Before it' too be late 19

やれやれといった感じの嘆息をつきつつ、オスカーは言った。

「聞きしに勝る…だな」

眼前のオリヴィエに対しての言…というよりは、誰にいうともなく、思わず率直な感想が口をついて出たという風だった。そのせいか、オリヴィエはオリヴィエで彼独特の人物像を開陳する。

「今まで見ないって意味じゃ、新鮮なタイプというか…あのアンジェを失礼な人呼ばわりする子って、私、初めて見たわ、今後も、そうそういるとは思えないって意味でも、非常に個性的というか…」

「…それは個性のはき違え、だろう、俺ははっきり言って不愉快だったぜ」

無論、オスカーはそんな感情を、あの少女の前では、あからさまに態度にも口調にも出さなかったし、オリヴィエもそこはよく理解していた。

「ま、あんたの気持はわかるけど、とりあえず、感情を交えず、ニュートラルな偏りのない視線で、あの女の子を見れば、色々な意味で腕の揮いがいがありそうな子だってのは間違いないだろう?…聞く耳もってればの話だけど。あれじゃ、アンジェが苦労したのも無理ないっていうか、一面、アンジェにはいい人生勉強の経験値を与えてくれたのもわかるっていうか…」

「だから、なんで、おまえがあの子とお嬢ちゃんの関係は熟知してるって風な口をきくんだ!」

「おや?気になるのは、そっちの方かい?ま。その件に関しては後でゆっくり教えてあげるよ、そう、きりきりしなさんなって。で、話を元に戻すけど、あの子さぁ、いったい、何の用で私らに会いにきたんだと思う?」

にやにやしているオリヴィエに渋い顔をしていたオスカーだが、真面目な話を振られ、即座に思考と気持ちを切り替える。

「用があったのは、おまえにだろ?名ざしされてたのはおまえじゃないか…あの子自身は、俺たちに用なんてありませんみたいなことを言ってもいたが、あれは感情的になった勢いで口走っただけって気もするし…いや、まてよ、あの子、捨て台詞に変なこと言ってたな…あなたたちが男か女か…あなたたちってことは、俺も対象内だったってことか?で、男か女か…って言いかけた…おまえの性別不肖はともかく、この男性美の極値・権化・体現である俺が男か女かわからないってのは、どういうことだ?目が見えてなかったわけじゃないよな?」

「言ってなさい、あんたは。あ、ねぇねぇ、私のこと呼んだってことは、最初に、あの子に取次頼まれたのって、あんただよね?最初から、あの子、私のこと、名ざしで呼びつけたの?」

もう教室を出ようとしていたところだったようだが、オリヴィエに呼びとめられた学生は、親切に足をとめ、彼らに向きなおってくれた。ただ、その顔つきは釈然としないものだった。

「いや、違うぜ、最初は、デュカーティとクラウゼウイッツ、2人はどこかって聞かれたんだ、俺」

「やっぱり俺も一緒くたか?」

「それが変なんだ、あの子…最初、名ざしで、おまえたち2人の居場所を俺に尋ねたから、てっきりお前らのファンかと思ったのに、おまえたちの顔、知らないみたいでさ、金髪と赤毛、どっちがデュカーティでどっちがクラウゼウィッツだとか聞いてくるんだぜ、変だろう?なら、呼んできてやろうかって言ったら、余計なことするなっていきなり怒りだすしさ。おまえたちの名前は知ってるけど、顔は知らない、でも会いたい…いや、単に見たい?かな、そんな感じだった。でも、それってさ、人を訪ねるにしては、なんか変…おかしくないか?」

確かに妙な話だと、オスカー、オリヴィエの両者ともに感じ、2人は互いに顔を見合わせた。

不可解な来訪者の言動、その目的の誰何に、オスカーとオリヴィエは現況と情報の整理をするために、互いの考えを言葉に出して交換しあうことにした、この辺りの呼吸は、言葉にせずとも阿吽で通じあう。

「私らの名前を明言はしたけど、呼ばなくていい…直接会わなくても用は足りるってことか…顔をみるだけ、それも、遠目から見れれば、それでOKだったってことかな」

「遠くから熱い視線を投げられるのは、慣れてるが…俺がいい男だから、眺めたかったってわけでもなさそうだな…実際、俺の顔を見て驚いてたし…俺の顔と名が一致してないのに、どうして、実物を直に見たいと思ったんだ?で、あの子、俺たち2人の所在を確かめに来たんだよな?なのに、なぜ、オリヴィエだけ呼びつけたんだ?」

「それは、あの子にデュカーティが男か女かどっちだ?って聞かれたからさ。珍しくもないけどさ。でも、あの子の態度があんなだったから、わざわざ教えてやるのが面倒になっちまって…で、デュカーテイに直に聞けばいいだろって、話をふっちまった…ていうか、おしつけたくなっちまったんだ、すまん」

