差しが痛いほど浴びせられたという多くの経験がオスカーには実際にある。

しかし、アンジェリークの隣にいてクラヴィスが見劣りするわけではないこともよくわかる。絶対値は同等だがまったくベクトルが違う魅力とでも言えばいいのだろうか…そういう見事な風格がクラヴィスには自ずと漂っているということを、オスカーは虚心に認めていた。

『お嬢ちゃんの魅力を引き立たせる…という意味ではクラヴィス様がパートナーというのも、他の奴等に比べれば悪くない結果だったかもしれん…』

アンジェリークの魅力を損うような取りあわせだったら、俺は自分がどうしてもしゃしゃり出たくなっちまってたかもしれん。そう思えば、率直に「絵になる」と思わせてくれるクラヴィス様でよかったのかもしれんが…

だからこその複雑な思いも同じ程の重さでオスカーの胸を占める。それは言わば『俺は君と似合いのカップルだいうことはわかる…だが、俺は君に最も相応しい男と言いきれるだろうか?』という迷いの感情に近かった。

クラヴィスとアンジェリークが会場の入り口で並び立ち、次々と次元回廊から現われる招待客を出迎えはじめた。その光景を見て、オスカーの胸中は更に複雑になった。

愛想よく微笑んで客を迎える補佐官の隣には、その補佐官を優しく見守るように微かな笑みを湛える黒髪長身の端麗な青年が立っている。この2人が並んだ所は確かに一幅の絵画のようなのだが、その光景を疑問に思ったり、不審そうな顔をしている招待客が1人もいないようだったからだ。

そして、なぜか時折オスカーの方に、あからさまではないが、なんとなく恨めしげな視線をよこす招待客がいて、オスカーは不可解な気持ちが更に募る。

それが絵になる取りあわせなら、アンジェリークの隣を占める男が入れ替わっていても不審に思われないほど俺は存在感が薄かったのか…と自虐的な気分に浸るには、時折投げかけられる恨みがましい視線の訳がわからない。単に影が薄かったというのなら、俺の存在は黙殺されるだけだろうし…と首を傾げていたその時だった。

ジュリアスにエスコートされて女王であるロザリアが入場してきた。白の綾織のイブニングドレスはボリュームもたっぷりで見るからに豪奢である。大きく開いたデコルテを、大粒のダイヤモンドを幾連にも連ねたオープンタイプのネックレスが飾っている。ジュリアスも女王のドレスに合わせたのか銀白色の礼服だった。この厳かでいながら、きらきらしいことこの上ない2人の様子に招待客一同が雑談の一切をやめて一瞬見惚れ、その直後慌てて最敬礼を取る、ということになった。

ロザリアは招待客の顔を上げさせる。今宵は皆さんがお客様なのですからと。客を全て迎え入れ、次元回廊を閉じ終えた愛らしい補佐官がにっこりと微笑んで頷き、その言葉を追従する。光の守護聖と、闇の守護聖が、それぞれに麗しい女性の手を取って席まで導いていく。この2組のカップルの短い道行きは、それこそ豪華絢爛な活きた絵巻きさながらであった。この光景を見た招待客に、女王のエスコートが光の守護聖の役割なら、補佐官のエスコートは首座と対をなす闇の守護聖が受け持つのが当然の既定だったのだろうと思わせてしまうほど、この2組のカップルの入場は威風堂々としており、圧倒的な迫力があった。

だから、補佐官の横に佇んでいるのがクラヴィスでも、周囲は全く至極当然のこととして受けとめていたのだろうかと、オスカーは思う。クラヴィスがアンジェリークのパートナーの座を射止めたのは、熾烈な闘いの末であったが、恐らく招待客は誰一人としてそんなことは想像だにせず、光の主座に対する単純な対比として補佐官には闇の守護聖が宛がわれたと解釈しただろうかと、オスカーは思った。そしてその想像は、少しばかりオスカーの心境への慰めになった。なぜ、夫である自分が補佐官のエスコートをしていないのか、理由をあれこれ勘繰られるよりはマシだから。もっとも、理由を勘繰るような様子が誰にもないのも、何やら寂しいのだが。

