ジュリアスのもとに、その日ー夜半にロザリアから突然の電話で奇妙な依頼を受けてから3日目の朝だったー届いた郵便物は、欧州のさる小国の王家の紋章で封蝋されており、ジュリアスを驚かせた。その小国に、ジュリアスは何ら個人的な関わりを持たず、知己も縁者もいない、故に、その国から郵便物、ましてや王家直々からの届け物などには、とんと心当たりがなかったからだ。
無論、ジュリアスはその小国について一般的な知識は持っていた。その小国が観光立国として有名である一方、限られた富裕層の間では顧客情報秘匿厳守の金融国家で在ることも知っていた。が、ジュリアス及び彼の実家の資産は不動産を主とするので、同じ資産でも現金や証券を主とする所謂「フロー」の持ち主を上得意とするその国とは関わりは薄く、無論、国営銀行に口座を開設した覚えもない、なおのこと、その国の、ましてや王家から郵便が届く謂れがわからない、身に覚えがないとはこのことだった。
だが、封蝋された封筒を見ているだけで、用件がわかろうはずもない。我が家のように、いまだあの国に口座を持たぬ富裕層を狙って、口座開設を勧めるDMでも王家の名で送りつけてきたのだろうか、金融が国営産業であるあの国なら、そして、昨今の厳しい金融情勢を考えたら、王家自ら顧客獲得の営業行為に勤しんでも不思議はないが…と思いながら、銀のペーパーナイフを用いて封を切り、中の書面を一瞥したジュリアスは封書を受け取った時以上に驚いた。そこに書かれている内容がまったく理解できない、いや、心当たりがなかったからだ。
書面は、ジュリアスがその国及び王室の重大な国難を事前に防いでくれた、とあり、その協力に対する惜しみない感謝と賞賛と勲功が書かれていた。また、その褒賞として、かの国における一代限りではあるが準貴族の称号を授ける旨が、ただし、この褒賞の授与は表ざたにできぬ事情があり、式典などを執り行うことは出来ないが、この国の王室の扉は常に貴君に開かれており、いつでも歓迎すること、また、来国の際には王室において非公式の歓待を約束、合わせ勲章の授与も行いたい旨が記されていた。封書の中には、王家の紋章と現国王の署名いり招待状と無期限のエアチケットも同封されていた。
この書面はジュリアスを心底当惑させた。身に覚えのない罪ならぬ身に覚えのない褒賞である。某国の大貴族であるジュリアスにとって、さる小国の当代限りの準貴族の称号は、さして意味のあるものでも、有難いものでもない。かといって、無視して放置するのは落ち着かない、不可解なものをそのままにしておくのは気持ちが悪い、さっぱり理由がわからないが、どうしたものかと「うーむ」と頭をひねった時…ジュリアスに一つだけ、確信は持てぬが「もしや」という心当たりが思い当った。
先日のロザリアからの訳のわからぬ依頼、その翌日、オスカーとアンジェリークの2人がそろって直々に礼を言いにきた、あの件が関わっているのではないか、という直感が閃いたのだ。
ジュリアスは、急ぎオスカーにコールした、出ない。アンジェリークの携帯も同様だ。たまたまなのか、2人揃ってなのかはわからぬが、携帯に出られぬ状況のようだ。しかし、当の2人に連絡がつかないとなると、一体、この件を誰に確かめるべきか…とジュリアスは考えを巡らせ、過日、あの2人が、口にしていた友人たちの名を思い出す。電話に出てくれることを祈るような気持ちで、手始めにオリヴィエにコールした。幸先良いことに、コールにはすぐに応答があった。
「はーい、ジュリアス、何の用?ってなんとなく想像はつくけどねー」
声に笑みの感じられる、癪に障るほど明るい声で、だが、何かを含むような思わせぶりな台詞が返ってきた。
ピンときた。オリヴィエは、自分がコールした理由がわかっているようだ、それは、つまり、この書状のことを知っているということではないのか。恐らくオリヴィエの元にも自分と全く同じか、それに類した知らせが届いているのだろう、そして、自分程にはオリヴィエは当惑していない、となれば、オリヴィエはこの書面の意味する処を、その事情や背景を自分より知っているのだ、と、ジュリアスは推測した。
ジュリアスは前置きも挨拶も一切抜きで
「そなたは、今、どこにいる?ふむ、して、この後、時間はあるか?では、今すぐそちらに向かうから絶対にそこを動くな」
とオリヴィエに一気に厳命し、その身柄を確保した。
オリヴィエの口調から、彼が自分の欲する情報を、その一端なりとも持っていることは確実に思えた。ここで逃してなるものかと、ジュリアスは、オリヴィエが今いるといっていた彼の自宅ー自ブランドのアトリエ兼住居の方ではなく、大学に通いやすい場所に借りている小さな私室の方だというーに向かうことにした。
その間も、頭は目まぐるしく働く。この件が、書状をよこしたさる小国の王室の、それも国難が関わっている、というなら、あの2人ーオスカーとアンジェリークは、その王家の危機的な問題に巻き込まれていたということやもしれぬ、ならば、あの時、2人そろって口が重かった訳、言葉を濁していた訳もわかる、他国の政情絡みであったのならば…とジュリアスはどこか得心のいくものを感じていた。
ジュリアスは、一昨日の夜から今日までに起きたことを順を追って思い返してみる。
この時のジュリアスには、結局、あの日あの夜、一体何があったのか、その背景も事情も、詳細はいまだわからぬままだ。あの夜も、ジュリアス当人としては、訳もわからぬまま、ロザリアが「これから頼むことはアンジェリークのため」であり同時に「一刻を争う事態」なので、何も言わず協力して欲しいと言うので、釈然とせぬ思いはあったものの、全てを一時飲み下して、言われるままにやれと言われたことをやった、という感覚だった。
