Before it's too be late 12

アンジェリークにとって週末はいつでも待ち遠しい。ゆっくりとオスカーと2人きりで過ごせる週末の時間は、やはり特別だ。登下校時に毎日、顔を合わせていたとしてもーそれはそれで楽しいのだがー周りに人がいる細切れの時間を2人で過ごすのとは、時間の質や流れそのものが違う気がする。

だが、大学に入って最初の週末は、学生寮で行事があった。寮での新入生歓迎パーティーだ。

週末に寮での新入生歓迎行事があると聞いた時、アンジェリークは、正直、一瞬、出席するかどうか、考え、迷った。週末はオスカーの元で過ごすべく、外泊届を出すつもりでいたので。しかし、冷静に考えれば、大学寮に入って最初の顔見世行事に欠席するのはーしかも、極めつけの私事故にー今後の共同生活を考えれば得策ではなかろう、ということはすぐにわかった。寮あげての行事は友人・知人を増やし、同時に、自分のことを見知ってもらうまたとないチャンスであり、寮で生活する以上、寮生同士が家族のような親密感を持つことは、日々の生活を楽しく快適にするのみならず、自身の安心・安全が高まるという利点がある。例えば、突然の体調不良で、ベッドから起き上がれなくなったような場合でも、寮内に親しい人間が多数いれば、誰かが「あの子が朝食におりてこない」「もしかして、具合が悪いのかも」と気づいてもらえる可能性が高くなる、自室に入ってしまえば基本1人暮らしと変わらない寮生は、こういう横のつながりが何よりの安全網となることを、高校時代の寮生活でアンジェリークは身をもって学んでいた。

なので、最初の週末は寮の新入生歓迎パーティーがあって、そちらに出席しようと思ってるので、泊りがけでは一緒に過ごせないことをオスカーに恐縮しつつ告げた。ポーズでもなんでもなく、アンジェリークは、心底残念にも申し訳なくも思っており、その気持ちは、態度にありありとあらわれてはいた。だって、気持の上では異なるが、実際の行動では、オスカーと一緒に過ごすことより、寮での行事を優先したような形になってしまうからだ。

だが、オスカーは快く笑って、むしろ「その方が…そうした方がいい」と言った後、真顔で

「寮生同士の顔合わせ、顔つなぎは大事だぜ、お嬢ちゃん。親元を離れている者同士、いざという時頼りになり、助けてくれるのは、まず、身近にいて同じ立場の寮生のはずだからな。無論、俺もお嬢ちゃんに助けを求められれば、即参上するつもりだが、それでも、俺が自分の部屋から駆けつけるのと、寮の隣の部屋の子が助けてくれるのを比べたら、迅速さではどうしたって敵わない、第一、男の俺は寮内に入れてもらえないから、そこでも余計に手間取るしな。まあ、だからこそ、安心だとも言えるんだが。だから、寮での人付き合いは安全網の一つだと思って、可能な限り密にしておいた方がいい、その方が俺も安心できる。君にも、親しくなりたい子がいるだろうしな」

と付け加えた。

アンジェリークはほっとしつつ、うれしくなって、オスカーに笑みで応えた。オスカーはわかってくれてる…覚えてくれてるんだ。私が気にかけてる子が寮にいることを。そして、私は、あの子…今年の新入生総代であるエンジュ・サカキを寮の歓迎会に絶対誘わなくちゃ、渋るかもしれないけど、尻ごみすると思うけど、絶対、顔を出させなくちゃって思っていたからだ。

あの時…合宿の帰り際に、一緒に帰るのには失敗したが、あの時はかえってあれでよかったとアンジェリークは後から思いなおした。オスカーと私の間に彼女を誘っても、彼女は委縮するか、遁走するかのどちらかに傾いただろうと思えるからだ。

一方で、ロザリアにたしなめられたように「放っておけばいい」とはアンジェリークは思わなくなっていた。あの眼差しを…私とオスカーに向けられた飢えて乾いて、なのに、何もかも諦めているようなあの強烈な眼差しを見たからだった。

あの銀髪の留学生みたいに、人との繋がりを一切欲していない様子なら、アンジェリークだって声などかけない。

でも、あの子…エンジュは違う気がした。寂しい、人と交流したいって渇望しているのを感じたんだもの、わかってしまったのだもの。なのに、欲しいものを得るための術を彼女は知らないのか、知ろうとしないのか…自分の望むものを得る術を知ろうとせず、最初から「どうせ縁のないもの」と諦めようとする方向に力を注ごうとしてるみたい。どうせ努力するならー同じエネルギーを注ぐなら、そんな甲斐のないことに力を注ぐより、自分が本当に幸せに、うれしくなれることに注ぐ方がいいのに、と、アンジェリークは思うのだ。

