汝が魂魄は黄金の如し 6 

災厄というのは、物音ひとつ立てずに素知らぬ顔をして足許に近づき、避けられない距離を見透かした上で牙を向く凶獣のようだ。気づいた時には逃れる術がない。少なくとも以前自分を襲った災厄はそうだったとアンジェリークは思う。

しかし、今回、多すぎるほどの予兆を感じていたにも関わらず、アンジェリークは結局それを活かすことができただろうかと自問する。

災い、いや、凶事に限らず、事件というものはそれ自体がまるで確固とした意志でも持っているかのように、降りかかってくることがある。

結局人は、事が起きてからその対処をすることしかできず、そして人生はその繰り返しなのかもしれない。どんなに手立てを尽くしたかに見えても、事件のまったく起きない人生など有り得ないだろう。人間はその時々に身に降りかかってくることに、適切な対応を取ることだけが、唯一できることなのかもしれない。

ならば、対処の仕方を間違えないようにしなければ。それこそが肝要なことなのだろうから。

突如白い霧に包まれたかと思うと、この見知らぬ世界で目覚めた後で思ったことだった。牧歌的というより放置されたというに相応しい、人の手がついぞ入ったことのなさそうな草原のただなかで。

 

発端は突如開いた次元回廊だった。

新宇宙の補佐官レイチェルがなんの報告もなしに次元回廊を開いて、自分の宇宙に駆けこんで来た時、確かに何かが起こる予兆をアンジェリークは感じた。

いつも冷静なレイチェルがあからさまに度を失って、故郷であるこの宇宙に助けを求めてきた。

聞けば新宇宙の女王であるアンジェリーク・コレットが突如私室で白い霧に飲みこまれ姿を消したと言う。

もちろんレイチェルだとて、手を拱いていたわけでも、子どものようにいきなり助けを求めてきたわけでもない。

必死に捜索をかけたものの、比喩でなくコレットは職員の目の前で煙のように消えうせており、こちらから派遣している王立研究院のスタッフとレイチェルの捜索ではコレットの所在どころか、原因や手がかりひとつ掴めずまったく手詰まりらしい。

あの気丈なレイチェルが今にも泣き出しそうだ。

アンジェリークにはこの心情がいたいほどわかる。

どんなに手をつくしても、自分一人の力ではどうしようもない事態というのが確かにこの世には存在するのだ。

ただ、レイチェルにはまだできることがあった。こうして自分たちに助けを求めにくるという最後の手段があり、実際自分には援助を出すことができる。

コレットは以前自分の宇宙が侵略されたとき、わが身の危険も顧ず守護聖の旗印となって闘ってくれた。そんな彼女に救いの手を差し伸べることにアンジェリークは欠片も躊躇いはもたなかった。

祈ったのはただひとつ『まにあってほしい』それだけだった。

自分のときとは状況が異なる様だが、正体不明の圧倒的かつ超自然的な力でコレットが攫われたのは間違いない。

先日聖地を襲った黒い力の記憶も生々しく残っている。今回コレットが姿を消したのも同じ力に拠るものかそうでないのか、今のところ断言はできないが予断を許さないのも確かであろう。

とりあえずコレットの捜索と救出が最優先事項であることを共通認識として守護聖たちと確認した。いまだ守護聖をもたぬコレットの宇宙は、女王の不在がすなわちサクリアの暴走には結び付かないから、新宇宙の安定に関しては一刻を争う事態ではないが、このまま女王の不在が長期間続けばうまれたばかりで不安定な新宇宙は早晩崩壊しかねない。

とにかく肝要なのはコレット本人の安否である。

新宇宙を憂いてのことだけではない。自分のような思いはさせたくないとアンジェリークは痛切に思う。一刻も早く救出してやりたい。これは時間との闘いだろう。

捜索の方便として原因の追求は欠かせないが、それは第一の目的ではないことを王立研究院のスタッフに伝えた上で、守護聖を現地に赴かせることにした。

ここは実務経験も豊富で、多少の突発事態にも落ち付いて臨機応変の対処をとれる中堅組が適任であろう。

年長者には刻々と上がってくる情報をもとにその時々の方針をきめるブレーンになってもらわねばならない。

現在派遣されているスタッフでは埒があかなかった以上、あがってくるデータ解析のエキスパートも必要であろう。新宇宙が育っていく様子を誰よりつぶさに観察していたこれ以上はない適任者のもとへ年若い守護聖に協力要請の依頼にいかせた。

王立研究院のトップを通常業務から外して特別任務につかせるためには、守護聖を直接特使のように派遣するのが一番てっとりばやい。守護聖の権威はこういう場合とても効果があるし、辞令を出すなど官僚的な事務手続きをしている時間は無駄以外のなにものでもない。

ひとつひとつ今できることから、こなしていく。まず、問題の本質を見極めなければ、効果的な対処の方法も打ち出せない。女王試験当時から、ジュリアスが厳しく仕込んでくれたものの考え方、捕らえ方はいまやアンジェリークの血肉となっていた。

ジュリアスの辛抱強い指導は、今確かに自分の中に根付いている。言葉ではないジュリアスの承認の意志が伝わってくる。だからアンジェリークは自信をもって指示を出せる。確かに自分はジュリアスに見えない部分をサポートされている心強さを感じている。

そして、それぞれの任を帯びた守護聖たちが出て行き、年長の守護聖と自分たちだけが謁見の間に残る。何もせずに報告を待つというのは、実は一番精神的にはつらい。なにかしている方が人は気が楽なのだ。だからこそアンジェリークは精神的に尤も耐性のある年長者を残したのだともいえる。

