珠、磨かざれば…2 

オスカーは真剣に懊悩していた。自分は新婚××してしまったのだろうかと本気で思い悩んでいた。

アンジェリークとの余りに甘い新婚生活が自分の知力体力の低下の原因なら自分はいったいどうすればよいのであろうか。

なんとか自分の能力をこれ以上落さず、しかも、アンジェリークとの甘い生活を続けるいい方法はないものだろうかと、こんなことをずっと考えながら食事をしていたのだから、食物の味がわかろうはずもなかった。

オスカーは荒淫とも言える日々を過ごしていた時でさえ知力体力ともに衰えを感じたことなどなかったのだから、冷静に考えればセックスのし過ぎで知力体力ともに能力が激しく低下するなんてことがあるわけがないのだ。

それくらいなら、アンジェリークに出会う前、週末ともなると一晩に相手を何人も変えてのご乱行に及んでいた時の方がよっぽど能力が衰えていなければおかしいのに、そのことにも思いが至らなかった。

単純に久しぶりに使った筋肉やら頭脳やらが、勘を取り戻せなっただけだということに気付かないという点では、やはりジュリアスが指摘した通り、とろとろに蕩けるような新婚生活のせいで少々頭のねじが緩んでいたのは事実かもしれない。

うわの空のオスカーにさすがのジュリアスも不審顔をしだした。

「オスカー、そなた一体どうした?先ほどから視線が中空をあちこちにさまよっているが…そんなに一人で出かけたアンジェリークのことが気がかりか?左様に心配なら一緒についていけばよかったであろうに…」

「こ、これはジュリアス様の御前にも拘わらず、無礼な真似を致しました。申しわけございません」

はっと我に返ったオスカーは慌てて弁明を始める。

「いや、そなたを咎めているのではないのだが……あまりに心ここにあらずといった様子が明かだったのでな。」

「はあ、いや、それはそのアンジェリークがいないからというわけではないのですが…あの、ジュリアス様、ちょっとお伺いしたいのですが私は結婚してからどこか変わりましたか?」

恐る恐るオスカーが訊ねた。

あからさまに「××」になったといわれたらどうしようと思いながらも、確かめずにはいられなかった。

「うむ、かわった。」

『かわった』とジュリアス様がきっぱり断言したということは、やはり、俺は誰の目からみても「××」になったということか!…オスカーの心拍数は一挙に倍近くに跳ね上がった。

「まず、人付き合いが悪くなった。ま、これは致し方ないか?」

ジュリアスの回答に、上がった心拍数が元に戻るとともにどわーっと安堵の汗が出た。

安堵の汗は出たが、気の効いた返答やうまいいい訳は口から出てこなかった。

ぐっと詰まったままのオスカーにジュリアスはからかうような笑みを浮かべた。

「ふ…冗談だ。しかし、その反面以前のそなたからは考えられぬほど生活は落ち付いたようだし、サクリアも感情に左右される揺らぎがなくなって安定している。総じて結婚はそなたにはいい方向に作用したのではないのか?」

そ、そうなのだろうか、自分は「××」にはなったとはみなされてはいないのだろうか…ジュリアスに言われて多少は安心したものの、やはりオスカーはもう少しきっちり確証がほしかった。

ジュリアスが「××」な自分を哀れんでその場限りの慰めを言ってないとは限らないと思った。

「はあ、しかし、今日はみっともないところをお見せしてしまって…新婚××といわれても仕方ないほど、どうも鈍くなっておりましたし…」

「なんだ、そんなことを気にしていたのか?」

ジュリアスは心底意外そうな顔をした。

「そなた、チェスは何ヶ月ぶりだ?」

前にチェスをさしたのはいつのことだろうとオスカーは考えてみた。そう言われてみれば結婚してからまったく誰とも対戦していないかもしれない。

「そういえば、かれこれ数ヶ月…」

ジュリアスが軽く笑いながら納得したように頷き、こう言った。

「久方ぶりに手を染めたものが以前と同じ腕前でないのはあたりまえであろう。それが嫌なら継続的に鍛錬していればいいだけのことだ。それに習得済みの技術なら少し浚えば、すぐに元通りになるものではないか?乗馬や水泳などもそうであろうが。」

