百神の王 24

すっくと立った夜の女神ラートリーは、横目で値踏みするように、オスカーをみやった。

「…光の高位神の一員となったその日から念話を使いこなせるとは、思いもよりませんでしたわ、若きスーリヤよ。天空神として、思念での呼びかけには、応じないわけには参らぬことをご存知でいらしたのだとしたら…恐れ入りましたわ。色々な意味で、型破りなスーリヤというのは伊達ではございませんことね」

『肉声のみでの呼びかけだったら、聞こえない振りをして無視してやれたものを…』と、いわんばかりのラートリーの言葉だった。美しい女神の皮肉たっぷりの文言に、オスカーも、思わず、にやりと、したり顔で応対してしまう。

「麗しきラートリーよ、これも、あなたのおかげだ。幼少の砌、あなたが、俺の頭の中で、思念で会話するとはどういうことか、身をもって教えてくださっていたからこそだ。おかげで、天空の高位神がどのように考えを伝え合うかも察しがついたし、念話のやり方も、すぐ勝手がわかった。頭に響く音量の調節の仕方も、あなたのおかげで、どの程度が適量か、よく、わかっていたしな」

ラートリー女神が、宵闇の色の瞳を極限まで見開き、ついで、ぎり…と形の良い唇をかみ締めた。

「まさか…まさかとは思いましたけど、スーリヤ、あなたは、やはり…」

「ラートリー、あなたには感謝している、皮肉ではなしにだ。あの時、あなたが現れてくれなければ、俺は、アンジェリークがウシャスだと気づかなかったかもしれない。アンジェリークは、ウシャスであることを、俺に、ずっと、黙っていたから…そして、彼女に触れていいのは、太陽神スーリヤだけだと、あなたが俺の頭の中でまくしたてた何気ない一言が、俺をこの地にまで導いたともいえるのだから…」

「…それは、まったく迂闊なことを申し上げってしまったものですわ。本当に口は災いの元とは、このことですわね。まさか、あのみすぼらしい火の子が、長じてこんな処にまで…いえ、とにかく、お礼には及びませんことよ。それにしても、そんなことをおっしゃりたいがために、私、このラートリーを、わざわざ呼びつけた…なんてことは、まさか、ございませんわよね?スーリヤは天則に定められし百神の王なればこそ、私も、あなたの呼びたてには従いますけど、天の様相を司る神の一人としての地位は本来、対等。ましてや、礼の言葉を言うのなら、私を呼びつけるのではなく、あなたの方が私の元に脚を運ぶのが筋ではございませんこと?今度、こんなくだらないことで、私を呼びたてなどしようものなら、ウシャスがなんといおうと…」

「そう、聞きたいのは、そのウシャスのことだ。もちろん、俺は、あなたに礼の言葉を述べるために、あなたにお越しいただいたのではない、ラートリーよ。俺は、最初に『あなたに、質したいことがある』といったはずだ」

「!っ…ん、まぁ…」

「アンジェリークのことで…ウシャスについて、あなたに聞きたいことがある。俺の質問に答えてもらいたい」

「スーリヤ、あなたのどこに、そんな権利があるとお思いですのっ!」

「俺は彼女の夫だ、だが、夫であるはずの俺に、天界は、彼女のことを…通り一片の上滑りな知識以外、俺に教えようとしない、だから、俺は、あなたに尋ねたいんだ。ウシャスとは姉妹であるあなたに…誰よりウシャスと近しいであろう、あなたに…」

「何故、私なら、あなたの問に答えるとお思いですの?何も話さないとは、思いませんの?大体、私に答える義務があるとでもお思い?」

「ラートリー、あなたは…何よりもまず、ウシャスの幸福を考えている、違うか?」

「!…それは、その通りですわ」

ツンとそっぽを向きながらーなんともわかりやすいボディ・ランゲージだとオスカーは思うーラートリーは言葉の上では肯定の返答をした。

「俺も同じだから、わかる。俺は、アンジェリークを大切に思うから、まず、彼女の幸福を第一に考える。大切なのは、彼女自身と、彼女の幸福だけだ。そのために、彼女の現況を能う限り知りたい、彼女が置かれている客観的な状況を知らなければ、これからの彼女の幸福を考えようがないからだ」

オスカーのこの言葉に、ラートリー女神はかっと瞳を見開き、再び、オスカーを真正面からにらみつけた。

「若きスーリヤ、いくら百神の王といえど、あなたのお言葉は、私には到底聞き捨てなりませんわね。あなたの言いようを聞いていると、まるで、今、あの子は幸せではないかのように…私たちが、あの子を、不幸な境遇に置いていると言っているように、聞こえましてよ!」

「俺は、そんなことは一言も言っていない。彼女の現況を知りたいという俺の言葉に『含み』を感じとるのは、あなたの勝手だがな。だが、そこまで言うのなら、ラートリーよ、あなたは、ウシャスが、今、幸福だと言い切れるのだな?言い切れるとしたら、それは何故だ?」

オスカーは、まず『アンジェリークを大切に思っている』ことを第一義として訴えることで、ラートリーの警戒を幾分緩めた上で、今度は逆に、敢えてラートリーを刺激・挑発するようなものいいをした。言葉は一応「質問」の形式をとってはいるが、口調に、ありありと不信感を滲ませたのだ。

