Before it's too be late 3

今日は高等部の卒業式、夕刻からは謝恩パーティーだ。

卒業式を終え、アンジェリークは学友たちと一緒に寮に戻った。友人たちと口々に「あとでねー」「パーティーでねー」という気楽な挨拶を交わし、自室に戻る。卒業といっても、ほとんどの生徒がそのまま隣接する大学部に進学するスモルニィ学園高等部では、卒業式につきものの友人同士の涙涙の惜別の光景はあまり見られない。式の会場や校庭で、後輩が卒業する先輩を慕って、涙ぐむこともないではないが、その彼らにしても、大半の者は1、2年後はまた同じ学び舎の先輩後輩に立ち戻るとわかっているので、胸かきむしられるような切実な別れの風景は、そう滅多とない。大仰に別れを惜しんでいるのは、他の学校に進むか、留学する少数の学生で、ほとんどの卒業生はみな、和やかに、朗らかに、卒業証書を受け取り、三々五々1度自宅に戻って夕刻からの謝恩パーティーに備えるのが常だ。

アンジェリークも制服を脱いでシャワーを浴び、オリヴィエの用意してくれたパーティードレスに着替えることにする。そして、オスカーが迎えに来てくれるのを待って、一緒に謝恩パーティーに出ることになっていた。

卒業生でなくとも卒業生のパートナーは謝恩パーティーに参加できる。そして、アンジェリークは、オスカーにパートナーになってくれるようお願いしてあった。アンジェリークがそのお願いを口にした時、オスカーもほぼ同時に「卒業パーティーのエスコートは俺に任せてくれないか、お嬢ちゃん」と言ってくれたことが、とてもアンジェリークは嬉しかった。去年、オスカーが卒業する時は、今日とは反対に、在校生であるアンジェリークがオスカーのパートナーとして、パーティーに参加したので、自分が卒業生となった今年は、オスカーにお願いすれば、パートナーを引き受けてくれるだろうとは思っていた。でも、大学生になってからのオスカーは、本当に学業に忙しそうだったので、アンジェリークは「在校生だった私がパートナーを務めるのと、忙しい大学生の先輩がパートナーになってくださるのとでは意味が違う。先輩が勉強で忙しいのはわかっているから、無理やわがままは言わないで、可能ならお時間を割いていただけるか伺った上で、お願いしてみよう」と考えていた。が、一方、オスカーはオスカーで、アンジェリークのパートナーという絶対無二かつ極上の立場を他の男に譲る気などさらさらなかったのでーアンジェリークには『我こそをパートナーに!』と意気込む男は、自分同様のOBから同級生までそれこそ有象無象にいるはずだったし、アンジェリークは、学業に多忙な自分の事情を理解してくれていたから、気を使って自分からは、俺にパートナーになってくれと言い出さないかもしれない、そんなことになったら大変だ、という危機感から、オスカーも自ら、しかも、アンジェリークとほぼ同時にーパートナー役を買って出た。その時、2人は、お互いのシンクロニティーいつも互いのことを、同じくらい大事に考えているがゆえのーがおのずとわかって、うれしく楽しい笑みを交わしあった。

そして卒業パーティーを終えた翌日には、去年と同様にアンジェリークとオスカーは一緒のフライトで、彼女の実家に向かう予定になっていた。去年、アンジェリークの父であるカティスは駐在国の副領事から総領事へと昇進しておりーアンジェリークは知る由もなかったが、任地の移動を伴わない昇進は外交官には稀有のことなのだが、父の任地は観光客が多く領事館としては多忙な割に、あくまで小国なので省内人事では出世街道から外れているとみなされ敬遠されており、希望者が少なかったこともあり、前総領事の退官に伴って、現地に詳しいカティスがいわば引き上げられる形で、総領事に任じられていたー責任感に篤い父は、任地を離れることがまずない、父と仲睦まじい母も、父を置いて1人1時帰国などしない、畢竟、両親に会いたいと思ったら、アンジェリークが異国に飛ぶ、というのが通例となっていたのだ。

そして、オスカーもアンジェリークと共に、リモージュ夫妻宅で年度替わり休暇の大半をすごし、その後、自分の実家に顔を出せたら出す、と言っていた。まずアンジェリークの両親に交際を認めてもらってから、オスカーも、アンジェリークをオスカーの家族に紹介してくれようとしたのだがーそれも何度もー学校の休暇中という限られた日程の中で、世界中を飛び回るオスカーの両親を捕まえるのは容易ではなかった上、オスカーの実家は、放任なのか、オスカーの選択眼と見識に絶対的な信頼を置いているのか、もしくは自分はオスカーの数多いるGFの1人だと思われたか、多分、年齢が若すぎるから、交際が長続きすることもないと思われたからかーこれが1番ありそうだったーオスカーが電話口で、アンジェリークの存在と1度会わせたい旨を伝えても、あっさり、すんなりと「おまえが誰と交際しようとかまわん、が、女性との顔合わせは婚約が調って、挙式の日取りを打ち合わせる時でいいだろう」の一言で、アンジェリークは自分の存在と交際を一応、認められた、らしい。つまり、オスカーの実家では、即刻挙式できる状況にある正式な婚約者としてオスカーが連れてくる女性以外と会うのは時間の無駄だと考えているということだった。確かに、高校や大学在学中のステディと結婚するかどうかは、わからないし、一族の仲間入りする可能性がまだまだ低い人物に会うために時間を割くのは無駄というのは、いかにも合理的でビジネスライクだと、アンジェリークは感心したものだ。そして、オスカーと自分の心は決まっており、ただ、時間だけが問題ー大学を卒業するまでは、正式な婚約は待つこと、と自分の父から厳命されていたのでーだったので、焦ることもなく、その日が来るのを待とうとアンジェリークは思っていた。そして、実際、オスカーの実家からは、その後も何ら反対も口出しもされずに今にいたっている…ので、交際は順調といえるだろう。

