ホールの来客が引き上げる傍らで、運動部の有志がステージの撤収にとりかかり始める。アンジェリークは、オリヴィエと一緒に1度楽屋に引き上げるところだった。「先輩、私達も片付けを手伝った方がよくないですか?」
「いや、私達は後夜祭の準備があるから、本部にいかないと。それにそのドレス姿じゃどっちにしろ後片付けの役には立たないだろうしね。」
楽屋でメイク道具一式の入ったバニティケースを手早く片付けながらオリヴィエが答える。アンジェリークはアンジェリークで、今は衣装カバーに収められている自分の制服をハンガーから外した。
「じゃ、今、着替えた方がいいんじゃないでしょうか?私…、ドレス姿のままじゃ本部でもお手伝いできないし、でもドレスは絶対汚せないし、汚したくないし…」
「だーめ!せっかくこれだけ綺麗にしたんだから今日は1日この姿でいること!お客さんも認めてくれたんだし、本部席にいてホールにこられなかったジュリアスやロザリアにも見せてあげないとね。」
「あ!はい、そうでしたねっ!…って、やん…これじゃ、私、見せびらかしたいみたいすね…」
「それでいいのさ。今日のアンタはオリヴィエブランドの広告塔なんだからね!私のデザインと名前を披露めてもらうのに、こんないい宣伝、他にないし。それに、このドレスはそのままダンスもできるから。だから後夜祭でも、このドレスで踊ってくれた方が私は嬉しいな。そしたらファッションショーを見にこなかった人にも、私のデザインしたドレスを見てもらえるからね」
「あ、はい、オリヴィエ先輩のお役に立てるなら…このままでいます…あの、私もこのドレスをこのまま着ていられるのはホントは嬉しいです。」
ぽっと頬を染めてアンジェリークは答えた。この綺麗なドレスをすぐに脱がなくていいのは純粋に嬉しかった。
「そーそ、あんたにはあんたにしかできない、あんたに相応しい役どころとか、望まれる役どころがあるんだから。で、他にもっと上手くできる人間が十分にいる場では何も無理にあんたが出なくてもいいんだよ。あんたも自分で昨日言ってたじゃない?効率よくできる人間がする方が理にかなうだろ?運動部の猛者連中とあんたと会場の後片付けに役に立つのはどーっちだ?」
「そ、それは、その、はい、そうですね…」
「でしょ?だから、わたしたちはとりあえず本部にいこ?多分だけど、知名度からいって執行部のうちの誰かがキングになる可能性高いし、そうなるとそのメンツを除いた人間で後夜祭の準備をしなくちゃならないからね。」
「あ、はい、そうでしたね!先輩方、皆さん素敵ですもの。きっとどなたかがキングになりますよね」
「クイーンは誰がなるんだろうねぇ?」
なんとなく含むところありげなにやにや笑いを浮かべるオリヴィエに、アンジェリークは生真面目に眉根を寄せてその答えを考える。
「うーん、私、あんまり催しを見てないから、女の子は誰が素敵だったかよくわからないんです。やっぱり舞台発表に出た子かしら、演劇部の子とか…ダンス部の子も皆スタイルがよくてかわいいっていうし…でも、誰かなぁ、楽しみですね!」
「ふふっ、そうだね、ほんとに楽しみだ…じゃ、とりあえず本部に行こうか?」
「あ…いただいたお花どうしましょう?せっかくのお花だし…」
「じゃ、今は、他の荷物と一緒に1度本部まで持っていっちゃおう。その後ダンスの開始まで準備の時間があるから、その間にあんたが自分の部屋まで持って帰るか…そうだねぇ、私がその花でヘッドドレスとブートニアを作ってあげてもいいかな?で、あんたがダンスしたい男の胸にでも飾ってやるってのどう?」
「え?え?そんなことまでしていただいちゃっていいんですか?!う、嬉しいですけど…でも、受けとっていただけるかな…」
その問い掛けはオリヴィエに向けられたものというより、アンジェリークの自問だった。
「それは、まあ、試してみないとなんとも言えないけど…試してみないことには何も始らないからね?買わない宝くじは当たらない、気になる子には声をかけなくちゃ知り合いにはなれない、なんでもそうだもんね。ま、とりあえず、いこっか?」
「はい!」
アンジェリークとオリヴィエは花束を抱えたまま、正門前の本部席に向った。
二人が本部席に向うと、校庭の会場では既にそこここで撤収が始っていた。模擬店は売り切れた所は早々と店じまいしているし、最後の売りこみに声を嗄らして帰路についた客を呼びとめている所もある。分別されたゴミは美化委員たちがまとめて清掃業者に引き渡している。フェスタ自体は間もなく終了するが、祭りの終わりにありがちな一種の侘しさとかもの悲しさみたいな雰囲気は皆無だった。生徒たちには、この後キング&クイーンの発表と、後夜祭のダンスと言うフェスタそのものと同じ位重要かつ楽しいイベントが待っているからだ。後夜祭の開始まで準備時間があるとはいえ、撤収が早ければそれだけ、ダンスにむけての仕度も念入りにできるので、特に女生徒たちは、手早い撤収を目指して懸命になっていた。
「はーい、お疲れ」
「ジュリアス先輩、ただいま戻りました。ロザリア、受付替ってくれてありがと!大変じゃなかった?」
「私は慣れているもの、心配には及ばないわ。それより、アンジェ、ショーはどうだったの?それがオリヴィエ先輩のドレス?…ふぅん…いいじゃない、あんたも普段より5割増くらいかわいく見えてよ?」
「そうなの!オリヴィエ先輩のドレスがかわいいから、人気投票で1位に選ばれたの!」
「ふふーん、私のこのデザインだよ?人気ダントツに決ってるじゃなーい?」
純粋に嬉しそうに頬を紅潮させてロザリアに報告しているアンジェリークをジュリアスが柔らかく目を細めて見やった。その眼差しには明らかに賛嘆の色がある。
