オスカーが、ソーマ神からもたらされた圧倒的な量の情報を、どう整理し、今後のことにどう役立てるか、いや、そも、ソーマ神の言葉をーもたらされた情報を全面的に信用していいのか、疑念とまではいかないが、僅かに逡巡していたその時だった。それまで黙ってソーマ神の話を聞いていたオリヴィエが、落ち着いた口調で、ソーマ神に、こう語りかけた。
「ソーマ様、私は天空神の大先輩のソーマ様を…高貴この上ない月神であるソーマ様を心から尊敬してます。オスカーに言った通り、ソーマ様がこいつの…オスカーの良き理解者になってくださるのではないかと願っていることも本当です。が…だから…だからこそ、私は…今のソーマ様の言葉が全て真実だと保証していただきたい。もちろん、ソーマ様がウソをついてるとは、私は思ってません…でも、できれば、私は、ソーマ様の口から、今、語ったことは、全て真実だとはっきり断言していただきたいんですが…していただけますか?」
「っ…オリヴィエ…おまえ、何言って…」
オスカーは、一瞬、自分の逡巡が、オリヴィエに読み取られたのかと驚き、少しうろたえた。
が、すぐに、自分が疑問や不可解に感じることなら、オリヴィエもまた、感じるに違いないということに思い当たる。だから、まるで、オスカーの頭の中を読み取り、代弁したかのような言が、オリヴィエの口から、出たのだろう、と。
というのも、ソーマ神の言葉が全て真実だと証明するものはどこにも、何もない、それは、事実だからだ。証拠などというものは出しようがなかろうし、自分には他の神から同様の話を聞く機会もなかろうから、情報の真偽をすり合わせることもできない。ソーマ神の立場なら恣意的な情報操作だって可能だろうから、常識的に考えれば信用性は低いー情報源が一つしかない場合、情報の精度を測る尺度がないのだから、丸ごと鵜呑みにしていいものかと、半ば疑ってかかるのは、当然だ。
だが、だからといって、情報源である当人に、言葉で『太鼓判』を押させることに何の意味がある?たとえ、今の話にウソが混じっていたとしても、情報提供者が、自ら「今の言葉はでたらめです」とか「一部、虚偽偽りを混ぜました」なんて、暴露するワケがない。
「ちょっと待て、オリヴィエ…そんなことをしたって…」
『無意味だ』と、オスカーはオリヴィエをたしなめようとした。と、その前に、ソーマ神もまた、オリヴィエの提言の意味を汲み取り
「サヴィトリは私からの言質が欲しい、ということかね?つまり、私の言葉は、そのままでは信頼に値せん、ということかな?」
と、尋ね返してきた。先刻、オスカーと相対していた時と同じように、気を悪くした風は微塵もなく、温和な表情のままで。
「いえ、ソーマ様は、包み隠さず真実を語ってくださったと、私は思ってます、いや、感じ取った…という方があたってるかな。でも、私たちには、ソーマ様のお言葉を検証する術がないのも事実。そして情報の真贋を確かめられない以上、私たちは、ソーマ様の誠意とか誠実さとか、そういうものでしか…」
オリヴィエがそこまで語ったところで、オスカーが『俺の話を聞け』といわんばかりに、彼の肩に手をおいて軽くゆすぶり、話を中途で遮った。
「だから、待てって、オリヴィエ。そんなことをしても…ソーマ様に言質を求めたとて、言葉での保証なぞ、それこそ、何の意味がある?保証の言葉をもらったって、それを検証する術は、結局、俺たちにはないんだぜ?言質をいただいても、気休めにもならん」
このオスカーの言葉に、オリヴィエが何らかの反応を起すその前に、ソーマ神が口を開いた。
「そう、その通りだ。俺の言葉に関しては、それが何であろうと、今ここで検証する術はない。しかし、俺の方に、俺の言葉を真実だと証明する義務もないと思うが?俺は、求められるままに手持ちの情報を提供しただけだ。それをどう料理するか…信じる・信じないは、君の…君たちの自由だと思うが、違うかね?」
「それは…その通りです」
ソーマ神の言葉に、オスカーは力強く頷く。
ここで、ソーマ神が「俺の言葉は全て真実だ」と断言したとして、それを、証明する手立ては結局ないのだ。保証の言葉をどれ程重ねたとて、きりなどないし、したがって無意味だ。
どちらにしろ、この世界創世の折より存在する他の神々が、同様の情報を自分にもたらしてくれるとはとても思えない、他の神々は、自分に肩入れしたり、味方になってくれる理由が、一つもないのだから。つまり、他からの情報源がない以上、ソーマ神からの情報を、他の情報と擦り合わせて、言葉の精度を測ることなどできない。
ならば…結局、俺は、俺の直感を信じるしかないのではないか。
話の整合性や、ソーマ神の様子から、ソーマ神の言葉は全て真実だと、俺は感じた。
そして、保証があろうとなかろうと、俺には、ソーマ神の言葉を信じるか、信じないかの二者択一しかないし、この情報を真実として受け入れなければ、どちらにしろ、俺は八方塞…現状では、何をどうしたらいいのかわからないままだ。
でも、諦め、投げ出すことはしたくないし、できない。『分からない』『仕方ない』と結論付けてしまったら、そこから一歩も動けなくなってしまう。
ならば新たな情報を元に、打開策を考えるほうが、まだ、展望があるのではないか。ソーマ神の言葉を真実と信じ、それを大前提として新たな方策をたてる以外、今の俺には何ら打つ手がないのは、厳然たる事実なのだから。それを考えれば、保証があろうとなかろうと、俺は、ソーマ様の言葉を信ずるより他に道はない。
だが…と、オスカーは考える。
