ゼフェルは焦っていた。まったく自分の予想通りに事が進んでいなかったからだ。
最初は順調に思えた。
なにせクラヴィスのエスコートぶりはゼフェルの予想より遥かに上出来だった。
いつもの怠惰で気だるい雰囲気はどこへやら、アンジェリークが隣にいると、クラヴィスの無口さは大人の鷹揚さに、感情の出ない乏しい表情は落ちついた仄かな微笑に、あまり活動的でない様子も泰然自若とアンジェリークを見守っているように見えてしまうのだから、恐るべくはアンジェリークマジックである。穏やかな瞳でアンジェリークを見つめながらたゆたうように踊る様は、ゼフェルでさえ『なんつーか、あれはあれでみょーにキマッてみえちまうぜ』と思ったほどだった。
ここまでは確かに予定通り、いや、予想以上にいい出来映えだった。
自分の目からみても、これほど「さまになる」アンジェリークとクラヴィスの姿を見て、オスカーの心が波立たない訳はない。
以前のパーティーではアンジェリークが数曲守護聖と踊っただけで、嫉妬の炎全開でアンジェリークを無理矢理のように会場外に攫っていってしまったのだから。
クラヴィスが夫であるオスカーを差し置いて如何にもアンジェリークの公認パートナー然としている姿…実際公認パートナーなのだが…を否応なく見せつけられて、オスカーが平然としていられる訳がない。しかも、ダンスは断ってはいけないとの通達のせいで、アンジェリーク自身、次ぎから次ぎへと守護聖の申しこみが絶えないような状態だったのだ。これほどもてもてのアンジェリークを見たら、オスカーは嫉妬と焦慮にいてもたってもいられなくなり、絶対、ぜーったい、アンジェリークを途中で会場から連れだし、その燃え盛る激情の迸るまま、以前のようにかなり強引に不埒な行いに及ぶに違いない…
と思っていたのに、これは一体どうしたことだ。
最早、ダンスタイムはこの1回を残すのみとなってしまった。この最後のダンスタイムが終わればパーティー自体が終了してしまうというのに、オスカーは未だに全く動き出そうとしないではないか!
それどころか、オスカーはオスカーで、ずっと一般女性客とのダンスをやに下がった顔で楽しそうにこなしており、アンジェリークが誰と踊ろうとあまり気にしていないようなのだ。
アンジェリークは今は一般客と踊っている。最初は守護聖たちのダンスに気おされていた男性の招待客たちも、最後のダンスタイムとあってぼちぼち勇気ある者がアンジェリークやロザリアにダンスを申しこんでいた。女性客の『今、ここで守護聖様と踊っておかなければこんな機会はもう一生のうちに二度とないわ!」という勢いに引きずられ感化されてきたのだった。
そしてアンジェリークと踊ってもらえた一般客は、ホールドを解いて礼をした後も夢見心地で、アンジェリークの小さな手の感触などを反芻しながら「私はもう手を洗わない」とまで言っているのに、そんな一般客を尻目にオスカーは何ら拘泥する様子を見せずに、自分は自分で次から次へと相手を変えてダンスに興じているのだ。
かといって、アンジェリークとオスカーが互いに飽きたとでもいわんばかりに、他人とだけ踊っているのかというとそうでもない。ダンスタイムで2人は必ず一回は組んで踊っていたのゼフェルは見ている。そして、踊っている時は、ものすごく楽しそうに仲睦まじく微笑みあい、何事か囁きあっている。ということは、この機会になるべく配偶者以外と楽しく過ごそうなどという不真面目なことを、オスカーもアンジェリークも考えているわけでもないようなのだ。
なのに、オスカーはアンジェリークが誰と踊っていても余裕の笑みで、やはり普通の客とダンスを楽しんでいる。嫉妬も見せず、焦りも見せず…
『一体、どうしちまったんだよー、なんであんなにオスカーは落ちついてやがるんだ?……これはもしや軽めの倦怠期ってヤツか?』
とゼフェルは見当違いのことを考えはじめた。
そう言えば、あいつらも一緒になってもうどれくらい経つ?
流石にお互い余裕がでてきたのか、それほど互いに執着しなくなってきちまったのか、少なくとも他人とダンスを踊るくらいじゃ、ジェラシーファイヤーが燃え盛るほどの情熱は薄れてきちまったってことなのか?もし、そうなら…ぬかったぜ…どっちにしろ、これじゃ俺たちの計画はぱぁだ。どうする?このまま手をこまねいて諦めるか?それとも他のヤツらとのダンス以上にオスカーがどうしてもアンジェを攫っていっちまいと思わせるような何か別のファクターはないか?
ゼフェルが腕組みをしながら中空をにらんでいると、皿に料理をてんこもりに盛ったランディと、少年好みらしい女性からあからさまな秋波を投げられそこから逃げる機会を伺っていたマルセルが、いいところで出会ったと言う風にゼフェルに声をかけてきた。
「あ!ゼフェル、どうしたの?怖い顔して…」
「そうだよ、どうしたんだ?ゼフェル、難しい顔しちゃってさぁ。さては、誰からもダンスのお誘いがこないんだろう?俺なんかさっきからもててもてて…」
「ばっきゃろ!俺は興味ない女にいくら声かけられても嬉しくなんかねーよ!それでなくても香水の臭いで鼻がひんまがりそうなのによー…って、ちげーよ!俺はそんなくっだらねぇことで考えこんでいたわけじゃねー!今回でダンスも終わりだっていうのに、オスカーのやろうが全然暴走しそうにないから、どーしたもんかと頭をひねってるんじゃねーか!」
オスカーのジェラシーを煽り、最終目的はアンジェリークのやばやば画像を撮るために知恵を絞ることがくだらなくないかどうかはかなり疑問だが、ゼフェル本人は全く大真面目であった。
「あ!そうか!あっちこっちからダンスに誘われてそれに応えるのに精一杯ですっかり忘れてたよ、はははっ!ダンスタイムは踊りっぱなしなもんだから、おかげで俺食っても食っても腹へっちゃってさー」
「おめーの単純さがつくづくうらやましいよ、俺は」
「もうさー、やっぱり無理じゃない?この計画…最初から無理があったんだよ。流石に結婚して時間が経つと、あんな無茶苦茶なやきもちなんかやかなくなるものなのかもしれないし…大体いくらオスカー様がアンジェを会場から連れ出そうとしたって、そのアンジェ本人がうんといわなきゃどうしようもないんだから…」
「まぁなぁ…アンジェのやつは、あれで結構責任感が強いから途中で職場放棄なんて普通ならしねーもんなぁ………あれ?そういや、あの時、なんでアンジェはおとなしくオスカーに攫われたんだ…?」
一瞬の沈黙の後、ゼフェルとマルセルが同時に叫んだ
「(お)酒だ!」
「そうだ!僕、思い出したよ!どうやったかはよく覚えてないけど、オスカー様はアンジェリークにお酒を飲ませて、酔いを覚まさせるって名目でアンジェを会場から連れ出したんだよ!あれ、絶対わざとだ、って、僕、思ったもん」
「ああ、見え見えの手ぇ使いやがって…って俺も思ったぜ!よし、マルセル、諦めるのはとりあえず考えつく手を試してからでもおそくねー、というわけで、おまえ、アンジェに何とか言って酒飲ませて来い!」
「ええ〜?僕がぁ?やだよー、アンジェをダマすなんてボク、できないよー!」
「背に腹はかえられっか!アンジェは酒に弱い、一杯飲めば多分べろべろのふにゃふにゃだ。そんなアンジェをオスカーが放っておくわけねー、きっと会場から連れ出す。でもって会場から出ちまえば、こっちのもんだからな!なにせ、あのオスカーのことだ、人目がないとわかりゃー何をするか知れたもんじゃねー!いや、絶対しない訳がねー!」
