百神の王 34

祈りは届かなかった、願いは、聞き入れられなかった。

アンジェリークがウシャスとして目覚めた時、刻限は、またも、まもなく禊のため、火の泉での沐浴に降りる頃合になっていたから。

しかし、もとより、大きな期待は抱いていなかったので、落胆には及ばない。

私の祈りー願いは、空一杯に広がって拡散してしまうし、昼日中のラートリーは次元の狭間で休んでいるから、私の思念は拾えるはずもない、私も届けようがない。わかりきっていたことで、それでも、祈らずにはいられなかったから、祈った、それだけだ。そして、やはり、ただ祈るだけでは、願いは届かないー汲み上げてはもらえないと、はっきりした以上、私は、私で、考えなくちゃならない、やらなくちゃいけないことがある。祈りとは、元々、自ら為すべきことを全てしてから…手を尽くしきった後に捧げるものなのだし。

オスカーが、信じてくれたように…互いに望めば、私たち、きっと、永遠にも近い歳月、一緒にいられるようになれる。そうしてみせるって、オスカーが力強く言ってくれたように…そのために、私にも、できることはあるはず。それには、何より、まず…オスカーと私が心を繋ぐことは不幸の始まりと思い込んでいるラートリーに、そうではないってことを…私の気持を伝えなくちゃ、わかってもらわなくちゃ…。

そのためには、アンジェリークは考えなくてはならないことが一杯ある。

だから、やはり、朝の…儀式の準備を行いながらしか、ものを考える時間がないことが、もどかしい。

この僅かな時間しか、私には意識がもてないのに…考えなくちゃいけないことが、多すぎるのに…そう思うと、アンジェリークは、今まで感じたことのない、何かに追いたてられるような気持に苛まれる。

『今は、スーリヤ様がオスカーだから、私は毎日、朝を迎えられるのが嬉しい…でも、そうよ…そうだわ…一人一人のスーリヤ様の在位は、いつも…長くて数百年だった…そして…このまま、何もできずにいたら…オスカーは、ずっと、スーリヤ様でいてくださるって、約束してくださったけど…もし、何もできないまま、悪戯に時が過ぎてしまって、そうするうちに、万が一…オスカーの神力が衰えはじめたら…そのまま、スーリヤ様の御名を手放す日がきたら…』

アンジェリークは、昨日は、あまりに衝撃的な事柄が立て続けに判明したせいで、一つ一つの事象を深く考えることができていなかったと、今、改めて思う。もし、想像もつかないほど遠い将来でも、オスカーがスーリヤの地位を退いたらと思っただけで、アンジェリークは、哀しみと動揺に打ちのめされそうになって、だから、その結果をその時は、突き詰めて考えることができなかったのだ、と。

『でも、万が一の時のことを、考えておかないと…考えずに目を瞑ってしまったら、いざという時、どうしたらいいのかわからなくなってしまうから…』

そう思ったアンジェリークは、昨日は、恐くて深く考えられずにいたことを、敢えてつぶさに検証してみる。

『いつかオスカーが……もし、万が一…オスカーの神力が衰えたら…また…前(さき)のスーリヤ様の姿がいつの間に見えなくなったように、ある日、突然、オスカーの姿は天界から消え…替わりに見知らぬ火の青年が太陽の馬車を操るようになる?私を追って、抱きしめてくれるのはオスカーの腕ではなく…私を抱く手は違うスーリヤ様のものに変わってしまう?…そして、私は…もう、二度と、オスカーに会えなくなってしまう…?

…いや!そんなの、ぜったいに嫌!オスカー…いやよ…オスカーは、ずっと私の傍にいて…スーリヤ様でいて…オスカーに会えなくなるなんて、私、嫌、耐えられない…そんなことになったら、哀しくて、寂しくて、私、きっと、もう、光の粒のまま、人型に戻れなくなってしまう…だって…替わりのスーリヤ様なんていらない…オスカー以外のスーリヤ様なんて嫌…オスカー以外のスーリヤ様の腕になんて…私…オスカーじゃない人の腕になんて抱かれたくない…オスカーがいい、オスカーでなくちゃ嫌よ…いや…』

悲しい想像にーただの想像だとわかっているのに、堪え性もなく、アンジェリークは今にも泣き叫んでしまいそうになった。もし、目の前にオスカーがいたら、オスカーの元に駆け寄り、その胸の中に思い切り飛び込んで、逞しい腕をしっかと捉えて決して離さない、そして、聞き分けのない幼子のように『何処にも行かないで…行かないって言って』と駄々をこねて、オスカーに永遠の約束を求めてしまう…きっと、そう、せずにいられないーそんな闇雲な衝動に駆られた。

こんなにも激しく、制御し難い感情を、今までの生涯で、アンジェリークは感じたことがなかった。

あまりに感情が昂ぶったせいで、夜明けの禊の最中だというのに、沐浴の腕の動きが止まる…だけに留まらず、もう少しのところで、身体が元の光の粒に戻って四散してしいまいそうになった程だった。

一陣の野分のように胸中に吹き荒れ、いまだ昂ぶりの収まらない感情を持て余しながら、アンジェリークは、はたと思い当たった。

その人でなければダメ…その人でなくちゃ嫌…その人でないならいらない…誰にも取り替えなんてきかない、それほど熱く求める、身勝手なほど強い思い、苦しいほど焦がれる激情…

これは…オスカーに教えてもらった『恋』そのものではないの?私…私、やっぱり、オスカーに恋してる…のではないの…?

