汝が魂魄は黄金の如し 5

 

オスカーが帰宅した時、屋敷はまだ静まりかえっていた。それでなくても今日は公休日だから、使用人たちが働きだす時刻も普段より幾分遅い。

自分の私室でシャワーを浴びすえたアルコールの匂いを洗い流すと、オスカーはローブに身を包んで安楽椅子に腰掛け過去へと想いを馳せていた。

何時頃からだろう、アンジェリークがジュリアスに惹かれているらしいことに気付いたのは。

彼女が女王試験にそろそろ慣れはじめ、育成も軌道にのってきた頃だっただろうか。

人目につかないところでこっそり泣いている姿や、育成にくる時目が赤くなっていることが格段に減ってきたと気付いた頃だっただろうか。

オスカーは個人的に親しいという以外にも、聖地の武官の統帥として、他方文官の統帥をしているジュリアスとは職務上の打ち合わせも多かった。

殊に試験期間中は聖地から離れていたため、通常より執務が煩雑になっていたり上意下達がうまく機能していなかった事もあり、オスカーはそれこそ頻繁にジュリアスの執務室を訪ねて指示や裁可を仰いでいた。

試験期間中といえども、守護聖は大陸にサクリアを送ることさえしていればいい訳ではない。

遠隔地である飛空都市から自分たちの宇宙の運行を司どり、女王府を滞りなく運営するという業務は試験期間中といえど、免除されるわけではないからである。

そこで、諸事にわたり報告や決済を行いにジュリアスの許に行くと、入れ違いに目を真っ赤にはらし鼻を啜り上げているアンジェリークとよくかち合った。

『また、お小言をくらったな…』

ということは一目でわかったが、オスカーはアンジェリークに通り一遍の慰めの言葉を投げたことはなかった。

ジュリアスは故ない事で女王候補をしかったりしはしないし、ましてや、気に入らないからといって彼女を虐めているわけではない。彼女のために必要だと思うから、嫌われ者になる事も厭わずにあえて苦言を呈し、耳に痛いことも言うのだとわかっていた。

アンジェリークの育成は当初順調だったとはお世辞にもいえない。

よく言って試行錯誤、ありていに言えばいきあたりばったりで、民意に振りまわされてバランスを欠いた育成をしたかと思うと、それに懲りて今度は民意をまったく無視したりと、とにかく極端に走りがちだった。

ジュリアスにいろいろ言われても仕方ない部分もあったから、尚更オスカーは口出しをしなかった。

それにジュリアスが煩いほど口を出すということは、逆に言えばそれだけ彼女を見こんでいるということであろうと思ったからだった。

今は育成が成果をあげていなくてもこいつはダメだ見限ったりしておらず、むしろ、彼女の素質に期待をかけているのだろう。ただ、彼女はロザリアのように体系だった教育を受けてきたわけではないから、才はあってもその発現の仕方が効率よくできていないため、ジュリアスからは彼女の試行錯誤が端で見ていてもどかしく、ついいろいろ口を挟んでしまうのだろうと思った。

口当たりのいい言葉でその場だけの慰めを言うは易いし、オスカーは自分がどうでもいいと思っている相手に対してはいくらでもそうできたが、そんなことが本人のためになるかならないかは明白だったし、ジュリアスが彼女を向上させようと行っている指導を、実のない慰めで水泡に帰してしまうような真似はしたくなかった。

ただ、ジュリアスの苦言は文字通り苦く、時には大の男でも堪えることがあるのは否めなかったので、オスカーはその事に関してはアンジェリークを純粋に可哀想に思い、その場では彼女の泣き顔には気付かない振りをしても、彼女が落ち付いた頃を見計らって、息抜きと気分転換によく外に連れ出したりした。

それに、オスカーはジュリアスの意図がきちんとアンジェリークに伝わっているかどうかも心配だった。

彼女がただ怒られた、叱られた、と被害者意識に捕らわれ、ジュリアスに対し煩いことばかり言うというイメージしか抱いていないかどうか危ぶんだ。ジュリアスを疎ましく思っているようなら、遠まわしでもジュリアスの意図を教えてやろうと思っていた。

だから、テラスでお茶を飲みながら、わざとカマをかけるように

「ジュリアス様は頼りになる方なんだが、お説教が多くていかんよな。お嬢ちゃんもジュリアス様の口うるささにうんざりすることがないか?」

等と訊ねてみたりした。

これで彼女が愚痴り出すようなら、彼女を窘め、ジュリアスには気の毒だが彼女は察しのいい方ではないから、もう少しやんわりと指導しないと意図は伝わらず逆効果になるだけだと、注進するつもりだった。

そしてオスカーはそういう答えを予測していた。あんなに説教ばかりくらって、よく泣かされて、いい感情を持っている訳がないと思っていたから。だが、アンジェリークはさも意外そうに、オスカーの言葉を控えめな表現ではあったが、否定した。

「あの…私はジュリアス様にいろいろご助言いただいてますけど、そんな風に思ったことはありませんよ?」

オスカーはそのアンジェリークの答えになぜかムキになって食い下がりたくなった。だから、今まで見ないふりをしていた彼女の涙につい言及してしまった。

「だが…お嬢ちゃんはジュリアス様の執務室から出てくる時、よく目が赤くなってるぜ?ジュリアス様に叱られて泣いているんじゃないのか?」

アンジェリークはオスカーの反論に可哀想なほどうろたえたようだった。極限まで瞳を見開いた後、きまり悪そうに俯いてもじもじしている。自分が彼女の涙に気付いているとは夢にも思ってなかったのだろう。

