百神の王 15

天界に来てからというもの、オスカーは周囲から真面目一方と思われていた。

おりおりに女神の卵たちから声をかけられ、遊びに誘われることは多かったが、丁重な態度で全ての誘いを辞していたからだ。ただ、その断り方がとてもスマートで、けっして相手を不快にさせないので、悪くいわれることは全くなかった。にこやかに、そして、心から申し訳なさそうに『まとまった時間が中々取れないので残念だが…』とソフトに誘いを辞するので、禍根を残さない。オスカーが馬の世話で多忙であることは周知の事実だったし、オスカーは誘ってくれた相手の気持を尊重した対応をするので、真面目で勉強熱心なことは評判になっても、そこに、堅物とかがり勉というマイナスな評価は付随しなかった。

これは、オスカーが、馬の世話の合間合間の僅かな空き時間を利用して、もはや愛馬といっていいアグネシカと、よく遠乗りにでる姿を…そして馬上のオスカーはとても楽しげで充実した様子であることを、級友たちが見知っていたから、というのもあるかもしれない。オスカーは俗に言う『遊興』にいそしむことはなかったものの、身体を動かすことを喜び、戸外の空気を心から楽しんでいる様子…つまり心身ともに健全な様を、自らは意識しないうちに、周囲に知らしめていたからであろう。

ただ、女神神殿から招待を受けているのに殿上していないことを知っているのは、多分、同室のオリヴィエとチャーリーだけだった。これが周囲に知られていたら、オスカーはさすがに堅物、もしくは変り者の朴念仁という評判を受けていたかもしれない。

実際、オスカーは、天界に来た当初、女神神殿の存在も聖娼のことも知らなかったし、正直、その存在を知った後もあまり興味を持たずに来た。

だが、それは、オスカーが、自分を頑なな規範で縛ったり、無闇に禁欲的に生きようとしてきたからではない。単に自分の優先順位の中で、それは高い位置になかったというだけだった。限られた時間の中で、真っ先にしたいことでも、せねばならぬことでもなかった、だから、巫女神殿を訪問しなかった、それだけだった。

はるかな目標と強い動機があるので勉学を疎かにする気は毛頭なかった。しかも勉学に励むだけでなく、余暇の全てを天界の神々のこと、わけてもウシャスと太陽神スーリヤの関係性を調べることに費やしていたから、他の事に興味を抱く時間的な余裕も精神的な余裕もなかった。オスカーにとっては、アンジェリークとの再会に続く道を探すことの方が何よりも大事だったから、限りある時間の中で、大切なことを優先してきただけだった。

頑なに、他の女性には決して目を向けまいと心に固く決めていたわけではなかった。ただ、そんな風に意識して自分の心を縛らずとも、夜明けに暁紅の光を仰ぎ見るたびに、オスカーは、アンジェリークの可憐な美しさ、その声や笑顔の愛らしさを思い起こさずにはいられなかったし、ふとした拍子に彼女に思いを馳せていたから、自ずと他の女性には異性としての興味が沸かないというだけだった。

しかし、オスカーには、アンジェリークに義理立しているという意識もなかった。というより、義理立てしたくともできない、義理自体が存在しないのだから…とオスカーは半ば自嘲、半ば寂寥を抱えながら、ずっと思っていた。寂しいことだが、自分とアンジェリークの間には、そういった意味での感情の交流はなく、オスカーからアンジェリークに一方通行的に恋慕の感情を抱いていただけ…少なくとも、オスカー本人はずっとそう思っていた。アンジェリークから、彼女の耳飾を賜るまでは。

しかし、彼女はわざわざ俺に自分の耳飾りを分け与えてくれた…この事実が、オスカーを今は強く支えていた。彼女も、自分との再会を望んでくれているらしいこと、太陽神を目指す自分を応援してくれていることは確信がもてるようになっていたし、その分、以前よりは確かな希望を胸に抱けるようになっていた。弟を見守るような気持かもしれないが、それでも、アンジェリークもまた、俺のことを気にかけ、気にしてくれていたのだと、耳飾を賜ったことで、オスカーは確と信じられるようになっていた。

とはいっても、今もオスカーは、自分が彼女を恋うるように、彼女も自分を想ってくれていると考えるほど自惚れてはいなかった。それは望みすぎというものだ…いや、ありえないことだ、何せ彼女は現太陽神の妻なのだから。それが職務上の関係であっても、太陽神の妻である以上、彼女の女性としての想いは太陽神に捧げられてしかるべきなのだから…と胸の痛みを堪えつつ、オスカーは自分に言い聞かせていた。

ただ、耳飾のおかげで、彼女の存在がいつも、今までにも増して身近に感じられるようになった。ために、オスカーは尚のこと、かつ、極自然に他の女性を異性として意識はしなくなっていた。

なので、オスカーは書状がどれ程たまろうと、そういう施設の存在も、そこで働く女性たちのことも相変わらず知らなかったし、知ろうとも思わなかった。留学生の中でも、特に優秀な者が選ばれて神殿娼婦から慰めを賜れることがあるらしいという噂はオスカーの耳にも入ってきていたし、その噂には常に羨望と巫女に対する憧憬と崇拝が伴っていたが…そして、オスカー自身、いつでもその恩恵を享受できる立場にいるにも拘らず、オスカーは心を動かされることはなかったし、興味ももたずに来た。

太陽神スーリヤとウシャスの婚姻の実態に疑問を持つまでは…

そして、光の眷属の女性の、ものの見方・考え方をより深く知る必要に駆られるまでは…。

 

初めて女神神殿に足を踏み入れた時、オスカーは、その玄妙ともいえる不思議な美しさに、正直、圧倒された。

オスカーは今まで五世界との玄関口になっている召還神殿にしか足を踏み入れたことがなく、あの神殿でさえ、その華麗にして荘厳なことは、質実剛健で勇壮ではあっても、ぶっきらぼうなほど飾り気のない火の神殿とは比べ物にならないと思ったのに、ここ、女神神殿は更にその比ではなかった。

神殿に入るやいなや、なんともいえず甘い、馥郁とした香に鼻腔をくすぐられた。白というよりは目に穏やかな象牙色を基調とした神殿内はいたるところに色とりどりの花が溢れんばかりに飾られ、光源のわからぬ柔らかな光で照らされていた。光の気が満ちているせいか、角度によっては中空にキラキラとした光の粒が舞い踊っているようにも見え、オスカーの視覚を幻惑する。控えめながらも、なんとも耳に心地よく、知らず知らずのうちに聞きほれてしまいそうになる妙なる楽の音が絶えず流れている。全ては、参詣者が心から寛ぎ、非日常の空間で、官能が心地よくくすぐられるように配慮され計算されているのだろうと、オスカーは目した。

