日没後、二日続けて、ソーマ神の訪問を受けたとき、オスカーは「ああ、ソーマ様でも、ヴァルナ様への説得は上手くいかなったのだ」と、事情を察した。何もかも首尾よくいったのなら、昼間の俺に近づことはできずとも、俺の友である、サヴィトリかプーシャンに伝言すれば、彼らを通じて、その旨は俺に伝わる。
だが、ソーマ様は、またも俺に直に会いにーつまり、言葉を交わしにきた。これは、俺と相談したいことがあるから、イコール、ヴァルナ様への説得が上手く進まなかったので、善後策を練ろうということだろうと。
オスカーの推測は、半分は当り、半分は予想もしない用件だった。
開口一番、ソーマは、オスカーに謝罪したのだ、過去の自分…恋愛に関しての後悔は微塵もないが、その過程や後日の振る舞いで、俺は、ヴァルナに恋愛のもつ負の側面ばかりを強調して、教えてしまっていたらしい、ために、ヴァルナは、恋愛の持つプラス属性とマイナス属性を秤にかければ、明らかに結果はマイナスであると信じて疑わないー恋愛の歓喜の時間が1とすれば、残り99は苦界にある時間だと…だからこそ、ウシャスの恋に関しても、昔から延々と続いてきた現状維持を図るのが一番だと、固く信じているのだ、と。
謝罪の言葉と共に、ソーマ神からの念話で、昼間、ソーマとヴァルナの間で交わされたやり取りのおおよその所を知ったオスカーは、即座に『恐縮していいただくには及ばない』という思念をソーマに返したが、自身は深く考えこんだ。
元々多くを期待していた訳ではなかったから、落胆はしていなかったし、ソーマ神が恐縮することはない、ということも、お世辞や気休めではなく、心からそう思った。
オスカーが考え込んだのは、ヴァルナ神の信念の強さと、それを裏打ちする論拠が、オスカーには思いも寄らなかった点にあり、そのことにオスカーは目を開かされた思いがしたからだ。
何より、オスカーが瞠目したのは、アンジェリークが恋を知ることで、精神の成長と強さを見せたというその事実を、ヴァルナが、むしろ懸念材料とみなし、不安視していることだったー俺も、ソーマ様も、恐らくミトラ様もが、驚きながらも寿いだ同じ事象を、だ。
俺自身は彼女との恋の当時者だ、だからこそ、彼女が「俺のために」こんなにも強い心を見せてくれたのか、と感動するばかりだった。俺との恋で、今までにない精神の強さを彼女が見せてくれたことを喜び、彼女の存在が確固としつつあることに、安堵するばかりだった。が、彼女の成長が、心の強さが、恋ゆえに培われたものなら、その恋が失われた時、彼女がどうなってしまうのか…反動や揺り戻しを案じるのは、当然といえば当然のことだ、俺は、正直いって、浮かれていて…そういう可能性に気づいていなかったし、気づけなかったということだろう。
そして、それは裏返せば、ヴァルナ神は、俺とウシャスの恋に感情的に反対したり、嫌悪しているのではない、むしろ、俺とウシャスが今、恋仲にあること、而して、俺のウシャスへの影響力が大きいという現実をきちんと認識し、評価している、ということに他ならない。ヴァルナは、あくまで冷静かつ客観的に、俺のウシャスへの影響力が大きいと認めているからこそ、俺の存在や俺の想いが、アンジェリークの傍らから不意に消えうせた時の反動を懸念している、ということだ。
だが、俺自身には「アンジェリークへの想いは醒めない、褪せない」という絶対の前提がある、だから、ヴァルナ神の抱える懸念の本質が、今ひとつ理解しきれていなかったし、その不安を解消しようとは、思いも…気づきもしていなかった。自分自身の根底にあるものが、先方には皆無なのだから、これでは、顔をあわせて話をしたとて、会話が一切かみ合わなかった可能性もある。そして、説得する対象が、何を懸念と考えているか、はっきりとピンポイントでわからねば、説得は的外れで、益のないものとなってしまう。それを思えば、ソーマ神がヴァルナ神と会談をもってくれたことは、オスカーには、純粋に、心からありがたかった。
なにせ、自分は接見の許可すらもらえないのだ、必要ないの一点張りで。ヴァルナ神と直に言葉を交わせないのだから、自分だけでは、ヴァルナの懸念を理解すること、ましてや、狙いを定めた説得は絶対に不可能だったろう。
「ソーマ様、ソーマ様に恐縮していただくようなことは、微塵もございません、むしろ、俺は感謝しています、俺では、たとえ、直に言葉を交わしても、ヴァルナ様の懸念は、理解できなかったでしょうから。俺が「当たり前」の前提にしていることが、ヴァルナ様には、そうではない、そして、ヴァルナ様のお考えは、確かに尤もな一般論…俺だって、俺自身のことでなければ、かつ、恋人がアンジェリークでなければ『確かにありそうなことだ』と納得してしまうような懸念ですから。でも、当事者である俺には、それは、とても見えにくい懸念でしたから…」
