汝が魂魄は黄金の如し 25

祭りの日であろうとも、なかろうとも、守護聖の仕事自体にかわりはない。

オスカーは今日、朝には力の補充を依頼され、午後にはオリヴィエとの協力育成に呼び出され…そして、オリヴィエの予想通り、育成は上手くいった…その後は、今夜の宮殿の警護についてのジュリアスとの打ち合わせがあり、1日は瞬く間に過ぎていった。

ジュリアスはオスカーに向い『最近、護衛をそなた1人にまかせっきりで、大義であったろう。今宵は私が宮殿に詰めるので、そなたもたまには息抜をするといい。せっかく陛下が出してくださるオーロラだ。一緒にみたい相手がいるのではないか?遠慮せずに出かけるといい。』と、機嫌のいい様子で話しかけてきた。

協力育成は着々と効果をあげている。この分なら期限の115日以内に封印を破ることができるかもしれないという、今までにない明るい見通しがジュリアスに軽口を言う余裕すら与えているようだ。

オスカーは、ジュリアスの提言に恐縮した風を装い、謹んでお言葉に甘えさせていただきますと礼を言って辞した。

実際にはオーロラを見あげるとしても宮殿の周囲をそれとなく巡回しながら1人で見ることになるだろうと思っていた。

それを別に寂しいこととは思わない。

コレットやレイチェルを息抜させてやる保護者の役目を買ってでてもよかったが、先日セイランたち教官がコレットに目をかけてくれているらしいことを聞いたので、今夜はその必要もあるまいと思った。義理や義務でするエスコートより、相手と心から楽しみ、また楽しませようとするエスコートの方が、する方もされる方も充実した時間が過ごせることだろう。

今日は忙しくてあまり街の様子に注意を向ける暇がなかったが、道すがら周囲を見渡すと、街には祭りの前特有の、どこか熱に浮かされたような雰囲気がそこかしこにたゆたっていた。

祭りの本番は夜だというのに気の早い物売りは、人の集まりそうな所を狙って店を開いている。

このふわふわと浮き立つような、踊り出したくなるような非日常の感覚…これがあるから、人間は替り栄えのしない日常を営々と営んでいけるのかもしれない。

もっとも、自分たちは、今、この地に召還されていること自体が非日常の極みだ。こんな非日常はできればもう願い下げにしたいものだ。この地の住民たちもこの事件が無事に解決した暁には替り栄えのしない日常がいかに脆く、貴重な物であるかを身をもって実感するだろう。平和とは、何の前触れもなしに、一瞬で取り上げられ、磐石と思われた守りもあっけなく崩壊することもあるのだと、俺たちが戦争時に思い知ったように。しかし、そのありがたみがわかるのなら、住人たちにとってこれは決して無駄な経験にはなるまい。だがそれも、無事に次元の狭間から脱出できなければ元も子もないのだが。

時刻は最早夕刻である。日没まであと30分弱と言った頃だろうか。もともと長身のオスカーの影が長く歩道に伸びている。

誰かを誘う当ても、その気もないオスカーの足は無意識のうちに宮殿に向う。それに気付きオスカーは苦笑した。どうも、夕刻はアンジェリークの許に顔を出すのが既に習い性になっているようだ。それは、オスカーにとってアンジェリークの顔をみることは、胸の痛みや今の軽い気まずさよりは、やはり喜びの部分が大きいからだろう。

アンジェリークはオーロラを出す準備をしているのか、体調はいいのか、無理はしていないかなど、彼女の様子が気になる。ジュリアス様が宮殿に参内なさるのは、完全に日が没してからの筈だから…今、ジュリアス様がいらっしゃるまでは、俺がアンジェリークの側で彼女の精神集中を邪魔する物がないよう、見守りに行ってもばちはあたるまい。

自らにわざわざ理由を言聞かせてから、オスカーは今度は意識して宮殿に足を向けた。

 

ロザリアの所にまず顔を出し、今夜はジュリアス様が俺に慰労休暇を与えてくださったので、後でジュリアス様ご自身が夜の護衛にいらっしゃると告げた。ロザリアは当然というような顔で頷いた。それを見て、オスカーはもしやロザリアもジュリアスとアンジェリークの仲は知った上で、それとなくサポートしているのかもしれないと思った。そう考えれば先日ジュリアスが参内した時に彼女がジュリアスとアンジェリーク双方の様子を自分に根堀葉堀詮索した訳も納得できる。

「じゃ、オスカーは今夜は久しぶりに羽が伸ばせて嬉しいのではなくて?」

「ふ…麗しの補佐官殿こそ、オーロラ見物のエスコート役は最早手配済みか?」

「私のことは関係ございませんでしょ。それよりオスカーこそ、ここぞとばかりに女性からお誘いが引きもきらずあるのではございませんこと?」

「これはこれは過分なまでの評価、ありがたく頂戴しますが、最近ワーカホリックな俺はすっかりレディたちの評判が悪くてね。」

オスカーはにやりと笑うと、すぐ真顔に戻った。

「とりあえず陛下に今夜の護衛はジュリアス様がいらっしゃることをご報告してくるがいいか?」

「ええ、そうですわね。」

鷹揚にロザリアが頷いた。

ジュリアスが今夜宮殿に来る事は、アンジェリークもオスカーも、そしてもしかしたらロザリアも既定の事実と知っていても、対外的にはさも、今日突然決ったかのように振舞わなくてはならない。これも、秩序を保つ為の儀式だと思う、そして、しなくてはならない儀式なら、後はなるべく美しく無駄なく潔く行うのが上等というものだ。

そんなことを考える内に、オスカーはアンジェリークの執務室に着いた。部屋のドアをノックしながら

「陛下…」

と声をかけようとした途端、その場に固まってしまった。

アンジェリークが瞳を閉じて何かを念じるように一心に集中していた。しなやかな指先が時折、風変わりな印を結ぶ様に動く。その仕草はエキゾチックで魅惑的な南国のダンスを思わせる。

同時に、アンジェリークの背には翼のイリュージョンが浮かんでいた。この翼はアンジェリークのサクリアが発動する時に、たまさか本人には無自覚のうちに現れるものだ。強く集中するサクリアは本来目に見えないエネルギーを人に視覚的な圧力として感じさせることがある。それが女王の場合は翼の幻影となって現れることが多い。彼女の翼は背に近い部分は白金色に輝き、先端に近づくにつれおぼろな真珠色にグラデーションとなって色味を変えていく。羽の輪郭は中空に溶け入るようで目を凝らして見ようとすればするほど、ようとは知れない。

全身で祈りを捧げているようなその姿は敬虔で神々しく、この上なく美しかった。

世辞ではなく、オスカーはアンジェリークの翼以上に美しいものを見たことがないと思う。そして、彼女の翼は、彼女の魂が目に見えるならこういう形を取るだろうという、魂の具現化そのものだと思う。

