百神の王 37

それまで、ミトラとウシャスのやり取りを黙って聞いていたヴァルナがーこの童女のようにあどけなかったウシャスが現スーリヤに恋をしているという、信じられない事実を認めるまで…認めざるをえないと現実を認識するまでかかった時間が、すなわち、彼の沈黙の時間であったー二人の間に割って入る形で、話を引き取る。

「ミトラよ、ウシャスの意をしかと確かめられたのは、そなたの的を射た問いかけがあったればこそだ、その点に関しては、ありがたく思う、礼を言おう。私では…ここまで、冷静に的確に、ウシャスの意を確かめることができたかどうか怪しいのでな…」

「それはよかったな…」

「よかったのか…いや、そうだな…ウシャスの真情を、その決意の程がはっきりわかったことで、確かに、私の腹も決まったからな…」

ヴァルナ神は、重々しく嘆息した。その呼気の重さに、ウシャスは、そこはかとない不安がわきおこる。

「ヴァルナ様、それは一体…」

「ウシャスよ、ラートリーの干渉は光の眷属としても、高位の女神としても褒められたものではない、今すぐにでも、このヴァルナの名において、そなたへの干渉をやめさせよう…ただし、そなたが、夜間、スーリヤの許を訪れない、と約束する場合に限り、だ…」

「ヴァルナ様!」

ウシャスとラートリーは、同時に驚愕に大きく目を見開いた、ただし、一人は衝撃に打ちひしがれた顔で、一人は、思いがけぬ逆転に勝ち誇った喜悦の表情を浮かべ。

「ウシャスよ、私にも、そなたの真摯な思いの程は、よくわかった。そなたは真剣にスーリヤを愛し、そなたの言を信ずるのなら、スーリヤもまた、そなたを真剣に愛しているらしいことはな…」

「…っ…なのに、ならば…ヴァルナ様、何故…」

「だからこそだ、ウシャスよ。恋を知りそめたばかりのそなたには…初めて知る恋の喜びに、その甘さに酔っているそなたには思いもつかぬ、信じられぬことであろうが…恋心というのもは、概して、永遠に続くものではないのだ。中には、生涯、一人の相手を愛し続ける者も、稀にいる、が、一度成就してしまった恋心は、言い方は悪いが、後は徐々に醒めていくばかり…色あせていくものが、大半なのだ。今、そなたが感じているような恋心をそのままの形で保つのは、誠、難しく、稀有なことと言わざるを得ない。特に、男というものは…そなた自身が、未だよくわかりかねている「契り」を交わす前と交わした後で、豹変する輩も多い。女性と契りを交わすためなら、巧みに甘言を弄し、心にもない約束を交わす男もいる、そして一度、その女性と契ったら、それで目的を果たしたといわんばかりに…後は、その女性に目もくれない、そんな不実な男も現実にはいるのだ」

「そんな…オスカーは…スーリヤ様は、そんな方では…」

「恋に盲いている状態だと、誰でも、そう思うのだ、自分の恋人だけは違う、自分の恋人の誠実は不変だと。もちろん、実際に誠実な者も多い、が、そうでない者もいる、これも事実なのだ。そして、私たちは、スーリヤの人となりを…優秀で強力な神力を持つ神であることまでは、わかるが、その腹のうちまでは、わからぬ。汚れを全く知らないそなたは、人の悪意というものを、感じ取ることは難いであろうし、そなたのように無垢な存在を騙すことは、それこそ、赤子の手を捻るより容易いこと、しかも、そなたは、至高の存在、この世で最も清らかにして美しい女神の中の女神だ…その無垢な女神を我が物にできるのならば、どんな手練手管も辞さぬ、という男がいても不思議ではない、それ程までに、そなたは掛け替えのない、貴重な存在なのだ、だから、私には、スーリヤの思いが、真剣であるというそなたの言葉を、そのままに鵜呑みにはできぬ。本当に真剣にそなたを愛しているのかもしれぬが、そうでない可能性も…単に『この世に二つとない価値のあるもの』を我が手にしてみたいだけで…一度手にしたら、そこで興味を失ってしまう、その可能性も否定できんのだ」

「そんな…スーリヤ様は、そんなお方ではありません、私のことも…ずっと昔から…少年の砌より愛しく思ってくださって…ああ、ヴァルナ様、どうか、スーリヤ様と一度、直にお言葉を交わしてみていただければ…さすれば、スーリヤ様の誠実が…あの方の真っ直ぐで美しいご気性が、わかっていただける筈…」

「騙されませんわよ、私は!スーリヤの言うことなんて、全く信用できませんわ!火の眷属の十余年など、我ら光のものには瞬きする程の間、その間に心替わりせずにいたなんて、至極当然のことで、自慢にもなりませんわ、第一、スーリヤの言葉が真実だという保証はどこにもありませんのよ!」

