女王陛下への謁見後、俺が、王立研究院に、新たな炎のサクリアの探索を命じたことは、すぐさま聖殿中に知れわたった。
が、俺の態度を見た者の多くの職員は、最初、それは、何らかの単純な調査だと思い、新守護聖の探査に結びつかなかったらしい。俺が、いつもと変わらぬ様子で、小粋かつスマートに、執務をこなしていたからだろうし、それは退任の決まった守護聖としては珍しい振る舞いだからだろう。
しかし、研究院の機器上で、様々な星系に炎のサクリアの萌芽を探す調査が進んでいき、刻々とそのデータが吐き出されるにしたがって、俺のサクリアの衰えはどうやら真実らしい、新・炎の守護聖を真剣に探しているらしい、ということが、否応なくわかっていく。それと同時に、面映いことだが、そして、俺は、そんなことは微塵も望んでいなかったにも拘らず、俺のサクリアの衰え=退任の兆しは、女王交代に負けず劣らずの一大センセーションを聖地に巻き起こしてしまった。
それもこれも、俺が守護聖としては稀有のことであるが妻帯者であり、しかも、俺の妻は、聖地のアイドル、みんなの天使と誰からも愛され慕われている補佐官アンジェリークだからである。
そう、問題は俺の去就ではない。俺の退任に伴い、補佐官も一緒に聖地を去るのか、それとも聖地に残留するのかという問題が、職員の間ですぐさま沸騰炎上した。時をおかず、補佐官の執務室には、直参組と回線での問い合わせ組とに分かれたものの、お嬢ちゃんの去就の問いあわせが殺到し、通常業務がままならないありさまとなった。お嬢ちゃんは周囲の反応の激烈さに目を白黒させつつ、事を公にしないと、仕事ができないようだと悟り、公式に自身も炎の守護聖と共に退任する旨を周囲に告知した。
補佐官も俺と時を同じくして退任という速報は瞬く間に聖地中を席巻した。まさに、聖地に激震走る、である。
当のお譲ちゃんは周囲の大騒ぎをよそに「やっぱり、守護聖様の退任ってニュースは、どうしても、大事になってしまうんですねぇ」と、自分が台風の眼である自覚もなく、のほほんと構えていたが。(「そして、それはちょっと違うと思うぞ、お嬢ちゃん」と俺が突っ込みをいれるのも、いつもことだったが)
俺のお嬢ちゃんの可憐で愛くるしいことは筆舌に尽くしがたい、しかも、一途で一生懸命で聡明な仕事ぶりで、現場の士気を、モチベーションを、これでもかと上げてきてくれた。そんな聖地の花ともいうべき存在が、消えてしまうとなれば、それは大事になるのは当然のことだった。
なにせ、これまで、協調性に関しては些かどころでなく難ありな守護聖の面々を、取りまとめ、やる気を出させ、執務に向かわせていたのは、ひとえにお嬢ちゃんの力だったのだから。そのお嬢ちゃんが聖地から去るということは、守護聖たちの機嫌をとり、やる気を出させるという難事が、職員の肩に過重に降りかかってくるということなのだから、職員一同が諦念と共に酷く嘆くのは、無理もない。今、彼らは、今後の聖殿の雰囲気とか執務の捗り具合とかを考える程に、目の前に暗雲が立ち込める気分であろう。
そういう事情を抜きにしても、基本、守護聖(女王も補佐官もそうだが)は時の虜囚であるから、職を辞することは、重い意味をもつ。
時の流れから置き去りにされることは、時々刻々と変化し続ける世界から、その価値観の流れから隔離され、囲い込まれ、守られてきたことと同義でもある。守護聖在任が長ければ長いだけ、自身が生まれた時代との変化、価値観のズレを自身に再教育するのは並大抵の苦労ではなかろう。何より、守護聖としての経験や知識が、地上に降りた時、何の役にも立たない恐れは十分にある。それまでは、下にも置かぬ扱いを受けていた守護聖といえど、サクリアを失してしまえばただの人、しかも、現世のことを何も知らない、もしかしたら現世に適応できない、半端モノになる恐れも多分にある。
だからこそ、守護聖の交代は、それが、誰であれ、心を波立たせずにはいない。周囲が動揺し騒ぐのは、ある程度は、仕方ないことだろう。
しかし、同時に、だからこそ、その心の波立ちを表に出すべきではない、そう、俺は思ってきた。
が、当たり前だが、そんな俺の信念は、一般の聖地職員には、なんの関係もないことであり、彼らには、守護聖の交代を静かに見守るべし、などという決まりもないのである。もちろん、彼らは一流の職業人であるから、仕事中に声高に騒いだりはしない、が、彼らにも休憩時間もあれば、退社後の時間もある、そういう時間に、彼らが仲間内でどれほどかまびすしく騒ぎ立てようと、逆に、意気消沈しようと、俺には、彼らの行為を縛る権限はないのであった。
だが、それでも、職員には、ある程度の節度というものがあった。彼らには、守護聖や補佐官を上位職種として立ててくれる気持ちがあるからだ。しかし、同じ守護聖の、わけても同期のヤツときたら、そういう遠慮会釈とは無縁ときている。
なにせ、俺と同時代に守護聖を勤めた連中の心のつながりといったら、歴代の守護聖中でも、めったにない濃密さなのだ。
俺自身、ある時代までは『守護聖の交代は、静かに冷静に見送るべし』という信念を、ほぼ忠実に守ってこれた。風の、鋼の、緑の守護聖の交代を、この目にしてきたが、いつかは自身も辿る道と考え、別れを大仰に惜しんだりはしなかったし、新たに守護聖となって聖地にやってきた若者たちには、希望を、そして何物にも替えがたき義務を担うことの、責任は重くても、それに見合うやりがい、充実を説いてきた、そのつもりだーだからこそ、本来なら、その目的意識を失った時の反動が恐ろしいのだがー。それは、同僚はあくまで同僚というー守護聖との交流は、あくまで仕事上での対人関係と、ある程度割り切った、割り切ろうという、気持ちの上での努力あってのことだったと思う。
