Before it's too be late 7

内乱とも暴動とも言い切れぬあの騒ぎの後、程なくして、リモージュ氏から、オスカーのPCの方に、長文のメールが届いた。

メールには、まず、自身の妻子が世話になっていることへの、そして、オスカーの介入?のおかげで、S国軍の活躍は目覚ましく、暴徒は速やかに鎮圧されたことに対する虚心な感謝の意が記されており、ついで、かの国の騒乱の経緯が、簡潔にしたためられていた。

それによると、犯行グループは少人数で、王宮の占拠を目的、と言う以上に並々ならぬ執着を示し、とにかく闇雲な熱意で宮城に押し入ろうと正面突破攻撃を、執拗に繰り返した。犯行グループは宮城にのみ執着を示したため、都市を制圧するためには必要不可欠な通信及び交通網の遮断が徹底しなかった、また、糧食の流通経路を抑えて兵糧攻めにするという発想もなかったようで、そのためS国軍が侵攻・王宮を取り戻し、犯行グループを沈黙させることは、そう難くなかったらしい。もっとも犯行グループが少人数ということは、平らげるには容易でも、ひとたび取り逃がし、散り散りに潜伏されてしまった場合、あぶりだすに厄介だったのだろうが、首尾よく幹部クラスはほぼ逮捕拘禁されたということだった。なので、もう、何も心配はない、事後処理もあらかた片付いたので、妻にも同様に連絡はしてあるが、いつ戻ってきても大丈夫だし、もうオスカーとアンジェリークがいつ訪ねてくれても問題ない、と、リモージュ氏からのメールは締めくくられていた。

オスカーは、リモージュ氏のメールを見、犯行グループがほぼ逮捕されたという報に安堵し、彼が事後処理は完ぺきだという以上、その通りなのだろうと思いつつも、同時に首をひねった。

あの国は国家とはいえ、規模としては一都市といっていい、そして、都市=街を制圧しようと思うなら、徹底的な兵糧攻めー単純に食糧を押さえるだけでなく、エネルギーも含めーと、通信手段の占拠・破壊による情報遮断は基本中の基本だ。その基本すら徹底せず、馬鹿正直に宮城にのみ攻撃をしかけたのだとしたら…規模としては1都市でも、一応独立国家の転覆、もしくは、政権奪取を狙ってのものとしては、それは無謀の極み、考えなしの特攻であり、やくざの抗争と変わらないようなレベルの騒乱だ。単に既成の秩序や権力の破壊が目的の無差別テロだったにしても、決して、人が多いとは思われない王宮の占拠にこだわったあたり短絡的だし、それも真正面から押し入ろうとしたというのだから、手際や方法がお粗末すぎる。お粗末すぎて、犯行グループは何が目的だったのか、よくわからないほどだ。要人の誘拐や殺傷が目的だったとしても手際が稚拙にすぎるし、思想的背景や政治的意図などまったくない、世間を騒がせたい単なる愉快犯、もしくは、元々死ぬつもりでーただ、自分1人で死ぬのは悔しいから無関係な第3者を1人でも多く道連れにしたかったか、自死を選ぶ度胸もない連中が他者から殺されることを目的に武装蜂起した究極に自己中心的な犯罪だった、と言われても納得できそうだった。

だとすれば、数ある海外通信社がこの国の騒乱を速やかに報道しなかったわけ、報道したとしても、極小さな扱いだったことも理解できるとオスカーは考える。犯行グループの手口がお粗末すぎたため、国家規模の動乱と認識されず、それこそ、ちんぴらややくざ同士の散発的な抗争のように見なされたのではなかろうか。犯行グループが近隣の空港を抑えようともしなかったー単にできるだけの人員も力もなかっただけかもしれないがーのも明らかだ、おかげで、アンジェリークの母も無事、脱出できたから、彼らのお粗末さに感謝すべきではあるが。とにかく王宮が執拗に攻撃をうけ、あわや占拠されかけるまでは、ならず者たちの一過性の取るに足らない犯罪だと思われ、軽く見られていたのであろう。とてもではないがクーデターを画策していたとか、世界に衝撃を与えるためのテロ活動を目していたとは思われなかったのだろう。なればこそ、精鋭S国軍がひとたび侵攻を開始すれば、犯行グループを一網打尽に平らげるのも容易かったのだろう、これはうなずける。

が、事の経緯を知ったからこそ、不可解に思う点、神経に何かひっかかる部分があって、オスカーは、どうにもすっきりしない気分を抱えこむ。

犯行グループが、ただ世間を騒がせたいだけの愉快犯だったのならー闇雲に正面突破にこだわり、突撃するばかりというのは、あまりに単純・短絡的すぎる、かく乱とか囮という目的でもあるならいざ知らずーそもそも、S国軍に派兵を要請するような案件だったのかが疑問だ。念には念を入れての正規軍の出動要請だったとして、そして、実際に騒乱は早期に終結しているのに、なぜ、首謀者には逃げられてしまったのかも不思議だ。正面突破しか思いつけないような愚か者なら、正規軍が捉えることなど、容易いと思うのだが。