それこそ『招待状を受け取ったから』と軽い気持で、何の予備知識・気構えもなくここを訪れたら、無骨な田舎出の少年など…自分のような…この絢爛にして洗練の粋に圧倒され、気後れして口もきけなくなるか、逆に、この夢幻のような空間に夢中で溺れて虜になってしまっていたかもしれない。そして、この雰囲気にのぼせあがって、天空界への憧憬と崇拝ではちきれんばかりになり、一層ーただし盲目的にー高位神になるべく精進を胸に誓ったやもしれんな、とオスカーは冷静に分析する。

今、自分が、この計算し尽くされた空間演出の妙や、その結果かもし出される雰囲気を「見事だ」と感心してはいても、それなりの平常心を保っていられるのは、この神殿への来訪の意味を自分で理解しているから。そして、確たる目的があるからだった。

「ようこそ、地母神プリヴィティーの神殿へ。あなたの参詣を地母神さまは心から寿ぎ、女神の慈悲を存分に授けてくださることでしょう」

出迎えと思しき巫女がー金褐色の髪を豊かに垂らし、透けるような薄衣のみをまとった見目麗しい巫女がオスカーへと両手を開いて、その白き腕を差し伸べてきた。参詣者に対し、まさに胸襟を開いて全てを受け入れるといった風情だった。

オスカーはただ静かに目礼して、巫女に敬意を表した。

 

それからオスカーは課業のない週末に機会を見て女神神殿を訪うようになった。

馬は生き物なので、厩舎の世話に休みはないが、週末はアグネシカの調教を半日で切り上げ、自由放牧で遊ばせてやる時間を増やし、その間にオスカーは女神神殿に参詣するようにしたのだ。最近のアグネシカの馬車馬としての調教は、命令があるまで、ひたすら停止していることー落ち着きなく頭を振り上げても、辛抱できずに脚で地面をかいてもいけないーという、傍から見ても馬のストレスが大きいものだったので、アグネシカがこの調教を上手くこなせた週の週末に半休を与えることは、アグネシカの心身の健康を保つのにも有益であり、いわば一石二鳥であった。

そして神殿に詣でるようになって、オスカーは、本当に色々なこと新たに知った。

まず、ガニカーとは、心技体ともに磨け上げられ、皆、一様に多彩な教養と深い知性を持つ巫女たちだということを、彼女達と言葉を交わして、オスカーは心底実感した。また、彼女達はそれぞれに得意なものは異なれど、皆、歌舞音曲の名手であった。

光の眷属が『美・優・雅』を理想として奉じていることはオリヴィエから聞き及んでいたが、それは彼ら光の眷属がこの『美・優・雅』こそが人を人たらしめるためのもの、特に高潔で気高い精神性の現れと見なしているかららしかった。光の眷属は歌舞音曲をこよなく愛し、大切に考えるのも同じ理由からのようだった。歌舞音曲は、目に定かには見えぬ高雅な気の流れをわかりやすく伝えやすい形にしたもの、また、歌舞音曲を巧みに奏し演じることは、神に深く祈り奉ることと同義であり、極めて高雅な振る舞いと、光の眷属はみなしているようだった。ガニカーが技芸を極めることは、神官が祝詞をあげることと、全く同列の、神聖な行いだった。

ゆえに彼女たちは『娼』という名はついても、身分は神殿に勤める神官に準ずる。いわば神殿の公僕であるので客個人から代価としての金品は受け取らないー個人的な贈り物はこの限りではないが。彼女らは神殿への寄進から多額の俸給と、それ以上の敬意を当然のものとして受けとっていた。それは、彼女達が、それだけの敬意に値する様々なすぐれた技術と深い精神性を持っているからであった。

あわせて、彼女らが参詣者に施す『慈悲』や『女神からの恩寵』というのは、一概に肉体の快楽を意味するものではないこともオスカーはすぐに知った。聖娼が参詣者に与えるのは、あくまで慰撫であり、心の安らぎだった。そして、大半の男にとって聖娼との肉体的に親密な一時は、何にも勝る慰撫であったがー光の眷属にとっては五感を深く豊かに刺激し、気の流れを操る性技もまた歌舞音曲と同列のすぐれた技芸の一つであったーそれが全てではないし、絶対に必要というわけでもないことを、オスカーはその身をもって知った。

ガニカーは、望めば望むだけのものを、限りなく惜しみなく与えてくれる、そういう存在だった。逆に言えば、こちらが望まないものを押し付けることは決してない。そして、大半の男は、大抵の場合、ガニカーと肉の悦びを分かち合いたがるー積極的に聖娼を組み敷くものもいれば、受身の奉仕を受けるだけのものもいるーだから、その種の奉仕が、代表的なものと思われているに過ぎなかった。だから、参拝者は、逆に、性的な接触は一切なしに、聖娼たちの洗練の粋たる歌舞音曲だけを楽しむこともできたし、すぐれた医療士でもある聖娼から、香油を使ったマッサージを受け、心身の疲れを解すこともできた。

聖娼の持つあらゆる奉仕の技術・精神は、全て、参詣者の心をいかに柔らかく解きほぐし、開け放つかという目的において行使されるのだということ、そして、それこそが地母神プリヴィティーの慈悲の具現であるらしいことを、オスカーは数回の参詣を経て学んでいった。

オスカーが彼女たちに教えを請うた光の眷属の女性に関する知識から、そして、オスカー自身が実際に女神神殿で賜った恩寵を通じて。

 

オスカーは神殿に初めて参詣した時からガニカーに様々な話…話だけを所望した。

オスカーのこの申し出は、最初、中々本気にされなかった。年若く、他世界から来た若者であるにも拘らず、女神神殿の雰囲気に気圧されて上ずることもなく、美しく魅惑的なガニカーたちを性急に求めることもせず、真摯な瞳と生真面目な口調で、ただ、光の眷属の女性のことを色々教えて欲しいというオスカーの申し出を、面白がるもの、いぶかしがるもの、興味深気に応じるものと、聖娼の反応は様々だった。が、皆、それをオスカーの本心とは受け取ってくれないことは共通していた。