が、俺は、1度の女王試験を経て、女王候補の1人を己が妻にしたことで、他の守護聖との間に心理的な距離を置くことが、かなり難しくなった。喩えるなら、女王試験前はkm単位だった守護聖間の心の距離が、今はm単位に感じるようになったとでもいえばいいのか。互いに、良くも悪くも近しい、無視しにくい存在だ。
それは、その当時、この女王試験を経た守護聖たちの幾人かは、俺の恋のライバルとなり、それは、俺と彼女が結婚した後も、相当の年月続いたせいだろう。当たり前だが、結婚は絶対の枷ではない。その気になれば、解消し、他の誰かと結びなおすことのできる一種の契約である。俺のライバルたちは、そこのところをよーくわかっていて、虎視眈々と俺と彼女の仲に割り込まんと、機会をうかがっていたものだ。
そんな丁々発止の幾星霜の歳月を過ごすうちに、俺とお嬢ちゃんは、たまたま幸運にも、かわいい娘に恵まれた。すると、彼らは一人残らず、進んで娘の教育係を買ってでてくれた。彼らは、皆、いいお兄さん、もしくは、おじさんとして、俺たちの娘と、良き斜めの関係を築いてくれた。こうなると、互いに踏み込んでくる間合いも近づくし、プライベートでの付き合いも、否応なしに深くなる。勢い、守護聖同士の関係は仕事の同僚という枠を超え、いわゆる、ご近所付き合いに近いものになったような気がする。そのうえ、俺たちの娘が長じて年頃になったら、その内の幾人かが、此度は、俺の娘への求婚者となり、結局、そのうちの一人が俺の娘を勝ち得、俺の娘婿…つまり、俺からみると義理の息子となってしまった。地縁・血縁と切り離された筈の守護聖が、この聖地で、地縁・血縁を新たに作り上げてしまったに等しい。この是非は…当事者ど真ん中の俺には、おこがましすぎて、自ら論じることはできない。
とにかく、仕事上の関係だけならいざ知らず、こんなにも情緒的に濃密な関係を築き上げた仲間達の退任となれば、その時、胸に沸き起こる感情は、とてもではないが、曰く一言では言い表しがたいものが去来することになろうと、思っていた。俺だって、これほど、情緒的に結びついた仲間が、聖地を去るとなれば、心にたつ波は、それはもう、すさまじいものになろうと、覚悟していた。が、まさか、その俺自身が、誰よりも早く退任する立場になろうとは思ってもいなかった。
俺自身、こんな感じなのだから、俺と、ましてやお嬢ちゃんがこの聖地をさるとなれば、他の守護聖の胸中はいかばかりであろう。ジュリアス様のように物分りのいい、公私の切り替えのできる方ばかりなら、心配ないのだが、そう、上手くはいかないだろう。
そう考えていた俺は、一部の同僚から、お嬢ちゃんを聖地に残せという提言を受けるやもしれないことも、すでに考慮済みだった。
お嬢ちゃんが退任するとなれば、あがってくる反対意見は、おおよそ見当がつく。
曰く、炎の守護聖もひとたび職を辞し外界に降りればただの人、何の権力も能力もなく、あの可愛い補佐官殿を外界の荒波から守り抜けるのか怪しいから、聖地に留め置いた方が安全だろう、とか、補佐官だって女王の任期満了まで勤めあげたいだろうに、夫の都合で、職歴を放棄させるのは、夫の横暴かつ身勝手だ、云々というあたりが代表的なところだろう。無論、その目的は、補佐官は聖地に残った方がいいのではないかと、結論つけさせることだ。
尤も、俺はお嬢ちゃんの気持ちが揺らいだり、翻したり、ということは、全く心配していなかった。お嬢ちゃんは、何よりも俺を選んでくれたという事実は厳然と揺るぎないし、俺は、お嬢ちゃんを心から信頼しているからだ。
そして、情に訴えるのが無駄となれば、敵は理詰めに路線変更してくるかもしれない。
最も用心すべきは、外堀が埋められて、自身の意図にかかわらず身動きのとれなくなることー中でも一番の問題点は、補佐官がいなくなることで、聖殿の業務や執務に支障をきたしたら…それを大義名分に陛下に諫言されることだった。
お嬢ちゃんの気持自体はゆらがない、覆る心配は無い、しかし、陛下が補佐官残留が女王勅命として出てしまったら…それが、俺には一番恐ろしいことだった。一守護聖である俺が陛下の勅命を覆せる筈もなく、つまるところ、補佐官職も宮仕えである以上、陛下の命に逆らうことはできない。なにせ、陛下は、お嬢ちゃんをこよなくかわいがり、友人として大切にしている。無論、陛下は、俺と同じくらい、お嬢ちゃんの幸福を考えてくれているが、何かのきっかけで、彼女を手放したくない、ずっと手元においておきたいという自身の気持ちの方に天秤が傾かないとは限らないと、俺が危ぶんでいなかったといえば、うそになる。
もっとも、それは、俺が、あのアイデアを思いつき、それを陛下に奏上し、了承していただくまでのことだ。
なので、この点に関しても、今の俺は、あまり警戒はしていなかった。
陛下は、恐らく9割9分9厘、このような正論を装った感情論的な諌言には乗らないでくれるだろうと、思えるからだ。
そのためにこそ、俺は、陛下に、あの提言をしたのだ。そして、陛下は、俺の提言を採択してくださり、試みる価値は大いにあると乗り気になってくださっている以上、今の俺には、何ら不安要素はなかった、海のものとも山のものとも言い切れない段階で陛下に提言したのは、ありていにいって、陛下をこちら側に取り込む、そのためだったのだから。
そして、最も警戒すべき存在も…俺の提言を耳にすれば、お嬢ちゃんの退職に難色を示すことはないだろうと、俺は見込んでいたのだが、事実、そうなっていた。
この頃、闇の守護聖は、たびたび、俺たちの娘を伴って聖殿に出仕してくれており、そのおかげで、俺達は、執務の合間を縫って、しばしば娘と顔をあわせ話を交わすことができるようになっていた。女王陛下を交えて、お茶を喫することも多々あった。補佐官たるお嬢ちゃんの執務には「陛下とのお茶の時間」という項目が正式に設けられていたしー無論、現陛下の御世に新たに制定された執務だー陛下と補佐官がお茶の席で歓談するのは、俺の退任の日までの限られた回数しかないことは、既に周知されていたし、陛下と補佐官の仲睦まじきことも有名だったので、陛下が可能な限り時間を作っては補佐官を呼びつけ、歓談の場をいつもより多く設けていることも、その歓談の場に、娘夫婦である闇の守護聖夫妻が、ほぼ毎回同席していることも、不思議に思う人間は、聖殿にはいなかった。
