エンジュという少女を走狗として、この国の富裕層の子女に接近を図ろうとしているらしい青年は、○○国で起きた騒乱の首謀者かもしれない。
そして、その男は、自分と同じ学び舎にいる女子学生の父が、自身の保護監察人であること、女子学生の恋人が、自身のクーデター制圧に間接的にではあるが関与していることを、恐らくは知らないのだろうと、オスカーには思われた。少なくとも現時点では。アンジェリークは、その男を必修授業の教室でほとんど見かけたことがないと言っていたから、自身の所属学部に自分の保護監察者と同じ姓をもつ女子学生がいることも知らないだろう。何も知らなければアンジェリークとリモージュ氏の関係も推察される恐れもない。だが、ヤツがいつまで所属学部の学生たちに無関心を通すか、その保障はない、ヤツが何かの折にアンジェリークの存在に、その姓に気づいたら、延いてはリモージュ氏や俺との関係に気付くようなことになったら…それをオスカーは、危惧してやまない。この事実が、いつ、どのようにヤツに知れるかわからないし、知れた時、ヤツがどんな行動にでるか、わかったものではない。
が、どんなに怪しいと、胡散臭いと、得体が知れない、何をするか知れたものじゃないと思っても、では、オスカーに何かできることがあろうか、何もできやしない。そも、一個人を学び舎から排斥する権利や力はオスカーにはない。ましてや、やつは、一つ一つの行動は怪しく胡散臭いが、犯罪を犯した訳ではなく、犯罪をたくらんでいる証拠もない。なのに、個人の行動に制約をかけ、拘束するのは…これは人権の侵害、どころか恐怖政治の領域になってしまう。決定的な証拠がなく、現実に犯罪を犯していないのに「こいつは悪いことをしそうだ、悪いことをたくらんでいるかもしれない」というだけで、個人に干渉・拘束を許せば中世の魔女裁判の再来、独裁国家の秘密警察が密告により個人を逮捕・監禁・拷問するのと、本質的には同じになってしまう。
やつが、実際に何かをやらかさねば…単に、富裕層の子弟の性別を調査しているだけでは、制限や拘束などできない、その子弟に近づきに支援を依頼したとしても、俺たちに、それを止める権利、やめさせる権利があるわけじゃない、投資話に乗るか否かは、投資家個人の判断だ。ましてや、資金援助を依頼するだけなら、犯罪にもならん…
そいつが、ろくでもないことのために資金援助を必要としていると推測できたとしてもだ、他国での騒乱やクーデターの企てを「悪巧み」とみなすかどうかも、人によって異なるだろう。自分たちが巻き込まれる恐れがない限り、他国の争い事も投機の種であり投資の好機とみなす投資家は現実にいる、武器商はその最たる人種だ。自身が武器商の家に育ったからこそ、同業他社の振る舞いを多く見知ってきたから、わかるのだ。ヤツが現実にクーデターを企て、そのための資金提供を募っても、その行動を「うまみのある投資」としかみなさないー己の投資の結果、他国の人間が多数死のうが、国土が荒れ果てようが関係ないと金儲けに勤しむ人種がいることを、オスカーはよく知っている。それが倫理にもとる投資とオスカーには思えるものでも、「金儲け=善」という信条を信奉している投資家にとって「倫理」などー自分に無関係ならば人の命だとて1銭の得にもならないようなものは、考慮するに値わぬものなのだ。己の不利益になるから外に向けて明言しないだけで、内心、そう考えている投資家は多数いる。
だから…調査結果から推察されたように、ヤツが事実、某国で反乱を企てた王族ならー自身が王位につける正当性を証明でき、かつ、王座に就いた時の見返りを餌に投資を募った場合、それに乗る投資家はいるだろう、とオスカーは考える、そして、その投資話に誰が乗ろうとも、その行為を直接阻止する権利も力もオスカーにはない。
ましてや、現段階では、これらの可能性は全て推測であり、推測は推測でしかないこともオスカーはわかっている。推測で人を裁いたり、行動を制限することはできない、そんなことを許されてはいけない。
さらにもう一つ、もっと厄介な懸念があった。ヤツが国家間…○○国と自国との国同士の取り決めで、身柄が保護されているとしたら…ヤツはこの国の法にすら縛られない立場にいる可能性だってある。その場合、それこそ、何を根拠にやつの行動を干渉・制限できるというのか。
