アンジェリークとジュリアスがパンフレット類をざっと整理し、簡単に明日の準備を行っていると、校舎の方からリュミエールとクラヴィスが本部席の方に向ってくるのが見えた。2人ともかなり憔悴した様子である。クラヴィスは風雅な着物姿のままで着替えもしていなかった。「…つかれた…」
「はい、私もです、クラヴィス先輩…」
2人は本部席に辿りつくや否や、まるで遭難者しかけた登山者が漸く山小屋に辿り付いたとでもいうような雰囲気で、どっかりと椅子に沈みこんだ。
「まあ、クラヴィス先輩にリュミエール先輩、本当にお疲れのご様子ですねぇ。もしかして、催しがかなりお忙しかったんですか?」
ずぶずぶとそのまま椅子に潜っていきそうな2人の様子に、アンジェリークは驚きつつ労りの言葉をかけた。しかし、ジュリアスはあくまで冷静にこう言い放った。
「大方慣れぬ労働奉仕で1年分の気力を使い果しただけであろうよ。同情するには及ばぬぞ、アンジェリーク。普段仕事をしないから、偶に働くと堪えるのだ。」
すると溜息をつきながら、クラヴィスがいかにもだるそうに口を開いた。
「おまえはきちんと交代で休憩を取ったのであろうが…私は開場から今まで、休憩は愚か、飲食物のひとつも口にできなかったのだぞ。ひたすら他人に飲ませて食わせるだけでな…」
「私は、人様の飲食風景を目の当りにしないで済んだだけ幸せかもしれませんが、クラヴィス先輩と状況は似たりよったりです。後から後からスケッチをご希望のお客様がいらして…流石に疲れました…」
「きゃー、それは大変!先輩たち、どうぞ、お休みになってください、って言ってもここには食べ物も飲み物も何もないし…えっと生徒会室に行けば何かおやつと飲み物があるかもしれないから、私、取ってきましょうか?」
「ありがとう、アンジェリーク、でもそれには及びませんよ。一休みしたいのも確かにそうなのですが、明日もこのような様子かもしれないと思うと、かなり滅入ってしまったのですよ、私としたことが…何せ、今日は最後までお待ちいただい方の全てをおもてなしすることも叶わなかったのです。待った挙句に絵を描いてもらえずにお帰りになった方々のことを思うと心が痛みます…ただ、明日もこんな調子かと思うと自分の心の痛み以上に、繊細な私の身体の方がもつかどうか…」
「それほど大変なら、明日は出店せずともよいぞ。もともと即興芸であったしな。そなたも生徒会の仕事に戻ってくればよかろう。受付でも警備でもすることはいくらでもあるからな。」
ジュリアスがにべもなく言うと、リュミエールが慌てて言い募った。
「そ、そういう訳には参りません!一般客にアピールを致しませんと、黙っていてもキングの座はころがりこんではこな…いえ、こちらのことで…」
「私も茶房を中止するのは気が進まぬ…しかし、今日のように食事は愚か、1分の休息も取れぬのはやはり願い下げだな…」
それを聞いてアンジェリークが、こう提案した。
「あの、それなら整理券とか、遊園地のファストパスみたいなものを予めお客様にお渡ししたらどうでしょう?一時間あたり、何人くらい応対できるか、今日1日でもうおわかりになったんじゃないですか?それなら、開場時間中に応対できる人数を逆算して、その人数分だけ整理券を発行して…1人あたり何分くらい時間がかかるのかももうおわかりなら番号によって時刻も明記できません?もちろん、クラヴィス先輩とリュミエール先輩の休憩時間は先に抜いてしまってから、時刻を明記した整理券をお渡しできれば…先輩方もきちんと休憩できますし、お客様も漫然と待たないで済みますし…その間に他の催しを見る時間もできるんじゃないかしら?」
クラヴィスとリュミエールが2人揃って瞠目し、その直後やつれた風情だった顔がぱぁっと明るくなった。
「それはいい考えだ…今日は、ろくに休憩もとれなかったが…」
「…でも予め、休憩を取る時刻を設定して、その時刻を外して整理券を出せば、お客を待たせず我々もきちんと休息できますね、クラヴィス先輩」
「しかも、待った挙句にもてなしを受けられない客もいなくなる…双方にとって良い提案だ…ふ…おまえは賢いな…しかも…優しいのだな…」
「そうですね、私たちだけのことではなく、待っているお客さまのことも考えてさしあげるなんて…」
「そなたたちは、これが優しく賢いことに今まで気付かなかったのか?私は前々から気付いていたがな」
ふふんと得意そうに述べるジュリアスに残りの長髪2人組も負けじと言い募る。
「ああ、もちろんです、アンジェリーク、あなたのように聡明で優しい女性を私は他に知りません…」
「おまえへの賞賛の言葉はいくら語っても語り尽くせるものではないからな。何度でも言いたくなるのだ…」
しかし、アンジェリークは整理券をどうやって作るかで既に頭が一杯でこの1連のやりとりは全く耳に入っていなかった。
「えっと…じゃ、すぐに整理券を作らないと…生徒会室のプリンターで整理券を作れると思うから…明日の朝より、今作っちゃったほうが慌てなくていいわよね…ね、先輩方!今、私、生徒会室で整理券を作ります!作ってきますからここでお休みになってて?あ、一時間あたり何人くらい対応ができるかを教えてくださいます?」