透き通るようにどこまでも清浄でいながら、眩いほどに輝き、しかし、その光は暖かく穏やかで、目をくらませ他を圧して退けるような強圧感はない。

その翼の幻影にオスカーは魂を抜かれたように魅入られていた。ただただ黙ってその夢のような光景を見つめ続けた。この瞬間、鼓動も呼吸も瞬きも忘れているようだった。

しかし、見つめ続けていると、時折翼の輪郭がゆらゆらと揺らめいて、その輝きもふっと色が抜けたように褪せる瞬間がある。アンジェリークのサクリアは当たり前だが十全の状態ではないからだろう。それが、単純なサクリアの過剰な放出の負荷ゆえなのか、いまだふさがりきらない心の痛手故なのか、これだけでは判断のしようがなかった。

オスカーにわかったのは、アンジェリークの翼は涙の出るほどに美しいということ。しかし、今、その美しさはいつ脆く崩れるかわからない危うさと隣合わせであること。オスカーの心中に彼女の翼をしなやかに強く保つために、俺にできることを精一杯しなくては、という決意が欠ける所なき感動の心とともに並び立つ。

オーロラよりも何よりも、これほど美しく、この世の物ならぬものを見られる至福にめぐり合えたことに謙虚に感謝の気持ちが湧き、この美しさを守れずして、何が守護聖よとの思いがふつふつと湧くのだった。

アンジェリークがほぅと小さく吐息を漏らした。途端に幻影の翼は中空にかききえた。後にはきらきらと光ながら舞い飛ぶ羽の残像…その幻の羽毛もシャボン玉よりも儚く跡形もなく消えていく。

アンジェリークの集中が途切れたのをみとり、オスカーはわざと大きめなノック音を再度響かせ、自分の存在を知らしめようとした。

「陛下…」

夢から覚めたようなアンジェリークの瞳がオスカーに向けられた。その瞳に一瞬迷いが走ったが、それは大きな恐慌には繋がらなかった。

「あ、ああ、オスカー…?なの?」

探るような物言いは、精神の集中からまだ意識が戻り切らないからだろう。オスカーは意識してゆったりと落ちついた口調で、優しく諭す様にアンジェリークに語りかけた。

「はい、本日はジュリアス様から俺に息抜せよとご厚情賜り、おかげで今夜はお役ご免となった旨を報告に参りました。今宵はジュリアス様が陛下のおそばに控えてくださるそうです。」

アンジェリークはほっと詰めていた呼気を吐き出した。オスカーの顔をまともに見られず、伏し目がちに視線はさ迷う。

「わざわざ報告に来てくれたの?ありがとう。オスカーは、ここの所、ずっと宮殿につめっきりだったものね。小さなものだけど、最近霊震が休みなしだったから…オスカーも気の張り通しで疲れているのではなくて?多分…だけど、今夜はオーロラが見えると思うから、オスカーも見に行ってね?上手く出せるかどうかわからないのだけど…」

「今…陛下がなさっていたのは…オーロラを出すためのサクリアの調節ですか?」

「やだ…見ていたの?声をかけてくれてよかったのに…」

アンジェリークの頬がぽっと染まった。

「複雑な動きをなさっていたので、集中を乱してしまってはいけないと思いまして。」

「あ…あれは…私、頭に思い浮かべるだけじゃサクリアの流れが上手くイメージできないから、勝手に手が動くみたいなの。今夜はバリアをわざとでこぼこにしなくちゃならないから、あっちを出っ張らせて、ここをへこませて、でも、その凹凸が規則的にならないように…これが結構むずかしいの。かなり意識しないとすぐ、でこぼこなのに整然とならんじゃうの。乱反射させるためには、なるべく無秩序な方がいいらしいのに…」

「今は、サクリアを調節なさってませんね?ということは、一応ご自分で納得いく形にバリアを歪められらたのですか?」

「目には見えないからはっきりはわからないけど、多分…あと少しして日が沈んだら、オーロラが少しづつ見えてくると思うの、その時、あまりはっきり見えないようだったら、もう1回調節してみるわ。夜想祭の開催時刻自体は日没から1時間後になっているから…その方が空が暗くて綺麗に見えるらしいから、それまでに調節できればいいかなって思って。」

「では、俺はあなたの集中を妨げる物がないよう、ジュリアス様がいらっしゃるまでおそばに控えておりましょう。」

「え?だって、誰かを誘いにいかなくていいの?あの…せっかくジュリアスが解放してくれたんだもの。気を使わないでね、無理もしないでね?」

「陛下こそ、お気遣いくださいますな。今はまだ執務時間中ですから、俺は俺の為すべきと思うことをするだけです。夜想祭の刻限前には遠慮なく退出させていただきますから。」

「そう?じゃ、今、オーロラが出たら形がおかしくないかどうかオスカーも遠慮なく言ってくれる?」

「俺のセンスと審美眼を信頼してくださっているのですね?陛下は人を見る目がおありだ。」

オスカーの軽い口調にアンジェリークは思わずくすくすと笑みを零した。

今この時もオスカーの提言をアンジェリークは忘れた訳ではない。忘れるはずもない。そのことは常に意識のどこかで考えていることだ。だから、ついオスカーに対し態度が硬く緊張しがちになる。そんなアンジェリークの緊張をほぐす様にオスカーは故意に気楽な口調で話しかけてくれているような気がする。

オスカーはアンジェリークを急かしたり、返答を迫るような言葉は決して言わないし、態度にもそのことは微塵も感じさせない。その自制心と忍耐力にアンジェリークは驚きと、改めて感謝の念を禁じえない。

オスカーが軽い気持ちで…どう転んでもいいくらいの気持ちであのことを提言したのなら、拘りのない、むしろ、そのことを忘れているような態度も納得いくが、オスカーの人となりを考えればそんなはずもない。

その大らかな態度は務めて意識的なものだとアンジェリークは確信している。それが自分に重圧を与えない為、自分の出す結論になんであれ影響を与えないためであることが、アンジェリークにはよくわかる。そのオスカーの果てないほどの優しさは、自分がいくら結論を先送りにしても、許してもくれるだろう。しかし、だからこそ、この優しさに自分は誠意をもって応えなくてはいけないとも思う。思ってはいるのだが…いまは、まだどちらに進むかが…選ぶための決定打が見出せないのだった。

「そろそろ日没ですね。」

オスカーの穏やかな言葉にアンジェリークも頷く。

「まだ空が明るいからはっきりは見えないと思うけど…だから、手直しするなら今のうちが目立たなくていいかなって思って。オスカー、中庭に一緒に来てくれる?」

「謹んでお供させていただきます。」

アンジェリークはオスカーと供に仮宮の小さな中庭に出た。

空を見上げれば、地平に接した太陽はまだ残照も力強く、夜の帳は控え目に自らの出番を待って空のほんの片隅に顔を覗かせている程度だ。しかし、平坦なこの大陸は太陽が完全に隠れた途端に夜の帳は迅速かつ大胆に裾を翻してあっというまに蒼穹の全てを覆い尽くす。その前にオーロラが本当に出ているかどうか、アンジェリークは確認しておきたかった。

