ソーマ神は、一人、天空の宮で、己が管理する神酒の盃・月の運行を眺めていた。今は、雨季の只中であるが、雨は主に日中の時間帯に降って、夜には休止することが多い。雨季の雨神は、太陽神から天空の全権を委譲されているものの、言い換えればそれは、あくまで、太陽が本来天空にある時間帯、つまり昼間にのみ限られた権限である。ゆえに、雨神は、夜の女神ラートリーに敬意を払ってか、もしくは、かの女神の気分を損ねることを恐れてかー夜空はあくまで彼女のものという態度を堅持し、夜にはあまり雨を降らせない。天空一杯に敷き詰めて己が宮としている雨雲の所々に裂け目をいれ、星の瞬きのつつがなきことを、ラートリーにしらしめるあたりも、並々ならぬ気の遣いようを見せる。そのおかげで、月神ソーマもまた、雨神があけてくれた雨雲の切れ目を利用して、夜間に月の様子に注意を払える。月は、神々にとって欠かせないーもちろん雨神にもー神酒の杯だから、ソーマが月の状態を把握しやすいよう雨神も便宜を図ってくれるというのも、あるのだろう。
月は、今日も供物の神酒をー正確にはそのエッセンスともいうべき物を順調に集めているようだ。昨日より、目に見えて、月は大きくなっていたから。
月は、夜になるとその輝きが目立つゆえ、夜闇との縁が深いように思われているが、実のところ、昼夜は関係なく運行している独立独歩の存在である。昼の世界にも夜の世界にも属さない中立的な存在ともいえた。
月の役割は、地上での神事において捧げられた供物を、取りこぼしのないよう収拾することである。そして、祭祀が執り行われる刻限は、それが何神に捧げられる物か、また、季節や地域によって、早朝、昼日中、夜間と多種多様であるがゆえに、ソーマ神は、あらゆる祭祀をカバーするために、月が天空を運行する時間帯を、日によって少しづつ変化させる。
例えば、ウシャスを崇める神事なら当然の如く夜明けに行われる物が多いし、スーリヤに加護を願う祭祀なら、太陽が丁度中天に差し掛かる時刻に行われるものが大半だ。このように、それぞれ異なる時刻に捧げられた供物を、漏らさず回収するため、ソーマ神は、日によって、月の出の時刻を、ずらしていくのだ。だから、一概に、月は夜の世界にに属する、というものではない。朝方や昼日中に空に浮かんでいることも多い。月はそれ独自のスケジュールで運行されている。
そして、約14日間で、この酒盃は満杯になるようにできている。そこから、ソーマ神は原酒を少しづつとりわけ、好みや用途に合わせ、様々な種類の神酒をブレンドして神々に供給する。原酒を使いきって酒盃が空になると、地上からは銀杯である月が目に見えなくなるが、その28日間に一度やってくる、酒盃が完全に空になる日が、彼の公式の休日である。
この休日が多いとみるか少ないとみるかは、人によって異なろうが、ソーマ神自身は、この仕事の廻り具合に満足していた。しかも、若き太陽神が就任してからというもの、地上の天候は安定し、作物の実りは豊かだ。これなら、今年は、いい酒が期待できそうだな、と、ソーマ神は思う。
新・太陽神であるオスカーが就任する前は、太陽の運行が不安定で、近年、ずっと凶作が続いていた。太陽神の力が衰えを見せ始め、交替の時期が近づくと、いつもそうなのだ、まず日照りと旱魃、次いで冷害によって。これからも、太陽神の交替がある限り、凶作は、定期的におきることだろう。
だが、今年は、若く力のある太陽神が就任してくれたおかげで、今までの不足分を補うくらいの収穫が期待できそうだ。豊作が期待できることは、地上の民のみならず、神酒を調合するソーマにとってもありがたい。いくら神といえど、原料が全くなければ…多少、乏しいくらいなら手の打ちようもあるが、完全な無から有を作り出すことはできないのだ。
神々は、地上の民を守護する替わりに、供物という形で多少の返礼をもらう。民からの供物が一切なくなってしまったら、この天空界といえど、立ち行かなくなる。特に、次から次へと、有用なもの、及び、その倍以上に何の役にたつかわからない珍奇なものを作り出している工巧神トバシュトリの工房など、地上から鉱石等の供給が止ったら、即座に工房は操業停止になるだろう。そんなことになったら工巧神は、あっさり神職を捨てて、只人に戻ると言い出すだろうな、とソーマ神は思う。彼が神界に留まっているのは、ひとえに「潤沢な材料を採算度外視で使って、思いつくままに好きなものを好きなだけ発明・制作できる」という理由、それに尽きるのだから。