「な、何を言うのです、アンジェリーク、あなたにそんなことをさせる訳には参りません、あなただって1日受付を務めてお疲れのはずですよ?」
「そうだ、それにこれは我々の催しだからな。我々が責任を持たねばならぬことだから、おまえの手を煩わせるには及ばぬ…よいアイデアを出してくれただけで私は十分嬉しいし感謝もしているぞ。整理券は我々で作るからおまえはもう帰ってゆっくりと休むといい。明日もあるのだからな。」
「でも、私はきちんと休憩もいただきましたし、お食事もいただけましたから元気です。本当は、食事しそこねそうになったんですけど、ジュリアス先輩とオリヴィエ先輩が親切に交替してくださいましたから。朝は、クラヴィス先輩とリュミエール先輩が本部席の設営を手伝ってくださいましたし…だから、今度は私が、先輩方をお助けできることがあるならやりたいんです…私も…私もできることで先輩方のお役に立ちたいです。」
アンジェリークは気負うわけではなく、自然にそう思っていた。先輩方は皆、本当に親切に優しくしてくれる。足りない部分を補うように手を差し伸べてくれる。だから、自分もそうするのが当然だとアンジェリークは思う。
「それに…先輩方は休憩なさってないからお疲れですし、私の方がプリンターの扱いにはなれてるから早くできると思うんです。あの効率よくできる人が行うっていうほうが、理に叶ってると思いますし…」
「存外物事をはっきり言うな、おまえは…」
くっくっと楽しそうにクラヴィスが笑った。
「優しい気持ちから発した行為を感情だけに訴えるのではなく、論理で納得させるのだから、むしろ賞賛すべきであろう、このような資質は…」
「ああ、だからそういうところが本当に楽しい…」
そこにオリヴィエが割って入ってきた。
「それならさー、アンジェにプリントしてもらったら、それをカットとかしなくちゃならいんだから、それをあんたたちが自分でやればいーじゃん。印刷してもらってる間はそれこそお茶でもいれてさ。アンジェに飲ませてやって、自分たちも休憩して。」
「それが一番合理的であろうな。無駄も少ない。明日1日フェスタは残っているからあまり1人だけを疲れさせる訳にもいかぬしな…」
「じゃ、明日の準備も終わってるし、生徒会室にここにいる全員で行ってさっさと仕事すましちゃお!でもって、仕事が済んだら速攻で帰ってみんなゆっくり休むこと、それでいいじゃん?」
「あ、はい、じゃ、私急いで印刷しちゃいます!」
オリヴィエの仕切りで、その場にいたジュリアス・クラヴィス・オリヴィエ・リュミエール、そしてアンジェリークが生徒会室に移動した。
アンジェリークはワープロソフトを立ち上げ、プリンターの電源をいれてからクラヴィスとリュミエールに一時間あたりに捌ける人数を聞き、開場から閉場までの時間を考え何枚の整理券を作ればいいのか計算した。
「先輩方、休憩時間は何時から何時までになさいます?その時刻は整理券から外しますから」
「ところで、アンジェリーク、あなたはファッションショーに何時頃出演する予定ですか?」
「え?私の出番ですか?」
アンジェリークは訳がわからなかったが質問にはきちんと答えた。
「えっと…ショーが午後2時からで、私は5番目だから、20分過ぎくらいだと思いますけど、それが何か?」
「ふ…これで休憩時刻の設定が決ったな」
「そのようですね、クラヴィス先輩」
「???」
「我々は2人とも、2時〜3時の間に休憩を取らせてもらう、その間は割愛しておいてくれ」
「はい、先輩」
アンジェリークはタカタカと軽快にキーを打って印刷フォームに時刻を記載し、程なくして原本ができるとデータを保存してから、すぐに印刷を開始した。高機能のプリンターはあっというまに整理券の印刷を終えた。後はこれを1枚づつカットして時間通りに並べるだけである。
「早いな…なら、後は我々がやるか…」
「そうですね、アンジェリーク、今日は疲れたでしょう?私たちのために余計な仕事までさせてしまって申し訳ありませんでしたね。先にお帰りになってください」
「え、でも、皆でやった方が早くないですか?」
「それなら、あんたは今までプリントしてたんだから休んでな。私たちでカットと整理はするから」
と言ってる間に器用なオリヴィエが整理券を綺麗に切り離し、クラヴィスとリュミエールがそれを順に並べた。
「これで明日はお客様は無駄がなく、私たちも無理がなく…アンジェリーク、あなたのおかげですよ。」
「ああ、おまえがよくやってくれたからだな。文化祭が終わったら何か礼をせねばな…」
「そんな、私もいつも先輩方に優しくしていただいてますし、ちょっとでもお役にたってよかったです。」
「じゃ、今日は皆でアンジェを送っていくか。さ、帰ろう」
生徒会室で作業していた面々は、アンジェリークを中心に帰路についた。
一方ホール担当のオスカー・ゼフェル・ランディは1日目の催し物終了後、ホールの点検と整備、及び明日の催しの草稿の準備まででその日の仕事が終わる。舞台の後片付けは演目の主催者が行うし、明日もホールはそのまま使うので、1日目の終了後はそれといって仕事はない。明日の終了後の方が、後片付けという点では大変だろう。
「ゼフェルもランディも今日はご苦労。疲れただろう。」
