「なぜ、わたくしが、あなたに休暇を与えねばならいのです?オスカー。しかも、有給の公休ですってぇ?ふざけるのも大概になさい」「私は何もふざけてなどおりません。陛下。だって当然ではありませんか。先日私の妻がなぜ、失神昏倒したかの理由は鑑みていただければ…そして、その訳は陛下ご自身が誰よりよくおわかりかと…」
「そ、それとこれとが、何の関係があるっていうの?」
女王ロザリアはオスカーの指摘に、瞬間「うっ…」と痛い処を突かれたというような顔をした。が、その一秒後にはしゃんと顔をあげ、機関銃のように自らの論理をまくしたて始めた。
「それはわたくしだって、あの子にはちょっとプレッシャーを掛けすぎたとは思っているし、その埋め合わせをすることにやぶさかではなくってよ?でも、それはあくまであの子一人に対してであって、あなたには何の関係もないことじゃないの、オスカー。あの子の休暇ならともかく、なぜ、あなたに対してわたくしが休暇を与える必要があるというのかしら?」
「陛下、今、ご自分でおっしゃいましたね?彼女が昏倒して人事不省に陥った理由は何だったのかを…」
[そ、それは私だって、わかってるって言ってるじゃないの!彼女の繊細な神経は新年会の間中かけられていた過度の重圧にぼろぼろだった、だから、緊張が揺るんだ途端に昏倒してしまった…って、あなたは、そういいたいんでしょう!オスカー!」
「……私はただ、女王陛下の騎士を拝命している身として少々懸念があるだけなのです、陛下。陛下が最も頼みになさっているのは、我が妻(さい)ではないかと、私は考えております。ですが、その我が妻が心身ともに万全でなければ、陛下のお心の安定、延いては宇宙の安定をも脅かす要因になりはしまいかと、不肖、このオスカーは案じているだけにございます…ということは、今の我が妻に必要な物は何か…を考えますに、回答はひとつではないかと、申し上げているだけです」
「ぐっ…だから!あの子を静養させないとは言ってないでしょーがっ!むしろ、私はそれを薦めたいくらいよ!ええ、あの子は休ませますとも、でも、だからこそ、あなたと一緒の休暇は認めない方が、彼女の体が休まるじゃないの!だから、オスカー!あなたへの休暇なんて問題外で論外で法外で勘違いも甚だしいわ!却下!」
オスカーは強い口調で女王に奏上を撥ね退けられたにも拘わらず、全く慌てふためくことなく、逆に余裕とも取れる笑みを浮かべた。
「これはお戯れを…陛下、彼女一人に休暇を与えたとして、彼女を一人で静養になど出せますか?この宇宙を統べる女王のたった一人の補佐官を、護衛もなしに外界の保養地に出すなどという無謀な真似を、陛下はなさるおつもりですか?」
「護衛なら女王府のSPをつければいいわっ!」
「その間、女王府の警護はどうされます?補佐官の警備に人員を割けば、当然聖殿の警護は手薄になる。陛下がそんなことをなさるとわかれば、あの心優しい彼女のこと、当然休暇など返上し、保養地で静養もできず、掛けられたプレッシャーを晴らす方便もなく、ストレスはたまる一方で、哀れ補佐官はその重圧に、またいつ昏倒するやも…」
「ぐぐぐ…だから、彼女には保養のための休暇を与えると言っているでしょーがっ!問題はあなたの要求よオスカー!あなたまで一緒に休ませる謂れはなくってよ。第一あなたが同行するよりSPが同行するほうが、彼女だってずっと身体が休まるのではなくて?」
ロザリアの皮肉も、オスカーはどこ吹く風とさらりと受け流す。
「これは異な事を!陛下、陛下は、何処の誰ともつかぬむさくるしいむくつけき男に囲まれて、彼女の神経が本当に休まるとお思いなのですか?ましてや、ここ聖地なら建物の外の警備だけでも十分でしょうが、何が起こるかわからない外界で、同じ部屋に寝泊りすることのできぬような者に真の警備が勤まりましょうか?彼女を一人で部屋において、何か犯罪にでも巻きこまれたらどうなさるおつもりか?かといって、警備を主と考えて、見知らぬ男たちと一つ部屋に寝泊りなどして、彼女の神経が休まるとお思いですか、陛下は?!そんな状況に彼女を追い込んで、彼女の神経が休息を欲するあまり、またも、失神昏倒などということになったら…」
