試験休みも明け、公式には終業式、生徒たちにとってはダンスパーティーの日まであと一週間と迫った日の放課後。アンジェリークは、生徒会室で連絡要員として一人留守居の状態であった。生徒会の執行部員はダンスパーティーの準備でそれぞれ出払っている。
ダンスパーティーは12月のこととて、後夜祭のように屋外というわけにもいかず、学園至近にある市内のホールを借りて行われる。学校側の主催だからその一切の費用は学園持ちだが選曲やホールの装飾は学生に任されており、生徒会執行部はその監督にあたる。飾りつけはインテリアや、ディスプレイを勉強しているデザイン科の生徒たちが主導して行う。もちろん学校側が決めた予算内で装飾材をまかなうことが大前提となっているので、財務のプロとしてリュミエールは装飾担当の会計係と打ちあわせに出ている。
ジュリアスとクラヴィスはホール借り上げの手続きに役所に書類を提出しに行ってしまっていた。
オリヴィエはデザイン科の生徒たちと装飾材の買いだしに問屋街に出ている筈だし、オスカーは設備チェックのため、ゼフェルを連れてそのホールに行っていた。
アンジェリークは学園側から提示されたダンスパーティーに出る権利のある(つまり期末考査に及第した)生徒数から、必要と思われる飲食物の手配を行っている。出席資格のある全員がパーティーに出るとは限らないが、ほぼ8割は出席するのが通例だとジュリアスから教えてもらってある。
事務手続きをこなしながらも、アンジェリークの頭の中は、ダンスパーティーよりもその直前にある個人的なイベントのことで一杯だった。
オスカーの誕生日まで、なにせもう一週間もないのだ。ダンスパーティーは週明けだが、オスカーの誕生日はこの週末にやってくる。
にも拘わらず、アンジェリークはいまだにオスカーに何をプレゼントしたらよいのか、決定打といえるものを見つけられずにいた。
試験休み中、アンジェリークは毎日のようにオスカーとデートできた。オスカーが日々いろいろな場所に誘ってくれて、アンジェリーク自身とても楽しく試験休みを過ごせた。オスカーの好むものも、その大まかな所はかなりわかってきた。
オスカーは俗にいう「勝負事」が好きなようだった。フェンシングもチェスもビリヤードも、目に見えて勝敗のわかるもの、なおかつ自分の実力がストレートに反映するものに闘志をかきたてられるらしい。負けず嫌いなのだなと思ったし、困難から逃げようとしない精神の強さは、勝負事への嗜好で養われたのか、それとも、精神が強いからこそ勝負事が好きなのか、それはわからなかったが、とにかく相補う関係なのだろうなとも思った。
闘うという事に通じるのか、身体の鍛錬も義務ではなく楽しみ、かつ、気分転換に上手く使っているのもわかった。その最たるものが乗馬のようだ。オスカーのような上級者となるとその運動量も相当なものだろうなと、ほんの僅かな時間乗馬しただけで、アンジェリークにもよくわかった。
オスカーが乗馬の際、馬装も自分で行い乗馬後の馬の手入れも自分自身で行っていたのを見て、馬好きなことも容易に知れたが、話しを聞くとそれ以外の動物も全般的に好きなようだった。
一緒にいられる時間が長かったから、この一週間というもの、オスカーの嗜好はかなりわかってきたと思う。
好きなもののめぼしも大体はついた。それでも、アンジェリークは「これしかない」と自信を持ってプレゼントを選ぶことがまだできないでいる。考えれば考えるほど悩んでしまうのだ。
一般的に言えば、趣味の道具を贈るのがいいのかもしれない。馬術用品や、ビリヤードのキューとか…でも、あたりまえだけど、もうお持ちのものがあるだろうし、お好みや拘りがおありかもしれないし…
装飾品は早々とリストから外した。オスカーは装飾品といえば左耳のピアスしかつけていなかったし、そのピアスはいつも同じデザインのもので、デザインを替えるということがなかったから、お洒落のためにつけているのではないようだった。一度、左耳のピアスの意味を聞いたら「これか?これは我が家の意匠みたいなものなんだが…まあ、そのうちな?」とはぐらかされてしまった。家の意匠というと家紋のようなものなのだろうか?意味があって身に着けているものなら、別のデザインのピアスを贈ってもオスカーが困るだろうと思い、アンジェリークはピアスをプレゼントのリストから外した。
甘い物は嫌いなののではなく、後口のべたつくものが好きではないのだということもこの休み中にわかった。さっぱりとして後口のすっきりする菓子類は好きなのだという。苦手なのは生クリームやバタークリームがこってり山盛りになっているような菓子で、レモンや洋酒を利かせた甘味を押えた菓子なら、むしろ好きだと言っていた。
それを聞いてアンジェリークはとりあえず、プレゼントのひとつを決めた。バースディケーキは自分で作ろうと思った。
『あんまり甘くない、さっぱりしたケーキがいいな。材料とレシピを考えておかなくちゃ…』
でも、菓子だけではなく、何か別のものもプレゼントしたい。女の子の喜びそうなものなら、すぐに見当がつくのに、男の人へのプレゼントはつくづく難しいものだとアンジェリークは嘆息した。
男性へのプレゼントなど父以外の人にあげたことがなかったし、父への贈物はある意味世の父親の喜ぶ定番商品…いわくネクタイだったり、ゴルフボールだったり、お酒のミニボトルだったり…を贈っておけば事は足りたからだ。
