百神の王 21
挿絵・白文鳥さま

オスカーは、早鐘を打つ胸を必死に鎮めようとしていた。

太陽神スーリヤに縁深きものと言えば、ウシャスしかいないと思い込んでいた。

だから

「ここにいますは、スーリヤの片腕…いや両腕となって、そなたの地上での行いを助ける神々だ」

「夜明けの到来…つまり、そなたの披露目の儀まで些かの時間がある、その刻限まで、補佐役の神々との目通りを済ませておくように」

二神にそう紹介され、目合わされた人物の姿を見た時、オスカーは、心の底から驚愕し、言葉を失った。

「…オリヴィエ?…チャーリー?なのか…?」

そこには、もう2度と会うことはあるまいと思っていた、しかし、確かに、これ以上はないほど深い縁を結んだ友人達の姿があったからだった。

 

オスカーが紹介された二人の青年神は、掌と拳を胸元で合わせながらオスカーに向かって軽く頭を下げていた。火の眷属の最も一般的な礼の作法である。

頭を軽く下げているので、彼らの顔を、オスカーは、はっきりと見極められてはいない。また、彼らはオスカーには馴染みのない、見たこともないようなきらびやかな装束を身につけていたー特に自分の向かって右に立っているオリヴィエと思しき青年は、全身眩いばかりの黄金色で、眼がくらみそうだったーが、いくら何でも永年寝食を伴にした友人の姿は見間違えよう筈がなかった。

「オリヴィエ…チャーリー…なんだろう?」

二人の若い神が、揃って顔をあげた。1人はしたり顔のにやりとした笑みを浮かべ、もう1人は満面の開けっぴろげな笑みを湛え。

「今より以後、私のことは、サヴィトリとお呼びください。雄雄しきスーリヤよ」

「そして、俺のことは、プーシャンと呼んだってください、力強きスーリヤよ」

「!!!…何だって?おまえたちを、サヴィトリとプーシャンと呼べだと…?サヴィトリにプーシャンといえば、太陽の諸相を現す神々の一人にして、スーリヤの補佐をする神じゃないか…」

オスカーは絶句した。眼前に親しき友の姿を認めただけでも、信じられぬことなのだ。それが、彼らはそれぞれに自分を、数多き太陽神のうちの一人の名で呼べという。一体全体、どういうことなのかと、オスカーはあっけにとられるばかりだった。

「サヴィトリ」は、スーリヤの揮下、もしくは直属ともいうべき太陽諸神の一人で、太陽の金色の輝きを象徴し、その名は「鼓舞・激励するもの」を意味する神である。太陽の輝きと温もりで、万物の活動を促し、同時に、病を駆逐する力をもつ。一方、「プーシャン」は同じスーリヤ直属の太陽諸神の一人だが、太陽の保育・生育力、つまり生物を育む力を司る。また、その光で、道行く旅人を守り導き、迷える者にはその輝きで道を示す道祖神としての役割も持つ。それは、牛馬など家畜を守る力としても発現し、彼は牛馬を放牧途上の危険から保護し、畜舎まで道に迷わぬよう導いてやることを使命としている。ために、人界では、プーシャンは家畜の保護=財産を守ってくれる神としても信奉されていた。

共通するのは、この二神がともに太陽の持つ様々な諸作用のうちの一つを司り、太陽神スーリヤの使者であり補佐役であることだ。スーリヤは、地上のいきとしいける者全てを遥けき天空の道から見守り、導く。が、困難に喘ぐ者を見つけても、自身は終日太陽の馬車を御さねばならぬ身ゆえ、その場から動けない。ために、スーリヤの命をうけ、実際に実行するという補佐神が必要になるのだが、それが、サヴィトリとプーシャンの二神なのだった。

「ちょっと待て…オリヴィエがサヴィトリ、チャーリーがプーシャンということは、おまえたちは俺と同じ太陽神の1人で…これから、俺と一緒に、地上の命を導き守っていく使命を持つ、と…そういうことなのか…?」

いまだ、この事実が完全に信じられぬオスカーの口調は、些か懐疑的だった。が、眼前のプーシャン=チャーリーがにこやかな顔で、うんうんと頷いた。

「概ね、あたってますけど、正確にはちゃいますな、スーリヤは太陽神の中の太陽神、いや、百神の王や。地上に関わる全ての神々ー土・風・水・森をそれぞれ司る諸々の神を束ね、命を下し自在に使いこなす権限がある。俺とサヴィトリは、太陽神の一人いうても、太陽の持つ様々な諸相の、そのうちの一つを司る神。スーリヤからの命を直に聞き、それを、他眷属の諸神に伝えたり、実際に、スーリヤの意向を実行する役割をおうてます。だから俺らが、スーリヤと同じ太陽神の一人ちゅーのは、持ち上げすぎや、同じ太陽神いうても、同列においてええもんやない」

「然り。我ら、二人は、これより、新しきスーリヤの両腕として、スーリヤを支え、助け、共に地上に生きる者どもの道を照らし、導き、守るのが役目。終日、太陽の馬車を御し、天空の道より地上を見守るスーリヤに替わり、スーリヤの命を伝え、実際に行うもの…ってとこだね」