「やだ…気付いてらしたんですか?あの、誰にも言わないでくださいね、恥かしいから…」

「ほら、やっぱりジュリアス様に泣かされているんだろう?それじゃジュリアス様を煙たいとか鬱陶しいと思っているんじゃないのか?隠さなくてもいいんだぜ?告げ口なんかしないから。」

「そんなことありません!」

オスカーは意識してかなり意地の悪いことを言ったのは確かだが、アンジェリークが存外に強い口調で、しかもきっぱり否定しきったので、オスカーの方がたじろいだ。

「ジュリアス様は、いつも私の育成の何がいけなくて、それでどうすればいいのか、教えてくださってる…ううん、そうじゃないわ、一緒に考えてくださってるだけです。」

オスカーは幾分憮然として反論する。

「それだけならお嬢ちゃんが泣くことはないだろう?だが、実際はお嬢ちゃんはよく目をはらして、ジュリアス様の部屋から出てくるじゃないか…」

「うっ…それは…その…」

「ちゃんとわかるように説明してくれないと、俺はジュリアス様に『お嬢ちゃんをあまり虐めないでくれ』って言いにいっちまうぜ。かわいそうだからお嬢ちゃんを泣かせるなってな。」

「だめ!そんなことしちゃ、だめです!」

アンジェリークはテーブルからたちあがらんばかりに、勢いこんだ。

「じゃ、虐められてるんじゃないなら、なんでよく泣いてたのか、言ってみな?」

オスカーは自分でも予想外にこのやりとりに興味を抱いてた。アンジェリークは確かにジュリアスの元でよく泣いていて、本人もそれを認めているのに、ジュリアスに対してネガティブな感情は抱いていないらしい。ジュリアスに叱責を受けるとそれが正論であっても、叱責されたこと自体を恨み、反発するものも多いのに、アンジェリークはそうではないどころか、自分が故意にまぶそうとした悪意からジュリアスをかばおうとする素振りすら見せている。なぜなのだろう。

しかも、自分が叱られないようとりなしてやろうかと言った提言をなんの迷いもなく即座に却下した。少しでもジュリアスの叱咤を疎ましく思っていれば、これほど思いきりよく断れる訳がない。しかし、実際には彼女はよく泣いているのだから、オスカーは訳がわからなかった。

アンジェリークがつっかえつっかえ言葉を考えて選びながら、だが、とても懸命にオスカーに説明し始めた。

「う…あの、ジュリアス様はいつも私になぜ育成の成果がでなかったのか、どうすればいいと思うかとか、私に考えさせるんです。自分が教えてしまうのは簡単だが、それでは、おまえは一人立ちできないからっておっしゃって…女王になったら、自分で考えて自分で決めなくてはならないことも多いから、問題点を自分で見つけて、その原因を考えてみるのが肝要なのだっておっしゃて…それがわかれば自ずと解決法や対処法も浮かびあがってくるからって…。ロザリアの育成が上手なのはそれが最初からできてるからなんですって。私は今まで勉強って一方的に教えてもらうものだったから、自分で問題点を探してその原因と対策を考えるってことがなかなかうまくできなくて…」

「で、それがうまくできないからジュリアス様に叱られて最後は泣いちまうのか?」

「ん、もう、違います!ジュリアス様は、慣れれば私にもできる様になるからっておっしゃってくださって、でも、今はまだコツが掴めていないだけだからって、私が自分で答えを見つけられるように、一生懸命ヒントを下さったり、誘導しようとしてくださるんです。それでも、私があんまりダメでバカだから、なかなか自分で答えが見つけられなくて、でも、それでも、ジュリアス様はあせらずおちついて考えればできるからって…辛抱強く待っててくださるんです。」

「それじゃなぜ泣いてたのか、ますます俺にはわからんな。」

「それは、その…ジュリアス様は、すっごく私を気にかけてくださってるのに、いつまでたっても私はジュリアス様にご心配かけてばかりで、期待にお答えできなくて申し訳ないな、情けないなって思っちゃって…そうすると、涙が勝手に出てきちゃうんです…だから、私が勝手に泣いちゃってるだけなんです!もう…恥かしいから言いたくなかったのに〜。」

「なるほど…叱られて泣いてる訳じゃなさそうなのはわかったが……しかし、お嬢ちゃんがこんなにジュリアス様を庇いだてするとは正直言って意外だったぜ。てっきりジュリアス様のお小言攻撃に辟易してると思ってたからな。なにせジュリアス様の部屋の前で会うたびに目が真っ赤だったからな。」

「そんな…どうしよう…私が泣き虫なせいで、ジュリアス様にまたご迷惑をかけちゃう…あの、オスカー様、他の守護聖様は私が泣いてたことご存知じゃないですよね?私が泣いてたこと誰にもいわないでくださいね?」

「それは…俺はそうおしゃべりな方じゃないが…なぜなんだ?なぜ誰にも知られたくないんだ?」

なんとなくオスカーにはその訳はわかったが、アンジェリークに言わせてみたくて敢えて訊ねてみた。

「…だって、ジュリアス様は、お忙しいのに私のためにすごく時間を割いてくださってるんですよ?それなのに私のせいでジュリアス様が誤解をお受けになったりしたら、私…」

アンジェリークが不安そうに顔を曇らせたのが見るに忍びなく、オスカーはアンジェリークをすぐ安心させてやりたくなった。

「心配しなくても大丈夫だ、お嬢ちゃん。お嬢ちゃんが泣いていたのに気付いたのは多分俺だけだ。俺はしょっちゅうジュリアス様のところに行っているからな。それに周囲のヤツらもばかじゃない。例え気付いていても、ジュリアス様が訳もなくお嬢ちゃんを虐めてるなんて思わないだろうから安心しな?」