そして、地上の民が栄えるか否か、ひいては様々な供物の多寡は、太陽の安定が、非常に重きを占めている。作物が豊かに実り、家畜が肥えなければ、民は存分に働けない。民の食が足りてこそ、鉱業や窯業、繊維業などの産業も発達するし、民は栄えるほどに、神々へ感謝と敬意を惜しみなく捧げてくれるから、それだけ神界も繁栄するのだ。スーリヤが「百神の王」の二つ名を持つのは、まこと、宣なるかな、だ。地上の繁栄、延いては天界の繁栄は、すべて太陽神の働き如何にかかっているのだから。事ほど然様に太陽神が世界に与える影響は大きい、だから、太陽神の力は、なるべく安定していたほうがいいし、空位など、もってのほかだ。少なくとも、ソーマ神の地神の部分は、そう考えている。光神が遍く広がることを良しとするように、地神は、豊かな実りをこそ祝福と考えるから。
が、実際には、天界は、太陽の安定と引き換えにー一定の周期で旱魃や寒冷期が到来し、それに伴って凶作となることすらやむを得ない損失、必要なリスクとして、ウシャスの存在を守ってきたのだともいえた。
だからーウシャスを守るためなら、周期的に凶作を甘受させることも仕方ない、と考える天界の姿勢が、俺には、どうにも、承服しかねるのかもしれん。俺の地神の部分、豊穣をこそ良しとする地神の性分が『太陽神を使い捨てにすることで、天候の不安定もやむなしとする』今のシステムを、本能的にがんじえないのやもしれん、と、ソーマ神は思う。
ウシャスが、掛け替えのない存在であることは言をまたない。
しかし、このシステムは…一人太陽神に過大な負担を強いては使い捨てにしていくこのシステムは、太陽神個人に惨いというに留まらず、世界の安定性、地上の生き物に強いる負担の面でも、問題がある、とソーマは考えていた。
今までは、太陽神の候補者は、なんとか、途切れなく見つかっていた。それでも、オスカーほどの強い火力の持ち主は、よくて数百年に一度の割りでしか出てこない。事実、オスカーが現れるまで、太陽神の候補として召し上げられた者の多くが、学業途上で不適格者として火の地に返されているのだから、やはり、今の、その時々の火の眷属個々人の能力をアテにするこのシステムは、色々な面で限界が見えてきていると思う。それに、上手い具合に力の強い者が輩出しても、その者が「辛い鍛錬に耐えてまでウシャスに拘る必要なし」と考え、太陽神になることに熱意を見出さなかったら…神馬を操るための厳しい訓練を乗り越えられなかったら…最悪の場合、また、太陽神の大空位時代が訪れるやもしれない。
実際、新・太陽神の育成が間に合わず、極短期間ではあったが、太陽神が空位となった時期も、今までに、ままあったのだ。さすれば、当然のように、寒冷期ー初代・太陽神が消失した時に比べれば、極小規模なものだったがーが起き、それに伴い、多くの生き物が滅んでいった。
その度に、神々は、滅んだ生き物たちへの埋め合わせをするように、新・太陽神が就任し、気候が安定するや、新たに多種多様な命を生み出し、繁栄させてはきたが…おかげで、今、地上は、原初、天父神と地母神が世界を生み出した折に比すと、それこそ、比べ物にならないほど、多くの、そして、様々な形態の命に満ち溢れてはいるが…そして、地神としてのソーマは、多種多様な命の繁栄を、掛け値なしに寿いではいるのだが…それでも、過去、あれほど多くの種を絶滅させる必要が本当にあったのか、とも思ってしまう。太陽神位の不安定さ故に、滅びずともよかった種が、多々あったのではないかという想いが、どうしても拭えないのだ。
しかもだ、今、もし、また、大寒冷期が再現したら…例えば、次の太陽神候補が、未だ見つかっていない現状で、現・太陽神オスカーの退位が思いのほか早かったら…太陽神の空位期間は、初代・太陽神消失時に匹敵しようし、一方で、生物の死滅は、原初の世界で、太陽神が滅した比ではすまないだろう。あの当時に比べたら、動植物の種類、その数は、考えられないほど増加しているのだから。
やはり、火の眷属の個人的な資質と熱意、強い火力の持ち者の輩出を頼みにするしかない今のシステムは、偶然と運に頼りすぎていて、危ういことこの上なしだと、ソーマ神は思う。
地上の生き物たちの安全保障の面からも、ウシャス個人の幸せを考えても、太陽神個人の人生の充足を考えても、太陽神は、なるべくなら、交替・断絶などせず、安定しているほうが利が大きいと、元・地神であるソーマは考える。
そして、たしかにあの青年…あの、若きスーリヤ・オスカーなら、ウシャスを預けても心配はないのではないか…つまり、永続的に太陽神の地位に就き、その治世を安定したものにできるのではないか…
オスカーに会って直に言葉を交わし、ソーマ神は、それを絵空事や夢物語ではなく、実現可能な展望と考えられるようになっていた。
誠、彼のようなものが太陽神になったからこそ、俺も、思い切って、自分の本心…真情を見据え、吐露する気になったのだろう。彼ほどの力の持ち主ー能力においても意思の強さにおいてもーなら、この状況を変えられるのではないか、そう直感的に感じたからこそ、真実を告げる気になったのだろう。