リモージュ氏のメールからは、今回の騒ぎはテロとすら呼べない、いわゆる「個人の銃乱射事件」に性質としては近いような印象を受けるのだが、となれば、リモージュ氏が下した渡航禁止も大げさすぎる判断という気がする。が、リモージュ氏が、そういう方面の判断を誤るー過少にせよ過大にせよーとは、オスカーには思い難い。つまり、事件から受ける印象に比すると、リモージュ氏のとった対応やS国軍の出動はひどく大げさで、ちぐはぐ、不均衡に思えるのだーまるでネズミ1匹とらえるのに戦車を出撃させたかのような。それが、オスカーの神経に引っかかる。しかも、オスカー自身はリモージュ氏の判断力や有事への対応力を評価している、だから、尚更に妙にもやもやと、ひっかかった心持がするのだ、大げさすぎる対応も、にもかかわらず、首謀者には逃亡を許した?詰めの甘さも。

リモージュ氏は、いち早く暴徒の王宮襲撃に気づいてS国軍に情報提供及び国軍の出動を求める傍ら、大公の身柄を速やかに保護・安全確保をした功績で、大公から並々ならぬ感謝をされたという。その功績により、大公はかの国の爵位を(あくまで1代限りの名誉職としてだが)リモージュ氏に与え、貴族として列するつもりだったらしいが、リモージュ氏は自分は外交官として当然のことをしたまで…と爵位の授与を固辞したことで、更なる信頼を大公から得たらしい。尤も、この情報は、無論、本人からではない。自国の総領事の人道的活躍と、その後の謙虚なふるまいが美談として大衆紙に華々しく宣伝され、新聞を読む人種なら誰でも周知の事実となっている。そして、オスカーにとってありがたいことに、リモージュ氏は、自分が大公の身柄を安全を図ったのは当然のことではあるが、それ以上に貢献という程のことはしていない、騒乱の早期解決には、アルテマツーレが採算度外視でS国軍に人道的補給の手配を整えてくれたことが大いに役立ったので、称賛されるべきはそちらであろう、と、相対的にアルテマツーレを持ち上げ、対外イメージの向上にさりげなく貢献してくれていた…と、これは余談だが。

とにかく、実質3日で暴徒は鎮圧されたという。程なく、大公は王宮に戻り、かの国の渡航自粛措置も解除された。

リモージュ氏が「もうこの国は安全だ」と断言している以上、首謀者が逃亡して国内に潜伏してる可能性も低かろう。

が、首謀者の動静・詳細はメールには明記されておらず、なのにリモージュ氏が「安全宣言」を出していることにも、オスカーには、どうにも引っかかる

もしかしたら、表ざたにできない裏事情があるのかもしれない。幹部クラスが自首する形で頭領の命請いでもしたのか、それとも、何かの司法取引でもあって、首謀者への処断を公言できないわけでもあるのかもしれない…もし、そうなら、報道規制があって、外信の情報が乏しかったという可能性もある。

もし、そうなら…頭領・首謀者が合法的に逃亡させられたのであれば…「追放」などの名目で…その人物は今一体どこにいるのか。

それを思うと、何か、どうも、すっきりしない。パズルのピースがうまくかみ合わない気がしてならない

が、一方で、それを突き詰めて考えても仕方ない、ともオスカーは思う。もやもやを晴らす手がかりがどこかにあるとも思えないし、万が一、リモージュ氏の判断で、何らかの超法規的処置が行われていたとしても、それにとやかく口出しをしたり、抗議をする意味も権利もオスカーにはない、ならば、すっきりしない事案を考え、頭を悩ませるのは労力の無駄、という気もする。

今回のことは、世界中どこにでもいる不満分子ー自分からは何もしようとせず、ただ、周りが悪い世間が悪いと不満を募らせた挙句、被害者意識を攻撃性へと変化させたやからのしでかしたばかげた所業だ。そんな不満分子の頭領が逃げおおせたとして、もう、同じような悪さのできるほどの力は残っていまい、俺が心配することもなかろう。

そう半ば無理やり自分に言い聞かせ、オスカーはこれからのアンジェリークとのキャンパスライフにかなり意識的に思いをはせた。

今回の騒ぎの首謀者が、それこそ司法取引により、どこに逃れどのように潜伏しているか、オスカーには知りようがなかったからだった。

 

