百神の王 12

初めて馬の背に乗った…いや、乗せてもらった翌朝、オスカーは、脚部の内側に若干の緊張と違和感を感じた。馬上で、今まで使いつけない筋肉を使った故だろう。が、筋肉の強張りは苦痛というほどではなかった。普段から、馬と共に走って足腰をよく鍛錬していたのが功を奏したようだった。

もっとも、この朝、身体中が筋肉痛で軋んでいたとしても、オスカーは後悔しなかっただろうし、もう乗馬はこりごりだとも思わなかったろう。

それどころか、オスカーはアグネシカを暫くは乗馬用の馬として扱ってみたいと考えていた…馬がそれを許してくれればという条件つきではあったが。

『馬車用のハーネスをつけるのは…そうだ…俺の重みに馬が馴れてからでもいい…考えてみれば、順番は、どちらが先でもいいんだものな…』

馬車を繋げた後は、俺も馬車に乗って、馬を御さねばならない、つまり、馬には、俺と、馬車の車両本体の重みという2つの負荷が一時にかかる、それなら、まず、俺が乗ることで、荷重を負って歩く感覚に慣らしてから、馬車の重みに馴れさせる方が、負荷が徐々に増えるという点で馬にとっても楽かもしれない、そう考えた故だった。

神馬エータシャは、馬車馬として調教されねばならないのだから、乗馬用の訓練は、本来必要ない、むしろ回り道かもしれない。

が、馬に乗り共に歩むことが、思った以上に胸のすく、爽快な経験であったために『もっと馬に乗ってみたい』気持ちが押さえきれずオスカーを動かしたことも否めない。なんといっても、オスカーは10代後半の、身体を動かしたい盛りだった。

しかし、手前の厩舎で鞍を借りたい旨を告げた時、厩務員は危険ではないかと難色を示した。あの馬も長手綱での指示にはよく従うようになっているし、となると、馬に乗ってみたいと思う君の気持ちはわからなくもないが、あの馬は乗馬用の調教をされてない、今後もその予定はないのだから、敢えて危険なことは勧められない、と渋い顔をされた。

厩務員は、オスカーが若者らしい好奇心が抑えきれず、どうしても馬に乗りたくなってしまったと思ったのだろう。『無用な調教で余計な手間暇を取るな』とオスカーを戒めたかったようだし、オスカーの落馬を危ぶんでいることもはっきり見てとれた。その様子を見てオスカーは、厩務員は過去に、今の俺のように馬に乗りたがって失敗した若者を見ているのかもしれない、と思った。いや、もしかしたら、逆に、乗馬に夢中になってしまい、馬を馬車馬として調教するという本来の目的を忘れるか、疎かにしてしまった若者がいたということも考えられる。それなら、厩務員が本来の調教から脱線しそうな俺の申し出を憂うのは当然だ、と、オスカーは思った。

そこで、オスカーは、実は昨夕、裸馬の状態で既に馬の背に乗った…というより、乗せてもらったこと、そして、馬を馬車に繋ぐ前に、負荷を負って歩く経験をさせる練習として、自分が馬の背に乗るのも有効ではないかと考えたことを理路整然と説明した。自分が馬に乗ることも、馬車馬の調教として有効であると強調したのは、些か、我田引水の感は否めなかったが、一応理は通っていた。その上で、直に馬の背に乗るのは安定感の点で少々危うげに感じたので、できれば鞍があるとありがたいという事をオスカーは丁寧に言って、厩務員を説得しようとした。

馬が自分からオスカーの騎乗を許すような素振りを見せたとオスカーから聞いた厩務員は驚きを隠さなかった。よくいって、半信半疑の呈であった。

オスカー自身も、鞍を借りたとて、今日も馬が自分を乗せてくれるかどうか自信がなかったので、もし、今日、馬が鞍の馬装を嫌がるようであれば、乗馬は諦めると約束して、漸く鞍を貸してもらえた。しかし、厩務員はそのままオスカーと一緒に火の馬の厩まで付いてきた。オスカーが馬の世話に手馴れたこともあって、最近、厩務員はオスカーの好きにやらせてくれ、オスカーが助けを頼まない限りは火の馬の厩舎に顔を出さずにいたのだが、今回ばかりはオスカーを信用できないと思ったのだろう。傍から見ても、自分はよほど馬に乗りたそうな顔をで、うずうずしているのだろうかと思うと、オスカーは自身に苦笑を禁じえなかった。

オスカーはブラシかけなどの基本的な馬の手入れを手際よく済ませた後、木枠に革を張った鞍を馬に見せ、気が済むまで検分させながら『この鞍を今からおまえの背に乗せるからな』と声をかけた。馬が落ち着いてみえたので、オスカーは物は試しとばかりに馬の背にまずは毛布、ついで、鞍を載せて、腹帯を締めてみた。馬がおとなしく馬装を受け入れていたので、厩務員は大層驚いたようだった。

