百神の王 28

月神ソーマが、一息ついて神酒を喫し、唇を湿した。

固唾を呑んでソーマ神の話を聞き入っていたオスカーも僅かに緊張を解き、深い吐息をついた。

元々アンジェリークは女神として生を受けたのではなかったという事実にも驚いたが、天界の至宝とも称される彼女の存在と生命の存続が、こんなにも綱渡り的に決まったとは思ってもいなかった。そして太陽神が、ウシャス誕生にここまで深く関わっていたことも。

だが、これでも、まだまだわからないことが多い…例えば、ウシャスの誕生にこれほど深い関わりを持つのに、何故、天空界は、代々のスーリヤを使い捨てに…ああも蔑ろにしてきたのか…そう思ったオスカーは、目顔でソーマ神に話しの続きを懇願した。

ソーマ神は小さく頷き、遥けき昔語りを続けた。

『暁紅の女神の名をもらったウシャスは、その広く優しき心でこの世の万物を等しく慈しんだ。神々の中でも、光の純度が最も高いウシャスは、その心根も、まさに光の眷属の美点の極み、理想そのものだった。彼女はどんな生き物にも分け隔てなく優しい気持を持っていた。そして、可能な限り遍く世界に広がり、この世を輝かしい光で満たしたい、という気持に溢れていた。これは光の眷属なら誰もがもつ根源的な欲求だが、彼女は純粋な光に誰よりも近いため、その願いを、どの天空神よりも自然な形で叶えることのできる存在だった。実存が不安定であることと引き換えに、彼女は、光の眷属の理想とする『世界に遍く拡散する』状態を、どの神よりも自然に為せた。

しかも、彼女は、その純粋さ、素直さゆえにこの上なく聡明でもあった。一度教えられたことは、なんでも素直に聞き入れるので、飲みこみが早い。無垢なるが故に、砂に水がしみこむように知識を吸収してしまうんだろうな、言葉もすぐ覚えたし、ほぼ同時に、自然に念話も使いこなしていた。例えるなら…そう、赤子が歩くことを自然と覚えるように。子供は、誰に強制されなくても、立ち上がり、歩きだそうとするだろう?ただ、それが嬉しくてたまらないから…とでも言うように。彼女もそんな感じだった。言葉を覚え、思念を操ることで、他者との交流が叶うことや、その楽しさを本能的に知っていたのかもしれん。

ともかく、ウシャスは、女神として名と役割をもらい、務めを果たすことで、急速に知性を深め、自然とこの世界の諸相のありようを、あるがままに理解していった。

ヴァルナ、ミトラを始とする天空神たちは、そんなウシャスを、皆、こぞって、こよなく愛した。溺愛、といってもよかった。

なにせ、彼女は、その誕生の経緯から…確固とした肉体をもたず、酷く不安定な替わりに、限りなく純粋な光に近い形で存在していたから、光の眷属は、彼女には、理屈抜きに羨望と憧憬と崇拝がない交ぜになった感情を抱きがちだった。その上、彼女は日々目覚しい勢いで、深い洞察と知性を身につけ、より聡明になっていく。彼女は、様々な事象、多様な命が途切れなく巡ることで、世界は調和をもって成り立っていることに理解を深めていき、理解を深める程に万物に、更に深い慈愛を注ぐようになっていった、その心象は、まさに女神の中の女神と言われるの相応しい気高さだった。

その一方で、毎朝生まれ変わる彼女は、常に、この世で最も清新な聖なる存在でもあった。実際、彼女は、どれ程の朝を迎えようとも、いつまでも童女のようなあどけなさ、純真で素直な心をそのままに保っていたしな。

そんな彼女が、全ての光の眷属の理想、象徴として、憧憬の的となるのは、無理もないことだった。

分けても、夜の女神ラートリーは熱病にかかったように、ウシャスに夢中になった、目にいれても痛くない、とでもいうか…母のように、姉のように、ウシャスをひたすらに可愛がり、ありったけの愛情を惜しみなく注いだ。

ラートリーは太陽の創生に伴い、昼と夜が生じた時、夜を司る役目を担って生み出された女神だったが、彼女は光の眷属でありながら、夜闇色の髪と瞳を持ち、身近な光といえば、あえかな星の瞬きしか知らぬせいか、暁光の具象として誕生したウシャスに誰よりも無条件に憧れ惹かれたのかもしれん。ウシャスは、ラートリーには自らが望んでもなりえないものの象徴なのかもしれん…と思うと、ラートリーのウシャスへの些か度がすぎる熱愛ぶりも無理からぬものにも思える。

それでなくとも、無限に再生を繰り返すとはいえ、現世に留まる時間が絶対的に少ないウシャスは、いつまでも頑是無い童女のようだった。無邪気で、純真で、明朗で、優しく…だからだろう、ラートリーの溺愛は年を追うごとに拍車がかかる一方だった。ウシャスが純粋無垢であればあるほど『私が守ってあげねば』と、ラートリーは思ったのだろうな、いつも高い使命感を以って、全力でウシャスを庇護し、かわいがった。