「大丈夫ですよ、先輩!俺、体力だけは自信がありますから、ははっ!」
「体力だけは、じゃなくて、体力しか、の間違いだろーが。」
「なんか言ったかぁ?ゼフェル?」
「んにゃ、なーにも」
「そうか、じゃ、明日もしっかり頼むぜ。俺はちょっと本部の方を覗いてくる」
オスカーは後輩たちのじゃれ合いに構わず自分の言いたいことだけ言って、後は後輩に任せ自分は本部席に直行した。
本部席に向いながらオスカーは考えを巡らせる。アンジェリークはまだいるだろうかと。いてくれないだろうかと。
もし、いてくれたら、なんとかはっきりと時間を約束できないか尋ねる…というより、時間を取ってもらえないか頼んで承諾を得た上で具体的な約束を交したかった。話があることだけは伝えられたが、あの時「また今度」などとあいまいな表現を使わずに、きちんと約束しなかったことが今となっては悔やまれた。しかし、オスカーはアンジェリークが自分と話し合う時間を持ってくれるかどうか、どころか、アンジェリークが「話がある」という自分の言葉を聞いてくれるかどうかも最初はわからなかったのだ。それに、アンジェリークを探すのに手間取ってしまって言いたいことを伝える時間も十分ではなかった。具体的な約束などできる余裕はなかったのは致し方ない、でも、次の機会がある…それがいつになるかわからないが、次の機会があると思うだけで嬉しさがこみあげてくる。だから、余計にこの曖昧な約束を確固たるものにしたい。できれば、今日一緒に帰ることを許してもらえれば…そう思って本部席にやってきたが、そこにはもう誰も残っていなかった。1日目終了後は大して仕事がないのは、こちらも同様である。明日のためにも、今日は速攻で引き上げてしまったか…とオスカーはあからさまに落胆した。仕方ないと思うことは落胆の気持ちを全く軽減してはくれなかった。
具体的な約束をしないと、アンジェリークに謝罪を告げる機会がどんどん遠のいてしまうような気がしてどうしようもない焦燥に灼かれる。
オスカーは謝罪の言葉と自分の想いを包み隠さず告げるつもりだった。だがその告白はアンジェリークに自分の想いを受け入れてもらいたいからする…ということとは若干意味合いが異なっていた。何故あんな愚かな振る舞いをしてしまったのか、背後にあった自分の想いを説明してアンジェリークに知ってもらうのが自分なりの誠意だと思うからだ。許してもらうために言い訳をするのとも違う。理由も言わずにただ単に「馬鹿なことをして君を傷つけて済まなかった」と謝罪したとて、アンジェリークは自分の受けた無体な仕打ちの訳を納得できまい。だから何故自分がそんな愚かな行為に走ったのか、その訳を告げるのは最低限の責務だと思った。その訳は、自分一人の勝手な思いこみに発するものだから、訳を告げればアンジェリークは更に気分を害するかもしれないとも思う。理解してくれと請うつもりではなく、だから許してくれというつもりでもない。だが、背後にあった感情…アンジェリークへ積もりつつあった、今も積もっている想い…それを告げねば自分の一方的な思いこみの訳がわからないだろうし、アンジェリークも納得できないと思うから、例え更なる怒りを買うとしても、きちんと訳を話さねばならないと思うのだった。
君に汚いビジネスの世界を知らせたくなかった、自分がそれに関わっていることを知られたくなかった、君に理解されない事が嫌だった、君に理解されてしまうことはそれよりもっと怖かった、だから、自分の本当の気持ちを誤魔化すために、君を無理矢理遠ざけようとした。無理強いのように遠ざけなくては「俺のことを知りたい」と言ってくれた君に全てを預けてしまいたくなりそうだったから…君に惹かれ引寄せられる想い、君を自分に引寄せたくなる想いは圧倒的なまでに強かったから。
だが、それは君を傷つけていいという言い訳にはならない。
愚昧、弱さ、臆病…君を求める気持ちと同時に芽生えた負の感情は、結局君を請い求める気持ちが深い故に強かったのだと今はわかる。
その自分勝手な想いと、それを認められなかった弱さゆえ、俺は彼女を傷つけた。だから、これは受け入れられるはずもない想い、彼女はそれを唾棄すべきものと思って当然の想い、それがわかっていて告げるのは苦しく辛いことだが…彼女を傷つけたせめてもの償いと謝罪のために…俺は、自分の気持ちを何も隠さず率直につげねばならないと思うんだ…
今ならはっきりとわかる、彼女を遠ざけるために、彼女にこれ以上質問をさせないために、何故深深と唇を塞ぐ必要があったのか、何故、その柔肌に刻印を刻みたかったのか…自分の胸の奥深くにそれを望む自分がいたからではないか…
それを望んでいるのに頭では認めず、認められないから、彼女に許しを請うこともなく無理矢理刻んでしまった刻印、彼女につけてしまった心の傷…自分の弱さが招いた行為だったから、それを俺はきちんと認め謝罪しなくてはいけないんだ…
だが、何時ならそれができる?アンジェリークに話を聞いてくれと、君の時間をくれと、何時なら言える?今日は…言えなかった。明日なら言えるのか?明後日なら言えるのか?そして、待って探した挙句、その機会をいつまでもつかめなかったら?