「しかし、ヴァルナがああも恋愛に否定的なのは、俺の過去が関係しているのは、間違いないのでな、それを思うと、やはり、どうにも面目なく、君には申し訳がたたん」
ヴァルナ神は、生真面目で勤勉であり、厳格だが公正でもある、ただ、決して冒険を犯さないし、他にも許さないー常に安全策しかとらぬのは、天父神から、この世界の管理を託され、天則の守護者に任じられた責任を考えてのことだろう。「預かった物」だからこそ、おいそれとは扱えないのだ。そういう性向は、小心さの現れであることも多いが、ヴァルナの場合は、単に、度外れて生真面目で、責任感と自負が強いからであろうし、それは、賞賛されることではあっても、非難誹謗される類の性質ではない、ことに、ヴァルナの担う職責を考えれば、だ。
「俺自身は、あのときは、まさにぐぅの音もでない、って気分だったな。俺も、また、君自身の感情に同調していたから、気づかなかったんだ、ヴァルナの懸念に。普通の恋愛なら、確かに色あせる恐れは否定できない、言われてみれば、全く、尤もなことなんだが…俺は、君の情熱を程を知っていたから、君の愛も信念を疑いようがなかったが…第三者には当たり前だが、それは、わからないものな。穿った見方だが、ヴァルナは、君に直にあって話を聞いてしまえば、君の情熱に感化されることを恐れているのかもしれないな、なにせ、君は、あのウシャスに初めて『恋』を教えた男だ、自分だって、どう影響され、言いくるめられるかわからん、とな」
「それは、買いかぶりといいますか…もう少し、俺のことを小物と侮ってくださるくらいの方が、やりやすかったかもしれませんね」
「いや、やはりヴァルナの物事を見る目は確かという証左だろう、君は…年の割りに老成している、といっては失礼だが…冷静と情熱のバランスがとれているというか、綺麗な均衡を保っている感じだな、いかにも若者らしい向こう見ずで大胆な言動や情熱的な部分は、文字通り、燃えるようなのに、ウシャスの幸せを語る君は、思慮深いことこの上なしだ、ウシャスの訴えから、ヴァルナも、その当りは察したんだろうな。だが、ヴァルナは、ウシャスの訴えしか耳にしていない、そして、幼少時の君を知らないから、感覚としてわからないのだろう、君は、一方的にウシャスを変えたんじゃない…君の永年のウシャスへの思慕と、ウシャスから注がれた情、それも、君をここまでの男にしたということを」
「ええ、そうです、その通りです、ソーマ様。アンジェリークの導きが、情愛がなければ、俺はここまでこれなかった、彼女に相応しい男になりたい、その思いが俺を此処まで導いてくれた…」
「君らの恋愛は相互作用とでもいうのか、互いが互いに、寄りかかるではなく支えあい、支配するでなく良い影響を与えてあって互いを成長させている。その健全な双方向性は、理想的な恋愛の形だと、俺には思えるな。俺は永年、ウシャスを嬰児同然と思っていたが、今、ウシャスに対しても、謝罪と賞賛の思いで、一杯だよ。ウシャスの男を見る眼は確かだったということだな」
くっくっとソーマ神は楽しそうに破顔した。オスカーも思わず頬を赤らめた。
「そういっていただけるのは、面映いことですが、光栄です…」
「ただ、結局、問題は何の進展もしていない、それに関しては、力になれず…俺の力不足が申し訳ない」
「いえ、ソーマ様のおかげで、俺はヴァルナ様の懸念の本質がつかめました。だからこそ、説得する余地はある、と、俺は、むしろ、より自信をもちました」
「ほぅ?」
「ヴァルナ様は、俺のアンジェリークへの影響を認めてくださっている、ですが、それを、暫定的、一時的なものとみなし、彼女の変化は、俺が彼女の傍にいるからこその受動的なものだと考えている、だからこそ、ヴァルナ様はアンジェリークの存在を危ぶむのでしょう、ずっと彼女を風にもあてず守ってきたヴァルナ様には、どうしても彼女を「庇護するもの」とみなす習慣が抜けない故に思われます。でも、俺は…彼女は、そんなに受身の存在ではないと思っています。俺からの影響があるとしても、その変化は、彼女自身が育て、既に彼女自身のものとしている、そう思う。ただ、恋や恋人の喪失が、衝撃や動揺に繋がる、それは当然だし、そうでなければ、そもそも恋人に執心などしません、第一、普通の生き物であれば、死という別れは、避けようがない、それでも多くの生き物は恋をします、明日の別れを考えないからできること、愚かで先見がないゆえにできる蛮勇だと、ヴァルナ様ならみなすやもしれませんが、限られた時間だからこそ、熱く輝くように命を傾け燃やす生き方もある、そういう選択も、一つも価値なのだと…限られた時間を生きるからこそ、生きた証を残したい、そういう選択肢もあるのだと、ヴァルナ様にわかっていただきたい」