ただ『好き』なだけに留まらない…だって、私、もう、オスカーしかほしくない、オスカーでないならいらない…オスカーでないスーリヤ様に…その時々で、違う腕に抱かれて、その方の光と混じらなくちゃならないのなら…もう、ウシャスでいたくない…光の女神でなくなっていい…だって、私の光と一つになって、溶けて交じり合ってくれるのは…オスカーの光でなくちゃ嫌…

ああ、だけど、こんな…女神としてあるまじきこと…考えちゃいけない。今までは考えたことも、全くなかった…誰がスーリヤ様であっても、私の務めに変わりはなかったし…第一、私がウシャスでなくなったら…この世の生き物たちが夜闇に怯え始める前に、誰が彼らに夜明けを与えてあげるの…?

でも…でも、自分にウソはつけない、私、オスカーでないスーリヤさまに抱かれて光になるくらいなら…今、一瞬、もう、ウシャスでなくていい、ウシャスでいたくない…そう、心から思ってしまった…夜明けを心待ちにする生き物たちのことを、瞬間、失念した。

こんな我侭…こんな身勝手な…抑制の効かない、激しくて、熱い感情…私、初めて、感じる…

これは…これって…紛れもない…オスカーが言っていた『恋』ではないの?

ああ…私、もう、迷わずに言えるわ…『私はオスカーに恋してる』って…

いまだ、オスカーの言う「好きな人と一つに繋がりたい」と強く願う気持は…どういうものなのか、よく、わからない…けど、オスカーに触れてほしい、オスカーでなくちゃいや、オスカーしか欲しくない…この気持は、もう、絶対の真実。

前に、オスカーは「俺のためを思っての、優しいだけの好意なら、示さないでくれていい」と言った。それって、多分、優しさだけなら、むしろ、いらない…ってこと。恋じゃない「好き」は、示されれば感謝はするけど、心から、一番に欲しいものじゃないみたいな意味のことをオスカーは言ってた。

じゃあ、もし、私が、オスカーの恋に恋で応じられなかったら、どうなるのか…私の『好き』な気持が、オスカーの『恋』と違っていたら…オスカーは、もう、私と仲良くしてくれなくなってしまうのかしら…自分の「好き」が、恋なのかどうか、よく、わからずにいた時は、そう考えると、恐かった。だから、私は、自分の「好き」を、オスカーに「恋」だと認めてもらいたかったんだわ。

でも、今なら、私のこの気持も「恋」だって、もう、はっきり言える…オスカーの恋心に、私も恋する気持で応えられる…なら、オスカーは、もう、どこにも行かずにいてくれるんじゃないかしら…ずっと、私と仲良くしてくれるのではないかしら…

だって、この気持は、オスカーのためを思って…オスカーを喜ばそうと思って出たものじゃないわ、私の胸の中から、抑えようもなく迸った思い…だって、本当なら、褒められない…どころか、謗られても仕方ないようなことを、私、一瞬、考えてしまってた。女神としてあるまじきことなのに「オスカーでなくちゃいや、オスカーしか欲しくない、オスカーでないスーリヤ様に抱かれるくらいなら、私はもう、ウシャスでなくていい」という思いは、胸の中で、はじけて飛び散るみたいに、抑えようもなく溢れてきたわ。

だから、自信をもっていえるの。これは…この気持は「恋」だって…。

私がオスカーを好きな気持は、紛れもなく「恋」だって…。

これも…オスカーが「恋」ってどういう心の動きか、教えてくれていたおかげね…

アンジェリークは、しゃんと背筋を伸ばした。

自分の気持ちが、はっきりつかめたことで、自分のなすべきこと、言うべきことも、はっきり見えた。

私はオスカーに恋してる。オスカーとずっと一緒にいたい。そして、オスカーも、ずっとスーリヤ様でいてくださるって、言ってくれているけど…それに、一方的に甘えていてはだめ。私は私で、オスカーにきちんと、自分の恋心を伝えなくちゃ…そして、この恋をもっと豊かで確かなものにするために…オスカーと会える時間、オスカーと触れ合える時間がもっと欲しい…だって、好きな人には、会いたい、そして、隙間もないほど近くに…触れ合いたいと願うもの…今、この、オスカーの言葉が、私の胸に隅々まで染み入ってくる…私にも、わかる。そして、好き合う二人が触れ合うことは、大きな力になることを…