俺にもわかるこんな容易なことが…言葉でのみ保証を求めることの無意味さが、オリヴィエにわからぬはずがない。ソーマ神の言を信じ、情報を活用させてもらわねば、俺には何の活路もないことも。なのに、何故、オリヴィエは、わざわざ、ソーマ神に言質を求めたのだろう…。
オスカーは不可解な気持が抑えきれず、ちらりとオリヴィエをみやった。
と、その時、チャーリーが片手をあげて、話に入ってきた。
「すんまへん、俺からもええですか?ソーマ様、俺等、神としては若手のぺーぺーやし、元々光の眷属でもあらへんし、オリヴィエ…サヴィトリからして光の眷属としては傍流の出やから、天空界の中央の事情にどうしたって疎いし、知識は乏しい。で、足りないところは自分たちで調べよ、思うても情報源も制限されてもうて、もう、どうにもこうにも、自分たちだけじゃお手上げちゅーところやったんです。オスカーとウシャス様と、二人ともそれぞれに不憫で、どうにかしてやりとうても、ですわ。せやから、ソーマ様が並ぶ者無き天界の最高神のお一人でいらっしゃることは承知の上で、しかも、俺たちがしようとしてることって、天界の大勢に逆らうことやもしれませんけど…それでも、どーか真(しん)からオスカーの味方になってやってほしいんです。オリ…サヴィトリもつまりは同じ気持なんやと思います。お話がどんだけ本当かちゅーことにこだわってるんやのうて…ソーマ様が…高位の天界神でいらっしゃるソーマ様が、ほんまに、オスカーに親身になってくれはるのかどうか、そういうお言葉とかお気持やらが、ほしいんやと思います、なんせ俺等には…つか、オスカーには、他に頼れる人がおらへんから…俺等はおるけど、この件に関しては、悔しいけど、励ます以外、具体的にしてやれることがのうて…だから、どうか、お頼もうします、ソーマ様、こいつの…オスカーの味方になってやってください!味方になる、言うてやってください!」
「!…オリヴィエ…チャーリー…そうか…そういうことか…」
オスカーは、瞬間、呆然とし、それから、じわじわと胸になんともいえぬ感慨がこみ上げてくるのを感じた。
オリヴィエが欲していたのは『情報の真贋』に対する言質なんかじゃない…チャーリーの言葉を聞いて、オスカーは、オリヴィエの不可解な行動に漸く合点がいった。そして、言われるまで気づかなかった自分の迂闊さを恥じ入った。
オリヴィエは、ソーマ神が、本心からにオスカーの味方をしてくれる気があるのか、『言質をくれるか』という言葉にかこつけて、ソーマ神に覚悟を促し、その対応から、彼の誠実さを測ろうとしたのだ。
ソーマ神は、あくまで天界を構成する一員ーしかも創世の頃よりその地位にある、最高位神の1人だ、そして、天界全体の意向としては、ウシャスの存在保全ー彼女に誕生当時と変わらぬ純粋さを保たせることーが何事よりも優先する旨が決まっているとしたら、オスカーが、天界にとって危険分子であることに変わりはなく…となれば、天空神であるソーマ神がー困難な恋の経験者という親近感からか、情報を提供してはくれたが、最終的に、もしくは、本音では、彼がどちらの側に立つつもりなのか、オリヴィエが確かめたいと考えたのも、無理からぬことと、オスカーは得心した。
オリヴィエ自身「ソーマ神から助言を得てみるといい」とオスカーに勧め、そして、困難な恋の先達という点では、たしかに、彼は良き助言者になってくれる可能性が高かったが、なにせ、オスカーの思い人は普通の女性ではなく、天界の至宝と称される女神だ、ソーマ神がウシャスをどう見ているか…万が一、ヴァルナやラートリーとそう相違ない見解を持っていれば、同情まではしても、全面的にオスカーの味方をしてくれるとは限らない、という恐れもあることに、思いあたったからでもあるだろう。
だから、オリヴィエは、若干不躾な言葉で揺さぶりをかけることで、ソーマ神の本音を探ろうとしたのだ、先刻の俺のように…。ただ、それは、オリヴィエも、できれば、ソーマ神を頼みにしたいと考えたからこそでも、あろう。
そして、それは…面映いが、どう考えても俺の…ため、だな…。絶対、こいつは否定するだろうが。
そう思いながら、ちらりとオリヴィエを見やると、彼の口の端が、神経質にひくついていた。照れているのか、苦笑をかみ殺しているのか、いや、もしかしたら『あまり余計なことを言うな』と、一瞬、チャーリーに舌打ちしかけて、寸前で堪えていたのかもしれない。
とにかく、チャーリーの念押しのような言葉で、オスカーのみならず、ソーマ神も、二人の友人たちの意図を正確に把握したようだった。
「まったく君たちは…友達思いなことだな」
ソーマ神は、にこやかに、嬉しそうに軽く頷いたものの、結局、オリヴィエの懇願にもチャーリーの要請にも明確な答えは返さず、替わりに、オスカーを真っ直ぐに見て、こう尋ねた。
「で、君自身はどうだい?オスカー。君は、俺の言葉を真実だと丸ごと信じてしまっていいのか?それとも、もしかしたら、俺は、君にウソを言っているかもしれないと、疑っているかね?」
ソーマ神は、相変わらず興味深気な表情を変えない。
『ソーマ様は、質問に質問で切り返してきただけで、友からの懇願は、体よく無視したまま…つまり、今はまだ、結論を言う気はないー明答を避けたいということか…ってことは、俺の出方を、伺っている?その上で、どうするのか…本心から、俺たちの側に立ってくださるかどうか、決めるおつもりか?』
ソーマ神が、自分たちの味方になってくれれば、たしかにこんなに心強いことはない。彼は、俺たちでは知りえないような天界に事情にも通じていようし…
ならば…俺は、ソーマ神の気に入るような返答をすべきか?