「ぐぬぬぅ〜…オスカー、あなた、女王である私を脅迫する気?」
「滅相もございません、陛下。私は陛下に忠誠を誓う守護騎士です。そして、陛下の弥栄を望めばこそ、陛下の最も大事とする掌中の宝珠のような補佐官殿の身心を健やかに保つための提言をさせていただいている次第です。彼女の身心の安定なくして、陛下のお心の安定はございましょうや?」
「ぎりぎりぎりぎり…」
「なおかつ補佐官殿の身の安全を考慮した場合、最も効率よくかつ合理的に行える警備方法を提示させていただいているにすぎません、この俺の同行という合理的な方法を…」
小面憎くにやりとオスカーが片頬で笑んだような気がしたが、それはロザリアの偏見であったかもしれない。
とにかくロザリアは悔しさのあまり際限なく歯噛みしたが、今回はどうにもこうにも分が悪かった。
先日の新年会の折り、かわいいアンジェリークがパーティーが果てるや否や失神昏倒してしまったのだが、その原因はどうも、自分が「不埒な真似をしたらオスカーを辺境に一年島流し」という脅しが効きすぎて、彼女の神経にはそれが耐えきれぬ負荷として働いたかららしい…というのは、ロザリア自身認める処だ。
ロザリアとしては、アンジェリークにそこまでのプレッシャーをかけるつもりなど毛頭なかった。だが、実際にアンジェリークは人事不省に陥ってしまい、その原因となった精神的重圧を与えた張本人であるロザリアとしてみれば、アンジェリークに静養のための休暇を与えるのは、まったくやぶさかでない。むしろ罪滅ぼしとして、アンジェリークに休暇を取らせることは既に内内で計画さえしていたのである。
しかし、それはあくまでアンジェリーク一人に対してのみ下賜されるものであり、新年会において、働いていないとは言わないが、当然の働きしかこなしていないオスカーに公休をやる謂れはない。なのに、オスカーときたら、どこからか聞きつけてきたのか、偶然ロザリアと同じ事を考えていたのか、もしアンジェリークに静養のための休暇を取らせるのであれば、重ねて自分も公休扱いにしろと、要求してきたのである。
もちろん、『なんで私がわざわざオスカーを喜ばせてあげなくちゃならないのっ!』というのがロザリアの本音であるから、言を左右にロザリアはオスカーの要求を撥ね退け様とした。ロザリア陛下は賢い女王陛下なので当然そんな本音は口になさらないように言葉選びに工夫を施しつつ、あくまで表向きは「オスカーには休暇を与えられるべき特別の功労はないから、休暇はやれない」と繰り返した。第一、オスカーが同行しない方が、アンジェリークの身体は休まること必至なのだから。
しかし、今回アンジェリークの人事不省は精神的なものである。そして、オスカーの言う通り、見もしらぬボディガードに十重二十重に囲まれた静養など名ばかりか、むしろ、却って神経が休まらず、静養どころか逆効果になりかねない、というのは尤もな理屈である。
しかも、武器に頼らず己の身もアンジェリークも守れる体術のプロとして、オスカーがボディガードとしては超一級であるという事実も悔しいがロザリアは認めざるを得ない。
更に、認めたくはないのだが、アンジェリーク一人に休暇を与えたとしても、彼女が一人で静養になど出るわけがないというのも、実のところ、ロザリアはオスカーに言われてみて尤もだと思ってしまった。アンジェリークがオスカーを一人おいて静養になど出たがらないであろうことは考えてみればあたりまえであった…
ただ、それをあっさり認めてしまうのは悔しいし、オスカーに指摘されて気付いたことも腹立たしいし、とにかくオスカーにいい思いをさせてしまうのか、ということも純粋に口惜しかったロザリアは、なんだかんだと理屈をつけてオスカーの申し出を却下したかったのだが、こうも正論の理詰めでにじりよられ、がぶりよられては、矢折れ、刀つきるのも時間の問題ではあった。
