チア募集の〆切り一日前。特に仕事はない。忙しいのはこの翌日からになる。それを見越してか、生徒会室に顔を出すやいなやアンジェリークは、クラヴィス、リュミエール、オリヴィエの三人に茶室に拉致されるように連れていかれた。クラヴィスが茶を点ててくれると言う。
茶室にちんまりと落ちついてから、アンジェリークははたと思い当たったようにこう言った。
「え、えっと、クラヴィス先輩、お茶点てていただけるのは嬉しいですけど、でも、他の先輩方は?待ってなくていいんですか?」
「ジュリアスとオスカーなら、今日は来ないよ。一足先に団長応援の練習に入ったからね。だから、今日はめずらしくクラヴィスが早くから生徒会室にいたわけよ。会長が居ないときの留守居が副会長の仕事みたいなものだからね。」
クラヴィスの替りにオリヴィエが答えた。
「もう、お二人は練習なさってるんですか…って、練習ってどこで、どんなことをなさってるんですか?」
「ふふ、そのうち見る機会もあると思うよ。今はほんとの練習じゃなくて肩ならしみたいだけどね。」
「?」
応援の肩ならしってどんなのだろうと、しかも、二人で一緒の練習なのよね?と不思議に思いながら、アンジェリークはクラヴィスの優雅な点前に見惚れ、目に美しく口に美味しい茶菓を堪能した。
オスカーとジュリアスがどんな応援を見せてくれるのかとても楽しみだったし、チアを踊る自分たちもがんばらなくちゃと、素直に思った。
明けて翌日の放課後、〆切り時刻を待ってゼフェルが抽選を行った。乱数を利用した完全にランダムかつ公平な抽選である。そして各学年から赤白それぞれ三名づつが選ばれると、その学籍番号を即刻アンジェリークが生徒会のHPに告知した。そして、明日はこのメンバーの顔合わせと初練習があるので、集合場所と時刻も合わせて告知する。集合時刻の10分後にはインストラクターも来る手はずになっている。
アンジェリークがモニターを眺めながら、ぽつりと呟いた、
「番号だけだと当たり前だけど、どんな人かわからないなー。仲良く練習できるといいけど…」
「ま、学生原簿にアクセスすりゃ、顔写真と名前はわかるけど、性格まではわかんねーしな。明日にはどうせわかるんだから、それでいいんじゃねーの。」
「うん、そうだね。皆チアになりたくて応募してくれたんだもんね、仲良くできるよね…」
各々の思惑はどうだかわかんねーぞとゼフェルは思ったものの、アンジェリークには何も言わなかった。この学園の女子は馬鹿ではないから、例え動機が下心ふんぷんであろうとも、目当ての男の前では、それをあからさまにしたりはしないのではないかと思ったし、自分の憶測はあくまで憶測だからだった。
「ま、おめーはぎらぎらしてねーし、ぽやーっとしてっから、大丈夫だと思うぜ?」
「ぽやーっとしてて、どうしてチアダンスが大丈夫なのよ〜、自分でも私、上手く踊れるか、皆の足を引っ張らないか心配してるのにー!」
アンジェリークが、若干の非難を混めて抗議する。ゼフェルが思わずぷっと吹出した。
「おめーはそんなだから、心配ねーって言ってんだよ…」
「???」
当惑するアンジェリークを余所に、ゼフェルは楽しそうに笑っていた。
そして、いよいよチアの顔合わせの日となった。
アンジェリークは、集合場所の体育館に行く前に生徒会室に立ち寄った。オリヴィエと待ち合わせているのだ。オリヴィエはチアのメンバーの衣装を注文するために採寸(もちろん強制ではない)に行くと言っていた。当たり前だが学生原簿には3サイズは愚か身長体重など記載されていないし、伸縮性のある生地で作ったとしても、最低限丈だけは各人に合わせて揃えなければならないので、身長くらいは自己申告してもらうつもりだった。
オリヴィエはもう生徒会室でアンジェリークを待っていた。
「すみません、先輩、お待たせしちゃいました?」
「いや、私も来たばっかり。それに、あわてなくてもまだ、時間は悠々だし。ま、でも、向こうでメンバーが来るのを待ってた方が無駄がないから、もう行ってようか?」
「はい」
採寸は一度にはできないし、メンバーが来た順に採寸できれば時間の無駄もない。
「どう、アンジェ、楽しみ?」
「楽しみだけどプレッシャーはありますよ、もちろん。志願した子の足を引っ張らないようにしなくちゃとか、あんまり難易度の高い技を要求されたらどうしようとか…わ、私、ランディみたいにばっく転なんてできませんし…」
「あはは、ダンス部や体操部のメンツが入ってないことを祈るしかないね。もっともその可能性は低いと思うけどね。フェスタの方で演し物のある部の子は、練習に参加できないから応募しなかったみたいだし…」
「あ。だから、応募は一日目以降そんなに増えなかったんですか…」
「そ、応募できる子は最初から応募しちゃったってこと。あ、そうそう」
オリヴィエが何か思いついたように立ち止まった。
「今日はメンバーの初顔合わせじゃない?やっぱり団長が顔出した方が女の子たちもやる気がでるよね?アンジェ、悪いけど、オスカーとジュリアス呼んできてくれるかい?練習に熱中してるあまり時間を忘れてる可能性大だしねー。」
「はい、わかりました…って、あの、そういえば、お二人はどこにいらっしゃるんですか?」
「あ、あんたはあの二人が何してるか知らないんだったね…ちょうどいい、二人が何してるか覗いて来てごらん?小ホールのどれかに居る筈だから…私は一足先に体育館に行って、来た子の順に採寸してるから。」
「小ホールのどれかですね、わかりましたー」
渡り廊下でアンジェリークはオリヴィエと別れ、小ホールが連なる1棟に足を向けた。
メインの体育館は大小一つづつしかなく、各クラブは時間で割り振り交替にこれを使う。特に体育館でなくてもできることを個別に行う為に設けられているのがこの小ホール棟である。用途別に使い易いように広さは大小さまざまあり、更にパーティションで仕切ることもできる。
