オスカーが待ち合わせの店に着くと、こちらが口を開くより先に「お連れ様がお待ちです」と、店員は慇懃な態度でオスカーをVIPルームへと案内した。顔なじみの店があるというのは、やはり便利だと実感しつつ案内された部屋に入ると、自分を呼び出した待ち合わせの相手は、もう、席について、1人、ボトルの酒をちびりちびりと喫していたようだった。
「お先に軽くはじめてたよ、お店の人が、あんたがボトルいれてるけど、それを出すかって聞いてきたんで、ちょっと味見させてもらってた。このブランデー、強いのに、するするっと喉を滑り降りて行くって感じ、いいお酒だねぇ」
「当然だ、俺のボトルだからな」
「つか、あんた、いつのまにマイボトルいれてたのさ」
「おまえとの打ち合わせで、これからもこの店を使うことがあるだろうと考えて、この前来た時にな。オーダーの手間が省けていいだろう?」
「確かに、手っとり早いし、後は放っておいてもらえるしね」
オリヴィエとの会合にこの店を使ったのは、今日を含めてもまだ2、3回の筈だが、店の者は、オリヴィエの連れである俺の顔をもうすっかりインプットしていたらしいな、オリヴィエが先に来店した際、俺のボトルを出すか尋ねるとは、気がきくというか、小面憎いというか…ま、オリヴィエみたいに目立つヤツは1度みたら中々に忘れ難いから、その連れである俺も御同輩というところなんだろう、と苦笑しつつ、オスカーも席につく。既にグラス類は用意されているので、あとはこちらから呼ぶまで店側は放っておいてくれる。そこで、オスカーは前置なしで、即、話を切り出した
「で、何がわかったんだ?」
「うん、色々、面白い…っていったら語弊があるな、興味深い噂、眉つばものから、かなり事実らしきもの、種々取り混ぜ入ってきたよ。私の予想通り、オートクチュールのお客さんに、あの国のご婦人が結構いてね、採寸時なんかに世間話を装って『数ヶ月前に王宮で騒ぎがあったみたいだけど、大変でしたね、もう落ち着かれました?』って路線で争乱の内輪ネタ探るグループと、『確か、お国にお若い王子様がいらっしゃいませんでした?独身のプリンスがいると社交界が華やいでいいですね』って感じで、あいつの評判を探るグループに分けて、それぞれに噂を集めてもらったんだ、そしたら憶測含めだけど『ここだけの話』ってのが、ま―後から後から出てくる出てくる、あいつ、色んな意味で、話題に事欠かない王子だったみたいだよー」
という前ふりから始め、オリヴィエは彼が集めてー彼に言わせると自然に集まってきた情報を、順次あげていった。
「人から聞いた話ばかりだから、ある程度の偏向があること前提で、それでも、なるべく、収集したままに近い形で…複数人から聞いた話を順番に伝えるよ。まず、あいつ…あの青年の本名はレヴィアス・ラグナ・アルヴィース、その国の言葉で「正統なる者」という意味を持つ。年齢は28歳、立場としては現王の甥にあたる、ただし現王は彼の叔父。彼の父は王兄、つまり長子だ。前の王位継承時、弟が王位を継いだんだね。それはさておき、彼自身は欧州の王族にしては珍しい美しい黒髪とオッドアイという人目を惹く容貌の持ち主で有名だった」
「黒髪、オッドアイ?だと?それは確かに目立つ、目立ちすぎるほどだ…ああ、だからか、あの銀髪は…」
「そ、私も一瞬『え?うちの国に来てる人とは別人じゃん?』と思ったけど、髪の色を変えるのなんて別段難しいことでも珍しいことでもない、今時は良いカラコンもあるから、瞳の色だって、生まれながらのものとは限らない」
「この国に亡命する際に、進んでか強制されてかはわからんが、髪と瞳の色を変えていたんだな。容易な手段だが、その割に第一印象ががらっと変わるからな」
「ただそんなキャラ立ち著しい容姿の割に、欧州社交界にあまり顔が知られてなかったのは、彼が本国の社交界にはめったに顔を出さないせい。王室側も、彼は社交に出なくともいいと、黙認してたらしい」
「王族において、外交は主要な責務のはずだが…しかも、見栄えのいい若い王子なんて親善外交の顔として、うってつけなのに、それを利用しないということは、王室側に彼を外に出すメリットがなかった、もしくは、積極的に公の場に出したくない理由があった、そうじゃないか?」
「ビンゴ。彼自身は、さっきも言った通り、国民の間では結構な有名人でね。下町、場末の安酒場で呑んでいる姿を頻繁に目撃されてる。王族がお忍びで、下町庶民の生活を視察するってシチュは物語とかでは珍しくないけど、彼の場合、そういう大衆好みの美談じゃなくて…良くない意味で有名だったみたい。安酒におぼれ、愚痴をこぼし、時にくだを巻き、周囲に絡み、等を繰り返していたらしい。しかも、その垂れ流しの愚痴の内容が、自分は不遇だ、不当に王位から遠ざけられた、みたいな繰り言で。そういう愚痴をあの目立つ容姿で撒き散らしてたから、自ずと素性はバレバレだった。で、都じゃ、現王の甥は国の金で安酒を浴びるように呑み、愚痴をこぼすばかりで、王族としての義務も責務も果たしてないって、正直、疎んじられてたというか、侮蔑を含んだ白い目で見られていたらしい。そして、そういう周囲の軽蔑を感じて、王子は一層荒れるっていう悪循環を繰り返していたみたいだね」
「それは…王室側としては、外交に使える訳がないな、公の場で何を言い出すか、しれたものじゃない。そいつの噂が国外に流れなかっただけでも、僥倖というもんだ。国民も、自国の王族がごくつぶしだなんて、自ら触れて楽しい話題じゃないから広めないよう努めていたのかもな。なにせ、あの国は金融国家だ、信用がそのまま国力に繋がる…だが対外的には噂をとどめられても、王室として、それは看過していい問題じゃないだろう?王族といえば、その生活費は基本国民の血税で賄われる、いくら傍流といえど一応王子の肩書を持って、血税で養われている以上、そんな体たらくでは、国民が黙ってないだろう」
「そ。そこで、あの国が金融国家…国営で金融業を営んでいる事実が、絡んでくる。彼は王族なのだから、王家の者の義務として国営業務の一端をなにか担うべき、と現王は考えたらしい。外交に役にたたないなら、せめて、国の基幹産業である金融業で、なにがしかの成果を出させようと、彼に国営銀行の業務、何を担当したかまではわからないんだけど、とにかく、しばらくの間、金融の仕事に就かせたらしい。あの国の銀行は国営、金融業は、基幹産業だ。そこで成果を出せれば、国民も彼を認めるし、多少の不業績も大目にみてもらえるようになるかもしれないと、王様は考えたんじゃないかな。やることやってる人なら、多少の無軌道は大目にみてもらえること多いもんね、若い時のあんたみたいに」