今のあの子は、童話で、ぶどうを取り損ねたキツネだとアンジェリークは思う…ううん、キツネより良くない。だって、キツネは「ブドウが欲しい」って思って、ブドウを手に入れるために努力もして、それでも叶わなかったから「すっぱいブドウなんていらない」ってうそぶいたんだもの。自分の望みをきちんと見据えて自覚して、叶える努力はしたんだから、偉い、やるだけやってみる、それが大事なんだもの、その上で、しくじってしまった時の負け惜しみとか補償行為は、理解できるし、それは、仕方ないことだと思う。

でも、エンジュは違う、欲しいものを欲しいって認めてない、自分の願いと向き合ってない。願いに向き合わないから、願いをかなえるための努力も工夫もしない、しようとしない、今の彼女はそういう状態なんだもの。

人との交流は、手の届かないブドウじゃないのに…寮生はみな親元を離れて、知り合いもいないか、少なくてーだから、逆に知り合いになりやすい、親しくなりやすいのに、そんな手の届くところにあるものにすら、自ら、手を伸ばそうとしない。やる前から、うまくいかなかった時のことを恐れて、何にもしない、しようとしないのでは、キツネみたいに嘯く権利もない。

でも、エンジュはなぜ、最初から諦めちゃうんだろう。失敗するのが怖いから?努力や工夫するのが、億劫とか嫌だから?それとも、努力や工夫することがみっともないって思ってる?

ううん、違う、あの子、勉強は頑張れるんだもの。努力や工夫が嫌なわけじゃないと思う。

なら、勉強と違うところはなんだろう。それは…ブドウは、差しのべられた手を拒否しないけど、人は拒否することがある、近づき方を間違えれば、手ひどくはねつけられる時もある、ってことだ。そして、それはとても痛いし、怖いことだ、アンジェリークだって、知っている。誰だって傷つくのは怖いし、嫌だ。

でも、勇気を出して、自分から手を差し伸べて、初めて伝わることがある。私はあなたと親しくなりたいっていう気持ちだ。でも、自分から手を差し伸べなかったら、人と人の心はいつまでたっても、近付けない。思い切って近づかなくちゃ、わからないことって絶対ある。近づいて、親しくなって、初めてわかる喜びがある。

だけど、傷つくのが怖いからって、膝を抱えて、誰にも手を差し伸べずにいたら…痛い目にあうことはなくても、心震えるような愛の喜びも、楽しくはしゃぎあえる友情も決して、手にすることはできない。単に痛くないって状態は「幸せ」とは違う。自分から動かなければ、痛くない代わりに、何の喜びも知ることができない、そして、その喜びを知っている人を見て指をくわえてるだけで…ブドウが欲しいのに、手にするための行動も起こさず、ただ「いいな」って羨んでいることが…いや、羨んでいるだけなら、まだいいが、「みんな幸せで、不公平でずるい」って世の中に怨嗟を吐き出すことを、放っておいていいとは、アンジェリークには思えない。自分自身も不幸だし、周りを不愉快にする、誰にとってもいいことなんてない。だから…私、おせっかいするわ、ロザリアに「お人よしも大概にしなさい」ってまた怒られるかもしれないけど。

ブドウが欲しいならー人とのつながりを欲するなら、自分からもぎ取りにいかなくちゃ。ほしくないふりして、何になるの?本当に欲しくないなら、いいけど、あの子は違う。あんなに欲しそうな顔してるんだもの、ブドウを欲しいと思うこと=人を心を通わせたいと願うこと、友情や愛情を必要とし、欲っすることは、恥ずかしいこともでなんでもないのに。

もちろん、ブドウをもぎ取りにいって、うまく手に入るかどうかは、それはわからない、木のツルやとげでいたい思いもするかもしれない、でも、そんなの、やってみなくちゃわからない。それに、多少、痛い思いをすることがあっても、甘いブドウを手にできるなら、がんばる価値は絶対あるんだもの、そして、甘いブドウは、手に入れようと努力した人しか手に入れられない。黙って見てるだけの人に、何もせずに待ってるだけの人に、ブドウの房が自然と落ちてくるなんて、そんな都合のいいことは決してない。私だって…昔、オスカー先輩のこと、もっとよく知りたいって思って、寂しい投げやりな笑顔じゃなくて、心から笑ってほしいって思ったその気持ちの伝え方が拙くて性急すぎて失敗して、泣いたこともあったけど…それでも、先輩とのつながりを断つなんて嫌だったから、謝って、改めて好きですって、伝えたいって思った…叶わなくても、伝えたいって思った…そしたら、先輩も私のこと好きって言ってくれた。勇気を出して、自分から動いて、歩きださなかったら、手を差し伸べなかったら、今、ここにある幸せだって、手にできてはいなかった。どこかで諦めたり、負け惜しみしたり、言い訳して、自分をごまかしてしまったら…自分の欲するものを見据えて、力を尽くさねば…この、かけがえのない愛を知ることはなかった。だから、自信をもっていえる。ほしいものを手にいれてる人は、ちゃんと自分で動いて自分で手に入れてる、だから、羨んだり、ひがんだりしてるだけじゃダメ、そんなことしたって、うれしくも幸せにもなれないよって。そんなことしてる暇があったら、自分から手をのばして、自分の足で歩きださなくちゃ、上手くできないと思うなら、練習しなくちゃって。