地の守護聖がコレットの安否への懸念を口にする。皆思いは同じだろう。

ジュリアスがぴしゃりとその言葉を遮り、力強く、動揺しそうな心を引き締める。

『陛下は最善の手を打たれた。あとは可能な限りの準備を整え万事に備えるしかあるまい』と。

実際打てる手は打った。悪戯に動揺を煽ることに意味はない。ジュリアスの声にならない声がアンジェリークには伝わってくるような気がする。

『おまえは正しいことをしている。自信をもってそのまま進め。後のことは私に任せておけ』と。

だから、私は迷いをもたずにすむ。今、ここに立っていられるのは決して私一人の力ではないとアンジェリークは強く感じる。

新宇宙に赴いた守護聖たちから連絡が入った。これから現場に入るという。もう、在来のスタッフが針1本見逃さないほどに精査しているのは承知の上で現場を検証するのだ。一般人には察知できないなにか残された気配が守護聖ならわかるかもしれないとの期待をこめて。

そして、その報告が入って間もなくだった。謁見の間に白い霧がたちこめたのは。

「これは…!?」

ジュリアスが反射的にアンジェリークの元にかけよった。もう2度と、何もせずにアンジェリークが危険に晒されるのを看過するのは耐えられないとの思いからだった。

思わずアンジェリークもジュリアスの方に手をのばす。

2人の指が絡み合う。白い霧に阻まれもう互いの姿が見えない。それでも、決してこの手を放すまいとジュリアスは思う。

どんなことをしても、自分の命と引き換えても守って見せると、強く誓う。同じほどの強さでアンジェリークが自分の身を案じている思念がジュリアスに伝わってくる。それを感じ、ジュリアスは考えを改める。自分の命を投げ出そうとする前にまずできる限り2人で生きていくという強い意志をもたねばと。自分が命を投げ出すことをアンジェリークは喜ばない。アンジェリークが命を投げ出してわが身を守ってくれても、それは自分の望むことではないのと同じだから。

真白いに全身を包まれたとき、眩暈のような酩酊感を覚え体がぐらつく。

次元回廊を抜けるときににた感触。しかし、ずっと強い。白い霧に邪悪な気配は微塵も感じられない。以前聖地を襲った黒い波動とは明かに異なる力だということはわかったが抗うことも払いのけることもできない。

『アンジェリーク…』

『ジュリアス…』

互いの安否を気遣う声が脳裏に響いたのを最後にそして2人の意識までもが真白い闇に飲みこまれていった。

 

目覚めた時にまずアンジェリークの頭に浮かんだのはジュリアスの無事だった。しかし、開いた瞳に真っ先に飛び込んできた深い海を思わせる紺碧の瞳と、自分の身を覆う流れる金の髪に大きく安堵の吐息をついた。

少なくとも引き離されずには済んだ。最も大切な人は傍らにいてくれた。

安堵すると同時に襲ってきた強烈なまでの違和感。喩えようのない居心地の悪さに、アンジェリークは吐き気を覚えそうになった。

体のどこにも痛む所はない。体にダメージを負ったゆえの気分の悪さではないようだった。

「アンジェリーク、大事ないか?どこか痛むのか?」

ジュリアスが自分の肩を抱き懸念顔で訊ねてきた。気分の悪さが顔にでたのかもしれない。口調が守護聖と女王のそれではなく恋人同士のものに戻ってしまっている。よほど自分の身を心配してのことだとわかったので、アンジェリークはジュリアスを安心させる様に薄く微笑んだ。

「痛いところはないわ…ただ、なんだかすごく気持ち悪い…理由はわからないけど、なんだか気持ち悪くてしかたないの…」

ジュリアスが驚いたように瞳を見開き、形のいい眉が跳ねあがった。

「そなたもか?私もここで目覚めてからというもの、なんというかいいようのない居心地の悪さに苛まれている。そう、まるでずっと次元回廊を通りぬけているような…」

「ここ…ここ、どこ?」

「わからぬ。人の姿はまった見えぬ。あるのは一面の草原とこの銀色の大きな木だけだ。」

「ほかの、ほかの皆は…」

「安心しろ、他の守護聖たちもいる。王立研究院にやっていたものたちも、新宇宙に派遣したものたちも、同じように白い霧に飲みこまれ、気付いたらこの木の根元にいたと言っている。どうやら未知の力に守護聖全員が捕らわれ、無理やりこの見知らぬ地に召還されたようだ。今、他の者たちは周囲の捜索にでている。ここがどこだかわからなくては帰る道筋もつけられぬからな。」

「そう、みんな無事だったの…よかった…あ!コレット、コレットは?なにかわかったの?」

「ああ、新宇宙の女王も無事発見された。これだけは朗報と言っていいだろう。同じようにこの木の根元で意識を失っていた。単純に気を失っているだけのようなので今はレイチェルがそばについている。」

「そう、よかった…少なくとも皆一緒にいられて、とりあえず無事なのだものね。」

アンジェリークが立ちあがろうとしてふらついた。ジュリアスが慌てて体を支える。

「起きて大丈夫か?無理はするな。」

「んん…平気…この変な違和感をなるべく気にしないようにすれば…でも、こんな変な感覚があるの、私たちだけかしら…」

「わからぬ。他の者たちが戻ってきたら訊ねてみよう。」

ほどなく周囲の探索にでていた守護聖たちが三三五五戻ってきた。

やはりここがどこなのか、まったく手がかりはみつからないという。ジュリアスは他の守護聖に妙な違和感を感じていないか聞いてみた。すると皆が皆、いたたまれぬような居心地の悪さを感じていたが、白い霧に包まれたせいかと思ったり、体の鍛え方が足りないから眩暈を感じているのだと思っていたと口々に言出した。

「なんつーか、尻がおちつかねーっていうの?ここは俺らの居場所じゃねーって感じがするんだよ。」

ゼフェルの端的な表現が、守護聖とそしてアンジェリークとロザリアの気持ちを一言で代弁してくれた。

そう、ここは自分たちの居場所ではない。それを否応なく感じる。では、一体どこなのだ?