「これだから…俺の感覚は君と同化してしまうんだな…」
ソーマは苦笑するしかなかった。限られた命しか持たぬ人の女性に恋してしまったとき、自分もまた、その限られた命の燃焼にすべてを賭けて悔いを感じなかったのだから。
「だが、それをヴァルナに理解させるのは、至難の業だぞ」
「無窮の時を生きる光の方々には、感覚的に難しいこととは承知の上です、ですが、同じ光の方でも、ミトラ様は理解してくださった。俺ではなく、あくまで、アンジェリークの視点ででしょうが。ならば、あの聡明なヴァルナ様も、俺に共感することは無理でも、アンジェリークの希望を理解し、立場を認めていただくことは、できると考えます、そこで、俺は思うのですが…ミトラさまとも、連絡がとれないでしょうか?」
「あの男とか?君に力添えしてくれるとは限らんぞ、というより、期待するのは、難しい」
「ですが、アンジェリークの幸せを考えてくださってる、そして、何より、ヴァルナ様の性情やお考えを一番理解しているのはミトラさまではないかと思うのです。なので、俺たちが、ヴァルナ様を説得するにしろ、出し抜くにしろ…どういう方策が効果的か、助言をいただけたら、と思うのです。ミトラ様ご自身の尽力を期待する、というのではなく…」
「ヴァルナへの対抗策を立てる場合の指南、もしくは、軍師役か…それなら、確かに君の言うとおり、ミトラは役にたってくれそうだが…オスカー、残念だが、今日、ミトラはヴァルナの傍にいなかった、立場の違いが鮮明になったことで、ヴァルナが煩がってミトラを退けたか、ミトラの方から説得は諦めて見限ったかのどちらかだろう。ミトラは…あれはしぶとい時はとことんしぶといが、見限ると決めたら、冷徹なほどきっぱりと徹底している。ミトラから、ヴァルナへの働きかけは、正直、現時点では期待薄だぞ」
「ならば、逆に…見込みがありそうだと思えば、助言に留まらず、尽力してくださるやもしれません」
「ふむ、そういう見方もあるか。確かに、ヴァルナの事を最も理解しているのはミトラ、それは間違いない、となれば突破口をみつけるためにも、だな…よし、あれと話しがしたいなら、雨季を待ったほうがいいだろう。サヴィトリとプーシャンを君の正式の名代として遣わし、ミトラに接見を求めてみるといい、場所は、あれの望むところでな、さもないと、億劫がって出てこんかもしれん…というのは冗談だが…」
あながち冗談でもなさそうな顔で、ソーマが続ける。
「そもそも、ミトラが、君の太陽宮を訪れたら、ヴァルナとラートリーを刺激し、警戒させるだろうしな。『ミトラが、スーリヤと手を組むか』と思わせるのは、得策ではないだろう。となると、ミトラの宮に君たちが行くのも同様に危険だな…俺の宮も…もう俺の立場がばれている以上、同じか…」
ソーマ神は考え込んだ。
太陽神の若者3人とミトラが会談できる、しかし、一見、俺も含めた当事者に関係ない場所を天上宮のどこかに探さねば、な、と。
「とりあえず、君は、次の雨季に入ったら、会って話しをしたいという旨を、君の友人を通じてミトラに送っておけ」
オスカーが黙って頷いた。
「ああ、すまん、そろそろ君も限界のようだな…今日も神酒をおいていく、存分にきこしめてくれたまえ」
「かたじけのう存じます…」
従者があわててすっとんできて、オスカーに杯を差し出し、オスカーがそれをひったくるように飲み干したのをみて、ソーマは退散した。
俺は色々な意味で、天界の垢が身にしみつきすぎているな、ミトラは動くまいと決め付ける前に、声をかけるか…確かにやってみる価値はある、と考えながら。
しかし、目に見えるような状況の変化は、何一つ起きぬまま、日々は過ぎていく。
オスカーは友人のサヴィトリ、プーシャンを通じて、ミトラ神との接触を試みていたのだが、はかばかしい結果が出ていなかった。
とはいっても、ヴァルナ神と異なり、接見を拒否されているのではない、ミトラ神に接見をお願いしたくても、当のミトラ神本人が、いつ訪ねても、自身の宮におらず、接見の申し込みすら、できないのだという。
「あかんわー、ミトラさま、どこにおいでなんやら、宮付きの神官に聞いても、巫女に聞いても、要領得んのやわ〜」
