Before it's too be late 30

しばらく前から、銀髪の青年は、エンジュが女子と男子に振り分けた名簿の中から女生徒の名を指示しては「この者のサークル、もしくはゼミに我を連れていけ」とエンジュに指示を出した。

そして、エンジュは、青年の指示や要求によく応えていた。最初のケースだったロザリアとの接触は上首尾だったとは言えなかったが、それ以降、リスト内の女子の所属サークルおよびゼミ、見学可能な日時など、手際良く調べられるようになった。

エンジュの段取りの付け方は驚くほど良くなり、リストの人物に接触する効率は飛躍的に向上したーただ「リストの人物を見かける」だけでも「接触」と言えるのならば、であるが。

ロザリアのケース、その前例を踏襲するかのように、青年は、目当ての女子学生のいる場に赴き、その子女の姿を目にすることまではできたが、それ以上の接点をもつことが、どうしても叶わなかった。

挨拶できればよい方で、リストの子女に名指しでサークルやゼミの案内を頼んでも、固辞され、ほとんど全く言葉をかわせない。そのうち、目当てでない女子学生に取り囲まれて、結局、何もできないままー目当ての女生徒と親密になるとか、個人的に会う約束を取り付けるなどは全くできずに引き下がることとなりーまた、次の女生徒が指名され、エンジュは、その女生徒と会うための手はずを整える、ということが繰り返されていた。

エンジュは、青年から要求されたこと、指示されたことに関しては、極めて良くやっていた。

にも関わらず、銀髪さんは、最近、ずっと不機嫌だった。人の感情を推し量るのが苦手なエンジュにもはっきりとわかるくらい、彼は、苛立ち、不満の空気を常に色濃くにじませていた。感情を隠さずー不機嫌を垂れ流しという方が正しかったがー人の感情をおもんぱかることのできないエンジュには、不機嫌であろうと露骨であろうと、感情をはっきり示してくれる、というのはむしろありがたいことなのだが、彼の不機嫌の原因となると、エンジュには、やはり、さっぱりわからなかった。

自分は銀髪さんの役にたっているはずだ、以前よりずっと。だってアンジェリークと一緒に考えて、アンジェリークみたいに振舞えるようにー完璧ではないけど、真似できるようになっているのだから。それは間違いない。自分は、以前より、ずっと手際よく、効率よく、銀髪さんの要求に応えられるようになっている。

なのに、銀髪さんは満足していない。それは、エンジュにも、わかった。

リスト内の人物との接触が悉く不首尾に終わっていることーターゲットを目視するのが精いっぱいで、親しくなるどころか、おちおち会話もできないような状況が続いていることが青年の苛立ちの原因なのは明らかであったが、エンジュは「要求されたことを、自分はとても上手くやれるようになった」ことにしか頭がいかないので、青年の心理や状況を察することなどはできなかった。それでも、青年が、現状に不服でいることだけは察せられたのだ。

そして、こんな状況に陥った場合、今までのエンジュなら「私は言われたことを、きちんとこなしているのに、それで満足しない相手が悪い」と「切れ」るか、さもなくば、叱責されることを恐れて何もかも放りだして逃げ出すかのどちらかだった…が、今のエンジュは、違う。

自分はきちんとやるべきことをやっている、が、銀髪さんは満足していない、それは何故だろう、と、考えることができるようになっていた。

それは、アンジェリークと接点ができ、アンジェリークに事細かに指導を受けたことで、エンジュの態度と思考が成長したゆえだった。

知的な面では、今までに比べ、多少「熟慮」ができるようになった。

アンジェリークはエンジュが今まで知らず、知ろうとせず、もしくは、知りたくても人に聞けずにきたことも、尋ねれば、気負わず大上段に構えることもなく優しく教えてくれたので、この短期間で、エンジュは、多くのことを学びとることができた。知的な面では元々優秀なエンジュは、人からの指示には条件反射的に反発・反抗してしまうという悪癖さえでなければーそして、アンジェリークは、エンジュの反抗心を刺激しないでくれたー物事の道理をきちんと理解する力は持っていたからだ。

ために、エンジュは、手にあまる課題に途方に暮れて、投げ出しそうになっても、アンジェに相談してみたら、何とかなるかもしれないと思うことでー思えるようになったことが良い制御装置として働き、何事につけ、衝動的な振る舞いが目に見えて減っていったー情緒面で、明らかに落ち着きが見られるようになっていったのだ。

人に意見されると、とにかく理屈抜きに反論・反抗したくなるし、それが敵わぬ時はその場から逃げ出すか、投げ出したくなるという衝動は、無論、エンジュの内から完全に消失したわけではなかったが、多少なりとも感情に任せた振る舞いが減ったことで、同じ寮生との軋轢は明らかに鎮静化した。