一体何が起きているのか、己の朗読が、どう、アンジェリークのためになるのか、そもアンジェリークが今、どういう状況下におかれているのか等、問いただしたい事は山のようにあった。が、ロザリアが「今は説明する時間すら惜しい」し「かたがついたら、きちんとした説明があるだろう」というからーロザリアがジュリアスに一切の質問を封殺し、詳しい事情も伝えなかったのは、事情をしったジュリアスが激した場合、ジュリアスを宥め、落ち着かせ、協力体制に持っていくまでの時間のロスが惜しいと考えた故であり、なおかつ、アンジェのためだといえば、ジュリアスは、自分の感情を一時押し殺し飲み下し、黙って協力してくれるだろうと憶測した故でもあり、事実、その憶測はどんぴしゃで当たっていたージュリアスにしては、信じられないほどの忍耐強さで言われたまま要望に応え、その「かたがつく」時を待ったのだ。それこそ一日千秋ならぬ一分千秋、一秒千秋という思いでだ。このように、気がかりがあるのに、その理由や背景・状況ががわからぬまま、ただ、待つというのは、ジュリアスにとって最も苦手であり苦痛とするところだった。おかげで何も手につかなくなってしまったーとはいえ、それは正味2時間くらいだったのだがー無為にして落ち着かぬ時間を辛抱しいしいやり過ごし、それもそろそろ限界かと思われたその時、これまた、唐突に当のアンジェリークからのコールが入った。
「アンジェリーク、一体、何事があったのだ?」
と、尋ねる暇もなく、アンジェリークとオスカーの2人から交互に、こちらが恐縮してしまうほど丁重かつ熱烈な感謝の言葉を浴びせられた。
正直、ジュリアスは、そこまで熱烈な感謝をささげられる理由がわからなかった。自分はロザリアに頼まれるままに、とある原稿を読みあげただけだ、ただし、最上級に落ち着いた良い声でよどみなく、かつ、緊張感をもって、という注文に可能な限り応えたとは思っていたが。
ただ、繰り返し休みなく礼を述べる2人の口調と声音から、ジュリアスが、ロザリアの言は誇張でも大げさでもなかったらしいこと、アンジェリークが何らかの危機的状況に陥っていたらしいこと、そこから救い出すために、自分の協力を彼らが必要とし、実際に役にたったことを察した。
となれば、なおのこと、アンジェリークの身に一体何があったのか、気になって仕方ない。自分ジュリアスでなくても詳しく事情を知りたいと思うのは当然だろう。
しかし結局ジュリアスは、彼らに事情を詳しく尋ねることができなかった。アンジェリークの「先輩を始め、皆さんのおかげで、事なきを得て…」という言葉から、彼ら2人には、自分以外にも礼を言うべき相手が他に複数存在するようだと知ったこと、かつ、アンジェリークとオスカーが「明日にでも、改めて正式なお礼に伺います」と言ってくれたので、ならば、詳しい事情は顔を合わせたその時に尋ねさせてもらおうと考え、ジュリアスは1度通話を切った。慌てずとも、明日になれば大学でも会えると思ったというのもあった。
ところが、翌朝、大学から『本日と明日2日間にわたり全学休講』という緊急連絡がメールで入ってきた。休講になるだけでなく、キャンパス内はその間立ち入り禁止とする、という注記付きだった。
その教務からの連絡メールによると、昨日の夜、大学構内に爆発物が仕掛けたられたという騒ぎがあり、ただ、それは、その日のうちにタチの悪いいたずらと判明したのだが、念のため、学校側はキャンパス内に更なる不審物がないか、一斉点検・調査をすることにしたため、全学休講とする、とのことだった。
『人騒がせな…』と反射的に考えたジュリアスは、その騒ぎが『昨日の夜』だったという事実が、ふと、気にかかった。
『これは偶然の一致か?それとも、アンジェリークもこの人騒がせな事件に何かで巻き込まれ、それで、私に協力の依頼が来たのだろうか?』
と考えてはみたものの、なら何故「朗読」が救出の助けになるのかは、やはり、さっぱり関連性が見いだせない。
これは、やはり、全く別の無関係な事件なのだろうか、いや、あれこれ考えてみても所詮は当て推量だ、真実はわからぬ、本人たちに尋ねるのが一番確実かつ早道だと結論したところ、まさしくタイムリーに、件の2人から、訪問の許可をジュリアスに請う、また、都合のよい日時を問う連絡が入ったのだった。
大学に行く必要がなくなり、ぽっかりと今日の予定は空いた、しかも、聞きたいことはたくさんある、という訳でジュリアスは、即座に、今すぐでも来てもらって構わぬ旨を伝えると、彼らはすぐそばまできていたのではないかというタイミングに、ジュリアスの元を訪れてくれた。
ただ、大学の休講と、アンジェリークの危難に何らかの関係があるとは、この時、まだジュリアスは半信半疑だった。タイミングがあいすぎてはいるが、何か偶然の一致だろう、位に考えていたのは否めない、何せ、ジュリアスが依頼されたのは単なる「朗読」以外の何物でもなかったのだから。
手土産持参の彼ら2人は、改めて、電話以上に丁重この上ない礼をジュリアスに対して述べてくれた。
心からの感謝をささげられ、ジュリアスは面映ゆく、いたたまれないような気になってしまい、その気を紛らわしたかったこともあって
「いや、そこまで礼を言われるようなことを私はしていないと思うが…それより、アンジェリークに、いや、昨晩、おまえたちに一体、何があったのだ?礼よりその辺りの事情を教えてほしい」
と、2人の感謝の言葉を遮るようにして問いかけた。
すると、2人は、一瞬、顔を見合わせ、後、オスカーが簡潔に答えた。