入学式が恙無く終了し、三々五々の解散となると、アンジェリークが満面の笑みをたたえ、オスカーと母のもとへとかけよってきた。

「お嬢ちゃん、おめでとう、これで、晴れて大学生の仲間入りだな」

「はい、オスカー先輩。明日からオスカー先輩と同じキャンパスで勉強できると思うと、私、すっごく嬉しいです」

「ふ…俺もそうしたいのは山々だが、明日からすぐというのはちょっと難しいんじゃないか?新入生には、歓迎やら説明やらガイダンスの行事が目白押しだろう?」

「え?…あ!そうか!私、明日から、合宿にいくんだったわ!」

「あらまぁ、アンジェ、オリエンテーション合宿ね。私たちの頃もあったわ、変わらないのね」

「そうでした、先輩、私ったらさっき聞いたばかりだったのに…私、明日から先輩と一緒で嬉しいなって、それだけで頭がいっぱいでしたけど、新入生はあしたから二泊三日で[オリエンテーション合宿』っていうのに参加するんですよね。履修科目の説明とか大学ならではのサークル活動の説明とか、色々教えてくれるんでしたよね、きちんとシステムを理解しておかないと、やっぱり、右往左往しちゃいますものね」

「要は新入生ガイダンスだからな、スムースに大学生生活を軌道に乗せるためにも、積極的に参加した方がいい」

大学は自分で履修する科目を決めて、期日までに申請しなくてはならない、が、「○○を勉強しなさい」と履修課程を一方的に決められてきた高校生、特に、選択授業制を採用していない高校から来た学生は、膨大な履修科目の中から何を選び何を学んだらいいか、自分で決められず、迷い、途方にくれてしまう者も少なくないという。つい先日まで勉強する教科を管理され、教師に命じられるままに勉強してきた優等生ほど、いきなり「自律」と「自立」を迫られると、立ちすくんでしまうのだ。なので、大学側は、新入生に対し、教科の履修方法から、1年次に履修できる範囲と単位数、時間割の見方などの基本的な知識をまとめて効率よくレクチャーするため、新入生をひとまとめにして郊外の合宿所に連れていき、泊まり込みでガイダンスを行うのだ。

また、サークル活動の類も高等部の比ではなく多彩を極めるため、各種サークルの案内及び説明の時間もある。サークル説明は、各部の先輩学生が新入部員獲得を目的に、派手なパフォーマンスをそれぞれの持ち時間を目いっぱい使って繰り広げる。なお校内での勧誘はこの合宿後に行うよう通達されている。

同時に、スモルニィの大学部は外部生と内進生と半々なので、合宿中に内進生と外部生との親交を深めさせようという意図があるのは、いうまでもない。

「合宿が終われば、お嬢ちゃんと一緒にキャンパスを歩けるようになるな、できる限り昼飯も一緒にとろうな」

「はい、先輩、3日後が楽しみです!」

「が、そのお嬢ちゃんと会えないこれから3日間を思うと、俺は辛く、寂しく、心もとないことこの上なしだ、だから、明日、合宿所までは俺の車で送らせてもらえないか?無論、迎えもな?少しでも長く、俺はお嬢ちゃんと一緒にいたいんだ」

「え?そ、そんな、ありがたいお申し出ですけど、申し訳ないです、先輩も履修科目の申請で、年度始めはお忙しいでしょう?なのに、そんな、往復にお時間を割いていただいたら…」

「いや、俺はもう2年次の履修は決めているから、まだ講義の始まってないこの時期は、むしろ時間に余裕がある。講義が始まってしまうと、どうしても会う時間が少なくなるかもしれないから、お嬢ちゃんと一緒にいられる時間は、できる限り多く作りたいし、僅かな機会も逃したくないんだ、俺は」

「先輩…嬉しい…ありがとうございます、では、お言葉に甘えさせていただきます」

「ああ、俺のためにこそ、ぜひ、そうしてくれ」

「あらあら、ごちそうさま、アンジェは、本当にオスカー君に可愛がられて、大切にされてて幸せねぇ。私がパパに大事にされてるのと、同じくらい大切にされてるから、幸せなのは当たり前かも、だけど。ふふ」

リモージュ夫人がころころと笑う。娘とその恋人が仲睦まじい様子を、少しからかうような軽い笑みで。

「んもーママったら…それは、その、確かにママの言う通りなんだけど…」

「恐縮です、リモージュ夫人、が、俺としては、リモージュ氏を超えるくらいの心構えで、と行きたいところですね」

オスカーがにやりと不敵な笑みを浮かべる。

「うちのパパを超えるのは、並大抵のことじゃ効かなくてよ、オスカー君、色々な意味でね」

「重々承知の上です、しかし、ハードルは高いほど乗り越えがいがある、奮起のし甲斐があるってものです。とりあえず、今は食事に行きましょう。お嬢ちゃんのお祝いと、夫人の送別を兼ねて」

