百神の王 45

つつがなく乾季が巡りき、ヴァルナは、張り詰めていた神経を少々緩めた、いや、緩めても大丈夫そうな気がしていた。この乾季は特に注意すべき点も、大きな祭祀の予定もなく、平穏にやり過ごせそうな季節であった。

太陽と月が軌道上で交差する予定はあったが、それは、彼にとっては、今まで無限に繰り返されてきた、平凡な一行事に過ぎず、特筆すべき出来事ではなかった。軌道交差は、地上には、何の関係もない、何の影響も及ぼさない現象であったし、ヴァルナ自身が、地上への影響が最小で済むように、指示を出していたからだ。対処法も、さして、難しいものではない。しかも、軌道交差に関係のある二柱の神は、それぞれに優秀で、なすべき仕事に関しては、絶対の信頼がおけた。彼らとは、ウシャスに対する見解において意見を異にしていたが、だからといって、彼らが執務に手を抜いたり、サボタージュを目論んだことなどは一切なかったし、ヴァルナは、その点に関しては、心配もしていなかった。ウシャスとの仲を認められないからといって、スーリヤが軌道交差を適切に処理しないとか、ソーマが、若く経験のないスーリヤに軌道交差に必要な知識や技術を伝授せず、仕事をボイコットするなど、ありえないことだった。

実際、軌道交差に関しては理論上の知識しかもたないスーリヤを、ソーマは、兄神として、よく指導していたようである。先の雨季の間に、予め、軌道交差の折りの注意点や用いる用具の使い方を、トバシュトリの工房で、実施で教え込む旨の報告も受けていた。

太陽・月神の実直な仕事ぶりにヴァルナは満足しており、それゆえにこそ、ウシャスを巡って彼らと見解が割れている現状を、ヴァルナは殊更に惜しんでいるのだから。

しかも、先の雨季から引き続き、この乾季に入ってからも、スーリヤ本人が直談判に来る気配もなく、ソーマやミトラも目立った動きを見せずにいた。ラートリーの監視が徹底していて、動きが取れないのだろう。このまま…ラートリーの采配に任せておくうちに、ヴァルナの『彼らがウシャスのことを諦めてくれぬものか』という思いは、強くなるばかりだった。

一方、もう一つの懸念だったトバシュトリの様子も、今は、それなりに落ち着いていた。

あまりにトバシュトリが静かなままだったので、この乾季が始まるや、ヴァルナは、光の神殿付きの神官を、トバシュトリの様子を見に、工房までいかせてみた。すると、工巧神は工房の寝椅子で、精根尽き果てた様子で、文字通り死んだように眠っており、工房の職人たちも、同様に疲労困憊の呈であったが、作業場に、これといって、目新しいカラクリは見当たらなかったという報告があがってきた。どうやら、トバシュトリは、先の雨季の間、何かの作業に根を詰めていたらしい。でも、かの神は、現実には、ここ暫く発明品をもってこない、ということは、発明として、形在るものを作る前段階の、何かの基礎研究に打ち込んでいたのだろうか?一体、トバシュトリは、何に精魂を傾けていたのだろう?と、ヴァルナは訝しく思ったものの、彼の作業内容を問い詰めるのは敢えて止めておくことにした。

ヴァルナは、トバシュトリの研究・発明には、諸手をあげて協力する気である。彼の出す成果は、着実に神界、くだって人の世にも発展をもたらしてきたからだ。が、いかんせん、カラクリに関しては門外漢のヴァルナは、トバシュトリに、目下の研究過程を語られても、ただ、黙って頷くことしかできないので、結果である「発明品」を眼前に持ってきてくれる方がありがたい、その有用性や利便性を検証し、実用化するか否かを断じることなら、ヴァルナの得意とするところであるし、それが最も効率的で無駄がないと考えている。となれば、今、何を研究しているか、詮索することで、彼の時間を無駄にし、思考の流れを邪魔する必要はどこにもない。彼が今は基礎研究に没頭している段階であるなら、尚更だ。

「研究の結果が出れば、そのうち、おのずから、成果として、形あるものをもってくるだろう」

と思い、それ以上は詮索しないことにした。トバシュトリが神力の不調を訴えているとか、悩み沈んでいるわけでないのなら、ヴァルナは、それでよかった。

スーリヤ及びその支援者の動きも鈍く、トバシュトリも、何かの研究に打ち込んでいる、いわば「溜め」の期間というだけなら、こちらも問題ない。

となれば、この乾季は、多少は、気を楽に過ごせそうだ、とヴァルナは考える。

地上の方はといえば、ここ暫くは、スーリヤの実直な働きにより、繁栄の一途を辿っていたので、もとより何も問題はないと思われた。

天界最上層にいるヴァルナは、地上の民草の動向や様子を、直に知ることはできない。蒼穹神であるヴァルナは天空から離れられない、別の言い方をすれば、天空に縛られているからこそ、天空の道から、この世界全てを見渡せるスーリヤを「己の目」として用い、彼を通じて、地上の様子を掌握する、いや、せざるをえないのだ。

それでも、天界と地上の、彼我を隔てる距離はあまりに大きく、しかも、ヴァルナには、スーリヤという第三者の目を通した情報しか得られない。ヴァルナが知りうる地上の様子は、スーリヤという濾紙で漉し取られて不純物を取り除かれた、いわば上澄みのようなものだ。