「わかりましたわっ!仕方ありません、オスカー、あなたにはアンジェリークへの同行を許します!でも、何の名目もないあなたには休暇はあげられません!」
「と、おっしゃいますと?」
「その替り、炎の守護聖オスカー、あなたには静養中の補佐官の護衛を命じます。いいこと?あなたの役目はあくまで、あの子を身心ともに健康な状態に戻し、それを保ち、なおかつ、あの子の身の安全に万全を期することですからね!万が一、聖地を出たときよりあの子が疲れて見えるようなことがあったら…」
ロザリアは一拍おいて思いきり息を吸いこみ、しかし、限界まで音程を下げた地の底を這いずるような声で一言釘を射した。
「その時は…覚悟なさい、オスカー…」
「御意、陛下…」
どこまでも余裕の笑みを浮かべて、あくまで優雅に恭しく礼をとり、オスカーは女王の執務室を後にした。
取り澄ました顔を繕いながらも、ついついオスカーの口元は緩む。
本当は名目なぞなんでもいいのだ。とにかくこれで、合法的に聖地から外界に二人で静養にいく手はずは整った。合法的な静養だから、よほどの事がない限りは、旅行中に聖地に呼び戻される可能性は低い。
週末に個人的に旅行に出ても悪くはないのだが、私的な外出の場合、なんだかんだと理屈をつけられてロザリアから外出の許可がもらえなかったり、うまく外出届が受理されても当日になって、下手をすると外界に下りてから緊急の呼び出しをくらったりすることもしばしばあって(しかも、それが俺からするといかにもこじつけ臭い無理矢理用件を作ったような呼び出しがほとんどに思えるのは俺の偏見だろうか、いや、そうではあるまい、とオスカーは感じていた)プライヴェートな外出では、まともに休暇を楽しむのは、いささかリスクが多いのである。
しかし、休暇が公休、なおかつ、静養が目的であるとのお墨つきを女王自身が与えた以上、この休暇になにがしかの邪魔が入る可能性は皆無といえた。
「ふっふっふ…若干強引、かつ、こじつけ臭かったが、まぁ結果オーライだからな。新年会ではいろいろ『忍』の一字で耐えさせられたことだし、これくらいの役得はあってもバチはあたるまい…」
ロザリアが言っていたアンジェリーク昏倒の原因はもちろん誤解であり、オスカーはその誤解を結果としては利用した。本当は、アンジェリークの昏倒は何かの手違いで度数の強い酒を口にしてしまったため、気分が悪くなったというのが主原因だ。
そして、新年パーティーが果てるや否や、衆人環視のもとで、アンジェリークが昏倒失神したのは事実だったが、その原因はオスカーとアンジェリーク以外は知らないはずだった。そして、その事実もなんということはない日常に埋もれ、オスカーはもう、すっかりそれを過去のこととみなして、忘れていたくらいだった。
先刻、ジュリアスから、ロザリアがアンジェリークに静養のための休暇を与えるつもりらしいと聞き及ぶまでは…
「なんですって?ジュリアス様、なぜ、陛下は急にお嬢ちゃんに休暇を?」
「決っている、先日の新年会の折、補佐官が昏倒した事実を陛下は殊の他気に病まれ、アンジェリークの体調を気遣っておられるからだ…それで、補佐官に命令として静養させたいので、補佐官が執務を休んでもいい日程を算出せよと、私にお命じになったのだ。自分が命令でもしないと、アンジェリークは自分から休もうなどと思わないから、無理矢理命令して休ませるのよ、と仰せになられてな…お優しい方だ、陛下は…」
その言葉で、オスカーはアンジェリークは緊張と精神的重圧に耐えきれず昏倒失神したと思われている…というか、アンジェリークを連れ帰る際に、自分が周囲にそう思わせたことを思い出したのだった。
「なるほど…そういうことか」