「遠目から眺めるだけでは判断がつかなかったんだな、無理もない」

「私の美貌は性別を超越してるからねぇ、我ながら罪作りだねぇ」

オスカーはオリヴィエのおちゃらかしを露骨にスルーした上で、気のいい学友の方に向きなおり、真面目な顔でこう告げた。

「それは、おまえが謝ることじゃないさ、話をふりたくなったのもわかるし、おまえがオリヴィエを呼んでくれたおかげで、あの子と直に言葉を交わせたんだから、むしろ、よかった」

「そういってもらえると…あの女の子の態度、あんなだったからさ、俺がデュカーティを呼びつけちまったせいで、お前らに嫌な思いさせちゃったかなって、思ってたから」

「いや、呼んでくれてよかった」

「うん、私もオスカーに同意」

僅かでも直に言葉を交わせば、その人柄の一端は掴める。しかも、あの特異かつ激烈な反応、言葉の端々から見えたものがある。オスカーは純粋に親切で気のいい学友に感謝した。同時に、あの少女には、この男の親切心も気だての良さも、きっと、まったく伝わっていないのだろうな、とも思った。

「ふむ…ちょっと整理してみるぞ。あの子が訪ねてきたのは俺達2人、俺たち二人の姓は知っているのに、顔も性別も知らずに会いにきた。そして俺のことは遠目でみるだけで十分だった。俺達が男かどうかも知らなかったんだから、俺たちがいい男すぎて、思わず、ストーカーしちまったわけじゃないな。お嬢ちゃん関連で、来たわけでもない。俺たちとお嬢ちゃんが長く深い付き合いだってこともしらないようだったし、アンジェは関係ないって言いきっていたもんな、で、捨て台詞の「私はあなたたちが男か女か」みたいなこと言ってたのが、俺は気になるな、あの子、何を言いかけてたんだと思う?オリヴィエ…」

「なんとなく推測はできるけど…私たちの何かを知りたかったっぽいよねー、遠くから眺めるだけで十分なこと」

「でも、お前の性別ははっきり確認したがった。てことは、俺たちの性別を知りたかった、と考えて間違いなかろうな…」

「あ!思いだした!あの子、おまえたちが、男か女か、知りたいだけだって、俺に断言してたぜ。だから、呼んできてやろうかって言ったら余計なことするなって怒り出したんだった。なんか変だろう?」

「私ら二人の姓は知ってて名ざしだったんだよね?1stネームは知らなくて、姓だけしか知らないなら、性別がわからないって、ありうることだけど…でも、何で私たちの性別を知りたかったんだろう?いったい何の目的で…」

「おまえたち、2人とも大富豪だか大会社の御曹司なんだろ?うちの学校じゃそう珍しくはないけど…でも、あの子、いかにも外進の新入生みたいだったから、大金持ウォッチャーとか有名人パパラッチとか、そんなとこじゃないのか?」

「いいオトコ、モテモテ、それ以外の私らの共通点って言ったら、やっぱ、お金持ちのお坊ちゃまってことかねぇ、確かに。で、私たちのファミリーネームのみ知ってて、個別に性別を知りたかった、となると、んーと、あの子の目的は…珠の輿狙い?かな?」

「そうかもよ。こう言っちゃなんだけど、あまり、みなりに構う余裕のない苦学生に見えたし、うちの学校、おまえらみたいなのを筆頭に良家や金持ちのお坊ちゃんが、たくさん、いるもんな。有名な何々家って名前だけ頼りに、片っ端から男子学生に目をつけて、なんとか在学中にゲットして…とか思って、とりあえず、顔を見にきたんじゃないか?なんか、きりきりしてて余裕のない雰囲気だったし…余計なお世話かもしれないけど、おまえら、玉の輿狙いの女子の誘惑にのって、妊娠させたりして、首根っこおさえられないようにな…って、おまえらに限ってそんな心配あるわけなかったか、失礼。ことに、クラウゼウィッツは、あんなかわいい彼女が居るんだもんな」

2人は、黙って顔を見合せて苦笑した、幸か不幸か、この年頃の若者は欲望の制御がきかずに御しやすしと思われて、2人とも、そういう類の女性からの売り込み、もしくは仕掛けられた陥穽には、高校生時分から慣れっこだったので。彼らのような出自の男性には「据え膳」ほど油断のならないものはないのだ。

「ああ、せいぜい気を付けるよ」

「おまえらの友達にも注意しろって言っておいてやれば?指折りの名門とか有名人、多いだろ?」

「さんきゅ、あんた、いいやつだね」

「よせやい、じゃ、俺、次の授業あるから、またな」

気のいい学生が教室から去ったのを見て、オリヴィエとオスカーは、改めて、考え深気に顔を突き合わせた。

「で、あの子、玉の輿ねらいだと思うか?」

「きゃははっ!まさかね!」

「ああ、それなら、もう少し、態度や言葉づかいに気をつけるだろう?2人同時に粉をかけるなんて、マンハント…「男狩り」としたら最低かつ不手際極まりないやり口だし。それに、おまえだって、自分を売り込みたい女性は見ればわかるだろう?」