そして、今日は一つの節目の日だった。アンジェリークにとっては制服を着るのも今日で最後、ついでに言えば、この寮で過ごすのも今日で最後の日だった。新年度からは、アンジェリークは大学部の女子寮に移ることになっている。大学部に入学後は、寮に住まわず、1人でアパート暮らしをする生徒も多いのだが、アンジェリークはあえて、大学構内にある女子寮に入ることにしていた。

それもまた父の出した条件でありー進学ではなく、オスカーと交際を続けるにあたってのーまた、オスカーも2つ返事で賛成、むしろ進んでアンジェリークに勧めたことだった。

オスカーの親しい友人たちは驚いたようだったー高等部卒業後、オスカーがアンジェリークに一緒に暮らそうと言い出さなかったことを。周囲は、皆、そうするに違いないと踏んでいたので、アンジェリークが大学でも女子寮に入ることを聞いた1部の者からは「所詮、高校時代だけの付き合いで、本気の交際ではなかったのかも」というような、やっかみ半分、悪意すれすれの憶測も流れたりしたようだったが、当の2人はまったく気にとめていなかった。オスカーの住まうマンションは、セキュリティはかなりしっかりしている方ではあるが、大学生同士で暮らすとなると、授業時間の違いから、アンジェリークが必ず1人でいる時間が生じるし、彼女1人の帰宅時を不埒な輩に狙われる可能性も否定できない。都会の常で近隣住民はあまりあてにできないことを考えると、身の安全、治安は確実に大学構内の女子寮の方が上だったからだ。宅配や郵便物も舎監が受け取るので、届け物を口実に不審者に部屋に押し込まれる危険もないし、そも、寮のエントランスには警備員が常駐している。その上、寮は基本、男子禁制で、訪れる男性はロビーで住人を呼び出してもらうしかないので、見知らぬ人間からの呼び出しなどで応対したくないと思えば、舎監にいえば、シャットアウトしてくれる。そういう点を踏まえ、オスカーは自分が授業やゼミで登校している時間に、アンジェリークをマンションに1人残すより、管理のしっかりした寮で暮らす方が、確実に安全だと考えた。彼女の父と同じように。

アンジェリークは、また別の観点からも、寮暮らしを嫌だとは思わなかった。オスカー先輩と1日中一緒にはいられない、けど、その分、休日のデートはとびきり嬉しく、わくわくする。オスカー先輩とつきあうようになっても、私が寮を出ようとしないから、級友たちはー級友とのおしゃべりだって、女の子にはなくてはならない心の栄養だから、その点でも寮生活は楽しかったしー「お父さんが厳しくてかわいそう」と友人は思っていたみたいだけど、アンジェリークは、決して自分をかわいそうなんて思ったことはなかった。むしろ、毎日毎日が、幸せで幸せで怖いくらいで、いつも周囲の人たちに深い感謝の気持ちを抱いていた。

今日のパーティーでも、オリヴィエが自分のためにドレスを用意してくれていた。このドレスを身にまとえる、これ自体が幸せなことは言うまでもない。

加えて、きれいに感じよく装うことで、私自身の印象をよくすることが、オスカーの気持ちも安らげることに通じると、アンジェリークはオリヴィエに助言されていた。

オスカーと交際しだして初めての冬季休業明けの登校日に、アンジェリークは自分では意識していなかったが、相当にこにこ顔で生徒会室に顔を出したらしく、オリヴィエにご機嫌の理由を問われた。そこでアンジェリークは頬を染めつつ「オスカーを自分の両親に紹介できて、交際を認めてもらえたこと」を、うれしさを隠しきれずにオリヴィエに報告した。

すると、オリヴィエはぽんぽんとアンジェリークの頭を軽くはたくように撫で、おめでとうと言いながら優しい瞳で

「そっか、あいつが、ご両親のお眼鏡にかなってよかったねぇ。あいつも、ロザリアと私に釘を刺されてから、あまりおバカに見えすいた真似は自重してるみたいだし、これであんたたちも一段落っていうか、一安心だねぇ。でも、落ち着いたとはいっても、あんたたちは、今年度のキングとクイーンのカップルだから、どうしたって周囲から注目されやすい、耳目を集めやすいってのはわかる?」

と問うてきたので、アンジェリークは一瞬、話の流れがつかめず、きょとんとしたものの、すぐに生真面目に頷いた。

するとオリヴィエは、優しい瞳は変わらぬままに、少し重々しい口調で、こう続けた。

オスカーは、アンジェリークを大事に思っているからこそ、自身との交際を理由に、アンジェリークが悪く言われたり、色眼鏡で見られるようなことを最も厭い、恐れる。「あいつは、あんたにつけるキスマークの場所さえ、きちんと考えてたから驚いたよ、私は。それだけ、本当にあいつが、あんたを大事に思ってる証拠だから、私も嬉しかったけどね」と言われ、アンジェリークは赤面したが。ただ、自他共に認める元・学園一のプレイボーイとの交際というだけでもアンジェリークが女生徒の1部から反感を買う恐れがある上、オスカーの生家が武器商であるが故の偏見もアンジェリークに投影される可能性は大である、そして悪口の口実を鵜の目鷹の目で粗探しをするような輩は多かれ少なかれ、どこの世界にもいるものだ。と、なれば、まず、付け入られる隙を与えないようにすること、そして、万が一、故意に悪意ある中傷をされた時、それを自然と跳ね返すような雰囲気がアンジェリークにあれば、オスカーの安心感や気持ちの負担は格段に軽くなるはずだと。

