Before it's too be late 22

そのころ、エンジュは、自分に尾行がついていることなど予想だにせず、相も変わらず、馬車馬のように命じられた通り、わき目もふらずに全力疾走ーもらった名簿の性別判別に全力で取り組んでいた。おしみなく力を注いだ甲斐あって、調査は着々と、ほとんど何の滞りもなく進んでおり、ほどなく、すべての名簿を照合し終えそうだった。

嫌な顔見知りに会いそうになったこともあったが、その時も、うまく、切り抜けられたしー調査対象のうち数人が、アンジェリークの知り合いとか友人だったという偶然があったが、その後、それは繰り返されることはなかったので、あれは単純に嫌な偶然として、エンジュの中では処理されていた、これだけ大きな学校なんだもの、調査対象の中に、顔見知りがいても不思議じゃないと自分に言い聞かせることで。

その嫌な偶然以外は、不手際も不具合もなく、調査は順調に進んだので、エンジュは、自分の手際の良さを、誇らしくひけらかしたい気分にさえなっていた。

早く、自分の働きを見てほしい。こんなにも頑張っている自分、きちんと仕事のできる自分を見てほしい。銀髪さんは、もしかしたら、すごく喜んで手放しでほめてくれるかもしれない。そんなことを夢想しては、言いようのない甘やかな気持に満たされた。

一方で、この調査が終わったら、私と銀髪さんをつなぐ接点はどうなってしまうのだろう…という恐れと不安が、エンジュの中に芽生え始めていた。

彼に命じられたことなら、私はきちんとこなせる、彼なら、私が成し遂げられる仕事を命じてくれるから、私は、自分に誇りがもてるようになる。けど、彼に命じられることがなくなってしまったら…私は、また、ただの役立たず?誰からも用無し?不器用でみっともなくて冴えない、この学校では全然輝けない、ツマラナイ存在に逆戻り?

そんな立場になるのは…決別したと思っていた過去の自分とまた同じ立場になることなど、エンジュは耐えられなかった。必要とされる幸せ、評価される喜びを1度知ると、それを失うのは、喜びを知らずにいた頃に戻るより、もっとひどくつらいことに思えた。ゼロだった時点に単純に戻るのではなく、マイナスに落ち込む、そんな気分だった。

どんなことでもいい、なんでもいい、彼の命が途絶えることがありませんように、私、なんでもしますから。

何も命じられなくなること、仕事の終わりを告げられること、それが、今のエンジュには最も恐ろしいことだった。

そうならないためなら…誰にも必要とされない、顧みられることのない日々に戻らないで済むなら…彼の命なら、なんでもする、どんなことでもしてみせる。エンジュは、今、本気で、そう思っていた。

だって、エンジュには、今、彼の傘下にいる以外、居場所がないのだ。

銀髪さんと出会ってからは、ボランティアー一般的なボランティアはもとより、留学生の支援活動の集まりにも顔を出してない。

寮は、もう、ずいぶんと前から、単に食事と睡眠を取る場所でしかなくなっていた。エンジュにとって、寮は、メンテナンスのための場、それだけであり、自分の居場所ではなかった。自ら、誰ともつるまない、慣れ合わない自分を貫き、その事に誇りさえ感じていたのだから、それは当然の帰結ではあったが。誰に声をかけられても、挨拶されても、基本、無視して通すうちに、最近は、挨拶すらされなくなってきていた。

『寮の女子は、私のことを馬鹿にして、侮って、私を「自分1人では何もできない、食事すらとれないだろう」と見下して憐れんで、それで私に声をかけてくるのだもの、そんな失礼な人たちは無視して当然だわ』

それがエンジュの論理だった。私は自分1人で何でもできる、1人で大丈夫なのだと、言い張りたかったし、それを周囲に知らしめるためには、意地でも孤高を貫く必要があった。そして、そんな孤高を保つ自分を銀髪の青年と同一視して、酔いしれたい気持ちもあった。そんな中、今でも自分に声をかけてくるのはー簡単な挨拶程度だけだがーあの金髪の可愛い子…アンジェリーク位だった。が、それがまたエンジュは、何か悔しくて、腹立たしい。「私のこと、1人じゃ何もできないだろうって、今もバカにしてるのね、だから、しつこく、声をかけてくるのね」としか思えないから、意地でも、アンジェリークへの無視を続けるつもりだった。そういう態度がまた、他の寮生の反発を招いていることも、エンジュは知らないし、知ろうとしない。エンジュは、ひたすらに意固地に、かたくなに、みずからの孤独を深めていく。