それは、アンジェリークが何くれとなくエンジュに助言し、周囲になじませようと努めていることが、また、エンジュがおずおずとではあるが、アンジェリークに自ら助言を求め、受け入れていることが、身近に暮らす寮生にはよくわかったからである。エンジュは、集団生活において問題行動を繰り返してきた要注意人物であるのは事実であったが、人望篤いアンジェリークがエンジュの思考や行動の偏りをなんとかしようと助力するのなら、また、本人が更生する意思とやる気を見せている限りは、これを見守ろうとする空気が寮内で醸成された。寮生たちはエンジュに積極的に関わることはなくとも、総じて「成行きを見守る」「今までのことは大目に見る」という態度になった。とはいえ、エンジュの今までの態度が酷すぎたので、即座に、アンジェのように親しく接しようとする者は流石に寮内にはいなかった。特にアンジェに対する態度の無礼さには、アンジェ本人より周囲の者の憤りの方が激しかったのでーアンジェ本人は、エンジュの振る舞いの背後にある深い劣等感や僻みがちな思考の癖をある程度理解していたので、それほどこだわってはいなかったー今までのことはとりあえず水に流して、成行きを見守ろうとする態度だけでも、かなり寛容の度量大きな振る舞いといえた。そのエンジュへの寛容はひとえにアンジェリークの日ごろの人望が支えていたのは確かだが…「あのアンジェが、エンジュをなんとかしようと頑張ってるんだから、私たちも今までのことは、とりあえず忘れて、今は黙って成行きを見ていてあげましょう」というのが正直なところだったが、エンジュ自身は「取るに足らない、自分が関わる必要がない人たち」とみなし侮っていた寮生たちは、エンジュよりずっと人の態度ややる気をきちんと見計らい、成行きを見守ろうとする寛容さも、聡明で公平な目も持っていたのだと言えた。

エンジュには、無論、そんなことはわからない。今までの誰にも向けなかった目、耳をアンジェリーク1人にようよう開いた、という程度の社会性だったから。それでも、人の話をまったく聞く耳もたない、という態度よりは、エンジュは、よほど感じがよくなったのは確かだった。

だがしかし、エンジュは、実はアンジェリークの態度に全く不満がなかったわけではない。

最近、アンジェリークに助言を求めると「じゃ、どうすればいいか、一緒に考えてみましょうか」と、にこにこと受け答えはしてくれるものの、実際は、最初の頃と違って、答えを即答してくれないことも多くなっていたからだ。「さっさと結論だけ言ってくれればいいのに!」とエンジュはいらつくことも多かった。

それでも、段取りの付け方に途方にくれることは、自分で思う以上に多かったし、銀髪さんのために、段取りをつけねばならないことが、最近とみに増えていたエンジュにとって、アンジェリークとの会話は、とても役にたった。アンジェリークと会話しているうちに、なぜか、最後には「どういう順序で何をすればいい」か、明白になることが多かったので、エンジュはアンジェリークの助言に依存したし、せざるをえなかった。

エンジュは意識していなかったが、こういうアンジェリークとのやり取りが、エンジュの短絡的だった思考に熟慮することを教え、幼稚としかえいなかった情緒も多少なりとはいえ、短期間に成長させていたのだ。

エンジュは「こうするといい」と答えを与えてしまうと、次に何をすればいいか、自分で考えることをやめてしまう、行動の背後の意味や目的を考えようとしなくなるから、行動や振る舞いの一つ一つがぶつぎりになってしまう、だから、物事の連関性を見いだせないし、経験を次に生かせない、1つのことをし終えたら、また、次の指示を改めて与えないと動かなくなってしまう、機械みたいな思考と振舞いしかできないのは、その所為だ、そのため、周囲を苛立たせたり、能力の割に役に立たないと、みなされてしまう。だから、少しづつでも、順序立てて自分の頭で「次は何をしたらいいか」を考えさせ、自身で答えを出させたほうがいいのだ、と、アンジェリークは思い、そういう思考が身に着くよう「どうすればいいのか、一緒に考えてみましょう」と提案することで、エンジュを誘導していたのだ。

これは、アンジェリークがエンジュの社会性を成長させるために、直感的に行っていた行為であり、実を言えば、アンジェリークは、明確に意識したり、論理的に考えて、こうしていたわけではなかった。エンジュは今までいつも1人だって言っていたから、誰かと一緒におしゃべりしてアイデアを出し合って、物事を解決していくっていうことって楽しいし、実際に役に立つことが多いでって知らないと思うから、お節介かもだけど、そういう楽しみを知ってほしい、1人で考えたら煮詰まってしまっても、他の人の考えをきいたり、意見を交換し合うと、目から鱗って感じで、いきなり展望が開けたりすることもあるし、そういうこと、身をもって感じ取れたら、きっとエンジュのために良い、と思って提言していただけだった。その、無意識にやったことが、エンジュの情緒を短時間のうちに訓練・成長させていたのだ。

そんな中、アンジェリークからエンジュが学んだ事の中でも、特に実用的で、有効なことがあった。

リストの人物との接触方法を相談した時、アンジェリークが手際よく情報を集めるのにエンジュは感心して

「アンジェ、あの…どうすれば、次に何を調べればいいのか、わかるようになるの?私、何をすればいいか、自分でも思いつけるようになりたいの」と尋ねたことがあった。

それは、無論、アンジェリークの手を煩わせないようになりたい、なんて殊勝な考えたわけではなく、もっと、手際良く、銀髪さんの役に立ちたい、とエンジュが考えたからだったが、アンジェリークは、何故か、エンジュがこう問うたことを大層喜び、色々と有効な助言をくれたのだった。

その最たるが「行動を起こす時は、まずメインの目的が何かをしっかり見極めること、目的が明確であれば、その目的に至る道筋を順を追って考えやすくなるし、次はどうしたらいいだろうと迷った時、「目的」を常に念頭においておけば、次に何をすればいいか、自ずとわかるようになることが多い」と、いうものだった。