ゼフェルのオスカー観はかなり偏向した思い入れで構築されているので、ゼフェル本人は自信満々である。しかし、それでもマルセルは渋っていた。
「やだったらやだよー、お酒を飲ませたのが僕だってわかったら後で恨まれちゃうもん…そんなに言うならゼフェルが自分でやればいいじゃないかぁ!」
「俺が酒飲ませちまったら、後つけるやつがいねーじゃんか、それとも、おめー、さりげなく音もなく後つける自信あんのか?」
「う…それは…で、でもさぁ、アンジェがお酒飲んだとしたって、オスカー様が会場からアンジェを連れ出すとは限らないじゃないかー、なにせアンジェを途中退場させたら辺境への島流し、しかも聖地では一ヶ月だけど下界時間で一年聖地に戻れないんだよ?オスカー様がそんなリスク侵すかなぁ」
「あ!そうか…アンジェを会場から連れ出した場合ペナルティがあったか!くそー!オスカーが今回慎重なのは、そのせいか?そりゃ、アンジェをおいて一年も島流しにされたらたまんねーもんなぁ…」
「そうだよ、やっぱりボクたちに悪巧みなんて、無理だったんだよ、もう、あきらめよーよ、ゼフェルぅ…」
「うー、ネタは惜しい、惜しいんだがなぁ…」
「あー、俺はもういいや、こんなにモテただけで俺十分幸せだったし、はははっ!」
「だから、おめーは単純でいいよなぁ…」
少年3人組は最早すっかり諦念の沈滞ムードに支配されていた。しかし、大広間の大石柱の影でこの3人の会話に耳を傾け、陰謀の予感に舌舐めずりをしている者がいた。
「オスカーを下界に放逐…そうでした、そんな楽しいペナルティがあったことを忘れていました、私としたことが…ふふふふ…」
リュミエールは若者たちの話を途中から耳に挟んだことと、ゼフェルたちが目的を明確には話していなかったため、その陰謀の全容を掴んだ訳ではなかった。
ただ彼らがやろうとし、しかし、どうも諦めつつある行動だけは十全に理解した。
そして目から鱗が落ちる爽快さと歓喜に打ち震えたのだった。
「私としたことが迂闊でした…愛らしいアンジェリークと踊れる喜びに満足し、あのケダモノがアンジェリークを独占できずに内心地団駄を踏んでいるであろう心境に溜飲を下げるだけで気が済んでいたとは…どうやら、アンジェリークのかわいらしさに毒気を抜かれていたようですね、ふふふ…」
リュミールはこの上なく楽しい夢想に耽り始めた。
まったく、オスカーの内心の地団駄を想像してこれみよがしにアンジェリークと踊っていただけで満足してしまうとは、私もヤキが回ったものです。
ゼフェルたちが何を目的に、アンジェリークを酔わせ、その上オスカーに彼女を攫わせようとしたのかまではわかりませんでしたが、確かに…オスカーがアンジェを会場から連れ出す現場を現行犯で押さえられれば、補佐官を強奪しようとした罪で、オスカーを1ヶ月の流刑に処すことができるではないですか…私としたことが、こーんなに美味しい罰則をうっかり失念していたとは…アンジェの公認パートナーはあくまでクラヴィス様ですし、クラヴィス様がそんなことをなさる訳がございませんから、念頭に及ばなかったのですね。私もまだまだ修行が足りません。
ゼフェル、感謝いたしますよ。こんな楽しい催しに気付かせてくださって…
私は謙虚ですから、年若いものの言でも良しと思ったものは、素直に採択いたしますしね、ふふふ…
オスカーが1ヶ月の島流し…想像するだけで歓喜のあまり、私は倒れそうです。オスカーが1ヶ月もの間、聖地にいなければ、アンジェリークに己の選択の失敗に気付かせる機会はいくらでもありましょうし、過ちは気付いた時点で如何様にもやりなおすことができるのだから、嘆くにはあたらないこともお伝えできましょう。
それでなくても、下界に1年も放置されていれば、あのオスカーが悪辣な遊蕩三昧に耽ることはまさに火を見るより明らかなこと…
そして、その証拠をいろいろとアンジェリークに提示できれば、限りなく清らかに美しい貴女に、あのケダモノがいかに相応しくないか納得していただけると思うのです。
ああ、その証拠を確実なものにするために、オスカーには下界にいる間の1年間、素行調査もつけねばなりませんね…ふふふ…
でも、それで自分の選択が間違っていたとわかっても、本当に嘆くには及ばないのですよ、限りなく純真で素直で汚れないあなたが、あのケダモノの姦計に嵌り正体を見抜けなかったのはあなたのせいではないのですから。邪悪な者ほど巧みに己の邪悪さを押し隠すものですからね。
気付いた時点で、真っ当な人間と、ええ、誰とは申しませんが私とかクラヴィス様とか…なんなら二人同時でもよろしいですが、お付き合いをやりなおせばよいのですからね…
アンジェリーク待っていてくださいね、あともう少しであなたの目を覚まさせてあげることができそうですよ…
あなたにほんの少しばかりお酒を召しあがっていただいて、少々気分を害してもらわねばならないのが心苦しいですが、これも大義と正義の為です…あなたを正しい愛に導くためなら私は敢えて鬼にも蛇にもなりましょう…
と、自分の主観としてはあくまで「正義」と「愛」ゆえの謀…と信じこんで、この夢想に酔いつつ、リュミエールはドリンクバーに赴き、徐にバーテンダーにこう注文した。
「あの…申し訳ありませんが、一見ジュースと見紛うばかりに甘く口当たりがよく、でも、召しあがったら一発で腰にくるような強烈なカクテルなど作っていただけないでしょうか?」
「は?…は、はい」
ドリンクバーのバーテンダーは、目の前の麗人からはあまりにかけ離れた注文に一瞬固まってしまったが、そこは仕事なのできっちり注文をこなす。ブランディーをベースにオレンジキュラソーとシロップと卵黄を加えて、見た目は果実風味のミルクシェイク、味もまろやかで甘くて口当たりのいい、が度数は40度近くという強烈なカクテルを作ってシャンパングラスに注いで差し出した。
「お待たせしました」
「ああ、見た目にも美しいオレンジゴールドで、いかにも飲み易そうですね、ありがとうございます…ちなみにあくまでこれは世間話としてお伺いしますが、このカクテルの度数は如何程ですか?」
「あ、はい、約40度です」
「それはそれは…いい仕事をしてくださいました…ふふふ…」
水色の髪の麗人は、嬉しそうにグラスを受取って滑るように優雅に去っていった。
『やはりご自身で召しあがられるのではないのか…』
その優美な後ろ姿を見送ってバーテンダーは、女性と見紛うばかりの男性でも、あんなカクテルを注文するのだなぁとこの世の不思議を感じていた。
みるからに魅力的なプレイボーイは酒の力など借りずとも女性を酔わせることができるので、こういった類のカクテルとは縁が薄いものだ。が、今の麗人はそういう人種より更にそういったカクテルには縁遠そうに見えたが…わからないものだな、いや、お客様の詮索は接客業にあるまじき姿勢だ…とバーテンダーは自分を誡めた。
リュミエールは大事そうにグラスを抱えて、フロアにいるアンジェリークの姿を探す。
いた。
ターンをするたびにふわりふわりと花びらのように広がるドレスと、なによりその愛くるしい笑顔は遠目にも間違えようがなかった。
折りよく音楽が終わったところだった。リュミエールはさりげなくアンジェリークがダンスを終えた立ち位置ににじり寄っていき、ダンスの相手と礼をして別れるのを待ち、アンジェリークが顔をあげた瞬間、いかにも今気付いたというように声をかけた。
「おや、アンジェリーク、お呼びが多くて大変そうですね」
「あ、リュミエール様」