「ああ…陛下…あれが…そうですね?」

オスカーが指差す先を追う様にアンジェリークも空を見上げた。

おずおずと恥らうように現れたばかりの夜空を従えて、緩やかな光のドレープが幾重にも天空から降り注いでいるのが見えた。まだ茜色の部分が多い空の中で、ドレープの輪郭は曖昧で色味も鮮やかではない。オスカーに指摘されなければアンジェリークにはまだみつけられなかったかもしれない。しかし、確かにそれはオーロラの発現らしかった。

「よかった…ちゃんと見える…」

アンジェリークは心の底から安堵していた。理屈だけなら上手く行く筈だった。でも、なんと言っても自然を相手に手を加えることに100%の保証はない。この地の民もオーロラの出現を心待ちにしているというし、いくら最初の動機は自分のためだったとしても、上手くオーロラが出なかったら民たちがどれほど落胆消沈するかを考えたら、どんなに拙いものであってもオーロラを出してあげたかった。

だからこそ、不備があればやり直しができるように、早めの時刻からサクリアを調節して見え方を確認したかったのだ。

「今はまだ空が明るいですから、あまりはっきりとは見えませんが間違いなくオーロラはでていますね。」

「形は綺麗にでてる?空中全部覆い尽くすようなドレープが出る様にもっとバリアを歪ませたほうがよくないかしら?」

「いえ、まだ明るい空でこれだけ見えるということは、完全に日が没すればその全容は今の2倍くらいに見えるでしょう。これで十分だと俺は思います。暗くなれば恐らく輝きや色彩の変化ももっと鮮烈に見えると思いますし。」

「そう?オスカーに見てもらってよかったわ。私一人だったら、はっきり見えない事に慌ててしまって、バリアを歪ませすぎて、かえって形が崩れちゃったかもしれないもの。」

「いえ…陛下のお気持ちの現れですから、このオーロラは。美しくならないわけがない。俺も長年生きていますが、オーロラを見る機会というのはそうそうあるものではありません。すばらしいものを見せていただけて感謝の念に耐えません。」

「や…やだ、オスカー、そんなこと言わないで。だって…私は自分のためにこのオーロラを出したかったんだって知ってるでしょう?そんなこと言ってもらうには及ばないわ。」

「しかし、このオーロラのおかげで、民は…そして俺たち守護聖も希望を胸に育み、より堅固な心を持てるでしょう。そしてそれは陛下のお力とお気持ちあればこそです。その本来の動機は大した問題ではない…もたらされる結果が良き物であるなら、それは賞賛も感謝も受けるに値するのです。もっともこれはあの極楽鳥の受け売りですが。」

アンジェリークに悪戯っぽく微笑みかけるとアンジェリークもつられたようにほっこりと微笑んだ。

「ええ、オリヴィエがそう言って後押ししてくれなかったらこんな事実現させられなかったと思うの。もし、帰る時にでも、オリヴィエと会えたら私がお礼を言ってたって伝えておいて。」

「あいつなら…それこそ、言われるほどの事はしていないと言いそうですがね。綺麗なものを皆で見られて皆が幸せな気持ちになるなら、それでいいじゃない?とかなんとか…」

「ふふ…確かにオリヴィエなら言いそうね。オスカー、あなたもだけど…オリヴィエも優しいから。どうしてこんなに優しいの?って言うくらい、皆私に優しくしてくれて…私こそ感謝してるの。このオーロラで少しでもその御返しができたらいいなと思っているのだけど…」

「陛下、それは…あなたが俺たちの忠誠と信頼を捧げるに相応しい方だと、俺たち自身が思っているからです。守護聖は女王に絶対無二の忠誠を捧ぐべし…それは守護聖として当然の姿勢かもしれませんが、俺たちも馬鹿ではないし、感情もある。俺たちは…少なくとも俺は、自分の意志で…守護聖の義務だからという理由であなたに忠誠を捧げているのではない。そして、そんな俺たちが陛下にために何かできること、陛下の望む所を何らかでもお助けすることができたら…これに勝る喜びはないのです。俺たちは…あなたのために何かできることがある…そう思わせてもらえることこそが至福なのです。」

「オスカー…」

「そろそろ夕闇が迫ってきました。一度部屋に戻りましょう。ジュリアス様やロザリアが陛下をお探しになって心配しているといけませんから…」

「あ…ああ、そうね…」

オスカーはアンジェリークを落ちてくる夜の帳から守る様に部屋にエスコートした。

借り物の時間も間もなく終わる。彼女を本来のナイトにもう託さねばならない。ジュリアスはまだ来ていないようだったが、もう程なくこの部屋に現れるだろう。

「ところで陛下…補佐官殿は誰かとオーロラを見にでかけるのですか?」

「ロザリア?それがね…ふふ、どうもオリヴィエから誘われてるらしいの。はっきりとは言ってくれないのだけど。」

「ほう…あの極楽鳥もなかなかやる…」

「私もね、ロザリアはどうするのかなって気になっていたから、よかったって思って…」

「ええ…そうですね。」

きっと…オリヴィエはアンジェリークが気がねなくオーロラを見られるようにと、それと、ロザリア自身の気持ちを慮って誘いをかけたのだろう。あの極楽鳥はそういう所にお節介なほど気が回るからな。あまりそうとは周囲に悟らせないが。

「それならあいつがロザリアを誘って連れ出したら陛下は宮殿にお一人になってしまいますね。ジュリアス様がいらっしゃるまで、お邪魔でなければお傍に控えさせていただいてかまいませんか?」

アンジェリークはオスカーの言葉に『それはオスカーに悪いわ』と即座に言いそうになったものの、改めて考えなおしてみた。オスカーは護衛の責任者である立場上こう言うのは当然だろう。そしてロザリアも自分を決して一人にはすまいと決めているようだ。ということはジュリアスが宮殿に来てくれるまで、私が一人になってしまうと思ったらロザリアは誘いが来ても出かけられないだろう。でもジュリアスが来るまではオスカーがいてくれるってわかったら、きっとロザリアも安心して出かけられる。

「私のほうはありがたいお申し出だけれど…オスカーがいてくれるってわかれば、ロザリアも気がねなく出かけられるだろうし…でも、オスカー、ほんとにいいの?」

オスカーは申し訳なさそうなアンジェリークに物柔らかな笑みを浮かべた。

「では、ジュリアス様がいらっしゃるまで褒賞にコーヒーの一杯でも所望できますでしょうか?」

「あ!気がきかなくてごめんなさい。今、カプチーノを抽れるわね、待ってて。」

ぱたぱたと気ぜわしく立ち働き始める。こうして何か単純な作業に没頭していれば余計なことを考え過ぎて神経過敏にならないですみ、ありがたいとアンジェリークは思う。

『あ…まさか…』

そう考えて、オスカーはわざと自分にコーヒーを所望したのだろうか。まさか…でも、オスカーなら…

コーヒーメーカーから湯気が立ち上る。

自分はオスカーの気持ちのように暖かいコーヒーを抽れてあげられるだろうか、と思いながらアンジェリークは手を動かしていた。

 