『極論すれば、人のやることで、目的のない行動はないそうよー明確に意識している場合とない場合があるけど。逆もまた真なりで、目的をきちんと意識していると、無駄な行動とか、回り道とか減らせるらしいわ、先輩からの受け売りだけどね。大事なのは、自分は何がしたいのか、何が目的なのか、きちんと意識しておくことらしいわ』と、優しく笑いながらアンジェは言った。

「わかりやすいところでは受験勉強とかかなー。受験に合格するのが目的で、そのためには志望校の出題傾向に沿った勉強すればいい、みたいな?」

と、言われて、エンジュは思いきって、このところ頭を占めていた、1番聞いてみたかったことを、アンジェリークに問うてみた。

「なら…なら、自分が何かをしたい時じゃなくて、誰かの手助けをしたいとか、協力したい時は、どうすればいいと思う?」

「んーと、それも同じじゃないかな。何か誰かの手助けしたいと思うなら、その人の当面の目標とか、やりたいこととか、目指すところがわかれば、自分に何ができるのか、何かできることがあるのかも、見えてきて、手助けもしやすくなるんじゃないかしら。たとえばある人が「勉強でいい成績を取りたい」って思ってたとして、自分は、その人の助けになりたいと思ってた、とするでしょう?自分に何ができるか考えたら、エンジュは、まず、何を思いつく?」

「勉強を教えてあげる…」

「うん、そうよね、自分が教えられることー得意な科目や専攻科目なら勉強のお手伝いができる。けど、専攻が違ってたり、不得意科目だったら勉強の手伝いはできないわ、もちろん、私が試験を替わりに受けることはできないし、でも、そしたら間接的にできることがないか、考えればいいわ。たとえば勉強の気分転換に付き合う、参考文献を探す手伝いをするとか…でも、それも本当の「目的」、この場合「成績を上げたい」ってことをちゃんと予めわかってないと、お手伝いが的外れだったり、迷惑になってしまうこともあるかもしれない、だから、私は、誰かのお役に立ちたいと思う時は「その人が今、助けてほしいことは何か」を、知っておくことが大事じゃないかと思うの」

「だって、そんなのわからない…どうしたら、そんなことがわかるっていうの?」

「その人に素直に聞いてみる…尋ねてみるのが1番いいんじゃないかしら。私は、あなたの助けになりたい、お手伝いできることがあったら教えてほしい、って。役にたちたいのだけど、具体的に何をすればいいのか、自分ではわからない時は、特に。その人に対して、その時、直接できることはないかもしれないけど、それでも、できることはないか考えたいから、今、困ってることとか、したいことがあったら教えてもらえないかって頼んでみたら?その気持ちが誠実なものなら…真面目な気持ちからの言葉だってわかってもらえれば、その人も真剣に応えてくれるんじゃないかしら。あなたのために何かしたい、手伝いたいって言ってくれる気持ちが嬉しくない人はいないと思うの。実際、できることがなかったとしても…その気持ちはありがたいものだと思うし、そういう気持ちがあるってわかってもらえっていれば、今、手伝えることはなくても、将来いつか、何かできることがあるかもしれないじゃない?そして、困ったとき、助けてほしい時は、遠慮なく声をかけてって言っておけば、その言葉を覚えておいてもらえれば、必要な時にお手伝いできるんじゃないかな」

エンジュが役に立ちたいのは「銀髪さん」だけで、この時、銀髪さんに必要なことは、リストの女子学生との接点を作ることで、それは、アンジェの助言のおかげで上手くできていたから、エンジュはアンジェリークの言葉を「そんなものか」と話半分程度にしか聞いていなかったが、それでも、今となってみればー銀髪さんが、明らかに不満・不機嫌な態度をあらわにしている今、このアンジェの言葉を聞いていたおかげで、エンジュには『銀髪さんがリストにあった人物と接触したがっているのは、彼なりの「目的」があるからだ』ということがわかるようになった。加えて、銀髪さんが不機嫌なのは、その「彼なりの目的」が、上手く行ってないないからではないかと、エンジュにも推測できるようになった。

つまり、銀髪さんにとって、名簿の性別調べも、その名簿をもとに女子学生に絞って接触を試みることも「目的のための手段」であって、真の目的は何か別のものがある、ということが、アンジェリークからの助言のおかげで、エンジュにも理解できるようになってきていたのだ。

だが、理解が進んだことが、エンジュの心に新たな疑問を生じさせた。

『あのリストはそもそも一体何のリストだったの?銀髪さんは、何故、その中の女子学生にばかり、接触を試みようとしているの?その理由…何が目的なの?』という疑問を。

エンジュが女子学生のサークル活動日時や場所を調べるのは、銀髪さんがリスト内の女生徒と会うためで、それは…その子の誰かと知り合いになりたいから?では、銀髪さんは何故、リストの女の子と知り合いになりたいの?アンジェリークのいうとおり、行動には何らかの目的があるのなら…女子と知り合いになりたい理由が銀髪さんには、あるはず。なら、それは何?