ラートリーが、こと、アンジェリークに関しては非常に激しやすいことは、この身をもって承知させられている。そして、頭に血が昇ると、人は、勢いに任せて、本音を吐き出しがちになるものだ。

オスカーが、アンジェリークの現況に深く関わっていると思われる神々の中でもラートリーに白羽の矢を立てたのは、彼女がウシャスの姉妹神であるという事実以上に、感情豊かであるがゆえに、情報を引き出しやすそうだと、考えたからでもあった。ヴァルナ・ミトラの両神では、同じような揺さぶりをかけたとて、同様の結果が得られるかどうか、心もとないと思われた。

案の定、ラートリー女神は激昂し、ムキになって反駁してきた。

「あの子は、今のままで、幸せなのですわ!この世に生を受けてからこの方、私が、私たちが、ありとあらゆる不快な事…あの子が動揺したり、心を痛めそうな事柄から遠ざけてきたのですもの!」

「ああ、それは、とても、よくわかる。あなたは…あなたを始めとして、ヴァルナ・ミトラの両神は、アンジェリークを…ウシャスを、心から大切に守ってきたことは…」

オスカーは、ラートリーの主張を全て否定する気は毛頭なかった。彼らの行為が善意からーそれが独善に近いものだったとしてもだー出ていることは、アンジェリークの信頼と愛情に満ちた様子からも否定しようがなかったし、ラートリーを挑発しすぎて反感を抱かれるだけでは、情報が十分に収集できなくなる。ここは、彼女の言い分を認める方が理に適っていた。

すると、ラートリーは『ようやくわかったか』と言わんばかりの目つきと口調で、力強く頷きながら、こう言い放った。

「そうですわ。私たちが、どれほど長い年月、あの子の心が波立たないよう、曇らないよう、僅かでも翳りがおちたりしないように、心を砕いてきたことか…それを、知りもしないくせに…あなたは「百神の王」として無限の権限をお持ちかもしれませんが、それで、あの子の何がわかるとお思いですの!?昨日・今日、天界にきたばかりの、しかも、形ばかり名ばかりの夫であるあなたなぞに…」

「形ばかり…やはり、スーリヤが、ウシャスの夫というのは…名目上のものか…」

ふんっ…と鼻息荒く、横をむいて、ラートリー女神は、飲み込みの悪い子供に諭し教えるように、オスカーの抑えた声音をあしらった。

「比べるもののない名誉職ですことよ。毎朝、あの子の顔を間近に見られ、瞬きする程の間とはいえ、あの子をその腕に抱けるという、太陽神だけに許されたこの上ない役得もございますもの、これ以上を望むというのは、贅沢…というより不埒・不敬の極みですわ」

「ああ、俺も…俺のことは二の次だと思っている。大事なのは、俺が、どうしたいかではない…俺が気がかりなのは、彼女自身はそれで…そうして強固に守られてきたことを幸せだと思っているのか、満足しているのかということだ。彼女は、確かに、万物を遍く愛し、万物から敬愛されている…しかし、誰かを心の底から愛し、心の限り愛される喜びも知らず、十重二十重の厳重な囲いの中に閉じ込められていることが幸せなのか?それの何が幸せだと言い切るんだ、あなたは?」

「愛?愛ですって?太陽神が…我ら光の眷属と違い、男が女を選ぶとかいう野蛮な火の眷属が、愛を語るなど笑止!火の眷属なんて…歴代のスーリヤなぞ、皆、同じ。あの子がその限りない優しさと可憐さから、光の眷属の理想、聖娼の中の聖娼と称されているからといって、肉の慰めをのみ、あの子に求め…あの子の美しさ艶やかさを己が身を飾る勲章のように我が手にしたがるだけでしたわ。あの子が、スーリヤの地位にオマケでついてくる栄冠でもあるかのように…あの子のひたすらに無垢な心を見ようともわかろうともせず、一方的に奉仕してもらおうと言わんばかりの、あさましい、ぎらぎらとあからさまな情欲であの子を怯えさせるばかりで…」

「それは…そういう男もいたかもしれない、だが、それを責めるのはお門違いというものだろう?元はといえば、あなたがた光の高位神が、太陽神に何も教えなかったせいではないのか?!ウシャスの事情を何も知らされてなければ…おまえはウシャスの夫になるのだと言われただけなら、火の男なら…女をそういう意味で欲するものだ、欲したとしてもしかたない…ましてや歴代のスーリヤは、アンジェリーク自身の人となりを知る機会もなかったのだから…」

「野蛮な振る舞いへの単なる言い訳にすぎませんことね、もとより、火の男の野蛮な習慣など、私たち光の女には、何の関係もないことですけど、それにしても「知らないこと」と「知ろうとしないこと」は全く別物ですわ。火の男は、美しい女を、自分の自由にしたがるだけー物のように好き勝手に扱いたいだけ…そういう関係の結び方しか知らないという事実に変わりはありませんわ」