オスカーがこう言ってもまだアンジェリークは半信半疑という呈だ。

「ほんとですか?でも、さっきオスカー様、ジュリアス様に私を虐めるなって言いに行くなんておっしゃるから…」

「ああ、そのことか。すまん。あれは嘘だ。お嬢ちゃんがなかなか訳を言おうとしないから、ちょっとその気になってもらうためにわざとああ言った。ジュリアス様が理由もなくお嬢ちゃんを虐めたりする訳ないことくらいわかるからな。」

「もう、オスカー様ったら、ひどい!私、本気で心配したのに…でもよかった!」

アンジェリークはちょっと口を尖らせたが、でも、すぐ晴れやかな顔に戻った。心底安堵したようで、そのせいか幾分饒舌になった。

「…私がもっと優秀ならよかったけけど、そうじゃないからジュリアス様にお手間ばかり取らせてしまって…私、ジュリアス様のご期待通りにできない自分がもどかしくて情けなくて、そう思うとなんだか喉の奥に熱い塊みたいなものがこみあげてきちゃって我慢できなくて…やだ、改めていうと私、幼稚園児みたい…それで私がこらえきれずに泣いちゃうとジュリアス様は、『言い方がきつかったか?おまえのためを思ってのことなのだが…』って心配そうな目で私のことをご覧になるんです…違うんですって思ってもそれが言えなくて私ますます申しわけなくって、すると涙がもっと止まらなくなってしまって、そうすると、ジュリアス様はなんだかそわそわ落ち付かなくなってしまわれて、『もうよい』って言って、私、執務室から出されちゃうんです。そういう時に限っていっつもオスカー様がいらっしゃるんですもの。もう、みっともないとこ見られちゃって、やだ!って思ってました。でも、オスカー様そんなこと今まで一言もおっしゃらないから、気付いてないんだと思ってました。」

そりゃ、気付かないふりをしていたんだから当然だろうがと思いながら、オスカーはなんだか寂しくなって、つい種明かしするようなことをぽろりと言ってしまった。

「俺を誰だと思ってるんだ?お嬢ちゃん。いくら守備範囲外とはいえ、女性の涙に気付かないほど鈍くないぜ?ただ、お嬢ちゃんが必死に涙のあとを隠そうとしてたから気付かない振りをしていただけさ。」

「…オスカーさま、おやさしいんですね…」

アンジェリークがほんとうに今しがた気付いたというように言うので、オスカーはなんとなくおもしろくなくて、少し皮肉めいたことを言いたくなった。

「なんだ?その意外そうな顔は…しかも俺の優しさに今ごろ気付くとは、お嬢ちゃんは男を見る目がないな。それともお嬢ちゃんの目はジュリアス様にだけ開いてて、ほかは眼中になしか?ん?」

「いいんです!だって私はオスカー様の守備範囲外ですもの。」

「お、ちゃんと人の話しを聞いていたか。えらいぞ、お嬢ちゃん。」

「んもう、オスカー様ったらいつも私をからかってぇ〜!」

ぷりぷり怒りかけてアンジェリークは突然はっと気づいた様に、真面目な顔でオスカーの事を見つめ返した。

「そういえば…オスカー様が私を誘ってくださるのって、いっつも私が泣き顔見られた後?私がジュリアス様に叱られて泣いてると思ったから?それで、慰めようとしてくださってたんですか…いつも、私をからかうのも、私がしょげてると思って元気を出させようとして?」

オスカーは突然、自分の意図をすばり言い当てられてしまい、瞬間いつもつけている軽妙洒脱なプレイボーイという仮面がはがれそうになり焦った。

「な…俺が女性を誘うのは趣味だ。そんな深い考えがあってのことじゃない!」

「だって、さっき私のこと守備範囲外っておっしゃったじゃないですか〜。」

「…根に持っているのか?お嬢ちゃん」

「そうじゃなくって!はぐらかさないで下さい、オスカー様。私のこと子どもだと思ってるのに誘ってくださって、それっていっつもジュリアス様のお部屋の前でお会いした後でなんだもの…やだ、なんで今まで気付かなかったのかしら…オスカー様ってほんとにお優しい…」

アンジェリークが泣き笑いするような表情を見せた。

「守護聖の皆さん、どうして私にそんなにやさしくしてくださるんですか?私、こんなにダメな子なのに…あ、ダメだから、優しくしてくださるのかな?ジュリアス様もオスカー様も…」

オスカーは慌ててアンジェリークの言葉を遮った。自分がアンジェリークをダメな子だと思っているなんて誤解を絶対に持たれたくないと強く思った。

「お嬢ちゃんはダメな子なんかじゃない。いつも一生懸命がんばってるじゃないか。くじけないし、へこたれないし、えらいと思うぜ、俺は。人間誰だって落ち込むことはある。だが、いつまでもそれを引きずらないで、お嬢ちゃんは前に進もうとする。立派だと思うぜ?」

「そんな…それは守護聖様が私を助けてくださるからです…今だってオスカー様に元気をいっぱいいただきました。なのに、今までそれに気付かなくてごめんなさい、オスカー様。」