その日一日は馬に鞍の感触に馴れてもらうことに費やし、オスカーが実際に騎乗したのはその翌日からだった。

翌日も馬はおとなしく馬装させ、オスカーをその背に乗せた。まるで待ちかねていたようだった。そしてオスカーは初めての鞍上で、しゃんと体が安定する心地よさを感じていた。人馬の一体感は減じるものの、この体の安定あってこそ、馬を自在に操れるようになるのだろう、鐙(あぶみ)に足を預けられるから、遠慮ない早掛けもさせられるようになるのだろうという鞍の利点が理屈でなく感じられた。

その日以降、オスカーは馬上から、より緻密かつ複雑な手綱さばきで指示を馬に理解させていくことを調教の主眼としていった。当然、オスカーの乗馬技術の研鑽も同時に為される。馬に調教を施しつつ、オスカー自身が乗馬に慣れ、技術を磨くことで馬を走りやすくさせてやれるので、これは、オスカーの方からの歩み寄りともいえた。

放牧場内での乗馬になれてきた処で、オスカーにも欲がでてきた、また、馬に、もっと広い場所をのびのびと駆けさせてやりたくもあり、文教地区の裏手に広がる山林への野外騎乗も始めた。

手始めは、山の奥までは分け入らず、すぐに帰ってきたが、馬は、放牧場の外へ出かけることが大層気にいったようだった。

翌日、馬装を済ませてオスカーを乗せるや否や、馬は、自分から放牧場の外に行こうとしたからだった。

オスカーは

『やはり、こいつは、できる限り広い処を思いきり駆けたいのだろう。無窮広大の空の道をこそ駆けるために生まれてき、それだけの力を持っている馬なのだから…』

と思った。

しかし、そのためには、こいつを俺1人の乗馬用に留めて置くわけにはいかない。この馬を、本来あるべき場所で思う存分走らせてやるためには、馬車馬としての調教が必要不可欠なのだ。俺が楽しんでこいつに乗っているだけでは…ともに、この山野を走ることで満足させてしまっては…こいつの能力、持って生まれた才を結果としてあたら無駄に埋もれさせることになる。

ならば、今後、こいつが馬車用の馬装を嫌がったり、調教を拒んだりした時、諦めたり甘やかすのは、結局、この馬を不幸にするだけではないのか…心からの満足、真の充実から遠ざけてしまうという意味で。嫌がるからといって訓練を施してやらねば、この馬は、もって生まれた性質…無窮の道を思う存分走りたいという欲求を満たせなくなり、そのために恵まれた才能も無駄にしてしまうことになる。ならば、最初は嫌がっても、多少の苦労をさせても、訓練してやり、持って生まれた才をすくすくと伸ばしてやることこそが、この馬にとって、真実、幸福なのではないか…乗馬はあくまで遊びとして、やはり、なるべく早く馬車馬としての調教を再開し、こいつを、それこそ日の当たる場所に導いてやりたい…こいつの充実、真の幸福を思えば、せっかく持って生まれた才を遺憾なく発揮させてやるべきではないか、それが俺の務めではないかと、何故か、強くそう思う…

緑濃い草原を嬉々として歩む馬の鞍上で、オスカーはこんなことを考えた。そして、何故、俺は、急にこんなことを考え、しかも、迷いなく、こうすべきと思えるのか…と、自分の心の動きを少々不思議に思った時、はっとした。

これはアンジェリークが、幼かった時の自分に対し教え示してくれたことと同じではないのか…と、ふいに、思い当たった。

そうだ、アンジェリークは俺に、持って生まれた性質を無理に押さえ込もうとしても苦しいだけ、むしろ、それを伸びやかに存分に育てた方がいいと、それとなく教えてくれた。持って生まれた力は授けられた恩寵でもあるのだから、自分を否定したり、力を育てないのは、自分・オスカーが可哀想だとも言われた覚えがある。

そして、実際、俺はアンジェリークのアドバイスで系統だった鍛錬を行い、力を抑えるのではなく伸ばすことにより、制御する術を覚えていき、周囲を傷つける恐れもなくなって、自分に自信が持てるようになった。同時に、自分の力が大きく育ち、それを思う存分発揮できることの充実と達成感、それに伴う幸福を味わえた、そのおかげで、俺は、今、天界に招かれるという栄誉をも受け、何より、彼女の手を取ることを諦めずに済んでいる。

自分の前にこの道が…広い可能性が開けたのは、すべて、アンジェリークの優しい励ましと導きのおかげだ。

彼女がいてくれたから、俺は火の力を研ぎ澄まし力を蓄えることが喜びとなったのだ。力を発揮し、認められる充実と幸福を知ったのだ。自分自身を肯定でき、成長を実感できることだけでも充実した日々といえたが、アンジェリークに会って、それをあなたのおかげだと報告できることが俺には何より嬉しかった。その励みがあったから、俺は地味な訓練を辛抱強く繰り返せたのだとも思う。そして、だからこそ、今のこの俺があるのだ。力を尽くしてきた、今も尽くしていると言い切れるから、堂々と真っ直ぐ顔をあげて、ウシャスであるとわかった彼女を思い続けていられるのだとも思う。