曰く、オスカーを脅迫するために、アンジェリークが昨夕、大学から拉致され、一時監禁されていたことと、大学休講の知らせとその訳は承知のことと思うが、その原因となった構内の爆弾騒ぎも、アンジェリークの抵抗を封じるため、脅しの手段としてその犯人が企てたものであったことを。そして、その犯人にアンジェリークを無傷で解放させるために、ジュリアスの協力がどうしても必要であったと、そして実際、本当に有効だったと、オスカーは、重ねて丁重な礼を繰り返し述べてくれたのだった。
瞬間、ジュリアスは耳を疑った。アンジェリークが拉致・誘拐されていた…?言葉が具体的なイメージとして脳内に焦点を結ぶ、と同時にジュリアスは無意識に大きく息を吸いこんでいた。『なんということだ!そんな重大なことを、どうして、今まで黙っていたのか!オスカー、そなたは、一体、何をやっていたのか!アンジェリークをみすみす攫われるに任せるなど、なんという不始末、不行き届きか、恥を知れ!』と、今しもオスカーに最大級の雷を落さんとした、まさにその時だ。
落雷の不穏な気配を敏感に察したのか、アンジェリークがつ…と一歩前に出た、まるでオスカーをかばうかのように。
そして『自分の迂闊さと油断ゆえ、多くの方々に迷惑とご心配をおかけしてしまったと大層恐縮している、けれど、オスカー先輩やジュリアス先輩のご尽力のおかげで、無事、自分は傷一つなく助け出してもらえ、こうしてお礼に伺うことができた、重ねて心から感謝を捧げる』という意味の言葉を述べ、言葉と共に、にっこりを心底嬉しそうな幸せそうな笑みを、まっすぐにジュリアスに向けたのだった。
この笑顔に、ジュリアスは、雷の落としどころを失った。ピリピリと帯電していた気持ちが、巧くそらされた感じだった。こんな、可憐な花が目の前でほころび開くような笑顔を見せられては、無粋な怒鳴り声など発せられる筈もない。ジュリアスは己を落ち着かせるため、一息、深く呼気をはいた。
そうだ、そんなことは、私に言われずとも、誰よりオスカー自身が、己の不面目を恥じていたことだろう、自分が許せないと痛罵し、責任を感じていたことだろう、アンジェリークの身を誰より深く案じ、無事を祈り、苦悩していたことだろう。だが、オスカーは、迅速に、しっかりと己の責務を果たした。大事な人を何らかの手段を用いて、こうして無事助け出したのだから、いまさら私が何を言うことがあろうか、アンジェリークの無事が何より大事で重要なことなのだ、自分には、オスカーを罵倒する権利も資格も必要もない、と思い返した。そう思うことで、落ち着いて、笑みすら浮かべてこう言うことができた。
「そうか、大変な目にあったのだな、アンジェリーク、難儀なことであったろうに…。が、その花のような笑顔が微塵も損なわれていないところを見ると、オスカーは、遅滞なく手際良くそなたを助け出してくれたようだな?幸いなことに」
「はい、オスカー先輩が力を尽くして私を救い出してくださいました、けど、それもジュリアス先輩のご助力あってこそ、です。本当に先輩には、いくら感謝してもしきれません、ありがとうございます」
「とはいうものの、私のした何が、どう、そなたたちの役にたったのであろうか?いや、それ以前に…拉致監禁といえば立派な犯罪だ、なのに、そなたたちの話から察するに、オスカーは警察に頼らず、自らの手でアンジェリークを救出しようとしたようだな?何故だ?それに、そも、犯人は、何が目的でアンジェを攫い、オスカー、そなたに何を要求したのだ?」
一応疑問を呈しはしたが、オスカーが警察に通報しなかった訳は、ジュリアスには想像理解はできた。『通報すれば人質の命はない』と言う言葉は誘拐犯のテンプレートだし、そう言われれば、アンジェの身柄第一に考えたオスカーが、自力で彼女を救出せんとしたのも人情としてはわかる、事実、オスカーにはそれだけの力があったろうこともだ。司法を重んじるジュリアスからすると、ほめられたことではないが。
ただ、それは別として、ジュリアスは自分の「朗読」がどうアンジェリークの救出に役だったのか、そも、何故、必要だったのかー朗読した中身は物騒でキナ臭い内容のニュース原稿のようなものだったとジュリアスは覚えていたが、それが、アンジェリークの解放にどう役にたったのか、全く、見当がつかなかった。
が、こう尋ねると2人は困ったように顔を見合わせた。アンジェリークが、所謂「犯人」の正体や動機に関しては「今は事情があって全ては話せないんです、すみません」と申し訳なさそうに言えば、オスカーはオスカーで「ご助力いただいたジュリアス先輩に全ての事情をおしらせできないのは、自分としても心苦しいこと甚だしいのですが今の我々にはいかんともしがたく…ただ、後日、改めてお知らせできることもあるかもしれないのですが、それも確約は致しかね、いい加減なお約束をするのも申し訳なく…」となんとも言いにくそうに、歯切れ悪く訴えるので、ジュリアスも疑問をとりあえずひっこめざるを得なくなった。何か、背後に尋常でない事情があるのは、2人の様子からわかった。アンジェリークの拉致も単純な営利誘拐などではなかったらしいことも察せられた。
申し訳なさそうな2人にジュリアスは
「ふむ…何やら一筋縄ではいかぬ事情があるようだな。まぁ、そなたが無事が何よりの大事、それに比すれば、その他は全て些事と言えよう。それでも、後日、何かわかったこと…いや、私に知らせても良いことがあれば、それは教えて欲しいものだな。それと、察するに、そなたたち、私以外に…他にも顔を出さねばならぬ処があるのではないか?」
と水を向けてやった。すると、あからさまにほっとした顔で、なおかつ嬉しそうに、アンジェリークが
「あ、はい、この後、オリヴィエ先輩と、ゼフェルと、ロザリアのところに、お礼に伺う予定です」
