百神の王 38

月は、日に日にやせ細っていく時期に入っていた。

それは、酒神ソーマが繁忙期に入ったことを意味する。月という銀杯に捧げられ蓄えられた様々な供物、そのエッセンスから神酒ソーマを醸すのが彼の役目だからだ。月が日に日に肥え行く期間は、供物が順調に蓄えられていっている過程を見守る期間であり、ソーマ神は、それ程忙しくない、が、一度、銀杯が満たされるや、彼は酒の醸造に取り組みはじめるため、一気に多忙になる。

そのためにこそ、月は独自のタイムスケジュールで運行されておりーどの時間帯に行われる祭祀からも満遍なく供物を徴収するためだーつまりは、昼の世界のものとも、夜の世界のものとも言い切れない、だからソーマ神もまた、昼の住人でも夜の住人でもない存在であり、それは、言葉を変えればソーマは、スーリヤにもラートリーにも支配されない、影響を受けない、独立独歩の存在ということだった。

そして、今まで、俺は、長いこと、この月の性質そのままに振舞ってきた…と、ソーマは越し方を振り返る。

ひょうひょうと神々の間を渡り歩き、主張もせず議論もせず、意見を求められれば、逆に問で返して煙にまき…永年、どこにも属さず、何にも囚われず、巻き込まれずを標榜としてきた。というのも…自分が、かつて、いわゆる噂の中心、事件の渦中、台風の目になった経験があるからかもしれない、その時の大騒ぎに、俺は今も釈然としない思いを抱いているからかもしれない。俺は1人の女を愛し、その女も俺を好いてくれたという単純な出来事が、彼女が人妻だったゆえに、大騒ぎになった。俺の味方になるもの、彼女の夫を支援する者で、天界は二分され、果てのない言い争いが続き…幸運にも子を授かってみれば、その子が、また争いの種となってしまったあの騒ぎに、俺は、ほとほと、うんざりしていたからだろう。

が、オスカーという真名をもつスーリヤを知ったことで、ソーマは、変わった。

現スーリヤは、天界の硬直したシステムに風穴を開けようとしていた…互いに愛し合い、求め合っている恋人との愛の成就を妨げられているからという、至極単純であるが深刻な問題に直面しているからだ。その恋人同士ースーリヤとウシャスの貢献と犠牲の上にたつ、しかも、甚だ不安定な今のシステムに、疑問と…多分、不満を抱いていた自分にも、ソーマは気づいた、現スーリヤの行動を見ていて、気づかされた。

だから、俺は、スーリヤに加担することにした。彼では知りえない情報を与え、ラートリーには揺さぶりをかけた。が、それは、今思えば、あくまで『隠密』の域をでてはいなかった、と、ソーマは思う。自分の立ち位置を周囲には明確にせず、スーリヤに協力はしても、それをスーリヤがどう生かすか、後は彼の才覚次第だと、一歩突き放した認識で彼らのことを見守っていたような気がする。俺自身は『隠密』で動く方が、利点が大きいと考えていたのは確かだが、逆に言えば、スーリヤの想いは、永年「傍観者」として生きてきた俺の魂を熱く揺さぶりはしたが、その壁を突き崩すまでには、いまだ至っていなかったともいえる。

が、今、彼は、永年の標榜を、捨てる気になっていた、自分の立場を明確にし、誰の側に立つつもりか、ヴァルナに知れてもいい、いや、ヴァルナに直言する気でさえいた。

あの晩に…ウシャスの気に気づいて、その気配を辿った先で見聞きしたことが、ソーマ神の背を更に押した。

あの晩、ヴァルナ神の命により、ウシャスは、実質、スーリヤと結ばれることを禁じられてしまった。

今までも、ウシャスのスーリヤへの訪ないが、ラートリーに阻止されていたことはソーマも知っていた、そして、それは、あくまで、ラートリーの独断専行だったから、ソーマも彼女に揺さぶりをかけられたのだが…なのにヴァルナが、そのラートリーの行為にお墨付きを与えてしまった。

『あまり面白くない展開だ』と思った。スーリヤの力になってやるためには、情報提供だけでは、もう、覚束ないだろうとも。が、これだけなら…この事態だけなら、ソーマ神は、今まで通り、あくまで『隠密』の立場を崩さなかったかもしれない。

しかし、ウシャスが訴えたスーリヤへのひたむきで真摯な強い愛情を知り、なにより、恋により、精神的に大きく変貌したー情緒面で著しい成長をみせていたウシャスの姿を目の当たりにしたことがー伝聞ではなく、実際に、見聞きしたことが、ソーマの気構えを変えさせた。

スーリヤはウシャスを強く想い、ウシャスはひたすらにスーリヤを慕っていた…両者のそれぞれの思いの丈を知ったこと、この愛がウシャスを著しく成長させていたこと…このうちの、どれか一つを知っただけでは、ソーマは態度を変えなかったかもしれない、だが、これらすべての事実を見知ったことが、ソーマ神に隠密で動くだけでは飽き足らぬ思いを抱かせ、積極的に働きかけることを決意させた。

『あのミトラをして、スーリヤとの恋を成就なさしめてやりたいと、ウシャスは思わせたのだから…それほど、彼女の変貌は鮮やかだったのだから、俺が心を動かされるのも当然か』