「それが、隠してるとか、口止めされてるじゃなくて、本気で、わからないみたいなんだよねー、神酒だけは、摂らないわけにいかないだろうと思って、その時、捕まえられるかって思ったら、私ら太陽神と違って、契約神のミトラ様は、体力勝負の仕事じゃないジャン?神酒も1ヶ月に1回召し上がるだけで、足りちゃうらしくて、神酒摂るためにいつ宮にお戻りになるかも、わからないって言われちゃって。どうにも、当てがみつからないんだよ。マジ、困った」
「滅多に宮からお出にならん神様やったから、宮におらんちゅーだけでも「どないしたんやろ?」思うやん?けど、普段、外に出歩かない神様やからこそ、一度、行方知れずになると、一体全体どこ行かはったんか、誰も、行く当て、思いつかんちゅーてな。思いあまった神官が、お対のヴァルナ様に相談しはったんやけど『仕事があればいやでも戻ってくる、放っておけ』って、まるで、家出した犬も、腹へったら、嫌でも家に戻ってくるやろ、みたいな雰囲気で冷淡に突っぱねられた、言うて、逆に「スーリヤ様の御目で、ミトラさまの居場所を探していただけないでしょうか』ってなきつかれてもうたわ」
「ヴァルナ様には、ミトラ様失踪…といったら言い過ぎかもしれんが、その理由が、推測できるから、心配ないと踏んでのことだろう、恐らく、自分へのあてつけ…ミトラ様がご自分と顔をあわせたくない、言葉も交わしたくないと考えて、宮に寄り付かないのだと、考えているんだろうな。となれば、下手に騒ぎたてしたり、ミトラ様の居所を探そうとしたりすれば、自分たちの意見の食い違いが、何に起因しているか、周囲に知れてしまう可能性があるし、ミトラ様に弱みをみせたら、つけ込まれるやもと警戒もしているのかもしれん…が、宮付きの神官には、気の毒なことだな。ミトラ様ほどの神気の持ち主が、そう容易く所在を隠せるとは思えないんだが…探してやりたくても、俺の目は、主に地上の監督用に特化されているから天上宮の内部全ては見渡せん、俺にミトラ様の所在が、わかるくらいなら、当てもなく、おまえたちを使いに出したりはせんのだがな…」
「で、何度行っても留守で、埒明かないから、私、ソーマ様に、なんか情報がないか、伺いに行ったわけよ。ソーマ様は、神酒を方々に届けて回るから、情報が早いじゃん?どこかで、ミトラ様をみかけたって話を聞かないかって。でも、ソーマ様も、ミトラ様の消息を、それとなく尋ねているんだけど、天上宮では、本当に、女神たちも含め、全然、ミトラ様のお姿を拝見してないらしい」
「ソーマ様にも、情報ないんじゃ、今の俺らには打つ手なし、おてあげやん」
「ん、だから、ソーマ様は、普段は、自分では直接お出ましにならないような神様のところにも、ご自分で神酒を届けて、なるべく、情報を集めるようにしてみるって。ただ…」
「ああ、あまりに常ならぬことを表立ってすると、下手に、好奇心を刺激しちまうからな。ソーマ様が直に神酒を届けに赴いて、不自然でないとなると…どうしたって、それなりの高位神にならざるを得ない、そして、光の高位神というのは、仕事に忙しいのと、立場を慮って、あまり、御自ら宮からお出にならない方が多いから…だからこそ、ソーマ様のような情報通は、どこの宮でも重宝がられ、歓迎されるんだろうが…情報を流布する方は容易くとも、収集となると、厳しいかもしれんな…」
ソーマ神から「ミトラはあまり当てにしない方がいい」と言われていたが、こういう意味だったのだろうか…オスカーは考え込む。確かに、意見の食い違いから、単にヴァルナを避けて、隠遁しているだけなら…ミトラ神は、鬱陶しい人物を物理的に避けて、関りを薄くできると考えているのなら、それでは、幼児の発想だ。逃げ隠れしたって、ミトラとヴァルナの繋がりは希薄になるわけではないし、ましてや、ヴァルナが、意見の食い違いを、自ら修復して、自分の方に寄り添ってこよう、などと、するわけがない。しかし、アンジェリークの心の成長を見抜き、支援してくれるようなミトラが、そんなにも浅薄なわけがないと、オスカーは思う、この失踪には、何か、訳があるのではー何かしら、彼なりに、アンジェリークの閉塞した状況を打開しようとしている、その所為ではないかと思えるのだ。
「オスカーは自分からは自由に動けんし、下手に、本業を疎かにしたら、いつ、ヴァルナ様につけこまれるか、わからんもんなぁ、暫くは、俺らが絨毯爆撃で、そこらじゅう、鵜の目鷹の目でミトラ様の痕跡、チェックしたるわ」
「ああ、なんとか雨季が始まるまでには、ミトラ様に連絡つけたいもんねぇ、協力要請がダメならダメでもさ、その辺、はっきりさせたいっていうか…」