だからオスカーは動けない、調査はできてもー言いかえればできることは調査のみで、それ以上、やれることがない。そこはかとなく、嫌な予感、悪い予感がするのに、直接できることが何一つないのだ。それこそ、やつの動きを牽制するため、匿名で外務省に注意を促す、現時点では、それが関の山か…
あと、オスカーにできることと言えば、やつの方をどうこうするのではなく、アンジェリークに身辺により注意と警戒を促すこと位だろう。が、一切の事情を明かさずに、警戒の度合いを深めろというのも、無理がある。となると、何をどこまでアンジェリークに伝えるか、情報を伝えることで、アンジェリークの楽しい学園生活を曇らせることにならないか…それを考えると、オスカーの表情に影が差す…どんなに控えめに情報を伝えたとて、そんな物騒な人物が身近にいるらしいと知ったら、いささかなりとも、彼女の学生生活に影の落ちぬわけがない、が、彼女の身の安全を思えば、何も伝えぬわけにもゆくまい、気は重いが…
そのことを…何をどこまでアンジェリークに伝えたものか、自分以外でアンジェリークにとって最も信頼がおけ身近な人物であるオリヴィエに相談しようと考えていた、その時だった、オスカーにアンジェリークの父・カティス・リモージュ氏からのコールが入ったのは。
「ちょっと待て、オリヴィエ、噂をすればなんとやら、だ…」
「え?この着信『リモージュ氏』って出てるけど…って、これ、アンジェパパからのコールじゃないさ!何!?この狙ったようなタイミングは!ちょ…私にも会話傍受させてよ!」
「好きにしろ、イヤフォンを持っているならさっさとつなげ」
オリヴィエが急ぎ、イヤフォンを取り付ける、それを見てオスカーは着信ボタンを押した
「はい…」
「やぁ、オスカー、元気そうだね」
リモージュ氏の第一声は、わざとらしい程に朗らかだった。オスカーは、このコールの意図を図りかね
「ご無沙汰しております」
と、無難に返した。相手の出方を見たいと思ってのことだ。と、リモージュ氏は明るい声音でこう続けた。
「君のことだ、大学でも優秀な学生として活躍していることと思うが……その君にしては迂闊なことだ、いや、油断があったのかな?」
リモージュ氏の声音のトーンが特に下がった訳ではなかった、が、オスカーは、なぜか、その声に冷気でも含まれているかのような寒気を覚えた。
「なんのことでしょう?」
「何かを調べようと考えた時、自分と関わりの深い調査会社を使うのは下作だということだよ、オスカー。いや、自分が調査していることを調査対象に知られても構わない、もしくは牽制としてあえて知らせたいならともかくね、でも、今回は…そういう意図はなかっただろう?」
『!!!…しまった…』
オスカーは虚をつかれ、瞬間、黙りこくってしまった。とぼけることもできなかった。
オスカーはアルテマツーレ御用達の調査会社に件の青年の調査を依頼した、調査の過程で調査員は青年の尾行もすれば、住まいの登記も調べた、その調査員の動きに気付かれ、そこから調査依頼者が自分だと突き止められたのだと、オスカーは瞬時に悟った。
しかし、まさか、こんなに早く、しかも、調査対象本人にではなく、調査対象を保護している側に、露見するとはオスカーは想定していなかった。
確かに油断があったと言われれば、否めない。オスカーは当初、あの青年を怪しいとは思いつつも、その正体は不明だった。自身も関与したあの小国の騒乱が鎮圧された後、首謀者が逮捕されたとも、何らかの処分を受けたとも、何ら続報がなかったことに、あのリモージュ氏の事後処理にしては不手際な感がしてすっきりしないと考えていた所に、狙ったかのようなタイミングで胡乱な留学生が現れ、まさか、もしやとその正体を推測したことがないではなかったが、あまりにできすぎな感がして半信半疑だった。だからヤツが妙な動きを見せた時、プロの調査に任せようとした判断に間違いはなかったと思うが、アルテマツーレ御用達の調査社なら調査に遺漏はなかろうし、という驕りがなかったかと言われれば否定できない。ましてや、調査会社から調査の依頼主が自分だと、即座に見切られてしまうとは…いや、リモージュ氏が関わっている可能性を考慮すればー自分がリモージュ氏を個人的に知っているように、リモージュ氏も俺個人をよく知っているのだ、調査の依頼主が自分・オスカーだと、すぐ、ぴんときたとしても不思議はないではないか、そこまで考えていなかった自分は確かに迂闊だったのだ…