ソーマ神は、自身に苦笑する。あのミトラが動いたのだから、俺が動きださねば、立つ瀬がないではないかと。

だが、恋の喜びに彩られたウシャスの美しさを、直に見知ったからこそ…愛し合っているのに、結ばれてはならぬ、その機会は与えぬと宣告されたウシャスの今の嘆きは、いかばかりだろうと、ソーマは、痛ましく思う。

自分が、愛する女と結ばれ、子まで為せたことを思えば…周りがどれほど喧しく、わずらわしかろうとも、想いが遂げられた俺たちは、まだ恵まれていた、と、言い切れる程に。

『だが…ウシャスは神酒を取る必要がない女神…つまり、俺も、彼女にだけは、自由に、自然な形では会いにはいけない…なのに、俺が、ウシャスとの目通りを求め、彼女を慰めに行くのは、あまりに不自然すぎるし、貴重な彼女の時間を、そんなことに費やすのは申し訳ないというものだ』

それに、今の自分が、ウシャスとまみえても、彼女に言ってやるべきことも、してやれることもないのも事実だった。

彼女のことは、スーリヤに任せるしかあるまいし、彼も、その役目を誰かに譲ろう、譲りたいとは思わないだろう。

となれば、俺がフォローすべきは、その厳しい裁定を、ウシャス本人の口から、程なく知らされただろうスーリヤ=オスカーの方だろう、彼らは念話で自在に会話できるようだし…もし、ウシャスが、スーリヤを心配させまいと、事の顛末を隠そうとしても、念話では嘘はつけないし、彼女の感情の波立ちは、オスカーには、すぐ、感じ取れるだろう。感じ取れば彼は理由を尋ねるだろうから。

そして、ウシャスの嘆きに、オスカーも引っ張られて巻き込まれ、悲嘆にくれて、絶望してしまったら、まずい。ソーマは、オスカーが八方塞りな状況を憂うあまり、神力を徒に消耗させやしないかを危惧していた。

絶望することはないのだ、確かに状況は厳しい、が、全く望みがないわけではない、そう、ソーマは考えているからだ。

オスカーは、多分、感覚としてわかっていないだろう、ウシャスが、彼との契りを自ら求め、その意思をはっきり表明したということの重大さ、稀有さを。なのに、その彼女の願いは退けられたという事実、しかも、その時の有様を、この月神にして酒神ソーマが、直に見聞きしていたことの意味を。

光の女神が、天則に認められし夫と契りを交わしたいと望む…本来なら何も問題はない、いや、誰かに許可をもらうようなことではないはずだ、なのに、その願いは退けられ、これからも阻まれる、このヴァルナとラートリーの裁定が、光の眷属の価値観からすれば、かなり強引で、無理を押し通した不自然なものであるか、出自が火の眷属であるオスカーには、今ひとつ、ぴんとこないだろう。だが、光の眷属にとっては違う…この決定は、おもわず眉をしかめたくなるような裁定で、だからこそ、有効な武器にもなりうる。俺がヴァルナの決定を「この判断は、ちょっとおかしいんじゃないか?俺はウシャスがかわいそうでならんのだ」と、当時の状況を思念で伝えた上で、第三者に裁可を仰げば、全員とは言わずとも、一定数の神はヴァルナの決定に疑問を感じるだろうし、ウシャスのあの凛とした精神の強さと美しさ、それに続く嘆きを見知れば、心情的にウシャスの味方になってくれるものは、少なからずいるはずだ。しかも、俺は実際にその場にいて、この目で事の顛末をすべて見ているから…そして、思念では、虚構は虚構とすぐ知れる、つまり嘘はつけないから、俺の供述の真偽が疑われることはないし、これが、単なる噂でないことは、誰にでもすぐわかるからーいわば、ある一定数の味方を作ることで、世論を形作ることができるだろう。

そして、そのためには、この俺の立場が役に立つ。

天界の高位神たちが喫する神酒は、それぞれの神の嗜好や執務の性質に応じて、醸造の加減を変える、いわばオーダーメイドだ。力の強い神ほど、強力な神酒を欲するのは、自然なことだし、司る力により微妙な調整も要する。

だから、俺は「神酒を届ける」、届けた後は「出来栄えを尋ねて以降の参考にする」という名分で、どの神をも、自然な形で訪問できる。いつ、誰を訪ねようが、用向きを訝しがられることもないし、門前払いを食らわされることは皆無だ。誰もが、俺を快く迎え入れ、迎え入れれば、世間話の一つもする。だから、俺は、自然と情報通になってしまうし、誰も、それを不思議には思わない。そして、俺のもたらす世間話がウシャスに関する事…となれば、興味を覚えて耳を傾ける神は多数いようし、ウシャスの嘆き哀しむ様子を見知れば、ミトラのように、ウシャスに同情して、彼女に与してくれるものも1人といわず現れよう。