リモージュ夫人は今日のアンジェリークの入学式を終えたら、夫の任地に戻ると、最初から言っていた。今日まで本国に居残り娘の入学式に晴れ晴れとした思いで出席できたことは、本当に幸せなことと感じているのは、その表情から確かだが、それでも、夫の元に1日も早く帰りたいというのも、また偽らざる気持ちなのだろう、オスカーの言葉に笑みで応えた。

「ええ、私もあなたたちが仲良くしている様子を見ているほどに、早く、パパのところに帰りたくなって仕方なくなってたのよ、私1人では、とてもじゃないけど、あなたたちのらぶらぶパワーに太刀打ちできないっていうか、あてられっぱなしになっちゃうんですもの。ここにパパが一緒にいてくれたら、パパとママだってあなたたちに負けてないわよ、って、張り合えるのに、って思うから、尚更ね」

「ふ…それは、次の休暇にお宅にお邪魔する時まで、楽しみにとっておきます、リモージュ夫人、若造の俺では、とても太刀打ちできないような、練れた睦まじさってやつをぜひご教授いただきたいと、リモージュ氏にお伝えください」

「まあ、うふふ、あの人をあまり焚きつけるないであげてね、きっと、むきになってあなたたちに張り合おうとするから、とにかく、あなたたちも、そろそろ2人きりになりたい頃だったでしょう?ようやく、今夜からは誰にも気兼ねせず、2人、仲良くできるわよ」

「んもー、やだぁ、ママったらぁ!」

「私が早くパパに会って2人きりになりたいように、あなたたちもそうでしょ?ってだけの意味よ?」

いたずらっぽい笑みを浮かべると、リモージュ夫人はいまだ少女のようなあどけなさを感じさせる。オスカーは、アンジェリークも、年経るごとに艶やかな魅力を増し、ますます俺を虜にして離さない女性になるのだろう、この母君のように、と、極自然に思えた。麗しい母娘の姿を見ているうちに、オスカーの心に引っかかっていたわだかまりは、思考の奥に追いやられた。

3人は楽しい食事の時間を過ごしたのち、リモージュ夫人は夫の待つ任地へと旅立ち、アンジェリークは1度大学寮に戻って、明日からの合宿の手荷物を準備したうえで、オスカーの家に向かった。

 

翌朝、オスカーは時間どおりに合宿所までアンジェリークを送り届けてくれた。

オスカーが送り届けてくれるということは、オスカーが自ら望んだことで、頑なに固辞すれば、むしろ、オスカーをがっかりさせる、だから、アンジェリークは喜んでオスカーの厚意を受けることにした。でも、オスカーの貴重な時間を自分のために割かせることもまた事実だから、心からの感謝の気持ちを言葉に、態度に示し、伝えることも忘れない。オスカーが送ってくれて嬉しいと喜ぶ気持ちを表し伝えるのは無論のこと。

だって、オスカーは本当に優しいのだ。リモージュ夫人がオスカーの家に滞在中はアンジェリークも母と同じ客室に寝泊まりしていたが、オスカーはアンジェリークがそうお願いするより先に「お嬢ちゃんが傍にいると夫人も心強いだろうし、母娘水入らずってのもいいだろう?」と母と同じ客間で休むよう勧めてくれた。夫人が滞在中、オスカーは事あるごとにアンジェリークにキスしたり、肩や腰を抱き寄せたり、髪をなでたり、包むように抱き締めたりはしたけど、それ以上には触れようとしなかった。母である夫人が滞在中はどうしてもアンジェリークが気恥かしさや気まずさを感じることを慮ってくれたのだろうとアンジェリークは思う。

そして昨晩、母が父の元へと発って、久方ぶりに2人きりで夜を過ごした。肌を合わせるのも久しぶりだったから、情事は情熱的で激しいものになるかと思いきや、それは常より穏やかで優しいものでーオスカーに果てなき官能の悦びを教えられているアンジェリークには、少々物足りなく思えたほどだった。それはきっと、今朝、早くに出立するとわかっていたから、そしてガイダンスの最中に、アンジェリークが疲れと睡眠不足から居眠りなどしたらかわいそうだという心遣いから、オスカーが迸る熱情を抑えようとしてくれたのだと、アンジェリークは感じた。きつく吸われたり、息もつけぬ程力強い突き上げを受けた後、はっとしたようにオスカーの愛撫や律動が穏やかに抑制の利いたものに転じたりしたことがあったから。それと、オスカー自身も体に疲れを残さぬよう、アンジェリークを送り届けるにあたって車の運転に万が一でも支障や危険がなきようにという判断も働いたのかもしれない。

そして道行の車中では、去年の自分のオリエンテーション合宿の様子を面白おかしく話してくれる。アンジェリークが緊張しないよう、合宿を楽しみに思えるような、楽しい話題を選んで。