ならば…馬房に閉じ込められていた頃のアグネシカは、アンジェリークと出会う前の俺と同じではないのか…。自らの内に宿った火の性質と能力のせいで、周りを怯えさせ、下手をすれば傷つけるから、他の馬と一緒にはいられない、自由に駆け回ることもできない…自分の力が輝かしい物であることを知らず、自分の強すぎる火の力を、性質を疎ましく思うばかりだった頃の自分が、馬と重なる。

そして、馬車用の調教を厭うからといって、アグネシカを厩舎裏の山野を駆けることで満足させてしまうのは…俺が天界行きを拒んで、アンジェリークがウシャスであることにも目をつぶって、火の泉での一時の逢瀬に執着しようとしかけたこと…彼女と会える年月が数年延びるだけで、本当に彼女を得られるわけでもない、満たされた幸福に繋がるわけでもない、仮初の…偽りの安寧にしがみつき、自分をごまかし、眼前の安楽へと逃げ込みかけたことと、一緒ではないのか…。

オスカーは瞳を閉じ、瞼の裏にアンジェリークのたおやかな愛くるしい姿を思い描く。

俺は…全く…年月が経つほどに思い知らされる。どれ程大事なことを、多くのことを、知らず知らずのうちのアンジェリークから教わり、学んでいたのかと…

そして、彼女が俺の真の幸福と充実を願って、俺の力を伸ばそうとしてくれていたこと、彼女との別れの寂しさに盲いて短慮をおこしかけていた俺の目を開かせようと諭し、俺の背を押し、天界行きを寿いでくれたその聡明さ、先見、優しさ…俺のことを真剣に案じ考えてくれていたとしか思えない彼女の優しさに、改めて、心打たれるばかりだ…。

だからこそ、俺も…彼女の手を取るに相応しい男になりたい。彼女が俺にくれた優しさ、俺に注いでくれた真心に見合う男になりたい…そう、切に願ってやまない。

そのためにも、アグネシカを、馬車馬として、きちんと調教してやらねばならない。彼女が俺の背を押してくれたように、その時は、辛くても苦しくても、本当の充実、本当の幸福を得るためには、敢えて挑まねばならないこと、苦しくても辛抱して力を尽くさねばならない時があることを、誰より俺は知っている、惜しまず力を尽くして初めて到達できる幸福があること、その可能性を、俺は、アンジェリークに教えてもらった。だからこそ、自分に恥じず、何の遠慮も躊躇いもなく、自信をもってアンジェリークを追える俺がここにいるのだから。

それなら…この馬にとって、俺のアンジェリークとの逢瀬くらい嬉しく励みに思うものはなんだ…きついハーネス、重いハモをつけ、馬車を引く訓練をも耐えられるようになる励みといえば…

山野への遠乗り…そうだ、とりあえず、この遠乗りを使ってみよう。早速明日から試してみよう。

俺自身のためだけでなく…まるで、昔日の俺のようなおまえに、自分の力が伸張し、それを発揮できる喜び、充実を、教えてやりたい。昔、アンジェリークが俺に教えてくれたように…

オスカーは、静かに、心にそう決めた。

 

翌日、オスカーは、馬に、はみのない無口頭絡と引き手綱のみをつけて、馬場内を小半時ほど歩かせる足慣らしの運動をさせてから、一度、馬を馬房に戻した。その上で、久方ぶりに馬車用のハーネスとハモを馬に見せた。

自分に鞍を載せようとしないオスカーを馬は軽く噛もうとした。オスカーとの野外騎乗を期待しているのは明白だった。

オスカーはそれこそ噛んで含めるように

「前に一度見せたことがあったな。いいか、今日から、もう一度、これを付ける訓練をする。これをつけない限りは、散歩もオヤツも自由時間もなしだからな」

と、言ってから、馬に、馬車用の馬具を見せた。馬は、ふいと横を向いて検分しようともしなかった。

そして、オスカーを見てはいななき、馬房の外に首を伸ばした。苛立たしげに前足で地面を掻きもした。

しかし、オスカーは断固としていた。妥協する素振りは一切見せなかった。

この馬装を受け入れなければ、騎乗も放牧もなしだということは、今度こそ徹底するつもりだった。

鍛錬は、本来生まれ持った性質を損なわず育てて開花させてやるため、そして、せっかくの天を駆けるという才を、その可能性を持って生まれたこの馬が、訓練を受けられなかったために才を埋もれさせ、思い切り天を駆けること叶わず一生を終えるようなことがあれば、その方がかわいそうなのだとオスカーは、確信を持っていた。だから、今は、馬に馬車用の調教を施すことに、躊躇いも迷いも遠慮も持たない。

そのぶれない心、揺るぎのない信念は、馬を訓練するにあたって、最も適切かつ必要なものだった。

それでも、馬車用の馬具を見せては馬がそっぽを向く、そんなにらみ合いが数日続いた。

乗馬、特に野外騎乗の面白さを知り初めたオスカーにとっても、ただ、馬の翻意を待つのは楽しくない時間ではあったが、オスカーはひたすら辛抱強く待った。毎日一定時間、引き手綱での運動はさせていたし、ここの馬房は馬がある程度は自由に動き回れるほどの贅沢な広さがあったので、馬房に閉じ込められっぱなしでも、馬が健康を損ねる恐れはないとオスカーは計算していた。馬からとりあげたのは、あくまで、山野を存分に走り回る遊びと自由時間のみだった。

