On-Side 2

翌日、アンジェリークは登校するとクラスメイト…女生徒たちの様子が妙に浮き足だっていることに気付いた。皆、妙にそわそわ、うきうきして落ち付かない様子だ。

「?」

アンジェリークが自分のかばんを机に置くとクラスメートのジェーンとソフィアが興奮した様子で駆けよってきた。

「アンジェ、聞いて、聞いて!オスカー先輩が留学から帰ってきたんですってー!」

「しかも二年次に編入ですって!」

「ってことは、あと1年半は同じ高等部にいられるってことなのよー!」

「あの素敵なお姿がこれから間近で見られるなんて…大学部にあがるまで戻ってこないんじゃないかって言われてたから、私たち、すーぱーらっきーなのよ!」

「???」

オスカー先輩って、昨日オリヴィエ先輩に紹介されたあのオスカー先輩?オスカー先輩が編入したからって皆は何をこんなに興奮してるの?

すっかり舞いあがって息つく暇もなく交互に話かけてくる級友に、アンジェリークは頭を疑問符で一杯にしつつ、その勢いにたじたじしていると、ロザリアがついとアンジェリークを背後から羽交い締めるようにしてその肩を引寄せた。

「あなたたち、この子にそんなことを言っても、何もわかりませんわよ。だって、この子はオスカー先輩を見たことがないのではありませんこと?この子は高等部からの入学ですもの。」

「あ、そっか!アンジェはオスカー先輩見たことないんだっけ。いやーん、もったいないー!」

「そうそう、このスモルニィに在籍していながらあの素敵な先輩を見たことないなんて、かわいそう…」

「そうよ、絶対オスカー先輩は一見の価値のある方よ!でも、きっとこれからどこかでお見かけする機会があると思うから、気をおとさないでね、アンジェ。」

「は…はぁ…」

『あ、もしかしたら昨日会ってる人かも…』

と言いかけたアンジェリークの言葉は興奮したままの級友に遮られっぱなしだ。それに「素敵」とか「見ないともったいない」とか「一見の価値がある」等の評価をアンジェリークの会ったあの男性と結び付けていいものか、アンジェリークは確信が持てなかった。

確かにアンジェリークの知っているオスカーは端正な顔立ちをしていた。でも、決して優しさとか、穏やかさを感じさせる容貌ではなかった。むしろ鋭く隙のない眼光は少し怖いような気さえして(アンジェリークがオスカーを不良だと思ったのはこのせいもあった)第一印象は決して女の子が憧れる優しい王子様タイプの男性とは思えなかった。それに、オスカーは確かに際立って整った容貌をしていたが、タイプというか印象や傾向が違うなら、同程度に見目麗しい男性ならこのスモルニィには他にもいるので、その『オスカー先輩』だけがこんなに騒がれる理由がアンジェリークにはさっぱり理解できない。だから、昨日会ったオスカーが今話題に上っているオスカーという人と同一人物なのか、断じかねていた。

「あの、私よくわからないんだけど、そのオスカー先輩ってどんな人なの?」

「もうねー!すっごく素敵なのよー!かっこいいのよー!筋骨逞しくて、凛々しくて、瞳は涼しげなアイスブルーで、髪は燃えるような緋色で、浅黒い肌が精悍で男らしくて、笑うと真っ白な歯が映えてすっごく爽やかなの!」

「そ、そうなの…」

どうやら、容貌の特徴からやはり、この『オスカー』は自分が知っているオスカーに他ならないようであるが、アンジェリークは、自分の受けた印象と級友のそれとに若干のズレを感じる。

「でね、女の子に平等に優しいからすっごくもてるんだけど、絶対にステディを作らないの。女性は皆、一人一人違った魅力があるから1人に決めてしまうなんてそんな罪な事は俺にはできない…薔薇と百合と蘭と…どの花が一番美しいか決めたりできないのと同じなんだ…なんて辛そうな瞳でおっしゃるから、皆、オスカー先輩に無理なんてしてほしくなくて、そのままでいいですー!って言っちゃうの。実際、恋人ができちゃうより、その方がわたしたちも嬉しいしね。それに、もしかしたら私との出会いを待っていてくれてるのかも…なんて思えるしー!きゃっ!」

「きゃー、何言ってるのよ!あんたでいいなら、私だってOKだわ。」

「そうなのよ、どんな女の子にも魅力をみつけて期待を持たせてくれるからオスカー先輩はもてるのよねぇ。目の前にいるときは自分だけを見てくれてるような気にさせてくれるっていうし…」

「え、えーと、それってもしかして、プレイボーイとか遊び人って言うんじゃ…どうして皆はそれがいいの?真面目じゃない人のほうがいいの?そういう態度ってなんか誠意がないみたい…」

「違うわよー!オスカー先輩は優しいのよ〜!一人に決めたら、他の子はどうしたって泣くんだから…それがわかっているから、一人に決めないのよ。それなら、皆のアイドルでいてくれる方が私はいいわ!」

「そういうものなのかなぁ?」

何か変だという違和感はあるものの、この力説に抗弁するだけの論拠がないので、アンジェリークは控え目に異義を述べるに留める。

「そうに決ってるじゃない!素敵な人は皆で平等にわかちあうの!オスカー先輩はそれをわかってくださってるみたいで、申しこめば誰でも平等にデートもしてくれるらしいのよ、でも、先約がつまりすぎてて、私たち一年生にはなかなか順番が回ってこないっていう話だけど…」