つかのま、オスカーの気持は『迎合』に傾きかけた。
が、オスカーは、すぐに、心の中で頭を振った。
直感的に、ソーマ神には、率直に、誠実に相対したほうがいい、いや、そうしたいと思い、こう答えた。
「いえ、俺は、俺たちでは知りえなかった情報を提供してくださったことをソーマ様に感謝してます。そして、それ以上に…ソーマ様のお言葉は、全て真実であろうと、俺は感じました。ソーマ様のお言葉で、俺が感じていた数々の疑問に、無理なく納得の行く答えがみつかるからです。俺は、ソーマ様のお言葉を信じます」
「そうか」
「それに…どちらにしろ、俺には他に情報源がない。ソーマ様の言葉を信じなければ、そこで、もう打つ手がなくなってしまうんです。俺には、ソーマ様の情報は全て真実と信じた上でないと、対策をたてられない。だから、ソーマ様のおっしゃった言葉は全て真実だと、俺は信じます、信じるしか、俺には、道はないからです」
「ふ…それはまた正直なことだな」
「ただ、何故、ソーマ様が、俺にここまで詳細な事実を教えてくださるのか…と、些か不思議に感じることも事実です。そこまでしていただく理由が思いつきませんので…」
「俺が君を気にいったから…君の真摯な恋を応援したくなったから、では、答えにならんか?」
「そう…ですか…」
一端の真実ではあろう。だが、それだけではやはり弱いという印象は否めないと、オスカーは思う。
俺が、困難な恋を求めているからという理由だけで?貴重な情報を何の対価も代償もなしにくださったと?いうのか?
『知識はすなわち力』となることは、オスカーも同感だ。
だからこそ、ソーマ神が自分に情報を与えたのは、俺に強大な力を授けたのと同義だ、そして、この月神ソーマが、単に、個人的な好悪の情だけで、俺に、力を与えようとするだろうか、そんなにも、単純な人だろうか、この方は…
ソーマ神はオスカーに真実を教えてくれた、ここまでは確かだと思う。
だからこそ、ここまでの真実ー情報を俺に開示してくれたことには、もっと深い意味と意図があるような気がしてならない。
しかし、だからといって、俺は、この与えられた情報を拒否することはできない、拒否しても、道は開けないからだ。俺は、与えられたものを利用して、道を切り拓くしかないのだ。
「とにかく、俺は、ソーマ様のお言葉は全て真実だという前提で、今後、自分が、何をどうすべきか考えたい、そう思っています」
と、オスカーは言い切った。
『これも…こう、言い切れるのも、敢えて…俺の替わりに俺が疑問に思いそうなことを口にしてくれたオリヴィエとチャーリーのおかげだな』
と思いながら。
オリヴィエがソーマ神に情報の真贋の保証を求め、チャーリーは彼に誠実さを懇願した。俺では口にできないことを…こちらから情報を求めておいて、いざ提供された情報に対し「それは真実ですか?あなたは信用できますか?」などと、無礼千万な台詞を、幾らなんでも、いえるものではない。しかし、提示された情報を丸ごと鵜呑みにし、会って間もない人物を、いきなり100%信頼しきるほどの度胸もない。俺は、天界の狡知を、もう、随分と知ってしまっていたからな。だから、俺の替わりに…俺のために、オリヴィエとチャーリーの二人は、俺が、疑問に感じても、口に出してはいえないことを代弁してくれたのだ。自分だけでは思考が堂々巡りになりそうな時、他者から言語化した思考を聞くことで、自分の考えもまたすっきりとまとまることは多い、オリヴィエもチャーリーも、その手助けをしてくれたのだ。だからこそ、俺もきっぱりと腹をくくれた。俺には、今、ソーマ神の言を信じるより他に道はないのだと、迷いを断ち切れた。
誠、俺は得がたい友人に恵まれた…
ただ、ウシャスとスーリヤの関係の深さ、そして、ウシャスの存在の危うさ・頼りなさを思うと、単純に「自分はこうしたい」だけで、結論はだせないと、オスカーは思う。
「今…少々時間をいただきたい。ソーマ様からいただいた情報を元に、少し、考えを整理させていただきたいのです」
ウシャスの身を思えば、自分がしたいことをただ押し通せば良いというわけにはいかないのは明らかで、でも、今の状態のままでは、俺のことはともかく、ウシャス自身も本当に幸せかといえば、そうとも断言できない気がして…だから、現状肯定も容易にできるものではなかったからだ。
だから考えをまとめるための時間が欲しく、オスカーは、ソーマ神に、そう言って僅かに瞳を落とした。
「そうか」
そういったきり、ソーマ神も黙った。
ソーマ神の話を整理せんと、頭の中に思い返すほどに、その事実の重さに、当事者の片割れであるオスカーは、圧倒される思いだった。
オスカーは考える。
ソーマ神の言の多くは、「なるほど」と納得できる面と、到底頷けない面ー主に感情的にーと、同時に2つの性質を持っていた。
ウシャスを何より大事に思うあまり、ウシャスを脅かすあらゆる可能性を排除せんと、安全策に走った天界の気持もわからないでもない。自分だって、アンジェリークを守るためなら、何でもする、と言い切れる。しかし、長い時間の中、歴代の太陽神が、いいように掌で転がされてきた事実を改めてつきつけられ、心は重く塞がれた。特に初代の太陽神の気持を思うと胸が大層痛んだ。