「ラートリー、そなたは、少し黙っていてくれぬか…」

珍しくぴしゃりと言い放つと、ヴァルナは、いたましいものを見るように、ウシャスを見つめた。

「そしてだ、ウシャスよ、よしんば、スーリヤの気持が、今は、真摯な誠実なものであったとしても…そなたは知らぬであろうが、障害が大きければ大きいほど、恋心は、激しく熱く、燃え盛るという、度し難い性質があるのだ、スーリヤの、そして、そなたの想いもまた、自由に会うことも思うに任せぬ、今の状況が、熱を煽っているだけやもしれぬ、さすれば、その障害が取り除かれた時…それこそ、自由に逢瀬を重ねられるようになった途端、恋が色あせる、そんなこともありうるのだ、その場になるまでは…突然、恋が醒めてしまうまでは、思いも寄らぬであろうがな…今のそなたなら、少しはわかると思うが、恋心というのは、計算どおりにはいかぬ…理屈や理想通りにはならぬものだし、自分自身では制御の難しいー燃えあがる時もだが、冷める時もだーものなのだ…」

「…確かに。実際、触れたくとも、思うに任せぬからこそ、尚更に欲を煽られ、歴代のスーリヤは、これに、激しく懸想してきた…それは事実だな…」

「そうだ…逆に言えば、一度、己のものとなったら…いつでも、自分の自由にできると思った女には、途端に魅力を感じなくなって執着しなくなり、また、新たな…未知の女性を追うようになる、そういう傾向の者が、火の眷属には多い、これは、否定できないのだ。多くの…スーリヤになれずに訓練中途で脱落した者も含めれば、私は無数といっていいほどの、火の青年を見てきて、そう思うのだ。これは…種族的な縛りとでもいうか…我ら光の者が女性の意思には、無条件に逆らいにくいのと同じで、火の性質として…燃えあがる勢いは凄まじいが、何かのきっかけで一気にその火勢が消沈する、ということが間々あるのだ。そして、もし、その時…万が一、スーリヤの気持が冷めてしまった時に、一方で、そなたの恋心は、熱きままであったなら…その時、どうしようもなく、辛い思いを、そなたはするやもしれぬのだ…」

「ヴァルナ様…でも、オスカーは…スーリヤ様は…」

「そなたが信じた男だ、私とて、信じてやりたい気持はある、今、この時、そなたを憂いに沈み込ませたくないとも思う、だが…それだけで、そなたの命運を、一男神の感情に任せてしまうのは…恋心という、甚だあやふやな、確実性など欠片もない物に委ねてしまうなど、そんな恐ろしいこと、危険はことは、このヴァルナ、天則の守護者としては、到底認められぬのだ」

「ヴァルナ様…」

「よいか、ウシャス、そなたは、暁紅の女神、夜の帳を切り開いて夜明けを導き、万物に目覚めを与える掛け替えのない使命をもつ女神なのだ、その、そなたが、万が一、恋を失った衝撃に、二度と人としての形を象れなくなりでもしたら…哀しみのあまり、光の粒となって四散したままになってしまったら…そんなことになってからでは、取り返しがつかぬ。そして、情を交わす前と、交わした後なら…別れの辛さが後を引かないのは、情を交わす前であろう、なればこそ、私も…ラートリーの言に諸手をあげて賛同する訳ではないが…ラートリーと同じことを言わざるを得ない。スーリヤの許には行くな、どうしても行くとあれば、そなたの実体化を許すわけにはいかぬ、とな…」

「っ…」

その瞬間、声もなく、ウシャスの双眸から、はらはらと涙の雫が零れて落ちた。

その様を、同じほど、辛そうな顔で、ヴァルナ神は見守るが、硬く引き締められた口元は、ヴァルナの意思が、ウシャスの涙にも揺らがない事を示していた。

すると、ウシャスをその背の後ろに庇うように、ミトラ神が、ずいと一歩前にでた。

「哀れなウシャスよ……ヴァルナよ、おまえは、本当に起こるか起きぬかわからぬ危険のために…今、ウシャスが悲しみと絶望に打ちひしがれるのを、良しとするのか…」

「ミトラよ、そなたの意見は私とは異なるようだな…その方が、私には、わからぬ、そなたも、ウシャスを愛しく大切に思う気持は私と同じであろう、なのに、より、辛い思いをするやもしれぬ選択、取り返しのつかぬことになるやもしれぬ未来ををこれに許そうというのか?…なぜだ?スーリヤの恋心などという、甚だ不確かなものに、これの命運を預けることに不安はないのか?」