「はああ、そうなのよねぇ。在学中に一回でいいからデートしてみたいわ…でも、オスカー先輩にもいつかは恋人できちゃうんだろうな…」

「どんな美人ならオスカー先輩を振り向かせられるのか、見てみたいような見てみたくないような…ロザリア、あなたならいいとこ、行くんじゃない?」

「よしてくださる?私はナンパで半端な男性には興味ありませんの。男性の魅力は見ためではありませんもの。」

「あら、オスカー先輩は見た目だけの男じゃないわよ。中等部にいたときはずーっと学年TOPだったし、スポーツは万能だし、お家柄はいいし…あ、わかったわ!完璧すぎちゃうからロザリアの他人(ひと)の世話を焼きたいってツボを刺激されないのねっ!」

「あ、そうか!ロザリアは世話ずきだもんね!…だから、ゼフェルに口うるさいの?ランディにはお姉さんみたいに世話を焼いてるし…」

「あ…あれは…その…ゼフェルもランディもご自分の得意分野はともかく、それ以外のことにあまりにも無頓着だから、つい…」

「うん、ロザリア、優しいものね。学校に不慣れな私にいろいろ教えてくれたのもロザリアだったし。ロザリアからすると放っておけないっていうのは私もゼフェルもランディも同じレベルなのかしら?」

「そうよ、ゼフェルは機械いじり以外素行はどうしようもないし、ランディは運動神経以外はうっかりやだし、あなたったら、ぽやーんとしててほんとに危なっかしくて、見てられないから、つい…って、あら、わたくしったら…」

「ロザリアは面倒見がいいから面倒の見がいのある人が好きなのね、だから、何でも卒なくこなしちゃうオスカー先輩はアウトオヴ眼中。」

「いーじゃない。一人でもライバルは少ない方が。」

「えっと、じゃ、そのオスカー先輩って、何でもできる人なの?スポーツも 勉強も?で、ハンサムでしかもプレイボーイだからもてるの?」

「そうよ、なのに、全然気取ってなくて、そんなに凄い方に見えないところがまたいいのよ〜。文武両道に優秀でしかも見目麗しい先輩は他にもいらっしゃるけど、何か凄すぎたり、偉すぎたり、真面目すぎたりで近寄り難いんですもの。あなたが平気でジュリアス先輩やクラヴィス先輩とお話してると度胸あるわって思うわ。オリヴィエ先輩に気後れしないのも…」

「?どうして?皆さん、とっても優しくていい方よ?」

「だって、ジュリアス先輩もクラヴィス先輩も何か、こう、怖いような気がするんだもん。オリヴィエ先輩みたく女より綺麗な先輩には引け目を感じちゃうし…」

ジュリアスは確かに厳しいけど、ぴしっと筋が通っているだけで無闇に怖いわけではない。クラヴィスも無口で、表情はあまりかわらないが、それを怖いと思ったことなどない。でも、自分は皆とは逆にオスカーに何か畏怖のようなものを感じた。それは自分がやはり世間知らずだからだろうか。

同じ高校生のはずなのに、今まで見たことのあるどんな男子生徒とも違っている気がした。タバコなんて平気で持ってたり、制服の着方はおっそろしくだらしなかったりとかの表面的な事ではなく、上手く言えないのだが、なにか近寄るのを躊躇いたくなるような雰囲気があった気がしたのだが…自分が目の前で対峙した時ではない、オリヴィエと話しこんでいる様子に声がかけられずに物陰から覗いていた時だけだったが。確かに一度挨拶をしてからは級友たちの言う通りの気さくな笑顔を見せてくれたオスカーだったが…

「でも、その点オスカー先輩は、くだけてらっしゃるから親しみやすいし…優秀なのに全然かしこまってないし、堅物でもないし。ロザリアの言う『ナンパ』なところが、このスモルニィでは、また貴重っていうか、あまりいないタイプだし…」

うん、それはわかるわ。あのだっらしない制服の着方に、板についた煙草の扱いだもの、真面目に見えるわけないわ…と思ってアンジェリークは急に引っ掛かりを覚えた。なんというか…「堅物でない」とか「ナンパ」という見方からすれば類型的というか余りに型にはまっているようだという考えがふと頭をもたげた。

「そうよぉ、でも、学業もスポーツも家柄も申し分ないから先生方にも一目置かれてて、あ、だから、留学前はもちろん生徒会執行部にいたのよ。生徒会長のジュリアス先輩の片腕みたいに言われてたんだから。」

「そう、そんなんだ、やっぱり…」

「え?何よ、アンジェ、あなた、オスカー先輩を知ってるの?」

「知ってるっていうほど知ってるわけじゃないけど…ちょっとね。」

アンジェリークは、昨日の事を思い返した。オリヴィエを探していて偶々出会った、その緋色の髪の男性のことを。

 

生徒会室に急ぎオリヴィエと戻ったアンジェリークを生徒会長のジュリアスは待ちわびていたようだった。

「遅いぞ、アンジェリーク、どこに行っていたのだ。フェスタの進行原案をみたいと言っておいただろう?」

「す、すみません、ジュリアス先輩!今すぐプリントアウトしますから!」

「なんだ?そなたにしてはめずらしいな。まだ書類の準備もできてないとは…」

検討がすぐさま始められないらしいとわかるとジュリアスが些か表情を憮然とさせる、その様に身体を小さくしたくなったアンジェリークを庇うようにオリヴィエが前に出た。

「私が一緒にやるから、ちょっとだけ待っててよ、ジュリアス。待ってる間に退屈しないようにいい暇つぶしの相手を連れてきたからさぁ。」

「…ジュリアス先輩とお呼びしないか、オリヴィエ。」

「オスカー?オスカーではないか!帰ってきたのか。」

「はい、おひさしぶりです、ジュリアス先輩。ご無沙汰しておりました。」

きちっと折り目ただしくオスカーが礼をする。その動きは優美で洗練されて無駄がない。あんなだらしない風体なのに粗野な感じや下卑たところは微塵もない、どころか、アンジェリークが一瞬目を奪われたほどその動きは流れるように優雅だった。