「ああ、だって、印象良く見せようって気が皆無だったもん、あれは。自分のことはどう思われてもいい、って、そういう態度だった。知りたいことはわかったから、あとは、もう、どう思われようと、私には関係ない、どうでもいい、とでもいうような…」

「必要な情報さえ得られればいい…て、ことはだ…情報を利用したいのは、彼女本人ではない可能性もあるな。彼女自身が、俺たちの性別を知って何か役立てたいなら、ああいう態度は百害あって一利なしだものな。となれば、誰が、俺たちの姓を調べたいヤツが背後にいるのか、いるとしたら、その目的は何なのか、だ」

「…私、なんとなくだけど、話がつながっちゃった。アンジェから聞いた話と合うんだよねぇ…確かになりふり構わない感じだったし…目覆いされた馬車馬って、ぴったりって感じ」

「さっきから、引っかかってるんだがなぁ…その思わせぶりは、何なんだ。おまえ、俺のお嬢ちゃんから、どんな話を聞いた?何を知っているんだ?」

「んふふー、ちょっとね、でも、ここでできるような話じゃないから…」

「んむ、確かに、それは俺も同感だ。場所を変えるにしくはないが…おまえと情報交換及びブレインストームする前に、ちょっと確認しておきたいことがある」

「あ、それ、私も賛成、つか、確かめようと私も思ってたとこ」

「ああ、とりあえず、俺たちと同じ程度に富裕層、もしくは、玉の輿を狙われそうな程に、すでに名声を築いてる奴らに、あの子の突撃訪問があったか、あたってみよう」

オリヴィエは携帯電話を取り出すと

「まずは、昔馴染みの誰からにする?」

と尋ねた。

「あの子は新入生総代だ、他学年の者では、あの子が訪ねてきても覚えてないかもしれない、俺たちみたいにたまたま直接言葉を交わしてなければな。印象に残っているとすれば、同学年の者の方が確実だろう」

「なら、まずはロザリア、ランディ、ゼフェルだね」

オリヴィエは、携帯をとり出した。

「分担しよう、休み時間は短いし」

「じゃ、俺はゼフェルにかける」

「じゃ、私はランディね」

「カタルヘナの姫君には、その結果を検討してから、確認しよう」

と言って、それぞれに携帯電話のコールを始めた。

 

ランディにかけたオリヴィエのコールは短時間で終わったが、ゼフェルにコールしたオスカーの方は、会話時間が少々長かった。何かゼフェルから興味深い話を聞いているらしかった。オリヴィエは、オスカーとゼフェルの会話が終わるのを待って、まずは、自分の報告をする。

「ランディは全然心当たりはないって。今年の新入生総代の女の子だけど、身近で見かけたことない?って尋ねてみたんだけど『俺、入学式の時、ほとんど寝てたから、総代ってどんな子だったか、全然覚えてないんですよ、はははっ!』だってさ、あれじゃ、エンジュが接触してたとしても気付いてない公算大だけど…とりあえず、ランディは接触なしの部類かな、で、あんた、ゼフェルとえらく話が弾んでたみたいだけど、収穫あったわけ?」

「ゼフェルも入学式の新入生総代は覚えてなかったけどな、エンジュの印象・外見の特徴を言ったら…『そいつぁオリエンテーション合宿で、ロザリアとどんぱちやらかした、いや、やらかしかけて、アンジェに取りなされて事なきをえた、あの時の女子じゃねーかなぁ?』という返事が返ってきた」

「へぇ?なんか、おもしろそうな話だねぇ」

「ゼフェルも最初から最後まで見てたわけじゃないらしいんだがな、合宿の自由時間の談話室で、楽しく談笑してた女子集団が、唐突に水を打ったみたいに静まり返った一瞬があったそうだ。あの談話室で、特に女子の喧しいおしゃべりがぴたっと止むなんて稀有なことだから、「何事だ?」と思って、ヤツが反射的にそっちに目をやったら、ロザリアが、ずい、と1歩前にでて1人の女子に向けて「周りを不愉快にする権利はあなたにはない」みたいな事をきっぱり言ってたっていうんだ。周囲が静まり返っていたから、ロザリアの声がよく聞こえたそうだ。で、その直前の沈黙から、ゼフェルは、ロザリアのたしなめた女子が、何か、場が一瞬にして凍りつくような発言を爆弾よろしく炸裂させたんだろうと察した。あの姫君は理のないことは云わんし、正義感に篤いから、黙ってられなかったんだろうってな。で、ロザリアと正面切ってやりあおうなんて、いったい、どんな奴だと思ってよくよく目を向けた先にいた子が、どうも、外見からするに、さっきの彼女らしいんだ」