「以後、よろしゅうに。スーリヤの眼から見て気になること、やりたいことができたときは、なんでも遠慮なく、俺らに命じたってください、そのために俺らがおるねんやから」

「………そうか…それで、おまえたちは、あの時……」

「そゆこと!改めて、よぅ、きはった、オスカー、いや、スーリヤ、俺ら、ずーっとまっとんたんやで!」

「まったくだよ、遅いじゃないさ、私ら、あんたがスーリヤになり損ねたのかと思うところだったよ?」

「くっく…ははは…」

事態が漸くのみこめたオスカーは、いきなり笑いだした。そして、笑いはじめたら暫く止らなくなってしまった。つられたように、オリヴィエとチャーリーも笑い出した。

過日のことが思い起こされた。友人達が学徒寮での別れ際、あっさりすぎる程あっさり別れたわけと、オスカーに謎の言葉を残していったわけが、今、わかった。

彼らは、太陽のもつ諸相の一部を代表する亜・太陽神、スーリヤを助け補佐する協力神ともいうべき神になることを、打診されていたのだ。

そして、亜・太陽神となり、スーリヤの片腕になることが決まったーその道を自らの意思で選び取ってくれた彼らは、オスカーが、程なくスーリヤとして召された時、オスカーをびっくりさせてやろうと、自分たちの神職名を内緒にしていたのだろうということが、オスカーにはわかった。それは、彼らが、オスカーは必ずスーリヤの名を受け継いで、天界に赴いてくることを、信じていたからこそであったのだろうことも。

「…まったく、おまえたちも人が悪い…赴任先も教えてくれないで、行っちまうから、永年付き合った友人といっても、別れ際ってのは、こんなものかと正直思ってたんだぜ?」

「だってなぁ、オスカーは絶対、スーリヤになる気でおったやん、実際、まっしぐらやったし。だから、この仕事の話もらった時に、どうせ、また、すぐ会えるって思うたんや」

「そーそ、それで、どうせなら、オスカーがスーリヤとなって天界に来た時、びっくりさせちゃえって悪戯っ気が出ちゃってね」

「いや、俺らだって、ある意味、寝耳に水やったから。まさか、俺らが、天界から、スーリヤの補佐神の候補と目されてるとは思いもせんかったから。だって、俺なんて、元々風の眷属なんやで?」

「私も光の眷属だから…ま、確かに、太陽神は光と火の気の混交神だから、あんただって、混合神なんだけど、まさか、自分の中に火の気が育ってたなんて思ってもいなかったからさぁ」

「俺たちも驚かされた分だけ、オスカー、いや、スーリヤのことも驚かしたろ!って茶目っ気だしてもうてなぁ、な?な?びっくりした?」

「当たり前だ、俺が、お前たちの姿を見て、どれだけ驚いたと思うんだ、まったく…」

「やりぃ!俺らの叙任先、我慢して内緒にしてた甲斐があったちゅーもんやわ」

「そ、私たちだけ「びっくり」させらたんじゃ、不公平だからねぇ」

顔を見合わせてにっと笑う者二人と、それを見て苦笑する者一人、三人の若き神々は、誰から言い出すともなく、寛いだ様子で車座になった。

「つか、俺とオリ…サヴィトリで話してたんやけどな、昔、俺たち他眷属同士が同室にされてるのって、お互い良い影響を与え合うことを目されてるんやないかって、話したことあったやん?でもって、俺たち、結構気が合うとるいうか、仲良しやってん?だから、俺達、知らぬ間に、オス…スーリヤの影響受けて、火の力が内在するようになってたんかなぁ、て」

「ただ、多分、私たちって、就きたい仕事ややりたい事への適性から、最初から、私はサヴィトリ、チャーリーはプーシャンの候補には挙がってたとは思うんだ。昔からチャーリーは言ってたじゃない?同じ風を吹かすなら、人や動物が気持いいって思えるような風を吹かせたいって。いくら力が強くても暴風神にはなりたくないって。だから、そういう、生き物を幸福にしてあげたいと思う気持とか性格が評価されて、プーシャンが向いてると認定されたんだと思う。私は私で…インドラみたいな暴れん坊は真っ平ってことまで決まってたんだけど、そこから先は、漠然と、光の力で、生き物を励ましたり、元気付けたりする神様がいいなって考えてたんだ。そしたら、私に「この神の御名を継ぐ意思はあるか?」って提示されたのが「太陽の黄金の輝きを象徴する、鼓舞・激励の神サヴィトリ」じゃん。太陽神になるなんて、自分じゃ思いもつかなかったけど、言われて見たら、私にぴったりっていうか、まさに、なってみたかった神さまだったっていうか。天界って、私らが思っていた以上に、私らの適性考えてたんだなと感心しちゃったよ。このキラキラしいサヴィトリの装束も気に入ってるしね」

オリヴィエ=サヴィトリは、自ら光を放っているかのように眩く金色に輝く衣の裾を手にとり、ひらひらとひらめかせた。

「確かに、そこまで派手派手しい衣装だと、着る人間を選ぶな…その衣装に神経が耐えられるという意味でだが…いや、恥知らずかつ鉄面皮としての素養の方が重要か?」

「はん!着こなせるだけのセンスが、の間違いでしょ、でも、真面目な話、私ら二人は、スーリヤの直属の補佐神の候補とみなされていたから、スーリヤになりそうな素質のある火の子と同室にされてたんだと思う。異なる資質の3眷属がお互いに、いい影響や刺激を与え合い、潜在する力や素養を育て、開花させられるようにって」