女王と補佐官、それぞれのパートナーは招待客が全員着席するのを待ってから席につき、ついでそれを見取った守護聖たちが着席した。アンジェリークが、女王の名代として招待客に対して来訪に簡潔に謝辞を述べ、今後とも聖地及び聖殿への変わらぬ協力のほどを要請した。次いでクラヴィスが乾杯の音頭を取った。そして、正式に新年の祝賀が開催された。

 

各テーブルでは、それぞれ好みの食事を前に、守護聖たちも卒なく会話をしているようである。守護聖たちが自分から会話を振る必要はほとんどいっていいほどなかったからである。女王府で働く官僚たちにとっても、守護聖たちの日常は興味津々の事柄なので、あれやこれやいくら質問してもしきれないし、守護聖たちはその質問にあたり障りなく回答していればいいのである。尤も、上っ面はともかく、どうでもいいと思っている人間には実は徹底して愛想のないリュミエールなどは「この機会に私の竪琴の音をお聞かせしましょう」と言って恨まれることなく、自らの性格に不審を抱かれる恐れもなく鬱陶しい質問をシャットアウトしているし、クラヴィスのテーブルにはアンジェリークも同席しているので、もっぱらアンジェリークが会話の中心になっている。オスカーのテーブルは女性客ばかりかと思いきや半数は男性で占められていて、会話というと王立宇宙軍のあり方とか、聖地の警備体制などお堅い話題ばかり振られていた。女性の招待客の絶対数が少なかったこともあるが、男性客の多くは手近に空いている席についたせいである。

食事が一通りすみ、和やかな空気が場に満ちるころ、一回目のダンスタイム開始が告げられた。

当然一曲目は、クラヴィスとアンジェリークが踊る。クラヴィスはアンジェリークの手をとってフロアの中央に進み出た。

「では、お役目を果すとするか…」

「はい、クラヴィス様」

といったものの、いざ組み合うとアンジェリークにはクラヴィスのホールドが些か拘束度が強く窮屈に感じられた。もっともそんな事は表には出さない。これはあくまで仕事だと認識しているから。だからにこやかに踊り出す。

そして緩やかなワルツに合わせて踊りはじめた2人の姿に、またも招待客の全てが心を奪われ、会場中がいきなり静かになった。雑談も忘れ、皆、この2人の姿を溜息をついて魅入られたように注視するばかりである。絵のように美しい男女が夢のような流麗なステップを踏んでいるその光景を見るだけで、招待客はこの場に招かれた甲斐があったと、心から感じいっていた。

だが、最初のダンスが終わりこの夢のような一時から覚めると、一般客は当然の如く気後れを覚えた。闇の守護聖と愛らしい補佐官のダンスを見てしまったすぐ後に、この補佐官にダンスを申しこめる気概を一般の招待客に求めることは酷というものであった。女王の手をとるのはあまりに恐れ多いが、現補佐官の愛らしさ、可憐さは主星の女王府でも伝説となりつつあり、招待客の多くが、機会があれば一曲ダンスのお相手を…と目論んでいたにも拘わらず、闇の守護聖との御伽噺の一シーンのようなダンスを見せられた後となっては誰も思いきってアンジェリークにダンスを申しこめる者はいなかった。

対して、守護聖たちは当然の如く物怖じしない。というより待ちに待った機会であるし、少なくとも見た目で自分がクラヴィスに引けを取ると気後れするような性格の人間はほとんどいないから尚更である。

クラヴィスがアンジェリークの手を離すや否や、予め決っていたかのようにリュミエールが進み出てアンジェリークの手を取った。ジュリアスも立ち上ってロザリアの手をとってダンスフロアに導き、此度は2組の見目麗しいカップルが踊った。