俺は、天界のやり口に、心の底では、ずっと、納得していなかった、しかし、良い代替策が見出せずにいたから黙っていただけだった。
天界のやり口ーウシャスの存在を守るためなら、太陽神を犠牲にし、結果、地上に凶作を押し付けても仕方ない、絶滅する生き物がいてもやむをえないとする独善、太陽神候補が順調に見つからなかった場合の安全策の乏しさなどー今までは、おかしいと、疑問に思うことがあっても、俺は異議を唱えてこなかった…できずにいた。
なのに、俺は、あの場で、初めて、はっきりと批判めいたことを口にした。
あの若者なら…オスカーなら、この現況を覆せるかもしれない。変革者となって、スーリヤ、ウシャス共に不安定で哀れな今の状況を打破できるかもしれない、彼には、そう思わせるパワーがあったからだ。
だから、俺も…あの場で、いきなり、あんなにも突っ込んだ話をしてしまったのだと、ソーマは今になって思う。
ソーマ神自身、実際にそうなってみるまで、あんなにも踏み込んだ事実を話す気もなければ、結果、あれほど、若き太陽神たちと打ち解けるとも、思っていなかった。
彼らには、簡単に打ち明けたものの、あの日のソーマ神の行動は、本当に、その場の流れで決めたー成り行き任せのものだった。
即位の儀に列席した折から、今度の太陽神は、今までに類をみない、色々と型破りなタイプであることは、わかっていた。だから、新スーリヤにとって最初の雨季が到来するやいなや、わざわざ、自ら、様子を見に出向いたのだ。
彼が、ウシャスと浅からぬ縁がありそうだったからこそ、ウシャスを我が物にできずにいることや、雨季で、ウシャスに会うのもままならないことに、歴代の太陽神以上に苛立ち、精神の均衡を崩しやすいのではないかと、危ぶんだがゆえだった。
しかし、実際に彼の様子を見、言葉を交わして、ソーマの懸念は払拭された。それどころか、ソーマ神は、新スーリヤに非常に興味をそそられた。
『若き太陽神は、鋭い洞察力と冴えた知性で、俺の訪いの意図を即座に看破した。しかし、ただ冷静なわけじゃなく…すばりずばりと切り込むように俺を詰問してくる様は、恐れ知らずで、大胆で…俺が創世の頃より存在する月神と知っていても、気後れしたり遠慮したりする様子が微塵もないのだから、大したものだった。それだけ胆力がある、ということだろう。俺が『君とは兄弟神だ』と言った言葉を額面通りに受け取るほど単純じゃなかろうしな。彼の揺ぎ無く堅牢な意思の力は、言葉の端々からも、はっきりわかったが、それもこれも、ひとえにウシャスへの恋情故なんだから、なんともはや、熱い。まさしく炎の申し子だ』
スーリヤが情熱的な青年だということは、すぐにわかった。が、単に、一度思いこんだら、周囲が見えなくなって、結果として一途になるという、単純・愚直なタイプではないことも、少し言葉を交わしてみただけで、わかった。彼は抜身のように鋭く、炎の如く熱い男だったが、思慮深く、謙虚でもあった。まこと、見所のある青年に思えた。
加えて、ソーマ神は、自分自身、困難多き恋を成就させた経験上、ままならぬ恋に身を焦がしているオスカーに、共感を抱いた、これは事実だ。
だが、これだけなら、オスカーに同情はしても、全面的に彼に協力するとまでは思い切らなかっただろう、ともソーマは思っている。感情だけで行動を決する青さは、残念ながら、自分には、もはや過去のものだ。
しかし、オスカーとウシャスの出会いの様子、彼らが思いを育んできた経緯を聞いて、オスカーの恋情の質が、歴代の太陽神のそれとは決定的に異なっているらしいと確信したことが、ソーマ神の背を押したのだった。
歴代の太陽神が、ウシャスに惹かれるのは、宿命ー言葉を変えれば、逃れられない呪縛ではないかと、ソーマ神は、考えている。太陽神は、太陽そのものと一心同体だ。太陽から無限の力を得る一方、太陽から影響も受ける双方向の関係だ、ということは、原初の太陽に飲み込まれるように消失してしまったー字義通り、太陽と不可分になってしまったー初代太陽神のウシャスへの執着・恋慕の情はそのまま太陽に溶け込み、今も目にみえぬ形で、太陽神の精神に影響を与えていないとは、いいきれまい。ウシャスは、たしかに、魅力的な女性だが、それを考慮しても、歴代の太陽神のウシャスへの執着ぶりは、病的・強迫的な側面があったようにソーマには思える…それも、初代太陽神の想いが、歴代の太陽神に影響を及ぼしてきたゆえだと思えば、納得がいくのだ。
ヴァルナも、ここまでは、考えていなかったのではないかと思うが、結果として、歴代の太陽神は、自分の意思に寄らず夜灯に引きつけられて自滅する蛾のように、ウシャスの魅力に捉われ、神力を損なっていったのではないかと思うのだ。
