百神の王 14

突然、黙り込んで比較的薄い冊子を食い入るように見つめだしたオスカーを見て、オリヴィエとチャーリーは顔を見合わせた。

どうやら、チャーリーの持ってきた資料の中に『当り』があったのではないかということは、察しがついた。

「オスカー、ここから追い出すわけじゃないけど、集中して見たいものがあるなら、学習室の方が…」

とオリヴィエが話かけると、オスカーは、がばと顔をあげ

「いや、オリヴィエ、ちょっとこれを見てくれ、そして光の眷属としてのおまえの意見を聞かせてほしい」

と真剣な目で訴えられた。

その様子にチャーリーも好奇心をそそられたようだ。

「俺も見てかまへん?」

「ああ、もちろんだ。元々チャーリーが探してきてくれたものだしな」

「って、これ何やの?ただの数字の羅列やん」

「…いや…これは年表?」

「ああ、恐らく、この年号は、歴代の太陽神が叙任されたその時代だろう。で、オリヴィエに聞きたいんだが…おまえ、これ見てどう思う?」

「うーん…かなり…記載数が多い…ってことは…太陽神ってこんなに頻繁に代替わりしてたのか…って感じ」

「やはり、天空神にしては、交代が頻繁にすぎる観があるか?」

「ていうか、本来、天空神だったらありえない。元々、天空神はあまり交代が多くないんだよ、だから、ポストが中々空かなくて、私達、若い者は地上に降りて仙になるのがほとんどさ。でも、太陽神は違うようだねぇ…こんなにも交代が頻繁のは、太陽神が、元は火神だからかねぇ…」

「火神は風神と同じくらい代替わりが多い言うもんなぁ。常に変化し続ける性やから転変も早いんやろ。でも、確かにスーリヤは高位神にしちゃ、めまぐるしい替わりようやな。きっと、えらい激務なんちゃう?」

「しかし、いくら激務といっても、他の天空神は、普通、こんなに頻繁に交代しないものだよな?特に高位神になればなるほど…」

「ああ、ヴァルナ神やミトラ神なんて、生粋の天空神だから天地開闢の頃から替わってないはずだよ、まんま生きた歴史、生きてる化石みたいな神様だよ」

「と、いうことは、もちろん、ウシャスも…」

「ウシャスさまは、また特別さ。あの女神さまは、毎朝新しく生を受ける…生まれ変わるから。だから、最も年経た神の一人であると同時に、最も年若く初々しい神でもあって、だからこそ、この世で最も汚れなく美しいとされてるわけで…」

「うんうん、俺も初めて話を聞いた時、不思議な女神はんやなぁ思うたわ。でもって、全てのヴェーダがメチャ褒めやん?『水浴から上がったばかりの瑞々しい乙女』とか『眩いばかりに美しい舞姫』とか『様々な宝玉でその身を飾り立てた花嫁』ちゅーのもあったなぁ。一体、どんだけ綺麗な女神様なんやろ、一目会うてみたいわーと子供心にも思うたもんや」

「そりゃ無理無理、それこそヴァルナ・ミトラの両神だって滅多にお目見えできないらしいから。ウシャス様と直にまみえることができるのは、それこそ太陽神だけに許された特権……!」

と、言いかけた言葉の途中で、オリヴィエは急にはっとしたように黙り込み、オスカーの方をちらっと見た。オスカーは、年表を食い入るように見つめたまま、何か考え事に耽っているようで、オリヴィエの所作に気づいていない。

チャーリーはそんな二人の微妙な沈黙に気づかぬまま、朗らかに会話を引き取る。

「ああ、そうやった!ウシャス様は、太陽神スーリヤの恋人とか妻とか言われてはるもんなぁ、俺でさえ、知っとるわ。て、ことは、こんだけぎょうさんいる太陽神は、皆、ウシャス様をその時々で恋人にしはったわけかぁ。この世で一番綺麗な女神様に恋人になってもらえるやなんて、太陽神は役得やなぁ…」

「あ、ああ…そうだね…」

「あ、そうか!わかったで!太陽神目指してるから、オスカーはウシャスさまのこと、妙に知りたがってたんやな?そうやろ?最初から恋人になるって決まっとる女性おったら、そら、どんな女性か気になるんも無理ないわ…でも世界一綺麗な女神様が恋人になってくれはるんなら、それはそれでええんちゃう?つか、文句つけようないやん………って、あれ?…けど、オスカーは、好いとる彼女がおるとかなんとか、言うてたことあらへんかった?」

「……」

チャーリーの気持ちとしては、半ば独り言のような何気ない問のつもりだった。「好きな女の子がいる」というのは、確か、あくまでオリヴィエの推測で、オスカー本人からはっきりそう聞いた覚えはなかったよな、というだけの、本当に何の気なしに出た言葉だった。

だが、チャーリーのこの問いかけに、不意を突かれたようにオスカーは、はっと顔をあげた。その顔には一言では形容しがたい複雑な表情が浮かんでいた。傷ついているとか怒っているわけではなさそうだった。バツが悪そうでも、哀しそうでもなかったが、とにかく、何と応えればいいかわからない、とでも言いたげな困惑した表情を一瞬見せた。