アンジェリークが小ホール棟につくと、灯りのついていた部屋は一つだけだったので、目当ての人たちはどこにいるのかすぐにしれた。
「せんぱ…」
ノックしながらホールの中に入ろうとして、アンジェリークはその場に固まったように立ちすくんだ。
二人の男性…身体はぴたりとした銀灰色の防具に包み顔はメッシュのマスクをつけているので誰とはようとしれないが、体つきから明かに男性としれた…が、切っ先鋭い細身の剣を手に闘っていた。
剣と剣が間断なくぶつかりあう。硬質で乾いた金属音がテンポの早いリズムを刻む。刀身は柳の枝のように細くしなやかで鞭のようにしなる。その鋭く素早い動きは目を凝らして見ていてもなかなか把握できない。
素人のアンジェリークにもこれはフェンシングだということはわかった。しかし、実際に闘い…というか試合なのだろうか…を見るのはこれが初めてだった。
見ていると闘いというには、動きに制約が多い。二人の男性はほぼ一直線上を進むか後退するかという前後の移動をするのみで、剣を避ける為の横移動はしない。剣の動きも突くという動作とその突いてきた剣を払うのみで、袈裟懸けに「切る」という動作は見られない。
極度に様式化され、洗練されたスポーツとしての闘いだということが、その制約された動きからよくわかった。
それでも、息を飲むような緊迫感は紛れもない。制約が多いからこそだろうか、にらみ合うという時間がない。突く、払う、突きかえす、またも払いのけるという攻撃と反撃、剣と剣との渡りあいが交互に一瞬の隙もなく繰り返され、その攻防の様子は、呼吸のあった舞いをみているような気さえおこす。
アンジェリークはそのシャープで油断のない動きに魅入られた。息をつめ、言葉を忘れたように黙って見入った。この場にきた目的は頭の隅に追いやられた。この二人が誰なのかさえ気にならなかった。
よく見ると身長はほぼ同じくらいだが、明かに一人の方が線が太い。分厚い肩幅に肉厚な胸板は、身体の線にぴたりとしたフェンシングの防具によって、より際立っている。その割りに動きに無骨さはない。体格を利用して力押しするようなことはせず、鋭くありながら、実にしなやかで優雅な剣捌きを見せている。
心持ち線の細いもう一人の男性は、動きがシャープで硬質だった。よく見るとマスクの後ろから豪奢な金の髪の束が身体の動きに連れて流れる黄金の滝のようにうねり、逆巻き、煌いていた。剣捌きもその髪の輝きそのもののように硬質で華やかできらきらしかった。
アンジェリークがその試合に見惚れていたのは、正味三分くらいのものだったと思う。
しかし、その間、時間はこれ以上ないほど濃密だった。きっと、それは闘っている二人も同様だろう。
タイマーだろうか、何かのビープ音が鳴り、二人の男性は今しがたの息も付かせぬような闘いが夢であったかのように、静かに距離を取り、剣を一度打ち鳴らして礼をした。
アンジェリークは無意識につめていた息をゆっくりと吐き出した。
目的の二人を知らないかと声をかけることも、もしや、この二人が自分の探している当人たちかもしれないということすら念頭に昇らず、まだ、腑抜けたようにこの典雅な儀式に見惚れていた。
二人がほぼ同時にマスクを外した。
「あ…」
二人ともアンジェリークの見知った顔だった。しかも、自分が探していた人たちだった。しかし、アンジェリークは初めて彼の人を見たような新鮮な衝撃を受けていた。特に一方の男性の印象が鮮やかだった。
軽く目を落して二、三度頭を振っている。それでも額に貼りついたままの緋色の髪を煩そうに大きな手でかきあげる。
その拍子に額の汗の珠がライトを弾いてクリスタルのように煌いた。
アンジェリークは無意識に息をまた飲みこんでいた。そこに探していた人たちがいるとわかったのに、声をかけたいのに、身体が動かなかった。金髪の男性は並ぶ人のないほどの美貌を誇り(本人にその自覚はないようだが)今、白皙の麗貌が上気している様も美しかったが、その人よりも、緋色の髪の男性の何気ない仕草にどうしようもなく目を奪われた。男の人の仕草を…容貌ではなく、所作を綺麗だと思ったのは、覚えている限りこれが初めてだった。
二人が何か話し始めた。それを機に我に返ったアンジェリークは今度こそと声を掛けようとして、またも立ち竦んでしまった。また、彼の人の周囲に近寄り難い空気を感じたからだった。その触れたら切れてしまいそうな空気にアンジェリークは動けなくなった。
『やっぱり…最初に感じたあれ…錯覚じゃなかったんだ…でも、どうして?なぜオスカー先輩はあんなに哀しそうに笑うの?なぜ、笑っているのに辛そうに投げやりに見えるの?なぜ…』
我知らず、二人の会話に耳をそばだててしまっていた。
礼が終わるとジュリアスは苦笑混じり言った。
「もう勘が戻ったようだな。二本続けて取らせてもらえなくなった。」
「そうそうやられっぱなしでは、いられませんよ。武器屋の息子が武器を扱えないでは面目が立ちませんからね…」
「オスカー…それは…」
「ええ、わかってます、これは厳密に言えば武器じゃないですしね…ただ…」
『武器屋の息子』と言う表現自体修辞的に過ぎるしな…そんなことを考え、オスカーはフェンシングに置ける基本の剣、フルーレの刀身を撫でながら静かに話した。
「正直言うと俺は決して武器というものを嫌いじゃない…むしろ好きです。自分の力で操り、自分の技量がそのまま反映し、自分の腕の延長として扱うものなら…自分の大切なものを守るための道具だと思っていたから…戦うことも人間として必要な時があると知っているから…ガキの頃は家業を誇りにすら思っていたものです…」