趣味に関するものなら、オスカーは何をあげても喜んでくれるとは思う、でも、アンジェリークがそれでは物足りない気がしてしまって、自分が納得いかないのだ。ある程度の目安はたっているが、これがベストというものが見つけられない。オスカーが本当に欲しいと思っているもの、喜んでくれるものをあげたいから。こんなに大好きなオスカーに心から喜んでもらいたいから。
この一週間というもの、オスカーと一緒にいられてアンジェリークはどれほど幸せだったかわからない。恋をするというのは、こんなにも心弾む、浮きたつ思いのするものかとしみじみ感じさせてもらった。好きな人と一緒にいられ、同じ事をして楽しい時を過ごせることがこれほど幸せなことだと思ってもみなかった。
一日一日がとても楽しくて、だからこそ、オスカーと一緒にいる時間はいつも短すぎるような気がして、アンジェリークは日増しに欲張りになっていくような自分が少し怖くなったほどだった。午前中から一緒にいても、夜に寮まで送られる度に「まだ帰りたくない」と思ってしまう自分。オスカーともっともっと一緒にいたくて、その気持ちが日に日に際限なく膨らんでいくようで…
それでも、明日もまた会えると思うから、朝がくるのが待ち遠しい。どんよりと鈍色の雲がたれこめた、見るからに陰鬱な朝でさえ、気分が塞ぐということがない。こんな思いができる自分はしみじみ幸せだと思うからこそ、オスカーに感謝も込めて贈物をしたいのに…
「ああ、難しいな…ほんとに何がいいんだろ…」
「どーしたの?そんな憂い顔しちゃって…」
言葉と同時に真っ白でふわふわした物がぽふんと鼻先に宛がわれ視界も真っ白に埋まった。
「?…あ、オリヴィエ先輩、おかえりなさいー!お早かったんですね!あの…このふわふわしたものは何ですか?ファー…じゃなくて羽?」
アンジェリークが自分の視界からそっと摘んで取り除けてみたものは、真っ白な羽でてきた長いマフラーのようなものだった。
「ふふん、これはマラボーだよん。この時期の問屋街って私みたいなのには目の毒でさぁ。もーあっちこっちにドレスの装飾に使いたい素材がてんこもりなんだ。ラメに、スパンコール、リボンやらパールビーズやらファーやら…で、装飾材の買物終わらせてから、いろいろ自分の物、買ってきちゃってねー。」
「あ、じゃあ、今度はこういうふわふわ素材のドレスをお作りになるんですか?かわいいでしょうねぇ。できたら見せていただけますか?」
「うん、もちろん。でさ、あんた、もうパーティーの時のドレス決ってる?もしよかったらあんたのパーティードレスを私に預けてみない?新調する時間は流石にないけど、もし着る物で悩んでるなら、あんたの手持ちのドレスに私がこの辺の材料使って少し手をいれてあげるよ。」
「ほんとですかっ!じゃ、ドレスは決ってたけどお願いしちゃおうかな…」
「ってことは、着る物で悩んでたわけじゃなさそうだね…何か、どんよりしてみたいだけど、どうしたの?あいつと何かあった?」
「やだ!そんなことないです!オスカー先輩はもーものすっごくやさしくしてくださって、私、毎日、これ以上ないくらい幸せで…」
アンジェリークはこう言ってから、少し間をおいて、躊躇いがちにオリヴィエに尋ねた。
「私、そんな憂鬱そうな顔してました?ちょっと悩んでましたけど、憂鬱な訳じゃないんです…あの、オリヴィエ先輩、一般論でいって、男の方への贈物ってどんなものがいいんでしょう?喜んでもらえる贈物って何だろう?って考えてたらぐるぐるしちゃって…いい考えが浮かばなくて、それでちょっと困ってたんですけど…」
「プレゼント?そりゃ、人によって喜ぶ物は違うだろうけど…あ・はーん…」
オリヴィエは何か察したようだった。
「そうだねぇ。人によっても好みは違うから一概には言えないけど、贈物ってね、基本的にその人が興味を持ってて、でも自分で買うにはどうしようかな?って思ってるようなものがいいんだよ。その人の趣味がわかっているなら、それが一番確実かな」
「はぁ…」
でも、オスカー先輩はお金持ちだもの。なんでもお持ちじゃないかなって思うから余計に悩むのよね…
なんとなく、要領を得ない顔のアンジェリークにオリヴィエは更にこう付け加えた。
「そうでなければ、自分がもらって嬉しいものを考えてごらん?アンジェ、あんたは、今、何してる時が一番はっぴー?何をもらったら一番嬉しい?そこから逆に考えてみたら?」
「私が今、一番幸せな時?もらって嬉しい物…?」
そんなこと考えたこともなかった。さし上げるオスカー先輩のことしか、頭になかったから…私が今一番欲しいものって何?アクセサリー?きれいなドレス?それはもらえたらきっと嬉しい…でも、それをもらった時が一番幸せかって言ったらどうだろう…私が今一番幸せなことって…
ひとつ思い当たることはある。でも、それをオスカー先輩も幸せだと思うだろうか…ううん、それより、そんな形も何もないものを贈物なんて言えるのかしら…?よく、わからない…
でも、私がもらったら一番嬉しい物…って言ったら…きっと先輩と一緒にいられる時間…いつも、あんまり短いから。もっともっと一緒にいたいと思っているから…でも…時間ってあげたり、もらったりできるもの?それがプレゼントになったりするかしら?