多くのガニカーは、オスカーが世慣れぬゆえ、もしくは、若さゆえの照れから、もったいつけたり、格好をつけたりして、素直に聖娼の供する悦楽に身を任せようとしないのだろうと推した。初めて神殿を利用する若者には、そういう自意識過剰な振る舞いをする者が少なからずいるからだった。ために、オスカーが話を聞きたいと懇願しても、生真面目な面持ちで僅かに緊張を滲ませたそのオスカーの態度を「少年が初めて女性の身体を知ること」への緊張と解し、何もかもわかっているからというように鷹揚に笑んで、黙って衣を解き始める聖娼もいた。

そして喜んで心とろかすような一時の親密を授けようと少年の身体に腕を伸ばしたガニカーは、頬を染めたオスカーに遮られ

「俺は…俺は、そういう慰めより…あなたたち光の眷属の女性の、ものの見方、考え方を…どんな時に幸福だと感じるのか、悲しいと感じるのは、どんな時かとか…色々な気持のありようを教えて欲しいんだ。光の眷属の一般常識や、風習も含めて…」

と、あくまで実直で真剣な態度で切々と訴えられて、差し出した腕(かいな)を降ろすのが常だった。

そして参拝者の求めに応じるのが聖娼の務めなので、聖娼たちは、オスカーの要求に首を傾げながらも、オスカーが尋ねることにはきちんと誠意を持って答えてくれた。

それでも、ガニカーの多くは、オスカーのこんな要求は最初の一時だけ、と、たかをくくっていたことも否めない。緊張や、みっともないところを見せたくないという子供っぽい虚栄心が、少年に本心とは異なる行動を取らせたり、用心深い少年が場に慣れるまで様子を伺うような真似をすることも、往々にして、よくあることだったからだ。

同時に、ガニカーたちは、オスカーは聖娼を侮ったり蔑んでいるが故に頑ななのではない、ということも感じとっていた。

他世界から来た者には、極たまにあることなのだが、聖娼の意味を理解せずガニカーを蔑んだり軽んじたり見下すものがいるーもちろん、そういう偏見を持つ者は間違って招かれた者なので2度と参詣が許されることはないーが、オスカーは、そういう目で聖娼を見ているわけではなく、むしろ、聖娼には常に折り目正しく振る舞い、最大の敬意を以って接しているのが、はっきりとわかったからだ。

だから、少年がこの神殿の雰囲気になれ親しみ、聖娼からのもてなしを受けることは、照れることでも、恥ずかしがることでもないこと…むしろ誇りに思うべき、晴れがましいことであると理解すればー他眷属の少年は、性的に頑な者がたまにいることも、経験豊富なガニカーたちは、よく知っていたからーこの少年も、素直に、自分たちの手にその身をゆだねてくれ、彼のあげた功績に見合う当然の権利としての快楽を享受するようになるものと考えていた。

しかし、オスカーは何度神殿を詣でても、生硬な態度を崩さず要求も変えなかった。そして神殿を訪問するたびにオスカーは「自分がほしいのは光の女性に関する知識であり情報である」と、毎回、辛抱強く、そして丁重な態度と口調をもって、自分の求める物をガニカーたちに説明した。

オスカーの辛抱強い説明で、オスカーが照れ隠しや見栄で自分の欲求を誤魔化そうとしているわけではなく、本心から、ただひたすらに話を聞きたがっており、彼が求めているのは、とにかく何よりも『知識』なのだということが、少しづつガニカーたちに知れ渡っていった。オスカーの要求が、もったいつけてのものでもなく、一時だけのものでもなく、心の底から望みであるということも、漸く周知された。『光の女性について教えてほしい』という要求が、所謂『女性の扱い方』ではなく、字義通り『様々な知識』や『光の眷属の一般常識』こそがオスカーが真に求めるものだと知って内心驚かないガニカーはいなかったが。

そして、オスカーが求めるのは、あくまで知識であることが誤解のしようがなく知れ渡ると、聖娼たちは、質問されたことに答えるだけでなく、もっと進んで、オスカーに色々なことを教えてくれるようになった。同時に、オスカーが重ねて神殿に通ううちに、聖娼たちの間でオスカーはちょっとした有名人になっていった。肉体の慰撫を一切求めず、純粋に『光の女性のことを教えてほしい』と、真摯に尋ねてくる初々しい少年に、女のあれこれをレクチャーするのは、経験豊富な巫女たちにとっても、とても新鮮で、やりがいのある仕事だったので。

そのため、オスカーが殿上した時は、女神神殿はさながらサロンの様を呈するようになった。1対1で他の参詣者の相手をしていない巫女たちは、進んでオスカーの周りに集まり、我先にとオスカーと話したがった。オスカーは、飲み込みが早く、どんなことも貪るように吸収しようと知に対して非常に貪欲だったので、教える方も教えがいがあった。聖娼は、勉強熱心な少年との教養溢れる手ごたえのある会話や機微に富んだひらめき、そこからさらに発展するやりとりを心から楽しんだ。またオスカーの、常に真摯に相手と対峙しようとする誠意溢れる態度から、この少年が、女の目からみて、最高に「いい男」になる素質・素養があることを、程なく見抜いた。ために、ガニカーの多くは、彼を自分たちが考えうる限りの「最上級のいい男」にするという楽しい作業にわれ先にと参画したがるようになった。

ガニカーは寛いだ雰囲気の中、香のいい茶や蜜酒ーオスカーがここで初めて覚えたものの一つに蜜酒の味わいと、もたらされるほのかな酩酊もあったー色とりどりの果実などでオスカーをもてなしつつ、オスカーを中心に和やか、かつ、適度な緊張感のある集いを持つようになった。

一人でも多くの女性と言葉を交わしたかったオスカーにとっても、これはありがたいことだった。参詣許可証は多数溜めてはあり、新たに届けられるものもあったが、無限にあるわけではないから、無駄使いはできないし、1枚の書状で、なるべく多数の聖娼と話を交わせ、知識を深められる状況は、ありがたいものだった。

もちろん、彼女たちには根底に共通する部分が多数あり、多くの聖娼たちと言葉を交わしても、一人一人異なる意見を持っているわけではなかった。とくに聖娼は、誰もが外観とか雰囲気が互いによく似通っていた。