そういったこと全てが、アンジェリークには嬉しくてたまらず、感謝してもしきれない。オスカーは本当に優しい人だと思う、大胆で的確な決断力と強い意志を持つ一方、繊細でこまやかな優しさを持ち、さりげない気づかいをしてくれる。オスカーを好きな気持ちは、時を経るごと、オスカーの人となりを深く知る程に膨らみ、深みをましていくばかりだ。

「オスカー先輩、好き、大好きです」

「俺もさ、お嬢ちゃん」

想いが募って、唐突に口を突いて出てしまった言葉にも、さりげなく、でも優しい笑顔で応じてくれる、そして信号待ちの時、小さなキスを返してくれる、そんなオスカーだからますます好きになってしまう。

そんなやりとりを重ねるうち、あっという間に車は目的地にー郊外の合宿所に着いた。エントランスのロータリーに、オスカーが滑るように車を回す。アンジェリークを下ろすだけだから、駐車場に車をいれるまでもないと思ってのことだろう。

アンジェリークは車から降りる前に、ぺこりと律儀にオスカーに頭を下げる

「オスカー先輩、送ってくださって、ありがとうございました」

「ああ、お嬢ちゃん、気をつけてな、3日後、解散予定時刻に合わせて迎えにくる」

「はい、ありがとうございます、合宿は楽しみだけど、3日間も先輩に会えないのは私もさびしいから、先輩が迎えに来てくださったら、うれしくて飛びついちゃうかもしれないけど…よろしくお願いします」

もう1度ぺこりと頭を下げようとしたところで、くい、と顎を摘まれ、顔を上げさせられ、すかさずキスされた。昨晩の穏やかな情事の埋め合わせ?をするかのような、とびきり濃厚で熱い口づけだった。

「〜〜〜〜」

アンジェリークはとっさのことにジタバタした、ここは車の中、しかも車はクーペタイプなので車内の様子は外から丸見えということはない、とはいえ、風をいれるためウインドウはほぼ全開で空いており、車の傍を人が通れば、オスカーとアンジェリークが今、熱い口づけを交わしている真っ最中というのは、簡単にわかってしまう。

「せ、せ、先輩ったら、もう…」

いきなりの深い口づけにアンジェリークは息があがりそうだった。頬を上気させ、潤んだ瞳で、困りますとでも言いたげにー怒っているというよりは困惑の表情でオスカーを可愛く上目づかいに見上げた。アンジェリークは、この瞬間、オスカーがありったけの理性を総動員させて、アンジェリークをシートに押し倒したい衝動をこらえたことに気づいていない。

「っ…お嬢ちゃんが、あんまり可愛く俺との別れを惜しんでくれるものだから、つい…な?それに、外部生は俺と君との仲を知らないだろう?合宿中に君に一目ぼれする男がわんさかいると困るから、ちょっと牽制だ」

にやりと確信犯的な笑みを浮かべるオスカーに、アンジェリークは思わずつられてかわいい笑みを返す。

「んもー先輩ったら…でも、それでいったら先輩の方が、新入生の女の子たちにすぐ囲まれちゃいそうです、だって、先輩はこんなに素敵だから…」

「だからさ、お嬢ちゃん、ここでキスを交わしておけば、俺は君のものだというデモンストレーションにもうってつけだろう?ん?」

「!?今のキス、私を安心させるため?…先輩って、本当に…なんてお優しい…嬉しいです、ありがとうございます、先輩」

「いや、礼には及ばない、俺が安心するためでもあるからな、お嬢ちゃん、君は自分の愛らしさに無自覚だから…俺は気が気じゃないんだぜ、まったく。さ、もう行くといい、これ以上、一緒にいると、俺は君をさらってこのままUターンしたくなっちまうからな」

「ふふ、先輩ったら…じゃ、改めて行ってきます」

アンジェリークは、軽やかに車から降りると、オスカーのいる運転席側に回り、改めて手を振る。するとオスカーにウインドウ越しに手まねきされたので「?」と小首をかしげて窓に近づくと、窓越しに、もう1度軽く唇に触れるだけのキスを落とされた。触れた唇が「愛している」と言う言葉の形に動いたのがわかった。ぽーとしてしまったアンジェリークにオスカーは不敵な笑みと投げキスを与えざま、車を発進させた。オスカーの車が視界から消えるまでアンジェリークは手を振り続けた。

アンジェリーク自身には、オスカーのように衆目の目を意図するところはなく、思いのまま、自然な気持ちで手を振り続けただけだったが、オスカーの思惑通り、その様子を目にしたものは、少なからずいた。というのも、オスカーの車が視界から消え、アンジェリークが手をおろした途端