アンジェリークはおどけた様にぺこりと頭をさげ、照れくさそうに微笑んだ。オスカーもなぜか照れくさいような気分になって落ち付かなかった。

「いや、それはいいんだが…お嬢ちゃんががんばってるから、俺たちも手を貸したくなるんだし、ジュリアス様もお嬢ちゃんに見こみがあると思うからこそ、いろいろご指導下さるんだろうしな。」

「ほんとですか!?オスカー様、ジュリアス様、ほんとにそう思ってくださってるんでしょうか?!」

あからさまな期待を見せてアンジェリークが身を乗り出してきた。きらきら光る瞳がまぶしいような気がしてオスカーは思わず目を細めた。

「ああ、お嬢ちゃんのなかには確かに素質があるのに嬢ちゃんはそれをうまく使いこなせてないから、それがうまくできるように、お嬢ちゃんがもともと持っている力を引き出そうとなさっているんだろう、あの方は。お嬢ちゃんがやればできる人間だと信じてるからだぜ、それは。」

「もし、本当にそうだったら、うれしい…」

アンジェリークはぽつりというと、喜びと恥じらいに頬をぽっと染めた。

オスカーはそれをみた瞬間なぜか胸が締めつけられるような気がした。同時にこの時、突然アンジェリークがとても美しく見えた。可愛くではない、美しく見えたのだった。

 

 

それから、アンジェリークは自分が泣いていた事実も知られており、その訳も話してしまい気易くなったのか、よくオスカーの所にお喋りに来るようになった。

しかし、出てくる話題はといえば、これがジュリアスのことばかり。

ジュリアスのもとでどのようなやりとりをしているかしっているからか、自分がジュリアスと親しいからか、恐らくはその両方なのだろうが、ジュリアスのことを聞く事に躊躇いがなくなったようだった。

オスカーは苦笑を禁じえない。ジュリアスは自分のことをあまり話したがるほうではない。聞いたところで『それが試験となんの関係があるのだ?』と真顔で尋ね返されたら、それ以上突っ込んで聞けるものではないだろう。勢い彼女がジュリアスの事を知りたいと思ったら自分のところに来るしかないのだろう。

自分が好ましいと思う相手のことはもっとよく知りたいと思って当然なのだから。

ほんとうにアンジェリークは考えていることが判りやすかった。ジュリアスを崇拝しているのがありありとわかる。

ジュリアスはオスカー自身が敬愛している人物であるに加え、慣れない環境のなかで自らを力強く迷いなく導いてくれる、そんな存在に彼女が惹かれるのも無理はないとオスカーは思った。

彼女自身はその当時17才の少女に過ぎなかったし、最初からその資質を認められ教育を施されてきたロザリアと異なり右も左もわからぬ状況でいきなり聖地を模した飛空都市につれてこられ、大陸とそこに住まう命を育てる試験を受けさせられる羽目になったのだから、戸惑いも大きかっただろう。

そういう状況下で、迷い人が光りを求めるように、アンジェリークが力強い指導力を発揮するジュリアスに無意識のうちに心惹かれるのは当然だろうとオスカーは思っていた。

自分が敬愛するジュリアスをやはり、心から尊敬し慕っているアンジェリークにいわば同胞のよしみみたいな親近感を覚える一方、オスカーはなぜかちりちりとした胸の痛みを覚える事が多くなっていった。

それはジュリアスのことを楽しそうに話すアンジェリークの姿を目にすると酷くなり…

なぜか、そんなアンジェリークに理不尽な腹立ちのような感情を覚えることがあった。

曰く、君はジュリアス様の何に惹かれているんだ?君は本当にジュリアス様のことをわかっているのか?

ジュリアス様は君のお守役じゃないんだ。ただ迷子が手を引いてもらうことを望むように慕われたら、ジュリアス様も迷惑だぜ?ただ、頼りすがるだけの女性をジュリアス様は評価されないぜ?

それに、オスカーはこの年頃の少女が、男というものの実態を無視した理想の王子様像を投影するに、ジュリアスほど相応しい男性はいないことをよく知っていた。

どこまでも端正で秀麗な容貌、冬の空のように冴え渡り深い知性を宿す紺碧の瞳、滝のように流れる金の髪は絹糸を束ねたようで、口から滑り出す低音の声音は耳を慰撫する魅惑の響きをもつ。

こんな表面上の魅力だけに捕らわれているのだとしたら、それは恋に恋をしているというものだぜ、お嬢ちゃん。

そんな怒りとも苛立ちともつかない…喩えて言えば背中に草の実が入ってとれないような、いがいがとしてすっきりしない気分に悩まされた。

しかし、アンジェリークは、ただ頼りたいからとか、その秀麗な容貌だけでジュリアスに惹かれている訳ではないことなど本当はわかっていた。

わかっているのになぜかそれを認めたくない気持ちが、オスカーの内部でこんな理屈も道理もないような声を時折あげるのだ。

本当は、アンジェリークがジュリアスの射るような視線や、謹言過ぎて重圧感すら与える態度の裏に潜む優しい情や、ひとのために親身になる時は自分のことはまったくいとわないような純粋さに気付いているらしいことがたまに交す言葉の端々から伺え、オスカーはアンジェリークの人を見る目の確かさに心の底では驚嘆していた。

ジュリアスの表面上の厳しさに惑わされ、彼を冷たい木石のように思いこんでいるものの方が多いくらいなのに。

ジュリアスの情の部分はどうしても義務や使命感に紛れてしまうが、ジュリアスは辛い決定を下さなければならない時は常に自分がその痛みに耐えて結論を下し、他の人間に責任をおしつけたり、そのことで気を病むようなことがないように自らが悪者となろうとする。