まるでランディとの苦戦を見ていたかのようなジュリアスの言葉にオスカーはぎくっとした。

ジュリアスの言葉には確かに一理あると思ったが、でも、今回オスカーが気にしているのは、体力のほうの衰えではなかった。

「それは確かに身体を使うもの…体術に関してはそうかもしれませんが、チェスは閃きと先を読む知力がものをいいますから、そういったもの…その知力が『新婚××』で衰えてしまったかと、少々愕然としておりましたもので…」

オスカーが恐る恐るジュリアスの顔色をみながらいい訳めいたことを口にすると、ジュリアスはオスカーの言を一笑に伏した。

「ばかを言うな。それでいったら知力こそ鍛錬であろうよ。人間使わない部分が退化するというのなら使いつづければいいだけのこと。思考という物も巡らせれば巡らせるだけ発達するものだと以前ルヴァが言っていたぞ。その時はルヴァに『思考能力というものは発達してもそれを表す速度には反映はしないとみえる。そなたをみているとそれがよくわかるぞ』といって笑い話になったのだがな。」

「そ、そういうものですか…」

「ああ、なんでも人間の神経細胞も思考すればするほどシナプスが複雑化して情報伝達処理の速度が速くなるそうだ。しかもそれは一生かわらぬ、つまり年を取っても使っている限り衰えぬものらしい。『だから勉強や読書や自分で考えることは大事なんですよ〜あなたはまだ学業半ばで聖地に来たのですからちゃんと勉強は続けなくてはいけませんよ〜』とルヴァが教育を抜け出したゼフェルに説教しているところにたまたま行き合わせたことがあってな。しかし、あれのまわりくどい説明が災いして結論に達するまでにまたもゼフェルに逃げられたものだから、後日私がルヴァの話の要点をまとめなおしてゼフェルを呼び出し訓戒したことがあったのだ。」

『そりゃ、またゼフェルには災難な…』とオスカーはいいそうになり、慌てて口をつぐんだ。

ジュリアスの説教は確かに主眼においては的は射ており簡潔にして要なのだが、いかんせんそれ以外の守護聖の心得とかあるべき姿とか道徳的抽象論になってしまうとにかく長いのだ。

自分でも話しているうちにあれもこれもとその者のいたらない点や過去の失点を思い出してとまらなくなるらしく、『まったくそなたときたら』とか『一体何回言えばわかるのだ』とかいうセリフが出ると要注意でこうなると説教の終わりがまったくみえない。

心に耳栓をすることになれているオスカーでさえこれはなるべく避けたいのだから、それでなくても自分の境遇に反発していたゼフェルがよく爆発して逆ギレしなかったものだとオスカーは一瞬感心し、ということは、この時は要点だけの簡潔な説教だけで済んだのかもしれないな、と思い直した。

そういえば、お嬢ちゃんもジュリアス様に叱られてはよく泣いてたもんな…オスカーの回想は続く。

ジュリアス様はお嬢ちゃんのためを思って言ってらっしゃるんだが、なにせ言葉をストレートに言いすぎる嫌いがあるからな、この方は…言っていることはまず正論なんだが…正論すぎる正論しか言わないから、煙たがられたりするんだよな…人間、正論とわかっていても感情で頷けない時ってのはあるもんだから…

…正論…今の話もまったく正論だよな…使わない部分は退化する…使っていれば衰えない…まさしく正論中の正論だ…

「そうか!そうだよな!」

いきなり叫んだオスカーにジュリアスがカトラリーをがっちゃんと取り落とした。

「な、何事だ、オスカー!食事中にそのような大声を出すなど無作法であろう!」

ジュリアスはよりによって自分がカトラリーを落として音をたててしまったという無作法を自分自身で許せず、若干うろたえ気味にオスカーに責任を転嫁した。

しかし、オスカーはジュリアスの非難にもまったく動じず、逆にいきなり晴ればれとした表情になったかと思うと唐突に(少なくともジュリアスにはそうとしか思えなかった)ジュリアス礼賛を始めた。

「いや、まったくおっしゃる通りです!ジュリアス様のお話しはいつも傾聴に値すると、心から感服致した次第です!はっはっは!」

『目から鱗がおちる』とはいうのはまさしくこういう感覚を言うのだなとオスカーは考えていた。

会話の最初からジュリアスは自分にこれ以上ないほど明快な答えを示していてくれていたのに、自分の現在の状況を感情的に認めたくなかったばかりに目が曇っていたオスカーにはそれが今の今までわからなかったのだ。