その時、レイチェルに声をかけられていたコレットが漸く息を吹き返した。

目覚めたときの自分と同様のことをレイチェルに聞いているようだ。やはりコレットもなにもわからず召還されたらしい。

戸惑っているコレットにアンジェリークは近寄り安心させる様に声をかけた。

『状況はどうあれ、あなたに会うことができて嬉しいわ』と。

実際これはアンジェリークの本心だった。少なくとも、最大の懸念事であった新宇宙の女王の無事は確認されたのだから。

コレットが矢継早に質問を投げてくる。事情がわからないのはこちらも同じなのだが、自分の感じていることだけは伝えた。違和感などと簡単にいうことを憚られるほど強烈に異質な力を感じると。

しかし、コレットもレイチェルも自分の言葉になにやら実感がもてないようだ。違和感を感じないかと訊ねた時の守護聖たちの反応とあまりに違う。つまり、彼女たちはこの違和感を感じていない?

その時コレットの表情が一瞬空白になった。なにか別の世界に行っているような空虚で曖昧な表情。しかし、すぐ次の瞬間、コレットが急に『あなたは誰?封じられしものって何?』と叫ぶ様な声をあげた。

なにかのメッセージがコレットだけに伝わったらしい。

コレットの言によると、この地に封じられているものを目覚めさせて欲しいという声が聞こえたと言う。そして、それができるのはコレットだけだとも。

同時にアンジェリーク自身も木の根元に強い魂の存在を感じた。

自分にも守護聖にもなにも聞こえはしない。そこになにかあるのは確かにわかるのだが、それしかわからない。

だがコレットが自分たちの感じている違和感を感じていない以上、自分たちの感じられないものを感じる可能性は否定できない。アンテナの向きが、いや、それより周波数の感受帯が違うということか。TVとラジオの差のようなもので、送られるメッセージを受像機である自分たちは片方は明確な意味のあるものとして受けとれるが、もう片方にはそれは単なるノイズになってしまうということかもしれない。コレットには明確なメッセージとして伝わるものが、自分と守護聖には不快な違和感にしか感じられないのだろう。

そこに、以前コレットが選出されたとき聖地に召還した女王試験の教官と協力者もが現れた。

聞けばやはり白い霧につつまれ、気付いたらこの世界にいたという。

この事実をもってアンジェリークは確信した。まちがいない。ここにいる人間は皆、1人コレットのために呼び集められたのだと。

自分たちは違和感しか感じられないこの世界。異界からの声がきこえ、どうすればよいかという指針がわかるのはコレットだけ。ここはコレットと深く関わりのある世界なのだという直感が閃いた。

自分たちにはどうすればよいのかという明確な指針は打ち出せない。となると、ここはコレットの言を信じ封じられし物を解明するのが事態を打開する早道なのかもしれない。

とにかく、コレットは無事みつかった以上、自分たちは自分たちの宇宙に帰る手立てを探さねばならないし、コレットたちにしても彼女たちの宇宙に戻らねばならない。

自分たちは自分たちの宇宙の運行に責任があり、彼女たちは彼女たちの宇宙を育むという使命がある。ぐずぐずしている暇はない。

だが、ここがどこだかわからなければ、帰る方向も決めようがない。自分の現在地がわからなければ、地図を見てもどの方向に進めばいいのかわからないように。

そう思ったアンジェリークの考えを読んだかのように、地の守護聖が現在地の特定と他の宇宙との関係を調べねばならないと言った。そのためには拠点が必要だといいだしたのは王立研究院きってのエリート・エルンストだった。

すると、たった今現れた者たちがここにくる道すがら廃墟をみかけたという。アンジェリークは早速その廃墟をもとに聖地を模した空間を作ることを提言した。悪しき力の流入を防ぐため、サクリアでバリアを張って聖域にする旨も。

守護聖一同の賛同の念が伝わってくる。彼らにもアンジェリークの意図がわかったようだ。自分がバリアを張るのは防御のためもあるが、それよりなにより、この微かではあっても絶え間なく触手をのばしてくるような不快な刺激を遮断するためでもある。自分たちのサクリアで充たされた空間を作らないと落ち付いて息もできないのだ。

後から現れた者たちの表情には落ち付きのなさや、居心地の悪そうな様子は見うけられない。彼ら普通の人間も、コレットやレイチェルのように自分たちが感じているような居たたまれなさは感じていないのかもしれない。

アンジェリークが目顔で頷く。守護聖たちがその意を察しサクリアを開放する。彼らの体から目に見えない力がゆらりと立ち上る。アンジェリーク自身は架空の翼をイメージする。背の翼でサクリアを受けとめ、自分の身に充たすイメージを抱く。いろいろな力が流れこんでくる。暖かい力強い、そしてそれぞれの優しさに満ちた力。とりわけ強く感じるのは、眩い光の力と触れることをも躊躇うような熱さに満ちた炎の力か。互いの力が触媒となるかのように強すぎるほどのエネルギーを感じさせる光と炎の力を穏やかな闇と水の力が包みこんで扱い易くしてくれる。