しかし、周囲はそんなジュリアスを執務と職務のことしか頭にない冷血漢とみなす事が多い。

辛い決定を誰かが下さなければならないのなら、他人の心を痛ませるより、自分の心を痛ませるほうが彼にとっては耐えやすいことなのだ。他人に同じ心の痛みを味あわせたくないと思うが故にそれを敢えて自分が引き受ける潔さ、耳に痛い事を告げて嫌われるのは自分だけでいいと思い、あえてその立場を自ら背負いこむその情の深さ、暖かさ、潔さに気付かない人間が多い事にオスカーは苛立ちを覚えることもあった。

しかし、アンジェリークは理屈ではなく、ジュリアスのそんな優しさに気付いているようだった。

よくジュリアスさまのことをそこまで理解してくださった…誤解を受けやすい方なのに…

それを嬉しく思う一方で、どこか寂しくやるせない思いが日に日に強まっていく。

ある日アンジェリークが心底から嬉しそうに、オスカーに報告にきた。

この頃、ジュリアス様に誉められることも多くなってきたと。ジュリアスに言われることが漸くできるようになってきて、すると、『自分で問題点を見出し、その原因を考え解決することは、例え女王にならずとも、これからの人生諸事全般においておまえの役にたつことだろう。これからは今までほど根をつめずともよい成果が得られるだろうから、少々息抜きしても大丈夫だ』と言って平日に誘ってくれることも多くなってきたことなどを、本当に瞳を輝かせてオスカーに話すのだった。

オスカーはアンジェリークに口では「そりゃ、よかったな、お嬢ちゃん」と言いながら心では別のことを考えていた。

そこまでジュリアス様を理解している君なのに、俺が今どんな気持ちでいるかはわからないみたいだな。

俺の気持ち…?俺は今なにを感じている?オスカーは改めて自分の胸中を見つめなおし愕然とした。なぜ、胸が痛むんだ?息苦しいような気がするんだ?彼女に苛立ちのような物を感じるんだ?

オスカーは今までみないふりをしてきた感情の奥底にあったものを引き当て手繰り寄せつつあった。

あのジュリアス様の本質を見抜いた君なのに。なのになぜ俺のことはなかなかわかろうとしてくれないんだ、という怒りにも似た感情が自分の根底にあったことにオスカーは気付いた。

それはジュリアス様のように俺のことも理解してくれないだろうかという息苦しいほどの渇望があるからだということを突如天啓のように覚った。

オスカーはこの時はっきり自覚した、

なぜ、アンジェリークに時折訳のわからぬ苛立ちを覚えるのか。

ジュリアスを理解してくれて嬉しいと思いながら、一抹の寂しさを覚えるのか。

それはすべて、その対象がなぜ俺ではなくてジュリアス様なのかという、苛立ちと寂しさだった。

ジュリアスが筆頭守護聖としてとる行動の影に押し殺す感情があるように、強さを司る者として自分オスカーも期待される役割の影で押し殺す感情がある。

オスカーは強さを司るという執務の性質上、まず自分は炎を司る者としてどう行動すべきかを考えて動いてしまう部分が確かにある。

オスカーは自分自身を偽って生きてきたとは思っていない。強さを体現するものとして振舞うことは至極当然であったし、それを苦痛に感じたことはなかった。

だが、どんなに強いと思われる人間にも必ず心弱る時や、翳りとなる部分がある。そして、強いと思われている人間ほど、弱い部分を表に出すこと、ましてやそういう面があることを周囲に理解されることは難しくなる。

自分とジュリアスはその点が似ていた。だから共感する部分が多かった。自分たちにはまず期待される役割があり、迷いや心弱りを曝け出すことはできない立場にいた。

だが、表面に出さない事と、存在しないことでは天と地ほども意味合いが違う。自分の内面を…弱い部分も含めて理解し共感してもらえたら、それはどれほど心休まり、また心強いことだろう。いや、立場上常に強くあらねばならない人間ほど、本当は心のそこで誰よりも理解と共感を欲するのではないだろうか。

アンジェリークがジュリアスの優しさを理解していることを感じ、アンジェリークになら、他人にはいわない自分のことを聞いてもらい、知ってもらいたいといつしか心の底で切望していたのだということにオスカーは気付かされた。

自分はジュリアスの立場に成り代わりたかったのだ。

アンジェリークに理解され、尊敬され、慕われ…愛されたかった。ジュリアスのように。

同じような立場にいるのになぜアンジェリークに理解されるのはジュリアスで、自分ではないのかということが悲しく寂しく、そして怒りにも通じた。

アンジェリークが自分にとって『特別な存在』となっていたことにオスカーは今漸く気付いたのだった。

しかし皮肉にもジュリアスの本質を理解する慧眼あってこそアンジェリークはオスカーにとって特別な存在となったのだ。アンジェリークが自分と同じようにジュリアスを理解していなかったら、自分はアンジェリークに惹かれていたかどうか、オスカーにはわからなかった。

ただ、動機はどうあれその時オスカーにとってアンジェリークは特別な存在となっていたのは確かだった。そしてその事に気付いた頃には、アンジェリークは女王試験でかなり優勢に立っていた。

ジュリアスの言葉を励みに、ジュリアスに認められることを無上の喜びとして、アンジェリークは試験に懸命に取り組んでおり、ジュリアスの指導は見事に花開き、着実な成果をあげていた。

ジュリアスもアンジェリークを強く支持して、依頼外のサクリアを頻繁に送って育成を助けていた。

アンジェリークがジュリアスを慕っていても、ジュリアスは彼女が女王になることを望んでいる。オスカーには明かにそう思えた。

アンジェリークのジュリアスへの想いは…女性としての想いは叶う事はないだろう。例え打明けられたとしても、ジュリアスはそれを退け彼女に女王になることを薦めるはずだ。

それなら、自分がアンジェリークの愛を請う事も可能ではないか?これからでいいから、俺のことを見てくれと言って彼女を自分のものにしてしまう道もあるのではないか?