そして、何日経っても、オスカーが自分の背にのらず、外に放してももらえず、ひたすら、馬具を鼻先に突きつけられたことで、馬も、何かを悟った、もしくは観念したらしかった。

馬車用の馬具を見せ初めてから1週間ほど経った日だった。

その朝は、オスカーが馬具を見せても馬は頭を振り払う仕草を見せなかった。

オスカーは、おや?と思った。

この機を逃さずハモを馬の首にはめてみた。

初めての作業であったので、オスカーの手際は良いものではなかったのに、馬は若干身じろぎはしたものの、暴れずにいてくれた。

オスカーは、逸る気持ちを懸命に宥めつつ、一つ一つ確実に金具を留め、紐をしめていく。

そして、最後の留め具を付け終えたとき、オスカーは我知らず、詰めていた吐息を長々と吐き出した。

馬は、きちんとハモをつけ終わるまで動かずにいてくれた。

「よく、我慢したな、おまえ…」

オスカーは馬の鼻面を撫でてやった。

「よし、ご褒美に馬場に連れていってやろう。今日はハモに馴れてくれるだけでいいからな」

オスカーは、ハモを嵌めた馬の引き綱を引いて放牧場まで連れていく。馬が些か得意げに見えるのは、俺の贔屓目だろうか、全く、我ながら勝手なものだと思うと、胸の奥から笑みがこみ上げてきそうになった。

馬は、放してやっても、最初、ハモを気にする素振りをみせてその場からあまり動きもせず、やたらに首を振ったりもしていたが、そのうち、首輪の感覚になれてきたのか、おちついて馬場の草を食みはじめた。

オスカーは、歓声をあげたい気持ちだったが、一生懸命に堪えた。

馬を驚かすようなことは何があっても厳禁だった。ことに、新しい馬具に慣らしているような場面では。

オスカーは静かに馬を見守り、

『午後に、なつめでも持ってきてやろう』

と思いながら、一度放牧場から離れた。

午後に馬場に戻ると、オスカーは馬から重いハモを外して替わりに鞍を載せ、少しの距離だが、一緒に野外を走った。その後はすべての馬装を外して、馬場内で自由に遊ばせてやった。

これで、馬が苦しい訓練でも、それをきちんとこなせば、後で、楽しいご褒美が待っていることを理解してくれないかと、オスカーは企図したのだった。

 

オスカーの目論みは成功したようだった。

アグネシカは、諦め半分であったかもしれないが、午前に重いハモをはめられることを我慢すれば、午後にはオスカーに野外騎乗に連れ出してもらったり、自由時間をもらえることを理解したようで、その日以降、ハモの装着を嫌がらなくなった。

オスカーにとっても野外騎乗の再開は純粋に心弾む楽しいことだった。

当然のように、少しづつ、遠出の距離が伸びていった。

そしてチャーリーに話を聞いていたものの、オスカーは、放牧場の裏に広がる山林は「裏山」という名前が全くそぐわない広大なものであることを改めて知った。

馬を歩かせた先はなだらかな草地もあれば岩だらけの急峻ながけもあった。藪を抜けた先に小川があり、川にそって遡っていくと小さな沼地に出たこともあった。

毎日、今日は馬とどちらに行こうかと思うだけで、オスカーの胸は弾んだ。が、遠出はあくまで訓練の成果に対する馬への褒賞であることも、オスカーは肝に命じていた。自分が騎乗をしたいがために、訓練に甘い顔をするという、本末転倒な振る舞いはしないよう心がけていたし、調教を次の段階に進める時期を見計らってもいた。

それは、アグネシカも理解していたようだ。

ハモにすっかり馴れたように見えた頃、オスカーは試しに、馬車用の金具《ハーネス》も、アグネシカの身体につけようと試みた。

アグネシカは、全く抵抗せず、ハーネスをはめさせた。

抵抗して馬装を拒めば、楽しい散策はなし、しかも、どれほど意地を張ってもオスカーが折れない、譲らないことを経験則で学んだのであろう、真に賢い馬といえた。

オスカーは最初、信じられない思いで馬を見つめ、次いで、こみ上げてくる嬉しさを堪えきれずに、開け放しでアグネシカを褒めてやった。

そして、俺が何か一つ新しいことができるようになるたびに、わがことのように一緒に喜んでくれたアンジェリークも、今の俺のように、心の底から嬉しく感じ、喜んでくれたのだろうなと素直に思えた。

ハーネスをつけられるようになれば、程なくして馬に1人用の軽快な2輪馬車あたりをつなげるようになるだろう。

馬が馬車につながれてからは、また別の訓練がオスカー、馬、ともどもに課せられるだろうことも容易に予測できる。

そして、手綱で馬を自在に操り、馬車を走らせることができるようになれば…恐らく、俺は御するべき馬の数を増やされることだろう、とオスカーは考えを進める。いや、そうでなくては困る。