あらまほしき自分の姿に捕らわれ、それに反する現実の自分を認められず

『本当の自分はこうではない!こんなはずではないのに!』

という思いばかりに気を取られていて、当たり前すぎる事実もみえなくなっていた。

切れ味の鈍った剣は砥ぎなおせばいい。使わないで曇ってしまった金属なら磨き直せばいい。

こんな簡単で単純なことに気付かなかったとは、やっぱり俺は頭の回転が鈍くなっていたのかもしれない。

でも、そのことにすっぱりと気付かせてくれたジュリアスの明快さを、常に正論を呈してくれるジュリアスの公明さをオスカーは心から有難く思った。

これだから、俺はこの人に頭があがらないんだよな、まったく愚直なまでに自分が正しいと信じる所にまっすぐなお方だから、うらやましいくらいにな…と思いつつオスカーはジュリアスを称える言葉を過剰なまでに口にしていた。

堂々巡りの答えがみつかったことで、つまり、これでアンジェリークとの甘い生活を諦めないで済む!と気付いたおかげでかなりハイテンションになっていたのかもしれない。

「やはり、ジュリアス様はまさしく光りを司るお方でいらっしゃいますな!心に迷いがあるときはジュリアス様の元に行け、とはけだし明言です。必ず己がいくべき道をジュリアス様は照らしてくださる…」

「???私はなにかしたか?それに誰がそのようなことを言ったのだ?私は灯台ではないのだが…」

「あ!これは私が女王試験当時、女王候補たちに言ったせりふでした。自画自賛してしまったようでお恥かしい限りです。はっはっは!」

ぼーっとしたウワの空状態からいきなり豪放磊落に笑い出したかと思うと、快活な様子でオスカーは残りの料理を一気に平らげた。

「ジュリアス様のところのシェフも相変わらずいい仕事していますな。お嬢ちゃんの手料理にはかないませんが…美味かったです。ごちそうになりました。」

「あ、ああ…それはよかったな…」

ジュリアスはオスカーの豹変ぶりがまったく理解できずにどのように扱ったものか図りかねていた。

さりげなくオスカーが失礼な事を言ったような気がしたが、それを嗜めるのもどうかと躊躇ってしまった。

悩みが解消したオスカーに替り今度はジュリアスが考えこむ番となった。

やはり、結婚は男を変えるのだろうか…自分には今のオスカーの言動を到底理解することが叶わぬ…しかしオスカーのような男が新婚××になるのなら、あの昼行灯の職務怠慢な同僚は結婚したら逆に勤勉にでもなるのだろうか…見てみたいような見たくないような…

怖い考えに到ってしまったジュリアスが慌ててそれを打ち消そうとしていると、食後のエスプレッソをやはり一気に飲み干したオスカーがジュリアスに快活に暇乞いを告げた。

「それではジュリアス様、お誘いいただきありがとうございました。今日のところはこれで失礼いたします。そろそろ妻も戻ってくる頃と思いますので。」

「あ、ああ、アンジェリークによろしくな…」

「今日はこてんぱんにやられましたが、来週には勘を取り戻してご覧にいれますよ、ジュリアスさま。では、これにて…」

そう言ってオスカーは馬に跨ると、急いた様子で自分の私邸に帰って行った。

辞していったオスカーがいなくなってから、ジュリアスはオスカーが来週はどうのといっていたことを思い出した。

勘を取り戻すとか言っていたがまたチェスでも差しにくるつもりなのであろうか、まさかな…今日はたまたま出会えたが、アンジェリークがいればオスカーは彼女との時間を優先するだろうしな…ジュリアスは自分のエスプレッソをゆっくりと味わいながら、こんなことを考えていた。

 