そのために、まず、私にできることは…ラートリーにわかってもらうこと…

アンジェリークは、強い意志を以って、ラートリーの翻意を請うと決意した。

『不思議…私、こんなに長い時間を生きてきて、こんなにも、何かを強く願い、欲する心を初めて知った…今までは、与えられるもので満足して、自分で考え、自分から何かを欲したなんてこと、なかった気がするわ…』

夜明けの女神としての任と命を受けてからというもの、万物に、健やかで輝かしい目覚めを与えてきたいと願ってはいたが、自分から、こんなにも強く何かを欲し、また、決意するというのは、アンジェリークには初めての経験だった。

その思いの強さゆえ、意識せずとも、身体は自然と禊を念入りに済ませていた。アンジェリークは目にも綾な朱金の衣装を身にまとい、すっくと泉の辺に佇むと、決然と頭をあげて、天上を見上げた。見えない手に抱き上げられるように、ふぅわりとアンジェリークの身体は中空に浮かんで、一度中空でかき消えた。

 

アンジェリークが東の神殿に降りたったのと、夜の守護を終えようとしているラートリーが神殿に姿を現したのは、ほぼ同時だった。

アンジェリークが見るに、ラートリーは昨日以上に、なんとも、ぎこちない様子で、決して自分・ウシャスの顔を見ようとはせずに、足早に、こちらの方に近づいてこようとしていた。恐らく、自分と掌を合わせるや、そそくさと、この場を立ち去りたいのだろうというのが、アンジェリークにもありありとわかった。忙しなく、落ち着きのないその立ち居振る舞いは、アンジェリークがよく知っている優雅で典麗なラートリーの身のこなしからは、ほど遠いものだった。

『昨日、オスカーが気づかせてくれなかれば、私は今朝も、ラートリーのこの態度に戸惑い、彼女の身をとても案じていたでしょうね…』

でも、私は、あなたが私に余所余所しいわけを、もう、知っているから…

そう思うと、アンジェリークには、ラートリーの態度から受ける印象が昨日とは違って感じられる。

ラートリーは、私に何も話しかけられたくないということを、はっきり態度で示してる、否応なくわかる。でも、それは、私を嫌っているとか、嫌がっているからじゃないわ、私に、自分のしていることを追求される…知られるのを恐れて怯えてるだけ…なんだわ。だから、あんなに態度が落ち着かず、ぎこちない、視線も定まらない。私を嫌がるとか嫌うのなら、昂然と顔をあげて私に目をくれなければいいだけ。だけど、あなたは、私のためを思ってくれてる…でも現実には私の願いを阻み、私のしたいことを邪魔してるーその矛盾が、あなたの心を葛藤で苦しめ、あなたを怯えさせているのね、ラートリー。

可哀想な、優しいラートリー。どうか、そんなに苦しまないで、恐がらないで。

私がオスカーと会うことは、不幸でもなんでもないってわかってくれれば、あなたも、私の願いを阻む必要もなくなる、そうすれば、あなただって、こんなに苦しみ、怯える必要はなくなる。私たち、また、屈託なく笑って、何でもおしゃべりできるようになるわ。

だから、私、今は、どうしても伝えなくちゃならないことを、躊躇わず、心痛めず、あなたに伝えるわ。

そのタイミングを見誤らないように、アンジェリークは、ラートリーとすれ違うまでの歩数を計算していた、ラートリーがこちらに視線を向けないことが幸いして、ラートリーは、アンジェリークが彼我の距離と互いの歩幅に注意を向けていることには、まったく気づかない。

互いに引き寄せあうように近づき、舞に誘い合うように優雅に礼をして、掌をかかげ、合わせたその瞬間

「ラートリー、私、お願いがあるの、今夜、あなたに会いに行きたいの。夜なら、ラートリーも元気でしょう?あなたと久しぶりにお話したいのよ、いいでしょう?」

アンジェリークは、一気に言い放った。

すれ違いざま、逃げるようにその場を立ち去ろうとしていたラートリーは、瞬間、彫像のように固まったが、すぐさま、弾かれたように、アンジェリークの方に身体ごと顔を向けた。青紫色の瞳と、形の良い眉は驚愕に大きく見開かれていた。

「ウシャス、あなた…今、なんて…」

ラートリーは、ウシャスのはっきりした物言いに、まず驚き…今までのウシャスは、高位の女神としては、謙虚すぎる程に万事控えめで、口調も声音も、優しすぎる故に、どこか儚げで頼りなく、ふわふわとした印象で、だからこそ、ラートリーは、私がウシャスをあらゆる外憂から守り抜かねばと、いつも、強く思っていた。だから、ウシャスは、頼みごとがある時も、いつも遠慮深く…「してくださる?」「していただけますか?」と疑問形でお願いしてくるのが常で…ウシャスの「○○したい」というきっぱりした主張など、ラートリーは聞いた記憶がなかった。