「ぬかせ。だが、その話の流れは極めて自然と言うか、ありそうな話だな。王国という国体下で、国が直轄している国営産業があれば、王族すなわち経営者だ、俺たちの感覚でいうと、同族企業内で、次代の幹部候補や後継者候補と目されている者が、現場で経営者としての経験を積み、かつ、自らの存在価値を社内に知らしめる機会を与えられた、というところか?ただ、ヤツは王族だ…一般企業の後継者なら、取引先や同業他社で平社員からの武者修行もありうるが…ヤツの身分を考えると、使う側ー中間管理職クラスでは、ヤツに指示を与えたり叱ったりは厳しいだろうから…ヤツは、下積みすっ飛ばして、平取締役あたりに就任したんじゃないか?」
ヤツが国営銀行の顧客リストを持っていた理由も、それなら得心が行く、とオスカーは考えた。
租税回避地における銀行の顧客リストなぞ、本来極秘中の極秘事項の筈だ。いくら王族が国のVIPとはいえ、王族というだけで極秘情報を自由に閲覧、情報のコピー持ち出しができる筈がないし、できてはならない。かの国の銀行の情報セキュリティが、そんな、お粗末なレベルだという話も聞いた覚えもなかった。さもなくば、自身の実家やオリヴィエの実家、カタルヘナ家があの国の銀行に口座を持っている筈がない。信用できる、と思うからこそ、富裕層名家の多くが、あの国の国営銀行に口座を持っているのだ。
が、あの青年自身が、銀行業務に関わり、その中でも、取締役レベルのポストをあてがわれていたのなら話は別だ。顧客情報を管理する部署に配属されていれば直に、そうでなくても、取締役レベルの管理者権限なら、顧客情報の閲覧は自由にできたかもしれないし、見れる情報は持ちだすことも容易だったかもしれない。
その上、彼は「王子」で、しかも国王からの「預かりもの」として銀行業務に携わっていたとしたら…ヤツが情報管理に関係ない部署の配属だったにせよ、一般行員に顧客リストを見せろと、要求したとしたら…一般社員の立場では断れなかった、断り切れなかったということもありうる。「ここで見るだけですよ」と条件を付けて、閲覧位は許したかもしれない。
それに、銀行はあの国では国営の基幹産業なのだから、その情報を持ち出して売ったり、開示したり等、損害を与えたり打撃になるような真似を、王族が、王家の一員がするはずがない、という好意的な思い込みー油断もあったのかもしれないし、彼の教育を任された行員が、敢えて、リストを見せた、という可能性も考えられる。これだけの数の富裕層がこの国の銀行に資産を預けていて、その口座管理手数料で国庫は潤っているのだ、という実態を見せて、彼に国営産業に携わる責任や重要性を実感させたかったのかもしれないし、暗に「あなたの酒代はこういう人たちが出してくれているようなものですよ」と、彼にわからせたかった、というのもありそうな話だ…が、真意は何であれ、国における金融業務の重さ、それに携わることへの自覚を促そうとして、行員が敢えて銀行業務の実態を彼に詳細にレクチャーし情報を与えた可能性も否めない。
ただ、もし、そうなら、教育係の思惑は、完全にあだになったな、少なくとも、ヤツは、その情報から何かを学ぶとか、心の戒めにするとか、そういう風に有効活用しなかったことだけは確かだからな、とオスカーは皮肉気に考えていると、オリヴィエが、オスカーの憶測が的を射ていると、言を引き取った。
「そ、あんたの言う通り、王室直轄の国営銀行では、王の甥を単なる一般行員としては扱えない、現場もやりにくいだろうし、現王も彼の悪い評判を雪がせたくて焦ったのか、結構、上の地位を与えられたらしい…んだけど…彼はその意図が理解できなかったのか、したくなかったのか…少なくとも、王族としての義務を果たそうとしたり、努力する姿勢を見せたことがなかったらしい。彼の口癖は「我は王族、青き血の持ち主だ、労働に従事するのは下々のすることであろう」だったとか…当然、彼の評価は、その勤務態度に比例してる。国営銀行重役婦人が「地位を与えられても不平不満ばかりで働かない方…誰とは言えませんけど、そういう方の尻ぬぐい、後始末は、結局、現場の一般の行員がするしかないんですのよ」と憤慨しつつ教えてくれた噂だって、それらしい注釈付きで報告がきてたよ」
「金融が国の基幹産業で、そのアガリで、自分たち王室も養われているんだという自覚があったら、そういう発言が出るはずがない。しかも、現王からわざわざ機会を与えられたのに、それでは…却って、国民の目は厳しくなる一方だったろうし、現王も頭の痛かったことだろう。王の意図を敢えて無視ー反発心から、故意に期待にそむくような言動に走ったのか、本当に、王の意図をくみ取れず、間違った選民思想に基づいて、労働を軽んじていたのか、それはどっちだったんだろうな」
「正直、そこまではわからない。得られた情報は彼の言動だけで、その言動の裏にどんな意図があったか、彼の心情を聞いた人ってのは見当たらないから。けど、国民は彼の言動から彼の人となりを判断することしかできないからね、いくら王室に敬意を払っていたとしても、王子にこういう態度をとられちゃぁ…あの王子が国民からの支持を得られてたとは思えないねー」
「まったくだ、企業を支えるのは従業員、国を支えるのは国民。現場で働く者の支持や忠誠、信頼がなければ、どんな組織のTOPも裸の王様になっちまうのにな」
現代人で「王権は神が与えたもうた理屈抜きの特権」と考え、王族というだけで畏敬してくれる者は、まず、おるまい。王権が今よりはるかに強固だと思われる中・近世でさえ、「神」という権威に頼った「王権神授説」などという高説をぶち上げねば、王は王権を保てなかった。それだけ「王族の権利」などと言う物は、もろく実態も根拠も乏しい不安定なものなのだ、ましてや、この現代、国民の血税で養われ、特権を享受するとなれば、それに見合う働きが求められるのは当然だ。彼は、そんなこともわからなかったのか?それとも、敢えてわかろうとせず、特権を当然と考えていたのだろうか?