自分自身が充たされてゆく、自分の器が溢れるまでぎりぎりに。喩えようのない充実感。先ほどまでの違和感が払拭されていく。替りにこの身を幸福な十全感が満ち満ちる。世界中を愛しく思う泣きたいような思いが限界まで達した所で一気に開放した。この世界を自分の翼で抱くことをイメージしながら。

白金色の柔らかな閃光が迸り、この世界を覆っていた霧が一瞬にして晴れた。

コレットとレイチェルが単純にアンジェリークの力に感心している。

アンジェリークは自分の体の感覚をつぶさに検分してみる。体に先ほどまでの違和感は感じられなかった。うまくいったようだ。守護聖たちも同様だろう。明かに緊張というか、気の張り詰め具合が違っている。

無意識にジュリアスのほうに視線を投げる。ジュリアスが目線で頷き返す。

やはり晴れやかな顔となったロザリアが、模擬聖地とでもいうべき街への移動を皆に促した。

ジュリアスがさりげなくアンジェリークの側につく。いつも、ジュリアスはさりげなく、だが、1番近くにいようとしてくれる。

やらなければいけないことは、山ほどある。とにかく現在地の特定と、自分たちの宇宙との位置関係を調べ出さなくてはならない。

それは王立研究院に任せる方が効率がいいだろう。それぞれ適した役目があるから、それを行う。アンジェリークは自分のできることを、しなければならないことを今しただけだ。そこに気負いはない。

絶対に自分たちの宇宙に帰る。ジュリアスとともに。アンジェリークは静かに、だが強く決意した。そのためにはどんなことでもしよう。できる限りのことを。

今、自分にしかできないことがあり、その力もある。支えてくれる人がいる。なんと幸せなことかと思う。なにも為す術がない時、何の力も残されていない時を絶望というのだ。そして、今、為すべき事が山とあろうとも、それを処理する能力があるうちは、それは決して不幸ではないのだ。

ジュリアスの庇護を影のように感じながらアンジェリークは歩いていた。

その後ろを守るかのように炎の守護聖が静かについていった。

 

拠点となる街についてから、早速できるかぎりの機材を使って現在地の観測が行われた。地上を人の目で見まわってもなにもわからなかったので、小型衛星で上空からの観測をした結果、ここが惑星ではなく、未知の浮遊大陸だということがわかった。同時に、この土地の地殻組成を調べていたスタッフが、この大陸の土地が熱力学的に死んでいる、しかも、それは何らかの力で無理やり押さえつけられている結果であるらしいことをつきとめた。

早速主だった守護聖と補佐官たちで今後の行動を検討するための会議が持たれることとなった。

「浮遊大陸…」

それを聞いたとき、アンジェリークの脳裏に自然と女王試験を受けた飛空都市の思い出が蘇った。自分が一人で歩き始めた始りの地、自分自身より大切な物をみつけた所、すべてはあそこから始ったといえる。喜びも哀しみもすべて…あの時、私は何も知らない子どもだった。でも、だからこそ世界は希望と優しい光にのみ溢れ、彩られていた…

甘く口当たりのいい飴玉のような出来事だけを数珠の様に繋げて生きる人生はありえない。そして、哀しみも苦しみも知っている今の自分を、今の人生を嫌いでも悔いてもいない。けれど、その苦さをいまだ知らなかったあの頃は、確かに今思えば、取り戻すこと能わぬ人生の理想の一時期だったかも知れない。

「この大陸に名前がいるわね。…アルカディア…そう…『アルカディア』と呼ぶことにしたいんだけど、いいかしら?」

その場にいた年長者の守護聖とロザリア・レイチェル・エルンストにむけてアンジェリークはこう言った。そしてコレットがこの場に呼ばれていないことに気付き、アンジェリークはいぶかしく思う。

「そういえば、どうしてコレットはこの場にいないの?」

「そのことについては後ほど我々のほうから説明いたします。」

慇懃な態度でジュリアスが答える。あえて呼ばなかったことには訳があるらしい。アンジェリークはとりあえず、問題点をエルンストに確認することを優先させた。

「で、人為的に活動を押さえられている土地そのものが封印の枷になっているのね。そして土地にエネルギーを注いで活性化させれば、土地は本来の活力を取り戻してその封印を自ら打ち破れるかもしれない…」

「はい、そして、そのエネルギーというのは…」

「守護聖のサクリア…そういうことか…」

「だが、この見知らぬ地に満ちるエネルギーは我らのサクリアとはまったく異質だ。サクリアを放出したとしてそれを大地が受け取ることができるのか?」

「そこに新宇宙の女王の力を介在させれば可能かと王立研究院では判断しました。一度女王の身にサクリアを充たした上で放出することで、大地はそのエネルギーの絶対量をほぼ損ねることなく受取れるであろういう解析結果がでています。彼女だけがこの地と感応することができるということから、エネルギーも一度彼女の体を通した上で放射すればいいのではないかという結論が導き出されました。そう考えると彼女だけが封印をとけるということの、辻褄があうのです。」

「なるほど、彼女が我らのサクリアを翻訳…いや、彼女自身がエネルギーの変圧器のような役割を果たすのだな。」

「彼女は前回の女王試験の際、聖獣の言葉を聞きそれが必要とする力を、やはり守護聖様方のサクリアを変換させて我らの宇宙とは本来異質の存在である新宇宙に注ぎこんで育成した実績があります。それと同じことを恐らくは要求されているのでしょう。」