それで、チャーリーは、自分が何か不味いことを言ったらしいと知った。

「…悪い、俺、よう考えもせんとべらべらと調子こいて…」

オスカーは一息、呼吸を飲み込んだ後、妙に快活な口調でこう答えた。

「なんのことだ?おまえは、謝らなくちゃいけないことなんて何も言ってないぜ?それに…おまえの言葉は、あたらずとも遠からずといったところだったしな…」

「…それ、どういう……」

「ああ、もう、こんな時間か…俺はちょっと厩舎に行ってくる。チャーリー、すまん、持ってきてくれた資料は、また後で目を通すから、俺の机の上にそのまま置いておいてくれ」

「あ、ああ…」

後ろ手に手を振りながらオスカーは部屋を出て行き、音もなく扉が閉まった。オスカーの背が見えなくなると同時に、チャーリーが頭を抱えて床に座り込んだ。

「あちゃー!俺、完璧に、何か、踏んでもうた気がするわー」

「うん…」

オリヴィエがいかにも気のない返事をした。妙に心ここにあらずだった。

オリヴィエは、チャーリーからオスカーへのほぼ一方的な会話に耳をそばだてながらも、ずっと己の考えに耽っていたのだった。

「なー、オスカーのあの耳飾って、きっと故郷の彼女からの贈り物なんやろ?けど、もしオスカーが上手いことスーリヤになったら、火の地に帰れるんは、何百年先かようわからへんよなぁ。あの年代記見ても…高位神にしちゃぁ交替が早いちゅーても、太陽神の在位だって少なくとも100年単位やったし…」

「うん…」

「てぇことは、あの耳飾は、故郷の彼女からの「離れ離れになっても心は一緒」とか、「私のこと、忘れないでね」って切ない気持ちのこもったものか、万に一つでも再会できますようにちゅーいじらしい願いのこもった耳飾なんちゃう?いや、きっとそうや…なのに、俺、オスカーに『スーリヤになったらウシャス様が恋人になってくれはるなんて、ええなぁ』なんて、無神経なこというてもうた、あーどないしよー!」

「うん…」

「にしても、オスカーはなんであないにスーリヤに拘るんやろ…オスカーに好いとる女の子がいないんなら、スーリヤに拘るんも、ちょっとは、わかるんやけどなぁ。だって、世界一美しい女神ウシャスを恋人にできる…なんて、ある意味男子の本懐ちゅーか、男究極のロマンやん?ほな、火の眷属で男と生まれたからには、せっかくやから、火神の中でも太陽神目指したろ!って気張るのもありやもしれんけど…けど、好きな子おるなら、なんで、わざわざ自動的に恋人が決まってまうスーリヤになろうとするねん、なぁ?そんな気張らんと、そこそこに課業こなして下級神か仙になって故郷に戻るほうがええんちゃう?…って、余計なお世話かもしれんけど」

「うん…」

「さっきから『うんうん』ばっかりで、オリヴィエ、もうちょい身ぃいれてぇな!俺、オスカーに謝ったほうがええんかな、それとも何でもないふりした方がええんか…なぁ、どっちがええと思う?」

「いや、あんたの言うとおり、オスカーにさ、故郷に恋人がいるなら、どーして、あんなにスーリヤになりたいんだろう…って、私もそれが気になってさ…」

「だから、それが、わからへんなぁって俺も言うとるやん。オスカーから、ぎらついた功名心感じたことってあらへんかったし、オスカーは、ええ女を自分の男をあげる装飾品みたいに思うとる阿呆ともちゃう感じやのに…」

「うん、私もオスカーはそんなヤツじゃないと思う…むしろ逆だよねぇ。オスカーみたいに女の子にもてると妙な勘違いして驕るヤツも多いのに、そんなこともないし。オスカーは、いっつも自然に女性の人格を尊重して、大事にしてる感じがする。だから、尚更あいつがウシャスに拘る理由がわからない…」

「へ?ウシャス?スーリヤじゃのうて?」

「いや、それにしても、あの耳飾さぁ…本当に故郷の彼女からのものなのかねぇ…」

「って、オリヴィエがそう言うたんやないか、今更何言うてんのん。実際、それ以外、あるわけないやろ。オスカーは、ここに来てからこっち、浮いた噂一つないし…もてるのに、皆、丁重にお断りしとるって聞いとるで?それに、今まで、ガニカーんとこも一度も行ってないんやろ?それって、つまるところ、故郷の彼女のことがどーにも忘れられへんからやろ?で、あの耳飾をつけた時のオスカーの様子や。覚えとるやろ?あないに嬉しそうに笑うたオスカーを見たこと、俺、あらへんかったで?て、ことは、あの耳飾は故郷の彼女からの贈り物、それしかないやん」