エンジュの孤独は、エンジュが自分の考えと意思で、周囲との協調を避け、差しのべられた手や言葉を、けんもほろろに跳ねのけることによって、彼女が自ら招いた境遇ではあった。自分の居場所を無くしているのは、自分自身であり、今の境遇を招いたのは、自分の言動の結果であったが、エンジュは、自分には、銀髪さんの傍以外、どこにも居場所がないことも、この状況を自分自身で作りだしていることも、決して自らは認めなかったし、また、気付かないふりをしていた。

けど、誰からも必要とされず、誰ともつながらず生きていくことは、本当は、とても怖くて、惨めで、悲しいことだ。自身では認めておらずとも、意識の上では認めていなくても、心の底では、それをわかっている。

でもエンジュは、それをー自分が人との繋がりを欲し焦がれていることを認めようとしないし、認めたくない。だから、人とつながるために積極的に働きかけない。自分から、人に声をかけたり、親しげにふるまうことは「他者にこびへつらうみじめな振る舞い」であり、そんなことをしたら「負けだ」と思っている。でも、本当は、他者と関われない今の状態こそが、惨めな境遇なのだと、心のどこかではわかっているー認めたくないだけで。そして、他者と関わりを持てない惨めさを糊塗するために、無闇に無意味に周囲をさげすむことで、自身のプライドを保とうとする。がちがちの鎧と棘だらけの言動で自身を武装することで「自分はこんなにも強い」と声高に主張し、自分自身にも言い聞かせ、そう思いこもうとするのだ。本当に強い心の持ちぬしは、武装などする必要がないから、しないのだということにも気付かない。エンジュには、自身の「弱さ」を認める強さもないからだ。

その強固な鎧の内側では「自分は強い」という実態のないプライドばかりが、肥大化していく。けれど、現実に即していない自我は、見かけは大きくても、ひ弱でもろいからー風船か張り子のようにーすぐに傷つくし、はたから見れば僅かな傷でも、本人の意識では大怪我を負ったように感じるー大層痛むから。痛い思いをするのは嫌だし、つらいから、ますます、鎧は強固になる。自分が傷つけられる可能性を少しでも減らすため、周囲に人がいなくなるようにふるまうー自ら人を遠ざけるような言動を繰り返す。いない人は自分を傷つけようがないから、その方が安心できるからだ。自衛に凝り固まる結果、傷つきたくないなら、周囲に人なんていないほうがいいという結論に、こうしてエンジュはたどりつかざるを得ない。「ずっと1人だった」「誰からも必要とされたことがない」と、恥ずかしげなくーむしろ誇示するがごとく言い張れるのは、それが、自ら選び取り、招き寄せた境遇だと、頭の片隅で理解していたからかもしれない。

けど、肥大化した自我は、自分を認めてもらいたい、必要とされたいとも、常に思っている。自分が価値のある人間だと自惚れるには、どうしたって他者からの承認ー評価され、認められる必要があるからだ。自分1人で「自分はエライ」「自分は価値のある人間だ」と声高に訴える虚しさ・滑稽さは、認めたくなくてもわかってしまうから。

だから、そういう人間ほど、1度でも実際に必要とされ、頼みにされる甘美な喜びを知ると、その境遇にしがみつく。この手を放したら終わりだ、みじめな自分に逆戻りしてしまう、そうなったら終わりだ、破滅だと思いこむ。

そして銀髪の青年には、そういう人種が、不思議なほど、わかった。嗅ぎ分けられた。選別し、掬いあげ、操るために必要な手管も本能的に知っていた。選別眼を持っているだけでなく、彼には、そういう人種を引き寄せる暗い磁力のようなものが備わっていた、それは彼自身が、この世界への不平不満ではちきれそうになっていたからかもしれないし、また、誰よりも彼自身が「自分は価値のある人間だ」と、自分1人であっても、声高に叫ばずにいられない心根の持ち主であったからかもしれない。

言い換えれば、以前ー故国に居た時から、彼にはそういう人種しか身近によってこなかった。そういう人種しか、自分のために働いてはくれなかった、という方が近いかもしれない。が、とにかく、そういう人種は、引き寄せられるように彼の元に集まってきたし、そういう人種をどう使ってやればいいか、その点に関しては、彼は天賦の才の持ち主であり、熟練の使い手であった。