「縁起でもないこと、いうたら、あかん!」
プーシャン=チャーリーが強い口調で否定したのは、ミトラが、こちらに尽力してくれるかどうかは、わからない、という厳しい現実を見据えた認識があるからこそだった。太陽神の若者達には、ミトラ神が心情的に加担しているのは、あくまでウシャスに、であって、決して、自分たちにではない、ということを、よく、わかっていたからだ。
「だったらさぁ、ウシャス様にも、お願いしてみる?」
「へ?なにを?」
「ミトラ様の消息探し。だって、ミトラ様って、ウシャス様にめろめろじゃん?てことは、どこかに雲隠れしてても、ウシャス様の気を感じたら、釣られて出てくるんじゃないかと思ってさー」
「それって、一理どころか十理くらいありそうな良案に聞こえるよなぁ、実際、俺も、ふっと、似たようなこと、考えたこと、あってん。けどなぁ…」
「そ、それをウシャス様にお願いするとなると、私たちが、今、かなり閉塞した状況にあるって、悟られてしまう恐れがある、っていうか、ほぼ確実に…てことは、ウシャス様に、いらぬ心労や心配かけるかもしれない懸念が一つ。ウシャス様には、あんまり、心配かけたくないから巻き込みたくない、って、つい、思っちゃうし。しかも、オスカーの立場を考えると、ちょっと、このやり方は、えげつないよねーって思うところがあって、私も、いままで、言い出さなかったんだけど、ここまで八方塞となると、ね…」
「せやな…ウシャス様をエサして、エサにつられて、のこのこ出てきいやーてワナかけてるみたいなこと、たくらむんは、俺が、けったくそ悪い言うてた天界のやり口と、同じになってまうからなぁ…気ぃ悪くしたら、かんにんな、オスカー」
「いや、俺は、そんな、繊細じゃないぜ?おまえら、気を使いすぎだ、むしろ、俺は今、自戒してたんだ、いかんな、いつまでたっても、俺も、ついつい、彼女を風にもあてぬよう、庇護するクセが抜けない…ってな」
「じゃ、オスカー…」
「ああ。ウシャスに…俺からアンジェリークに頼んでみよう、ミトラ様の元を訪ねられるかどうか…」
律儀なラートリーは、ウシャスとの約束を守り、ウシャスの実体化そのものへの妨害は、あの会談以来、きっぱりとやめていた。アンジェリークは、ラートリーの言葉を疑っていたわけではないが、一度、実体化を試みてみたので、間違いなかった。しかし、無目的な実体化では、アンジェリークは、長時間、己を保つことができなかった。元々、アンジェリークには、天上宮でも、黄道に近い領域でないと、長時間の実体化は難しいのだが、それに加え、何の目的もなく実体化しようとしてもすぐに意識が四散してしまうことも、アンジェリークはわが身をもって知った。意識が凝ると同時に拡散していく、いわば、ざるで水を掬おうとするくらい、それは、労多くして何も為しとげらない努力だった。
オスカーは、ソーマ神の目を通して『君が、俺のために、いかに強く己を保ってくれていたのか、つぶさに知り、感銘を受けた』旨を、アンジェリークに伝えた、すると、アンジェリークから、申し訳なさそうな思念が返ってきて、オスカーは、上のような事情を知った。
《オスカー、ラートリーは約束を守ってくれてるの、私、夜にちゃんと意識も身体も持てるの、でも、この身を長くは保っていられなかった…この前、ラートリーのところを訪ねた時や、ヴァルナ様に儚いところを見せないように、って意識してた時は、我ながら驚くほど、自分を保てたのに…だから、私、自分が強くなれたんだと思ってたのに、ちょっと違ってたみたい…》
《いや、実際、君は、信じられないほど、しなやかな強靭さを培ってきている、でも、君が、純粋な精神体であることは変わりないから、漫然とした目的では、その強靭さがきちんと発揮されないだけだ、だって、動機…強いモチベーションがないと、力が出し切れないのは、誰だって同じだから。でも、それは逆を返せば、君に、確固たる目的意識があれば、君は、驚くほどの強さを発揮できるってことでもある、実際に、俺も見せてもらって、感銘をうけたし、確信した》
《ん、私も、オスカーに会うためなら…会って一緒にいられるのなら、一晩中でも、この身を、保っていられるんじゃないかと思うの。でも、オスカーに会いにいかせてもらえないから『私は、こんなにしっかりしてるんです、何も心配ありません』って、ヴァルナ様にお知らせできない…いくら実体化しても、すぐに儚くなってしまうようでは、逆効果だし…。その時もね『こうして、身体を持っても、オスカーに会いにいけるわけじゃない』と思ったら…いつの間にか、私の体は光の粒に戻ってしまっていたの……オスカー…私、ちょっとは、頑張れるようになったかなって思ってたのに、やっぱり、この身はあやふやで頼りなくて…情けない…だから、ヴァルナ様も、私たちのことを認めてくださらないのだろうし…ヴァルナ様に認めていただくために、私にも何かできること、あればいいのにって思っているのに…》
