Diaspora 5


アンジェリークはオスカーが感情を爆発させて、そのあとそれを忘れてくれと言って部屋を出て行ってから、不安な一夜を過ごした。
オスカーは、またと言ってくれたが、ほんとうにオスカーが蟠りなく、自分と会ってくれるか心配だった。
もし、オスカーが来てくれなかったら、とにかく自分から会いに行こうと思っていたので、次の朝、オスカーが何ごともなかったかのように自分を訪ねてくれたときは本当に嬉しかった。
その日から、オスカーはなにか吹っ切れた様に、毎日自分の部屋に顔を出し、自分と一緒に過ごしてくれた。
オスカーと過ごす時間はアンジェリークにとって至福ともいえる、生まれて初めて味わうほどの喜びに満ちた時間だった。
オスカーといると時間は瞬く間に過ぎ、その間はオスカーの姿以外目に入らず、オスカーの声以外耳に響かなかった。
毎日会っても、会うたび嬉しくて、一分一秒でも長く一緒にいたかった。
夕暮れになっても別れたくなくて、ついマントの端をちょっとつまんで、オスカーの顔を見上げるとオスカーも柔らかく微笑んで、誰もいない聖殿のテラスに連れて行ってくれ、二人で夕空を眺めたりもした。
オスカーのことを考えていたら、夜遅くにオスカーが庭園に誘いに来てくれたこともあった。
アンジェリークは日に日にオスカーのことが好きになる一方だった。
でも、デートを重ねるに連れ、逆にアンジェリークは自分がこれからどうすればいいのか、日に日にわからくなっていったのだ。
オスカーは多分自分を嫌っていない。むしろ好かれていると思う。
毎日のように会いに来てくれるし、たまに手を握ったり、肩を抱いてくれることもある。
そのたびにアンジェリークは心臓が爆発するかと思うほどどきどきして、言葉を失ってしまうのだが、でも、オスカーは決してはっきりと彼自身の気持ちを言ってはくれなかった。
少なくとも今のところ。
アンジェリークはオスカーのそばにいたかった。
女王試験が終ったら、オスカーと離れるなんて考えたくもなかった。
でも、アンジェリークは女王候補として召還されたから、女王になる以外聖地に残留する方法といえば、みたところ補佐官職につく以外思いつかなかったのだが、
オスカー様と一緒にいたいから、補佐官にしてくれなんて言ったら、ロザリアやジュリアス様に怒られそうだし
かといって、オスカーと一緒にいたいからと言う理由で女王になりたいというのも、あまり大きな声で言える理由じゃないし、どうするのが一番いいのかしらと迷っている状態だった。
もし、オスカーも自分のことを特別に思ってくれているようなら、
オスカーのそばにいるにはどうするのが一番いいのかを、オスカーに聞こうと、聞けると思っていた。
オスカーが、はっきり言葉にしてくれなくても、黙っていても育成をしてくれるなら、女王になれということだろうし、
育成をストップさせているのなら、女王になるなということなのだろうと、判断できると思っていた。
なにせ、ほとんどの時間をオスカーとの逢瀬にとられていたので、アンジェリークは今自分でほとんど育成を行っていなかったから。
時たまオスカーは、自分は育成を依頼していない、というかオスカーと会っているからできないのに、自分の大陸にサクリアを送ってくれているのが、大陸の様子でわかったのでアンジェリークは、それがわかると、オスカーにお礼を言ったものだ。
礼をいうと、なにやらオスカーは曖昧な態度で言葉を濁していたが、
頼んでいないのに、サクリアを送ってくるということはオスカーは自分が女王になるのをやはり望んでいるのだろうと思い、
だったら、自分も育成をしようと思うと、
ロザリアに追いついた時点で、オスカーはサクリアを送ることをぴたりと止めてしまう。
では、やはり補佐官になればいいのかと思うと、またロザリアに丁度おいつくまでに、オスカーは勝手にサクリアを送って来るのだ。
これでは、オスカーが育成で勝って欲しいと思っているのか、負けろと言っているのか、アンジェリークにはさっぱりわからず