だが、話で聞いた限りでは、オスカーは、違っていた。
オスカーは、太陽神ゆえの避けられぬ呪縛として、ウシャスに惹かれたのではなかった。
オスカーは太陽神になる以前から…何者でもない1人の少年として、『アンジェリーク』と名乗のった1人の少女と出会い、彼女を愛したという。オスカーは、自身が太陽神だからウシャスに惹かれたのでもなければ、少女が暁紅の女神だから惹かれたのでもなかった。何者にも縛られない、ただの少年として、1人の可憐な少女に出会い、彼女の優しさ、聡明さといった彼女本来の美質に純粋に惹かれ、心の赴くままに恋に落ちたらしかった。
そして、彼らの出会いの経緯を聞いたから、尚更に、オスカーのウシャスへの情の深さがどれ程か、そして彼はウシャスを預けるに足る品格の持ち主かどうかを、俺は測ってみたくなったのだ、とソーマ神は思う。
スーリヤとウシャスの関係を詳らかに語ったのは、客観的に見れば危険な賭けではあった、が、ソーマ神は、勝ちを確信してもいた。
万が一、自分の読みが外れた時は…考えるだに、恐ろしいことになっていたのは否めないが。
自分は、天界が歴代の太陽神たちにひた隠しにしてきた事実をオスカーに暴露し、太陽神に絶対の権限があることを彼に知らしめてしまったのだから。もし、オスカーが、ウシャスの存続を盾にとって、利己的、功利的な要求を持ち出すような気配を、僅かでも見せたら、俺は就任したばかりの太陽神を廃さねばならなかったかもしれん、しかも、未だ後任の太陽神候補も見つかっていない状態で、だ。そんなことになったら、決して再来あってはならぬと思っている大寒冷期をー太陽神不在による大規模な氷期を俺自身が引き起こしかねない処だった。
『ヴァルナに知られたら、ただじゃすまんな』
そう思いながらも、ソーマ神の口元には笑みが浮かんでいた。ヴァルナ神を恐れてはいなかったし、天界の構築したシステムに風穴を開けようと画策している今の自分を、面白いとは思っても、恐れ多いとは微塵も思っていなかった。
今ならーオスカーの存在を知った今なら『力のある火の眷属が途切れなく現れるとは限らないのだから、太陽神の使い捨てを前提にした今のシステムは、見直しが必要だ』と、はっきり声に出していえるからだ。つまりは、太陽神をオスカーの代で、安定させることができれば、それが、誰にとっても一番いいと、今のソーマは断言できる。
それも、オスカーの真情も人格も信じるに足りる、ヤツなら太陽神の持つ権力の大きさに酔いしれ、溺れて己を見失うこともなかろうし、ヤツになら、ウシャスを未来永劫、安心して託せる、ウシャスを絶対に幸せにしてくれると、断言できる故だ。
何からの偏向も影響もうけていない、素の感情で、まっさらの魂で、オスカーはウシャスと出会い、求め、愛したことを、今のソーマはしっているからだ。オスカーにとっては、ウシャスが至高の女神であることも、恐らく、そう重要ではないだろう、オスカーは、ウシャスの地位や身分を愛したのではないから。彼女が彼女であるからこそ、オスカーはウシャスを愛したのだし、彼女が彼女である限りーたとえ彼女が女神でなくなってもーオスカーはウシャスを愛し続けるだろうからだ。
だから、オスカーの思いは、強い。
オスカーが、あれほどに、ひたむきで、揺ぎないことが、ソーマ神は、素直に頷ける、理解できる。
『…思い人がウシャスとあれば無理もないとも思ったが…太陽神候補なれば、幾多の聖娼と寝てきた筈だし、数多の女性と出会ってきたと本人も言っていた…にも拘らず、ウシャスへの想いは揺らがなかったのだから、そのひたむきさ、一途さは、やはり瞠目に値する。しかもヤツのあの容姿…情熱的な気性は髪に、冷徹なまでの知性は眼差しに映り、その場にいるだけで、人目を引かずにはおかない磁力のような魅力がヤツにはある。あれじゃ、女の方が放っておかなかっただろうに…俺が女の身でも、間違いなく惚れてるな…』
にもかかわらず、オスカーは、聖娼の魅力に溺れることなく、彼女たちから必要なことのみを、過不足なく教わってきたらしいのだから、大した克己心…いや、克己心というのとは、ちょっと違うかもしれんな…オスカーのウシャスへの恋情がそれだけ熱く激しかったということか。あまりに深く純粋にウシャスを愛していた故に、他に心が向くことがなかったのだろう。
青年の身にとって、柔らかく暖かな女性の体は、絶対の引力がある。ましてや、容姿・性戯ともに選び抜かれた聖娼という存在に、健康な青年なら、興味を抱いて当然だし、一度、その魅力を知ってしまえば、そうそう抗えるものではない。彼女たちとの情事に、暫時、見境なく溺れるのが、普通なのに、だ。
そういえば、酒宴の折に、オスカーの友人・プーシャンが、こんなことを言っていた。