それを、オスカーに教えてやっておいたほうがいいだろう。俺たちに、彼らの裁定を覆す根拠も、力も、全くないわけではないことを。

そのために、ソーマは、今夜にでも、オスカーの許を訪れようと思っていた、それこそ、新しく醸した神酒を届けるという名目で。

しかし、本当に、俺は、何故、こうも、あの二人に肩入れしたくなってしまうのだろう、我ながら、不思議なほど、彼らの行く末が…彼らの恋の行き着く先が気になってしまう、と、ソーマは自分に苦笑する。

俺と似たような立場にありながらー大事を引き起こす可能性が、多分にありながら、そうなることを恐れない…いや、1人の女のために、自ら進んで事件の中心人物になることも厭わないから、あの若者に、俺はついついお節介を焼きたくなるのか。俺が、疾うに失った昔日の情熱と向こう見ずを、あの若者の中に見出すからか。とっくに要注意人物と目されているのに、それを、何ら痛手と感じていないあの豪胆、恐れ気のなさ…それは、あの若者が、1人の女を手にし、彼女を幸せにするためなら、どんな労苦も犠牲も厭わない、その覚悟の程を、決意の強さを、はっきりと表しているからか、そこには微塵も迷いもないからかー昔の俺にも、確かに迷いはなかった、が、自分の行為が引き起こす結果を引き受けるだけの覚悟があった、とはいいがたいーというより、そこまで考えていなかったんだな…だから、俺は、彼が、彼女を抱いてどこまで進めるか、何もかも引き受ける覚悟を背負った上で、何処までたどり着けるのか…その愛を結実させうるのか、見守りたいと思ってしまうのか…

その上に、彼女のあの変貌ぶりを見せ付けられては…彼らの行き着く先を見てみたいと思うのは、自然な情というものだろう。彼らの恋の物語が、新たな神話となるか、俺たちの恋の顛末のように単なる醜聞で終ってしまうのか、最後まで見届けたい。真剣な恋が、単なる醜聞とみなされて終った者からすれば、できれば、あの若き恋人達の恋物語を神話に昇華させてやりたいとも思う…それを人情と思いたいのは己の甘さかもしれん。俺は、自分たちがなし得なかったことを、彼らを身代わりにして、やらせたいだけかもしれない。

ただ…俺がやろうとしていることは、味方を作る、といえば、聞こえはいいが、当事者でない者たちを感情論の渦に巻き込み、えらそうに口出しをさせ、自分の意思では、もはや、流れを止められなくなる、歯がゆく、もどかしく、鬱陶しい立場にスーリヤを立たせる恐れもある。…昔の俺のように…が、当時の俺も、オスカーも、願いは、愛する女と一緒にいたい、それだけだ。でも、この単純な願いが、第三者がかかわってくると、途端に、ややこしく面倒になる…

だが、あの若者は俺より強く、潔く、覚悟もある。

俺の思惑が何処にあるかも、どんな立場におかれるかも、あの若者は頓着しないだろう、それがどんな動機から出たものであれ、協力は協力、支援は支援なのだし、恐らく、彼女をその手にできるのなら、そして、彼女がそれを幸せと感じるのなら、彼は、自分がどんな立場におかれようと、何に巻き込まれようと、それに耐え、しのいでみせるだろう、ただ一人、彼女のために。

だから、俺も手段は選ばんよ。

そんなことを考えながら、ソーマ神は、太陽神用に効能を特化した神酒を醸し、それを典雅な壜に詰めた。

 

乾季におけるスーリヤは、終日、太陽を御するため、その消耗も尋常でなく、日没後は小半時も経たぬ内にーまさに、神酒を喫する程の時間しか、意識を保てず、休息に入ってしまうが…その僅かな時を狙って、ソーマ神は、スーリヤの元を訪れた。

馬車から降りたったばかりのオスカーに、ソーマはただ「陣中見舞いだ」と言って神酒を差し出した。オスカーは、何も言わずにひったくるように杯を受け取り、一気に酒を飲み干した。すかさず、ソーマが杯を満たす、その繰り返しが暫く続いた。渇いた砂に染み入らせるように、神酒を喫していたスーリヤも、杯を重ねるうちに、ようよう人心地がついてきたようだった。ふぅ…とため息をつくと、顔をあげ、大きく目を見開いた。ここで、初めて、自分の杯を満たしてくれていたのが酒神その人だと気づいたようだった。

「これは、ソーマ様…すみません、ご挨拶が遅れまして…」

「いいさ、それほど夢中になって神酒を飲んでくれているとなれば、俺も、作りがいがあるというものだしな、まこと、君の飲みっぷりは、見ていて気持がいい」

「あまりの美味さに…杯を重ねるごとに、身体中に英気が漲るようで手が止まりませんでした。ソーマ様御自ら注いでくださったから、尚のことだったのでしょう」

「残念ながら、むくつけき俺の手に、そんな効果はないな。単純に、君の味覚が優れているだけだ、今日の酒は、少々、特別…試作品なんだ。それで、できあがりを試してもらいたくて、直に届けさせてもらった」

「ああ、そういうことですか」

オスカーは、ソーマに手を伸ばして瓶ごと神酒をもらいうけ、手酌で自らの杯を満たし始めた。

「というのは、建前だ…」

ソーマが一段声を落として、こう付け加えると、オスカーの瞳が、鋭い眼光を放って、細められた。

ソーマは、すかさず、オスカーに用向きを切り出した。ウシャスがラートリーを尋ねた際、ヴァルナ・ミトラ・ラートリー、それぞれの神とどのようなやり取りを交わしたか、何をいわれたか、もう、彼女から聞き及んでいるか?と。