「…永年、我らが、これに与えてきた幸福は、そよ風にすらあてず、心地よいぬるま湯に浸らせたままにおく、そういう幸福だ、激しい歓喜を感じる機会はないが、底知れぬ絶望を知ることもない。その種の幸福を否定するものではないが…これは、もう、めくるめく舞い上がるような恋の喜びを知りそめた。もう、恋の甘さを…その端緒を味わってしまったのだ、そして、一度その甘さを知ってしまった以上、何も知らなかった頃に戻れというのはあまりに酷、というより不可能だ、なれば、いっそのこと、この恋を極めさせてやること…それも、ウシャスの幸福ではないかと、私は思うのだ、なにせ、これは、未だ、恋の戸羽口に立ったばかりで、恋の深みを極める、という所まではいっておらぬようだし…そして、今のスーリヤ以外に、これに、同様の経験、同様の幸せを知らしめてやれる者が現れるかどうか…そちらの方が、私には甚だ怪しく心もとなく思えるのでな…ならば、女の身として恋し恋される喜びを…それが、どれ程続くものかは、確かに、明言はできぬが…知らしめてやることこそ、これの幸福ではないかと私は思う。女としての幸福の極みを一度も知らずに永劫の時を生きるよりは、思う者に思われるという奇跡のような喜びを…それが、たとえ、限られた時間であっても…私なら、これに知らしめてやりたいと思う…」

「っ…ミトラ…さま…」

ウシャスは信じられないという表情で、長身のミトラ神を見上げる。そんなウシャスに、ミトラは穏やかな笑みを投げかける。

「何より、その美しい瞳を涙で曇らせるのは、私の性に合わぬ、私は、おまえの涙は、辛くて見ておれぬのだ、この男のように鉄面皮ではないのでな」

「っ!私が!ウシャスの涙を見て、平気だとでも思うのか!」

「ならば、やせ我慢はやめるがよかろう、これの涙をとめ、笑顔を取り戻すなど容易いこと、そなたと…ラートリーがその石頭を改めればすむだけだ」

「私が、今、一時の情に流され、その挙句、これが酷く嘆き哀しむ時が来たら…その結果、これを失うようなことになったら…その方が、私には耐えられぬ!」

「消えたりしません!私…どんなことがあっても、絶対に!そう、お約束したら…私をスーリヤ様のところに行かせてくださいますか?ヴァルナ様…」

「だめだ…」

「っ…ヴァルナ様…」

「そなたは…男を…男というものを知らぬから…確かに、契っても態度の変わらぬ男もいるし、むしろ、契って暫くの間は、尚のこと深く熱烈にそなたを愛するかもしれぬ、その時、確かにそなたは無上の恋の喜びを全身で味わうやもしれぬ、だが…先も言ったように、恋心というものは、歳月を経るうちに、少しづつ、その性質を変えていくものが大半なのだ、そして、恋の喜びを極めてしまえば、その後は…徐々に熱は冷め、甘い味わいが失われた時、喜びの頂点を知る分だけ、そなたは寂しく辛い思いをするやもしれぬのだぞ」

「それも…恋のもたらすものならば…喜びも悲しみも苦しみも…私は、引き受ける覚悟はございます、オスカー…スーリヤ様からも、恋を知るからこそ、寂しさも、憂いも深まることがあると…そういうことも、聞き及んでおりますゆえ…」

「それを知っていてなお、何故、そのような激情の渦中に飛び込む必要がある?嘆きも哀しみも寂しさも、知らずに済むのなら、その方がよいではないか…私は、そなたを、そういったもの一切に無縁にしておいてやりたい…」

「私は…もう…愛しい方に会うに任せぬ寂しさを知っております、ヴァルナ様、でも、この寂しさを知ることができて、私は、幸せなのです。知らなかった頃に戻りたいとは…ましてや、知らねばよかったとは思いません。会えない時の寂しさを知るからこそ、会えた時の喜びは、より甘さを増すと、もう、私は知っているから…恋する人を思う時、感じる胸の痛みの中には甘さがひそみ、息苦しいほどの幸せがあることも…」

「…それでも、私は心配でたまらぬ、ウシャスよ、そなたは…男女の理を、今は、知識でしか知らぬ、それも、懸念の種だ。そなたは、頭ではわかっているつもりであろうが…実際のそれは、そなたの想像とは違っているやもしれぬぞ、その場合…そなたの精神が、その衝撃に耐えられるか、それも、私には、案じられてならぬ。よしんば、その点を乗り越えても…やはり、将来、スーリヤの退任が余儀なくなった場合…その哀しみに、そなたの精神が耐えられるかどうかも、私には心配でならぬ…たとえ、スーリヤの恋心が、彼奴の誓い通り、永遠に変わらず色あせなかったとしても、在任期間の問題が控えている。彼奴の退任の問題は、恋心とはまた別物だ。スーリヤ自身は、生粋の天空神と同様に、力を安定させてみせると申しているというが…」

「はい、ヴァルナ様、スーリヤ様は約束してくださいました、ですから、その点は…」

勢い込むウシャスを、ヴァルナは容赦なく遮る。

「それこそ、何の根拠もないそんな言葉は、到底信じられぬな。確証があるというのなら、それを、私の目の前に示さねば…現実に、数百年以上永らえた太陽神は皆無なのだからな。その時、互いに深く思いあっていたら、その分だけ、避けられぬ別れの運命に、そなたは限りなく辛い思いをするやもしれぬぞ、この点に関しては、私もラートリーと同意見だ。となると…やはり…今一時は、寂しく辛く思えるかもしれぬが、男女の情など…そなたは、知らずにいるほうが、私には安全に思える…」