《それもこれも、オスカーの頭は、いっつもウシャス様のことで、一杯やったからですわ。と、いうても、ウシャス様以外の女性に冷たいとか素っ気無いなんてことは、あらしまへん、むしろ、どんな女性にも親切で…でも、誰に誘われても、さらっと受け流してなびかへん。遊ぶ暇あったら、太陽神目指して一心に勉強したい、ちゅーのが、はっきりしとって。だから、女の子たちから、ちーとも恨まれんし、男連中からもやっかまれへかったのですわ。んなワケで、女神神殿詣でも、オスカーはずーっと棚上げしとって、招待状も埃かぶっておったんですわ。漸く神殿に行くって決意したのも、このサヴィトリから、光の女性の物の考え方や接し方を聖娼から教わっといたほうがええて、諭されたからで。ほんまに、オスカーの胸は、いっつも、ウシャス様のために何ができるか、どうすればいいか、そんなことで一杯やったんです、この男気に、俺らが肩入れしてまうのも、無理ない、思われません?》
と、酒宴の際、プーシャンが、自慢をするように、オスカーの肩をばしばし叩きながら言っていたことも、オスカーが困りきったような顔で、頬を染め
《っ…ばか、おまえは、なんでそう恥ずかしいことを臆面もなく…》
と、言葉少なに、杯を煽っていたさまも、ソーマはよく覚えていた。
そしてオスカーからウシャスの様子を聞く限りーオスカーは、終始、自身に対しては控えめな評価を崩さなかったが、ウシャスもまた、何者でもない1人の少女としてオスカーに思いを寄せ、彼に思慕を寄せてきた…としか、ソーマには思えなかった。
その幼いが純粋な…あまりに純粋な恋の微笑ましさを思うと、ソーマ神の口元には、更に笑みが浮かびかけたが
『ただ、現況では、オスカーを太陽神として定着させたくても…』
現在の状況に考えを馳せたところで、笑みは引っ込み、ソーマ神の眉間には皺がよってしまった。
オスカー自身の判断通り、ウシャスへの叶わぬ思いを抱えたままでは、長期の在位は難かろう。実際、ソーマ神は、初代の太陽神が、ウシャスへの思いゆえに自ら燃え尽きてしまったことを知っているのだから。火の眷属の激しすぎる恋情は、やり場がないと、彼ら自身を滅してしまう、それ程に熱い。
となれば、俺も、オスカーとウシャスが情を通じるための手助けをしてやらねばならんのは確かなんだ。
ウシャス本人に、その気になってもらうのは、オスカーに任せるにしても…というより、本人以外には無理だし、そうでなくては意味がない。
『問題は、もっと物理的、即物的なことだ…』
首尾よく、オスカーがウシャスに恋を自覚させたとしても、現時点では、彼らが結ばれるための条件がそろわない。
昼間にはウシャスは、強烈な陽光に負けて光の粒子となってしまっているから、オスカーに限らず、他者は彼女に接触のしようがない。
となれば、夜間に彼女に実体化してもらうしかないんだが…
彼女が実体化しても、夜は、太陽神であるオスカーが、そう長い時間は清明な意識を保てないという。
太陽からの力を得られる乾季は、力の充実も無限である替わりに、消耗も激しいと、聞いた。日が没して、いくらも経たないうちに、意識を失ってしまうと。
無尽蔵の力を供給されているからこそ、太陽という、あの高熱源体を御せるのだとしたら…1日、太陽を御し続けて疲れきった処で日没となり、一度、日が没すれば新たな力の供給は途絶えるのだから、スーリヤの意識があっという間に沈み込むのは当然だろう、さもなくば、いくら太陽神といえど、体がもつまい。
今みたいな雨季の方が、彼も、消耗は少ないようだ。
雨季には太陽から火気の供給がない替わりに、太陽を御する必要もないからだろう。雨季は、供給が乏しい分、放出もしなくていい、いわば、力の振幅がゆるい。あまり大きな力は出せない替わりにースーリヤといえど神力は下位神並になるようだー力の落ち込みも緩やかなのだろう。山が低い分、谷も低いとでもいうのか。神気の補給は神酒に頼るのみとなるが、神気を消耗する局面も、そうそう、ないので、結果として、夜遅くまで意識が保てるようだった。これは、先日の酒宴の際、わかったことだ。
その点だけ考えれば、乾季より、雨季の夜間を狙ったほうが、ウシャスとオスカーの逢瀬は容易そうだ。
だが、現時点では、乾季であれ雨季であれ、夜間のウシャスの実体化をラートリーが阻止しているというし…。
となると、俺は、とりあえずラートリーの翻意を試みるしか、なかろう。
とにかく、彼らが…スーリヤとウシャスが実際に触れ合える状況、その時間を、どうにか作ってやらねばならない、そのためにできそうなことは、何でもしてみるしかあるまい。
折りしも、今の時期、月が天空の道を運行するのは、夜の時間帯だった。
夜間に月が運行する時に、月神が天空の宮にいるのは極自然なことだし、月が夜に天空にある時を狙って、ラートリーに話しかけることも、まったくもって自然な成り行きの筈だった。