スーリヤは、神酒を傾ける手を休め、寂しそうに、同時に、苛立たしげ、かつ、もどかしげに頷いた。

「その翌朝にウシャスの記憶を…一部始終を、思念で送ってもらい、見ましたから…彼女が何を訴え、その場にいた諸神から何を言われたか…すべて知ってます」

「そうだろうとは思っていたが…だが、これはこれで、面白い…といっては語弊があるか…興味深い光景だと思うが、いかがかな」

そういって、ソーマは、自らの目を通した記憶、つまり、夜の神殿の柱廊から、全登場人物を俯瞰する形で得た映像を、オスカーに送った。

オスカーが、はっと顔をあげた。

「ソーマ様、あなたも、あの場にいらしたのですね…」

「彼らには気づかれないように、だがね」

オスカーは、ソーマ神が、何故、思念を送ってきたのか、その意図がよくわからなかった。あの晩の詳細は、もう聞き及んでいる。アンジェリークが、どれ程打ちひしがれ、自分の力不足を責めたことか、それを慰めつつ、己もまた、為す術が見つからないことに歯噛みした、あの思いは、今も生々しい。

というのも、あの朝から、再三、オスカーはヴァルナ神に面会を求めているのだが、ヴァルナ神からは「そなたのスーリヤとしての働きには満足している、故に、私の方には、そなたと面談する必要がない」と、木で鼻をくくるような返答しかもらえていなかったからだ。サヴィトリやプーシャンを己が名代に送っても、結果は同じことだった。俺の熱意も、スーリヤの在位の短さに対する仮説も、その対策も、ヴァルナに訴えさせてももらえていない、それが、今のオスカーさの閉塞感の原因だった。

今朝も、オスカーは、何の確約もできぬまま、アンジェリークに愛を訴え、口づけを交わすことしかできなかった。このやるせなさ、閉塞感の根本、原因となった情景を、その時の顛末を、異なる角度からとはいえ、再び、見せつけられたとて、一体、何になるというのか。

「…せっかくですが、俺は、アンジェリークの記憶を通して、あの夜の出来事の詳細は存じあげておりますが…?」

「だからこそだよ、スーリヤ、いや、オスカー。君が受け取り感じたのは、ウシャスの目を通した記憶であり、ウシャスの心に浮かんだ感情の波を含んだものだからこそ…俺からの視点も、役にたつと思うのだ、ものは試しと思って、俺の思念を受け取ってみてくれ」

瞬間、オスカーの脳裡に展開された情景は…アンジェリークから受け取ったものと、似ていながら、確かに全く異なったものだった。アンジェリークから受け取った思念では、彼女は個々の神と向き合っていたがゆえに、彼らの口調や顔つきははっきりわかったが、当事者の目を通しているからこそ、各人の立ち位置がはっきりせず、特に、アンジェリークはその時々で話をしている当の神のみを注視してしまっておりーそれは当然のことなのだがー言葉を発していない神には、注意を向けていなかった。ために、ウシャスを諭すヴァルナ神の厳しい顔つき、取り付く島のない物言いは、オスカーにもよく伝わっていたが、その時、その場にいたミトラ神とラートリー女神が、どんな表情や態度で、ヴァルナと彼女のやりとりを聞いていたかまでは、わからなかったのだが…それが、少し離れた処から、全景を俯瞰する形で、その場にいたソーマの目を通すと、すべてがつぶさにわかるのだった。彼らそれぞれの立ち位置と動き、表情、態度…中でも、オスカーが、何より目を見張ったのは、その時のアンジェリーク本人の態度、声、表情だった。

そして、オスカーは、この情景を自分にみせたソーマ神の目論見が、わかったような気がした。

切々と恋情を訴えながらも、それを退けられたアンジェリークのうちひしがれた様子は、あまりに哀れで、見ているのが辛くて仕方なかった、が、オスカーは、同時に、深い感銘をも受けたのだった。

アンジェリークが、どれ程の思いの丈をこめて、自分との真摯な恋心を…芽生えたばかりで、まだ、足元の覚束ない、だが、だからこそ、純粋で真っ直ぐで迷いのない、自分との恋の喜びを訴えてくれていたことか。この真剣さ、誠実な訴えが、恐らく、ミトラ神の心を動かしたのだと、今なら、心から納得できた。アンジェリークから、伝聞で聞いた時には、あのミトラ神が何故、俺たちの味方になってくれるのか?と意外性が拭えなかったのにだ。

そして、アンジェリークの絶望に打ちひしがれた泣き顔は…婚姻の契りを交わす望みをヴァルナに退けられたことで、言葉を失い、翠緑の瞳から、滾滾と涙を溢れさせる様は、あまりに痛ましくて、オスカーには直視が辛すぎる、だが、だからこそ、わかるのだ。彼女が、心から、自分との深いつながりを求めてくれていることが。だから、その望みを無碍にされ、あんなにも打ちひしがれているのだと。そして、更に、驚くべきことに、これだけの精神的な打撃…溢れる涙が留められないほどのダメージを受けながら、アンジェリークは、その存在を揺らがせていなかった。よく見れば、所々、輪郭の危うい部分があるが、全体としては、しっかり己を保っている、保とうとしていたのがわかる。

彼女は、もっと、心弱い存在だとオスカーは思っていた。純粋な光に近い、ほぼ精神体として生きている彼女は、その存在は危うく、脆く、何かの折に、すぐ光の粒に戻ってしまう心もとない存在ではなかったか…なのに、彼女は…あれだけ、打ちひしがれた様子を見せながら、光に戻る気配がみえない?