物事には多くの場合、目的や理由があること、目の前の課題だけクリアすれば終わりではなく、その先に何らかの目的があることを知ってしまったーアンジェリークに教えてもらったがゆえ、また、エンジュが多少なりとも「自分の頭で物事を考え、判断する」ようになってきたからこそ、生じた疑問だった。

そこで、エンジュは、考えてみたのだが…今、エンジュにわかっているのは、リストにあった具体的な人名、それくらいだった。

たとえばクラウゼウィッツ…銀髪さんのリストに名があった、アンジェの恋人…は、リストに名があったのだから、銀髪さんから「選ばれた」存在だったのは間違いない。

そして、クラウゼウィッツが男性とわかって銀髪さんは会いに行こうとしなかったけど、寮の女子が騒いでいてわかったことだが、オスカー・クラウゼウィッツは、世界でも有数の大企業の御曹司らしい。

同じようにリストに名前があって、実際に会いにいって、けど、自分をそっけなくあしらったロザリアは、やはりお金持ちのお嬢様のようだ。

その2つの「現実」が揃っただけでも、アンジェやオスカー、ロザリアもオリヴィエも、銀髪の青年は所謂「お金持ちの子女」とお近づきになりたいのだと、すぐ推察できただろう。

が、エンジュは2つの異なった事柄を結びつけ、考察・類推する、という作業がとことん苦手だった。普通の人なら「自明の理」として憶測できることができないー一つ一つの事柄は、それぞれぶつぎりにしかとらえられず、いまだ、関係性にまで考えを及ばせるのは、エンジュには難しいことだった。考察や推論の必要がない、解答の決まってる問題を解くのは難なくできるのに「何故、こんな簡単なことがわからないのか?」と周囲に訝しくおもわせてしまう、エンジュの知性はそんなアンバランスさがあってーそれは、アンジェリークの薫陶を受けているとはいえ、一朝一夕で矯められるものではなかったが…

それでも、エンジュには「何故だろう」と一歩立ち止まって考えられるようになっただけでも、大きな進歩だった。

そして、一歩立ち止まって考えられるようになったのは「銀髪さんの役にたちたい」と意識的に考えられるようになったからでもあった。

なら、銀髪さんの役にたつためには、どうすればいいんだろう、と考えた時、エンジュは、アンジェリークの言葉を思い出した。

「そうだわ、アンジェが言っていたもの、直接、助けになれなくても間接的に助けになれることもあるかもしれない、でも、それは、その人が何を目的にしているか、何を望んでいるか、ちゃんとわかってないとダメだって…そう、アンジェが言ってたもの」

お手伝いしたい、力になりたい人がいるなら、そのことを、はっきり告げて、その人の目的もきちんと教えてもらった方が、役にたてるんじゃないかとも、アンジェは言ってた。

でも、私は、考えてみれば、銀髪さんの目的が何か知らない。だから、あんまり役にたってなくて、だから、きっと銀髪さんは不機嫌で…なら…直接、聞いて見ればいい。だって、そしたら、もっと、銀髪さんの役にたてるように、なれる、ような気がする、きっと。

アンジェリークの教えによれば、目的がはっきり把握できれば、助力もより的を射るものになるはずだ、それはきっと有用で有益なことだとエンジュには思えた。

『助けになりたい』と意思表示されて、嫌な人はいないだろうと、アンジェが言った言葉もエンジュの背中を押した。

そうだわ、次に会えた時、勇気を出して、銀髪さんに聞いてみよう、銀髪さんの願いは、目的は何ですか?お手伝いがしたいので、それを教えてくださいって…と、エンジュは、そう、心に決めた。

 

さて、エンジュが、アンジェリークからの助言を受けることで、今までとは比べ物にならないほど効率的に動くようになった、そのことが、このところのオスカーを極めて多忙にさせていた。無論、エンジュも、その遠因を作ったアンジェリークもそれを全く預かり知らぬところで。

ここ最近のオスカーは、調査員からあがってくる報告、その情報量が、急激に増加したため、その解析にかかりきりになっていた。

調査員が挙げてくる報告は、エンジュ・サカキという今年度の新入生総代にして特待生の少女の動向ー彼女がどこに現れ、誰と接触を図ったか、だった。

銀髪の青年の動向調査は中止させた。アンジェリークの父・リモージュ氏からの要請に従ってだ。

この件に関しては、オリヴィエと少々の悶着があったのだがーオリヴィエは、オスカーがリモージュ氏の要請に即刻従ったことが、いささか釈然としなかったようだった。

「それにしてもさぁ、いくら将来、義理の父になるからって、あんた、アンジェ・パパの言うなりになりすぎじゃないの?あっさり陥落しすぎっていうか。もうちっと抵抗するとか、簡単にいいなりにならないぞっと気概を見せた方が、よかったんじゃない?今更だけどさぁ」

と、オリヴィエは言ったが、オスカーの意見は逆だった。

オスカーの実家が経営するアルテマツーレは、所謂「武器商人」であるために、政府・国との関係が密だ、だからかもしれないが、オスカーは、国との綱引きなら、若干こちら側が弱め、と思わせておく方が実利的だと考えていた。下手に国の方針に反発・反抗すると、警戒され、事業の許認可を与えなかったり、厳しい規制をかけられることがある。表向きでも、国からの命には従っておいた方が、規制も受けにくく、結果的に行動の自由裁量度が増すというのが、オスカーの実感だ。こちらが一歩譲って国を「主」としてたてていれば、鷹揚に扱われるという点で、朝貢貿易の宗主国と属国の関係に近い、と言えばわかりやすいだろうか。