「っ…」

オスカーはぐっと詰った。

確かに、火の眷属は一般に「力」を信奉する性向が強い。火の力の強い男はそれを自負とするし、火の女も、また、同様に力の強い男には、無条件に惹かれる性向がある。だから、少年の頃から潜在的能力の高かったオスカーは火の女性に人気があった。同じ理由で、火の眷属の男は、能力の高いものほど、女性の人となりなど知ろうともせず、女性を欲する傾向があるのは否めない事実だった。火の女も、力の強い男に求められることを、むしろ誇りとし、歓迎するから、己の力量に自信のある男ほど、女の意思を確めるなどということは思いつきもしない、ましてや正式に神に叙される前から聖娼たちに傅かれることが常態化していた太陽神なら、尚更、自分が男として欲した女は、黙って己を受け入れるのが当然と思い込んでしまうだろう。そういう文化で育ち、それが男として「当然」の行為として教育されてきているのだから。

しかし、生粋の光の女性は、個人としてー仕事ではなくー男と情を通じる場合は、女の側が男を選ぶのが文化だと、オスカーは聖娼から教わっていた。さもなければ、オスカーも、火の眷属としては当然の振る舞いだったとしても、光の女性から見れば、鼻持ちならない高圧的な態度で女性に接し「火の男は野蛮だ」という烙印を押されていたかもしれない…アンジェリークが怯えるような態度をとっていたかもしれない…その恐れは、確かにあった。

『光の眷属の仲間入りを目すなら、まず、光の眷属の風習・文化・常識をきちんと知っておけ』と提言してくれたオリヴィエに、オスカーは、心の内で改めて感謝した。その提言あったからこそ、オスカーは聖娼から、色々教わることができたのだし、正しい知識あってこそ、オスカーは、今、ラートリー女神に、論拠に則った主張・反論ができるのだから。

「それは、文化が違うのだから、仕方ないだろう…と言いたいところだが、歴代の太陽神が、光の女性の習慣やものの見方考えか方をハナから知ろうとせず、自分の側の価値観で全てを押し通そうとしたのは、確かに独善的かつ軽率だったかもしれない。だが…少なくとも、俺には、そんなつもりはない。俺は1人の女性として、心からアンジェリークを…」

すると、ラートリーが、いかにも哀れむような目でオスカーをみやった。

「そう思えるということは、確かに、あなたは、今までの太陽神よりは、モノを考えるということをご存知のようね…でも、あの子から、ちょっと目をかけられたからといって、自惚れ思い上がるのもいい加減にしてくださいませんこと?若きスーリヤよ。あの子の優しさは、あなたの方がよくご存知でしょう?あの子は、悩み苦しむ魂を見かけたら、そのままにはしておけませんのよ。それが、どんなにちっぽけなつまらない存在であってもね、つい、手を差し伸べてしまう、差し伸べずにはいられないのですわ。あなたへ何某かの厚意を示したとしても、つまりは、それだけのことですわ。それをあの子から愛を賜ったなどと勘違いして、いい気になって…よく言ってもそれは「情け」というものですわ」

「っ…」

「百歩譲って、ウシャスに優しくされて感激したあなたが、自分なりの誠意をもって、光の女のことを知ろうと努め、あの子の幸せを願っていたのだとしても…どうせ、長くても何百年か経てば、太陽神は神力を失い、この天空から去るのです。ウシャスが、そんな不確かなものと心を繋いだとて、どうなりましょう。別れの際に、ウシャスが哀しく辛い思いをするだけです」

「!!!…それは…」

「だから、最初から、あの子と心を通わす気などさらさらない者を、今まではスーリヤの地位につけてきたというのに…そして、だからこそ、私たちも、心おきなく、スーリヤを使い捨てにしてこれましたのに…今回は、とんだ番狂わせだわ…」

「!…やはり…天界は、ずっと、そんなことを繰り返していたんだな…なんと、心無いことを…」

「心無いこと?ですって?私たちだって、最初からそんな心つもりでいたわけではございませんわ!でも、仕方ないでしょう!?スーリヤは…歴代のスーリヤたちは、何故か、皆、長くて数百年、短いと百年も経たずに、その火の神力を全て燃え尽きさせ、天界から去ってしまうのですもの!私たちこそ、問いたいですわ!ウシャスの顔を誰よりも多く見られ、日々抱きしめることさえ許される唯一無二の存在なのに、スーリヤは、何故、その身を自らの炎で焼き尽くし、早々と滅してしまうのか…まるで、ウシャスの存在を馬鹿にしてるとしか思えませんわ!本当にウシャスが好きなら…あの子を欲しいと思うなら、ずっと、火の力を燃やし続け、あの子の傍にいるのが、当然ではございませんこと?」

「なんだって…?では、天界は、自ら太陽神を頻繁に交替させているわけではないのか?」

「…何故、そんなことをする必要がありますの?そんなことをするメリットが何処にあるとお思いなの?神として悠久の年月、安定した力を発してくださるなら、それに越したことはないに決まってますわ。そうでないから…太陽神の命数は、全く予想ができないから、私たちは、モノになるかどうかもわからない、でも、少しでも見込みのありそうな火の子を、次から次へと休みなく召し上げ、教育を受けさせ、聖娼たちを優先的にあてがって発奮させ、火の力が十分に開花したものを太陽神の座へと送り込み…なのに、これほど手間隙を費やして育てあげても、程なくして全ては無駄になってしまうのですわよ?太陽神がここ天界では消耗品とみなされるようになったのも、元はといえば、あなた方、火の眷属の力の不安定さが原因ですのよ!」