くすんだ藁色の髪をもつ、やせっぽちで冴えない少女が、自身を崇め奉り、執着しーそれは本当は「誰かに必要とされる価値のある自分」という境遇に執着しているだけで、彼という人間に心酔している訳ではないのだがー彼から捨てられまいとするあまり、自分の命なら何でも聞く、なんでもやるという心理になっていることを、銀髪の青年はきちんと理解していた。この女は自分に利用されたがっているのだから、利用してやるのは、王族としての慈悲だとすら思っていた。

その少女は、彼の下した命を、愚直に、きちんと遂行し、その結果を、たった今、全て、彼に手渡しおえたところだった。

命じられた仕事を為し終えた少女は、すがるような、溺れる者のような目で、じっとー視線を外したらそれで終わりだとでもいうような必死な眼差しで彼を見ていた。

銀髪の青年は、われ知らず酷薄な笑みを口元に浮かべていた。今現在の少女の心境が手に取るようにわかる。自分はこのままお払い箱にになってしまうのか、もう用はないと言われたらどうしよう、と、少女が不安と恐怖に慄いていることが。

「御苦労だった。名簿の照合はこれで終わりだな」

そう告げるや、少女の目に絶望と狂おしい渇望とがないまぜになった物が瞬間渦巻いた。

「私…」

少女が口を開きかけ、そのまま固まる。「なんでもやります」と言おうとしているのか。もっと赤裸々な内なる声は「捨てないで」という処だろうか。

「誰が喋っていいと言った。我がいいというまで、口を開くな」

彼女の心の声をわかっていながら、青年はぴしゃりと言い放つ。少女が泣き出しそうな顔でぎゅっと唇をかみしめた。銀髪の青年の心は仄黒い自尊心で満たされる。

主従のけじめは常に思い知らせておかねばならない、利用してやるのはむしろ、こちら側からすれば慈悲なのだから。

もちろん青年に現在唯一の手ごまを手放す気はないー今のところはーもっと利用価値のある存在ーたとえば資産家の令嬢が己の手ごまになるまでは。

ただ、照合し終えたリストを眺めるに、彼のリストの中でも上位の資産家の子弟は、残念なことに男子が多かった。最優良トリプルA評価のデュカーティ、クラウゼウィッツ両家の子弟が揃って男子だったのが、ことに残念だった。手広くアパレル事業を展開するだけでなく、傘下に多くの他業種をもち多角的に事業を展開しているデュカーティの子弟をたらしこめれば、多額の資金が引き出せたことだろう。また、目に見える資産規模ではデュカーティには一歩譲るが、彼の目的を考えれば、クラウゼウィッツに令嬢がいてくれれば、彼女を籠絡するほうが彼としては手取り早いー目的に至るための段階が簡素化できるはずだった。

彼は多額の資金提供を必要としていたが、そのお金で何をするのかが肝心なのであって、金銭そのものが彼の目的ではなかった。彼は守銭奴ではない。金自体に執着は微塵もないので、唸る程金があっても別段に感動もしなければ、うれしいとも思わない、金など使わずとも、望むものは手に入るのは当たり前のことだからだ。自らは一切稼がず、額に汗することなく、奢多な生活を当然のように営む、それが王族というものだ。

彼自身は金に執着していなかったが、彼は、目的のために、今、金を必要としていた。が、もし、クラウゼウィッツの者が自身の手ごまになるのなら、金は必要ない、彼の欲するものを、クラウゼウイッツが持っているので、それを提供してもらえばいいからだ。金銭を媒体とした消費や契約という段階を飛ばせる分、簡単でいい…と青年は思っていたのだが、クラウゼウイッツにいたのは令嬢ではなく、子息だったのだから、こればかりは仕方ない。どうやっても男を女にはできないし、自分には好き好んで男を籠絡する趣味はない、必要とあらば、やってやれないことはないかもしれないが、それがクラウゼウィッツの男に有効とは限らない…ヘテロセクシャルな嗜好の持ち主なら、逆効果にしかならんし、こればかりは繰り言を言っても始まらん、と冷静に次の手を考える。