オスカーは悩んだ。アンジェリークに会う度に、喉元まで彼女を請う言葉がでかかった。

だが、アンジェリークの瞳はいつも、いつまでもジュリアスしか追っていなかった。

打明けてだめだったのか、打明けずに諦めているのかわからないが、アンジェリークは女王試験を降りることもないまま、それでもずっとジュリアスを瞳で追っていた。

同じようにアンジェリークを瞳で追っていたオスカーにはそれが嫌でもわかってしまう。

だから思った。

自分がアンジェリークに思いを打明ける事は結局無益で無駄なことだろう。

彼女はジュリアスと結ばれることはなくとも、ジュリアスの期待に応えることを喜びとして生きていくつもりなのだろう。

望みのない想いを打ち明けることでこれからの関係…アンジェリークは女王となるだろうから…がきまずいものになるくらいなら何もいわないほうがいい。言ってもどうせ実る思いでもないのだし、言われたアンジェリークも、困るだろう。なんとも思っていない人間から…それがきっぱり断れるほど嫌われているならまだいいが、嫌いではないが愛している訳ではないという人間からの告白はある意味一番始末に困る。断る側にも罪悪感を抱かせがちになるからだ。

そう思って何も告げなかった。彼女を困らせたくなかった。

そして、自分の予想通りアンジェリークは女王に即位した。

やはり彼女のジュリアスへの思いは叶わなかった、もしくは、彼女が自ら封じこめたのだと思っていた。

自分の浅ましさが嫌だったが、オスカーは確かにそのことを心の慰めとして、自分自身も彼女への想いを封印してきたのだ。

だが、それはオスカーがそう思いたかったから、そう思っていただけなのだと、今わかった。ジュリアスがアンジェリークのもとに訪れたいた事実を目撃して気付いてしまった。

ジュリアスもアンジェリークも互いの想いを断ち切り諦めてなどいなかった。秘めやかに、しかし、恐らく激しい情熱をもってその愛を全うしていた。

だが、それに気付いたからといって何になろう。

多くの制約の元でとはいえ、できうる限りジュリアスとアンジェリークはこれからも愛を交歓しあうのだろう。

アンジェリークが限られた形とはいえ、愛を成就させられたこと、立場上どうしても孤高になりがちな2人が、互いによき理解者になりえ、支えあえる存在になっていたことを寿ぐべきなのだろう。

だが、今オスカーには純粋に彼らの困難多き愛を祝福してやる気はどうしても奮い起こせなかった。

もともと望みのなかったものが、さらに決定的になっただけだ。今更傷つく必要もない。必死にそう言聞かせてはみたのだが。

ただ、アンジェリークが自分に時折みせる壁のようなもの。あからさまな拒絶ではないが、自分には確かに感じられる壁のようなものをどうにか取り払ってもらいたいと思うくらいは罪にはなるまいと、オスカーは思った。

せめて他の守護聖と同じように分け隔てなく扱ってもらいたいと思うことくらいは許してもらいたかった。

今日ははたせなかったが、いつか機会をみつけて、なぜ自分に隔てを置くのかぜひ、訳を教えてもらいたかった。原因がわからなければ対処のしようがないからだ。

好かれたいとは言わない。だが嫌われているなら、せめて訳がしりたい。あの闘い以前は彼女は自分に確かに好意というか好感を示してくれていたのに、なぜそれが消えうせてしまったのか。

彼女を守りきれなかったことを近衛の不始末と思っているならきちんと謝罪もする、処分もうける。訳もわからず避けられていることは何より耐え難かった。

窓から朝日が光の箭のようにさしこんできていた。

今ごろ、アンジェリークとジュリアスは後朝を惜しんでいるのであろうか…

昨晩ジュリアスの腕の内で、彼女はどんな顔を見せ、声をあげ、惜しげなく肢体をさらしたのだろう。

なにも考えたくない。考えても苦しくなるだけだった。なのに、頭からこのことが離れない。

昨晩一睡もしなかったにもかかわらず、オスカーに眠りはなかなか訪れてくれなかった。

 

「や…だめ…もう、許して…」

「だめだ、わたしを心配させた罰だと言っただろう?」

ジュリアスは花芽から剥き出しにした宝珠を、舌を絡み付かせるようにして執拗なまでに舐っていた。

片手の指は根元まで秘裂に差し入れられ、くちゅくちゅと故意に水音を響かせる様にその内部をかきまわし、時折鋭く奥を突く。

アンジェリークに再三挿入を求められているのに、ジュリアスはそれを無視して鋭い愉楽を与え続けていた。

小さな赫いその突起をジュリアスが舌先で突ついて舐めあげるたびに、アンジェリークの体に歓喜の震えがはしる。

際限なく溢れ出す愛液とジュリアスの唾液が交じり合い、アンジェリークの股間は繊毛までぐっしょりと濡れそぼっている。

初めて結ばれた時は花芽を露出させるどころか、ここを愛撫することすらしらなかった。自分が不慣れだったせいでアンジェリークには辛いだけの思い出かもしれない。ここが滑らかな愛撫で驚くほど鋭い快楽を紡ぎ出すことを知っていれば、もう少し彼女の苦痛を紛らわせてやれたであろうに。