そして、思わず振り向いた拍子に、ウシャスと目が合って、ラートリーの驚きは、更に大きくなった。

ウシャスの瞳は、明の明星を、その中に宿らせたかのように、強く、眩く輝いていたからだ。彼女の翠緑の瞳は、払暁の空の色そのままの美しさであり、それは、いつも通りであった。が、いまだかつて、こんなにも力強く輝いていたことがあっただろうか、彼女の瞳が、こんなにも強い光を放っていたのを見たことがあっただろうか…。ウシャスの瞳は、いつも、美しく澄み切っており、いつも穏やかで、暖かくはあったが…こんなにも凛として、強い力を持っていただろうか…

ウシャスの決然とした表情、強く輝く瞳という、見慣れぬものに、ラートリーは、瞬間、魅入られたように…気圧されたように、黙ってウシャスの顔を見つめることしかできなくなっていた。と、改めて、念を押すように、ウシャスが、言葉を重ねた。

「ラートリー、あなた、昨日、朝は疲れて眠いっておっしゃってたでしょう?だから、私、夜…今夜、あなたに会いに行きたいの。色々お話ししたいことがあるのよ、最近、ゆっくりおしゃべりしてなかったし…」

そのウシャスの言葉に、ラートリーは漸く我に返った。

「そ…そんな、わざわざ前もって言わなくても、いつでも、好きな時に私の宮においでなさいな…」

「ん、でも、最近、私、意識しても、夜に、上手く身体をもてないことがあるの…でも、こうして、前もってお願いしておけば、私が夜、実体化にてこずっていたら、ラートリーは、その気配を察して助けてくれるでしょう?夜のラートリーに、わからないこと、できないことはないんですもの。ね?だから、お願い、私の光が、上手く凝れずにいるようだったら、私が身体を持てるよう、助けてくださる?ラートリー」

すると、ラートリーは、半ば安堵、半ばたじろぐように、ぎこちなく頷いた。

ウシャスが、自分が実体化できずにいることを、この場で言及するとは、ラートリーは思ってもいなかった。昨日「話がある」とウシャスからいわれた時は、絶対に、その件だと思っていたから、それ以上、突っ込まれたくなくて、無理矢理話を打ち切って次元の狭間に逃げてしまったくらいだ。

でも、ウシャスは、今、何の含みもない様子で、実体化できないことを口にしたが…その理由を私に尋ねたり相談する気配は見せなかった。ということは、上手く実体化できないことを不可解に思っているものの、どうやら、それは、単に、自分の集中が散漫で、意識の焦点を合わせられないから、上手くいかないと思ってるみたいだわ、とラートリーは推測する。

でも、それなら、ウシャスは、何故、私に、いきなり、実体化のサポートを依頼するの?ウシャスは、私が、実体化を阻んでいる張本人だと知らないはずなのに…なのに…実体化が困難である原因は一切訝しがることなく、いきなり、私に実体化のサポートを懇願するというのも…何か、不自然なような、一足飛すぎるような振る舞いな気もする…

いや、だが、ウシャスは、本当に何にも気づいておらず、深い考えもなく、単純に、自分が巧くできないことを、夜は万能である自分に頼ってきただけ、ということも、大いに考えられて、迂闊に下手なことはいえない。勢い、ラートリーの言葉は、どこか歯切れ悪い、煮え切らないものとなった。ウシャスのものいいとは反対に。

「いいけど…でも、あなた、今は乾季だから…明日も夜明の禊が必要でしょう?夜の実体化は、負担になるのではなくて?」

「ん、だから、ちょっとだけ…ちょっとだけだから、ね?いいでしょう?ラートリー」

ウシャスが食い下がって我を通そうとするのは珍しいと、ラートリーは思った。

しかし、ラートリーは、数カ月…どころか、前の乾季から数えると半年以上、ウシャスの実体化を阻んできている。つまり、新スーリヤ就任時からずっと、ウシャスは、夜明けの儀式の時以外、身体を持てておらず、必然的に、半年以上、天界神の誰とも、いわゆる「おしゃべり」できない状態が続いていた。

『だからこそ、その所為で、ミトラ神から、最近、始終恨み言、繰言を聞かされているのですもの、私は』とラートリーは苦々しく思い出す。となれば、ウシャスが、多少、強く「誰かと仕事とは関係ない時間におしゃべりしたい」と願うのも、道理に思えた。しかも、ウシャスは、実体化がスムースにできないことを、自らの意識の集中に問題ありと思っているみたいで、私を疑ったり、私に何も問い質そうとする気配はない、それなら…あまり、警戒したり、心配しなくても良さそうだ。私だっていわゆる『普通』のおしゃべりなら、ウシャスと、むしろ、したいと思っている。

ラートリーは、ヴァルナ、ミトラその他の神々からウシャスとまみえる機会を奪っていたが、自分自身も、ウシャスと会いたい気持を我慢しているという点では同じ立場だった。だから、ミトラ神から恨み言を言われると「私だって我慢しているのに…」と苛々が募るばかりだったのだが。しかし、ウシャス当人から、自分との私的なおしゃべりの時間を求められ、ラートリーは、湧き上がる喜びと期待の感情を、どうにも、打ち消せなかった。この魅力的な誘い?おねだり?を突っぱねることなど、ラートリーには、到底不可能なことだった。