調教の済んだ馬がどこかにやられ、新たに未調教の馬が連れてこられたら…俺は現太陽神に馬を供するだけの単なる調教手という可能性が濃くなるが…そしてそれは、どうしようもなく気が滅入る考えだ…が、もし、馬の数が増やされていけば…最終的には7頭になるはずだ…それは、この馬の調教が、太陽神になるための直接的な訓練であり、その道を目指す資格が俺にあるかどうか見極めるためのテストであると、証明することになる。

そして、俺が同時に馬を7頭御するだけの力と技術を身につけることが何時まで経ってもできなければ、俺はその時点で脱落ということになるのかもしれない。今まで、天界に招聘された多くの留学生のように…

だが、そうはならない。俺は、いつか必ず、7頭だての馬車を自在に操るだけの力量を身につけてみせる。そして、俺の力が成長している限り、俺は、この天界にいられる筈だと思うから…。

そして…オスカーはアグネシカを見て思う…俺がここでいい友人を得られたように、おまえにも、同じ能力・性質を持った仲間が傍にいれば…きっと、ここで過ごす時間がとても楽しいものになるだろう、そのためにも…おまえの仲間をこの厩舎にもっと増やしてもらえるようになるためにも、俺は馬を御し操る力量を対外的にきちんと示さねばならない、だから、これから、もっと、おまえを容赦なく訓練することになるだろう。

オスカーは、労うように、アグネシカの首筋を軽く叩き、鼻面をなでてやった。

アグネシカは、お愛想にか、オスカーの手の甲を舐めて応えた。

 

その翌日、アグネシカはハーネスと共に2輪の軽快馬車ー人も荷も何も載せない空車両だーを繋がれた。少し歩くたびに、自分の背後でガラガラと車輪の回る音が響くことに、最初、馬は驚いたようだったが、暫くして、それが何も怖いことではないとわかると、落ち着いたようだった。

この分なら、明日は俺が馬車に乗った上で、少し歩かせてみても大丈夫かもしれん…とオスカーは今後の調教の手順を考えながら、午後の課業に備え一度自室に戻った。すると、自分の机の上に、何かの包みがおかれていることにオスカーは気づいた。

オスカーは恐らく、そろそろ、また次の書状が届くだろうと予想はしていた。昨日、馬に馬車用のハーネスを初めて装着できたし、今日は空とはいえ、馬車も装備できた。アグネシカは立派に馬車馬への道を歩み始めていた。そして、今までも馬の調教が進んだ節目節目に女神神殿への参詣許可を記した書状が届いており、そして使われない書状が抽斗の隅にたまるままになっていた。

しかし、此度の届け物は書状ではなく、箱状の包みだった。包み自体は小さなものだった。手にとってみても、軽い。その包みを破ると、中は小さな真紅の天鵞絨の小箱だった。

オスカーは首を捻った。

書状ではない届け物は初めてだった。

しかし、今までの届け物と同じく、包みをひっくり返してみても差出人の名前はどこにもない。級友から贈り物をされる謂れもなかった。

オスカーは純粋に好奇心をそそられて、包みを開けてみた。

紅い天鵞絨の小箱の中にはキラキラと光る美しい金の装身具らしきものが入っていた。箱からは取り出さずに、つぶさにそれを眺めてみる。釣り針型に曲げられた細い針金様の金具の形状から見るに耳飾のようだ…が、どこからどう見ても、箱の中に装身具は一つしか入っていない。耳飾なら二つで一対のはずだから、これは片耳分だけということになる。

耳飾の形は…何の意匠であろうか…小さな球状の飾り部分から、一直線に伸びるように、矢尻か槍のようにも見える尖って長く伸びた棒状の飾りがついていた。

キラキラと金色に煌めく真円の球体と、そこから真っ直ぐに延びる鋭い形状の輝き…この様はまるで…太陽と、そこから迸る一条の太陽光のようだ…いや、むしろ…アンジェリークがあの別れの朝、真っ直ぐに俺の目を射抜くように迸らせてくれた、最初の曙光のようにも見える。一条の光のような金の装身具が紅の天鵞絨に包まれている様は、まさに紅一面の空に彼女の手から紡ぎだされる朝一番の金色の光箭が迸っているかのようだ…

「!」

そう思いついた途端、オスカーはあわてて箱からその耳飾を取り出して、改めて掌の上に載せると、食い入るようにそれを見つめた。

ぽぅ…っと、掌がほんのり暖かくなったような気がした。目を閉じて、意識を集中して耳飾りにまつわる気を探る。微かだが…ほのかに香立つような紅の光輝が閉じた瞼の裏に見えるような気がした、覚えのある…いや、忘れようにも忘れられない光と火の気配が交じり合った、高雅で優しい光輝が微かにくゆって立ち上っているように感じられる。

我知らず、手が震えた。

同時に、逆巻き溢れるように記憶が迸った。

彼女が、微笑むたびに、小首を愛らしく傾げるたびに、シャラシャラと、楽を奏でるように、彼女の金鎖が胸元で揺れていた。そう…彼女の仕草にあわせ、金鎖や腕輪の金鈴が奏でる控えめで澄んだ音は、彼女の愛らしい声を一層心地よく引き立てる楽の音のようだった。そして、金鎖と同じように、光の箭のような耳飾が…彼女の耳朶で揺れていたことがなかったか。