「しかし、一方で彼は、自身が王位から遠ざけられていると『現王の甥』でしかないことに、不満を抱いていたんだろう?酒場で不遇を嘆いていたというのだから、実のところ、皇太子になりたかったのか?…オリヴィエ、あの国の現王は兄弟の弟の方、といったな?なら、王自身もまだ壮年という年齢だろうし、一方で子供がいたとしてもまだ若年、となれば、あの王子が皇太子になる可能性は皆無じゃなかった気がするんだが。彼は今現在で28歳だったな?なら、大卒、もしくは、院卒扱いでも、現場で実務経験を数年は積んでる頃合いで、その間に国民を納得させるだけの成果なり気概なりを示せていれば、すんなり、皇太子に任命されていたかもしれん。28才になるまで、一体、何をしてたんだろうな」
「うん、現王も、彼を次代の王位継承候補の1人として考えてはいたのかもしれない、で、重臣や国民を納得させるための実績や能力を示せれば良しとして、国の基幹産業である金融の現場に配置した可能性はある。けど、彼の悪い評判も、耳に入っていただろうから、ある意味、ダメ押しっていうの?わざと重要なポストをあてがって、けど、彼が何も成果を残せなければ、逆に、彼のやる気のなさとか、無能さが目立つことになるから、結果、彼には支配者・統治者としての資質に難あり、ということを周知せしめることもできる…ちょい、意地悪な見方かもだけど、彼には王位継承する力量なしってことを周知させるために、王様は敢えて彼に取締役のポストを与えて現場に放りこんだっていう可能性もある」
「が、だとしても、その条件なら、現王は、とりあえずヤツに能力や資質を発揮し、民を納得させる機会を与えた…しかも、ヤツは今、28歳だろう?時間も十分に与えていたという点で現王は公平であった…王は公平であろうとしていると、周囲に示していたのは間違いないな」
「だね。少なくとも、彼は、この年になるまで、自らの能力を示し、国民の支持を取り付ける時間も機会も無いわけじゃなかった、ところが、彼は、青年期の数年間を結果、無為に過ごしてしまった…ように、外からは見える。与えられた機会を、幼稚な反抗心から全く生かさなかったか、純粋に思慮や能力が足りずに生かせなかったのかまではわからない。もしかしたら、王様は、王子に能力を発揮する機会を与えるふりをしつつ、王子に良い評判を立てられたら困るってんで、裏から密かに仕事がうまくいかないよう邪魔してた…なんてドラマみたいなこともあったのかもしれないけど、今のところそういう証拠は出てきてないし、一方で、王子は結果が出せなかった、それだけは確か」
「ああ、人は結局出した結果で判断されてしまう。しかも、いきなり上のポストを与えられる事自体、一種のテスト…管理者としての資質や能力をシビアに採点されるってことだし、一般社員の頭上を飛び越える人事は、反発やねたみも生みやすい、本来、背水の陣なんだ。俺なら、がむしゃらに必死に仕事したのは間違いないな。結果がついてこずとも、努力の課程が誰かしらの目に留まっていれば、評価に多少は上向きのバイアスがかかる。それに、人事権を握っている者に認められねば…反抗してるだけでは上にはいけない、それは会社でも国でも同じだ。が、ヤツは、結局、何もせず、もしくはさせてもらえず、国民の支持も得られないまま現在に至った、そして、このまま、時が経っていくほどに、現王の実子は成長していき、さすれば自分に王位が回ってくる可能性は時と共に漸次減っていくは自明…その焦りか、業をにやしたか、もしくは半ば自棄になって、ヤツは先の内乱をおこしたのか?」
「うーん、それがねぇ…常識的に考えると、そう結論するのが当然っていうか、そう解釈したくなるんだけど…彼が武装蜂起する前に、もう1段階というか、王宮内でもう一つ、エピソードというか事件というか醜聞があった、らしい。それが、彼の武装蜂起に関係してるのか、全く無関係なのか、私には判断しかねてね、なんで、ここから先は、個人的な解釈を排して、まんま、集めた通りの噂を並べるよ。まず、彼は、自ら進んでか、両親にも見放されてたからかはわからないんだけど、王宮でも離れの一角に1人で暮らしてた、けど、離れとはいえ王宮敷地内に住む王族だったから、彼にも身の周りの世話をしてくれる使用人がいた。といっても小間使いというかメイドというレベルなんだけど、とにかく、彼の使用人は若い少女1人きりだった」
「ふむ」
オスカーは慎重にうなずいた。オリヴィエが一切の解釈を排して、というのは、よくわかった。傍流でも王族の使用人がたった1人というのは、普通なら考えられない。ただ、あの王子の不行跡・不品行から、王宮仕えの使用人の間でも離宮勤めは敬遠されていて、引き受け手がおらず、結果、使用人は1人のみ、というのなら、あり得ないことではない。が、そのたった1人の使用人が、年若い少女ということに、オスカーは、なんとなくだが穏当でないものを感じた。単純に解釈をすれば、少女は使用人中一番年若で、つまり下っ端で、命じられて仕方なくーはずれくじで皆が嫌がる担当を押しつけられた。が、うがった見方をすれば、王室が素行の悪い王子に、玩弄物としてと少女を与えてガス抜きを図った…ということも考えられる。若い王族付きの侍女は性欲処理役兼任、というのはありうる話だが、それなら如才ない経験豊富な女性をあてがう方が無難だし、理にもかなう。王族において結婚は契約かつビジネスで、正しく優しい女性の扱い方を体得するのも王族の男の義務だからだ。なのに敢えて年端もいかぬ少女を若い王子にあてがったのだとしたら…しかも、離宮に住まうは王子とその侍女の多くの時間を2人きりで過ごす、となれば、侍女を慰み物として好き勝手に弄し、それで王子がおとなしくしていてくれれば良し、という暗黙の了解が王室側にあったのではないか。それはつまり、生きた玩弄物を与えることで不満分子の王子をなだめようとしたということか?…もし、そうなら、この王室もろくなものじゃない、あの王子にして、この王室あり、というところかとオスカーは考えたが、解釈は排すといったオリヴィエの意思を汲んで、黙って話の続きを待つ。