「意外と早かったな、オスカー、もっと遊学しているものかと思っていたぞ。」

ジュリアスが滅多に他人に見せない打ち解けた笑みを口元に浮かべる。普段は厳しさが際立つ紺碧の瞳が今は春の海のような穏やかな色を湛えており、その声には懐かしさと親しみが自然と滲み出ている。アンジェリークはジュリアスとオスカーが単なる顔見知りではないことを確かに実感した。謹厳実直を絵に描いたようなジュリアスと、一見不良のようなオスカーと、受ける印象は正反対の二人なのにと…

「俺もそのつもりだったのですが、ちょっとよんどころない事情で帰国いたしまして…」

「ふ…大方先方の学校から行跡不品行で丁寧にご退去願われたのではないのか?」

生徒会室の隅で本を読んでいた副会長のクラヴィスが顔を上げ、控え目な笑みを浮かべてオスカーのことを揶揄するような声をかけてきた。

「クラヴィス先輩もお変わりもなく…しかも、相変わらず鋭くていらっしゃる。ぐぅ…の音も出ませんよ、俺は。」

言葉と裏腹にこのやりとりを楽しんでいる雰囲気がありありとわかる。オスカーはクラヴィスとも旧知の間柄らしい。もっとも大半の生徒がもちあがりのこの高等部では顔見知りでない生徒の方が少ないのだが、オスカーとクラヴィスもそう言うレベルではないようだ。

「ほら、オスカーがジュリアスの気をそらしてくれてるうちに書類を直しちゃうよ、アンジェ。」

「あ、はい、オリヴィエ先輩」

つい、ぼーっとして3人のやりとりを見ていたアンジェリークははっと我にかえると、急いでモニターのロックを解除してデータうちこみのフォームを立ち上げた。ジュリアスの懐かしそうな声にきちんと受け答えするオスカーの返答が自然と耳に入ってくる。合間に合間に静かな口調でクラヴィスの声も混じる。ジュリアスとオスカーの二人が…いや、クラヴィスも同様に旧知の間柄というのはどうやら間違いないようだ。ジュリアスのあんなに楽しそうな声はあまり聞いた覚えがない。普段無口なクラヴィスが軽口を叩くのも稀なことだった。アンジェリークは自分がつい気をとられてしまったのは、先輩たちのこの珍しい反応のせいだろうと思った。

「あ、ここです、オリヴィエ先輩、これ、どっちがどう正しいんでしょう?ステージの割り振りは…」

「ああ、ごめんごめん、かんっぺきに私の勘違い。これじゃ一日30時間計算になっちゃうね。あのね、ここが1時じゃなくて…」

オリヴィエが言う通りに表の中身を打ち直していく。ブラインドタッチをマスターしているのでモニターに出されるオリヴィエの指示を見ながらでもキータッチに危うさはなかった。

オリヴィエの指摘で修正はすぐに終わった、後の印刷はプリンターに任せればいいから、アンジェリークはもうモニターに集中している必要はなかった。勢い、先輩たちの会話につい耳をそばだててしまう。

「なんだ、二年次に編入したのか?単位は取れているのであろう?そなたと同窓生で卒業できるかと思ったのだがな。」

「この学校では二年次の授業を履修をしてませんから、そんなに急ぐ事もないかと。ジュリアス先輩も留学なさった後に飛び級はなさらなかったじゃないですか。それに、3年次に編入してしまったら、もう俺に学年TOPを取ることは不可能…とまではいかなくても、相当困難になってしまいますから…」

「怠惰なことだな…ジュリアスとの競合を避けたか…」

「おまえにだけは言われたくなかろうよ。しかし、オスカー、それは本音か?」

「ま、そういう風に思っていただいて結構です。どうせなら労少なくして最大の成果をあげるにしくはありませんから。ジュリアス先輩との真っ向勝負では消耗が激しい上、それに見合う成果があるとは限りませんし。ライバルが手ごわかろうが、そうでなかろうが、世間は結果しか見ませんからね。」

「まあ、それはそうだがな。世間は主席で卒業という結果はみても、その内容までは考慮せぬからな…最小の努力で最大の成果をあげる道をとる…流石はクラウゼウィッツの後継者といったところか…」

「それは…買い被りです…」

「あ、いや…他意はない。」

『クラウゼウイッツの後継者?クラウゼウイッツって確かオスカー先輩の苗字よね?で、オスカー先輩がご長男なら何か家業を継がれるってこと?ジュリアス先輩が流石っておっしゃるなんて、そんなにすごい名家なのかしら…』

ジュリアスも貴族の出だから名門同士で家柄を称えた、それだけのことなのだろうに、なんとなく、ぎこちない空気が漂ったその時、プリンターが指定された枚数の紙を印刷し終えた。