アンジェリークは何の作為もなくにっこり笑ってその場に立ち止まった。ダンスを一休みするいい口実ができたと思ったし、見知った人と普通に会話できるのが嬉しかった。
守護聖と一通り踊り終わると、これが最後のダンスタイムということもあり、招待客たちもおずおずとアンジェリークに相手をしてもらいたがって話しかけてきたりダンスを申しこんできた。いくら仕事とは言え、初めて会う一般客の相手をするのは中々気疲れするものだ。その上、先方は補佐官であるアンジェリークのことをよく知っていて、同じ女王府で働く身とはいえ、隔絶された世界にすむ伝説の存在として神格化しているので、アンジェリークと対峙すると、人情としてどうしても妙にはしゃいだり、緊張してあがったりで、平常心で会話をしてくれる人がほとんどいないのだ。自分は当然の如く相手のことは何も知らないので、自分のような小娘が父親ほどの年齢の男性から崇拝し切った瞳で見つめられたりすると会話の接ぎ穂も難しく、ダンスよりもアンジェリークはそれが大変だなぁと感じていたところだったのだ。
「あなたは人気者なので、会場中から引っ張りだこですね。一休みする間もないのではないですか?」
「これが仕事ですから…それに、ダンスは切れ切れなので、その合間にちゃんと休憩してますし」
「でも、ダンスが始まってしまうと途切れなくお誘いがあって、喉がかわいても飲み物も取りに行く暇もないでしょう?ないですよね?」
「え?ええ、まぁそう言われればそうですねぇ」
「それはいけません、水分補給はきちんとしませんと身体に毒ですよ。十分な水分は健康のもとですからね」
「さすが水の守護聖様ですね、リュミエール様」
「いえいえそれほどでも…おお!そういえば、丁度私は飲みものを持っていたではありませんか!まだ口をつけておりませんから、どうこれを召しあがってください、また、お誘いがあると喉を潤す暇もなくなってしまいますからね、ささ、どうぞ、どうぞ」
「え、ええ…では、お言葉に甘えて…」
なんとなくこじつけくさい理屈といい、リュミエールにしては強引な勧め方といい、内心何か変だなと思ったものの、元来人の気持ちを疑う事を知らないアンジェリークは素直に杯を受取った。不透明なオレンジ色のミルクシェイクのようなそれを『綺麗な色だし、美味しそう…』と思いつつ素直に飲み干した。
甘くてとろんとして香がよくて美味しい…のに、飲み干した途端、ずしんっと何か重いものが胃の腑に落ちたかのような気がした。
「あ、あら…?」
直後に喉からおなか全体がかーっと灼けるような感覚が広がった。
「どうなさいました?アンジェリーク」
リュミエールがいかにも邪気のない微笑みを浮かべて話しかけてきた。
アンジェリークは遠慮がちに尋ねた。
「あの、失礼ですけど、これ、お酒入ってました?」
「ああ、それはアルコールが入っていたのですか!私は口をつけていないのでよくわからないのです…」
「あ、そうか、そうですよね、召しあがってないのだもの、ご存知ないですよね…」
「口当たりのいいものを…と頼んで作ってもらったものだったのですが、お口に合いませんでしたか?」
「あ、いえ、甘くて美味しかったんですけど、お酒が入ってたみたいだったので…私、あんまり強くないから…」
お酒が入っていたどころではないのだが、酒を飲み付けていないアンジェリークは、今のカクテルが度数の非常に高いものだということがよくわからなかった。リュミエールが自分にアルコール飲料を手渡すなどと想像だにしていなかったし、実際口当たりは甘くて飲み易かったから一気に飲み干してしまったし、そして、自分はアルコールに弱いからどんな酒だろうと強く感じてしまうのだろうと思いこんでいるので、客観的に自分がどれほど強い酒を飲んだのかわかっていないのだった。
リュミールはいかにも申し訳なさそうな顔をしたが、当然、アンジェリークの様子にうろたえたりはしなかった。
「ああ、これは申し訳ないことを…私の気が回らなかったばかりにあなたに迷惑をかけてしまい…気分が優れないのですか?誰か人でも呼びますか?」
一呼吸溜めてから、リュミエールは静かに言った。
「そう、オスカーでも…」
「あ、いえ、それには及びません。」
「え…?あの、オスカーを呼ばなくていいのですか?本当に…?」
「はい、こちらこそご心配をおかけして申し訳ありませんでした」
「そ、そうですか…そういえば、お顔の色も酔ったという感じに見えませんね…これは…計算外でした…」
「は?」
「あ、いえ、こちらのことで……」
リュミエールはかなり当てが外れて落胆していた。すぐにもオスカーを呼んでほしいと言われると思っていたからだ。何せ度数40のカクテルを飲んでアンジェリークが無事でいられる訳がない。そして、酔っ払ってふらふらのアンジェリークを見たらオスカーは速攻でアンジェリークを夜風にあたらせるとか言って会場から連れ出そうとするに違いない。その現場を抑えて騒ぎ立てればオスカーがペナルティを課せられるのは必定…と目算をたてていたのに…と。
だが、実際、アンジェリークの顔は紅潮もしておらず、あまり酔っているようには見えなかった。
『まさか…アンジェリークはあのケダモノに毎晩、晩酌にでも付合わされて、いつのまにかすっかりアルコールに強くなっていたのでしょうかっ!』
リュミエールの脳内を音声付きの妄想が一瞬走馬灯のように駆け巡った。
「オスカー様、おひとつどうぞ」
「うむ、お嬢ちゃんに酌してもらうと100倍くらい酒が美味くなるな…さ、お嬢ちゃん、返杯だ」
「じゃ、ちょっとだけ…」
「いや、考えてみたら返杯なんて間接キスだから、まだるっこしいな。いっそ口移しで飲ませてやろう、そうしよう、さ、お嬢ちゃん…」
「いやーん、オスカー様ったらぁ…んんっ…」
と、こんな場面を勝手に脳内で想像してしまったリュミエールのこめかみに青筋が立った。
『ええ、そうです、きっとこんな風にアンジェリークを酌婦のように扱っているにちがいありません、そしてこんなハレンチな行いを強要されるうちに、いつのまにかアルコールに馴らされてしまったのですね…かわいそうなアンジェリーク…しかし、もしそうだとすると、40度のカクテル一杯ではまだまだ手ぬるい、ということですね…?』
我知らずリュミエールはにたりと笑みを浮かべ
「では、私がお詫びと口直しに何かまたいただいてまいりましょう、ええ、もっと甘くて…もっと強烈な物を…待っていてくださいね、アンジェリーク」
というと、何食わぬ顔をしてアンジェリークの許を辞した。
「あ、リュミエール様、おかまいなく…」
というアンジェリークのセリフは当然聞こえない振りをした。
そしてアンジェリークが酒に酔った様子が見られたら、すぐにオスカーをアンジェリークのもとに向わせるために、オスカーの居場所を予め確認しておかねば、と思った。しかし、私がアンジェリークの気分が悪そうですよ、見に行ってさしあげなくていいのですか?なんて言ってもあの根性の捻じ曲がったオスカーが素直に私の言に耳を傾けるとも思えません、ここはオスカーが無条件に信用しそうなジュリアス様がランディにでもそれとなく耳打ちして動いてもらうとしましょうか…
などということを考えながら再度ドリンクバーに向ったリュミエールである。
そのリュミエールの背後では、当のオスカーがものすごく真剣な顔で、大股かつ決してスピードを鈍らせずに会場内の人ごみを器用にかき分けて一心不乱にある場所を目指して歩いていた。
彼の向う先に淡いピンクのドレスを着た華奢な女性が、呆然としたように佇んでいた。