「ふんふん」

「で、ゼフェルは、もう少し成行きを見るか、止めに入ったものか考えてたら、俺のお嬢ちゃんがその場に登場して、ロザリアとその子が角突き合わそうとしてた場を引き取った。そして、俺のお嬢ちゃんは、2言3言、その子と言葉を交わしただけで、その場を丸く収めたっていうんだ。ゼフェル曰く『アンジェの台詞は静かで抑えめだったから、詳しくはなに言ったんだかわかんなかったけど、相手の女子は、興奮して毛を逆立てたネコみたいだったってのは覚えてる。で、おめー、知ってっか?喧嘩してるネコを止めようとするってのはなぁ、実は、すげー危ないんだぜ、興奮して訳わかんなくなってっから、無暗やたらと攻撃してくるかんな。怪我しねーよう助けようとしてるなんてこと、ネコにはわかんねーから、手ぇ出してくる奴には、とにかく攻撃しちまう。ても、そんな相手をアンジェは魔法みたいになだめたんだ。すげーと思ったぜ。それまで、緊張でぴりぴりしてた空気が、緩んでなごんで、ほっとしたのは俺だけじゃないと思うぜ』だそうだ」

「場が凍りつくような発言をした上で、たしなめた子に逆にかみつく、毛を逆立てたネコみたいに攻撃的に…か、なんか、ほんの少し言葉を交わしただけだけど、すっごくイメージがかぶるねぇ、つか、外見もほぼ一致するなら、間違いなく、それはあのエンジュだろうね」

「で、ゼフェル自身は、そんなわけで、エンジュの外見を覚えていた、だが、エンジュを自分の周囲で見かけたことはないそうだ。ただ、これから接触という可能性もあるから、もし、エンジュをおまえの学部棟で見かけたら、教えてくれと言っておいた」

「そんないきさつがあるとしたら、ロザリアとエンジュは明らかに顔見知り、顔を合わせればすぐ互いに気付く筈だよね。ことに、エンジュが所謂「お金持ちの家の子」を片っ端から訪ね歩いているとしたら、「名家カタルヘナ家の子弟」って事実だけを頼りに、ロザリアの性別を確かめに行ってる公算大だね。で、顔を見て、名家カタルヘナの名を持つ者が、あのロザリアだと、初めて気づいたってこともあるかもしれない…エンジュが訪ねていってれば、ロザリアならきっと、覚えてる筈だね」

「そういや、あの子は俺の顔をみて驚いていた…俺がお嬢ちゃんと一緒にいる処を見かけたことがあったのかもな、だから、俺の顔と、姓と、それぞれ知ってはいるものの結び付きのなかった知識が、ここでつながって、驚いたのかもしれないな…じゃ、取り急ぎ、ロザリアにあたってみよう」

オスカーがロザリアにコールする。彼女はすぐ出てくれた。

そして、オスカーはロザリアに今年の新入生総代のエンジュのことを知っているか、最近、身近で見かけなかったか?と尋ねた。

すると、しばらくロザリアとやりとりを続けたオスカーが親指をたててオリヴィエに見せた。ビンゴだ。

『詳しく話を聞いてみて、今が都合悪かったら、指定してくれた時間にこっちから電話をかけ直すって言って』

オリヴィエが筆記で伝えようとしたその内容を、指示される前に、オスカーはロザリアに少し話を聞きたい旨を伝え、都合のいい日時を尋ねていた。

 

「最初、誰のことか、よくわかりませんでしたのよ。けど、彼女の人相風体をオスカー先輩が詳細に説明してくださったので、そういえば、アンジェが呼んでいたあの子の名がエンジュだったと思いだしましたの」

コールしなおしたロザリアとの話はこんな風に始まった。

場所はカフェテリアの片隅、紙コップのコーヒーを前に、オスカーがメインでロザリアあてに携帯電話をかけている。向かいに座っているオリヴィエは、携帯電話に差したイヤホンの片側を耳にあて、2人の会話を同時に傍受するかまえだ。ロザリアとのやりとりが2人同時にわかるので、後で説明する手間が省け、てっとり早いし、口調や言葉の選び方など、伝聞では伝えきれない情報も共有できるからだ。プライバシーの点では、ロザリアには少々申し訳ないとも思ったが、どちらにしろ、やりとりはオリヴィエにも詳細に伝わるわけだし、会話を傍受するのがオリヴィエなら、事情を話せば、ロザリアは怒ったり不愉快に思ったりはしないだろうとも考えた。そして、話は続く。