彼女は「また今度」と言った俺の言葉を嫌がってはいなかった、疎んじてはいなかったと思う…だが、その保証は?今度という曖昧な言葉を俺のいい加減ないつものセリフだと思っていたら?
オスカーはきっと大丈夫だ、彼女と話し合う機会はきっとある、と自分で自分に必死に言いきかせる傍ら、どうしようもない焦りを抑えこむこともできなかった。アンジェリークに早く、きちんと会いたかった。詫びの言葉を伝えたかった。
詫びて、その後どうするのか…この時オスカーはそこまで考えていなかった。考える余裕もなかった。
明けてフェスタ2日目。
執行部員は朝、1度生徒会室に集まり互いに本日の予定を報告確認をした。
フェスタの2日目はアンジェリークがモデルとなるオリヴィエたち被服専攻の生徒の手によるファッションショーがあるので、午後の受付はロザリアが替ってくれる手筈となっている。
夕刻には後夜祭のダンスと、それに先立ちフェスタキングとクイーンの選出がある。その投票システムは前もってゼフェルがプログラムを組んでいた。携帯電話でも、PCでも、投票用のサイトにアクセスしてキング・クイーン両方でも片方だけでも、「この人」と思った生徒の名前を入力すればいいようになっている。一般客向けには会場内に投票用のPCも設置してある。もっとも一般客には生徒の名前はなかなか知る機会はないので、一般客の投票はその生徒の近親者以外ほとんどないのが実情だが。
ジュリアスが執行部は後夜祭のダンスを取り仕切るので閉場後一度本部席に集まるようにと話を締めくくった。但し、執行部員のうち誰かがキングもしくはクイーンに選ばれた場合その者は準備から除外されることを付け加える事も忘れなかった。キングとクイーンはダンスの開始にあたって社交界におけるデビュタントのように最初のダンスを踊る役目があるからである。
そしてジュリアスとアンジェリークは本部席に向い、クラヴィスとリュミエールは今日も一般催事を執り行うが、今日の二人は余裕の態度である。そしてオスカーはゼフェルとランディを引き連れてホールへと分かれ、皆それぞれの持ち場に散っていった。
日曜日ということもあって来客数は昨日より多いくらいだったが、アンジェリークは昨日一日で受付のコツのような物を掴んでいたので、今日は更に淀みなく対応ができた。来客者の尋ねたいことは大体決っているということがわかったし(最多は化粧室の場所である)、自分で作ったから頭に入っている筈と思っていた各催しの配置も実際はすぐに思い出せるものではないとわかったので、必要な資料はぱっと取り出してすぐに見られるようにもしておいた。たまに出る遺失物や呼び出しの問合せにもジュリアスと二人で親身になって、しかし、きびきびと対応する。卒のないてきぱきとした応対と、来客を持て成そうという感情から生じる自然で飾り気のない愛らしい笑みに多くの来訪者が受付の顔かたちをしっかりと印象に残した。
ホールでの催事開始の前に流す放送でも、金の鈴を転がしたような、まろみのあるかわいらしいよく通る声でのアナウンスが一般客を魅了する。
そうして実務をこなすうちに午前中はあっと言う間に終わってしまった。今日はジュリアスが先に休憩をとり、アンジェリークの昼食時間は午後1時からにした。昼食を取ってからすぐにオリヴィエと一緒にホールの楽屋に入らねばならない。
ジュリアスが休憩を終え、ロザリアを伴って本部席に戻ってくると、交替に立ったアンジェリークとオリヴィエにこう言った。
「今日は私が昼食は買ってきてやれぬのだから、きちんと食事をとるのだぞ。オリヴィエが一緒にいるから大丈夫だとは思うが…オリヴィエ、これの面倒はしっかり見てやってくれ。自分のことは後回しに…最後の最後にしてしまうからな、この者は…」
まるでかわいい娘を旅立たせる心配性の父親のようなジュリアスにオリヴィエはぷっと笑いながら、モデルに倒れられたら困るからしっかり体力つけさせておくよ、と請け負い、2人は人ごみの中に紛れていった。
食事を済ませ楽屋に向う途中、オリヴィエがアンジェリークに話し掛けた。
「約束通り、今日は体調いいみたいだね、アンジェ」
「あ、はい!先輩のおっしゃる通りよく寝ましたし、サプリメントもしっかり取りましたし、朝ご飯もきちんと食べましたから!」
「よろしい!」
オリヴィエは屈託なく破顔した。
「それにしても、顔色がいいよ。この前とは雲泥の差だ。何かいいことでもあった?」
「え!あ…えと、あの…いいことって言っていいのか、わからないんですけど…」