そんな日々を重ねるうちにも、やはりというか、俺が懸念したとおり、何処からかは定かではないが、補佐官が、炎の守護聖と一緒に退任せず、聖地に残留したほうがいいのではないかと、いう提言は何度となく、それこそ波状攻撃で陛下あてになされていたようだった。
しかし、陛下のお気持ちも揺らぎなく、陛下は、補佐官の去就は補佐官自身の意思で決めるものであり、女王としては、何ら、要望・懇願・脅し・泣き落とし等…彼女の意思に偏向を与える恐れのある働きかけは、どんなものであろうとしない、と、守護聖一同が集う場で明言してくださった。
陛下の『俺たちの意思・意向を何より尊重する』という明言、これは、効果が抜群だった。
そして、陛下が、俺とお嬢ちゃんの側にたってくれたことも大きかったが、ジュリアス様と共に、娘婿である闇の守護聖・クラヴィス様も、俺が妻を伴って退任することに、何ら横槍を入れる動きを見せなかったこと、つまり光・闇の両守護聖が揃って、俺のお嬢ちゃんを伴っての退任に異議を唱えなかったことで、愚痴やら怨嗟の声やら、表立ってあげられることはなくなって沈殿しー誰とは言わないが、誰かさんは大いにあての外れたことだろうー俺とお嬢ちゃんは、それぞれに、退任への準備に心置きなく専念できるようになった。
というわけで、今の俺にとって、最重要用件は、間違いなく執務の引継ぎと後任の育成となった。
お嬢ちゃんの退任を嘆きながらも、仕事の効率は決して落とさない優秀なスタッフのおかげで、程なく、炎のサクリアの萌芽が見出され、精査の後、職員が聖地よりの使者としてその地に赴いた。新・炎の守護聖への説得は、時間をかけて丁寧に行われー俺のサクリアの漸減が緩やかだったため、新・守護聖を納得させるための時間は、余裕をもってとることができたことも功を奏したー尤も、見つかった候補者は、既に少年期を脱しつつあるー俺が選定された時と似通った年頃の若者であったため、聖地のプロモーション映像は使用する機会がなかったがーまあ、この蔵出し映像は見せないですんで、俺としてはラッキーというべきであろう。そう遠くない将来、聖地から去りゆく補佐官に、新たに恋する若者を作ったらかわいそうだし、罪作りだしな。
そして、俺は新たに召還された火の若者の教育および指導に忙殺されることとなる。教えることは山ほどあり、自分が無意識に、自然に行ってきたことを、論理的に系統立てて効率よく教育することの難しさを日々かみ締めつつ「教える」ということは「自らもう1度学びなおす」「目にしていても見えていなかったことに気づかされる」ことであると痛感もする。自分が培い、育んできた技能や知識を伝承するのは、難しくはあるが、やりがいと手ごたえのある、面白い仕事でもあった。
おかげで、俺は、お嬢ちゃんと陛下の催すお茶の席に出られる回数は、2、3回に1回くらいの割り合いになった。
一方、同じように忙しいお嬢ちゃんではあるが、彼女は「陛下とのお茶の時間」が公務の一環なので、茶席で俺よりは頻繁に娘と顔を合わせることができた。というのも、俺達は聖殿での執務が終わった後は、私邸の私物類を少しづつ整理せねばならずー俺たちが退任するときは炎の守護聖の私邸を空にして、新・守護聖に引き継がねばならないからだ、俺の時もそうしてもらってあったー執務終了後に私的に娘夫妻と会う時間を設けるのは、厳しかったので、聖殿で、公務の時間中に娘と会う機会を作ってくれた陛下とクラヴィス様の配慮は、大変、ありがたかった。
公的には補佐官の仕事の引継ぎもありー本来なら、補佐官位が空位になることをかんがみて、仕事の引継ぎは各所に分散させねばならないのだが、俺とお嬢ちゃんは、この時点で、お嬢ちゃんの地位を部分的にせよ、引き継ぐ人物を見出し、白羽の矢をたてていたのでーそちら方面でやるべきことも山積していた。
この間、闇の守護聖のみならず、首座であるジュリアス様も足しげく、女王と補佐官の元を訪れてはいたが、その目的を知るものは、この時点では、当事者である俺たちと、それこそ、筆頭両守護聖、そして、渦中の人物だけだったろう。俺達はひとつの目的をもち、一丸となって、色々と試みていることがあった。俺も、その場に参加したいのは山々だったが、俺には、新・守護聖の教育という急務の、かつ代替の利かない仕事があったので、お嬢ちゃんから報告を受けては、一喜一憂する、という日々が続いた。
そして、様々な治験やら、試みやら、その結果待ちやらの期間が過ぎたのち、いよいよ、俺の退任の日も近づいてきたーつまり、新・炎の守護聖への教育および引継ぎのめどが立ったころあいに、補佐官の退位に伴い、陛下から守護聖一同並びに聖殿の職員に向けて、ある発表が公式になされた。
それは、俺たちの娘であり、闇の守護聖の妻であるディアンヌ・フローラを、暫定的かつ限定的に…彼女1代に限り、なおかつ職務上の権限も既存の補佐官より大きく制限されるという条件付きで、補佐官代理にー役職としては女王付の秘書という方が近いがー登用する、というものだった。
俺達がーメインはお嬢ちゃんと陛下だがー俺たちの娘に女王のサクリアの素質・素養・受容体はあるのか、潜在的な素質は十二分以上だったが、女王試験を経ていない娘に、現女王のサクリアの受け入れは可能か、また、サクリアの防老化効果はきちんと発現しそうか、様々な角度から試み、ためし、その過程と効果の程を光・闇の両守護聖が見守り、一定の効果があるようだ、と認められて上での、この発表だった。