そして、そのまま、確とした存在を保ちながら、彼女は、最後まで、その輪郭を保ち…暇乞いの言葉を紡ぐその声は震えているのに…優雅に礼を尽くした末に、その身を中空に散らしていった。決して、人格を保てずにはかなく飛び散ったのではないということは、明らかだった。

客観的な視点から見せられたからこそ、はっきりとわかった。当の彼女からの訴えでは、彼女が、どれほど絶望に打ちひしがれた表情をしていたか、なのに、その存在を最後まで揺るがせずに存在し続けた、その不思議さが、わからなかった。

「ソーマ様…これは…アンジェリークは…あんなにも打ちひしがれていながら…何故、こんなに…こんなにも凛として、強い…」

「それがわからぬ君ではあるまい?」

「!!!…俺のため…俺との恋のため…」

「恐らくな、今までのウシャスなら、少々精神が動揺すれば、すぐ、その場で存在は四散し、光に還っていたことだろう。それほど、あの女神は危うく、脆い存在だった…なのに、あの厳しいヴァルナの仕打ちに、打ちひしがれてはいても、逃げようとはしていない。恐らく、必死の思いで、精神を束ねていたのだろうが…君との恋が、君への恋心が、あの、危く不安定な存在だったウシャスを変えたのは…力強く、しなやかな存在に変えていることは、まちがいなかろう…」

「それは…彼女が、それ程の強さを見せたのは…意地でも、光に還るまいと、強い意思をもって最後まで存在を保ったのは…ヴァルナ様が、俺との恋の成就を…彼女の存在の不安定さを根拠に反対していたからですね…だから、彼女は、自分の不安定さを、さらすわけにいかず、必死に…己の精神を保っていたと…それは、つまり、それだけ、強い思いで、俺との恋の成就を望んでくれているから…」

なんてことだ、アンジェリーク、君は「何もできなかった」なんて、言っていたが…こんなにも、すごいことを…成し遂げていたんじゃないか…それも、俺との恋のために…君の不安定さは、俺だけでなく、誰もが知っている、不安定だからこそ、君は、風にも当てぬよう、天界神たちに守られてきたはずだ、その君が、こんな強さを見せていたなんて…なのに、君が、このことを俺に告げなかったのは…君は、心底「自分は何もできなかった」と思い込んでいたからなんだろう…

「ああ、俺も正直、驚いた…永劫に近い年月、こんなにも明確な自我と、強い心をウシャスが見せたことなど皆無だったからな、そして、その変化をもたらしたのは、スーリヤ、いや、オスカー、君の存在があってこそ…というのは、間違いなかろう。君が傾けた真心が、彼女を成長させ、強い精神を育み…延いてはあのミトラの心をも、動かした、無論、俺もだがな」

ソーマ神は、あの晩、ウシャスに対する認識を確かに改めた。

彼女は、確かに天上界で最も純粋にして美しい女神だと認めるにやぶさかではなかったが…それは当然のことでもあると、ソーマは長いこと思っていた、自らの意思や自我をほとんどもたない…自ら何も考えない存在が純粋無垢であるのは当然至極のことではないか、生まれたての赤子と同じで、彼女が「何の汚れもしらない」という意味合いで、この世で最も美しい存在なのは、当たり前のことだ、と、ウシャスに対しては、些か超然とした見解を持っていた。

だが、あの晩、見た彼女は、そんな頼りない存在ではなかった。

ウシャスの、臆せず、怯まず、力まず、主張すべき処は、真摯に冷静に主張する姿、感情的にならず、退く時は退く、その潔さと機を見るに敏な聡明さにも、目を見張ったが…何より驚いたのは、ウシャスが双眸から涙を流しながらも、決してその身を光に還らせず、終始、自我を保ち続けた意思の強さを見たことだった。

これが、あのウシャスかと…光の性が多い者に特有の輪郭の曖昧さや、今にも中空に拡散してしまいそうな危うさが、微塵も感じられなかった。

その時の彼女は、恋の只中に居るもの特有の鮮やかなまでの艶やかさをまとい、強い意志と真摯な魂をもって、精一杯、自分の心情を訴えていた。ソーマは、ウシャスを知って久しいが、久しいからこそ、この変化に驚愕したし、心の底からウシャスを美しいと感じたのは…通り一遍の「きれい」ではなく…昨夜が初めてだったかもしれない。