「そうだよね…うん…そう、あの耳飾は…わからないけど…それしかないよねぇ…そんな筈…あるわけない…ていうか、ありえない…」

オリヴィエは、自分でも不思議なほど、オスカーの耳朶に揺れる金の耳飾が気になって仕方ないのだった。

オスカーの故郷の彼女からの贈りものなら、あの耳飾からは火の気を感じてしかるべきだ。でも、私があの耳飾から強く感じたのは、これ以上はないほどの清らかな光の気だった。ほんの一瞬だったから、確証はないが。でも、チャーリーの言う通り、オスカーがここで光の女性と知り合う機会があったとは思えない、だから、不可解だが…あの時感じた気は…きっと、私の錯覚、それこそ気の迷いに違いない。

オリヴィエはその思考を頭から追い出すようにかぶりを振った。

「なぁなぁ、だから、俺、どうしたらええ思う?」

「オスカーは、何も言わなくていいって言ってたんだから、くどくど謝らなくていいんじゃない?オスカーがスーリヤになりたいのはオスカー自身の決意なんだし、それなら、故郷には暫く帰れないっていうリスクやデメリットだって覚悟の上でしょ、逆に半端な覚悟しかないなら、高位神なんて目指さないほうがいいんだし…」

「きっついなぁ。オリヴィエは」

「そうかい?でも、オスカーはそれくらいの覚悟はしてるように思えるんだよ、私には…」

「あ、つまり、逆に、オスカーを買うてるんやな、オリヴィエは」

「それはどうだかわからないけどね」

二人は、ふっ…と力を抜いた笑みを交わすとそれぞれの課業に向かった。

 

オスカーは、黙々と厩舎で馬の世話をしていた。

単純でルーティンな肉体労働は、考え事に集中できてうってつけだった。

オスカーは、先ほど新たに知った、思いのほか太陽神が交代の多いこと、そして、それをウシャスはどう感じているのか…いたのかを、じっくり考えてみたかった。しばらく一人になって、考えをまとめてみたかった。

『毎朝、新しく生まれ出でて東の天に昇り、空を一面の鮮やかな紅蓮で覆う。たおやかな手で全ての生き物に分け隔てなく目覚めを与えた後、灼熱の太陽神にその身を灼かれて消えゆく女神』

オスカーが、ウシャスに関して今までに調べた資料に必ずといっていいほどある記述だ。こんな即物的な記述からでさえも、ウシャスの神秘的で儚げな美しさ、限りない優しさが伝わってくるかのようだ。

しかし、ウシャスが日々どのように天界で過ごしているのか、詳細は今も全くわからない。ましてや、日々、彼女が何を思い、感じているかは、どれ程の資料をあたってもわからなかった。そして、中途半端に知識が増える分だけ、不可解さは募り、実情がわからないというもやもやとした気分が内部で嵩を増していく、それがオスカーの現状だった。

例えば、こんな疑問がある。

ウシャスは、太陽が昇りきるまでの僅かな時間しか、この現世に実体化できない。

太陽神のまばゆい陽光に、その熱に、暁紅の光はかき消されてしまうからだ…

では…太陽神がウシャスと邂逅するのは…顔をあわせることができるのは、どれほどの時間だ?

こんな疑問からして、明確な答えが今もってみつからないのだ。

見つからないから、オスカーは、色々な可能性を考える、考えずにはいられなかった。

太陽神に先駆け、蒼穹を駆けるウシャス。彼女はいわば先触れだ。太陽神は、ウシャスの駆けた道を追いかけ、追いつき、ウシャスを捉える。その間、太陽神の駆る戦車とウシャスの操る馬は、暫しでも、併走するのか、しないのか…

そして、ウシャスは、太陽神に追いつかれ、その腕に捉われ、胸に抱きとめられた時…その身は灼かれ、太陽光と融けあい不可分になることで自らは消え行くというのなら…ウシャスが、太陽神に抱かれているのは、一体どれほどの時間だ?

天空の道での時間の流れは、地上と変わらないのか…もし同じなら……それは、瞬きするほどの間ではないのか…

天則により夫婦と定められた二人が、そんな僅かな時間しか共にいられないなんて…そんなことが在りうるのか?それが婚姻といえるのか?

いや、きっと…夜が明ける前…深夜から明け方までが太陽神と暁紅の女神が、共に過ごす時間なのだろう。

しかし、アンジェリークは…ウシャスは、雨催いの夜こそ、深夜に実体化して俺に会いにきてくれていたが…最後に会った夜には…つまり、これから太陽神との共に天駆けるという時には、未明に禊に現れた…そうだ…よく、覚えている…あの夜…深夜から俺はあの泉にいたが、彼女が現れたのは、夜明けの直前だった。つまり、太陽神の花嫁としての勤めを果たす日には、彼女が実体化できるのは夜明けの直前の時刻のみ…ということはないのか…、オスカーはこの可能性を否定できず、それが、もやもやとした気がかりのまま胸中に巣食っている感じだった。

だって、泉で実体化する前は…彼女はどういう形で…この世に在ったのだ?

禊を行う前、ウシャスはどれほどの時間、太陽神と共にいるのか、いないのか…今までに読んだヴェーダからは結局何もわからない。わかっていない。

ならば…太陽神と暁紅の女神の婚姻とは、どういうものなのだ?