ために、今回も、敢えてカティス・リモージュの提言に、オスカーはイエスマンとして振舞った。それでも不満そうなオリヴィエに、オスカーは付け加えた。

「俺は武器商・アルテマツーレの御曹司であり、次期後継者だ、そんな俺が頭があがらない人物というのは、そう多くない、だからこそ、俺はリモージュ氏には頭があがらない…と、周囲、特に政府におもわせることができれば、今後も、何かと都合がいいと考えたんだ、俺は」

「どゆこと?」

「アルテマツーレは、国防にとってなくてはならない産業であると同時に、巨額な税を収めてくれるありがたい存在でもあるが、真実最新鋭の製品を他国に売られては困るという点からみれば、厳しく規制しておきたいーつまり、しっかり縄につないで、その縄で動ける範囲で自由にさせておく、が、決して縄は解かない、逸脱すれば締め上げたい、というのが、国の率直な立場だろう。そこにリモージュ氏のような人材ー国の中枢にいるわけではないからこそ、簡単に上から命令できる公僕が、私的なパイプをアルテマツーレの後継者との間にもっている、とわかれば、その希少な人材を使わない手はないと中央は考える。若造の俺を牽制するのは、俺の親を巻き込むよりよほど簡単だし、今から、後継者たる俺の頭を押さえておけば、将来も国に有利に事を運べるだろうと中央は考えるだろう。実の親と義理の親、遠慮が立って逆らいにくいのは、どうしたって義理の親からの忠言だしな?先刻、リモージュ氏が、直に俺に接触してきたのも、彼の俺への影響力がいかほどのものか、測るためもあったんじゃないかと俺は踏んでいる。彼は言っていただろう?「俺の顔をたててくれ」と。加えて、リモージュ氏は、貴重な情報を提供してはくれたが、実のところ、あの青年の正体をあからさまに明言はしていない、ある程度の仮説をたてていた俺ならわかるだろうと見越したことしか発言していないんだ。それで俺はぴんときた。この電話は録音して提出を義務付けられているか、盗聴されている可能性があるとな。リモージュ氏は役人としての立場上、ヤツの正体を明言はできない。一外交官が、対外的にはこの国に存在していない亡命中の王族のことを口にするわけにはいかんのだろう。が、一方で国は、俺がやつにちょっかいをかけるのを、どうしてもやめさせたかった。だから、俺が「手を引く」と言わないと…頑迷に意固地に「俺は調査を続ける」なんて言い張ったら、恐らく、リモージュ氏の立場は悪くなったし、少なくとも、この件に関しての発言権が減るのは間違いなかったろう。だが、俺があっさりリモージュ氏の進言に従ったことで、リモージュ氏はアルテマツーレの後継者と強いコネクションがあると、上層部に改めて認識され、覚えもめでたくなるはずだ。このパイプが有効だと、外務省のお偉方に認識されれば、リモージュ氏の省庁内での地位もより確固としたものになっていくはずだ」

「じゃ、あんた未来の義父の出世のために、あえて恭順の意を示したっていうの?」

「言っておくが、それは彼へのおべんちゃらでしたことじゃないぜ。今、言った通り、リモージュ氏の権威および発言権が強まれば、彼も庁内で意が通しやすくなるんじゃないかと思ってな。特に今、あの胡乱なヤツの行動を監視・牽制するために、省内でリモージュ氏の権限を強めておくことは必要不可欠な気がするんだ。彼が本国での決定には桟敷の外に置かれてしまっていたからこそ、ヤツがお嬢ちゃんと同じ学部に入学してくるなんて無軌道が平気でまかり通った可能性があるしな。彼の知らないところで、本国のお偉方に勝手なことをされないためにも、リモージュ氏の権限を強化しておいた方が、俺にとってもーというより、アンジェリークにとって安全だろうと思ったんだ。『リモージュ氏はアルテマツーレの次期後継者に強い影響力・発言力を持ってます』ってことを印象づけることができれば、リモージュ氏の省内での立場は強くなる。それは、今後の展開に色々と有効に働くはずだ」

「そこまで見越して、アンジェパパは、あんたに電話してきた…と、そう、あんたは考えているわけか…で、あんた、そのアンジェパパの期待に応えられたと?」

「その自信はある…が、今、思うと、確かにあっさり引き下がりすぎたかもしれん。俺は、すでにペナルティ1がついた気になっていたから…俺はアルテマツーレ御用達の調査社を使ったことで、ヤツの調査の依頼主だと、簡単にたどりつかれちまって、少々、弱気になっていたのかもな。はったりをかますには、ちょっと賢し気に振る舞い過ぎーもっと故意に隙を見せる方がいいと、リモージュ氏にいなされもしたしな、まだまだ青いものだと、リモージュ氏は電話口で俺を笑っていたことだろう。だからこそ、これ以上の失態を犯すわけにはいかないのさ、今後の行動は、よほど慎重にしないとな」