「あーんじぇ、相変わらず…ううん、前にもまして、オスカー先輩とラブラブのアツアツじゃないのー!」

「朝っぱらから、あーんなに甘くて濃ゆ〜いキスシーン見せられる方は、たまったもんじゃないわ〜。目の毒っていうか、お腹一杯っていうか…」

「見境ないにも程がありませんこと?」

と、かしましい嬌声2つに冷やかなコメント1つをもらったからだった。

「あ、ジェーン、ソフィア、ロザリア、おはよ!…って、やだ、見てた?」

「見てた?じゃないわよ!集合時刻間際に合宿所の玄関先でのキスなんて…わざと見せつけてたんでしょーがっ!つか、それ以外、ありえないでしょー!」

「あ、うん、先輩は、ちょっと、そういうおつもりだったみたい…」

「内部生ではあんたたちは有名なラブラブカップルだったけど、外部生は、そんなこと知らないもんね、先輩が牽制したくなる気持ち、ちょっとわかる」

「うん、先輩はお優しいから。先輩はあんなに素敵だから、新入生の女子がぽーっとなったり、もてるのは仕方ないって私は思うんだけど、ここでキスすれば『俺は君のものだ』って、わかるだろう?って…私がやきもきしたり、不安になったりしないようキスしてくれたの。先輩って本当にお優しい…」

「…あんた、ぜーんぜんわかってない」

「うん、まったくわかってない、オスカー先輩が牽制したかったのは女生徒じゃなくて男子学生の方だと思う」

「まず間違いないですわね」

「???」

「ま、その天然なところというか、無自覚なところも含めて、先輩はあんたがかわいいんだろうけど、その分、気苦労、多いかも」

「うんうん、まったく、自分の魅力にここまで自覚がないとねー」

「え?やだ、どうしよう、そんな、私、先輩に迷惑とか心配とかかけたくないのに、ご自分の信じる道をまっすぐ突き進んでいただきたいから…なのに、やだ、どうしよ〜、そう言えば、さっきも別れしなに先輩は「気が気じゃない」っておっしゃってたような…ね、私、どんなことろで、先輩にご心労かけてるっぽい?どんなところを気をつけたらいいと思う?ごめん、お願い、教えて?自分じゃよくわからな…あ!もしかして、こういう甘ったれなことろ?すぐだれかに頼って教えてもらおうとしちゃダメだよね、自分で考えないと…さもないと、もっと先輩に心配かけちゃうかも…そんなのヤなのに…」

本気でうろたえて、半ベソをかきそうになっているアンジェリークを友人たちが交互にぎゅっと抱きしめた。

「………ったく、あんた、かわいすぎるわー!」

「もうもうもう、オスカー先輩の気持ち、ものすっごく、わかっちゃうわー!」

「いいのよ、あんたは、それでいいの!そのままでよくってよ!私が許します!」

「く、くるしーろざりあーいったいぜんたいどーしたのー?」

可愛がられすぎのぬいぐるみのようにもみくちゃにされてジタバタするアンジェリークを、ロザリアはぎゅむっと抱きしめたまな、なぜか、深刻な溜息混じりに慨嘆する。

「もったいない、それにしても、ああ、やっぱり、もったいないですわ!あんな見境ないケダモノに…」

「え?うん、私もいつも思ってるの、先輩って私にはもったいないような素敵な方だって…」

アンジェリークは無意識のうちに、自分の左手にちらりと視線を走らせた。薬指には卒業式の日にオスカーからもらったリングがあった。肌身離さず付けておいてくれというオスカーの言葉どおりに。