「っ……」

「漸く、ご自分の立場がおわかりになったようね、若きスーリヤよ。たかだか数百年しかその神力を保てない者が、ウシャスの心が欲しいなど、片腹痛いにも程がありますわ。考えてもごらんなさい、あなたの立場は、数十年の寿命を持つ人の乙女に、2、3年で死んでしまう獣が恋をしたようなもの…そして、奇特なことに、その乙女が獣に哀れみから情をかけてやったとしても、その情は、獣には、まさに分不相応、分にすぎる宝物ですわ。だって、どんなに恋焦がれても、獣の命は、人に比したら、すぐに儚くなってしまうのですもの。そんな儚い生き物に情を注げば注ぐだけ、むしろ、乙女は悲しい思いをするだけでしょう?むろん、ウシャスの真の美しさも解さぬ、今までの浅慮なスーリヤが、あの子を欲するのは言語道断でしたけど、あの子を永劫に大事にするなど、あの子の幸せが1番大切だなどと、できもしないことを口先ばかり言うあなたは、今までのスーリヤの中でも最高にタチが悪いわ…その言葉を信じて、真心を傾けた挙句、あなたが早々とこの天界を立ち去りでもしたら…結果として裏切られるウシャスの心は、その時、どうなるとお思いですの?悪意はなくとも、男女の愛に目覚めさせ、希望を抱かせるだけ抱かせて裏切ることが、どれほど罪深いか…1時の幸せを味あわせた挙句、それを奪い喪うことの方がよほど辛いことなど、言われずともわかりましょう?ならば、男女の愛など、何も知らずに、どのスーリヤとも心を繋がずにいることこそ、あの子の幸せ。あの子は、私やヴァルナ様、ミトラ様が、この上なく大切に慈しんでいるんですもの、今のままでいることこそ、あの子の幸せですわ」

「だが…俺は…本当に…」

「どちらにしろ、スーリヤ、あなたには、自分の思いを遂げる方法など、どこにも、ありませんことよ」

「なんだと?それはどういうことだ?!」

「…わかりませんこと?あなたは確かに百神の王、天空の覇者です。ただし、あくまで昼日中の…ね。あなたが、全知全能の百神の王でいられるのは、燃え盛る太陽から、無限・無尽蔵の力を得ているからこそ。でも、西の神殿に辿りついた時から、太陽は反転して黒い太陽となり、私の支配下に入る。いえ、太陽に限らず…夜闇が中天を覆うこの時間、夜の世界は全て私の支配下。そう、この星闇から力を得るのは、私。逆に、太陽から神気を得られないあなたは、力を使うほどに消耗していくばかりで、供給はない。蓄えていた力を使いきれば、眠りについて休まねばならない…スーリヤよ、念話で…精神の力で、思念を伝えるのは、慣れてないと、相当疲れる…僅かな時間で、力を使いきってしまうものでしてよ?」

「!!!」

言われてみて、初めてオスカーは気づいた。全身に溢れんばかりに漲っていた火の気が、どんどん消沈…?いや、血の巡りが止るように、流れが滞っていくのを。

「スーリヤは太陽の馬車に火を灯し、太陽の光と熱気を操り御す神、でも、同時に、スーリヤ自身も太陽から新鮮な火の気を絶えず供給されてもいるのです。太陽とスーリヤは、その意味で不可分、同一の存在。でも、それも日中だけのこと。太陽の馬車は、この西の端の神殿に降り立った瞬間ー暗黒の太陽と反転した瞬間、私のものとなる。そして、夜闇の道を通って東の神殿に戻されるまでの間は…スーリヤよ、太陽神といえど、あなたも私の司る夜闇の力の下、一介の無力な存在に成り果てるのです。私は夜の女神、星闇が天空を覆いつくしている間は、私に伍する者は何人たりとも、おりませんわ。私の意向に抗える者もね。だから、安心なさい、スーリヤ、あなたが、飛びぬけて、無力・無能というわけではありませんことよ?」

凄艶ともいえる笑みを口元に浮かべて、勝ち誇ったようにラートリーが告げた。

「…それは…つまり、夜間、あなたの支配はウシャスであるアンジェリークにも及ぶということ…か?たとえば、アンジェリークが彼女の意思で、夜間に実体化しようとしても…」

「そう、あなたが、あの子にまみえる機会は金輪際ないのよ、スーリヤ。夜は私の領分だと申しましたでしょう?あの子が肉の身をもつためには、あの子自身の意思が最も強く必要だけど…そして、禊のための未明の実体化はー天則により定められた務めの一貫だから、私の干渉の及ぶところではないけどー私的な実体化なら…夜間には私の意思が多いに影響する、ならば、私は、あの子に人の身体を形作らせはしないわ」