《君は、今、君にしかできないことをしているし、努力もしてくれている、十分以上に。だから君は気に病んで、その美しい顔を曇らせないでほしい、君の顔が曇ると俺も悲しいし、君の崇拝者であるミトラさまからお叱りを受けそうだ…ただ、そう思うのなら…アンジェリーク、君はミトラさまの宮には、実体化できる筈だな?》
《ええ》
《なら、使い立てしてしまって申し訳ないが、一度、ミトラさまに俺が…スーリヤがお目通りを願っていると、一度、お話しをさせていただけないかと申している旨を、伝えてもらえないだろうか。友人のサヴィトリとプーシャンを遣いに出しているんだが、最近、ミトラ様は天上宮にあるご自身の宮にいらっしゃらないようで、捉まらないんだ。伝言を残しておいても、断るでもないが、承諾の返答もいただけなくてな…どうも、全く見ていない。つまり、宮に帰ってきていないんじゃないかと思うんだ》
《わかったわ、オスカー、私、今夜にでも、ミトラ様の宮をお訪ねしてみるわ。お会いできればいいけど…会えるかどうかは、わからないから、私が参りましたってことと、お話したいです、ってことがわかるようなものを、その時は、おいていくようにするわ。ね、オスカー、私にも、できることがあって…オスカーが、私に頼みごとをしてくれて、私、嬉しい…》
《アンジェリーク、君は、笑ってくれるんだな…こんな…こんなことでも…》
《私、オスカーの傍にいられること、オスカーと一緒にいる時が一番、幸せなんですもの、そして、私にもオスカーの力になれることがあるかもしれない、そう思えると、とても嬉しいの。そして、嬉しくて幸せだと、笑みは自ずと生まれるものなのね…いま、オスカーに言われるまで、私、自分が笑ってるって気づいていなかったのよ、ふふ…それくらい、私には、いま、笑えることが、自然なんだと思う》
《俺も君が、君でいてくれる、そして、俺の傍で笑っていてくれれば…それだけで、俺も、これ以上ないほど幸せなんだ…》
オスカーは、思いの丈を示すように、精一杯腕を伸ばし、アンジェリークをその腕に捕まえた。その瞬間、アンジェリークが、この上なく嬉しそうに笑み…引き寄せあうように、唇が重なり、オスカーは無意識に数を数え始める、10…12…神馬を操る過程で身につけた、時間の計測は、自身の願望から、曇ってなければいいがと慄きつつ、やはり、少しづつ、アンジェリークが腕の中に留まってくれる時間は、微々たるものではあるが…伸びている気がした。
それでも、二人で過ごす時間は…まさしく甘露のごとしであり、甘やかで深い余韻を残す一方で、その時間は、どうしたって、あまりに短い。
一方、彼女と会えないでいる時間は、ますます限りなく長く感じられ、その間の寂寥、空虚さは、いや増しに増すばかりだ。彼女と一緒の時間が、あまりに輝いているからこそ、彼女がいない時間の寂しさが、より一層強く感じられるようになるばかりなのだ。
でも、この憂いに目を向けてはダメだ。いまは無いもの、手に入らないものにばかり目を向けていたら、俺も歴代の太陽神と同じ陥穽に陥る。幸いにも、俺には、希望がある、それが、どんなに小さくかすかでも、希望は希望だ、何より、俺には、アンジェリークの全幅の信頼と深く強い愛情がある、歴代の太陽神が、どれほど強く求めても、得られなかった、何より貴重なものが…
それを思えば…こんなにも恵まれたこの身を思ったら…何も得られぬまま、滅していった太陽神たちの哀れさを思えば、俺が、自らを負の感情に蝕ませるなんて、そんな、罰当たりなこと…アンジェリークがくれた貴重な宝をないがしろにするような真似を、できるわけがない。
足りない処、満たされない点を数え上げればきりがない、けど、俺は、自分が恵まれていることを知っている、それは、アンジェリークが与えてくれる掛け替えのないものだということも…だから、俺は、与えられたものに相応しい振る舞い、恥じることのない振る舞いをするんだ…
口づけの間中、瞳をしっかりと開いて、アンジェリークの容貌をしかと見つめ…瞬きする間も惜しいのだ…故に、彼女が光の粒となって中空に四散し、大気に溶けいく様までも、つぶさに見据えながら、オスカーは、今朝も、彼女が完全に姿を消すまでは、やるせないため息を堪えることのできた自分を、少しばかり、褒めてやってもいい気がした。