「…そなたはそなた自身を誇りに思っていい。家業を継ぐといっても創業者の一族だから、現社長の子息だからといって後継者となれる時代でも時勢でもない。それでも、そなたは家業を、誰でもない、自分で背負っていくつもりなのだろう?誰に押し付けもせず、逃げもせず…そのための努力は惜しんでおらぬとみたが?それも、またそなたにとっては「闘い」なのではないか?」
「ジュリアス先輩は俺を買い被ってくださる…俺は親父の会社の社長の椅子がほしい、その地位と権力が…そう思ってくださった方がいい…」
『責任から逃げぬことも、闘いなのだろうか…でも、これは何を守る闘いなんだろう…俺にはそれが見つからない…他人に任せること、投げ出してしまうことが自分の考える《義》に悖るというだけで…仕方ないから引き受けようとしているだけだからそれを誇りになど思えない…何かを守るためと思えないことが時折やりきれない…』
オスカーの独白は誰に知られることもなく胸中深くに沈みこむ。
「損な性格だな、そなたは…敢えて理解や共感を拒むか…いや、最初から拒んでいる方が気が楽だからか?…私とてそなたの葛藤をわかるなどという思いあがりを言うつもりはないが…実際、わかったような気にはなれても、同じ立場を経験しない限り真に他人の立場を理解などできぬものだろうとも思うしな…」
「ジュリアス先輩…」
オスカーはわかった風な口を利かないからジュリアスが好きなのだと改めて思った。おためごかしに、おまえの気持ちはわかる、などと言われることはオスカーの最も嫌う無神経さだった。
「だが、私自身はそなたの「闘いぶり」に興味もあるし共感も覚える。できれば自分のやり方で支援したいなどとさえ思うな…私は大学では法学を専攻しゆくゆくは法曹界に進むつもりなのだが…私のような顧問弁護士は必要ではないか?もちろんそれなりに実績や経験を積んでからになるだろうが…」
あくまで冗談めかした口調で笑いながらジュリアスが提言した。
オスカーは胸をつかれたように瞬時言葉を詰まらせた。
「…では、俺がCEO(最高経営責任者)に就任した暁には是非…ジュリアス先輩が顧問弁護士なら清廉潔白な会社の良心となってくれることでしょう。もっとも、ウチの会社が良心なんていうのは片腹痛いが…それより、ジュリアス先輩こそ、うちの顧問弁護士では外聞があまりよろしくないのでは?ご一族がなんとおっしゃられますか…」
「己の正義は己の内にある。世間一般の評価にあるものではない…誰かがせねばならぬことなら、誰かが作らねばならぬものなら…それが必要悪であれば尚更誰かが引き受けねばならない…そなたはそれを自分で引き受ける気でいるのだろう?その心意気こそ、私にとっては善きものに思える…それだけだ。」
「まさしく買い被りです…俺はそんなに立派な人間じゃない…」
そんな大層なものじゃない、真剣にオスカーはそう思っていた。こんな心境を他人に味あわせるのが嫌だ、自分の境遇を《恵まれた境遇》と思うような輩に、会社の利権を委ねてしまうこと、任せてしまうことはもっと嫌だ、おそらく歯止めがなくなってしまうから…そう思っているだけの自分は誉められるような人間ではないと、心の底から思っていた。
大企業の御曹司として生まれた自分が、その境遇を心から甘受してはおらぬのに、相続を放棄するつもりもない。端から見たら、自分は、仕事は嫌がるくせに、その特権だけを享受したがるできそこないの二代目に見えるだろう。それでいい。自分の心境を誰かにわかってもらう必要などないし、わかってもらえるとも思っていない。同じ境遇に他人を引きずりこみたくもない。だから他人とは敢えて心を通わせずにすむよう、きちんと表の顔も作っている。その姑息さを自分は決して好きではない。そのくせ、学生時代をなるべく引き伸ばしたいのは、ビジネスに関係のない人間関係になるべく長く浸っていたいからだ、そんな思いきりの悪い自分を誇っていいといわれても、それだけは納得できないオスカーだった。
「そなたの自己評価はどうも低きに流れがちなのが、私には気懸かりだな…」
オスカーの様子を見やり、ジュリアスは懸念していた。オスカーに自分のしようとしていること、自分の決意が立派なものであることを納得させてやれるものがいるといいのだが…と思う。オスカーのしようとしている仕事は、ある意味世界の「汚れ役」ともいえる。しかし、それを敢えて請け負っていこうとしているオスカーの決意は潔く立派だと思うのに、オスカー本人がこのように諦念と自嘲で荒んだ空気を滲ませていることは、決していいことではないとジュリアスは思っていた。
そして、この二人の会話をアンジェリークは入り口の側でずっと聞いていた。
『オスカー先輩…ジュリアス先輩…何を…何のことを話していたの?武器屋の息子ってどういうこと?家業を継ぐ?社長になる?…ジュリアス先輩はそれを立派だといって、オスカー先輩はそんなことはないって言う…自分を嘲るみたいに笑いながら…なぜ?』
内容を理解できたとは言いかねた。
しかし、何かオスカーの心象に関するとても大事なこと、重要なことのような気がした。
そして、オスカーは見かけ通りの人ではないという認識は確信に変わっていた。
オスカーは、何かとても大きなものを抱えて生きている、心が何かといつも戦っているらしい、でも、それを他人には知らせたくないと思っている?…それでも、時折、気を許した相手には…周囲に他に人がいない時は…やりきれない思いが抑え切れずに噴出す。それが、アンジェリークにはある種の禁忌のような怖さに感じられたのだと今、思う。
でも、本当に誰にも理解されなくていいのか。理解されたくないと思っているなら、どうして相手を選んだように、暗い情念が吹出すのか…それはどうしてなのか…
その時、オスカーが今までのほのぐらい情念を払拭したように曇りのない顔で笑んだ。
「自己評価は低くて当然じゃありませんか。ここ何日かジュリアス先輩にずっとやられっぱなしでしたからね、自己評価を高く持ちたくてもそれは無理というものです。」