「これは、一般論として聞いてほしいんだけど、たとえば、悪い噂が流れたとしても、普段から感じが良い子なら『まさか、あの子に限ってそんなことありえない』って根も葉もないうわさは、すぐ立ち消える。悪意ある噂を撒く人を根絶すること難しいから、ぽつんぽつん、ちらほらと、火の手があがることもあるかもしれないけど、燎原之火って感じに広がることなく、すぐ鎮火するだろう。でも日頃の態度が感じ悪いなんて思われてたりすると「あの子のことだから、さもありなん」なんて、悪い噂に更に尾ひれがついて広まるかもしれない、そして、もし、根も葉もない噂や単なるやっかみだとしても、あんたが悪く言われるようなことがあれば、オスカーは、自分のことをとやかく言われる以上に苦しむだろうし憤るだろう?だから、あんたが、周囲に感じよく振舞うことは、とても大事だと、私はおもうんだ」と。

オリヴィエのいう「一般論」は尤も至極な理屈だと思ったアンジェリークが神妙な顔つきでこくこく頷きながらオリヴィエの言を聞いていると、だが、オリヴィエはにっこり笑って

「ああ、そんな難しい顔して考え込まなくていいんだよ。[感じよく振舞う」っていうのは周囲におもねるとか、周りのご機嫌や顔色をうかがうってことじゃないよ?思いやりってのは、真心と想像力から生まれるもので、あんたは、それ、普通にできてるし。だから、今まで通り、自分がされたら嫌だとか困惑するような言動は慎む、自分がされたら嬉しい、楽しいなってことを、自分から率先してやる、それでいいんだよ、そして、あんたは、普段から自然にそうしてる、周囲をちゃんと見て、意を汲んで、自然に動いてるし、こつこつ努力は怠らないし、ナチュラルな気配りも上手だし…だから、変に構えず意識せず、いつものあんたらしく振舞ってれば、それでOK。あんたが自然に振舞っていれば、悪く思われることはまずない…っていうより、私みたく、自然とおせっかいしたくなったり、かわいがったりしたくなっちゃうばっかりだから。あんたが、普通に振舞ってれば、心配はまずない、オスカーにも心配はいらないって、私が太鼓判おしてあげるから」

と、付け加えて、アンジェリークを安心させてくれた。

オリヴィエは知っていたからだ。

アンジェリークは、素直で礼儀正しく明るい。とにかく一生懸命で誰の助言にも真剣に耳を傾けるー今のように。言葉を交わす相手の状況や意図を理解しようと努める、それも、いつも、ごく自然に。思い込みを持たず、相手の意を汲み取ろうと努めているのが、会話をしているとよくわかる。自分の都合で人の話を遮るのを見たこともない。そして、自分の言を真摯に聞きいれよう、理解しようとする人を、人は信頼する、したくなる。だから、アンジェリークは多くの人間と、極自然に信頼関係を築ける。その上、アンジェリークは、いつも、自分に与えられた仕事を一生懸命やろうと努めてきた。生徒会執行部の仕事でも「無理」「できない」を最初から言わない、表情や態度で「嫌な顔」をあらわした試しがない。怯まず、まずはトライする、でも自分の手に余ると思うことは、素直に周囲の助けを借りようと依頼できる柔軟さがあるし、逆に自分に余力のある時は、やはり自然に手を差し伸べる、周囲もそれがわかるから、ますます、彼女を後押しする。これで、かわいがられないわけがない。彼女は、自然に心のままにふるまっていれば、周囲にはいつのまにか味方ができる、だから、譬え逆恨みや嫉妬心から彼女に筋違いの反感を持つような人間がいても、そういう理のない輩は表に出てこられないし、悪辣な力をふるう心配も少ない。彼女の持つ明朗快活な正の空気は、否定的な負の触手が忍び寄ってきても、跳ねのけるパワーがある。

ただ、オスカーの生家・生業に関しては、悪意ある評価を撲滅しようににもしきれないものがある。それは否定のしようがない、いわば懸念材料で、だからこそオリヴィエは、ちょっとお節介な口出しをした。

それは、アンジェリークもわかっていた。だから、オリヴィエの言に生真面目に頷いた。かつ、オリヴィエが真摯に自分たちのことを案じてくれているのがわかったからこそ、アンジェリークは

「心配してくださって、ありがとうございます、オリヴィエ先輩。自分やオスカー先輩が偏見から悪く言われないよう意識するのは大事だって、すごくよく、わかります。でも、オリヴィエ先輩、私、それだけでは少し心もとない、物足りない気もするんです…。なんとか、もっとオスカー先輩は素晴らしい人だって、わかっていただけるような…重工業という企業が、悪いことをしてるわけじゃないって、わかってもらえないかしら、そうする方法、道が何かないものでしょうか…。私、とっても、もどかしいんです、オスカー先輩に心配かけないために自分が謂われのない中傷をうけないよう身を慎むのは当然としても…でも、そんな受け身でいるだけだと思うと、いてもたってもいられない、そんな気持ちになることがあるんです、だって、私、オスカー先輩が悪く言われたり、変な眼でみられるようなことを減らしたい…本当は、無くしてしまいたい、そのために、何かできることはないかしらって思うんです。でも、意気込みばっかりで、具体的に何をしたらいいか、わからないから、私、そんな自分が、今、もどかしい…もどかしくてたまらない…」