自分でも、育成を進めたらいいのか、止めたらいいのか、すっかり途方に暮れてしまったのだ。
オスカーの真意がつかめないでいるうちに、だんだんオスカーが自分をどう思っているのかも、自信がなくなってきた。
自分が聖地に残りたいと思うのは自分の独り善がりで、オスカー自身は自分とずっといたいなどと、思ったことはないのかもしれない。
今、自分と付き合う事は楽しんでいるみたいだが、それ以上のことは考えていないのかもしれない。
そうすると、今まであまり真剣に聞いていなかったし、気にもしていなかったオスカーがプレイボーイだという噂が急に気に掛かってしまい、
オスカーにとっては、キスですら挨拶などといううわさに、手を握ったり肩を抱くなんて、もう挨拶以前の会釈程度ということなのかと思ったら、もう、とても悲しくなってしまい、
その程度で自分が好かれているような気になってはいけなかったのかも、とアンジェリークはどんどん心が不安定になっていった。
自分はオスカーのことが好きと言う気持ちは確かだった。
が、少女らしい躊躇いや、羞恥、それに好きな人から告白されてみたいという憧れもあって
自分から気持ちを告白する勇気は、アンジェリークには、率直に言って、最初はなかった。
しかも、アンジェリークには真意を理解しかねるオスカーの行動のせいで、アンジェリークの心は小さく縮こまり、混乱もしていた。
今日もオスカーは自分に会いに来てくれた。
明日も会いに来ると言ってくれた。
だけど、やはり、自分の気持ちは言ってくれなかった。
オスカーを見送るとき、溜息が零れ落ちるのを押さえられなかった。
オスカーに自分がどう思われているのかは、いまやまったく自信が無かったが、
アンジェリークはこんなちゅうぶらりんな状態にはもう耐えられないという気持ちが、押さえがたく膨らんできていた。
この不安定さに、それが心に与える負荷に耐える事が辛くなってきた。
オスカーに、オスカーがどんなつもりで、サクリアを送ったりやめたり一貫性のない行動をしているのか、聞いてみたい。
なぜ、毎日のように会いに来てくれるのか、その理由を教えてもらいたい。
でも、なぜ、そんなことを聞くのかと逆に問い返されたら、アンジェリークは自分の気持ちを言わざるを得ないだろう。
それでもいい、むしろそうしたほうがいいと、アンジェリークはこのとき、はっきり思った。
自分はオスカーのことが好きだと、オスカーの事で、いつも胸はいっぱいなのだと、オスカーにきちんと告げよう。
そのうえで、オスカーが自分のことをどう思っているのかを、勇気を出して聞いてみよう。
オスカーにしてみたら、自分の想いなど、幼いままごとのようなものかもしれない。
笑われて、本気にされないかもしれない。
それでも、かまわない。
この想いを受けとめてもらえなくても、自分がオスカーを好きという事実は変えようがないし、自分がオスカーを好きになったことには、一抹の後悔も無い。
アンジェリーク自身はこの恋がかなうとは、あまり、いや、ほとんど思っていなかった。
それでも、恋をして、好きな人を思うときの胸を焦がす苦しさや、好きな人から微笑みかけられた時の、心を溶かされるような喜びを知ることができただけで、幸せだと思えた。
オスカーという人と出会えた事実、オスカーを好きになったその気持ち、それ自体が自分の宝物だと思った。
だから、自分のありのままの気持ちを伝えよう。たとえ、どんな結果になれ…
こんなに熱く、激しく、人を想う経験を与えてくれたオスカーに謝意の気持ちも含めて、勇気をだして、恋する気持ちを打ち明けようと心に決めた。
それに自分の気持ちにきりがつけば、自分はこれからどうしたらよいかということも、おのずと見えてくるだろうと思った。
オスカーが自分のことを特別におもってなくても、それでもやっぱり聖地にいたいと思ったらまた育成に励めばいい。
オスカーの贈り物のおかげでロザリアとの育成にほとんど差はないから、今からでも、十分女王位を目指すことはできる。
オスカーと顔を合わせるのが、最初はつらいかもしれない。