アンジェリークは、じわじわと込みあがってきた気分の悪さにその場から動けなくなっていた。飲み干した直後は身体が熱いと感じただけだったのに、ほんの僅かの間にどんどん気分が悪くなっていた。
『ど、どうしよう…さっきはお腹が熱くなっただけだったのに、だんだん頭が痛くなってきちゃった…』
しかも、とてつもなく気持ちが悪い。吐き気はしないのが幸いだったが、胸のあたりが重苦しい。
アンジェリークは気持ちを落ち付けようと深呼吸して目を閉じた。途端に頭がぐるぐる回るような気がしてしまい、足がもつれそうになった。
「あ…」
『や、どうしよう、倒れちゃう…』
と思ったその瞬間
「おっと…間に合ったな…よかった…」
自分を何より安心させる低く甘い声とともに、身体が自然と馴染む大きな掌に腰を支えられたのがわかった。
「オスカーさま…どうして…?」
自分を心配そうに覗き込む氷青色の瞳に憂慮が見える。
「どうして…って、お嬢ちゃん、酷い顔色だぜ?気分が優れないんじゃないのか?」
「オスカー様…どうして…どうしてわかるの?」
アンジェリークは心の底から驚いた。自分だって今さっき、気分の悪さを自覚したばかりだというのに、リュミエール様だって私の顔色は変わっていないと言っていたのに、どうしてオスカー様にはわかったの?と…
「そんなの当然だ。お嬢ちゃん、俺は何をしていても、どんな時でもお嬢ちゃんのことはいつも気にかけている、だから、ほんの些細な変化もすぐに目につく。今も、遠目だったが、君の顔からすーっと血の気が失せていったように見えたんだ…で、気になって急いで来て見たら、案の定、頬に血の気がない…君がピンクの頬の時には見えない少しばかりの雀斑が頬に浮かんでいるから『なんでもない』なんて嘘は言うなよ?で、どうした?ダンスのしすぎで疲れたか?人ごみに酔ったか?」
「オスカー様…オスカー様ってすごい…」
アンジェリークは心の底から感嘆し、そして、『平気な振りをしなくていい』と言ってくれたオスカーの気持ちに感謝しつつ自分の事情を打明けた。
「あの、実は、私、間違ってお酒を飲んじゃったんです。綺麗な色のミルクシェイクみたいだと思って…そしたら、酔っ払っちゃったみたいで頭が今…がんがんのぐるぐるなんですー…う…」
「たった一杯でそんなになるなんて…一体何を飲んだんだ?お嬢ちゃんは…」
言うやオスカーはその場でアンジェリークにいきなり口付け、深深と舌を差し入れた。
「んむむむぅ〜」
アンジェリークはびっくりして瞳を見開いて硬直した。が、アルコールのせいで力が入らず抵抗できない。アンジェリークがなすがままだったので、オスカーは存分に…具体的にはたっぷり一分間ほど…口腔内を探った。
いきなりパーティー会場のど真ん中で濃厚な口付けを始めた炎の守護聖と補佐官の艶姿に、周囲の客たちが
「おおおぉ〜!」
と、どよめき、動きを止めた。
そして二人の周囲にはあっという間に十重二十重に人垣ができた。
紅玉の瞳の少年と、水色の髪の麗人も騒ぎを聞き付けてこの人垣の内に紛れていた。それぞれに、いつのまにか事態が自分たちの望みつつある方向に動いている気配を感じて内心小躍りしつつ、成り行きを見守っている。
しかし、オスカーは周囲のざわめきにも思惑にも全く頓着せずに、悠々とアンジェリークの口腔内を堪能し、その残り香から
『これは…かなり甘いがベースはコニャックにオレンジリキュールの香と…何にせよ、相当度数が強いな…』
と、アンジェリークが口にした物のあたりをつけた。そして、漸く名残惜しげに口付けを解いた。
「は…はふ…」
アンジェリークがやるせなげな吐息を零すと、それに呼応してつられたように周囲の観衆も「はぁ〜」とうっとりしたような嘆息を零す。野望に燃え盛る若干二名だけは想像上の拳を握り締めつつ、それぞれに邪な期待に満ちた瞳でその二人をみつめていたが。
だが、アンジェリークの容態を案じるオスカーは周囲の反応など意識するどころか視界にも入らず、アンジェリークだけを見つめて話しかけた。
「お嬢ちゃん、お嬢ちゃんの飲んだものは、多分相当度数の強いカクテルだ、お嬢ちゃんの気分が悪くなるのも無理はない」
「そ、そうだったんですか?」
「ああ、そんなに顔色が悪いんじゃ今も相当辛いだろう?陛下にお願いして暇乞いをさせてもらおう」
と、オスカーがアンジェリークに耳打ちをした。
何事か耳打ちしている二人を見て、若干2名がそれぞれの最終目的は違えど
『よし、そこだ!』
『アンジェリークを会場外に連れ出すのです!』
と、握った拳に更に力をいれたその時だった。
「何か騒がしいと思ったら、オスカー、いったい何事です?」
会場の一角でのざわめきに気付いたロザリアが人垣からついと前に進み出て、オスカーを冷たい瞳でねめつけた。騒ぎは許さないというオーラが全身から放散している。
「女王陛下、丁度良いところに…実は…」
オスカーはロザリアの威圧感など何も感じない様子で用件を切りだそうとした。その瞬間、いきなりアンジェリークがばっと、オスカーを庇うように前に出た。
「あ、ロザ…じゃない、陛下、なんでもないんです。お騒がせしてしまって申し訳ありません」
「な…何を言ってるんだ、お嬢ちゃん…いや、陛下、実は…」
「ダメ、ダメダメダメです、オスカー様!」
「何だっていうの、いったい…」
「本当になんでもないんです、すみません」
「お嬢ちゃん、だが…」
なおも言い募ろうとするオスカーの唇にアンジェリークの人差し指がつ…と触れた。オスカーは反射的に言葉を失った。
「あなたがそれほど言うならいいけど…」
ロザリアは釈然としなかったが、アンジェリーク本人に強硬になんでもないと言われてはそれ以上の詰問はできなかった。しかし、これを機に一応釘はさしておく事にした。
「いーい?オスカー、この補佐官に何か不埒な真似をして御覧なさい?現ホストじゃなくてもペナルティは適用されますからね…」
「不埒な真似とは一体なんのことでしょう?陛下…」
「ごほんっ!パーティー会場の風紀を乱す行為一般です、例えば公衆の面前での濃厚な口付けとか…」
「風紀を乱すような不届き者はこの会場内にはおりませんでしょうし、配偶者へのキスのような「あたりまえの行為」を禁ずるという通達はいただいていないと存じますが?」
ロザリアはぐっと詰まった。
「まあ、とにかく新年会もあと僅かです、最後までつつがなく勤めを果たすように、いいわね」
「はい!陛下」
オスカーが何か言おうとする前にアンジェリークが有無を言わさぬ良いお返事で会話を終了させた。
集まっていた観客たちも事態の収束を見て『なんだかよくわからなかったが、とにかく良い物を見せてもらった…』という思いを胸に三々五々散っていったが、その中の若干2名だけは
『陛下…来るのが早すぎるぜ!』
『陛下…いらっしゃるのが早すぎますっ!』
と心の中で怨嗟に満ちた地団駄を踏んでいた。が、無敵の女王のサクリアに弾かれ、そんな邪な怨嗟は当然ロザリアの足許もかすめなかった。
オスカーはいささか憮然として、だが、アンジェリークの体調を心から慮り、彼女を静かに壁際の椅子に座らせた。ラストダンスだというアナウンスと供に音楽が流れ始める。オスカーとアンジェリークは互いにラストダンスの予約を公言してあったので、2人の間に割って入ってくる者もいなかった。
「お嬢ちゃん、そんな真っ青な顔をしているくせに、なぜ、退出したいといわなかった?いや、俺に言わせなかった?」