「なぜだ…なぜ、そこまでして…俺と、アンジェリークの…を…阻む…」

「あなたに会えば…会ってこれ以上心を通わせてしまえば、別れの時にあのこが傷つくだけ。だから、私、徹底的にあなたの邪魔をさせていただきましてよ、スーリヤ。ほら、もう、たっているのもやっとのご様子でしてよ?そろそろ目の前も暗くなって参りましたでしょう?太陽から火の気の補充もなしに、こんなに念話に精神力を費やしているのですものね」

「く…」

「さ、明日の朝、ウシャスが東の神殿に降臨するまで、安らかにお眠りなさい、若きスーリヤよ…そして、誰よりも数多く、あの子の顔を拝謁できる、その立場に謙虚に感謝するにとどめ、それ以上は身を慎み、弁えることね…」

目の前が真っ暗になる寸前、オスカーの頭に響いたラートリーの声は、今までに聞いたことがないほど、甘く、優しい声色だった。

 

一条の光とて射しこまない深い深い水底にひたすら沈んでいくような、そんな闇の中、オスカーは足掻きもがく自分の姿を、どこか遠くから見ていた。

これは夢だ…果てのない夢だと、とっさに思う。だが、どうしたら覚めることができるのかわからない。

『これは…多分、出口の見えない暗渠に陥った俺の心象、明けない夜に落とされたような気がする俺の内風景だ…』

冷静に己の境遇を分析する声が聞こえたが、何の慰めにもならない。何の役にもたたない。

だって、知って…知らされてしまったのだ。

スーリヤに課せられし限られた命数?運命?それ故のウシャスとの実のない上滑りな関係。ウシャスの心痛を考えて、あえて、太陽神とは心を繋がせまいと画策してきたらしい、天空の高位神たちの心情…

天界の神々は、スーリヤに太陽を運行させることで、この世界を隅々まで見渡し、正しく導くための無限ともいえる権限を与え、同時に「百神の王」という栄光と名誉溢れる称号を与えた。が、同時にウシャスの無垢・清浄を守り続けるために、太陽神を取替えのきく部品としてみなし…結果、歴代の太陽神は、天界からいいように、使い捨てにされてきたのだと、オスカーは、知ってしまった。

歴代のスーリヤたちは、浅い、表層的な接触しか、アンジェリークとはもたなかった…もてなかった。そのように、仕組みができあがってしまっていたのだから。天界は、太陽神をウシャスの夫と称しながら、実のところ、それは単なる名誉職で…夫とは名ばかりで、ウシャスを下賜する気など、端からなかったのだから。太陽神の力が不安定だから。そして、俺の前に無限にいた前任者たちは、ウシャスを「己が権利として与えられた女」とみなすだけで…彼女を当然の褒賞として我が物としようとするばかりだからという理由で。

しかし…歴代の太陽神を擁護するわけではないが…その人となりを知らずして、女を「一個の人間」として愛し、尊重せよといわれても、それは難くないか?

しかも、天界の教育システム自体が、聖娼を褒賞として男に与えていたではないか、ならば、火の眷属の一般的な男ならこう考えるだろう、ウシャスは太陽神である自分にのみ与えられた『権利』だと。成績優秀な折に聖娼から慰めを与えてもらったように、太陽神になった褒賞として、天界一の美姫を与えられたのだと、ならば、大半の太陽神が、彼女を情欲を注ぐ対象とのみ、みなしたとしても、無理はないのではないか…。

ましてや、ウシャスは光の眷属の頂点、理想の存在だ。そして光の女性は、聖娼をまた、女の理想の形とする。粋と美の極みにあり、誰のものにもなりうるからこそ、誰のものにもならない…そう、この点だけを抜き出して見れば、これは、確かにウシャスの本質そのものなのだから。

だから…今まで、恐らくどの太陽神も、ウシャスもまた、洗練された性戯の粋を極めた存在だと信じて疑わなかっただろう。彼女の艶やかな美しさに幻惑され、男の身も心も芯からとろかすような手管・手業を持っているに違いないと、信じきっていたのだろう。聖娼たちからのもてなしを受けてきた太陽神候補なら、尚更のこと。聖娼は美貌、性戯、肉体のどれをとっても比類なく素晴らしく、そしてウシャスはその頂点と目される女神だ、となれば、男なら…普通の男なら純粋に好色な気持で、彼女を抱きたいと思うだろう、そして、彼女が極上の奉仕を捧げてくれることを当然と期待し、その肉体は、それこそこの世のものとは思えない夢のような快楽を自分に与えてくれるはずだと信じていたのだろう、なにせ、スーリヤはウシャスの花婿だ、その権利を与えられた以上、行使するのもまた当然だと…今までのスーリヤは考えてきたはずだ。

だから、既存のスーリヤたちは、ウシャスと何も語らず、彼女を知ろうともせず、何も請うこともせず、むき出しの欲望を投げつけ、ぶつけてきたのだろう。

だって誰が想像できよう、ウシャスが口付けも知らないと。ウシャスは、男女の間柄の本質を知らぬ、知らされていないことを。彼女は、男の欲望のなんたるかを知らない。男女が身体を交えるー意味合いは色々あるがーということさえも。

が、そのウシャスはといえば、スーリヤがその手に抱きしめた瞬間、無数の光の粒となって飛び散ってしまう。太陽神は「当然の権利」として与えられたはずの女性を、現実には、自分のものにもできず…しかし、毎朝のように、あの比類なき可憐な美しさー己の火の気が、彼女の衣を千々に散らし、乳白色の肌が少しづつ露にされていく艶やかな姿を眼前で見せ付けられー今朝こそは、今朝こそは、と思いながら腕を伸ばし、そして、捉えたと思った瞬間、彼女は消えうせてしまう…そんな朝をいつ終るとも知らずに繰り返していたのだろう。

ああ…もしや…歴代の太陽神が、皆、神としては短命なのは、このせいではないのか?