と素直に答えてくれたので、そうか、この件に関わったのは私の他にはその3人ーしかも最も親しく近しい間柄の旧友に絞られているのだとジュリアスは知った。警察を介さず、この身内ともいえる手勢だけで、アンジェリークを危難から救い出したということは、オスカーが、この件を、どうあっても公にできないのっぴきならない事情があることを物語っていた。
「そうか、真っ先に私の処に顔を出してくれて、嬉しく思うぞ、が、それならそなたたちも、忙しかろう、もう、行くといい」
と、ジュリアスは快く2人を送りだした。後日、詳しい事情をできれば知りたい物だという気持ちは期待半分に留めておこうと、自分に言い聞かせながら。
そして、大学に他に不審物はみつからず、予定通り、翌々日に授業は無事再開するという知らせも来た。その間、オスカーとアンジェリークからは何も連絡はなかった。ジュリアスはジュリアスで検索機能を使って、自分なりに先日の事件を調べてはみたものの、ネットでも公式のニュース以上のことは何もわからなかった。大学の爆弾騒ぎは悪質な悪戯ということで落ち着いており、だが、犯人を特定する記述は見当たらなかった。また、同日に起こっている筈の女子学生の誘拐拉致事件に関しては、事件そのものの情報がないーそんな事件は最初からなかったかのようだった。何らかの情報操作ー隠ぺいの匂いがぷんぷんした。
やはり、どうあっても公にできぬ事情が背景にあるのだとしかジュリアスには思えなかった。こういう場合、当事者を問い詰めても言えぬことは言えぬとなれば、困らせるだけであろう。そして、関係者が口を閉ざさざるを得ない事情があっても、オスカーとアンジェリークの2人が関わっている以上、それはやましいことや後ろぐらい物ではない、ということは、ジュリアスには確信できた。オスカーは、実家の事業の性質故、清濁併せのむを良しとする性情も持つが、彼の根本の人間性にジュリアスは揺るぎない信頼を置いていたし、アンジェリークに至っては、その精神の清廉潔白さにしみほどの汚点も探しようがない程だ。その2人が口を閉ざすと決めたからには、これ以上は何もわからぬであろうな…とジュリアスは半ば諦めの気持ちを抱いた。
と、そこに、あの書状が届いたのだ。流石にこれには説明が欲しい。当事者の2人が捕まらないのであれば、先日名前の挙がった「オリヴィエ、ゼフェル、ロザリア」の誰かを捕まえて、事情を、差支えののない範囲で構わないから教えろ、いや、教えてほしいと請わずにはいられない気分になっていた。元々、ジュリアスの性格からして不明なことを不明なままにしておく、は、どうしても難しい、正直、よく3日も持ったものである。
そして首尾よくオリヴィエの所在がつかめた。「さぁ、知っていることを洗いざらい吐け!」と言わんばかりの勢いでオリヴィエの元に急いだ。
オリヴィエの部屋ー私室は、学校にほど近い集合住宅の中にある。本来は、ロビーのインタフォンで住人を呼び出して外扉を開けてもらう形式だが、以前、教えてもらってあった外扉の暗証をジュリアスはそらで覚えていたので、オリヴィエをわざわざ呼びだし開けてもらうこともなく易々とロビーに入り、1人勝手にエレベーターで、オリヴィエの部屋のあるフロアに向かった。そのエレベーターもフロアごとの暗証を入れないと目当てのフロアについても扉が開かない仕組みになっている。しかもオリヴィエは1フロアをぶち抜きで借りきっているので、オリヴィエにとって見知らぬ人間が部屋外の廊下を歩いている、という可能性は極めて少ないーあれば異常事態だ。その気易さからか部屋の扉の外にたつと、無警戒なオリヴィエの話し声がジュリアスの耳に入って来た。
「今、オスカーから連絡があった、昨日の夜で事情聴取?状況説明?は終わって、とにかく事後処理からは解放されてるって。でも、今日はまだ、アンジェが疲れてるみたいだから、こっちには顔出さない、学校も行けたらいく、って感じだって」
と、間をおかず
「なーに言ってんだか、あのおっさん、自分が一番アンジェを疲れさせる元凶じゃねーか。一緒にいるほど、ますます、アンジェを疲れさせるだけじゃねーの?」
特徴ある若々しいハスキーボイスが応対した。
居心地良さげな1人用の安楽椅子を我が物顔で占領しているーしどけなく足を投げ出し、くつろいでいる小型肉食獣という風情で座っていたゼフェルが、携帯電話の通話を切ったばかりのオリヴィエの方に顔を向けて発した言葉だった。
「こら、下世話なこと口にしないの、それが真実であってもね」
字面でいえば窘めているオリヴィエの言葉も、笑みを含んだ軽口口調だ。
「しっかし、あいつら犯人でもねーのに、むしろ被害者なのに、外務省とあの国の大使館?の両方だっけか?による事情聴取で、ほぼ丸2日缶詰にされてたんだろ、そりゃ、疲れもするわなぁ、けど、任意の聴取、そんなみっちりされるもんなんか?」
「それはまぁ仕方ないよ、小なりといえど一つの国を滅亡せんとする陰謀があって、オスカーとアンジェは、その陰謀に巻き込まれつつも、それを回避、阻止した立役者?恩人なわけだし。しかも、アンジェはずっと現場にいて王子の言動を。直に、間近に見聞きしてたわけだし、オスカーは直接の王子の交渉相手だったわけだから、そりゃ「当時者にしかわからない事情」を聞かせてもらいたいってことになるよ」
「そんなん、てきとーにやっときゃいい、なんて、そら、アンジェは思わないだろうからなぁ、くそまじめにバカ正直に、できる協力なら進んでしちまうだろうなぁ、そりゃ、疲れるの無理ねーわ」
「しかも、あの部屋でのあの王子様とのやり取りの画像と音声の記録は、王子の処分を決めるための証拠物件としてアンジェパパ経由で、全て、あっちの国に提出されたらしいから、したら、カメラの死角で映ってなかった状況や音声で聞きとりにくい処とかを、その場にいた当事者に証言してもらいたいってことにはなっちゃうよ」