真剣な顔で考えこんでしまったアンジェリークをオリヴィエは優しい目で見守る。
「余計に悩ませちゃったかな?でも、本当に困ってたらね、本人にすぱーんときいちゃってもいいかもよ?案外、向こうも聞いてくれるのを待ってるかもしれないしね」
「あ…そういうこともありますよね…切っ掛けが掴めないってこともあるかもしれないし…でも、そうなのかな…」
『ふふ、語るに落ちてるよ、アンジェ…』
オリヴィエが楽しそうに笑んでいるのにアンジェリークは気付いていない。
「それに憂い顔見せると心配しちゃうかもよ、あいつが。あんたが何か悩んでるんじゃないかって。それくらいなら、ストレートに聞いちゃったほうがいいって。」
「あ、そうか…そうですよね、今みたいに、考えこんでる所を見られちゃったら先輩に心配かけちゃうかも…って、やだ、わかっちゃいました?オスカー先輩へのプレゼントで悩んでたって…」
「ふふん、もーばればれ。でも、第三者から見たらばればれのことも当の本人は悩みの原因が自分にあるなんて気付かないってこともあるから、オスカーに心配かけるかもよ?だから、悩むくらいならサプライズなんて狙わないで、本人に直接聞いちゃった方がいいんじゃないかな?」
「そう…そうですよね、先輩へのプレゼントで悩んで、それで先輩に心配かけちゃったら本末転倒ですもんね!オリヴィエ先輩、ありがとうございます!私、なんだか、肩の力が抜けたみたいです。」
「そーそー、無理すると疲れちゃうだろ?長く付合おうと思ったら、努力はしても無理はしない、いい?」
「はい!」
「じゃ、話し変わって、パーティーのドレスのことだけど…」
とオリヴィエが、パーティーに着ていく予定のドレスの事を尋ねてきたので、アンジェリークはその色と形状を説明した。そして、オリヴィエと、ドレスのアレンジならどんなものがかわいいか、今年の流行も考慮していろいろ話しているうちに、他に執行部員たちもそれぞれの仕事を終えて、生徒会室に戻ってきた。無論、オスカーも。
オスカーに『お嬢ちゃん、待たせたな。一緒に帰ろう』と言われて、アンジェリークはオリヴィエに会釈して席を立った。オリヴィエが意味ありげにウインクをよこしたので、微笑んでこっくり頷いたアンジェリークだった。
帰宅の道すがら、アンジェリークは、オスカーに誕生日のことを何度か聞こうとして、結局、あと一日だけ考えてみようと思いなおし、言出すのをやめた。
オリヴィエの言う『自分がもらって嬉しいもの』をもっとよく考えてみようと思ったから…というのもあったが、一緒に帰ったオスカーの様子を見て躊躇った部分もあった。
オスカーは、いつも通り紳士で優しくてそれでいて会話は軽妙で洒脱だった。『何かオリヴィエと内緒話をしていただろう?意味ありげなウィンクをもらってなかったか?』と聞かれたので、パーティーの時、着るドレスのことを相談していたのだと答えた。プレゼントで悩んで相談したことは、もちろん内緒だ。
他愛のない会話は道中途切れることはなく、なのに間近に迫った自分の誕生日のことをおくびにも出さないオスカー。そんなオスカーを見ていると、アンジェリークは、オスカーが本気で誕生日を忘れているのか、それとも誕生日を祝うなんてどうでもいいことだと思っているのかもしれないとの懸念がどうしても拭い切れず、それもあって、今日は言出さなかったのだ。
寮の自室に戻って制服を着替えながら、もう一度考えてみた。
お誕生日のこと、私から言う?言わない?ううん、これはもう決めた。明日こそ言おう、でも、オスカー先輩のお考えまではわからないから、あくまで、お尋ねするって形にしよう。「週末は、先輩のお誕生日ですよね?よかったら、私にお祝いさせていただけませんか?」って。もしかしたら、そういうことがお好きでないってこともあるかもしれないから…押し付けがましく「お祝いしたいんです」って言うのはやめておこう…
そして、もし、うっかり忘れてらっしゃるだけで、お祝いしてもいいって言ってくださったら、私は何をさしあげよう…オリヴィエ先輩がおっしゃっていたように『自分の誕生日だったら?』って考えてみよう…これがもし、私の誕生日だったら、私はどうしたいかな…
私…私だったら…皆でわいわいパーティ?…ううん、大好きな人と…オスカー先輩と二人きりで過ごしたい。お店で豪華なディナーを食べるとか、シャンパンを勢いよく抜くとかより、二人きりで静かにお祝いしてもらいたい。
そして、何をもらえたら嬉しい?…指輪?ネックレス?そういうものも、きっと嬉しいけど、今の私だったら…そう、帰る時間を気にしないでいい一日が欲しい。
夕方になって影がのびて…街のネオンがつくと、程なく帰る時間になってしまう。時間を知りたくないから時計をわざと見ないようにしてるのに、あたりまえだけど、その時間は容赦なくやってきて…外出届を出せるのは普通は週末だけだから、夜少しだけ長くいられるのも一週間に一日しかなくて…
だから、私だったら時計を気にしないでいい一日が欲しい。自分の誕生日だったら、私、オスカー先輩に「先輩の24時間、まるまるください!一日中私とずっと一緒にいてください」ってお願いしちゃう…誕生日だから今日だけわがまま言わせてくださいって言って。先輩を一日中一人占めできること、きっとそれが何より嬉しい、何より欲しいプレゼントだと思うから…
と、ここまで考えを巡らせた時、アンジェリークはかぁっと頬が熱くなった。
やだ、これって…私、今、すごく大胆なこと考えてた…?