「何を他人事みたいなことを言っているのだ?そなたとて、アンジェリークの体調は何より心配であろうが…あれを休ませてやりたいとは思わないのか?それは、もう、本人は何を聞いても『私は元気です、ご心配おかけして申し訳ありませんでした』としか言わぬが、あれは限界までがんばってしまうから、その言葉をそのまま鵜呑みにするわけにもいくまい」
「…ジュリアス様はアンジェリークの事を本当にわかってくださっているのですね…もちろんです、ジュリアス様。ですが陛下がそこまで妻(さい)の事を気にかけてくださっているとは…と思いましたもので…」
「…そういえばアンジェリーク本人にもスケジュールの調節がついてからお知らせになるおつもりだったのかもしれぬな。まあ、そういうことなので、オスカーもそのつもりでいるように」
「はっ」
と、かようなやり取りがあり、その情報を聞いたとき、アンジェリークの静養と同時に自分の休暇の申請をロザリアに出したのである。
もっとも、自分がこうして横槍をいれて一緒の休暇を申請しなければ、アンジェリークが休暇をもらってもそれを固辞するであろうということは、オスカーは確信をもって自負していた。事象としてはロザリアの誤解を利したことにはなるが、結果としては、アンジェリークに休暇を下賜しても固辞されてやきもきしたであろうロザリアの情緒不安定を回避したことになるのだと、オスカーは自分で自分に頷いていた。
それに、オスカー自身は、ここはロザリアの誤解を利用させてもらった方が得策だという、ある計算があったのである。
「なにはともあれ、お嬢ちゃん、俺は君とのスイートホリディを陛下からもぎとったぜ!待っていてれよ!今報告にいくからなー!」
オスカーは足に加速装置でもついているかのような勢いで、聖殿の廊下を補佐官執務室に急行した。
「おっ嬢ちゃ〜〜〜んっ!」
オスカーは補佐官執務室の扉を開けるや否や、肺活量の全てをアンジェリークを呼ぶ声に変え、一跨ぎに部屋中央の執務机に突進した。そして書類にむかって頭を捻っていたアンジェリークをふわんと包みこむように羽交い締めにした。
「きゃん!び、びっくりした…オスカー様、どうなさったんです?何か急なお仕事ですか?もしかして、また突然の出張の命令でも?」
アンジェリークが若干警戒気味に、にじにじと腰を引いた。
以前、オスカーが急な出張命令を受けた際に「お嬢ちゃんにしかできない出張前の準備がある」と言いくるめられ、真昼間からオスカーの執務室で抱かれ、しかも、思いきり感じて反応してしまったことを思いだしたからだ。
『お仕事の時間中にこんなことしちゃいけないわ、いけないのにそう思えば思うほど…ああんっ…やっいつもよりもっと…ダメ…声…出ちゃう…隣のリュミエール様に聞こえちゃったらどうしよう…やっ…そ、そんなとこ、舐めちゃだめぇっ…』
と、その時の心境をつぶさに思い出してしまい、アンジェリークの頬は真っ赤に染まった。
補佐官室は、女王の執務室に隣接している。あんな調子で声をあげさせられたら…そして、アンジェリークはオスカーがその気になったら、自分が声を抑えられる訳がないこともよくわかっていたので、そんなことになったら、一発でロザリアにばれてしまうと思った。執務時間中に執務室でそんなことをしたとわかったら…アンジェリークはぞぞぞーっ!と背筋に戦慄が走った。それこそ『聖殿内で不埒な行為に及んだ』咎としてオスカーは一年どころでなく辺境に飛ばされてしまうかもしれない。自分は聖地に留め置かれたまま…
アンジェリークは頭から湯気を出しそうな顔で、思いきり両手を前に付きだして、オスカーの眼前でそれをぶんぶん振りまわした。
「だめっ!だめですよ、オスカー様!たとえ急な出張でも、この前みたいな事前準備は絶対ダメですからねっ!もしロザリアに聞こえちゃったら大変なことになっちゃう…オスカー様のためなんですから、我慢してくださいねっ!」
「は?」
「どーしても我慢できない!っておっしゃるんなら、私の部屋じゃなくて、オスカー様の執務室ならまだ…いいかも…あそこなら角部屋だし、ロザリアには聞こえないだろうから…リュミエール様には聞こえちゃうかもしれないけど…きゃv」