皆、いかにも柔らかそうで、ふんわりといい香を漂わせ、ほっそりと華奢でありながら、身体全体はえもいわれぬ厚みや丸みがあった。

また、ガニカーたちは色味は異なれど、皆、豊かな金の髪を持っていた。瞳は青か薄い灰色が多い。容貌はそれぞれに趣が異なるが、皆、造作が整い、表情は豊かで感じよく、魅力的だった。そして、たおやかで柔らかな物腰を持ち、流れるように優雅に体をさばいた。ただ歩いている時でも舞うように流麗に足を運び、身振りを交えて話をする時の仕草も一つ一つが優美だった。それらは意識してのものではなく、すぐれた舞姫でもある彼女たちには呼吸するように自然と身についている所作のようだった。そして、光の眷属の常識や神殿での作法に疎い若者であるオスカーに、皆が皆、とても優しく接してくれた。ガニカーから見れば、色々な意味で無粋であろうオスカーを僅かでもバカにしたり、軽んじるようなことは決してなかった。

いつも優しく接してもらい、オスカーは、聖娼とは、花のような存在だとしみじみ思った。咲き誇る一つ一つの花は、際立つ香も、花弁の形状も色もそれぞれに異なる。バラと百合とスミレとが、それぞれに放つ香も、美しいたたずまいも、異なるように。が、皆、それぞれに、見目麗しく、芳しく、その美しさと香りで人の心を慰め、和ませるのは同じだ。そう思うと、聖娼とはまさに百花の群れなのだと感じた。

だから、オスカーは聖娼たちと会い、言葉を交わしてみて、やはり、彼女たちがウシャスの妹と称される訳も得心した。ガニカーの優しさや、雅やかな風情を見るたびに、オスカーは、アンジェリークが、どれ程オスカーに優しく接してくれたかを思い起こし、アンジェリークの可憐な笑みと、いつも舞うように優艶だった所作の数々を、そして、別れの夜に垣間見た、泉での彼女の禊の舞の夢幻のような美しさを想起した。夜闇に覆われた泉の面で、彼女の周囲だけが、ぽぅ…っとほのか朱金の色に光り輝いて見え、何より、彼女自身が金真珠のように光輝いていたあの光景を、オスカーは聖娼の立ち居振る舞いを見るにつけ、思い起こさずにはいられなかった。

このように聖娼たちは皆優しく、すぐれた知性・教養の持ち主であることは事実であったから、彼女らが「ウシャスの妹たち」と評されることには素直に頷けるオスカーだったが、ただ「妹」はあくまで「妹」であり、女神とは何かが異なることも、オスカーは同時に感じ取っていた。その差異は微妙に過ぎて、言葉で表すことは難かったが、聖娼たちが「女神の妹」という呼称を持つ割りには、アンジェリークよりも年嵩に見えることが、微妙な違和感になっているのかもしれないとオスカーは思っていた。ガニカーは、皆、一様に若々しく美しかったが、同時に、皆、アンジェリークよりは成熟した大人の女性の外観を持っているように見えた。

それでも彼女たちガニカーが「ウシャスの妹たち」と称されるのは、女神であるアンジェリークより巫女が上位の存在という印象を与えないためだろうかと考える一方で、やはり、アンジェリークと彼女たちがある意味似たような境遇下にあるゆえではないかと、オスカーは思っていた。

ただ、その境遇に対する感情をガニカーたちに問うのに、オスカーは、何度かの訪問を無為に費やした。気軽に、気楽に尋ねていいこととは思えなかったし、下世話な興味本位とか、詮索と思われることは本意ではなかったからだ。

しかし、オスカーにとって、それはいつかは尋ねねばならないことだった。避けて通ったのでは、何故、神殿詣でを始めたのか、意味がなかった。だから、ある日、オスカーは意を決して問うてた。

「あなた方麗しいガニカーに、俺は尋ねたいことがある。大変ぶしつけで、あなた方の内面に踏み込むような問かもしれないし、あなた方を不愉快にさせる問かもしれないが…できるなら、いや、ぜひ、教えて欲しいことがあるんだ…」

少年の大層恐縮した様子、しかし、その顔に、どうにも譲れない思いつめた風情を感じ取った聖娼たちの多くは、この少年をこれほどまでに緊張させる問とは、一体なんであろうかという意味で興味を覚え、少年の言葉を待った。

 

女神神殿を訪れる時の常として、オスカーは沐浴を済ませ、天界から支給されている長衣を、こざっぱりと、だが、多少寛いだ様子に着崩していた。そして、片膝を立てた形で座の中心に座っていたオスカーは、一瞬間だけ沈黙した後、表向きは気負いを見せず、むしろ淡々とした口調で、こう話を切り出した。

「この神殿に参詣する多くは…あなた方と、体の交わりを持つと聞いている」

「私たちは、参詣者の求めるものを与えるだけ」

「ああ、あなた方が限りなく惜しみない優しさで参詣者に慰撫を与えているということは知っている。ただ、あなた方は、そのことをどう考えているのか…仕事だから、義務だからという理由で、日々、異なる男を受け入れ、肉の交わりを持つことを、あなた方はどう感じているのか。その時、どのような思いを抱くものなのか、どうか、ありのままの気持を教えてほしいんだ」

それが仕事だ、義務だと言われ、特に意識もせず当然のこととして、様々な男に抱かれて彼らに慰めを与える。その身分は、多大な敬意をもって扱われてはいるし、大切にもされている。オスカー自身も、彼女たちをとても丁重に扱う。

だが、この状況を彼女達自身はどう感じているのか、これこそが、オスカーの尋ねたいことであり、この答えを得ることが、参拝の理由といってもよかった。

その境遇は、アンジェリークが置かれている立場に通じるものがある可能性が高いからだ。多くの太陽神を配偶者として無条件に受け入れているアンジェリークの心象が、それで完全に理解できるかどうかはわからないが、少なくとも理解するための一助にはなると思ってのことだった。

そして少年からその問いを聞いた時、怒りを感じたり、無礼だと気分を害した聖娼は1人もいなかった。

度重なる神殿への参詣と態度から、オスカーの真摯な人となりも、オスカーが単なる興味本位で、ガニカーたちの暮らしの詳細や、その心象を尋ねたりはしないことを、彼女たちも、とうにわかっていた。第一、答えを待つオスカーの態度や表情は真剣そのもので、引き締められた口元からは痛々しいほど張り詰めた感情がにじみ出ているのが感じられた。