「で、そのエンジュですけど…ええ、お尋ねの通り、つい、何日か前に似た子をみかけましたわ。ただ、見かけたと言っても、目が合いそうになった瞬間、物凄い勢いでまわれ右して走り去っていった、それらしい後姿を見ただけなので、100%そうとは言い切れませんけど…けど、あの時も、何かどこかで見かけたような見覚えのあるような後姿だなって感じて、ちょっと引っかかる所がありましたの、ですから、言われてみて思い当ったんですけど、あれはエンジュだったと思います、ええ、その可能性は高いですわ。え?いつ頃みかけたか、時間帯はわかるか?ですって?授業の合間に教室移動しようとしてた時だったと思います。あ、そういえば、あの子をみかけたのは、一般教養の授業時間でも、その教室でもありませんでしたわ、法学部の、しかも必修の授業の後か前だったと思います。でも、それって…今、考えてみれば変な話ですわよね、同じ1年生ですから、一般教養の授業時にすれ違うとか、みかけるならともかく、私があの子らしき姿を見たのは、法学部棟で、しかも必修授業の合間の時間でしたもの、もしあれが本当にエンジュだとしたら、学部の違う学生が、別の学部棟のしかも必修授業の前後に、その教室近辺をうろうろしてるっていうのはおかしいですわよね?だって、何の用もないはずですもの、それこそ尋ね人でもいない限りは…そして。尋ね人なら、その目当ての人物に声をかけていくはずですわよね?わざわざ訪ねてきたのに、誰にも声をかけずに、ただ眺めて、すごい勢いで走って立ち去るなんて…。ちょっと意地の悪い見方かもしれませんけど、なにか、見つかったら困るような、やましいことでもしているかのよう…そんな印象を受けざるをえませんでしたわね」

ロザリアは慎重に言葉を選んでいた。確証がないことは明言はしない、思いこみで物を言わない、感情で決めつけない。アンジェリークとは別の意味、別方面でエンジュの態度と正対していた。ただロザリア自身のエンジュへの印象や判断は限りなく黒に近いグレー…なんとも胡散臭い、怪しい印象だったということは、十二分にオスカーに伝わった。

「オーライ、君のところの状況はわかった、情報提供感謝する。もし、また、あの子を君の身近で…ことに「こんな時間にこんな場所にいるなんておかしい」と感じる場所でみかけた時は、よかったら、教えてくれないだろうか?今は、まだ、ちょっと詳しい訳は言えないんだが…その、俺たちが気にかけていることが、杞憂、もしくは、心配する程のことでもない…なんでもないことかもしれないのでな」

「俺たち?俺たちって今、そこにいらっしゃるのは、オスカー先輩と、あと、どなたですの?オスカー先輩とアンジェですか?そこにアンジェが一緒にいるんですの?」

突然、ロザリアが色めき立った。

「いや、今ここにいるのは、俺とオリヴィエだ。…俺たち2人、あのエンジュという子のことで少々気がかりがあってな…なので、申し訳ないが、今、横で、オリヴィエも俺たちの話も聞いている」

オスカーが少々逡巡をみせつつも正直に打ち明けると、ロザリアが響くように反応した。

「ちょっとお待ちください、オスカー先輩とオリヴィエ先輩が、どうして、あのエンジュって子のことを気にして、その動向を調べてるんですの?お2人が気にかけるってことは、もしかして、この件に、アンジェが何か関係してるなんて、ございませんこと?実は、寮住まいの友人から聞いたのですが、あの子、アンジェに何か、ひどいことを言ったとか、ひどい態度をとったとか…もし、そうなら…私、あの子に一言言ってやらなくちゃ気がすみませんわ!」

その言葉にオスカーは、先刻のエンジュとオリヴィエのやりとりを思い出した。あのエンジュという娘は、アンジェリークが自分を悪く言っているはずだと、思いこみ決めつけて、逆にオリヴィエに「あんたはアンジェから悪く言われても仕方ないと思うようなことをしたという自覚があるのか?」と突っ込まれていた。追及しきる前に逃げられてしまったので、確信は持てなかったが、それこそ、オスカーの印象では限りなく黒に近いグレーだったが、やはり、そうだったのか…。オスカーはほぞをかむ思いだった。

アンジェリークは、あの少女のことを案じ、親身に考えていた、そして、相談を受けた当時、オスカーは、あの少女の人となりを直に知らなかったので、一方的な伝聞だけで人を評価するのは公平でないと思ったから、アンジェリークがあの少女にかかわるのは、なんとなく危ういなと危惧しつつも、やんわりと匂わす程度に「あまり深く関わらない方がいいと思う」程度の提言に控えていたが…むしろ、それがあだとなったか?もっときつく「そういう手合いとは関わらない方がいい、君が傷つくだけだ」と強く言っておけばよかったのか、と悔いの感情が湧いて、オスカーは暫時、本題を忘れかけた。