オスカーは苦笑した。

顔は笑っていたが、心の内は固まっていた。オリヴィエとの会話で、自分の考えを言語化したことで、今後の方針が見えたのだ。

銀髪の青年からは、単なる動向調査も含め、一切手を引く。代わりに、手先となっている少女・エンジュの動向調査を徹底する。

本丸に直接攻め込まずとも、周辺から外堀を埋める。手足の動向を詳しく分析することで、主体の目的をあぶりだす、と、オスカーははっきりと方針を決め、オリヴィエも、この意に沿って動いてくれ、と告げたのだった。

そして、調査社をアルテマツーレ御用達の物から、オリヴィエの親会社が使っている調査社に切り替え、エンジュ単体の動向調査の報告を挙げてもらうようにし、エンジュに動きがある度に上がってくる報告に目を通すことにしたのだが…

最近、その報告の頻度が、急に多くなってきた。銀髪の青年への調査はやめたのに、目を通す報告ファイルの量は以前より増えた程だった。

というのも、エンジュが接触を図った学生数は、このところ、飛躍的に伸びていたからだ。以前の接触は10日に1人くらいの割合だったが、今は、1週間に2人と接触を図ることすら、ままあった。

単純に考えれば、エンジュが今までの経験則から、能率よく、効率的に人とのアポイントメントの取り方を体得した、と考えるところだが、それにしても急激な伸びだった。

それに比例して、オスカーが解析すべき情報も増えたので、最近のオスカーは今までにも比して、エンジュの動向分析に時間をとられるようになっていた。

が、それ自体は悪いことではなかった。所謂「症例」が増えたことで、自ずと、浮かび上がってきたー推察できる事柄も増えたからだ。

調査を始めた当初、エンジュの狙いは富裕層の子弟なら手あたり次第だった。それがそのうち、接触対象が女子学生に絞られ、狙われた女子学生の姓がどんどん出そろってき、それをずらっと並べて見渡したことで、オスカーはある事に気付いた。

エンジュとその背後の青年が富裕層の子女と近づきにならんとしているのは明らかに思えたが、ごくたまに、没落、というと聞こえが悪いが数年前の金融危機で破たん・破産した家柄や、経営責任を取らされて辞職に追い込まれた企業TOPの子弟など、現在、実質富裕層ではない家名の者が散見されるのだ。

それは、エンジュを通じてあの青年は、「元・富裕層」ーかつての名門・実質庶民の子女にも、接触を試みているということを意味していた。

オスカーはその意味を考える。

あの青年が資金援助を目的としているなら、没落した元・富裕層の子女には接触するだけ時間の無駄だ。

敢えて没落した名家の子女に男が接近を図るとしたら、その目的は…「落ちぶれた家名を自分が立て直す」ことを掲げての婿入り…それならありうる。実際、王族の次男坊・三男坊などは、富裕な名家に婿入りできれば安泰であるし、後継ぎが娘しかいない名家にとっては、優秀で血筋のいい婿なら願ったりであるから、双方にとってメリットがある。ただ、そういう名家の婿入りの口でも条件のいい物は、当然競争率も高いから成功率が低い、一方、没落したかつての名家への婿入りなら、贅沢を言わねば、そして家を建て直す気概を本人が見せればー娘の良縁を諦めていた元・富裕層の名家なら、婿入りはそれほど難しくはないかもしれない、どころか、もろ手を挙げて歓迎してくれるかもしれない。皇籍をはく奪された元・王子としては、悪くない、かつ現実的な身の振り方、第二の人生の選択肢ともいえるかもしれない。が、それなら現在の富裕層子女ーロザリアなどにー接触を試みる必要はない、没落した家柄の子女にだけ狙いを絞る方が理にかなうというものだ。

だが、エンジュの「名家の令嬢に手あたり次第にお近づきになろうとしている」という行動を見るに、あの青年の狙いは、そのような堅実で現実的なものとは、オスカーには思われなかった。あの手あたり次第な様子は、じっくりと身の振り方とか落ち着き先を検討している風にはみえない。ヤツは、むしろ、早急に金銭的援助を必要としているのではないか、だから、あんなにも、なり振り構わない様子なのではないか。そういう印象を強く受ける。

なのに、没落した家柄の子女にも接触を図っているのだとしたら…もう一つの可能性は…

「単純に、やつの持っている「富裕層」のデータ、というかリストは、金融危機前のいささか古いもの、なのかもしれんな…」

では、そのリストの出所は、どこなのか。

今現在の純資産高によってランキングされた富裕層なら、それこそ経済誌の記事を見れば、ある程度はわかる。が、雑誌によく名のでる富裕層とも、青年の接触リストは異なっているので、リストの出どころが、そういうわかりやすいものでないことも確かだった。

エンジュを通じてあの青年が接触を試みている人名リストは、現在、誰にでも入手可能な情報から抽出したものではない。同時に、現状より若干古いデータに基づいているようだと、オスカーは考える。

そして、アンジェリークの父が語った青年の素性が真なら、そして、ヤツが争乱を起こしたかの国は租税回避地として有名であり、国営産業として銀行業もまた有名であることを鑑みて、オスカーは一つの結論を導いた

「ヤツは自分の故国の国営銀行の顧客リスト…口座を開設している家名のデータを持っていて、そのリストの中から、この学園に在籍している子弟を抽出、更に女子に接触を図っている可能性が高いな、ただし、情報自体は数年前の物である可能性が高い…」