ただ、色仕掛けを考えるなら、リストの子弟が同性愛指向か異性愛志向かまで、この者に調べさせておくべきだったか…と、青年はふと考えを馳せ、考えると同時にちらりと少女に視線を投げ、即、この案を棄てた。無理だ、この者には、それは、あまりに荷が重かろう、と。性の嗜好などというデリケートな問題を見ず知らずの少女に問われるままに答えてくれる人間など、普通はいない、そして、それを前提に、絡め手で、とか、それとなくこの問題を、自分なりの方法で調査しろ、などという命を出しても、この少女は、理解も実行もできまい。この少女は、一から十まで順序まで定めて指示を出してやれば、指示通りのことは卒なくできる、が、ただ課題を与え「問題解決のアプローチや方策は自身で考えろ」と言えば、パニックになるか、途方に暮れて立ちすくみ動きが取れなくなるか、挙句、こんな課題を自分に与えた者が悪いと逆切れして遁走するのが関の山だ。それが火を見るより明らかに青年にはわかる。

この少女は、使い方にコツがいる。単純作業には役にたつ。機械か家畜のように扱う方が有効に活用できる。が、所謂自律思考は期待できないので、作業の場数をこなしても「有能な手駒」になるわけではない。単純作業しかできない―替えはいくらでもいるからくたびれてきたら、いつでも切り捨てられる駒、そのように使うのが正解だ。が、今はとにかく、まだ切り捨て時ではない。まだ、使い道はあろう。

少女は、青年のこんな心中も知らずー想像だにできぬだろうー今も、判決を待つとらわれ人のような風情で、不安と恐れと、微かな希望の入り混じった、粘つくような視線で、彼をみつめていた。銀髪の青年に執心していることが、明らかだ。

その様子をみて、青年は傲慢に考える。

そう、相手が女なら…富裕な生まれでも高貴な血筋でも、女は女だ。普通の女なら、この俺が一言二言言葉を交わし、視線を交わせば、俺に心酔し、寵を請い、執心するはずだ、この女のように。特にこちらから働きかけなどせずとも、王族たる我が目をかけてやること自体が恩寵なのだから。

それでなくとも富裕層の子女は結婚を有効な切り札と考えるー自分自身が手持ちの札であり、それをいかに効果的に使うか、高値で取引するかを、その肌身に教え込まれているはず、ならば、基本の性的志向はヘテロー個人的な性癖はどうあれ、そう刷り込まれているとみなして、よかろう。となれば、俺のこの容姿、生まれと血筋は効果があるはずー取引相手として非常に魅力的に映るはずだ。

やはり女だ。利用するなら女の方が手っ取り早い。

彼の手持ちのリスト内に名があり、この学園に子女がいる中で、条件の良いものは……

「クラウゼウィッツ、デュカーティがダメとなると…やはりカタルヘナがダントツか…」

彼はひとりごちた後、顔をあげると、目の前の少女に高飛車にこう命じた。

「おい、おまえが…カタルヘナの令嬢を個人的に知っているわけはないか…名簿の照合の時、姿を見かけているだろう?今からこの女がいる法学部に行くから、R・カタルヘナがどの女か、俺に教えろ」

「R・カタルヘナって…ロザリア!?ロザリアに?あなたが会いに行かれるのですか?」

意外にも少女は、即座に頷頭せず、青年の命に、自らは疑問で返してきた。その無礼は、青年には大層不愉快なものだった。王族の命は、遅滞なく速やかに復唱され実行に移されねばならない、疑問を呈するなどもってのほかだ。が、彼は、その苛立ちと不愉快をとりあえす棚上げした。少女の返答が予想外のものだったからだ。

「ロザリアだと?ファーストネームを気軽に呼べるほど、おまえはカタルヘナの令嬢を個人的に知っているのか?」

「…知っているというほどではありません、が…」

「どの程度の知り合いだというのだ、おまえが先方の顔と名を一方的に知っているだけか。それともこの令嬢もお前を知っているのか?言葉を交わしたことはあるのか?」

青年は回りくどいほど丁寧に少女を問いただす。ピンポイントで問うてやらねば、彼女から明確な答えは得られないからだ。

「お互いの顔は知っていて、顔を合わせれば互いにわかります。でも、彼女が私の名を知っているかどうかは、知りません。言葉を交わしたことはあります」

「なら話が早い。この女に我を紹介しろ、などとは言わん。おまえに、その場で機転を効かすとか当意即妙が期待できんことなど承知だからな。この女が所属しているサークルを調べて、俺をその見学につれていけ。留学生がサークル活動に興味を持って、留学生でも参加・活動できるかどうか知りたがっているので、案内しているといえば、不自然ではなかろう。お前を通じての方が、目くらましになっていい」