だって、一日中一緒にいるってことは…帰りを気にしなくていいってことは…朝会ったとしたら、その次の朝まで一緒にいたいって言ってることと同じ…?それって、それって、一緒にお泊まりするってこと…よね?…そういう風に思われちゃう…っていうか、それが当然?だと頭のどこかで思ってた?だってお泊まりしなくちゃ、1日中一緒にはいられないもの…
オスカー先輩とお泊まり…お泊まりなんて…か、考えただけでくらくらしちゃう…手をつないで、抱きしめられて、キスしてるだけでもいっつも心臓が破裂しそうなのに…そんなことになったら、どきどきし過ぎて死んじゃいそう…
火照る頬を片手で押えながら、アンジェリークはハンガーに掛けた制服をクロゼットにしまおうとして、クロゼットの内扉の鏡に写った自分の姿にふと、見入った。
ミニスリップの肩紐のあたり、以前この辺りにくっきりと刻み付けられた紅色の跡は、もう、ほとんど見えなくなっていて輪郭すらわからなかった。
「消えちゃった…」
この刻印を付けられた時は、恐ろしくて仕方なくて、オスカーはこんなことをしてまで自分を遠ざけたいのかと思いしらされて辛くて…あの時の気持ちが今は信じられない。
あの時、オスカーは言った。「俺に近づくということは、こういった跡を全身につけられることだ」と。『それが嫌なら俺に近づくな』実際に言葉は発されはしなかったが、アンジェリークには、はっきりそう聞こえた。だから泣いた。そこまでしてオスカーが自分との関わりを断ちたいと思ってることが哀しくてならなかった。自分の意志に関わりなく、蹂躙するが如くオスカーの存在を自身に刻みつけられてしまうかもしれないことが怖かった。あの言葉の意味する所ははっきりわかったから、怖かったし哀しかった。
もちろん、オスカーのその時の真意が今はわかっている…敢えて汚れ役になろうとしたその気持ち、そのやさしさも、不器用さも…
だったら、今は?今の私は?あの時無理矢理つけられた刻印が消えてしまったことを、惜しむような気持ちになってる今の自分は?オスカーを自分から抱きしめたいとさえ思った今の自分は?
オスカー先輩を知ることが、全身に刻印を刻まれることだとして、今の私は、それが嫌?こわい?…いいえ、不安はあるけど…きっと嫌じゃない…そうすることで、もっと先輩と近くなれるなら…ううん、私は、自分のほうが、先輩をもっと知りたい、もっと近しくなりたいって思ってる…だから、きっと……
そう思うと、更に頬が燃える。微熱があるように眩暈がしてしまう。
でも、今回はオスカー先輩のお誕生日だもの、自分の誕生日だったら迷わなかったけど、オスカー先輩のお誕生日に無理矢理自分の気持ちを押し付けることなんてできないもの。私が私の気持ちをうちあけて、わがままを聞いていただくのは、私のお誕生日までお預けにしておかなくちゃ…私がこどもっぽすぎて先輩にそんな気がなかったとしても…お誕生日なら、わがままを聞いていただけるかもしれないから…きゃ…やだ…私ったら…
顔が火照ってのぼせてしまいそうな気がして、アンジェリークは窓を開けた。きんと澄んだ冷たい空気に頬をなぶられ、漸く気分がおちついた。
明日、明日こそ言おう、先輩のお誕生日をお祝いさせてくださいって。できたら、何か欲しいものはありませんかってことも聞いてみよう…
その頃、オスカーが自宅で自分のふがいなさを一人呪っていることなど、アンジェリークは想像だにしていなかった。
今日も言葉を考えているうちに言出す機会を逸してしまった。
しかし、オスカーは頭の中で、アンジェリークへ告げる言葉をシミュレートすればするほど、口が重くなってしまうのだ。
何度手順を考えては、これではダメだ…と頓挫したことか。
今度の週末は自分の誕生日だ。だから、一緒に祝ってくれないか?と率直に請う。
君はプレゼントは何がいいかと、聞いてくる。もしくはプレゼントは何がいいかと迷うだろう。
そして俺は答える。何もいらないから、君と二人きりで過ごしたい、誰にも邪魔されず、できれば一日中一緒にいたい…
だが、こんな曖昧な言葉で君は俺の欲するところをわかってくれるだろうか?