「あ、終わったね!はいはいはいー、ジュリアス、おっまたせーん、って言ってもぉ、そんなに待たせてないよね?」

オリヴィエがジュリアスへまだ暖かい紙束を差出した。今、流れていた空気を故意に無視したような明るい声だった。

「ああ、そうだな。」

ジュリアスも、意識を即座に切り替えて紙片に集中する。同じくクラヴィスも紙片を受取り、こちらはなんとはなしに眺めている。

「うむ…概ねわかった。これでよかろう…」

しばらくしてジュリアスが静かに頷いた。無意識に固唾を飲んでいたアンジェリークはそのジュリアスの様子に漸く安堵の息をついた。

ほっとした所で顔をあげたらオスカーと瞳があった。

するとオスカーはアンジェリークに向けてにっと軽く笑みかけると、ばちんと音のしそうなウインクをよこした。ジュリアスの視界に入らない背後から。

アンジェリークはびっくりして飛びあがりそうになった。一瞬オスカーのウインクの意味がわからなくて、どう反応したらいいか途方にくれたが、すぐに「あ!」と思い至った。

オスカーがジュリアスと歓談を繰り広げてくれていたから、ジュリアスはそれほど待ったという気にならないでくれた。

オリヴィエの念押しも、ある意味姑息と言えば姑息かもしれないが、大して時間をかけていないということをジュリアスにアピールしてくれようとしたものだった。

本当なら、放課後には書類ができているようにといわれていたのだから、待たされた分ジュリアスにお小言をくらっても仕方ないところだったのが、オリヴィエと、何よりオスカーのおかげでそれを回避できたのだ。オスカーがついてきてくれて、ジュリアスと話をしてくれていたおかげで、ジュリアスに時間を空費したという気にさせないですんだ。

オスカーのウインクの意味は「よかったな」でも「うまくいったな」でも「間に合ったな」でも、どれでもいいのだが、きっとそんな意味合いのものなのだろう。

だから、アンジェリークはすぐさま、オスカーを真っ直ぐに見ると声は出さずに「ありがとうございます」と唇で形を作ったうえで、ぴょこんと頭を下げた。わかってもらえたかどうかの自信はなかったが…

頭を下げていたアンジェリークは気付かなかったが、オスカーはその様子に「ほぅ?」と感心したように片眉をあげた。自分のウインクをナンパなちょっかいと思って、怒るかと思っていたのだ。先ほど不良と思われたことだしな…と、つい、わざとその期待に応えるような軽い振る舞いをしてしまった。もちろん、オスカーの根底には彼女がジュリアス先輩に怒られなくてよかったな、という気持ちはあったが、それは彼女にはわからなくていいし、わからなくて当然だと思っていたのでアンジェリークが唇で謝意を伝えてきたのは意外な驚きだった。

『単なる世間知らずでもないようだ…』

なんとなくオスカーは微笑ましいような気持ちになった。人の意に敏感に反応するところが好ましい。しかも、俺を不良と思っていた…いや、今も思っているかもしれん…そのはずなのに、先入観には捕われずに物事を判断できる素直な心と聡りの良さも好感がもてる。オリヴィエがこの少女をかわいがる気持ちが理解できるような気がした。この素直さと聡明さを持ちながら、帰国子女特有の世間知らずが重なったら、オリヴィエのような男は放ってはおけないだろう。あれこれ、世話を焼きたくなるに決っているし、また、さぞかし世話の焼きがいもあることだろうよ。

オスカーがくっくっと笑いたい気持ちを押し殺していると、ジュリアスが頭を下げたままのアンジェリークに気付き、怪訝そうに見やった。

「どうした?何にお辞儀をしているのだ?」

「あ、いえ、その、あの、なんでもないんです〜」

「?おかしなヤツだな?」

「まだ、これにとっては初めての夏休みが終わったばかりだからな…二学期はそれでなくても忙しい。いろいろペースが掴めないのだろうよ。」

やはり笑みを押し隠した様子でクラヴィスが横から助け舟を出してくれた。アンジェリークはクラヴィスにもお辞儀をしたい気持ちになる。クラヴィスはいつも静かで無口だが、影のように控え目で目立たず人に寄り添ってくれるような暖かな優しさがあり、アンジェリークはクラヴィスにもよくなついていた。クラヴィスもまた、アンジェリークをにくからず思っているらしいことを、もっとも当のアンジェリークは気付いていない。

「ペースが掴めないと何故、空(くう)にむかってお辞儀をするのだ…さっぱりわからん」

そういいながらも、ジュリアスは優しい笑みをアンジェリークに向けた。

「だが、そうだったな、そなたにとっては初めてのハーベストフェスタなのだな。いろいろわからないこともあるかもしれんし、疑問に思ったことや、わかりにくいことは何でも尋ねてくれていいのだぞ。慣れてしまった私たちには気付きにくい視点があるやもしれぬからな。」

「あ、はい、ジュリアス先輩。」

「そうそ、一般参加者の視点って大切だよ〜。楽屋や幕の内側と客席側じゃ見え方が違うのと一緒でね。」

「おまえの素顔とメイク後ほどに違うかもしれんな。」

「しっつれいなー!私のメイクは私の素材美を最大限に引き出しているのであって、素材の美しさを殺したり隠しちゃうのはいいメイクとはいえないんだよ!私が素顔と見間違えちゃうようなメイクをするわけないじゃん!」

オリヴィエとオスカーのやりとりに『はあぁ〜』と大仰な嘆息をついてジュリアスが額に手をあてた。このオリヴィエの言うことが正論であり、彼の家庭環境やら学外での活躍を考えれば異論は挟めないのだが、この情熱をもう少し勉学とかスポーツに振り替えたら、もっと、学年でも上位を狙えるだろうに、本人にその気がまったくないようなのが、なんとなくもどかしいジュリアスである。

「そこの二人、論点をずらすな。アンジェリーク、そなたにとっては、見ること携わる事、珍しい物ばかりだろう。戸惑いもするかもしれんが、その分、そなたにしか気付かないような問題点もあるかもしれぬので、何か疑問があったら、何でも挙げてみてくれ。よいな。このフェスタだけでなく、体育祭に関してもな。」