なんとなく…見覚えがある…

彼女のまろやかな雰囲気には、鋭すぎるようにも見えたあの耳飾は、彼女の手が紡ぎだす1番最初の夜明けの光、紅の空の色を従え、地平からまっすぐ矢のように迸る、この世で最も清冽で鮮烈な、その日、最初に迸る一条の黄金の光…今思えば…それを…意味していたのではなかったか…

そうだ…これは…彼女の…アンジェリークの耳元で揺れていた耳飾…同じものに見える…彼女の気も微かに感じられる…が、まさか、本当に、その耳飾なのか?

しかし、何故、今、これが俺の許に…しかも…片方だけ…

これは、アンジェリーク所縁のもの、アンジェリークの身を飾っていたもの、それが俺の手元に…そう思うだけで、オスカーは空恐ろしい程の喜びに、全身、震えを感じる程だった…しかし、一方で、どうしても、この現実が信じられない。自分は頭が変になってしまったのではないか、今、俺は夢を見ているのではないかという懸念がどうしても拭えない。何故、彼女の持ち物が、俺の手元に届けられるのか、いや、それ以前に、これがアンジェリークのものだと感じた俺の直感は正しいのかと、それも危ぶまずにはいられない。同時に、片方だけの耳飾には何か特別な意味があるのだろうか、もし、そうなら、それは何なのかを考えると慄かずにいられなかった。

彼女は、俺が天界にいることを知っている。

そして、彼女自身が仄めかしたのだ、もし、自分に会いたいと思ってくれるのなら火の力をどこまでも真っ直ぐに伸ばしていけと…そして、天界で火の力を極めに極めたその果てには恐らく太陽神の地位がまっている、つまり、彼女は、自分に会いたいと思ってくれるなら、太陽神を目指せと、そう俺に示唆したのだと、俺は信じている…

ならば…彼女は、俺が今も天界で鍛錬に励んでいることを知って、この耳飾を誰かに託(ことづ)けて贈ってくれたのか…

俺のことを覚えていて…この天界で精進している俺のことを気にかけ、俺を励まそうとしてくれているのか…

しかし、それなら、何故、片方だけの耳飾なんだ?これの意味する処は…光神の間では、片方だけの耳飾には、何らかの特別な意図やメッセージが込められているのだろうか。だとしたら、その意味はなんだ?

オスカーは、己が身が、恐れと期待に微かに震え慄くのを止められなかった。

掌の上の金色の輝きは、何度見ても間違えようもなく、そして、この耳飾は純金なのであろう、見かけの大きさの割りにはずっしりとした手ごたえがあるのだが、それでもオスカーに、それは頼りないほどに軽く思えた。この装身具に託された意図をオスカーは図りあぐねた。否、自分に都合のいいように考えてしまうことが、恐ろしかった。

そこに

「あーしんどー!今日の実習、エライしんどかったわー」

「チャーリーもかい?私も、今日の実習でくたくた、なんか、最近、課題がきつくてさぁ…」

と、話しながらどやどやと部屋に入ってきたオリヴィエとチャーリーは、腑抜けたように突っ立っているオスカーの姿に気づいた。

「あれ、オスカー、どうしたんだい?ぼーっと突っ立って……」

と、懸念声をかけたところで、二人は同時に目を瞬き、ついで互いに顔を見合わせた。互いに自分の目が信じられなかったのだ。

目の前の呆然と佇むオスカーが、一瞬、突然小さく幼くなったかのように…十代になり初めた頃の幼い少年のように、見えたのだった。

よく見れば、オスカーはまるで掌を閉じることができないかのように手を強張らせており、その掌の上にはキラキラ光る小さなものが載っているのが二人にも見えた。

「あれ、どしたん?それ。エライきれーやなぁ。誰かからもろうたん?…って、あらー?それ耳飾やろ?けど、一つしかないやん、もう片っ方、どないしたん?のうなってしもうたん?」