かといって『誕生日だから、俺の部屋に招待したいんだが、その日は君を帰したくないから、外泊届を出してから来てくれ』なんて事務手続きじゃあるまいし、言える訳がない。
そんな直截な要求を述べたら、先輩の馬鹿っ!と言われるか、不潔!と言われるか、大嫌い!と言われるか、黙ってひっぱたかれるか、怯えて泣かれるか…想像するだけで頭を抱えたくなる。とにかく、俺は君に軽蔑され嫌われるのが怖くて仕方ないんだ。昔、君を傷つけ泣かせてしまったから。その事実が、俺に二の足を踏ませる。懲りもせず考えなしな振る舞いをして君を泣かせたら…と思うと、俺の舌は口の中に張りついちまう。君と想いが通じる前は…君に軽蔑されても嫌われても、俺に近づくよりはいい、そんな馬鹿なことを考えていた自分が嘘のようだ。
しかし、はっきり言わなかったら君はきっとわからないだろう、俺がどんなに君を欲しているか。
君を寮に送り届けるたびにこのまま攫ってしまいたいと、俺が毎日考えているなんて、想像もできないだろう。
だが、俺の想いの丈を言葉にしようとすると、それはとても薄っぺらで、表層的なものになっちまう。
君と二人きりで過ごしたい、一晩中この腕に閉じこめてずっと触れていたい、君が欲しい…
これだけ聞いたら、俺が君を抱きたいだけだと思うだろう?単にSEXしたいだけだと、そう思われてあたりまえだ。
でも、違うんだ。君を抱きたくないと言ったら嘘になる。君を抱きたくて、ひとつに結ばれたくて、乾いて飢えて、俺は気が狂いそうだと思うときがある。でも、それだけじゃない、単純に君を抱ければいいんじゃないんだ。
俺がほしいのは…君が俺と同じほどの熱意と情熱で俺を想ってくれている、その証だ。君との確かな絆が欲しいんだ。
身体だけが欲しいんじゃない。でも、目に見えない心だけでも、もう満足できないんだ。気持ちだけじゃもう堪え切れない。確かに君をこの手に掴みたい。君の身体も心も何もかもが欲しい。どちらか片方じゃない、どちらも両方欲しいんだ。君の全ては俺のものだと…俺一人のものだと思い知りたいんだ。
俺は欲張りだ…際限なく欲張りになっていく…わかっているのに気持ちが押えられないんだ…
君が好きで、君も俺を好きだと言ってくれ、それだけで震えがくるほど嬉しくて、今もその気持ちは変わらないのに、もっともっと君が欲しい、君を一人占めしたいと思っている自分がいるんだ。
君がオリヴィエと仲良くおしゃべりしてただけで、俺は嫉妬に胸が痛くなっちまう。こんなみっともない俺を君は知らないから…
でも、俺の気持ちを言葉にしようとすると、いきなりそれは上滑りなものになってしまうような気がする。君の何もかもが欲しい、確かな絆が欲しい、どう言ったって単にSEXしたいとしか聞こえないじゃないか…
その上、誕生日だから、と言ったら君は無理してしまうかもしれない。俺が望んでいるからと言って自分を殺す必要などないし、そんなことは俺の望みと対極にある。君が嫌なことを無理強いなどさせたくないし、無理を強いる気はこれっぽっちもないんだが…誕生日だと告げてしまえば…その上で二人で祝いたいんだなんて言ったら、気が進まなくても君は断れなくなってしまうんじゃないだろうか…
いっそ、誕生日でなければよかったのか?誕生日をやり過ごすのを待つか?