「あー俺たちに、あの国から礼状来たのは、その所為か、アンジェとオスカー通じて、身元が割れたってことなんだな?」
「音声と画像記録見たら「このフェイクのニュースを作成したのは誰か、この朗読をしてるのは誰か」ってことには、そりゃ、なるだろうし。アンジェが純粋に善意で「この人たちは私を助け出し、結果として、御国の危機も防いでくれた、大恩人です」って私たちのことを紹介してたとしても、その協力者はどういう素性なのか、信用に足る人物なのか、調べたいとも思うだろうさ、当局としては」
「まぁ、傍系とはいえ王子が故国の壊滅を企んでた、なんて、出すとこ出したらえれぇスキャンダルだかんなー、てことは、あれか、この礼状と褒賞は、懐柔とか口止めって意味合いも入ってるってことか?」
「それはあるだろうねぇ。目前の危機は回避できたけど、このネタで今度は私たち関係者に恐喝でもされたら困るって思惑はあったと思う、金融国家は信用第一だし。この国が独裁国家だったとか、政府がかなりの強硬派だったら、下手したら私らに暗殺者が差し向けられてたかもしんないよー、死人に口なし、目撃者とか証人は、まるごと消しちゃうのが一番安全だってね」
「やなこというんじゃねーよ!尤も、俺たちの目的はアンジェの救出奪還であって、あの国が無事だったのは、その余禄みたいなもんだから、元々恩に着せる気なんてねーけどよぅ、それにしても、結果として、よその国助けて、そんな目にあわされたら割にあわねーよ。尤も、おれたちぁ、黙ってやられるタマじゃねーけどよぅ」
「そ、だから、そんな事にならないよう、アンジェパパが、私たちの身元は保証してくれたみたい。アンジェパパは、一番最初に王子がクーデター起こした時、王様を助けてるから信頼厚いし、発言力もある。それでも、アンジェパパは、念には念を入れ、で、万が一にも、王室やその側近が「臭い物には蓋」的な物騒なことを考えないよう、私たち皆、世界有数の資産家の子弟だったり、未来のスティーブ・ジョブスみたいな才人だったりするから、下手なちょっかいを出すのは危険だ、強大な敵を作りかねない、それより味方につけた方が、むしろ、御国のためになる、みたいな温厚な脅迫?柔和な恫喝?を同時にかましたみたいだよ。そんなことを、オスカーが匂わせてた。今回の件で、お前らに、今後、危害が及ぶ恐れは絶対ない、リモージュ氏がそう手配してくれた、みたいなこと言ってたから」
「さっすが、アンジェのとーちゃんだぜ。『こっちは無力でも無害でもねーぞ、甘く見て下手に手ぇだすとかみつかれっぞ』って、にこにこしながら、きっぱりばっさり、かましてくれたんだろうなー。にしても、そういう思惑もあるかもしんねーときたら、尚更、これ、どうすりゃいいんだ?ほいほいのっかるのも癪な気がするし、放っておくのも、なんか気持ちわりーし」
ゼフェルは、いかにも格式ばった封書をゆびの先でつまみ、ひらひらさせた。どうにも扱いあぐねている、という印象だ。
「ロザリアは、どうするって?」
「『わたくし、よそ様のお家争いは興味ございません。ですから、このまま放置…と言いたいところですが、実家が口座を持っている以上、そのままあの国に資金を置いておいて良いものか、国情をこの目で確かめてみた方が良いかも、という気もありましてよ』だそうだよ」
「つまり、そりゃーどっちなんだよ、この招待受けんのか、受けねーのか」
「今すぐ行く気がないことは確か、そのうち、機会があれば行ってもいいけど、とりあえず保留ってとこじゃない?今、どっちにしろ学期途中だし、もう、すぐ、学園祭が控えてるし、その意味じゃ、私も、ロザリアの言う通り「それどころではございませんわ」って感じ?物見遊山は、大きな行事が一通り終わって、落ち着いてからにせざるを得ないからねぇ。私だって、文化祭でアンジェをモデルにファッションショーをやるってぶちあげちゃったから、これから、大車輪でその準備に取り掛からなくちゃだし。あの王子様の起こした騒ぎのおかげで、全然、準備できてないからねぇ」
「あー、それ、やんのか、結局。ファッションショーの意図?目的って、アンジェの身の安全を図るためのキャンパス内有名人化計画の一環だったっていうじゃねーか?大事件のカタがついて、目の前の脅威が失せた今でも、計画進める意味ってあんのか?大体、学内有名人って意味じゃ、俺とアンジェの2人は、今、ものすごく悪目立ちしてる筈だぜ?休み明けにキャンパスいきづれー程じゃねーか?」
「そりゃ、学食の中を単車で駆け抜けた挙句、衆人環視の中「爆弾がしかけられてるかも」って大騒ぎ起こしちゃったんだからねぇ…って、普通の人なら同情するところだけど、あんた、ぜーんぜん、そんなの気にするようなキャラじゃないじゃん、何、繊細なパンピーぶってるのさ、きゃはは」
「いや、俺じゃなくて、アンジェがだよ、あん時ぁ、そらもう必死だったから、後先考えずに「爆弾、爆弾」って2人で大声でやり取りしちまったからなぁ、けど、この件、表向きは悪質ないたずらってことにされるんだろ?アンジェのオヤジさんの根回しで。したら、逆に、アンジェが、人騒がせなヤツって、白い目でみられたりしねーか、気になってよぅ」
「あんた、ほんと、良い子だねー」
「だぁああ!頭なでんな!」
「その点に関しては大丈夫、だって、あんたが物的証拠見つけてくれてるし、ガラス瓶がぽんって割れる程度の薬品しか入ってなかったけど、事実無根ってわけじゃないのは、あの現場にいたそれこそ無関係な人たちが誰よりの証人だもの。それに、その悪戯っ子に関しては…その素性を表沙汰にはできなくても、悪戯の主は留学生らしいって噂もちゃんと流れてるみたいだし。だから、アンジェが人騒がせな困ったちゃん視される心配はまずないよ」