故に、ヴァルナは、気づいていなかった。

この乾季が始まってから、民達の巷間にまことしやかに広まっていた噂も、噂に囁かれる期日が近づくにつれ、ある種の高揚が徐々に、しかし、否応なく、高まっていっていたことにも。

民の生の声に接する術のないヴァルナに、地全体を覆う空気とか雰囲気とかを察するのは難しかった。

だから、今日は軌道交差がある、というその日の朝も、ヴァルナ神は、取り立てて何の心配も懸念もなく、ウシャスとラートリーの交替を見守り、そして、いつものように、ウシャスが万物に目覚めを与えるべく神殿を出立する姿を見送った。

軌道交差は、ウシャスには関係ない出来事であったから、今まで、取り立てて知らせたこともなかったし、今回も同様だった。

ただ、ヴァルナは、この乾季が始まってからというもの、ウシャスが、日を追うごとに、鮮やかな、生き生きとした美しさを増していく様子を、そして、同時に、ウシャスが、なにやら、そわそわウキウキとして、弾む鞠のように溌剌とした風情を見せていることを、些か不思議に感じていた。

自分に、スーリヤとの真の婚姻を反対されてからというもの、ウシャスは、考え深気で、大人びた憂いを漂わせるようになり、それはそれで、ウシャスの美貌に更なる深みを与えていた。もっとも、その美しさは、見る者の胸を締め付け、息苦しくさせる、そんな美しさでもあったが。

ところが、最近のウシャスからは、先の雨季に発せられていた憂愁の気配が薄れていた。分けても今朝方のウシャスは、今までにも増して、喜びと期待にはちきれんばかりの様子、溌剌とした生気溢れるたたずまいで、牝馬に向かう足取りは軽く、その身のこなしは舞うように軽やかだった。

何故、ウシャスは、こうも、日を追うごとに生き生きとしてくるのか、ヴァルナには、わからなかった。ウシャスの恋の先行きに、希望や期待が増したとも思えぬ、むしろ、膠着状態、我慢比べの様相を呈し始めている今現在、どうして、ウシャスは、ああも、輝いているのだろう…暫時、スーリヤにまみえ、その腕に抱かれることですら、それほどの喜びなのだろうか…ならば、恋が成就した暁には、ウシャスはどれ程の喜びを見せるのだろう、その美しさは、どれ程眩く輝くことかと、ヴァルナでさえ、つい、想像してしまう程だった。

尤も、ウシャスの沈み込む姿を見せられるよりは、ウシャスの生き生きとした姿を見せてもらう方がいいに決まっていると考えたヴァルナは、ウシャスの美貌が、今朝は特に輝いて見えることを、特に、周囲に言及はしなかった。

暫く、間近でウシャスを見る機会がなくなっていること…ウシャスは、自分に会いに来る理由がないのだから当然だった、ヴァルナ自身が「どんな説得にも応じない」と断言したことで、その機会を潰したのだから…それで、一層、己が目には、ウシャスが美しく見えるのだろうと思っていたからだった。

遠目から見守るうち、ウシャスの紅の牝馬は、無事、天空の道へと歩を進めていった。

続けて、太陽の馬車が、神殿の車止めに引き出されてきた。

と、何故だろう、ヴァルナには、太陽の馬車に乗り込まんとしているスーリヤの横顔が、初陣の若武者は斯くやというような、研ぎ澄まされた緊張感と僅かな不安、それ以上の抑えきれぬ期待とに、はちきれんばかりであるように見えた。初めて、太陽の馬車に乗り込んだ時でも、スーリヤは、これほど緊張を滲ませていただろうか…と、思えるほどに、彼は張り詰めていた。

しかも、出立前に、己の緊張を持て余しているようなスーリヤに、ソーマがてづから大ぶりの杯に神酒を注いで手渡していたのみならずーこれは、まあ、珍しいことではあっても、今までに、ないわけではなかったがー滅多に最上層に来ない工巧神、それも、ついこの前まで、精根尽き果てた様子だったらしいトバシュトリが、払暁のこの時刻に、東の神殿に来ており、しかも太陽神に声をかけている様を見て、ヴァルナは、正直、心底、驚いた。

工巧神は、天界の最上層を「気取っていて、落ち着かない」と、毛嫌いして、新発明を持参する時以外は滅多に寄り付かない。ましてや、夜通し工房にこもっていることが多いトバシュトリが、こんな早朝に出歩いているだけでも、珍しい。その上、特に親しいというわけでもなかろうに、わざわざ太陽神の出立を見送りにくる、とは、どういう風の吹き回しだと。

だから、太陽神が馬車に乗り込み、日輪が眩い光芒と凄まじい熱気を放って、出立した後、なにやら神妙な顔つきで、馬車を見送っている二神に、ヴァルナは自ら声をかけた。

「そなたたち、わざわざ、スーリヤの馬車を見送りに来たのか?珍しいこともあるものだ」と

「ああ、今日は、彼にとって、初めての軌道交差だろう?頭の中に植え込まれた知識は完璧といっても、実践で、おちついて月と太陽を無事、すれ違わせることができるか、心配になってしまってね、落ち着くように励ましの言葉をかけにきていたんだ」