「………何を言っているんだ?お嬢ちゃん…」
「は?あの…出張が決ったんじゃないんですか…?」
「俺はそんなことは一言も言っていないんだが…」
「あん、やだ、勘違い…オスカー様が突然、血相を変えていらっしゃったから、てっきり、また急な出張かと思っちゃいました…」
オスカーは今のアンジェリークの言葉を頭の中で改めて反芻すると、この上なく楽しそうににやーっと笑った。
「お嬢ちゃん、今、何かとても楽しいことを聞いたような気がするんだが…?出張前の準備は、この部屋ではダメだけど俺の部屋ならいいとか、リュミエールには聞こえちゃうとか…で、俺の部屋だと何がよくて、何が聞こえちゃうのかな?お嬢ちゃん…」
「………知らない…」
「お嬢ちゃんが自分から言ったのに『知らない』はないだろう?例えば…」
オスカーは背後からアンジェリークの耳朶をかぷっと食んだ。
「ひゃんっ…」
「こういう声のことか?ここではダメだが、俺の部屋なら聞こえてもいいっていうのは…」
「もうもう、だめー!オスカー様!隣にはロザリアがいるって言っているじゃないですかー!聞こえちゃったらどうするんですかー!」
「すまん、すまん、お嬢ちゃんがあんまり楽しくてかわいいことを言ってくれるから、つい、はしゃいじまった…こんなことでせっかくもぎ取った休暇をふいにしたらもったいないものな」
「休暇?休暇ってなんです?オスカーさま」
「そうそう、そのことをお嬢ちゃんに言いにきたんだ。喜べ、お嬢ちゃん。陛下が静養のため、お嬢ちゃんに公休を賜ってくださったぞ」
「は?静養ってなんで?私、元気ですけど…」
「お嬢ちゃんは先日の新年会で昏倒失神しただろう?精神的プレッシャーがあまりに重すぎてな?そのストレスを解消して身心ともに健康を取り戻すための静養だ…」
「だ、だってオスカーさま!あれは、私がまちがっておさ…んむぐぐぐぅ…」
勢いこんで反駁しようとしたピンクの唇をオスカーは大いなる喜びを以って己の唇で塞いだ。
そして、ひとしきりアンジェリークの唇を食んで吸ってから離れ
「その理由は俺たちだけの秘密だ…周囲はお嬢ちゃんは過度のプレッシャーに耐えかねて、緊張が緩んだ途端失神したと思いこんでいるからな…その精神的重圧から解放されるためにお嬢ちゃんには身心ともに静養が必要なんだ」
アンジェリークは呆気にとられたが、そのオスカーの言葉で事情を一から十まで理解した。
「だって…それ、…それじゃ、オスカー様、ロザリアに嘘をついて休暇を…そんなのダメですぅ〜」
「それは違うぞ、お嬢ちゃん。元々陛下の方からオファーがあってのことなんだぜ、この休暇は。陛下はお嬢ちゃんが倒れたのは、ご自分が君に重圧をかけすぎたせいだと申し訳なく思って罪滅ぼしをしたいとおっしゃったんだ。だから、これを辞退なんてしたら陛下の気がすまないと思うぜ?」
「でも、それは誤解なんですから、そのことはちゃんと言わないと、ロザリアが気に病んでしまう…」
「そうか?俺はお嬢ちゃんが倒れたのは陛下のプレッシャーのせいというのは、強ち嘘とはいえないと思うが?」
「え?」
「だってなぁ、お嬢ちゃん。お嬢ちゃんが気分が悪くなった直接の原因は確かに酒だったかもしれんが、気分が悪くなったお嬢ちゃんがそのまま無理をしたのはなぜだ?仕事を放り出せないというのが第一義であったのは事実かもしれんが…俺が君を退出させたら、俺が島流しになってしまうかもしれないという、陛下の命令があったからだろう?」
「う…それは、そうですけど…」