「…はぁ……わかったわ、じゃ、夜が最も深くなる頃に、私の宮に降りてらっしゃい、私は宮で待ってるから」

ついに、ラートリーは、自ら、約束した。夜にウシャスと会う時間を設けると。

「約束よ、ラートリー」

するとアンジェリークは、ラートリーに向かい、にっこりと微笑み、くるりと踵を返して、小走りに自らの牝馬の元に駆けていった。

アンジェリークには、後ろを振り向かずとも、ラートリーが、思案気にため息をつきながら次元の狭間に身を隠した気配が伝わってきた。

よかった…とにかく、ラートリーに、話を聞いてもらう時間は作れたわ。あとは、ラートリーに私の気持を伝えるだけ…

でも、その前に、まず、オスカーに…私の気持…漸く、気づいた私の気持を伝えなくちゃ。

オスカー、オスカー、早く会いたい、会って告げたい…私、あなたに恋してるって…

「恋してる」

そう、口の中で呟くたびに、頬が何故か熱くなる。胸の鼓動が早くなるようで、息が上手くできないような気持になる…なのに、苦しくはない…ううん、苦しいけど嫌じゃない、ほんとに不思議に甘い息苦しさ…

そして、オスカーは、こんな甘やかな苦しさを『恋してる』って言葉にするたびに、いつも…私に感じてくれていたの?今までずっと…?

そう思うと…申し訳ないと思わなくちゃいけないような気がするのに…何故?心が震えるそうに嬉しい気持も、一緒にこみあげてくるわ…

こんな気持の何もかも、早く、オスカーに打ち明けたい。

やっぱり、私、辛抱が効かないみたい。一刻も早く、オスカーに会いたい…。

紅色の牝馬の首を優しくなでてから、横すわりにまたがる。

「今朝も、なるべく、ゆっくり歩いてね。オスカーが、すぐ、私をみつけられるように、オスカーが、なるべく早く私に追いついてくれるように…」

『承知』と言わんばかりに、牝馬は短くいななき、恐れ気なく天空の道へ歩みだした。

 

『一刻も早く、オスカーに、私の気持を、伝えたい…』

そわそわと、じりじりするほどに、そう考えていたのに、いざ、オスカーが、天空の道へと馬車を駆しだした気配を感じると、アンジェリークは、急に動悸が早くなり、喉から胸にかけてが、何か熱いもので一杯になったような気がしてしまい、上手く、思考がまとまらず、言葉が出にくくなってしまった。

だって、いきなり「オスカー、私、さっき、わかったの。私、あなたに恋してるって」なんて、思念で話しかけたら、オスカーはどう思うだろう?びっくりしてしまわないか…いや、それよりも、私の言うことを、ちゃんと信じてくれるだろうか。同情とか、優しさからの言葉だとみなさないでくれるだろうか…

今まで、オスカーに「好き」って言葉は、何度も伝えてきたのに…今朝も、同じように、オスカーに伝えるだけなのに…

『どうして…なんで、こんなに胸がドキドキするの…今までも…オスカーを前にすると、胸がドキドキすることは一杯あったけど、こんなに…こんなに胸が破裂しそうで、恐いほど、ドキドキしたことなんてないのに…』

だって、オスカーは、優しい、オスカーみたいに優しく、力強い人は、他にいない。私はいつも安心して、オスカーの腕に飛び込み、この身を任せてきたんだもの、何も…恐いことなんてないのに…どうして、今、私の胸は、恐いほど、苦しいほどに高鳴っているのかしら…。

これも、私がオスカーに恋してるって、気づいたから?…「好き」な気持がどんどん募って、ただの「好き」を追い越すと…恋すると、こんなにも胸が苦しくて、何故か、臆病にもなるものなのかしら…

アンジェリークは、自然に自分の胸元を、掌で押さえていた、動悸を鎮めるように、手を当てることで、息苦しさを和らげようとでもするように…

その時

《どうした?アンジェリーク…今朝は、君の声が中々聞こえてこないと思っていたが…今まで、思念を抑えていたのか?どこか…何か…具合が悪いのか?》

アンジェリークの脳裡に、心配そうな、優しく力強く男性らしい声が響いた。

《!…オスカー…》

《どうした?アンジェリーク…》

《あ、何でもないの、私は、とても元気よ、いつも以上に禊も念入りに済ませてきたもの、オスカーとなるべく長く一緒に…一緒にいたくて…》

《?…ああ、俺も同じ気持だが…君の思念、いつもは、溌剌と明るくて、弾けるようなのに…今の思念はどこか、ためらいがちで、おずおずとしていた…どうした?何か、不安があるのか?もしや、ラートリーと何かあったのか?》