神力が長くはもたないのは、この精神の消耗の所為ではないのか…?

歴代の太陽神は、毎朝、繰り返し、この世で最も美しく艶やかなウシャスの姿を間近にみせつけられ、瞬間、その手に掴めることで、尚更に欲を煽られ…だが、彼女を真の意味で手にいれられる日など、いくら待てども決して来ない…でも、来る日も来る日も、目の前に彼女は現れる、一瞬とはいえ、この手に掴むことさえできる、だから、惨い現実をどうしても容認できず、いつか、何時の日か、この世で最高の美姫をこの手にできるはずだ、だって、自分は彼女に触れることを天則に許された存在なのだから、と、己に言い聞かせ、ウシャスが実体化できる僅かな時間に、なんとか彼女を我が物にできまいかと足掻き、もがき続け…その妄執で、全ての力を早々に燃え尽きさせてしまうのではないか…

太陽神の在位期間とは、要は、この精神の消耗に…どれだけ耐えていけるか、なのではないか。

目の前に「おまえのものだ」と言われ与えられた美味そうなものは、実際には手にできぬ幻で、それを毎日毎日、延々と見せ付けられるだけ…欲望だけを限りなく煽られ続けるという、その消耗に…。

しかし、俺は、太陽神の気持もー詮無いとわかっていても、アンジェリークを追い続けてしまうその気持がわかってしまう。この世で最も美しいウシャスを一目見てしまったら、他の女性では、到底満足できなくなるだろうから。実際、俺自身がそうなのだから。

ましてや、スーリヤは公式に「ウシャスの花婿」であり、ウシャスをその手に抱ける唯一無二の存在であるという自負もあろう、今更、何故、他の女を抱かねばならぬのかという、プライドもあろう。

だから、尚更むきになる、躍起になって、手を変え品をかえ、どうにか、ウシャスを我が物にできないか試行錯誤をくりかえし、目の前に見せつけられるばかりで、一向に距離の縮まらぬ褒賞に、いつか疲れ果て、消耗しきって神力を失っていく…。

太陽神の交替が異常に頻繁なのは、恐らく、このせいだとしか思えない。

だが、それは天界にとっては、なんら痛痒を感じないことだったのも確かだ。

アンジェリークは前述したとおり、自分が男の欲望の客体であることすら知らない。ぎらついた視線をーそれが欲情ゆえのものであることも知らないからーぶつけてくる怖い青年神が次々と交替したとて、心が痛むどころか、ほっとするのが精々だろう。

天界神にとっては、太陽神の候補は、数は少ないとはいえ、途絶えることはない、ウシャスというエサをちらつかせておけば、欲に目の眩んだ火の雄が、黙っていても精進して、天界にあがってくる。男としての欲の強いものほど、覇気・活気に富むという一般則もあるので、イキのいい太陽神を召し上げるためにも、この天界のシステムは理にかなっている。

アンジェリークの…ウシャスをこの目で直に見られる者は、最高の火力を育てられた男だけだ。

俺自身も、太陽神になれる程まで火力を育てあげられなければ、アンジェリークとは、あの火の泉での決別がそのまま永遠の決別になっていたのだから。

しかし、首尾よく太陽神になれても…ここまでだった、確かに太陽神の地位は「ゴール」…終点だった。それ以上、どこにも進みようがない、という意味で。スーリヤは、毎朝、彼女の顔は見ることができる、確かにーしかし、それ以上の触れあいは決してできない、なぜなら、太陽神、もしくは太陽自体の火力に彼女の身は耐え切れず光の粒子となって飛び散ってしまうから…つまり、俺は太陽神になろうと、なるまいと…どう転んでも、彼女をこの手にするのは、最初から不可能だったということではないか。

誰もが仰ぎ見、崇拝を捧げる美の象徴は、永遠に誰のものでもなく、誰のものにもならない。

「花嫁」はいつまでたっても永劫に「花嫁」であって…アンジェリークは、婚姻の儀を、毎朝、永遠に繰り返すだけで…彼女が特定の男の「妻」となることはないのだ。

確かに婚姻の儀式はなされ、俺とアンジェリークは対外的には「夫婦」だと諸神に披露目られた。だが、婚姻の儀の成り行きを一部始終見守っていた諸神には、すぐ、わかったことだろう、スーリヤとウシャスの婚姻とは、暁光と太陽光が一体化する事象そのものを意味すること。そして、それ以外の意味は何もないこと。そして、太陽神は、決して、ウシャスを私的に己が物にするわけではないという事実を。