そう考えるとつじつまがあうのだ。ロザリアのカタルヘナ家や、自分やオリヴィエが接触を試みられたのに、同程度の資産家であるジュリアスにはエンジュの接触がなかったことも。資産を預金や有価証券などの動産で持つ名家が重点的に狙われており、他方、伝統ある貴族や土地持ちの名家の子弟は眼中にないらしいことも。

元々のデータが、とある銀行の顧客リストなのだとしたら、その銀行に口座を持っていない人物は、どんなに金持ちであっても狙われないし、そのデータが今現在の最新のものでないなら、今は没落した家名の者に接触を図ってる訳も説明がつく。

また、その推測を「真実」と前提とすると、更に色々と説明のつくこと、見えてくる事態がある、とオスカーは考える。

銀行の顧客名など普通の人間には特に意味もない、有用な情報でもないかもしれないが、オスカーには、このリストの重要性がよくわかる。

かの国は租税回避地であることを謳うと同時に、その国営銀行は、守秘義務の堅いことで有名であり、守秘義務を盾にとって、顧客名も資産規模も絶対、対外に公開せずを貫いている、だからこそ世界中の富裕層は手数料を払ってでも租税回避国の銀行に口座を持ちたがる。国によって資産にかかる税率は異なるから、自国の銀行にお金を置いておくより税金が安くて済む、という単純明快な理由で租税回避国に口座を持つ富裕層もいえれば、もっと、後ろ暗い気持ちでー故国、より厳密にいえば故国の税務局に資産規模を把握されたくないからという富裕層も多数いる。資産がガラス張りになってしまえば巨額の税金をかけられたり、出所を明るみにだせない所得を持つ富裕層も多い。そういう人種にとっては、租税回避国に銀行口座を持っていること自体、知られたくないし、ましてや資産規模やその内容の情報が流出したりしたら…追加徴税や罰金が生じるー位で済めばまだマシで、資金洗浄や脱税で刑事罰を食らう可能性のある富裕層もいよう。

ゆえに国営銀行の顧客リストは、かの国の政府と顧客である富裕層には、絶対、漏れたり、オープンになってもらっては困る、どころか、そんなことになれば双方共に死活問題だろう。そんな情報流出がおこれば、租税回避国の国営銀行の信用は失墜する。信用がなくなって口座の解約が相次げば国の経済は破たん、国体そのものが「破たん国家」として存続できなくなるかもしれない恐れすらある。

一方で富裕層が国籍を置く国の政府にとっては、租税回避国の銀行口座情報は、のどから手が出るほど欲しい情報だろう。富裕層の資産がガラス張りになれば、脱税を取り締まり、本来得られるはずだった税金を取り返し、更には追徴課税で国庫をうるおせる。

そして、ヤツはある時期までは、租税回避国の王統につらなる一員ー特権階級の一人であったはずだ、そして、かの国では銀行が国営事業であるゆえに、負う王族の一員であれば、銀行の口座情報に接したり、収得できる機会がなかったとはいえまい。

そして、あの青年が彼の母国にとっては決して公開されたくない、どころか、持ちだされたこと自体、知られてしまったら致命的な、が、この国の税務局および財務省にとっては喉から手が出るほど欲しい情報を握っているのだとしたら…確信がないにせよ、その可能性が僅かでもあるのなら…

「ヤツが…クーデターを画策した重罪人でありながら公には裁かれなかったーというより、ヤツの母国が裁けなかった訳もわかる。王族の1人が謀反を起こしたこと自体、信用第一の金融国家としては頭の痛いことだし、隣国の軍隊の力を借りて鎮圧したから、秘密裁判で処分ということもできず…第一、ヤツがどんな情報を隠し持っているかわかるまでは処分するわけにもいかず、かといって法廷で下手に情報をぶちまけれても困る…と考えたヤツの母国の王室が、ヤツの処分に困り果ててこの国の政府を頼ったか…さもなくば、何らかの情報公開を条件に、こちらから取引を持ちかけた可能性もあるな…それなら、リモージュ氏が仲介して、わざわざこの国にヤツを秘密裏に亡命させた理由も、ヤツが表向きは保護、実質監視されていることも無理なく説明できる。やつの母国も、うちの国の政府も共に、ヤツがかの国の銀行口座の情報を実際に持ちだしたのか、もし、持ちだしているとしたら、その精度がどの程度のものか見極めるために…」

それなら、ヤツが、ある程度の行動の自由を与えられているのは、「泳がされている」からかもしれない。

何処かに情報を隠していて、それを取り出したりしないか、さもなくば、誰かに売ったりしないか、支援者と連絡を取ったりしないか、それを見張るためにSPがつけられており…。

一方、学内ではヤツの自由度が比較的高いのは、ヤツが政府にとって重要人物であることを知らせたくないのが第一、同時に、学内では、ヤツも大したことはできないだろうと、みなされた故だろう。スモルニィの学内に設置されているPCは、アクセス制限がかけられているし、学内では学生でない者の存在は目立つから情報の直接売買も難しい、また、ある程度の隙を見せてヤツを油断させないと…あまり警戒させて、何も動きを見せてくれないのも困る。見張りをぬるいものと見せかけ「大丈夫」とヤツに思わせることで、ヤツがどう動くか…何を知っており、どんな情報を持っており、これから何をしようとするのか、見極めようとしているのではないのか、この国の政府は…