だが、それこそ何の理由もなしに君の心も身体も何もかも欲しい、なんて言出せやしない…
こんな情けない堂々巡りに掴まってしまって、俺は君に言いたいことが上手く伝えられないんだ。こんなに好きだと思う相手にめぐり合えて、その人も俺を好きだといってくれて、この上なく幸せなのに、それだけでは満足できなくて、でも、君に嫌われるのはそれよりもっと嫌で…
オスカーは、纏わりついた何かを払うように首を振って、長々と嘆息した。
だが、目を逸らしていたって、解決するわけじゃない。むしろ俺の渇望は酷くなる一方だろう。
それなら…上手くいえないかもしれんが…最後まで聞いてくれないか?と前置きしてから、自分のこの気持ちを不器用なりに現して伝えてみるか…もう、自分に嘘はつかないと、アンジェリークには自分を偽らないと決めたのだから…
アンジェリークが、既に自分の誕生日を知っていて、彼女は彼女でどうやって祝う気持ちを表すかに腐心していることなど、オスカーは想像だにしていなかった。
明けて翌日。今日の生徒会室はのんびりした空気が漂っていた。ダンスパーティーのための事務的な諸手続きはとりあえず手配し終えたので、生徒会としては、特に仕事らしい仕事はもうない。学園主催なので告知も出席者の管理も学園側が行ってくれる。手配したものに特に問題がおきなければこのパーティーは執行部員も単なる客として楽しめることになっている。
そういうわけで、オスカーは直接アンジェリークを教室まで迎えに行き、一緒に帰ろうと誘った。そして、校舎の玄関で「特に急いでなければ、ちょっと寄り道をしていかないか?」とアンジェリークに言った。
アンジェリークは少しだけ驚いたような顔をして
「私も、先輩と少しお話したいと思ってたんです…」
と言った。どことなく内面の緊張を伺わせる表情と声音だった。
どちらからともなく、あの東屋に行こうということになって、二人は裏庭に向った。
もう、相当に葉の落ちた木々の間を縫って歩くのもそれはそれで情緒のあるものだった。が、オスカーには冬枯れの木々の風情を愛でる余裕はなかった。
手をつないで歩いているアンジェリークも今日はなんだか静かに思えるのは、気のせいだろうか…おかげでなんとなく緊張してしまう。
そんなことを思いながら、東屋に着くとオスカーはアンジェリークと並んでベンチに腰掛けた。
「もっと側にくるといい。寒くないように…」
「はい」
素直に身を寄せてくるアンジェリークが愛しくて、抱え込む様に肩を抱く。口付けたい衝動が湧いたが今はそれを堪えた。
「なあ、お嬢ちゃん、今度の週末なんだが…」
「先輩、次の週末なんですけど…」
二人同時に発した言葉が同じ内容だとわかって二人は互いに顔を見あわせた。
「あ、あの先輩…何かご予定がおありなんですか?」
「いや、お嬢ちゃんこそ何か予定を立てているのか?」
一瞬の互いの間を計るような沈黙の後、先に口を開いたのはアンジェリークの方だった。
「あの…先輩、先に謝っておきます。勝手に調べちゃってごめんなさい!」
オスカーはアンジェリークのいきなりの謝罪に面食らった。アンジェリークが何を言出す気なのか、見当もつかない。
「な、何のことだ…?」
「あの、先輩、今度の週末ってオスカー先輩のお誕生日じゃないですか?そうですよね?」
「!………」
オスカーはたっぷり5秒は絶句した。
アンジェリークは俺の誕生日を知っていたのか?なぜ?言った覚えはない…いや、それより俺の心の内を読んだかのように、今、この時にこの話題が出るなんて…悪い冗談か?それともこれは天の与えたもうた僥倖なのか?あまりに出来すぎという気もするが…
オスカーの内心の混乱そのままに、オスカーの発した言葉もとりとめがなかった。
「お嬢ちゃん、知っていたのか?いや、その通りなんだが…お嬢ちゃん、なぜ…いや、俺は君に言ったことがあったか?」
「いえ…先輩からは教えていただいてないです。私もなんとなく面と向ってお尋ねする機会を逸してしまって、それで自分で勝手に調べちゃったんです…お嫌だったらごめんなさい…」
「いや、そんなことはない…ただ、君が俺の誕生日を知ってたんでちょっと驚いただけだ…」
「ほんと?気分を害したりなさってません?プライバシーの侵害になっちゃうのかな…とも思ったんですけど、私、先輩のお誕生日がどうしても知りたくて勝手に調べちゃったから…それで、もうすぐお誕生日なのに、勝手に調べたことがなんとなく後ろめたくて、それでなかなか言出せなくて…先輩も、ご自分のお誕生日がもうすぐ来るのに何もおっしゃらないから、もしかしてお忘れになってるのか、ううん、それならまだいいけど、お誕生日とかお祝いされるのがお好きじゃないのかも…なんていろいろ考えちゃって…」
「…君をいろいろ悩ませちまってたのか…いや、全然、そんな心配はいらない…でも、どうしてそんなに俺の誕生日を知りたかったんだ?」
アンジェリークはさも驚いたというような顔をしてから思いきり力説した。
「え?!そ、そんなの当り前です!好きな人の誕生日って女の子にとっては一年で一番大事な日ですもん!自分の誕生日と同じか、ううん、私にはそれ以上に重要な日です。先輩がうまれてきてくれた日なんですもん。こんな大切な日、他にないじゃないですかー!」
「そんな風に思って…調べたのか…」