そう思って、彼は夜の天の宮で、ラートリーの気配が凝るを待ち構えていた。夜の空の様子がつつがないとわかれば、ラートリーは一度宮に戻ってくる筈だと、踏んで。
ソーマ神がそう思ってから、小半時も経った頃だろうか、冷んやりとして趣深い高雅な気が、宮の一点に集中したかと思うや、1人の女神が忽然と現れた。
玲瓏な美貌のその女神は、佇む月神の姿を認めると、艶然と微笑んだ。
「あら、ソーマ様ではございませんこと?ソーマ様が、天の宮にお出ましとは珍しいですわね。いつも、銀杯が空の道を行くに任せていらっしゃるのに…」
「これはこれは…美しき夜の女神ラートリー。ヴァルナの創った天空の道が、しっかりしてるので、一度空に上った月は道をたがえる心配が、まず、ないのでな。おかげで、俺は楽をさせてもらってるよ。それにしても、ラートリー、いつまみえても、あなたの深遠にして神秘的なその美貌には、吸い込まれそうになる。あなたの美しさの虜になるのが恐くて、俺は、あまり天の宮に脚を向けられん、というのもあるのだよ」
夜の女神を待ち構えていたことなど、おくびにも出さず、ソーマ神は、ラートリーの美貌を讃えつつ、恭しく礼を尽くす。
「お上手ですこと、でも、私が美しく見えるのだとしたら、それは、ソーマ様の神酒あってこそですわ。私たちが、変わらぬ神力を保てるのもソーマあってこそ。ソーマ様がつつがなく、滞りなく、神酒を集め、神々に、それぞれお好みに合わせた神酒を届けくださるからこそですわ。私がいただく神酒も、いつも蕩けんばかりの味わいですことよ」
「麗しきラートリー、この手が、あなたの美貌を保つ一助を担っているとは、光栄の至りだな」
「私自身だけではございませんわ、銀杯である月が、日々、満ちては欠けていく様こそ、趣深きこと。月の光が夜空を彩り、照らしてくださることで、夜の美しさはより一層引き立てられているのですわ」
「滅相もない、夜が美しいのは、ラートリー、あなたの御力、あなた自身の魅力ゆえ。だが、我が銀杯が、あなたの司る夜空に幾許かの彩を与え、あなたの美しさをより一層引き立てているのなら、名誉なことこの上なしだ。それにしても、今宵はことに夜が赴き深い。誠、あなたの瞳、あなたの髪のごとく、深遠なる美しさに満ちている、この玄妙なる美しさに誘われたから、俺は、今宵は、じっくりと月のみちゆきを眺めていたんだ。そして、ひそやかな夜の美しさがあればこそ、わが銀杯の輝きも増すのだということを、今更ながらに思い知っていた処だったのだよ、麗しきラートリー」
「まぁ、ソーマ様は、本当にお上手ですこと」
ラートリーはころころと、上機嫌で笑んだ。ソーマ神の上手は今に始まったことではないが、見目麗しい男神に美しさを褒め称えられて悪い気のする女神はいない。
「日々、姿を変える月を司ってはいるが、俺の言葉は日によって変わったりはしない、麗しきラートリーよ。ところで…麗しいといえば、あなたの姉妹神・ウシャスは、つつがなくお過ごしだろうか。彼女は、俺の神酒を必要としないので、目どおり叶う機会は元々少ないんだが、最近、公務以外で実体化している姿を、全くお見受けしないんだが?」
「!っ…」
それまでの上機嫌とはうってかわって、ラートリーの眉があからさまに顰められた。一分の隙もない美貌ゆえ、不機嫌な様が、殊更に強く表情に出る。
「どうなさった?ラートリー」
ソーマ神は、答えを促す。
「…ご心配には及びませんわ」
「ならば、ウシャスはご息災であられるのか?」
「ええ、ウシャスは…かわいいウシャスは、毎朝、きちんと夜明けを紡いでおりましてよ。今は雨季で、仕事がありませんから、私の夜の衣の中で眠っているだけですわ」
「いや、それなら、尚更だ。以前は、たまさかではあっても…特に、仕事の減る雨季には、彼女も天の宮に現れることがあっただろう?ヴァルナや、ラートリー、君を訪ねて。確か、彼女も数回なら、太陽神の再生の儀を経ずとも実体化できるはずだよな?なのに、最近、とんとお姿を拝見しないので、どうしたのかと思ってな」
「それは…とにかく、ご心配には及びませんことよ」
「雨季だというのに、公務以外、まったく姿を見せないといったら、気にはなるさ」
「とにかく、気にしていただく必要はございません。たしかに、あの子は、当分の間、公務以外は姿を見せないとは思いますけど」
「ほう、いやにきっぱり言い切ったものだな」
「………」
「しかし、ウシャスが公務以外まったく実体化しないなんて知ったら、数多の神々が…特にトバシュトリみたいなヤツが、そのうち不平たらたらになるぞ。工房でストライキでも始めなければいいんだが…あいつ、多分に、趣味で仕事をしているからな、ウシャスに全く会えないとなると『なんかやる気がでねー』とか『もう仕事したくねー』とか、言い出さなきゃいいんだが…」