「で、スーリヤになれそうな素質と実力もあって、なおかつ、3人それぞれが気が合うて、長い年月でも上手くやっていけそうな火の子が来るのを、天界は目論んでまっとった、ちゅーわけやろな。だから、俺らの部屋って、オスカーが来て落ち着くまで、火の子がとっかえひっかえ来とったけど、俺ら二人だけにされる暇ってあらへんかったし、他眷属が同室になることもあらへんかった。それは、俺らは、スーリヤの補佐神候補やったからなんやな、って、神職名提示された時にわかってん」

「で、あんたと、私たちは、なんていうか馬が合ったし、あんたがスーリヤ一直線ていう目標を持っていることを、私たちも知らされてたから、太陽諸神の名を継ぐ意思があるかどうか打診された時に「ああ!」って腑に落ちたっていうか。チャーリーと二人で、オスカーと一緒に仕事ってのも楽しいかって思えてね、即答しちゃったよ」

「正直いうとな、オスカーが、どうして、あないにスーリヤになりたがってたのか、俺にはわからんかってん。今もやけどな。でも、暴れん坊の風神の1人に任じられて吹かしたくもない暴風吹かすよりは、地上の生き物や旅人を助け導く神様になるほうが、自分でも性にあっとんねんな、思えたんで、俺も、二つ返事で承知したってん。で、オリヴィエと…サヴィトリと二人して、オスカーがスーリヤになって、天界の最上層来るのを待ったろ、ちゅーことになってなぁ」

「でもねぇ、あんたが、ここに来るまで思ったより時間がかかったから…中々ここにあがってこないから、正直、ヤキモキしてたんだよ、特に、チャー…プーシャンは」

「せやせや、俺ら、せっかくのサプライズ目論んどったのに、無駄になったらどないしよーと、心配してたんやで?つか、オスカー…やない、スーリヤがスーリヤにならへんかったら、俺ら、なんのために太陽諸神になったん?ちゅーのもあったし、なにより、俺ら、オスカーに行く先も告げんとバイバイしてもうた、ものすごい薄情モノになってまうやん!って、もう、はらはらしとったわー。スーリヤがスーリヤになってくれて、ほんま、よかったー。ごっつ安心したわー」

「そーそ、だから、プーシャンったら、あんたがここに来るってわかるまでは、ずっと心配しどうしで、挙句の果てに「やっぱ、きちんとオスカーに俺たちの神職名告げた上で「天界での再会、楽しみに待っとうからなー」って言うておくべきやったかもしれん」…って愚痴愚痴、ぐちりだしてさぁ」

「そないこというたかて、心配やったんやもん、しゃーないやん!だって、元々、俺は、プーシャンとして召し上げられるってわかった時、オスカーに『オスカーが無事スーリヤになったら、俺ら、これからもずーっと協力しあって一緒に仕事できるでー』って言いたくて、うずうずしてたんやし」

「ああ!だから、学徒棟を出て行く前の日、おまえは、何かそわそわ、落ち着きなかったんだな」

「自分から『せっかくやから、サプライズしたろか?それ、おもろない?』って言い出したくせに、人がいいし、楽しいこと嬉しいことは黙ってられないタイプだからさぁ、チャー…プーシャンは」

「その点、おまえは涼しい顔した鉄面皮だったな?」

「ふふん、ちゃんと「待ってるよん」って言っておいてあげたじゃん?あれでわからないほうが悪い」

「で、オスカー…やない、スーリヤ、改めて、おめっとうさん。漸く、本懐遂げたんやな」

「…ああ」

「あれ、積年の願いが叶ったにしては、イマイチ、すっきりしない顔みたいだけど?」

「今だから…そして、おまえたちだから言うが…スーリヤになるのは、確かに俺の目標だったし、スーリヤの務めが栄誉ある崇高なものであることも、最高にやりがいのある仕事であることもわかっている、が…実を言えば、スーリヤになること自体が、俺の本来の目的ではない。これは、あくまで、ある目的をかなえるための手段であって…俺の目的をかなえるためには、スーリヤになるしか術がなかったから、俺はスーリヤを目指していたんだ…」

「え?スーリヤになることは最終目標じゃなくて、あくまで手段?じゃ、あんた、一体、何が目的であんなにスーリヤになりたがってたのさ?」

「おまえたち、これから行われる、俺の…新スーリヤ披露目の儀には出席するんだろう?」

「あったりまえじゃん、私たちは、いわばあんたの両腕だよ?」

「あ、俺、実は、それ、すっごい楽しみやってん。新スーリヤ就任の折には、必ず、花嫁さんのウシャスさまが神殿にご降臨なされるらしいんや。新スーリヤにご降嫁しなはるから。てことは、俺ら、天界一きれいいわれちゅー女神様をこの目で見られるんやで?ウシャス様は天空の道以外では滅多に実体化しはれへんいうから、ヴァルナ様やミトラ様でさえ、ウシャス様にお目にかかる機会はそうそうあらへんいうやん?なのに、俺らは、神様になった途端、そのウシャス様を遠目でも拝謁賜れるんやで?一介の風の子、どころか、相当位の高い風神だって、望んだって叶わない役得や。ほんと、プーシャンに任命されて、めちゃラッキーやわ、自分」