しかも、新たに得た情報からも、オスカーがアンジェリークを妻とするのは、所詮ありえないこと、結局不可能ではないか、と思わされるばかりだ。
頭の中で、オスカーは思いつく限りの困難、問題点を挙げてみる。
まず、純粋な光に近い彼女の命を永らえるためには、定期的に太陽光に焼かれる必要があること。が、太陽に焼かれた時点で、彼女は陽光と不可分に交じり合ってしまい、光の粒子となった彼女は、この腕に捕らえることはできなくなる。
そして、夜には彼女も短時間なら実体化できるはずだがーだからこそ、少年期の自分は、彼女と逢瀬がもてたー今は、それをラートリーに阻まれているうえ、俺自身が、太陽光の助けのない夜間には、日没後の僅かな時間しか、清明な意識を保てなくなっている。
何も知らされていない太陽神よりはマシとはいえ、こんな中ぶらりんな状態で、男として遂げられない思いを抱いたまま、いつまで太陽神としての能力を保っていられるか、自分でもわからない。
それ以前に、自分が男としての思いを遂げるためには、まず、アンジェリークの方から、俺と同じ意味合いで、俺と結ばれたい、身も心も繋がりたいと思ってくれなければ、俺は、歴代の「無法者・無礼者」といわれた太陽神と同じになってしまう、そして、そんな配偶者を天界が認めるわけがない、俺は、即刻太陽神の地位を剥奪され、火の地に送還されるかもしれない。
昼間でないと、俺には力がない。
昼間には、光となって拡散しているアンジェリークの身は抱けない。
アンジェリークと結ばれる見込みなしに、俺の力がいつまで蝕まれずに保てるかも、わからない。
しかも、俺が彼女と結ばれるためには、アンジェリークからも俺を『男』として求めてもらわねばならない。それ以外、俺と彼女の仲が認められる可能性は無い。
しかも俺の在位は、恐らく期間限定…いつかは…俺は天界から追放される日がやってくる。
突き詰めれば、こういうところだろう。どこからどう見ても、自分の劣勢は明らかだった。
これでは…どう足掻いても、結局、俺は、そう遠くないうちにアンジェリークとの別れを余儀なくされるのだろうか…。ある日を境に、彼女と2度と会えなくなってしまうのか…。
改めて、その現実を考えなおした時、オスカーの心に真っ先に兆したのは
『…いやだ…いやだ!』
身が自ずと震えるほどの激しい拒絶の叫びだった。
会いたくて会いたくて、そのために弛まぬ努力をし…漸く再会できた。彼女も俺に会いたかったと言ってくれた。俺を好きだと…恋情の意味あいではないかもしれないが、それでも俺を好きだと言ってくれている、だから俺は、尚の事強く、生きている限り、彼女の傍にいたい、一緒の生を紡ぎたいと思った。好きだから、愛しているから、いつの日か、彼女と男と女として結ばれたいとも思う。彼女の身も心も欲しい、そして、叶うことなら…いつか、彼女に俺の子を産んでほしいとさえ思う…そんな夢まで見てしまう。彼女でなくちゃ、いやだ、アンジェリークでなければ…だめなんだ…アンジェリークでないなら、誰もいらない…
ああ、そうか…
オスカーには、この時、天界の危惧が少しだけ理解できたような気がした。
アンジェリークでなければだめだ、という思いは、彼女をこの手にできないのなら、何もいらないということにも通じる。その考えを、少し進めれば、どうあっても彼女が己の物にならないなら、壊してしまったっていい、次代の太陽神に譲るくらいなら、いっそ、彼女の存在そのものをこの手で消してしまえ、俺の代で終らせてしまえ、という場所にたどり着くことだってありうる。そして、自分には、その力があるのだと太陽神と知っていれば…彼女をその手に抱かないまま、日々を重ねゆけば、彼女は徐々にその輪郭を薄れさせ、陽光に交じって、大気一杯に拡散したままの状態から戻れなくなるーそれはウシャスとしては『死』を迎えることと同義だ。ただ、それは、同時に、他の太陽神がウシャスをその手に抱くことは決してなくなることも意味する。ウシャスを消失させることで、時の太陽神は「ウシャスの最後の夫」になれる。そして、もし、ある太陽神が、一度そう決意したら、恋情ゆえのその狂気を止める手立ては、たしかに天界にはあるまい…。ならば、ウシャスは太陽神に抱かれて、その身を焼かれなければ再生が困難である事実を、天界が秘密にするのは、当たり前だ。そして、その事実を隠蔽した上で、なお、太陽神の手にウシャスを抱かせるためには「ウシャスは太陽神の花嫁」という伝説をでっちあげるしかなかったことも…仕方ないこと、やむをえなかったことだと、得心してしまう。
俺も、俺自身も、ウシャスの存在を守るためなら、非情な決定もくだそう、ウシャスの存在を脅かす恐れは一切排除するだろう、と理解できるからだ。ウシャスが何より大切だから、ウシャスには幸せであってほしいから。
その気持自体は、天界も俺も、同じなのだ。
ならば…彼女の幸せは何なのか、そちらから考えてみよう。
天界は、どの太陽神とも心を繋がずに、彼女を外界の一切から遮蔽し…繭玉に包んで保つことが彼女の幸せだと思っている。