ぎりぎりまで残務処理を行っていたので、ジュリアスが仮宮に着いたのは日没後30分もした頃であった。

本当はもう少し早目に宮殿を訪いたかったのだが、日々あがってくる協力育成のデータ解析をそのままにしておくわけにもいかなかった。今夜はどうあってもアンジェリークと供にいる、そう彼女と約束した。そのために未処理や未解析のデータを残す訳にはいかなかった。万が一データの不備ゆえエルンストあたりから確認や質問が来て自分の居場所を詮索される愚は犯せないし、何より邪魔をされたくはない。

もうすっかり日は沈み、夜空には既にアンジェリークのバリアの調節のおかげで作り出されたオーロラが光のドレープを十重二十重にひらめかせている。

アンジェリークがきっと待っている。急いた足取りでまっすぐにアンジェリークの私室に向った。

ノックもそこそこに部屋のドアをあける。

「陛下、遅くなりました…」

「ジュリアス!」

アンジェリークが少女の様に駆けよってきた。

「陛下、では俺はこれで失礼致します。」

凛とした、それでいて物柔らかな低い声音にジュリアスは一瞬虚をつかれた。

「オスカーではないか。来ていたのか…」

何故、ここにオスカーがいるのだ?今宵は私が宮殿に詰めると言っておいたはずだが…という疑問は続くオスカーの言葉にすぐ解消された。

「はい、ジュリアス様がいらっしゃるまで、陛下をお一人にすることは躊躇われましたので…」

「あ、ああ…そうか…そうだな、そなたの懸念はもっともなことだ。今宵は祭りで街中が浮ついているから、油断から警備が手薄になるところだった…そなたの目配りはさすがだな、オスカー、だが、私が来たからもう、ここは大丈夫だ。そなたもせっかくの陛下のお気持ちだ。オーロラを堪能するといい。」

「は…。では、これにて…陛下、陛下ご自身の願いが叶いますように…俺も祈っています。」

「ありがとう、オスカー。オスカーもいい夜を…」

アンジェリークの前に跪いて一礼してから、音もなく立ち上がりオスカーは退出していった。

オスカーの長靴の鋭い音が遠くに響くのを待って、ジュリアスはアンジェリークに向き直った。

「アンジェリーク、遅くなってすまなかった。迂闊にもオスカーに言われるまで、私が遅くなればそなたが一人になってしまう時間が生じる可能性に気付いていなかった。夜想祭と言うことは…ロザリアも出かける可能性があることも。すまぬ。」

「あ、ええ、でも、オスカーがいてくれたおかげでロザリアにも出かけてもらえたし…ロザリアも私の補佐でほとんど宮殿につめっきりだから、せめて今夜くらい自由に外出してもらいたかったから、本当に助かったの。」

「あれがそなたを守る騎士として信頼に足るのは、こういう些細に見える部分にも注意を怠らない点だな。」

「ええ…本当にオスカーは私によくしてくれるわ…本当に…」

アンジェリークの噛み締めるような言い方にジュリアスは胸が僅かに痛んだ。オスカーがアンジェリークを風にも当てぬほどに守ろうとするその献身の意味をアンジェリークはわかっているのだ。ジュリアスだとて同じほどかそれ以上に強く彼女のことを案じてはいる。しかし、自分はアンジェリークの傷に気付かぬ振りをしているから、オスカーのように表立って直接彼女を守ってはやれない。それはもどかしく胸の痛むことだが…自分は自分のできることでアンジェリークを支え包んでやるしかないのだ。

「その点私のほうがよほど気が回らぬな。今もそなたとの時間を作ることばかり考え、他が見えていなかった。重ね重ねすまぬ。」

「でも、私はジュリアスのその気持ちも、うれしい…私と夜一緒にいてくれるために、今までお仕事していたのでしょう?そして間に合う様に、一生懸命来てくれたんでしょう?あの…ここに来る時にオーロラは綺麗に見えた?」

「自分ではまだ見ていないのか?」

「あ、夕方にちゃんと出てるかどうか、見え方を少し確認しただけなの。だから、暗くなってからはまだどんな風に見えるのか知らないの。」

「もう中空に一杯に広がっていたぞ。ありきたりな喩えだか、まさに光のカーテンとでもいうのか…あれをそなたの力が作り上げたというのは…例え理屈を知っていても、やはり私は賛嘆の気持ちが抑えられなかった。」

「ジュリアス…」

潤むような瞳で見上げられ、ジュリアスはアンジェリークを安心させる様に頷いた。

「ああ、2人で見よう、そのために私はここに来たのだから…だが、そのままではだめだ。何か羽織るものを持ってこないとな。夜露は体に毒だ。」

「ジュリアスったら…お父さんみたいよ?」

「そなたが鳥肌など立てたら、かわいそうで見ていられないからな。オーロラどころではなくなってしまうではないか。」

その言葉に微笑みながらアンジェリークは大判のストールを持ってきた。些か憮然として、それでもジュリアスはそっとアンジェリークの肩を抱き、2人は寄り添って中庭に出た。

柔らかに萌えそろう下草を踏みしめ、丹精された花壇の側のベンチに腰掛ける。

以前雪祈祭の時、二人で雪を見あげた同じ木のベンチだ。

「寒くはないか?」

「あ、平気…雪を降らせた時みたいに冷えこんでいないから…でも、もっと側に行ってもいい?」

「ふ…そなたを側に寄せたいのは私の方だと…わかっていて言っているな?」

ジュリアスはアンジェリークの肩を一層強く抱き寄せると、愛しげに頬擦りをした。

「さあ、そなたの努力の成果を一緒に見よう。」

ジュリアスに促され、アンジェリークは思いきったように顔をあげた。

途端に瞳に飛びこんできた光の饗宴にアンジェリークは我知らず息を飲んだ。

オスカーの言った通りだった。明るい時には輪郭も曖昧で茜空にかき消されてしまっていたドレープの裳裾が今は天空の中ほどまで伸び、くっきりと見える。

幾重にも重なった光のドレープは風で揺らめく訳ではないのに、刻一刻とその裾を閃かせ、赤紫から青、そして深い緑へとその時々で色を変える。

そんな色とりどりのカーテンが空一杯に、幾つも光を放ってひろがり、ゆらめき、その色を絶えず刻々と変えているのだ。

「きれい…」

「ああ、本当に見事だ。そなたの思いが、夢が、光の緞帳となって夜空を色鮮やかに覆ったのだな。」

「私、自分があれを出してるなんて、信じられない…なんだか嘘みたい…」

「だが、そなたは自分でサクリアを調節したのだろう?さあ、そなたの願いをかけるといい。そなたにはそれだけの資格がある。」

「あの…私…自分のためのお願い事じゃなくて…やっぱり、私…」

アンジェリークが遠慮がちな躊躇を見せた。それを予期していたかのようにジュリアスは最後までアンジェリークに言葉を言わせず、彼女を力づけるように肩を抱きなおし、しっかりとした声でこう告げた。