「だって、だめだめだめー!そんなの絶対ダメですー!さっきのロザリアの言うこと聞いてらしたでしょう?オスカー様が私を中途退出させたがってるって見なされたらぺナルティになっちゃうんですよ!そんなことしたら、オスカー様が一年も聖地に帰ってこれなくなっちゃうかも知れないんですよ!そんなの絶対だめですー!…う…」
勢いこんで抗弁した拍子に目の前が暗くなって、ぐらりと身体が前のめった。そのアンジェリークの身体をオスカーはさりげなくサポートする。
「ほら…こんなに君は具合が悪そうじゃないか。そんな様子の君を俺は見過ごしておけん」
「だ、大丈夫です、あともう少しだもの、ガマンできます。幸い他の人は誰も気付いてないし…」
「だが、お嬢ちゃん…それは君がもともと色白だから、他のヤツには今、君の顔色が悪いとわからないだけだ。が、俺にははっきりわかるんだから、わかっている以上、放っておけるわけないだろう!今からでも遅くない、陛下に奏上してこよう、いざとなったら俺はペナルティなんて怖くない、君の体調の方が心配だ」
「オスカー様のお気持ちは嬉しいです…でも、やっぱりだめだめだめー!本当の病気じゃないんだし…それにオスカー様は私と長い事会えなくても平気?」
「う…いや…それは…」
「私は平気じゃないもの、オスカー様に聖地時間でも一ヶ月も会えないなんて…私の方が平気じゃないもの!私、私、寂しいのとオスカー様のことが心配なので死んじゃいますー、だからペナルティなんて平気だなんて言わないで!」
「お嬢ちゃん…」
「それに、それにね、私が早退しちゃったら、誰が次元回廊を開くんです?今日は、前のパーティーと違って聖地常勤の方ばかりじゃないんです。主星の女王府務めの方も一杯いらしてるんですもの。誰かが…いいえ、私が次元回廊を開かなくちゃいけないんです。そしてお客様がお帰りになった後は、それを閉じなくちゃならないんです。それが補佐官の仕事なんですもの。ロザ…陛下だってできるけど、でも陛下になんてさせられない。陛下には陛下のお仕事があるのだから…だから、私はきちんと補佐官の仕事をしなくちゃいけないんです。体調が少し悪いくらいで放り出しちゃいけないんです。だから…今日は絶対、早退はだめなの!誰にも何も言わないで、オスカーさま!私のためにも、私を連れ帰ったりしないで!もう、ダンスも終わりますし、後はお客様をお見送りするだけですもの、大丈夫、それくらい我慢できます。病気じゃないんだし、体調管理ができなかったのは私の不注意だし…その間に気分が治るかもしれないし…」
「わかった…君がそこまで言うなら…今は堪える。だが、君の具合が本当に悪くなったら、約束はできないからな?」
「は、はい…」
この時丁度音楽が途切れた。ダンスタイムも、もうこれで終わりだ。後は締めくくりの挨拶をして客を見送れば新年会も無事終了の予定である。アンジェリークはオスカーに支えられて立ちあがった。
ジュリアスが良く通る声で、来客たちの来訪に謝意を述べた上で、最後に女王陛下からのお言葉がある、と言った。そしてロザリアが後を引き取る。ロザリアは今後とも皆の一層の忠勤を望む、ただし、それは女王や守護聖個人への忠節と言う意味ではなく、宇宙全てをつつがなく支えていくのは、自分たち一人一人なのだという誇りと自負を持った上で聖地への忠勤を願いたい、というものだった。
その簡潔だが力強い弁舌の間に、クラヴィスがアンジェリークを探しにきた。
「ここにいたのか…アンジェリーク、陛下の挨拶が終わったらおまえは会場出口に次元回廊を開かねばならぬのだろう?そこで私たちは客を見送らねばならん、さ、急げ…」
「はい」
クラヴィスが手を差し出した。だが、アンジェリークが自分から手を載せるより早くオスカーがアンジェリークの手をとり、わざわざクラヴィスの腕に導いてやった。導きざまアンジェリークの耳元に
「いいか、足許が怪しかったら遠慮なくクラヴィス様によりかかれ、この方なら君など羽一枚ほどにも感じないだろう、とにかく無理はするな」
と小声で素早く言い含めてから、最後に
「堂々と俺が支えてやりたかったがな…」
と一言付け加えて、耳朶にさっとかすめるように口付けた。
アンジェリークは小さく頷くと、しゃんと顔を上げた。
もうロザリアの言葉も終わる。会場の扉近くに立ち、控えていた女官から錫杖を受取るとアンジェリークはそれで複雑な曲線を描き、会場出口のすぐ側に主星側の女王府庁舎内へと繋がる次元回廊を開いた。
その会場出口では、もう守護聖たちも一列になって帰る客を送りだす体制を整えつつあった。
クラヴィスと自分が出口の突端に並び立ち、その後を順次守護聖たちが立っていく。
そして、アンジェリークは、自分のすぐ背後にオスカーがさりげなく立ってくれたことに気付いた。咄嗟の時いつでも、自分を支えてくれる立ち位置だ…とわからないアンジェリークではない。オスカーの優しさが嬉しい、というより、自分の不注意からこんなにもオスカーに心配をかけてしまっていることが心苦しくてならなかった。
『ごめんなさい、オスカー様、心配ばかりかけて…せめて、きちんと仕事をします…補佐官としてはずかしくないように、炎の守護聖の配偶者として恥ずかしくないように…』
そう自分を奮い立たせる。次元回廊は一度開いてしまえば、後は慣性で維持できるので、後、力を使うのは閉める時だけでいい。
ぞろぞろと主星に帰る客たちが列を作り始めた。ホストとホステスに一言挨拶をしてから、次元回廊をくぐっていく。
しかし、この挨拶を受ける間に、アンジェリークの気分は更に悪くなっていった。軽い会釈とはいえ、忙しないお辞儀で、何度も頭を下げたりあげたりしたので、それでなくてもぐるぐるしていた頭は更に眩暈がひどくなってしまった。
目を瞑ると真っ直ぐ立っていられなくなりそうで迂闊に瞬きもできない。
客たちは順調に次元回廊を通りぬけ、主星に帰っていっている。
後少し、少しのがまんよーアンジェ、と自分に言聞かせていると、背中がじんわりと温んでくるような気がした。アンジェリークははっと顔をあげた。オスカー様だ、これはオスカー様のサクリアだ。後ろなので目には見えないがアンジェリークには感じられた。オスカーが掌にサクリアを集め、周囲にあからさまには気付かれないよう、そっとそれを接射してくれていることを。
『オスカーさま…』
オスカーの無言の支えに感謝しつつ、アンジェリークは客を見送る。
「本日はありがとうございました、いくらかでもお楽しみいただけたでしょうか…」と一人一人に声をかけながら。
そして、ついに最後の客が次元回廊をくぐった。
それを見届け、10数えてからアンジェリークは錫杖を優雅に回し、臨時で開いた次元回廊を閉じた。
「終わったわ…」
張り詰めていた心の糸がぷつんと切れたような気がした。同時に目の前がふぅっと真っ暗になった。だが、なぜか欠片も不安な気持ちは沸き起こらなかった。
「お館さま、後は私どもが…」
「いや、いい、これは俺の務め…じゃない、役得だからな」
優しい声、大好きな声、聞いていると身体も心も熱くなる…その声に身体を揺さぶられたような気がした。
「ん………」
いや、実際自分の身体は軽く揺れていた。すっぽりと大きな腕の中で、厚い胸板に首を預けて…
「あれ…?おすかーさま…?」
「目が覚めたか、お嬢ちゃん、丁度、家についたところだぜ」
「………え!うそー!」
アンジェリークは一瞬パニックに陥った。帰ってきちゃった?帰ってきちゃったの?じゃ、じゃぁ、オスカー様は私のせいで島流し?それに、私、きちんと仕事を最後までできなかったの?情けない、私ったら、情けないにも程があるわー!