俺とお嬢ちゃんは、このとき、親としての肩の荷を、かなりの部分、おろすことができた。これで俺達は、真の意味で、後顧の憂いなく聖地を去ることができる、その可能性が格段に高くなったからだった。
少し、昔話をしよう。
俺たちにとって、娘の誕生は、予期せぬ大きな喜びではあったものの、同時に、その生育過程には、常に不安が、将来への懸念がついてまわっていたのも事実だった。
その最たるは、生きる時間軸の問題だった。生まれた娘は、あくまで普通の子供でも、両親たる俺達は時間の流れから取り残されている身だ、娘が女王か補佐官にならねば、娘の生は、いつか、俺たちの人生に追いつき、追い越し…最後は俺たちが取り残される恐れは大いにあった。
そして、娘が少女になるまでに、結局、女王試験は起きず、娘はただ人として人生を終えることがほぼ確定し、同時期にクラヴィス様の許に嫁いだ時点でー俺の時代の俺の故郷の基準からいっても、かなりの早婚だったが、俺が妻を娶ったのも彼女が同じ18歳の時なのだから、その点に関しては、問題も不満もなかった…といえば嘘になるが、問題は、そんなことじゃなく、俺とお嬢ちゃんは相当に悲壮な覚悟をすることになった。
守護聖と補佐官の血を受け継ぎ、サクリアの保持者たる素質なら人10倍はあろうかと思えた愛娘ではあったが、現女王のサクリアの安定は揺ぎ無く女王試験が起きなかったゆえに、愛娘は1年は1年として年を取るただ人のまま、生涯を終える可能性が限りなく高くなった。これが息子であったなら、何某かの守護聖になる可能性は大であったろうーもしかしたら、俺の跡を継ぐように炎の守護聖になっていたかもしれんが…とにかく、俺たちの娘は、聖地に生まれ、聖地に住まえど、守護聖と同じだけの年月を生きることは、どうあってもできないだろうこと、それは確実だった。サクリアの素質はバツグンである以上、普通の人間より、年を取る速度は幾分遅いかもしれないし、聖地に住まっていれば、陛下の満たすサクリアの影響をいくらかは受けることもあるかもしれない、が、それでも、せいぜい数十年、寿命が伸びるのがいいところだろう、となれば、あと、百数十年後には、ほぼ確実に俺たちは娘を、娘婿であるクラヴィス様は、恋女房を見送るという、切なく寂しい状況になることを、誰に言わずとも、俺は…俺たち夫婦は密に覚悟していた。
つまり、俺たちは、元々、そう長い時間を娘と一緒に過ごせないことはわかっていたし、その上、生き物なら普通の生死の順番も辿れない、つまり、親である俺たちの方が娘を見送ることになるのは、ほぼ確実だろうと思っていた。
そして、娘を見送る覚悟をしていた俺たちは、当初ー娘とクラヴィス様の仲を知る前はー娘が高校、遅くとも大学に行く年齢になったら下界に送り、そのまま下界で生涯を送らせようと考えていたのだが…実際には、娘は早くも13歳で下界に降り、1年経って帰ってきたと思ったら、あっというまに闇の守護聖の許に嫁いでしまったので、巣立つまでの年数は予想以上に短くなったし、俺たちが想像した形とは見送り方が変わったのだが。
無論、娘を育てたあの十数年は宝石のように輝かしい、眩しい時間だった。俺たちは、娘を設けたことは、まったく後悔はしていないし、心からの限りない愛情をもって、娘を育てたことは断言できる。
でも、親が子を見送るような経験を敢えて重ねることはない、と俺たちは考えた。と、いうより、俺たちは、そんな経験を複数回経られる程、鈍くも強くもなれなかった。だから、娘は一人っ子として育ち、俺たちは、聖地にいる間は、もう、子育てをすることのないよう、意識して努めたのだが…今は、まあ、それはいい。
だから、いつか来るであろう、娘との永久の別れの時ーしかも、俺たちが見送る形での、だーのことを思うと、俺は今から心配でたまらん、娘を守護聖と結婚させたのは、早計だったのではないか、あのまま下界で大学に行かせ、普通の職に就かせ、縁があれば普通の男と結婚し、普通の人生を送らせた方が、同じ見送る切なさであっても、まだ、辛くなかったかもしれん…と少々、愚痴めいたことをお嬢ちゃんに言ったことがあったのだが…お嬢ちゃんは…母であり妻であるお嬢ちゃんは、そして自身もまた本気の恋を成就させた(と断言してくれた)彼女は強かった。
彼女はきっぱりとこう言ったのだ。
「オスカー様、オスカー様が守護聖、私が補佐官である以上、あの子と、いつか永久の別れがくること、それも、私たちがあの子を見送る形で…というのは、元々、覚悟しなくてはならないことでした。でも、人生が限られたものであるからこそ、私は、あの子に愛に満ちた、満たされた人生を送ってほしい。愛する人とどうしようもない寿命の差があったとして、自分が先に死んでしまうとわかっていたら…それは辛くてたまらないから、恋を諦める、それも一つの選択ですし、そういう理由で恋心を諦められるのなら…それは、むしろ、幸せなことかもしれないわ。でも、本気の恋なら…恋心って自分勝手なものでもあるから、限り在る人生だからこそ、愛する人と添い遂げる人生を送りたい、悔いのないように、と考えることもできるんです、いえ、女なら…少なくとも、私なら、私も、ディーと同じ選択をします。もし、私がサクリアの加護を得られず、100年足らずで死んでしまう命なら…逆に、その100年は、愛する人と…オスカー様と一緒に生きていたい。もちろん、それをオスカー様が許してくだされば…ですけど。早晩来る別れが辛いから…大切な人が自分より早く老いて衰えていく姿を見るのが辛いから、それはできない…といわれたら、諦めなくちゃならないけど…でも、愛する人が許してくれるのなら、私は、限り在る時間、愛する人の傍にいる人生を選びたい。