「…そう、その時、わかる…多分、自ずとわかるだろう…」

「え?何が…」

「俺がどうしてもスーリヤになりたかった訳だ」

「披露目の儀に出席すればわかる…?って、それ、どういうこっちゃ?」

「…普通の神様は、ミトラ様の前で誓詞を唱えて、ヴァルナ様から神器を授けられれば叙任の儀はおしまいだけど、スーリヤだけは更にウシャス様との婚儀がセットになってるから仰々しい披露目の儀があるわけで…披露目の儀ってのは、つまるところ、新スーリヤとウシャス様の婚儀のお披露目なわけで…てことは…あんた…まさか、やっぱり、ウシャス様目当てでスーリヤ目指してたわけ?この世で最も美しいという女神さまを自分のものにしたくて?それだけの理由で?」

「え?え?じゃ、昔、言うてた遠距離恋愛はどないなってんのん?…だって、オスカー、今も、あの耳飾つけてるやん。てことは、昔、会うてた彼女のこと、忘れてへんのやろ?」

「…ああ…」

「…正直、私には、信じられないんだけど…見たこともないのに、美人だってだけでその女性を欲しがるってのは、ピカピカ光る勲章を欲しがる子供と同じレベルだと、私には思えるし、でも、あんたって、その程度の男だったっけ?とも思うわけ。ちょっと納得いかないっていうか…」

オスカーが少し哀しげに、自嘲気味に笑んだ。

「…美人なら誰でもいいのであれば…俺だって数多の美女を知っている…俺のこの気持だって変わってしかるべきべきだったろう…だが、俺が欲するのは…どうあっても彼女だった…彼女だけだった…」

「?…どういうこっちゃ…」

オスカーは、そこで言葉を途切らせ、なんともいえぬ、切なそうな苦しそうな顔をして、黙り込んだ。

そのオスカーの表情に、オリヴィエは、かねてからの疑問を思い切って口にした。

「…ね、前から聞いてみたいと思ってたんだけど…今までは、触れちゃいけないかと思って遠慮してたんだけどね、あんたの左耳の耳飾って…元の持ち主は光の眷属の女性じゃないかい?」

「…そうだ…」

「…それを手にして、あんたの耳につけた時のこと、私、今でもよく覚えてるよ。私たちがいた下層域では、とんとお目にかかれないような、信じられないほど高雅で清明な気が、その耳飾からは発せられてて…私、ものすごく不思議に思ったから。だって、あの時のあんたは、まだ女神神殿に脚を踏み入れてなかったし、光の女性の学友もいなかった。いや、元々、一介の光の子が発するようなレベルの気じゃなかったと思うし、聖娼でさえ、あれほど高貴で清らかな気を持ってるものじゃないと…私は、ずっといぶかしく思ってたんだ。あんたに、その耳飾をくれたのは…こんなにも気高く清しい気の持ち主って、どんな女性なんだろう?ってね」

「………」

「その女性は、光の女神の1人じゃないのかい?」

「…そうだ」

「!…」

オリヴィエ=サヴィトリは、一息、息を飲んだ。

「それって…まさか…やっぱり…でも、信じられない…一体、どうして…」

「え?え?どういうことやのん?俺にはさっぱり、わややわー!」

「それは…長い長い話になる。今思えば、導かれ、引き寄せられた運命だったとしか思えない。あの当時の俺には、どうしても彼女のような存在が必要で…彼女は、そんな俺の渇望、心の飢えを感じ取り…どうにかしたい、どうにかせねばと思っていたのに、どうすればいいのかわからずに膝を抱えていた…俺の魂が足掻きもがいていた様を感じ取って、哀れと思し召し、俺の前に現れてくれたとしか…思えない…」

「あんた、それって…」

オリヴィエが、耳飾の送り主の正体を、オスカーの口からはっきり言わせようと…オスカーの言葉、態度、そして今までの行動から考えて、送り主はあの女神としか考えられない、だが、そんなことありうるのか?天空の道上にしか存在できない、太陽の光が眩く照るほどに大気に溶けていき、霧消してしまうといわれる儚い女神に、神になる以前に、オスカーは、どうやって会っていたというのか、ましてや、耳飾を賜るほどの密な関係をどうやって築いていたというのか…直に詳細を聞かねば、とてもではないが信じられない、いや、聞いたとしても信じられるものかどうか…そう思って、更にオスカーを問い詰めようとした時だった。

不意に部屋の扉が開き、下位の女神の一人が静々と入室してきて、若き神々に発言の許可を請うた。

「まもなく、東の神殿に、暁紅の女神・ウシャス様が降臨なされるという先触れが、夜の女神ラートリーさまの御名で参りましてございます。スーリヤ様におかれましては、ウシャス様とのご婚礼の儀を挙げていただくため、東の神殿においていただきたく、また、サヴィトリ様、プーシャン様は、そのご婚儀の立会をお願い申し上げたく…」

「!!!すぐ行く!謹んで疾く参上するとお伝えしてくれ。おい、行くぞ、おまえたち!」

使者の女神が口上を皆まで言う前に、オスカー=スーリヤは、がばと勢いよく立ち上がった。

その、オスカーの「待ちに待ちかねた」とでもいわん態度、そのくせ、楽しみに浮かれるような気配は微塵もなく、むしろ、下される判決を前にした囚人のように、オスカーが全身に痛いほど硬く強張った緊張を漲らせている様子を目にして、オリヴィエは、更に不可解な思いを抱いた。