「しかし、何者かはわからぬが彼女のコンバーターとしての能力を見込んで召還したはいいが、彼女一人の力ではなにもできないことがわかったので、時間をおいて我らがこの地に呼び寄せられたということか…」

「はい、おそらく。変圧器自身はエネルギーを生み出すことはできませんから。注ぐべきエネルギーの発生源が別に入用なことを、召還者が気付いたのでしょう。私どもと彼女はこのアルカディアに召還されたこと自体は同じですが、召還された時期に数日のタイムラグがあります。このタイムラグは彼女一人では為す術がないと判断したために生じた時間と思われます。」

「守護聖たちはいわば発電所で、コレットはその変電所ですか〜。私はそんな言われ方をされても別に傷ついたりしませんが、確かに人格を無視してる観は否めませんから聞く人によってはこれは嫌かもしれませんね〜。この召還自体かなり強引ですから、よっぽど余裕がなかったのかもしれませんが。で、我々が呼ばれた訳はそれでわかるとして、教官達まで召還されたのはなぜなんでしょうね〜」

「それも前回の女王試験が関係しているものと思われます。教官たちによる指導はいわばサクリアのエネルギー変換効率をあげるためのものでした。今回同じようにサクリアを大地に注ぐにあたり、そのエネルギー効率をあげるため、いわば熱伝導率をあげるために召還されたものと考えられます。」

「なら、私が召還されたのも、何か目的があってのことなんでしょうね…それとも守護聖のおまけだったのかしらね?」

アンジェリークのわざととぼけたような発言をクラヴィスが即座に窘める。

「そんなことはないだろう…ここまで計算づくでそれぞれの役割を見越した召還を行うものが、何の意味もなく女王までをも召還しはしないだろう。事実陛下がいらっしゃらなければ、我々は未だ霧の中で為す術もなくさまよっていたのかもしれぬのだから…」

「それに…これは申し上げにくいことなのですが…。」

エルンストが彼にしてはめずらしく口篭もりながら、神経質そうに、眼鏡のフレームを直しながらこう言出した。

「本来我らは我らの宇宙に責任を負い、忠誠を奉げるのはここにいる陛下にであって、新宇宙の女王にではないのです。彼女の命を聞く義務も、ましてや守護聖様方がこの見知らぬ地にサクリアを注ぐ義務も本来はありません…」

「な、なにを言いだすの?エルンスト!あなた、いったい何がいいたいの?」

アンジェリークは心底仰天した。この勤勉実直を絵に描いたようなエルンストの言葉とはとても思えなかった。

「我らは我らの宇宙を維持することを第一義に考えなければなりません。この見知らぬ地で正体のわからぬ物にエネルギーを注ぐより、一刻も早く我らの宇宙に帰る手段を見出すことにこそ尽力すべきではないかと…これは私見ですが…」

アンジェリークは即座に反駁する。

「で、でも、コレットは私たちの宇宙が侵略された時、自分の宇宙を置いてすぐ助けにかけつけてくれたわ!それなら、今度は私たちが彼女の手助けをする番なのではなくて?」

「しかし、ここはコレットの新宇宙かどうかもわかりませんし、その可能性は低いと思われます。このような浮遊大陸が新宇宙で発見された報告はされていないのです。陛下。」

エルンストを擁護するように闇の守護聖がずいと前にでる。

「そうだ、それに我ら守護聖が忠誠を誓うのは、一人あなただけだ、陛下。コレットの要望にそのまま、はいそうですか、と従う謂れはない。」

ジュリアスも言いにくそうに、しかし、さらにクラヴィスの言を引き継ぐ。

「それに…我々は新宇宙の女王の言を信じていいのか、今ひとつ心もとないのです、陛下。この地で目覚めた時、彼女はただ途方にくれ、我らに指示を仰ぎたさそうな素振りさえ見せていました。陛下が御力で霧を払われ、聖域を作られたときもただ子どものように感心していただけで…未だ守護聖も導くべき民もおらぬので指導力や統率力に欠けるのは致し方ないのやもしれませんが、同じ女王というには、あまりに心もとなく見えるのです。そんな彼女の言葉を鵜呑みにして、その言う通りに従っていいものか…彼女が何か妖しの声を聞きそれに操られていないという保証もないのです。封印を解くことで、より悪しきものを召還する恐れさえあるのです。」

「本来この地に重要な関わりを持つ彼女を、今後の方針を決める会議によばなかったのは、このことを聞かせたくないからだ。」

「我々を召還した謎の意志の本当の目的はどうあれ、事実は彼女を変圧器として扱うつもりであろうということや、ましてや彼女一人ではどうしようもないから我々も召還されたのだろうなどということだけでも彼女を傷つけるに十分でしょう。その上、いくらなんでも彼女の言葉を信ずるにはいさかか不安があるなんてことを直接新宇宙の女王の耳に入れることはできませんからね〜だから、彼女にはこの場に臨むことを遠慮してもらったのですよ〜。彼女自身もどうしても同席したいなんて、ごねないでくれたので助かりましたけどね〜」

「ちょ、ちょっと待って!」

アンジェリークが慌てたように年長守護聖たちの意見を押しとどめた。ロザリアの方をみやると、ロザリアも無言で頷いているので、どうやら守護聖と意見の擦りあわせは済んでいるらしい。思いもよらない展開にレイチェルが真っ青になっている。