「ヴァルナ様!」

「ウシャスよ、今は、辛いかもしれぬ、だが…恋情というものは移ろいやすく、そう長い年月燃え盛るものは…皆無とはいわないが、極めて稀なのだ、多くの恋は…どんなに激しい感情の昂ぶりを覚えても、一時期が過ぎれば褪めていくもの…そして、もし、スーリヤの恋心が冷めてしまった時、そなたの精神が、その辛さに耐えうるとは、私には思えぬし、幸いにして、互いの恋心が冷めなかった場合でも、今度はスーリヤの在任期間の問題が浮上する…恋心が冷めていないのに、別れを余儀なくされたら、その方が、もっと辛いかもしれぬぞ。この恋が哀しく辛い結果に終る可能性は、このように多々あるが、反対に、そなたが、ずっと幸せでいられる可能性は、そう、多いとは思えぬ…ならば、そんな深みにはまる前に…そこにいたる道を閉ざすのが、やはり、賢明というもの…」

「ヴァルナ様…」

「ウシャスよ、スーリヤとそなたは、天則に認められし夫婦であり、そなたたちは、互いに唯一の恋人同士だ、誰もが認める、晴れがましい、祝福される関係だ。だから、これで…この形で、満足してはくれぬか…?それは、確かに、他の男女が交わす情愛とは、同じ形ではないが…」

「っ…ヴァルナ様、私どもが、天に認められし夫婦であるとお認めいただけているのに…何故、私どもだけ、他の夫婦と同じように、契りを結べないのですか?結ばれてはいけないと、おっしゃるの…ですか…?」

「それを言われると、辛いが…さいぜん申したように、そなたは、唯一無二の掛け替えのない女神なのだ、市井の夫婦と同列にはおけぬし…第一、普通の夫婦は、互いの想いがすれ違い、愛が冷めたとしても、存在が消えてしまう危険などない…取替えの効かぬ使命ももってはおらぬ…」

「!…」

ウシャスは希望を砕かれ、今にも、崩折れそうに見えた。彼女を象る輪郭が所々で危うくなっており、少しでも気を抜けば、すぐさま光に戻ってしまいそうだった。

が、ウシャスは、すんでのところで、飛び散りそうな精神の手綱を懸命に引き絞っていた。

この自分の脆さ、存在の不安定さこそが、ヴァルナ神、ラートリー女神を懸念させ、案じさせ…延いては、私自身の心の強さへの不信となっているのだと、わかっていたからだ。

ここで、消えてはダメ、絶望に意識を飛び散らせてしまったら、それこそヴァルナ様たちの懸念を裏付けることになってしまう…私は心が弱いからと…何かあったら、すぐ飛び散って消えてしまいそうだから、冒険はさせられないと…尚のこと信用されなくなってしまう…『やっぱり頼りない存在なのだ』と思われてしまう…恋を反対されただけで、人型を保てないのでは、それこそ、万が一、恋を失った時、私の存続を危ぶまれても仕方なくなってしまう、それは…私の身を案じてのこととはわかっていても…この恋に反対されても仕方ない格好の理由をヴァルナ様に与えてしまうことになる…

それに、オスカーも言っていた、すぐにわかってもらえなくても…はかばかしい成果が出なくても、気にするなと。きっと、オスカーはわかっていたんだわ、そう、易々と事は運ばないかも、と…私たちの恋が、簡単に理解は得られないかも…と。

ならば、尚更、私が、ここでへこたれてしまって、消えてしまうのは、絶対にダメ、もう、泣いたりするのも、ダメ…

「形だけの…張子のような…実のない形式上の恋人同士でいることで満足できるのなら…私が恋をいまだ知らぬ頃なら、それも可能だったかもしれません。でも…私には…私にもオスカーにも、今は、到底そんなことは…ああ、ヴァルナ様…わかっていただけたら…私たちの思いの程を…今の私には、その術がわかりません、けど…でも、いつか、わかっていただけるよう…そう努力します、私はオスカーを…スーリヤ様を心から愛してしますし、スーリヤ様も、同じほど真摯に私を愛しく感じてくださっていることを…そして、この思いは、決して一時の気まぐれではないことも…障害に煽られて、燃え盛っているだけのものではないことも…」

「いいや、かわいそうなようだが…数年もすれば…我らにとっては、瞬きするほどの間だ…そなたも、過日の、あの闇雲な思いは一体なんであったのかと、憑き物が落ちたように思い起こす日がくる、きっとな…」

「っ…今は…もはや、伝えるべき言葉を私には見出せません…今、そんなことはないと、申し上げても、信じてはいただけないようだと、わかったので…なので、言葉以外の方法を…私たちの思いをわかっていただく術を…私は、探します…」

『無駄なことだ』

そう思ったものの、それを口にするほど、ヴァルナも無慈悲ではなかった。

彼の行いも言葉も、主観ではウシャスのためを思ってのもの…男女の事柄に自らが精通しているわけではないが、大人の分別として「永遠の恋」など、滅多にないことを知っている以上、安全策をとるのは、当然のことなのだから…