オスカーは黙ってゆっくりと首を横に振った。そんな仕草も少年のようだ。

「どういうこっちゃ…ほな、最初から片方しかあらへん、いうんか?」

「へぇ〜片方だけの耳飾ってさー、なんか意味深?」

「っ…オリヴィエ…どういうことだ、それは…片方だけの耳飾っていうのは…何か意味があるのか?あるとしたら、一体どういう意味があるんだ…」

オスカーが突然、夢から覚めたかのように声を発した。そのあまりに真剣な様子に、オリヴィエは面食らった。

「へ?」

「片方だけの耳飾は、光の眷属の間では何か特別な意味があるのか?と聞いている」

縋るように頼りなげでいながら、オスカーの問いかけには鬼気迫るような雰囲気があった。

「頼む、何か、知っているなら教えてくれ…」

オリヴィエはガラにもなく、その空気に飲まれそうになった。

「いや、そういわれても、特には…」

「例えばだが…もう2度と会えないとか…決別とか別れを意味するなんてことは…ないんだろうか…」

「あ、ああ…そういうのは…少なくとも私はきいたことがない…」

「そう…か…」

オスカーがあからさまに、心の底から安堵したような吐息をついた。

オリヴィエもチャーリーもオスカーのただならぬ様子を酷くいぶかしく思った。

「一体、どうしたん?オスカー、その耳飾の送り主に、心当たりおるん?」

「ああ…いや、だが、俺の…思い違いかもしれない…わからない…」

オスカーの様子が、また、途方にくれた少年のようになってしまい、オリヴィエとチャーリーの二人は気遣わしげに顔を見合わせた。

「けど…片方だけの耳飾って…どういうことやろ?どないな意味があるんやろうなぁ」

「片方しかないってことは…残りのもう片方は、どこにあるのかってことが問題で…それ考えると、もう片方は送り主が手元に持ってるのかもよ」

「ほな、二人で一対の耳飾を分けおうてつけよういう意味、ちゃう?」

「…ばかな…いや…まさか…」

「オスカー、どうすんの、これ、誰かが同じものを身につけて…って意味で送ってきたのだとしたら…」

「それは…送り主が俺の考えている人だとしたら…俺は…」

何故だか、オスカーは、酷く緊張した面持ちになっていた。強張った表情は、あふれ出そうとする感情を無理矢理押し殺そうとしているかのようだ。横顔は微かに震え、頬はうっすら紅潮していた。

この時、高揚、希望、畏怖…様々な感情がまぜこぜになって、オスカーの胸中を嵐のように吹き荒れている事を、オリヴィエもチャーリーも知らずにいた。彼ら二人には、オスカーが心底どうするのがよいかわからず途方にくれているように見えていた。

「せやけどなぁ、元々1つだったものを、2つに分けたものって互いに引き合うとかいわへん?」

「引き合う?」

「せや、引かれ合う…ちゅーほうがおうとるかな?よく、いわれへん?双子は引き合うとか、元々一対のものを分けおうたものは互いに呼び合うとか…せやから、オスカーがそれを身につけたら、もう片方の持ち主と互いに呼び合って一対に戻ろうするかもしれんで?オスカーは、それでもええのん?」

「引かれあい…呼び合う…?まさか…彼女は…そう…願ってくれたのか?…それで…これを…?いや…だが…」

「彼女……って、もしかして、それ、オスカーが片思いだって言ってた彼女?これ、その彼女からかもしれないの?」

「ええっ!?オスカーって、好いとる女の子おったん?」

素っ頓狂な声をあげたチャーリーをオリヴィエが手で制した。

「わからん…俺にも…はっきりとはわからない…これが、彼女のものなのかどうか…確信も証拠も何もない、だが、そんな気がする…彼女の気配が…これから感じられるような気がするんだ…」

「それが本当なら…オスカー、あんた、片思いじゃなかったんじゃない?」

「………」

「打ち明けた時、彼女の方に、即OKできない事情があっただけで、気持ちはオスカーのことを慕ってた…とか…しかも、あんたが天界にいる間はおいそれと連絡がとれないから、2つに分けた耳飾に再会の願いを託して送ってきた…なんて憶測は、夢見すぎっていうか、ロマンチックにすぎるかね〜」

「うわっ!それ、ごっつええやん!右と左にわけた耳飾は、離れ離れの恋人同士が、何時の日かの再会を祈って分けおうたもの、いつか、また一対になれますようにちゅー願いをこめて…なんてエライ劇的やん!」

「…本当に…そうなのだろうか…もし、そうなら…俺は…」

オスカーは口ごもり、痛みを耐え忍んでいるかのように、瞳を眇めた。

「…って、オスカー、あんた…」

『…泣いとるん?』

と思わず尋ねそうになって、チャーリーはあわてて自分の口を手で覆った。

オスカーの瞳に光るものや流れ落ちる雫を見たわけではなかった。が、オリヴィエも、オスカーに、瞬間、声をかけあぐねる。

と、オスカーの方から

「っ…おまえに頼みがある…これを…俺の耳につけてくれないか…」

と、言ってきた。喉に何か詰ったような声音だった。

「どっちの耳がいい?」

「男女で分けたものだとしたら…男は…普通どっちなんだ?」

「あ!俺、なんかで聞いた覚えあるんやけど…確か、左耳だけ耳飾つけるんは勇気の象徴…やったような…」

「じゃあ、左で頼む」

「お、俺、耳冷やす氷、厨房からもろうてくるわー!ついでに、今言うたん、まちがいやないかどうか他のヤツらに確かめてくる!待っとってやー!」

言うや、チャーリーは一陣の風のように走り去ってしまった。

「さっすが風の子、こういう時はフットワーク軽いわ…で…」

オリヴィエがオスカーに向き直った。

「この耳飾…あんたの想い人から…っていうのは確かなの?」

「俺には…そう思えるんだ…何の根拠も証拠もないから…俺が、そう、信じたいだけかもしれん…が、彼女の耳元で似た耳飾が揺れていたような…覚えがあるんだ」

「そう…ま、あんたが、そう言うんなら、きっと、そうなんだよ、うん」

オリヴィエは、恐ろしいほど無防備に見えるオスカーの横顔を気遣わしげに見つめた。

以前、未消化の感情を周囲に垂れ流すな、甘えを吐き出すなら相手と場所を選べと、説教がましい話をしてからというもの、こんなにも無防備な感情を表にさらすオスカーを見るのは初めてだった。