だから、ガニカーたちは、何故、オスカーが自分たち聖娼の内実、仕事に際して生じる感情や心境に興味を持ち、しかも、これほど真摯に強い拘りをもって知りたがるのか、そちらが不思議だったし、逆にその理由を尋ねてみたいと多くの聖娼が思った。

「何を感じるかといわれても…考えたこともなかったわ」

「当たり前のことだから」

「求める者がいる、だから、私たちは与える、それは、当然のこと」

「花壇の花に水をやるように。乾いて、水を欲しがっている草花は見ればわかるもの。だから、私たちは水を上げる、それだけよ」

「花壇の手入れをすることに、特別な感慨なんてないわ、お水をほしがっているから、あげなくちゃ…と思うだけ」

「でも…例えば、おなかをすかした子犬には肉を投げてやる、お水ではなく…。何を求めているか、必要なものは相手によって違うから。だから、参詣者によって、私たちが授けるものも異なる」

「そう、だから、相対する相手によって、してあげることは異なるけれど…でも、根っこの処は同じこと」

「そう、心地よく、気持よくなれるようにしてあげるの」

「だから…私たちがその時抱く感情を一言でいえば……「これで、元気におなりなさい」かしら」

「そうね…「元気になってくれたら嬉しいわ」という感じかしら…」

「萎れかけている花を見たら、かわいそうにと思うから」

「おなかをすかせている子犬がいたら、かわいそうにと思うから」

「肉の交わりもそれと同じことなのか?その行為に好き、とか、愛しているという感情は必要ではないのか」

「私たち、ここに来る人たちを皆、愛しいと思っているわよ?」

「草木や子犬や子猫を愛しいと思うように」

「だから、あげれば元気になるとわかっているものを、私たちはあげるの」

「そう、私たちは、ただ与えるだけ。ここに来た人が欲しいと思っているものを」

「そう…か…あなた方にとって、俺たち男は、迷子の子犬や、水を欲している草木のようなものか…自然と手を差し伸べて、助けてやりくなるような…」

オスカーは、初めて神殿に上がった日を思い出していた。その時出迎えてくれた聖娼も、両手を緩やかに開いて俺を招き入れてくれた。あたかも俺を丸ごと受け入れてくれるような雰囲気で…

「そうよ、オスカー、あなたは…ここに来た時から、特別、何かを求める気持が強く感じられたわ」

「そうそう、喉の渇ききった旅人か、飢えた子犬みたいに、何かを酷く渇望していているようで、とても切羽詰って見えたわ」

「だから、私たち、色々なもてなしを供してあげたいと思ったのに、あなたったら、どれもこれも要ないっていうから、最初はどうしたらいいか、困ったわ」

「そう、こんな子は初めてだったから。本当に、お話だけを望む人なんて今までいなかったから…」

さんざめくような笑みが、小波のようにその場に広がった。

オスカーは面映い思いを感じながら、俺の魂が、飢えるように何かを強く求めている様は、彼女達には火を見るように明らかだったのだなと改めて思った。ただ、俺が真実求めているものが何かは彼女達にはわからないだろうし、俺も知らせる気はないが…ということも同時に考えた。

「今の言葉で、よくわかった。…あなた方は、純粋に与える存在なんだな…そして…肉の交わりも、あなた方にとっては、あくまで、いわば施しの一つだから…特別な感情はなくても大丈夫なんだな…」

オスカーはこの一連のやりとり聞いて、漠然とと理解した。乱暴な言い方になるが、彼女達にとって、性交は、疲れ、腹をすかせた犬を休ませエサをやるのと同じことなのだ。哀れと思い、可哀想に思えば、施しの感情が自ずと湧き出る。彼女達の許には毎日腹をすかせた子犬のような男たちが訪れる、その1匹1匹に特別な感情をもって深く愛さなくても、哀れと思う感情があれば…心優しき存在なら、自ずと施しを与える、そういうことなのか…

同時にオスカーはオリヴィエが言っていた『光の眷属はあまねく広がり、分け隔てなく万物に降り注ぐことを良しとする』という、光の眷属ならではの特性を思い出していた。この女神神殿と此処に仕える巫女は、いわば光の眷属の象徴だ。元々、光の眷属は、あまねく広がるを良しとするのだから、分け隔てなく万人を受け入れることこそ、天界の意思に沿うことなのだ。文化に裏打ちされ、むしろ美点とされる行為なら苦痛を感じるはずがない。むしろ、誇らしいと思うことだろう。

オスカーが深く考えこむ様子に、聖娼たちは頷きあうように、言葉を続けた。

「そうよ、だって、抱いてあげると、皆、元気になるんですもの」

「そうよ、心をまっさらにして、丸ごと受け入れられることで、皆、元気になるの。交わる時は心の壁が薄くなりやすいから。心を完全に解放するために情交はとても有効なの」

「というのも、ここを訪ねることを許された多くの者は、人一倍、疲れたり、気を張っていたりすることが多いの。彼らが、自分では意識していなくても、ね。そして、彼らの多くは張り詰めっぱなしの心を、自分では、上手く解きほぐすことができない。喩えていうと、体の凝りのように。自分で凝りを揉み解そうとしても、却って疲れてしまったり、自分では手が届かない処もあるでしょう?だからこそ、人の手で凝りを解してもらうのは、心地いいでしょう?心も同じことなの。ただ休息するだけでは、硬くなってしまった心をとき解せない男性は多いの。彼らは無防備に肌と肌とを触れあい、無条件に受け入れられ、心から安心できるこの場所で初めて、心の鎧を全て脱ぎ、何もかも忘れて己を解放できるようになる…」

「そして完全な弛緩と解放を知る者だけが…完璧な休息を知る者だけが、再び、全力で何かに挑むことができる、そういう力を蓄えられる。だから心をまっさらにして解き放つのは、とても大切なことなの」

「なんだって?!…そうか…あなた方が参詣者に慰撫を与えることには…そういう意味合いもあるのか…」

今、聞かされた言葉から、オスカーは、聖娼が男たちにその種の慰撫を惜しみなく与える意味を、延いてはこの神殿の意味と、天界の意図に思い当たった気がした。そして、この思いつきは、すぐに確信に変わり、確信を得るや、オスカーは天界の巧妙なシステムに舌を巻く思いだった。

オスカーにも、メリハリの重要性はわかる。心身を完璧に休息させられる者こそが、いざという時、最大の集中力も発揮できるのだ。だらだらと過ごす者は無駄に体力ややる気を消耗するばかりで、大して成果をあげられやしない。