ウシャスは太陽神の花嫁…誰もが知っている事実だ。だが、その実態は?花嫁というだけで、太陽神がウシャスとどう過ごし、どのように暮らしているのか、それを現す記述が全くみつからないのは何故だ?

…理由はいくつか考えられる。

神々の日常生活など、恐れ多くて記述できないのか…誰もが常識として知っていることだから記す必要がないからか…

もしくは、婚姻の実態を隠しておきたいから…ということはないのか。

それは、つい先刻判明したスーリヤの頻繁ともいえる交替も同様だ。

何故、風の眷属の書架にあった資料には、太陽神の頻繁な交替を記した年表があり、本来、関係の深い火や光の眷属の書架には、そういう客観的かつ詳細な資料が存在しなかったのか。

スーリヤと直接的な関係のある火の眷属や光の眷属には、太陽神が極頻繁に交替を繰り返していることを知らせたくなかったからではないのだろうか。

長い時間をかけて困難な訓練に耐え、強い力と技量を身につけ、漸く栄えある太陽神の地位を得たとて、程なくしてその地位を次代の若人に譲ることになる…ということがわかれば、気概の萎える者もいようと危ぶむゆえではないのか。

今までの経験則から、天界は高位神への憧れを煽ることで、学徒たちのモチベーションを高く保とうとしているのは明白だ。ならば、逆に、あまりに現実的な、憧憬の思いを萎えさせるような記述は削除することもありうるのではないか。

が、風の眷属は、どうあってもウシャスやスーリヤにはならない、関わりも極薄い、而して、憧れを助長する必要も利点もないから、客観的な事実や知識のみを記述できた。そう考えれば、風の書架には、スーリヤの交替を記した年表があることにも納得がいく。

『ついさっき、俺は他眷属との協調こそ肝要だと言っておきながら、自分自身が、それを生かしてなかったんだ…客観的な資料を望むのなら、スーリヤやウシャスと同じ属性の火や光の書架ではなく、一見、何の関係もない風の書架をこそ頼むべきだったんだ…』

自分の迂闊さに忸怩たる思いではあったが、いや、これもオリヴィエに資料探しを頼んで、それが不発に終わったからこそ、この事実に気づくことができたのだから、自分の回り道も全てが無駄ではなかったのかもしれない、とも思いなおす。

その上、チャーリーと親密な付き合いをしていたからこそ、今回の資料が目にできたということを考えれば…これも、やはり、高位神へと続く道標の一つ…道筋の其処此処にちりばめられ、仄めかされてきた謎解きの一環なのかもしれない。だって今回の資料も、本当に知らせたくはないことならば、天界が風の眷属であるチャーリーと俺とを同室にしたのは、どう考えても理にあわない。最初から、風の眷属と深い関わりを持たせないよう遠ざけるのが道理ではないのか。

となれば、これも一種のテストなのだろうか。太陽神の頻繁な交替という事実を知ってもなお、俺が太陽神を目指す気概を、強い意志を保てるかどうか、俺は、試されているのだろうか…。

万物を育むと同時に、制御を欠けば万物を滅しかねない太陽を御する神ともなれば、それだけの強い意志、胆力が要求される…というのもありえない話ではない。

ならば…この、回り道かもしれない思考の道程にも意味はあったのかもしれない。同様に、今抱えている疑問・懸念にも…結局、正面から愚直に取り組み、一歩づつ近づいていくしかないのかもしれん。

オスカーは自分がいまだ気がかりと考える問題点を頭の中で整理してまとめ、自身に問うてみた。

どうやら、太陽神は、自分が考えていたよりも、在位の短いものらしい。

それは、アンジェリークと共に過ごせる時間は決して永遠のものではなく、いつか、終わりがくるということを意味する。

しかも、アンジェリークとの仲は「天に許された」公式な婚姻であるにも関わらず、その実態が今ひとつ、はっきりしない。確かにラートリーは言っていた、ウシャスに触れることができるのは太陽神だけだと。それは、事実なのだろう…彼女が俺に嘘をつく理由も利点もないからだ…だからこそ、俺は、その可能性に賭けてきたが…。

そして、過去の記録を見るに、思っていた以上に太陽神の交代は頻繁だった。

それは…つまり、アンジェリークの恋人?夫?呼称は何でもいいが、アンジェリークの公的な伴侶は、神の時間の尺度でいったら、めまぐるしい頻度で変わってきたということだ。

ただ、この事実に関しては、オスカーはそれほど妬心には悩まされなかった。

彼女自身から、今までの太陽神との関係性は天則だから…職務上の決まり事だと聞いていたから。

いや、違うな…オスカーは自身を苦笑う…以前、制御しようのない妬心と火で炙られるような焦燥とで破裂しそうな心を持て余し、もがき這いずるような気持ちを既に経験してきたからだ。その中で、覆せない現況を思い煩うあまり、押しつぶされて自滅する愚をぎりぎりのところで悟った。現実は現実として認め、割り切り、思い切る必要を学んできていたからだ。妬心に飲み込まれて自らを焼き焦がし、このまま彼女に会えずに朽ちるのと、この辛い現実あらばこそ、俺にも彼女をこの腕に抱くチャンスがあるのだと活路を見出すこと、どちらが自分が真に望んでいる道なのか、苦痛の中で、目を見開いて選びとれたからこそ、今、自分は、妬心から少しは距離を置けるようになったのだと、わかっていた。