「あの時は、酒という原因がわかっていたからいいが、万が一お嬢ちゃんの具合が本当に悪かったかもしれない時も、その命令が枷になって、お嬢ちゃんは無理をして更に体調を崩していたかもしれないんだぜ?例えば、お嬢ちゃんが虫垂炎でも起こしていて、気分が悪くなったのだったらどうする?そんな時でも、陛下の命令が枷になってお嬢ちゃんが退出を躊躇って病状が酷く悪化するようなことになったら取り返しがつかないことになっていたかもしれないんだぜ?だから、陛下に、もうこんな命令を出す気をおこさないでいただくためにも、敢えて陛下の誤解を利用することになっちまうが、ここは、陛下のお言葉を否定せず、そして、もらえる休暇ならもらった方がいいと俺は思ったんだ。そのほうが陛下のお気も済むみたいだったしな…」
そう、この点がオスカーが懸念してい、そして、ロザリアの誤解を利用する方が得策だと思った点であった。先日は、アンジェリークの体調不良の原因がはっきりしていて、なおかつ重篤なものではないと明白だったから、オスカーはアンジェリークが無理をしてもパーティー会場にいて、ホステスの役目を全うしたいという彼女の主張を汲んだ。しかし、これがもし、本当に病気か何かで体調不良だったにも拘わらず、アンジェリークが中途退出したら自分オスカーを辺境に追いやるなどという脅しのせいで、アンジェリークが我慢に我慢をしてしまい、取り返しのつかない事にでもなったら大変だったとオスカーは考えたのだ。なので、ロザリアには二度とアンジェリークにかような重圧を与える気を起こさないでもらえるよう、オスカーは、敢えてロザリアの誤解を利用しようと思ったのである。
尤も、ロザリアにかような強攻策を取らせたのは自分の若気の至りであったことも、オスカーは重々自覚していたので、オスカーは、下手な嫉妬でアンジェリークを公の場で独占するような愚かな真似はもうすまいと、きちんと決意もしていた。先日のパーティーの折に、見た目ばかり独占するよりも、いざと言う時にアンジェリークを助け支えられるのは自分だけだと周囲に見せつける方が、これ以上はないほどの優越感を味わえるとよーくわかったからだ。自分はアンジェリークを誰より愛し、アンジェリークに誰よりも頼られているという自負が、健全な形で強化されたのである。
休暇はあくまで、その結果に付随してきたオマケのようなものであった。
ただ、アンジェリークは、オスカーにそう言われても、まだ逡巡していた。
「そ、それでいいんでしょうか…でも、私一人で休暇をいただいても仕方ないですもん。やっぱり断ってきま…」
「おっと待った、お嬢ちゃん。そんなことで休暇を断ることはない」
「だって、私一人で休暇なんてもらっても嬉しくない…それなら、オスカー様と一緒に聖殿に出仕して、一緒にお仕事して、一緒にお家に帰るほうがいい…」
「ふ…だからな、宇宙の補佐官が休暇を貰っても一人で静養になど、保安上の問題で不可能だろう?ってことは、お嬢ちゃんが静養に行くためにはボディガードがいる…そして、この宇宙でお嬢ちゃんのボディガードとして最も相応しい人物は誰だ?」
アンジェリークは、一瞬の間のあと「あ!」という顔をして、これ以上はないというほど嬉しそうな満面の笑みを湛えた。
「オスカー様ったら、オスカーさまったら、もう…」
「そういうことだ、お嬢ちゃん。陛下のお墨つきのもと、二人で身心ともにリラックスできそうな所に旅行に行こう」
「はい!オスカーさま!やん…どうしよう、喜んじゃいけないと思うんですけど…でも、すっごく嬉しいです…」
「気にすることはないさ。これで八方丸く収まるんだしな。ただ、そこで…お嬢ちゃんがさっき期待してたことはできるかどうか、ちょっと危ういかもな?なにせ、お嬢ちゃんの静養が大義名分だから、この前みたいに一晩中ほとんど眠らせないなんて真似はできないかもしれないな…」
「や、…いやん、オスカーさまの馬鹿…」
「だが、もしお嬢ちゃんが今、それを期待してたのなら、何なら今から俺の執務室に行ってリュミエールのヤツにお嬢ちゃんの一番良い声を聞かせてやるか?」
「もぅ、いやん!オスカー様ったら、知らない!」
オスカーのからかいの言葉に照れて困って拗ねたように横を向いてしまったアンジェリークに優しく微笑みかけながら、オスカーはそっと口付けた。