「この地の行く末を案じているのか?それは私に任せておけ。そなたがわざわざ願掛けするには及ばぬ。」

「え?ジュリアス…それどういう…」

「何のために、私がここしばらくそなたと過ごすこともせず、時間を費やしていたと思うのだ?協力育成は思った以上にいい成果をあげられた。この地の救済は必ず私たちが行う。我らが封印を解き、そなたを聖地に無事連れかえってみせる。絶対にだ。だから…そなたは、衆中のためではないそなた自身の願いを、自分の一番の願いをオーロラに奉じるといい。遠慮はいらぬ。」

アンジェリークが目を見張った。

「ジュリアス…だから…だから、このところ、こられないって…成果を上げておきたいって言っていたのはそのためだったの…?」

「育成によって、この地を救いそなたの身を無事聖地に帰すためというのがもちろん第一の目的なのだが…」

ジュリアスは一度言葉を切ると、少し照れた様に訥々と語りはじめた。

「今日までに目にみえる成果をあげたかった理由は…その…そなたの言う通りだ。私にできることは決して多くない。そして…この前、そなたの願いを知り…そこまで私の事を思い、私と供にありたいと願ってくれたそなたの気持ちを知り、せめて、その願いをかけさせてやれねば、そなたを思う男として情けないと思った。そなたは自分の立場をよくわきまえている。女王としての責務も義務も。だから、自分の願いをかけるために力を使うことに罪悪感を覚えずにいられなかった…そうだな?そして、この地の保全がいまだ危ういと思えば、そなたは自分の願いを、この地の救済にあててしまうであろう?いざその場になれば結局の所、自分の願いなど忘れ、この地の民のことを真っ先に考えてしまうだろう?だから…わざわざそなたが願いをかけなくても大丈夫なほど、育成の進み具合がしっかりと安心できる状態になっていれば…そなたはそなたの願いを自分のために使えるであろう?そう思ったのだ。その…本当に願いを叶えてやる裁量は私にはないが…、せめて、そなたが自分の願いを自分のために使えるように…我々が封印を解く基盤をしっかり固められれば、そなたは心置きなく、自分の願いをオーロラに託せると思ったのだ。それくらいしか、私にはしてやれることがなく…すまぬ。」

アンジェリークは信じられぬ思いでふるふると首を横に振った。

「どうして…どうして謝るの…私、嬉しい…ジュリアス、私がわがまま言っても、後ろめたい気持ちをもたないですむ様に…そう思って育成がんばってくれてるなんて…知らなかった…」

「いや、それはもちろん、そなたと無事に聖地に帰るのが私の願いだからでもある。だが、今宵までに私がその面をしっかりと進めておけば、そなたが好きなように願掛けしても気に病むところが少なくなるとも思ったのだ。」

「ジュリアス…ありがとう、ジュリアス…私…なんてお礼を言ったらいいのか…」

「礼には及ばぬ。そなたと聖地に無事に帰りたい。そなたと運命の許す限り供に歩みたいと思うのは私も一緒なのだから。そなたがそのことを願ってくれることは…私は一人の男として純粋に嬉しい。そして守護聖としても…そなたの無事の帰還と可能な限りの在位は私だけでなく守護聖共通の願いでもある。だから、そなたは自分の為に願うがいい。無事の帰還と可能なかぎりの在位を…」

ジュリアスの気持ちが嬉しかった。だが、無事の帰還は当然としても、今、自分は可能な限りの在位を望んでいるのだろうか。わからない。いまだアンジェリークは自らを宮殿の奥深くに閉じ込め他者との交流を一切断つ可能性を否定していない。そのような境遇に自分を置いた時、自分は長期の在位をそれでも望むのか正直言ってわからなかった。もしかしたら、サクリアの速やかな消滅を願う気持ちすら根底にはあるのかもしれない。だから、願掛けを先送りするかのように、ジュリアスの言葉で気にかかったことを、敢えて今尋ねた。

「あ、ええ、ジュリアス…でも、あの、一つ聞いていい?無事に帰れるようにって言うのはわかるけど…私の在位の安定があなただけでなく守護聖共通の願いってどういうこと?」

「そなたは知らぬのか?我々守護聖は皆、そなたの永の在位と栄盛を望んでいることを…それは…守護聖だから建前で望んでいるのではない…そなたが類稀なき女王だからだ…そなたのような女王は他にいないからだ。」

「?あの…それ…私があまり女王らしくない女王だっていうこと?」

「はは…そう言う言い方もできるかもしれん。でも、それは…とてもいいことなのだ。少なくとも私はそう思う。そなたが女王だからこそ、皆一丸となれる。そなたを聖地に無事返したくて、皆必死になる。今だけではない。そなたが女王だからこそ、皆聖地でも協力し認め合う気持ちが醸成されていったのだ。そなたは言ったな?今のほうが、私とクラヴィスの仲がいいみたいだと…それは多分にそなたの影響なのだと思う。そして、以前は些かぎすぎすしていた者同士も、多くが以前より良好な人間関係を築いていると私は思っている。そして、これらは恐らくそなたの影響なのだ。」

「わたし?私、何もしてないわ…その、女王様らしくないことは一杯してるみたいだけど…自分じゃそんなつもりなくても、いっつもロザリアに窘められたもの…『女王はそんなことはご自分で致しませんのよ』って…」

「まだわからぬか?そのそなたの女王らしからぬ有り様こそが、我らにいい影響を与えたのだ。私が直接に見知る女王陛下はそなたで3人目だ。しかし、そなたほど守護聖皆といつも親しく交わっている女王陛下を私は知らぬ。今までの女王陛下は宮殿の奥深くにひっそりと住まい、補佐官以外には顔も見せず、声をかけることも滅多になく…特に前女王陛下はその傾向が顕著だった。女王候補の頃はそなたとよく似た明るいよく笑う少女であったのに…しかし、私は女王になるとそういうものなのだと思ってその事に疑問を感じたこともなかった。女王陛下は軽々しく下々の者と交わったりはしないのだ、守護聖といえど家臣なのだから、下の者と気安く接したりなどしたら女王の尊厳や威光が損なわれるのだろう、くらいにしか考えておらず、それが当然だと思っていた。しかし、そなたは…その…見事なまでに私の既成概念というものを打ち破ってくれた。」

「え?」

「そなたは女王になっても今まで通り変わらぬ態度で守護聖と接し続けた。女王になったからといって宮殿の奥に閉じこもることもなく、何事も周囲によく相談し…そなたの治世はいわばいつも顔の見える治世だった。空き時間はいつも守護聖の誰かしらと楽しそうに談笑していたな。休日には屋外でピクニックをしたり…こんな女王陛下は今までにはいなかったのだ。」