それは残される方に、辛い想いをさせることになるだろうとわかりますし、申し訳ないとも思いますが…それでも、私だったら…私はわがままだから、限りある人生だからこそ、その歳月はオスカー様と一緒に生きていきたい、それを許してほしいと、きっと願ってしまう。そして、ディーは、聖地生まれの聖地育ち、守護聖の持つ運命を、背負っている宿命を誰よりも肌身で知ってます、それでも、あの子は、クラヴィス様を愛し、聖地で一緒に生きていきたいと望んだの、そういう人生を選んだの。地上で教育を受けて、聖地に帰らない、普通の…同じ時を生きる男性と添い遂げる道は無数にあったのに、それでも、聖地に帰ってきて、クラヴィス様に愛を告白したの。それは、全ての結果を覚悟してのことだと思うわ。そして、クラヴィス様はあの子のその覚悟を受け入れてくださった。それは、いつか必ず来る、避けられない別れも含めてのことだと、私は思います。そしてディーとクラヴィス様が、自ら、選んだ未来なら、私たちは、とやかく言うべきではないと思うんです。だって、多分、そうなった時、一番、辛いのはクラヴィス様だから…残す方より、残される方が、辛いと私は思うから…なのに、クラヴィス様は、それでも、ディーのわがままを、受け入れてくださったんですもの、全て承知の上で…二人で過ごす時間は限られたものと覚悟の上で、ディーの愛を受け入れ、娶ってくださったんですもの、母として、同じ女として、感謝の言葉もありません…」
「君は…強いな…」
「強いんじゃないわ、オスカー様、我侭なの。恋する女は、とってもわがままだし、自分勝手でもあるの。好きな人とは、できる限り一緒にいたい、傍にいたいの。愛してるって伝えて、キスして、抱きしめたいし、抱きしめられたいの。でも、それは、好きな人の幸せを妨げない…という前提でですけど。だから、ディーは、クラヴィスさまと私たち両親を置いて…先に旅たつ日が来ても、多分、あの子に悔いはないはず、むしろ、誰にも負けない…私たちと同じくらい幸せな一生だったと思って逝くはずですよ」
自分で語るうちにその日のことを想像してしまったのだろう、俺の妻は、ぽろぽろと涙を流しながら、それでも気丈に微笑んだのだった。
「オスカー様、その時は…ディーを笑って見送りましょう、そして、両親としてクラヴィス様に心からの無限の感謝を捧げて…」
その時、俺は痛感したものだ、いや、事あるごとに思うのだが、まったく、お嬢ちゃんにはかなわない、と。
ところが、俺のサクリアが先に衰えを見せたことで、結果、俺たちの危惧は危惧のままで終った。
俺とお嬢ちゃんは、サクリアを失い、もしくは返上することで、ただ人として、残り数十年の天寿をまっとうすることになろう、ということは、本来の順番どおり、俺たちは先に逝きーつまり、娘を見送らずに済むということで。
俺にとってもお嬢ちゃんにとっても、これは、予期せぬ救い、もしくは解放といえた。
だが、この場合、救われるのは、親である俺たちだけだ。
クラヴィス様に、この数年のうちに退任の兆しが生じれば、それでいい、が、このままクラヴィス様のサクリアが俺たちの予想以上に長持ちするのであれば、クラヴィス様は、いつか必ず、彼の妻にして俺たちの愛娘ディーを、人生の半ばまで行かぬうちに、見送ることになるだろう。
しかし、俺の退任に伴い、お嬢ちゃんも聖地を去ることで補佐官位が空く。そして、補佐官職は、元来、女王の意思により、置かれたり、置かれなかったりする恣意的な職種だ。女王候補は等しくサクリアの萌芽を持つが、新女王が誕生した時点で、もう1人の女王候補は自らサクリアを発現する能力を、一度、新女王に仮託・返上する。補佐官に任命されない場合や、就任要請を辞して下界に帰る場合を鑑みてのことだ。補佐官となった場合でも、補佐官は大きなサクリアを自ら生み出す必要はない。補佐官に必要なのは女王のサクリアを受容し同調する能力だ。補佐官は女王と同期してサクリアを受け入れることで女王と同じ時間軸を生き、同時期に退任もすることになるのだから。つまり女王のサクリアを受容する器と活用する能力があることが補佐官の必須条件だ。そして、わが娘は、サクリアの資質なら、恐らく十二分に恵まれているだろう。それらの要素を踏まえ、俺はひとつの仮説を立てたのだった。つまり、女王陛下が娘を補佐官代替にと望み、娘もまた陛下にお仕えすることを望んだ上で、陛下がサクリアをわけ与えれば、娘は補佐官代行を果たせる可能性があるのではないかと。そして、女王からのサクリアを受けられ、また、活用できる器があるなら、娘の時の流れは守護聖と変わらなくなる。無論、現女王陛下が在任中に限られるが、クラヴィス様が退位なさる日まで、それだけでも相当の年数が稼げるー彼らが一緒にいられる時間は飛躍的に長くなるはずだし、その間に、クラヴィス様のサクリアが衰えを見せれば、娘は補佐官代替職を辞して、クラヴィス様についていけばいい。されば、娘夫妻は同じ時間軸の中で、互いに見取る、見取られる一生を送れる可能性が格段に高くなる。
俺がこの仮説を披露すると、案の定、クラヴィス様は、そんなことが可能ならば…と、一も二もなく、賛成してくださった。クラヴィス様にとっても、生涯にわたり、娘と添い遂げられるやもしれぬという、それこそ夢のような可能性が開けたのだ。そして、この試みを受け入れてくれたことが、父親である俺には大層嬉しく、クラヴィス様に心から感謝した。クラヴィス様が心の底から、娘を愛し、大切に思ってくれていることは、良く知っていたが(クラヴィス様が、わが娘に「私の子猫」と呼びかけている場面に偶々出くわした時は、俺はクラヴィス様の声音の恐ろしいほどの色香に鳥肌がたち、同時に、父としては、全身がむずがゆくなるような居たたまれなさと居心地の悪さを覚えたものだが。ちなみに、お嬢ちゃんは、クラヴィス様の娘への溺愛ぶりを、うっとり憧れの眼差しで見つめていたものだから、俺としては、ちょっと面白くなかった…ことは、また別の機会に話したことがあったな)如実にわかったからだ。