しかし、彼女自身は…自分のこの境遇をどう感じているのか、有体にいって彼女は幸せなのか?オスカーはそれがどうにも気にかかる。

それが務めだから、役目だから、長い長い時を過ごす間、数え切れない男の花嫁になるというのはどういうことか、どんな心持がするものなのかと…正味20年も生きていない若輩者の自分にはどうにも想像しようのない心境だった。

その上アンジェリークは「自分と再会する手段はある、でも、それが幸福なことかどうかわからない」とも、あの最後の逢瀬の時、オスカーに告げてきた。

この言葉の意味を考えると、オスカーは、どうしても、どうにも楽観できないものがあることを認めざるをえないと思う。

ここまで考えをまとめた上で、オスカーは自分の胸に静かに尋ねてみた。

スーリヤにいたる道は困難だ。しかも、スーリヤになれたとしても、その地位は…栄光は永遠の長きに渡るものではないらしい。

それを考えると、たとえスーリヤになっても、俺が想像していたような形での幸福がこの手にできるかどうか、定かではない。

判断材料が少ないから断言はできないが、だからこそ楽観はできない。太陽神の地位には、栄光と名誉だけではなく、俺のまだ知らぬ困難や重圧があるのかもしれない。

それでも、俺はスーリヤを目指すか?アンジェリークを求めるこの想いは削がれてはいないか?

当たり前だ。

間髪入れずもう1人の自分が答えた。

ここで彼女に向かって歩むのを止めたら…2度と、彼女には会えない。そんなのは嫌だ。もちろん、前に進んだってたどり着けるとは限らない、でも、諦めることはいつでもできるではないか。ならば、力の限りを尽くす以前に諦めてなんとするのか。

そう思った時、併せて、アンジェリークとの思い出が惹起された。

オスカーは、今もはっきりと覚えている、アンジェリークが時折見せた、どこか寂しそうな儚げな笑顔を。普段は、咲き初めた花のように笑む彼女が、俺が彼女の務めを話題にしてしまった時に見せる彼女の表情は、いつも、どこか、遠くを見るように儚げで寂しげだったことを。

そして、彼女がウシャスだと自分に知れた時の動揺も、また。

十全に幸福な女性が、自らのいる場所に満足している女性があのように寂しげに微笑むものだろうか、己の境遇を知られて動揺を見せたりするものだろうか…オスカーは、どうしてもそれが気にかかってしまう。

だからこそ、俺はアンジェリークに会って確かめたい、確かめねば気がすまない。

あなたは、幸せなのかと…

そして、あなたが満ち足りて幸せなら、あなたが、その幸せな時を少しでも多く、長く感じていられるよう。

もし、何かが欠けていると感じているのなら…どうすればあなたがいつも満ち足りた思いでいることができるのか一緒に考え、探し、そんな時間を二人で紡いでいこう。

ああ、そうだ…答えはわかりきっていたではないか。

俺は、あなたに幸せだと感じてもらいたい、そのためなら何でもする、あなたにそう伝えたい。あなたの傍で、あなたの支えになりたい。幸福な時は、その幸福をより強く感じられるよう、寂しかったり哀しかったりする時は、共に乗り越えていけるよう、可能な限りの時間、一緒にいたい。そのためには、まずあなたに会って、言葉を交わさねばどうしようもないではないか。それには、太陽神にならねば、何も始まらないではないか。たとえ、彼女と過ごす時間が有限であっても…かまわない。どんな人生も有限なのだから。それなら、自分の納得のいく生き方をしたい、それだけの甲斐のある時間を過ごしたい。限りがあるからこそ、悔いなく過ごしたいのだ。

オスカーは、自分が立ち止まれないことも、引き返す気がないことも改めて思い知った。

ここまで来たから…と、意地になっているのではなかった。

ただ、彼女にもう一度会いたい。彼女が幸せであってほしい。俺の根っこの処にあるのは、それだけだ。迷いそうになった時は、この気持ちを思い出せ。

そして、そのためになすべきをなし、知るべきを知れ。己の意志をより確固とするために。

俺にどれ程のことができるかは、わからない。俺1人のできることなど、たかが知れているかもしれないが…

それでも、あなたの寂しげな笑顔を知る俺がスーリヤになれば…あなたの憂いも何も知らない者がスーリヤになるよりはいいと思うんだ。だって俺はあなたのために何ができるか、こうして、考えることができるから。