オスカーが私邸について厩舎に馬を繋ぎ、玄関ホールで執事にマントや手袋を渡している丁度その時、軽やかに笑いさんざめく声が戸外から微かに聞こえてきた。

春の陽光を音にしたらこんな感じではないかと思わせる、聞いていると心がほんのりと暖まり、それでいて浮き立つような気分にもさせてくれる、そんな声だった。

「お帰りのようでございますね。」

「ああ」

執事が控え目にオスカーに呈した言葉には言外に『ようございましたね』というような含みを感じたが、オスカーは気にならなかった。実際にその通りだったから。

ほんの数時間離れていただけなのに、今オスカーはアンジェリークの顔を早く見たくてたまらなかった。

玄関のドアが開くのと元気のいい声が飛びこんでくるのとまったく同時だった。

「ただいま、オスカーさまぁ!」

「お帰り、お嬢ちゃん」

アンジェリークはオスカーがホールにいるのを見つけると、身体中から喜びを発散させながらオスカーに一散に飛び付いてきた。

オスカーはそんなアンジェリークをしっかりと、だが優しく抱きとめた。

アンジェリークはオスカーに最初は満面の嬉しさを湛えて微笑みかけ、次いで少々懸念を滲ませた顔でオスカーを見あげた。

「オスカーさま、ただいま戻りました!あの…遅くなっちゃいませんでしたか?私」

「遅くはないが…それでも、待ち遠しかったぜ、お嬢ちゃん、どれ、俺にお嬢ちゃんがどれくらいきれいになったかもっと近くでよく見せてくれ」

身長差が大きいのでオスカーはアンジェリークの顔をよくみようとするときは、自分がかがみこむよりアンジェリークを抱き上げてしまったほうが早いし、感触的にもそのほうが楽しいので今も条件反射のようにアンジェリークをひょいと抱き上げた。

途端にわざとらしい咳払いと、

「あんたたちさあ、私の存在かんっぺきに忘れてるでしょう…」

という、『もう、やってらんないわ』といった気分がありありのセリフが聞こえた。

「なんだ、まだいたのか極楽鳥、お嬢ちゃんを送り届けたらもうおまえはウチに用はないだろう?」

オスカーがいかにも、今漸く気付いたという風に振りかえった。

アンジェリークはオスカーの姿を目にした瞬間から真剣にオリヴィエの存在を忘れていたため、図星をさされてかえって焦りに焦りまくった。

「きゃああ、オスカーさま、なに失礼なことおっしゃってるんですか!オリヴィエさま、ごめんなさい!こんなにお世話になったのに私ったら…あの、なにもありませんけど、お茶くらいめしあがってらしてください。今すぐ用意しますから…」

アンジェリークはここで自分がオスカーに抱かさったままだったことに気付き

「オスカーさま、おろしてください〜」

とじたばた暴れだした。

が、オスカーはしれっと

「お嬢ちゃんがいかなくても茶なんて使用人に用意させればいい。」

などと言って当たり前のようにアンジェリークを抱きつづけていた。

「んもう、私がお世話になったんだから、私がお茶を入れたいんです!オスカーさま、降ろしてください!」

「わかった、わかった。でも、あわてすぎて火傷なんかするんじゃないぜ。せっかく肌をきれいに整えてきたんだろう?こいつはどうせ帰れって言ってもかえりゃしないから、ゆっくりお茶の用意をしてても大丈夫だからな。」

オスカーは今度はあっさりとアンジェリークを床に降ろした。もともとちょっとからかうだけのつもりだったし、オリヴィエを本気でこのまま追い返すつもりもなかった。

「はーい、気をつけまーす」

アンジェリークは素直に返事して急いで厨房に駆けこんで行った。

「あんた、わざと私を無視して、しかもアンジェを降ろさなかったね?」

「ふ…いちいちかわいいだろう?俺のお嬢ちゃんは。健気で素直で一途でいつもきらきらしてて…」

「はいはい、わかった、わかった。でも、あんたのその度の過ぎたかわいがりぶりが、アンジェにはちょーっとばかし、へヴィだってあんた気付いてる?彼女のお肌の不調はずばり、睡眠不足からくる疲れが原因なんだからね。疲れが少しづつ積もって肌をくすませて…あのこは優しいからそんなことあんたには絶対言わないだろうけど…」

「んむぅ…そうか…お嬢ちゃんにはかわいそうなことをしちまったな…」

薄々感づいていたので、オスカーは謙虚に反省した。

「そうだよ、あのこ、目の下にうっすら隈まで作ってたんだからね、あのこの体力考えずあんたのペースで引きずり回したらそりゃアンジェのほうに無理がでて当たり前でしょーが。」