「皆ちょっと考えて欲しいの。同じ女王と呼ばれるからつい混同してしまいがちだけど、私とコレットは女王と言ってもまったくその性質は異なると思うの。彼女の女王としての力は、私たちが意志を通じあわせることのできないものと意志疎通にあるのではないかしら。彼女の第一の役目は統治ではないわ。アルフォンシアの声を聞いてそれを周囲に伝えることでしょ?そうじゃない?レイチェル?」

「は、はい!陛下!」

コレットを擁護するアンジェリークの言葉にレイチェルの顔が安堵から泣き出しそうに歪む。実際レイチェルが新宇宙の統治における実務を 一手に引きうけているのは事実であったが、アンジェリークの言う通り、コレットにしかできないことは統治ではないのだ。それぞれの得意分野を分担する方が効率がいいから、そのように仕事をわけてきたのである。

「私と彼女はできることも、得意なことも、根本的に違うのよ。コンバーターなんていうから聞こえが悪いんだわ、彼女は…そう…神託を受けてその詔を皆に伝える巫女…シャーマンのようなものだと思えばいいのよ。私たちには不愉快なノイズにしか聞こえない物が、彼女には明確なメッセージとして聞こえる。私は守護聖のサクリアを操ることができるけど、この地を覆う意志もアルフォンシアの声も聞くことはできないわ。それは能力の性質が違うだけで、どちらがより優れているとか、そういうこととは違うと思うわ。」

「なるほど…新宇宙の女王の役目は聖獣の言葉を伝えること…自ら決断して指示を下すことではないか…そう思えば女王としてはあの心もとない態度もわからぬでもない…」

「そして、今、その声が聞こえるのはコレットだけ。皆もあの霧や、木の根元の光に邪悪な波動は感じなかったはずよ。私たちにも、あそこになにかがあるのはわかる。でも、その望むものは伝わってこないわ。それにこの声の正体はわからないけど、私たちを召還した力がとても強力なことも確かよね?ということは、その意志に従い封印を解かない限り、私たちはこの地から開放されないということも考えられるわ。違うかしら。」

「それは確かに一理ありますが…」

「それと…皆は私の指示なら聞いてくれるのかしら?」

「無論だ。我らは皆陛下一人のためにいると言っても過言ではないのだから。」

「それなら私が正式に命じます。とにかく私たちにあの声が聞こえない以上、彼女の言う通りにすることが結局謎を解く近道になると私は思います。この地を育成しないことには、土地組成から現在地の特定も覚束ない以上、彼女の望むままにサクリアを与え、育成を助けることを守護聖の正式の執務としましょう。これならいいかしら?」

「我らが女王の命とあらば従わぬ訳にはいかぬな…」

くっくっと笑い出したクラヴィスに、アンジェリークははっとしたように声をあげた。

「もう!みんなわざとあんなことを言ったのね!私に正式に命令させるために、わざとやる気のないようなことばかり逆に提案したんじゃない?違う?」

ルヴァがほっとしたように言葉を引きとる。

「すみませんね〜。陛下を試すようなことをしまして。陛下が本心から何を望むかを確かめたかったんです。私たちはあくまでアンジェリーク・リモージュ陛下の守護聖であり、女王が一刻も早く元の宇宙にもどり、その統治を優先すべきだと言えば、それは女王の見解としては正論である以上、我らに異を唱えることはできませんから。あなたから新宇宙の女王に協力すべきという正式な命令を出してもらえてよかったです。我々も、とりあえず彼女にしか聞こえない声に従うしかいい手立てを思いつけなかったものですから、陛下に正式に協力せよと言ってもらえて安心しました〜。」

「もう、私はそんなわからずやじゃないわよ!」

アンジェリークはぷりぷりしながら、それでも顔は笑って途中までの剣呑な成り行きに固唾を飲んでいたレイチェルを手まねきした。

「じゃ、レイチェル、悪いけどこのことをコレットにうまく伝えておいてね。もちろん彼女が変圧器として必要なんてことはいわずに、この地を守護聖のサクリアを使って育成すれば封印はとけるはずだから明日から守護聖のサクリアを使って育成に励んでねって。」

「は、はい!わかりました。女王陛下」

「そういえば、育成っていってもどこを育成すればいいのかしら?エルンスト。この大陸全体?」

「はい、銀の大樹に隣接した大陸北西部の荒地にエネルギーを注入するのが最も効率的と思われます。この地をエネルギーで充たすことが土地の活性化に最も効果的です。」

「じゃ、その育成地にはコレットが名前をつけてあげてね、ってことも伝えておいて。大陸の名前は私が勝手にきめてしまったから。」

柔らかく微笑むアンジェリークにレイチェルが無我夢中といった呈で勢いよく頷く。

アンジェリークも頷き返し、その後、ふと思い出した様にこう付け加えた。

「ところで、ひとつ聞きたいんだけど、あなた、ここで目覚めた時も、今も、気分が悪かったことってあった?コレットからも、そんな事は聞いてない?」

「?いいえ?なんともありませんけど…」

「そう。なら、いいの。コレットが待っていると思うから早く伝えに行ってあげてね」

「はい!」

「じゃ、夜も遅いし、とりあえず今後の方針もきまったから今日の会議はここまでにしましょう。ロザリア。明日朝一に私の名前で他の守護聖たちにコレットの望むままに育成に協力する通達を出してね。」

「はい、陛下。」

「エルンストは引き続き、このアルカディアの特定に全力であたって頂戴。」

「はい、陛下。ただいま熱的死に近い大地が育成によって活性化すれば、その熱量の測定によって観測もより容易になると考えますので、それほどお待たせせずにすむと思います。」