「…確かに愛らしい…人気1位は、そなたのデザインというより、モデルの魅力に拠る所が大きいのではないか?オリヴィエ?」
笑みを含んだ口調でジュリアスがオリヴィエに話しかける。オリヴィエは悪びれず、気を悪くするようなこともなく平然と答えた。
「ま、それは確かにあるけどねー、でも、モデルの選定もその見せ方・飾り方もデザイナーの裁量なんだから、これだけアンジェの魅力を引き出した私だってたいしたもんだろ?イメージぴったりの専属モデルを選べるかも、デザイナーの力量のウチなんだからさ。」
「んもー、ジュリアス先輩ったら、確かにオリヴィエ先輩のメイクは上手で私もすっごく可愛くしていただきましたけど、オリヴィエ先輩のドレスが素敵だから一位になったに決ってるじゃないですか〜」
「そうか?それなら、相乗効果ということにしておこう。事実そなたは大層愛らしいのだから…」
「ああ、本当に間近で見ると一層愛らしいな…」
「…あ、クラヴィス先輩!」
「ええ、実際舞台に妖精が舞い降りたのかと思いましたよ、アンジェリーク」
クラヴィスとリュミエールがそれぞれ、自分の催しを終えて本部席に姿を現した。
「リュミエール先輩もお疲れさまでした。あの、ショーを見てくださったんですか?」
「ふ…なぜ、我らが2時過ぎに休息を取ったかわかっていなかったのか?」
「え?クラヴィス先輩もいらしてくださったんですか?やーん、それじゃ先輩方、お休憩にならなかったんじゃないですか?」
「なんの…もともと、おまえが良い方策を考えてくれねば、休憩を取ること自体怪しかったのだしな。それにこの世の物とは思えぬほど愛らしい姿を見せてもらい、疲れなど忘れたな…」
「はい、まさしくあれぞ眼福でしたね、クラヴィス先輩。それにあなたのおかげで、今日は無駄に人を待たせることもなかったので、お客さまにも好評でしたし、私自身も気が楽でした、改めて御礼を言わせてくださいね、アンジェリーク」
「そ、そんな、それほどの事はしてないです、私…」
「いや、せめてもの礼の気持ちに、後夜祭では、是非、私とダンスを踊ってもらいたいのだが…どうだ?アンジェリーク」
「え?あ、ありがとうございます…」
「クラヴィス先輩は機を見るに敏でいらっしゃいますね、すばらしいタイミングでのお申し込みで。」
「感心するところではなかろう。こういうのは抜け駆けとかちゃっかりしているというのだ…しかし、そなたという男は、こういう時だけ行動が素早いのだな、まったく油断のならぬ…」
心底呆れたという顔で、ジュリアスが言った。
「ったくだぜ。3年寝太郎な昼行灯のくせによー、肝心な時は抜け目がねーんだからよぉ!」
「あ!ゼフェル、お疲れさまー、遅かったのね」
そこに、ホールでの仕事を終えたのか、ゼフェルがやってきた。
それを見て、アンジェリークは緋色の髪の持ち主を目で探す。ゼフェルがホールから引き上げてきたのなら、きっと一緒に来ているはずだと思って。が、どこにいても一目でわかるはずのその人の姿はまったく見当たらない。
「あ、あの…オスカー先輩は?いらっしゃらないの?」
「アイツは一応ホールの責任者だからよー、撤収が全部終わるのを見届けてから来るってよ。ま、人手は一杯あったから、それほど時間はかかんねーんじゃねーかな。ランディのヤツも撤収を手伝ってたしな。それより、アンジェ、おめーだ!」
「え?な、なに?ゼフェル、そんな怒ったような顔して…」
「何じゃねーよ!その…おめでとよ、1位」
「え?あ、ああ、ありがと…そんな怖い顔するから何を言出すのかと思っちゃった。でも、一位を取ったのはオリヴィエ先輩よ?先輩のドレスが素敵だって皆思ってくれたんだもの、おめでとうって言われるのは私じゃなくて、それは先輩に申し上げなくちゃ…」
「いーんだよ、俺はおめーが…いや、俺は俺の言いたいヤツに言いたいことを言うんだ!だからよー、祝いといったらなんだけどよー、おめーが後夜祭で俺と踊りたいってんなら、ちっとばかし俺の時間を取ってやってもいいぜ!」
「???ゼフェル、忙しいんなら、無理しなくていいのよ?私が壁の花になる心配してくれたの?でも、えっと、今クラヴィス先輩も、申しこんでくださったし…誰も踊ってくれないってことはなさそうだから…」
語尾を濁したアンジェリークは、オスカーが自分にダンスを申しこんでくれると言ってくれた言葉を大事に胸に抱きしめるように思い起こしていた。でも、オスカーの中で、この約束がまだ残っているかどうかはわからないから、アンジェリークは自分からオスカーにダンスを申しこむつもりでもいた。競争率が高いのは必至なので、ちょっとずるいかもしれないが、できれば今のうちの申しこんでおきたいとも。だから、オスカーがホールでの仕事を終えて早くここに来てくれないだろうかと、切に願っていた。
「だーっ!だから、今、空きのあるうちに言ってるんじゃねーか!」
「え?え?あの、だから心配してくれなくても大丈夫よ?」
このやり取りを面白そうに聞いていたオリヴィエが堪え切れずにぶっと吹出した。
「いや、大変だねぇ、ゼフェル。この子には衒いやかっこつけなしに、恥ずかしくても照れくさくても真っ正直な気持ちを言わないといい返事は返ってこないかもよー?」
「るせっ!それができりゃあなぁ…くろーしねーんだよっ!」
「?」
「リュミちゃんは、戦線に参加しなくていーの?出遅れちゃうかもよ?」
「いえ、私はまだ肝心のキングとクイーンの選定が済んでいないのですから、抜け駆けに意味があるかどうかわからないと思っているのです、ふふふ…」
「ははん、リュミちゃんは自信がありげだね。そっちの会長どのもその口かな?」
「はて、なんのことでしょう?私はキングとクイーンがどなたになるのか、楽しみなだけですよ、オリヴィエ」