それでなくとも、ウシャスは、あまりに純粋で美しいため、見るものに「この美しさ、汚れなさをそのままに保たせてやりたい、風にもあてずに綺麗なままの姿を守ってやりたい」と、自然に人に思わせる風情があるんだ…なんというか…綺麗に咲いた花を見ると「このままの姿をずっと保たせてやりたい」と思うのに近いような気がするな。

だからだろう、生真面目なヴァルナも、ウシャスのことは、こよなく大事にした。天空神の長たる彼は、その責任感の強さからウシャスの純粋な光の性を守ることを、己の責務のように思っている。そのせいで、ラートリーとは別の意味で度外れて過保護なんだ。漆黒の髪を持つミトラも、夜明けの光がそのまま形になったような髪をもつウシャスをことのほか愛しく思っているようだ。

が、天空神たちが、ウシャスを溺愛したのは、この彼女の魅力に参ったから、という単純な理由だけではなかった…と俺は思っている。

さっきも言ったが、ウシャスの誕生は、多分に偶発的なできごとだった上、彼女が女神としてこの世に存在できるようになったのは、初代太陽神の力強く熱烈な嘆願があったからこそだった。

つまり太陽神の強い意志と懇願がなければ、あの愛らしい乙女はあのまま儚くなっていた可能性が高く…つまり「ウシャス」という夜明けと目覚めをもたらす女神も、今、この世に存在していなかったかもしれないんだ。光は純粋であればあるほど不安定かつ儚いものだということを、天空神たちは知っていたからこそ、この世で最初の暁光から生じた乙女の命数もまた儚いものと、最初から見切って…訳知り顔で諦めてしまっていたんだからな。その彼女の運命を覆したのは、太陽神の単純で強固な意志、直情ともいえる真摯な願いであったのは事実なんだ。

彼は元々火の眷属で、光の性情に詳しくない、だから、光から生じた乙女を、生きながらえさせることの難しさをよくわかっていなかったし、わかっていなかったからこそ、己の心の欲するままに「どんな形でもいいから、彼女を助けてやってくれ」と、力強く言い切れたんだ。

そう、もし、あの場に、元・火の眷属である太陽神がいなければ、そして、彼が渾身の命乞いをしなければ、生まれながらの天空神たちは、何をすることもなく、ただ黙って彼女が消え行くに任せてしまっていただろう。そして彼らは、そのことを嫌というほど自覚していたし、その事実を決して忘れることはなかったー忘れたくとも忘れられなかったんだ。天空神たちは、ウシャスの輝くばかりの美しさ、愛らしさが日々磨かれ行く様、その掛け替えのなさを痛感するほどに『もし、あの時、太陽神が命乞いをしてくれなければ、光の女神の理想たるウシャスも、今、存在していなかったのだ』と多分にありえた運命を想像しては恐怖した。

彼女の存在感、その重みが増せば増すほど、天空神たちは、この女神をむざむざ失う処だった自分たちの無力、浅慮、諦念ゆえの迂闊を、ひしひしと強く感じるようになっていったんだ。

この負い目、引け目が、ウシャスへの溺愛・盲愛に拍車をかけた…のではないかと、俺は推測している。

そして、この負い目・引け目は、同時に、ウシャスの命を救った太陽神への劣等感へと転じた。要するに、天空神の多くは、言葉にはせずとも、太陽神に「負けた」気分を心の奥底に抱くようになったんだ。

なにせ光の眷属の理想の女神は、その誕生の経緯も太陽神の懇願に由来し、しかも、今も、いや未来永劫彼女の命を繋ぐためには、太陽神の存在が絶対不可欠なんだからな。太陽神の腕に抱かれて、定期的にその身を焼かれるという一連の儀式なくして、彼女は再生を果たせず、再生の儀式を経ずに実体化を繰り返せば、恐らく彼女は徐々に薄れて消えていってしまうだろうから。

が、それでも、太陽神が、単純に彼の職務に忠実である間はー天空神たちが、密かに抱いていた負い目や劣等感が、表にでることはなかったんだが…

時を経るうちに、太陽神の心が変化したこと、これが問題となった。

初代の太陽神は、毎朝のように美しいウシャスをその腕に抱いているうちに、彼女へ恋情が芽生え、それがどうしようもないほど強く募っていってしまったんだ。

太陽神は、最初からウシャスに熱烈に恋していたわけではなかったらしい。その美しさに目を見張っても、なにせ、生まれたばかりのウシャスは、姿かたちは乙女といえど、精神は赤ん坊のようなものだ、熱烈に恋する対象にはならなかったろう。太陽神としては、愛らしく美しい乙女が、そのまま儚く消えてしまうのは、あまりに哀れであると思っての命乞いだったようだ。美しいものが消えゆくのを惜しむ気持は、誰にもあるものだし、加えて、その乙女は、太陽神が迸らせた最初の陽光から生じた存在だったから、太陽神としては、理屈ぬきの情や責任感も同時に感じていたのかもしれない。