と、つい、ぐちめいたことを、オリヴィエにこぼしてしまった。

アンジェリークは心からオスカーの支えになりたいと熱望はしていた。でも名家出身でもなく、大企業のバックがあるわけでもない庶民の自分は、実家からの援助でオスカーを助けることはできない。経営面で支えたくとも、オスカーは経営に関しては幼少時から帝王学を受け、今も自分のずっと先をひた走っており、一般的な(本当はかなり学業成績は優秀なのだが、アンジェリークにはその自覚はない、周囲を図抜けてできすぎの人たちに囲まれていた所為である)学生でしかない自分が、今から経済学や経営学を学んでも、オスカーの手助けできるレベルに達するかどうか、率直にいって難しいと思うーオスカーの生きていく世界のことを少しでも理解できるようにはなりたいとは思っているので、全くの無駄ではなかろうがー第一、企業経営に関しては、オスカーの周囲には優秀すぎるブレインがいくらでもいる。学生レベルの生半可な付け焼刃の知識は不要だろうし、却って迷惑かも知れない。それでは、自分にはいったい何ができるのか迷っていたこともあって、上のような愚痴が口を突いて出たのだろう。

が、オリヴィエは、アンジェリークの愚痴めいた言に眉をひそめるどころか、はっ…と何か気付いた風だった。

「そう…だね、オスカーが遠巻きにされたり、あんたが誹謗されるかもってオスカーが心配するのは、ひとえにオスカーの生家・生業のイメージが悪いからだ。多分、実態以上にイメージで悪く思われてる部分もあるだろうし。なら、アルテマツーレって企業をイメージアップできれば…武器商全般への偏見は変わらなくてもアルテマツーレはその中でも良心的な企業だって見る目が変わるかもしれない。そして…1stレディの印象が大統領のイメージアップにもつながるように、あんた自身の好感度を積極的に上げることで、クラウゼウイッツのイメージも刷新できるかもしれない。だって、あんたは未来のアルテマツーレの1stレディなんだから。今からイメージアップしておいて、悪いってことはないよ。で、あんた自身が、どんな誹謗にも負けないくらい輝いていれば、オスカーだって更に安心感が高まるだろうし、これ、一石二鳥かも!」

そして、オリヴィエはアンジェリークに、彼が任されているアンテナショップのみで売り出しているブランドのイメージモデルにならないか、と持ちかけたのだった。アンジェリークは驚いた。なぜ、この話の流れで、自分が…しかもモデルになるには明らかに身長の足りない自分に、オリヴィエがイメージモデルにならないかと言ってきたのか、わからなかった。なので、素直に

「あの、私がアルテマツーレの1stレディって…そのイメージアップって…あの、つまり、私がオスカー先輩と結婚した後のことまで考えて、オリヴィエ先輩は私をモデルに?お誘いくださってる?ってことですか?」

「もっちろん、だって、あんたの婚礼衣裳は私に作らせろって、私、もう、あいつに言ってあるもんね、でもって、あいつからも「クラウゼウイッツがパトロンになるに相応しい婚礼衣裳を仕上げるなら、生涯にわたっての専属デザイナーにしてやる」って言質もらってるしぃ。となったら、あんたに、私ブランドの専属モデルになってもらうのは、当然の帰結ていうかー私的にも美味しい話だし…って、一応確認しておくけど、あんただって、もう、とっくにあいつから求婚されてるだろ?」

「あ、はい、正式にはまだですが…極めて内うちというか、個人的には…」

アンジェリークは、束の間、それはそれは嬉しそうに頬を染めたが、すぐ真顔にーしかもどちらかといえば不安の勝った表情になる。

「それで、えっと、あの、先輩のお誘いは恐れ多いくらい光栄なんですけど、私、明らかにモデル体型じゃないし、私みたいに普通の女の子がイメージモデルになったりしたら、オリヴィエ先輩のブランドのイメージダウンになったりしちゃいませんか?それに、私が先輩のモデルになれたとして、それで、オスカー先輩のご実家のイメージアップの助けになれるんですか?」

何事も前向きなアンジェリークが、ここまで困惑し躊躇するのは珍しいことだった。事が、自分自身の問題ではなく、オリヴィエとオスカーという、自分にとって意味は異なれど大事な2人に関わることだからだ。前向きと無鉄砲は違うし、モデルに抜擢されたからといって、有頂天になるより、その責任を考えると、とてもではないが、2つ返事で承諾していいとも思えなかった。

すると、オリヴィエはぽりぽりと指で顔を掻く仕草をしながら、少しだけ言いにくそうに、こう言った。

「うーんとね、それでいったら、現時点でも、オスカーが、あんたみたいな女の子をステディに選んだのは、計算してやったことではないのに、結果としてオスカーのイメージアップに多大に貢献しているんだよ。あんたは、かわいいけど、近寄りがたいってほどの美女じゃない、きちんとした家庭で育ったしつけのいいお嬢さんだけど、超がつく資産家ってわけでもないし、旧家や王侯貴族の令嬢でもない、成績はいい方だけど、常に学年1位をとるほど突出してもいない、それって、つまり、オスカーは女を顔とスタイルでのみで選ぶような…連れ歩く女性を自分の男をあげるアクセサリーと勘違いしているような馬鹿じゃないし、財産や地位・家柄・血筋目当てで女性を選ぶような男でもないってことを奇しくも証明したことになる。しかも、あんたの成績がそこそこいいおかげで「顔がかわいいだけの、おつむの軽い子が御しやすくて好きなんだろう」なんて、オスカーが貶められる心配もないし、逆に、やつはいつも首席だから「常に首席の女の子じゃないと、彼女にする価値もないんだと思ってるんじゃないか、勉強できない子を見下している」なんて思われる心配もないし、逆にあんた自身も「成績だけが取り柄で選ばれた」なんて思われることもない。オスカーは、あんたを愛したことで、総合的に人を見る目があることを証明してることにもなるんだ。あんたを良く知ってる人なら、あんたは、誰からも好かれて当然だとわかるし、あんたを選んだオスカーの目を称賛する。一方で、人をわかりやすい記号的なくくりー美醜・財産・家柄・社会的地位とかーでしか見ない、捕えない人種ってのは確かにいるわけで、でも、そういう奴らから見ても、あんたには突っ込みどころがない、突出しすぎてないからこそ、どこをとっても叩かれる心配がない、そういう意味で弱点がないんだよ、あんたには。失礼を承知で言うけどね。そういうわけで、あんたは、オスカーの印象を良くする恋人として完璧なんだ、だから、このまま、あんたの「身近にいそうな普通の家の子、でも、飛びぬけてかわいくて、とびきり感じがいい」イメージを、強調するのが、あんたにもオスカーにとっても、いいイメージ戦略になると思うんだよね、私は」