そうオスカーは推測した。

そして、ヤツの持っている情報が、最新のものか、数年前のものか…俺の考えも今は推測の域をでないが、国側はもう把握しているのだろうか…とオスカーは考える。

それによって、ヤツの情報の価値、および、オスカーが調べ上げた情報の価値も変動しよう。数年前の情報であっても、国はほしいのか、それなら不要なのかは、現時点ではオスカーにはわからない、が、ヤツの持つ富裕者層リストー正確には国営銀行の融資を受けている者のリストなのか、単なる口座保有者リストかまでは、これもわからないが、かの国の国営銀行の顧客であることは間違いないだろうからーが、何年度のものか精査できれば…これは、エンジュの接触者リストを調べれば、ある程度絞れるはずだ、その情報は無駄にはなるまい。その情報提供を条件に、リモージュ氏に何らかの取引を持ちかけることもできるかもしれない。

同時に、ヤツがクーデーターの首謀者だとして、クーデターを企てた理由は何だったのかも、できれば知っておきたい、とオスカーは考えた。単純かつ短絡的な後継者の座を狙ってのものだったのか、それとも何か別の理由があったのか…外部からでは中々にわからない、国体の腐敗や不正があって、ヤツがそれを正そうとした、という可能性だってないとはいえまい。動機がわかれば、やつの人間性も自ずと見えてくるかもしれない。

オスカーは、争乱の後始末で、まだまだ混乱しているかの国に「身分をはく奪された王族」もしくは「跡目争いから脱落していた傍系の王族」がいなかったか、もし、いたとしたら、その評判・内実はいかようなものだったか、現地の…といっても隣国のだが支店を通じて、極・私的に調査を依頼することにした。

ただ内乱もどきの紛争が起こる前ならともかく、紛争の後始末でてんやわんやの国に私用で営業員を派遣させるような勝手が通るわけもなかったので、出張でも社用でも個人的な旅行でもー何せ、その国は世間一般では銀行業より観光地として名をはせていたのでーいいから、かの国に赴いた時は、それとなく「20歳代半ばから後半の王族」もしくは「廃された王子」の噂を尋ねたり、現地の王族スキャンダルなどを扱った雑誌などを買って送ってほしいと頼むことにした。噂は噂でしかなく、特にマスコミは王族関係の話題は面白おかしく取り上げるから、話半分にしておくべきだろうが、それでも、あの青年の認知度や立場、また、国民からの敬意の度合いや、もし、故国にあった時から廃された王族だったとしたら、その扱いに対して、国民は同情的か、当然だと思っているか、その辺の情報を得て、あの青年の人となりを少しでも把握できないか、ヤツの危険度はどの程度か、とりあえず放っておいても大丈夫そうかなどの指針にしたいと考えた。

以前…エンジュという少女が、自分とオリヴィエを訪ねてきたときに比べれば、かなりのことがわかってきた、が、まだまだ、情報は足りない。今後しばらくは、情報集めを続け、その解析に勤しまねばならなさそうだった、全ては、アンジェリークの身の安全を図るため、ヤツが放置しておいても問題ないと断言できるようになるまでは。

こういう訳で、オスカーは、このところ、時間がいくらあっても足りない、という状況だった。学業をおろそかにするつもりは毛頭なかったので、なおさらに。

もちろん、アンジェリークと過ごす時間は別枠として最優先で確保はしており、その待ち遠しい週末は、もうすぐそこだーさもなくば、オスカーは自分が心身の健康を保てないと思っているーが、オスカーが妙に忙しそうであることー試験期間中でもないのにーであることは、察しのいいアンジェリークは気付いているようだった。

それでも、無用な詮索やお節介をしないーすぐに手を差し出す用意は怠らないが、決して出過ぎない、そんなアンジェリークの聡明で控えめな心遣いがオスカーにはありがたかった。何故、何をしていて忙しいか、詳しいことは相変わらず言えなかったから。

が、オスカーは、その危うさを、わかっていなかった。

アンジェリークは聡い、ゆえに出過ぎずオスカーの状況を理解して、無理や我儘を言わないし、オスカーを煩わせまいと、オスカーにあまり関係のない寮内での友人付き合いを一々おしゃべりするようなことをしなかったし、それに付随する問題は自分自身で処理しようとする。

ゆえに、オスカーは知らなかったのだ。

オスカーの調査対象であるエンジュの行動が何故急に活発化:効率化したのか、その陰に誰の助言があったのか。

調査員も、流石に女子寮内でのエンジュの動向や、誰と接触しているかまでは、調べることができなかったー調査報告されていたのは、エンジュが女子寮をでて、女子寮に帰着するまでの動向だったから。

そして、アンジェリークはアンジェリークで、忙しそうなオスカーを煩わせまいと、無用と思われるおしゃべりを控えていたがゆえ、今、エンジュに色々相談されていること、つきあう時間が増えたことも告げていなかった。

それでなくても2人一緒に過ごせる時間は、お互い、いかに互いを愛しく大切に思っているか、好きでたまらないかと伝えあうことに専心してしまう、それ以外のことに限られた時間を振り分けるのは、互いにもったいない、という気持ちがあって、なんとはなしの雑談がここ最近、減っていたのもあだになった。

オスカーもアンジェリークも、互いそれぞれに、まったく別の意味、別の観点からエンジュを気にかけ、気に留めていることを知らずに過ごしていたのだった。

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