だから、当初、太陽神が再生のためにウシャスをその手に抱いた時も、あだめいた気持は一切なく…むしろ、保護者のような気持、父が赤子の娘をその手に抱くような気持で、彼女をその腕に抱いたのではないかと思う。己が腕に抱けば、その娘は、命を永らえるが、さもなくば、この場で儚く消えてしまうのだと言われて、深い考えを持って動くゆとりは、その時の太陽神にはなかったと思うしな。彼女の命を繋ぐため、天父神に言わるままに行動した、というだけだったのではないかと思う。

そのうえ、初めて太陽神が彼女を抱いた時、彼女は生まれてすぐの姿だったから、当然、火の衣など身にまとってはいなかった。元々、火の泉での禊は、彼女が太陽に焼かれる一瞬間でも、些かの苦痛も感じずにずむように、また、太陽光に晒されても、少しでも長くその姿形を保っていられるようにと、後から用意されたものだからな。つまり、太陽神が「彼女を永らえさせるために必要だ」と言われた行為は、たおやかな乙女を、己が内なる炎で、象徴的にとはいえ、焼き殺すようなものだから、彼女に酷い苦痛を与える恐れがあったんだ。だから、太陽神は、これは必要不可欠な行為と頭では理解しても、実際に行動に移す際には、かなりの覚悟と思い切りが必要だったようだ。彼女の本性は光の粒子とはいえ、その身を炎で焼く以上、苦痛を感じないとはいいきれない。苦痛がなければ幸いだが、それを確かめる暇もない、ただ、たとえ、苦痛を感じさせることになっても、このままでは緩慢と彼女は消え行くだけなのだから、それよりは、と、太陽神は、かなり強く己を鼓舞しなければならなかったようだ。その上で、万が一、彼女が苦痛を感じるようなら、せめて一瞬で済むようにと、瞬間、その火力を最大に高めて、彼女の身を焼き尽くしたらしい。

そして、翌朝、彼女は無事再生を果たし、正式に天父神ディヤウスから女神としての装束と紅色の牝馬を賜りー本性が光の彼女は、空中をたゆたうことはできても、自ら移動する力には乏しかったからなー夜闇を切り開き、生き物たちに目覚めを与えるという責務を果たし始めたのは、先刻言った通りだ。

そして、生まれたばかりの時は赤子のようだったウシャスは、天父神から女神の名と役割を戴いたことで、その精神は急激かつ飛躍的に成長した…特に知的な面における成長が著しかった。女神として着飾ったウシャスの美しさ、可憐さはいうまでもなかったが、それに加えて侵しがたい気品、知性というものが、見る間に磨かれ、身についていった。単に純粋な光の性の持ち主というだけでなく、彼女が名実ともに、女神の中の女神、最も美しい女神と憧憬の眼差しで見つめられるようになるまで、そう長い時間はかからなかった。そして、日々、愛らしさや魅力を増すばかりの乙女を、毎朝のように間近に目にし、その腕にかき抱くのだから、妙齢の男が恋をしなかったら、それこそ、そっちのほうが不自然だろう。毎朝のように、零れんばかりの笑みを浮かべる金色の乙女を、己が腕に捉え、抱きしめておいて、心が動かない男がいるとは俺も思えない。元々、火の眷属の男は情熱的で、異性を求める性情が強いしな。

ところが、一度恋をしてしまうと、彼女が再生を果たすための儀式、その手順そのものが、太陽神にはどうしようもない苦痛に変じてしまった。儀式が義務であった時は、何気なく行えた行為が、だ。

今は、どんなに強く求めても請うでも、一瞬、その腕に抱けさえするのに、ウシャスは、その瞬間、光の粒子となって飛び散ってしまうのだから…いや、君には、いわずもがなだったな。

その上、太陽神には、彼女の命を救ったのは自分だという、現実に裏打ちされた自負があった。

しかも、今なお、彼女が再生を果たすためには、太陽神の腕に抱かれることが、必要不可欠なのだから、太陽神にはウシャスの生権与奪があるということもできた。太陽神の胸の中では、ウシャスは「自分のもの」であってしかるべき…というような感情が抜きがたくあったんだ。

なのに、このままでは、彼女を『女』として欲し、我が物にすることだけは、どうしてもできない。

思いあまった太陽神は、ヴァルナにー天父神は、諸神が世界を司る様子が軌道にのったとみるや、全権をヴァルナにゆだねて隠居生活に入っていたからなー名実共に、ウシャスを妻としてもらいうけたいが、今の状態では埒があかない、彼女を娶るのに何か良い方便はないものかと、相談を持ちかけた。

しかし、ヴァルナは太陽神の請願を一蹴した。当時、ウシャスは、もう、暁紅の女神として、確固とした存在となっていたし、毎朝太陽に焼かれて燃え尽き、再生することでしか、その命を永らえることはできない女神に、改めて肉体を付与したら、かえって彼女の存続が危うくなると、ヴァルナは考えたからだった。