ただ、当の娘は、この提言を聞いた瞬間は、複雑な顔をした…恐らくそれは、俺たちと永久の別れが程なくやってくることを思いしらされた故、反射的に哀しみと寂しさの感情が沸き起こったからだろう、というのも、クラヴィス様に嫁いだ後も、妻と娘は、それは仲がよく、二人が並んで楽しげに語らいながら聖地を歩いている様は、それこそ、いずれ牡丹か芍薬か、という華やかさ・艶やかさだったのだから。が、それでも、ディーは陛下がそれを私に許してくださるなら、そして、私に陛下のサクリアを賜れるだけの素養があるなら、私は、一生懸命、陛下に…ずっと憧れて慕ってきた陛下に心からお仕えしたいと、静かな声で、だが、はっきりと言った。
この結果を踏まえて、俺は陛下に提言したのだ。差し出がましいこととは思うが、補佐官職の空位に伴い、執務の円滑な執行に支障が生じることは、俺としても遺憾であり、故に、陛下のお心にかなえば、新補佐官に、新補佐官という名称が都合が悪ければ、補佐官代行でも秘書でもいいが、完全に同じとはいかなくとも、お嬢ちゃんと同じように、陛下を慕い、陛下の助力をしたいと考えており、実際、守護聖間の人間関係の潤滑油として適任と思える、代替職推薦したい女性がいることを。
最初、陛下は、俺の言を一蹴した。
「なにバカなことを言ってるの、オスカー。補佐官はただの秘書や事務職ではないのよ、女王試験の候補者でないと…女王のサクリアの保持者たる素質がないと、私にその気がなくとも、数年で使い捨てということになりかねないし、そんな補佐官はいてもいなくても同じ、第一、私がこの子程に、気を許せる子じゃなかったら、いないほうがましだし、ましてや、あの守護聖たち皆に可愛がられるなんて、この子以外にいるとは…」
と言ったところで、陛下は何かに気づいたように、青紫色の瞳を大きく見開き、俺たちを真摯に見据えた。
「っ…て、まさか…あんた…あんたたちが推挙したい女性って…」
「はい、陛下もご想像のその者です、ふつつかながら、わが娘にして、闇の守護聖の配偶者ディアンヌ・フローラを補佐官代行に…ということを考慮してみてはいただけませんでしょうか?」
「そんなことが、出来ると…あなた、真剣に思っているの?オスカー」
「試してみなければなんともいえませんが、可能性は十分かと」
「オスカー、あなた、本当に本気…なのね?で、あの子は…ディーはなんて?それと、そのことを、クラヴィスは知っているの?」
「二人とも、陛下のお心に沿うようなら、是非にと申しております」
陛下が、玉座の上で、脱力したように居住まいを正した。いつもしゃんとなさっている陛下には、大変、珍しいしぐさだった。
「そう…そうね、オスカーとアンジェ、あなた達の娘だもの、私のサクリアがそりゃもう類を見ないほど豊かだから、女王試験は当分ないでしょうけど、私が女王でなければ…私のサクリアが衰えを見せていたら…あの子なら絶対女王候補に選出されていたでしょうからね。女王の素質ありなら、女王のサクリアを受け入れ、顕現できる可能性が…確かにある、試してみる価値は、大有りね!」
「恐れ入ります」
「元々、私もあの子のことは、かわいくてたまらないし、あんたたちが聖地を去った後は、何くれとなく、気にかけるつもりもあったのよ、それなら聖殿勤めにしちゃった方が、確かに目が行き届いていいわ。クラヴィスも喜ぶでしょうし、私も。オスカー、そなたの言やよし!早速、ディーを呼んで、色々、試してみましょう!」
「謹んで…喜んで承ります」
そして、さまざまなトライアルを経た結果、無事、ディーは、お嬢ちゃんに『ママ。ママがパパと一緒に聖地を発つその日まで、私に補佐官の仕事や心構えを色々教えて』といえる立場になったのだった。
補佐官の仕事といえば、女王および守護聖の補助業務と誰もが思うだろうが、秘書的な仕事は、極論すれば、補佐官でなくてもできる。では、現・陛下の御世に限って、一番大事な仕事は何かといえば、守護聖たちの人間関係の潤滑油および緩衝材となって、現場の士気・モチベーションを高めることなのだ。ぎすぎすした現場では仕事の生産性が落ちるのは、いまや、常識である。しかも、各々、非常にとんがった個性の持ち主である守護聖は、協調性に乏しい面子が多い。そんな守護聖をまとめあげ、場を和ませ、結果として、現場の士気を高め、作業効率を上げる、それがお嬢ちゃんの最大の功績であり、誰にもまねできない能力だった。だからこそ、ジュリアス様は、お嬢ちゃん去った後のこの聖地で、人間関係がどれほど荒むか、結果、執務の能率ががた落ちするのではないかということを危惧していたし、聖殿の職員たちは、自分たちが、お嬢ちゃんに取って替わり、守護聖たちのお守りをせねばならないのかという前途多難を思って途方に暮れたのだ。
が、お嬢ちゃんと全く同じではないが、お嬢ちゃんと良く似た気質だが、少しばかり控えめで慎ましやかで、それでいて、人懐こく、守護聖皆に可愛がられてきた俺たちの娘が、補佐官代行として、守護聖間の和を取り持ってくれれば、そして、陛下のよきおしゃべり相手になってくれれば…聖地の平和は、十二分以上に保たれ、執務の効率が悪化する恐れも減じる。聖殿の職員たちも、守護聖のお守りを、娘にまかせられれば、万々歳だろう。娘の寿命も伸び、クラヴィス様は、妻と添い遂げられる可能性が飛躍的に大きくなるし、俺達は安心して聖地をされる、と、ディーがお嬢ちゃんの後釜に据えられるのは、いいこと尽くめなのだった。もっとも、これも、ディーに女王のサクリアの素質が眠っており、陛下のサクリアに呼応できたという、幸運が重なった結果だった。だから、最初、この提言をした際、ジュリアス様は「運任せな面が大きすぎる」とコメントを控えられたのだ。確かに、期待した挙句ダメでしたでは、落胆が倍増するからな。だが、俺はダメ元の気持ちであったし、その時はその時で仕方ないと、ふっきる覚悟もできていた。