だが、彼女は…多少なりとも、もう、俺と心を通わせている。俺を好きだといい、俺の話を楽しいという、ならば、その俺が天界から去り、何も知らない、彼女と言葉を交わそうと思いもつかない新たな太陽神が彼女の名目上の伴侶となることは、幸せか…?決してそうではあるまい。
先刻の友の言葉が脳裡に蘇ってくる。自分が酷く自惚れているようで、友の言葉にその時は素直に頷けなかったが…たしかに、俺が太陽神でいることと、俺以外の、彼女の事情を何も知らない・知らされてない者が太陽神になるのと比べたら…恐らく、俺が太陽神のままでいるほうが、彼女も充実した時を過ごせるのではないか。俺が太陽神から退いたら、彼女も、きっと、悲しい思いをするだろう…というのは自惚れではないと思う。
それに、それにだ…未来の太陽神の誰かが、俺の気付いたこの事実に…太陽神にウシャスの生権与奪があることに気づかないとは限らない、その時は、たしかに、ウシャスが消失させられるかもしれない危険が限りなく高まる。未来のスーリヤが、俺のように彼女を愛し、俺のように彼女の幸せを考える保証はどこにもないからだ。その点だけ考えれば、天界側の用心と危惧は、たしかに尤もなことなのだ。
だが、俺なら…俺は、絶対に彼女を儚くしたりしない。自分の欲望に任せたり、逆に、自分の欲望が満たされないからといって、自棄になって彼女の破滅や消失を望んだりは、決してしない。俺は彼女に救われ、彼女の存在で満たされたのだから。彼女自身が俺の最も大事なもの、俺の喜びの源泉であり焦点なのだから。
ならば、俺は、俺自身のためだけでなく、彼女のためにも、可能な限り長く太陽神でいるべきではないか。
そのためには、己が恋情で、身を滅ぼすことのないよう、かといって、絶望に捉われることとのないよう感情をコントロールしつつ…彼女に求められ、彼女と結ばれる、その方法を、とにかく考えるしかないのではないか…。恋情を燃やしすぎず、しかし、自棄になったり、絶望に捉まったりしないよう、いつも、希望を胸に抱えつつ。そんな風に感情の均衡を保つのは、容易いことではなかろうが…。
「ソーマ様、俺は…俺はこんな風に考えます」
そう呟くように告げてから、オスカーは、しゃんと頭をあげ、ソーマの目をまっすぐに見据えた。
「俺にとって最も大切なのは彼女の幸せです。そして俺は、俺自身が可能な限り長く、太陽神でいることが、彼女の幸せに通じると…そう、結論付けました、そのために、なるべく長くこの地位に留まるための努力をしたい、僅かでも可能性のあることなら、なんでもしよう、今、そう決めました」
「ほう?君さえよければ、なぜ、そう考えたか、理由を聞かせてくれないか?」
「現時点で、彼女は俺と幾たびも会話をし、彼女もその時間を大切に思っていること、俺のことを…恋情の意味ではないかもしれなくとも、好きだと言ってくれていること、しかし、次代からの太陽神が、彼女に話しかけたり、心をつなげようと努める補償はどこにもないこと、それ以上に、ウシャスの生権与奪が、己にあることに太陽神が気づいた場合、たしかに、ウシャスが消失の危険に晒される、その恐れが、非常に高くなること…この点、天界の…ヴァルナ神の警戒と用心は、全く理に適っている、俺にも納得のいくものです。ならば、俺が…現時点では、俺が、彼女に最も充実した時間を感じさせてあげられるだろうから…俺以外の者が太陽神になるより、俺が、太陽神のままでいたほうが、彼女は幸せだろうし、その間は、彼女は絶対に消失の危機に晒されることはないから、安全面においても、心配がないと言い切れる、そう結論づけたからです」
「君が可能な限り長くスーリヤでいることが、ウシャスの幸せだと、君は言うんだな?」
「…ええ、俺の思いは決して揺らがない、そう誓えるからです。…俺は全身全霊でアンジェリークを愛している、ソーマ様から見れば僅かな年月でしょうが…俺にとってはこの長い年月、どんな女性と出会っても、この思いは揺らがなかった。彼女以上に心惹かれる女性に会えるとは思えない、いや、決してないでしょう、今までも、これからも…。そして、俺にとって何よりも大切なのは彼女自身であり、彼女の幸せだと、どんなものにかけても誓えます」
「大層な自信だな」
「…身の程知らず…と思われるのも承知の上です…それでも、俺は、俺以外の男が太陽神に就くより、俺自身が太陽神のままでいたほうが、彼女の笑顔も増えるのではないかと…そう思うのです。だから…俺は、可能な限り長くスーリヤの座に在るためにも…俺自身の思いを遂げる、その方策も諦めずに探るつもりです」
「ほぅ…?君自身の思いを遂げることが、ウシャスの幸せに通じると、そこまで言い切るか、君は。ふふ…自信を通り越して傲慢にも聞こえかねないぞ?」
「ソーマ様のお言葉が、全て真実という前提付きでの結論ですが。ソーマ様のお言葉を事実と踏まえれば、アンジェリークを個人的に知らない、ウシャスはスーリヤの花嫁と称されるようになった経緯も知らない者が、アンジェリーク個人の幸せをどれほど考えてくれるか、定かでない以上、俺が、なるべく長く…彼女がウシャスである限り、俺も太陽神のままでいるほうが、彼女は幸せだと、俺は断言できます。自惚れに聞こえるかもしれませんが…そして、そのためには、俺は俺の恋を叶えるほうがいい、その方が俺の火気は安定するでしょうから。彼女と一度でも情を通じれば…俺は、その時間を無限にでも持ちたいと思うでしょうから、力は安定するし、何より、行き場のない恋情で己の身を焼き滅ぼす心配がなくなります…」