「ロザリアのところに一緒に…ですか?どうして、ロザリアに直に会いたいなんて…」

あからさまに、しつこく渋る少女に、青年は苛立ちをあらわにした。下々に反抗と不服従を許し、つけ上がらせては、ろくなことにならぬ

「我は不服従というものに慣れていない。王族の命に疑問を呈してはならぬ、王族の命は遅滞なく執行されなければならぬ。王族の命を拒むという不敬を犯すようなものに我は用はない、我は他の配下…いや、協力者を探すまでだ」

「…すみません、ロザリアのサークルを調べます…調べてお連れします…」

「3日の猶予をやろう、3日後の放課後にはそのカタルヘナの令嬢が所属しているサークルの見学に行けるよう、手はずを整えておけ、いいな」

「……」

「返事は?」

「はい…」

「ぐずぐずするな、わかったのなら、さっさと調べてこい」

「あの…どうやって調べれば…」

「おまえのような者が、どういうわけかカタルヘナの令嬢と知遇を得ているのだろう?…学生という立場ならではのことなのだろうが…ならば直接、令嬢に尋ねればよかろう?」

「あの子と口を利くなんて…できません」

「それはそうだろう、おまえのような者がカタルヘナの令嬢と対等に言葉を交わせるなどと思いあがっていたら、その方が驚きだ、が、この国では学生同士は対等な身分、建前では、そうであろう?ならば、カタルヘナの令嬢がおまえごときと交わす言葉がないと内心思っていても、それを表に出すほど、愚かではなかろうよ…いや、その方がわれにはむしろ都合がいい。おまえが口を聞いてもらえぬほど、身分意識の高い女なら、おまえは我の使いだと名乗っていい、とある王族の使いできた、と称することを特別に許そう。王族からの使いとあれば、おまえごとき者でも、カタルヘナの令嬢から、そう無碍にも扱われることもあるまい」

「そうじゃなくて!私が!ロザリアなんかと口をききたくないんです!あのアンジェの友達なんかと…」

「ほう?これは驚いたな、その口のききようからすると、おまえは自分がカタルヘナの令嬢より上位の存在、少なくとも対等と考えているようだな…何を根拠にしてかはわからぬが…とにかく、分不相応なおまえの思い上がりは我にはどうでもいいことだ、要は我の命に従うのか、否か…それだけだ」

「っ…」

「協力者でない者に我は用はな…」

「わかりました、今すぐ調べてきます、ロザリアの処にお連れできるように…」

「それでいい。では、3日後の放課後にな」

エンジュは、それでも、何かのきっかけで、青年がこの命を思い直してくれぬか、という風情で、暫く彼を見つめていたが、諦めたように肩をおとして学生会館を出て行った。

その時、キラリと眩しい反射光が視界の端に光ったのを感じたが、彼もエンジュも、別段、それを怪しみも気にもしなかった。昨今のカメラは、レンズの口径がかなり小さいものもざらにあるので、レンズの反射光だけでは、それとわかるものは、そう、ないからだった。

 

「どうしよう、どうしよう、どうしよう…」

わかりました、と言ってしまったもののーあの場ではああ言うしかなかったーエンジュには、ロザリアがどのサークルに所属しているかなんて、どうやって調べればいいのか皆目見当がつかなかった。

ロザリアの所属学部は知っている、自分で調べたのだから…顔も知っている、見にいくまで、R・カタルヘナがロザリアだとは知らなかったが。

でも、新入生合宿で、何も悪くない自分を不当に攻撃してきた子だ、2度と口をききたくないと思っていたから、調査中も目が合う前に立ち去ったのだ。

なのに、あの銀髪さんは、ロザリアに会いたいという…なんで、あんな子に会いたいんだろう、銀髪さんは。ロザリアはお金持ちのご令嬢だって言ってた、だからなの?嫌だ、すごく、嫌だ、でも、会わせなかったら、私はもう、銀髪さんに「いらない子」と言われてしまう、そっちの方がもっと耐えられない。

けど、ロザリアに直に尋ねるのも嫌だ、あんな攻撃をしてきたロザリアが、私が何か尋ねたって、親切に教えてくれるわけがない。第一、理由を問い詰められたら、どう答えればいい?銀髪さんは、自分の使いだと言っていいと言ってたけど…それを、ロザリアに教えるのは、なにか、どうしても嫌だ。それに、今まで名簿の照合中は、自分の名前も目的も誰にもいわないようにって、銀髪さんは言ってたのに、私は、その言いつけを、きっちり守って、あのアンジェの先輩とかに見つかっちゃった時だって、必死に誤魔化したのに、どうして、ロザリアには、正体を明かしてもいいなんていうの?