《ううん、大丈夫…あ、でも、ラートリーには少しだけどお話してきたの。今夜、ラートリーに会いたいから…久しぶりに会ってお話したいから、ラートリーの許を訪ねたいって。そして、でも、もし、夜に、私が、上手く実体化できていないようだったら、手助けしてね、って、お願いしてみたの》

《ラートリーに?会って話しがしたいと、いえたのか?》

《ええ、でも、本当にそれだけしかいえなかったのだけど…》

アンジェリークは、自分とラートリーが交わしたやり取りの一部始終を、心象にして、オスカーに思念で送った。言葉を介するより手早く、なおかつ、言い間違い・伝え間違いが起きない、念話の利点である。

《ラートリーとすれ違うための時間はとても短いから…だから、とにかく、会ってお話したいって、絶対に必要なことだけ、お願いしなくちゃって思って、それだけ伝えたの…》

《ああ、でも、それが最も肝要なことだものな。それにしても…それは、ラートリーも、驚いただろうな》

《ええ、私が『今夜、会いに行きたい』って話しかけたら、すごく驚いていたみたい…どうしてか、よくわからなかったのだけど…》

《それは、君が、そんなにきっぱりと意思を通さんと主張することなんて、ラートリーは、ほとんど見たことがないからだろう、まさに驚天動地の出来事だったろうな。しかも、君のあのお願いの仕方では…よほどの理由がないとラートリーは君の願いを断れないし、黙って、なかったことにもできない…君のその機転、叡智…まこと、君は類稀な知性と聡明さに溢れる崇高きわまりない女神だ…俺の君への崇拝の念は強くなるばかりだ…》

オスカーは、素直に賞賛と崇拝の念を発した。実際、最も肝要な要件を、ラートリーに、拒めないよう、かつ、警戒心をおこさせないように伝え、承諾させた、彼女の機転、才覚は見事としか言いようがなかった。ラートリーの性格や気質をアンジェリークは熟知している、という点を差し引いても…いや、だからこそだ。ラートリーのように誇り高く、強い意志の持ち主は、一方で、頑固で自分の考えを曲げない性向を持つから、自らの意に反する行いを承諾させるよう仕向けるのは、注意深い舵取りと柔軟な思考、同時に、相手に負けない強い精神力が必要なのだから。

《そんな…私、オスカーが気づかせてくれたから、ラートリーに言うべきことを前もって考えられたのよ、オスカーが示唆してくれなければ、上手く身体をもてない理由も、ラートリーの態度がおかしな訳も、今も、わからずにいたと思うわ、オスカーがヒントをくれて、考えさせてくれたから、ラートリーは私を嫌っているんじゃない、怯えているだけだってこともわかったし、だからこそ、私は、迷いなく、ラートリーに言うべきことを言えたの…すべて、オスカーのおかげよ、オスカーには、本当に感謝しているの、ありがとう》

アンジェリークは、どこまでも謙虚だったが、オスカーは、すれ違うだけの短い時間に、おもねりもせず、高圧的に命令したのでもなくラートリーとの約束を取り付けたのは、あくまで彼女自身の才知の結果だと思った。俺が彼女に与えた示唆など、ほんのきっかけにすぎず、結果、得た情報を利用したのは、あくまで彼女の才覚だ。

オスカーは改めて思う、アンジェリークの知性は、冴えてはいるが、尖っていない、円かで温みのある聡明さだ、と。悠久にも似た歳月、女神として掛け替えのない職責を担ってきて、俺など足元にも及ばない経験を積んできているから、問題点がはっきりしていることへの対処は的確で、回転も速い。かつ、担ってきた責務は、万物への慈愛なくしてはできぬことだから、彼女の暖かで柔らかな優しさは、深みを増す一方で…永年の経験が、彼女が生来持つ聡明さと優しさの両方に磨きをかけてきたのは間違いないだろう。

彼女の外観は少女そのままで、感情面には妙に幼い部分があるから、つい、保護欲をかきたてられがちになるが…それはただ単に、彼女の他者との接触の絶対値が少なすぎるが故、風も当てぬほど大切にされてきたから、対等な立場でのふれあい、ぶつかりあいがほとんどなかったため、それだけで…現実の彼女は、ただ、守られるだけの女性ではない。実際、俺は、少年の頃から、彼女の的確な助言、優しい聡明さに憧憬と感嘆の念を抱いていたし、それは長じた今も変わらない。

だからこそ、俺は、この比類なき女性に、こんなにも焦がれ、惹かれてやまないのだ…。

《いや、礼を言うのは俺の方だ、まず、俺がラートリーと話をしようと思っていたのに…でも、確かにラートリーへの説得は…特に君が夜、身体をもてるようになるためには…君自身がラートリーと話したほうが有効だろうからな》

《ん、だって、私、一生懸命だったの。オスカーは、これからも私と一緒にいるために、色々手を尽くすつもりだって言ってくれたでしょう?なのに、私は何もしないで、ただ、待っていていいわけない。それには、まず、ラートリーにわかってもらわなくて…オスカーと心を重ねることを私の不幸だと思ってるラートリーの誤解を解かなくてはって思って…さもないと、私とオスカーの恋は成就するのが、とても難しくなってしまうのでしょう?そう思ったから…》