ジュリアスも此度は穏やかな瞳で口角を上げた。
「ふ…もともとフルーレは剣術の勘を取り戻す為の単なる練習ではないか…しかし、もう肩慣らしは十分だろう?明日からは違う練習に入ろう。」
「そうですね、見栄えを考えればやはり、エペ…よりはサーブルでしょうね。「切り」の動作が入るからいかにも、剣術試合らしく見える。今、それを見越してゼフェルに団長衣装に手を加えてもらってます。」
「団長衣装にあたり判定が出るように改造しているのか?ということは、あの衣装でこの動きを要求されるということか?」
「このメタルジャケットでは俺たちの区別が一瞬ではつきませんからね。どっちがどっちか即座にわからないと観客応援も盛りあがりませんし。申し訳ないですが、だから、マスクもなしでやりましょう。お互い、男の命の顔は狙わないということで…衣装にあたり判定を仕込みますから、どちらにしろ顔は無効ですし…もともとお祭りですからね。この際、見た目重視でいきましょう。」
「なぜ男の命が顔なのだ…それでいうなら女性の方が…いや、顔は人間の価値を決めるものではないが親からもらったものに確かに敢えて傷などつけていいものではないが…単に危険だから狙わないで、いいではないか。」
憮然と言い放ったジュリアスにオスカーはしれっと言い返す。
「ジュリアス先輩の顔に傷でもつけたら、俺が先輩のファンに袋叩きにあいますからね。」
「それで言ったら、私の方がそなた以上に危険だと思うがな…しかし、そなたのアイデアは確かに見栄えはするし、盛りあがるだろうが、やらされる方はたまらんな。」
「誉め言葉と思っておきます。提案した俺も口だしだけで高みの見物をする訳じゃなし、ジュリアス先輩以上の好敵手は他にいらっしゃらないのだから、それこそ諦めてください。」
「そなた、それは私への賛辞ではなくて、自慢にしかなっておらぬぞ。」
二人は同時に破顔した。
「ああ、そろそろ、体育館に行った方がよくはないか?」
「もう、そんな時間でしたか…団長が二人揃っていなくては、チアリーダーの士気もあがりませんからね。俺たちの顔を見てせいぜいやる気を出してもらいましょう。」
二人が揃って出口に向う。そこで立ち竦んだままのアンジェリークに二人は同時に気付いた。
「アンジェリークではないか。こんなところでどうしたのだ?」
「あ、あの、お二人をお迎えに…」
「ああ、今、行く所だ。心配ない。着替えてから体育館に向うからそなたは一足先に行っているといい。」
「あ、はい!」
アンジェリークは後ろも見ずに駆出した。オスカーの顔を真正面から見てはいけないような気持ちがあったので、先に行けといわれてむしろありがたかった。
その後姿をオスカーは黙って見送っていた。
彼女は一体いつからここにいたのだろう。が、例え、話の最初からいたとしても、自分たちが何を話していたかはわからないだろうし、それでいいと思ったから、すぐにその事は頭から消えた。
体育館に向って走っていたら、渡り廊下でばったりとロザリアに出くわした。
「あ!ロザリア、体育館に行かなくていいの?」
「ま、あなたがいつまで経ってもホールから戻ってこないから、探して来てくれってオリヴィエ先輩に言われてあなたを、迎えに来たんですわ、わたくしは!もう皆集まって待ってますわよ。」
「きゃー!ロザリア、ごめーん!」
「ぐずぐずしてる暇はありませんわよ、私とあなたは更衣室に急がないと…」
「あ、そうよね、トレーニングウェアに着替えないとね。」
「ふふ…ウェアはウェアでも、着替えるのはそのウェアじゃありませんわ。」
「え?あ、ロザリア、それってもしかして…」
アンジェリークはロザリアが手に持っている布に今ようやく気づいた。つややかなスパン地に所々きらきらしたラメかスパンコールかブレードか…光るものが見える。
「すごい…もう、できてきたの?」
「たった今、とどいたんですわ。で、オリヴィエ先輩が皆に着て見せてやってくれって。」
「わかった、それじゃますます遅れてごめんね、ロザリア。」
「いいから、急ぎますわよ。」
「ええ」
二人の少女は急いで更衣室に向かった。とりあえずやらねばならないことができて、アンジェリークの思考も切り替わった。
「なんか、ちょっと恥ずかしいね、やっぱり…」
しっかりアンダースコートもついているし、ディテール自体はとてもかわいいと思ったのだが、やはり身体にぴったりフィットするチアの衣装を着て皆の前に出るのは気恥ずかしかった。
オリヴィエがデザインした衣装はほぼデザイン画に忠実に実体化されていた。アンジェリークの衣装は、艶やかな燃えるような赤地に金とオレンジのブレードやスパンコールで炎のモチーフが胴体部分に斜めに入り、スカートも、燃える焔をイメージしてか先染めのようなグラデーションとなっていた。かたやロザリアのそれは、目に鮮やかな白地に、銀の尾を長くなびかせる流星がやはり胴体部分を斜めに横切る様に配されており、視覚の効果で身体のラインをすっきり見せる。流星の頭の部分は銀青色のスパンコールで刺繍され、それが全体を引き締めるポイントとなっている。
「だめですわ、無闇に照れるとかえっておかしいですわよ。これはもう、きまった衣装なんだと思って堂々としないと…これで、集まった女子のやる気が燃えること請け合いなんですから、私たちはもっと、皆がうらやましがるように、魅力的に見せることに腐心すべきではありませんこと?」
「そ、そうよね。みんなに『着たい、やりたい』って思ってもらわなくちゃ困るものね、私、なるべく照れないようにしてがんばるわ、ロザリア。」
「そうそう、さ、いきましょ、アンジェ。」
お互いの立ち姿をチェックしてから、アンジェリークとロザリアは体育館の集合場所に戻った。途端に女生徒たちの歓声があがった。
「きゃー!かっわいい〜!」
「アンジェもロザリアもすっごく似合ってるわ〜!」