「ふむ…確かにスーリヤも、かなり緊張している様子だったな。我らから見れば、軌道交差など、大したこともなく思えるが、それも、何度も繰り返しているからなのだろうな。初めての経験となれば、緊張するのも、やむなしか。して、トバシュトリよ、そなたは、何故、ここにいるのだ?」

「ごあいさつだなー、ヴァルナ。俺は、スーリヤが起動交差で使う道具が、きっちり作動しそうか、念押しの確認に来てやったんだよ」

「そなたが、そこまで親切だとは、しらなんだな」

「俺様は、製作者だ。道具の出来栄えと効果を見届ける責任と義務がある」

「軌道交差に用いる用具は、それほど、大層なものでもあるまいに…」

「ま、とにかく、俺は、スーリヤの野郎がきっちり軌道交差に対処できるかどーか気になるんでな、万が一にも、失敗はねーだろうが、とにかく、それが終るまで、この階層にいさせてもらうぜ」

「そなたの滞在に、一々許可などいらん、そなたは工巧神トバシュトリ、最高神の一人。本来は、この階層に住まうべき神なのだから」

「冗談じゃねーや、そんなこたぁ、頼まれたって願い下げ…いや、謹んで辞退させていただくぜ。ま、とにかく今は…そーだな…俺様は、ソーマの所で、軌道交差が始まるまで、神酒の味見でもしてるとすっかな」

「かまわんぞ、私も、私の銀杯と太陽の交差を見守るつもりだったしな、万が一の時に備えて…」

こういって、二柱の神は、極自然な口調と足取りで、連れ立ってソーマの神殿の方に向かっていった。

彼らが、初めての行事をこなす若きスーリヤの首尾を案じて来た、というのは、極めて自然なことだったし、言葉と思念に齟齬も感じられなかった。なので、ヴァルナは、彼らが出立前に交わしていた言葉を詮索する気も起こさず、己が宮に帰っていった。

 

自身の宮につくと、ソーマ神は「ここでしか味わえない、絞りたて…まだ、ろ過してない神酒があるが、どうだい?未分化だから、効能は薄いがね。それとも、いつもの神酒の方がいいかね」と尋ねてきたので、トバシュトリは、1も2もなく未ろ過の白濁した神酒の杯を受け取った。

「で、ソーマよう、俺様の言った通り、月に、きっちり、あの装置を取り付けたんだろーな」

一口、二口と慎重に杯の味を確かめつつ、トバシュトリは念を押すように、ソーマに問うた。

「ああ、抜かりはない」

「こればっかりは、おめーの言葉と手際を信じるしかねーな。ったく、月には、俺からは手が出せねーっつーのだけは、誤算だったぜ」

「月は、いうなれば、ただのタンク…単純な貯蔵庫だ。おまえの整備が必要な所など、どこにもないからな、なのに、おまえの工房に月を運びこんだりしたら、何事かと怪しまれてしまう」

「俺様としては、自分の手でしっかり装置の取り付けをする方が安心は安心なんだがよー月が俺様の工房に運び込まれんのは、確かに、不自然の極みになっちまうからなー」

「で、あれは一体どういう仕組みになっているんだね?私は、太陽の熱波を抑えるというからには、太陽の方に何か細工を施すのかと思っていたので、おまえから、月に細工をすると聞いた時は、正直驚いたのだが」

「それが、素人のアサハカさって奴よ。こういっちゃなんだが、スーリヤは、ウシャスだけに、全神経を集中させてやった方がいい、と俺は考えたわけだ、おっと、温情とかじゃねぇぜ、ウシャスの方に気を取られて、装置の使い方とか手順を間違えられちゃ困るからだ。しかも、常時、動いている車輪をカバーするのは、タイミングを取るだけでもてーへんだ。けど、よくよく考えてみりゃ、日輪を覆い隠す必要なんてねーんだよ、要は、月と太陽が重なる間だけ、太陽の熱波と光輝を抑えられればいいわけだから、というわけで、俺様は、月の方に細工することを思いついたわけだ。おめーに仕込みを頼んだのは、太陽の熱波を至近で感知するや発動し、熱波が強くなるほど自己増殖する、熱と光の吸収体だ。月と日輪が重ならねーと発動しねーが、一度、発動すると、日輪と重なっている部分の熱量を吸収し始める、だから、月とのすれ違いが終るまで、地上からは、太陽が虫に食われていくみたいに、少しづつ、黒く欠けていくように見える筈だ、で、月と太陽が完全に重なった後、また、日輪が姿を現し始めたら、溜め込んでいた熱量を徐々に放出し始めるから、地上が冷えきっちまう心配もねー」