そして、オスカーが女王に謁見をした数日後、オスカーとアンジェリークは辺境惑星の宙港に降り立った。宙港からは宿の迎えのエアカーが来ていた。とある温泉地でオスカーとアンジェリークはこの日から数泊お忍びで静養することとなっているのだ。
オスカーがアンジェリークを身心ともに静養させるために選んだ旅行先は、静養といえば定番中の定番、癒しといえば、これ!の温泉であった。
この休暇に先立ち、オスカーはロザリアに旅行計画書の提出を義務付けられていた。アンジェリークにとってこれは静養だが、オスカーにとっては仕事なのだから当然である。
そして、オスカーは、健康に効能の多く、源泉の湯量が豊富という温泉地をセレクトした。なおかつ、念の為に、絶対に1日では聖地に戻れない辺境惑星の内から候補地を選んでおいた。ロザリアの変心を警戒してのことである。
温泉による身心治療である湯治なら、行き先をチェックされてもロザリアも文句が言えまい、と見こした上での選定であることは言うまでもない。これが単なる観光地だと「それの何が静養になるんですか!却下!」とロザリアに休暇を取り下げられてしまう可能性もあるが、そのような愚は最初から犯さないのが、オスカーの用意周到なところである。
かてて加えて宿は、この地方でも最も格式の高くありとあらゆる面で設備の充実した星間観光業界基準で五つ星のホテルをセレクトしてあった。その施設の様々なリラクゼーションメニューに目を通したロザリアは「これなら仕方ない…」と言わんばかりにしぶしぶ、裁定の玉璽を押したのである。
そして、この施設の充実っぷりが、実のところ、オスカーの密かな楽しい計画の要であるのだが、それはまた、後述するとして…
とにかく、美丈夫ぶり甚だしいオスカーと、愛くるしい人形のようなアンジェリークのカップルは、星間観光業界で指折りの名門旅館でも悪目立ちすぎるほど目だっていたが、オスカーとしてはそんなことは日常茶飯事なので、宿泊客及び旅館従業員たちの賛嘆と驚愕と憧憬の視線はさらりと受け流していたし、アンジェリークは未だに自分たちがいかに目立つカップルであるかの自覚がなかったので、周囲の視線は一向に気にしていなかった。時折感じられる視線は、単純に『オスカー様があまりに素敵だから、誰でも、つい視線で追いたくなってしまうのよねー、わかるわ、だって、実際私がそうなんだもの、誰だってオスカー様に見惚れちゃうのは当然よねー』という風に考えていたから、どんなに注目を浴びていても気にならないのであった。
そしてオスカーがフロントでチェックインを済ませている間、アンジェリークはホテルの従業員らしき人たちの姿を不躾とは思いつつも、つい、じーっと見つめてしまっていた。旅館の従業員は女性が多いのだが、皆、ローブを幅広のサッシュベルトで抑えただけのようなこの地方の民族衣装をらしきものを身につけていて、それが大層珍しく、しかし、優美に感じられたからだった。
「変わったお召し物だわ…紐っていうか、あのベルトみたいを結んで抑えているだけなのかなぁ。それなのに、なんで崩れないのかしら…しどけない感じもなくて、むしろしゃきっと見えるし…」
周囲を興味津々で見ているアンジェリークに、チェックインを済ませたオスカーが声をかけてきた。この変わった衣装をつけた女性従業員が部屋まで案内してくれるという。
アンジェリークは、こそっとオスカーに耳打ちした。
「ホテルの人の制服変わってますねぇ。どういう造りになっているのかしら…」
「知りたかったら聞けばいい」
オスカーは何故か、楽しそうに笑むと屈託ない笑顔で、案内に来た女性に「こちらのお嬢さんが、あなたの着ている物に興味があるようなので、教えてやってくれないか」と尋ねてくれた。
従業員は、これは「キモノ」という、この地方の民族衣装であることと、旅館内でこのキモノを身につけているのは「仲居」という従業員なので、なんでもお気軽にご用命くださいませ、と、人当たりのいい笑みで答えてくれ、オスカーたちの荷物を持って部屋までの先導に立った。