ウシャスの花婿と称されても、太陽神に許されるのは、瞬きするほどの時間、ウシャスをその手に抱くことだけなのだと。

俺は、どんな書物を調べても、スーリヤとウシャスが、夫婦として、どのように過ごしているのか見つけられなかったから、その情報は故意に隠されているのだと思っていたが、そうじゃない、隠すような実体そのものがなかったんだ。書物には、婚姻の様子は、むしろ、きちんと描かれていたんだ。太陽神と暁紅の女神の婚姻とは、互いの光が不可分に交じり合って世界に注がれること、それだけだったのだから、そして、その記述は、確かに、いやというほどあった。天界は、そういう意味では、情報を隠蔽などしていなかった。それが今わかった。

そして、この世で最も美しい女神は、永遠に万人のものー誰のものにもならないと知らしめられて諸神は安堵し、変わらぬ崇拝が約束されるのだ。時の太陽神一人を道化とすることで。

そう思うのは、自虐がすぎるだろうか…。

さもなくば、なぜ、スーリヤのみが、叙任の際、同時に披露目の儀式を必要とするのか。俺のためでも、彼女のためでもなく、彼女を決して手にすることはない汎神の溜飲を下げるために、披露目の儀式が必要なのではなかったのかとさえ、思ってしまう。

無論、これらは…憶測にすぎない。

元々、原初の太陽神の力が、実際に不安定だったのが太陽神が使い捨てにされるようになった原因かもしれないから。流動する性を持つ「火・風・水」の諸神は、元来、力の発現が、天空、及び地神に比して安定しないのは事実だから。

それならば、天空神たちが、ウシャスに太陽神と心の通い合いをさせまいとしたことも、止むを得ないことだったのかもしれない。

だが、そのシステム自体が、元々力の不安定な太陽神を更に短命にしてしまったのではないか。天界が、ウシャスを清浄な存在にしておくために、そして、ウシャスを決して哀しませまいと、ウシャスのためによかれと考えた策が、太陽神に過酷な負担を与え、消耗させて、結果、太陽神をより短命にしているのならば…天界のこのシステムは、むしろ悪循環を引き起こしているだけではないのか。

どちらが卵で、どちらが鶏なのかは定かではないが…。

どちらにしろ、このシステムががっちりと強固にできあがってしまっていたから、歴代の太陽神たちは、女としてウシャスを求め続けて、それが叶わず、次々と天界から去っていき…天界はその度ごとに、太陽神を使い捨ての部品とみなす度合いを更に強め…。

だから、ウシャスも…アンジェリークはスーリヤの気持を何も知らぬまま、去就していく無数のスーリヤたちを、何を思うこともなく見送ることができたのだろう。

それでなくとも、無垢なアンジェリークには、歴代のスーリヤのむきだしの欲望は不可解なもの、なにやらぎらついた恐ろしいものとしか認識されなかったのも、無理もない。

歴代のスーリヤたちの中で、ウシャスと色々なことを語りあった者など、誰一人いなかったのかもしれない。アンジェリークだとて、格別に親交のない者の去就に深い感慨を抱くのは、難しかったろう。当然の権利としての欲望の対象としかアンジェリークをみなさず、ぎらついた視線をなげるばかりのスーリヤをなんとなく怖い存在としか認識できなかったとしても、それもまた無理のないことではないか。

そんな怖い存在がいつのまにか交替するのなら、ほっと安堵をすることはあっても、名残惜しいとか寂しいという感情が芽生えなくても当然ではないか。

その上、太陽神は頻繁に去就するものと…物心ついた頃から「そういうものだ」と無条件に信じ込まされてきたもの、刷り込まれてきた価値観を疑うのは難しい。本人が、その価値観に沿うことで称揚されてきたのなら、尚更だ。

多くのスーリヤはアンジェリークの人となりや、本質を知ろうとせず、だから、アンジェリークもスーリヤをただの職務上のパートナー以上に考えることもなく、長い長い時が過ぎていったのだろう。

実際、アンジェリークと心を通わせようなどと露も思わず、その美しい肉体を褒賞としかみなさず、己が手にしようとするようなスーリヤばかりなら…そして、俺が、ヴァルナ神の立場にいたら、彼女を守るため…彼女の真価を知ろうとせず、彼女を尊重しようとしないスーリヤならば、俺も、使い捨てにして憚らなかったかもしれない。

彼女を見ていると、俺にも、ヴァルナ神の気持が、否応なくわかってしまうのだ。

俺だとて、あの美しく愛くるしいアンジェリークには、綺麗なものだけを見ていてほしいと思ってしまう。あらゆる懊悩を、遠ざけられるものなら遠ざけてやりたいと、思ってしまう…それが、嫌というほどわかる…。

だが、アンジェリークのこの可憐さ、麗しさに一目で恋に落ち、『当然の権利』としてアンジェリークを手中にするのではなく、彼女に心から焦がれ、彼女と心をかよわせたい、情を通じたいと考えたスーリヤが皆無だったとも言い切れないではないか。

もし、俺以前に、そういうスーリヤがいたら…俺は同情を禁じえない。誰が悪いわけではない、ただ、哀れだったとしかいいようがない…。

そして、名も知らぬ太陽神たちが辿ってきた運命を…この事実を知ってしまって…俺は、俺自身は、どうするのだ?