だから、アンジェリークはー新入生合宿を終えて寮に帰ったその日は、オスカーと一緒に食事を済ませてしまったのでー翌朝『朝食を一緒にどう?』とエンジュを彼女の部屋まで誘いに行っていた、無論、部屋番号は調査済みで。

アンジェリークが誘いにいくと、エンジュはすごく驚いて、でも一応、門前ばらいよろしく扉をいきなり閉めるようなことはしないでくれた。だけど誘いへの返事ははっきりしなくて、ぐずぐずと気のりしない風で、でも、あからさまに拒絶するのもためらっている風だったので

「朝ごはん、食べるんでしょ?なら、せっかくだし、一緒に行きましょうよ。あ、もしかして朝ごはんは抜く派?なら…んーと、でも、それじゃ活力出ないから、やっぱり無理にでも連れていっちゃう!きちんと食べる方が、同じ「かわいい」でも、生き生き溌剌美人になれるよって言われてるし…あ、これ、ある先輩からの受け売りなんだけど。だから、いこ?」

と、少々強引にエンジュを食堂まで連れだした。夕食も同様に、自分が食事に行く時は必ず声をかけて、一緒に食堂に行った。そして、エンジュを引っ張り回しつつ自分から他の寮生の傍に行って「ここ、いい?食事、一緒にしても構わないかしら?」と、気さくに声をかけて、少しづつ知己をーとにかく見知った顔を増やしていった。私がエンジュと2人で食事するのは簡単だけど、エンジュと私の2人で閉じた輪を作っちゃダメ、それじゃ、エンジュが1人でいるのと大して変わらない、そう思って、なるべく色々な子と食事するように心がけた。とにかく、顔見知りを増やすこと、挨拶できる関係から始めることを心がけ、そんなことを数日続けるうちに、エンジュも諦めたのか、あからさまに、一緒に食事に行くのを渋らなくなってきていた。まだまだ隔てはおかれている感じで、自分から打ち解けておしゃべりに加わることは、ほとんどなかったけど。

そこに…寮生同士、見知った顔が少しはできてきたかな、という頃に誂えたように新入寮生歓迎のレセプションがある、互いに親交を深める場と機会を、寮側がセッティングしてくれていると、アンジェリークは解した。

でも、エンジュは…寮生同士の顔合わせの週末のレセプションは…まだまだ自分からは進んで出ないだろうな、自分から出てくれたら、大進歩なんだけど、そこまでは、まだ望みすぎかな…ちょっと話を振ってみて、煮え切らないようだったら、有無を言わさずエンジュを誘い出そう、当日、誘いに行かないと、部屋から出てきもしないかもしれないし。

正式なパーティーではないので、普段着で…ワンピース姿なら上等、カットソーにGパンなら、ちょっとアクセを足すくらいのおしゃれして行こうって、大仰じゃないから平気って、身構えずに済むよう、安心させてあげながら…と、頭の中で計画をたてた。こういう行事は、すごくいい機会だから、できれば積極的に活用したいと、アンジェリークは考えていたのだ。オスカーと一緒に過ごせないのは残念だし申し訳ないけど…とも思いながら。

「ごめんなさい、先輩。週末は先輩と一緒に過ごしたいって思っていたので、迷ったんですけど…」

「いや、新入寮生歓迎の行事は今週だけなのだし、人間関係は最初が肝要…お互い手探りだからこそ親交も深めやすいだろう。知り合いを作りたい、増やしたいという気持ちの者は多かろうし、そこに寮側が、最小の労力と時間で、知己を増やせる機会を設けてくれている以上、それを活用しない手はない。一方、俺がお嬢ちゃんと共に過ごす週末は、これからも数限りなくあるし、さもなくば俺が困っちまう。それにだ…」

この最後の一節、オスカーは、1段、声を落とし、妖しい程の蠱惑的な眼差しを投げてきた。

「はい…」

「俺にとって、お嬢ちゃんと一緒に過ごす時間が喜びであるように、お嬢ちゃんにとっても、それは曇りなき喜びであってほしい。義務のように君の心を縛るものであってはいけないし、それは俺もうれしくない。何か、よそに心を残したり、気にかけたりしながら一緒にいても、それでは逢瀬が純粋な喜びではなくなってしまうだろう?俺は我儘だからな、お嬢ちゃんが俺の目の前にいる時は、俺のことだけを見て、俺のことだけを考えてほしい、君が他のことに気を取られているのは嫌なんだ。だから、何か気がかりがーしたいことより、しなければならないことがあるような時は、そちらを綺麗に片づけてから、ゆっくりと一緒の時間を過ごそう。俺はお嬢ちゃんと、一生を共にする、いや、せずにはいられない、だから目先の僅かな時間を焦る必要も、無理をして、自分を追い込む必要もない、苦しいこと、無理をおしてのことは、長続きしない。俺は君を一生放さない、放すつもりはないからこそ、俺と共にある時間が、君にとって、些かなりとも負担になるのは俺の本意ではない、だから、何も気がねしなくていい。替わりに、こうして2人でいる時は、お嬢ちゃんが俺のことしか考えられないようにしてやるからな」