《なんだって?!…アンジェリーク…いま、なんと…》

《あ!…私……きちんと、伝える気でいたのに…やだ…ごめんなさい、オスカー…こんな、話の流れで言うつもりじゃなかったのに…》

《っ…アンジェリーク、君から…今まで、俺が感じたことのない恥じらい?はにかみ…?おずおずと躊躇うような、それでいて、心弾み、風に舞う花びらのような…初々しい、ときめくような思いが伝わってくる…》

《ん…私、オスカーに聞いて欲しいことがあるの。私、わかったの、漸く、わかったの…私、オスカーに恋してる…》

《!》

《今朝、はっきり、わかったの、わかったばかりなの、私、オスカーに恋してる、ううん、私、オスカーに、ずっと恋してた。なのに、それが、自分では、はっきりわからずにいただけだったって、今朝、わかったの…》

《っ…アンジェリーク…それは…》

《オスカーが前に教えてくれたでしょ?恋する気持は激しく迸るように湧きいづるもので、抑えようがなくて、その人でないならいらないと思うほど身勝手な感情でもあって…って。私も同じなの…同じだって気づいたの…もし、オスカーがスーリヤ様でなくなってしまったら…オスカーでない火神がスーリヤ様の御名を賜ったらと想像したら…想像しただけでも、酷く哀しくて、泣きたくなって…私を抱く手はずっとオスカーのものであって欲しい、私と混じって広がる光は、オスカーのものでなくては嫌、何より、オスカーに二度と会えなくなったら…と考えただけで、心が凍りつきそうになって……この身が光に戻ってしまいそうになった程、動揺してしまって…もし、オスカー以外の人に抱かれるくらいなら…私、もう、暁紅の女神でなくていい…そんな…女神としてあってはならないことまで考えてしまったの…こんな…身勝手なほど強く激しい思いは…オスカーが教えてくれた『恋』だと思うの…私、オスカーが好き、オスカーしか欲しくない、オスカーでないと嫌なの…ね、私、オスカーに恋してる…》

《アンジェリーク…俺は…本当に、夢をみているんじゃないのか…目をあけたまま…馬車を操るまま…》

《オスカー…喜んでくれている?の…?》

《喜んでいる…?…そんな言葉では、とても現せない…信じられない気持が強すぎて…これが、現実と信じることが、恐いほどで…アンジェリーク…君は…スーリヤは俺でなくては嫌だと…他の誰でも嫌だと…そう、言ってくれたんだな…?》

《オスカー、オスカーが信じられるまで、私、何度でも言うわ。暁紅の女神ウシャスにしてアンジェリークは、スーリヤ様であるオスカーに恋しています。オスカーに、ずっと、スーリヤ様でいて欲しいです、他の方では、嫌です、私を抱いて、一つの光となって、この世界のすべてを満たすのは、オスカーだけであって欲しい。オスカーでなくては嫌です。私、オスカーに恋してる。漸く、自分でも、それがわかったの。》

《アンジェリーク…ああ、俺もだ、俺は君に恋してる、多分、初めて、火の泉で出あった頃からずっとだ…君のことだけを考え、君だけを見つめてきた…好きだ、アンジェリーク…心から愛している》

《ああ、オスカー…私もオスカーが好き…この喜び…胸の奥から、火の泉より熱い…火の気そのもののような想いが、湧いて溢れて…私を一杯に満たしてくれるよう…こんな熱さ、こんな幸せ…私、初めて…》

《アンジェリーク、ここが天空の道でなければ…俺が太陽と不可分でなければ…俺はいますぐ、君の元に駆けつけ、君を力一杯…一分の隙もないほどに抱きしめ、決して離さないのに…》

《私も…オスカーに、抱きしめてほしい…私の身が燃え尽きるまでの、あんな短い時間じゃなく…もっとたくさん、飽くほどに長く…抱きしめてほしい…》

《ああ、俺だって、今すぐにでも、君を抱きしめ、数え切れぬほどの口づけを君に降らせたい》

《オスカー、私もよ…今は、難くても、夜なら…雨季の夜なら、私たち、今より、たくさんの時間、抱き合えるでしょう?口づけも一杯交わせるでしょう?、だから、私、ラートリーに伝える、わかってもらう、オスカーと自由に会えるようにさせてって。そして、それは、私にとって何より幸せなことなんだって…ラートリーが心配することは、何もないんだって…》

《アンジェリーク…君は、そんなにも懸命に、俺との時間を持とうと…尽力してくれる気なんだな…?》

《ん、だって、私がオスカーと、もっと一緒にいたいの、オスカーと一緒にいられることが、私の幸せなんですもの、そのために頑張るのは、当然のこと》

《すまん、アンジェリーク、君に頼ることになってしまうようで、俺は心苦しい…今の俺…乾季の俺では、君を大して手助けしてやれない。本当なら、夜、君と一緒にラートリーを許を訪い、二人でラートリーと話すべきだと想っているのに…乾季には、夜の俺はあまりに無力で…何もできない…》