と、同時にウシャスに、これほどの感情の彩り、艶、奥行き、そして強き心を与えたのが、スーリヤとの恋だというのなら、確かに、あのスーリヤは、まったく、大した男だ、と改めて、ソーマは感じ入った。そして、同様の心の動きが、ミトラの中に生じたのであろうと、ソーマは容易く想像できるのだった。

「ソーマ様、心より、お礼申し上げます、ソーマ様に教えてもらわねば、俺には…確かに、わからなかった。彼女が、どんなに稀有なことを成し遂げたか、そして、ここまで強く深く、俺を思ってくれていたことも…」

そうだ、彼女自身が、俺に言うはずがない、彼女からの思念は、自身が紡いだ言葉より、ヴァルナ様の厳しい宣告と、その時の様子を、俺に伝えることを第一義としていたし、彼女は「自分たちのことを認めてもらえなかった」という結果を気に病んでいたから…自分が、どれほどすごいことをしたかも、わかっていなかったのだから、と、オスカーはか思う。

「礼には及ばない、君が知りえない情報提供で協力するというのは、以前からの約束だしな」

にっ…とソーマ神は、人の良さ気な笑顔を見せた。

「その上、俺も、より、強い確信を得られた。君の恋心が、いささかなりとも一方的なものではないことも、この恋を極めることを、性愛の世界に踏み入ることを彼女は承知しており、なおかつ、全く、それを恐れていない、否、むしろ、それを望んでいることも…このウシャスの様子と、変貌を見れば、彼女の心からの望みは明白であり、その強い願いのために、彼女の精神もまた、強靭になりつつあること、これもまた、誰の目にも明らかにわかる。そして、この全ては、君がウシャスにもたらした変化だといっても過言ではないことも、見るものが見れば、わかるはずだ」

「ソーマ様…」

「だが、ヴァルナ・ラートリーの両神が、その意図自体はたがえど、君たちに契りを結ぶ機会は与えない、ということで、団結してしまい、しかも、当事者であるウシャスの訴えも退けてしまった以上…君が同じような、訴えをおこしても、それは、まず徒労に終るだろう」

「それは…その通りでしょう…現実に、俺は、再三の面会要請を、ヴァルナ様に尽く退けられております。つまりは何を訴えようと無駄だ、と、いうことでしょう。もとより聞く気のない請願をさせて、俺に無駄足、無駄な時間を取らない、悪戯に期待を抱かせないという意味では、ヴァルナ様の門前払いは、ある意味、優しいご采配といえるのかもしれませんが…彼は、俺が、彼女を抱けば…彼女が消え去ってしまう可能性が高くなると、信じているというのは、よくわかりますし…言葉で何を訴えても無駄だということは、骨身にしみています。なにせ、訴えさせてもいただけないのですから…」

「彼女が、今も、あれほどの強さを見せている以上、君との愛を成就できるとあらば、簡単に消え去ったりはしないだろうというのは、俺には明白に思えるのにな…多分、ヴァルナは「だろう」では納得せんのだ、その可能性がどれ程高くとも…何か、彼らを説得できる、目にみえてわかる証拠があればいいんだが…」

「それが、見出せない、それが、今の俺の閉塞感のすべてです…俺はアンジェリークを愛している、こんな単純な、まちがいようのないことが、目に見える形で、今は証明できない…俺は、払暁の一瞬、彼女を抱き、口づけを交わしあう、それを、彼女も望んでくれているからか、実体化していられる時間を、少しでも延ばそうと、丁寧に禊をして、火の衣を厚くしてくれているのですが…引き伸ばしたといっても、数を一つ二つ数える程づつしか、伸ばせていないので…そんな微々たる変化では、ヴァルナ神はお認めくださらぬでしょうし…」

「!?…なんだって?オスカー、君は今、なんて言った?」

「え?俺は、何か、おかしなことを言いましたか?」

「おかしなことも何も…ウシャスが、太陽神と一体化する儀式において、実体化していられる時間が、僅かでも伸びるなんて、聞いたことがないぞ、俺は!彼女は、太陽神の手が、その身に触れた瞬間、爆発するように飛び散り消えるはずだ」

「いいえ、そんなことはない、俺は、乾季には毎朝…今朝だって、彼女をこの腕に抱き、この胸にしかと閉じ込めて、口づけを交わしました、確かに、口づけ交わす時間は、せいぜい10数える程の間で、決して長い時間ではない、けれど、触れた瞬間に消えてしまうなんてことは、ない。初めて、ウシャスとスーリヤとして、触れ合った時からそうです…いや、だが…確かに、初めての儀式の時より、彼女が俺の腕の中にいる時間が、長くなっているような…僅かではありますが、時間が延びているような気がする…」

「だから、そんな馬鹿なことが、あるはずがないんだ!だが、もし、君の言葉が真実なら…」

「俺が嘘をついて、何になります?いや…アンジェリークと触れ合うことを望むあまりの錯覚している、ということはあるかもしれませんが…」

「オスカー、不躾ですまんが、君が、今朝、ウシャスを抱き、口づけを交わした時の情景を…俺に思念で送ってみてはくれないか…」

オスカーは、僅かに頬を赤らめたが

「いいでしょう」

と頷いた。自分の感覚が、彼女と触れ合うことへの渇望の余り、錯誤を生じているだけかもしれないという疑念を、ソーマ神に己の記憶を確かめてもらうことで、証明できると思ったからだ。