ヴァルナは『ウシャスをそなたに降嫁などさせられるわけがなかろう、ウシャスが、ひとたび肉体を持って普通の光の女神となれば、太陽光に焼き尽くされても、翌朝の再生は叶わなくなるやもしれんのだぞ、つまり、そなたの一夜の楽しみのために、我らはウシャスを永遠に失うやもしれぬのだ、そんな危険を犯せると思うのか?第一、ウシャスが、そなたに降嫁することを自ら望んでいるなど、聞いたこともない』といって、論外だと突っぱねた。

加えて、太陽神のこの願いは、ヴァルナを始とする、全ての天空神にとっては、恐れを知らぬ大それたもの、と目に映った。

ウシャスが現世に留まれる時間は僅かであることに変わりなく、彼女の姿を間近に見られる機会は、そう滅多にあるものじゃない、なのに、太陽神は乾季の間は、ほぼ毎日のように、彼女の姿を最も近くで拝し、その腕にかき抱きさえする、これ以上、何を望むことがあるのか、贅沢にもほどがある、と口々にいってな。

正直、これは、時の天空神たちの太陽神への劣等感とやっかみ、が多分に入った言葉だったと思う。

そのせいか、太陽神も天空神たちの態度に憤然として、真っ向から反発した。「そんなことは当然だ、俺が命を助け、俺が毎朝生まれ変わらせている女なんだから、ウシャスは元々俺のものじゃないか、ならば、名実ともに俺がもらってどこが悪い…」と、ここまであけすけではなかっただろうが、こんな意味をことを、居並ぶ天空神たちに居丈高に告げた。太陽神が、ウシャスに命を与え、再生させているのは事実だから、彼としては、悪びれたところは一切なかった。当然の権利を主張したにすぎない、という心境だったのだろう。

だが、これが、天空神の…わけてもヴァルナとラートリーの逆鱗に触れた。

後に、多くの火の若者を太陽神として召し上げてからわかったことだったが、これには習慣風俗の違いという不幸もあった。太陽神は火の眷属としては当然の習慣に則り、女性本人ではなく、いわば家長である処のヴァルナに、まず、お伺いを立てたわけだから、彼としては礼儀に則ったつもりだったからな。火の眷属は、能力のある男ほど、女性当人の意思はあまり尊重しないのが普通らしいし、女性も強い男に望まれることを名誉に思いこそすれ、不満を感じたりはしないらしいじゃないか。ところが、光の眷属は価値観が真逆ときてる。女性の意思を、まったく鑑みない太陽神の台詞は、無礼極まりないものと、ラートリーは激昂した。

ウシャスの方から、名実とも太陽神の嫁になりたいと言い出したのならともかく、童女のままの心の持ち主の彼女がそんなことを自ら言い出すはずもない、なのに、力づくで、太陽神はウシャスを我が物とせんとするのかと、いや、婚姻の契りもしていない立場で、ウシャスを己が所有物のようにみなすとは、けしからんにも程があると言ってな、態度を硬化させた。ウシャスが肉体を得ることなど金輪際ありえない…というか、絶対に許さない、よって、太陽神が想いを遂げる手立もありえない、少なくとも、ウシャスから、太陽神を男として欲することがない限りは…と。

このラートリーの言は多分に感情的なものだったが、天空神の長たるヴァルナも、理由は異なれど、ウシャスが太陽神のものであるという言い草は、到底看過しえなかったし、太陽神にウシャスを与えるのは言語道断という意見では、ラートリーと一致していた。

というのも、ウシャスの美質は、彼女が、光の性質を最も純粋な形で保っているゆえだ、となれば、彼女の純粋さを守ることは、天空界にとっては至上の命題だと、ヴァルナは考えていたからなんだ。たとえ可能だったとしても、他者と交わらせることなど、心情的に許せなかっただろうし、ましてや太陽神は、天空神の一員とはいえ、その性向は、あくまで火の眷属だ、光の眷属との交わりすら許せないのに、所詮、他眷属である太陽神とウシャスの和合など、天界としては許すわけにはいかなかったんだろう。だから、ヴァルナとしては、ウシャスは実体をもたない女神であるゆえ、実質的な婚姻は不可能だと、大義名分を掲げて、太陽神の願いを切って捨てた。

太陽神は、荒れた。

どんなに求めても、請うても、眼前の彼女は手に入らない。儚い一瞬が永遠に繰り返されるだけだと悟った彼の絶望、怒りは、どれほどのものだったろう。

その太陽神の焦れ、悲しみを敏感に感じ取り、ウシャスの顔も曇った。彼女は、純粋であるからこそ、周囲の感情に影響を受けやすかったからな。

輝くような笑顔を、ウシャスは見せなくなった。心配そうに不安げに、太陽神を見つめるばかりで。元来ウシャスは誰に対しても人懐こいが、わけても太陽神は、最も身近な存在であったことは間違いなかったので…子が親を案じるような気持だったのではないかと思うが、ウシャスは、荒んでいく太陽神の様子に大層、心を痛めた。