こいつは、ウシャスの人となりを本当に知っているのか?ただ単に絶世の美姫を、自分のものにしたいと思っているのではなく、ウシャス個人を欲し会いたがっているのか?あの耳飾は本当にウシャスのものなのか?でも、そんなことが、ありうるのだろうか…。

いや、婚儀の席でわかるだろう、オスカーが、どういう気持で、ウシャスを熱望しているのか。ウシャス本人があくまで儀礼的に婚姻の儀に臨むのなら、オスカーの切望は、単に憧れの思いが生んだ一方的なものだろうし、それが当然なのだろうし…

そんなことを考えながら、案内役の女神の後をいかにも張り詰めた様子でついていくオスカーの様子を見ながら、更にその後ろをオリヴィエはついていった。一人、チャーリーだけが、どうにも不如意な顔を見せていた。

 

東の神殿は、天空界の上層部にある中では、極小規模な神殿である。

通常、東の神殿に殿上できるのは、極めて少数の者に限られているためだ。基本的には、天空に深くかかわりのある神々ー夜の女神ラートリー、暁紅の女神ウシャス、太陽神スーリヤ、月神ソーマの4神と、その神々に仕える補佐神、及び、神々の操る神馬の世話などを行う随身及び従者のみである。それに加え、全世界・全神を監督する立場にある蒼穹神ヴァルナ及び、契約神ミトラの両神が、執務の必要に応じて、たまさか、訪れるくらいである。

この東の神殿は、太陽及び月が運行する天空の道の出発点であり、ウシャスの紅色の牝馬も、太陽の馬車もここ東の神殿より出立する。一般に、気位が高く気難しい神馬たちを部外者が無用に刺激しないためにも、この東の神殿はヴァルナ・ミトラの両神により、厳重な結界が施され、上記した関係者以外の立ち入りは制限されていた。

が、数世紀に一度、この結界が部分的に解かれ、他世界・他眷属の神々が東の神殿に集う時があった。新スーリヤの就任及び新スーリヤと暁紅の女神の婚儀と披露目の折である。

ただ、元来小規模な神殿で行われる儀式であるがゆえ、この披露目の儀の参列者は、各界・当代の最高神に限られていた。結界を一部緩めるというのは、いわば網の目を若干大きくするといった程度のことで、属する五界は問われないが、最高神レベルの神気を持つ神でないと、緩められた結界も通り抜けられない。つまり、最高神以外は結界をくぐりぬけることはできず、而して神殿にも入れないので、神殿が開かれるとはいっても、ウシャスとスーリヤの婚儀は、大半の汎神には遠目から垣間見ることも叶わない高嶺の儀式であった。ために、たまたま、スーリヤ交替の折に、その時々で最高神の地位にいた者は、高位の神であっても、そのめぐり合わせの幸運を、謙虚に天父神ディヤウスに感謝した。他眷属の神がウシャスの姿を直接目にする機会は、それ程までに、貴重で稀有なものだった。

そこまでの事情は知らなかった上、言葉は悪いが、いわば「もっけの幸い」で、この儀式への参列の機会を得たオリヴィエ=サヴィトリには、周囲をよくよく見回す余裕があった。

案内された神殿の広間には、中央の通廊を挟む形で、この場に参列する資格のある各界の最高神が、既に処狭しとひしめいていた。参列者の絶対数は決して多くはないのだが、混雑している印象を受ける。神殿自体が広くはない上に、広間は横長の長方形で、通廊がその中央を横切っている、つまり、通廊自体は短く、通廊の左右両方の空間の方が広く取られているという、参列者には不親切な形状であるからだ。神々のうちで、空を飛べる風神や光神はそれぞれ高低差をつけて上下に分かれて浮遊し、飛行能力をもたない土神や水神は少ない通廊際を争って前へ前へと出ようとしているので、どうにも会場全体が雑然と見えてしまう。

広間を貫く通廊の突き当たりは僅かに高い壇になっており、オスカーがその壇上の中央に立ち、オリヴィエはチャーリー=プーシャンと共に、花婿・スーリヤの介添えとして、その両隣を固めるように、かつ、1歩後ろに控えて立っていたので、このように会場全体の様子をざっと把握できたのだが。

それにしても、ウシャスとスーリヤの披露目に使うには、この神殿は、些か小規模にすぎないかとオリヴィエは思う。無論、壁面や柱の彫刻は緻密を極め、内装は豪奢で手が込んでいることは一目でわかるのだが、なにせ、神殿の入口から壇上までは精々十数歩の距離といったところしかない。

神々はその短い通廊の外側に十重二十重に折り重なるように列席しているので、個々の神々は誰が誰やら見分けにくい。

神になったばかりの若造の身では、一目で誰がどの神かは、尚のこと、わかりにくかった。長い水色の髪を持つ優美な容姿の神は恐らく水神か河神であろうが、一見、女神なのか男神なのか判じかねた。自分サヴィトリと同じほどに全身が金色に輝く神もいる。厚い胸板を誇示するような装束で、大きな戦杖を掲げる様は極めて男性的であると同時に、些か横柄な雰囲気も漂わせていた。儀式が始まる前から既に神酒ソーマで深酔いしている様子でもあったため、あれが、酒好きな乱暴者で有名な雷神インドラではないかとオリヴィエはあたりをつけた。