「それ、故意に流されてるの間違いだろ?たく、アンジェのとーちゃんって、つくづく、見かけの割に、容赦ないっつーか、やることが結構えげつないっつーか」
「そこが、また、カッコイイんじゃないのー?いかにも「出来る男」って感じで。それ位でなきゃ、海千山千の外交官、それもトップクラスまでは昇りつめられないっしょ」」
「そういうもんかもしんねーなー、けどよー、となると、その容赦ない父ちゃんは、今回の共犯者とも言えるあいつ…エンジュをどう処分するんだろうなぁ、身から出たサビっつーか、自業自得なとこもあんだけど、一応、寮には無事返されてはいるんだよな。このまま、マジで、おとがめ無済むと思うか?」
「うーん、その匙加減は、マジ、わかんないねぇ、エンジュは、あの現場にいた当事者であることは事実ー部屋の監視カメラの映像にばっちり入っちゃってる筈だし、その点では誤魔化しようがない、確か、オスカーとアンジェとは別口で「事情を聞かせて欲しい」ってことで、外務省に呼び出されてる筈だよ、もしかしたら、あの国の大使館でも話させられるかもしれない…ただ、エンジュは、表向き、すごい極悪なことしたって訳でもないから、一切、おとがめなしの温情もありうる。けど、アンジェパパなら、必要とあればどんな苛酷な処分も下せそうな怖さもあるし…まさに、アンジェパパの胸先三寸かも。でも、これは私たちが頭悩ませてもどうしようもないし、出来ることもないんじゃない?惨いようだけど」
「まぁなぁ…。じゃ、俺、ぼちぼち帰るわ、結局、この招待状は、しばらく保留するしかなさそーだしよー」
「あ、あ、ちょっと待って、そんな慌てて帰んなくても、まーお茶でも飲んでいきなよー」
「んだよ、おめー、文化祭の準備で忙しんだろー?なんで、俺をひきとめるんだよ、もう、用ねーじゃんか。そーいや、そもそも、なんで俺呼び出されたんだっけ…?『あんたんとこにも招待状来た?どうするか相談しないー?』って、オリヴィエ、おめーがいったんじゃねーか!なのに、来てみりゃ俺に相談するまでもなく結論でてんじゃねーか!なんだったんだよ、いってー」
「あれ、そうだっけ?いやいや、優しい世慣れた先輩の私は、こんな招待状貰って扱いあぐねて途方に暮れているであろう後輩に助言してあげようと思って、呼びつけてやったんじゃないさー」
「なーんかあやしー、すげーあやしー、いやな予感すっから、やっぱ、俺帰る」
と、ゼフェルがテーブルの上に置いてあった封筒を手に取り、部屋を出て行こうとしたその時、扉をノックする音とともに「入るぞ」という、よく響く声が聞こえ、返答を待たずして、豪奢な金髪を無造作になびかせた青年が入って来た。
オリヴィエの部屋の玄関扉の前に立つと、ジュリアスの耳に、扉越しに、オリヴィエの声とともに若々しいハスキーボイスがーゼフェルの声ーが聞こえてきた。
これは好都合だ、ゼフェルも一緒にいるなんて、と思いながら、ジュリアスはノックをしつつ、扉越しに「入るぞ」と室内に向けて声をかけてみた。「どうぞ」の声を待たずに扉を開けるなどという無作法は本来すべきではないのだが、一分一秒も惜しいほど気がせいていたので、試しにノブを回してみたら、あっさり扉が開いてしまった。不用心にも程があると思ったが、客であるゼフェルが入った時のままにしてしまっていたのだろう。
応答を待たず部屋にあがりこんできたジュリアスの顔を見た途端、ゼフェルが「げっ!」とあからさまに嫌そうな声を出した。見れば、ゼフェルはジュリアスに見覚えのある封筒を手に持っているではないか。
ここで、ジュリアスの憶測は確信に変わった。やはり、アンジェリークが挙げた関係者には、あの書状が届けられている、つまり、オスカーとアンジェリークは、あの国の、もしくは王室の国難ともいえる何らかのトラブルに巻き込まれ、だが、自分を含めた友人の力を借りて、それを何とか回避したのだ、と。
ゼフェルは自分が来ると知らされていなかったようだ。届いた書状の扱いをどうしたものかと、自らオリヴィエの元に相談に来ていたのかと思ったが、ジュリアスの来訪を控えて、オリヴィエが、1人で質問攻めの矢面に立ってたまるかとばかりに、何か理由をつけて、うまうまともう一方の当事者であるゼフェルを呼び出しておいたのかもしれない、とジュリアスは推測した。が、これに限っていえば、ジュリアスには好都合、むしろ、オリヴィエの機転に感謝したい程だった。事情や経緯というのは、1人から聞くより複数の人間から聞いた方が、多面的に立体的につかめて理解しやすくなり、しかも、1人の判断や価値観に依らずにすむので、客観性も増すからだ。できればロザリアもこの場にいてくれればもっとよかったが、それは流石に望みすぎというものだろう。
ジュリアスはつかつかとオリヴィエの近くまで行き、勧められる間も待たずに手近な椅子に腰かけると、ずいと身を前に乗り出した。
「さて、単刀直入にいくぞ。私の話はもうわかっていると思うが…ゼフェルが手にしているその封書が、私の元にも届いている。そして、私にはこの書面の内容に心当たりがない…が、唯一考えられる可能性は、先日、ロザリアに依頼された一件が関係しているということだった。そして、この場に来てみれば、その時、協力者としてアンジェリークが名を挙げたそなたが、私と同じ封書を持っている、となれば、やはり、これは、その件に関わった者宛てに届けられたのだな?そなたたちは、私同様、先日のアンジェリークの救出の協力者であるわけだが、この件は、あの国の王室と、何がどう関係しているのだ?この書状の内容から察するに、我らの行為、すなわち、アンジェリークの救出が、あの国を国難から救ったということになる、拉致監禁されていたアンジェリークを救い出したことが何故欧州の小国を救うことに通じる?過日の一件は、一体、どういう事件だったのだ?おまえたちは何をどこまで知っているのか?差支えない範囲でいいから、わかっていることを教えてもらいたい、さもなければ、私は私の家名をもって、この書状は一体どういうことなのかと、あの国の王室に正式に質問状を送ってしまうやもしれぬぞ?あの国が表ざたにできぬ事情など、私の知ったことではないからな」