そんなヴァルナ神と、いたわしげな目で自分をみるミトラ神と、勝ち誇ったラートリーを前に、ウシャスはしゃんと顔をあげ、きっぱりとこう言い放った。

「ただ…ラートリー、これだけはお願い。私の実体化に干渉するのは、もう、やめて?特に、乾季の間は、スーリヤ様は、夜になるや、すぐ、お休みになられてしまうから…それなら、夜に、あなたが心配なさるようなことは、ないでしょう?もし、私がスーリヤ様の宮を訪ねようとしても、私の気は、この天界では、どこにいても、あなたなら、わかるでしょうし…」

「確かに…なら、あなたの気配がスーリヤの神殿以外の場所で感じられた時は、実体化を邪魔はしないわ。それでいいわね?」

「ええ、今は、それで十分。では、今宵はこれにて…」

アンジェリークは優雅に脚を引き、恭しい礼を尽くすと…茫洋と消え行くのではなく、典雅に遥か天上に舞い上がるようにして、その身を光に還元したのだった。

暁紅の女神が光の粒となって消え行くその様子を、神殿の物陰で、じっと見据えている落ち着いた金の髪の男神がいたことに、残された三柱の神々は全く気づいていなかった。

ウシャスの名残が消え去るや、その男神もまた、誰にも声をかけないまま、ふい、と姿を消した。

 

翌朝目覚めるや、オスカーは、ウシャスの…アンジェリークの様子が、いつも以上に気になって仕方なかった。

昨晩、ラートリーとは無事会えたのか、俺たちのことをわかってもらうと言っていたが、ちゃんと話はできたのか…その結果、打ちひしがれ、沈み込んだりしていないだろうか、と…。

オスカーは、ウシャスとラートリーの会見を全く楽観していなかった。

確かに、自分がラートリーと相対するよりは、話し自体は聞いてもらえるだろう、ラートリーもウシャスの言は聞き流さず、耳を傾けるだろうから…

しかし、あのラートリーが…ウシャスを大事に思ってやまないラートリーだからこそ、ウシャスの言を耳にしても、それをそのまま承諾するとは限らない。親は子供の言に耳を傾けても、子供の言うとおり、願いを聞き入れるとは限らない、それと同じことだ。大事に思えば思うほど、好きにさせてやるわけにはいかないと、我侭や、見通しの甘い願いにはストップをかける、そういう愛情があるのは事実で…しかも、ラートリー女神は、心情としては、ウシャスの姉妹というより保護者に近い。下界の民草であっても、かわいい娘の交際や結婚を、二つ返事で承諾する保護者の方がむしろ珍しい、つまりはそういうことだ。

尤も…俺たちは天則に定められ認められた夫婦だというのに、何故、今更、天空神たちから、親密な時間をもつことを許してもらわねばならないのか…と、憮然としてしまう感情は否定できない。

ただ、現実に自由な逢瀬を邪魔されている以上、そして先方にそれだけの力がある以上、なんらかの対策はーアンジェリークと結ばれることを諦めない限りは、必要だ。俺たちの説得が功を奏して先方が折れるか、こちらが彼らを出し抜けるか、そのどちらになるのかはわからないが…

が、現実を考えると、天界神たちが、俺たちが真に夫婦として契ることを認めるかどうか…正直、難しいだろう。スーリヤはウシャスの形式上の夫、それ以上を望むのは不遜、と天界神たちなら考えるだろうし…それ以上に、火の眷属と交わることを「純粋な光の存在を汚す行為」とみなすかもしれない。

だから、俺に自由に会いたいと明言したことで、酷いことを言われたりしなかったか、傷つき、打ちひしがれていないか…オスカーはアンジェリークが心配でならなかった。というのも、天空の道を先導しているウシャスの思念がー気配はあるのにー今朝は、まだ、微塵も聞こえてこないからだった。

最近は、アグネシカたち神馬の手綱を制御することは、まず、なかったが、今朝は、ただ馬達が走るに任せるだけでは、どうにももどかしく、オスカーは珍しく鞭を振るって、馬たちを急かしてしまった。

自分の行く手に紅色の牝馬と、その馬上に麗しい少女の姿を認めた途端、オスカーは、力強く、そして意識して朗らかに

《アンジェリーク!》

と、声をかけた。

その瞬間、返ってきたのは、申し訳ないというような恐縮の気持だった。

《ああ、オスカー、ごめんなさい…わかってもらえなかったの、私…一生懸命、訴えたけど、わかってもらえなかったの…》

やはりな…と、オスカーは静かに嘆息する、同時に、アンジェリークを安心させ、元気付けるような思念を意識して発する。

《大丈夫だ、アンジェリーク、何も気にしなくていい、天界神たちは、君のことをこよなく大事にしているから…もともと、そう、容易く、君を俺にくれるとは思っていない。地上でも…普通の火の眷属でも、大事な愛娘を嫁にもらう時は、すぐに承諾してもらえないことも多い、そういうものなんだ、必要な通過儀礼のようなものだ…まして、君は、天界の宝だ、そう易々と手にできるとは思ってないさ》