だが、今はどうすればアンジェリークが快楽に身を震わせるか、身も世もあらぬ程乱れるか、かなりわかるようになっていた。彼女が悦びに震え、思わず声をあげてしまう様子が愛しくてならず、自然と体得していったものだ。

だが、ジュリアスは最近彼女が気をやっていないのでないかと思うことがたまさかあった。

確かに高まる、乱れる、どうしようもなくなって自分を求める、それは以前とかわらぬのに、絶頂に向けて昂ぶり続ける途中で突如彼女の集中の途切れを感じることがあった。

互いに腰を振りたてあい、高まって行く途中で不意にリズムが乱れる、そんな時があった。

気のせいかもしれない。ただ単に高まり続ける快楽に体のほうがついていかずに、息切れしてしまうだけかもしれない。

そう思ってジュリアスは乱れたリズムならたてなおせばよいとばかりに、尚更激しくアンジェリークを責めるのがこの頃の常だった。

こんなことをふと思ったジュリアスは愛撫に集中しなおそうとする。集中を欠いているのは自分のほうではないかと苦笑する。

なぜか時折彼女の姿が陽炎のように、そこにあるのにふいと自分から遠ざかってしまいそうな気がするときがある。

永久の未来を描けない、突き詰めれば今この一瞬の積み重ねしかない自分たちの危うい関係のせいだと思う。

だから、余計に狂おしく彼女を求めずにはいられない。彼女に自分を求める声をあげさせずにはいられない。

今日のように彼女の掛け替えのなさを改めて感じた夜は尚更だった。

宝珠全体を口に含んで吸い上げると、アンジェリークはくっと背中を反らせてまた小さく震えた。

ひくついてジュリアスを誘う秘裂から指を引きぬき替りに舌を差し入れると、その震えが大きくなり、喘ぎ声は最早すすり泣きにかわる。

「ぅくっ…お…ねがい…もう、もうほんとに許して…おかしくなる…」

「我慢できぬのか?」

アンジェリークが瞳を閉じたまま小さく頷く。

「どうしてもいれてほしいか?」

わかりきったことを敢えて聞く。

「ん…もう…ほんとにだめ…ほしいの…ジュリアスを頂戴…」

アンジェリークが手を伸ばして強請る。

ジュリアスももう限界が近かった。

体を入れ替え、大きく足を開かせる。

2、3度自分のものの先端を秘裂に愛液を塗り伸ばすようにこすりつけると、焦れたようにアンジェリークの腰がすりついてきた。

「いや!もう、意地悪しないで…」

苦しそうにかぶりをうちふるアンジェリークを押さえこんでその唇を塞ぎながら、ゆるゆると挿入を果たした。塞がれたアンジェリークの唇から安堵の吐息が零れるのを感じた。

熱いほどの柔襞がジュリアスのものに絡み付いてくる。それを振りきって挿送を与える苦痛にもにた快楽に酔いしれる。

突き上げる、引き抜く、奥まで挿入したまま腰をすり付ける。

アンジェリークの腕に力が入る。

「ああっ…あっ…あっ…」

アンジェリークの高い声が耳をうつ。

背筋を快楽が駆け抜けていく。

その快楽を追いかけるように律動をさらに早め、深く抉る様に腰を突き出す。

「くふぅっ…や…だめぇっ…」

「まだだ、まだ堪えてみせろ。」

アンジェリークがやるせなげにかぶりをふる。

「や…いや…ジュリアス…」

乳房を激しく揉みしだきながら更に力強い挿送を繰り出す。馴染みとなった感覚が身中を満たしていく。

「あ…はぁっ…はっ…ああっ…」

忙しなく零れるアンジェリークの声に押されるようにジュリアスは精を放った。

 