「ああ、まったくだ。キングとクイーンが決らないうちから、あれこれ算段して先走っても無駄だからな。」
「ほんとに楽しみですねっ!一体どなたがなるのかしら〜、あ、そろそろ投票〆切りの時間じゃない?ゼフェル?」
「ああ、そういやそうだな。じゃ、4時きっかりに投票フォームさげて集計はじめっか。ちょっとここかりるぜ。」
ゼフェルは本部席の椅子にこしかけ、小型のモバイル端末から更新フォームをたちあげた。本部席はこのまま後夜祭の本部に移行するので撤収はかからない。
「4時だ…」
クラヴィスの宣告とともに、ジュリアスがマイクのスイッチをいれた。終了を告げるチャイムをBGMに
「以上をもって第256回ハーベストフェスタを終了する。」
とフェスタ閉場の宣言を行った。同時に会場のそこここから拍手がおきた。続けてジュリアスは5〜10分後にキングおよびクイーンの発表をこの放送及びHPで告知する旨と、後夜祭を予定通り午後五時から開催する旨も告げた。
同時にゼフェルが軽快にキーを叩き、投票集計のプログラムを作動させた。
オスカーがホールのチェックを終え本部席に到着すると、執行部のメンバーは全員その場に揃って、ゼフェルを中心に輪を作っていた。
「おい、なにをしているんだ?」
「あ、オスカー、お疲れ〜今、キングとクイーンの集計結果を待っているところなんだ。もうすぐ出るよ」
「ああ、今年からはオンライン投票だから、おれたちも集計に駆出されなくて助かるな。」
何ということはないセリフをいいながらオスカーはアンジェリークを目で探し、すぐさま視線で捉えた。いや、逆に捉えられた。縛られたように動けなくなった。
アンジェリークがじっと自分を見ていた。何かいいたげで、泣き出しそうにも見える切なげな瞳で、それでいて自分に微笑みかけてくれているような不思議な表情だった。目をそらせない。改めてダンスを申しこまねば…と思うのに呆けたように彼女の顔を見つめてしまうばかりだ。
アンジェリークはその少し前から、オスカーを見つめていた、オスカーの声が聞こえた瞬間、反射的にモニターから顔をあげ、声のするほうをむいていた。昨日から顔だけは幾度となく合わせていた。その姿は何度も見かけていた。なのに漸く…漸く会えたという気がした。どうしても言いたいことがある、どうか、お話をする時間をください、と。ううん…いきなり、そんなことは言えない…後で1曲踊っていただけますか?ダンスの約束をさせていただいてもいいですか?それだけでいい、せめて、それだけは言いたい。今、この機会に言わなければ…ダンスが始ってしまったら、オスカーは女生徒たちに十重二十重に囲まれてきっと声もかけられない。
「オスカー先輩、あの…お願いが…」
「お嬢ちゃん、お嬢ちゃんとの約束はまだ生きているだろうか?俺とダンスを…」
二人同時に口を開き、相手が話しかけてきた声に慌てて口を噤んでしまったその瞬間だった。
「よし!集計完了!」
ゼフェルの声にジュリアスが小さなモニターを無理矢理覗きこんで一声をあげた。
「クイーンは……うむ、やはりな……アンジェリーク!」
「は、はい!なんでしょう?ジュリアス先輩?何かお仕事ですか?」
飛びあがったように顔を向けたアンジェリークにジュリアスは思わず破顔した。
「そうではない…そなたがクイーンだ。フェスタのな…」
「………は?」
「…さもあろう」
「ショーでのモデルが駄目押しになりましたね。」
「おい、アンジェ!おめーだ、おめーがクイーンなんだよ!」
「おめでとう!アンジェ、あんたのそのドレス姿を見てたら、クイーンに選ばれたのもわかるわ」
「うそ…そんな…」
アンジェリークは驚愕に瞳を大きく見開いたまま、言葉が続かなかった。
この時アンジェリークを襲った感情は、まず戸惑い、それから『困った、どうしよう』という気持ちだった。喜びは欠片もなかった。何かの間違いではないか、自分が選ばれる理由がわからない、まったく現実感がないという感情が渦巻いていたことも大きかったが、もし、本当に自分がクイーンだったら、自分はキングとダンスでパートナーを組まねばならない。その事実が、誇らしさとか晴れがましさより困惑の感情に支配された原因だった。
私がクイーン?それならキングが…キングがオスカー先輩でなければ、私はオスカー先輩と踊れないの?お話できないかもしれないの?そんな…やっとお話できるかもしれないと思ったのに…この機会を逃したら、また、改めてお話したいなんて言出せるかどうかわからないのに…それなら、そうだ…オスカー先輩がキングになってくだされば…どうか、オスカー先輩がキングに…でも、でも、そんなに都合のいい話あるわけ…ないわよね…ああ、どうしよう…ダンスしている最中なら、お話がありますって言出せると思ってたのに…
今度こそ、紛れもなく今にも泣き出しそうな顔でアンジェリークにじっと見つめられ、オスカーは激しく動揺した。
『何故そんな哀しそうな辛そうな顔をするんだ、お嬢ちゃん…クイーンは女生徒の憧れなのに…君の魅力を皆が認めたってことなのに…なぜ、喜ばない?なぜ困ったような顔で俺を見る?』
そう思いながらオスカー自身も動揺を鎮められない。同時に激しい失望と落胆もない交ぜになっていたから尚更だった。アンジェリークにおめでとうと言って微笑んでやるべきなのに、どうしても笑顔が出てこない。強張った表情でアンジェリークを見つめ返すことしかできない。
迂闊だった。アンジェリークがクイーンになる可能性をどうして俺は考えていなかったのだ…彼女の魅力は俺にしかわからないとでも思っていたのか…この学園の生徒は馬鹿じゃない、その目は節穴じゃないんだ……