その視線の先を目ざとい友人が見つけた。

「あ、アンジェ、この指輪…もしかして、ううん、もしかしなくてもオスカー先輩からのプレゼント?!」

「え、あ、そう…なの。卒業式の日にいただいて…」

「じゃ、ついに正式に婚約?」

「あ、いえ、それはまだ。大学を卒業するまでは待てって言われてるから…正式な婚約は、私が卒業する時にって…」

「そっか、その時にはオスカー先輩は一足先に卒業して社会人2年目だろうから、正式な婚約交わすのにちょうどいいかもね」

「そうですわね、それに、このリングではエンゲージリングにしてはひんじゃ…いえ、かわいい指輪ですもの…ね?!」

と、ロザリアが突然驚いたように目を見張り、アンジェリークの手を取ってまじまじと指輪を見つめた。

「…ちっ、オスカー先輩、かなり張り込んだみたいですわね、このランクの石をもって来られちゃ、並大抵の男は敵いませんもの、牽制ならこれで十分でしょうに…」

「確かに綺麗な緑の宝石…あ、わかった、これ、アンジェの瞳の色に合わせてくれたんでしょ!」

「え、ええ、いつも身につけていてほしいからって…私に似合う色味で、大仰でない大きさの石を選んでくださったみたい」

そのアンジェリークの言葉にまたも「きゃぁあ〜」と黄色い歓声があがった

「んもーごちそうさまー!」

「その気づかいやよし、と言いたいところですけど…さっきみたいに、これでもかという程にやりすぎるから、かわいくないんですのよ、まったく」

「無理もないんじゃない?それだけ心配なんだよ、指輪もあげて、別れ際にキスを見せつけて、それでも内心、心配でたまらないんじゃないかなー、きっと」

「そう思うとかわいいよね、オスカー先輩って」

「そう!そうなの!先輩って、とってもかわいらしいところがおありなの!もちろん、男らしくて逞しくてかっこよくてセクシーで、すっごく頼りがいがあるんだけど、内面に少年ぽい所とっていうか、かわいい面がおありで…」

「ああ、はいはい、わかったわかった、耳タコだから、げっぷが出るから、それ以上は言わなくてよくってよ」

「もーロザリアったらお嬢様なのに口悪い〜」

旧知の友人たちとの和やかな会話のおかげで、頬の火照りも収まってきて、ほぅと一息ついて、改めて見上げた合宿所は、アンジェリークが住まう学生寮を大規模にして、さらに大小の集会所を付け加えた、という趣のものだった。

ここで、新入生たちは、大講堂で履修科目を決める際の注意や、履修届の出し方のレクチャーを受ける。合宿が終わってすぐに履修届を出してもいいが、最初の1時限の講義はどこでもオリエンテーションを行うので、1回授業に出てから、履修届を出した方がいいと教わる。食事の時のテーブル割りは、男女混みで学部ごとに分けられ、同じ学部同士、顔見知りになれるよう計らわれているようだ。一方で部屋割は、学部不問で名前順に内進生と外部生が同じ割合になるよう割り振られー無論、こちらは男女別であるー学部を超えた交流を促すよう意図されていた。

「えっと、真正面の大きなドアが食堂の入口で、あそこで最初のオリエンテーションがあるのよね」

と言って、入口を見やった時、アンジェリークは、またも旧知の顔を見つけた。

同級生のランディとゼフェルだった。しかし、ランディはなぜかぴったりした素材の体操服に身を包み、準備体操なのか、ストレッチに余念がない。またゼフェルはゼフェルで白衣姿で床に座り込み、何か機械を弄っている。女の子たちは顔を見合せて、彼らの傍にいき声をかけた。

「ランディ、ゼフェル!どうしたの、こんなとことろで?その格好は?」

「とてもじゃないけど、これからオリエンテーションに参加する新入生には見えなくてよ」

かわいい女の子たちの声に、若者2人が同時に振り向いた。

「やあ、みんな、今着いたところ?」

「なんだ、おめーらか、相変わらずかしましいなー、つか、アンジェ、おめーは、こんなところでとか、言えるクチか?もうちょっと場所を弁えてサカれって、あのおっさんに言っとけ!玄関から入ってきた連中が、すっげー車乗ってきたパねぇ(=半端ない)イケメンがメチャかわいい女の子とキスしてたって興奮して噂してて、うるせーったらねぇからよー!」

「えー?なんで、その噂をわざわざアンジェに言うんだい?ゼフェル?」

「…おめー、マジで、あれ、誰のこと言ってんのか、わかってなかったのか?あんなこっぱずかしい真似を公衆の面前で堂々しゃぁしゃぁとやるったら、あの赤毛のおっさんしかいねーだろーがよっ!」

「あぁ!あの噂のカップルってアンジェとオスカー先輩のことだったのかぁ!全然、わかんなかったよ、はははっ!」

「〜〜〜ところで、どうして、ゼフェルは白衣でランディは体操服なの?オリエンテーションにその格好で出るの?」

「これはサークルのプロモーションさ、俺、学科が怪しかったから、体育学部でなおかつ体操部に入るのが大学入学の条件だったからさ、休み中から、もう体操部の練習には参加してたんだ、で、新入生はオリエンテーション合宿があるだろ?先輩が、ちょうどいいから、おまえがサークル勧誘のプロモーションをしてこい、俺たちがわざわざ行く手間が省けるって、言われてさ、はははっ!」

「ゼフェルも?ゼフェルは理科部か何かの勧誘?」

「俺をこの脳みそ筋肉と一緒にすんなっつーの、俺はゼミ、研究室の紹介だよ、工学部機械工学科ロボット研究室のな、俺様は天才だから、1回生からプレゼミ生としてゼミに参加するようにって教授連から言われててよー、で、このゼミに入れば、こーんなすごいロボットを作れちゃいますぅ?的な宣伝を俺様がするわけだ、この見るからに天才の俺様がプレゼンすれば、効果は抜群だぜ」