「で、その少女は普通にそれなりの期間、宮仕えしていた、つまり、あの永遠の反抗期というか、何もかもに不平たらたら王子にも、それなりに気に入られていたか、少なくとも気に触ることはなかったらしい、この少女にだけは王子も心を開いていたとか、愚痴を言っては慰められていたとか、そういう噂もある。ところが、その少女が、ある日、急死する、というか、した。しかも、それがどうやら自死だったらしい」
「なんだと?…穏やかじゃないな」
「そして、彼が内乱というか、王宮で騒ぎを起こしたのは、その後…少女の急死後、しばらくしてからだった、ようだ、この3点は、かなり確実な情報で信頼していいと思う」
「その侍女の少女が、自殺というのは確かなのか?遺書や自殺の原因は?」
「まったくわからない、自殺、というのも、噂でしかないんだよ。状況から見て、他殺じゃなくて、事故とも思えずってことらしい、とにかく不自然なほど情報が少ないんだ。けど、事故死なら情報を隠す必要がない、労災隠しってのも、みみっちいし、それはないと思う…ってことで、自殺って思われてるらしい。で、確かに自殺ってのは、関係者は隠したがる傾向が強い、ただ、それにしても、あまりに情報が少ないので、王室がもみ消しを図った節がある、そしてもみ消さねばならない背景があったのだとしたら、それは逆説的に、侍女の自死には王室に何らかの原因が在ったのかもしれない、その可能性は否定できない」
「確かに…小間使いとはいえ、王室付きの侍女が自殺…というのはいかにも外聞が悪い…下手するとスキャンダルになるから、王室としては、その原因が何であれ、騒がれたくない思惑はあって当然、情報操作もしたかもしれんな。若い…少女というと10代後半、せいぜい20才前後…そんな少女が死を選びたくなるような、王宮は少女に耐えがたい状況というか職場環境だったなんて、ネガティブキャンペーンもいいところだからな、ただ、俺は下世話なのかもしれんが、そういう状況を考えると、王室の誰かからセクハラを受けたとか…そんなことしか思いつかん、だからこそ、もみ消しもされたんじゃないかと…」
オスカーがとっさに考えたのは、その少女が王子にてごめにされ、悲観して命を絶ったか、性欲処理要求を拒んで、逆上した王子に手討ちにでもされたか、というものだった。王室側がその少女を王子付き侍女にした意図は露骨で、王子もそれを当然の職務として少女に要求したが、一方で、少女は、単純な女中仕事の求人に応じただけのつもりだった…なんてことは、人身売買の現場で、少女がだまされてかどわかされた場合などによくある話だ。先進国のしかも王室で、そこまで極悪非道なことは流石にしていまいが、王室側は少女を「たった1人の王子付き使用人」に命じた際「王子の玩弄物としての役目」を暗黙に期待し、少女はそんなつもりはなかったという齟齬があって、結果、もめ事になった、という可能性はある。
「うん、それなら、自殺って結論に至ったのも、潔癖症で純粋な女の子的選択と言えないこともない、かなり短絡的かつ視野狭窄的結論だけどね、で、あんた、今、反射的に、あの王子がその少女に無体なことしたんじゃないか、それが原因で自殺したんじゃないかって、考えなかった?ところが、これに関しては、彼は無実らしい。少女はあの王子の唯一の理解者というか、愚痴聞き役だったらしくて、どうも、あの王子、その侍女に精神的にかなり依存してたみたいだって噂もあるし、少女の自死にすごいショックを受けたらしいって噂もある。しかも、その少女が自殺したのは、離宮からの異動の内示が出た後だったようだって話もあって、つまり、その少女は、王子の世話係を解かれ、本宮勤めの侍女に栄転?が決まった後に自殺したらしいって話もあって、それだと、もう、自殺の理由が全然わからない、見当もつかない。だって、使用人皆が嫌がる職場を離れて栄転決まって、なんで、自殺する必要があるのさ?」
「いや、栄転をプレッシャーに感じて自殺するビジネスマンの話もたまにきくぞ、その侍女も、どうしても、その王子の元を離れたくなかったのかもしれんし…すまん、自分でも馬鹿なことを言った…引き受け手がない職場なら「留任したい」と言えば済む話だよな。もし、王命での異動は拒否できなくて、どうしても王子の元を離れたくなかったーとしても、死んじまったら、結局、王子のそばにはいられない…彼の元を離れることになるわけだから、自殺の動機としたら本末転倒…我儘王子に良く仕える根気強さとか性格の良さを現王に見染められて、側室になれとでも打診されたとか?潔癖な少女はそれが嫌で自殺を図ったとか?」
「安手のドラマみたいだけど、それにしても、死ななくちゃ、と思いつめるほどのものかねぇ、と思っちゃうのは、私が、すれてるからかねぇ。だって、もし、王族の誰かから性的関係を強要されて、それがどうしても嫌なら退職すればよかったし、セクハラの証拠をそろえて公の場にだしたって良かったのにさ。小さな国だから、それも難しいってんなら、他国の醜聞専門のタブロイド紙にリークするか、リークするって脅して、穏便に退職させてもらえばよかったじゃん。それとも、親族に迷惑がかかるのが心配でセクハラを断りきれなくて、思い悩んだ挙句の自殺?…だとしても、遺族にしたら、そっちの方が、ショックはより大きいんじゃない?遺される人の心痛・心労の大きさを考えたらさぁ…」