それでもやっぱり自分は聖地に残りたいと、オスカーをずっとみていたいと思うだろうというきがした。
だが、せっかくそう決心したその次の日から、アンジェリークはオスカーに会いたくても会えなくなってしまったのだった。

ドアのチャイムがなり、いつもの様にオスカーの来訪だと思って開けたドアの前にたっていたのはリュミエールだった。
一瞬失望が隠せないアンジェリークだったが、リュミエールのことが嫌いな訳ではないので、快く部屋に迎え入れた。
それに、ここのところオスカーとばかり過ごしていて、他の人と話すのは久しぶりだったし
昨晩の決心を即座に実行にうつさずにすんで、アンジェリークの心に一抹の安堵感が広がったことも否めなかった。
だから、アンジェリークは部屋で話したいというリュミエールの誘いを断らなかった。
リュミエールが帰った後、午後はクラヴィスが顔を出しにきたが、オスカーはその日結局アンジェリークに会いにこなかった。
次の日はくじけそうになる自分の心を励ましながら、アンジェリークは、自分からオスカーの執務室を訪ねた。
何度か大きく深呼吸を繰り返してから、意を決してドアをノックをしたのに、ドアの向こうはしんと静まり返ったままだった。
最近は、オスカーの方から訪ねてくれる事が多かったが、このドアをノックすると、いつもオスカーは優しい笑みを湛え、自分を部屋に招き入れてくれたのに…
アンジェリークは、オスカーの不在に張り詰めていた気が緩むと同時に、心に気ががりを覚えた。
一日の不在ならともかく、ここのところ二日続けてオスカーが不在だったことはない。
アンジェリークの心に真夏の雷雲の様に不安が沸き起こった。
他の守護聖にオスカーのことを聞いてみたが、不在の理由はよくわからないようだ。
オスカーが体調でも崩したのではないかと、心配でならなかった。
ジュリアスならオスカーのことを知っているかと思いジュリアスの執務室を訊ねたら
オスカーは仕事が忙しくて、その処理に集中するため、私邸にこもっているのだと教えられた。
仕事のかたがつけば、また聖殿に出てくるので、それまで炎のサクリアなしで育成を進めるように諭された。
アンジェリークは理由がわかってほっとした。仕事が忙しいのでは仕方ないと思った。
だが、オスカーの気持ちを確かめてない今は、やはり育成に励む気にもなれなかった。
すると、オスカーの不在を待っていたかのように、アンジェリークのところに、他の守護聖が毎日入れ替わり立ち替わりやってくるようになった。
アンジェリークは、オスカーの来訪が続いていた為、相手を確かめずドアをあける癖がついてしまっていて、
元々、みんなのことも好きだったし、部屋に招き入れるとやはり断りにくく
オスカーの不在に寂しい思いをしていたこともあって、アンジェリークは守護聖が誘いに来てくれた時はその誘いに応じた。
育成をする気にもなれず、かといって一人でいると気が滅入ってしまうので、アンジェリークは守護聖たちからの誘いにある意味救われたのだ。

オスカーが私邸にひきこもって、アンジェリークに会いに行かなくなったことは、狭い飛空都市のこと、あっというまに守護聖達にしれわたった。
ある日を境に、オスカーが、他のなにもかもにかかずらわなくなって、アンジェリークのもとに通い詰め始めたときがあった。
オスカーは毎朝、私邸からアンジェリークの部屋に直行し、アンジェリークを私物化してあちこちひっぱりまわしているようだった。
他の守護聖がいつアンジェリークを訪ねても、アンジェリークは不在で、その一方飛空都市のそこここでアンジェリークとオスカーが幸せそうに微笑みあっている姿をよく見かけるようになった。
もともとアンジェリークは、守護聖のみんなにかわいがられていた、いわばアイドル的存在だった。
それがオスカーの独断先行で、他の守護聖はだれもアンジェリークと楽しい一時を過ごせなくなってしまった。
だから、アンジェリークを一人占めしているオスカーのことを苦々しく思っていたのはもちろんジュリアスだけではなかった。