俺が「男」として君を求め、君に「女」として愛を請うのは…ラートリー女神が言うように、君を悩ませ、結果として哀しませるだけか?許さざるべきことなのか…

それなら、俺は…彼女の無垢を守るために、去勢馬のように無害な存在として、永の年月、彼女を一瞬、この腕に抱くだけで、満足すべきか?

そんなことが、俺にできるのだろうか?

ヴァルナ神や、ラートリー女神が望むように。俺の力が、有限なら、彼女の心を別れの寂しさで波立たせまいとするのなら、俺は彼女を恋する気持など、打ち明けないほうが…少なくとも、これ以上深入りしないほうがいいのか?

彼女もまた、何よりも心の平穏を望むのなら…俺は、彼女の幸せ、心の安らぎのために、俺の想いが男として報われることがなくとも…耐えたほうがいいのかもしれない、彼女の平穏を思えば、耐えられるだろうとも思う。

だが…俺には、気にかかることがある。

彼女自身も…自分のおかれている立場に疑問を感じはじめているようだったということだ。

彼女も、なんとはなしに気づいてはいたのだろう。

スーリヤの満たされない心、表面上、あたかも当然の権利のように与えられながら、実際には「見せ付けられるだけで触れることのできない対象に欲望を固着させられてしまった」哀れな男たちの心の焦れや懊悩を…

だから、俺が太陽神になることが、幸福なのかどうかわからないと、彼女は俺を気遣ってくれたのだろう。

そして、もし、自分の女神としてのありようが、今までに無数ともいえる太陽神に懊悩を与えてきたのだと薄々でも感じ始めたのなら…それは彼女の責任では全くないが、それでも、彼女は、自分の女神としての在りかたに疑問を抱き始めたとしても無理はない。

そして、また、確かに、彼女は、常に女神としての敬慕を万人から捧げられている。ヴァルナ神やラートリー女神が真綿で包みこむように彼女を大切に大事に遇している、その気持もわかる。

でも、それは、それは、あくまで「女神ウシャス」という存在に対する敬愛であって、アンジェリーク個人を愛するということとは違うのではないか…。

アンジェリークを一段高いところにおき、崇め奉るのは、人間が神を「崇拝」するのと、変わらない。アンジェリークは昔、言っていなかったか?「私をウシャスと知らずに、ありのままに優しくしてくれ、気兼ねなくおしゃべりしたり、会いたいと言ってくれたのは、オスカーだけ、オスカーが初めてだった、それがとても嬉しかった」と。

「ウシャス」だから大事にされる、何の理由もなく崇拝されるのは、アンジェリーク個人を認め、愛するということとは違うように、俺には思える。そして、アンジェリーク自身も、それが幸福の一つであるとは認めていても、どこか、満たされない思いを感じていたのではなかっただろうか。

ウシャスを透明な覆いで囲い込んで風にも当てず、何も知らせず、誰にとっても手の届かぬ…眺めるだけの高嶺の花に永遠に置いておくことが、彼女にとっての幸せなのか…

いくら考えても、オスカーには、答えが見出せなかった。

一面の暗闇のような夢の中、力の入らぬ四肢はがんじがらめに捉われてしまっているように、心もまた、綱につながれた獣のように、一つところを詮無く巡るばかりのような気がしていた。

『アンジェリーク、俺は、君の幸せだけを考えている、ラートリー女神に告げたその言葉に偽りはないのに…俺には、そのために、どうすればいいのか、どうするのが良いのか、それが、みつけられない…』

《…リヤ…スーリヤ…》

その時、己に呼びかける声をオスカーは感じた、同時に、隙間なく垂れ込めていた暗幕のような闇を、黄金色に輝く、一条の清冽な光が切り裂いた…そんな気がした。

『アンジェリーク?!君なのか…?』

《スーリヤ…目を開け……》

『違う…オスカー、と…君は…君にだけは…俺をオスカーと…呼んでほし…』

オスカーは、塗り込められた闇を裂いて己の意識に差し込んできた光に、とにかく向かわんと、闇雲に手足を動かした。

動く?…手足が動く…。

『夜闇の支配が…弱まっている?』

オスカーは、己の身体に力が戻りつつあること、萎えきっていた四肢に活力が宿りつつあることを感じた。

それは、もうすぐやってくる夜明けの前兆、そして、オスカーが夜の頚木から放たれ、また、務めに赴く…アンジェリークに出会える刻限が迫ってきている徴だった。

「…スカー…オスカー!」

己が真名を呼ばれ、オスカーは、はっと、瞳を開くや、はじかれたように身体を起こした。

一瞬、自分がどこにいるのか、何をしていたのか理解できず、周りを見渡した。獣の毛皮が敷き詰められた豪奢な寝台に、やはり、手触りのよい毛皮の上掛けに包まれて、自分が全裸で就寝していたらしいことを見てとった。

同時に、自分を心配そうな顔で見下ろす二人の友の顔を、オスカーは認めた。

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