「なんか俺も焦ってたというか余裕がなかったというか…お嬢ちゃんに夢中すぎて他のことが目にはいらなかったというか…俺もそのことに関してはちょっとばかり今日は考えさせられたよ、何事も極端に走るのはいかんなと…」

オスカーの臆面もない惚気にオリヴィエは『開いた口が塞がらない』というのはこういうことかと、心の底から実感していた。

「よくもまあ、そんな恥かしいことをしゃあしゃあというよ、この男は!しかし、あんたにそこまで言わせるアンジェってやっぱりたいしたもんだわ。」

オリヴィエが感心しているのか呆れているのか、恐らくその両方なのであろう嘆声をあげると、オスカーがふと思いついたようにオリヴィエにこう問いかけた。

「そうだ、そういえばおまえ、お嬢ちゃんになにかいらぬ入れ知恵をしただろう?」

「なんのことさ?」

「とぼけるな。お嬢ちゃんが今日出かけたいと俺に言ってきたときのおねだりの仕方、あれをお嬢ちゃんが自分から思い付いたとはとても思えん。この俺としたことが、柄にもなく上ずっちまったぜ。」

「きゃははっ!私はただ、あのこが外出することをあんたに遠慮してるみたいだったから、絶対あんたが気に入るようなおねだりの仕方を考えてごらんって言っただけさ。エステにいけば睡眠不足を解消する間に肌もきれいにしてもらえて一石二鳥だし、結果としてそれはあんたを喜ばす事にもなるんだからねって言ったら、必死になって考えてたよ、あのこ。確かにかわいいよね。そういうところがほんとに健気でさ。」

「ぐぐ…いや、確かに俺もお嬢ちゃんがつるつるぴかぴかになればそりゃ嬉しいってもんだが…本当にあれはおまえの入れ知恵じゃないのか?あのおねだりの仕方は健気と言うよりもう、子悪魔的というかくらくらくるというかなんというか…あんなおねだりの仕方されたら俺じゃなくたって断れる男はいないと思うぜ…少なくとも俺はもう絶対にどんなおねだりも聞かされちまうな、うん。」

「と言ってる割にはあんたちっとも困ってないよ。むしろ嬉しくてたまんないって感じでにやけてみえるんだけど、いったいどんな風におねだりされたのさ?」

「それがな…」

とオリヴィエが聞き出そうとし、オスカーが答えようとしたところに、きょろきょろしながらアンジェリークがホールにやってきた。

「あ、まだこんなとこにいらした…オスカー様ったら、まだオリヴィエ様を客間にお通ししてなかったんですか?もう、そっちにいらしてると思って探しちゃいました〜お茶の用意ができましたよ。こちらにどうぞ。」

「ああ、つい立話ししちまってた。今行く」

オスカーの返事を聞いてアンジェリークは茶を入れるためにか、先にぱたぱたと小走りに走って行ってしまった。

「じゃ、一応客として扱ってやるから茶の一杯くらいは飲んでけ、極楽鳥。早く追い返したいのはやまやまだが、お嬢ちゃんに俺が怒られるからな。」

「まったく口の減らない男だねえ、心配しなくてもそんなに長居はしないさ。アンジェが受けたお手入れの成果を早くその目で、いやその手でかな?確かめたいんだろう?」

「よーくわかってるじゃないか。さすが夢の守護聖殿、男の夢に理解があると見える。」

「理解したいわけじゃないんだけど、わかっちゃうんだよね〜これもサクリアの神秘かねえ。」

同期の男二人はくっくっと笑いあいながら奥の部屋に入っていた。

 

アンジェリークは客間でお茶をいれながら、オスカーに今日行って来たエステサロンのことを、興奮気味に嬉しそうに報告した。

最初に古い角質を落して、それから顔をパックされてる間に全身つま先までアロマオイルでマッサージをうけてあまりの気持ちよさについ眠ってしまったこととか、食事もそこで美容にいいものをだしてくれたこととかを、事細かに説明した。