そして、この神殿に招かれる者は、基本的に、何らかの功績をあげ、天界からその能力や優秀さを認められた者たちだ。

だから、生来優秀な素質を持つ者が日々の課業に疲れ、心にも疲れや澱が溜まって能率が落ちてくるような頃合に、この女神神殿を参詣させれば、疲れた彼らは聖娼の手により、心身を完全に解され、それによって、言わばメンテナンスを受けリセットされるのだろう。彼らは、ここで、再び集中力と、物事に取り組む気概を取り戻し、優秀な成果をあげるべく努力できるようになる。そして、引き続き努力し成果をあげれば、また、ここでの慰撫を受けられるとなれば、各人のモチベーションはおおいに高まる、そういう上向きのスパイラルが形成される…。

天界の上層部の狙いは…女神神殿の存在意義はそれか…。

この神殿は、いわば天界に勤める内でも優秀な者たちのメンテナンスの場なのではないのか。優秀な者に、より優秀な成果を継続的にあげさせるための…。

となれば彼女達の役割は、いわば『天界の部品磨き』とも言える。この世界を円滑に動かしていくために、重要かつ掛け替えのない職務だ。ならば、彼女たちが己の仕事に多大な矜持を持ち、それに見合う報酬と敬意を得ているのは当たり前だ。

単に『美・優・雅』を極めた理想の存在というだけに留まらず、彼女たちは『優秀な人材の士気の維持』という非常に重要な役割を担っているから、多大な敬意と崇拝を受けているという面もあるのではないか…。

そして、彼女達が俺に優しいのは…俺が女神神殿に参詣を許されるだけの功績をあげたから、そして、今後もあげることを期待されているからに他ならない…

そう考えた時、オスカーは、アンジェリークが自分に与えてくれた優しさを思い出し、改めて深い感慨に捉われた。

そうだ…ここにいる彼女たち聖娼は、俺が神殿に殿上する権利を行使したからこそ、こうして惜しみない奉仕を授けてくれているのであり、それはあくまでガニカーにとって『仕事』の一環だ。彼女達の優しさは、自然な気持の発露であろうし、恐らく、ガニカーたちは仕事の枠を飛び越えて、自分に、よくしてくれていることは感じる。それは、ありがたいとは思うが、彼女たちが発する優しさの発端は、あくまで『仕事』『義務』であることも否定できない事実だ…。

だが、考えてもみろ。アンジェリークには、何の義務があった?俺に優しくしてくれることで、何のメリットがあった?何もなかったではないか。何もないのに…彼女は、あんなにも俺に親身に…優しく、接してくれていたのだ…。

オスカーは、深い深い息をついた。

彼女には、ここにいるガニカーのように、俺に優しくする義務も、俺の迷いを解き、光を示して導く義務もなかった。あの当時の俺は、ただの火の子…天界どころか、火の地でも何の貢献もしていない、功績もあげてない、進むべき道を見出せずにいたただの子供だった…そんな俺を癒し慰めたって、誰にも何の利益もなかったのだから。なのに、彼女は、義務も何の見返りもなく、俺の方から差し出せるものも何もなかったというのに…俺が彼女に贈ることができたのは、ささやかな野の花の花束くらいだった…なのに、いつも、俺に優しく接し、俺のことを親身になって考えてくれた。未熟な俺に、色々なことを教え示し、迷った時は、俺に答えを自分でみつけさせるような示唆をくれた。喜ばしい時は共に喜び、俺が立ち止った時は、傍にそっと寄り添ってくれた。

だから俺は此処までこれた。だからこそ、今のこの俺があるのだ。彼女の、あの無条件の、無償の優しさがあったらばこそ、今、ここに、俺はこうしているのだ。

本当に…俺は、どれ程彼女に助けられたか、わからない。

与えられた権利を行使することで奉仕を受ける身になって、オスカーは、当時のアンジェリークの無償の惜しみない優しさが如何に世にも稀な、貴重きわまりないものだったか、今、改めて、染み入るように実感した。それがウシャスの本性として、自然な感情の発露であったとしても、無償の優しさや思いやりの価値は輝きこそすれ、減じるものではなかった。

そして、これが…「女神」と「女神の妹」との埋めがたい差なのかもしれない。

俺は…それを無意識の内に感じていたのかもしれない。

いや、それだけではないな。今の俺にはわかる、彼女達と言葉を交わしたおかげでわかった、彼女たちとアンジェリークの大きな違いが…

オスカーは、聖娼たちを見渡すと、念を押す様にこう尋ねた。

「では、あなたたちは、毎日、異なる男と肌を重ねても、それを嫌だと思ったり、苦痛に感じることはないんだな?あなた方は職務に誇りをもち、毎日、充実し、幸福だと…心は満ち足りていると思っていいんだな?幾許かでも、寂寥、苦痛、疑問、虚しさを感じるようなことは…ないと思っていいんだな?」

「何故、私たちが、そんな風に感じると思うの?」

「何かに飢えている存在を、そのままに見過ごす方が、私たちには、よほど心苦しい。私たちは与えられる水を持っている、なのに目の前で萎れかかった花をそのままにしておくことの方がよほど苦痛を感じるわ」

「なのに何故、そんな疑問が出るの?オスカー」

「つまり、あなたは聖娼の仕事は…いえ、人と交わることが苦痛に満ちたものだと思っている?」

「私たちを見ていて、そう思う?」

「いや…あなた方が苦痛を感じているとは思っていない、むしろ、あなた方は自分の仕事に誇りを持っていると感じる」

この神仙界を滞りなく廻していくために、優秀な部品が磨耗したりサビたりしかけた時、新品同様に戻すためのメンテナンスを行うのが、いや、歯車のすべりを更に良くして、それぞれの部品が更なる成果をあげられるよう調整するのが彼女たちの仕事なら…それは天界においては重要な職務に決まっている。彼女たちの技芸の高さ、すばらしさはもちろんのこと、その重要性を考えたら、光の眷属の中で彼女達が高い敬意を払われるのも当然だと納得できるし、彼女たちは、己の職務を誇りこそすれ、苦痛に感じるはずがない、とオスカー自身、心の中で頷いた。不特定多数の男たちとの肉の交わりも、いわばメンテナンスのための一手段ーしかも大層効果的なーとなれば、行使しない手はない。その行為に多大な意味付けをしたくなるのは、火の眷属たる俺だけの特性なのだろう。