「君としては、巷の調査社より信用できると思って、なじみの調査会社に依頼した、という処だろう。確かに一般の調査会社は玉石混交だからね、が、おかげで、宿舎の周辺でちょろちょろしている者をちょっと調べたら、アルテマツーレ御用達の調査会社所属ということはすぐにわかった、となれば、あとは、君まで一直線さ。そして、調査依頼者が君とわかったおかげで、君にどう相対するかは私の一存に任せてもらえたのだよ、本来、他国に駐留中の領事の権限ではないのだが、君と私の仲を考慮してもらってね、それで今、君にコールしたというわけだ」
「…あなたと関わっていると、自分がいかに甘ちゃんの若造か…無定見の考えなしか、否応なく思い知らされますよ、Mrリモージュ…」
「それは私に感謝してもらわねばな、オスカー。失敗と試行錯誤が許されるのは学生の特権だ、学生時代の失敗から学んだ教訓は君が大企業のCEOになった時、きっと益になろう。私も娘に苦労はさせたくないのでね、君が事業で失策を犯す可能性を少しでも減らせたのなら嬉しいよ」
「それにしても…あなたが俺を個人的に知っていることを考慮しても露見するのが早過ぎる…そういえば、ヤツには護衛がついているようでしたが…そうか…それは接触を試みる者がいないか、いるとしたら誰なのか、調べるための監視も兼ねていた、そして、第3者からの接触や尾行がないか注意し、あった場合はそれを故意に許し、ヤツに接触を試みる者の素性をすぐに調べられる態勢になっていたー要は泳がせていた、ということだったのしょうね、俺は、それにまんまとはめられ、乗せられたわけだ、違いますか?」
一息ついて、オスカーはこう続けた
「が、あなたからの接触で、俺も確信がもてました、ヤツの正体に。調査からでは推測することしかできなかったのですがね」
「ふむ、君の推測はおそらく正しいだろうね、何せ君は私がたった1人の愛娘の婿と認めた男だ、それ位聡明でなくては困る、ただ、オスカー、一つ、きかせてくれないか、何故、君はこの調査を依頼した?君の調査対象は、そう目立ったことはしていないはずだー報告によればね。あの件があった当時、報道管制を敷いたので、彼の顔写真は公開されていないはずだし、彼は、社交嫌いだったので、上流社会でもそれほど顔は知られていなかったはずだが、それでも念のためを考え、ちょっと見では正体が推察されぬよう、髪や瞳の色も変えたはずなんだが…何故、彼に目をつけたのかね?」
ヤツは髪と瞳の色を変えているというのは初耳だった。小国の、ましてや傍系の王族の顔写真など、そうおおっぴらに出回ってはいなかったろうが、髪の色は確かに人物を特徴づけ、印象づける物だし、その用心深さはリモージュ氏らしいと、オスカーは思う、だが、同時に、不可解に感じる度合いも高まった。細心なリモージュ氏が、何故、あんな胡乱な男を、愛娘と同級に配したのかが、ますますもってわからない。
が、とりあえずオスカーは自身の疑問は保留し、リモージュ氏に問われた事のみに応える。
「…ヤツが学内の女子学生を走狗として使い、何か調査をしており…俺と、俺の友人がヤツの調査対象に入っていました。それが、直接のきっかけです。俺はヤツが何らかの目的もしくは企みをもって富裕層の子弟に接近を図ろうとしているのではないかと睨み、それで、ヤツの正体を探れば目的もおのずと明らかになるかと考え、ヤツの身辺を探るよう依頼したのです」
「彼がそんなことを?…彼が誰と接触しようとしていたか、具体的にわかっているのかい?君には」
「?…やつの調査対象者の詳細ですか?それをお知りになりたいのですか?」
ヤツが誰の素性を調べていたか、その名簿はかなり詳細なものが手元にあったーエンジュのわかりやすい行動のおかげだーが、オスカーはとっさに質問に質問で返すことで明言を避けた。
「ああ、いや…こちらには何の報告も上がってなかったので…彼が何をしようとしていたのか気になったものでね…やはり、現場にいないと、本国の役人に任せるだけでは100%監督が行き届くとはいかない、その隙を突かれたようだな、とね…」
リモージュ氏の言が珍しく煮え切らない、何か考えを巡らせながら言葉を探している風情だ。
オスカーは直感的に「リモージュ氏は、ヤツの調査対象は誰なのか、その情報がほしいのではないか?」と感じた、が、同時に、それを…その情報の重要性や需要の度合いー喉から手が出るほど欲しい情報なのか、できればわかるに越したことはない程度なのか、俺に気付かせたくないのではないかと、リモージュ氏が言葉を濁した様子から推察する。