悲しくて情けなくて泣きたくなったが、でも、泣いてる場合じゃないとも思いなおした。とにかく自分の不注意が招いたことだから、ロザリアにオスカーの辺境出張だけはなんとか取り下げてもらえるよう嘆願しなくては、と思ったのだ。
「お、おす、オスカー様、帰ってきちゃって、ロザ…陛下、怒ってました?もし、そうなら、私、これは私の不注意が招いたことで、オスカー様のせいじゃないって言ってきます、今すぐ聖殿に戻って、言ってきます!」
アンジェリークはオスカーの腕から降りようとしてじたばたした。
「うわったったた…お嬢ちゃん、いきなり暴れたら危ないだろう、落ち付け。ほら、もう俺たちの部屋についた。部屋に入ったら降ろしてやるから…」
オスカーはそう言うと、ドアノブを回しながら肩で扉を押しあけた。二人の部屋にはいると、ベッドの端にアンジェリークをそっと降ろす。だが、アンジェリークは泣きだしそうな顔で腰をもぞもぞさせた。
「だって、だって…急がないとオスカー様が島流しになっちゃうかも…それくらいなら、私がペナルティを受けます。きちんと仕事をできなかったのは私なんだもの…そう、ロザリアに言ってこなくちゃ…」
アンジェリークはこう言って、がばと立ちあがろうとした途端、オスカーに両肩を掴まれ、もう一度座らされた。
「おいおい、何を言ってるんだ?お嬢ちゃんは…もしかして、覚えてないのか?」
「は?」
「お嬢ちゃんは最後まできちんと補佐官の仕事を為し遂げたぜ?最後の客をきちんと笑顔で見送って、次元回廊も自分で閉じて…やるべき事を果した直後に気を失った…というかすとんと寝ちまったんだが…覚えてないのか?」
「………そ、そういえば…」
そうだ、頭がぐるぐるして気持ち悪かったが、それでも笑って最後の一人まで客を見送り、次元回廊を閉じた…それで気が抜けて…目の前が真っ暗になって…忘れてた…そして、今、気がついたら家の前だったから、てっきり…私ったらてっきり…
「やだ、私ったら…早とちりしちゃってごめんなさい…私、記憶が途切れてて…」
「そりゃ、そうだろう、今まで眠ってたんだからな」
「…て、やだ!私、あそこで寝ちゃったんですよね!それでオスカー様が家まで運んでくださったんですか!きゃー!ますますごめんなさいー!皆さんに迷惑かけたりしませんでした?私…」
「大丈夫だ。周囲には心配はいらないと俺が言っておいたし…聖殿からは馬車だから、俺が運んだのは大広間から馬車までと馬車からここまでだけだしな。気にしなくていい。君は羽みたいに軽いしな」
その時のことを思い出すとオスカーはつい笑みが零れてしまう。アンジェリークがすとんと寝入ってしまったその瞬間、オスカーはアンジェリークがいつ人事不省になるかわからないと用心していたから、アンジェリークの膝すら床につかせることなく、すぐさま身体を支えて抱き上げた。そして、穏かでゆったりとした吐息に耳を傾け、この意識の喪失は単に眠りに落ちただけだなとすぐさま断じた。激しい情事の果てに、アンジェリークが失神してしまった事も、とろんと夢見心地のまま眠りに落ちた事も、数限りなく見守ってきたオスカーには、呼吸の調子からこれは失神ではなく睡眠だ、とすぐに判断がついた。
だが周囲の人間には、そんなことは当然わからない。アンジェリークの突然の人事不省に守護聖たちは慌てふためき、色を失ってうろたえ、口々に心配を口にし、右往左往してアンジェリークを介抱したがった。特に、何故だか水の守護聖のうろたえぶりと、少年たちの騒ぎぶりが煩かったが、オスカーはきっぱりと全ての干渉を制し、アンジェリークには誰にも指1本触れさせなかった。そしてアンジェリークの頬を愛しげに撫でさすりながら
『気を張っていた役目が無事終わり、緊張の糸が切れたようです。もう新年会も無事果てましたようですし、ゆっくり休ませてやりたいので、妻を引き取ってもさしつかえございませんね?陛下…』
と余裕の笑みを浮かべながら、悠々とアンジェリークを抱いて連れて帰ってきたのだ。他の守護聖の視線を背中に浴びながら、こうしてアンジェリークを抱いて供に帰れるのは自分だけなのだという喜びを噛み締めながら。そして、その幸せを満喫すべく馬車の中でも、アンジェリークをずっと大事大事で片時も放さず抱きかかえていたのである。
そしてアンジェリークはアンジェリークで、自分が思ったほどの無作法をしたわけではなかったらしいと知って安堵の吐息をついた。
「よ、よかった…最後までちゃんと仕事できてたんですね、私…それにオスカー様にも迷惑かけずに…いえ、もう一杯心配も迷惑もかけちゃったけど、オスカー様を島流しにしないで済んで本当によかった…」
安心した途端に、我慢していた涙がぽろんと一粒零れた。でも、顔はにっこり笑ってオスカーを見上げる。心からの感謝と愛しさを瞳に溢れさせて。
「オスカー様、ありがとうございます。私が最後までお仕事できたのもオスカー様のおかげです。オスカー様がずっと見守っててくださったから。私にサクリアも下さったでしょう?オスカー様…あんなに心配かけちゃったのに…ごめんなさい、でも本当にありがとうございます…」
「あたりまえじゃないか、お嬢ちゃん、君が俺を辺境になんて行かせなたくない、ってあれ程強く願ってくれたんだからな…俺はその気持ちが純粋に嬉しかったし、それなら君を力の及ぶ限りサポートするのは当然だと思った。君の身体は辛かっただろうが…」
「あんなの!ちょっと気分が悪いのを我慢するのなんて、オスカー様にずっと会えなくなる事を思えばなんともありません!それに、それだけじゃなくて、私、中途半端に、無責任なことをしないですみました。それが凄く嬉しい…全部オスカー様のおかげです…」
「ああ、その件に関しては俺もちょっと反省している…」
「オスカーさま?」
「最初に言っておくが、俺は補佐官の仕事を軽んじる気は毛頭ない。むしろ周囲の調整役として、俺たちや陛下が執務しやすいような環境をいつも整えてくれている君の仕事は相当な苦労だろうと思う。だが、今日のパーティーは単なる義理の顔見せと顔つなぎ、有体に言って君が早退しようがどうしようが大過ない仕事と甘く見ていた。君の立場も考えず…」
「そんな…」
「君に『途中で放り出せない』って言われて俺は頭を殴られたような気がした。俺が守護聖の仕事を他人に肩代わりさせようなんて思わないのだから、君だって同じなのにな。君のひたむきさや、責任感を台無しにするところだった。すまない…」
「私…私はそんな偉い人間じゃないです。あの時だって…考えていたのは『炎の守護聖の配偶者として恥ずかしい真似はできない』そんな気持ちが一番強かったんですもの…」
「お嬢ちゃん…」
「私…それは補佐官のお仕事は責任感を以ってさせていただいてるつもりです。でも、今日に限っていえば…私のがんばりの半分以上はオスカー様に迷惑かけられない、オスカー様を辺境になんて行かせたくない、そんな気持ちが強かったから…それで、がんばれたんだと思います、だから、誉められたことじゃないかも…オスカー様、がっかりしちゃった?」
「いや…そんなことはない。何にせよ、君は最後まできちんと仕事を為し遂げた、それは立派だったし…それに男としての俺は君のその気持ちを聞いて天にも昇るほど感激してるぜ?」
オスカーはアンジェリークの隣に腰掛けると、愛しげに妻に頬ずりしながらこう言った。
「今度の新年会…初っ端からいろいろあったが、終わってみたら、全て俺たちには良い様に転んだな。君の熱烈な想いを知らされて俺は天にも昇る気持ちだし、お互いに他人と嫌ってほど踊らされたからこそ、二人で踊れた時は余計に幸せを感じられて嬉しかった…食わず嫌いで負けて君のパートナーに成り損なった時こそ青くなったがな…」
ここでオスカーはふと思い出したようにアンジェリークに問うた。
「そう言えば、お嬢ちゃんが「食わず嫌い克服ゲームが結果として良い事になるから、承諾したんだ」って言っていたのはこう言う意味だったのか?もし、ここまで見越して計画されたのなら、陛下の慧眼はまさに恐るべし…だな」
そして、もしそうならあのゲームの主旨が単なる「嫌がらせ」か「悪戯心」ではないかと、ロザリアの意図を疑った自分をオスカーは謙虚に反省しようと思ったのだが…
「あ、それは違うんです。もともとは、単純に守護聖様たちに好き嫌いをなくすよう努力してもらおうって主旨だったんです、あのゲームは…」