「医食同源とか、薬膳とかいうらしいんですけど、コラーゲンとかビタミンとかたっぷりのお肌にいいものを選んで食事のメニューも考えられているんですよ〜」

オスカーには何がどういいのかよくわからなかったが、アンジェリークがとってもうれしそうなので純粋によかったなと思った。

「そうか、お嬢ちゃん、満足したのならよかったな。また行きたいか?」

「え?また行ってもいいんですか?」

「こういうことは継続しないと意味がないんじゃないのか?オリヴィエ」

「そりゃ、一回きりよりお手入れはコンスタントに続けたほうがいいに決まってるさ。でも、アンジェは特にトラブルがあるわけじゃないから、一ヶ月に一回行く程度で十分だと思うけどね。」

「毎週休みがつぶれるんじゃちょっと寂しいが、一月に一回程度なら、お嬢ちゃんも楽しくて、しかもきれいになって帰ってくるんなら俺に文句のあるはずもないだろう?その時は俺はランディをこってりかわいがってやるか、ジュリアス様とチェスでもしてるから、俺のことは気にしなくていいぜ。」

「ほんとですか!じゃ、私、一生懸命きれいになれるようがんばりますね!」

「今でもお嬢ちゃんは十分きれいだと思うが、お嬢ちゃんのそういう気持ちはいいことだよな。」

俺だって、剣の腕はもうこれで十分だから鍛錬がいらないってもんじゃないし、気を抜くと腕はすぐ鈍るし今ある水準を維持するにも努力は必要だよな〜と思い知った所だったから、アンジェリークの気持ちはわかるような気がした。

自分だってずっと鍛錬を欠かしていたら、そのうちアンジェリークをを愛してる最中に息切れしてしまうなんて情けない恥かしい事態にならないとも限らなかったんだと思うと、尚更だった。

「あったりまえさぁ。このこがどうしてきれいでいたいかって考えれば余計にあんたはその気持ちを尊重してやるのが当たり前、っていうより感謝してしかるべきだね。変なやきもちやくんじゃないよ。世の中には自分の奥さんがきれいになるのを無闇に警戒するような狭量な夫族もいるらしいからね〜」

「俺がそんな器の小さい男だとでも思っているのか?え?」

オスカーがにやりと笑う。

「だからそうじゃない所を実際に証明してみせればいーじゃん!きゃははっ!」

オリヴィエも気軽に応酬する。

オリヴィエはカップに残ったお茶をぐぐぐーっと飲みほすと

「じゃ、私はそろそろお暇するわ。それじゃ、アンジェごちそうさま。また、一緒にお手入れにいって二人できれいになろうね!」

といって立ちあがった。

「え、オリヴィエさま、もう、お帰りですか?もっとごゆっくりなさってらして?」

オリヴィエは大仰に肩を竦めた。

「そうしたいのはやまやまなんだけど、そこの狭量じゃないはずの男から、『早く帰れ』光線がびしばし出まくってるのが感じられるんでね〜な・ぜ・か?」

「くぉら!極楽鳥!余計なこと言うんじゃない!」

「はいはい、お邪魔虫はとっとと退散しますよーん。」

オリヴィエがさっさと帰り支度を始めたので、アンジェリークも慌てて見送りに立った。

「あ、オリヴィエさま、今日はほんとにありがとうございました。」

アンジェリークはオリヴィエを玄関まで送っていった。

オリヴィエは帰り間際アンジェリークの顎をくいと持ち上げて、しげしげと、しかし優しげにその顔を覗き込んだ。

「ああ、ほんとにいい状態になったね。それにこれからはあいつもあんたにあんまり無理させないと思うよ。それじゃ、顔以外もどれだけきれいになったか、これからゆっくりあいつにみせておやり?」

「………お、お、オリヴィエさま、なにおっしゃってるんですかあああ!」

またも沈思黙考すること数十秒後、オリヴィエの言葉の意味を理解したアンジェリークは耳まで真っ赤になった。

どうしてこうオリヴィエのセリフにおたおたさせられてしまうのだろうと思いながら。

しかし、やはりオリヴィエはまったく気にするどころかさらにアンジェリークに爆弾発言を落す。

「きゃはは!あいつがもう待ちきれないって顔でうずうずしてるのがもう、まるわかり!これ以上ここにいたらせっかく感謝されてたのに逆に恨まれちゃいそうだから、私は帰るよ。それじゃお2人さん、ごゆっくり〜」