「じゃ、大変だと思うけど皆明日からよろしく頼むわね。」

アンジェリークが解散を命じようとしたとき、ジュリアスがついと一歩前にでた。

「陛下、申しわけありませんが、少々打ちあわせしたいことがございます。」

「そう、わかったわ。じゃあ、ジュリアスは残って。他の方たちはもうお休みなさいな。お疲れ様」

アンジェリークの一言で、その場にいたものたちは各々の居室にひきあげていった。ジュリアスとアンジェリークを残して。

 

「ジュリアス、ここじゃ落ち付かないから、私の部屋に来て頂戴。」

「御意」

「ふふ、もうそんな話し方しなくてもいいのに…」

2人は仮宮のアンジェリークの私室に向かった。聖地の宮殿に比べれば質素で手狭ではあるが、使用人もいないし、もともと庶民のアンジェリークは却って居心地よさそうですらある。

夜遅いので、あえてジュリアスの好きなエスプレッソではなく、ミルクを多めにしたカフェオレを手ずから抽れ、ジュリアスに供してからソファに腰掛けた。

「で、打ちあわせって何?」

ジュリアスが彼にしてはめずらしく悪戯っぽい笑みを浮かべた。

「いや、あれは口実だ。そなたと少し話したかったのだ。首座というのはこう言う時便利だな。そなたと打ち合わせがあるといえば、誰もなにも不審に思わぬ。」

「え?」

ジュリアスはきょとんとしているアンジェリークに向き直ると、いきなりその細い体を思いきりきつく抱きしめた。

「きゃ…」

「そなたと引き離されなくてよかった…あの白い霧に包まれ互いの姿が見えなくなった時、抗いがたい力で引き離されたら、何をしても、どんな犠牲を払ってもそなたを探し出すつもりだった…そなたをこの手に取り戻すまで…この身が儚くなるその日まで探しつづけようと…」

アンジェリークは一瞬大きく瞳を見開いてから

「ああ、ジュリアス、ジュリアス!」

と張り詰めていたものを一気に迸らせるように叫んで、ジュリアスにむしゃぶりついた。

「…ほんとに、ほんとに一緒でよかった…私、目覚めたとき一人だったら、あんなに落ち付いてはいられなかったわ…貴方がいてくれたから…こんな見知らぬ場所でもおちついて振舞えたの。一人だったらきっともっとみっともなくうろたえていたわ…」

どちらからともなく唇が重ねられる。その柔らかな温もりと、甘やかな吐息を感じてジュリアスは漸く心からの安堵を覚えた。アンジェリーク、私のアンジェリーク、無事でよかった、本当によかったと。

心行くまで唇を堪能してから、ジュリアスは改めてアンジェリークをその胸にかき抱いた。

「…そうは言うが、そなたは立派だった。そなたがいなければ、あれほど早く皆がまとまることはなかったと思う…」

言葉にはださないが、あの場に呼ばれた女王がコレット一人だったら、絶対にここまで火急速やかに今後の方針がきまらなかったのは確かだとジュリアスは思っていた。目覚めたコレットはただ途方にくれ、自分の言葉を信じてくれと言うばかりで、説得力のある根拠も明確な指針も何も打ち出せなかったのは事実なのだから。

同じ女王としてつい比べてしまいそうになる自分をジュリアスは律してはいたが、今回コレットの態度に若干のもどかしさや心もとなさを覚えたのも確かだった。アンジェリークが彼女の女王としての能力はシャーマンに近いと喝破してくれたおかげで、彼女のある種の頼りなさや指示を待つような態度も宜なるかなと今は納得がいくようになったが。

その点に関しては事前協議で年長守護聖の意見もめずらしくまとまっていた。コレットの言をそのまま信じて従っていいものか疑問に思う点では、アンジェリークに進言した3人の意見に齟齬はなかった。

アンジェリークの意図を引き出すために、意識してコレットへきつい評定を下したのは確かだが、あの言は半ば以上本心だったと言っていい。

クラヴィスですら話し合いの時に「あのものは人の上に立つタイプではないと思うのだが…」と控え目にではあったが、コレットの女王としての能力に疑問を差し挟んだくらいだ。

何せ、以前コレットの身柄を助けたという理由でコレット本人が心酔してしまった旅の剣士が外宇宙からの侵略者本人であったという覆し様のない事実がある。皇帝がコレットを助けたことも守護聖に近づき、その形代を作ることが目的だったのだから、また、今回も謎の存在にコレットが騙され利用されていないという保証はない。

女王を監禁幽閉されるという愚を犯してしまった守護聖たち、特に自分たち年長者の責任は重い。コレット一人の言を信じることでまた同じ轍は踏むようなことは絶対あってはならないという認識は共通していた。

ただ、だからといってコレットの言葉を信じる以外、他に有効な対策も見出せず、結局年長の守護聖と補佐官は自分たちの意見と現状を訴えた上で、アンジェリークの出す結論に従うということで落ち付いたのだった。

それがどんな結論になるにせよ、アンジェリークの出す指示には従おう、いや、進んで従えるという点でも皆の意見はまとまったのだ。

女王が頂点に君臨し、その底辺を9つの力が互いに補い合う、いわばピラミッド構造になっている自分たちの宇宙では、それは心情的にも自然なことだったし、アンジェリークもそれだけの能力も決断力も有している。この地で目覚めた時に誰にもわかりやすい形でそれを納得させている。