オスカーはわざと思念に笑みを混ぜ、アンジェリークの心を軽くしてやろうとした。

が、アンジェリークの思念は、更に暗く沈んだものとなって帰ってきた

《それは…オスカー…今は、障害が大きいから恋心が募っているだけで…何も障害がなくなったら、恋は冷めてしまうものなの?私のこの思いも?オスカーの思いも?》

《なんだって?!》

《オスカー、オスカー、ヴァルナ様がおっしゃるの、恋はいつか冷めてしまうって…私には…この気持が色あせてしまう日がくるなんて、とても思えない、想像もつかない…でも、私、何も知らないから…恋を知ったのも、オスカーが初めてで、オスカーに教えてもらわなかったら、今も、自分のこの気持ちが恋だということもわからなかったかもしれない…『恋』を知り初めたばかりの私は、きっと知らないことも、まだたくさんあるだろうし…だから…そう思うと、自信をもって反論できなくて…》

オスカーはぴんときた。

《アンジェリーク、君とラートリー女神が話している場に、ヴァルナ様もいらしたんだな?そして、俺たちの交際に反対の意を表した…そういうことか?恋心は、いつしか、冷めてしまうものだという理由で…》

《ああ、そう、そうなの、オスカー、私、何を、どうお伝えしたらいいか…》

《アンジェリーク、昨日、諸神と交わしたやり取りを…その場面を、思い出してくれ。それだけでいい、俺が読み取るから…》

《ん…》

途端に玲瓏な容姿の女神とその神殿の心象が、そして、次々と替わり行く場面が、オスカーの頭の中に流れ込んできた。ラートリーが感情を爆発させ…端麗な二柱の男神がその場に現れ…問いかけ、諭し…そして、オスカーは、アンジェリークの記憶と目を通してではあるが、昨夜、ウシャスが交わしたやり取りを、ほぼ、忠実に把握した。

ラートリーの感情的な反対、これは予想済みだったから、特に驚かなかった。

が、ヴァルナ神が思いのほか、男女の間柄に精通していることー尤も、その見方は、かなりステロタイプにネガティブな物ではあったが、一面の真実を突いていることは確かだったーその一般論をもって、自分たちの仲を反対するとは思ってもいない展開だった。ヴァルナ神も、もっと感情的に…アンジェリークの純粋な光の聖性が、俺の火の気と混じりあうことを「穢れ」として反対するのではないかと、俺は漠然と考えていたが…ヴァルナ神は、俺が考えるより、もっとずっと冷静で合理的だったー一貫して悲観的でもあるが。昨夜の言葉の限りでは、俺の男としての誠実の程がわからないために、アンジェリークを哀しませ、延いては失うような危険は犯せない、そう考えての反対のようだった。

ならば…逆に望みはある、どこかに突破口はある。心配な点をクリアに…確証のもてるよう、こちらが証明すればいいだけだ、感情論を覆すのは難しいが、理性的な根拠のある反対なら、その心配を解消する方策を見つければいい。

そして、最も意外だったのが、ミトラ神が、心情的に、アンジェリークの味方に立ってくれたことだった。

《ミトラ様は、君に恋の幸せを極めろと…それが君の幸せだと、はっきり言ってくださったんだな…》

《ええ…現スーリヤ以外に、それは難かろうとも…》

《ミトラさまは…真実、君を大切に思ってくださっている、そうでなければ、そんな言葉はいえるものじゃない…俺は、その信頼にお応えできるよう…見込み違いだと言われぬよう、君を守る、君がいつも幸せに笑っていられるように…涙でその美しい瞳を曇らせることのなきように…君の美しさが微塵も損なわれぬように…》

《でも、ごめんなさい、オスカー…私、ヴァルナ様のお言葉に、少し、心が揺れてしまったの…『恋の多くは冷めていくものだ』といわれると…私は、実際、恋を知り初めたばかりだし…『おまえは男と言うものを知らぬ』と言われれば、それも否定できなくて…だから動揺してしまって…でも、今、思えば、すべての恋は冷めるものだとは、ヴァルナ様もおっしゃらなかったし…生涯変わらぬ愛を貫くものも居るとも…数は少ないけど、いるっておっしゃってた…だから、今なら、私…オスカー以上に好きになれる人なんていない、私のこの思いは、生涯、変わらないってはっきり言える…そして…願わくば、オスカーも…私と同じ思いでいてくださったら…》

《アンジェリーク、君は自分を知らなさ過ぎる。君みたいな女性こそ、二人といやしない、君がウシャスだから、じゃないぜ?君のように、聡明で賢く、純粋で優しく、愛らしいのに、この上なく艶やかな…こんな女性には二度と会えない、俺は自信をもって、そう断言できる。君は、俺の…永遠の恋人、君以上に心惹かれる女性など決していない…俺は、生涯かけて、君を愛する、愛しぬく…》