オスカーは自分がキングになるとは露ほども思っていなかった。今回は裏方に徹していたのでフェスタでは全く目だった活躍をしていない。一般に名前をうる機会は皆無だった。これが体育祭直後なら少しは期待できたのかもしれないが…これでアンジェリークとダンスをするチャンスすら逸してしまったことになる…まるで、1度起こした過ちは取り返す機会も与えられないのだと、それがアンジェリークを惨く泣かせた自分への罰なのだと何か目に見えない存在にいわれているような気さえした。
オスカーとアンジェリークは互いにすがるように見詰め合っているばかりで、他に気を回すゆとりがなかった。その間、他の男子生徒…特に長髪3人組はゼフェルの出した集計結果に自分の名前を発見しようと小さなモニターにむかって押し合いへしあいしていた。既に結果を知っているぜフェルは何故か憮然と天をみあげている。オリヴィエだけが特に関心を見せず1人高みの見物を決めこんでいるようだ。
程なくして長髪3人組が呆然とモニターから顔をあげた。
「納得がいきません…ええ、納得できませんともっ!何なのですかっ!この結果は!」
「まったくだ…これでは私たちの苦労は一体なんだったというのだ…」
「ううむ…これは…普段のファン層の厚さが現われたということなのか…?」
「それでいったら、私よりおまえの得票が多いということも納得いかんのだ、私は…何故私が3位なのだ…」
「ふむ、それは単にこの学園の生徒は見る目があるということであろうよ。」
「余計に納得いきませんっ!なぜ、執行部の中で私が最下位なのですかっ!あんなにファンサービスに努めたというのに!」
「どれどれ、ちょっと見せてー。あはーん、こういう結果か…ま、1位もだけど2位以下の結果がまた興味深いねぇ」
「だから、なぜ私がこのものより下なのだ…」
「これはねー、多分一般への露出度の差じゃないかなーなんて。」
「露出度だと?」
「そーそ、裏方のようでいて、あいつはホールで司会として丸2日間一般客の前にほぼ出ずっぱりだったじゃないさ。催しごとにアナウンスもしたし、こういっちゃなんだけど、あいつの声は私に負けずとも劣らずいいしね。目立たないようでいて、しっかり人の記憶に残ったんじゃないかな。で、それに次ぐ露出度があったのが、受付にずっといたジュリアスでしょ?いろいろな人に世話やいてたんじゃない?そしたらやっぱり普通の人は、目についた人に投票しちゃうんじゃないかね?」
「私たちのサービスは大多数への露出が足りなかったということか…」
「そりゃそうだぜ、クラヴィスにしろリュミエールにしろ催事で恩恵を受けられたのは昨日今日あわせてせいぜい何十人単位だろ?しかも、昨日なんざ、さんざ待たされた挙句何もしてもらえないで帰ったやつの方が多いっていうじゃねーか。そんな状態で投票する一般客なんているかよ。それでも投票したやつぁ、逆にいえばそれだけコアでディープなファンってことじゃねーの?むしろこれだけいたことを喜べよ」
「おまえなどは、校庭で自分がモデルになって青空写生会でもした方が一般受けしたのではないか?リュミエール?」
「じょ、冗談ではありません、クラヴィス先輩、私の玉の肌は生涯を誓った女性にのみ見せると決めておりますにのに…」
「…誰がヌードになれと言った…」
「しかも、おめーは鬼の予算チェックで各部の連中から恨まれてるってこと、忘れてんじゃねーの?やっぱ、こういうことは日頃の行いがものをいうからなー」
「日頃の行いでいったらあの歩く不品行、歩く公序良俗違反がなぜ一位なのですかっ!やはり納得いきませんっ!」
喧喧諤諤と騒いでいるメンバーの様子に、アンジェリークとオスカーが我に返って皆に尋ねた。
「あの、キングは…キングはどなたになったんですか?」
「そうだ、このかわいいお嬢ちゃんをエスコートできる運のいい男はいったい誰だったんだ?」
しらーっとした空気が一瞬流れた。
「おめー、それわざと聞いてんのか?すっげームカツクぜ!」
「なんなんだ、一体…俺はキングが誰なのかって聞いただけじゃないか」
「…いや、これは、マジでわかってないんじゃない?…」
オリヴィエがにやっと笑った。
「キングはリュミちゃんによると「歩く不品行」な男らしいよ、でもって「スモルニィの歩く不品行」といえば誰のこと?」
「おい、そんなこというのは1部のもてないやっかみ男だけだろうが。麗しのレディたちは俺を学園1の伊達男とかプレイボーイとか……って、おい、俺か?」
一瞬心底意外そうな顔をして、直後、慌てたようにオスカーはこれ以上ないほど自身満々な笑顔をこれ見よがしに見せた。その表情はふてぶてしいとさえ感じられた。
「ふ…この学園の生徒も一般客も人を見る目は確かだな。表面の活躍度に惑わされず地味でも正当な労働をしたものを評価してくれたとは…」
「…オスカー先輩…オスカー先輩がキング?ほんとうに…?」
アンジェリークが感極まったように呟いてオスカーに向直り、そのままオスカーを黙って見つめた。自分の都合のよい願いが現実となってしまい思考がおいつかない。自分がクイーンに選ばれたこと以上に信じられない気がした。いや、日頃のオスカーの人気を考えれば不思議ではないのだが、自分がクイーンで、自分が望む人がキングになってくれたというその巡りあわせが信じられないのだった。
「…ああ、どうやらそのようだ。お嬢ちゃん、すまないがお嬢ちゃんの後夜祭のパートナーは俺だ。よろしく頼む…」
「あ、はい、私こそ、よろしくお願いします…あの、オスカー先輩、私、先輩に…」
慌ててアンジェリークはぺこんとお辞儀をし、すぐさま顔をあげて、オスカーに話しかけようとした。だが…