「地上に届く熱量は変わらずとも、そんな眺め…太陽のそんな様子を見せられたら、地上の生き物たちは、度肝を抜かれるだろうな…」

「だからこそ、あいつらが…サヴィトリとプーシャンがプロパガンダにかけずりまわってんだろ?」

「ああ、ここ数日あたりからは、おおっぴらに…より具体的な託宣を始めたらしい。スーリヤとウシャスが契りを結ぶにあたり、慎み深きウシャスが恥じらいの気持から紫紺の闇を求めたので、情愛深き夫スーリヤが、昼日中に仮初の夜闇の時間を妻に贈ることにしたと、サヴィトリが、起動交差を愛の神話に仕立て上げた。だから、真昼に暗闇が訪れても、それは二神が愛の契りを交わす徴だから、恥ずかしがりやのウシャスのためにも、決して大騒ぎしないよう、大仰な祭祀も控え、個々人で静かに祝賀するように、そして、二神にあやかって、この時、幸せな愛の営みを交わす者、初めて契りを交わす者は、大いなる祝福が与えられるであろうと「もったいなくも、ありがたい説話」をぶちあげた。これなら、民も太陽の消失を目にしても、無闇に怯えなかろうし、神殿で大掛かりな祭祀を準備されて、事前にヴァルナにかぎつけられる恐れも減る。しかも、今頃、地上の神殿は、駆け込みで結婚式を挙げようっていう若い恋人で溢れてるだろうから、神官たちには、余計な御注進をする暇もなくなる。既婚者は、自宅に引きこもって、愛を交わす営みに余念がなかろう。まったく、サヴィトリは吟遊詩人になってもやっていけるな。お膳立ては、見事の一言だ」

「それで、今も、あいつら、天界に戻って来てないのか?」

「ああ、どんなにこまめに託宣しても、触れが行き届かない者は必ずどこかに出てくる、だから、いざ、その時が来て、闇に怯えて騒ぎ出す者がいたら、訳を伝えて、騒ぎ立てないよう鎮めなくちゃならん。そのため、起動交差が無事済むまでは、サヴィトリとプーシャンは地上に留まると言っていた。なにせ、無事、ことが為っても、後になって、人心に激しい動揺を与えたということになると、ヴァルナが、そのことを口実にして、スーリヤを罷免しないとも、限らない。弱みや、付け入られる隙は、ないにこしたことはないからな」

「なぁ、俺たち、やれることは、全部、やったよな…」

「ああ、あとはスーリヤとウシャス、分けても、ウシャスの実体化にことの成否は懸かってる…」

「きしょー!あとは、見てるしかねーってのは、しょーにあわねーなー!」

「なら、おまえも二人にあやかって、巫女神殿詣ででも、してくるか?その間、気を揉まずにすむぞ?」

「抜かせ!あいつらの首尾が気になって、勃つもんも勃たねーよ!第一、気を紛らわすために、女抱くなんざ、その女に失礼ってもんだろーが」

「違いない、これは、失敬」

「たりめーだ、 第一、俺らは、あいつらの、その、なんだ…愛の成就ってヤツを…だー!こんな、こっぱずかしい台詞、俺にいわせてんじゃねーよ!と、とにかく、見届けてやる義務があんだろーが、これだけ、関わっちまったからにはよぅ」

「まったく、おまえの言は、一々、健全でまっとうで、俺は、心が洗われる思いだ」

「くそ、おめー、俺をバカにしてんだろ」

「まさか、純粋に感心してるし、うらやましくも思っている。おまえの…ああ、スーリヤもだが…俺が疾うになくしてしまった、真っ直ぐな心根をな」

「それ、まじで言ってんなら、ソーマ、おめー、ばっかじゃねーの?自分の性根がひねくれてるとか、歪んでるって自覚があんなら、最初から線を引きなおす、製図しなおす、そうすりゃ、いいだけじゃんか。俺が、あの熱源吸収体作るのに、何度、図面、引いたと思ってんだよ、製図の手間惜しむヤツに、他人を羨む資格なんざ、ねーっつーの」

「それだ、そういうところが、おまえのまっとうさ、なんだよ」

「んだよ、わけわかんねーよ、ところで、ミトラはどうしてんだ?」

「あいつは、自分の宮で待機している、やつには、いざという時のヴァルナの抑え役になってもらわねばならん、万が一、ヴァルナが、スーリヤの馬車まで転移を試みて、二人の契りを成就させまいと、ことの最中に、踏み込むようなことになってみろ、全て台無し、今までの企み、準備の一切合財がぱぁだ、だから、その時の用心に宮に詰めてもらっている」

「あ、そっか、太陽の熱波を抑制しちまうんだから、ヴァルナも太陽の馬車まで、転移しようと思えば、できるかもしんねーもんな」

「そこで、ヴァルナに拮抗するだけの神力の持ち主といえば…」

「確かに、あいつしかいねーな」

「ただ、拮抗というのは、つまるところ、同等、言い換えれば、決して凌駕しているわけではないからな…」

「おいおい、大丈夫なのかよ?」

「いや、だから、それを見越して、スーリヤは前もってミトラと契約を交わしたんだと思う、ウシャスと真の契りを交わすこと、及び、自身が、最後の太陽神になるという契約をな」

「そういや、スーリヤは、わざわざミトラを介して、そのこと、天則に誓って…正式な契約を交わしてたよな。なんでだ?別に、自分が『なる!』って宣言すりゃいいだけのことだろ?契約を交わしたからって、成就の確率があがるわけでもねーのに、どこにそんな必要があったんだ?」

「スーリヤは、自分たちの婚儀は成就すると信じた上で、ミトラの力を援護するため…ミトラの神力を増強するために契約を交わしたんだろうな」

「契約を交わすことが、なんで、ミトラの力を増すことになんだよ?神力は、契約数に比例でもすんのかよ?んなわけねーだろ」

「ま、どこからも、何も邪魔が入らないようにという、スーリヤの用心の現れだろう。スーリヤは、思い切る所は思い切る大胆な男だが、大きく跳ぶためにこそ、事前に、細心にして緻密に、準備を万端整えておきたかったのだろう。とにかく、今は、無事にことが為るよう俺たちは祈るしかあるまい」