「そのために君はどうするつもりだい?」
「それをこれから考えます。ソーマ様のお言葉で、問題点がかなりはっきりしましたから。長らく太陽神でいるためには、俺は俺自身の恋情でわが身を滅ぼしてはならない、だから、絶望に捉われることのないよう、自棄にならないよう、彼女と結ばれる方法を模索します。まずは、彼女から俺を求めてくれるようになるまで、ソーマ様のように、俺の恋情をありったけの気持で伝え続けようと思います。彼女が俺を好きだと言ってくれるその気持が『恋』だと自覚してもらうまで…そして、自らの意思で俺を選んでくれるまで…彼女と結ばれるための方策は、その後、考えます」
「時間をかけても正攻法で、彼女を口説くか」
「それは俺の男としての誠意です。それに、これは自分と彼女を幸せにするための努力、そのために費やす力や時間は、微塵も無駄ではない、虚しくもありません」
「…だが、君は、ウシャスの命をその手に握っている、それを利して、手っ取り早くヴァルナに言うことを聞かせよう、なんて思わないのか?『ウシャスを自分に差し出さねば、再生の儀は執り行わない』と君が言えば、さしものヴァルナやラートリーも君の命に従わざるえなくなるんじゃないか?…」
「なんですって?…そんなこと…考えてもみませんでした」
オスカーは心底、意外だという表情になり、そして、すぐ次の瞬間、嫌なものを口に含んだかのような顔をした。
改めてソーマ神の言及した可能性を考えてみたからだった。
『百神の王』という呼称、その名誉も、多分に、天界が太陽神に味あわせる精神的苦痛への「補償」「埋め合わせ」の意味合いが強いのではないかと、オスカーは思っていたがーソーマ神の言葉から、天界はスーリヤの絶対的な権力と支配力を、むしろ、恐れていること、だからこそスーリヤは「百神の王」と呼ばれるのだと知った。『百神の王』という二つ名は伊達ではなく、実質的な支配力の証左だった。それは、天界の至宝たるウシャスの命運を、スーリヤが握っているからこそであり、それを振りかざされたら、天界は言うなりになるより術がないからだ。地上の生き物へ権力、影響力のみならず、スーリヤは、その気になれば天界もいいように支配できる。ウシャスを大事に思う気持が天界にある限り、たしかにスーリヤは最強の神だ、絶対権力者になりうる。
なのに、歴代の太陽神は、自分が、天界全体に対し、そんなにも強い影響力を及ぼせることに、その可能性にすら、気づかずにきた。しかし、一度気づいてしまったら…今の俺のように…たしかに、天界を脅迫し、ウシャスを、一時的に我が物にすることは可能かもしれない。
だが、もし、俺が、自らが権力を振りかざして、ウシャスを一夜我が物にしても…翌日から、ウシャスは存在しなくなってしまうかもしれない。そんなことに何の意味があるのだ。たった一夜のために、ウシャスの未来を奪っていいわけがない。第一、俺自身がそんなことに耐えられない、恋を大義名分に、そんな愚かで自分勝手なことをするくらいなら、俺は死んだほうがましだ、もし、それすら分からないほど、頭がおかしくなっていたら、…俺は存在しないほうがいい…。
ちょっと考えればわかることだが、ウシャスが滅したら、天界を縛っていたものはなくなり、天界がスーリヤを恐れる理由もなくなる。人質ともいえるウシャスが、滅してしまった時点で、スーリヤは一切の権力を失い…恐らく、死ぬほうがマシと思うほどの重罰を受けることになるだろう。その点でも、スーリヤの「百神の王」の呼称は、真実であると同時に張子でもある。一度使ったらその時点で消滅してしまう、ゆえに決して実際には使えない…人道的にも、実利を考えても、だ…見せ掛けの権力しか、スーリヤは持っていないのだ。
でも、恋に盲したあまり、ウシャスと諸共の破滅を望むスーリヤがいないとは限らない…
そう思った時、オスカーは、自分がそうなるとは決してありえないし、そんな可能性すら信じられないが、それでも、万が一の時に備え、保険をかけておかねばならないということに思い至った。
オスカーは、ゆっくりと頭をふった。
「そんなことをしても、俺も彼女も幸せになどなれない…上手くいえませんが、俺は、そう思います。汚い手法で手に入れたものは、決して、自分を幸せにはしないと…俺は、そんな気がするんです。それでも…」
一息間をおいてから、オスカーは、きっ…と睨むようなきつい眼差しで、友の方に顔をむけ、低い声で、こういった。
「ただ…長い年月を経るうち、万が一、俺が、叶わぬ恋に盲したあまり…精神に失調をきたして破滅的な行為に走ろうとした時は、オリヴィエでもチャーリーでもいい、どうか、俺を殺してくれ。そう、予め…今のうちに頼んでおきたい。ウシャスの未来を奪うくらいなら…彼女の幸せを第一に考えられなくなったら…そんなことを望むようになったら、俺はこの世に存在しないほうがいい。だから、オリヴィエ、チャーリー、頼む、今、この場で約束してくれないか。万が一の時は…俺が善悪の判断もできなくなった時は、俺に引導を渡すと…」