もっともジュリアスは執務と育成の停滞
ー大陸の発展と言う意味では、オスカーの尽力で停滞しているとはいえなかったが、勝負がつかないと言う意味で、女王試験は膠着状態に陥っており、今の状態はあきらかに停滞と言えたー
のことを憂いて、眉間に縦皺を刻んでいたという部分もおおきかったが。
守護聖たちはアンジェリークが嬉しそうにしていたから、おもしろくないけど、アンジェリークのために我慢してやっていたと言うのが本当の所だった。
しかも、オスカーの今までのプレイボーイぶりからは予想もつかないなりふりのかまわなさが、他の守護聖たちには信じられず
本気でオスカーがアンジェリークに夢中なのかどうか、興味津々で成り行きを見守ってるというところも多分にあった。
それが、これまたある日突然、一転して、オスカーがアンジェリークのもとを訪れなくなった。
『・・・破局』
というのが、事情を知るジュリアスを除く守護聖の共通理解になってしまったのはいたしかたないことだった。
ジュリアスも自分の腹心の職務怠慢は外聞が悪く、事情を話せばクラヴィス当たりに
「人の職務怠慢を槍玉に上げる前に、自分の飼い犬のしつけをしっかりと行うのが先ではないか?」
などと当てこすられてはたまらぬと思い、
ただ、オスカーは仕事に集中するために私邸にいるのだろうと、言葉を濁したものだから、
周りは余計にアンジェリークとオスカーの間になにかあって、オスカーは出てこられないのだと思ってしまった。
オスカーの過去の悪行がばれて、アンジェに愛想をつかされたのだとか、無理やり押し倒そうとして思いきりひっぱたかれたのだとか
いや、アンジェはオスカーの事が好きだったのだけど、結局はオスカーに相手にされなかったのだろうとか、
まことしやかな噂が守護聖の間に流れ、
ふったにしろ、ふられたにしろ、自分が傷心のアンジェを慰めてやろうと、守護聖の多くが思い、アンジェリークを次から次へと誘いにきた。
またアンジェリークが、オスカーと会うことが思うにまかせぬ寂しさから、たまに憂いに満ちた表情をみせたり、
ほぅと小さく溜息をついたりしたものだから、
その少しやつれた風情がなんとも大人びて艶かしく、アンジェリークのことをかわいい妹の様に思っていた他の守護聖も
恋の魔法にすっかりきれいに、艶っぽくなったアンジェリークの魅力に改めて気付かされ、虜にされてしまった。
もともとアンジェリークを憎からず思っていたクラヴィスやリュミエールは色めきだってアンジェリークに
いい香りのするキャンドルだの、女心をくすぐる宝石だのの、プレゼント攻勢をし掛けたり、
水晶球を見せたり、ハープをきかせたりという、
自分の得意分野で傷心(と思っている)のアンジェリークを慰めよう、癒そうとやっきになっていた。
アンジェリークは、直感的に人の心の機微を諮ることには長けているのに、これが、こと自分に対して向けられる感情には少々疎いところがあった。
それでなくても、今、心はいつもオスカーの事で占められていたので、自分に向けられた感情が婀娜めいた秋波を伴っているものだということにアンジェリークはまったく気がついていなかった。
だから、みんなの心遣いを嬉しく思いつつも、不可解に感じ、
『オスカー様に会えなくて私が塞いでるって、なぜ、みんなが知って慰めてくれるのかしら。
 私がオスカー様をお慕いしてるのって、そんなにあからさまに解るのかしら、はずかしい・・でも、それならどうしてオスカー様は、私になにも言ってくださらないのかしら。
まわりの方にもわかってしまうくらいなら、オスカー様にも私の気持ちがわからないはずはないんじゃないかしら・・
やっぱり、私の一方通行な片思いなのかな・・
オスカー様には、私の気持ちなんてご迷惑だから、気がつかないふりをなさってるのかしら・・』
などと、見当違いの悩みで、またブルーになってしまい、ますます他の守護聖の庇護心を煽りたてる結果となった。
誘いには応じてはくれるものの、外に連れ出して気分をもりたてようとしても、プレゼントをしてもアンジェリークの憂い顔は晴れない。