「ああ…」

二人は、陽光降り注ぐ空を見上げた。

 

こんなに緊張するのは、生まれて初めて…いや、太陽神の名をもらい、ウシャスに再会叶うまでの、あの一時に、今の緊張感は匹敵するか…

漸く彼女に会えるという期待に、極限まで胸は昂ぶり、一方で重苦しい不安とに気持が大きく振れたあの時…ウシャスは…アンジェリークは、俺を覚えていてくれるか、覚えておらずとも、言葉を交わしたら、俺のことを少しでも思い出してくれるだろうか…動悸は早まるばかりで心の臓が破裂しそうに感じる一方、その胸が潰れそうに痛んだ、あの時と同じだった。

この乾季が始まり、アンジェリークに再会するや、オスカーは告げた。

逢瀬のチャンスが巡ってきたことを。

賢明なアンジェリークは、オスカーの言葉に疑問や驚きを呈して、時間を無駄にするようなことはせず「私は何をすればいいの?教えて、オスカー」と、真摯な思念を訴えてきた。

《これを見て…これが放つ気の特徴を…よく覚えてくれ》

オスカーは、トバシュトリから預かった光と火の光球を、気持ちを集中させて見つめながらー今、その光球は、スーリヤとウシャスからそれぞれの気を受けて金紅色に輝いていたーその映像をアンジェリークに思念で送った。

《その光球…不思議…火と光の気が綺麗に混じりあって光ってる…とても、きれいね…》

《ああ、俺の耳飾と同じだ、現在、光と火の混交気を放つものは、俺の耳飾のほかは、この世に、これしかない。だから、アンジェリーク、この気を目印に、実体化を試みてほしい。その時がきたら、俺は君の名を呼ぶ思念を、ありったけの力で発するから、俺の声と、この光球の放つ気を目印にしてくれ。この気のあるところ、イコール、俺の馬車であり、そこには、俺が…いるはずだから》

《でも、オスカー、私、陽光溢れる昼間には、実体化できなかった…》

《だが、この陽光が消失していればどうだ?この眩い光がなくなれば、大気一杯に拡散している君も、自身の輪郭を描き、自らを象れるのではないか?》

《オスカー、そんなことが…あるの?昼日中に陽光が消失するなんて…》

《ああ、この乾季の間に、天空の道上で、ソーマ様の月が日輪に重なる日…軌道交差という現象がある。その時、月を太陽の前面に通し、月の影が日輪を覆い隠すよう、俺とソーマ様とで、それぞれの軌道を調整する。月が日輪に重なるこの現象を利用して、昼間に人為的に暗闇を作り出すんだ》

《ソーマ様が?わざわざ、そのために、月の軌道を変えてくださると?そう、おっしゃってくださってるの?》

《ああ、そうだ。さすれば、月と太陽が完全にすれ違うまでの時間、陽光は月に遮られ、この世界は昼日中に、仮初の闇に覆われる…》

《!…オスカー、ああ、それなら、私、できる、できるわ、きっと…いえ、必ず》

《ああ、だからチャンスは一度、太陽と月が天空の道で重なり合い、月が、その影で、太陽を隠してくれる間だけだ。限られた時間を無駄にしないため、君の実体化の指標になるようにと、この光球をトバシュトリが作ってくれた》

《この光球は、トバシュトリ様が?》

《そうだ、ミトラ様が、トバシュトリに声をかけ、工巧神の協力を取り付けてくださった。太陽が月に隠されて、大気を満たす光量が減じ始めた時を捉え、なおかつ、実体化の目印になるようにと、工巧神が、この光球を作り、馬車に取り付けてくれてある。軌道交差の日、太陽が欠け始める頃合を見計らって、俺は、君を呼ぶ思念を発する。俺が君を呼ぶ声を感じたら、君は、光と火の混交気に注意を払って、そのありかを探ってほしい。君に混交気が感じられるようになっていれば、それは太陽が欠け始めたということでもあるから、その時を逃さず、君は実体化を試みてくれ、この混交気を目当てに実体化すれば、この…馬車の内部に実体化できるはずだ。念のため、トバシュトリに頼んで、馬車の内部には、太陽の熱気と光が及ばないよう、外装を強化もしてある。陽光が欠け始めた時を狙って、この馬車の内部を目指せば、君は実体化できるはずなんだ、昼日中でも。そして、この馬車でなら、俺も、昼間、君に会いに行ける》

《昼でも陽光の届かない場所と時間を…見つけ出し、作りだしてくださったのね…私が自分の輪郭を描けるように…空中に広がりきった自分を見つけられるように…》

《ああ、だがそれも、俺の友…仲間たちの手を借りられたからこそ、助けあったればこそ、だ…彼らがいなければ…俺1人では、この案を実行に移すのは、到底無理だった…》

《ああ…私、皆様に、なんてお礼を申せばいいのか……》

《皆、君に幸せになってもらいたいと思ってくれている。皆、君が、幸せになることを望んでいる、だから、君が幸せになることこそが、何よりの礼になる》

《なんて、ありがたいことでしょう、でも、私、それは、きっと、オスカーの力だと思うの…皆、オスカーに協力したい、そう思ってくださったから、そんな気がするの、ソーマ様やトバシュトリ様が手助けしてくださるのは、きっと、かの神さまがたが、オスカーの力になりたい、って思ってくださったからだと思うの》