「っ…ばか!何言ってんのさ!あんたは!何のために、私が、ソーマ様に、頭悪そうとか、無礼千万と思われる危険犯してまで、図々しいことお願いしたと思ってんの!そんなこと、やらされるためじゃないよっ!」
「せやせや!オスカーがそないな風になるわけないし、俺等だって、そないなことするために、なりふりかまわず、ソーマ様に『味方になったってください』ってお願いしたわけやないで!」
「だが…俺は、もう、知ってしまったから…ウシャスを消失させてしまう力が、自分にあることを、知ってしまったから…もちろん、俺だって、そんなことにはならないと思うし、思いたい、だが…俺自身、何百年、何千年後の己の精神状態までは保証できないから…予め、頼んでおきたいんだ、そして、すまん、今のうちに謝ってもおく…その時は、オリヴィエ、チャーリー、すまんが、おまえたちも神職は失って、地上に降りてもらうことになるだろうが…ウシャスのために、俺に引導を渡すと、どうか約束してくれ」
友人のうち、1人は怒りに瞳を燃え立たせ、1人は困りきった顔になっていたが、どちらも肯定の返答はせず、黙りこくってしまった。すると、ソーマ神が、落ち着いた口調で、話を引き取った。
「…では、万が一の時には、その役目、俺が引き受けよう…そういったら、君も安心するか?オスカー」
「ソーマ様が?いや、しかし、本来無関係のソーマ様に、そこまで、踏み込んだお願いをするのは、あまりに…」
「君の友人たちにそれを頼むほど、酷ではなかろうよ。それに、そんなことには決してさせんよ、この俺が」
「…ソーマ様?」
「よく言った、オスカー。今の君の言葉で、俺も確信できた、君の人となり、そして、君のウシャスへの思いの強さ・美しさを、な。俺も君の恋の成就に全面的に協力しよう、単なる情報提供にとどまらず、あらゆる方面でな」
「…?ソーマ様、俺には、ソーマ様のおっしゃることが、よく…」
「いや、失礼。その可能性は低いと思ったが、今の君の言葉と態度で、俺ははっきりと確信した。君なら、自分を見失うことなく、真実、ウシャスに幸せを教えてやれるだろう。君が…ウシャスの命の要を握っていることを盾にとるような素振りを少しでも見せたら、俺は、有無を言わさず、君を人事不省に落とし、即刻の太陽神交替をヴァルナに進言する処だったがな…」
「!!!…」
この時、オスカーはソーマ神が、自分に潤沢な情報を与えた真の意図を理解した。
ソーマ神は、昔日の出来事を語る過程で、オスカーに、強大なる権限があることを気づかせた。
そして、その権限を、オスカーが己が欲望の行使のためだけに使う意図が僅かでもあるか…欲望を満たすためなら、ウシャスの存在を危うくしてもやむなしというような利己的な行動に出る素振りが少しでもあるかどうか…そういう性向を持っているかどうか、オスカーは「出方」を試されていたのだ。
オスカーは、何故、ソーマ神が自分にこれほど詳しい事情を教えてくださったのか、その理由がわからない点に多少、不安を感じていたが、今、ソーマ神の真の意図を理解したおかげで、何もかもが腑におちた。
「…俺は危うい所で、ソーマ様の試験をパスした、ということですか…ソーマ様は、最初から、俺を試すために、わざと情報をくださったんですね…」
「君を試した…というのは、申し訳ないが、あたりだ。だが、最初から、君を試そうと思って、ここに来たわけじゃなく…最初は、君が指摘した通り、君たちの様子だけ見て、帰るつもりだったんだ。君にウシャスとスーリヤの関係性と過去の経緯を語ることにしたのは、ほんとに、あの場で、思いつき、思い切ってみた、という処なんだ。俺のした話は、ウシャスの存在を危うくする危険が、非常に高いからな。ヴァルナが知ったら、絶対俺を許さないだろう。この場にいたら、俺を殺してでもしゃべらせなかったかもしれんな、ははは…」
「笑い事じゃないと思いますが…だいたい、何故、そんな危険な真似をしてまで…」
「一言で言えば…俺も天界神のハシクレ、ウシャスには、やはり幸せになってもらいたいから、かな」
「それなのに、ウシャスを危険に晒す可能性のある話を、俺になさったとおっしゃるのか?…万が一、俺が、ウシャスを消滅させるような選択をしていたら、どうするつもりだったんです!」
「怒っているな、君は…俺がウシャスを危険に晒しかねない情報をもらしたから…」
「当たり前です!いくらソーマ様でも…俺は、ウシャス…アンジェリークを危うくするような真似は…」
「そういう君だから…話しても大丈夫だと思ったんだ。99、9%は大丈夫だろうとな、これでも、人を見る目はあるつもりだからな。君は、太陽神一人に負担を強いる天界の仕組んだシステムをかなりの精度で理解していたにも拘らず、天界を糾弾するといったネガティブな方向に思考を向けなかった。逆に、限られた条件の中で、できる限り生産的、前向きに事態を打開しようとする、いわば正の気概に溢れていた。だから君なら…自分の近視眼的な欲望を満たすためだけに太陽神が真にもつ権力を悪用することはなかろう、そんな気を起すどころか…むしろ、そんな考えそのものを唾棄するだろうと…俺には、そう見えたんでな、それで、思い切って、真実を話してみることにした。どちらにしろ、君が、ウシャスのおかれた状況と問題を正しく知らなければ、ウシャスを今の境遇から解放し、幸せにしたいと思っても、どうしていいかわからないだろう?だから、君に正しい知識、情報を授けることは、遅かれ早かれ、必要なことだった、危険は承知の上でな。もっとも、俺は、まず、大丈夫、心配はないと思っていたがね…と、これは、今さっきも言ったな」