「よし、それではオスカーとアンジェリークを除いたメンバーはこれから後夜祭の準備に入る。キングとクイーンの決定は私が放送する、ゼフェル、そなたはHPにその旨の告知をアップロードしてくれ。そして、オスカー、アンジェリーク、そななたちにはキングとクイーンとして後夜祭の間はダンスが義務つけられる。アンジェリークは今のうちに休息を取っておくように。」
「あ、はい、わかりました…」
ジュリアスの取り仕切りにアンジェリークは言葉を飲みこんだ。飲みこまざるを得なかった。知らず知らず溜息が零れた。
「それと…オスカー、そなた、自宅は近かったな?」
「はい、そうですが…」
「それなら1度自宅に戻って着替えて来い。制服でも悪くはないができれば礼装の方がクイーンと並んだ時に映える。テイルコートは持っているか?なければタキシードでもいいが、可能ならばテイルコートの方が望ましい。」
「…わかりました…」
「アンジェも1度部屋に戻った方がいいかもね。そのドレスのままじゃ風が出ると寒いかもしれないから羽織る物を持ってきたほうがいいよ。1度制服とかも部屋に置いていった方がいいしね。その間に私はブートニアを作っておいてあげるよ。キングとクイーンを飾るに相応しいやつをね?」
「じゃ、俺が帰るついでにお嬢ちゃんを寮まで送っていこう…荷物はこれだけか?」
オスカーは極自然な様子でアンジェリークの荷物を持った。
「あ、自分で持てます…」
「いいさ、お嬢ちゃんはクイーンなんだから…キングに傅かれてもばちはあたらん…というよりキングがエスコートしなくて誰がするんだ?」
「後夜祭が始るぎりぎりまで休んでてもいい、って言いたいけど、メイクを直してあげる少し前には戻っておいで?羽織る物も忘れずにね?」
「はい、オリヴィエ先輩、じゃ、すみません、1度部屋に戻ってます」
「またあとでねー、アンジェ!」
まるで天の配剤…いや、実はこんなことになるのではないかと予感していたオリヴィエは、どことなくギクシャクとした様子でエスコートし、されていく二人を見送った。
せっかくのチャンス、生かすも殺すもあんたたち次第なんだよ、と心の中で呟きながら。
アンジェリークは、オスカーの隣を歩きながら、破裂しそうな心臓をどう宥めたらいいものか、途方にくれていた。意識しないと右手と右足が同時に出てしまうほど緊張している。
せっかく二人きりになれたのに、言いたいとずっと思っていたことがあるのに…アンジェリークは、今度は胸がつまってしまって上手く言葉がでない。自分がクイーンとわかって1度はそれを困り切っていたのに、オスカーがキングになってくれて、ダンスを踊れることがわかって…何もかもが夢のようで信じられない気分だった。
でも、逆に『1曲でいいからダンスを踊ってください』と申しこむ必要がなくなってしまったから、とにかく、その一言を言うことで頭が一杯だったアンジェリークは、急に本題を切り出していい状況に置かれても何からどう話したらいいのか、まったく思いつかない。自分としては心の準備ができていないのに、いきなり水槽から大海に放り出された魚のような気分で、不安で心もとない気持ちで一杯だった。
それに、オスカー先輩は私がパートナーに決ったことを嫌がったりしてない…よね?さっき、嫌そうな顔はしてなかったよね?してなかったと思うんだけど…思わずもう一度ちらと盗み見るようにオスカーの横顔を見た。なぜだろう、きゅっと引き結んだ口元と生真面目な横顔にオスカーも緊張しているような気がする。
その途端に実感した。私、今、本当にオスカー先輩の隣を歩いてる…さっきまで、どうやって声をかけたらいいのかさえわからなかった。なのに、今、ほんの短い距離だけど二人で歩いてる…ウソみたいだけど…本当なんだ…夢じゃないんだ…私がクイーンに選ばれて、先輩がキングになってくださったから…
そう思った途端、涙が一粒、零れて落ちた。
その涙にオスカーの足が止まった。パートナーの様子を危ぶむように注意していたのは、アンジェリークだけではなかった。
「お嬢ちゃん…俺がパートナーなのは、泣くほど嫌…か?無理もないが…すまない、ダンスの間だけ我慢してくれ。もう、あんな馬鹿な真似は…あんな酷いことは2度としないと…信じてもらえないかもしれないが2度としないと誓うから…」
オスカーの苦渋に満ち満ちた物言いに、アンジェリークがびっくりして立ち止まった。
「ち、違います!私、よかった…って、オスカー先輩がキングになってくださって本当によかったって安心しちゃて、嬉しくて…さっきまで、こんな風に歩けるなんて思ってなかったから、余計に嬉しくて、そしたら何故か涙がでちゃって…やだ…私ったら何言ってるのかしら…」
「な…んだって?お嬢ちゃん、今、なんて言った?俺がキングになってしまって、嫌じゃないの…か?」
「そんなことないです!先輩がキングになってくださったのが夢みたいで信じられなくて…最初自分がクイーンだって言われて、嬉しいより困ってしまって…オスカー先輩と踊れないの?って思っちゃったから…先輩にお話したいことが…謝りたいことがあったのに、また言い出せなくなっちゃうと思ったから…」
オスカーが慌てたようにアンジェリークの言葉を遮った。
「待ってくれ!君が謝らなくちゃいけないことなんて何もない!謝らねばならないのは俺だ、俺のほうだ!俺は…俺は君に聞いてもらいたいことがあるんだ…謝らなくちゃいけないことがあって、その上で聞いてもらいたい話があるんだ…」
「先輩…そのお話って…」
アンジェリークは絶句した。胸中に嵐が吹き荒れた。オスカーの話とは何なのか、謝りたいことって何なのか、聞いてみたい、でも、聞くのが怖い。だって、自分だってオスカーに告げたいことがあるのに、オスカーの話次第では、それを告げることもできなくなるかもしれない…激しく波立つ心と同時にめまぐるしく思考も動く…そうよ、言出せなくなっちゃうかもしれない………そんなのは嫌!