「若くて、社会的経験値がないと、そこまで考えがいたらなくて、思いつめちまったのかもしれんぞ、で、思いつめた挙句、心を病んだか、後先考えず、発作的な自殺を図ったのかもしれんし…ただ、理由はなんであれ、王室付きのメイドが自殺なんて、聞こえが悪いこと、この上なしだ。王室としては、大きくメンツ丸つぶれというか…一般国民の間に、王室内というのは、どんな無体な職場なんだ、王家の者が変質的な行為を強要したんじゃないか、なんて、噂が広がったら、王家としては大打撃だ。それにお前も言ってたが、どちらにしろ、その少女の遺族が、相当、いたたまれない思いをしてるんじゃないか?小さな国だから、下手すると、国外退去させられかねん。ましてや、セクハラが事実無根だったりした場合…客観的に見て王室に何の落ち度もなかったのに、王宮勤めに入った少女が、理由は何であれ自殺したことで、王室に悪い評判がたったら、残された遺族の方が「王室の風評に損害を与えた」かどで…不敬罪で処罰されたり、名誉毀損で訴えられたり、損害賠償を要求される可能性もある。若い女の子だと、自分のやったことの結果まで頭が回らなかったっていうか、余裕がなかったのかもしれないが…それにしても、残される関係者のことを思えば、短絡的、近視眼的にも程がある…で、結局、この件と、あいつの武装蜂起は関係あるのか、ないのか?どっちなんだ?」
「だから、わからない。だから、あんたならどう考えるか、ニュートラルに判断してもらいたかったわけよ。ある程度信憑性のある話は4つ。やつは自分の境遇に不満だった。やつの使用人は若い少女1人だった。その少女は自殺した。その自殺のちょっと後にヤツは武装蜂起した、これだけ。あんた、これをどう考える?そも、これらの4点は、それぞれ相互に関連してるのか。してないのか…」
「うーむ…俺には、関係がある、ような気がする。単なる勘だがな」
「その理由は?」
「ヤツは不平不満分子だったかもしれないが、現実に反社会的行動を28歳まで起こしていなかった、つまり、行動意欲に乏しい、腰の重いタイプー文句は達者だが、何も動こうとしない類だったと思える。活動的な人間なら、もっと早く、若い時期に自らの状況を打開すべく、何らかの行動を起こすものじゃないか?けど、28歳まで何もしてなかったということは、不満のはけ口さえあれば、単なる不平屋で終わっていた可能性が高い。なのに、この年でいきなり武装蜂起、しかも、その直前にお気に入りの侍女の自殺となれば…それが直接の原因でなくても、動きを起こすきっかけにはなったんじゃないかと思う」
「なるほど、直接の原因でなくても遠因ってことはあるか。少なくとも彼の環境が変わったことは確かー唯一の理解者、味方、愚痴の聞き役がいなくなったわけだから…その結果、不満がたまって爆発したとか?」
「だとしたら、国民はいい迷惑だが…ただ、もしこの憶測が多少なりとも当たっていたら、下手すると、ヤツは同じことを幾度でも繰り返す可能性がある、理解者に欠ける、不満の受け手がいないという状況は今も変わってないのだからな」
「いや、あの子がいるじゃん、あの…そうそう、エンジュっていったっけ、あのエキセントリックな子。うまく誘導してやれば、王子のよき理解者になって彼を危険な陰謀企むテロリストからただの不平屋に戻してくれるかもよー」
「…全然笑えん、あの少女も自分を取り巻く世界に不平不満ではちきれそうって感じだったからな、確かに、共感しあい理解者になる可能性はあるが、ベクトルの異なる不平不満で飽和状態って2者が接触すると変な化学反応を起こして大爆発ってこともありうるぜ?」
オスカーは冗談めかして言ったが、自分で言った言葉を「いや、笑いごとでなく、かなりまずい事態かもしれん」と、改めて思いなおす。
仲間とか賛同者、単なる思いつきを面白いアイデアとして具体化・具現化をたきつけたり、あおる存在がいると、単なる危険思想家も、勢いがついたり、止まるに止まれなくなって、テロに走る場合がある。あの王子が今、何をしようとしてるかは、まだわからないから、一方的に危険視するのはアンフェアかもしれないが、それでも、方向性が違えど、自分を取り巻く現実世界に不満でいっぱいの人間同士が接触するのは、あまり良くない気がした。互いの不満が相乗効果となって、刺激を受けあい、破壊衝動を発揮・解放しないとは言い切れないではないか。
だって、あの青年が学内でスポンサーを探しているーポケットマネーではできないようなことを目論んでいるのは確かなのだから。
「マジで笑いごとじゃないぜ、あの子は愚痴を受容し、不満をそらしたりガス抜きできる器じゃない、逆にヤツに共感理解を示すことで、ヤツの不満を正当化、テロ行為も正当化しかねない…一刻も早く、引き離した方がいい」
「って言っても、動物じゃないんだから、あの女の子に縄つけて、引きはがしたり、檻に入れてあの王子と会わせないって訳にもいかないじゃん、人権てものがあるし」
「ヤツの場合、加えて、外交官特権で下手に手を出せないっていう、さらなる縛りがあるから、なおのこと厄介なんだが…しかし、ヤツが何か企んでるーしかも潤沢な資金を必要とするような何かをーそれは、確かなんだ、世界でも有数の富豪の子女に手あたり次第に接触なんて、あからさまなことをしてるんだからな。で、お前が情報収集してた間、俺の方は、ヤツの持っている人名リストが、何年度の情報なのかが確認できた。エンジュの接触リストと没落した家名とを首っ引きで照合してな。お前の情報で、ヤツが銀行業務に深く関わっていたこともわかったし、それなら顧客情報を引き出すことも容易いことだった、という裏も取れた。ヤツは数年前の顧客情報リストをもとに、私的に融資に応じてくれそうな人物を探している、それは間違いないんだが、問題は、ヤツがその金を使って何をしようとしてるかだ…」