そう言いながら、オスカーは優しくも艶麗な笑みを口元に浮かべつつ、触れるだけの幾多ものキスをアンジェリークに与えた。

「オスカー先輩って本当に、なんてお優しい…ありがとうございます」

オスカーは、アンジェリークに、今後、課業や課外活動で忙しい時もあろうし、そういう時は、何も気兼ねせず、自分に遠慮せず、すべきことに専心しろ、と言ってくれていた。アンジェリークは、そう理解した、オスカーの優しさと思いやりが心に染みた。

一方で、その代り、自分といる時は、自分のことだけを考えてくれ、他のことに気をとられないでくれ、というオスカーの我儘?独占欲の現れ?もまた、アンジェリークには何とも言えず嬉しい言葉だった。失礼かなと思いつつも、オスカーのことを、とてもかわいいと思ってしまうし、オスカーはこうすると言ったことは、必ず実行する人だ、つまり、私は、オスカー先輩が目の前にいる時は、オスカー先輩以外の事は何も考えられない位、オスカー先輩にうっとりさせられる、させてもらえる、これは、オスカーの立場からすれば『君を俺に夢中にさせてみせる』という宣言であり、約束でもある。こんなセリフをまったくの自然体で語るからー実際、オスカーには力みも気負いも背伸びもないーオスカーは、周囲からは「気障な自信家」に見えるのかもしれない。が、アンジェリークには、むしろ、オスカーの愛情の深さ熱さが真摯にストレートに伝わってきて、幸せと喜びとオスカーへの感謝で胸はいっぱいになる。オスカーが溢れんばかりの愛情を惜しげなく注いでくれるのは、一緒に過ごせる時間が限られていることで、私が不安になったりしないように、というオスカーの気づかいと優しさゆえだとも思う。こんなにも情熱的で、優しさにあふれた愛を示され、己が身を焦がさない女がいるだろうか。激しく、熱く、深く愛されている喜びにアンジェリークの身も心も震えてしまう。

「オスカー先輩にこんなに大事にしていただけて、こんなに深く愛されて、私、本当に幸せです、世界で1番幸せだって断言できます。だから、先輩と一緒に過ごす時間が、私にとって義務とか負担とか苦しいなんてこと、決して!絶対に!金輪際、ありえませんから!本当は、今も、気持ちとしては、先輩と一緒にいる時間を何より優先させたいの…」

「ああ、わかっているさ、お嬢ちゃん、俺だって同じ気持ちだからな?」

でも、それは得策ではないことを、オスカーはわかっている。無論、アンジェリークも、そう思うから、寮での行事がある時は、そちらを優先させたいと言ったのだ。2人きりの閉じた世界を作ることは容易いし、誘惑も感じる、だが、為すべきことを放り出したうえで、周囲と隔絶し、他者との接触を断ってしまうことは、味方を失い、自分の身を危うくする愚策なのだ。例えば、学生なら勉学を、社会人なら仕事を放り出して、日夜愛欲に耽る恋人同士を好意的に見てくれる者は、まず、いない、そういうことだ。そういう生き方は、自ら安全網を取り外してしまうに等しい。破滅願望のある者なら、それでもいいのかもしれないが、オスカーは、アンジェリークを心から愛しており、オスカーにとって「愛する」とは、彼女には笑っていてほしい、幸せな気持ちでいてほしいと願うことと同義だ。だから、周り中を敵に回す…とまではいかずとも、自ら味方を失うような生き方をしていては、アンジェリークの身の安全も、彼女の笑みも、守りきれるはずがないことも自明のこととしてわかる。人間関係とは化学反応のようなものー外の世界・他者と接し、相互に影響や干渉を受けたり与えたりして、変容したり、発展したりするものだ。だからこそ、強固で密な信頼と情により培われ構築された人間関係は、心強い支えに、そして、現実でも強固な力になってくれる。幾多の友情、そしてアンジェリークと育んだ愛が、オスカーに自信を持ってこう言わせる。が、2人きりで閉じきった世界は循環も刺激も発展も失ってしまう、そんな、熱的死に陥った宇宙のような愛の形をアンジェリークが喜び望むとは決して思えないし、オスカー自身も、自分たちの愛の行く末が、帰結が、そんな輝きも躍動も失くしたものになって良いはずがない、と強く思う。アンジェリークが自分に示し、捧げてくれている情愛は、何にも勝る至高の宝だ、だから、仇やおろそかには、絶対しないし、そんな貴重なものを自分に与えてくれるアンジェリークに報いるに、オスカーは自身の全力でもって、彼女を幸せにし、その笑みを生涯守りぬく、と誓いを立てている。そして、2人きりで閉じた世界を作ることは、幸せの成就では決してありえない、むしろ、己の誓いを妨げるだけだとオスカーは思うのだ。