だって、せめて…気持ちは打明けたい、叶わなくても、叶わないのがわかっていても、漸く気付いた自分の気持ちだけはきちんと伝えたい。
でも、もし、打明ける前から気持ちそのものを否定されてしまったら…私に謝りたいことって、もしかして…「君を好きでもなんでもないのに、キスして悪かった」…そんな意味のことかもしれない。そんなことを言われたら、私、打明ける勇気がくじかれちゃう…
オスカー先輩が私を好きでキスしたんじゃないことはわかってる。でも打明ける前に駄目押しみたいに「好きでもなんでもない」なんて言われたら、私、挫けちゃうかもしれない…「それでも私は先輩が好きです」なんて告白する勇気を持っていられるかどうか自信ない。それに、そんなことを言われたら、私、平気な顔で先輩と踊れるかどうかの自信もない。勝手に恋して勝手に失恋しただけだって言われたらその通りだけど、つい今しがた失恋したその相手の腕に抱かれて笑いながら踊ることなんて、いくらなんでもできない…でも、泣きながら踊ることなんてもっとしちゃいけない…みんな楽しみにしてる後夜祭だもの…
それに打明けられないまま恋を埋めるなんて…そしたら、この気持ちを私はどうすればいいの?どこに持っていけばいいの?叶わくても、せめて、自分の内部で折り合いをつけるために打明けたいっていうのは、わがままかもしれない、自分勝手かもしれない、でも、でも…持って行き場のない思いをずっと抱えたままでいたら…私、パンクしちゃう、それなら、せめて、きちんと打明けて、きっぱり失恋するほうがいい…って思うの、わがまま…だよね、それはわかってるけど、でも…
アンジェリークはきっと顔をあげた。自分の胸に手をあて、必死になって訴えた。
「先輩、待って、待ってください、私も、私も先輩にお話したいことがあるんです。謝りたいだけじゃなくて、お話したいことがあるんです。どうか、私の話も聞いてはいただけないでしょうか?」
「…それは…そうだな…そうかもしれない…な」
オスカーは改めて思う。
一方的に謝罪の言葉を奔流のようにぶつけることは単なる自己満足に過ぎないかもしれない。
俺が謝るまえに、彼女が俺にいろいろ言いたいことはあって当然かもしれない。オリヴィエの言葉によれば…彼女は俺が彼女を故意に遠ざけようとしたことに気付いていたという。そのためにわざと怖がらせるために口付けたことも。彼女を遠ざけようとしたのも、俺の手前勝手な理屈からで、そのやり方ときたらそれに輪をかけて最低だった。彼女がキスも初めてだったとしたら…いや、初めてだろうがなかろうが、罪の重さに替りはないのだが、初めてだったら、尚更、惨い事をしてしまったと思うから。だから、どんな非難も、それは俺が耐えるべき謝罪の一環だ…
でも、それなら、なぜ、彼女は俺がキングでよかったなんて言ったのだろう……いや、きっと話したいことを話す機会がほしかった、いい切っ掛けになった、それだけだろう。
彼女が、誰の手を望んでいるか、オリヴィエは夢のようなことを言っていたが、それはまさしく夢だ。ヤツの憶測にすぎない。よしんば、その時点では某かの希望があったのかもしれないが今となっては…儚い期待は抱くまい。自分のあらまほしい方向に現実を捻じ曲げたって得るところはないのだから。
「それなら…今はどちらにしろあまり時間がないから…そうだな、後夜祭が終わったあと、君の時間を少しもらえるだろうか?俺が君の話を聞き、俺の話を君に聞いてもらえる時間を、俺に少し分け与えてはくれないだろうか…」
「は、はい…後夜祭が終わった後に…わかりました…私もその方が…」
「え?」
「いえ…なんでもないんです…」
アンジェリークはほっとした。オスカーと踊れるのは今夜一回きりかもしれない。それならせめて、この恋心を抱いたまま踊りたい。せめてダンスしている間だけでも、この気持ちを大事にしてやりたい…
「じゃあ、お嬢ちゃん、俺は女子寮の中までは入れないから…」
「あ、はい、お引止めするようなことしてしまってすみませんでした。あの…先輩、おうちは近くでいらっしゃるんですか?」
「ああ…10分くらいだ、心配には及ばない…じゃ、後夜祭の前に迎えにくる。寮の受付で呼び出すから…後夜祭に向う時も俺にエスコートさせてくれ…」
「はい、わかりました、あの、ありがとうございました…」
「じゃ、あとでな?………」
何事か一言呟くように言ってオスカーは裏門の方へ歩いていった。
アンジェリークはオスカーの言葉に寮の門前に木偶のように突っ立ったまま動けなくなった。
聞き間違いだろうか?空耳だろうか?最後に微かに何か聞こえたような気がした。「俺の…」と言われたような気がしたが、すぐにそんな筈がないと思い返した。万が一オスカーの言葉が自分への呼びかけだったとしても、それが女王に対する敬称なら所有格が一人称の訳はない。なのに一瞬自分がオスカーから「俺の女王」と言われたような気がして心臓が止まりそうになったのだった。
「馬鹿みたい…そんなことあるわけないわよね、私ったら自意識過剰にもほどがあるわ…それより準備しておかなくちゃ…」
アンジェリークはぷるぷると頭を降ると、自室に戻った。制服をしまってから大判のカシミヤのストールを引っ張り出して手に持った。
「これなら冷えこんでも大丈夫よね…あ、そうだ…もしかして、少し遅くなるかもしれないから…」
オスカーとの話は後夜祭の後ということになった。後夜祭終了から正規の寮の門限までさほど時間があるわけではないので、アンジェリークは、寮の舎監に夜間外出届を出すことにした。外出届を出しておけば午後11時の最終門限までに寮に帰ればいいことになっている。寮の外出及び外泊届は、生徒を管理するためのものではなく、不慮の事故などで帰宅が遅れた場合、警察への問合など迅速な対応をするためのものなので、申請するだけで、外出の用件をチェックされたり、外出に許可が降りないということはない。それでなくても今夜は文化祭なので、普段寮住まいの生徒を訪ねてきている近親者も多いので、外出届もいつになく多いのだと申請を受取った舎監が言っていた。
あなたもご両親がお見えになってるの?という舎監の問い掛けに『ええ、まあ』とうわの空で曖昧な相槌を打ちながら、アンジェリークは、オスカーの話とは何だろうと考えずにはいられなかった。謝りたいこと…の見当はついていた。ついたからこそ聞くのが怖い気がした。