ついで、パートナーをチェンジして、ジュリアスが、リュミエールからアンジェリークの手を取り、一曲の間待機していたクラヴィスがロザリアに礼を取ってダンスの相手を請うた。ロザリアは鷹揚に頷き、それを受けた。

光と闇の筆頭守護聖たちと、女王と補佐官がそれそれ当初のパートナーを違えて踊り出すと、この世のものとは思えぬほどきらきらしく壮麗なこの眺めに、それを実際に目にすることのできた招待客たちは、皆感極まって感涙状態である。

このように恐れ多くも、もったいなくも、この世のものとも思えぬ美しい光景を目にできて、女王府の官僚になって、今年パーティーに招待されるとは何と言うめぐり合わせの良さよ…と客たちは己の身の上の幸運をしみじみ感じいっている。

誰が誰と踊っていても、夢のように麗しい光景に圧倒されきって、一般客は自分たちが補佐官や、ましてや女王にお相手していただこうなどとは今は思いつく余裕もなく、次ぎは誰が踊るのかということで頭が一杯になっていた。己がダンスをせずとも、だたの見物人として、それぞれ趣きは異なれど見目麗しいカップルのダンスを拝ませていただくだけで十分…というような気分が会場内に蔓延した。それほど、守護聖たちと女王及び補佐官のダンスは見応えがあった。

そして、次の曲で、おずおずとルヴァがロザリアの手をとり、対してアンジェリークには、ゼフェルが名乗りをあげた。

ルヴァとロザリアのダンスは、しっとりと落ちついていて見ている者を和ませ、一方ゼフェルとアンジェリークのダンスは10代の少年少女の元気な明るいダンスに見えて、これはこれで微笑ましかった。

ダンスが一曲終わる毎に拍手喝采を送っている招待客はそれぞれのダンサーたちの論評に口角あわを飛ばし始めた。

やはり陛下は高雅に美しく華麗極まりないカトレアのような女性だ、という官僚もあれば、いや、気高く薫り高い白百合のようだ、いや、豪華に燦然と咲き誇る芍薬か牡丹であろうか、と評する官僚もいる。

対して補佐官殿は愛らしく華奢なご様子はまるで可憐な雛菊だと言う者がいると、いや、可憐さの中に見せる艶やかさはまさしくピンクの薔薇であろう、いや、あの軽やかに可愛らしい様は、スイートピーかフリージアのような春の野の花にこそ喩えるべきだと評するものもいて、如何に当代の女王と補佐官がそれぞれに美しいか、侃侃諤諤の楽しい議論が繰り広げられている。とにかく恐れ多すぎて、自分たちには遠巻きに眺めてうっとりするのが今は精一杯だ、だが見ていられるだけで限りなく幸せだという結論は一緒なのだが。

そんな議論が白熱する中、座席で、オスカーはアンジェリークのダンスする姿をつぶさに、じっくりと眺めていた。

今までは自分自身でアンジェリークと踊っているばかりだったので、アンジェリークのダンスを第3者の視点で離れたところから見たことがあまりなかったから、これはこれで新鮮だった。

そして気付いた。

アンジェリークは、誰とペアを組んでもその相手の男と、綺麗に似合ってしまう、いや、パートナーの魅力やいい面を惹きたたせるような不思議な雰囲気があるのだと。

例えば、ジュリアスとクラヴィス、この2人がロザリアと踊っていると、あまりに超絶した美しさと、厳かな雰囲気からその美しさは人をよせつけない硬質さをも漂わせる。あまりに完璧に美しいので見ていると息苦しささえ感じるのだ。その上、ジュリアス、クラヴィスの2人ともにあまり愛想のいい方ではないので、いかめしさとか近寄り難さが、ロザリアの完全無欠な美しさとあいまって却って強化されてしまうのだ。