考えれば考えるほど、途方にくれた。ロザリアと口を聞きたくない、銀髪さんの正体も告げたくない、けど、3日後には、銀髪さんをロザリアのサークルに連れていくと約束してしまった。ロザリアのことを知っている友人の心辺りもない、友人そのものがいないのだから…

「あ…」

そこまで考えて、おもいだした。

自分の友人ではない。

けど、その子は、ロザリアの友達だ、それは確かだ。

そして、その子は、今も私のことを、1人では何もできないとバカにしてるのだろう、何かと声をかけてくるから。なら、私が、ロザリアの所属サークルを尋ねたら…「教えてほしいことがある」と請うたら…

それみたことか、という顔をされるかもしれない。あんたは1人じゃ何もできないし、何もわからないんでしょう、私がこうして手伝ってあげないと、という態度を取られるかもしれない…そんなのは、すごく嫌だ、悔しい、耐えられない。

けど、それさえ我慢すれば、私が尋ねれば、教えてくれるかもしれない…

あの子に憐れまれ、上から目線で「教えてもらう」のは、すごく嫌だけど…人の世話になると思うと、すごく嫌だけど…だって、私は自分1人で何でもできるのに、人に助けを借りたり物を尋ねるなんて、屈辱だ…それでも、アンジェリークに尋ねる方が、ロザリア本人に尋ねるよりは、まだましだともエンジュには思えた。それに、一時の屈辱に耐えさえすれば、銀髪さんの役に立てる。我慢すれば、銀髪さんとの縁を切らずに済む。けど、もし、ここで私が我慢しなかったら、銀髪さんは、他の人に、何事も頼むようになってしまう。そしたら、私は、もう用無しだ、そっちの方がずっと嫌だ、耐えられない。

それに、その子は寮に帰りさえすれば、待ってさえいれば、捕まえられるのだ、ロザリア本人を探すより簡単だ。

エンジュは、何かに追い詰められたような瞳のまま、まっすぐに寮に向かった。あの金髪のかわいい子、寮で、今も自分に声をかけてくる唯一の存在・アンジェリークの帰寮をロビーで待ちうけるつもりだった。

 

少々、時間は遡る。

アルテマツーレが使うという調査会社、そのプロの調査員の仕事は流石に綿密だった。大学構内での調査が主となるので、大学生に見える年頃の、地味すぎず、派手すぎない、人目を引くほど大柄でもなく、小柄でもない中肉中背のー周辺の学生に埋没しやすい目立たない容姿の調査員が派遣されたという報告を皮切りに、その後、エンジュの動向が逐一、オスカーに届けられた。

報告によるとエンジュはー調査している側が調査される事態など思いもよらなかったのだろう、ましてや自分がプロの調査員に尾行されているなどなおさらだー驚くほど無防備・無警戒ということだった。

エンジュは声を落とすこともなく、方々で、堂々と人の名ー調査対象者の名を挙げて、その所在を訪ね、探し歩いていた。自分が何らかの調査をしていること、人を訪ね歩いている様子を隠しだてする気も、誤魔化す気も毛頭ないようだった。それは「私は人探しをしています」と大声で宣伝しながら歩いているようなものー無自覚にーだったので、エンジュの性別調査に挙がった人物は、調査員には容易に調べがついた。彼女の人探しリストは日々刻々と判明していき、そのリストも、遅滞なくオスカーに報告された。

ある程度のリストが出そろったところで、オスカーはオリヴィエを呼び出し、2人でその人名を検討してみた。

「やっぱり、名だたる資産家の子弟がずらりだねー」

「ああ、彼女が資産家の子弟に的を絞って、その性別を調べているのは間違いない。ただ、彼女の選に、一定の条件か、何らかの縛りがある気がするんだ、金融資産ーフローする資産規模の大きさが基準だとは思うんだが、それだけとも言い切れなくなってきた。と、いうのも、ここで見る限りでも、○○家の者は調査対象なのに、同資産規模の××家の子息には接触がなかったりする…××家は俺やお前の実家と同じ企業家ーしかも、金融証券の大手だ。ジュリアス先輩のように不動産もちだから除外されてるわけじゃない。ロザリアがリストに入っていたことから、金融・証券だから除外されてるというわけでもなかろう。となると、選定の基準がわからなくなってくる…この××家だけじゃない、同じ金融資産持ち、他にも同規模の資産家、かつ業種がおまえやロザリアの実家と同じなのに、選から漏れている者がいる…。その線引きの対象、その区別の根拠がいま一つ判然とせん。ゆえに、いまだ、この調査の意図と目的が絞りきれん、歯がゆいことにな」