「すまん、ロザリア、俺は、その件を詳しく知らないんだ、差支えなければ君の知っていることを教えてもらえ…」

と、息せき切って尋ねかけた時

「あー大丈夫、大丈夫、その件なら、私がアンジェから相談うけて、気にしないよう言ってあるから!」

脇からいきなり電話を奪ってオリヴィエがロザリアに太鼓判を押した。

「それならいいんですけど…あの、エンジュって子は利害に…ことに己の利に敏感な子と申しますか、何かというと、自分は公平に扱われていない、不当な扱いを受けていると、周囲に不平不満を訴えずにはいられない…いえ、それだけなら、まだそれほど実害はないんですけど…愚痴やら不満を巻き散らかすにとどまらず、そのうっ屈を他者への攻撃に変換するようなところがあって…あれでは周囲の者はたまったものではありませんわ。それでいて、自分は被害者…世間一般から酷い目にあっていると思うばかりで、自分が加害者だという自覚がかけらもありませんから、何度でも同じようなことを繰り返すんですわ。そういえば、合宿の時も、言われなく周囲を困惑させ不愉快にするような発言をはばからないので、それをたしなめましたら「本当のことを言ってなにが悪いのか」と開き直る…どころでなく、それはもう挑戦的というか、敵意むき出しに食ってかかってきましたし…本人の意識では、正当防衛、もしくは正当な主張なのでしょうね。だから悪びれたところが一切なくて。ああいう輩は人の話に耳を傾ける、人の意見を聞くに値するなんて、決して思いませんから…あの時も、アンジェがものすごく辛抱強くたしなめて、あの子を落ち着かせなければ、今年の新入生合宿が楽しくない思い出になってしまったかもしれませんでしたわ。アンジェの我慢強さー本人は辛抱してるなんて思ってないでしょうけどーと、親身な態度には、敬服いたしましたけど…正直、その思いがエンジュって子に伝わるか、きちんと実を結ぶのか、怪しいと感じてましたのよ、そうしたら案の定というか、心配してた通りのことがあったみたいで…でも、あの子、自分からは何も言わないものだから…こちらからほじくり返して、あの子に嫌な思いを追体験させたりするのは、私の本意ではありませんし、私、やきもきしてましたのよ。でも先輩方が、きちんと自分の役割を果たして、アンジェを慰めてやってくださっているのなら安心ですわ、もちはモチ屋じゃありませんけど、私、自分の分は弁えておりますから、1番任せるのが良さそうな方にお任せいたしますけど…けど、もし、私の目からみてアンジェへの心配りが足りないようでしたら、遠慮なく手も口も出させていただきますから、それは、ご了承おきをお願いいたしますわ」

「いやいや、あんたの手助けがあれば100人力で心強いよ、私らもだけど、アンジェ本人がね。何か手伝ってほしい時は遠慮なく言うからよろしくね、んじゃ、まったねーん」

オリヴィエがわざとらしいほど朗らかにロザリアとの通話を切った。が、その時、オスカーの胸中は穏やかならぬどころの騒ぎではなかった。

エンジュという少女の行動は、その目的も背後関係もよくわからないという点では薄気味悪い。が、オスカーは、そんなことよりも、その癇症気味の女生徒にアンジェリークが何か、嫌な思いをさせられたらしいこと、それを自分は全く知らなかったことーアンジェリークが打ち明けてないのだから当然だがー自分は打ち明けてもらえていないのに…ただ、ロザリアもアンジェリーク自身の口から聞いた訳ではなく同級生からの噂で知っていただけというのがせめてもの慰めではあったがーなのに、このオリヴィエには、相談をもちかけていた、というのが、オスカーには少なからぬ、いや、かなりの衝撃だった。

『水臭いぜ、お嬢ちゃん…』

しかし、アンジェリークが俺には自分から何も言わなかったということ=嫌なことだから言いたくなかったということもあるかもしれないが、話を聞いた俺が嫌な思いをするのではないかと案じたか、もしくは、心配をかけたくないと考えて何も言わなかったのだろう、とアンジェリークの心情が予想できただけにーそれは全部、自分オスカーを思ってのことだろうと容易に推測できるだけに、オスカーは衝撃の逃がし所が見つけらなかった。

このもやもやした閉塞感をどう手なずけ、あしらえばいいのか…と考え込みそうになったところで、はたと思いつく。いや、嫌な思いをしたのは俺じゃなく、お嬢ちゃんじゃないか、勘違いするな、被害者は俺じゃない、お嬢ちゃんだ、お嬢ちゃんが、嫌な思いをしたことに気づいていなかった自分の間抜けさ、おめでたさを叱咤し、忸怩たる思いに苦悩するのは、むしろ、俺には授業料だ、問題は、そう、お嬢ちゃんがどんな嫌な目にあったのか、俺は知っているべきか、それとも、知らない振りを通した方が、お嬢ちゃんには気が楽なのか、ということだ。