しかし、相手がアンジェリークとなると、彼女のほわほわした柔らかな雰囲気と愛くるしい笑みが、クラヴィスの近寄り難さをちょっと神秘的な雰囲気に、ジュリアスのいかめしさを豪奢な生真面目さに見せてくれるのだ。

リュミエールもアンジェリークが側にいると、どことなく底知れない雰囲気が中和されて見えることにもオスカーは気付いた。むしろ、中性的で無害そうにさえ見える。そう考えるとリュミエールがアンジェリークに執着する理由がなんとなく察せられる。

またゼフェルのような若者と踊っていても、これはこれで馴染む。ジュリアスやクラヴィスと踊った時の艶やかさより、10代の…といっても外見上のことだが、その少女らしい活発で明るい雰囲気が前面に出て、これはこれで愛らしく微笑ましいカップルだと見るものに思わせてしまうのだ。

『本当に、お嬢ちゃんは誰が相手でも、その男と奇妙に絵になっちまうな…』

自分の妻が魅力的なのは、もちろん嬉しく誇らしいことだ。自分自身もアンジェリークの魅力を十二分に理解しているのだから、尚更だ。

以前は、自分以外の男と「絵になって見える」ことすら、不安の種で、そのせいでアンジェリークには、かなり無茶を強いた。

でも今は…重ねた年月とアンジェリークの豊かな愛情が、それほどの飢餓感をオスカーに感じさせなくなっている。第一、以前と同じように狭量な嫉妬にかられ、アンジェリークの気持ちを信じられないかのように奪い返したり、無理矢理抱いたりしたら、まったくもって俺は進歩がない、引いてはアンジェリークを信じていないみたいじゃないか…

他の守護聖と似合って見えることに全く心が波立たないかと言えば嘘になる。

でも、それはアンジェリークを信じていないからではなくて、自分自身の根幹が毅然としていないから揺れるのだ、ということも昔の暴走から学んでいる。

だから、どんなに心が波立っても、俺はその波立ちを抑えてみせよう。そうできなくてはあまりに情けないではないか。そう思ってアンジェリークのダンスを見守っていると、互いに目線で牽制しあったいた女性客の一人からオスカー様は踊られませんの?と尋ねられた。オスカーは完璧な笑みを見せ、ラストダンス以外なら何時でもお誘いに応じましょう、と慇懃に答えると女性客たちは堰きが切れたような勢いで相争って、オスカーにダンスを申しこんできた。それが切っ掛けとなって、他の守護聖にダンスを申しこむ女性客も出始めた。

オスカーは余裕の笑みで順番に申しこみをさばいていく。仕事と思えば何の雑作もないことだから。

だが、次々と女性を変えて踊っていくうちに、心の内部に『何か違う』という感覚が少しづつ降り積もっていき、オスカーは戸惑いを覚えつつあった。

一人一人女性の様子が違うのは当たり前で、昔はそれを当然のこととしてむしろそれを楽しんでいた。ふくよかな女性は抱き心地がよく、華奢な女性はいといけだ。若い女性はその幼さが可愛らしく、年を積み重ねた女性は、若い女性にはない落ちつきや教養の冴えがあって手応えのあるやりとりが楽しい。こんな風に一時ダンスをするだけの相手にも美点を見出して楽しむことができるから、オスカーはもてた。どんな女性にも人気があった。そして、今もその行為自体はきちんとできている、なのに同時にじわじわと違和感が募っていくのだ。

この違和感は一体何だろう?