もし、そうなら、俺の手元にある名簿は、何らかの取引材料になるかもしれない。何にせよ、俺も情報が欲しい、まだわからないこと、曖昧なことが多すぎる。そう考えたオスカーはとりあえずの疑問ー不可解に思っていた点をリモージュ氏に問いただすことにした。
「Mr.リモージュ、あなたはヤツが俺たちの大学に留学生として入学していることはご存じだったのですか?」
「率直に言えば事後承諾だがね、彼の処遇はこう決定した、という報告がもたらされただけで、その決定に関与はしていない。彼の素性を公にせず、かつ、監禁せずに監督下に置くには、学生とするのが最も都合がよかった、そして、彼のような身分の者が安全かつ正体を詮索されずに済みそうな学校は、正直、スモルニィしかなかった。何かを隠すには、似たような者のなかに紛れ込ませるに限る、そしてスモルニィなら、所謂生まれ・血筋のいい若者・令嬢が多数いる。彼の生まれや育ちからくる立ち居振る舞いや言葉づかいが悪目立ちする恐れがないし、名家の子弟が多数在籍しているため警備員も多いのでね、学内での安全度が最も高いというのが上部の判断だった、そして、それは理にかなった判断だったので、私も、異議を唱える余地はなかった、というところだ」
「なら、Mr.リモージュ、ヤツが比較文化学部に入ってきたのは、あなたの判断ではなく、本国の官僚のお役所仕事的判断だった…ということか、それなら、わかる…」
「?…何がだね?」
「あなたにとっても、俺にとっても何より大事な存在が…ヤツと同じ学部同じ級に在籍しています。彼女は新入生合宿の折に、同じ学部のテーブルでヤツの姿を見かけて…ヤツの正体など、まったく知らないにも関わらず、尋常ならざる怯えを見せたんです。何か雰囲気が怖い、得体のしれない人だと…先入観や偏見を持ってはいけないと思うのだけどと自らを戒めつつも、ヤツの胡乱な空気に怯えを隠せないでいた。もとはと言えば、それが…俺がヤツに目をつけた大元の原因です」
「なんだって!そうか…彼は留学生扱い…となれば…機械的に留学生の多い比較文化学部に入れられる…学部の性質上、その可能性は大きいとは思ったが…すまん、私も、認識が甘かった…私たちの時代、比較文化学部は留学生は留学生のみ、帰国子女は帰国子女のみでクラス編成されていたのでね…まさか彼があの子と同級に配されているとは…」
「だが、それが現実なんです。融和を図るためでしょうが今年度の比較文化学部は、留学生と在校生の混成学級になっているんです。そして…あなたからのこのコールで、ヤツの正体が明らかになった今、俺の懸念も現実となってしまった…。リモージュ氏、ヤツが、俺とあなたが、過日の内乱鎮圧にいささかなりとも関わっていることをどこまで知っているかは、わかりません、往時の情報の少なさから、何らかの報道管制が敷かれているとは思ってましたしー先ほど言及なさった首謀者の顔写真などを筆頭にーそのおかげで、詳しい経緯が知られることはないかもしれない。だが、あなたが、かの国の爵位授与を固辞したことは外電で一般に流れたから、関連ニュースの過去ログを検索すればすぐ「リモージュ」という名の領事がいることと、その功績は簡単にわかってしまう。あなたの姓、リモージュは、そう珍しいわけではないが、巷に溢れているというほどありふれたものでもない、だから、リモージュという姓からヤツがあなたと彼女の関係に気付いたら…確信せずとも推測されるだけでも危ういと俺は危ぶんでいたのです。それを知った時、ヤツがどう出るのか…逆恨みや意趣返しに走らないか、それが案じられてならなかった、だから、彼女の身を守るためできること、打てる手立てはないか、突き詰めれば、それを探るために、俺はやつの身辺を探っていたんです」
オスカーがかの国で騒乱があった時、アルテマツーレの流通網を用い、補給を実費で申し出たのは、ひとえに、かの国の総領事がアンジェリークの父だったから、それに尽きる。リモージュ氏の安否がわからず、一刻も早くその騒乱を早期に解決させる必要があると判断したから、そのためにオスカーは打てるだけの手をうった。争乱の早期の終結はアルテマツーレからの潤沢な補給あってこそだし、その補給はオスカーが現地の代理店に情報を流し助言しなければありえなかった、そして、そのオスカーの介入は、その国にアンジェリークの父がいたからこそだ。カティス・リモージュがアンジェリークの父でなければ、そして、彼がかの国の総領事でなければ、オスカーは小国のクーデターにどんな次元であれ介入しようなどと考えなかっただろう。その意味でオスカーとカティス・リモージュは揃って内乱の鎮圧に関係しており、その2人を結びつけているキーパースンはアンジェリークだ。そのアンジェリークが、内乱の首謀者であり今は亡命者である人物と、形の上のこととはいえ、机を並べている、こんな皮肉、こんな危うい事態があろうか。