「私さぁ…自分を取り巻く世界に不満たらたらで、実際に、1度、クーデターもどき?を起こした王子が、豊富な資金を必要としてやりたがることなんて、ロクなことじゃないような気しかしないんだけど…」
「俺もだ…しかし、俺たち個人では、これ以上の調査は厳しいかもしれん…もとより強制力も持ち合わせていないしな…となると、この情報をリモージュ氏に提供して、ヤツへの監視を強めてもらうか…」
「けど、アンジェパパには、前に、この男に関わるなって、くぎ刺されてるじゃん?」
「それに関しては、多分、大丈夫だ、あの人の立場上、建前として、俺たちにくぎを刺さざるを得なかったというだけだろうから。むしろ、問題は、現在リモージュ氏はヤツの母国に赴任中で、この国にはいないことの方だ…俺たちが集めた情報を、リモージュ氏なら無駄なく使いこなしてくれるだろう、だがヤツの危険性をどこまでわかっているのか知れたものじゃない本国の役所では、こっちが「これだけ調べたから、この情報を活用してください」って言って情報提供しても、期待通りに動いてくれるかどうか…」
と、2人が、頭を悩ませつつ今後の方針を話していた最中だった。突然、VIPルーム内に鋭いビープ音が鳴り響き、2人の会話を遮った。
「わわわっ!何!?」
「このアラームは…まさか、アンジェリーク!?」
オスカーが慌てて携帯電話をひっつかむ、開く、モニターに点滅するのは、紛れもなくアンジェリークからの緊急コールだった。
「どこだ!?彼女はどこにいる?」
見れば彼女を示す点はまだ大学構内にあった。何かの間違いであってくれ、と祈り、震える指でオスカーがコールしようとする間に、既にオリヴィエがアンジェリークにコールをかけていたが…
「ダメだ!話し中で繋がらない!」
「なら、彼女の方も、俺かお前にコールしてきて、ぶつかったのかもしれん、一呼吸待ってみる」
焦りを必死にこらえて、3数えようとした途端、オスカーの携帯がけたたましくコール音を発した。
「!」
アンジェリークか?!
慌てて通話ボタンを押す
「おっさん!おめー、どこにいる!?アンジェは一緒じゃないのか?この緊急通報、間違いとかうっかりミスじゃねーんか!」
「ゼフェルか!?」
着信音が彼女からのコールでなかったと、ゼフェルの声を聞いて初めて思い出す、苛立ちと焦りで、オスカーも怒鳴り返すように応答した。
「俺とは一緒じゃない!彼女と連絡がとれないんだ!」
「んだと!?俺も、今、即、あいつに電話したんだが、コール音はなるのに、でねぇんだ。で、やっと1度繋がったかと思ったんだが、すぐ、切れちまいやがった。もう、わらにもすがる思いで、間違いであってくれっておめーに電話したんだが…なら、このアラーム、マジでヤバい…」
「彼女はまだ大学構内、学生会館にいる、お前は今、どこだ?」
「俺も構内だ、ただ居るのは工学部の研究室だから、会館だと…メインストリート突っ切って…今から5分はかかる。そういうおめーはどこにいるんだよ、オスカー!」
「俺は町にでちまってる、オリヴィエも一緒だ、今すぐ車で大学に向かうが、明らかにお前の方が早い、頼む、お嬢ちゃんを…俺がそこに行くまで、アンジェリークの安否を…」
「まかせとけ!」
皆まで言う前にゼフェルが通話を切った、恐らく、機工学部の研究室から脱兎のごとく駆け出してくれているはずだ。
「行くぞ、オリヴィエ、すぐ、車をバレーサービスから出させよう」
オスカーが促すと、オリヴィエは店員とインターホンを通して会話していたらしかったが、ちょうど話が終わったのか受話器をおいて、オスカーの方に顔を向けた。
「それなら、今、フロントにチェックを兼ねて連絡した。私たちが車止めにつくころには、あんたの車、出してもらってる筈だよ」
「すまん、助かる、偶然だが…お前との話に夢中で、呑んでなくて幸いだった。俺が運転する間、おまえには彼女の居場所の追跡を頼む、もし、彼女が大学から移動し始めたら…」
「合点!ナビは任せておきな、あんたは運転に専念してよね、ちなみに、さっきから何度かアンジェにコールしてるけど、やっぱ、電話にでない、でも、アンジェを示す点は動いてない、まだ学内にいる、学生会館から出てもいない、動く気配もない」
「だが、コールにはでられない、当然、電話もかけてこられないって状況か…急ごう」
「応!」
2人で足早にフロントに向かう、店の者から車のキーを返される、一層気が急き、2人は走り出す、車止めまでの距離すらもどかしい。
オスカーは、携帯電話を握りしめたままだった、アンジェリークからのコールが万が一入ってこないか、気が気でなかったからだ、が、車に乗り込みハンドルを握れば、電話を受けるのもかけるのも厳しい、可能な限り早くアンジェリークの元に向かうためには、運転に集中せねばならない、となれば、今、車に乗り込む前のこの僅かな時間しか、俺からコールする機会はない、オリヴィエもゼフェルも電話が通じなかったという、が、万が一、念のため、とオスカーは祈るようなすがるような気持ちで「1度だけ」と思い、アンジェリークの携帯電話にコールした。
アンジェリークは激昂した振りでブレスレットの石ー実際はアラーム機能を内包した樹脂ーをテーブルに叩きつけた。緊急コールに誰か気付いて…と祈りながら。
青年は、アンジェリークが動揺の余り、激発しただけと思ったようで、憎らしいほど落ち着き払った様子で
「おまえが、クラウゼウィッツに電話をかけ、我の命じる通りの言葉を伝えると約束すれば、誰も何にも巻き込まれる心配などないのだ、さあ、全てはおまえの出方次第だ」
と同じ言葉を繰り返す。
と、青年が語り終えた途端、アンジェリークの携帯電話がにぎにぎしく着信音を鳴らしはじめた。
よかった!緊急コールは送られ、身近な誰かの、少なくとも1人には届き、気付いてもらえたのだ、このタイミングのコールなら私の安否を確認するための通話に違いない!