そこまで考えて、オスカーは、はたと気づいた。

先刻、永き時を生きていく間に次々と伴侶が変わる…替えさせられていくアンジェリークの心境は自分にはとても想像しきれないと思ったが…そも、光の眷属の婚姻形態や婚姻に対する考えは、一般にどのようなものなのだ?火の眷属の婚姻と、全く常識や作法が異なるということだって、ありうるではないか、自分の考える幸福と、彼女の感じるそれとが、重なっているとか似ているかどうかもわからないではないか。

自分がいくら彼女に良かれと考えたことでも、それが本当に彼女を幸福にするかどうかは、わからない。

自分の世界の常識のみで、他の眷属の習慣や常識を図り、断じるのは危険だ。それは独善に通じる。

光の眷属の婚姻形態は、夫と妻の関係性は、火の眷属のそれと、どれ程に違うのかわからないのに、勝手な思い込みで突っ走る前に、光の眷属としての常識的なものの考え方を教えてもらった方がいい…とオスカーは考えた。

当然と思われていること、疑問に感じたことがないことの側面にあえて考えを巡らせることで、オスカーは、色々なことに改めて気づかされてきた、そういう経験があったからだ。

オスカーは、小さく嘆息すると、気を取り直したように頭をあげた。

オリヴィエに尋ねたいことを、頭の中で自然に整理し始めていた。

 

夕食後、オスカーは、オリヴィエに『話があるんだが…少し付き合ってもらえないか』と声をかけた。

「俺、邪魔だったら、どっか行っとこうか?」

オリヴィエと一瞬顔を見合わせたチャーリーが、気遣わしげに尋ねた。

「いや、内密の話とかじゃない、光の眷属の一般的な風習とか習慣で、教えてもらいたいことがあるだけだから。もっとも、おまえには興味ないことを無理に聞いてる必要はない、もちろんな」

「で、オスカーは何が知りたいのさ?」

「光の眷属の婚姻形態はどんなものなのか…一般に夫婦はどんな風に過ごすものなのか、それを教えてもらいたい」

「うーん…と、じゃ、逆に聞くけど、火の眷属は、どんな感じ?」

「は?そうだな…火の眷属は…火の若者は、年に何度かある祭祀の時、それぞれに火の娘たちを見初めて妻問をする。その娘が承諾すれば、一家を構え、共に一つの火を守り、子を為す」

「生涯一人の相手と?互いに?」

「うーん、俺もあまり詳しくは知らないが…何せ、そういう年頃になる前に、ここに来ちまったからな…多分、死別でもしない限りは…」

「よく、ずーっと同じ相手で飽きないねぇ…つか、そんな博打みたいな真似して、相手選びを間違った!って後悔することはないの?やり直しが効かなかったら不自由じゃないかい?」

「おい、ちょっと待ってくれ、じゃぁ光の眷属は…いったい…」

「光の眷属は、あんたたち火の眷属が考えているような形では婚姻関係を結ばない。基本的には男女は一緒に住むこともしない。一種の期限付き契約関係とでもいうのかな…『この男の子を産みたい』『この女に子を産んでもらいたい』って双方の合意がなれば契約成立さね。だから、同じ相手とずっと接合して子を作る者もいるけど、その時々で配偶者を変える者も多い」

「伴侶がその時々で替わるのか?」

「その方が、いい形質を受け継ぐ子が増える。子が受け継ぐ性質も多様化する。光の眷属は拡散を良しとするからね。一方で何代か遡ると血縁が近かったりすることも多いから、一族としての一体感は増す。ただ、女は一時に1人の男の子供しか宿せないから、選ぶ権利は基本的には女の方にある。光は女性を尊重し大事にする眷属なんだよ。女を大事にしない男は、自分の子を産んでもらえないからね。そして、そういう類の評判はすぐに女たちの中で伝わるっていうから。女性のネットワークは恐ろしくも効果的だって話だよ、ほんと」

「子供はどうするんだ?誰が育てる?」

「もちろん、まとめて子供の家で育つのさ。親が1人で育てたりしたら大変じゃないか。親が病気や怪我した時とか、万が一死んじゃったりしたらどーするのさ。あと、子供だって変にものの見方・考え方が偏っても困るしね。つか、火の眷属は、違うの?」

「ああ、一定の年齢になるまでは、それぞれ両親の元で育つ」

「それじゃ、子供によって、習慣や考え方が違ったりするじゃないか」

「家々によって考えが違うのは当然だろう?それが何か困るのか?」

「なんか、私らの言うこと、かみ合わないねーと思ったけど、今、なんでかわかった。これって根本的な光と火の性質の違いだよ。あんたたち火は、基本的に一箇所に固定する。それぞれに家…あんたたちの場合はかまどかな?を決まった場所に構えて、しかも、一度据えたかまどは動かさないだろ?で、炎の燃え方も、かまどにくべる燃料によって温度も色も変わるよね、いわば、一つ一つの炎は独立しつつ、差異があって当たり前だし、それを容認しあう文化だ。それが、多分生き方にも現れているんだよ、一度決めたらつがいは固定し、そして一つ一つ独立し、それぞれに異なっているってね。でも、光にとって大事なことはね、まず、分け隔てないこと、そして拡散するを良しとすることなんだよ。だって光が選り好みして決まった場所や生き物しか照らさなかったら、この世は大変なことになるじゃないか。光はあまねくいきわたり、満遍なく降り注ぐを良しとする性なのさ」