「俺は、危ぶんでいました、もし、やつがあの内乱の首謀者だとしたら、俺は、間接的にやつの蜂起を妨げる手助けをしたことになる、リモージュ氏、あなたも同様だ、現王救出に尽力したことは周知されていますから。となると、俺やあなたの存在は、この男にとって、直接のにくい仇とまではいかずとも「こいつらさえ邪魔しなければ」という意趣返しの対象になりかねない。そこで、単純に俺が狙われるなら、俺は、別段、怖くもなんともない、俺は自分で自分の身を守る用心もしているし、自信もある、が、俺と彼女、もしくは、あなたと彼女の関係、もしくはその両者をヤツに知られたら…彼女が俺にとってもあなたにとっても、最も大事な存在であることは自明であり、大事な物は、最大の弱点にもなる、そして…弱点を攻めるのは兵法の基本です、それが逆恨みであろうと、意趣返しとして最も効果的な痛点があるとしたら、そこを狙わないはずがない」
若干、大げさにオスカーは己の危機感を吐露した。実のところ、恐らくヤツは、アルテマツーレが内乱鎮圧に尽力したことを現時点では知らない、とオスカーは考えていた。それは自分オスカーがヤツの接触対象者のリストに入っていたからだった。ヤツが再度の蜂起のため出資者を探しているとしたら、先前、鎮圧に尽力した相手に出資話を持ちかけたりするだろうか。当時、アルテマツーレ=クラウゼウィッツは、反クーデター・現王支持をいわば行動で示したのだから、ヤツから見れば「敵陣営」に与した側だからだ。無論、旗幟鮮明な相手に、今度は自分につけ、と利益を餌に投資を要求する場合はあるだろう。言い換えれば、出資の依頼は、将来のリターンの見込みなくしては成立しない。ヤツがクーデターを成功させた場合、資金提供した者には多大なリターンがある、と思わせねば、投資する者は居らぬだろうし、実際、出資者に利益を還元できなければ、出資者は即、資金を引きあげてしまうだろう。つまり、出資を依頼する以上、ヤツは、出資者=アルテマツーレに利益を還元せねばならない。が、ヤツが、以前は自分のいわば敵側についたアルテマツーレ=クラウゼウィッツの一族をさらに儲けさせるような行いをするとは、オスカーには思えないのだ。そんなことをする理由がヤツにない。つまり、ヤツはアルテマツーレを用いて自分ががヤツの内乱つぶしに一役買ったことを知らないからこそ、自分オスカーを出資者候補の一人として、調査対象に入れていたのだと、オスカーは考えている。
が、この推測は、今通話中のリモージュ氏には伏せておく。リモージュ氏には、十分すぎるほど用心してもらいたいし、ヤツの動きに何らかの制限をかけられるならかけてもらいたい、そのために、むしろ、リモージュ氏の警戒心を高めるだけ高めておきたかったのだ、オスカーは。が、オスカーの策にリモージュ氏は乗ってはくれなかった。
「すまん、オスカー。私は君のことを迂闊だなどと言えた立場ではなかったな…言い訳になってしまうが、駐在国に駐留中の一外交官は、本国外務省の上層部の決定全ては伝わってこないし、ましてや、その決定にまったくと言っていいほど関与できんのだよ…そして、君の事情はわかった…だが、わかった上で、私は君にこう告げねばならん、オスカー、彼から一切の手を引いてほしい、できうることならば、調査するのも含めてね」
「なんですって!?俺に、この状況を黙殺しろと?俺の懸念が現実となってしまっているのにですか?!…なら、彼女の身に絶対危険は及ばない、やつの行動に手綱をかけられると、あなたは保障できるのですか?!」