「そ、それは困りますわ、そんなことになって、工芸品の産出がストップしたら…これ以上、問題が増えたらヴァルナ様からも何を言われるか…ミトラさまの愚痴を聞かされるだけでも、わたくし、もう、いい加減、うんざりしてますのに…」
「ほう?ミトラがなんと?」
「ほんとに閉口してますのよ『それでなくとも元々多くはないあれと会う機会が減った…減らされた…どころか最近、全くない』と、辛気臭く、ぶつぶつ、呟くんですもの。あからさまに文句をいうでもなく、でも、いやみったらしく、恨みがましく、じとーっと私をごらんになるので、もう、鬱陶しいったら、ありませんの。ミトラさまは、私の苦労を何もご存知ないから、もう…」
「ほほう?それにしても、ラートリー、何故、ウシャスの姿が見えないと、ミトラが、君に恨み言を言うんだね?それに君の苦労とは、一体なんだい?」
「………」
「それに、ウシャスの顔を見られないことで、トバシュトリが拗ねて工房をストップしたとして、ラートリー、何故、ヴァルナが君に何か言ってくると思うんだい?どうして君が困るんだい?」
「………」
「失礼だが、ラートリー、今の言葉から察するに、ウシャスの姿が見えないことに、あなたは、何か、心当たりがおありなのではないか?私もウシャスに会えないのは、寂しいので、何かご存知なら、教えていただけないだろうか?もしかしたら、トバシュトリにウシャスに会うまで、いつまでの辛抱だと説明がつけば、彼もストライキなど起さないかもしれないからね」
「何時まで、だなんて、私にもわかりませんわ、でも、とにかく、当分の間、あの子が公務以外で、実体化することは…つまり、夜に身体を持つことはありませんことよ」
「ということは、君が、ウシャスの実体化を阻んでいるんだね、ラートリー。それは、神々に恨まれるなぁ」
ソーマ神の言葉はいかにも気軽で、声音も明るいものだった、深刻さも、非難も微塵もないーにも、拘らず、ラートリーは、ソーマにくってかかるように、声を荒げた。
「だって…仕方ないんですもの!」
ムキになったラートリーは、隙のない玲瓏な美神から、潔癖な少女の顔付きとなった。さすが姉妹神、本質は、ウシャスとそう変わらぬ幼さー純粋さとも言うがーだなと、ソーマは思う。が、そんな内心は一切出さず、ソーマ神は、あくまで、親しみやすい態度とにこやかな顔と声で、そして、何も分からぬ風を装って、ラートリーに問うた。
「ほう?何がどう仕方ないんだい?」
「だって、夜にあの子の実体化を許せば、あの子、絶対にあの男の元に行ってしまう…」
「あの男?」
「スーリヤですわ!あの野蛮人!ウシャスから、ちょっと目をかけられたと思って、思いあがっていい気になってるあの男…」
「スーリヤが、ウシャスに目をかけられて、思いがってる?それは、初耳だが」
「そうに決まってますわ!あの子の耳飾を、これ見よがしにみせびらかして、馴れ馴れしくあの子を呼び捨てにして…」
「だが、それだけなら、ウシャスの実体化を許したら、何故、彼女がスーリヤの元を訪れると思うんだい?スーリヤが思いあがってるだけなら…ウシャスから、彼に近づくことなんてないんじゃないか?何も、彼女の夜の実体化を阻んだりせずとも…」
「だって…あの子、騙されてるんですもの!たぶらかされているのよ、あの野蛮人に!!だから、私が守ってあげなくてはなりませんの!」
「では、あなたが実体化を阻まなければ、ウシャスは、スーリヤの元を自ら、進んで訪れるとでも、いうのかい?」
「っ…そ、そんなことは…ない…はずですけど…」
「なら、何も問題はないだろう?が、万が一、ウシャスが、真実、スーリヤの元を訪ないたいと思っているのに、君が、それを阻んでいるなら…ラートリー、それは、光の眷属としては、どうなんだろうね?女性の意思を尊重するのが、光の眷属の美点だろう?」
「それは…でも…かわいいウシャスに、あの野蛮人を近づけるなど…」
「だが、ウシャスが、自らスーリヤを望んでいないなら、大丈夫じゃないか?夜間の実体化を阻止し続けるにしても、その理由では、他に神々に対し、説明のしようがないと思うが…」
「それは…そうなんですけど…」
「ウシャスが自らスーリヤを欲すると告白したとかいうのならともかく…」
「そんな馬鹿なことが、おきるはずがございませんわ!」
「そうだな、ウシャスが自ら望んだのなら、それを阻む権利は、いくらなんでも、あなたにもないものな、ラートリー。光の女神が欲するものを邪魔する権利など、どんなに高位の神にも、ゆるされるものではないものな?」
「え、ええ、そうですわね…」
「だが、万が一にも起きるはずがないことなら、心配する必要はないんじゃないか?かわいそうな俺や、ミトラ、それにトバシュトリのためにも、ウシャスの実体化を考えなおしてみてくれないか?」