「うわ、きったねー!あからさまに地位と権力を行使する用意があるぞって脅してきやがったぜ!」
「使わない権力は権力とはいわぬ」
「大体、一時に、そんな立て続けに詰問されても、いっぺんにこたえられねーよ」
「ふむ、なら、質問を一つづつ切り離そう。あまず、そなたたちは、なぜ、この件に関わったのだ?私のようにロザリアからの依頼でか?」
「うんにゃ。俺は、アンジェの護身用電波発信機の製作者だから、製造物責任をとったっつーのが一点、物作りってのは、アフターフォローまで含むのがスジだからな」
「さっぱり話が見えん」
「あとは、現実にアンジェが拉致られる現場に居合わせた、アンジェからSOSが出た時、俺が一番近くにいて、その場に駆けつけられた。全く運が良かったぜ、俺を見つけたアンジェが大声で叫んでくれたから、やつの仕業が公になったし、証拠品も押収できた、これは絶対でかかった」
「なに?では、ゼフェルはアンジェリークが攫われた現場に居合わせたのか?」
「おうよ、けど、やつが爆弾しかけたって言ってるっつって、アンジェがそっちの処理を先にしてくれっていうから、即効、追えなくてよぅ、で、結果、アンジェが、そいつのアジトに連れてかれて監禁されるのを許しちまった…爆発物の規模がどの程度がわかんなかったから、そっちの探索を優先せざるを得なくてよぅ、すっげーちゃちいもんだってわかってれば、もうちっと強硬に出れたんだけどよぅ」
「あん時は、それはわからなかったし、そしたら最悪の事態を想定して備えなくちゃならなかったのは仕方ないよ、それでも、仲間内じゃ随一の機動力を持ってる、しかも理系の男であるあんだが現場に駆けつけてくれたのは、マジ不幸中の幸いだった、私だったら「爆発物」なんて言葉聞いても警察に通報するしか手立てが思いつかなかったと思うもん、しかも、警察は動いてくれたどうか、あの時点じゃ微妙だったしねぇ。それに、アンジェが自分を「助けて」より先に、爆弾を処分してっていったのも、余りにアンジェらしいし。アンジェならそう言うよ、うん。ゼフェル、あんたの判断も行動も正しかった、それ以上に最善のことは誰にもできなかったと思うよ」
口惜しそうなゼフェルの肩をぽんぽんと慰めるように叩いて、オリヴィエが脇からフォローに入ってきた。その様子をみたジュリアスが、顎に手を当てて思索にふける。
「…ふむ…少しづつ、見えてきた。爆弾騒ぎが、その誘拐犯による自作自演だと聞いていたが…抵抗すれば無関係の人間が巻き込まれて傷つくぞなどという脅しは、アンジェリークのような人物には酷く有効であろうな。そして、自分の救出より爆発物の処理を優先してくれ、とあれがいったのもうなずける。確かに、アンジェリークなら、そういうであろう。それにしても、その話から察するに、犯人は、そこそこに狡猾な輩だったようだな、アンジェリークの弱点も、そして、そのアンジェリークがオスカーの弱点であることも、先刻承知で、そういう手段に訴えてきたのなら…つまり、犯人は前々から計画的にオスカーを狙っていた、ということか?オリヴィエ」
ゼフェルよりオリヴィエに話を主導させて方が、どうも全体像がつかみやすそうだと判断したジュリアスは、あえてオリヴィエに話を振る。オリヴィエは、素直に頷き、話を引き取ってくれた。
「うん、といっても、犯人の狙いは、最初からオスカー1人に絞られてた訳ではない、はずなんだ。私も、そもそも、その犯人の「ターゲット」の1人だと思って警戒してたっつーか、元々、そいつの動向を注視、警戒しつつし、オスカーと善後策を練っていたから。あ、そのターゲットにはロザリアも入ってたよん。元々、私たち3人は、その犯人の関係者から変な探りをいれられてたんだ、で、その犯人は所謂「富裕層」とお近づきになることを狙ってるんだろうと、推測してたわけね。だもんで、そいつの目的が所謂スポンサー探しとかパトロン探し、もしくは持参金をいっぱい持ってきてくれそうな婿入り先探しかと思ってて、なら、何も知らないかつ無関係であろうアンジェに無用な心配はさせまいと何も知らせてなかったことがあだになって、アンジェがその犯人に攫われたってのが、簡単なあらすじ。ジュリアスに何も知らせてなかったのは、犯人が資産家の中でも「現金に類する資産」の所有者を狙ってて、ジュリアスんとこみたいに不動産に代表される資産ーアセットの所有者は対象外だったから、なんだ。しかも、私ら、犯人の狙いがあそこまで険呑で物騒な物とは想像してなくて…私たちもまだまだ甘ちゃんて言うか、所詮若造だったっていうか…アンジェが拉致られるまで、そいつが犯罪を画策してるなんて、思ってなかった、いや、そいつがアブナイヤツだとはわかっていたけど、いや、いたのに、まさか、って油断があった」
「ふむ…そして、複数候補のいたターゲットの中から最終的に人質を取られ脅迫されたのがオスカーだったということか。そして、オスカーの背後にはアルテマツーレがある、単なる営利誘拐なら敢えて兵器産業の御曹司の弱みを狙う必要はない。良家の婦女子を攫う方が、よほど楽だし手っとり早いからな。そして誘拐犯の陰謀を頓挫させたことで、あの国から、国難を排したことに関する礼状が来たということは…犯人の狙いは兵器の提供、そしてその兵器の行使先が、あの国だった、ということか…」