「あ、はい、わかりました、ジュリアス先輩。私でできることでしたら…」

「ご苦労だったな、後は特にすることもないので、今日はもう帰っていいぞ。」

「あ、はい、じゃ、これで失礼します。」

「ごめーん、アンジェ、今日は送っていけないけど、だいじょぶ?」

「平気ですよ〜、今日はまだ早いし、寮は学校から近いですもん。友達と一緒に帰ります。」

「お嬢ちゃんは寮に住んでいるのか?」

「あ、はい、そうです。両親は外国なので…それじゃ、ジュリアス先輩、クラヴィス先輩、オリヴィエ先輩…オスカー先輩、お先に失礼します!」

オスカーの名を呼ぶのに一呼吸間があったのは、今日お会いしたばかりなのに、いきなり名前を呼ばわったら馴れ馴れしいと思われるかなと思ったからだったが、ここで挨拶しないのは却って失礼な気がしたので、元気良く別れの挨拶をした。

そして、ぴょこんとばね仕掛けの人形のようにお辞儀をした。

「気をつけて帰るのだぞ。」

「まった、あしたねー、アンジェ」

「うむ…転ばぬようにな…」

「明日からよろしくな、お嬢ちゃん?」

オスカーはアンジェリークにウインクしながら2本の指で投げキスをよこした。

「ははははいっ!さよならっ!」

アンジェリークは真っ赤になって跳ねるように生徒会室を飛び出していった。

お嬢ちゃんと呼ばれたことも、投げキスも、いや、ウインクさえ、異性からされたのは初めてのアンジェリークはオスカーの態度にどう対処していいかわからずに、思わず逃げるように部屋を飛び出してしまったのだ。

板についているのは煙草だけじゃない、他の男性がしたら吹出してしまいそうな気障な仕草のひとつひとつが、恐ろしいほど自然に違和感なく決っていたと、アンジェリークは思った。

ここまでが、アンジェリークの見知っているオスカーの様子であった。

思い出してみて、確かに「プレイボーイ」「ナンパ」「遊び人」という級友の評価が当てはまる気がした。

『でも、私にはそんなに関係ない人だし…』

級友が言っている通りなら、これからとりまきに囲まれて大忙しだろうし、自分が、その取り巻きに入ろうとか入れるとは思わない。真剣に好きでもない人をきゃーきゃー言っておいかけるのは失礼だと思ったし、途中入学の自分は、オスカーのことを級友以上に知っているわけではない。

確かに昨日は助けてもらって、この人はいい人なんだなと思った。それをあからさまに恩に着せたりしない所も男らしくて優しいと思った。見た目は不良みたいだが、それだけの人ではないらしいことは、級友の評価や、それよりなによりジュリアスたちの打ち解けた態度を見れば明かだった。でも、それだけでオスカーという人のことがわかったと思うのは傲慢だろうし、それほど良く知らない人をアンジェリークは好きとか嫌いとか言えないと思った。

とにかく自分には手の届かない人ってことよね、学園のアイドルってことみたいだし。

だから、昨日オスカーに会ったことは結局級友には言わなかった。変に詮索されるのも嫌だったし、オスカーが煙草を持っていたことなど知らせたら彼女たちがびっくりするかもしれないと思った。

 

そして、一日の授業が滞りなく終わると、アンジェリークは生徒会室に顔を出す。

いつもは大抵アンジェリークが一番で生徒会室のドアロックを開ける。

「こんにちはー」

暗唱番号を打ち込み、誰もいないだろう部屋へ、でも元気良く挨拶して入室すると

「よう、お嬢ちゃん、今日も元気みたいだな。」

という、低い、しかし、笑みをこらえたような声が返ってきて、アンジェリークは心臓が止まりそうになった。

目にも鮮やかな緋色の燃え立つ髪は見間違えようもない。自分を射ぬくような氷青色に瞳の力強さに動く事を忘れたかのようにアンジェリークは立ち竦んでしまった。

「お、オスカー先輩…」

「覚えててくれたか?それとも、また不良がいると思ってびっくり仰天しちまったのか?」

固まって動こうとしないアンジェリークにオスカーは、可笑しそうに笑いかけた。

「ち、ちがいますー!誰もいないと思ってたからびっくりしちゃっただけです!…あ、きちんとご挨拶もしなくてごめんなさい、オスカー先輩、こんにちは。そういえば、どうして、こちらに?」

生徒会室のドアは暗唱番号入力式のドアロックがついている。そして、その暗唱番号は執行部員しか知らないはずだった。

「それがなぁ、お嬢ちゃん、俺は楽隠居を決めこむ気だったのにだなぁ…」

いかにも哀れっぽい風情で椅子の背もたれに腕を投げだし、端正な顔をもたせかけたオスカーの言をぴしゃりと遮る声がアンジェリークの背後から聞こえた。

「なーに、ふざけたこと言ってるんだか!あんたが突然留学しちゃった後、私が一人で催事進行請け負ってきたんだからね!楽隠居させてほしいのは私の方だよ、今まで遊び呆けた分きりきり働いてもらうからねっ!」

「あ!オリヴィエ先輩、こんにちは!」

オリヴィエが生徒会室に現れてくれ、アンジェリークは救われた気がした。気詰まりというか、オスカーと二人でいることにどうにも緊張して仕方なかったのだ。アンジェリークは二人の顔を交互に見比べて、躊躇いがちに尋ねた。

「えっと、あの、つまり、オスカー先輩は…」

「そういうこと。こいつと私は一年前は二人で催事進行担当だったわけ。ところがこいつがいきなり外国に高飛びしちゃったもんで、そのしわ寄せがぜーんぶ、私にかかってきたんだよ。しかも、こいつったら、許せないことに、もとの役職のことをぽかーんと忘れてたから、あんたが帰った後、昨日いた3人でそのことをみっちり思い出させてあげたんだ。今は一人でも人手が欲しいしね。私が苦労した分引き続き同じ担当で働いてもらうよってことになったわけ。」

「まさか、留学から帰った後も、以前の役職で働かせれるとは思ってもいなかったぜ、ふ…」

「甘い、甘い。ジュリアスだって、すっかりその気だったじゃないさ。それで生徒会室に顔を出したんだと思ってるジュリアスの期待を裏切る勇気があんたにあるわけ〜?」

それを聞いてアンジェリークは、はっとした。オスカー先輩が昨日生徒会室に顔を出してくれたのは、多分…ううん、絶対私がジュリアス先輩に怒られないようにって思ってくれてのことだもの、そのせいでオスカー先輩はほんとは働きたくないのに、ここで働かされることになってしまったの?