その上で、アンジェリークの幸せを現実的に考えた時、彼女の身も心も健やかに安全な状態にあることは、オスカーにとっては当然かつ絶対的な、必要十分条件なのだ。いかに愛を熱く語ろうと、彼女の身の安全保障が心もとなくては、彼女をあらゆる危険から守れないようでは、愛を告げる資格、ましてや、彼女から愛される資格がない。自分の社会的地位が、立場が、色々な意味で彼女の身を危うくする危険性が否定できないから、尚更だ。

だから、オスカーは、アンジェリークの安全が何より最優先・最重視だと考えている。安全性を高める可能性、手段はあらゆることを試みるべきだとも思っている。ハード面でのセキュリティは無論大切だが、濃密な人間関係というのはーわずらわしいこともある一方で、確実に、安全性を高める効果をもつので、アンジェリークがそれを心がけてくれれば、安心度が増す。

彼女の学部には、得体のしれない留学生がいることだしーオスカーは、アンジェリークが一方ならぬ怯えを示したあの留学生の動静がどうにも気になったので、彼女の学部で正規の講義が始まった週日、アンジェリークにそれとなく留学生との接点について話を振ってみた。すると、あの留学生とは語学の授業が一緒になるだけで、接点はほとんどないと聞いて、一応、安堵してはいたが…その留学生ことを抜きにしても、用心のためにも、彼女の人間関係はなるべく密であってくれた方がいいと、オスカーは思っている。1度の週末と引き換えに、彼女の安全網の強度が増すなら、安いものだとも思い、彼女にレセプションへの出席を、建前でなく、心から勧めたのだ。

そして、アンジェリークは、オスカーのその考えを十分に、感謝の気持ちをもって理解していた。こんなにも私を愛し、幸せにしようと心を砕き、実際に幸せにしてくれてるオスカー、私も、私がもらっている以上の幸せをオスカーにあげたい、オスカーに幸せだと感じてほしい、と、アンジェリークは強く思う、それには、どうすればいいだろう、ということも常に意識しているからこそ、わかることだった。『私が、自分の身の安全を図ることは、オスカーを安堵させ、心を安らげることに通じるのだ』と。オスカーは、私のことを、いつも気づかい、気にかけてくれている。私が幸せで、健康で、安全な状態にあれば、オスカーも安心する。そして憂いごと、心配事がなければ、オスカーは、その分、彼自身の打ち込みたいこと、なすべきことに、集中・没頭できる、気を散じず、全力を注げる。オスカーにしたいことをしてもらうためには、自分がオスカーを心配させないことが何より大事。だから、アンジェリークは、オスカーが安心・安堵できるようにー心配かけないように、健康に留意し、何が最善かを常に考え、身の処し方に注意しようと思うのだ。

恋愛小説やドラマなどで、好きな人に嫉妬させたり、心配させることで愛情の多寡を計ろうとするヒロインを見たことがあるが、好きな人の心に負担をかけ、現実面では、彼が本来為すべきことに注ぐ時間や労力を削がせてしまうことが、なぜ、愛情表現になるのか、アンジェリークには全然わからない。アンジェリークにとって、愛情表現とは、愛するオスカーを信じ、オスカーの幸せは何かを考え、願い、オスカーのことを、もっとわかりたい・知りたいと思い、彼の目指す道を応援したり手助けできることを無上の喜びとする、そういうもろもろの心の動きだった。

そのためには、すべきこと、した方がよいと思うことはきちんとして、その上で、オスカーと過ごす時間を迎える方が、自分にとってもいいし、オスカーもその方が、安心してくれる。今回の寮の歓迎行事への出席は、まさに、それだった。自分も出た方がいいと思い、オスカーもその方が、人間関係が密になって安心できると言ってくれているのだから。

そして、迎えた最初の週末。予定通り開催された寮の新入生歓迎レセプションに、かなり強引にではあったけどーこれは予想の範囲内だっだので、アンジェリークはひるまずめげず、辛抱強くエンジュをなだめて口説き、結局、首尾よくエンジュを会場である学生会館の小ホールに連れ出すことに成功した。1度会場に入ってしまえば、あとは、ひたすらに挨拶と自己紹介を繰り返し、彼女にも繰り返させ、とにかく知り合いを増やすことを目した。

ただ、おしゃべりの輪を広げている間に、ちょっと気がかりなこともあったけど…おおむね、首尾よくレセプションを終えられた、と思う。これで、エンジュも少なくとも、挨拶を交わす間柄に困る事は…ないだろう。コミュニケーションだって練習や慣れって必要だ、挨拶が当り前の習慣になってしまえば、構えたり、ひるんだりしなくなる、面倒だとか億劫だって、思わないようにすることー努めてでもーそれがまず大事な始めの1歩だから。こちらが身構えて警戒してれば、向こうだって何事かと警戒しちゃう、でも、こちらから胸襟を開けば先方だって打ち解ける、数多くの転校を繰り返してきて、アンジェリークが体得した友達作りの心得だった。