何か自分の内部に絶対のスタンダードができあがってしまっているかのようで、それに各々の女性の合わない部分がオスカーには違和感に感じられるようなのだ。それぞれの女性にはそれぞれの特徴があって当然であり、それを各人各様の個性であり美点と認めつつ、心の一部が「違う」と叫んでいるような居心地の悪さがあった。

楽団からこの回のダンスのラストナンバーが告げられると、オスカーはほっとした。そして毅然と周囲の誘いを断ると、まっすぐにアンジェリークに向っていき、手を差し伸べた。

心なしかアンジェリークもほっとしたような、かつ、この上なく嬉しそうな表情を浮かべてオスカーの手をとってくれた。オスカーは「なんて俺は単純なんだ…」と思いつつも、アンジェリークの嬉しそうな様子に高鳴る胸を抑えられない。

そしてアンジェリークとホールドを組んでみて感じた。

なんて…なんてしっくりぴったり、あつらえたように俺の腕に馴染むのだろう…

俺の目線を捉えるかのように位置する2つの魅惑的な膨らみも、俺の掌に吸いつくようななだらかな背中のラインも、俺の肩に置かれる小さな掌も、まさしく俺に合わせて作られたかのような気さえするのは、あまりに傲慢であろうか…でも、そうとしか感じられないのだ。

すると、アンジェリークが頬を染めてしみじみとこう訴えてきた。

「オスカー様…オスカー様と早く踊りたかった…」

オスカーも反射的に感じたままをアンジェリークに訴えた。

「俺もだ、お嬢ちゃん。誘いには応ずべしという勅命があったから、申しこまれたダンスはこなしたが…誰と踊っても変な違和感があって…なのに、今はそれがない…それどころか君が俺の腕の内にいると、どうしようもなく心地いいんだ…君の全てが俺のためにあつらえられたようにぴったりきて…」

アンジェリークは一瞬びっくりしたように瞳を見開いてから、はにかんだ様子でこう答えた。

「オスカー様…あのね、私も同じなの…」

「え?」

「オスカー様じゃない方と踊っていると…皆さんお上手で、素敵な方なのに『肩幅が違う』『もっと腕が逞しくないと…いや』『背中の厚みが足りない…』っていろいろ些細なことなのに気になってしまって…オスカー様じゃないんだもの、あたりまえだけど、誰1人オスカーさまの替りになれる方なんていないんだもの。例えそれがダンスだけだって…私、オスカー様じゃないとダメなんです。なんでもかんでもダメみたい…今、オスカー様とホールドを組んでしみじみ感じちゃったんですもの、なんて…ぴったりしっくり落ちつくんだろうって。オスカー様の腕の内にいると、心地良くて安心できてとにかく気持ちいいんですもの…」

「お嬢ちゃん…」

「他の方と踊ったからこそ、しみじみそれがわかって…この30分だけで、はっきりわかっちゃいました…早く、このお仕事、無事に終わるといいなって、今はそんなことばっかり考えちゃってます…」

「お嬢ちゃん…」

オスカーはダンスも忘れてアンジェリークを思いきり抱きしめそうになり、渾身の力でそれを踏みとどまった。

「そうだな、俺たちは聖地一、いや、宇宙一の似合いのカップルだものな。お互いに互いじゃないとダメなんだ…それを再認識させてくれたこのパーティーをあり難く思わないとな…」

「はい、オスカー様」

「でも、実は俺はお嬢ちゃんが他のヤツラと踊ってる光景にかなりやきもきしていたんだ…君が誰と踊っていても似合いのカップルに見えちまって…」

「オスカー様、そんなことないのに…それに、やきもちやいてくださるのはちょっと嬉しいけど、でも、今日は…」

「ああ、全て仕事だということは頭ではわかっていたんだ、だが、君がはっきりと俺でないとダメだと言ってくれて…俺は嬉しい。大人気ないと思いながらも嬉しくてたまらないんだ…」

「オスカーさま…」

「だから、心配しなくていい、この前みたいな無茶はしないから…」

とアンジェリークの耳元で囁くと、その耳朶は桜貝より綺麗なピンクに染まって、オスカーは思わず食みたい衝動を必死に堪えた。

「俺もペナルティで一年も辺境に飛ばされるのはご免だしな…それに、悪いことばかりじゃないなとも思っていたんだ…君が他の奴等とダンスする姿を見て…」

「?」

「君とこんなにも踊りたいと熱く思わせてもらえた。単なる一介の崇拝者として、君の手をとる順番をうずうずしながら待っていると、君の手を取らせてもらえるのが、どれほど幸せか改めて噛み締められる…」