「すみません、もしかして、私のせいで…?ごめんなさい、オスカー先輩。」

しゅんとしてしまったアンジェリークにオスカーがちっちっちと立てた人差し指を幾度か振った。

「何のことだ?お嬢ちゃん。俺は懐かしさに古巣に顔を出したらつかまって働かされることになった、それだけだぜ?」

「そーそ、こいつは何だかんだいっても、ジュリアスに引き止められたり、期待されてるのが嬉しいんだしね。だから、アンジェも好きに使ってやっていいからね、細腕の私や他の人に頼みにくい力仕事もこいつになら遠慮なく頼んでいいからね。馬鹿みたいに身体は鍛えているからさ、こいつ。」

「身体だけじゃないだろう?知力も容姿も、ソフィスティケイティドされた仕草の全てが磨きぬかれている男だからな、俺は。特にかわいいお嬢ちゃんの頼みなら、どんな願い事でもOKさ?俺は女性の頼みは叶えずにはいられない性分なんでな。お嬢ちゃんが執行部員とわかって、この古巣に喜んで…いや、前以上の熱意で戻る気になったのさ。」

「あ、聞かなくていいからね、こいつの戯言は。かわいい女の子を前にすると出る病気っていうか、脳みそ経由してない脊髄反射みたいなもんだから。聞き流して、こき使う時だけ使ってやって。」

アンジェリークはくすくす笑いが抑えられなかった。今、オリヴィエとの掛け合いのような会話を聞いている限りは、アンジェリークが木陰から見かけた時オスカーに感じた鋭いような怖さは欠片も感じられない。自分の気持ちを軽くしてくれようとしたのも、アンジェリークにはわかったし、それに、オリヴィエがこのオスカーをとても信頼しているからこその、遠慮のない物言いなのだと感じられたから、アンジェリークもオスカーへの隔てはほとんど解けたといってよかった。

「え、えと、じゃ、これからよろしくお願いします、オスカー先輩」

「お嬢ちゃんになら、なんでもよろしくお願いされてやるからな?」

「は、はぁ…」

またも、ばっちりとウインクされアンジェリークは零れそうに瞳を大きく見開いた。すごくどきまぎしていたが、すぐ自分に一生懸命に言聞かせた。これがオスカー先輩の「通常モード」なら、一々うろたえたり、あたふたしてちゃ、だめだわ。皆が言う通り、きっと、誰にでもこうなんだろうし、これが普通の挨拶なんだろうし…オリヴィエ先輩みたく、聞き流すなんてできないけど、なるべく、普通に振舞わないと…気にしすぎたら自意識過剰みたいだし…何より私の心臓がもたないわー!

余裕のある態度でいなすとか、同じように気のきいたおしゃれなセリフを返すなんてことは自分にできっこないという自覚はあったから、とにかくなるべく落ち付いて普通に接しようと思ったアンジェリークだった。

「ああ、もう来ていたか…」

その時、ジュリアスとクラヴィスと、昨日は顔を出さなかった会計のリュミエールが生徒会室に顔を出した。

「こんにちは、先輩。」

「こんにちは、アンジェリーク、今日も元気でかわいいですね。」

「リュミエール先輩こそ、今日も麗しくていらっしゃいますぅ。」

アンジェリークのにこやかな挨拶に目顔で頷くと、次ぎにリュミエールはオスカーの方にちらと視線を投げ、張り付いたような笑顔でこう言った。

「おや、なにやら永遠に忘れていたかったのに、見覚えのある顔が…どなたでしたか?ここは関係者以外立ち入り禁止ですよ?」

「ふん…文句があるならそこのお二方に聞けばいいだろう。」

「あ、あれあれ?」

「あー、いいの、いいの、これもいわば儀式みたいなものだから。リュミちゃん、アンジェがびっくりするから、今日は控えなよね。」

「ああ、アンジェリーク、あなたは何も気にしなくていいのですよ。そこにいるケダモノというかばいきんにワルさをされないように、私がついていてさしあげますからね。」

「???」

オスカーが「けっ」という顔で肩をすくめる。何が何だかよくわからないアンジェリークを余所に、他の役員は平然としている。

「リュミエール、体育祭の予算状況はどうだ?」

「はい、ジュリアス先輩。ここに…」

リュミエールが間近に控えた体育祭の中間決算を提出した。ここで、明かな予算オーバーをしている部分や、逆に余っている部分の調整をする。式の進行次第はもう一学期中に決っているので、体育祭でのオリヴィエの仕事、オリヴィエに聞いた話の流れからするとオスカーにも体育祭にタッチすることは既にない。