業を煮やした守護聖たちはアンジェリークの気を引こうと、サクリアをアンジェリークの大陸に怒涛のように送り始めた。

今日は土の曜日。土の曜日は聖殿はしまっているので、オスカーがまだ不在かどうか、アンジェリークには確かめようがない
アンジェリークはなるべくゆっくり身支度を整えていた。ちらちらと時計を気にする。
いつもなら誰かがチャイムを押しにくる時刻だが、今日もアンジェリークの待ち人の来訪はないようだ。アンジェリークは大きな溜息をついた。
のろのろとアンジェリークはチェストから何かをとり出した。
オスカーからもらった髪飾りだった。
しばらくじっとそれを眺めてから、アンジェリークは思いきったように軽く髪を結い上げ、それを髪に飾った。
オスカーの不在に寂寥感も限界に近かった。
少しでもオスカーに所縁のものを感じたくて、躊躇ったあげく、オスカーが今日もいないならと、思いきってこの髪飾りをつけてみた。
この髪飾りをもらった日、アンジェリークはオスカーの心の奥底にある孤独や寂しさに触れ、その存在に気づいてしまった。
オスカーが忘れてくれと言ったから、決して口にはださなかったが、アンジェリークはそれを忘れる事はなかった。
でも、この日にもらった髪飾りをつけることは、オスカーが忘れてくれと言ったあの日の出来事を思い出させることになるのではないか。
それは、オスカーとした約束の不履行と受け取られはしないか。
その懸念からアンジェリークはこの髪飾りはずっと仕舞っておいたままだった。
ほんとうはとてもつけてみたかったし、つけたところをオスカーに見てもらいたかったのだけど。
でも、今日もオスカーがいないのなら、つけてみてもいいだろう。
なにより、少しでもオスカーの存在を近くに感じたかったから。
手鏡をもって洗面所の鏡で合わせ鏡にし、髪飾りがきちんとさしてあるか確かめた。
若草色のリボンにピンクの花の蕾がちらばった髪飾りは、花冠みたいでとてもかわいかった。
「オスカー様、とってもかわいいです。私ににあいますか?」
鏡にむかって語るアンジェリークの瞳から涙が一粒だけ零れ落ちた。

部屋で鬱々しているよりはと思い、アンジェリークは、ものすごく久しぶりに大陸の様子をみに行って心底驚いた。
「・・・どうして?」
自分はまったく育成をしていなかったにもかかわらず、町が大きく発展していて、色取り取りの建造物が立ち並び、人口がとても増えているのが一目瞭然だった。
ロザリアの大陸ももちろん発展しているのだが、こちらはもっと穏やかと言うか、一週間育成に励んだら、これくらいの発展はするだろうという、予想できる範囲の真っ当な発展しかしていなかった。
なのに、アンジェリークの大陸は、この一週間で、優にその倍は人口が伸びているようだった。
もともとロザリアとはほとんど差がなかったのに、この一週間で、二つの大陸には大きな差が開いていた。
このまま倍倍ゲームが続けば、アンジェリークはほどなく女王位につくことが確定してしまうだろう。
「なんで?わたし、全然育成してなかったのに・・守護聖様がサクリアをくださったの?でも、どうして・・」
アンジェリークには、理由がわからなかった。
オスカーもそうだったけど、なぜ、守護聖が恣意的にサクリアを送ったり、引き上げたりするのか、その理由がアンジェリークにはまったく見当がつかなかった。
いや、今大事なのはその理由ではない。
理由などどうでもいいのだ。
肝心なのは、このままでは、自分が女王になってしまうかもしれないということだった。
女王になること自体は嫌ではなかったが、女王になる前にオスカーの気持ちだけは確かめたかった。
こんな気持ちのまま、オスカーのことしか考えられないような今の自分が、このまま女王になるなんていい事とは思えなかった。
自分の気持ちにけじめをつけるためにも、どんな結果になれ、オスカーの気持ちを確かめないうちは女王になれないと思った。
自分の大陸では育成の妨害を依頼する訳にもいかず、アンジェリークは祈るような気持ちだった。