思念の送付は一瞬で終る、それが、10数えるにも満たない時間であるなら、尚更だ。

そして、オスカーからの思念を検証したソーマは

「信じられん…」

と一言呟いたきり、黙りこくり、腕を組んでなにやら考え込み始めた。

「俺は…彼女の実体化が僅かでも長くなっているのは、彼女自身の思いの強さと、禊の丹念さゆえかと思っていたのですが、そうではないのですか、ソーマ様…」

「彼女がどんなに強く願い念じたとて、太陽光とその熱波は、精神論でどうにかできるレベルのものではないんだ、火の衣にしても、彼女に苦痛を与えないのが目的であって、丹念に身にまとえば、耐火性があがるというものではないはずなんだ…だから、わからない…実際、君の言うとおり、今のウシャスの実体化は、考えられないほど長い…」

「あれが…俺には、瞬きするほど僅かな時間が…あれでも、信じられないほど長いと?」

「ああ、歴代の太陽神は、その腕に捕らえた瞬間、ウシャスを失っていた、そのやるせなさが、虚しさが、彼らの精神を蝕んでいたのは、まちがいないんだ…確かに、ウシャスは君を愛しているし、彼女は純粋な精神体だが…愛の思いだけで、実体化の時間を徐々にでも引き延ばせるものなのかどうか…」

「それは…俺には…わかりません、そうあって欲しいとは思う、ならば、どんなに時間がかかっても、いつか、彼女は、太陽の熱に負けないほどの、確固たる身体を持てるかもしれないと、希望がもてるから…」

だが、オスカーは自らの言葉が、「そんな都合のいいこと、あるはずがない、信じるに足りぬ」とでもいうように、小さく頭を振った。その拍子に、左耳の耳飾が、揺れて、金色の光を跳ね返した。

その耳飾りの煌めきがソーマの目に入った。不意に、ソーマ神はその耳飾の存在が気にかかった。

「なあ、オスカー、その耳飾は、確か、ウシャスから賜ったものだったな?」

「ええ、そうです、学徒の頃、彼女から賜り、それ以来、外したことはありません」

「君にとって、それが、何より大切な宝だということはわかる…が、すまん、少しでいい、その耳飾の気を俺に確かめさせてくれないか?」

「え?ええ、かまいませんが…」

ソーマ神は、オスカーの耳飾に触れることなく、掌をオスカーの顔の前にかざした。

「ふむ…光の気と火の気が、きれいに交じり合っているが…些か、火の気が強い…と、いうことは、これは、最早、ウシャスの耳飾ではない、かといって、君の物、とも言いがたい…」

「どういうことですか?この耳飾は、確かにアンジェリークのもの…」

「ああ、それはわかる、太陽神となった時、光の性を付与されたとはいっても、本来、火の眷属である君から、こんなに純粋な光の気が発する筈がないからな、そして、ウシャスは、その身を飾る装身具の金鎖一つまでもが、汚れ無き純粋な光の性で成り立っている…が、今、この耳飾からは、火と光がきれいに混交した気が感じられる、そういう意味で、これは、もはやウシャスの一部ではないが、かといって、スーリヤのものとも言えない、そういう物になっているんだ…この意味がわかるか?」

「この耳飾は、最初は純粋な光の性でできていた、それが…俺が身につけることで、火の気が交じり入ったと?」

「恐らくな…となれば、君の火の気が耳飾に入り込んだ分、元からあった光の気は、どこに行ったのか、ということだ…」

「それは…俺の火の気が耳飾に混じり入った分だけ、押し出されるように、彼女の光の性が、逆に、俺の体内に取り込まれたと…そういうことですか?ソーマ様」

「そうとしか思えん、俺にはな。特に耳飾は身体に穴を穿って身につける。君の血に直に触れることで、気がより交じりやすく、巡りやすかったのだろう。実際、もう、どこから、どこまでといえぬ程に、この耳飾はきれいに光と火の気が交じり合っている、分けるのは不可能だろうな…と、なれば、これが、答えだろうよ、オスカー」

「?」

「君のウシャスが、今までになく、長い時間、太陽の間近で身体を保持できるわけだ」

「…そうか!俺は、今までの太陽神と異なり、僅かながらも光の気を…しかも、彼女自身の気を身中に取り込んでいた…僅かでも、俺は彼女と同じ気を持っていたから…それが同化?保護?緩衝?そういった役割を果たして、だから、彼女も、すぐには飛び散らずに済んだ、と…。ですが、耳飾一つ分の光の気で、そこまでの効果が見込めるものなのでしょうか?」

「君は、ウシャスの気を…この世の何よりも純粋にして汚れ無き光の気の力を、見くびっていないか?彼女の気は、ただの光の気とは、格が違う…ただのハチミツと王乳以上にな、そして、ハチミツを幾ら多量に与えても、働き蜂は女王蜂にはなれんが、王乳は僅かの量で、それを可能にする…乱暴なたとえだが、そういうことではないかな?」