「ゼフェルも文系の筆記がメタくそだったから、プレゼミに参加してロボット研究室の宣伝することを条件に入学を許されたんだよね、はははっ!」

「あ!こら、またおめーは言わなくていい余計なこといいやがってー!」

「え?俺、何か余計なことなんて言ったか?はははっ!」

というや、ランディは屈託なく食堂前の廊下でバク転をする。ロザリアは呆れ顔だが、アンジェリークと友人2人はころころ笑い転げる。

気がつけば、この6人を遠巻きにしつつ、新入生がぞろぞろと食堂に集まり始めている

「いっけない、私たち、まだ、自分たちの部屋にも行ってないのに」

「そうよね、荷物を置いてこなくちゃ」

「じゃゼフェル、ランディ、あとでね。私たち、普通の新入生として、2人のプレゼン楽しみに見させてもらうねー」

「おう、まかせとけって!」

こんな時の返事は図らずも仲良くハモる2人に手を振りつつ、女の子たちは、それぞれに自分たちの部屋を探す。

「えっと、Aで始まる名前の私は…ああ、そのままAの…1番目の部屋みたい。ロザリアともソフィアともジェーンとも棟違いになっちゃったけど…新しい友達を作るチャンスだって思うことにするね」

「それにしても、あんた荷物が少ないわねー、二泊でそのバッグによく入ったわね」

「そっかな、二泊なら、荷物はこんなものだと思うけど?」

アンジェリークがお泊りに必要な物をコンパクトに手際よく荷づくりするのは、この2年で、意識せぬうち身についたアンジェリークの特技だったが、その理由は友人たちには内緒だ。丸わかりだったとしても、である。

「じゃ、私たちはあっちの棟だから」

「ん、あとで食堂でねー」

友人たちと手を振りあって一時的に別れ、アンジェリークは「A1室〜D5室→」という案内に従ってその棟に向かった。

ドアの名札を見ると部屋は6人で1部屋だった。ドアをあけて中にに入ると、すぐ目の前はリビングとして使うのであろう、ソファと小テーブルのおかれた空間があり、そのほぼ正方形のリビングを中心にしてドア方面を除いた三方にそれぞれ寝台が2つづつ並ぶ小部屋が配されている。ベッドのある部屋とリビングを隔てる扉はなく、入口は開け放しだが、一応壁はあるので、開かれつつもプライバシーに考慮している、という造りだった。共有の洗面台とレストルームとシャワー室はドアのすぐ隣だ。

合宿所といえば、長期間暮らす場所ではない、泊るのは2,3日から長くても週単位であろう、しかも、同じクラブに所属するいわば「同じ釜の飯を食う」間柄同士で、短期間寝泊まりするための施設だから、同室の者同士、打ち解けあえるよう、リビングが中央に配されー必然的にリビングを突っ切らねば、用を足すことも、シャワーを浴びることも、外に出ることも、逆に自分の寝台にたどり着くこともできないーしかも間仕切りはあって無きが如しの造りになっているのだろう、短期間で連帯意識が培われるよう、親交を深められるよう、よく考えられていると、アンジェリークは感心した。

「生活」をするための学生寮は、基本、1人づつの個室だが、それは長期間、よく知らない者同士が生活をするのは、人によってはかなりのストレスになるからだ。だから、もし寮が、ここと同じ造りなら、いつ同室の他人と顔を合わせるかわからず、プライバシーはかなり乏しいことになる。なにせ自分のベッドまでたどり着くにも、そこから出かけるにも、同室者5人のいるリビングをを通らねばならず、6人一室なら、常に誰かが部屋にいる確率は非常に高い。それをわずらわしいと思いプレッシャーに感じるものもいようし、その分入寮希望者も少なくなろう。が、2、3日の宿泊なら話は違う。今だけとわかっているから、同室になったのも何かの縁と仲良くなろうと思うし(少なくともアンジェリークはそうだ)万が一、そりが合わなくても、2、3日なら辛抱もできよう。何より、見知らぬ者同士、深く知りあえる機会になることは間違いない。

混乱したり、無用ないさかいを生じさせないようにであろう、ベッドもすでにボードに名札が付けられ、割り振られていた。アンジェリークのベッドは部屋のドアからは左側の一角だった

アンジェリークは自分の小さなボストンバッグをベッドに下ろすと、何気なく隣のベッドの名札を見て「あら…」と偶然に驚いた。そこには見知った名ー先日、思わずアンジェリークが声をかけた新入生総代の子の名前で、たぶん、その彼女本人だ、東洋系の性だったからーあったからだった。その当人の姿は見えなかったが。もう集合時刻間際なせいだろう、他の同室者の姿も見えない。

「さ、私も急いで食堂に行かなくちゃ」

アンジェリークは荷物を置くと、筆記用具だけ持って食堂に向かった。


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