「は?なんだって?」
そこでアンジェリークは漸くあのゲームの主旨をオスカーに説明することができた。
「ロザリアは、守護聖様方皆さん、あんなに好き嫌いが多くては、結婚した時、家族が苦労するわよ、子供のしつけにもよくないわよって…」
「なんだって!お嬢ちゃん!子供ができたのか!それならそうと…」
「ち、ちがいますー!いつか遠い将来のことですよー!それに、私たちのことだけじゃなくて、皆さん、ただ単に好き嫌いをなくすよう努力しろと言っても聞かないだろうから、こういう機会でもあれば、少しは努力するだろうし、食わず嫌いも直るかもしれないからって」
「びっくりしたぜ…じゃ、なんでその主旨は内緒だったんだ?理由を尋ねても言わなかったよな?君は…」
「主旨を言ってしまったら皆さん真面目に取り組まないか、余計なお世話だって反発するかもしれないから、ゲームが終わるまでは内緒よ、って口止めされていたんです…あの、お恥ずかしいんですけど、私のエスコート役という景品があるほうが、皆さん真面目に好き嫌いをなくそうとするに決ってるって、ロザリアに断言されて…」
「うむ…まあ、確かにそうだろうな…」
「でも、私、そんな悪い条件でもエントリーしてくださるのは、正直言ってオスカー様だけだと思ってました…」
「お嬢ちゃん…」
「そしたら皆さん、義理立てしてくださったのか全員参加で…」
「……いや、それは絶対違…」
「?」
「いや、なんでもない…」
「で、私、その…オスカー様の…あの、好き嫌いをなくす切っ掛けになってくれれば、って思って実はちょっとズルしちゃったんです…」
「どういうことだ?」
「あの…聖殿のシェフに頼んでお豆のスープと、海老のカクテルのソースの味付けを少し変えてもらっちゃったんです。オスカー様好みの味付けに豆スープは変えてもらって、マヨネーズはライムとジンを加えると後口がよくなるって、私が調べてあったので…」
「俺が嫌いなものの割には、食べやすかったのはそのせいか!じゃ、なんでウチでもああいう味付けで出さないんだ?」
「オスカー様、出してたんです…私とシェフが研究してオスカー様でも食べられそうなお豆料理とかマヨネーズベースの料理を出していたのにオスカー様ったら、結構頑固だから、材料がそうとわかっただけで口もおつけにもならなかったじゃない?それで、シェフにもお手間を取らせてしまうだけなので、最近は諦めていたんです」
「そ、そうだったのか?」
「だから、味付けや配合次第では美味しく食べられるんですよ、ってオスカー様に知ってもらいたかったの。頭ごなしに「No」って言う前になんでも一度試してくださったら見方が変わるかもって思って…それでちょっとズルしちゃったんですが…で、二品まで頼んでたら時間がなくなちゃって、ポットパイまでは手が回らなかったんです…でも、結果はああだったので、やっぱり悪い事を企んだバチがあたったのかしら?って私、ちょっと反省しました」
「じゃ、お嬢ちゃんが良いことだって言ったのは、俺が嫌いなものへの偏見をなくす切っ掛けになるかもしれないって思ってのことだったのか…」
「はい、マヨネーズヘの認識が少し変わってくださるといいんだけどって…だって、私はマヨネーズベースの味付けも好きなんですもの」
「そいつはお嬢ちゃんに悪いことをしちまってたな…だが、確かに俺の認識は変わった。アレンジ次第では俺にも食えるってことがわかったからな」
「よかった…最初も…途中もどうなることかと何度も思ったりしましたけど、蓋を開けてみたら、結果は良い事ばっかりになりましたね。オスカーさま…」
「ああ、いろいろな結果に不満たらたらにならなかったのがよかったのかもな…それに、ありとあらゆる面で君がいかに俺のことを真剣に思ってくれていたのか、改めてよくわかった…君の仕事に対する真摯な姿勢にも感動したし…君を知れば知るほど、俺は君のすばらしさに夢中になっちまう…君がますます愛しく大切になる…」
「オスカーさま…私だって…オスカー様がいてくださるから、なんでもがんばれるの。オスカー様と二人で幸せになるんだって決めてるから、何でもできそうな気がするんです…」
「お嬢ちゃん…」
「オスカー様…」
2人は互いに引きあうように口付けた。だがオスカーはそれを深める前に一度唇を離し、心配そうにアンジェリークに訊ねた。
「お嬢ちゃん、そう言えば今は気分はどうだ?顔色は悪くないようがだ…」
「はい、オスカー様のお見立て通りです。少し眠ったらすっきりしました。今はぐるぐるしてません」
「じゃあ、遠慮はいらないな?」
にやりとオスカーが笑んだ。
「え…?」
と思った次の瞬間にはアンジェリークはそのままベッドに組み敷かれ、思いきりきつく抱きすくめられていた。
「ずっとお嬢ちゃんを思いきり抱きたくて、なのにずっと我慢させられていたんだ…その上、こんなにかわいいことを言われたら…もう、止まらないぜ?」
だが、アンジェリークは怯みも抗いもせず、きゅっとオスカーを抱き返してきた。
「オスカーさま…私も…私だって…ずっとオスカー様にぎゅーっと抱きしめてほしかった…」
「お嬢ちゃん…」
2人はもう言葉を発さなかった、互いに互いの唇を塞ぎあい、着衣を解きあい、忙しなく肌に唇を這わせあうことで精一杯になってしまったから…
同じ頃、聖殿の女王執務室では、ロザリアがエルンストの差し出した決算報告書に目を通していた。
「で、結果はどう?エルンスト」
「払い戻しを行った後も、これだけの純益が残りました。詳しくはこちらを…」
「んまぁ!思っていた以上の利益があがったわね!」
「はい、何せクラヴィス・オスカーという、連勝複式2−5の守護聖券はほとんど購入者がおりませんでしたので…おかげで万馬券…ごほんっ!万守護聖券が出ました。5−2のオスカー・クラヴィスはまだ購入者が多かったのですが…」
「手堅い単勝買いも…あらまあ、ほとんどオスカーの一点買いじゃないの!これはオスカー、女王府の皆からかなり恨まれたでしょうねぇ、ふふふ」
「大本命であったオスカー様の自爆により、大番狂わせが出ましたおかげでレースは荒れましたが、しかし、国庫としてはこの一回のレースでかなりの税収が手に入りました、何せ大半の購入者は外れた訳ですから…」
「で、レースの結果に物言いはつかなかったでしょうね。もちろんわたくしは八百長なんてしてないけど」
「はい、隠しカメラで、補佐官争奪杯・食わず嫌い克服選手権の様子は逐一女王府中に生中継されておりましたので…」
「ほほほほー!それならいいわ。わがままな守護聖には一矢報いられて私的には良い趣向になったし、誰が勝つかを公営ギャンブルに仕立てたおかげで国庫は潤ったし…わたくしったら何をやらせてもやっぱり天才ね!おーほほほほ!」
「陛下のご慧眼、恐れ入ります」
エルンストが慇懃に礼をした。
守護聖たちに食わず嫌い克服レースをさせようと思いついたロザリアが「これ、誰が勝つか、あてっこしたら面白いかも…」と思いつき、その思いつきが女王府あげての公営ギャンブルになるのは、ほんの一足飛びであった。
「でも、アンジェを勝ち取る守護聖を当てるのだけだと単純でおもしろくないわねぇ、確率だって9分の1だし…そうだわ…補欠も決めることにして、そうだわ、そうだわ!競馬みたいに、守護聖の聖殿執務室で番号を振って、より倍率の高い連勝複式で守護聖券を作ればいいんだわ!手堅い単勝買いの権利ももちろん残して…きっと、聖殿中、いえ、女王府中のかなりの職員が面白がって参加するはずよー」
とロザリアは予測し、守護聖たちに「守護聖のみ閲覧可」の通達の二枚目以降に、競馬新聞さながらに守護聖に番号を振った守護聖新聞を添付し、補佐官争奪杯・食わず嫌い克服王選手権で、どの守護聖がアンジェリークをゲットするかを大々的なギャンブルとして発布したのである。守護聖のみ閲覧可というのは、逆に守護聖には見せたくない資料の閲覧制限でもあったのである。
そしてロザリアの思惑は大当たりとなった。
女王府の役人と王立研究院の職員の大半が興味津々で、このギャンブルに参加した。一枚の守護聖券の金額は微々たるものであったし、最早人妻であるアンジェリークだが、未だに守護聖たちの人気者であるのは、女王府中知らないものはいなかったので、このレースが激戦になるのは誰の目にも明らかだった。ギャンブルに参加しなかった職員もレースの行方は生中継でつぶさに見ていた。