《…確かにそれは否定しない。だが…俺の幸せは、君の幸せなくしてはありえない。だから、君に幸せになってもらいたいと、皆が望んでいるのも、本当なんだ》

《ん、わかるわ、オスカー》

《君と俺の求める幸せは、同じ一つのものだ。そして、ウシャスとスーリヤが幸せなら、天界も地上も、太陽の恵みで、より繁栄する。俺たちが幸せになること、それが、この世界の全てに対する一番のお礼返しになる》

《…スーリヤ様が幸せであれば、この世界全部が、より幸せになれるのね…》

《ああ、そうだ…君の言うとおりだ…そのためにも、俺たちは…この与えられたチャンスを決して無駄にするわけにはいかない、友の厚情に報いるためにも…この世界にためにも》

そう信じているからこそ、俺は、迷わず、既存のシステムに反旗を翻せるのだ。

何かに犠牲をしいたり、誰かに一方的に辛苦を舐めさせるシステムはまちがっている。現行のシステムは太陽神一人に留まらず、地上の生き物たちを巻き込む恐れが常に絶えない。だから、ソーマやトバシュトリは、俺の側についてくれたのだとわかっている。決して感情論や共感だけで、俺に協力してくれたわけではない。

だが、オスカーは、できればこの内情を、アンジェリークに知らせたくなかった。

アンジェリークは、自身は何も知らぬままに、永年「決して手にとれぬ褒賞」として扱われてきた。彼女を手にすることに焦がれるあまり、無数の太陽神が破滅していったことも、太陽神の破滅に伴い、地上がしばしば寒冷期に襲われ、多くの生き物が死に絶えたことも、彼女自身は知らない筈だ。彼女は太陽神の交替を「当たり前」のこととして教え込まれていたし、太陽神不在の折は、彼女はラートリーの力で、それが何百年の長きに渡ろうとも、眠らされていた。そして、次に目覚めた時は、既に太陽神が代替わりした後だったはずだから。彼女は、太陽神が次々と代替わりする訳を知らないし、太陽神の空白期があることも知らない。空白期に何が起きたのかも知らないし、太陽神が代替わりするまで、その時々で、どれ程の時間が経過したのかー空白期にどれほど多くの生物が滅亡し、滅亡した分だけ、新たな種が生み出されてきたのかも、知らない筈だった。

だが、優しく敏いアンジェリークは、自分の責にあらずとも、自分の存在が、太陽神の精神を追い詰め、破滅を早めていたと知れば、心を痛めるだろう。その結果、地上の多くの生き物が死んでいったとしれば、尚、嘆き、哀しみ、自分を責めるかもしれない。そうはさせたくなかった。

天界の構築したシステムに対し、「褒賞」にされていた彼女には何の責任もないのだし、嘆こうが悔やもうが過ぎてしまった時間は取り戻せない。ならば、二度と、こんなことが起こらぬようにするのが一番だし、実際にやれることはそれしかない。

加えて、オスカーは、アンジェリークに「義務感」や「責任感」で、スーリヤである自分と仲睦まじくしてもらうのも、嫌だった。恋情を捧げている相手には、恋情をもって応えてもらえねば、幸せと思えない。地上の生き物のことを思って、スーリヤの在位を伸ばすために、俺と真の夫婦になりたい、なんていわれても、俺は嬉しくもなんともない。むしろ傷心するだろう、義務感で、その身を捧げられても…愛がなければ、俺を想うゆえに結ばれたいと想ってくれるのでなければ、それこそ、形の上でだけ夫婦になっても、虚しいだけだろう。こういう心の動きこそ、恋心の我侭勝手な部分だと、オスカーは自覚していたが。

だが、そんなオスカーの内情は、アンジェリークには知らせる必要のないことだった。だって、今、義務感などではなく、アンジェリークは、オスカーを愛してくれているのが、オスカーには、わかっていたからだ。

乾季の始まった最初の日から、今日まで、二人は、この日のために、準備を着々と進めてきたのだ。太陽の光と熱を抑える仕組みは、トバシュトリから『月の方に仕込むから、おめーは何もしなくていい』と言われていた。陽光の制御に余計な気を散らさないで、当日、おめーは、ウシャスのことだけ考えられたほうがいいだろ?つか、気もそぞろで、他のことなんて、手につかねーだろ、という、ぶっきらぼうで、優しい言葉とともに。

その厚意に、オスカーは、最初「自分が甘やかされすぎ」な観を抱かないでもなかったが、結局は、素直に甘えさせてもらい、自分にしかできないことに専念することにした。アグネシカへの指示の徹底、及び、神馬たちへの調教である。

軌道交差の日が近いこともあって、最近、月は、遠目でも、ほぼ、いつも、馬車から見える位置で動いていた。まず、オスカーは、その月を、常に意識して足並みを整えるよう、神馬たちに練習させた。なるべく、月と重なりあう時間を長引かせるためには、月と重なった後、月の速度に馬車の速度をあわせるよう、馬の足並みを整えればいい。