「オスカー様、早くお戻りになって・・私のことはどう思ってくださっててもいいから・・お会いしたい・・」

「太陽がやけに黄色いぜ」
オスカーは日の光のまぶしさに目を細めた。
ほぼ徹夜あけの瞳に陽光が突き刺さる。
アンジェリークに早く会いたい一心で、ためにためていた書類の山の処理を今朝方終わらせたばかりだった。
僅かばかりの仮眠をとり、熱い湯と冷水のシャワーを交互に浴びて頭をすっきりさせてから
主のいないジュリアスの執務室の机上にその成果を届け置いてきた。
自分でもこんなに貯めていたかと思うほどの量だったので、ジュリアスもまさか一週間足らずで、処理が終るとは思っていないだろう。
とりあえず、これでジュリアスから横槍が入る心配はしばらくは無いはずだった。
書類を届けて一息つく暇もなく、オスカーはアンジェリークの元に向かう前に王立研究院に馬を走らせた。
自分がサクリアを送れずにいた間、アンジェリークがロザリアに大差をつけられているのではないかと、心配になって大陸の様子を見ようと思ったのだ。
オスカー自身は、もうアンジェリークの大陸にあからさまな干渉はしないつもりだった。
ただ、自分が不在の間、アンジェリークがどのように育成を進めていたのか気になった。
「・・・どういうことだ、これは・・」
大差をつけられていたのは、ロザリアの方だった。
アンジェリークの大陸は発展著しく、この分では、程なくして育成は完了してしまうのではないかという勢いだった。
そういえば、アンジェリークは自分が突然私邸にこもってしまったわけをしらない。というか、言う暇がなかった。
これは、自分が誘いに行かないから、思い切り育成にはげめたということか。
やはり本当は女王になりたかったのだろうか。
オスカーは目の前が真っ暗になりかけたが、はたと、これは育成にしては発展の度合いが急過ぎる事に気付いた。
女王候補に許された力の権限だけで、これほど急激に育成が進む訳がない。
自分は一ヶ月も二ヶ月も留守にしていたわけではないのだ。
『誰が、俺のお嬢ちゃんの気を引こうと、サクリアを送ったんだ?』
と注意して見れば、もう、他の守護聖の力がほぼ揃い踏みで、どれが突出してということはないが、強いて言えば闇と水の力が強いというところか。
良くみると、光のサクリアも結構な量がある。
オスカーは、自分以外の守護聖がアンジェリークを女王にしようとする強い意思を感じた。
皆よってたかってアンジェリークを女王にしたがっているように見えた。
オスカーは、ジュリアスが自分が不在の間にアンジェリークを女王にしてしまおうと目論んでいたのではないかとさえ、勘繰った。
それだけ、皆アンジェリークに聖地から去ってほしくないと思っているのだろうか。
短絡的だな、とオスカーは思う。
聖地にいてくれたって自分のものになるわけではないのに。
いや、自分のものにする勇気もないが、アンジェリークに去られるのも辛いという、どっちつかずの臆病ものの結論か?と
冷笑的な気分になって、すぐ、オスカーは自戒した。
自分だって同じではないかと・・
ロザリアとの均衡を保とうと、アンジェリークの大陸から自分の力を引き上げてしまったら、
自分が、アンジェリークの事を何か悪く思っているというような、さらに無用の誤解を与えかねないから、アンジェリークの大陸に自分は妨害をしかけることはできない。
かといって、このまま、手を拱いて見ていたら、本当に彼女は遠からず女王になってしまう。
恋を楽しむなどどうそぶいているうちに、本当に大事なものを失ってしまったら元も子もない。
例え手に入らなかったとしても、それが手を尽くした結果ならまだ諦めもつくだろうが、自分はまだ、アンジェリークに自分の気持ちを告げてさえいないのだ。
もう、猶予はない。
どんな結果になれ、彼女が女王になる前に、自分の気持ちを伝えなくては。
そして、彼女がやはり女王になる事を選んでも、自分はそれを応援しよう。
サクリアをできる限り贈ろう。
平常心でできるかどうかはわからない。