アンジェリークはどう言っていいかわからず口篭もった。言いづらいというより、それが本当に「良い事」なのかどうか確信が持てなかった。自分の気持ちをしっかりと自覚できたこと、オスカーが話があると声をかけてくれたこと。それは、まだ新しい展開の端緒ですらないし、オスカーの話の内容が自分にとって喜ばしいものである保証もないから、これから事態が良い方向に転がるとも限っていない今の状態を「良い事」と言いきっていいのかどうか躊躇った。自分自身の気持ちとしては、少しでも前に進める足がかりが掴めたことだけでも大いに進歩だったし、確かな約束はなくてもオスカーに声をかけてもらって希望が繋げただけで嬉しかったが、それはまだ曖昧模糊とした状態だということは自分でよくわかっていたから。
するとオリヴィエが間髪いれずにアンジェリークの言葉を遮った。
「あ、聞き出すつもりで言ったんじゃないから、無理に言わなくてもいいよ。私はあんたが良い顔をしてくれてればそれでいいからさ。この肌の色艶なら、さぞかし化粧のりも良いだろうし、すっごく綺麗になれるよ、モデルが綺麗なら私の服も見た目3割増しになるだろうしね。」
「オリヴィエ先輩の服はそのままでも素敵ですけど…でも、ただハンガーにかかっているより人が着て見せた方がもっと素敵に見えるよう、オリヴィエ先輩のドレスを綺麗に見てもらえるよう私も立ち居振る舞いに気をつけてがんばりますね!」
「その気持ちが嬉しいよ、ありがとね」
ホールの楽屋に入ると、もう大勢の生徒がショーの準備に取りかかっていた。ヘアメイクなどの総合プロデュースも全て自分裁量なので被服科の生徒にとってはやりがいも大きいが、負担も比例して大きい。メイクやヘアアレンジに自信のないものは他に手伝いを頼んでも全く問題はないので、そういう者もいたが、オリヴィエは全部自分1人でアンジェリークを飾る所存だった。
「はい、じゃ、ここに座って目閉じてねー」
制服の上から化粧ケープを羽織らせ、オリヴィエは丹念にメイクを始める。肌理細かいピンクパールのような肌色を生かすためにコントロールカラーだけを薄く肌にのせ、ファウンデーションは使わない。その上から虹色のフェイスパウダーを丁寧にはたき、余分な粉をおとす。眉のラインを整えて淡いブラウンで少しだけ書き足し、綺麗に睫をカールさせてマスカラは瞳に合わせてグリーンにした。アイラインもグリーンで睫の間を埋めていくように自然なラインを描き、アイシャドウはパールの入ったベビーピンクをアイホールにほんのりぼかすだけに留める。瞳が大きいのであまりシャドウの色を濃くするとタヌキみたいに見えてしまうと、事前のリハーサルでわかっていた。リップは若干サーモンの入った鮮やかなピンクである。丁寧に輪郭をとって紅をのせ、その上から濡れたようなグロスを重ねた。
メイクが終わり、ヘアはアンジェリークの巻き毛を生かしたルーズなアップスタイルにする。後れ毛を遊ばせ、カールをピンで留めて花飾りをアンジェリークの髪のそこここに飾っていく。花飾りのモチーフはピンクのガーベラだった。
ヘアメイクが終わると楽屋にもう運び入れてあったドレスを持ってアンジェリークが着替えに行く。ほどなくして控えの部屋から出てきたアンジェリークをオリヴィエが全体的にチェックする。
「うん、ばっちり!さ、じゃ、最後にアクセサリーをつけてと…ん!もー完璧!あとはこの晴れ姿を多くの人に見てもらうだけだわ!」
「うー…やっぱり緊張しますー」
「ふふっこれだけかわいいんだから堂々としてな、って言いたい所だけど…そうだねー、アンジェ、あんた、私のドレス、どう思う?」
「えっ!?それはもーものすっごく可愛くてすてきですー!こんなドレス着せてもらえて幸せです!」
「はい!じゃ、その気持ちのまま感情凍結!余計なことは考えないで、その気持ちのまま、舞台に出てご覧?ね?」
「はい、オリヴィエ先輩」
その時、朗々と響くオスカーの声が次の演目を伝えた。このファッションショーの開始を。
その声を聞いただけで、アンジェリークは心臓が胸から飛び出してしまうのではないかと思った。
オリヴィエに「他のことは考えない」と言われたのが、いきなり大層困難なことなった気がしたが、だって、そうだ…舞台隅の放送ブースにはオスカーがいるのだから…私が出ることにオスカー先輩は気付くかしら?でも、アナウンスで忙しくてそれどころじゃないかもしれない…その方が気が楽なような、寂しいような…
自分を見てもらいたいのか、気付いてほしくないのか、自分でも判然とせぬまま、アンジェリークは自分の出番を待った。
ファッションショーの開始を告げたその時、オスカーはアンジェリークがこれに出演することを失念していたといっていい。
もちろんファッションショーがあることは行事の流れとして把握していたし、オリヴィエからアンジェリークがこのショーに出ることも聞いていたのに、オスカーはこの時、今日の催事が全て終わったらアンジェリークと何とか言葉を交わせないかということにだけ気をとられていた。