と、人によっては、ぶんむくれてしまいそうな微妙ともいえる評価をオリヴィエからくだされたアンジェリークだったが、本人は「オリヴィエ先輩のおっしゃることは、いちいち尤もな評価だわ」と素直にうなづいた。自分は、飛びぬけて美人じゃないことはわかっているし、ロザリアみたいに名門貴族の出でもないし、ソフィアみたいに資産家の令嬢でもない、成績だって、一応上位の範疇にいるというくらいで、ある意味、全く突出した部分のない女の子というのは、その通りで、それは「オスカー先輩に釣り合わない」という劣等感にもなりかねないけど、逆に、それが、オスカー先輩のイメージアップにつながると、オリヴィエ先輩がおっしゃってくれるならと…それは、オリヴィエが、自分に自信を与えてくれようという優しさでもあると思ったアンジェリークは、オリヴィエのプロデュースに素直に従うことにしたのだった。

実家がアパレルメーカーであるオリヴィエは、「イメージ」の大切さも怖さもよく知っていた、ゆえに、イメージ戦略の重要さもまた。

兵器商であるアルテマツーレは、基本、一般大衆への「宣伝」をしない、決まった顧客ーしかも国家単位のーにプレゼンテーションはしても、だ。その場合もアピールするのはイメージではなく製品の性能である。大事なのはあくまで品質・質実であり、商品の性能が素晴らしければ、イメージ戦略などせずとも、顧客は付いてくる。こういう環境ゆえ、オスカーは、オリヴィエ程にはイメージ戦略の重要性を、抽象的にとらえてる部分がありー肌身では実感しきれない部分があり、実際のプロデュース・演出という分野では、オリヴィエの方がずっと巧みであり、得手だった。

つまり、オリヴィエはオスカーが疎い部分、具体的なノウハウに弱い部分を、カバーしようとしてくれているようだった。オスカーとアンジェリークのカップルは、どうしたって人目を引くし、目立つ、色々と人の口にも上ろう、ならば、その状況を逆手にとって常に「見られている」「誰かの目がある」ことを意識して、演出できれば…人目に立つこと、噂の種になりやすさも利点に変えられる。オリヴィエが、はっきりそう言ったわけではなかったが、アンジェリークは、なんとなくそう感じとった。オスカーが事あるごとに、オリヴィエがやく「おせっかい」に対し、口では「まったく…」と言いながら、感謝の気持ちを表情や態度にそれとなく表したりしているところを見聞きしてきたせいかもしれない。

オスカーが不当に受けてきた侮蔑、また、オスカーの身近にいる人が嫌な思いをするかもしれないと、オスカーが気に病むその根本は、オスカーの生家の生業が武器商であることに由来する。そして、人は「武器商」の家に生まれた、というだけでオスカーを色眼鏡で見てきた。オスカーが、どんな思いでアルテマツーレを継ごうとしてるのか、継いだら何をしようとしているのか、見てはくれないし、知ろうともしない。武器商は武器商であるというだけで、ひとくくりに見下される。でも、もし、オリヴィエ先輩の言う「イメージ戦略」によって「武器商」にもいろいろあること、武器商の関係者というだけで謂れのない差別をするのはー押し並べて差別とはいわれのないものだから、差別という行為自体がおかしいって問題提起をできるようになれば…少しでも、オスカーのやろうとしていることを理解してもらえるよう、私にできることがあれば…

そんな気持ちで、アンジェリークはオリヴィエのショップのイメージキャラクターを引受けることを承諾し、合わせて私生活全般においても、オリヴィエから陰に日向にプロデュースを受けることにした。

いまやアンジェリークの私服は、ほとんど、オリヴィエブランドでーただし、奇をてらわない、街着として通用するものに限ってだがー級友からはうらやましがられているが、ちょっとおしゃれな女の子、おしゃれのお手本にしたい女の子として、認知もされている。そうして、少しづつ身近なところから認知度や好感度を上げていけば…私自身の言葉を聞いてもらえるようになれば、私と同じくらいの年頃の人たちにメッセージを発信できるようになれれば、少しは…もしかしたら…スモルニィの生徒にだけでも、伝えられればー昔のソフィアみたいに、オスカー先輩を遠巻きに、怖いものでも眺めるように見ることを、なくせるかもしれない…と、アンジェリークは思っている。