そして、なすべきこと、した方が良いことをきちんとできた、そう自負をもっていえるから、この次の週末は…大学生になって初めて、オスカーと2人でゆっくり過ごす週末を心おきなく迎えられる、そのことを思うと、アンジェリークの胸は、期待で高鳴ってしまう。

無論、この2週間、オスカーとは、しょっちゅう、顔を合わせてはいた。

というのも、授業の開始時刻に合わせオスカーが寮まで迎えにきてくれて一緒に登校し、また、終業時も待ち合わせて、オスカーが寮まで送ってくれていたからだ。オスカーは、アンジェリークが1人の留学生に怯えを見せたことを覚えていて、それも案じて、アンジェリークを送り迎えしてくれているようだった。けど、その留学生の姿は、結局、語学の授業くらいでしか見かけなかったし、アンジェリークが早めに教室に入り、前方の講師傍の席についてしまえば、姿を視界に入れることもなくて済み、その留学生自身、同じ学部の学生にはとんと関心がないようで、誰かと会話しようとする気配もなかったので、アンジェリークも、数日で、気を緩めた。

なので

「あの時は、何か、あの人がすごく怖いような近づきたくないような気がして、怯えて、先輩に無用な心配をおかけしちゃいましたけど、同じ学部といっても、結局、接点はあってなきが如し、みたいなので、いつも送り迎えしていただかなくても、あの、大丈夫です、講義の時間が合う日に、一緒に登校したり、帰ったりできれば、十分幸せですし、先輩のお時間を割かせてしまうの、申し訳ないですし…」

と、オスカーが日々送迎してくれることに恐縮し、辞退しようとしたのだが

「お嬢ちゃんが、無事、教室に、もしくは寮に入るのを自分の目で見届ける方が安心できるんだ。講義の時間が合わない曜日があっても、気にすることはない、空き時間は図書館の学習室でプレゼミの準備…いろいろ調べ物をするのに、むしろ都合がいいしな、俺の時間を空費する心配は無用だぜ」

とオスカーがいうので、結局、言葉に甘えてしまっていた。オスカーに心配をかけるのは、本意ではなかったからだ。

昼食も、オスカーの都合が合えば可能な限り、学食で一緒に取った。出がけにおはようのキスをして、教室に入るまでの登校中も、昼食時にも、そして、放課後、寮内に入るまでの短い帰路に「また明日」の軽いキスを交わす。こんな具合に、細切れではあったが、オスカーと一緒に過ごせる時間は、それなりにあり、寂しいということはなかった。女の子にとって、好きな人とのおしゃべり、出来事の報告は、かなり重要事項でありー内容はたわいなくともーそして、オスカーは、その細切れの時間に、自分の他愛無いおしゃべりにきちんと耳を傾けてくれ、たまに、冗談を返したり、さりげないアドバイスをくれたり、共感してくれたりしていたし。

そして、ほぼ毎朝、寮にアンジェリークを迎えに来て、夕刻はアンジェリークが寮の玄関に入るまで見送ってくれるオスカーの存在は、大学女子寮で早くも「名物」扱いされていた、なにせオスカーとアンジェリークが2人並んで歩いていると、まず、2人の外見ー男性美の権化のような青年と愛くるしい美少女が一緒にいれば、否でも人目を引くーが注目されるし、2人は、見るからに仲睦まじく、互いに敬意と思いやりをもって深い愛情を傾け合っている様子も明らかだったので、新入生合宿時と同様に、ここ大学女子寮でも、2人が憧れと羨望の眼差しで見られるようになるのに、数日もかからなかった。多少、やっかみ視線もあったかもしれないが、2人の睦まじさは、人目をはばからない無遠慮なものではなく、節度と品のある仲の良さだったー極自然に手をつなぎ、少女の足元が危うそうな時などに、男性が、さっと肩を抱いて保護・リードする、すると少女は、感謝の気持ちを満面の笑みで伝える、そんな感じだった。青年が少女を心から大切に思っていることも、少女が青年に全幅の信頼と深い敬意を抱いていることも、ちょっと眺めていれば、すぐわかることだった。これみよがしにべたべたはせず、交わすキスは挨拶程度の軽やかなもの、この2人を見かけた人は、純粋に素敵なカップルだと思い、微笑ましく感じ、温かな気持ちで2人のことを応援したくなる、2人はそんなカップルだった。