つい先ほど、オリヴィエに「おまえ、お嬢ちゃんから、何を聞いている!」と問いつめかけたが、そして、今も、その内実を知りたくてたまらないし、オリヴィエだけがお嬢ちゃんの問題を知っていたという事実は癪に障るし、悔しいというのが本音だ。が、お嬢ちゃんが俺に知らせたくないと思って黙っていたことを、俺がこれ以上追及していいものか、いや、直接お嬢ちゃんを問い詰める訳じゃなし、こいつを締め上げて、事情を聞きだすのは許されるだろうか…

と、オスカーは精神的衝撃に苛まれつつ、オリヴィエを追求したものか否か、しかし、お嬢ちゃんが隠しておきたがっていることを、ほじくり返すようなことは慎むべきかと、ハムレットのような心境でー大げさだが、オスカー自身はそういう気分なのであるー苦悩していると、オリヴィエが、訳知り顔のにやにや顔で、オスカーに話かけてきた。

「ちょっと、オスカー、あんた、エンジュの目的が謎で気味悪いってことを抜きにしても、あまりに懊悩深き面差しというか…ぶっちゃけ、めちゃ機嫌悪くなぁい?ん?」

「あいにく、俺は男にふりまく愛想は持ち合わせておらん。いつも、こんな顔だ、悪かったな、ふん」

オスカーは、憮然とした顔で、すっかり冷めきった紙コップのコーヒーを口に運ぶ。とにかく、落ち着かねば、そして、意地でもこいつのペースに乗せられるものか、と思いつつ。

「ふっふーん、強がらなくていいって。アンジェが、あんたの知らなかった問題を、私に相談してたってのが、気になるんだろう?ロザリアの言ってたことも気になってるだろうし。さしずめ『俺のお嬢ちゃんの問題を、なぜ、俺以外の者ばかり詳しく知ってるんだ、くそ、気分が悪い』とでもいうところかねぇ」

「ぐほっ…」

しかし、意地張りの努力もむなしく、語るに落ちたという感じで、オスカーは盛大にコーヒーにむせて咳きこんだ。

「それでも「お嬢ちゃんがおまえに何を話していたのか、俺にも教えろ」って言わないあたり、流石だねぇ。喉元まで出かかってるだろうに」

「…がほげほ…おまえ、ほんっとーに嫌な奴だな!」

「アンジェがあんたに話してないってこと…つまり、アンジェのプライバシー、あの子が自分に言いたくないのかもしれないってことは、無闇に詮索せず、アンジェの意思を尊重しようとしてるんだろう?本音では、アンジェの相談内容を知りたくて死にそうになってても…あんたのそういうやせがまんな処、好きだよ、オスカー」

「気色悪いこと言うなー!」

「安心しなよ、口止めされてるわけじゃないから、今、教えてあげるって。ただ、アンジェがあんたに何も言わなかったのは、あんたに心配かけまい、としてのことだし、あの子自身、ものすごく深刻な悩みってわけでもなくて、なおかつ、相談したところで、解決が難しそうなことだったから、そういう無益なことで、あんたを悩ませたり、気を散らしたくなかった、それだけさ。あの子は、私たちの手を借りた方がいいかどうか、きちんと状況判断できるし、助けてほしい時は助けてほしいって素直に言う子だって、わかってるだろう?独りよがりに問題かかえこんだりしないよ。言わなかったのは、相談しても打つ手がない、それをあの子もわかってたから。私は、たまたま、あの子が無防備に溜息ついてるとこみかけちゃって、それで、無理やり、溜息の原因を聞きだしちゃったんだ」

「つまり、お嬢ちゃんの溜息の原因は、さっきのエンジュって子が関係してた、それは事実なんだろう?それで、おまえは、あの、エンジュって子のことを知ってたのか…一体全体、お嬢ちゃんから、あの子のことで何を…どんなことを相談されてたんだ?」

「相談ってほどじゃない、ちょっと心配だ位のこと。アンジェはね、さっきのあの子…最近のエンジュが行き先もわからないまま、誰かに鞭打たれて全力疾走してる馬車馬みたいにみえて、すごく危うく思える、って、心配してたのさ。でも、一方で、一生懸命走ってる彼女は、充実してるのは確かみたいで、どうにも危うい気はするものの…それも、自分がそう感じてるだけでーそういう印象を受けるだけで何か証拠があるとか、具体的な弊害があるわけじゃないから、心配だとは思いつつも何もできることはないってことを、ちょっと気にしてたんだよ。なんか、エンジュは寮でも孤立してるらしいけど、本人はどこ吹く風って様子らしくて。それも、アンジェには危うく思えるらしいんだよね」