しかも、現存できる時間が極短時間しかない彼女には、心配するばかりで、実際には何もできない、という事実が、尚の事、彼女を沈み込ませたようだ。

太陽神自身は、賢明にも…というより、最低限の矜持を保って、自分が荒れるのは、彼女を得られない所為であるなどと、彼女に八つ当たりなどすることはなかったようだが…それでも、負の感情というものは、にじみ出てしまうものだし、彼女自身には、太陽神が荒れている理由がわからないから、どうしたって心配するし、沈み込む。

そんなウシャスの気鬱が、また、尚更に太陽神を荒れさせた。彼女の輝くような笑顔も見られないなら、何故、自分は、この上、太陽の馬車など走らせる必要があろうかと。

太陽の運行は、どんどん不安定になった。時折、制御のたがを外して燃えるような酷暑を地上に与えるかと思うと、雨季でもないのに、風神に命じて雨神を攫うように招聘してきては、天空の覇権を投げ出すように譲ってしまったり、暴風雨神が好き放題暴れるに任せたりした。ヴァルナ神が、どういさめようと、彼が立ち直ることはなかった、彼は、一切の希望を失ってしまっていたからな…そして、荒んだ生活は、彼の神としての力をどんどん蝕んでいった。炎というものは、勢いよく燃えている時はいいが、くすぶり始めると、煤を出すだろう?煤が出ると、風の気が得にくくなって、更にくすぶり、火はいつしか消えてしまう…太陽神も、また、自らの感情を持て余して、心に煤を溜め込み、徐々に力を失っていった。そのうち彼は満足に太陽の馬車を御すことさえ難くなり…ついに、ある日、忽然と消滅してしまった。

この…初代の太陽神が、どのように消滅してしまったかは、いまだ、誰にもはっきりとはわかっていない。その当時の状況を直に見ていた者がいないからだ。ただ、太陽神の目を通じて、世界の全てを掌握していたヴァルナは、ある刻限から、突然、地上の一切の情報が入らなくなったこと、意識を太陽神に向けても、何の返答もこなかったことで、太陽神の身に何か生じたことを察した。

故に、その日、西の神殿に、太陽の馬車が御者である太陽神なしで辿りついたことがわかった時…西の神殿にたどり着いた時点で太陽の馬車は熱と輝きを失い、ラートリーの管轄に入るから、ラートリーからも御者である太陽神の姿が見えないという報告がすぐに上がったんだが…そこで、ヴァルナ神は何事がおきたのか察し…愕然とした。もちろん、あくまで推測だったが、太陽神が、太陽を御せるだけの神気を失い、ために、自らが操るべき太陽の熱と光に負けて…燃え尽きたか、飲み込まれるように消えてしまったのだろう、と。

ただ、それでも彼は、最後の日も、ウシャスを抱きしめ、再生のため、彼女の身を焼き尽くす儀式だけは、きちんと果たしていたらしい。その様子はスーリヤの目を通して、ヴァルナに伝わっていたから、確かだ。どんなに太陽の運行を不安定にしても、ウシャスの再生を促す儀式、これだけは、最後の最後まで、太陽神はきちんと果たしていたんだ。

が、ままならぬ恋情に、絶望に打ちひしがれた太陽神が、本来己と不可分のはずの太陽に飲み込まれ、かき消されてしまったことを知って、多くの天空神たちは太陽神を哀れむどころか、烈火のごとく怒った。ウシャスに毎朝目通りが叶うという特権を与えられているのに、それだけで満足せず、分を弁えず大それた望みを抱き、それが叶わないからといって、意欲を失い、己が責務を放棄し、挙句の果てに燃え尽きてしまった、太陽神とは、火の眷属とは、なんと無責任で信用がおけない者か、と。

多くの天空神たちの目に、太陽神は、そんな風にしか見えていなかったんだ。

だが、天空神たちは、ただ怒っているわけにはいかなかった、太陽神がいなくなってしまったことで、当たり前だが、大問題が生じた。

翌日から、太陽の馬車を制御できるものが…いや、そもそも、太陽を燃え上がらせるよう点火できる者がいなくなってしまったんだ。

光の眷属でも特に天空の諸相を司る高位神は、終身が当然だった。特に、この世界誕生の折に天父神によって生み出された神々は、皆、替わるものなき役目を担っているため、今にいたるまで交替したものは1人もいない、この俺を含めてな。つまり、天空神にとって後進の育成など必要なかったし、考えたこともなかったんだ。天空神は、創世の折より揺ぎ無い、不変・永劫の存在であるのが当たり前だったから、ヴァルナも、まさか太陽神が消失してしまうような事態がおきるとは考えてもいなかったんだろう。

太陽神は空位となった。太陽の馬車は東の神殿に安置されたままになり、火の馬たちは深い眠りにつかされた。世界は再び原初の薄暮に覆われた。陽光が降り注がないから、徐々に世界から温もりが失われた。地上では、植物を守護する神々が悲鳴をあげた。陽光が途絶えてしまったので、植物は次々と枯死してしまったからな。そして、草を食む生き物が、ついで、その肉を喰らう生き物の多くが死んでいった。ついには、この時期、地上の大半が氷に閉ざされた。遥か昔の話だ。