《オスカー、嬉しい…これね、自分が相手を思うように、相手も自分を思ってくれたら…と身勝手なほど熱く願ってしまう気持ち、そして、その願いが叶った時の…震えるほどの、この喜び…今は、もう、私にもわかる…私、本当に、オスカーのことが好き…大好き…だから、同じ気持で応えてもらえるうことが…こんなにも嬉しいのね…》

《ヴァルナ様は…君という女性が、恋人なんだという事実を失念しているんだ…一般論としては、ヴァルナ様の言葉は、真実の一端を示している、それは否定しない…でも、それは、あくまで「そういう者もいる」だけで、俺のことでも、君自身のことでもない、一般論が、誰にもあてはまるとは限らないのにな…第一、君が自分の恋人だった場合を想像してみれば、すぐにわかりそうなものだ、君が恋人でいてくれるのに、心替わりしたり、恋心が冷めてしまう男など、絶対にいない、ありえない…ああ、そうか…ミトラ様が君の味方になってくださったのは、そんな風に…自分自身に置き換えて考えてくださったからかもな…ヴァルナ様は、生真面目な方だから、君が自分の恋人だったら…なんて、想像すらしないのかもしれない…だから、俺の恋心も冷めるかも、なんて、一般論をいえるんだろうな、きっと…絶対に、そんなことはないのに…だって、俺は…真実、生涯、この命が果てるまで、君と一緒にいたい、そう思っているんだ…君と時を重ね、共に暮らし…可能なら、君に俺の子を産んでもらって、家族を作りたい…そんな夢まで抱いている…》

《子供…?私がオスカーの子供を?産むの?どうすれば、そんなことができるの?》

オスカーは思わず、微笑ましい思念を発してしまった

《そうか…君は、知らないんだな…昨日、俺が言ったこと、覚えているか?》

《男は女を愛すると…その女性と身体を一つに結ぶことを欲する…でも、一方的にではなくて…女性からも、結ばれたいと望んでもらいたくなる…そして、愛しあった男女は、互いに互いを与え合う…》

《そうだ、そして、俺は、天地神明にかけて、君を…君だけを愛している、君と身も心も結ばれたい、分ち難く一つに…深く固く結ばれたいと思っている、愛し合う男女が、身も心も深く結ばれることは…この世に生を受けて味わえる、最も大きな喜びだと思っている…そして、身体を結びつけることは…別の言葉で『交わる』ともいう…交ると…そして、運に恵まれれば、子を授かることがある…愛し合う者同士で、命を次代に繋げていくことができる…》

《それは…地上に住まう生き物達と同じ?…じゃ、恋する…愛するって…身体を結び、繋ぐって…愛する人と子供を作ることでもあるの?》

《結果としてな…でも…少なくとも、今の俺は、君との子が欲しいというのが第一義ではなく…君と深い処で、誰よりも密に結ばれたい、その気持の方が大きい。君がほしい、君と一つになりたいという気持は、もっと切羽詰っていて、心が焼け付くほどに強くて、理屈ではない衝動なんだ。もちろん、俺は男だから、愛する女性に俺の子供をいつか産んでもらいたいという気持も心の根底にある…ただ、俺にとっては、君との子を持つことは「いつか、叶うことならば」というくらいの気持で…純粋に君と結ばれたいという気持の方が、強烈に圧倒的に強い。とはいうものの、確かに「子を為す」というのが…多くの生き物にとっては…婚姻の本来の意味と目的なんだ》

《え…あの、聞いてもいい?婚姻って…光と光が交じり合うことを指すのではないの?私の光とオスカーの…スーリヤさまの光を一つに混じり合わせるための儀式を『婚姻』と呼ぶのではないの?》

《…ああ、そうだったな…君にとっては『婚姻』とは、そういうものだったな、だが、多くの生き物にとって、普通『婚姻』というと、さっき、俺が言ったような事柄を指す…君が教えられてきた『婚姻』は…『喩え』としての言葉の使い方とでもいえばいいのか……》

《あ、もしかして…私が今まで『婚姻』だと信じていたものは、象徴的な意味合いでのものだったの?本来の婚姻ではなく…》

《そうだ、太陽光と暁光が交わり不可分に混交することを、天界神たちは『婚姻』と称したようだが、こちらの方が比喩であり、修辞的な表現なんだ…本来、生き物の婚姻は、身体を交え、延いては子を為すことを意味する、どんな生き物でも…だ》

《そう…そうだったの…それすら、私…知らなくて…でも、そうだとしたら…どうして、私たちには…本来の意味での婚姻を許してもらえないのかしら…私たち、天則に定められし夫婦なのに…》

《…スーリヤは天界神としては概して短命だ、それが、天界を警戒させているのは間違いなかろう。俺が君を愛し、君がそれに応えてくれ…俺たちが結ばれ…君が、男女として愛し、愛される喜びを知っても…その幸せは、天界の神々の寿命を思えば、ほんの僅かな…短い時間に過ぎない筈だ、とヴァルナ様はお考えだから…》