が、とにかく、まずは「やってみる」「うごいてみる」だ、さもなきゃ、何もはじまらない、で、トライしたら…何もかも上手くいったのだ。やはり、人生は何事も挑戦だ。何かする前に、諦めてはいかん、とりあえず、やれることはやってみる、その精神が大切なのだ。
娘のサクリアの素質は十分、何より、陛下が心理的に、お嬢ちゃんと同じくらい、娘をかわいがってくれているし、娘は、幼い時より心酔といっていいほど陛下を慕っていた。情緒的な結びつきも十分強固だ。しかも、娘には、これ以上はないほど頼りがいのある伴侶も既にいる、俺もお嬢ちゃんも、退任するにあたり後顧の憂いは無きに等しくなった。
俺の心は、今度こそ、真実、何の憂いもなく、きれいに、静かに澄み渡っていた。
守護聖として白羽の矢のたった自分の宿命に、心底、納得しているとは言い切れぬ中、責任感や義務感、宇宙を守る充実感で自分を鼓舞しつつ守護聖を務めていた昔が嘘のようだった。
至高の名誉職であり、やりがいの大きさはこの上なしの職務とはいえ、望んでなった訳ではなく、いつの間にやら、自分は時の流れに取り残され、係累はなく、同僚以外に知己もおらず、作る手立てもなく、自身の知識は現世では何の役にも立たない時代遅れのものになっていたら?人生のまだ半ばにも達していない時点で、そんな状態で、聖地の庇護を失い、いきなり一般人として、自分は、残された人生をまっとうに生きていけるのだろうか。たとえ、生活の保障をされても、不安に思わない者は、そう多くないだろう。人間は、パンのみにて生きるにあらず。人は、周囲とのつながりや、生きがい、そういう目に見えない、手にとれない大事なもので心が満たされないと、生きていけない生き物だから。体が生きていても、心が空洞だったら、辛くて、しんどくてたまらない、そういう生き物だから。
そして、守護聖は、職を辞する時、その大事なものに、不自由極まりない立場に置かれる可能性がきわめて高い。
だが、俺は、この事実を、現実を前にしても、焦慮や喪失感、それに類する負の感情の類を一切感じずに済んでいた。
俺は、ただ、静かな落ち着いた心持ちで、自身の境遇を受け入れ、また、ただ人としての新たな人生の一歩を微塵の恐れもなく、むしろ、喜びと希望に満ちて踏み出す覚悟ができていた。
そう、俺は、この上なくラッキーな幸福な守護聖だった
俺には、アンジェリークがいてくれるからだ。
最愛の妻、永遠の恋人、かけがえなき伴侶…俺の女神、俺の天使は、いつでも、いつまでも俺の傍らにいてくれると、約束してくれていたからだった。
となれば、後は、新たな人生を、どのように生きていくか、俺は、そろそろ、それを真剣に考え、模索すべき時だと考えた。
草原の惑星に戻ったら、まずは、当座の家探し。いや、家を探す前に、草原の惑星の隅々まで、お嬢ちゃんに見せたい、見てもらいたい、なら、暫らくはホテル暮らしでいい。
故郷の星とはいえ、幸か不幸か、地縁・血縁とは完全に断絶している俺だ、生育地の近くに居を構える必要が特にあるわけではない。10代くらい先祖を辿れば、何がしかの血縁関係のある人物もいるかもしれないが、俺が名乗り出ても困惑するだけだろうし、そんな気もない、旅を続ける途中で、これは、と感じる処があれば、そこで住居を探せば良い、幸い、俺とお嬢ちゃんの預託資産および、退任後の年金で、生活には困らない。
そして、住居を構えたら、俺は仕事を探そう、暮らしに困らないと言っても、特にすることもなく、無為な生活を送るのは、多分、俺の性分では我慢できない。故郷の雇用実態や、どんな求人があるかは、調べてみないとわからないし、職歴をあまり公に出来なかろうから、必要なら、改めて勉強したり、職業訓練を受けたっていい。俺の外見年齢および肉体は、まだ、20代半ばから後半というところだ、充実した人生が、この後、まだまだ続く年齢だ。
同じように、俺は、お嬢ちゃんに、悔いのないよう、思うままの人生を歩んでほしい。仕事でも、勉強でも、家庭に入るのだって、なんだってOKだ。お嬢ちゃんのやりたいことを、俺は、やってほしい。それが、補佐官職を辞して、俺と一緒に来てくれるお嬢ちゃんに対する、せめてもの礼であり感謝の表れだった。
そこで、俺は、お嬢ちゃんに外界に下りたら、何か、したいことはあるか?もし、あれば、俺に遠慮しないで、何でも好きなことをしてくれよ、と、ある日、聞いてみた。
すると、お嬢ちゃんは、すごく恥ずかしそうに
「あの、実は…オスカー様さえよかったら…っていうか、オスカー様にお願いがあるんですけど…私、学校に行きたいんです」
「学校?」
「はい、もう1度、学生になって勉強しなおしたいんです…私、オスカー様の故郷の星のこと、それほど、よく知ってるわけじゃないので、私が聖地に来てから後の歴史とか常識や習慣とか、普通の人の常識くらいはわきまえたいので、教養学科とかで、勉強したいなって思って…」
「そうか。それは、いいことだな、お嬢ちゃん。俺は向上心、向学心に溢れる君にますます、惚れ直しちまうな」
軽口を叩きながら、俺は、少し目を眇めてお嬢ちゃんを見つめた、彼女は学業半ばで聖地に召還、そのまま俺と結ばれ補佐官職に就いたから、在学していた学校の卒業式も出られなかったし、無論、進学もできなかった…。今、改めて勉強したいという彼女のささやかな願いに俺は胸が詰まった。
「でも、お嬢ちゃん、それなら、俺達はとりあえず、主星に居を構えた方がよくないか?君の母校のスモルニィなら、多分、推薦か優先枠で大学に入学できるんじゃないかと思うし…」