「……」

「それにだ、更に、不躾ですまんが、君は、ウシャスと口づけを交わす時、唇に触れるだけに留めてはいないな?」

「え?ええ…」

「ならば…君たちが、深い口づけを交わす時…互いに唇を吸いあうのなら、君の火の気を、彼女もまた、自然に取り込み、自身の物にしてきたのではないか?この世で最も強く熱い、太陽神の気を自分の中にとりいれ…それが、彼女が、僅かづつでも、太陽光に抗して、存在する時間を永らえている理由ではないだろうか…」

「!…」

確かに、ソーマ神は、遠まわしな物言いにしてくれたが、俺は彼女と口付ける時、遠慮なく、舌を絡め、唇を吸っている…それは、僅かで微かではあっても互いの身体の構成物を交換をしあっていると言えないこともない…体液を自らを形作るものの一つであるとみなすなら、俺たちは、互いにそれをやり取りし、取り入れあっているといえる…となれば互いの気が少しづつ混じりあっていくのは道理だ、少しづつではあっても俺は光への親和性を高め、彼女は、火への耐久性を高め…その相乗効果が、僅かづつではあっても、俺たちが一緒にいられる時間を増やしている?のか?

確かに、俺は、彼女とスーリヤとして再会したその時に…初めて口づけを交わした時から、思いの丈が抑えきれず、深く彼女の唇を貪り、柔らかな舌を絡め取ってきている…

そして、そう考えれば…学徒の頃より俺は彼女から光の気をもらい…そうだ、彼女は、俺の耳飾を見て、あの時も「きれいに光と火の気が、交じり合ってる」と喜んでくれていた。俺が肌身離さず身につけていたからというのと同じくらい、自分の気と俺の気が、不可分に交じり合っていたことを、喜んでくれていたのかもしれない、そして、俺がスーリヤになってからは、深い口づけを交わすことで、俺からも彼女に火の気を分け与え、互いに互いの気を取り込み、混じり合わせていたのなら…つじつまが合う、納得できる…触れ合いたいという思いの現われである口づけで、俺たちは、意識しないうちに、僅かずつでも、望みをかなえていたということか…?

「となればだ、いいか、スーリヤよ、もし、何らかの拍子にウシャスの手を取る機会が訪れたら…彼女と結ばれる機会をつかんだら、それが、どんな時であれ、決して逃すな。迷わず、躊躇わず、恐れず、彼女に、めくるめく、あの豊かな世界を知らしめてやれ、と、いうことではないかな」

「もとより、俺はその所存でしたが…俺がスーリヤとして永らえるためには、この恋情を彼女に受け止めてもらうことこそが、肝要だから…でも、そうか…口づけだけでも、気を混じり合わせられるのなら、直に身体を結べれば…」

「互いに通い合い、交じり合う気は、口づけの比ではなかろう、そして、気が交じり合うほどに、ウシャスには火への耐性が、君には光への親和性が増すのなら…彼女が儚く消える可能性もまた小さくなろう、君も己が恋情で身を焼き滅ぼす恐れが減じるしな。この理屈でいけば、スーリヤとウシャスが、文字通りの契りを交わせば、君のスーリヤとしての地位が確たるものになるだけでなく、ウシャスの存在も、また、より確としたものになる公算が高い。そして、それが、できるスーリヤは、恐らく、後にも先にも、君1人だろうから…」

「ええ、ソーマ様」

「今は、具体的な方策が、まだ、見出せない、が…この論拠を元に、ヴァルナを説得できるかもしれん。論より証拠を示せる機会があれば、それが一番いいんだがな…とりあえずは、俺に動かさせてくれ」

「それは願ってもないことですが…俺は、そこまでソーマ様に甘えてしまって、よろしいのでしょうか…」

「動けるものが動くさ、今はな。君には君にしかできないこともあるが…こと、ヴァルナに関しては、君自身がヴァルナに訴える機会があったとしても、あまり効果は見込めんと思うよ、となれば、些かなりとも、効果を出せそうな者が動くさ。自分でいうのも面映いがな」

「ありがとうございます、ソーマ様、今はお言葉に甘えさせていただきますが、ならば、俺は俺で…友からも知恵を借りて、なんとかして、彼女との結びつきを深める方策を探します」

「その意気だ。君がへこんだり、へこたれたりしてなくて安心したよ」

「彼女の…アンジェリークのあんなにも健気で一途で…強い心を見せられて、発奮しなければ、男じゃない、彼女を愛する資格もない、というものです」

「君はそれでいい、俺も、俺ならではのこの立場を、遠慮なく活用かつ利用するとしよう」

ソーマ神は、オスカーが手にしている典雅な酒瓶に向かって顎をしゃくり、一見、人の良さ気な笑みを浮かべた。オスカーの瞳が敏く光る。ソーマ神の意図を過たず理解したようだ。

「君は、明日のために…ウシャスを安心させてやるためにも、今日は、もう、ゆっくりと休みたまえ。俺も、酒の仕込みに戻る」

軽く手を振り、ソーマ神は、太陽神の宮を立ち去った。

明日は、天界でも最上層の宮にいる、最高位の神に神酒を届けるのだ、俺が直に届けるのに相応しい飛び切りの逸品になるよう、特に注意深く醸さねばな、と思いながら。

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