「ふむ…応援合戦の予算消化が例年に比べても少ないな…」

「それはその…クラヴィス先輩があまり派手なことはしたくないとおっしゃいますので、それにあわせますと、白組の応援だけ突出するわけにもいかず…」

「クラヴィス…そなたが赤組の応援団長なのだからすこしは覇気をだせ。」

「人には向き不向きがある…私が、昼日中から長ランを着て大声など出せると思うのか…?炎天下に屋外にいることを考えるだけで眩暈がするというのに…人手がないというから仕方なく…というか、おまえに無理矢理やれといわれただけで、私自身がやりたいわけではないのだからな…全く本当に他になり手はいないのか…?」

「おいたわしゅうございますが…わたくしはだめですよ、この声がつぶれたら声楽の先生に叱られてしまいますから。応援団には不向きです」

同情しているような口ぶりで、しかし、妥協の余地なくリュミエールがぴしゃっと断る。

「私は総合司会だからねーん。応援団長はできないよーん。」

「かといって、一年では示しがつかんし…ルヴァに頼んだら、応援演説だけで一日終わってしまうであろうしな…」

ルヴァは会計監査とシステム統括部門の責任者だ。もっとも生徒会のシステムメンテナンスはアンジェリークの同級生、ゼフェルがその腕を買われて請け負っている。ゼフェルはいわば外注業者のような立場でトラブルがあったときや、システムに変更が必要な時にだけ生徒会に顔を出す。

「そこに暇そうに場所を塞いでる方にお願いしてはいかがですか?ジュリアス先輩。」

「げ!」

「おお!今はそなたがいるのだったな。すまんがオスカー、体育祭の応援団長を頼まれやってくれぬか。クラヴィスがこの通りなので今年はいまひとつ盛りあがりに欠けるかと案じていたのだが、そなたが応援に入ってくれれば安心だ。」

「いきなり仕事ですか…やれやれ人遣いが荒いのは変わってないようだ。わかりました、やりましょう。しかし、俺が赤組の応援団ならみすみす白には勝たせませんよ、ジュリアス様。」

「望むところだ。では、体育祭の進行はアンジェリークからプリントアウトしてもらってくれ。これがデータを管理しているからな。」

「あ、はい、オスカー先輩、ちょっとだけ待っててくださいね。」

「後は司会のオリヴィエと打ちあわせるがよかろう。クラヴィス、リュミエール、そなたたちは私と一緒に来てくれ。会議室で各クラスやクラブとのフェスタの予算折衝がある。」

「それは毎度の事ながら腕がなりますね…ふふふ…」

リュミエールが会計になってからというもの、催事での予算のチェックは厳しいと有名になっていた。この虫も殺さぬ穏やかな笑顔で「この請求の論拠は何ですか?」とか「これほどの素材が必要な根拠を明示してください」と一項目ごとにチェックが入り、少しでも曖昧な点があると即刻はねられる。請求が一度で通ったことがないので、麗しの鉄壁会計と呼ばれている。

「行ってらっしゃーい」

元気良くアンジェリークに送り出され、3人は出ていった。また、昨日のようにオリヴィエとオスカーとアンジェリークの3人が部屋に残った。

「オスカー先輩、あと少しで終わりますから。それと、全体の進行はオリヴィエ先輩が一番よくご存知ですから。」

「ああ、ありがとうよ、お嬢ちゃん。ところで、お嬢ちゃんは学内の寮に住んでいるとか、昨日言ってなかったか?」

「あ、ええ、両親がまだ仕事で外国に行ったきりなので、私だけこちらで勉強することになって…」

「それじゃ寂しいだろう?」

「いえ、寮生活って初めてだからおもしろいです。皆と一緒に寝て起きて食べて…皆優しくしてくれるし、楽しいですよ。」

「そうか、そりゃ、よかったな。でも、何か困ったことがあったら何でも言ってくれよ。俺も及ばずながら力になるからな。」

「あ、はい、ありがとうございます…」

「どうした?何か歯ぎれが悪いな。俺が不良だから警戒してるのか?」

「あ、違います〜、もう、そんなこと思ってません…あ、あの時は失礼しました。ただ…」

「ただ?」

「皆の言う通りだなって思ったんです。オスカー先輩は誰にでも優しいって。特に女の子には誰にでも優しいってクラスメートから聞きました。それで、オスカー先輩はとてももてるんですってね。だから、知り合ったばかりの私にもいろいろ目をかけてくださるのね、って思ったんです。」

「……そりゃ、買い被りかもしれん。俺がお嬢ちゃんに下心があって、優しい事を言ってたらどうするんだ。口先だけの優しさには…特に男のそれには少し警戒したほうがいいぜ、お嬢ちゃん。」

オリヴィエがびっくりしたようにオスカーを見た。女性に自分の魅力をアピールするのはオスカーには最早天性といっていいほど身についた行為だ。それを額面通りに認めているアンジェリークの言葉を敢えて否定するような事を言うオスカーを、オリヴィエははじめてみた。

そして、アンジェリークは少なからず混乱した。

自分の優しさをアピールするようなことを言っておきながら、それを迂闊に信用するなというオスカー。オスカーの意図がよくわからなかった。それでも、アンジェリークは考え考え、自分の正直な気持ちを口にした。

「そ、そうでしょうか…だって、オスカー先輩は実際お優しいじゃないですか…口先だけ優しい事をおっしゃってるんじゃなくて、実際私によくしてくださったじゃないですか…私がジュリアス先輩に怒られないように、昨日生徒会室に顔を出してくださったでしょう?私が書類を打ちなおしている間、ジュリアス先輩とお話ししてくださったから、私はお小言をもらわずに済みました…ほとんど見ず知らずの私のために…これって、下心のある口先だけの優しさじゃありませんもの…あの、もしかして…」