「資産家っていうより、実業家縛りってのは、オスカーの言う通りだと思うんだよ、けど、実業家なら…たとえばカタルヘナと同程度の資産規模を持つ金融業の〇○家の息子が、対象外ってのは、確かにおかしい…」

「調査対象が判明すれば、調査目的が絞れるかと思ったが…かえってわからなくなってきた…」

「お金持ちの子弟が狙われてるのは確かなんだけどねー」

「けど、そんなの、俺らにとっては、ある意味日常茶飯事だ、改めて注意を促すまでもない」

「だよねー」

彼らを含む資産家子弟層は、誘惑されたり、だまされたり、付け込まれたり、詐欺にあったりという比較的軽度の魔の手から、下手をすれば営利犯罪組織に誘拐される危険とも、常に隣り合わせだ。ゆえに身辺警護に注意を払うのは、いわば常識だし、警戒を促したとしてもー言わずもがなと思われるであろうし、警護のレベルは自己判断だ。彼らには、折をみて、目的は定かではないが、富裕層子弟の身上調査をしている人物がいるようなので、身辺に気をつけるよう、注意を喚起しておくだけで、十分だろうとオスカーは考えた。

そんな煮え切らない状況がしばらく続いた。分けても、オスカーの心をもやつかせたのは、エンジュは、調査結果を誰かに報告するような行動になかなかでないことだった。つまり、調査対象ではない第3者と接触したという報告が、オスカーの手元にあがってこなかった。

第3者との直接接触がないだけでなく、エンジュは定時連絡らしきやりとりも一切していなかった。彼女は携帯電話を持っていなかった、寮の個室で、個人でPCを所持し、WEB回線を使用している形跡もなかったし、寮に据え付けのPCを利用しての通信も行った形跡がないとのことだった。寮に、外線から彼女あての通話がかかってくることもなかったし、彼女が、どこかに連絡することも見受けられなかった。携帯電話の普及で、街中の公衆電話の数は激減していて、使用するとむしろ目立つためか、公衆電話を利用したこともなかった。ために、当初の報告から、オスカーは、この調査は、エンジュ1人の考えでしていることで、いわゆる黒幕などいないのか?俺の見込み違いか?1か月過ぎても、あの少女がこのまま誰とも接触をしなければ、この奇妙で不躾な調査は、エンジュ単独の行いであると結論付けざるをえんな、俺の早とちり、考えすぎで終るかもしれん…と、思い始めた、その頃のことだ

オスカーは、日々、アンジェリークと登下校をともにし、他愛ないおしゃべりを通じて、大事な彼女の身辺に変わったことはなさそうか、様子を見ることを、最近の常としていたが、その朝、アンジェリークは、ことの他、楽しそうで、はつらつとして、朗らかに見えたので

「今日も元気だな、お嬢ちゃん、お嬢ちゃんはそうでなくちゃな…とは思うが、それにしても何か特別いいことでもあったのか?ん?」

と尋ねてみた。

するとアンジェリークは、待ちかねていた、もしくは、報告したくてうずうずしていたという風情で、はじけるように

「そうなんです、先輩、その、はたからみたら、些細なことなんですけど…あの、以前、お話したことあるエンジュっいう子…同じ寮生で今年の新入生総代の子なんですけど、なかなか、うちとけてくれない様子だったのに、昨日、初めて、自分から、私に話しかけてきてくれたんです。新入の女子寮生同士、おしゃべりするなんて、普通の当たり前のことなんですけど、なんだか、私、うれしくて…」

と、勢い込んだ様子で、さも嬉しそうに告げた。

「なんだって?エンジュ…っていうと、お嬢ちゃんが気にかけていた総代の子だったよな?