「ソーマ様は、ウシャスを今の状態から解放することに賛同してくださるのか?天界神なのに?何故、ソーマ様は俺に協力をするとおっしゃってくださる?天界神なら…ヴァルナ神やラートリー女神のように、ウシャスを繭玉に包んだままにおくほうが、幸せだとお考えになるのが普通ではないのですか?」
「俺があくまで天界神のハシクレだから、だろうな…つまり、生粋の天界神じゃないからかもしれん、天界のやり方では、代々、利用されるだけの太陽神はもとより、ウシャスもあれで真に幸せなのか、俺自身も疑問に感じていたから…かもな?」
「ソーマ様が?生粋の天界神ではない?ですって?」
「おいおい、考えてもみろ、俺は元々酒神だ、そして、酒っていうのは、豊かな大地の実りあってこその産物、つまり、俺は元々地神なんだ。神酒の杯が天空の道を運行する月だからっていうんで、酒神が地上にいては、色々不都合だろうと、天界に召し上げられ、天空神としての能力や位相を後付で付加された。君と同じようにな。だから、天界側の言い分も…どんな手段をもってしてもウシャスを守らんとするその気持もわかるが、第3者だからこそ、その独善性も見える、これも、君と同じだ。君みたいな、ままならぬ恋を真摯に極めんとする求道者には、親近感があって、理屈ぬきに応援したくなる点を除いても、君に肩入れする理由は十分だと思わないか?ま、俺は酒神で、美味い酒を飲むためには、まず、作物が豊かに実ることが肝要で、そのためには、太陽神には高い士気をもって、もりもり仕事を頑張ってもらわにゃならん、ってことも、君に肩入れする理由の一つだがな」
あっけにとられるオスカーにソーマ神は、にっこりと人のよさ気な笑みを浮かべた。「といっても、俺自身、君とウシャスが、恋を成就させる具体的な良い手立てが、今、思いつくわけじゃないんだが…約束する、何らかの、見込みのありそうな方法とか、君たちの仲に役立ちそうな情報は、即座に惜しみなく提供し、協力するとな。君自身ももちろんだが、幸い君には、頭が切れて情に篤く頼りになる…聡明にして豪胆な良い友人たちがいる。俺が情報を提供し、君たちが協力して知恵を絞れば、きっと、君たちは…オスカー、君とウシャスは、いつの日か、本当の意味で幸せをつかめるんじゃないかと、俺は思うよ」
「ありがとうございます、ソーマ様。お心添え、誠にありがたく…感謝の念にたえませ…」
「堅苦しい挨拶はぬきだ。俺たちの…俺も仲間だと思っていいかな?俺たちの知遇と新たなる門出を祝って、一緒に飲ろう。俺のとっておきの…俺が自分のために仕込んだ年代物のソーマを、今、もってこさせるが、それまでは、これを飲っていよう」
ソーマ神は、にこにこしながら、若者三人の杯に、なみなみと神酒を注いだ。
オスカーは、もう、この男の笑みが、額面どおりの邪気のないものとは思わなかった…彼は、俺が思っているより、恐らく、遥かにしたたかだ、でも同時に温情家であるのも事実らしい、どちらにしろ、かなり、頼りになる味方になってくれそうだ、と、掛け値なしに思えた。
「しかし、君は、つくづく、いい友人に恵まれているな、オスカー」
ソーマ神が面白そうに笑んで、オリヴィエとチャーリーの方に顔をむけた。
「今更だが、君らは何故、そんなに懸命に友のために力を尽くそうとするんだい?スーリヤの恋が成就するかしないかは、君らの人生には直接関係ないことだろう?」
「そんなんあったりまえですわ。ソーマ様は、このオスカーが、どんだけ一途に、健気に、一生懸命、ウシャス様のことを思うてきたか、直にご覧になってないから、わからんのですわ。あのオスカーの様子をみとって、応援せずにいられる朴念仁なんて、俺には信じられま…」
「っ…ばか!何、言ってんだよ、あんたは!オスカーに気ぃ遣わせないよう、私らの都合ってことにしとこーって決めたじゃんさー!」
「あ…かんにんなー。つい、ぽろっと口がすべってもうた〜」
「…ったく、わざとらしい…って、いやいや、今の戯言は忘れてくださいね、ソーマ様、関係ならあります、大有りなんです。私らはオスカーと一蓮托生、運命共同体の太陽神ですから。こいつに、あんまり早くに退任されたら私たちも一緒にお役ごめんになっちゃいますからね。そんなのゴメンなので、こいつが、なるべく長く在位してられそうな方法を考えたい、それだけなんです」
オリヴィエが身を乗り出し、真摯な瞳で、ソーマ神に訴えた。若干、頬を染めながら。
「今更、それは無理があると思うが…本人にもバレバレだと思うが…ま、君がそう思ってもらいたいなら、そういことにしておくか、ままま、飲みたまえ」
ソーマ神は、相変わらず、にこやかな表情を崩さなかった。
一人、オスカーは黙って先輩神と友人達のやりとりを聞いていた。友人達の思いとソーマ神の温情に、喉の奥に熱いものがこみあげてき、それを無理矢理飲み下すように、一気に杯を煽った。