それは目立たず、地道な努力だった。アンジェリークが自身で起業したいと思うような性質だったらーやり手で、ビジネスパートナーとしてオスカーと社会的にも対等に肩を並べ、同じ速度で歩みたいと思うような野心家であったならーいわばオスカーを裏方から支えることでは満足できない替わりに、公的にも資金的にも自分の立場を表に出してスカーの助けになれたかもしれない。が、アンジェリークは自分にできることと、向かないこと、やれたとしても拙いことの区別ができていた。オスカーの向かう方向、目指す道の様子が全くわからないおバカさんにはなりたくない、少しでも役に立ちたい、でも、自分がオスカーのいる世界に目を向けたのはーいや、その存在を知ったのは、オスカーと知りあった後からで、自分の生きてきた、これからも生きていく世界のことを、思春期頃からずっと深く考えていたオスカーとは、それこそ思考の錬度・深度が決定的に異なるうえ、もとより財界での帝王学を受けてきたオスカーと、普通の高校生としての教育しか受けてきていない自分が、財界で、オスカーと同じ速度で、同じ強さで、社会の表で並んで戦えるとは思えなかった。無理な強がりや意地、無謀な野心は、オスカーの助けになるどころか、かえって足を引っ張りかねないとも考えた。肩を並べて同じ戦場で一緒に戦うだけが「支え」ではないと、アンジェリークは知っていたから、同じ舞台で、第一線で戦えないことも、苦にはならなかった。自分には、自分の戦いがあり、自分なりの支え方があると考えた。

こういう経緯でアンジェリークはオリヴィエの「イメージモデル」として仕事するようになったが、芸能人というには程遠い地味な仕事ぶりで学業に支障をきたすほど多忙でもなかった。雑誌でオリヴィエが自ブランドの広告を打つ時に、オリヴィエの服をきて写真を撮ってもらう、仕事はそれだけだったからだ。所謂「ギャラ」も撮影済みのオリヴィエの服を譲り受けるだけだ。オリヴィエとしてはアンジェリークに日常的に自分の服を着まわしてもらうこと自体が宣伝になるので、ノーギャラでは申し訳ない気持ちだったのだが、アンジェリークに固辞された。オリヴィエから服を譲ってもらうだけでも、十分以上の対価だったし、第一、オリヴィエが自分にモデルをさせてくれるのは、オスカーと自分への厚情故だと、いわば情実人事だと自覚してたから。

仕事の量も決して多くない。雑誌の専属モデルなどと違い、仕事は毎月・毎週あるわけではないし、広告写真は1度撮影したものを数種の雑誌で使いまわすので、撮影も1シーズンにつき、1、2回とそれほど多くない。オリヴィエブランドの広告ページに出るだけなので、色々な服を着まわして多くのページに載る普通のモデルのように知名度も高くはない。それでも、アンジェリークの初々しい可憐な表情や雰囲気が、オリヴィエの服を一層愛らしく見せるので、まだまだ少ないとはいえ、雑誌の取材を受けることもでてきた。身長の足りない自分は今後も決してショーモデルにはなれない、あくまで、雑誌などでイメージを伝える役目だ、そして、普通の身長、普通の体型の私だからこそ、身近に憧れられる女の子のアイコンになれるのだと、オリヴィエに言われているので、アンジェリークに迷いや劣等感はなかった。

図抜けた美貌の持ち主というわけではない普通の女の子がちょっとした努力や工夫で、かわいく魅力的に人の目に映るようになれる、それは、多数派の普通の女の子には、福音であり心の支えであり励みになる。オリヴィエに勧められて始めたこととはいえ、アンジェリークは、オリヴィエブランドの広告塔として活動することが楽しかったし、誇りにも思っていた。

そして、今日も、そのためにアンジェリークはオリヴィエのブランドの服を身にまとい、卒業パーティーで披露する。その私をオスカーがエスコートしてくれることが、オリヴィエの宣伝になるし、私とオスカー先輩が、好印象なカップルとして人の目に映ればいいな、と思う。

そしてパーティーが終わって、明日には2人で自分の両親に久々に会いにいける。オスカーが両親と、特に実父と親しいのが、アンジェリークは単純にとてもうれしい。休みの度に2人で一緒に両親に会いに行けるのが、とても幸せだった。

と、アンジェリークの携帯がなった、オスカーから「30分後に迎えに行く」とメールが入った。

「大変…早くメイクをすませなくちゃ」

といっても、きめ細かい乳白色の素肌を生かすようにと厳命されているので、メイクは短時間で仕上がる。アンジェリークはラメ効果のあるパウダーを顔全体にはたき、アイメイクはアイホールに薄くシャンパンピンクをぼかし、瞳の色に合わせた緑のマスカラで豊かなまつげを彩り、同じく緑のシャドウをライン替わりに載せるだけにとどめた。ルージュも控えめで淡い色味を選び、グロスで艶を強調することが、唯一メイクらしいところだ。

髪はルーズにアップし、淡いピンクの八重咲きの花をUピンに刺した髪飾りを、耳の上に刺す。

「私の格好、大丈夫かな?おかしなところないかな?」

姿見で、入念に自分の姿をチェックする。オスカーにこれから会うのだと思う度に、アンジェリークは胸が苦しくなる程のときめきを覚える、それは、交際を始めて2年以上経った今も変わらない、きっと永遠に慣れるなんて日は来ないのだと確信に近いものがあり、それはなんと幸せなことなのかと思う。それだけオスカーが眩しい存在なのだ。だから、アンジェリークは自分もいつも、いつまでも輝いていたい、魅力的でありたいと思う。

と、寮の舎監から呼び出しがかかった。

外套を羽織り、飛ぶように駆けていくと、準礼装であるタキシードに身を包んだオスカーがー今宵の主役は卒業生で自身が主役ではないという配慮からだろうー蕩けるような笑顔でロビーに佇んでおり、アンジェリークは、過たず、その胸の中に飛び込んだ。同時に