アンジェリークは一呼吸置いてから、オスカーに小首を傾げて尋ねるように語りかけた。

「先輩、私が見るからにぽやーっとしてるから、心配してくださって、わざとそんな風におっしゃってくれたんですか?オリヴィエ先輩や、ロザリア…あ、友達にもいつも言われるんです。私は人の言葉を額面通りに受取りすぎるから心配だって。なんでもすぐに信じちゃいそうで危なっかしいんですって。世の中いい人ばかりじゃないんだからって。オスカー先輩にも、私のそういうところがわかっちゃったんですか?だから、気をつけたほうがいいっておっしゃてくださったんですか?お会いしたばかりなのに…恥かしいわ…」

「いや、その…」

自分でも何故、いつもの口説を自ら否定したくなったのかよくわからないオスカーは曖昧に口篭もる。

「それに、私はオスカー先輩の『なんでも力になる』ってお言葉だけで、オスカー先輩を優しいって思ったんじゃないですよ?さっきも少し言いいましたけど…オスカー先輩、実際に私によくしてくださったから…ほとんど見ず知らずの私に親切にしてくださったから…それを私は知ってるから…だから、皆が言う通り優しい方なんだなって思ったんです。」

これはアンジェリークの正直な気持ちだった。優しい言葉を口で言うだけなら簡単だし、確かにそれだけで人を信用するのは、危ういことなのかもしれないというのはアンジェリークもわかる。でも、自分がオスカーを『見た目はちょっと怖いけどいい人』と思ったのは、実際に親切にしてもらったという実績があるからだ。だから、アンジェリークは自分の感覚を信じることにした。

「ああ、そうか…お嬢ちゃんがそう思ってくれているなら、それでいいが…」

真っ直ぐに自分を見るアンジェリークの瞳に耐えかねるように、ふっとオスカーは視線を外した。

確かに昨日の自分の行為は、アンジェリークが言った通り何の作為もないものだった。自分にしては珍しく、何も演出をしていない行為。だからこそそれは誰にもわからなくていいと思っていた。

なのに、この少女は俺の意図を見抜いていた。その反面、俺は『先輩は誰にでも優しい』なんて言われることに、妙に反駁したくなった。実際自分はいつもそう振舞っているのだから、そう思われることこそ万々歳なのに。なのに、何故か露悪的に自分の意図的な振るまいを貶めたくなった…何故だ…

「お嬢ちゃんはいい子だな…」

「え?何がですか?」

「そう思うからそうなんだ…」

「よく…わかりません…それと…あの、先輩はどうして私を『お嬢ちゃん』って呼ぶんですか?」

「さあ、なんでだろうな…自分でもよくわからんが…いやか?」

「いやって訳じゃありませんけど…」

アンジェリークは不可解そうな顔をしているが、気分を害しているような気配は全くなかった。

オスカーは昨日アンジェリークが帰った後に、オリヴィエと彼女のことを少し話したのを思い出す。

『おまえがあの子をかわいがるわけがわかったような気がする。』

『そうかい?あの子のことをもっと知ったら、きっと、もっとそう思うよ。いい子だよ…って言ってもこういうことは自分で実感しないとわからないと思うけど……とにかくいい子なんだ…でも、いい子ってだけ終わる子でもないんだ…』

オリヴィエの思わせぶりなセリフがなんとなくだが、わかる気がする。

しかし、だからこそ、余計に思ったのだろうか。自分みたいな男を余りに警戒なく信用してはいけないと。それは、つまり、自分を信用するなと言いたかったのだろうか、俺は…

お嬢ちゃんみたいな、明るく曇りのない少女と俺は対極にいるような気がするから…そう自分から告げる勇気はないが、警戒させることで敢えて距離を置こうとでもしたのだろうか、俺は…

アンジェリークと同じか、それ以上にオスカーの気持ちも混乱していた。

自分で自分の意図が掴めないような言動をしてしまう。こんなことは、近来ほとんど記憶にないことだった。

オリヴィエが案じたような瞳で自分を見ているのをオスカーは感じた。

「あ、プリントできました。」

プリンターの終了音になんとなくほっとしたような気がアンジェリークはした。そう思ったのはアンジェリークだけではなかったが…

「これが体育祭の式次第です…応援合戦はこことここに入ります…」

「どれ…ふむ…チアリーダーは今年…未定なのか?」

「クラヴィスが渋ってたからねー。チアが踊る時って団長も側に控えているじゃない?それをいやがってさぁ。だから、きめるに決められなかったのさ。でも、あんたが応援団長になるんだし、あんたに異存がないならそのままOKじゃない?もともとジュリアスはもっと盛り上げたがっていたしね。」

「チアリーダーをするなら…お嬢ちゃんもチアをやるんだぜ?」

「執行部だもん、やらない訳にはいかないよ?アンジェ。」

「そ、そういうものなんですか?」

「そりゃ、そうだよ。学校行事は執行部が全てにおいてリーダーシップとるからね。」

「あ、あんまり運動神経には自信ないですけど…そういうことでしたら一生懸命がんばります!」

「選手権に出るようなすっごいチアダンスを要求される訳じゃないから、大丈夫だよ。もっとも、応援合戦も得点のうちだけどね。」

「やああん、オリヴィエ先輩、プレッシャーかけないでください〜!」

「自信がないなら、周りを華やかな子で固めればいいさ。レイチェルとか…」

「レイチェルやってくれるかな…っていうか、一緒にチアをする女の子を私が選ぶんですか?」

「あんたの頼みを断る子はいないと思うけど…それじゃ確かに他にやりたい子がいたとき不公平か…」

体育祭の具体的な打ち合わせで、なんとなく場の空気が変わった。そのことに何か救われたような気がしたことを、3人は3人ともそれぞれ自分だけだと思っていた。


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