「……でも…でも、やっぱりだめ!野蛮な火の眷属は抜け目がないから、やっぱり、油断できませんもの!ソーマ様、申し訳ございませんけど、トバシュトリさまに、あの子は当分、夜明けの儀式以外には身体をもてないこと、それは全て、あの野蛮なスーリヤの所為だってことをお伝えくださいな!あの野蛮人が、あの子のことを諦めたと、はっきりわかるまで、もしくは、力が衰えるまでは…」
「もしくは、ウシャス自身が、はっきりとスーリヤを欲すると明言するまでは、かな?」
「そんなことが、あるはずございません!でも、ま、そうですわね、とにかく、当分の間、あの子が実体化することはございませんし、それは、全部、あのスーリヤの所為だってこと、トバシュトリさまに、お伝えくださいませね!」
「…承知」
やれやれといった風情で、ソーマ神は苦笑いしつつ頷いた。
『ヴァルナが相手なら、これで「諾」と言わせられたと思うんだが…少女に、理詰めで迫ったのは失敗だったな。少女にとって大事は、理でなく情…情のみ。理屈は取るに足らぬものだということを、失念していた』
かなり、いい線まで行ったとは思ったが、ここで、ソーマ神の説得は、振り出しに戻ってしまった。
現時点では、ラートリーは、スーリヤへの警戒が強すぎて、理詰めで迫っても、翻意は難しそうだ。
ラートリーは、オスカーが太陽神の地位に就く前から、ウシャスと知遇を得ていたことを知っているはずだし、それでなくとも、ウシャスを大事に囲い込みたいという思いが人一倍強い。オスカーに対し牙を剥かんばかりに警戒するのも、少女ならではの直感か、潔癖さゆえか…。
そして、潔癖さは、容易く頑なさに変じる。自分が正しいと信じる少女は、理がなくとも決して自説を曲げないだろうしー今も実際曲げなかったーなのに更に理で追い詰めれば一層頑なに依怙地になる危険がある。俺の話に耳を傾けもしなくなるやもしれぬ程にな…
ならば、今は、種を蒔く。まずは、それからだ。
ラートリーほど高位の女神となれば、周囲からは崇拝されるばかり、となれば、己の行いに疑問など持ったことなど絶えてあるまい、ならば、まずは、己の行いに疑問を抱かさせることから始めよう、今は、その種蒔きだ。
とりあえず、ウシャスの実体化を阻んでいるのが、ラートリー本人だと認めさせただけでも良しだ、さすれば、俺がこの事を他に吹聴しても、彼女はそれを否定できんし、吹聴した俺を責めることもできない、そして、この事実を聞いた他神が、ラートリーに揺さぶりをかけてくれる、という可能性もある。
そう考えたソーマ神は、ラートリー女神に、念を押すようにこういった。
「まあ、俺は君が考えすぎだと思うが…なにせ、光の女神・ウシャスが自ら望まない限り、スーリヤとの間に何も心配はいらないのだし、重ねて聞くが、そんな心配はないんだろう?ラートリー」
「え、ええ…」
「そうだよな、いくらあなたが姉妹神でも、光の女神が心から望むことを、阻む権利はないものな。女性の意思を尊重しないなど、光の眷属のみならず、辺境の蛮族であっても、絶対、あってはならないことだものな。女性の意思を蔑ろにするなんて、決して許すまじ暴挙だと、あなたは、よく憤っていたものな」
「そ、そうですわね…」
「第一、至高の女神のウシャスの望みを、蔑ろにしたりしたら、それこそ、ヴァルナがどれ程怒るか、分からんよな。望みを無視されたことで、あの優しくウシャスが、悲しみのあまり、儚くなったりしたら大変だしな…」
「!!!…そ、そんな…」
「まあ、ウシャスの願いを蔑ろになど、していなければ、何の心配もないがな。では、月の様子もつつがなきことだし、ウシャスの降臨はなさそうだし、なので、俺は、そろそろ失敬する」
「あ、はい、ソーマ様、では、ご機嫌よろしゅう…」
「ああ、あとで、俺の特製ブレンドを届けさせていただく、楽しみにしててくれよ」
長身の女神は、美酒を期待するどころか、あからさまに顔を曇らせていたが、それでも、すっと流れるように軽く腰を引き、ソーマ神に会釈した。
ソーマ神は、軽く手をあげて礼を受けた。
今は、このくらいにしておこう、あまり、一時にやりすぎると、俺自身が警戒されたり、態度を硬化される恐れがある。何より、少女をいじめるのは、趣味じゃない。
『至高の光の女神の心からの望みを、阻む権利のある者など存在しない』それをラートリーに認めさせることができたのは収穫だった。
となれば、後は、当の「至高の光の女神」ーウシャスが、自らの心が欲する処を、明確に捉え、はっきり自覚すればーさせればいい。いや、それこそが肝要なのだ。そして、彼女の自覚を促すのは…
『さて、種はまいておいた、後は、おまえの腕の見せ所だ、スーリヤ』