オスカーは、後夜祭開始の10分前にはアンジェリークを迎えに来た。寮から後夜祭のメイン会場である園庭まで5分たらずなので、時間は十分余裕がある。
「お嬢ちゃん、待たせたな、さあ、いくか…」
でも、アンジェリークはオスカーの言葉が聞こえていなかった。正確には耳には入っていたのだが、頭で意味を理解していなかった。
ジュリアスに言われた通りテイルコートをきっちり身につけてきたオスカーに文字通り見惚れてしまっていた。
テイルコートは黒、ベストはつや消しのシルバー、シャツとネクタイは白絹で、手袋も白だった。モノトーンがオスカーの緋色の髪によく映える。自分に差し出された腕には、髪の色に合わせたのか燃えるような色合いの貴石があしらわれたカフリンクスが飾られおり、効果的な刺し色となっていた。
「お嬢ちゃん、どうした?」
「あ、はい、すみません、先輩」
見惚れていたとはいえず、黙って頬を染めて俯き、アンジェリークはオスカーに促され慌てて半歩遅れて後をついていこうとした。
「お嬢ちゃん…その、エスコートさせてもらえないだろうか?君が嫌でなければだが…」
オスカーがわかりやすく上腕に空白をつくって差し出したので、アンジェリークは更に真っ赤になって俯きながら
「い、嫌じゃないです…」
と言って、小鳥のように控え目にそっと自分の手をオスカーの腕にかけた。
心臓が破裂しそうに高鳴るので『これはキングが礼節としてクイーンをエスコートしてるだけなんだから…浮かれちゃだめ、いい気になっちゃだめよ!アンジェ』と必死に自分に言聞かせた。でも、そう言聞かせても周囲に聞こえるのではないかと思うほどのどきどきはどうやっても鎮まらない。
オスカーが何も話さないので、それでなくても平常心とは程遠いアンジェリークは自分から話しかけることもできず、会場でお馴染みのメンバーの姿を見つけたときは、安堵のあまり涙腺が緩みかけた。
「あ、来たね、お2人さん」
「オリヴィエ先輩、会場の準備はもうお済みになったんですか?」
「ああ。実行委員だけじゃなくて一般生徒たちもランタン飾ってくれたからね、あっという間に飾り付けは終わっちゃった。ファイヤストーム用の木も組んであるし。あとは点火するだけ。軽食だけど、手配してあったケータリングもほら、もうすっかり準備整ってるから、後でおなかが空いたらなんか取ってもらって少し食べるといいよ。後夜祭の予算は厚く取ってもらっておいたからさ、今年は量も質もかなりいいよね、ねー?リュミちゃん?」
「あたりまえです。私は無闇に予算を削っているわけではないのです。注ぎこむべきところはきちんと注ぎこみます」
「ああ、そうだ、そなたが有能なおかげで、今年は料理の質も量も数段良くなっているようだからな」
「しかし、そういう縁の下の力持ちは一般の方にはなかなかわかってもらえないものなのですね…くくく…」
「あー、せいぜい私が触れ回っておいてあげるからさ。今年の料理がいいのは、力持ちな会計のおかげだってさ。それで、来年のキング選出に期待をつなぎなって。」
「ええ、今年でフェスタが終わるわけではないですし、来年も、私とアンジェリークは供に学園に在籍しておりますしね…ふふふ…」
「ところで、お二人さんもなかなかお似合いだよん。アンジェはもともとかわいいけど、あんたも、そうやってきちんとしてればまっとうにみえないこともないよ。」
「俺がきちんとしてると決りすぎてイヤミだろう?他の男が学園に来るのが嫌になっちまうだろうから、普段は着崩してやってるのさ。」
「おや、私はまた、首が太すぎて第一ボタンが締らないから、いつもだらしないのかと思っていましたよ」
「芸術家を気取ってる割にはおまえのボキャブラリーもたかが知れてるな。俺の首は太いんじゃなくて、逞しいって言うんだ。まったく俺が決めすぎると男のジェラシーが煩わしくて仕方ないぜ」
「はいはい、わかったわかった。さ、おいでアンジェ、メイクをちょっと直そうね。あと、これ…」
オリヴィエが色とりどりの生花で作られた大小2つのコサージュを差し出した。大きいコサージュは自在に曲がる櫛にテグスで留められており、小さい方は細いリボンで束ねられたブートニアになっていた。
「わぁ、きれい…かわいいですね、これは…髪飾りですか?」
「そ、生花だから数時間しかもたないけどね…でも、だからこそ綺麗なんだよ」
オリヴィエはアンジェリークの顔全体にパウダーをはたいてルージュを引きなおしてから、器用な手つきで生花があしらわれた櫛をアンジェリークの片耳の上あたりに差した。
「でもって、これは、まあ、おまけだね、あんたのパートナーの胸にでも飾ってやんな?」
「あ、はい…あの、オスカー先輩、つけてくださいますか?」
「喜んで…いや、謹んでその名誉を拝領しよう」
アンジェリークはぎこちない手つきで、自分の髪飾りと揃いのブートニアをオスカーのテイルコートの胸ポケットに刺した。
「おい、そろそろ時間だぜ」
「そうだな、では、私が後夜祭の開催を宣言した後、そなたたちを紹介する。紹介が済んだら即刻オナーダンスとなる、一曲目はワルツだ。よいな?」
「はい」
オスカーとアンジェリークは揃って返事をする。
五時の時報をまって、ジュリアスが園庭の中央に進み出た。
「これより後夜祭を開会する!」
と朗々と宣言し、その声を合図に、園庭に数ヶ所設けられた組み木に火が灯され勢い良く燃えあがった。途端に生徒たちの歓声があがった。この炎は明り取りと、夜の冷え込みを防止するための両方の役割を兼ねている。周囲は不燃性かつ熱伝導の少ない柵で覆われているので危険はない。
「今年のハーベストフェスタも皆の協力のおかげで、無事終了することができた。今年から導入した幾つかの試みもおおむね順調に運用できた。これも一丸となってフェスタを盛り上げようと皆が気運を高めてくれた賜物といえよう。生徒会長として礼を言う。」
最早一般客は会場にいないので、ジュリアスの開会挨拶は通常の演説口調に戻っている。
「では、これから2時間は無礼講だ。フェスタの成功を祝って大いに、飲み、食べ、踊ってほしい。では、後夜祭のダンスの幕開けを飾るキングとクイーンを紹介する。まずはキング、2年オスカー・クラウゼウィッツ」
ジュリアスの紹介にオスカーがアンジェリークの手をとって前に進み出、軽く手をあげて応えた。
(*オスカー&アンジェの全身像のイラストは、ななせ様のサイト「ぷち・えんじぇる」に掲載されております。是非是非ごらんになってください。ここから↓GO!