しかし…ジュリアスは考える…新宇宙は聖獣と女王の両輪で司られることを考えれば、強すぎる自我や決断力はむしろ邪魔なのかもしれない。そう思えば、何時も指示を待っているようなコレットの態度にも不思議はない。新宇宙の女王に最も必要とされる能力は、自分を無にして聖獣の意志に自分の精神を寄り添わせることなのかもしれない。

実際、コレットの共感能力とでもいうのか、他者を無心に信じ、結果として心を開かせる力は、先の闘いで最終的に皇帝の心を開放した。

女王が要求される力も持っている性質も違うということが、今日アンジェリークに指摘されるまでジュリアスは気付いていなかった。『女王』という言葉に思考を縛られ、固定観念で彼女を捕らえていたのは確かだ。

皇帝にも皇帝なりの事情があったことも今は知っている。

だが、だからといって、皇帝がアンジェリークを幽閉し、その力を家畜のように搾りとって彼女を消耗させた事をジュリアスは許せないし、そんな皇帝を信じて供に旅をしてしまったのもコレットの言葉を信じたからだという忸怩たる思いをジュリアスには消すことができない。

もっと早くにあの者の正体に気付いていれば、アンジェリークがあれほど消耗する前に助け出せたのではないかとの思いがあるからだ。だから、コレットの言葉を無条件に信じることに不安を感じざるをえなかったのだ。

ジュリアスの心を読んだようにアンジェリークが答える。

「ジュリアス…私は私のできることをしただけ。別に立派なことなんてしてないわ。そして彼女は聖獣と意志を通じあえる唯一の存在。その声を聞き、意志を伝えることが一番大事な仕事。お互い自分にしかできないことがあるから、それをするだけなの。謎の声はコレットにしか聞こえない以上、彼女の言葉を信じるしか道はないわ。彼女を信じてあげて?」

アンジェリークが顔を起こしてジュリアスをみあげ、話しを続ける。

「あのね、これは私の勝手な思い付きなんだけど…ちょっと聞いてくれる?私たちここに来た時、酷い違和感に気分が悪くなったわよね?でも、今は平気でしょう?」

「ああ、そなたのおかげでな。」

「もう…その力をくれたのはジュリアスたちなのに…でも、コレットとレイチェルは今もここに来た時もなんともなかったって言ってたわよね?もともと2人は私たちの宇宙でうまれたから、私のサクリアに満ちた空間でも苦痛じゃないのは考えてみれば当たり前よね?でも、私がサクリアを充たす前でも、コレットとレイチェルは平気だった。この地の空気が私たちには耐えがたい異質なものだったのに。これってこの場所が新宇宙のどこかってことじゃないかしら…」

「しかし、新宇宙なら衛星を飛ばした時点で、既存の宇宙との繋がりもわかったはずだ。しかしこの大陸は文字通り宇宙の離れ小島のように空間にこれ単体で存在しているようだし、第一このような浮遊大陸が生まれたという報告は覚えがないとエルンストも言っていたであろう?」

「うーん、じゃ、私の思い違いかしら…」

「とりあえず、コレットには育成に専念してもらい、その数値を研究院で分析した結果を待つしかあるまい。しかし、これもルヴァの言うように、そなたの正式な命がなければ守護聖としては確かに動きにくかったのは事実なのだ。」

ぐいとアンジェリークの腕を引き寄せ、ジュリアスがアンジェリークをその広い胸にかき抱きもう一度軽い口付けを落した。

「そなたは為すべきことをしている。後は報告を待て。今宵はもう休むといい。サクリアの放出で疲れているであろう?そなたが眠るまで私がそばにいてやろう。」

「ジュリアス、私と一緒に眠って?だめ?そうしないとジュリアスが疲れちゃうわ。それに…今夜は一緒にいたい…」

「わかった…」

ジュリアスはアンジェリークを抱き上げて寝室に向かう。彼女を夜着に着替えさせ、自分は正装を解いて薄いローブ姿になり、ともにベッドに横たわった。

「こうして肩を抱いていてやろう。安心してやすむといい…」

「ジュリアス、私が強くいられるのだとしたら、それは貴方がいつも側にいてくれるから。貴方がいてくれてよかった…貴方がいればこの知らない場所も怖くないわ…」

「アンジェリーク…私はどこにもいかぬ、ずっとそなたの側にいる。安心しろ、どんなことがあっても二度とその手は離さぬ…」

「ジュリアス、離さないで、お願い、私を一人にしないで…」

「ああ、約束する。宮殿より人目にたたぬだろうし、なるべく一緒に過ごせるよう努めよう。」

「うれ…し…」

アンジェリークはすぅっと瞳を閉じるとすぐ眠りにおちた。

やはり疲れていたのだろう。

ジュリアスはアンジェリークの穏やかな寝息を聞き、肩を抱きなおすが自分は眠りの姿勢には入らない。

アンジェリークの甘い芳香に鼻腔をくすぐられ、眠る気になれないのだった。

聖地の宮殿より人がいないので、アンジェリークの元を訪れ易いのは確かだが、それはアンジェリークの安全にとっては逆に決していいことではない。この未知の土地にどんな危険が潜んでいるかまったくわからないのだから。

自分も毎晩ともにいられるとは限らない以上、警備に関してオスカーと綿密に打ちあわせをしなければなるまい。オスカーなら信頼がおける。警護に関しては全権を託して大丈夫だろう。

そう思いながら、ジュリアスはアンジェリークの温もりを確かめていた。

この温もりを守るためなら、どんなことでもして見せようと思いながら。

そしてアンジェリークはこの翌日に自分がこの地に召還された訳、未知の力に自分が要求される役割を知ることとなる。


戻る 次ぎへ