「私たちもこんなの着れるの?」
「いやーん、すっごいたのしみ〜!」
口々にかわいい、似合ってると言われ、嬉しくない女の子はいない。例え、それが本人にではなく、衣装に向けられた賛辞だとしても。アンジェリークも、我知らず嬉しさと誇らしさに頬を真っ赤に染める。
「うん、私も皆のができてくるの、すっごく楽しみ。オリヴィエ先輩のデザイン、とってもかわいくて素敵だもの。皆で同じものお揃いで着たら、もっといいよね。」
小鳥のようにきゃいきゃいかまびすしく騒いでいる女生徒たちは、アンジェリークより大きい子も小さい子もいたが、皆それぞれキュートでかわいらしく俊敏そうだった。自主的な応募組だし、この学園の女生徒の容姿はもともとレベルが高いといわれているので、余りばらつきがでなかったのだろう。
「はいはいはーい、実際にご覧いただいて、皆、これなら着たいと思ってくれたかなー?」
「はーい!早く着てみたいですー」
女生徒が楽しそうに口々に言い募った。
「もう、チアの衣装ができてきたのか…」
「ほう…これは…なかなか、かわいいな。」
その声の主を見つけた途端に女生徒たちの歓声が更に一オクターブあがった。ジュリアスとオスカーが着替えて体育館に姿を現した。といっても身につけているのはいつもの制服である。
「きゃー!ジュリアスさまと、オスカーさまよ〜!」
「二人揃っていらっしゃるとますます壮観…」
「全然タイプは違うけど、お二人ともほんっとに素敵よねぇ…はぁ…」
「わ、私はオスカー先輩の方がかっこいいって思う…」
「なによ、ジュリアス先輩ほど見目麗しい殿方はいらっしゃらないわよ!まさに現代の白馬の王子様…実際大貴族でいらっしゃるし…」
くすくす笑いとちらちら投げられる視線を故意に無視してジュリアスは集まっている女生徒全員に向ってこう告げた。
「皆、進んでチアに応募してくれて礼を言う、短い期間の募集であったのに多数の応募があったことを嬉しく思う、皆はその中から公平に抽選で選ばれた。抽選に洩れたものが大多数であるし、選ばれなかったものは皆より劣っていたわけではない。そのことを常に念頭に置いた上で、チアに力を尽くしてほしい。」
オスカーが後を引き取る。
「皆、期待以上の名花揃いだな。魅惑のダンスを見せてくれることを楽しみにしてるぜ?」
ばっちんと投げられたウインクに「きゃー!」という歓声が更にあがった。ジュリアスが責任感を自覚させて精神を引き締め、オスカーが甘いセリフと態度で女子のやる気を引き出す。計算したように役どころが上手く分担されている。
「ジュリアスとオスカー君は、今、一緒に練習しないの?」
ジュリアスの同級生らしい三年生の女子が物怖じせずに尋ねた。
「ああ、チアダンスの折には側で控えているだけだからな…もっとも、今日は初顔合わせであもあるし、団長ではなく生徒会長としてインストラクターとのレッスンの様子も見学させてもらう。」
ジュリアスとしては当然の行為である。女生徒たちのチェックが目的ではない。貴重な予算を使ってインストラクターを呼んだのだから、高校生相手の仕事、単発の仕事と侮って真面目に仕事をしないような人物が来た場合の備えであった。
しかし、女生徒たちはそうは思わない、当然、自分たちの出来不出来のチェックだと思いこみ、いいところを見せたいというやる気と、プレッシャーとが半々と言う複雑な心境でざわついた。
「失礼します。○○スポーツクラブから参りました…」
そこに、丁度よくインストラクターが到着した。20代半ばくらいの若い女性であった。
ざわついていた女生徒たちは一斉に静まりきちんと整列した。皆、きちんと教えを受ける自覚とやる気はあったので、自然と礼にのっとった態度はとれるのだった。
インストラクターはその様子に嬉しそうに早速説明をはじめた。曰く素人のチームと聞いたので、アクロバティックな要素を取り入れたチアリーディングではなく、あくまでチアダンスを主体にしようと思っていること。皆のレベルをみてから、ピラミッドを作るくらいのアクロバットをいれるかどうか検討するつもりであることなどを告げてから、早速準備運動のストレッチに入った。
そして、今日は初日ということで、ストレッチと基本のステップを教えることであっというまに練習時間は終わってしまった。インストラクターは、今日の練習で大体の運動レベルはわかったので、赤白2チーム、それぞれの振り付けを構成してくるから次回までに基本のステップだけきちんと覚えておいてくれと言って帰っていった。
インストラクターと女生徒たちそれぞれをジュリアスは満足げに眺めていた。インストラクターも真面目そうで好感がもてたし、女子も流石に自主的に応募してきたこともあって、皆、一生懸命練習しようとしているのがはっきりとわかった。なかでも、アンジェリークは執行部関係者ということで入っているので痛々しいほどの懸命さだった。それを見ていると自然と口元が綻んだ。
オスカーも黙って皆の様子を見ていた。その間ずっと言葉少なだった。視線が自然と一人の少女に引きつけられてしまうのは、先刻何か聞かれていたか、そのせいで彼女の様子に変化がないか、気になるからだと自分では思っていた。
その日以降、アンジェリークは目の回るような忙しさだった。
インストラクターが赤白それぞれの構成を考えてきてくれ、その振り付けに合わせた練習が始った。毎回、新しいステップやターンを覚えねばならず、ダンスといえば多少ソシアルを齧ったことがあるだけのアンジェリークには、足を思いきり上に上げることからしてハードルが高い。インストラクターが来ない日も集まれるチームメイトは、小ホールで自主的にステップやターンのおさらいに励んだし、アンジェリークの頭は、とにかく振り付けを覚えることで一杯で、他の事に振り分ける余裕がほとんどなくなってしまった。