「あ、そんな、いいですよ、だって、草原の惑星にも学校はありますし、それに、これから、オスカー様と一緒に草原の惑星の住人になるなら、それこそ、私、オスカー様の故郷の歴史とか地理とか風俗とか…学ばなくちゃいけないことがいっぱいあると思うので、地元の…草原の惑星大学に行く方がいいんじゃないかと思いますし…」
「主星の学校でも、草原惑星のことは学べるとは思うが…君が、そう言ってくれる、その気持ちも、俺にはうれしいものだが…でも、もし、草原惑星での進学が大変そうなら、主星で就学、卒業後にまた引越しを考えてもいいんだし、とにかく、何も遠慮はしないでくれよ?」
みたいなことを俺達は話あっていたんだが…
そんな折、俺は私的にジュリアス様に呼び出しを受けた。
ジュリアス様は、先だって、俺が退任の報告をした時と打って変わって、ほくほく顔だった。
現下、俺たちの娘は、お嬢ちゃんの監督下、聖殿にてOJT中なのだが、守護聖たちからは無論のこと、職員たちからも概ね好意をもって迎えられており(わがままな守護聖たちのお守りをしてくれるのだから、当然だ)俺たちの退任で執務が滞る恐れは、かなり減じている。しかも、娘の就職には、予期せぬ余禄までついてきた。聖殿で一生懸命働いている妻に、良いところを見せようとしているためか、はたまた、夫たる自分がぐうたらでは、妻も肩身が狭かろう、申し訳ないと思ってか、クラヴィス様が人が変わったように、女王府の一般実務に取り組み始めたのだ。もともと、クラヴィス様はやる気とかモチベーションに難があっただけで、潜在的な能力値は飛びぬけて高い方だったから、そんな方がやる気になれば、まさに鬼に金棒、俺が退任しようと、まったく、執務の進捗に問題はなく、世はなべて事もなし、という状況だった。ジュリアス様が、珍しくも傍目にわかる程、ご機嫌なのも無理もない。が、だからこそ、俺は、ジュリアス様の要件が何か、まったく、予測がつかなかった。
「オスカー、プライベートに立ち入るようで、申し訳ないのだが…そなた、退任後の身の振り方は、もう決まっているのか?」
「いえ、特には…故郷に帰り、住まいを決めてから、職探しでもしようかと、漫然と考えているだけです…」
「そうか…まず、これは命令でも強制でもなく、受けるも断るもそなたの気持ち次第だということを、言っておくぞ。実は、主星の王立宇宙軍士官学校に教職の求人があってな、信用できる人物の推挙を求められている。そこで、そなた、士官学校の教官職になど、興味はないか?無論、帰郷の意思が強いようなら、無理にとはいわぬが…私・個人としては、そなたの新・炎の守護聖への教育の過程を見ていて、そなたには、存外、そういう方面の適性があるように思えてな、そこで、1つの選択肢として、少し、考えてみてはくれぬかと…」
と、語るジュリアスさまの言を遮って
「行きます!行かせてください!」
俺は、身を乗り出さんばかりに、2つ返事で承諾した。これには、さすがにジュリアス様も驚きを隠さなかった、当然だが。
「そなた、そんな、よく考えもせずに、応諾してかまわぬのか?」
「はい、故郷に帰って、何かする当てがあったわけでもないので、職を用意していただけるなら、それに越したことはありませんので」
「そうか、では、先方にはそう言っておく」
強制は一切ないといっていたジュリアス様だったが、明らかに、嬉しそう、かつ、安堵した表情が伺えた。
俺は、もしかしたら、ジュリアス様はお嬢ちゃんの進学希望をご存知で、俺たちが主星に落ち着きやすい状況を、それとなく、用意したのではないか、などと、考えた。
が、これが厚意だろうと、偶然の良きめぐり合わせだしても、どっちでもいい。
この時、俺の頭の中は、お嬢ちゃんを主星の大学に行かせてやれる、もしかしたら、いや、たぶん、往時、お嬢ちゃんが卒業できなかったスモルニィの卒業証書を、今度こそ、手にさせてやれる、というわくわくする気持ちでいっぱいだった。
この事を聞いたら、お嬢ちゃんは、どんなに喜ぶだろう、いくら学校にはこだわらないと本人はいっても、学業途上で通えなくなった母校への思慕・愛着は、絶対あるはずだ。
でも、こんな状況でもなければ、お嬢ちゃんは自ら、主星にいって、スモルニィに通いたい、なんていいださない。
なおかつ、一方で、俺は、感傷的でも、お嬢ちゃんが半ばで学生生活を断念した、その学校に通わせ、卒業させてあげたいと、内心ずっと思ってもいたのだ。
そして、俺は即座にー主観的には飛ぶような足取りでー補佐官執務室に赴き、ジュリアス様から主星の士官学校の教官職を拝したことを告げー無論、選択の余地があったことは内緒で、命令された風を装った。お嬢ちゃんに負い目を感じさせないためだーすぐさま、スモルニィに入学手続きをするといい、と付け加えた。
お嬢ちゃんの歓びようは、それは、もう傍で見ていて気持ちいいくらいだったし、俺は熱いお礼のキスで報われた。補佐官見習いとしてお嬢ちゃんの傍らにいた娘が、そんな俺たちの姿をみて、耳まで真っ赤になりながらも、一緒に喜んでくれたのにも、胸が熱くなった。
そして女王養成学校でもあるスモルニィは、元・補佐官であるお嬢ちゃんを本音としては生徒よりは教官として迎えたかったみたいだが、書類審査だけで入学許可を出してくれーこれが、縁もゆかりもない草原惑星の大学だったら、こう、上手くいったかどうか…とにかく、こうして、俺の退任後、俺は主星で士官学校の教官に、お嬢ちゃんは晴れて女子大生になることが決まり、身の振り方が定まったのだった。
だが、このとき、俺は知らなかった、いや、どうも、お嬢ちゃんも知らなかったようなんだが…
スモルニィが女王候補養成機関として、女子専門の教育機関であるのは、子女が女王候補になる可能性の高い高等部までであり、今は、時代の趨勢もあって、大学部は男女共学校であることを。
このとき、俺は、お嬢ちゃんが女子大の女子大生になるものと、信じきっていたのだった。
to be continued?