だが、この訓練は、ほんの序の口だ。次に、オスカーは、馬たちに、自身で…オスカーの手綱なしで、その足並みを維持させる訓練を施さねばならなかった。

というのも、軌道交差の間、オスカー自身は、馬車の客車内でアンジェリークと一緒の時間を過ごすからだ。その間は、馬車を馬たち自身に任せ、馬たちの歩みはアグネシカに統率させねばならない。

馬たちに命を下す際、オスカーは褒賞を兼ねた合図として、手綱を通して火の気を馬たちに与えてきた。そして、一度気を放出した後は、その慣性を維持することで、最低限の消耗で馬たちを束ねてきた。常に気を放ち続けておらずとも、馬たちを従えさせる訓練をしてきたことが、この場合も役に立ちそうだった。

とはいえ、今回は、一定期間、オスカーは手綱も手放さねばならない。つまり、馬車の統制をアグネシカに一任せねばならないので、そのための訓練は必須だった。その時間を徐々に長くしていくこともだ。

そして、この訓練の成否は、ひとえにアグネシカの統率力にかかっていた。なおかつ、自分とアグネシカの間に、絶対の信頼関係、そして、アグネシカの能力の高さを信じていなければ、とてもではないが、恐くて、無責任すぎて、できない賭けでもあった。逆に言えば、アグネシカの能力と自分との絆に、オスカーは絶大な信頼をよせていた。だからこそ、こんな思い切った真似ができるのだ。オスカーは、まだ、自身が太陽神の候補生でしかなかった折、いきなりアグネシカの調教と世話を任された時、それを決して厭わず、むしろ、進んで熱心に行ったことで、アグネシカを始とする神馬たちと、絶対の信頼関係を築いてこれたことを、今、この時、純粋に感謝していた。あの当時の俺は、馬たちと真摯に対峙し、真剣に接することが、こんな形で役に立つようになるとは、思ってもみなかったがな、と考えながら。

そして、アンジェリークには、当日まで、幾度か、馬車を目印に実体化できるかどうかを試してもらった。現実に実体化が果たせないのはわかっていても、その感覚を掴んでおいてもらいたかった。

すると、ある朝、アンジェリークは、興奮した様子で、オスカーに伝えてきた。

ほんの一瞬だったけど、馬車の内部に、意識を集中でき、中の様子を伺えたと。

《オスカー、私の意識、ちゃんと、馬車の中で凝ることができたみたいなの、だって、すごく、心地良さそうな小部屋が見えた…わかったの。小部屋は、ほんのりとした暖かで穏やかな灯に照らされて、いい香が漂っていて…柔らかな毛足の敷物が一面に敷き詰められてたの…》

その、アンジェリークからの報告に、オスカーは、喜びと安堵と期待で胸が一杯になった。

馬車の内部は、花嫁の新床に相応しく、心地よく落ち着いて過ごせるよう、手を入れておいてほしいと、トバシュトリに依頼してあり、助言者として、女神神殿の巫女の意見を聞いてほしいと、書き添えておいた。

トバシュトリは律儀に、その望みを実行してくれていたのだろう。

しかも馬車の内部に、ほんの瞬く間とはいえ、昼日中に、アンジェリークが、馬車の内部を認識できるほどに意識を集中できたということは、馬車の外装が、十二分に陽光を遮られるよう強化されている証でもあった。これなら、月の助けを借りれば、起動交差の間、馬車の内部が陽光に犯される危険、延いては、アンジェリークが自身の輪郭を見失って、散じてしまう危険は、ほとんどあるまい。

この手ごたえに、オスカーも、期待と喜びが抑えきれぬ思念を、アンジェリークに返した。

《ああ、光の巫女…君の妹たちと称される巫女たちに、女性が、心地よく落ち着いて寛げるような部屋にしてくれるよう、頼んでおいたんだ。気にいってくれたのなら、よかった…。本当なら、俺が自分で、花嫁の新床を整えてあげたかったんだが、すまない、工房に預けてしまった馬車に、俺は、自ら関わることができなくてな…》

《…そんな、こんなにまで、細やかな心遣いをしてくださって、オスカー、私、とても嬉しい…なのに、どうしてかしら、頬が熱くなるような、居たたまれないような、気持も一緒にするの。オスカーが、私を花嫁って言ってくれて…私のために新床を整えてくださったって伺ったら…》

《君のそれは、恥じらい…喜びを伴った恥じらいの感情だ…頬を染める君の、なんと可憐に愛らしいことか…早く…一日も早く、思い切り、君を抱きしめたい…天に輝く星の数ほどの口づけを贈りたい…》

《オスカー、私も…早く、オスカーに抱きしめてもらいたい、こんな一瞬だけでは、もう、足りない…たくさん、たくさん、オスカーの肌を…温もりを感じたい…》

《アンジェリーク、もう少しだ、あと少しで…》

《オスカー、私、待ちどおしい…待ちきれない…》

日々、夜明けの儀式を経、起動交差の日が近づくにつれ、互いの熱情は、もう、抑えきれぬ程に昂ぶっていた。

そして、いよいよ、この日を迎えたのだ。緊張と不安と喜びの気持がない交ぜになって、オスカーの心を震わせていた。

 