が、オスカー自身はかなり緊張した面持ちと生硬な態度で、生真面目な優等生のように、視線を微塵も外さず扉を注視しており、とてもではないが、周囲を見渡す余裕はないようだ。今のオスカーの目には、望む女神の姿以外何も入ってこないかもしれないとさえ、オリヴィエは思う。

もちろん、オリヴィエとてウシャスには興味があった。会場が広くないのが幸いして、扉が開けば、そこに佇む人との距離はさほどではないから、その姿をつぶさに見られるはずだ。喧伝されている女神の美しさが、どれ程のものかという俗っぽい興味ももちろんだが、それ以上に、彼女の耳朶にオスカーと同じ耳飾があるかどうか、どうしても、それを、この目で確かめずにはいられないとオリヴィエは思っていた。

そして、もし、女神が片方の耳朶にしか耳飾をつけておらず、それが実際にオスカーのものと同じ形状だったら…信じられないことだが、オスカーは幼少の砌、どういう経緯でか、ウシャスとまみえ、耳飾を直に賜るほどの厚情を授かり、また、オスカーもその主をウシャスと承知の上で、ひたすらに彼女との再会を望んで、スーリヤの地位を一途に目指し、尽力してきた…ということになる。

オリヴィエは、オスカーのスーリヤの地位にかける妄執ともいえるほどの凄まじい執念と情熱、また、そのためのたゆまない努力の軌跡をよく見知っている。比較的座学の多かった自分やチャーリーと異なり、オスカーは、言葉どおり、日々汗とどろに塗れ、精神的にも肉体的にも力の限りを尽くしてきていた。特に、自分たちが神に叙される直前のオスカーは、多忙を極めるどころではなかった。同室の誰より早く起床し、真っ暗になってから、くたくたになって帰ってきては、自分たちに一言挨拶だけすると力尽きたように寝台に倒れこみ、秒の単位で熟睡してしまう。元々頑健で鍛錬も欠かさなかったオスカーがそこまで疲れきるほど、厳しい課業が続いており、それでもオスカーは、決して弱音や愚痴を零したりはしなかった。自分の記憶にあるあの1度を除き…そして、あの時以降は決して。

オスカーの、遥か高き目標に向けての精進と、決して目標を諦めない強い精神力、その努力の軌跡をオリヴィエは誰よりもよく知っている。そして、それらの尽力が全てウシャスとの再会を期してのものであるのなら…それを思うと、オリヴィエは、今、当のオスカーとは別の意味で、祈るような気持で、ウシャスの到来を待たずにはおれなかった。

オリヴィエはウシャスがどんな女性なのか、当たり前だが、よく、わからない。

だから、オスカーがどれほどの力を尽くし、今の地位を勝ち取ったか、ウシャスはわかってやってくれるのか、心配だった。また、たとえ、オスカーに耳飾を賜ったことが事実でも、それは、どんな気持から生じた行為だったのか、それも、不安の種だった。高位の女神が、純粋な思慕を捧げる少年のことを、ふと思い出し、ほんの戯れか、単にかわいいと思ってか、軽い気持で耳飾を授けたりしていたらーそれは、とても、ありそうなことに思えるーオスカーが、痛々しいほどに熱くひたむきな思いをウシャスに抱いているのが、今は、はっきりとわかるからこそ、オスカーが思うような気持を、ウシャスもまた抱いてくれているとは、オリヴィエには信じがたかったし、だからこそどうしても憂慮せずにいられない。

だって、彼女は宇宙創生の折から、この世に夜明けをもたらしてきた、最も由緒ある格式高き女神の一人なのだ。自分たち、新米の神とは比べることも恐れ多いほど格が違いすぎる。また、オスカーと一緒に検証した資料が事実なら、彼女は、数え切れぬ程の太陽神の花嫁となってきた女神でもある。無数ともいえる当代きっての火神と深い関係を結んできた女神が、当時、一介の火の子でしかなかったオスカーに、深き情を傾けることなど、到底あるとは思えない。悪気はなくとも、手慰みに、純情な少年を、ちょっとかわいがってみた、というのがいい所ではないのか…という懸念が拭えないのだった。

だからこそ、オスカーも、あんなに緊張しているのではないのか。自分が、どれほどひたむきに、真剣に思いを寄せたとしても、なにせ彼女は女神の中の女神、天空界一の美姫と称される女神だ、熱き賞賛など当然のものと思っているかもしれない。年経るうちに、下手をすれば、今は、オスカーの存在すら、忘れていることだってありうる。

いや、たとえそうだとしても、オスカー自身はそれでいいと思っているのかも…納得ずくなのかもしれない。自分が憂慮する事態など、あの聡明なオスカーなら疾うに考慮しているだろう。考えに考え抜いて、どんな結果になろうとも、それでも、ただ、ひたすらに、ウシャスに会いたくて、会えればそれでいいと、結論したのかもしれない。もし、忘れられていたとしても、公的に、ウシャスはオスカーの花嫁になるのだから、これから、また、親密な仲になることもできようし。オスカーも、今は、立派な青年神なのだから…