「だから、ロザリアにもっと女王らしくしなさいって…」

「いや、そなたはそれでよかったのだ。女王はこうあるべきという既成概念や慣習や前例に捕らわれないことこそが、そなたの強みなのだ。そなたはいわば守護聖とともに在る女王でいてくれた。そして女王が宮殿の奥深くに鎮座していずとも、その治世にはなんら問題がないことを証明し、それどころか大いに守護聖や女王府の官僚たちの士気を高めたのだ。そなたが常に我らと供にあって、目に見える形で女王を補佐できる実感は一部の者には大いなる励みになり、やる気に通じ…聖地全体の士気や雰囲気がとても良いものになったのだと私は思う。この女王のためなら力を惜しまないとでもいう空気が自然に培われたのだ。」

「一部のもの?」

「人間にはそれぞれ得手・不得手な分野がある。私は秩序の維持、現状がつつがなく保たれていればそれを仕事の手応えとして満足できる。しかし仕事自体にもっと明確な手応えを感じたいと思うタイプの人間もいる。物を作り出したりするのが好きな人間、自分の行動に明確な手応えを感じたいと思う人間には守護聖の仕事はかなり鬱屈の溜まるものであろう。なにせ、宇宙の維持にははっきりとした受け手の反応や結果は見えぬからな。」

「それって…ゼフェルのこと?」

「ゼフェルだけではないと思っているがな。あれは若いし、ここに連れてこられた時の対処がまずかったので、それがより顕著に現れたが…あれの苛立ちは義務とされ投げ出せぬ仕事をいくらこなしても、明確な手応えが自分に感じられぬということも抜き難くあったのではないかと今になって思うのだ…だが、そなたが女王になってから、あれは驚くほど変わった。それは多分、そなたが守護聖としての義務を果たす事に喜びや手応えを与えてやれたからではないかと思うのだ。」

「私が?」

「ああ、これは…自分のことを省みて気付いたのだが…そなたを愛しているという事実を抜きにしても、私自身が以前より仕事にやりがいを覚えているということにある時気付いたのだ。そして、それは…常に我等を頼みにし、宇宙の安定を我が喜びとして全身で表してくれる女王の存在が大きいのではないかと気付いた。我ら守護聖はもちろん女王陛下に絶対の忠誠を捧げる。しかし、同じ忠誠を捧げるなら、我らが女王を支えていると感じさせてれ、我らは女王の役にたっているとはっきりと示してくれる女王、我らの忠誠を心から喜んでくれる女王には、自分たちも仕え甲斐があるし、当然士気もあがる、そなたは…いつも我らと同じ目線にたち、我らが献身を喜び感謝さえしてくれる、そんな女王のためにもっと力になりたい…そんな気分が聖地全体に育まれている。それは皆そなたの力なのだと私は思うのだ。」

「私が…皆といつも一緒にいるから?皆と一緒に仕事をしていたから?だって、そんな一人でいるより皆と一緒ののほうが楽しいから…私、皆好きだから…それに私一人じゃなにもできないもの…皆に助けてもらわなくちゃ…それってあまり女王としては誉められたことじゃないと思ってたのに……」

「いや、それがよかったのだ。今までそういう女王はいなかったから気付かなかったが…私自身も女王とは侵し難く近寄り難い存在、そう思っていたが…女王が必ずしもそうである必要はなかったのだな…そして、ある種の者にはそなたのような女王こそが、力を発揮させてやることができると思うのだ。そなたはそれを私に気付かせてくれた。」

「じゃあ、じゃあ、もし私が前女王陛下のように、宮殿の奥深くに鎮座して補佐官としか顔を合わせない女王だったら…」

「何故そんなことを仮定する?今更そなたにそんなことを誰も望まぬ…というより、皆、戸惑い哀しみ打ちひしがれてしまうだろう。私に限らずな。そんな必要もないではないか。女王が宮殿から1歩もでなければそれは警備は楽だろう。しかし、そんなものは単に近衛の怠慢にすぎぬ。そのために引き換えにする損失の方が今となっては計り知れない。そなたはそのままでいいのだ。皆がそれを望むだろう。」

物柔らかに微笑むジュリアスの顔がアンジェリークはまっすぐに見つめられなかった。我知らずのうちに前女王の気持ちを弁護というか代弁するような言葉がするりと口から零れ出た。

「………でも…もしかしたら、前女王陛下も好きで宮殿に閉じこもったのではないのかもしれないわ…前女王陛下はなにか訳がおありだったのかもしれないわ…宮殿の外に出られない…誰にも顔をあわせられないようなそんな訳が…」

ジュリアスははっとしたように瞳を見開き、一瞬後に長々と嘆息した。

「それは…もしや私に責任の一端があるやもしれぬのだ…」

「え?…」

「そなたはクラヴィスと前女王陛下の事を聞いているか?」

「あの…ちらっと噂だけ…なんだか誰にも聞いちゃいけないような気がして…それに私には他人事じゃないないからその顛末を聞くのが少し怖くて…」

「………彼らは互いに思いを寄せ合ったいたらしい…しかし前陛下の即位に際して彼らはその思いを断ち切った、少なくとも陛下の方はきっぱりとな…そして、私はクラヴィスが女王候補に恋慕の情を抱いていたことを知り…それが守護聖にあるまじき態度に思えて許せず、あれのことを厳しく罵倒してしまったのだ……」

「ジュリアス…」

ジュリアスは苦しそうに首を横に振った。

「…私はなにもわかっていなかった…私自身が同じ立場に立つまで。人の思いを遮る術などないことも…前陛下に別れを告げられ断腸の思いであったろうにそのクラヴィスを更に追い詰める様になじってしまい酷く傷つけてしまったことも…今となっては悔やんでも悔やみきれん。そしてあれは周囲の誰に対しても心を閉ざしてしまった。そして陛下は即位されると宮殿の奥深くに住まわれディア以外の人間とほとんど会おうとなさらなくなった…これはクラヴィスと顔をあわせるのが辛かったからか、心を閉ざしたクラヴィスを見るに耐えなかったのか…それは今となってはわからぬが、とにかく守護聖の誰にも会おうとせず、宮殿の最奥で一人で治世を執られた。」

「………」

「私は…若かった私は自分がクラヴィスをなじったことを悪かったと認められなかった。守護聖としてあるまじき態度をとったのはクラヴィスなのだからと。もともと悪いのはクラヴィスではないかと。なのにあのふてくされたような態度は何事かと憤りを感じた。今から思えば本当は悪いことをしたと思っていたのだろう。それでも自分の正当性に拘って、しかし、何事にも心を開かぬクラヴィスを見ていると自分の態度が心ないものだったと見せつけられているようで、苛立ちを抑えられなかった。そなたが候補生として飛空都市に来た当時、あれと私の仲が険悪に見えたのはこの所為ではないかと思う。」