アンジェリークにダンスを申しこむと約束した。しかし、それはあの無体な仕打ちをしてしまう前のことだ。この約束はアンジェリークの胸中では取り消されてしまっているだろうか。しかし、ダンスを申しこめれば踊っている時に2人で話したいと懇願する機会もあるかもしれない。
とにかく全ての催しが終わらねば俺はここから動けない。このファッションショーで、2日間のホールでの催しもようやく終わる。やっと彼女に会いにいける。そう思っていたから、その名前を見た時は一瞬自失した。それでも、口は機械的に動き、声はよどみなく流れ出た。
「五番、デザイン、オリヴィエ・デュカーティ、モデル、アンジェリーク・リモージュ。テーマは『風に舞う花』」
オスカーの声に引寄せられるように、アンジェリークが舞台に姿をあらわした。
真っ直ぐに舞台の中央に向い、今日のファッションショーの為に特設で作られたキャットウォークを、適度に張り詰め、同時に浮き立つような高揚を滲ませながら、颯爽と歩いてくる。
オスカーはその時、瞬間、自分のいる場所を忘れた。アンジェリークがまるでまっすぐ自分に向って歩いてきてくれるような、そんな錯覚に襲われ、息を飲んだ。魂を奪われたようにアンジェリークの姿に見入った。
オリヴィエがデザインしたドレスは色は白を基調に、ディテールはピンクのガーベラをモチーフにした可憐なものだった。フレンチスリーブの白のトップの片方の肩から胸元に流れるように花束のようなガーベラのコサージュが縫い付けてある。スカート部分は紗の花びらを幾重にも重ねたようなふんわりとしたデザインで、歩くとゆったりと風をはらむ。コサージュを縫い付けた肩から背後にはドレープを重ねたシフォンのスカーフが妖精の羽のようにふうわりとアンジェリークの動きに合わせて揺れる。サテンの手袋と靴はアクセントにガーベラと同じサーモンがかったピンクでまとめられ、それぞれにやはりガーベラのコサージュが1輪縫いつけられていた。髪飾りもアクセサリーも小物は全てピンクのガーベラモチーフで統一されている。ドレス自体は色は白一色でモチーフが引き立つようにしてある。軽い素材の組み合わせが、アンジェリークの動きに合わせて、風をはらみ優雅に舞い踊ることで、このドレスが「動き」を見せるためのものであることが素人であるオスカーにもよくわかった。このドレスは人形のように黙って立っている女性ではなく、生き生きと軽やかな足取りで歩いていく、そんな女性にこそ相応しいことも。そしてアンジェリークの可憐さを花のモチーフがより鮮やかに引き立て、彼女の生き生きとしていながら物柔らかな雰囲気を、風に舞う柔らかな素材が際立たせる。真、オリヴィエのデザインは、1人アンジェリークの魅力を最大限かつこれ以上はないほど効果的に見せるものだった。
アンジェリークが舞台中央、キャットウォークの先端でくるりとしなやかにターンして1度立ち止まった。
その動きに連れ、ふわりと膨らむスカートもなよやかに揺れるスカーフもまさに風に揺れ風に戯れる花びらのようだとオスカーは思った。スポットライトの中、ふんわりと結い上げられた髪から、きらきらと銀の星屑を散らしたような光りが見え隠れする。ラメかクリスタルが散りばめられているのだろう。我を忘れて見惚れた。
一呼吸置いてから、アンジェリークは歩いてきた花道を辿りなおし、出てきた方とは反対の舞台の下手に吸いこまれるように消えた。
「アン…」
何かに突き動かされるようにアンジェリークを思わず引きとめそうになって、その声がマイクに入りかけた。スピーカーを通して聞こえた自分の声にはっと我に返り、オスカーは慌てて咳払いでその場を取り繕い、何事もなかったかのように次の出演者の紹介を始めた。
アナウンスを続ける自分の声は、どこか遠くから聞こえる他人の声のようだった。オスカーは何故自分が、このままアンジェリークが消えてしまいそうな、根拠のない不安に苛まれたのかわからなかった。
そんなオスカーの心境に拘わりなく、ファッションショーは進行していく。色とりどりの衣装を身にまとったモデルが1人また1人と舞台の中央に立って、スポットライトの中、ターンしては袖に消えて行く。
このファッションショーは催事の中では毎年最も人気の高いものの1つなので、ホールは立ち見も多数出ており、もう入場制限を行ってもいいほどに混雑している。
女生徒たちはもともと、被服科の生徒たちが技術とセンスの粋を凝らして作る1点モノのドレスを見る事自体大好きだったし、モデルは皆誰かしらの級友なので、観客席の盛りあがりは甚だしく、声援も多い。モデルになった子の近親者もまた晴れがましさを抑え切れない熱心さで舞台を見にくるのが常である。