余談だが、大学構内では、オリヴィエもしくはロザリア、もしくはその両人が、いかにも保護者という風情で、アンジェリークに付き添うがごとく一緒に歩いていることもままあり、これもまた、アンジェリークを単独で、すでに大学女子寮内有名人とする一助となっていた。なにせオリヴィエの目立ち度・人目を引く度は、ある意味、オスカー以上だったし、ロザリアは近寄りがたい風格と類まれなる美貌の持ち主だし、そんな2人にがっちりガードされているアンジェリークは否応なく「何者?」と注目を集めやすかったのだ。それでも、アンジェリークが、悪く言われることーありがちだが、いい気になってるとか、二股かけてるんじゃないかとか、どんな男にもいい顔してるんじゃないかとか、言われることはなかった。アンジェリークの態度や振る舞いは、あくまでオリヴィエを尊敬できる先輩として節度ある距離感を保ったものだったし、オリヴィエ自身の態度も、見比べてみれば明らかにオスカーのそれとは違っていた。親しさが情緒的ではなく、より保護者然としていたし、オリヴィエがオスカーの親友で、自分のいわば雇い主でもあり、色々な意味で頼れるアドバイザーであることも、アンジェリークは問われればすぐ屈託なく明言した。

「なんでも相談できて、親身になってくれるけど、甘やかさず、厳しいことも言ってたしなめてくださる、頼れるお兄さんみたいな、お姉さんみたいな方なの」と。

そして、オリヴィエから教わって実践している美容法とかメイクのアドバイスを、アンジェリークは惜しみなく屈託なく同級生や寮の学生たちに伝授したので、アンジェリークの好感度が上がることはあれ、曲解・誤解される余地は、まず、なかった。何より、アンジェリークの薬指には、小さなグリーンダイヤのステディリングが常に光っていて、そのことを言及された時のアンジェリークのそれはそれは嬉しそうな誇らしげな表情を見たら、アンジェリークの心、思いの全てが、たった1人の男性にまっすぐに向けられているのは、誰の目にも明らかだったから。

こんな状況なので、アンジェリークの大学生生活は、ごくごく順調に滑り出したといえた。実際、アンジェリークは、とても幸せで、心身ともに充実していた。本業といえる学業はまだ始まったばかりだが、どの講義も興味深く、熱心に取り組もうと思っていた。

それでも、2人きりになれる週末が待ち遠しかったのも事実だった。登校中とか昼休みに話せることは、どうしても、たわいのないことーつまり、誰に聞かれてもいいような、そんなに深刻じゃない話題に傾きがちだが、アンジェリークは、オスカーとゆっくりじっくりと話したいことー寮での新入生歓迎レセプションで、ほんの少し、気がかりなこともあって、ただ些細な気がかりなので、オスカーには、余計な心配をさせてしまうかもしれないと思うと、話した方がいいのか、黙っていた方がいいのか迷っていたことなどもあったので、落ち着いて話しのできる状況を待ちわびていた。

そして、話したいことがある、それ以上に、オスカーともっと密に触れあいたいという気持ちがあった。2人きりの親密な時間を過ごしていないといっても、たった2週間のことだ、それでも、アンジェリークの胸中には、早く2人きりになりたい、オスカーのことを思いきり抱きしめたいし、息も止まる程きつく抱きしめられたい、小鳥がついばみあうような、かわいい挨拶のキスじゃなくて、頭の芯が真っ白になってしまうような熱いキスを交わしたい、そんな思いが、密かに、だが、日を重ねるごとに強く募っていっていたようだ。

その気持ちは、きっと、オスカーには手に取るようにわかっていたのだろう。

別れしなに交わす挨拶の口づけが、少しづつだけど、日毎、名残惜しげになっていき

「そんな瞳をされると、どうにも手放したくなくなる、このままさらってしまいたくなるぜ、お嬢ちゃん」

と、オスカーに、冗談めかして、でも、真摯なまなざしで告げられ、その度に、アンジェリークは、再三、天にも昇るような心持ちになったから。「さらってもいいのに」「連れてって」と感情にまかせて口走りそうになったのも、1度や2度ではない。でも、できないことを、せがみ強請るのは、オスカーを困らせるだけだとわかっていたし、週日は忙しいオスカーを煩わせ、自分のために多くの時間を割かせるのは本意ではない、送り迎えしてもらってるだけでも、恵まれているのだから。それに、焦らなくても、翌週の週末は、オスカー先輩と2人きりで過ごせるのだからと、自分に言い聞かせてこらえた。でも、その週末のことを思うと、アンジェリークは体の奥深くに火が灯る、そんな心持になる。それは、温めた蜜のように甘くてとろとろに蕩けちゃいそうな時間になるはず…ううん、そうなることを私は望んでいる、そうなってほしいと願ってる。レセプションが終わってからというもの、何も予定のない次の週末が待ち遠しくてならない。

そんな期待が、瞳に、表情に出ていたのかもしれない。

オスカー先輩は気付いてる、私が、もっと深く密に触れたい、触れられたいと思っていることに。そう思えてならない。

だって、私、登校途中、先輩が何気なくシャツの袖をまくりあげた時現れる二の腕の逞しさにぽーっと見とれちゃって、思わず、自分から腕を組みにいっちゃったりしたり…オスカー先輩が、車とか来ないか周囲をさりげなく見渡す時も、シャツの襟から覗いて見える喉ぼとけとか、肩甲骨のくぼみとかに見惚れてたこともあったし…シャツに包まれていてもはっきりわかる、男らしくて、いかにも頼りがいのある、肩の厚みとか広い背中に、いちいち魂を奪われて、後ろから抱きつきたくなっちゃうし…きっと、そういう気持ち、全部、気づかれてたと思う、それって、恥ずかしいっていうか、すごく照れくさい、でも、オスカー先輩のことを好きで好きでたまらない正直な気持ちでもあるから、伝わっていたら嬉しいとも思ってしまう。