当然、ウシャスも実体化させられなかった。太陽が運行しないのだから夜明け自体がないし、何より、太陽がないのに彼女を実体化させれば、次の再生が危うくなる。そこでウシャス再生の目処がたつまでーつまり、次の太陽神即位の目処が立つまでーラートリーの夜の衣に包んで彼女を眠らせた。その間に天界は、大急ぎで、次の太陽神を育成することとした。

そして、漸く、見込みのある火の青年が見出されー普通なら火神アグニに召されたであろう強い火力の持ち主が見出されて、天界に召し上げられ、太陽の馬車を与えられることになったんだが…その時にまた、一悶着おきた。

太陽神には、ウシャスをその腕に抱いてもらわねばならない、さもなくば、彼女が再生できなくなる。どうあっても、太陽神にはウシャスをその腕に抱いてもらわねばならない。が、それを、どう、新太陽神に伝え命じるかが、問題になったんだ。

というのも、天界では、太陽神の抱擁なくば、ウシャスの生存が危ういことを、新たな太陽神に知らせないほうがいいのでは…という声があがったんだ。

つまり、ウシャスの命運を、太陽神が握っていることに気づかせたくなかったんだな。万が一、新たな太陽神が、ウシャスの抱擁を拒絶したらどうする?もしくは、それを逆手に取られて、どんな、無理難題を言われるかわからない、わけても、新たな太陽神も、また、ウシャスを寄越せといいださないかということを、天界は恐れたんだ。だって、どうあっても、太陽神にウシャスを下賜する可能性は皆無だったからな。そして、それを知った太陽神が、どうせ、我が物にならない女神なら消えてしまっても構わないとばかりに、自暴自棄をおこしたらどうするのだ、と。

ああ、君は心外という顔をしているな、オスカー。

たしかに君なら…自ら何も要求せず、ウシャスをその腕に抱いてくれるだろう、彼女の命を繋ぐために。でも、それは、君が彼女に恋しているから、だろう?だが、新たに召される太陽神が、初めて会った彼女に恋をするかどうかわからないし、彼女の命をなんとしても繋ぎたいと思ってくれる、とも限らない。それに『恋』だって万全の安全装置ではない、『恋』は、時に狂気をも孕むから…ままならない恋に太陽神が破壊・破滅の衝動に身をゆだねてしまう可能性がないとはいえない。一晩だけでも彼女を我が物にできればそれでいい、その後、彼女が消えてしまっても仕方ないと思いつめる男がいないとも言い切れない。ましてや、火の眷属の男が、皆、情の厚い人格者かどうかは、もっと、定かではない。万が一、ウシャスの命を質にとられたら、天空界は、どんな要求も呑まざるえないだろう、それくらい、ウシャスは愛されているから。だから、天空界としては、どんなに些細な危険も、もう、犯したくなかった。ウシャスを無事、存続させるため、あらゆる危険を排除すると、天界は決めたんだ。

そこで、ウシャスとスーリヤの関係性を詳らかにするのは、やめておこうということになった。その上で、次の太陽神には、太陽神がウシャスの運命を握っていることは気づかせずに、彼女をその腕に抱かせる方便はないものか…と、頭を捻った。

その時、天空神たちは、たしかにウシャスの運命を案じても、太陽神の心情までに想いを馳せることはなかったんだろう、当時、天空神たちの多くには、ウシャスへの叶わぬ恋情に身を滅ぼした太陽神を謗ることはあっても、同情する気風はなかったからな。

そして、君も知っているこのシステム…暁紅の女神ウシャスは太陽神スーリヤの花嫁である、という建前が作られ、流布されることになったんだ。

火の眷属は女性の意思をあまり尊重しないという習慣が逆手にとられ利用された。

光の眷属の男は、女性からの意思表示なくして、女性を腕に抱くことなど皆無だが、火の男なら、光の女神を「花嫁」だと言って与えれば、何も言わずとも、勇んで彼女をその手に捕まえようとするだろうと、な。

そして、念には念をおすため…太陽神になる前に、火の男には、光の女性の魅力、その官能をイヤと言うほど知らしめて、光の女性への愛着を強化したんだ。光の仙女や巫女が、どれほど美しく、たおやかで、女としての魅力に溢れているかを実感させておけば、火の男なら、光の女神を更に強い気持で欲するようになるだろう、そう考えた天界は、女神神殿の聖娼を優先的に火の子にあてがうようにした。

異性を求める性情の強い火の子たちは、例外なく光の巫女たちに溺れたようだ。そして、火の力の強い、つまり、能力のある火の男ほど、光の眷属の理想の女性=聖娼の中の聖娼と称されるようになったウシャスを熱烈に欲して、太陽神の地位を目指し、精進するようになった。太陽神になれば、女神の中の女神を「花嫁」として与えられると吹き込まれ、ウシャスを我が手にしたいという火の子の欲望は、太陽神の地位に就くときは、抑えの効かないほど強く煽られていた。美しい女を、強い力・高い能力の褒賞として与えられる、というシステムは、火の眷属の世界では、極普遍的・一般的な価値観にそったものだったから、そのシステムの真贋を疑う火の子は皆無だった。 