アンジェリークは、大きく安堵の吐息をつきそうになったが、目の前の青年のしたり顔に、すぐさま気持ちを引き締めた。安堵した表情を、ほどなく助けが来ることを悟られてたら危険だ、状況は、まだ変わっていないのだから。
が、青年は電話の発信者名を一瞥すると
「ふん、このコールは…目当ての人物からではないな…なら、でる必要はない」
と言って、アンジェリークの眼前で見せつけるように、鳴り続ける携帯電話を揺らした。
言われて気付く、確かにこの着信音はオスカーからのものではない…けど、オスカーでないとしたら、ゼフェルかオリヴィエのどちらかだ。
「私の電話を返して!」
「静かにしろ、おまえが騒ぐと…メインストリートの何処かで爆音と悲鳴があがるかもしれんぞ」
ぐっと、声をつまらせ…アンジェリークは意識して声をおとして再度、絞り出すように、悔しい気持ちを抑えて懇願した。
「大声はあげないから…電話に出させて」
電話をかけてきたのがゼフェルだとしたら…なんとかして連絡を取らねばと、アンジェリークは必死だった。今、この状況下ー爆発物があるという脅しを聞いた今、アンジェリークが1番連絡を取りたいのは、ゼフェルだった。
が、青年は
「クラウゼウィッツ以外の者と話す必要はない、おまえが今、連絡を取るべきはたった1人。クラウゼウィッツにコールし、俺の言う通りにしゃべるというなら、すぐさま電話を返してやろう…ああ、だが、こう煩く電話をかけてこられては、こちらから掛けることができぬな…」
と言いながら無造作にボタンを押した。ゼフェルからの着信を拒否したようだった。アンジェリークは歯がみする。
と、間髪いれず、また携帯電話がけたたましく鳴りだした。これも着信音はオスカーではない、なら、オリヴィエ先輩だ!と思った時には
「ち…また、違うヤツからのコールか…」
と、すぐさま青年に着信を拒否されてしまった。
「おまえはかなりの人気者のようだな、婚約者以外から、こうも引きも切らずコールがかかってくるとは…おまえのような小娘のどこに、世界のVIPをひきつけるものがあるのか…俺にはわからんがな」
小馬鹿にしたようにうすら笑いを浮かべる青年に、アンジェリークは腹をたてる暇もない、ゼフェルとオリヴィエとの連絡手段も絶たれて、青ざめざるを得ない。オスカー先輩には、無論、状況を知らせたい、とりあえず、自分は無事だと、でも、のっぴきならない状況にあると…けどオスカーと連絡がついてしまったら、その時点でオスカーが何らかの脅迫をされるのは自明だ、私が人質になってしまっているから…アンジェリークは、情けなさと悔しさで泣きたくなるが、けど、実際に泣いたりはしない。泣いたって何にもならない、そんな暇があったら、どうしたらいいか、考えなさい、アンジェと自分を叱咤する。自分の油断でこんな状況に陥ってしまい、オスカーとオスカーの実家に迷惑をかけることなんてできない、この人の要求がろくなものでないこと位、考えなくたってわかるのだから。でも…爆薬の脅しをかけられたら…無関係の人を巻き添えにできない、アンジェリークは、この青年の要求する通りの言葉を、オスカーに伝えざるを得ないだろう、けど、それは、絶対にしてはならない…だけど、遅かれ早かれ、心配したオスカーから電話がこないはずがない、その前になんとかして、状況を…誰かに伝えて、なんとか対処してもらわねば。だから、まず連絡を取れるならゼフェルがいい、ゼフェルと話したいのに、とアンジェリークは考えていた。ゼフェルなら、きっと、爆薬の扱いも知ってる、何をどうすればいいのか…爆発物がどれくらい危険なのか、どう扱えばいいか、危くなく処理できる方法も知っているのではないかと思ったからだ。
青年は、手に、アンジェリークの携帯電話以外のものは持っていなかった。あからさまな武器のようなものも、もしくは起爆装置を思わせる形状の機器類も、今は手にしていない。危険物は服の下?肌身離さずか身につけている?それとも鞄の中?それは、青年が、どこかに危険物を隠しもっているのだとしても、秒単位で起動させたり、攻撃したりはできないということを意味している、これが、今のアンジェリークがすがる唯一の希望だ。
1分でいい、時間が…隙が欲しい。
と青年が、時間を気にするように、腕の時計をみやった。
今なら携帯電話を取り返せるかも?と思った、まさにその時、今までとは、異なる着信音が電話から鳴り響いた。
「!!」
電話の発信者の表示をみた青年が、半ばほっとしたような、半ばしてやったりというような笑みを浮かべた。
「ようやくお前の王子様から電話だ、さあ、出るがいい、そして、俺が言う通りの言葉をしゃべれ、余計なことを言ったら…どこで爆炎があがるか、保証できんぞ?」
「っ…」
アンジェリークは唇をかみしめ、のろのろと腕を伸ばす、つい先刻まで取り返したくてたまらなかった携帯電話なのに、今は、このコールに出たくない。でも、出ない訳にはいかない、オスカーに状況をー自分のことではない、大学構内に仕掛けられているのかもしれない爆発物のことを知らせたい、けど、余計な事を言って、この青年が起爆装置を作動させてしまったら…?無辜の人を巻き込まずに済む伝え方は何かない?考えるのよ、考えなさい、アンジェリーク…
でも良い考えなどとっさにでてこない。半ば絶望に囚われつつ、アンジェリークが携帯電話を手に取った瞬間だった。
「アンジェリーク!無事かーっ!?」
良く知っているハスキーな声が、喉が裂けんばかりに自分の名を呼ばうと同時に、学生会館の入口の一つに1台のバイクが姿を現した、と思うや、そのバイクは、器用にテーブルの間を縫って、かなり強引に会館内を突っ切り、アンジェリークの目の前で勢いよくターンして止まった。
「!!!…ゼフェル!」
突然、建物内に乱入(としか言いようがなかった)してき、轟と排気音をふかして眼前でとまったバイクに、青年は一瞬、気を取られた。その隙を逃さず、アンジェリークは目の前の青年の腕を渾身の力でつかみ、可能な限り動きを抑え込もうと試みー1分でいい、動きを封じて何にも触らせまい、何も取りださせまいという決意でーゼフェルに向かって必死で叫んでいた。
「ゼフェル!メインストリートの何処かにおかしなガラス瓶が仕掛けられてないか調べて!中に硫酸と硝酸塩が詰まってて、いつ爆発するかわからないかもしれない、そんなものが置かれてるかもしれないの!ゼフェル!お願い!急いで、爆発物を処理できる専門家に連絡を…それと、学内の人が危なくないよう、どうすればいいのか指示誘導して…」
「なんだって!?」
「ちぃっ…女!離せ!」
「!!!…きゃっ」
アンジェリークはいきなり強い力で腕を振り払われ、逆にその細腕を強くつかまれた。青年は、そのまま、ゼフェルのバイクに背を向け走りだした。青年に腕を強く掴まれたままのアンジェリークも、引っ張られ、引きずられるように走らされる。
「ちょ…待て!アンジェー!」
「ゼフェル!お願い、液体と粉末の入ったガラス瓶を!探しだして、処分して!」
アンジェリークがひきずられながら、必死の面持ちで振り向き、重ねてゼフェルに懇願した。ゼフェルは一瞬、判断に困った、アンジェリークを追って助けるのが先決か?けど、アンジェのいう通り、実際に爆薬が仕掛けられていたりしたら…マジやばすぎる!どっちだ、どっちを優先すべきだ?