ね、先輩、伝わってますか?私が先輩を好きで欲しくてたまらない気持ち。一刻も早く、思いきり密に触れたい、隙間のないほど抱きしめられて、全身くまなく触れてほしい気持ち、オスカー先輩には、はしたないって思われちゃうかな…でも、心からそう願っていること…ご存じですか?

こんな風に「触れたい、触れてほしい」と心から願えるのは、オスカー先輩が、私に「愛する人と肌を重ねあい触れあう」ことが無上の喜びだと教えてくれたからこそ。この喜びは触れあう程に、深く豊かになる一方で、こんな幸せを教えてくれるオスカー先輩に、私の胸は感謝と尊敬と愛情で溢れかえってはちきれそう。

触れてほしいと願うから、綺麗だと思ってほしいから、お肌やボディラインのお手入れも、つい、がんばってしまう、頑張れちゃう。オリヴィエ先輩にも褒めてもらえる程に。でも「ストレッチはいいけど、モデルなら、腹筋が割れる程の頑張りすぎはNGだよん」って冗談めかして釘をさされちゃったから、エクササイズはほどほどにしておこう。

恥ずかしいけど、この気持ち、知ってほしい、気恥かしいけど、伝えたい。だから、きっと、私、態度や表情や仕草で表していたのかもしれない。これ、誘惑…になるのかな、誘ってるってことになるのかな…オスカー先輩が、そう感じてくれていたら、うれしい…別れしなのキスが、日に日に深くなっていくのは、私の気持ちが伝わってて、それに先輩が応えてくださっていたからだと嬉しいな…

そんなことを思いながら迎えた週末だった。

大げさな、と言われそうだが、アンジェリークには「ようやく」という想いが強い。

だから、今日は朝から浮き立つような気持が抑えられない。外泊届は昨日のうちから出してある。アンジェリークはいつもどおりの時刻に起きて軽く朝食を済ませ、シャワーを浴びて、ちょっとおしゃれな綿レースのワンピースを身につける。休日朝の早起きも、周りに気がねしなくていいという意味では、1人部屋はやっぱりありがたいと思いながら、髪を整え、オスカーが迎えに来てくれる約束の時間をちらちらと気にする。自室で待っていれば、呼び出しがかかるのだが、その時間も惜しくて、少しでも早くオスカーに会いたくて、何より僅かな時間でもオスカーを待たせたくなくて、結局、寮のエントランスで待つことにした。人待ち顔でそわそわしてて、玄関ドアが開く度に反射的にそちらに顔を向けていたからーしかも1泊用の小さなボストンバッグをもってー他の寮生には、これからデートだって、バレバレだったろうけど、それを恥ずかしいとは思わなかった。アンジェリークの全神経は、オスカーの姿を一刻も早くみつけることに集中していたから。

だから、オスカーが寮のアプローチに姿を現すや否や、自分からエントランスの外に出てオスカーの元に駆け寄った。オスカーが嬉しそうに笑み、自分に向かって両手を広げ、胸を開いて「おいで、お嬢ちゃん」ととろけるような声で告げてくれたから、過たず、その胸にとびこんだ。

オスカーの車に乗ると、オスカーは「さ、行こう」とだけ言って車を彼のマンションに向けた。アンジェリークは、ほっとしたし、うれしくなった。「今日はどこに行く?」と聞かれなかったことに。やっぱり。オスカー先輩は私の気持ちをー早く2人きりになりたい気持ちをわかってくれてる、と思えて。もしかしたら、オスカー先輩も私と同じ気持ちなのではないかしらと思えて。

駐車場から居住者専用のエレベーターに乗り込んだところで、キスされた。キスしてもらいたいって思ってたことを見透かされたようで、アンジェリークは気恥ずかしかったが、それでも、口づけの喜びの方が勝っていた。無我夢中で応えた。エレベータが止まって、扉が開いたことにも、気づけなかった程に酔いしれた。

オスカーの口付けは、明らかに、アンジェリークの体の芯に火を灯そうと意図されたものだった、アンジェリークが望んでいた、頭の芯が真っ白になってしまうような、情熱的なそれだ。アンジェリークは、恥ずかしいほど素直に真っ正直に、その火が己が身も心も燃やしていくことを、喜んで受け入れた、否、進んで望んだ。

オスカーの望むとおり、オスカーが目の前にいる時は、オスカーのことだけを考えたかった、オスカーの存在だけを感じたかった。オスカーの望むことは、自分の望みでもあることが、アンジェリークは嬉しくてならなかった。

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