「はい、私、ほんとに何の気なしに学生原簿を開いて、先輩のお誕生日を知った時、気付かずやり過ごしてしまってたら…って思ってぞーっとしちゃったんです。こんな大事な日なのに、何もしないで終わっちゃってたら悔やんでも悔やみ切れなかったわって…でも、あの、これは、私の気が済まないだけなんですけど、あの、先輩がお嫌でなかったら…私に先輩のお誕生日をお祝いさせていただきたいんです…」
「いや、嫌なんて思う筈がない。お嬢ちゃんの気持ちは嬉しいし、あり難い…」
オスカーは思ってもみなかった展開に、懸命に思考の整理をしているので、必要最低限の答え以外はどうしても口数が減る。それでも、オスカーの言質をもらえて、アンジェリークが嬉しそうに微笑んだ。
「ほんと!?ほんとですか!?じゃ、じゃ、先輩、何か欲しい物あります?私、テストが終わってからずーっとずーっと考えていたんです。プレゼントは何がいいだろうって。先輩のお好きなものとか、趣味にお使いになるものがいいのかな、とか。でも、もしもうご愛用のものとか、趣味のものに拘りがおありだとありがた迷惑になっちゃうかもって思って、何をさし上げたら一番喜んでいただけるのかわからなくなっちゃってぐるぐるしちゃって…ホントは自分で決めようと思ったんですけど…悩んで暗い顔見せるくらいなら、欲しいものをストレートに聞いちゃったほうがいいんじゃないかって、その…ある方にアドバイスしていただけたので…」
「俺のほしいもの?」
「はい、先輩の欲しいものです」
オスカーは驚いた様に瞳を見開いた後、躊躇いがちにアンジェリークに尋ね返した。
「…なんでもいいの…か?」
「はい!あ…でも、あんまり高価なものは、ちょっと難しいかも…」
一瞬アンジェリークはかなり焦った。オスカーのめがねに叶うブランド品とかだったら、貯めておいたお小遣いでは買えないかもしれないと…でも続くオスカーの答えはアンジェリークの予想をまったく外れていた。
「形のないものでもいいか?」
「形のないもの?」
「君が俺を祝ってくれるというなら…俺は君と二人きりで過ごしたい。誰にも邪魔されない二人だけの一日が欲しい…」
「………先輩と二人きりで過ごす一日?…二人だけでお祝いするバースディ…?」
何故か、アンジェリークは舌先で転がして味わようにその言葉を呟いた。
「ああ、だから、その日は俺の部屋に来てくれないか?君を招待したいんだ…」
「え?先輩のおうちに…?はい、喜んで伺わせていただきます…」
アンジェリークはゆっくりと、どこか夢見心地な口調で答える。
「その時は…」
「はい」
一呼吸おいてから、オスカーは思いきって言った。
「…外泊届を出してきてくれるか?」
「え…?」
アンジェリークがその意図を確認するようにをオスカーを見上げた。
オスカーはアンジェリークの体をしっかりと抱きしめなおした。言葉を発してしまった以上、できる限りの心情を伝えなければと思った。真剣に自分の欲するものを伝えてみようと、決意した。わかってもらえるかどうかの自信はなかったが…
「君は俺に欲しい物はないかと聞いてくれたな?俺は…俺は君と二人だけの一日が欲しい…時間を気にしなくていい、君を帰さなくていい、君にさよならを言わずに済む一日が欲しいんだ…」
「!…」
アンジェリークが息を飲む気配が抱いた腕に伝わってきた。オスカーは拙くても自分の思う所を伝える努力をしようと言葉を続ける。
「もちろん、無理やわがままを通す気はない。誕生日だからって君に無理をさせる気はないんだ…だが、俺は…最近、君との別れ際が身を切られるように辛いんだ…会えば会うほどに君と一緒にいたくなる、寮まで送ってお休みのキスをしても、本当は帰したくない、このままずっと一緒にいたくて、送り届ける度にその気持ちは強まるばかりなんだ…だから、もし叶うものならば…俺は君を帰さなくていい一日が欲しい…」
「オスカー先輩…」
名を呼ばれ、オスカーは恐る恐るアンジェリークの顔を覗きこんだ。あたらさまな怯えや嫌悪、躊躇いの色が浮かんでいたら…と思うのは怖かったが、かといって返答を聞かないわけにもいかなかった。
だが、アンジェリークの表情に不思議そうな色はあっても、負の感情を思わせるものは何もなかった。むしろ、生き生きときらきらと輝く瞳が鮮烈だった。
「じゃ、その日はずっとご一緒していいんですか?私、ずっとオスカー先輩と一緒にいられるんですか夜にさよならしないで、日曜日の門限までずっと一緒にいられるんですか?……嬉しい…」
アンジェリークがオスカーにきゅうっと抱きついてきた。
オスカーは抱き返すことも忘れていた。今自分の耳に聞こえた言葉がどうにも信じられずに木偶のように固まった。
「…いいのか?」
オスカーは、数秒後、擦れた声で漸くこれだけ尋ね返した。
「はい…だって、私もお祝いできるなら二人で…二人きりでしたいって思っていたんです。それに…別れ際が寂しかったのは私も一緒なんですもの…だから、オスカー先輩と時間を気にしないで一緒にいられるなんてすごく嬉しい…オスカー先輩も、そうしたいと思っててくださったなんて嬉しい…先輩の誕生日なのに私のほうが嬉しくなっちゃいます…」
アンジェリークの声には、迷いも躊躇いも見えない、それどころか、本当に嬉しそうな様子がその声からわかる。
「アンジェリーク…」
思いもかけない反応にオスカーの方がどぎまぎが収まらない。まさか、即答でOKしてもらえるとは思っていなかったのだ。だからこそ、次の瞬間、オスカーの胸中にそこはかとない不安が渦巻いた。
君は、俺と1日中一緒にいる…翌日まで一緒にいるという意味が本当にわかってくれているのだろうか?