《!そんな、オスカー、そんな風におもわないで!オスカーは太陽神、昼の間中、この強大な太陽を御しているんですもの、それは大変な神力を要するし、その分、夜は、きちんと休まなくてはならないのだもの、それに、オスカーは、私に会うため…ただ1人の私の恋人として、堂々と私をその手に抱けるようになるため、本当に大変な努力をして、スーリヤ様になってくださったでしょう?だから、今度は、私の番。オスカーが、私と会うために、頑張ってくれたように、私もオスカーのために…オスカーと私が、もっと一緒にいられるようになるために、できることなら、何でもしたいし、頑張れることが、嬉しいの。私にもできることがあるってことが、嬉しいの》

《アンジェリーク…》

《次の雨季には、夜にオスカーに会いにいけるよう…もっと、たくさんの時間を一緒に過ごせるよう、私も、私のできることをしたい、だから、待っていて…オスカー》

《ああ、わかった。アンジェリーク、だが、くれぐれも、君が哀しんだり、苦しんだりすることのないように…無理はしないでほしい…俺も、次の雨季に入ったら、夜にラートリーと話をするから…》

《大丈夫、私は光の性が強いから…普段は、あやふやで、しっかりしてないけど…その分、融通がきくの…それに…》

《それに?》

《私、昔からオスカーのことが好きだった…なのに、この気持が『恋』だって気づくまでに、こんなに時間がかかってしまった…その分、今は、もう、何の迷いも躊躇いもなく、自信をもって『あなたに恋してる』って言えるけど…オスカーは、とても、優しく、辛抱強く、私が自分で自分の心を見据えて掴むまで、待ってくださったでしょう?だから、その感謝の気持もこめて…私、自分にできることは精一杯頑張りたいの。だから、心配しないで、オスカー。ラートリーも、ヴァルナ様もミトラ様も、お優しいし、この上なく聡明な神々ですもの、きっと…きちんと説明すれば、わかってくださると思うの》

《そうか…でも、一度では、上手くことが運ばなくても、はかばかしくなくても、気にしないでくれ、心を痛めたりしないでほしい、アンジェリーク。俺たちには時間はある、焦る必要はないのだから…》

《ん、わかったわ、今は、ここで、オスカーに抱かれて、束の間でも、口づけを交わせる、それも嬉しいから…オスカー…ああ、オスカー、早く、私を抱いて…》

《ああ、アンジェリーク…》

アンジェリークが牝馬の背から、ぐっとその身を乗り出す、すかさず、オスカーは左手一つに手綱をからげて持ち替え、アンジェリークを、逞しい右腕にがっしと抱えて抱き寄せ、ぶつかるように荒々しく口づけた。互いに恋する気持を確かめ合って、気が昂ぶっていたせいか、恋していると確かめあったからこそ、一瞬しか口づけできないもどかしさが、荒々しい仕草に変じたのか…

オスカーの唇は、今までにない力強さで、アンジェリークのそれにぶつかって来、塞いできたが、アンジェリークも臆さず、無我夢中で、オスカーの唇を吸い返してきた。オスカーは、誘われるように、舌を差し入れる。

1、2、3とカウントする程度の時間、互いに唇を吸い、オスカーは、ほんの少しだけ、口腔を探ったところで、アンジェリークは、一瞬、切なげに眉を寄せ、「好き」という言葉を唇が象ろうとした瞬間、光に還っていった。

オスカーは、やるせないため息をついた。

アンジェリークの気持が、今も信じられないほど嬉しく、だからこそ、もっと長く抱きしめたい、骨をも折れよとばかりに力いっぱい抱きしめて、隙間のないほど密に、飽きるほど長く、ふれあっていたかったという気持が胸中を吹き荒れて、苦しいほどだった。

そして、俺への恋心を自覚してくれた彼女が…ふわふわとした綿雲のように、愛らしく、儚げだった彼女が、あんなにも凛とした態度をとり、きっぱりした物言いをしたことも、また、夢のようだった。

だって、その彼女の振る舞いは…彼女が強く心をもってくれたのは、いわば俺のため、自分と彼女の幸せのためだなんて…これが現実だなんて…どうしても、信じられない…こんなにも恋焦がれてきた彼女が、同じように俺を思い、俺との未来を夢見…そのための努力をすると、言ってくれたなんて…それこそ、今、俺は、夢をみているのではないか…自分の願望を白昼夢で見ているだけではないかと、空恐ろしい程だ。

オスカーは、自分が、今、本当に目覚めて、きちんと意識を持っているのか、半信半疑な想いが拭えなかった。

それでも太陽の馬車は、粛々と天空の道を進んでいった。いつもと変わらない足並みで。

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