何せ、皆の張り切り様がすごいのだ。それぞれのチームの応援…というより、それぞれの団長(もしくは相手チームの団長)に少しでもいいところを見せたくて、がんばること並大抵ではない。インストラクターも次回のレッスン日までには、教えた構成をきっちり習得してくるこの素人チームに若干高い要求も出してきた。
他のメンバーが手を組んで、その組んだ手に足を乗せて放り投げるようにサポートしてもらえれば、バック転できるようになる子もいた。そして、フィニッシュにやはり、扇形のピラミッドを作ってみようとインストラクターが言いだした。
中央で三人がベースになり一人を担ぎ上げる、その両翼に肩車した二人が並び、若干低い山を作って、最両翼の生徒は一人でポーズを取れば、綺麗な扇形のピラミッドができるのである。
そして、一人で一人が担がれる所に最も小柄な生徒が当てられると、最頂上のピラミッドの頂点に立つのは三番目に体重の軽いアンジェリークとなった。
はっきり言ってアンジェリークは尻ごみした。なにせ、女生徒とはいえ、その肩の上に立つと高いし、ぐらぐらするしで、とにかく怖かった。しかし、あまりに怖がることは、ベースになってくれている人たちを信用してないみたいだし、いくら3人で支えるとはいえ、決して軽くない自分が上になるのだから、あまり怖気づいてはいけないと必死に自分を鼓舞した。インストラクターも、上になる人間は、下半身を緊張させてびしっと立つ方が下の人間は重さを感じないですむと言ってくれたので、とにかく空元気でもなんでも、思いきりよくたちあがることを懸命に意識した。そして、数回の練習で、タイミング良くピラミッドの頂点に立ってポーズを取れるようにもなった。本当は手放しで、しかも、万歳するように立っているのは、ものすごく怖かったのだけど…。
練習の合間に、皆で車座になって、金色のシートを細かく裂いて各々のポンポンも作った。これを持って踊るとちゃんとしたチアになったみたいで、気持ちが高揚した。ソックスの色は赤で、リストバンドは金で揃えることも決めた。形が整って行くに従い、その手応えに、皆、更に張りきって練習した。
ただ、団長は団長だけで練習しているということで、チアの子たちと合同練習がないのが、一部の女子には落胆だったようだ。それも、オスカーが偶に顔を出して「レディたちの目を当日釘付けにしたいから、俺たちの演目は今は内緒ってことにしておいてくれよ?」と折りをみてガスぬきよろしく、声をかけてくれたので、目だった不満は出なかった。むしろ、張り合うというのではないけれど、自分たちも団長をあっと言わせたいという前向きなモチベーションが強化された。
アンジェリークは、入学以来クラスの女子や寮の女子とは仲良くしてきたが、生徒会活動に勤しんできたので、女子だけでこのように1つ目標に邁進するとこが新鮮で楽しくて仕方なかった。来年度、生徒会役員を重ねてやらないなら、何かクラブ活動に絶対入ろうと思った。
体育祭が終わるまで生徒会室にもほとんど行けなくなった。偶に顔を出しても、即座に練習時刻になってしまうし、練習が終われば疲れて寮に帰るだけの日々が続いた。
だから、アンジェリークは先日、おぼろげに輪郭を捉えたようなオスカーの心象を、改めて考えなおすような、時間も余裕も、また、それを促す機会もえられなかった。忘れ去った訳ではなく、切っ掛けがあれば、きっと思いなおしただろうが、なにせオスカー本人とほとんど会う時間もなく、オスカーが偶に練習に顔を出す時は、魅惑的な笑顔で女生徒に通り一遍の励ましを投げるだけだったので、アンジェリークの思考が刺激されるところまでいかなかった。
ジュリアスよりも、オスカーの方がよく練習に顔を出すのも、オスカーらしいまめまめしさ故かと思っていた。
そのオスカーが、何か気にかけているような視線を時折投げかけていたことを、アンジェリークは知らない。アンジェリークが自分をみていないとはっきりわかっている時だけ、オスカーはアンジェリークに視線を投げていたのだから、知らなくて当然だったが…
そして、遂に体育祭当日がやってきた。
体育祭は10月始めに行われる。完全非公開で、父兄も来ない。寮生活をしている生徒も多いので、それを考慮してのこともあるが、もともと高校生くらいになると来る父兄も少ないし、むしろ受験を考える部外者の見学の方が多くて競技の邪魔になったこともあり、今は原則完全非公開となっている。
競技は学年と性別に別れた、距離別の徒競走が主体で、リレーやハードル競技もある。男子の騎馬戦や女子のパン食い競争はご愛嬌か。
アンジェリークは執行部ということで、競技中は本部のテント下で救護係りを担う。オリヴィエは総合司会として本部につめっきりだ。本人は日焼けの心配が少ないから、願ったり叶ったりだと言っていた。リュミエールがBGM係りを務め、クラヴィスは、団長として白組の生徒席前に立つジュリアスの替りに責任者として本部席に鎮座している。故に優勝旗はクラヴィスからどちらかの団長に手渡されることになっている。
生徒の入場が済んでから、それぞれの団長が入場して、生徒席の前に立った。アンジェリークは、この時それぞれの団長衣装をはじめて目にした。女生徒は皆一様に溜息を付いてすぐ一瞬後に、華やかな声援をそれぞれの団長に投げかけた。無理もないと思った。アンジェリークも思わず見惚れた。
ジュリアスは全身白の長ランと言われる長い学生服に、腰まで垂れる白の長鉢巻を締め、滝のような金の髪を後ろで一括りにして、堂々とあたりを睥睨している。セイランの描いた白組のパネルは、蒼い稲妻を背負った、眼光鋭い白鷲であった。ジュリアスと同じ紺碧の瞳をしている。
対してオスカーは、燃えるような真っ赤な長ランに身をつつみ、やはり赤の長鉢巻を締めて赤組の生徒席前に威風堂々と立った。まさに燃える炎の男神を体現したような立ち姿だった。赤組のイメージパネルは、炎を吐く赤金色の黄金竜である。竜の瞳は冴え冴えとした氷青色で、全体に赤味の強いパネルをその一点できりっと引き締めていた。