だが…それなら何故、彼女は…アンジェリークは、時折、どこか寂しそうな…哀しそうな空気を滲ませていたのだろう…それがわからない。万物に目覚めを与え、太陽神の先触れであり、妻でもある…彼女の立場は、それこそ聖娼とは比べ物にならないくらい重要で、矜持溢れる職務ではないか。代替わりするとはいえ、配偶者は火神でも最高位の太陽神と決められているのだし、誇らしげでありこそすれ、彼女が寂しげに見える理由が見当たらない…。

オスカーは、むっつりと黙り込み考え込んだ。

あの「そこはかとない憂愁」の有無が、眼前にいる聖娼たちとアンジェリークの違いであり、オスカーが感じていた、なんとはなしの違和感の原因だったと、今は、わかった。聖娼たちとのやり取りから、オスカーは、違和感の正体はつかめたものの、結局、ウシャス=アンジェリークの憂愁の正体はわからないという点では、振り出しに戻ってしまったような気分になっていた。

誇りと自信に満ち溢れた聖娼たちからは、ウシャスの漂わせていた憂愁は微塵も感じられない。となれば、彼女たちに「女神が憂愁に捉われて見えたとしたら、その原因は何が考えられるか?」と問うても、質問の意味もわからず戸惑うだけか、「気高き光の女神が憂いを胸に抱くなどありえない」と一笑にふされて終るだけのような気がしてしまう。

どうする?それでも、思い切って問うてみるか?そして、質問が不発に終ったその時は、俺は、アンジェリークの心の内を知る手がかりを失って…それで終わりとなってしまうだけか?

オスカーが、いわば「次の一手」を考えて逡巡していると

「では、何故そんなことを聞くの?もしや、火の眷属の女性には肉の交わりは苦痛なの?」

ある聖娼が、先前の会話を引き取り更なる問をオスカーに投げてきた。

「いや…苦痛ではないと思うが…ただ、俺の生まれた…火の眷属の世界では、肉の交わりは好き合った男と女の間でするものだったから…」

思考の途中にガニカーから問がさしはさまれたため、オスカーは、反射的に、深い考えなしに火の眷属の所謂「常識」を口にした。

すると聖娼たちの多くが大層不思議そうな表情を浮かべた。

「?何故、火の眷属は、肉の交わりに特別な感情が必要なの?ここに来る男たちは…オスカーと同じ火の眷属もいるけど、私たちに、そんな感情はもっていなさそうだし、彼らは私たち聖娼の誰が相手をしても、ありがたく恩恵を受けるわ」

「ああ、そうなのだろうな…一度でも、此処を訪ねれば、火の眷属の男は…あなた方の魅力に夢中になるだろうからな…」

いまだ、自身の考えに捉われているオスカーは、まさに他人事のように淡々と語る。

「ただ、断言はできないが…火の眷属の女性の方は、毎日、違う男と肌を重ねる境遇を幸福と思うかどうかはわからない。火の女性は、決めた男としか、普通は交わらない、そして、火の地にいれば男も普通はそうだ。そして、その相手を決める要因が「好き」とか「愛」という感情だ。火の眷属の女性は、決まった相手としか交わらないのが普通だから…「好き」という感情なしに、男と交わることが、あなた方にとって、どういう意味をもつのか、俺には、あなた方の気持が、よく、わからなかったが…」

今は、理解できていた、彼女達の心情ではなく、事情を、だが。最初から肉の交わりの目的が、前提条件が火の眷属の俺とは根本的に違うのだ、俺の感覚で、彼女達の幸不幸や精神の充足を測ろうとするのは傲慢だった、この事実がアンジェリークの抱える憂愁と連関があるのではないかと思ったことは尚のこと傲慢だったかもしれない、と忸怩たる思いに我知らず眉を顰めると、聖娼の一人がこう、オスカーに話しかけてきた。

「オスカー、あなたは少し思い違いをしているかもしれない」

「なんだって?」

「私たち光の女も、子を為す場合は、もちろん、違う。求めてくる男の全ては受け入れられない、全ての男の子は産めないから」

「自分がこの男の子供なら産みたいと思う男しか受け入れない」

「そう、だから、私たちは、子供が欲しくなったら、聖娼をやめる」

「女神神殿にいる間、私たちは子ができない」

「地母神プリヴィティーさまは万物を受け入れる大地そのものだから。選り好みをしないし、してはいけないから。私たちもどんな存在でも受けいれられるように、特定の存在に深い思い入れを持たないよう、巫女でいる間は、子ができないようになっている」

「ああ、そういうことか…それなら…少し、わかる。俺のいう「好き」という感情は、そうだ、多分、あなた方では「子を為したい」と同じなんだろうな。そして、火の眷属では肉の交わり自体が子を為すこととイコールになっているから、俺には、拘りがあって…だが、あなた方も子が産みたくなったら、火の眷属と同じように、決まった相手と交わるんだな…」

「違う、その時「この男なら」と思った相手だし、ずっと同じ1人と決めるわけじゃない」

「あ、ああ、そうだったな。光の眷属は、言わば契約婚らしいからな」

この風習も契約神ミトラが天空神の一人だからだろうか…と、とりとめなく考えた時に、オスカーはある重要な事実に気づいた。

聖娼は、確かに、ここを訪れる男が求めれば、誰とでも交わるが、望めば好きな時にいわゆる「普通の女」に戻って、子を為せる。つまり「いつでも、どんな存在でも受け入れる大地のごとき存在」から降りることができる。

だが、聖娼の最上位に存在するウシャスは…ウシャスが普通の女性に戻れる時など、あるとは思えない

彼女は、最大限の敬意と下界のありとあらゆる生き物からの謝意と崇拝を受けてはいるが…毎日朝日に焼かれて消え去っては、翌朝未明、実体化する女神の身では、太陽神との間に子を為すのは難かろう。

いや、それよりも…彼女は永遠に暁紅の女神だ。めまぐるしく代替わりする太陽神を…たとえ一人の太陽神に想いを寄せたとしても、いつかは退位し火の地に帰る者を追ってその地位を降りることなど不可能ではないのか?

もしや、彼女は…今までに幾多の寂しい別れを経てきたのだろうか…彼女が、仕事のことを聞くと、時折寂しそうだったのは、このせいか?