そういえば…この男が、痛々しいほど無防備な素顔を、どうしようもなく晒してしまうのは、この『片思いの相手』に気持ちが行ってしまっている時、その女性のことで頭が一杯の時だったのではないか…と、オリヴィエは、この時、直感的にそう感じた。

『こいつに、無意識のウチに、こんなにも無防備な《素》の顔をさせちゃう女性って一体どういう人なんだろう…』

たった一つの耳飾に、それに込められた意味に、怖いほど真剣になって、考え込んで、胸を震わせてしまうほどの女性って…こんなにも、この男の魂を捉えて離さない…多くの男にとって憧れの存在ガニカーですら『代用品』とこの男に言わしめたんだから…一体、どれほど魅力的な女性なんだろう…

『まぁ、火と光は、似ているようで、物の見方感じ方が違うから、こいつにとって魅力的な女性が、必ずしも、私にも魅力的に見えるとは限らないからねー、あまり、先入観もたないどこ』

オスカーの張り詰めた様子を眺めながら、オリヴィエがこんなことを考えていると

「氷、もろうてきたでー!ついでに、消毒用の精油もや、それと、やっぱ男は左耳でええみたいやでー!」

と、ものすごい勢いで息せき切ってチャーリーが部屋に飛び込んできた。

「手回しいいねー、さすが、風の子、じゃ、それで、オスカーの耳たぶ、冷やしてあげて」

「あんじょうまかしとき!」

「すまんな、よろしく頼む」

オスカーが、恭しい仕草で、心底大切そうな手つきで耳飾をオリヴィエに手渡した。

受け取った途端、オリヴィエは

「っ…!」

一瞬、ぴりっとした刺激を指先に感じたような気がした。

『なに?この気…』

オリヴィエは思わず、手元の耳飾をまじまじと見つめた後、目を瞑って、改めて気を探る。

『光の…気?何で、こんな小さな耳飾から光の気が感じられる?いや、それより…何?…これ?…こんな…きよらかで、気高くて、あったかな優しい気は…感じたことがない…超一流の聖娼だって、こんな高雅な気はもってないんじゃないか?これって、まるで女神…しかも、とびきり高位の女神の気…みたいだよ…』

そういえば…と、オリヴィエは、ふと、あることが急に気にかかった。オスカーは、一対の耳飾を分け合うのは《光の眷属》では、何か特別な意味があるのか、と私に聞いてきた。

一般的な風習なら、チャーリーにも尋ねたっていいはずなのに、私にだけ、しかも《光の眷属》に限って意味を聞いてきた。

これって、どういうこと?オスカーの想い人は光の眷属の女性なんだろうか?そりゃ、確かに、ここは天界だから、光の仙女はたくさんいる、けど、こんな…触れただけで、自然と身体に震えが走るような、こんな高貴な気を持つ女性は、そう滅多にいるもんじゃない、さっきも思ったけど、ガニカーだって、こんな気を持ってるかどうか…しかも、オスカーが女神神殿に行ったなんて聞いてない、聖娼とは誰とも…知り合って親密になるどころか、会ってさえいないはずだ。でも、女神神殿の中以外で、こんなに高貴な気を持つ光の女性がいるんだろうか…オスカーの好きな女の子って一体、どういう…

「どないしたん、オリヴィエ、むっつかしい顔してぇ。もう、オスカーの耳は、十分冷えとる思うけど、刺しにくそうなん?」

「あ、ああ、ごめんごめん、よく似合いそうなバランスよさ気な位置を見極めてただけ。じゃ、いくよ」

オリヴィエは、我に返ると、気を取り直したようにオスカーの耳朶のふっくらした部分を支えて、思い切り良く、金具で貫いた。

「っ…」

オスカーが一瞬息を飲む気配が感じられた。耳たぶの裏に、小さな血の盛り上がりが滲んだ。

金の耳飾が、オスカーの左に耳朶に小さく揺れた。

「金は、殺菌作用があるから…あんま神経質になる必要はないと思うけど、孔が固まるまでは、厩から帰ってきた時とかに、念のため、消毒しておいたほうがいいかもしれないね」

光の気が凝ってできた黄金以上に清らかなものなど他にない。それどころか、どんな邪悪も穢毒も退ける。オリヴィエは知らぬうちに、この耳飾の本質を言い当てていた。

「ああ、すまなかったな、ありがとう、オリヴィエ、チャーリー」

オスカーが、しみじみと、かみ締めるように二人に礼を告げ、二人の若者は、またも顔を見合わせた。

こんなにも幸福そうな、満たされた、オスカーの開け放しの笑顔を見たのは、これも、また初めて…ではないかもしれないが、かなり久方ぶりな気がした二人だった。

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