二人とも、秋の日差しとはいえ、まだきつい暑さを投げかけるそれに、襟も緩めず、涼しく、しかし厳しい面持ちでそれぞれのチームに短い檄を飛ばした。
アンジェリークは、本部席からその様子を瞬きもせず見つめていた。目が離せなかった。オスカーが、皆の視線を釘付けにすると言ったのは嘘ではなかった。しかし、当日まで内緒にせずとも、この二人の立ち姿ならきっと何度でも見惚れてしまう、何度でも見たいと思う子はきっと一杯いると思った。でも、初めて見たからこそ、その衝撃も深い。それもまたアンジェリークは心の底から得心していた。
軽快なオリヴィエの司会に競技はつつがなく進む。昼食後の午後一番にチアダンスが予定されていた。
アンジェリークはクラスメイトと昼食を済ませた後、急いで更衣室に向い、チアの衣装に着替えて、グラウンドに戻った。チームメイトと、それぞれ簡単に動きのおさらいをする。チアダンスが済んだ後はその衣装のまま、生徒席の前にたち、続く団長応援のバックに立つことになっていた。
それぞれのチームカラーに身を包んだチアリーダーたちが登場すると、団長が登場した時と反対に野太い歓声が男子席から沸き起こった。おそろいの衣装に身を包んだチアたちは皆、とてもキュートで生き生きとしていて、かわいらしかった。午後の明るい陽光にもまったく引けを取らない弾けるような笑顔を見せている。
最初に白組のチアがフィールドの中央で演技を行った。BGMに合わせ約三分間、力強く、印象の強いダンスを繰り広げた。
そして、この応援合戦の点数は絶対評価で加算される。生徒各人が自分は感銘したと思えば一票をいれ、それがそのまま点数になるので、引き分けもありうる。白組のチアダンスは、全生徒の八割が票をいれた。
(「ロザリア、よかったよー」とアンジェに声を掛けられて振り向くロザリン。そこを新聞部が激写の図 by 白文鳥様) 次いで、アンジェリークたち赤組のチアダンスである。フィールドの立ち位置に立つと、団長であるオスカーがその正面に守護神のように控えた。オスカーに見守られるような安心感に、チームメイトたちはあがることもなく、適度な緊張感をもって演技を始めた。
(アンジェのチアダンスももちろん激写v)
白のダンスに比べ、赤組のそれは全体に軽快でテンポが速い。サポートがあったとはいえ、二人の女子がバック転を行うと、会場から歓声が起きた。
そしてフィニッシュはピラミッドである。最初に両翼が形作られ、同時に中央にたった三人の後ろにアンジェリークがまわりこみ、組んだ手に足を乗せて、一気に肩まで持ち上げてもらって頂点に立った。とにかく足許を見ない、気にしない、と必死に自分に言聞かせた。
ふと、前方に目をやると、こちらを見上げてくれていたのか、オスカーと視線があった。不安そうでも、危ぶんでもおらず、賛嘆と承認の色がその瞳に見てとれた。アンジェリークは安心したように、思いきりよく万歳の形にポンポンを掲げて、フィニッシュのポーズを取った、ぴたりとBGMのフィニッシュと重なった。
一瞬の間を置いて、歓声と拍手が起きた。
『やった…おわったんだわ!』
アンジェリークもその歓声にひとつのことをやり遂げた実感と嬉しさをしみじみ感じいっていた。様子を見にきてくれていたインストラクターの合図でベースの女子が腰を落とした。アンジェリークを降ろすために。
その時、オスカーがさっと近寄り、手を取っておろしてくれた。アンジェリークは咄嗟のことでもあり、素直にオスカーに手を預けて降ろしてもらった。とても自然な仕草だった。
オスカーは卒なくその他の屈んだ女子にも手を差し伸べ、立たせてやっている。
そしてアンジェリークたちのチアダンスは、白より多めの支持を得られた。皆抱き合って飛びあがって喜んだ。オスカーがこれ以上はない魅惑の笑みをうかべた。
「皆、すごく、チャーミングでかわいかったぜ。よくがんばってくれたな。期待以上のできだった。俺も皆に負けないように団長応援がんばるから、よろしくな?」
と言って投げキスを放った。チアの皆が一様に「きゃー!」と歓声をあげたのは言うまでもない。観客席の女子からは羨望の溜息も零れている。
オリヴィエのアナウンスが入る。次ぎは団長応援だと。
アンジェリークたちチアリーダーは、慌てて生徒席前の所定に立ち位置についた。
なぜかグラウンドに大きな電光掲示板がガラガラと音を立てて設置された。押してきたのはゼフェルである。例年の団長応援と異なる様子に生徒席がざわめく。そこにオリヴィエのアナウンスが重なった。
「今年の団長応援は〜、白・赤団長対抗・模擬剣術試合を行います〜!」
その紹介に合わせ、赤白それぞれの団長がそれぞれの陣営から、長ラン姿のまま、刃のついた細身の剣を持ってフィールドの中央に進み対峙した。途端にうなるようなどよめきと、甲高い歓声がグラウンド中から沸き立った。
「ルールは、フェンシングのサーブル戦を基本とします。サーブルとは「突く」だけでなく「切る」という動作も加えて剣術の腕を競うフェンシングです。それぞれの衣装の胴より上が有効面で突くか切ればポイントとなりまーす。ただし顔面を狙った場合、その場で負けになりまーす。団長からビジュアル面を考慮してマスクは着用しないとの旨をいただいておりますので。剣の刃渡り全体がセンサーになっていて有効面に触れるとこの電光掲示板にポイントがつきます。団長衣装に剣が触れるとポイントが光る様に細工してくれたのは、未来の天才科学者にして技術者、一年生のゼフェルくんです〜、はい、拍手〜!」
わーという歓声と拍手がおこり、ゼフェルが電光掲示板の傍らでその歓声にこたえた。