「察しが早くて助かるよん」
「ただ、それにしても、やはりわからん。夜半すぎ、メールの添付ファイルを急ぎ開け、そして即座に電話口に向かって朗読しろ、アナウンサー風に出来る限りのいい声で、とロザリアが言ってきた、あの一件は…朗読が、一体、何の役にたったのだ?それは、私には言えぬ事情があるのか?」
「あーいや、それは、この仲間内4人の間では、もう秘密にしなくちゃならないことはないって、あの国の王室から礼状が来るってことは、そういうことだって、オスカーが、いや、大元はアンジェパパの方かな?とにかく太鼓判押してくれてる、もっとも対外的には極秘のことばかりだけどね。で、それも話せば長くなるんだけど…ねぇ?」
ジュリアスの鋭い紺碧の視線に射すくめられたオリヴィエが肩をすくめつつ、助けを求めるようにゼフェルに視線を投げた。
「あーいや、マジ、一言で言うのは難しいんだけどよー…てか、ジュリアス、おめー訳も聞かされず、なんもわかんねーまま、協力したっつーのかよ」
「私としても釈然としないこと甚だしく、事情と理由を問いただしたいのは山々だったのだが、ロザリアが「事は一刻を争う、アンジェリークを危難から救い出すために、今は何も言わずに協力して欲しい」と言うのでな、あのロザリアがそこまで言うからには、そして、ロザリアがアンジェリークの身を案じてのこととあればこそ、無条件で協力したのだ。ロザリアからの依頼でなければ、そして、アンジェリークのためだと言われたから、私も黙って言われるまま、あの物騒なものを読み上げたのだ」
「ロザリアが、仲介申し出てくれて本当に良かったみたいだねぇ、私たちからの依頼だったら、ジュリアス、そこまで無条件にかつ即座に動いてくれたかどうか怪しいわ」
「まーそれがあの姫さまの人徳ってやつだろ、いうだけのことはあるからな、ロザリアはよぅ」
「茶々を入れるでない。ただ、私も、これは一体、どういうことなのか、アンジェリークを救い出すとは、あれが何か危険か困難に巻き込まれたのか、気にならぬ訳がなかろう、事が片付いたら、どういうことか、きちんと説明しろ、と私が言うと、ロザリアは「詳しくはオスカーに聞け」としか言わぬ。『私のこの件に関しては伝聞でしか知らないことんばかりですので、当事者であるオスカー先輩に事情を説明していただく方が、よろしいと思いますわ』とはぐらかされた」
「あれ?じゃあ、助け出されたアンジェから連絡とか挨拶なかったの?」
「それはもちろんあった!あの者がそのような礼儀知らずな真似をする筈がなかろう!私が訳のわからぬまま、ヤキモキしていたところに、あれから電話が入ってな、少々涙ぐんだ声で、重ねて何度も丁重な礼を言われ、翌日には2人そろって直接挨拶に来てくれた、ただ、私としては、あれの無事がわかってよかったと安堵したまではいいが、私のしたことといえば、送られた原稿を読み上げただけで、何故、それだけで、あれほど丁重に礼を言われるのかわからぬし、そも、あれの身に何が起きていたのかは結局聞いてはおらぬ、いや、聞きたかったが、聞けなかった。言えぬ事情が透けてみえたので、こちらからも強くは尋ねなかったのだ、だが、この書状が来たので、流石にこれには説明が欲しいと思い、先ほど電話したのだが繋がらないのだ、アンジェリークにも、オスカーにも。そも、昨日も連絡はなかったのだが」
「あー聴取やら何ならで外務省とか大使館とか、色々出向いて?出向かされて?色々聞かれて、ぶっちゃけ、ここ2日、缶詰状態だったみたいだし。アンジェパパに報告打ち合わせ色々することもある?あった?だろうし。それでアンジェも消耗してるみたいだから、アンジェを休ませるため、オスカーがアンジェと自分の携帯、どっちのも電源切ってるだろうから、どっちにしろ、電話は繋がんなかったと思うよ]
「にしてもよーアンジェの父ちゃんってよー、マジ、いろんな意味で、なんもかんも、かっこよすぎじゃね?あんなかっけー父ちゃん、オレ初めて見たぜ」
「けど、そんなカッコイイお父さんから、臆さず愛娘のアンジェを攫ったんだから、それ考えると、オスカーって結構オオモノかも」
「ちがいねーや、あの父ちゃんには「かなわねー」って、なんか反射的に思っちまうもんなー、けど、オスカーは、あんま気にしてねーみてーだもんな、ずぶといのか、鈍いのか、大物なのかびみょーなとこだけどよー」
「…うん?そこで、話中にアンジェの御父君が登場するのはなぜだ、いや、愛娘が拉致監禁などされたら、親は心配で駆けつけるものであろうが、アンジェのご父君は、確か、外交官でどこかの国に赴任中ではなかったか…?ちょっとまて、そのご父君の赴任国は、もしか、いや、まさか…その事も、今回の一件と関係しているのか?」
「じゃ、そこから話すねー、なにせ、事は新学期…アンジェの入学する前から始まってんのよ」
「ほう?して、その中で、犯人の素情は言及可能か?結局、私は、まだ、犯人の正体も知らぬのだが」
「まあ、そう焦んなさんなって。話の中で、自然とわかるから。でも、これ、相当、長くなるだろうから、とりあえず、お茶でもいれるわ」
オリヴィエは、さっと立ち上がると、手慣れた仕草で良い香りのする紅茶を供しつつ、要点をかいつまんだ粗筋仕立てであっても、相当に長い話をし始めた。ゼフェルも、今更帰宅する気は失せたようで、一緒にオリヴィエの語りを聞きながら、たまに、注釈や解説やらを付け加えつつ話に加わった。ジュリアスは、オリヴィエの話に聞き入りながらーそれはかなり驚かされる内容だったーこの話を聞き終わる頃には、この招待状をどう扱ったものか、自ずと、見えてきそうだと感じていた。