ここまで考えていたところで、オリヴィエは、思考を不意に断ち切られた。

「よう、あんたが、新しいスーリヤか?」

と気さくな口調で、オスカーに声をかけてきた者がいたのだ。

「あ、ああ…」

緊張に張り詰めていたオスカーが、面食らったように振り向いた。

オスカーに声をかけてきたのは、銀の短髪と赤銅の肌、そして紅玉の瞳を持つ線の細い少年だった、かなり年若い少年に見えたが、この場にいるということは、すなわち、並ぶもの無き高位神の一人であることは間違いない。外見からは、一見どの眷属の何神なのか、オリヴィエには判断しかねた。表情からオスカーも、この少年神にどう相対するべきか、戸惑っているのが見て取れた。

「おめー、さっき、ヴァルナから火の鞭をもらったろ?あれ、ただの鞭じゃねーからな。俺が改良に改良を重ねて、ぼたん一つで、7頭の神馬のそれぞれに狙いすまして力を伝えられるようにした優れモンだ。力の強弱も思いのままだぜ。精々、使ってやってくれよな。万が一、調子が悪い時は、いつでもメンテすっから、気軽に、俺に、声かけてくれ。俺の作ったものに関して不具合はありえねーんだが、ま、一応な」

「君…いや、あなたは…失礼だが…もしや、工巧神トバシュトリさまか?」

上品とはお世辞にもいえない言葉使いに、砕けすぎとも思われる態度は、どこにでもいる下街の少年のようで、とても高位神とは思えなかったが、会話の内容からその神の素性をオリヴィエもオスカーと同様に推測した。オスカーがあっけに取られ、信じられぬという口調で、この人物の素性を確かめようとしている心情も同様によく理解できたが。

「そーだ、俺様が工巧神トバシュトリだ」

少年は得意げに、己の胸元を親指で指し示しながら、オスカーたち3人を見上げた。というのも工巧神は彼ら三人よりかなり小柄だったからだ。小柄だから、尚更若々しく感じられるのかもしれなかったが、オリヴィエにはー恐らくオスカーにも、数々の不思議で有用な品々を無数に開発・発明している神が、ここまで若いとは想像の埒外だった。

「んだよ、その鳩が豆鉄砲くらったような顔はよぉ、ま、俺様の若さに驚くのも無理ねーけどな、俺は、ガキの時分に発明の才を見込まれて、いきなり神にされちまったクチで、元々は人間だかんな。俺様としては、在野の天才発明家のままでも一向に不都合はなかったんだが、神様になれば、ちょちょっと依頼の品を作るだけで、後は研究費も材料費も使い放題、何作ってもコスト意識しなくていいってのが魅力でよー。実際、10代のままの肉体保ってるから、この目の良さと手先の器用もずっと保たれて、何作るのにも便利ってのは否定できねーんでな、仕方なく神様を続けてやってるって寸法だ」

「……」

オスカーが、どう応対したものか判じかねているのが、オリヴィエにもわかった。自分だって同様だからだ。何せ、見た目は少年でも、そして実際に、その態度も口調も、市井の少年のようであろうとも、彼は自分よりずっと先輩格の神だ、不用意に気安く相槌を打つのも、弁えのない振る舞いだった。

「それに、神様やってるおかげで、ウシャスのあのかわいらしい顔が拝めるんだから、文句はいえねーな。おめーはいいよなぁ、スーリヤ。俺らは何百年かに1度しかウシャスの顔をみられねーけど、おめーは、これから毎朝ウシャスに会えるんだからよぉ。あ、ちなみにおめーが操る太陽の馬車を今の重戦車仕様に改造したのも、この俺様だ。メンテは日没後に俺の工房でやってるから、常に整備は完璧だぜ。おめーは安心して、毎朝、馬車走らせてウシャスを追うがいいぜ」

「それは…恐れ入る」

「いいってことよ、太陽の馬車が追いかけてこなかったら、ウシャスが天の道で困っちまうだろうからな。じゃ、俺は、ウシャスの顔がよく見える特等席に行くからよ」

言いたいことだけ言って、少年神は、とっとと何処か姿を消してしまった。

いかにもはしっこい、回転の速そうな少年神だなとオリヴィエは思った。

神は、見かけの年齢で判断できないとは思っていたがー神力がピークに達したと思われる時に、神職を拝命する以上、若くして、成長のピークが来た神は見かけ年齢が若いということも理屈ではわかっていたが、それにしても工巧神は若かったが。が、実年齢は、やはり、自分とは比べ物にならないらしいこと、その工巧神でさえ、ウシャスに熱心に会いたがっていることを思うと、やはり、ウシャスはそれほどまでの魅力があるということなのだろうか。

しかし『何百年かに一度』という、少年神の言葉がオリヴィエにはひっかかった。それがもし、太陽神交替の折を意味しているのならー実際、太陽神は頻繁に交替していたーそして、何気なく口にできる程度のことなら、彼ら高位神にとって、太陽神の交替は些細な日常茶飯事、地位を失い引退する先代の太陽神に労いや気を使うことすら頭に昇らないような瑣末事なのかもしれない。即位があるということは退位もあるということ、つまり、オスカーもまた、いつか、若い太陽神にこの地位を譲らざるをえないこともまた自明である。オスカーは、当然、それも承知、覚悟のうえではあるのだろうが、実際に「何百年かに一度」の交替を遠まわしに改めて覚悟をさせられたような気がして、オリヴィエは、オスカーの心情を案じた。