「!…確かに…言われてみればそうだ…」

「逆に、火は自らは動かない、決まった場所で燃え、決まった相手を暖める。これは生まれ持った自然な性質の差なんだと思うよ…ああ、だからじゃないのかな、太陽神にウシャスが目合わさせるのは…」

「なんだって?」

「だって、そうだろ?天空神は光を注ぐにしろ注がれるにしろ、あまり相手を分け隔てやえり好みをしない、だから、普通、伴侶の決まってる…永続的な婚姻関係を結ぶ天空神なんていやしないんだよ。もちろん、子供を作る神様はいるけど、相手はその時々でまちまちさね。しかも、選ぶ権利は基本的に女性…女神の方にある。でも、火神は違う。決まった相手、決まった場所を本能的に欲するんだろう。だから、太陽神は…元々は火の眷族だから特定の相手…太陽神に深い所縁のあるウシャスが与えられる…そういうことなんじゃないかな」

「そうなんだろうか…そうだとして…ウシャスはそれをどう思っているんだろう…」

「さてねぇ…本来光の女性にある『選ぶ権利』を封殺されているのは不幸かもしれないけど…太陽神になるほどの男なら皆ひとかどの人物に決まってるんだから、そんなに悪くない…どころか、傑出した男が伴侶になるって決まってるのだから、むしろ、女としては幸福なことかもよ。ただ、幸不幸は主観的なものだから、断言はできないけど…でも、自分の境遇に不満や疑問はないんじゃないかな、多分。むしろ、当然と思ってると思う。ウシャスは万物に目覚めを与えるだろ?分け隔てなく全ての生き物にだ。人間たちは、罪人や悪鬼には目覚めを与えないでくれとウシャスに祈り願うこともあるらしいけど、ウシャスは、そんな分け隔てをしない。最初からできないのかもしれない。この世の全てを愛し慈しむのが、ウシャスの本性だから」

「…ああ、それは…わかる。俺にはとてもよく…わかる」

「実は、ウシャスが、光の眷属で最も美しいって賞賛されるのは…その本質ゆえなんだよ。容姿の美しさだけなら…特に艶麗さで言ったら、夜の女神ラートリーの方が美しいかもしれない。でもウシャスは光の眷属の精神性の理想を…『美・優・雅』をそれぞれに最高に極め、均衡して兼ね備えているといわれている。だからウシャスは天界一の美姫と賞賛されるのさ。限りない優しさで、この上なく風雅に、ウシャスはどんな存在にも分け隔てなく慈愛を注ぐから」

「ああ…それも、俺にはよくわかる…だが…それなら…ウシャスに優しくしてあげる存在は誰なんだ?誰にも彼にも優しさを与えるウシャスは、誰に慰められ愛されるんだ…?」

「それがつまるところ太陽神スーリヤの役目なんじゃないの?」

「そうかもしれん…だが…」

と言うと、オスカーは苦しそうに黙ってしまった。

太陽神が、真実、アンジェリークの心の支えになっていたのなら、何故、彼女は、いつも、どこか寂しそうだったのだ…と、オスカーはどうしても考えてしまう。

「本当に、そうなんだろうか…確かに…ウシャスは太陽神にも、その限りない慈愛を与え注いでいるんだろう、それは確かだと思うが…だが、逆はどうなのかは…わからなくないか?…」

「いや、それなら…地上の生き物だって、皆、ウシャスを愛し敬ってはいるよ?」

「…そういう風に…不特定多数の存在に崇め奉られることで…幸福と思えるのか?光の女性は…」

「それは…気分はいいんじゃないの?」

「そうか…それなら、いいんだが…」

「そんなに気になるんなら…本人、は無理だけど、境遇の似た存在にその心境を聞いてみれば?」

「ウシャスと似た存在?………」

暫時、考え込んだオスカーが、はっとしたように顔をあげた。

「ガニカー!聖娼か!ウシャスの妹たちと称される…」

「ご明察〜。全く同じではないけど聖娼の境遇はウシャスと似てると思うよ。まず、聖娼は高い敬意を払われているけど、これは、聖娼が、光の眷属にとっての理想である《美・優・雅》を体現する存在だからだ。そして、彼女達が女神の娘達と言われるゆえんもそこにある。なぜなら、天界一の美神と謳われるウシャスこそが、その《美・優・雅》を極めた存在だから…ってのは、さっきも言った通り。しかも、私もあんたと話してて、今、気づいたけど、彼女たちは選りすぐりではあるけど、自分が選んだわけではない男を次々とあてがわれ、彼らに優しい御手で慰めを与えなくちゃならない…ガニカーが「ウシャスの妹」と称されるのは、そういう意味合いもあったのかもしれないね、今思うと」