「卒業おめでとう、アンジェリーク」

というオスカーの言葉に耳朶を蕩かされた。

 

謝恩会のパーティーは、学園から歩いて10分くらいの場所にあるホテルの宴会場を借りて行われる。

たまたま学園から徒歩でいけるという立地の良さに加え、ホテル自体、一流と言っていいくらいの格式と伝統を持っているためー国際会議などの会場にも使われることもあるー名家の子弟の多いスモルニィ学園の子弟及び保護者には、私的にも公的にも用いられる機会が多い、いうなればスモルニィ御用達である。スモルニィOBのカップルは、学園内の教会もしくは御堂で結婚式を挙げた後、徒歩で移動できるこのホテルで披露パーティーを催す者も多い。当然、謝恩会の会場も毎年このホテルの宴会場を借りて催されることは恒例となっている。地方から来ている学生も多いので、卒業式に出席するためにやってきた両親と共に、パーティー終了後、1泊してから地元に帰る者にもホテルでの開催は移動が少なくて済み、着替えの場所にも苦労せずに済むので何かと都合がいいのだ。

そして出席者のほとんどが系列大学への入学が決まっている卒業謝恩会は、やはり、和やかで明るい雰囲気に満ちていた。流石に、恩師たちとの語らいは、しんみりとしたものになるがーいくら高等部と大学部が敷地的に隣接しているとはいえ、大学に通うようになれば、お世話になった高校教諭とは、日常的に接することは少なくなるからーそれでも、生徒同士の会話は今後の抱負や大学生活への期待に満ちていて明るい。また、女生徒に限っては、お互いのファッションチェックで、非常に喧しい。年度末パーティー以上にお互いのドレスの品評会、センスの競い合いという雰囲気が濃いからだ。普通のパーティーでは生徒皆同列だが、謝恩パーティでは卒業生は主役、注目度も高いということで、張り切りすぎて、とかく派手できらびやかな装いをする女生徒が多い。

そんな中、アンジェリークの淡いピンクのふんわりとしたシルエットのドレスは、その清楚さ、可憐さ、春の訪れを具現化したような装いで、抜きんでて人目を引きつけた。目を射るような鮮やかな色彩のゴージャスなロングドレス姿が大勢の中で、膝がしらの見えるミニ丈のドレスは、白に近い極淡い色からほんのりとした桜色のグラデーションになっている。ボディにぴったりとしたシンプルなラインのトップスと対象的に、ボトムは薄桃色のフリンジ様の花びらが幾重にも重なった丸みのあるデザインで、全体に八重咲きの花のようなふんわりと優しげな印象だった。八重咲きの花のようなボトム、とはいっても、透けるような素材で色彩もあわいので、重さや野暮ったさは微塵もない。しかも思い切ったミニ丈なので、アンジェリークの足のラインの美しさ、足さばきの軽やかさが強調される。袖もスカートと相似形の八重咲きの花をイメージしているようで、薄桃色のオーガンジーが幾重かに重ねられ、小さなまろいシルエットを形造っていた。フレグランスも、ドレスのイメージに合わせたのだろう、オスカーがダンスでアンジェリークとターン決める度に、甘い花の香を宿す清々しい風がふぅわりと立ち上るようだった。

アンジェリークには、スタイリストとしてオリヴィエが付いていることは有名だったので、彼女のセンスの良さは、一部のものから「オリヴィエ先輩のアドバイスを受けてるんだから当然よ」とやっかむ向きもあったが、アンジェリークの装いは、常に清楚で、愛らしくはあっても派手ではなく、むしろ、おとなし目にまとめられていることが多かったのでー今宵もアンジェリークを彩る色味は極淡い桜色から控え目な桃色までの濃淡でまとめられていて、髪飾りも靴もパーティーバッグもドレスと同じ薄桃色で統一されているー一見して人目を引くような派手さ、華やかさは全くないので「自分ばっかり目立とうとして」とか「女王様然と振る舞って何様のつもりよ」みたいな、あからさまな反感は生じない。だが自己主張の強い鮮やかな色彩の洪水ともいえるパーティー会場では、おとなしやかでも品がよく、目に優しく写る淡い桜色のドレスを人は無意識のうちに目で追ってしまう、しかも、身にまとう少女が、また、この上なく淡い色が似合う可憐な春の妖精のような少女なら、尚更だった。

そして、オスカーも今宵はアンジェリークが主役であることを意識して、自分は黒子に徹底しようと思っている。男性では一番着用者が多いだろうタキシードにしたのも、その所為だし、今宵はカマーベルトもチーフもタイも地味目のモスグリーンでまとめてあった。

悔しいが、オリヴィエのしつらえたドレスは、アンジェリークに殊の外似合っており…いや、アンジェリークの可憐な魅力を十全以上に引き出し、引き立ていた。ゴージャスなドレス群が顕を競う中、敢えて地味か?と思わせるほど抑えた淡い色合いと、可憐さを強調したシルエットのアンジェリークが佇むと、そこだけ、清しく愛らしい花が1輪咲いているようで、派手とは逆の意味でよく人目を引いた。

「今日のドレス、お嬢ちゃんにとてもよく似合っているぜ。まるで花の精のようだ」

とオスカーが言うと、アンジェリークははにかみながらも嬉しそうに答えた。

「ありがとうございます、このドレス、八重咲きのチューリップがイメージだそうなんです。オリヴィエ先輩が『あんたの名前によく似たチューリップを見つけたから、春のパーティードレスはこのイメージでいくよ』って、おっしゃって」