『いよいよ、今日だわ』

オスカーから聞かされた、月と太陽が重なりあう日、昼日中に、世界は仮初の暗闇に覆われ、私でも実体化できる日。

その日がやってきた。私、オスカーと結ばれることができるかもしれない、ううん、きっと、恋を成就させてみせる、千載一遇の日が。

私自身のため、オスカーのため、そして、多分、この世界のためにも。

アンジェリークは、オスカーと恋をして、今まで、見えていなかったものが、急に、はっきりとした輪郭を持って見えるようになった、そんな気がすることが、しばしばあった。

オスカーを知る前は…天界の最高位神たちに、ただ、庇護されていた頃は、誰もが「君の幸せを願っている」といわれたら、その言葉に、何の疑問ももたず、頷いていただろう。実際、皆、自分に優しく、良くしてくれた。自分の望みと彼らの望みは、同一だった。アンジェリークには、自分のための欲求は、ほとんど皆無だったからこそ、皆、競うようにアンジェリークの望みを喜んで叶えてくれた。

それは、わたしが、世界のありように何の疑問ももたず、言われるがままに勤めを果たしているだけだったから。どうしても譲れない願い、意思というものを、もっていなかったからこそ。

だけど、私はオスカーに恋をした。

ヴァルナ、ミトラ、ラートリーの3柱の神に、自分は、こよなく大事にされ、愛されてきた、昔も、今も。でも、私がオスカーに恋したら、ヴァルナ様は、将来を憂いて、私とオスカーの仲を反対し、ラートリーは私が変わってしまうことを厭い、ミトラ様は、ただ、ひたすらに私の望むようにしてくださった。でも、お三方とも、私のことを大事に思ってくださってるのは、同じだった。

私がオスカーに恋しているという一つの事実、皆様、私を大切に思ってくださってるのも、紛れもない一つの事実、なのに、その反応は、三者三様だった。

それで、初めて私は、身をもって実感したような気がする。

人は皆、それぞれ、自分なりの考えや意図で動き、生きていること。振る舞いには、その人なりの考えや理由が必ずあること。一つの出来事に対する受け取り方、感じ方は、人それぞれで違う、だから、対処の仕方も、人それぞれだということ。皆が皆、同じように考え、同じ振る舞いをするとは限らない、むしろ、そんなことは稀有なんじゃないかしら。

だから、ソーマ様が、私たちの恋の後押しをしてくださっていたというのも、ソーマ様なりのお考えがあってのことだと思う。ソーマ様とは、そんなに言葉を交わしたこともない、私は神酒を必要としないから、会う機会そのものが少なくて…。だから、ソーマ様が、私に幸せになってほしいと願ってくださるのは、事実だとしても、それが全てではないような気がする、月神であるソーマ様が願うのは、兄弟神であるオスカーの幸せだという方が、頷けるし。

ましてや、私は、トバシュトリ様とは、もっと縁が薄い。最上層に住処のないトバシュトリ様と、私的に会ったことや、お言葉を交わしたことは、1度もなかった。そんなトバシュトリ様が、私の幸せを願ってくださるのは、不思議としかいえない。でも、オスカーなら…トバシュトリ様はオスカーと言葉を交わす機会があって、オスカーと意気投合した、それで味方になってくれた、それなら、すごく納得がいく。

だから、ソーマ様やトバシュトリ様が、力を貸してくださるのは、きっと、オスカーのため。それも、多分、オスカーが口にしていたー太陽神と暁紅の女神が幸福になることは、地上の生き物達全ての幸福に通じる、そんな大儀に、賛同してくださったからじゃないか、そんな気がする。オスカーは、それだけの理想を体現できる力を感じさせてくれる…周囲に、自ら、協力したいと思わせる、そんな力を持っている方なんだと思う。だから…ソーマ様やトバシュトリ様は、お力を貸してくださった、そんな気がするの…。

誰も彼もが、皆一様に自分・暁紅の女神の幸せを無条件で願い、自分のためになろうとしてくれる、そんなことを、無邪気に信じるほど、アンジェリークは、もう子供ではなかった。

ソーマ様やトバシュトリ様が尽力してくれるのは、かの神なりの理由や考えがあってのことだろう、それが、何かははっきりとはわからなくても、なんとなくの察しはついた。

それでも、私たち二人だけでは、逢瀬は叶わなかった、皆様にご尽力いただけたからこそ、今、私は幸せを掴むためー与えられた幸せではなく、自身で選び取る幸せを手にするために、力を尽くすことができる。私は、皆様に心から感謝しているし、そのご恩返しは、私とオスカーが、本当に結ばれること、それが何より一番だというオスカーの言葉は、全くその通りなのだと思う。

今、一時、私は、オスカーの腕の中で無数の光となって、散らばってしまうけど…光と火の混交気を、そして、何より、オスカーの思いを頼りに、必ず、私は実体化してみせる、自身が、光と火を分ち難く交わらせるために…

アンジェリークは、高鳴る胸の鼓動を感じた。不安や迷いは、欠片も感じていなかった。

それでも、今朝は何故かアンジェリークは、あまり言葉が出てこない。なんだか、胸が一杯で、昨日の朝までは、熱に浮かされたようにオスカーに訴えてきた睦言が、今は、上手く、まとまらない。

その朝、アンジェリークがオスカーの腕に抱かれ、消え行くまでの僅かな時間に交わされた二人の言葉は

《待っててね…》

《ああ、待っている》

という、極めて短いものだった。

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