と、その時、朗朗とした声が、花嫁・ウシャスの到来を告げた。

ざわついていた神殿内が静まり返り、皆が皆、神殿の扉を注視する中、ゆっくりと扉が開いた。

扉の中央に、少女と見まごうばかりの、華奢な女性が立っていた。

その両脇をヴァルナ・ミトラの両神がしっかりと守るように固めており、華奢な女性のすぐ後ろには、若干背の高い、青紫の髪を持つ、艶麗な美貌の女神が控えていた。

一見するや、端麗な容貌だけなら、長身の女神の方が麗しいかもしれない、青紫の髪の女神はなんとも玲瓏な美貌の持ち主だ、とオリヴィエは思い、二人の女神のうち、一体、どちらがウシャスなのだろうと、迷った。が、諸神の中央に佇む少女のような女神が、夢見るように僅かに面を上げ、前に進み出すや、オリヴィエはその女神から一瞬たりとも視線をそらせなくなった。



陽の光が優しく凝ったような、ふんわりとした金の巻き毛。伏目がちであったが、瞳は、零れ落ちんばかりに澄み切った翠緑の色であることがわかる。すんなりと伸びた肢体、流麗な身のこなしの一つ一つから、なんともいえぬ美質が自ずと漂ってくるかのように思えるのは、姿勢や何気ない仕草、立ち居振る舞いの全てが、麗しい品格に溢れているからだ。それでいて、近寄りがたさは微塵もなく、むしろ、優しく暖かく、人懐こい柔らかな風情がにおい立つ。かわいらしい口元にほんのりと浮かんだ笑みは、無垢な童女のようにあどけなく、同時に、不思議と限りない包容力をも感じさせる。が、あくまで微笑みであるがゆえか、その笑みはどこか儚げでもあり、もっと、満面の屈託ない笑みを見てみたい、と自然に思わせる。男が思わず抱きしめたくなる、抱きしめて、力の限り守ってやりたくなるほどいたいけでありながら、かといって、ただ弱弱しいともいえない。その笑みは、この世の全てを包み込むような限りない慈性も感じさせるからだった。

オリヴィエは、この女神の、このとらえ所のなさ、一言では形容しがたい魅力が、自分を含め、人の目をひきつけてやまないのだと感じた。少女のように可憐な風情なのに、見るからに高雅で品格があり、無垢でいながら慈母のごとき限りない優しさを漂わせている。人懐こい愛くるしい雰囲気の中、身のこなしは踊り子のように流麗で、なんともいえぬつやがある。聖らかにして艶やか、無垢であどけない少女の外観に、慈母のような優しい風情と、舞姫の艶麗さを同時に感じさせる。それら相反する美点が混然一体となり、プリズムかオパールのように、刻々と異なった輝きを見せる。だから、一刻たりとも目を離したくないと思わされるのだ。

加えて、透けるような乳白色の肌に、燃えるような真紅の衣ー花嫁の色だーがよく映えているが、衣装とは別に、その全身からも、燃え立つように美しい、まさに、夜明けの空そのものの紅色の光輝が立ち昇っているのが、はっきりとオリヴィエの目には見えた。彼女の身を彩る艶やかに澄んだ紅色のオーラが、更に人目をひきつけてやまないのだった。

ただ『美しい』という一言で評せる女神ではなかった。

多分、まちがいない、この、一見少女と見まごう女神こそ、恐らくウシャスその人だと、オリヴィエが判じた時だった。

オスカーが、感極まったように、呟く声がオリヴィエの耳を打った。

「…アンジェリーク…アンジェリーク!」

え?何?誰のこと?とオリヴィエが思う間もなく、そのオスカーの声を耳にした途端、控えめに瞳を伏せていたウシャスが、はっとしたように顔をあげた。その瞬間、彼女の顔からは全方位に向けた曖昧な笑みは消えさり、替わりに、真摯な瞳が、恐いものでも見るかのように、こちらを、ひたとみすえていた。

その片方の耳朶にだけ、小さな球体から鋭い閃光が迸るような意匠の耳飾が揺れているのを、オリヴィエは信じられぬ思いで、だが、はっきりと見て取った。

が、次の瞬間、耳にした言葉は、もっと信じられなかった。

「オスカー…?オスカーなの?本当に?オスカーなの…ね?」

その場にいた神々で、オスカーとは新スーリヤのことだとわかったのは、自分オリヴィエとチャーリーの二人だけなのは自明だった。会場の神々は、ウシャスがいきなり何を言い出したのかわからず、あっけにとられるばかりだったからだ。

そして、オリヴィエは、ウシャスがオスカーの名を知っていることで、彼女が過日オスカーと心を通わせていた事実を、一瞬にして確信した。

「そうだ、アンジェリーク、君に…ただ、君に会いたくて、俺は…」

「会いに…私に会いに…本当に来てくださった…オスカー…オスカー!」

いきなりオスカーが、弾かれたように、壇上からだだっと勢い良く駆け下りた。

同時に、ウシャスが、ヴァルナ、ミトラの両神のエスコートを振り切るように両手を広げて数歩前に出た。

次の瞬間、目にしたことは、更にオリヴィエの…いや、会場中の神々の度肝を抜いた。

吸い寄せられるように駆け寄った二人は、固く固く互いの身を抱きしめあっていた。

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