できるわけがない。そうわかっていて、オスカーは、いわば無理難題をふっかけた。遠い異国の地にあり、現場の指揮もとれない一外交官のリモージュ氏には、何もかもー情報も対策も事後報告で送られているというのが現状だろう。そして、実際、やつは役人の監視の網をかいくぐって一人の女子学生を密かに取り込み、己が走狗として、何かの企みを進めていたのだ、今後、もしくは、今現在も、この学内で何をもくろみ、どんな行動を起こしているか、知れたものではない、そして、それを完璧に把握し、阻止することなど事実上不可能…学内でも常時監視役を張り付けておかねば、行動の制限はかけられないが、ヤツの正体を学内の学生に知らしめたくないという前提があるのならー恐らくそうだ、やつは何らかの理由で秘密裏に監視・護衛されている、某国の王族が亡命してきているなんて、どこにも報道されていないからーそんな人目を引く処置はできない以上、どうしたって、ヤツに監視の目が行き届かない部分は出てくる、つまり、ヤツの行動全てに手綱をかけることなどできない、そんな保障ができるはずがない、それを承知で、オスカーはリモージュ氏に詰め寄った。オスカーとしても、これは絶対に譲れない。どんな些細なものであれ、彼女の身の安全を脅かすような状況を見過す気はない、安全が保障されない以上、自分が手を尽くして彼女を守る方策を探すのは当然だ。
すると、リモージュ氏はオスカーの問には直接答えず
「一言、言っておく、彼には、特例で、また限定的ではあるが、所謂外交官特権に類する権利が付与されている」
と、絞り出すように、言った。
「つまり、やつは治外法権に守られている、ということですか…」
「そう、ゆえに、この国内にいる限り、彼に対しできることは何もない、彼は外部からは一切干渉されない立場におり、それを彼自身も知っている。無論、これは、君が、彼の身辺を調査する権利を止めるものではない、それこそそんな権利は私にはない。が、彼の何を調べようと、調査により彼の何が判明しようと、君には、できることは何もない、少なくとも彼の身柄に対し、直接できることはね。何を知ろうと、君は彼に何もできない、つまりは調べるだけ無駄ということだ」
「それを決めるのは俺だ、あなたではない」
「ああ、もちろんだよ、オスカー、決めるのは君だ。どれ程の費用を無駄な調査につぎ込もうが、君の自由だ。が、老婆心で言わせてもらえば、私は君に無駄金を使わせたくはないし、個人的にも若い者の無駄使いは感心せん。何をしようと無駄なものは無駄なのだよ。無駄だから、手を引いてほいしと言っている。ただ、これはあくまで依頼であり要請だ、強制力はないし、君に無理強いするものではないよ、オスカー」
「もし、その勧めに従わなかった場合、俺をどうするおつもりですか?」
「かわいい娘の未来の婿殿、つまり未来の義理の息子に、私が無体な真似をするはずがないだろう?あくまで、ここは、私の顔をたててくれとお願いするだけだね」
「そう…そうですね、治外法権により守られている存在には、こちらからは手を出せない…どんな手出しも無用…いや、不可能だ…確かに…」
半ば予期していたことではあった、が、明言されたことで、オスカーが、瞬間、酷い閉塞感、手詰まり感に襲われたのは事実だ…が、だからといって、ことがアンジェリークの身の安全に関する限り、オスカーはあきらめる気も退く気もなかった。
「が…ならば、俺が、この情報をマスコミにリークするかもしれない、とはお考えにならないのですか?自分1人では何もできずとも、世論の力を借りれば…世論が動くかどうかはともかく、マスコミは飛びつくでしょう。小国といえど某王族…しかも、クーデターを企てた挙句失敗した某国の王族が極秘に我が国に亡命しているというだけで立派なニュースになるし、しかもその人物を政府が極秘裏にかくまってるいるらしいとなれば、その理由は何か、裏に何があるのかと…色々と探りをいれられること必至でしょうな」
カティスと言い争いするのが目的ではなかった。アンジェリークを守るため、可能性の段階であっても、危険を遠ざけるために、カティスを動かそうとして、動いてほしくて、挑発的な物言いをわざとした。
「いいや、オスカー、君はそんなことはせん、そんなハッタリは私には通じないよ。そんなことをすれば、それこそ、君が私情から親の会社の流通網を利用し、結果、彼の内乱つぶしに君が間接的に関与したことが暴かれるー各方面に広く知られてしまう可能性がある、が、君は、あの争乱の首謀者はむろんのこと、父君の会社の役員連中にも、君があの争乱終結に関与したことはあまり知られたくないはずだ。身辺で騒がれたくないし、可能な限り敵を作りたくない君としてはー自分のためでなく、私の娘のためにねー決して、腹いせにそんな自暴自棄のような真似は…目先の憂さ晴らしのためだけに、そんな馬鹿な真似はせんよ。そんな真似をするには君は賢すぎるからね。君は、私を焦らせて取引に持ち込む算段だったのだろうが、ブラフはブラフと見抜かれた時点で何の効果もない。効果的にはったりをかましたければ、君は、もう少し、愚かな振りをしていたほうがよかったな」