「やーやー、どうも、どうも、未来の…じゃなくて、俺様は現在すでに天才科学者にして技術者だぜぇ!」
「はい、静粛に〜、ルールの説明を続けまーす。本来フェンシングの試合は、4分間で5本先取した方が勝ちとなりますがー、今回は応援のための模擬戦ですので、団長応援の時間二人分を合わせた6分間に、多くのポイントをあげた方を勝ちとしまーす!ついでに、戦闘に迫真性を増す為に、戦闘フィールドも本来の幅2メートルのピストではなく、中央のフィールド内部全体使いまーす。ただし攻撃権は、本来のフェンシング同様、先に攻撃したものが持ち、攻撃された方は、その剣を払いのけることによって、攻撃権を取り返しまーす。それでは、それぞれの団長を目一杯応援よろしくぅ!中世の騎士の決闘を再現したようなこの模擬戦で、皆、多いに盛りあがってねー!」
オリヴィエのアナウンスが終わると同時に更に激しい歓声がわきおこった。
それぞれの団長が剣を交差させて礼をする。
「それでは、試合始め!」
オリヴィエの鳴らしたホイッスルと同時に鋭い金属音が鳴り響いた。しかも、その後一瞬たりともその金属音は途切れることなく続く。一瞬グラウンド中が水を打った様に鎮まりかえり、ついで、すぐに先刻以上に大歓声がおきた。
まったくの素人にも、この模擬戦のレベルの高さが即座にわかったからだった。
突く、受けとめる、切り返す、払いのける、また踏みこむといった一連の動作が、秒の単位で間断なく繰り広げられる。それでも、ポイントがなかなか光らないのは、それぞれの攻防に一分の隙もないからだ。赤と白の長ランは二輪の鮮やかな花の舞いのように、近づいては弾かれたようにとびすさり、また、引寄せられる様に近づいては、火花を散らす。
本来団長のバックて、ポンポンを振りながらステップをふむべきチアリーダーたちも、互いに手を握り合ったまま、固まったように固唾を飲んでその闘いに見入ってしまっていた。
アンジェリークも同様だった。一人立ちつくして、祈るような姿勢で、二人の闘いを見つめていた。
あのフェンシングの試合が脳裏にまざまざと蘇る。フェンシングの練習がなぜ団長応援の練習になるのか、初めて理解できたが、もう、そんなことを考える余裕もなかった。あの試合でさえ、様式化された闘いだとわかっていても、息をつく間もないほどの緊迫感が迫ってきた。この試合も、実際の戦闘ではないとわかっているが、格段に高い自由度のため、その緊張感はけた違いだ。
当たり前だが、剣に刃はない。剣先も丸く削られており、危険度は少ない。だが、それはこの戦闘の気迫を、二人の真剣さを微塵も損なうものではない。打ち鳴らされる鋭い剣戟も、華麗に舞い踊るような刺すようでいながら軽やかなフットワークも、二人が真摯に、そして、恐らく心からの充実と喜びを持って闘っていることを現していた。
電光掲示板はそれぞれポイント3づつのまま、動かない。
余計な解説は一切鋏まなかったオリヴィエが、朗々と宣言した。
「あと30秒!」
その声が合図であったかのように、ジュリアスが袈裟懸けに切ってかかる、オスカーがそれを受け流し、続けざまに鋭い突きを放つ。するりと身体を滑らせたジュリアスが、オスカーの切っ先を払いのけ自らも突きを繰りだす。
その鋭い前進に一拍遅れて、ジュリアスの長鉢巻が前方に流れジュリアスの視界を塞いだようだ。苛立たしげに手で、その流れる布を払いのけようとした一瞬の隙をオスカーは見逃さなかった。腰だめに構えた剣を抜き打ちにして、ジュリアスの胴を横になぎ払った。電光掲示板に4ポイント目が光った直後に、ストップウォッチを見据え秒読みしていたオリヴィエが終了のホイッスルを鳴らした。一呼吸おいて、オリヴィエが朗々と宣言した。
「勝者、オスカー・クラウゼウィッツ!」
一瞬の空白の後、文字通り割れるような大歓声がおこった。オスカーと、そしてジュリアスの名前も賞賛をもって高らかに連呼される。抱き合ったまま泣いている女生徒もいる。
流れ落ちる汗がグラウンドに小さな染みをを作っては跡形もなく吸いこまれていく。その汗を拭いもせず、二人の男性は儀礼的に三度剣を打ち鳴らし、典雅にひざまづいて、それぞれ互いに敬意を表した。
二人が肩で息をしているのが、アンジェリークにはわかった。
様式化されたものであっても、男の闘いとはどういうものなのか、それを初めて目の当りにしたような気がした。
そして、自然と、オスカーの抱えているというもうひとつの「闘い」らしきものが想起された。
こんなに強いオスカーが心の中に抱えている闘いとは何なのだろう。同じ位強いジュリアスも支援したいといっていたほどの責任とは何なのだろう。
「アンジェー!」
アンジェリークの思考はいきなり抱き付いてきた同級生の感極まった歓声に中断された。
「アンジェ、アンジェ、オスカー先輩ってやっぱりかっこいいでしょー!アンジェもよくわかったでしょー!」
「うん…ほんとに…」
うん、わかってる…かっこいいなんて簡単に現すのが躊躇われるほど、きっとこの人は「男らしい」人なのだろうというのは、もう、アンジェリークにもいたいほどわかっていた。
ただ、オスカーの悲壮なほどの男らしさを作っている根幹が何なのか、アンジェリークはまだよくわかっていなかった。それでも、この人の真剣さ、男らしさ、雄雄しさ…一言で言えば丈夫ぶりとでも言うのか…は間違いようもなく感じられた。
団長の渾身の闘いが、励みになったのか、そのまま赤組は午後の競技で終始リードを保ち、最後の全学年混合リレーで、アンカーのランディがだんとつぶっちぎりでゴールを果して、駄目押しの勝ち点をあげた。
オスカーは、赤組団長としてクラヴィスから粛々と優勝旗を受取り、それを揚揚と掲げた。
(優勝旗を受取り会心の笑みを浮かべるオスカー様 by 白文鳥様)
グラウンド中がまたも、われんばかりの拍手と歓声に包まれたなか、体育祭は幕を閉じたのであった。