アンジェリークとオスカーは仲居の後に続く。アンジェリークがまた、オスカーに小声で耳打ちした
「制服だけ見ると変わってますけど、建物や、フロントのシステムは普通のホテルみたいですねぇ」
「安心したか?それとも、もしかして、ちょっと落胆したか?お嬢ちゃん」
「んふ…せっかくだから、この星ならではお宿にも泊まってみたかったかも…」
と、ここまで言ってアンジェリークは慌てて付け加えた。
「もちろん、このホテルはこれ以上はないほど素敵ですよ!」
だが、オスカーはアンジェリークの言葉に気を悪くした様子もなく、むしろ、うれしそうににやにやした。
「そうか民族色溢れる宿にも興味があるか…なら、あの『キモノ』ってのは、どう思った?お嬢ちゃん」
「え?ええ、形が変わってて、面白いですよねー」
「着てみたいなんて思わないか?」
「んん…それは興味はありますけど、でも、着方がわかりませんもん。第一、ホテルに売ってるとも思えないし…」
「ふっふっふ…そうか、着てみたいか…それはそれは…」
「???」
何やら1人で悦にいっているオスカーにアンジェリークは頭の中に疑問符を飛ばしたものの、仲居がフロントのある建物から内庭に続く小道に出てしまったので、アンジェリークはびっくりして、それどころではなくなった。
「オスカーさまぁ、建物の外にでちゃいましたよ?」
なんとなく、不安な気持ちになって、オスカーの腕にぎゅっとしがみつくと、オスカーはアンジェリークを安心させるように微笑んだ。
「ああ、それでいいんだ」
「???」
「この宿はな、庭園の奥に特別室でできた別棟があるんだ。部屋のひとつひとつが独立した離れになっていて、広い庭園の中に離れは散在しているから、とても静かで落ちつける…お嬢ちゃんも、この地方独特の宿にも泊まってみたいかもって今、言っただろう?ちょうどよかった。せっかくだからと思って、そういう部屋を予約しておいたんでな」
「え?そうだったんですか?オスカー様、ありがとうございます、どんなお部屋か楽しみです」
アンジェリークは幾許か不安そうだった表情を一転し、頬を紅潮させて、改めてオスカーの腕にきゅっとしがみついた。オスカーも満足げに微笑み返す。
庭園を抜ける小路から玉砂利の敷きつめられた更に庭園の奥深くに、仲居は先んじていく。周囲の庭園は緑も一層濃く深く、痛いほどの静寂に満ちている。
そして、小路の先がぽっかり開けた所に平屋建ての瀟洒で小作りな木造の家が建っていた。数寄屋造りというのだが、当然アンジェリークはそんなことはわからない。ただ、磨きこまれたような飴色の外観がシックで、なんとも言えない風情のある建物だと思った。
「すごい…私、こんなお宿に泊まるの初めてです…お庭も静かで綺麗…あとでお庭のお散歩にもいきましょうね、オスカーさま」
「ふ…そうだな」
実のところオスカーは、庭園の散歩なぞより、もっと楽しいことが一杯あるからなー、お嬢ちゃん!ゆっくりじっくり纏綿たる異国情緒ってやつを味わせてやるから楽しみにしててくれよーと内心でガッツポーズを作っていた。
この離れにしても、アンジェリークが、あまり馴染みのない形式の宿には尻ごみしたり、嫌がったりしないかと少々不安だったが、それが杞憂に終わって安堵していた処だった。アンジェリークは基本的に、新奇なもの、珍しいものも怯まず試してみたがるという、人生を積極的に楽しむコツを心得ている。チェックインした時点から、この地方特有の民族衣装にも、好奇心と興味を抱いていることがわかり、これなら予定通りイケル!とオスカーは内心ほくそえんでいた。
わざわざ部屋が独立形式の別棟があるホテルを選んだのだし、その状況は思いきり堪能させてもらうぜ!と。
密かな含み笑いを堪えているオスカーの様子に気付かず、アンジェリークは初めて味わう異国情緒への期待に一杯になっていた。