今日も空振りだった。ミトラ神の噂は、何処に行っても、つかめない。ソーマは、彼には珍しく、重いため息をついた。
もちろん、ソーマは抜かりなく「自慢の神酒を届けて、感想を聞きたかったのに、折り悪しく、ミトラが留守だったので、どこかで見かけなかったか」と、誰にミトラの消息を尋ねるときも、極自然に聞こえる理由を付け足していた。
が、元々出不精で知られるミトラが、外出しているといっても「留守というのは、何かの勘違いでは?」「どちらにしろ、すぐ帰ってくるでしょう」と取り合ってくれない者が大半で…つまりミトラの姿を「こんなところで?」と疑問に思うような場所では、誰もみかけていないということだった。
そんな折も折り、ソーマは、ヴァルナ神から呼び出しをくった。
ミトラの消息がわかったのか?と一瞬思い、そんな自分に苦笑いした。ヴァルナが自分からミトラの居場所を俺に教えてくれる訳がない、第一、俺がミトラを探していることも知っているかどうか…知らずとも、俺がミトラと手を組みたいと考えていると、推測はしてるかもしれないな…なら、もしや、俺なら、ミトラの居場所を知っていると思って、逆に俺から情報をひき出すつもりなのだろうか?流石のヴァルナも、ミトラの不在が心配になってきたか、根負けしたか…
対外的には平静を保ち、決して顔に出すことはないが、ヴァルナがミトラの消息をかなり気にしていることー有体にいって、雲隠れしているミトラに非常に苛ついていることを、ソーマ神は感じていた。
たまに、敵情視察もかねてヴァルナ神に神酒を届けにいくと、ちょっとした物音にも、はっと顔をあげては、徐にそちらに顔を向ける。中々帰ってこないネコを案じる飼い主のようだった。それだけ、本音のところでは、ミトラの行方を気にしているのだ。それを指摘しようものなら、恐らく、烈火のごとく憤慨して否定するだろうが。
ヴァルナの御前に通されると、ヴァルナは、開口一番、ソーマを牽制してきた。
「そなた…最近、方々の宮を、直接、訪ね歩いているというが…スーリヤの味方を募ろうとしても、無駄なことだぞ」
「ご案じいただき、いたみいるよ、ヴァルナ。心配せずとも、それこそ、そんな無駄なことはしていない、数を頼んでも、無駄だってことは、誰より俺が知っているからな。数を頼みにするだけなら、俺の時も…支援者は先方の方が多かったからな」
「なら、またも物つくりの性として、酒の感想を聞いて回っているだけと申すか?ならば…どこぞで、あのバカモノを見かけたという噂は聞かぬか?」
『やはりな…』とソーマは思い、苦笑しかけた。本当に聞きたかったのは、このことだろうに、一度、俺を牽制しておかないと、したい質問もできないとは、とことん難儀な性格だな、ヴァルナよ…と、ソーマは考えたが、ここは、すっとぼける。同情するには及ばないし、たとえ、消息を知っていたとしても教える義理もない。実際何も知らないのだし。
「バカモノとは、誰のことだ?」
「ああ、当てがないのなら、いい…ところで、今日、呼んだのは、他でもない。そなたの方が、詳しいだろうが、次の乾季に…一度、雨季を挟んだ後だが…とにかく、次の乾季に入って、程なくすると、久方ぶりに月と太陽の軌道交差がありそうだ。慣れてしまえば、なんということはないが、あのスーリヤにとっては、初めての経験であろうから、その時の注意など、そなたが、色々教えてやってくれ。それを、また、スーリヤに会いにいく口実にするのもいいだろう」
「その件に関しては承知した。もう、そんな季節か…確かに、言われて見れば、オスカーがスーリヤになってから、軌道交差は初めてだ…」
「それとだ、そなたと同じ物つくりのトバシュトリだが、最近、あやつが宮に姿を見せんのだが…そなた、軌道交差に備え、どちらにしろ、トバシュトリの工房を訪れる機会があろう?その時、あやつの様子をみてきてやってはくれぬか。暫く前までは、次から次へと過剰なほど発明品を見せにきては、実用化の算段を取り付けにきていたのにだ、半月ほど前からか…突然、ぱったりと発明品を見せにこなくなったのだ。これはこれで、きちんと工巧神としての勤めを果たしているか、きになるというものだ…」
「…トバシュトリの様子が心配なら、素直に、そう言えばいいだろうが。で、おまえ自身が、ヤツの工房に足をむければよかろう」
「…あれの工房は、天界でも最下層…訓練生の学徒ばかりがいる区域にあるのだぞ、私自身が赴いたら、皆、気が散って勉強にならんだろう、監視されているようで…いい気もせんだろうしな」