が、そうしなくては、と思った。
少なくとも、彼女を見守り支えていく事は許されるのだから。
オスカーは心に固い決意を抱いてアンジェリークの部屋に向かった。

寮の裏手に馬をとめ、アンジェリークの部屋のチャイムを押す。
しばらく待ったが返事がない。
ドアノブに手をかけると、鍵は開いている。
一瞬躊躇ったが、オスカーの心はもう待ったなしの状態だった。
ここで引き下がったら、また告白する勇気を一から養わなくてはならない。
「お嬢ちゃん、はいるぞ」
と声をかけながら、オスカーはアンジェリークの部屋に入った。
「お嬢ちゃん、いないのか?」
やはり、返事はない。
どうやら、本当に留守のようだ。
オスカーはどっと力がぬけてしまった。
意気込んできた分、肩透かしを食った脱力感も大きかった。
そういえば、今日は土の曜日だ。
大陸の視察にでも行ってしまったのだろうか。
一度帰ろうかと思い、すぐ、思いなおす。
視察ならそんなに時間はかからないだろうし、とにかく一刻も早くアンジェリークに会いたかった。
そして、アンジェリークに自分が育成に干渉していた訳を話して、自分の気持ちをきちんと伝えなくてはならない。
オスカーはこのままアンジェリークの帰りを待つことにした。
アンジェリークの部屋の椅子に腰掛ける。
途端に、猛烈な睡魔に襲われた。
ほぼ連日の徹夜に加え、アンジェリークの不在に緊張感がどっと緩んで、どうにもこうにも瞼を開けていられなくなってしまった。
『寝ちゃいかん・・・寝ちゃ・・』
と思ったときは、オスカーは底無しのように深い眠りに引きづり込まれていた。

大陸の視察から戻り、遅い昼食を済ませてから自分の部屋に帰ってきたアンジェリークは部屋に入った途端思わず悲鳴を上げそうになった。
誰か、自分の部屋にいる!
だが、すぐに、そのもえるような髪の色を目にして、アンジェリークは別の意味で悲鳴を上げた。
「・・・・オスカー様っ!」
オスカーはアンジェリークの声に、椅子の上で一瞬苦しそうに眉根をよせてみじろぎしたが、すぐまた静かになってしまった。
その間、オスカーの氷青色の瞳が開かれることはなかった。
アンジェリークがそっとオスカーのそばにちかよると、すうすうと安らかな寝息をたてている。
自分の悲鳴にも目を覚まさなかったところをみると、相当疲れているようだ。
アンジェリークは、オスカーは仕事がたまって忙しいというジュリアスの言葉を思い出していた。
『オスカー様・・もしかして、お仕事を終えて、真っ先に私のところにいらしてくださったの?』
自分に都合のいい解釈は後で辛くなるだけかもしれないと思いつつ、アンジェリークはこのオスカーの疲労困憊ぶりについ、こんなことを思ってしまい、期待に胸が震えてしまう。
オスカーは椅子の上で熟睡している。
本当ならベッドに寝かせてあげたいところだが、アンジェリークにオスカーの体を持ち上げられるはずはなかったし、誰か人を呼ぶのは論外だ。
だからそのまま、オスカーの寝顔を飽かず見つめていた。
今日のオスカーは黒のドレスシャツにマントを羽織っただけの軽装だった。
氷青色の瞳が閉じられていると、オスカーの印象は普段より少年ぽく、さらに優しくかわいらしくさえ見える。
高く通った鼻梁、形のいい口は軽く閉じられており、その造作の妙に見惚れてしまう。
意思の強そうな顎のラインと逞しい首筋にアンジェリークは大人の男を感じて、なんだか胸が熱くなってくる。
「あっ、そうだ、お風邪でも召したらたいへん・・」
冷えると体に毒だと思い、アンジェリークは自分のベッドの上掛けをオスカーの体にかけてやった。
一瞬オスカーは体をよじったが、再びすぅっと寝入ってしまった。
アンジェリークはオスカーの寝顔を見ながら
『オスカー様、目を覚まして私がいたら、なんておっしゃるかしら。』
と思ってわくわくしながらずっと待っていたが、オスカーは一向に目覚める気配がない。
もはや時刻も夕刻で、そろそろオスカーを起こさないとまずいのではないかとアンジェリークは心配になってきた。