オスカーは「エンジュ」という名を記憶の奥から探し出すふりをした。自分が人を雇って彼女の動向を探らせていることなど、おくびにもださない。

「それで、その子とどんなことを話したんだ?」

その会話が、オスカーは気になった、オリヴィエとロザリアからの伝聞からも、自分に投げつけられた言動からも、あのエンジュという少女が、アンジェリークにそう良い感情を持っているとは思えない。しかも、あの少女は誰かの走狗かもしれない、その疑いをオスカーはまだ捨ててない。走狗だという証拠も亜がってないが、そうでないという確証も現時点ではないのだから。

「はい、サークル活動のことです。ロザリアが何のサークルに所属してるか知ってるかって尋ねられて。1度見学に行きたいと思ってるからということでした。それで、私、うれしくなっちゃって…ロザリアはオケ部、オーケストラ部で活動してるわよ。オケ部といっても、大学に入って初めて楽器を触って人もいるって話だから、どんどん見学に行って、わからないことは尋ねてみるといいと思うわ、ぜひ、行ってみて」って、思いきりお勧めしちゃいました。あの子が「自分はできっこない」とか「奨学生だからどうせ無理」みたいな思い込みから抜け出せて、サークル活動をやってみる気になったのなら、すごくよかったわって思って、それでうれしくて…」

「そのエンジュって子は、ロザリアの所属サークルをお嬢ちゃんに尋ねたのか?」

オスカーが気になったのは、そこだった。

「はい、きっと顔見知りのいるサークルの方が、見学に行きやすいからじゃないかと思いました。その…ちょっと頑なところがあるっていうか、あまり、人と打ち解けにくいタイプの子みたいなので、エンジュは…知ってる人のいるサークルなら、あまり、構えず、見学にいけるんだろうと思います。興味を示してくれたら、私のスモルニィ祭準備委の活動も、紹介したいと思ったんですけど、エンジュがロザリアの方が気易く話せるとか、オケ部が気にいれば、それにこしたことないですし…」

その言葉にオスカーは思わず、アンジェリークの肩を、きつく強すぎるほどの力で抱き寄せた。アンジェリークがよろけて、オスカーの体躯にしな垂れかかってしまう程だった。

『打ち解けにくい、どころの話じゃないだろう?お嬢ちゃん、俺は、その子が君に暴言を吐いたとか無礼な態度を取ったらしいことを知ってるんだぜ、なのに、君ときたら、どうして、そんなに優しいんだ…』

そしてあの少女に、アンジェリークのこんなやさしい気持ちは、伝わっているのか怪しいなと思うと、切なさと愛しさがこみ上げて、思わず抱き寄せてしまった、とは、オスカーは言えない。だから

「きゃ、どうなさったの、先輩?」

というアンジェリークの問いにも

「なんでもない、お嬢ちゃんが、あんまり愛しくて、思わず抱き寄せたくなっただけだ」

と目を眇めて答えただけだった。

「ふふ、変な先輩、けど、うれしいです」

アンジェリークは屈託ない笑みを返してくれた。

その曇りない笑みに、オスカーの胸は切なさと愛しさがさらに増す。

『お嬢ちゃん。君の優しい純粋な思いが、どうか、ストレートに通じるように、俺は祈らずにはいられん…しかし、ロザリアの名前をまず挙げたという、そのエンジュの振る舞いを思うと…そう事は単純ではないと、俺は考えざるを得ん』

エンジュの調査対象にロザリアがいたことを考えれば、エンジュは、ロザリアの動向をさらに詳しく調査するために、サークル活動での接近を図りたくて、親友のアンジェリークにロザリアのことを尋ねた、と解釈するほうが妥当だと、オスカーは考えざるを得なかった。

せめてエンジュの奇妙な振る舞いの裏に、誰の差し金も指図もなければ、アンジェリークの善意はまだ報われる。できれば誰もいてほしくない、アンジェリークのためにも…頭ではその可能性は低いと考えつつも、オスカー自身は祈るように、こんな気持ちになっていた、その矢先のことだった。

調査会社から、エンジュが第3者と接触した、また、その接触相手の情報をいくばくか得られたという連絡がき、それとともに報告書が届けられた。

オスカーは、落ち着かない気持ちで、その報告書に目を通した。添付されていた写真の一葉を見た時、呻きとも嘆息ともつかぬものが、オスカーの口からこぼれた。

と、その時、狙いすましたかのようにオスカーの携帯電話の着信音がなった。

旧友であり盟友でもある、オリヴィエからのコールだった。

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