こういうところは、むしろ、下に優しいというか、気配りがあるというヤツなんだが…だからこそ、ウシャスには、過保護に走る、それも、わからんでもないんだが…
「そういうことなら、いたしかたない。俺がトバシュトリを訪ねる用件があるのは、事実だしな。最近、発明品が少ないようだが、きちんと神としての勤めを果たしているのか、ヴァルナが憤慨していたぞ、と伝えておいてやろう」
ソーマは、わざと、意地悪く、こう言った。すると、案の定ヴァルナは、憤然とした様子で
「私は怒ってなどいない、気にかけているだけだ。だが…そなたなら、誰かに悪意ある噂を流そうと思えば、立場上、容易かろうな…しかし、現時点では、その気配はない…ふむ…ということは、私が下したウシャスへの裁定を周囲に言いふらして、味方を作ろうという画策は、実際、頓挫…もしくは、諦めているようだな」
「それは、一体なんのことかな」
「とぼけておればいい。そなたが自分で言うとおり、数は頼みにならんということが、そなたにもわかった故であろうしな。世論形成という無駄な手間をとらずにすんでよかったではないか」
『コイツが、下には優しいというのは前言撤回だ、いや、俺は『下』じゃないから、容赦が無いのか…』
憮然とした思いと、苦笑したい気持とを混然一体に胸にかかえ、ソーマは、近いうちにトバシュトリの様子を見に行くことは、ヴァルナに約束して、彼の宮を辞した。
そして、後刻、訪れたトバシュトリの工房で、ソーマは、思いもかけなかった者の姿を目にする。
「…おい、なんで、おまえが、こんなところにいるんだ…」
「こんなところで、悪かったな、とんだご挨拶じゃねーか、ソーマよぅ…」
「いや、こんな処といったのは、思いがけぬという意味合いでだ、で、何故、おまえがトバシュトリの工房にいるんだ…?」
「こやつに呼ばれたから、来た、それだけだ」
「って、俺の工房に、いつ!誰が!居候しろっつったよ!ソーマ、頼む!いまの「こんなところ」発言はスルーしてやっから、こいつを、どっか、つれていってくれー!」
「…ここは、中々に居心地がいい。珍しいものがたくさんあって退屈せぬ。身の回りの世話も、カラクリがやってくれるのも、わずらわしくなくていい。カラクリは、余計なことを一切言わぬからな…」
「って、こんな具合に、もう、半月以上、俺の工房に居座って、うごきゃーしねぇんだよ!こいつは!」
「そも、おまえが、自分の工房に一緒に来い、と私をここにつれてきたのではないか」
「っ!…そりゃ、ウチに来いとは、言ったがな、ちょっと家に呼んだからって、そのまま居候する客が、何処の世界にいるんだよ!そのデカイ図体で、場所とりやがって、邪魔臭せーったらねーんだよ!」
「自分が小柄だからといって、八つ当たりはどうかと思うぞ、第一、私の背丈は、私が望んでここまで育ったというものではない、あたられても困る」
「その言い方が、更にむかつくっつーの!どーせ俺は、望んでも育ってねーよ!いや、そも、育ちきる前に、おめーが俺を神様なんぞにしたのが、いけねーんだ!責任とりやがれ!」
「だから、それは、お前が自ら選び望んで結んだ契約ではないか。第一、おまえ、天才であろう?いつも、自分でそういっているではないか、されば、自分の身丈を伸ばすカラクリなぞ容易く作れるのではないか?」
「それができりゃくろーしねー…じゃねぇ!一々、どこまで、むかつくやつなんだー!今すぐ、でてけよ!…っていっても、どでんとマグロみたいに転がって、てこでも、うごきゃしねぇし、俺のカラクリも懐柔しやがって、こいつを追い出せねーし…俺みたいなインテリには、力仕事はハナから無理ときてるしよ〜もう、どうすりゃいいんだ…」
「神気を発する者ーつまり神がいたら、その身の回りの世話をしろ、とは、おまえ自身がカラクリにしこんだ命令であろう?逆に、神を追い出せと命じたら、おまえも、もろともに工房から放り出されるのであろうからな…仕方あるまい」
「…おい、トバシュトリ、おまえ、いつから、ミトラと組んで道化になったんだ…」
「俺らのどこが、芸人だってんだー!」
この会話のどこが漫談ではないというんだ…どこから見ても、諸国を巡って人を楽しませる旅の芸人、その中の道化担当ではないかと、思わず、ソーマ神は突っ込みたくなったが、その気持自体が、この場の空気に自分も精神汚染された故ではないかと思い、瞬間、人好きのする顔を青ざめさせた。
ソーマが、思いも寄らぬところで、訪ね人を捜し当てられた幸運を、感謝するのは、この後暫くたってからのことである。