「オスカー様、私だって、私だって…他の女性がオスカーさまと踊っている所を横目で見てて…ラストダンスは私に取っておいてくださるはずだけど、オスカー様が忘れちゃってたらどうしよう、オスカー様が他にもっと綺麗な方に目移りしちゃって予約をキャンセルされちゃったらどうしようって、やきもきしてたんですよ…」

オスカーは嬉しそうに破顔した。

「そんな心配は絶対無用だが…」

そう前置いた上でオスカーは敢えて聞いてみたくなった。

「万が一、俺が他の女性から離してもらえてなかったらどうしてた?」

「もちろん、私が先約ですっていって、オスカー様を返してもらいに行きます!でもって、オスカー様、約束してくださったのに忘れちゃうなんて酷い…ってちょっと拗ねて責めちゃったかも…」

「君の拗ねた顔を見たい気もしないじゃないが…」

「や…いや、オスカーさまぁ…」

アンジェリークが心から心配そうな顔をしてオスカーを見上げたので、オスカーはアンジェリークを安心させるように微笑んだ。

「ああ、君に憂い顔を見せられることのほうがこんなに辛いから…心配しなくていい」

「ほんと?意地悪しない?」

くぅうう〜とオスカーは心の中に握りこぶしを作っていた。小首を傾げてこんな事を言われたら、却って、少しだけ、少しだけだが苛めてみたいと思っちまうじゃないか!お嬢ちゃんはわかっていて俺を挑発してるんじゃないのか?と、オスカーは自分の理性の箍を試されているような気がしてしまった。

だから、敢えて『意地悪はしない』と明言することは避けて

「俺は約束は破らないぜ?君との約束を忘れたことは一度もないのが俺の自慢なんだからな?」

とだけ答えた。

「そうですね!オスカー様!じゃ、どなたと踊ってもラストダンスのオスカー様は私のオスカー様ですよ?」

「ああ、改めて約束する、お嬢ちゃん。それに他人と踊れば踊るほど、俺たちがどれほど互いにぴったりくるかも実感させもらえるしな、それだけお嬢ちゃんと踊れる時の楽しみが増すってものだからな」

「はい、オスカー様…最後にオスカー様と踊れるのが、私も、とっても楽しみです…」

「俺もだ、お嬢ちゃん…」

誰とでも似合いに見えてしまうアンジェリーク。でも、アンジェリーク自身はそう見える中で、相手の男が俺・オスカーではないという事実に、違和感を感じて落ちつかない思いを抱いていた…俺が他の女性と踊って違和感を感じてたように…

そうと知って、オスカーの心の波立ちは一気に鎮まった。これなら後のダンスタイムも絶対無事にやりすごせる、そうオスカーは安堵した。

だって、互いに、他人と踊れば踊るほど、やはり俺には彼女しかいない、彼女には俺しかいない、と心の底から思わせてもらえるのだから。他人とのダンスで、俺とお嬢ちゃんの愛の強さを再確認させてもらえ、そして、さらに愛を強固にしてもらっているようなものなのだから。

だから、オスカーはもう嫉妬の情に自分が掴まることはない、と確信した。僅かばかり残っていた不安も綺麗さっぱり洗い流されたかのようで、今は清清しい気持ちだった。

自分が誰と踊っても、彼女が誰と踊っても、行きつく先は互いしかない。俺とお嬢ちゃんは互いに絶対に取替えはきかないのだと、わざわざ思い知らせてくれているのだと思えば、他人とのダンスもむしろあり難いくらいだ、とオスカーは余裕の笑みを片頬に乗せていた。

しかし、アンジェリークとオスカーが仲睦まじく微笑みながら囁きあっている光景を、苦虫を噛み潰したような顔で見据える紅玉の瞳があることを、2人は全く気付いていなかった。

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