それでも、大半の守護聖券購入者は、手堅い投資として、オスカーの単勝買いを選んでいた。複数口購入したものも多かった。オスカーとアンジェリークのらぶらぶ夫婦っぷりは、聖殿中でつとに有名だったからだ。そして、もし、下馬評通りオスカーがそのままアンジェリークを勝ち得ていたら、守護聖券のあたり配当はせいぜい1、1〜1、2倍の低倍率に留まる筈だったし、女王府の国庫もほんの手慰み程度の、逆に言えばほんの洒落で通るくらいの収入で終わるはずだった。
それが、オスカーのほんの失言ゆえの自爆で、レースは大荒れ、万守護聖券が出た一方、ほとんどの守護聖券はただの紙くずになり、大半の購入者は損に泣き、女王府の国庫は多いに潤ったのである。
『でも、アンジェリークにはちょっとプレッシャーかけすぎたかしら…オスカーを辺境に飛ばすわよって、よっぽど脅しが効いたのかしら、緊張しすぎて、気が緩んだ途端失神するなんて…悪い事しちゃったかしらね…ま、でも、オスカーは心配ないって言ってたし…ホントにあの子の体調が悪ければあのオスカーが絶対右往左往するはずだから、多分、本当に大丈夫なんでしょう。それに、あの…アンジェが倒れた時、オスカーが抱きとめたタイミングの良さは…悔しいけど認めてやらないとね。あの子のそんな様子に、他の誰も気付いていなかったのだから…』
まさに敵ながら天晴れという気分のロザリアは、さらに、緊張を強いてしまったアンジェリークにどう埋めあわせをしてやったらいいか、考える。
『本当の埋めあわせは後でじっくり考えるとして、とりあえずあの子は明日は公休にしてあげようかしら…オスカーのせいで、今夜は…今夜もかしら?睡眠不足だろうからどうせ明日は出仕させても使いものにならないでしょうし。オスカーを休ませる口実はないから、オスカーは通常通り出仕させていいわね…アンジェにだけ公休の通達を出しておけば、いいでしょう。』
天晴れとは思っても、敵に塩を贈る気にはまだまだなれないロザリアである。例え国庫を多いに潤わせてくれたという功績があってもだ。
『それにしても、こんなに公営ギャンブルの旨味を知ってしまうと、これ1回こっきりじゃもったいないわねぇ…国営とか星営カジノを作る自治体の気持ちがよくわかるわ。また、公式度の高いパーティーのアンジェのエスコートは争奪戦&ギャンブルにしようかしら…今度は何でアンジェを競わせるか今のうちに考えておくのもいいわねぇ。おーほほほほ!』
と、かように女王陛下が物騒な計画を心の中で練っていることも露知らず、聖地一、いや、宇宙一幸せな夫婦は、お互いがお互いをいかに愛しく想いあっているか、相手に伝え合い、確かめ合う事に夢中であった。
「お嬢ちゃん、お嬢ちゃんはなんてかわいいんだ…今夜は…眠らせない…寝かせてやれそうにない…」
「あぁ、オスカー様、オスカーさまぁ…」
この言葉通りオスカーはアンジェリークの甘く柔らかく熱い身体を思う存分堪能し、アンジェリークをほとんど…具体的には明け方近くまで眠らせなかった。
翌朝、いつも通りの時刻に起床したオスカーは、昨晩の内に出されたらしいロザリアからのメッセージを受け取り、アンジェリークに公休が与えられたことを知る。
「ふ…陛下も粋なことをなさる。昨晩俺たちが燃えに燃えることも、その結果お嬢ちゃんが体力を使い果たすことも予想されていたとは…まさに女王の慧眼恐るべしだな」
と感心しながら、すぅすぅ安らかに眠っているアンジェリークを起こさないようにキスをして、オスカーはすっきり爽やかな顔で出仕した。
食わず嫌い克服選手権の通達を読んだ時、ロザリアが自分にいやがらせをしたのではないかと一瞬でも考えたことを、深く反省しながら。
FIN
久々のあまあまシリーズとなりました「Cocktail Trick」お楽しみおただけたでしょうか?
この作品は当サイト20万HITのキリリクだったのですがゲッターのLillis様からいただいたリク内容は
『補佐官アンジェで、陛下とオスカーの対決。そこに水様筆頭守護聖達が絡んできて話がややこしくなり、オスカー焼きもち。肝心のアンジェは渦中にも関わらずこの争いに気付いてない。最後は甘〜くvv』
という、まさにあまあまシリーズの王道をいくものでした(笑)
このリクを受けまして私が考えましたのが、補佐官アンジェということなら、私の一連のシリーズ物の設定そのまま使うとして(Lillis様ご本人が『甘い策略』や『B・S・Newyear』みたいな雰囲気がお好きとおっしゃっていたこともあって)となると、ロザリンのオスカーへの攻撃がいつもと同じ出張じゃ芸がないし、面白くない。で、考えたのが「女王命令による食わず嫌い克服」です。でも、女王がいくら女王権限を振りかざして「食わず嫌いを克服せよ」という大義名分を掲げてオスカーをぎゃふんと言わせたくても、何の理もない命令では守護聖たちも反発するでしょう。で、考えたのがアンジェを景品にするというご褒美付きのこの選手権でした。しかも、同じシリーズ物という背景があるなら、いっそこれを生かして直の続編って形にするのもありではないかと思って、新年会ネタをそのまま踏襲させていただきました。これこそシリーズ物の醍醐味と申せましょうか(笑)
でも、、今読み返すと、十全にこのリクにお応えできているか、ちょっと怪しいですね(爆)ロザリンVSオスカーは最初の1話がメインだし、他の守護聖さまも絡んできますが、結局オスカー様は、あんまりジェラシーファイヤーに掴まりませんし。
ただ、このシリーズ物は聖地ネタですし、聖地ネタとなると、私はどうしても守護聖としてのメンタリティを考慮してしまいますので、オスカーをまんま22才の青年とはどうしても描けないんです。例えばジュリだって聖地純粋培養で、ある面では世間知らずかもしれないけど、第一線で宇宙をずっと支えてきた執政者としては多大な経験を積んでいると思いますから、オスカーだって、守護聖として宇宙を支えている間にいろいろ得ている物がないわけはないだろうと思いますし(それは他の守護聖も同じ…だと思いたい・爆)
そして、私はオスカーは、子供っぽい部分は多少あっても、そんな自分も自覚している根本的には賢い(どちらかというと怜悧といってもいいくらい)人だと思っています(というか、そう思いたいという個人的な好みですが、あくまで)なので、経験からなにも得られない人間みたいには描きたくなかったんですね。それで、同じようなシチュエーションに追いこまれても以前とは反応の違うオスカーになったわけです。ある人に出会って、その人を好きだ、すごいと思うとやはり感化されたり、自分も少しでもお手本にさせてもらいたいな、なんて私は思うので、アンジェのどこまでも純粋な愛情に潤されてオスカーも人間として成長していくだろうし、アンジェはアンジェでオスカーを愛し愛されることで人間としても深みができてくるし、執務中のオスカーを見たりすることで、高校生からいきなり補佐官になってしまったアンジェも仕事の上での自覚も促されて成長していくと思うんですね。
私にとって、オスリモというのは「理想のカップル」なので、ちょっと人間として立派すぎるかもしれませんが、これが私のドリームなのです。コメディではあってもオスアンの根幹部分である二人の愛と互いを思うがゆえの高めあい(無意識ですが)というのは、私的にはどうしても譲れない線なのでした。
コメディとしての構成は、私の好きな「ロザリン一人高笑いオチ」です。3話でトトカルチョが行われているらしいと気付いた方も多いと思いますが、この流れは人情でしょう(笑)それでなくてもロザリン陛下は目端の利く有能なお方ですから、こんな楽しい催しを一石三鳥くらいに利用しないわけがありませんね。そこで、タイトルの「カクテルトリック」が生きてくるんですねー、いろいろな意味で掛詞になってます(笑)いや、本当にLillis様には良いタイトルをつけていただきました(平伏)ちなみにリュミ様がつくってもらったカクテルは実際にあるコニャックベースの甘口カクテルです。
敢えて明確なHシーンなしに、どれだけ甘くできるかというある意味チャレンジャーだったこの作品なのですが(笑)Hなくてもあまあま〜と思っていただけたら幸いです。