男子生徒たちはファッションの何がどういいのかは全然わからなくても、デザイナーが「これ」と見こんだ粒ぞろいの女生徒たちが、おめかしして一堂に見られるというまたとない機会なので、こちらの盛りあがりもまた一通りではない。ただし俗に言う盗撮を警戒するため、舞台の撮影は新聞部と写真部が共催で舞台正面から一手に引きうけることになっている。たまさか観客席でフラッシュが光ると、警備会社のスタッフが速攻で注意に赴くよう手配されている。
今年の出演者は25人だった。約一時間半かけてショーが行われ、最後に、あくまで観客の任意だが、どのドレスが一番よかったかの人気投票も行われる。昨年まではこの投票もアナログに紙に番号を書いてもらって投票し、それを人海戦術で集計していたのだが、ゼフェル管轄のもとで、数字を打ちこんで集計するスイッチボックスがホールの客席数だけ導入され、投票システムとその集計が飛躍的に効率化された。ゼフェルが音響設備の制御室でこのシステムも一緒に統括している。ゼフェルはこういった数々の学校への貢献により卒業までの学費免除という特典をこの1年次だけで取得していた。
オスカーは落ち付いた口調で粛々とショーを進行させていき、遂に最後の出演者が袖に消えて行った。それを機に、観客席に朗々とした声でこう宣言した。
「以上でショーの出演者は全員出揃いました。最後にモデルの皆さんにもう1度全員でステージに立っていただきましょう。」
オスカーの声を合図に一番のモデルから順にステージに整然と並んで行って立った。アンジェリークももちろんその中にいる。オスカーは無意識のうちのその姿を確認していたが、声も態度もそのままに司会を続ける。
「また、観客の皆さんには、座席左手に備え付けてあるスイッチボックスで、これは、と思った番号の投票を是非お願いいたします。もちろん強制ではありませんが…是非、今年のトップデザインをあなたの手で選んでいってください。目がねにかなった最もスタイリッシュなデザインを選ぶも良し、モデルの魅力で選ぶもまた良しです。では、よろしくお願いします」
客席が一斉にざわめき、そこここでボタン操作を行うかすかな音がホール全体に響いた。程なくしてオスカーの携帯電話が振動した。ゼフェルからの集計完了のメッセージが着信していた。
メッセージを開くと1位から3位までのモデルのエントリーナンバーと名前と得票数が記してあった。
オスカーはその結果を見て片眉をあげると、頭のどこかで無意味なことと知りつつ、ゼフェルに電話をかけた。もちろんマイクの電源は空いている片手で切っておいた。
「なんだよー、メッセが文字化けでもしてたのか?」
「おい、ゼフェル、あの数字と結果な、まさかおまえの情実じゃないだろうな?」
「はぁ?おめぇ何が言いてーんだ?」
「だから、おまえが自分の好みとか、顔見知りだから勝たせてやりたいなんて思った子の数字操作をした訳じゃないんだろうな?」
一瞬の沈黙のあと、凄まじい怒号が聞こえた。沈黙は思いきり息を吸いこんでいたかららしい。
「……馬鹿か!おめぇは!言うにことかいて何だ!そりゃあ!馬鹿にするのもいい加減にしやがれ!それじゃ俺様の作った天才的システムの意味がねーじゃんかよお!大体、これは美人コンテストじゃなくて、賞を受けるのはあくまでデザイナーの方なんだぜ!どうして俺があの化粧ヤローを八百長までして勝たせてやらなくちゃならねーんだよぉ!」
「そ、そうだったな…すまん、おまえがクラスメイトのお嬢ちゃんに花を持たせてやろうとしたのかと、つい、思っちまってな…」
「そんな必要どこにあるよ。俺がわざわざ花なんか持たせてやらなくても、アイツ自身がまんま花みたいじゃねーか。俺が一般客でもアイツにいれたよ。悔しいけどあの化粧ヤローは、こういう腕だけは確かだな」
「あ、ああ、そうだ…本当にその通りだな。じゃ、この結果を発表する…マイクの電源をいれるから、これで切るぜ」
ピッと微かな電子音を響かせ、オスカーは携帯を切った。
意を決したようにマイクの電源をいれ、集計結果がでたので、これからその結果を発表する旨を告げた。途端にざわついていた会場が静まりかえった。
オスカーはゆっくりとまず3位、続いて2位のデザイナーとそのモデル名を読み上げていく。デザイナーである生徒が舞台に現われ、自らのモデルの手をとって舞台の中央に立つと会場から拍手が起こる。拍手が鎮まるのを待ち、一呼吸置いてから人気一位を獲得したデザイナーとモデル名を読みあげた。オリヴィエとアンジェリークの名を。