「すると、この髪飾りがその花か…なるほど、愛らしくて、可憐で、お嬢ちゃんにぴったりだ」

パーティー会場では、絶対、オリヴィエにつかまらないぞと決意していたオスカーでも、オリヴィエのプロデュース力は虚心に認めたし、また、彼は1部の女生徒からアンジェリークがやっかまれるの警戒してか、自分からはこちらには近づいてこないところも小面憎い感じだった。アンジェリークが可憐さで際立っている様子が、遠目からの方がわかりやすいということもあろうが。それでも、これでは警戒していた自分が、まるで馬鹿みたいではないか、と思うと、ちょっと癪に障る気持も否めないー苦笑まじりではあるがーオスカーである。

なのでアンジェリークが

「あ、オスカー先輩、あそこでオリヴィエ先輩がロザリアをエスコートして踊ってますよ、1曲終わったらご挨拶に行きましょうよ」というのを

止めはしなかった。

というより、アンジェリークのドレスはオリヴィエが提供していると知っている者が多数いるこの場で、アンジェリークが自分から、オリヴィエに挨拶にいかなかったら、それこそ上げ足とりに命をかけているような連中に、アンジェリークが何を言われるかわからない。だが自分からオリヴィエに声をかける気はなかったオスカーだったので

「ああ、お嬢ちゃん、俺に遠慮せず、オリヴィエと話してくるといい、でも、なるべく早く俺の許に戻ってきてくれよ?俺はその間に飲み物をとってきておくからな」

といって、アンジェリークを快く送り出した。とはいっても「あいつは俺と違ってステディを作ってないから、ほら…ダンスの申し込みがひっきりなしだ。ということは、何もいわなくてもお嬢ちゃんはヤツとのダンスは遠慮するはずだろうがな」と思った上での余裕の振る舞いであったが。案の定、アンジェリークは短時間でオスカーの元に帰ってきた。

「オリヴィエ先輩は、モテモテだったので、ご挨拶だけしてきました」

オリヴィエがモテていたといっても、その内の半分は、アンジェリークみたいに、オリヴィエのブランドでモデルデビューさせてもらおうという下心いっぱいの女子だったのではないか、と、オスカーは割り引いて考える。アンジェリークは、かわいい女の子ではあっても絶世の美女じゃないので「この子がモデルになれるなら、自分だって!」という対抗意識を呼び覚ましやすい点は否めない。が、そういうやっかみは、ほとんど負け惜しみでありーアンジェリークは所謂美女ではないが、飛び切りかわいらしいのは、万人誰しも認めるところだからー大して害にはならないので、オスカーもオリヴィエもスルーしているし、もとより、アンジェリークはそういう感情を気にとめない、というより、あまり気がつかない。自分、オスカーに向けられる軽侮の情には、驚くほど敏く反応するのに、である。

「今宵が今生の別れってわけじゃない。オリヴィエとは、大学部に入れば、また、どうせ、いやって程会えるから、気にしなくていいさ」

と、オスカーが軽くいなすと、アンジェリークは素直に頷いた。

「うふふ、そうですね、これでお別れじゃないんですもの、必死になってご挨拶しなくてもいいんですよね、スモルニィの卒業式って…今度は大学部で先輩たちと一緒のキャンパスで勉強できるようになりますって節目だから、ちっともさびしくなくて…むしろ、わくわく楽しい気持ちでいっぱいになれて、すごくうれしい…」

だから、オスカーが卒業した去年のパーティーの方が、切なくて、ちょっと泣いちゃいそうだった…と、アンジェリークは思い出す。1年経ったら、同じ大学生になれるんだから、泣いちゃダメ、オスカー先輩を困らせちゃうから…とパーティー会場では、終始にこやかな顔を保とうと努めたのも、今となってはいい思い出だ。

「そうだな、お嬢ちゃん。俺もお嬢ちゃんが、同じ大学生になるのを心待ちにしていた。新学期が楽しみだ…本当に、この日が来るのを、俺は、ずっと待ちわびていた。ようやく、君に指輪を渡せる」

「オスカー先輩…」

「オスカー、だろ?」

「だめです、ここはたくさん人がいるから…きちんとけじめをつけないと…」

「なら…あとで…2人きりになった時、覚悟しろよ、お嬢ちゃん。いやってほど、俺の名を呼ばせてやるからな?」

「〜〜〜〜」

アンジェリークが耳まで真っ赤になってうつむいてしまう。

その様があまりにかわいらしくて、オスカーは、彼女を思いきり抱きしめたくなる腕を堪えるのに必死だった。

人前で見境なく、べたべたしないこと…というのも、彼女の父から厳命されていた。

そして、オスカーはその言いつけを、律儀に守っていた。彼女の父が怖いから、ではなく、彼のいうことは、すべて、いちいち尤もな説得力があり、守った方が得だということが自明だったからだった。

しかも、こうして交際にメリハリをつけていると、2人きりになった時、彼女と深く、密に触れあうのが更に楽しくなるし、多少のむちゃやわがままも通りやすくなる、という、悪魔的な発見があったことも、オスカーを一見従順にしていた。

『パーティーが終わった後が、本当に楽しみだぜ、お嬢ちゃん』

明日、一緒に彼女の親元を訪れるため、今夜は自身の部屋にアンジェリークは泊ることになっている。そして、訪問中は暫時の禁欲生活を強いられるので、その前に、彼女と濃密な愛の時間を過ごしたい、どれほど愛し愛されているか、確かめ合いたい。

アンジェリークも、明日、オスカーと一緒に両親のところに行けることが、今から楽しみだった。この時、リモージュ夫妻の駐在国に何がおきているか、起きつつあるか、オスカーとアンジェリークに限らず、知ることのできるものは皆無だった。

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