《でも…けど、オスカーは…オスカーは、大丈夫なのでしょう?だって、私、ようやく分かったのに…オスカーに恋してるって…オスカーに抱きしめてもらうのは、この上ない幸せで…だからこそ、オスカー以外の腕に…オスカーでない方の胸に抱かれるなんて絶対嫌…だから、オスカーはずっとスーリヤ様でいてくださるでしょう?私の夫…私の恋人はオスカーでなくちゃ嫌、嫌よ…私、オスカーしかいらない…》

《ああ、だから…それもあって…俺は、君と、結ばれたいと思っている…スーリヤが短命なのは、叶わぬ恋情の強さを持て余して、自らを焼き滅ぼしてしまうからだ…でも、恋が成就すれば…俺と君とが、真の恋人同士になれれば…俺はスーリヤであっても、やり場のない恋情で己を焼き滅ぼす恐れはなくなる…だって、その恋情は、すべからく君に注がれ…受け止めてもらえるからだ…》

《ああ、オスカー…私、わかってきたみたい、愛しい人と結ばれたいと思う気持、一つになりたいと願う心が…私、あなたの全てを受け入れたい…あなたと…本当の意味で一つに結ばれたい……あなたと一緒にいたいの…私の体では…すぐ儚くなってしまう私のこの体では、子供は産めるかどうかは、わからないけど…》

《子に恵まれるか、恵まれないかは…運であり天命だ…俺は、君と結ばれることを何より望む…子供はその結果、恵まれれば、より幸運だったと思うだけだ。まず、俺の在位が永劫にひとしくなれねば、君と同じ時間を歩めないからな…だから、俺は、今、君と一つになれる、そのための方策を探している…君と永遠にも誓い時間、ともに歩んでいくために…君をこの腕に抱くのは、俺だけの特権にするために…》

《ん、約束よ、オスカー…今は、まだ難しくても…いつか…私をオスカーに結び付けて…私と分ち難く交わって…一つになってね…》

《ああ、アンジェリーク…それこそが、俺の願い、俺の夢》

《オスカー…私…とても幸せで…なんだか自惚れてしまいそう…私の恋人…恋人と言ってもいい?は、この世界の誰よりも誠実で…私のことを強く熱く愛してくれてるんですもの…》

《ああ、俺は君の恋人で、君は俺の恋人、この世で最も愛しい、大切な人だ…》

《オスカー…嬉しい…私…今、胸の中が暖な幸せではちきれそう》

《いいや、こんなものじゃない、俺は、もっと…もっと君に幸せを感じさせたい…そして、君の恋人を自称するなら、誠実な愛を捧げるなど当然のことだ、さもなくば君の恋人を名乗る資格なんてない。約束する、何も対しても誓える、俺の君への思いは、決して冷めることはない、恋は深い愛へと形を変わるかもしれないが…冷めることだけは決してない、そして、ヴァルナ神の懸念も、決して、そのままにはしない、愛する君をおいて、天界から一人去り行くことなど、俺は、絶対にしないから、安心してくれ…》

《ん、わかる、私には、オスカーの自信がわかる…でも、ヴァルナ様は、私の言葉だけでは、信じてくださらないの…証拠がないって…》

《ヴァルナ様の言葉も一理あるからな…。俺の言葉は根拠のない妄言と思われているのだろう、確かに俺もヴァルナ様の立場なら、自分の言動を証明できない男に、君はやれない、と言うだろうし…》

《私、もっと、頑張る、オスカーの許を訪れないという条件で、実体化の干渉はもうしないでって、お願いしたから…ヴァルナ様にオスカーの誠意をわかっていただけるよう、もっと言葉を尽くすわ…》

《いや、君は無理しなくていい、必要ないというのではなく、それこそ、俺が証拠を示さない限りは、ヴァルナ様の決意を覆すのは難しいだろうからだ…君がいくら言葉を尽くしても、言葉だけでは説得できないだろう、努力が報われず、君ががっかり落胆してしまう夜が重なったら、俺も見ていて辛い、くれぐれも無理はしないでくれ》

オスカーは思う。

俺も、天界神たちも、根底にある心情は全く同じなのだ。アンジェリークには、何の憂いも抱いてほしくない、何事であれ、悩み心を痛めることなどなきようにと、つい、彼女を囲いこみたくなってしまう。だからこそ、俺もまた「彼女のため」という言葉に幻惑されて、何が、本当に彼女のためなのか、独善に陥らず、見誤らないよう、いつも、意識していなければと。

ただ、アンジェリークにこうは言ったが、オスカーにしても、今現在、何か有用な手立てが思いつくわけではなかった。

もとより長期戦は覚悟していた、アンジェリークとの再会も、俺は何年かの歳月と、その間の尽力で手にしたのだ。何事にも、どんなことにも突破口はあるはずだ、諦めない限り…そして、何が突破口に繋がるか、わからない以上、俺はありとあらゆる事象にアンテナを張って、有益な情報に備える…今できることは、これしかない…これくらいしかない…オスカーは、そう認めざるをえなかった。

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