しかし、いざ、太陽神に叙されたら、与えられた筈のウシャスは手にした瞬間、その腕の中から霧消してしまったんだが…それでも、即座にウシャスを諦める太陽神は、滅多にいなかった。一度ウシャスを間近に見てしまえば、その艶やかな可憐さは、瞼に焼き付いて離れるものではないからな。そしてウシャスに固着した欲望は、彼女が容易に手に入らないことで尚更煽られ、煽られる程に強くなるばかりで、歴代の太陽神は、何も言われずとも、ウシャスの抱擁を拒否することなど思いもよらず、かといって、惨い現実を直視することもできず、いつの日か、どうにかしてウシャスを我が物にせん、我が物にできるはずだと、その腕に捕らえ、抱き続けた。天界側の思惑通りにな。

が、太陽神が次から次へと、極めて短期間にー数百年のスパンで恋情に身を滅ぼしていったのは、当初、ヴァルナにも予定外のことだったようだ。初代太陽神の消失という困難を経験したあとだったので、ヴァルナも、太陽神は後進の育成が不可欠だと考え、教育システムを構築はしていたんだがな、太陽神の在位期間は、ヴァルナが考えた以上に短かった。

ヴァルナは火の眷属の情念の熱さ、強さを、よく、理解していなかったようだ。甘くみていた…というよりは、ヴァルナは、誰よりもウシャスと頻繁に、間近に会え、しかも、瞬間とはいえ、その腕に抱けるのはあくまで『特権』であるという意識があったからのようだ。

『ウシャスの顔を間近に見られることこそ至上の悦び。自分だったら、この特権を、絶対に手放しはしない』と考えるから、ヴァルナの目からは、身の程をわきまえずウシャスを「女」として求めた挙句、自らを恋情で焼き滅ぼしていく火の子の性向も、その数の多さも、理解できないんだ。『せっかく毎朝ウシャスにまみえるという特権を与えてやっているのに、その真価を理解せず、ないもの強請りと身の程知らずな欲望で、次々とわが身を滅ぼしゆく…どれほど愚か者ばかりなのか、火の眷属は。召し上げても召し上げても、皆、同じ轍を踏む』と、本気でこぼしていたくらいだからな。

たかだか数百年でー天界の尺度では極短期間に、太陽神が次々と交替して行く中、ヴァルナは、火の眷属はこういうものなのだ、仕方ないと、ついに諦めの境地に達したー腹をくくったんだ。天界としては、何を犠牲にしても、ウシャスを守り抜くのが第一義であると。そのためには、太陽神の交替が頻繁でもやむを得ないと。天秤にかければ、どちらがより大切かは、ヴァルナを始めとして、天界には自明のことだったからな。

そして、数百年の周期で交替するような太陽神には、ウシャスの事情を詳らかに打ち明ける必要はもとよりなし、と、君がいうところの使い捨てもやむなしと決めたようだ。

その過程で、ウシャスにも余計な事は一切教えないほうがいい、ということになったようだ。それでなくとも、一時、太陽神が空位だった時、ラートリーがウシャスに与えた眠りは、かなり深く、しかも長期にわたっていたうえ、ラートリーが忘却の効果も加えていたのか、次代の太陽神が即位した時、ウシャスは、初代の太陽神のことを、あまり覚えていなかったらしい。初代の太陽神が消失したのは、彼女が、光の粒子となって中空一杯に広がった後だったーつまり彼女が知覚をもたない時分に起きたことだったから、彼女は、太陽神の消失自体を知らなかったらしいしな。それで、ならば、敢えて、何も知らせないほうがよかろうとなったようだ。

それでも、夜の衣を解かれ目覚めた時、ウシャスは、漠然とした空虚さとか不安感を感じていたらしかったが、ラートリーとミトラとヴァルナが『何も心配はいらない』と、懸命に彼女を安心させ…むずかる子供をあやし、なだめるようにな…続けて、極普通の様子で、さも何でもないこととして『太陽神の雰囲気が、たまに変わったように感じることがあるかもしれないが、おまえは何も気にせず、そのまま自身の務めを果たすように』と諭し、夜明けの儀式の再開を促した。また、数百年で消えてしまうようなものと親しくなっても、ウシャスが別れ際に寂しい思いをして、顔を曇らせるだけだろう、と判断して、太陽神とウシャスに、語り合える手段があることも、敢えて、知らせなくなった。ウシャスは純粋で何かを疑うという性情自体がほとんどない上に、ヴァルナやラートリーの言は、本質的にはウシャスの身や心情を案じてのものだったから、彼女は、その意図を誰何することなく、天空神たちの言を素直に聞いて、その後、一切、太陽神とは接点をもたず、夜明けの女神として忠実に職務を果たしてきたんだ。