「ああ、おまえの気遣いに心から感謝するぜ、極楽鳥」

オスカーもにやにやしながら答える。

「オスカー様も、なにあっさり肯定なさってるんですかああ!」

アンジェリークが照れまくって真っ赤になっているところは掛け値なしににかわいいなとオリヴィエは思った。

「ふふ、あんたってほんとにかわいいよ、アンジェ。あいつの気持ちもちょっとばかりわかっちゃうね。それじゃまたね〜」

オリヴィエはアンジェリークの頭をぽんぽんと軽くはたいた。

さっき聞きそびれたアンジェのおねだりの話の続きは今度また酒の席ででもゆっくりきかせてもらおうと心にきめ、ここは引き際よくオリヴィエは帰っていった。

鮮やかな薫風が通り過ぎていったかのようだった。

 

オスカーは、オリヴィエの姿が見えなくなった途端、アンジェリークにむきなおり、ここぞとばかりに力説を始めた。

「さ、せっかくのあいつの厚意を無駄にするって手はないよな、お嬢ちゃん?」

そう言ってアンジェリークに返答する隙を与えずさっさと抱き上げると、階段を一段飛ばしにかけあがって寝室に一直線に向かった。

アンジェリークとの甘い睦言は、それだけにのめりこみ過ぎさえしなければなにも悪影響は及ぼさないと今やわかっている。

それなら自分がアンジェリークのお手入れの成果を身体の隅々までこの目と手で確かめる事に最早なんの遠慮があろうか。

そう思って歩むオスカーの足取りは踊るように軽快である。

アンジェリークは、オスカーの歩む速度が速いので勢いオスカーにしっかりしがみ付いてしまう。

「お、オスカーさま、さっきのあれ、じょ、冗談じゃなかったんですか?」

揺れが激しいので舌をかみそうになりながら、半信半疑でオスカーに訊ねたが

「俺はいつだって真面目で真剣だぜ、お嬢ちゃん。なんたって愛と正義と真実の男だからな?」

と、オスカーにばっちりウインクされてしまった。

アンジェリークはオスカーの腕の中であっけにとられていた。オスカーの意図はあまりに明らかだった。

オリヴィエ様はさっきオスカー様はもう『あんたにあんまり無理させないと思う』って言ってたのに、それは一体なんだったのお!

とアンジェリークが考える暇もあらばこそ、オスカーは寝室のドアを勢いよくあけベッドに直行したが、アンジェリークをいきなりベッドに押し倒しはしなかった。

自分がまずベッドに腰掛けると、アンジェリークをその前にたたせ、

「さ、約束だ、お嬢ちゃん、俺にお嬢ちゃんがどれくらいきれいになったかみせてくれ」

とアンジェリークに言った。

アンジェリークは一瞬オスカーの望むことがわからなくて、立ちすくんだ。

「え?あの?オスカーさま…?」

「全身つるつるのぴかぴかになったんだろう?さ、それを俺にみせてくれ、お嬢ちゃん…」

「あの、あの、それって…私が、その自分から…ってことですか?」

もしかしてオスカーは自分で着衣を脱げと言っているのかと、漸くアンジェリークは気付いたが、信じられない気持ちが強く確認せずにはいられなかった。

だって、今まではオスカー様がいつもご自分で…優しくキスされたり、抱きしめられてぽぅっとしてる間にいつのまにか…気付くと私は全裸にされてて…そんなことばかりだったから…自分から服を脱ぐなんて、そんな…

戸惑いを隠せないアンジェリークにオスカーは落ち付いた口調で、しかし、きっぱりと要求した。

「そうだ。お嬢ちゃんに自分から見せてもらいたいんだ。私はこんなにきれいになりましたってな。さあ…」

オスカーはアンジェリークの瞳をじっと見据えた。

瞳に宿る光は優しく、その色は澄んでいたが、アンジェリークはその視線に自分が絡め取られたような気がして動けなくなった。

静かに佇んだままのアンジェリークの手を取って、オスカーはその掌に口付けた。

オスカーが掌に口付ける時、それは必ず懇願を意味し、アンジェリークは今だかつてオスカーにこのように請われたことを断れた試しがなかった。

アンジェリークは視線はオスカーに注いだまま、操られたように手を後ろにやりワンピースのファスナーをゆっくりと降ろし始めた。

ちぃっという微かな金属音だけが部屋に響き、続いて布のおちる乾いた柔らかな音がした。

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