http://homepage1.nifty.com/Petit-Angel/index.htm)会場のあちこちから、拍手とうっとりしたような嘆息と、賛嘆と落胆の両方がない交ぜになった黄色い歓声があがった。賛嘆は文字通りオスカーがキングになったことを喜び祝うものだが、落胆の声は、これでオスカーとはダンスができないとがっかりした女生徒の声である。
「クイーンは、1年、アンジェリーク・リモージュ」
オスカーに片手を預けたまま、アンジェリークは片足を引いて優雅に一礼した。
こちらには拍手と同時に野太い声援がおきた。運動会でのチアガール姿や、受付での愛らしく親身な応対にアンジェリークには密かに多数のファンがついていたようである。
オスカーがアンジェリークの手を改めてきちんととりなおして園庭の中央に誘い、定位置についた。
「キングとクイーンのオナーダンスをもって、後夜祭の開始とする」
ジュリアスの宣言と同時にワルツが流れた。
「お嬢ちゃん、いくぜ」
「はい、先輩」
オスカーの大きな手が背中にそっとあてがわれた。触れるか触れないかの微妙な感触がなにかもどかしい。でも、自分だってオスカーの肩にそっと…多分重さを感じないほどに微かに手を沿えているだけ、それが精一杯だった。軽く…でも、きちんと握られた手が熱い。手袋越しであることに安堵するような落胆するような複雑な気持ちがする。
ううん、今は余計なことは考えまい、そう、アンジェリークは思った。
どうしようもなく好きだと思う人の腕に抱かれて踊れるのだから。俯かずに真っ直ぐに好きな人の顔を見つめていられるのだから、息がかかりそうなほど近くで。僥倖のように与えられたこの幸せを、私は精一杯大切にしよう。1分1秒をいとおしんで抱きしめるように踊ろう。
決然と首(こうべ)をあげると、まっすぐにオスカーを見つめる。目と目が合う。オスカーも自分をみつめていた。氷青色の瞳は、今日はどこか優しげで深い色を湛えていた。最初に見かけた時の氷のように冷たい瞳でも、自分に無理矢理口付けた時の虚無そのもののような怖い瞳でもなかった。みつめていると吸いこまれそうだった。
2人はしっかりとホールドを組み、最初はゆったりと、だが、すぐに軽やかにステップを刻みはじめた。オスカーのリードは力強く、それでいて、流麗だった。無駄のないきびきびと切れのよい動きが、アンジェリークのほんわりとした可憐な雰囲気をより引き立たせる。アンジェリークの白いドレスは、くるくると回るステップに合わせまさに花びらが開いたようにふんわりとふくらみ、半拍ほど遅れて肩から流れるシフォンのドレープが風にのり、風をはらんで舞った。
途端に、会場中から唸るような歓声がおきた。後夜祭の始りである。男子も女子もそれぞれお目当ての相手に踊ろうと声をかけ、オスカーとアンジェリークを囲むようにダンスの輪をいくつも、幾重にも作っていく。あたかもひとつの花を中心に次々と様様な色の花が開くように。
「お嬢ちゃんは…軽いな…羽のように軽く、すべるように滑らかに踊る…」
「先輩のリードがお上手だからです…こんなに軽く踊れるのは…」
「ああ、いつまでも踊れそうだ…このままずっと…」
「…先輩…?」
軽やかな足捌きを見せるアンジェリーク、そのアンジェリークの手をとり、リードしている自分。しかし、この夢のような軽やかさは儚さに通じる、いかにも仮初めの幸せを思わせてオスカーは切なくなる。
この幸せは今一時の仮初めのものだとわかっている。わかっているからこそ、惜しむのだ。終わりがあると思うから1分1秒をも無駄にはしたくない。こうしてこの手に抱けるのも最初で最後かもしれないのだから…
この手を離したくない、このままずっと踊っていたいという気持ちはウソじゃない。だが、泡沫のような幸せに浸っているだけでは前に進めないこともわかっているんだ。俺は、自分の無思慮の責任をとらなくてはならないのだから…
互いが互いに、この時間をどれほど大切に思い、惜しんでいるかも知らず、2人は互いを見詰め合ったまま踊り続けた。