オスカーが夜遅くになっても、いや、それどころか朝まで目を覚まさなかったらどうしよう。
晩生で世間知らずのアンジェリークでも男性が自室に泊まるということが、どうまわりから見られるか、その意味くらいは知っていた。
こんなことがジュリアスあたりに露見したら多分大変なことになる。
自分のではなく、オスカーの立場をアンジェリークは気にしていた。
ぐっすり眠っているオスカーを起こすのは忍びなかったが、オスカーがジュリアスから叱責を受けるようなことになったら大変だと思い、意を決してアンジェリークはオスカーに声をかけた。
「オスカー様、オスカー様、起きて下さい」
オスカーがうっすらと目をあけた。だがその瞳は焦点があっていない。
「嫌だ・・いい夢を見ているんだ・・起きたくない・・」
「もう、オスカー様、何をいってるんですか」
「お嬢ちゃん、なんでそんなに遠くにいるんだ・・さっきまで俺の腕の中にいたのに・・さ、もっとこっちにおいで・・」
オスカーが突然腕を伸ばし、アンジェリークの体をぐいと抱き寄せ、自分の胸の上にのせるようにしてそのままきつく抱きしめた。
「もう離さない・・愛してる・・そう言ったじゃないか・・アンジェリーク」
その言葉が終ると同時に、アンジェリークの唇はオスカーのそれに覆われた。

オスカーは深い眠りの中で、自分の周囲にアンジェリークの気配をそこここに感じていた。
アンジェリークの部屋で眠っているのだから当然と言えば当然なのだが、眠りの国にいるオスカーはそんなことは意識していない。
オスカーはアンジェリークの香りやアンジェリークがいつも醸しだしている穏やかで柔らかな空気を感じながら心地よい眠りにたゆとうていた。
畢竟見る夢はアンジェリークのことばかりだ。
夢の中でオスカーはアンジェリークに何のためらいも葛藤もなく愛していると告げ、アンジェリークもそれが既定事実であるかのように、オスカーの胸にその身を投げ出してきた。
自分の体がほんのりと暖かく、自分がアンジェリークを抱いているのか、アンジェリークに自分が抱かれているのか定かでない。
全身がアンジェリークのやさしさに包みこまれているようで、こんな安らいだ気持ちは感じた事がなかった。
何度も何度も、オスカーはアンジェリークに、愛している、もう離さない、ずっと俺のそばにいてくれと繰り返した。
そのたびにアンジェリークは頷いて微笑み、オスカーのことを包む込むように抱きしめてくれた。
オスカーは至福の境地にいた。
自分の体が薄桃色の綿菓子に包まれているように、周りは、甘く暖かく柔らかかった。
望む事はこんなに簡単で単純なことだったのに。
なぜ、こんな簡単な事を言い出せなかったのだろう。
言ってはいけないような気になっていたのだろう。
自分の魂の根源が望む事をオスカーは無意識のうちに夢の中で行ったいた。
夢の中ではアンジェリークもオスカーが望む通りに愛を与えてくれた。
すると、アンジェリークの声がどこからか聞こえてきた。
アンジェリークは自分の腕の中、いや、自分がアンジェリークの腕のなかか?にいるのに、もっと離れたところから声が聞こえる。
しかも自分に起きろと言っている・・ということは、これは夢か・・どうりで上手く行きすぎると思った・・オスカーは落胆した。
だったら、なおさら夢から覚めたくない・・今、この至福だけは自分のものだ・・アンジェリーク、なぜ、そんなに遠くにいる?
俺のそばにいてくれといったじゃないか、もう離さないと言ったじゃないか・・その体を抱き寄せる・・
しなやかで華奢な感触・・今度は俺が抱いているんだな・・君の体を・・夢なんだから、いいよな・・唇に口付ける・・・
柔らかい、甘い君の唇・・もっと味わいたい・・もっと感じたい・・舌を差しいれ口腔内をまさぐる・・
「・・つぅっ!」
突然自分の舌に走った鋭い疼痛にオスカーの意識は一気に覚醒した。
目の前にこぼれそうに大きな翠緑の瞳があった。

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