ジュリアスのこんな心情は初めて聞くアンジェリークだった。苦い懺悔とも告悔とも取れる言葉にアンジェリークは言葉を失ったままだった。

「そして、もし前陛下が我らの前にお姿を現せなかったのは…心を閉ざしたクラヴィスの姿を見るに忍びなかったゆえならば、その責任の一端は確かに私にあるのだ…私は…同じように女王候補だったおまえを知り、おまえを愛し…そしてその愛をあきらめねばと思いながらも、それがいかに困難な事か…人を愛するという感情は外的な圧力では容易に消せぬものであることを初めて知った。前陛下はクラヴィスの手を自らお離しになった。これは事実なのだが…そのことだけでも恐ろしく傷ついていただろうクラヴィスに更に追い討ちをかけたりしてはいけなかった。そんな惨いことを人間としてするべきではなかったし、私にそんな権利はなかった。当時もだが…今は尚更な…」

「ジュリアス…」

「同じ立場になってみて、私は初めてあれの空虚さ、やりきれなさがわかったような気がする…私は今でも時折思うのだ。もし、そなたが女王候補だった頃、そなたと思いを確かめあい、それでもやはり別れを選んでいたら、そなたと私はどうなっていたのだろうと。そなたも前陛下のように宮殿の奥深くに住まい、遠くから見ることも能わぬ存在になっていたのだろうか…そして、そなたは私の顔を見るのが辛くて宮殿の奥深くに隠遁してしまったのだろうか…私は私でいろいろ思い悩んだと思う。そして…もし、そなたが前陛下のようにほとんど合まみえること能わぬ存在となっていたら…なにも言わずに全てを断ち切ろうとするようなその選択を寂しく思い見捨てられたように感じたかもしれぬ…だから、以前のクラヴィスの何事も諦めたような態度にも今は合点がいくのだ。一度は愛した女性に、もう二度と顔も合わせないという態度をとられたら…例え、どんな理由があるにせよ、それは辛く悲しいことではないかと今の私は思うからだ。別れた相手と会うのが辛い…会えば思いは募るばかりで更に辛くなる…その気持ちもわかるが、それが自分に向けられたものでなくともいい、愛する人が憂いに沈む姿よりは、笑顔を見ていたいと、私なら思う。いや、ただ、息災であるとわかるだけでもいい。しかし、すぐ側にいるにも拘わらず、それすらも許されず諦めなくてはならなかったクラヴィスのその寂しさがいかばかりか、今ならわかるからだ…」

アンジェリークがはっとしたように一瞬大きく瞳を見開いてジュリアスを見つめた。ジュリアスはそんなアンジェリークの肩をつつむように抱きしめた。

「ただ、私なら同じ立場に立ったとしても、クラヴィスのように潔く諦められずに、みっともなく足掻いたかもしれん。いや、そもそも、そなたに思いを打明けられた時、生涯2人で寄り添って生きていくことはできぬが、それでもそなたを愛しつづけてもいいか、と手前勝手な許しを請うたのだから、もともと諦めが悪いのだろうな、私は…。」

「そんな…じゃ…ジュリアスは…もし、私たちが別れて…私が前陛下のように宮殿の奥に閉じこもってしまったら…あ、いえ、閉じこもってしまっていたら…哀しかった?」

「それは…仕方ないと思ったかもしれぬが…女王とはそう言う物だと思っていたからな…だが、それでも辛かっただろうな。そなたが私から去っていき…私の顔が見たくないからと言う理由で宮殿に閉じこもってしまったら、とても哀しくやるせなかっただろう。私のために、聖地全体の士気を高める女王を失ってしまうところだったのかもしれぬと思うと、そら恐ろしくさえある…」

「ジュリアス…私、私があなたから去っていくなんて…そんなことっ!」

絶対ない!と言いそうになって慌ててアンジェリークは口を噤んだ。もし、そんなことを断言してしまって、結局宮殿に閉じこもってしまったら、それはジュリアスへの酷い裏切になってしまうことにすぐ気付いたからだ。

ジュリアスがアンジェリークを安心させるように微笑みかけた。

「互いの想いを信じていないわけではない。それでもクラヴィスや前女王陛下のようにどうしようもなく別れを選ぶ場合も人生にはあるだろう。そして、クラヴィスたちの選択は自分たちの姿であったかもしれぬと思うと…彼らは痛みに耐えながら自身で決断したのだから、それを私がどうこういう権利や資格はなかった…と今となって思うのだ。」

「ジュリアス…」

「私自身、自分の正当性にしがみ付くことの愚に気付いたので、私の態度も変わったのかもしれんが…それでも、今はあれも随分感情を表に出すようになった。それもやはりそなたが花のような笑顔であれに接していたからだと思うのだ。そなたが…いつも我らと供にある女王でいてくれて…救われ癒され心満たされるのは恐らく私だけではない。だからこそ、皆懸命にこの地を育成し封印を解かんと尽力している。全てはそれがそなたをの望みであり、そなたを無事に聖地に帰す手段だと信じているからだ。だから…私は願う、私だけのためではない、皆のために…どうかできうる限り我らと供に歩む女王であってくれと。そう…叶えてもらえるものならばオーロラに願いをかけたい…」

「ジュリアス…ジュリアス…私もあなたと…皆と一緒にいたい…だけど…だけど…」

「どうした?育成ならもう恐らくは心配はいらぬ、封印は必ず解いてみせる。だから、そんな不安そうな顔をするな。私は…その、いまだにそなたの涙に慣れることができぬ、恐らく一生慣れぬのだろうな…そなたには笑っていてほしい。そのためなら私はどんなことでもしよう。その気持ちだけは恐らく誰にも負けぬという自負もある。我々の明日は確かに不確かだ。だが…市井の夫婦や恋人同士でも明日の確かな人間などいないのだ。皆そのことは考えないか、気付いていないだけで…だから、私は自分を不幸だとは思わぬ。今愛する者とともに居られることの貴重さを誰よりも強く感じる事ができ、日々そのことに感謝できるのだから…そして、この一日の貴さも幸せもその事実になんら損なわれはしないのだから…」

アンジェリークの傷ついた心も、その傷がいまだ完全に塞がっていないこともジュリアスは知っている。それでも、彼女が今ここにこうして無事でいてくれれば、自分は幸せだと思う。彼女を失いかけた恐怖を知っているからこそ、彼女が無事で笑っていてくれることこそが自分の幸せだと気づく事ができたのだ。もちろん彼女が十全の笑顔を取り戻していないことは承知してるが、自分が常にそばに控え、時間をかけていけば少しづつでも彼女の傷も癒えていこう。彼女の体が少しづつではあっても回復したように。ひとしなみに流れる時間がきっと彼女の心も僅かづつでも回復させてくれるだろう。そのためにも今自分の欲するものは十分な時間なのだ。そのためにも必ず聖地に戻らねばならない。彼女と供に。