「確かに…言われてみるまで…いや、今、おまえに光の眷属のことをよく教えてもらわねば俺も気づかなかった…」

言われてみれば、その通りじゃないか。何故、今まで気づかなかったのか、聖娼とアンジェリークの類似点を。聖娼が、喩えであっても、アンジェリークの「妹」と称されるその意味や理由を。全くおなじではなくとも境遇は確かに似ている。おなじ光の眷属の女性である以上、価値観や、ものの感じ方考え方も、共通するものがあるかもしれない…

自分には『関係ない』存在、アンジェリークではない女性は、皆、自分と本質的には係わりがないと、勝手に決め付けていたから、今の今まで気づかなかった…。聖娼達の境遇を考えることも、ましてや会って話を聞くことなど思いもよらなかった…。

ここでもオスカーは思い込みゆえに自分が回り道していたことに気づかされ、内省した。俺に必要なのは、もっと謙虚な、そして、柔軟なものの見方考え方だ、と。

「ま、私のこの考えも、あくまで男からみた推測でしかないけどね」

「いや、まったく…おまえの言うとおりだと思う、俺も…」

オスカーは慨嘆を含めて、重々しく言った。

「そういえば…おまえたち光の眷属にとって聖娼から慰めを得ることは、当然至極のことなのか?」

「至極当然?馬鹿言っちゃいけない、至極名誉なことなんだよ。稀有とも言っていい。だから、遠慮はしない…というより、進んで参内する。あんたみたいに、この権利を棒に振るなんて一般的には考えられないことなんだよ。人によっては不敬・無礼とも感じるだろう、だから、あんた、他の光の眷族の前では、今まで、女神神殿の参拝を無視してたなんて、口にしない方が無難だよ」

やれやれと言った顔で、オリヴィエはオスカーをねめつけた。

「あんたに、今、光の眷属のものの見方、考え方ってのをきちんと教えてよかったかもしれない。もし…あんたが太陽神になりたい、ゆえに暁紅の女神にも関心があるっていうなら、尚更ね」

「まったくだ…俺も、今、自分の迂闊さに呆れているところだ…」

俺は、天空神の仲間入りをしたいと切望していながら、今までに、光の眷属の常識や物の感じ方・考え方をきちんと理解しようとしたことがなかった…いや、スーリヤになる手がかりを探すこと、ウシャス=アンジェリークの様子を知りたいと言うことだけで、頭が一杯で、それ以上のことを考慮したり、知ろうとする余裕がなかった。

しかし、天空神になるなら「天空界や光の眷属の常識を知りませんでした」で済むはずがない。無知は、故意の悪意の次に悪い、むしろ、より始末に負えないものだという場合もある。

光の眷属の常識や考え方は、火の子である俺には、よくわからないこと、知らないことが多々あるに決まっているのだから。

そして、俺が、本気で太陽神になりたいのなら…少なくとも俺は、光の眷属の思考や感じ方・考え方をきちんと知っておく必要がある。まったく同じようにする必要や共感はせずとも、最低、知識として知っておき、その世界の作法を弁え、ものの考え方の筋道を理解しておくべきだ。

「本当におまえの言うとおりだ。俺は、まだまだ知らなくてはいけないこと、知るべきことが、嫌というほどあるんだって、思い知ったぜ…」

「無知の知にたどり着いただけ、あんたは有望だって、オスカー。知らない事は学べばいい、わからないことは聞けばいいんだからさ。これ、わたしら学生の特権じゃん?」

オスカーはしばらく黙り込んだ末にぽつりとこう言った。

「その…聖娼自身はどう感じているんだろう、不特定の男性を相手にすることを…」

「そんなん、それこそ本人達に直接聞いてみればいいじゃん。オスカー、あんた、ガニカーに会う権利、いくつ溜め込んでいるのさ。リサーチするには充分な数があるんじゃないの?」

「!」

オスカーはあわてて抽斗を開け、封書の数を確認した。

耳朶の耳飾をもらってから以降も増え続けていた封書の数は、ゆうに十数通…二十通近くありそうだった。

「俺は…今、漸くわかった気がする…この書状の意味が…」

オスカーは、この時、オリヴィエが以前言っていた「オスカーには必要だと思われて、聖娼に会う権利が授けられたんじゃないか」という言葉の意味を理解した。いや、慰撫という表向きの目的の更に奥に隠された天神界の意図を悟ったような気がした。

女神神殿への殿上には褒賞や慰撫の目的は、もちろん在るのだろう。だが、聖娼と深く接することで、光の眷属の考え方や常識をより深く知らしめ、また、光の眷属の女性…ウシャスへの接し方を、スーリヤの候補生である俺に前もって学ばせるという目的があったのではないか、と。

このオスカーの推測は、ある程度の正鵠を射ていた。が、全てではなかった。天界が太陽神の見込みがある者に女神神殿を参拝させるのは、また、別の意図があるのだが、それは今のオスカーには知りようのないことだった。

そして、この時を境にオスカーの暮らしぶりは、傍からは一変したように見えることとなる。

いきなり、オスカーが神殿娼婦の元に足しげく通い始めたからだった。

オスカーは多くの聖娼から多くのことを学んでいくことになる。

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