「あの性格、あの態度では、無理ないって気もするがな。俺のお嬢ちゃんは優しいから、それでも、放っておけないのか…」

「ん、ただ、以前に、あんたから、ものすごくためになるアドバイスはもらっていたのに、それを有効に役立てられなくて、エンジュとの関係がこじれてしまったってことも、アンジェは気にしてた。それもあって、あんたには黙ってたんじゃないかな」

「そんなこと、気にしないでよかったのに、お嬢ちゃん…」

「けど、アンジェは、自分が嫌な目にあったなんて、自分から吹聴する子じゃないから、エンジュにどんな悪態吐かれたのかまでは、私も詳しくはしらないんだけどね。ただ、危害とか嫌がらせとかされてるわけじゃないのは確か。単に、アンジェを無視してるだけみたい。それって感じは悪いけど、確かに大して実害はない、エンジュが無視してるのは、アンジェ1人に対してじゃなくて、寮の住人みんならしいし。それでも、アンジェはエンジュへの挨拶だけは地道に変わりなく続けてるっていってたから、それでいいと思うし、あとは、それ以上は、もう静観するしかないね、って、私は言っておいたけどね」

「けど、あの子が俺たちに接触してきたことで、もう俺もエンジュって子と無関係じゃなくなったとも言えるよな…つまり、俺たちがエンジュって子の奇妙なふるまいの理由を調べるために動いても、お嬢ちゃんが引け目を感じることも遠慮する必要も、もう、ない。そうだよな、オリヴィエ」

「その動機は、アンジェみたいな優しい気持からじゃぁないけどね」

「そう、問題は動機、だよな、エンジュって子の…」

「あの子が単なる有名人ウォッチャーなら、大した問題じゃない、玉の輿願望があって、有名人や名家の子息を片っ端からリストアップしてて、その性別を知りたくて、でも、私らがお眼鏡にかなわなかっただけ…私らがアンジェの知り合いとわかって、良い子ぶるだけ無駄だと思って、開き直って素を出しただけ、って可能性もないわけじゃない。けど、とにかく、エンジュは何かの目的があって、どんな基準でだか選んだ人たちの性別を知りたがってたのは確かだよね。となると、問題は、富裕層の子弟の性別を調べたがっている、それがあのエンジュ本人の意思か、誰かの命でさせられているか、だね」

「そこで、お嬢ちゃんの言葉、印象が重みを持ってくるな。お嬢ちゃんは、あのエンジュって子のことを「目覆いされて行き先もわからないまま走らされてる馬車馬みたい」って評したんだろう?上手いこと、言うもんだ、流石、俺のお嬢ちゃんだぜ。人を見る目が違う」

「ああ、まったくさね。この目で見て、その印象ってぴったりっていうか、すぐ、すごく納得しちゃったもん、で、あの子…エンジュのあの態度や様子じゃ、ロザリアのところだけじゃなく、他学部でも色々、足跡残してるんじゃないかな。当の本人は気付いてなくても、幸か不幸かたまたまあの子につかまって、リサーチの協力させられた学生も…さっきの男子学生みたいなのが、他にもいるかもしれないし、いたら、色々な意味でエンジュの印象って、それなりに深く残ってるんじゃないかねー」

「その辺から、あの子の痕跡を探ってみるか?あの子が富裕層にだけ、目をつけているのか…さもなくば、玉の輿ねらいで、いわゆる有名人や芸能人、芸術家もターゲットに入れているのなら、そっちにも接触があったかどうか、先輩方と、あいつ…リュミエールにもたずねてみたら、何かわかるかもしれん」

「確かにリュミちゃんなら、玉の輿の嫁ぎ先候補として申し分ないもんねぇ、在学中に公認会計士か税理士か、そっち方面の資格取るのは確実視されてる傍ら、芸術家としても名がしれてて、堅実な生活設計と華やかな名声とを両立しちゃってるもんね。見た目は麗しいし、人あたりは優しいし、女の子から見たら理想の結婚相手といえるかも。しかも、あんたと違って、過去に浮いた噂もない上、今、ステディもいないから、もう、モテモテみたいだよ」

『ステディを決めないのは、あいつが今でも「俺の」お嬢ちゃんを未練たらしく諦めてないからってだけじゃないのか』と一瞬いやーな顔をしかけたオスカーではあったが

「ああ、有名人に顔なじみ、昔馴染みが多くて助かった、流石に、面識のない者をいきなり捕まえて、身上調査してたら、それこそ、こっちが不審に思われるからなが」

と、当たり障りなくまとめた。

「では、まずは親しい先輩がたから、あたってみますか」

「そうだな。手分けしよう」

そしてオリヴィエとオスカーは、旧知の人々に授業の合間を縫ってエンジュの来訪の有無を確かめてみることにした。

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