「ジュリアス…でも、私…」

それでも悲しそうに自分をみつめるアンジェリークの様子をジュリアスは不可解に感じた。

「そなたはそなたのままでいい。そなたの自然なあり様こそが、私も含めた守護聖の望みであり、救いにもなるのだから…」

もう後ろめたさを感じる必要はないのにと。なんとかアンジェリークの気分を変えてやりたかった。

「さあ、オーロラに願いはかけぬのか?せっかくそなたが自分の力で出したオーロラなのだ。遠慮なく自分の願いを託すがいい…」

「ん…」

アンジェリークは諦めた様に、静かに頷いた。

ジュリアス…私…私の願いは…あなたとずっと一緒にいること?もちろん、そうあれたら嬉しい…でも、本当に一番願いたいことは…きっとあなたと同じ…わたしたち、似ているのかもしれないわね…ううん、あなたみたいになりたくて、あなたならどうするだろうって考えて行動するうちに、私もあなたみたいに考える事が身についてきたのかしら…少しでもあなたに近づけたのなら嬉しいのだけど…

アンジェリークは真剣な面持ちでオーロラを見上げた。

心の中である言葉を呟いた。呟きおわるとほっとしたように息をついた。

「願いは…すんだのか?」

「ええ…」

アンジェリークは言葉少なだった。彼女は自分の願いを明言しようとしなかった。自分からいわないことなら…敢えてその願いの内容は聞くまいとジュリアスは思った。

「オーロラとは…本当に美しい物だな…私は幼い時に主星から聖地に赴き、ずっと聖地で過ごしてきたので、極寒の地でのみ見られるこのオーロラを当たり前だが肉眼でみたことなどなかった。軟らかで穏やかな色彩は留まる所を知らず変化しつづけ、人の心を慰め、潤し、希望で満たし…そしてこの美しさすばらしさは万人の認めるところ…まさにこのオーロラはそなたの心栄えのようだ。このような…神秘的な物をそなたのおかげで見られて…しかもそなたと一緒に見られて…心からよかったと思う。」

アンジェリークが黙ってジュリアスに寄り添った。その意に応え、ジュリアスはその肩を一層強く抱く。

「寒くはないか?もう中に入るか?」

「いや…ここに居たい…もう少しこのままで…」

「それでは…今宵はそなたと供臥しはさせてもらえぬか?」

「…ジュリアスったら…」

落胆を必死に押し隠すようなジュリアスに愛しさが込み上げてくる。アンジェリークは自分からジュリアスの首にうでを回し、口付けた。

「ジュリアス…ここで私を抱いて…このオーロラの下で…」

「アンジェリーク…なにを…」

絶句するジュリアスの頬が染まっているのはオーロラの照り返しのせいだけではない。

「お願い、ジュリアス…このオーロラの下であなたと…」

アンジェリークはここまで言うと再度ジュリアスに口付け、此度は自分から舌を差し入れてジュリアスのそれを絡めとった。反射的にジュリアスがそれに応えた。一度応えてしまったら、もう自分から唇を離せなくなった。

口付けに応えながらジュリアスはアンジェリークの思いきったような大胆さに驚いたものの、すぐこう考えなおした。彼女が望むものは確かな絆。しかし絆は目に見えず、手にとって確かめることなどできない。そして、愛し合う二人の絆を固めてくれるオーロラの許で愛を交し合えば…それは、彼女にとってより強固な絆を信じられる拠り所になるのかもしれないと。

そう思ったジュリアスは自分からより積極的に口付けをしかけていった。彼女を求める気持ちが押さえ難く心を灼く。喉を鳴らす様にして互いに唇を貪りあう。ジュリアスはぐっとアンジェリークの細腰を抱き寄せ、アンジェリークはジュリアスの背を懸命に抱き返す。

角度を変えて繰り返される口付けを自然に耳朶へ、耳の下のくぼみへ、首筋へと移していき、その美しい首のラインに唇を押し当て舌を這わせた。同時にアンジェリークの細い指がジュリアスの豪奢な金糸に差し入れられ、それを梳き、降りてジュリアスの首筋をしなやかにくすぐる。

誘われるように、流されるように肩をはだけ、鎖骨から胸元に唾液の線を描き、もどかしげに白い乳房を露にした。

真白な膨らみはオーロラの光をうけて虹色に輝き、色づく先端は妖しくジュリアスを誘いかけてくる。その誘惑に抗しきれる訳もなく、ジュリアスは素直にそれを口に含んで転がした。

途端に耳を打つ、荒く切なげな喘ぎにジュリアスの頭の芯は白熱する。目の前の白い肌に溺れるようにむしゃぶりつく。絞る様に乳房を揉みしだいては、交互に先端を舌で弾き、ねっとりとなめ回し、きつく吸いたてた。

片手をスカートの中にしのびこませるとアンジェリークが腰を僅かに浮かせた。その動きに助けられる様に下着を降ろした途端に熱い滴りが指を焦がす。乳首に軽く歯を当てたまま、その滴りを指に絡めて秘唇の合せ目を割り、息づく様な愛らしい宝珠を探り当て羽毛で触れる様にさすった。

「ふぁっ…」

今宵初めて聞く甘やかな声に押されるようにジュリアスは宝珠を一心に擦り転がし、時折その奥の秘裂に指をぐっと差しいれた。アンジェリークの腰がびくびくと跳ねるが、決して逃さないように腰を抱きすえた。

アンジェリークが苦しげに首を打ち振る。

「ジュリアス…もう…もう…お願い…」

頬にかかる熱い吐息、潤んだ瞳に、頭が爆発しそうだった。同時にアンジェリークが自ら熱い滾りにそっと触れてきた。既に痛いほどに張り詰めていたそれに…

ジュリアスはローブの前をはだけ自分のものを解放するとアンジェリークを持ち上げる様に抱きかかえそのまま自分の上にゆっくりと降ろした。

「う…」

アンジェリークが苦しげに眉を顰め身を捩る。伸ばされた腕がジュリアスの頭を抱きかかえる。

ジュリアスも複雑に重なる襞を押し分ける感触に言葉を失っていた。アンジェリークの内部は火傷しそうに熱く、きついのに包み込まれるように柔らかな肉襞の微妙な蠕動に自身が溶かされるかのようだ。そのやわやわと絡みついてくる肉壁を突き刺すような一種残酷な気持ちで思いきり突き上げた。

「ひぅっ…」

声をあげたかわいらしい唇を再度口付けで塞ぐ。そうして声を出せないようにしてから腰をしっかりと抱きなおして更に力強く突き上げた。最奥を抉る様に突き刺す度に、自分の思い過ごしかもわからぬが…オーロラの輝きが一層増すような気がする。しどけなく着衣を乱した白い肢体は七色の光に照り映えくらくらと眩暈がするほど妖しく扇情的で、ジュリアスはそう長くは保ちそうにない自分を悟って一気加勢に頂点を目指した。

「くっ…」

「あぁっ…」

オーロラの光が脳裏に焼きついたような一瞬の後、全身が溶けて流れ出すような気だるい開放感に陶然となった。汗で張りついた金の後れ毛をかきあげついばむような口付けを落した。

アンジェリークは肩で息をしながら、それでも口付けを振りほどこうとはしなかった。

いつまでもひとつにつながったまま抱き合っている二人を煌煌とオーロラの光が包んでいた。

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