こうしてウシャスは名目上「スーリヤの花嫁」と称されながら、スーリヤとの接触は再生のための儀式の瞬間のみに留められ、スーリヤは『百神の王』というこの上ない栄誉を与えられる一方で、実体はウシャスを再生させるための道具として、代々、天界から使い捨てにされてきた、というわけだ』

月神ソーマは、話しを終えると、神酒を一気に飲み干して杯を卓に置き『さあ、どうする?』とでもいいたげな瞳でオスカーを見据えた。

 

オスカーは、ソーマ神の話が終っても、数分の間、口がきけなかった。

天界が、どんなものよりウシャスを大切に思っていることは、身にしみて、わかっていたつもりだった。

それでも、ウシャスを無事、存在させるために、ここまで、スーリヤが、疎外されているとは思っていなかった。

そして、スーリヤが永年天界から疎外されてきた理由も、オスカーが考えていた、天界の火の眷属への侮蔑や軽視からではなく…ウシャスへの太陽神の大きすぎる影響力、それに対する反感と恐怖に由来していたとは、思ってもいなかった。

「アンジェリークと…ウシャスとスーリヤの関係性は…俺が思っていた以上に深く、強いものだったんですね…だからこそ、天界はスーリヤを…スーリヤの影響力を恐れ…恐れたからこそ、天界は、ことさらにスーリヤを蔑ろにしてきた…いや、目隠しをし、縛ってきたといったほうがいいのか…スーリヤにはなるべく情報を与えず、神酒でもスーリヤの行動に制限をかけ…それはつまり、太陽神の大きすぎる権限を、太陽神自身に知られた場合、それを盾に取られた場合を警戒した、恐怖に根ざしての行為だった…ということですね…そこまでは理解しました…」

「そうだ、オスカー、天界はスーリヤを軽んじていたんじゃない、むしろ、恐れてきたんだ。スーリヤの実力とウシャスを失う可能性、その2つを同じほどにな。だから、スーリヤに与える知識や情報を制限した。知識は、そのまま力になるから。そして力を得たスーリヤは、真実、脅威となると天界は考えたからだ。つまりスーリヤの二つ名「百神の王」は天界の率直な心情が映されているんだ。百神の王の名はスーリヤを懐柔するため、いい気にさせるためのお追従で与えられたものではない。そう称されるに相応しい力があるからこそ、スーリヤは『百神の王』なんだ」

ソーマ神はこういったが、オスカーには「百神の王」という二つ名は、やはり底意地の悪い皮肉としか思えなかった。行使できない権限などあっても無意味だ。それは国も民もない者が自らを王と称するに等しい馬鹿げた行為だ。もし「百神の王」という呼称に、太陽神を嘲弄する意図が天界側になかったのだとしたら、それこそ皮肉なことだと、オスカーは苦々しく思う。

そんなオスカーの心情を知ってか知らずか、ソーマ神が

「さて、俺の昔話はここまでだが…これを知って君はどうするつもりだい?」

と尋ねてきた。

オスカーは、この問に、一瞬、虚をつかれた。

ソーマ神の語った昔日の経緯、その情報量に圧倒されて、では、その情報をどう利用するか、どう動くかを考える余裕がなかったことに気づいた。

いや、そも、ソーマ神が今語った言葉をすべて「真実」だと信じていいのだろうか?そんな疑問が、ふと、オスカーの胸にもたげた。

直感としては、ソーマ神の言葉は、真実だろうとオスカーは感じていた。

ソーマ神の話で、オスカーが疑問に感じていた事象の多くに無理・矛盾なく説明がつくし、話はきちんと整合性があって、つじつまの合わない部分がない。なにより、ソーマ神の言葉には、その場に実際にいた者、ことの経緯を直接知る者ならではの臨場感や具体的な描写があった。そして、ソーマ神の態度にも、不自然な雰囲気ー落ち着かない仕草や、泳ぐ視線などは見受けられない。

もっとも表情や仕草から、このしたたかそうな月神の本心を読み取るのは、ほぼ、不可能ではないかとも、オスカーは感じてはいたが。

それに、これだけの情報を気前よく与えてくれるソーマ神の意図は何なのか、それも、オスカーは気になった。

ソーマ神は、アンジェリークへの恋に心焦がす俺に、親近感を抱いたといってくれたが…オリヴィエも、ソーマ神から助言を仰いだ方がいいのでは、とは言っていたが、ただ、それだけの理由で、ソーマ神は、俺にこんなにも肩入れしてくれたのだろうか。

その時だった。

それまで一緒に黙って話を聞いていたオリヴィエが、ずい、と半歩前にでた。

「ソーマ様、貴重なお話をお聞かせ願え、ありがとうございます。そのお話のことで、私から、一つお尋ねしたい…というより、お願いしたいことがあるのですが…」

「何だね?若きサヴィトリよ」

ソーマ神は、相変わらず人の良さ気な相好を崩さぬまま、言を発したオリヴィエの方に顔をむけた。

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