今まで以上の拍手がホールに満ちた。オリヴィエはさも当然と言った顔で手を振りながら舞台に現われ、アンジェリークに手を差し伸べて舞台中央にエスコートした。アンジェリークは何がおきたのかわかっていないような顔で、それでも素直に導かれるまま3位と2位のモデルの子の間に立った。そこに中等部の生徒会長を務めるマルセルが花束を持って舞台に現われオリヴィエとアンジェリークにそれぞれ祝いの花を渡して退場していった。
「では一位のオリヴィエ・デュカーティ君とモデルのアンジェリーク嬢にもう1度盛大な拍手を」
オスカーは会場にアナウンスしながら自ら率先してぱんぱんと大きな手を打ち鳴らした。オスカーの拍手が誘い水となって会場がもう1度拍手に包まれた。その拍手の音がまばらになるのを待って、オスカーはこのファッションショーをもってホールにおけるフェスタの演目が全て終了したことを告げた。
「さて、ホールでの催しは全て終了しましたがフェスタの開場時間はあと30分ほど残っております。どうぞ、最後までフェスタをお楽しみください。また、フェスタキングとクイーンの選定は生徒会のHPから投票できますので、閉場までに是非投票をよろしくお願いします。一般のお客様の投票は校内に設置されましたPCをお使いになるか、携帯からもアクセスできますので、どうぞ、キング及びクイーンに相応しいと思った生徒名を一票投じていってくださるようお願い申し上げます。では、このホールは15分後に閉鎖いたします。2日間にわたり、音響及び全システム管理は1年ゼフェル・ツィッペル、照明は1年ランディ・マクブライト、司会は2年オスカー・クラウゼウイッツが担当いたしました。ありがとうございました。」
そのささやかすぎるほど控え目なスタッフロールの放送が終わるや、思いきりのいい拍手が舞台から鳴り響いた。オスカーが「?」と思って顔を上げると、舞台上で花束を抱えたまま、アンジェリークがふっくらした唇をきゅっと引き結んだ生真面目な表情で、懸命に手を叩いていた。アンジェリークのスタッフへの労いの拍手につられて、ホールのあちこちでホールスタッフを労う拍手が起きた。
オスカーは改めて感じ入った。こういう行為をどこまでも自然に行うのがアンジェリークだ。アンジェリークという少女だと。自分は愚かな行動でしか現せなかったが、アンジェリークに惹かれたこと自体は間違っていない、むしろ、こんな俺でも人を見る目は確かだったのかもしれんとオスカーは思った。
後夜祭でアンジェリークに声をかけ、なんとかダンス1曲分でいいから時間をもらうことは、最早オスカーの内部で何にも譲れない決意になっていた。
その頃、一般生徒及び、来客者の多くがフェスタキングとクイーンの投票に生徒会の投票フォームにアクセスしていた。
男子生徒の多くは、単純に自分が「かわいい」「好みだ」と思う女生徒、良い印象の残っている女生徒の名前を入力していた。キングの入力はおざなりか、無視か、自分にいれる者などに分かれるので、男子生徒によるキングの投票は全く当てにならず、基本的には1人に集中しないのが常である。
一般来場者の多くは、各々の生徒の名を知る機会を持たない。もちろん、この学園には各方面に学外に勇名を馳せている生徒が多数在籍していたから(その筆頭がクラヴィスであり、オリヴィエであり、リュミエールであり、セイランであった、来年度あたりゼフェルもここに加わる可能性が高い)、それらの生徒の名前を投票する者も多かったが、昨日、今日のフェスタで印象に残った生徒の名前を投票して帰っていった客も多数いた。
一番複雑な動きを見せたのは女生徒たちである。もちろん、自分が「好き」なタイプの男子生徒の名前を単純に入力したものも多かったが、万が一、自分の好きな男子がキングになってしまった場合、自分がクイーンにならない限り後夜祭でのダンスが踊れなくなってしまう。自分はクイーンになる可能性はほとんどない、と冷静に自分を見、なおかつ、踊りたい相手の競争率が高いと思われる場合、女生徒は敢えて2番手の男子の名を投票したりと先を計算もする。また、その裏まで考えて、自分の好きな男子があまりに得票数が少ないのもかわいそうだし、自分が好きな男子を打算で裏切ったように思われるのも嫌だとか、無記名であっても、自分が誰に入れたかわかってしまったとき、胸を張っていたいというような「いい子に思われたい」という心理も働いて、女生徒たちの投票はまったく予想がつかないものだった。当の女生徒たちも、自分が誰に入れたかはお互い牽制しあって言おうとしないので、誰がキングに就くのかはまったく予想がつかなかった。
投票は閉場と同時に閉め切られ、ゼフェルの組んだプログラムのおかげでその場で集計がなされる。閉場後10分以内に今年のキングとクイーンの発表があると生徒会執行部は通達を出していた。
その発表後約一時間の準備時間を終え午後5時前後から、後夜祭のダンスパーティーは開催される予定になっていた。