ゼフェルが瞬間、逡巡した隙に、青年はアンジェリークを無理やり引っ張って、学生が多く集まっている箇所を故意に縫って、ゼフェルのバイクが入ってきた方向と反対の出口の方に向かって走り去っていく。そのすぐ後ろを慌てうろたえ必死な様子でやせぎすの少女が追いすがっていくのが見えた。その間にも、ゼフェルがバイクで学生会館内にのりこんだ騒ぎに「何事か」と学生が集まってき、人垣を作ってしまった。もとより、障害物の多い建物内だが、人垣が盾となってしまったので、もう、青年をバイクで追うことは、どうにも不可能だ。ヤツとアンジェを見失っちまったら鬼やべぇ!と、瞬間焦ったゼフェルだが、アンジェリークの腕輪からはずっと位置情報が発信されている筈だと、すぐ思いだす。
バイクのハンドルに取り付けたナビを見て、動いている点滅ーアンジェリークだーを認め、彼らの行く先は追えると確認する、なら、今は、本当に爆発物があるかどうかの確認が優先だ。とにかく、そっちに対処してから、アンジェを追おう、とゼフェルは決断した。
『なんせ、アンジェリークが体を張って、自分の事は後回しにして、危険を知らせようとしたんだ、それを無にしてたまるかよ、それに、アンジェの行方はオスカーとオリヴィエも追っているが、あいつらは爆発物の事は知らねーんだ、なら、アンジェからの頼みに俺が対処しなかったら、どーすんだよ。アンジェが言う通り、硫酸と硝酸塩を使った簡易爆薬なら爆発の規模も大したことねーはずだし、俺たち学生でも注意すれば解体できるかもしんねーが…アンジェも、俺ならなんとかできる、と思ったから、俺に頼ったんだろーし…だが、爆発物が時限式だった場合、ちょうど、見つけましたって時に、ぼん!ときたら、小爆発とはいえ、危険ちゃー危険だ、ガラス瓶の場合は特に…でもって、アンジェは俺に限らず、この学園の学生を危険な目にあわせたくねー筈だ…』
そう結論したゼフェルは、小型端末で爆発物処理専門家の連絡先を検索、速、処分を依頼した、悪戯の可能性も告げ、わかっている限りの情報を伝えた上でだ。
と、通話を切って顔を上げたゼフェルは、集まった学生の間を縫って、頭から湯気を出す勢いで、学校関係者が向かってくるのを見つけた。
ゼフェルは「シメた!念には念をいれ、だ」と、悪びれずに自分から職員に近づくとー無論バイクにまたがったままでー
「職員さんよう、メインストリート中心に爆発物を仕掛けたって言ってるヤツがいる、学生は、速効、メインストリートから離れろ、んで、怪しいガラス瓶をみつけたら、場所を通報してくれ、けど、くれぐれも、それには絶対触るなって3点を、校内放送してくれ、それと、爆発物処理できる専門家の手配は、こっちでしておいたが、そっちはそっちで頼んでくれてもいーぜ、専門家が多いほうが、やっぱ確実安全だかんな、爆発物がハッタリならいいが、がせとも言い切れないんで、そこんとこ、急いで、焦らず、確実に頼むぜ!」
と簡潔に言うべきことを告げるや、ゼフェルはその場でバイクを180度ターンさせ、スロットルをふかすと自分が入ってきた入口に向かってバイクを発進させた。
「おらおらおら、道あけろー!」
と叫びつつ、これみよがしにスロットルをふかすと、人垣が小気味いいほどに真っ二つに割れた。すかさずゼフェルは乱入した時と同じくらい強引に、学生会館からバイクで飛びだした。バイクに取り付けたナビに目をやると、アンジェリークを示す点が学校の駐車場に向かっていることを示していた、このスピードなら十分に追いつける、ゼフェルは駐車場までの最短距離を頭で計算してバイクをそちらに向けた。
オスカーは車ですぐこちらに向かうと言っていたが、機動性、俊敏性なら絶対バイクの方が上だ、万が一、この後、狭い路地などに逃げ込まれても追跡できる。そして、今、オスカーとオリヴィエ、それに警察に通報した方がいいか?とちらと考え、が、すぐさま、いや、自分の方が絶対早く確実にアンジェリークに追いつけると判断、まずはアンジェを見つけ、連絡はその後だと決めた。通報のための通話の時間がゼフェルには惜しかった。とにかくアンジェの身柄確保が最優先だと、ゼフェルはアンジェリークの行方を追った。