「っ…」
ぐぅの音もでない。全てお見通しか…とオスカーは嘆息するばかりだ。自分の関与が周知されて困るのは、確かにオスカーの方だからだ。
ただ、自分がしたことは、人道的には間違っていないとオスカーは断言できる。どんな規模の争乱であれ、ひとたび起きれば、長引くほどに人員の犠牲は増えていく。戦闘員の犠牲はむろんのこと、非戦闘員が巻き込まれ、負傷したり落命する可能性は乗数的に増加する。だから、争乱を早期に鎮圧させられたということは、すなわち、犠牲者の絶対数を最小限で抑えられた、ということである。結果的に死傷者数を抑えたオスカーの行動は、本来、称賛されこそすれ、周知されて困るようなことではない。しかし、武器商である会社の利益を思えば…嫌な言い方だが、争乱が長引くほどに補給の必要が増えるので、比例して売上および利益があがったであろう。言いかえれば、自分オスカーの行為ー争乱に介入、早期終結に導いた行為は、本来あげられたはずの利益をみすみす無駄にしたもの、とみなされる恐れがある。そして、株主がそう判断すれば、株主から訴訟を起こされるかもしれない。内乱の早期終結に寄与した行為は人道上は称賛される行いであり、アルテマツーレは利益至上主義ではない会社として対外的イメージアップをさせたことは、オスカーの功績とさえいえる、が、一方で、目先の利益をのみ追いかける株主が、上げられたはずの利益をふいにしたこと=立派な背信行為とみなし、訴訟を起こす可能性がないとはいえない。ひとたび裁判になれば、費用も時間もバカにならない。こちらが勝ったとしてもだ。何より、その裁判の元となった行為ーオスカーの情報提供と経営方針への介入は、率直に言って私情から発した行為なのは事実なので、そこを突かれるのは、オスカーとしては避けたい。
婚約者の父を助けようとした行為は、非難されるものではないが、私情に流されて会社の経営を私物化したとみなされれば、親も含めた株主たちに、自分には経営者としての資格なし、と断ぜられ、今もっている株をとりあげられる恐れがないでもない。株主でなくなれば、経営への口出しも当然できなくなる、そして、アルテマツーレの舵を自身で握っていたいオスカーにとってそれは得策ではない。今回の介入もオスカーが次代の後継者と目され、認められているからこそ可能だったのだから。
そして、それ以上に、裁判沙汰になった場合、アンジェリークが巻き込まれる恐れがある。自分の父を助けてもらったためにー彼女がそう頼んだわけではない、オスカーが勝手にやったことだと言い張ったとしてもーオスカーが会社への背任を問われる裁きにかけられたりしたら、絶対、彼女は、酷く申し訳ながって、心を痛める、アンジェリークにそんな心痛を味あわせる訳にはいかない。
「そういう事情では…リモージュ氏のおっしゃる通り、確かに、俺には、もう、うつ手も手出しできる余地もなさそうですね…」
「外交官特権」により守られているとすれば、確かに、直接ヤツに働きかけることはできない…
半ば諦めの気持ちでそう考えたオスカーは、ふと、ある事実に気付く。ヤツは元々外交官でもなんでもない、なのに、何故、外交官特権が付与されているんだ?という疑問が、頭に浮かぶ。
『そうだ、ヤツは元々外交官ではない、なのに、国は外交官特権をわざわざ付与した…それは何故だ?亡命者全てが治外法権を与えられるわけではない、そんなことをしたら亡命者は法を守らなくていい存在、所謂、無法者になってしまう、そんな特権を与えたら、治安は悪化、普通の移民や亡命者のイメージも悪くなって政情が不安定になる、国としては百害あって一利なしだ、なのに、国は、ヤツには…ヤツにだけ敢えて外交官特権を付与した、ということは、そのことによって、ヤツから何らかの「利」がえられるから、もしくは「利」を見込んでいるからではないのか…?』
オスカーは考える、国がヤツから得られる利とはなんだ?外交官特権を与えることで、ヤツから何を引き出そう、もしくは、交換に何を得ようとしているんだ?ヤツが何を持っていると、国は考えているんだ?