わからない…これもただの憶測でしかない…彼女は…どうして、仕事のことを話題にのせると、どこか寂しそうだったのだろう…

オスカーにわかるのは眼前の「女神の妹たち」は、寂しそうでも、哀しそうでもないということだけだった。

「…よく、わかった。あなた方は、日々、とても充実しているし、仕事に誇りを持っているってことが。変なことを…かなり踏み込んだことを聞いてすまなかった」

オスカーは、これ以上聖娼たちに話を聞いても得ることはなさそうだと思い、話を打ち切ろうとした。今も疑問に思うこと、憶測だけなら嫌と言うほどあるが、それを聖娼たちにぶつけるにしても、自分の頭の中でもう少し整理が必要に思えた。

が、オスカーが話を終らそうとしても、聖娼たちの方はそうではなかった。オスカーからの問かけが終ったと見てとった聖娼たちは、逆に、色めきだつように身を乗り出した。

聖娼たちからすれば、型破りな、思いもかけない質問ばかりしてくるオスカーが、何故、こんなにも知りたがりなのか不思議で仕方なかったのだ。しかも、聖娼のうち幾人かは、オスカーが自分たちの答えに満足したから話を終らせようとしているようには到底見えないと感じてもいた。

「謝ることはないわ。でも、ねぇ、オスカー、何故、私たちに、こんなに色々尋ねるの?」

「そうよ、謝らなくていいから、何故、オスカーは質問してばかりなのか、教えて」

「それは…俺の知っているある女性は…ふとした拍子に寂しそうな顔をすることがあったんだ。あなた方聖娼と、その立場は似ていて、とても誇りある仕事に就いていて、本人もそれはわかっている…と思う。なのに、彼女は…時折、とても寂しそうに俺には見えたんだ。だから…あなた方は、そんな気持になることはないのか、聞いてみたかった。彼女の気持ちを、少しでもわかりたくて…わかるのではないかと思って…」

「ああ、それで…やっとわかったわ。あなたが、何故、こんなに聞きたがりなのか」

「そして、こんなに色々聞いた筈なのに、私達の答えに、今も満足しているわけではなさそうな理由も」

「…?」

「オスカー、あなた、その人に、自分の子を産んで欲しいのではなくて?」

「!…いや、そこまで考えたことは…」

「でも、オスカーから、すごく強い…深く激しい想いを感じる」

「…いや…俺は…ただ、彼女を…好きなんだ…それだけだ…」

「火の男の『好き』は、子供を産んで欲しいということと同じでしょう?」

「……突き詰めていえば…そうかもしれん。だが、事情があって…どんなに好きでも、今は妻問どころか、彼女と会って話すこともできないんだがな…」

「私たちに、決して慰めを求めないのも、その人が好きだから?火の眷属は、1人の女性への想いが強いのですものね」

「義理立てではないが…確かに俺は、そうしたいと思わないが、それはあなたたちと過ごす時間は限られているから、それなら、色々な教えを請うことに使いたかった。それだけだ」

「オスカー、あなたが好きな人は、光の眷属の女性なの?だから私たちに色々話を聞きたかったの?」

「…ああ」

「なら、光の眷属は、火の眷属と違って、普通は一夫一婦の婚姻を結ばないことも知ってるわね?」

「友人にも教えてもらった。あなた方の婚姻の契約婚で、いわば更新型とでもいうのか…結びつきは一時的なものだと」

「なら、火の眷属のあなたが、いくら恋うても…光の眷属の女性を生涯繋ぎとめることは難しいことも、知ってるのね」

「ああ…あなた方は、あまねく広がり、分け隔てなく受け入れることをこそ良しとし、尊ぶ性だということも、ここに来てより実感したしな。それでも、あなた方も子を産みたいと想うほどの相手に出会うことがあるのは…ここに来て、あなた方の話を聞いて、初めて知った。どれ程多くの男を受け入れようと、その時限りかもしれなくとも、特定の1人の存在に思いを傾け、捧げる時もあるのだと…」

「オスカーは、その、特定の存在になりたいと思っているの?」

「…ああ…そうだ」

「多くの男を受け入れ…男を見る目が肥えている光の女は、そう、滅多なことでは『この男の子を産みたい』とは思わないのよ?それでも?」

「よほどの男と見込まなければ、子を産んではあげないのよ?」

「オスカーが、その人をどんなに好きと言っても、特別の存在にはなれないかもしれないのよ?それでも好きなの?」

「…ああ」

オスカーは、聖娼たちの質問攻めに、些かたじたじとしながら、不可解さを感じていた。自分が「ある光の女性を好いている」と、ぽろりと口にした時から、この場の空気が微妙に変わったことに、若いオスカーははっきりと気づかず、戸惑うばかりだった。

「私たちには、正直、よく、わからない」

「何故、そこまで1人の女性に拘り、思いつめるのか…」

「そうかもしれんな。俺も、あなた方のものの感じ方、考え方を、知識として知っても、感情としてはわからないことがあるからな」

「オスカー、それは、あなたが言葉で紡がれた知識しか手にしてないからではなくて?言葉で聞いていくらわかった気になっても、私たち光の女の感じ方、考え方が本当にあなたにわかるとは思えない」

「そう、言葉は物事の表層しかなぞらない、言葉が伝えるのは、物事の輪郭だから」

「どういうことだ?」

この場の空気が…いや、光の気の濃度が先前よりも一挙に上がった気がして、オスカーは、瞬間、胸苦しさと、眼前がチカチカ瞬くようなハレーションを感じた。目が眩んで頭が上手く回らない感じだ。

「転んでみないと、転んだ時の痛みはわからない」

「蜜酒の味と、それがもたらす心地よい酩酊は…お酒を口にした者でないとわからない、というより、口にしたことがない者には、あの感覚は言葉では説明しきれない」

「その身をもって、体験しないと、わからないことは、この世にたくさんある」

「オスカー、あなたは、光の女のことを、何でも教えてほしいと言った」

「でも、1番深い部分は、言葉では知りようがないし、知らせようがない」

「オスカー、あなたが本当に光の眷属の女性のことを知りたいなら…」

「私たち光の女が1人の特定な存在に心を傾けることなど可能かどうかを、知りたいのなら…」

「私たちをその気にさせられるかどうか努めてみるといい、さもないと、それは難しいことと知ったほうがいい」

オスカーは、瞬間、言葉を失った。

オスカーは、今、自分が、挑発され、値踏みされ、出方を伺われているのだと、漸く、悟った

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