『ん…』

アンジェリークはジュリアスの腕の中で目を覚ました。ジュリアスは自分の肩をしっかりと抱いたまま、まだよく眠っている。

昨晩、ジュリアスが私室に泊まっていってくれてアンジェリークはとても嬉しかった。

そうめったとあることではないので尚更だった。

だが、夜明けが近いらしいことが小鳥の声でわかる。夜が明け切る前にジュリアスを起こして送り出さねばならない。

自分で選んだこととはいえ、人目にたたぬよう密やかな別れを告げる瞬間にいつまでたってもアンジェリークは慣れることができない。

でも、今はまだジュリアスを起こすに忍びなく、アンジェリークはそっと半身を起こすと、ジュリアスの寝顔を見下ろした。

『きれい…どうしてこの人ははこんなにきれいなの…』

単なる造作ではない、彼自身の内から光り輝くような美がジュリアスからは滲み出ている。

それは彼の心が、彼の生きかたが、何にも恥じる所なく美しい故だとアンジェリークは思う。

その美しさと眩しさが、アンジェリークには時折辛くなることがあった。その美しさに自身がはじかれてしまいそうな気がする時があった。

『ジュリアス…こんなにきれいなジュリアス…でも、ジュリアスは私をきれいだと思ってくれているかしら…』

この頃後ろに流している前髪も今は自然に流れ落ち、ジュリアスの輪郭を光輪のように彩っている。

アンジェリークはそのジュリアスの金髪を一房手にとって弄んだ。

つやつやと滑らかで、ひいやりとした感触の輝く髪をそっと口元に運んで唇でその感触を確かめた。

そのせいか、ジュリアスが身じろぎしてゆっくりと瞳を開いた。

一瞬ここがどこだったかというような表情をしたが、アンジェリークを認めると柔らかく微笑んだ。

「早いな…もう起きていたのか?」

「ええ、小鳥の声が聞こえたから…もう夜明けなんだって思って…」

もうあまり長くは一緒にいられない、その思いが口調を沈ませる。

ジュリアスが突然半身を起こしアンジェリークの乳房に口付けた。

「きゃ…どうしたの?」

「そなたがいずこかに消えてしまいそうで…夢でないかどうかを確かめたくなった。」

「ジュリアス…夢じゃないわ。だって、もう、お支度しなくちゃならない時間だもの…」

夢の方がよかったかもしれない。夢の中ならまだいっしょにいられるから…一瞬頭に浮かんだ言葉をアンジェリークは即座に飲みこむ。

しかし、ジュリアスはアンジェリークの頬に手を伸ばしてこう言った。

「ああ、今日はいい。休日だし、そなたとこのまま一緒にいたい。だめか?」

「そんな…だって、いいの?ジュリアス…」

「なぜだか、今日はそなたを置いていってはならぬという気がする。式展の残務処理のため聖殿にいると家人には告げておこう。だが、そなたはどうだ?そなたに不都合はないか?私がここにいるとそなたも今日1日部屋から出られなくなるが…」

柔らかく微笑みながら、意識して軽い口調で自分と供にいたいと言ってくれるジュリアス。アンジェリークは喉の奥に熱い物がこみあげてきて言葉を失う。

アンジェリークは黙ってジュリアスに覆い被さりその胸に顔を埋めた。泣いてはダメと思うほどに涙が零れてジュリアスの裸の胸を濡らした。

自分の心弱りがジュリアスに無理をさせる、彼の立場を危うくさせる、そう思うのに、大丈夫だから帰ってといえない自分がアンジェリークは嫌だった。

「ジュリアス、ごめんなさい、ごめんなさい…」

「なぜ泣く?何を謝る?」

ジュリアスがアンジェリークの頤を摘んで顔を上げさせた。

「だって、私、いつまでたっても弱虫で…ジュリアスに助けられてばかり…」

「何を言う?いつも私を助け救っているのはそなたではないか。私はそなたに会って、想いを通じあわせて、この長い長い生で初めて命の喜び、生きていることの尊さを知った。ふとした拍子に思い浮かぶそなたの微笑み、温もり、声…そのたびに胸が熱く充たされる。しみじみと今この時に生を受け、そなたと出会えた喜びを噛み締めずにはおられぬ。そなたと出会う前、私は突き詰めていえば義務で生きていたのやもしれぬとさえ思うのだ。そなたが教えてくれたのだ。私に生きる事の喜びを。愛する者とともに時を重ねていけるこの、当たり前のようでいて何物にも替え難い喜びを…そなたがいなければ恐らく私は一生知り得なかったであろうことだ。」

「ジュリアス…」

「だから、頼む、無茶はしないでくれ。一人でなにもかも片付け様としないでくれ。それとも、昨夜のお仕置きで少しは懲りてくれたか?そうだといいのだが…」

ジュリアスが軽く笑んで言った言葉にアンジェリークは頬を染めた。

「やだ…もう、ジュリアスったら…」

「それとも、まだ懲らしめが足りなかったか?」

ジュリアスはぐいとアンジェリークの腕を引いて、アンジェリークの上体を起こさせた。そして自分の顔の上でゆれる乳房を捕らえるとその先端を口に含んで吸い始めた。アンジェリークの弱い乳首の先端を重点的に舐め弄う。

「あ…やん…だめ…ジュリアス…」

「昨晩はついそなたのおねだりに私のほうが負けてしまったからな。もう、無茶はせぬと約束するまで今日は離さぬ。よいな?」

「あ…そんな…んんっ…」

ジュリアスに乳首を舐め吸われて、アンジェリークの肌が上気し始める。内側から灯りが灯った様にほんのりと肌がピンクに染まっていく様は、何度見てもジュリアスを昂ぶらせた。

「ああ、そなたは美しいな…この肌も髪も…なにもかも輝かんばかりだ…」

頬を手で包み込むように撫でて呟くとアンジェリークが突然すがる様な視線でジュリアスを見つめた。

「ほんとう?ほんとうにそう思ってくれる?ジュリアス…」

ジュリアスはアンジェリークの視線の強さに少々戸惑いながら、力強く肯定した。

「ああ、そなたは本当に美しい…私はそなたから目をそらすことができぬ。見つめずにはおれぬ…」

アンジェリークが突然むしゃぶりつくようにジュリアスに口付けを求めてきた。

強引なまでの口付けに応えながら、ジュリアスはアンジェリークの体を優しくなでさすった。

何かはわからぬが彼女は何らかの不安に捕らわれ、それを払拭できないでいることを感じざるを得ない。

考えてみれば聖地を襲った暗黒の波動の正体もその発信源もわかっていないのだ。今回はうまく退けられたが、その大元を殲滅できたわけではない。彼女が寄る辺ない思いを抱くのも無理からぬことかもしれない。

そしてその彼女の不安が、ジュリアスに彼女がふぅっといずこかへ消え去ってしまいそうな不安を誘発するのだろう。

だから、彼女を置いて立ち去り難く思ったのだ。

互いの不安を埋めあうようにジュリアスとアンジェリークは唇を重ねあい、肌をまさぐりあった。

ほどなく彼らがまきこまれることになる新たな事件をこの時聖地にいた何人も予想していなかった。

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