「アンジェリーク…その、きみは…」
「はい?」
どこまでも澄んだその瞳を見て、オスカーは言葉を飲みこんだ。
「いや、その…土曜日は何時ごろ迎えに行こう?」
「あ、あの、お昼すぎでもいいですか?私、午前中はケーキを準備したいんです。バースディケーキを作りたいんです。あんまり甘くないレシピを考えますから、召しあがってくださいますか?」
「じゃあ、昼ごろ迎えにいくから俺の家で食事をしよう。ケータリングを頼んでおくから…君がデザートを用意してくれるんだし…」
「はい、一生懸命作りますね!」
「ああ、楽しみにしている…」
オスカーはアンジェリークをぎゅっと抱きしめた。
アンジェリークがふと、思い出したように言った。
「そういえば、先輩も何か週末のことをお話しようとなさってませんでした?」
「いや、実は俺も、俺の誕生日のことを君に…」
「?」
「いや、要は君が俺の誕生日を祝ってくれる、それが大事だから…それ以上に大事で嬉しいことなんて他にないからな…」
アンジェリークの意図を今、ここで確かめる気にはなれなかった
泊まるからといってそれとこれとは別だとか、考えてもみなかったともし言われたら「じゃあ、泊まらなくていい」なんて言うつもりは、もちろんない。かといって今から生殺しの覚悟ができるほど自分はできた男じゃない…
ひとつ年をとる日は、自分の男の器を知り鍛えるいい機会だと思えと、自分に言聞かせた。
続く3日間、アンジェリークはとても慌しく過ごした。短縮授業でホントに助かったと胸をなでおろしたほどだ。
オスカーと放課後お茶もできなかった。
オスカーは品物は何もいらないとは『はっきり』と言っていなかったから、やっぱり小さなものでもいいから何かプレゼントを買おうと思ったし、ケーキの材料も買い出しにいかねばならない。一応、その内容くらいは秘密にしておきたいので、買物にオスカーに付合ってもらう訳にはいかなかった。だから、放課後はオスカーに真っ直ぐ寮まで送ってもらい、さよならすると着替えて速攻買物に街に出ていた。
寮住いで自分のキッチンはないので、土曜日に学校の家庭科室を借りる申請も出した。
オリヴィエには簡便なリフォームを施してもらうためパーティーの時に着るドレスも預けた。
もちろん、外泊届はすぐに出しておいた。外泊届に理由を書く欄がなかったのは幸いだった。
それゆえ、何よりの懸案事項は…オスカーの家に招待された時、何を持っていくかということだった。洗面道具に翌日の着替えは必須として、アンジェリークにとっての最重要問題は寝巻きと下着だった。
『お、お泊まりなんだから、ナイトウェアはいるわよね…パジャマ?じゃ子供っぽいし…ネグリジェって言ってもあんまりそれっぽいのも恥ずかしいし、第一オスカー先輩は、もしかしたら、ぜんっぜんその気なんてないのかもしれないし…だって、私、先輩ご本人よりも、きっと先輩が今までお付き合いなさってきた女性よりも子供だし…ホントに友達の家に遊びにいくの延長でのお泊まりに呼んでくださったみたいな気持ちかもしれないし…でも、一応、万が一の時のことも考えて準備しておいた方がいいのかな…きゃ!私ったら…やだー!』
一人でデパートの売り場で真っ赤になって頭をぶんぶん振っていたアンジェリークは、結局、白の木綿レース地に薄ピンクの薔薇のモチーフが散りばめてあるかわいらしいネグリジェを買い、やはり、白をベースにミントグリーンの花模様のレースが重ね縫いされているランジェリーのセットを買った。
オスカーには何を贈るか悩んだ挙句、スイス式のアーミーナイフで、幾つもの機能がついている物を選んだ。一人暮らしにも、乗馬で野外に行く時も万能ナイフはいろいろと重宝するのではないかと考えたからだった。
そして、自室では、毎日、前より念入りに髪やお肌の手入れをしてしまう自分、以前よりもっと鏡を見る時間が多くなった自分に気付いては赤面していた。
一方オスカーはオスカーで、アンジェリークを迎える準備に余念がなかった。とは言っても、ハウスクリーニングはデイリーユースを週に2回頼んであるので自室はいつも綺麗に整理されている。
ケータリングも市内のホテルに手配しておいた。その日の昼までには届く手筈だった。
あまり期待はできなかったが、一応のことを考えてリネン類もしっかりクリーニングに出しておいた。オスカーはこの時、自室に女性を連れ込んだことがなくて、本当によかったと心から安堵した。万が一アンジェリークと肌を合わせられたとして、幾人もの女を抱いた同じベッドではアンジェリークに申し訳ない気がしたし、アンジェリークだって、そうとわかればあまりいい気持ちはしないだろうと思ったからだ。もちろんモテる男の嗜みとマナーとして避妊具もばっちり準備してあった。
お互いにどれほど、胸を期待と不安に高鳴らせているかも知らぬまま、オスカーの誕生日当日がやってきた。