ヤツの素性は何だった?欧州の小さな王国の王族であり、今は亡命者だ…隠し資産を持つ亡命者は多い…保護と特権を与える対価に、資産の申告をさせて、多額の税でもかけようとしているのか?…が、資産家の多くは、守秘義務の篤い銀行に資産管理を任せ、第3者にはおいそれと手が出せないようにしてあるのが普通だ…それに、ヤツは、むしろ資金提供者を探すような振る舞いをしていた、資産を持っていても、今は自由に動かせないか、そも、まったく持っていない可能性の方が高い、となれば、国の狙いはヤツの資産ではない?…待てよ、そも、ヤツの母国自体が、政財界では守秘義務の堅い国営銀行業務と租税回避地として有名だ…俺自身が、先刻、オリヴィエに説明したばかりだ…この国の銀行に資産を預けることで、自国の高い税金を逃れようとする資産家は無数にいようし、租税回避地の銀行口座は脱税や金銭洗浄に使われることが多いのは公然の秘密だ…だから、銀行の資産内容のデータを公表しろと各国の政府が共闘して要求しているが、租税回避地の銀行は、顧客データの守秘義務を盾に、かたくなに情報開示を拒んでいる。あの国の銀行も同様だ、だからこそ、オヤジの会社やオリヴィエの親の会社も、資産を預けていたんだろうし…その銀行は国営で信用も篤い…国体は歴史ある王制…ゆえに信用度も高かった…あのクーデターは、だから、まさに青天のへきれきだったし、クーデターのニュースがあまり広まらなかったのは、あの国の王室が必至に報道規制をかけて、信用不安を回避したからかもな…国の財政は、国営銀行の上げる収益で賄われているんだから、銀行の信用問題は、即、国の存続に関わる…そう、あの国の銀行は国営、ならば国王がCEOで、一般王族はいわば会社でいう役員のようなものか?…となれば、銀行の運営内容や顧客データにアクセスする権限を持っていたかもしれない…そして、国営銀行の資産状況や顧客情報…これは、富裕層のあの手この手の税金逃れに頭を抱えている国としては、のどから手が出るほど欲しいデータなのでは…?
そしてオスカーは思い返す、先刻、カティスが、銀髪の青年の調査対象に強い関心を示したのに、それをさりげなく誤魔化そうとしたことを。
暫時の沈黙ののち、オスカーは
「…わかりました」
と、静かに応じた。
はたで聞いていたオリヴィエが目を見張る、唇が「あんた、それでいいの!?」と形作られていたが、オスカーは無視した。
「そう言ってもらえて安心した、私としても娘の身の安全は心配だ、こちらで手を打てることは早急にうつ」
「こちらでできることがない以上、お任せします」
その言葉を締めにコールは切れた。オスカーはわれ知らず詰めていた息を吐き出した。
と、オリヴィエが掴みかからんばかりの勢いで詰め寄ってきた。
「あんた、それでいいの?将来の義理の父には頭があがんないってのはわかる、アンジェを嫁にやらんとか言われたらコトだもんね、けど、黙って引き下がって指食わえて見ててOKって状況じゃないんじゃ?…」
「おいおい、俺は、ヤツの調査からは手を引く、と言ったがな、それはリモージュ氏からのコールで、ヤツの素性に確信が持てたからだ、調査だけでは憶測するしかなかったヤツの正体に、リモージュ氏は、いわば、お墨付きをくれたんだ」
「じゃ、あの電話はそれを目してのことだって言うのかい?立場上、明言しにくいことを、あんたに悟らせるため、あえて電話してきたってこと?何故、アンジェパパが、わざわざそんなことしてくれるっていうのさ、その目的は?」
「それだ、ヤツがは某国でクーデターを起こしたものの失敗して亡命中の王族である、という情報をいわば対価として…リモージュ氏が俺に電話してきた最大の目的は、俺に「やつから手を引く」とはっきり言わせるため、だったのではないかと思うんだ。俺はやつの正体を探っていたわけだから、やつの正体がわかれば、これ以上、何も調べる必要はないだろう?と言われれば確かに頷かざるを得ん」
「いや、それは、まぁ、理屈の上ではそうだろうけどさぁ…けどさー、アンジェパパに、やつにはもう手出ししませんって言っちゃって、どうすんの?これから…本当に、ただ、傍観ってことにしちゃっていいの?」
「ヤツの素性はわかった、なら、事実、ヤツをつけ回す必要はもうない、そこは、リモージュ氏の要望通りにするさ、氏の顔をつぶさないためにもな、が、俺が依頼されたのは、ヤツへの調査の中止、それだけだ、言い換えれば、ヤツ以外の人物…周辺にいる者を調べたり接触しちゃいかんとは一言も言われていない」
オスカーは不敵に笑んだ。
リモージュ氏はやつへの直接の手出し・接触は控えてくれ、と言ったが、それ以外を言及したわけではない。
つまり、それは、彼以外の人物の動向なら調べようが干渉しようが構わない、というのと同じだ。リモージュ氏はそれを俺に遠回しに伝えたかったのかどうかはわからないが…オスカーはリモージュ氏の言動を自分に都合よく解釈することにした。
となれば、あの少女の動向を見るのはこのまま続行だ、あの少女がいつまでやつの走狗であるかはわからないが、あの少女の動きを見ていれば、おのずと、やつの動き、狙い、そして、その元になっているデータの全体像が浮き上がり、見えてくるはずだ。
そして、そのデータは間違いなく、取引材料にできる。これは、オスカーの直感だった。
「オリヴィエ、相談がある、改めてお前の意見を聞かせてもらいたい」
オスカーは改めて盟友オリヴィエに向きなおった。
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